「私が迷惑がっているのも尻目に話を続けて…」続ける凍え人 - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/04/13 - 01291/01293 PFA03563 YAHATA RE^2:夏目雅子よ永遠なれ(;_;) ( 3) 96/04/12 23:50 01288へのコメント  #01288 めのう さん 》 亡くなってずいぶん経つのにちっとも古びない鮮烈な美しさ!  いつ亡くなったかさえ忘れましたが、ああいう傾向の美しさは今でも通用し ますよね(だからCMになったのか…)。 》 三蔵法師のカッコウをしていても綺麗だったもんなぁ.....ウットリ。  あれ以来NTVは西遊記を作るとき必ず三蔵を女優にやらせるという変な癖 ができてしまったですな…。本物はもっと無骨だったそうですが。 「98でインターネット」の広告写真の 浅野温子は顔の肌に疲れが見える YAHATA - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/04/13 - 00948/00951 GBG02043 維/YUI とってもおそ〜いRESですが。 ( 6) 96/04/12 23:55 00831へのコメント こんにちわ。 >私の場合は、維/YUIさんと違って、かなり屈折したあらわし方 ん〜、私も屈折してたんじゃないですか? だからつぶやきのように ぼそぼそと、人様がRESをつけないように、潜在的に文章を操作して いたのかも(^^;;) MAKOTOさんは、それでも黙らなかった分、強かったのかもしれません。 勘違いでも、捨て鉢でも、そこには心から求めることが関わっていたから、 今のMAKOTOさんに繋がってきたわけだし。 それはきっと、MAKOTOさんが 一番得をしたんだから、わかっているよね。 いくつかの書き込みにも、 そういう感じの話があったと思った。 結局さ、自分を観るってのをやるのは、自分がやるかやらないかの問題で、 そういう意味では孤独なものって言えない? はじめに独りであって、そういう人が集まって場になる。お互いに協力は するけれど、なれあい、よっかかりあいはしない。お互いがお互いを 心から尊重して活かそうとしなければ、決して成り立たない場だよね。 傷ついて、大泣きして、怒りまくって、空っぽになって、その後、それでも やるんだって残ったものは、そうそう手放せないし、手放す必要もない んじゃないかって思う。  MAKOTOさんが書いていた、仕事の話を読んでいてね、MAKOTOさんが新しい スタートをきることになったのは、その努力によってMAKOTOさんがそこまで たどり着いたからなんだなって思った。 大変だって言ってたけれど、それがまた次の新しい自分を作る礎になって いくんだよね、でしょ? (^_^) なんか、そうやって人が成長して生きていくのって、すごくおもしろくて 幸せなことだなって、そんなことをここ最近の書き込みを読んでいて 思いました。 維/YUI 00950/00951 QZA02327 ノロガメ RE:で、結局何がしたいの? ( 6) 96/04/13 01:16 00940へのコメント TAOさん、今日は。 ノロガメも無視します。(^◎^) ホンジャ〜マ〜 ノロガメでした。まる - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/04/13 - 903/904 QZE14371 雲上仙人 どこまで同じであればよいのだろう (19) 96/04/12 19:11 TO:Humane FROM:雲上仙人 その少年は、目指す教室があった。 何ヶ月も何日も待ちに待ったその日に、彼は探した。 自分の名前が載っている教室を机を。 友人に問い掛けた「僕の教室はどこ?」と、けれど友人は 知らん振りしていた。 何故なんだろう… その学校の先生も友達も誰も彼もが少年を無視した。 少年は仕方なく、自分で何度も何度も学校中を捜し求めた。 だが、彼の名前はどこにも無かった。 新入生の集合写真にも呼ばれなかった… でも、自分もその学校に合格したんだから、一緒に写りたかった… 憧れの高校にやっと合格して、あと数日と言うところで君は… その少年の気持ちが痛い程よく判る。 何の悪さもするわけではないんだ、 ただみんなのように登校がしたいだけなんだもの。 なぜ、そうすることが認められないんだろう… 見えるのに、聞こえるのに、話しが出来るのに… 人はどこまで同じだったら友と認めるのだろう… 見えているのに、聞こえているのに、話しができるのに、 どこか違うと言うだけで… 雲上仙人 904/904 QZY01267 猫の手 測定 (19) 96/04/13 11:44  相手は私を受け入れてくれないと  嘆きたくなるときがある。  誰も私を分かってくれないと  嘆きたくなるときがある。  相手が私を理解しないのは  私が相手に合わせること拒んでるから。  誰もが自分に心地良い  何かを与えてくれる誰か、  好きになる。  好きになってきたなら  その人の痒いところがどこか  興味を抱き始めることになる。  嫌いな相手であればあるほど  厭なことであればあるほど  それに合わせることが重要になる。  それは分かっているけれど、  相手は私を受け入れてくれないと  嘆きたくなるときがある。  誰も私を分かってくれないと  嘆きたくなるときがある。  様々な人がそれぞれの観念抱いてる。  様々な人がそれぞれの判断基準持っている。  どういうことが良いことで、  どういうことが悪いこと、  それぞれ皆んな違う判断基準持っている。  誰かが私をその物差しで測ってくれる。  私はその物差しを使って欲しくないと思うけど、  相手が大切にしている物差しを  けなすわけにはいかないこと知ってしまってる。  その物差し使って測られる度  悲しくなること多いけど、  それを禁止することもうまくないこと知ってしまってる。  にもかかわらず、  そういう測り方されてることが辛くなり、  相手を私の判断基準で測ってしまうことがある。  初めからその物差し使うこと否定している限り  いつまで経っても平行線。  私の評価は固定され  ろくでなしの烙印押されたままとなる。  私が相手の判断基準に合わせることできない限り  私は自由には成り得ない。  相手の物差し否定するのは私の物差しだから、  まずその物差ししまうことから始めない限り  私に開放は有り得ない。  私が物差し使うの止めたとしても  周りは物差し持っている。  相手の物差し否定しないならば  相手の物差しに合わせられない限り  私は解放されることあり得ない。  いくらその物差しは間違っていると叫んでも、  その物差しを大切にしている人には届かない。  逆に怒りを買って断罪されることになる。    自由を手にするために  相手の自由を拒んだら、  必ずそれは自分に  返ってくることになっている。  相手の自由を受け入れたとき  私に自由がやってくる。  観念だらけの世の中で、  そこら中に物差し振り回す人の世で  何処まで私がその物差しに  答えることできるかは分からない。  もういい加減、  疲れてしまってて  その物差しから解放されたいと思いつつ  いまだにその物差しに答えることできず、  今日もまた一日が終わる。  いつになったら解放されるのか  見通し立たないまま  それでもいつかそのとき来ると  信じないわけにはいかないと  もう一度深呼吸し直して  朝を迎える準備する。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/04/13 11:35:46> **