「だからどう好きにしたいのか?を問うているのだが」と天使 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/04/18 - 00970/00974 QZD02307 ジョリー ARIONと、黒澤映画(長文) ( 6) 96/04/17 23:27 00912へのコメント 七穂 さん、こんにちは。 たいへん、遅くなりました(^^;ゞスミマセン > 「七人の侍」といえば、・・・これはかなり悲劇的な結末になるんだろうなぁ > と、この作品の予告をみていたときには勝手に想像していたのですが > 実際にみてみたら、観終わった後、何か生まれ変わったような新鮮な感覚 > (と、ありきたりな表現でしか言い表せないのがちょっと残念・・ーー;)が、 > 心の内にふつふつと湧いてきて、自分の想像していた悲観的な終わり方を > しなかったので、ものすごく意外な気持ちにさせられた映画でありました。  そうですね。LIBの「ARIONの発言集」に、こういうのがありますが、 『武力に対して武力で戦うのは愚か者のやることだ。  しかし武力に対して花で戦うのは、もっと愚かなことだ。  武力に対して効果のあるものは、力だ。  本当の力とは、花や微笑みといった、あなたがたの偽善的なフレーズに飾られた  額縁の中の絵では無い。  本当の力とは、血の滲む愛情だ。自分の生命を投げ出せることだ。』 『あなたがたよ、目を覚ましなさい。  あなたがたが対岸の火事だと思っている、その対岸にも、あなたがたは生きている。  自分と呼んでいる、その小さな個体は世界中に生きている。  あなたがたよ、起きて行動しなさい。  今、行動しなければ、あなたがたの選ばない未来は、  確実に少数の者の利益と引換えに、足音を忍ばせて近づいてくる。』  これに、似ていると思うんですけど、花で、戦うことしかできなかった臆病  な百姓達が、侍と共に戦い方を学ぶわけですが、村の長老が言っていたよう  に、「自分の首を切られそうなときに、髭の心配をしている」のが、彼ら百  姓達の最初の姿だったんですよね。  それが、野武士達との命がけの戦に勝つことで、花だけではなく、強さを兼  ね備えた百姓に変身するわけです。最後の田植え歌を背景にした、志村喬の  「今度もまた、負け戦だったな。勝ったのは、あの百姓達だ。鷲達ではない  。」という台詞は、兵法は知っているが、生産を知らない武士という職業の  空虚さを表しているようで、とても印象的でした。  でも、花で戦うことしか知らない百姓の姿は、現代の日本のサラリーマンに、  何となく似ているようにも、思えますね(^^;)。 もっと、足腰の強いサラリ  ーマンに、僕も変身せねば。 >  わたしは「羅生門」(だったかな、間違っていたらごめんなさい^^;)を > みて結構痛烈なショックを受けた覚えがあるのですが、本当に、お互いに同じ > 時間空間を共有していて、どうしてあれだけの認識のズレが出てくるのか!?  「羅生門」とはまた、ずいぶん渋いモノをご覧になってますね(^_^;)。この  世の中にいる人の数だけ、それぞれの真実があるということなのでしょうが、  我々の想像以上に、個々の認識のズレというのは大きい、ということなので  しょうね。  その為にも、思いと言葉と行動が一致した、自分の心に嘘のない言葉で話す  ことや、心に嘘のない行動を行うための、真摯な姿勢が大切なのでしょうね。  もし、自分さえ信じられなくなったら、そんな空虚なこともありませんから・・・。  「羅生門」の最後は、志村喬が、捨て子の赤ん坊を育てる決心をし、抱いて  いくシーンで幕を閉じましたが、世の中が信じられなくなっても、けなげな  努力を、諦めてはいけないということなのでしょうね。 >  今日朝、通勤途中の車の中で、つらつらと自分の場を生かすってことと、 > それにくっついてくると思える安泰な気持ちということを考えたりしていた > のですが、自分が耕すことのできる場所ってのは、本当に自分の持ち場以外 > にはないなぁと思ったりして。  例えば、今の自分の持ち場から離れて、一体どこへ逃げるというのか?もし、  自分の受けている苦難が、自分自らが発するものだとすれば、一体どうする  のか?  自分が自分であるということからは、何処へ行っても、絶対に逃げられませ  んからね(^_^;)。七穂さんの仰るように、結局、自力で持ち場を耕す以外に、  苦難から抜け出す道は、ないということなのかも知れません。 >  この言葉に何故かジーンときた単純なわたしでありますが(^^;)、 > また別にいえば、感動のある充実した人生を送りたければ、自立しろ、と > いうことがいえたりするのかもしれませんね〜。う〜むむむ。        まず第一歩は、自分で自分の面倒をみられるようになること。生計を建てる  のが第一歩の「自立」だと思うんです。その次の、自分は、こういうことが  やりたいんだ!そして、こういうことをやり遂げたんだ!っていう、自分の  指針に向かっての「自立」ですよね。難しいんだな、これが(-_-;)。         ジョリー - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/04/18 - 07263/07263 PAF02400 湖の鷹 RE:頭を小突かれに出てきたよ ( 7) 96/04/18 06:53 07206へのコメント どんな風にかき出してもいい気持ちがしないから、前書きは抜きにしてと・・・、 > 「地球の裏側には飢餓で苦しむ多くの人が居る。」 と聴いて胸が痛むのは彼らを思ってか自分を思ってか。そういえば飢餓で苦しん だことってのは記憶にはないな、まぁ、日本も9割方 食料を輸入に依存してい ること、石油がいつ尽きるか誰も把握してないこと、そして、それは今日のあら ゆる問題と同じように、かならず尽きる日がくること、とりあえず、石油が枯渇 する時点で俺らも飢餓を楽しめるわけだから・・・、あぁ、俺もかなりひねくれ たもんだ。周りに染まらないでいられる唯一の方法が「ひねくれる」ことだっ た、てのはかなり悲しいことだよな。 「人々は、われわれの生態がいかに不安定なものであるかを認識しないものだからね」 ↑、私の好きな小説(もう十何回か読んでる・・・)の中のセリフですね。さて と、その時が来たとき、日本人は再び隣人のケツの肉を食卓に載せることにな るんではなかろうか。多分、その時代には人肉共食いはタブーではなくなって いるのだろうけど。いや、かつてと同じでタブーではあるけれど黙認してしま うのか。 ************************************ 麻原彰晃ちゃんは、って、別に私はあれに関しては「結局あのひとも失敗してし まったんだな〜」とかいうふうに思っているわけなんだけれども、まぁ、なん だ、傍から見ている限り、いまだに楽しんでいるようだし・・・、あと彼がうま いこと抜け出して再起したときの彼のさらなる喜びのためにも今は思いっきり蔑 んであげた方が彼のためではなかろうか・・・、そのときには私は迫害を被る方 に回るのだろうけど・・・、どっちにしろ、彼が他者の哀れみを望んでいるよう には見えないよな。 ************************************ 結局、人はイノシシとおんなじで壁にぶつかって痛い思いをして初めてそこに壁 があることに気づくのかも知れん。経験として言うけれど、誰かが“適切に”教 えなかったなら、そのイノシシは繰り返し同じ事をするだろうね、それが自分の 使命だと思い込んで・・・、いや、もしかすると、まさにそれが彼の使命なのか もしれないが・・・。 ************************************ 人を哀れむのはそれほど悪いことだとは思わないけれど・・・、まぁ、なんだ、 少なくとも俺は哀れんでもらって喜ぶような人間ではないし、周りを見まわす限 り哀れんでもらって喜ぶような人間はいないと思うぞ。多分、同情はあらゆる前 進への意欲を萎えさせるものだから・・・、それは記憶にとどめておいて、あら ゆる事が終わったときに思い出話として使うべきだと思うな。もう、前進が必要 なくなったときのためにね・・・。 ************************************ いつもいつも思うのだけれど、それぞれの人の居る場所こそがそれぞれの人の使 命なのだろう。結局、いまだに別な場所へ行く事が出来ないでいる私の結論、言 訳、その他・・・。 ************************************ 「人は、何かを手に入れたいと望みそれを手に入れるべく行動したときには、必 ずその何かを手に入れる事が出来る。」 結局、私がいまだに生きてこんな所に居るのは、結局、こいつに未練があるから なのだな。だけども、これに関しては信じたいという思いと、信じたくないとい う思いが半々てとこだね。片方は昔から守ってきた私のアイデンティティから、 片方は周囲が私に植え付けようとしている全体主義的常識に侵されて・・・。 ************************************ そうして、今日も惰眠をむさぼるという・・・、 ************************************ 猫の手さんの書き込みを読んでいると MAKOTO さんが書いてくれた「個人的に は、真正面から書けばいいのにって思います。」というのが実感できるね。伝わ りやすいかどうかは取りあえず別にしておくけど・・・、 猫の手さんみたいに表現することができたなら・・・、多分、それは手に入れた いと望んでも、手に入れることの出来ないものの一つになるんだろうな。きっと それはいまだにしつこく持ち続けている「ひねくれた自分」を否定することにな るから・・・、「ひねくれてない自分」は自分ではないのではないかという恐れ をいまだに抱き続けているから。 96/04/17(水) 21:44 湖の鷹(PAF02400) ps. 今年にはいってから、なんかずっとセンチだな。 ps2.たまに幼子の泣き声を耳にするけれど、そのたびに悲しくなる自分に腹をた てて言い聞かせるのだな。幼子は“泣く”ことこそが唯一の自己主張なんだ とね。自己主張を聴いて悲しくなるのは筋違いだぞと、とね。だがしかし、 多分、俺らはそのぐらいの年から自己主張を押さえつけることを周囲から望 まれているのだろうなと・・・、そして、誰もそんなものを聞きたがっては いないことをしっかりと心の奥底に植え付けさせられて・・・、 ps3.ひとつ忘れてたね。「俺がひねくれてるんじゃねぇ。他の全てがひねくれて いるんじゃねぇか!!」、あたしのうちなる叫びでした・・・(-_-;)。 - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/04/18 - 839/839 GFB00026 一輝 AMA族アメリカ上陸計画 ( 9) 96/04/18 04:02 837へのコメント >#836 TAOさん、 #837 スウさん  脳裏の奥底へすっかり忘れてしまっていたAMA族のことを、だんだん思 い出してきましたよ(^^;)。そんな機会を与えて下さって感謝しています。                  *  どんな言語なのかはよくわかりませんが、”ナザレのイエスが話していた と考えられている「アラム語」”これは、その名前からしてAMA族っぽい ですね。[ ama→ngama→gama→gami→kami ]という変 化に似たものは、インドネシアにもあります。  例えば日本語の「崇む」は、インドネシア・マレー語の「アガム」。「神 祭り」は「カンズリ」。「我慢」は「ガマム」。「神楽(かみら)」は「ガ メラン」。「官」は「カン」。「空」は「カリ」。「未だ」は「ムダ」。「 名前」は「ナマイ」。「鼻」は「パナム」。「参拝」は「サムパイ」。「同 様」は「サマ」。「〜さん(様)」は「サン」。「多分」は「タブン」。「 試し」は「タムシル」。「上面(顔)」は「ウワモ」。「〜な」は「〜ナ」。 「わー!」は「ワー!」です。AとMに関するものだけでこんなにあります。 詳しく調べれば、もっとたくさんあるでしょうね。  部族名では「三縄」と同じ読みのミナハサ族がスラウェシ島にいます。た ぶん「三縄」も、もとは「御縄」で、後の日向族の封印当て字でしょうか。                  *  前回、だいぶ足早にしかも大雑把に「アラン族AMA族説」を書いてしま いましたので、そこにに至る大きな要因となった原田氏の重要な説について、 原文を引用しながら細かく解説を試みたいと思います。私はこの原田氏の話 とARION情報の照合によって、後の解読がスムーズになった経緯があり ます。  ただし、これらは学校で教わってきた世界史がヨーロッパ出自であること から、大きく常識を逸脱している内容でもあります。ところが、この逸脱が 世界史の謎の部分に、新たな光を照射しているのです。    『中国からヨーロッパに、この時大移動したのが二回あって、     先の一隊はトルコから東ローマ帝国に保護を求めて、ギリシ     アからイタリアに入り込み、定住の地をさがしたが、住むの     に適した場所がなく、だんだん西へ西へと移動してスペイン     のトロサに一時定着したが、フランスのクロビス王に攻めら     れて、スペイン中央部のトレドまで逃げ、ここに定着した。     そして二百年ぐらい栄えたと記されている。     これが現在でも世界の教科書に、黒海の北から現れたゲルマ     ン人だ、と記されているが、実際、私がトレドまで行って調     べてみたら、ゲルマン人とは似ても似つかない、一目見ただ     けで中国人と判るほどはっきりしていた。また、このトレド     で売っていたみやげ物の絵皿は、七、八枚買ってきたが、東     京の中華料理店で使っている皿の絵と、寸分違わないものだ     った。柄も絵も、まるでカラー写真で縮小したと思われるほ     ど、はっきり同じものだった。     人間の体型も、ドイツ人のようなゲルマン人の体格と全然違     って、中国人そのものだった。これを今でも、黒海の北から     現れたゲルマン人の移動であると教えているのは、いくらな     んでもひどい間違いだと思った』                    (上代日本正史 P.229)  おおげさな言い方ですが、私はこの報告をAMA族の子孫にとってのマル コポーロの『東方見聞録』ならず、『西方見聞録』と言ってもいいような極 めて重要な文献と受けとめています。原田氏の場合は、マルコポーロと違っ て実際に見聞したものですが…。  学校で一般に教わる世界史では、トロサ(現在のフランスのトゥルーズ) に一時定着し、フランスのクロビス王から攻められ、スペイン中央部のトレ ドまで逃げたのは、ゲルマン民族の西ゴート族です。  しかもこの西ゴート族の作った西ゴート王国(507-711) は、世界史にとっ て更に重要な事件を秘めています。国家を失いエルサレムから脱したユダヤ 人(スファラジーユダヤ)の多くは、このスペインの西ゴート王国に身を寄 せていましたが、国王のカトリック改宗によってヨーロッパ各地に散開した ことが世界史に記されているのです。原田氏の話で考えてゆくと、この話も 偽史の可能性が出てきます。  西ゴート王国がAMA族の国家であったとすると、ではエルサレムからや ってきた民族は何だったのでしょう。そして、トレドにいるモンゴロイド民 族は何なのでしょう。推察は何通りもできますが、何とも奇妙ではありませ んか。慣習のみに着眼し明らかな民族的相違を無視した日ユ同祖論が、茶番 に見えてはこないでしょうか。この西ゴート王国は、やがてアラブ人(ウマ イヤ朝)に破れ、イベリア半島はイスラム文化圏になります。  このトレドで見たモンゴロイドから別れたのか、別行動をとったアラン族 なのか、あるいはそれとは独立した部族なのか、イベリア半島からジブラル タル海峡を越えたアフリカのモロッコ山中には、これまた日本人そっくりな 人種であり、文化や言語に日本と共通点が多く見られるベルベル族が住んで います。  その昔につきあっていた女性から、このベルベル族の男性と世界旅行中に 現地で知り合い、その互いの意志疎通のスムーズさに意気投合し、結婚して 永住するかどうか悩んだ末にやめてしまった、という手紙を後にもらったこ とがあります。最初に彼らの存在を知った時、なぜこんな地球の裏側の果て の山岳地帯に日本人村落があるんだろう、まるで夢の中の村ではないか、と 不思議に思ったそうです。  私はこのモロッコのベルベル族も、スペインのトレドで原田氏が見聞した モンゴロイド族も、AMA族ではないかと思っています。    『もう一隊、あとから移動したのは、一時約五十年ぐらいブル     ガリアに定着していたが、また移動をはじめて、最後はイタ     リアに入り込んで、ローマ帝国を滅ぼし、ローマを占領した     が、あの付近は土に含まれている石灰分が多すぎて、稲作に     は不向きだったので、北のほうに移動して、ミラノからベニ     スのほうに流れる川の流域の平野を選んで定着した。その後、     現在に至るまで米を作り、養蚕をやって暮らしている。     これも教科書では、黒海の北から現れたゲルマン民族だと教     えているが、ゲルマン民族が田植えをやったり、養蚕をやっ     たりするのは、変だと思って、イタリアまで調べに行ってみ     たら、やっぱり漢民族だった。それで調べたら、この五胡十     六国時代に、蒙古の侵入に押されて、西洋まで移動した漢民     族であることが判明した。日本の絹よりもっとやわらかくて     上等のイタリアの絹織物はここで作られているものである。     いつまでも、この田植えをやっている民族を、ゲルマンであ     ると教えることは、訂正してもらいたい。ゲルマンの歴史を     いくら調べても、肉食民族であるゲルマンの祖先には、田植     えや養蚕をやったという歴史は、どこからも探し出せない。     間違いは間違いとして、少しでも早く訂正をしてもらいたい』                    (上代日本正史 P.231)  これも、よく読むと凄い話ですね。イタリアに田植えをやっている漢民族 が住んで養蚕をやっているとのこと。こんな話は地理の教科書にも出てきや しません。しかもローマ帝国を滅ぼしている。モンゴロイドがローマ帝国を 滅ぼしたということになります。  学校で一般に教わる世界史では、ローマ帝国を滅ぼしたのはローマ帝国の 傭兵隊長オドアケルで、そのオドアケルを破ったのが東ゴート族の作った東 ゴート王国(493-553) です。この東ゴート族は、かつてブルガリアやハンガ リーにいたことがあり、そもそもモンゴル平原からやってきたフン族に追い 出され、ローマ帝国に侵入したゲルマン民族ということになっています。  西ゴート族も東ゴート族も共通しているのは、直接フン族に圧迫を受けた 部族(東ゲルマン民族)であること。そこから原田氏の見聞によって学校で 教わる世界史に疑問が生じます。原田氏の報告では、西ゴート族も東ゴート 族もフン族と同じモンゴロイドです。これはひょっとしたら、同じ部族か、 出雲族と日向族のように別れたものの、連携してある目的でヨーロッパに侵 入したのではないかと推察できます。  しかし、白人種にとって最初のヨーロッパでの偉大な国家を誇っていたロ ーマ帝国が、中央アジアからやってきた有色人種に滅ぼされるなどというこ とを定説にしてはカッコ悪いと考えたのではないでしょうか。ですから、フ ン族のリーダーだったアッチラを好色悪漢王に仕立て上げ、ローマ帝国領土 に何度か侵入はしたものの、アッチラ自身はドナウ河を越えられなかったと いうことにしていたのではないでしょうか。  さて、ではフン族に直接圧迫されたとされる民族には他にどんなのが居た のか調べてみたところ、浮上したのがアラン族です。黒海北方に居たとされ るアラン族は東西ゴート族よりも早くフン族に圧迫され、最も初期にヨーロ ッパへ侵入し、イタリアには脇目もふらず、イベリア半島西端まで達してい ました(411-417) 。彼らはやがて西ゴート王国に吸収されてゆきますが、こ こでARIONから聞いたある話を思い出します。ウロ覚えなので正確な再 現にはなっていませんが、以下のような内容です。    『AMA族の中にはヨーロッパに侵入し、そのまま大西洋を渡     り、アメリカへ向おうとしていた部族が居たが、途中で挫折     した』                        (ARION情報)  この話から、それがローマ帝国を滅亡に追い込んだフン族であり、アラン 族であり、ゴート族であり、ベルベル族ではなかったかと思っています。ア ラン族はアメリカ上陸をもくろんだAMA族の先遣隊というわけです。おそ らく私が察するに、この挫折は、本来ヨーロッパへの侵入は数回に分けてな され、それぞれに後続の部族と連携し、物資や人員を補給してゆく予定だっ たのが、ヨーロッパが稲作に合わぬ土壌だったためにうまくゆかず、消耗し てしまったことが原因ではなかったかと思われます。  もし彼らがアメリカ大陸に上陸していたら、マヤ民族にとっての「ケツァ ルコアトルの再来」はスペイン人ではなかっただろうし、旧AMA族のイン ディアンたちとの文化的融和によって、その後の世界史の流れ全体が、きっ と大きく変わっていたことでしょう。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 838/839 GGD02212 スウ 月海さんの本/鬼族の話 ( 9) 96/04/17 23:35  先日【山窩<さんか>・海人<あま>・まつろわぬ民】などと書かれた帯に つられて「秀吉の正体」(トクマブックス)という本を買ってしまいました。 著者の月海黄樹ゲッカイオウジュさんは「古代ユダヤ人と聖徳太子の秘密」を書いた 月海千峰と同じ人(大阪阿倍野の辻占いのおばさんだっけかな)で、「山窩の 家系に生まれ、幼少時より口伝の歴史・占術を授けられ」たんだそうです。  著者によれば、渡来天孫族によって平地を追われ山岳部と沿岸部に移住した 先住民が山窩サンカおよび海人アマであるとして総称し鬼族と呼び、ニギハヤヒや 出雲族も鬼族に属するものとしていました。どこまで史実と認められるものか 不明確で、FARIONで語られるAMA族や出雲族のコンセプトとも交錯して混乱 を招くかも知れないのですが、まつろわぬ民・鬼族のイメージを把握しようと するための参考になるようにも思います。  里を追われた先住民と聞くと、踏みつけられっぱなし…みたいなイメージを 抱きがちですが<そう思うのは私だけ?>この本に描かれる鬼族達は必ずしも そうではなく、結構したたかでたくましかったようで、古代オリエントの金属 文化を携えた渡来民の血が混じっていて、呪術や占術などの神秘に通じる者や 土木建築・治水工事・金属加工などの職能集団を擁し、政治的に無視できない 影響力によって平地に縄張りを持つようにもなっていたとのこと。  肝心の秀吉の正体について詳しくは本書に譲りますが、彼も鬼族とのこと。 秀吉が根来衆や雑賀衆を滅ぼしたのは同族への裏切りということになりますが 個人的に興味が持たれるのは、鬼族が山岳宗教の担い手であり修験道や密教と 縁が深そうなことや鍛冶技術に長けていたらしいこと。(根来衆に関して以前 コメントしたように当方の郷里は密教や鍛冶が盛んな土地だったようなので) 隠されていた歴史がより明らかになることを期待します。      (スウ) - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/04/18 - 02107/02107 JBH00712 桂 桂 UFO・その他 (11) 96/04/18 00:37  田代峠(小説の中では翁峠)について、一時期UFO基地があるという奇怪な噂が 流れていた。  この当時、日本テレビのUFOもので有名だった矢追純一氏は「地球環境財団」と いう団体に請われて理事の座についている。この団体は「日本船舶振興会」の総理事 である笹川良一(故人)氏の後援支援団体の一部として創設されたものである。  88年、広瀬隆氏の「危険な話(現・新潮社文庫)」によって異様な盛上りを見せた 反原発運動・それに連なる市民運動ニューウェーブといわれる「草の根」エコロジー 運動の影響によって出来上がったものと思われる。  笹川良一氏のような、戦後日本右翼の総元締のような人物がどうしてこのような団 体を作ったのか、興味の有る話であるが、他にも現在薬害エイズ問題でその名を連ね ている「ミドリ十字社」も同じ様に「anew(アニュー)」という無公害野菜の販 売店のチェーン店を全国大都市で出店させている。  この店は何れも奥まった空間を持ち、興味を持った客を中に入れて説明会を催すと いう事をやっていた。話に聞く所によると一対複数で言う側が納得するまで客を返さ ないというシステムで、市民運動関係者の間でも「ミドリ十字は何をやっているのか」 と評判が著しく悪かったらしい。  地球環境財団でも、どうして矢追純一氏が理事に付かなければならないのか今一つ 納得出来る理由というものが解らない。UFO・オカルト分野と環境保護運動の接点、 それは一体何だったのだろう。  この頃学研「ムー」誌にコラムを連載していた矢追氏は、自衛隊関係者から「UF O問題に深入りするな」と警告を受けていたという。実際問題自衛隊演習機がUFO と遭遇するのは内部でも報告されており、色々表に出ない部分で論議が交わされてい るらしいのだが、そうしたことは民間の口の端には乗せてはいけない物らしい。  では田代峠で演習を行っていた部隊というのは一体何の為にいたのだろうか。  勿論時間が立ち過ぎてそんなことは皆目見当が付かない。  「地球樹」の中でもそんなことは無論書いていない。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/04/18 - 00896/00897 GFB00026 一輝 HPの宣伝について。 (12) 96/04/18 00:19 >#00895 PRINCEさん  個人的には興味のある話なんですが、当フォーラムの会議室ではHPの宣 伝をしないことが原則となっています。でもまぁ、せっかく作ったことだし、 そこをなんとか宣伝したいという心意気はわかります。その場合には、あら かじめ自分のPROFにHPの宣伝を書いておいてから、会議室で何らかの意見 を書き込みし、そこで「どうぞPROFを見てください」という話を添えるのが よいかと思います。  この発言は該当発言#00895にはコメントしておりません(>他の方もコメ ントせぬようにお願いします)ので、書き直しをお願いしますね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00897/00897 GFB00026 一輝 VOICE & C+F ワークショップ で起きた事故 (12) 96/04/18 00:22 00891へのコメント >#00891 わうさん 滅多に聞けない貴重な話をありがとうございます。 | いえいえ、決して安全無害な動物ではありませんよぉ。 | | 私のかつての上司が、小笠原でイルカツアーを企画・実行したことがあ |ったのですが、彼が苦笑いしながら語ってくれた話によれば、ツアー中、 |イルカに手を触れようとして噛まれた女の子が2人も出てしまい、ツアー |は急遽打ち切り、ビジネスとしては大失敗だったそうです。 ……………ということは、人間の勝手な都合でイルカは利用されてきたわけ      ですね。      白人に虐げられてきた人々としてのアメリカインディアンを「ネ      イティブ」と呼び、ヒロイックに自己同一視するジャンキーたち      の心の中にも、同じ欲望がうごめいています。彼らにとってイン      ディアンは、権力に虐げられてきた存在でなければならない。強      者であってはならないんです。昔から自由で平等で平和を好む民      族だった、ということにされてきたところがあります。      そして、インディアンが持っているであろうと推察する「被害者      意識」と、麻薬取締法によって権力に虐げられてきた存在として      の自分の被害者意識とは、根源的に同質のものがあるはずだと思      い込みたがるわけです。      しかし、実際はどうだったでしょう。自然を大切にするエコロジ      カルな面を別として、私がインディアンのことを調べ始めた70      年代末には、彼らの中にも白人上陸以前には、大陸を股にかけた      各部族間の激しい権力抗争と厳しい階級社会があったことを、私      は知っていました。      知っていたけれども、それを無視して自己正当化のために、自分      に都合の良いインディアンのことだけを人に話し「この国の歴史      の支配者は、インディアンと同種の縄文人以外、権力志向があっ      たのでダメだ」などと、いかにもわかったような嘘を言っていた      のです(しかし、そんな嘘を平気で話す私や同じようなジャンキ      ーたちの中にこそ、「何でも自分の好きなようにやりたい」とい      う権力志向を隠し持っていました)。      例えば、ミシシッピー川の河口にいたナッチェス族などは、非常      に高度の文化を持っていましたが、「太陽王」という絶対君主が      おり、その下に貴族、名誉市民、平民、という階級がありました。      最後の太陽王は、奴隷として白人に売り飛ばされてしまいます。      北西海岸地域(いわゆるアメリカ西海岸)の部族にも自由市民と      奴隷の階級社会はありましたし、階級社会の無い民主的な部族で      も、戦闘の後の捕虜が「一代限りの奴隷(財産)」になることは、      全米各部族共通の慣習でした。このような慣習が無かった部族は、      北極や亜北極地域の戦争をしないエスキモー族だけです。      本来アメリカインディアンは強い民族です。これは「呪術あると      ころに権力は生まれ、それに伴う責任が生じる」ということを意      味しています。そしてほとんどの部族では、予言を外したシャー      マンや病気の治せないメディスンマンは、殺してよいことになっ      ていました。      そんな確固たる歴史ある民族から、「本物のメディスンマン」「      本物のシャーマン」などと安易に看板をブラ下げ、出稼ぎに来日      したりするでしょうか。アメリカ現地で「ビジョンクエスト」「      パイプセレモニー」「スエットロッジ」などを主催して高額の料      金を受け取るでしょうか。彼らは単にインディアンの血を引いて      いるだけの、誇りと魂を売った精神世界業者です。また、彼らに      便乗する日本人翻訳業者も問題です。 | “イルカと泳ごうツアー”に参加すると、「何らかの事故があっても本 |人の責任である」という同意書にサインを求められるのはもちろん、 ……………これってズルイんですよね。「事故があろうと責任を取る気はな      い」と公言しているわけです。事故の責任は参加者と主催者、フ      ィフティフィフティでしかるべきなのに、わざわざこんな同意書      を書かせるという無責任な主催者側の心の在り方は、疑問です。      わうさんの話から、この手の同意書が存在するセミナー、ツアー、      ワークには、過去に何らかの責任を主催者が背負ったほどの大事      故が起きたと見なしていいと思いました。こういった同意書は、      あのオウムも信者に書かせていましたっけね。      80年代後半、VOICEとC+F(C+Fはセミナー団体と無      関係のようなことをDM等で書いているが、実は両者は業務提携      していたことがあった!)が「互いを信頼する」というワークシ      ョップを合同でやっていたことがあった。場所は富士山。参加者      が二人ペアで一人は目隠しをし、一人は導いて崖淵を歩くという      内容。      主催者の指導が悪く、あるペアは二人とも目隠しをやっていて、      崖からそのまま二人で落下して入院。その入院費用は50万近く      かかったそうです。しかし、VOICEとC+Fは協議の末に2      万円を渡してそれっきりだったという。以後、その事実を隠すか      のように、以降両者は合同ワークショップを開催しなくなったそ      うです。      これは、ほんの一例ですが、「何らかの事故があっても本人の責      任である」という同意書へサインを求められる背景には、上記の      ような事故が、実際に過去に起きている場合が多いのでしょうね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/04/18 - 00648/00648 KHC01313 まるにちょん ぐるぐる渦巻きについて (15) 96/04/18 05:29 00644へのコメント #644 和 さん  RESが大変遅れて済みませんでした。 >> 神示の中に、しばしば右巻きの渦と左巻きの渦が書かれていますが、やはりこれ >> も何か特別の深い意味があるのでしょうか?  ええ、沢山に渦巻きが書かれていますね。  特にアレの巻は、渦巻きだらけです。(^^;  このアレの神は凄く難解なシロモノらしく完全な訳は未だできていないようです。    僕は以前から、、渦巻きになぜか興味を持っていて、その手の本を集めたりして いました。ちゃんとは読んでいないので、半端な知識しかありませんけども。  銀河も渦ですし、DNAも渦もしくは螺旋ですよね。  お問い合わせの右巻きの渦と左巻きの渦についてですが、仰るように恐らく深い 意味があると思いますね。  まず、日本の神話では、イザナギとイザナミの国生みところで渦が出てきます。  オノゴロ島に降りた二柱の神は、アメノミハシラを立てて、イザナギは御柱を左 から巡り、イザナミは右から巡りました。  このとき、先にイザナミが声を掛けたので、国生みに失敗してしまい、やり直し て、イザナギから声を掛けて、ミトノメグアイをし、多くの神々を生んでいきます。  渦巻きは、なんともエロチックなのです(^^;  こうして見ると日本神話では、、左巻きの渦巻きは、男性原理を、右巻きの渦巻 きは女性原理を表しているように思います。しかも、左巻きが先と言うか、主にな るように思います。  ちょっとブットビな解説なのですが、  浜本末造氏の著作「万世一系の原理と般若心経」では、  左回りに外向きに伸びる螺旋は、風や台風の波動で、言葉ではラと言い、  右巻きに内向きにしまる螺旋は、水の波動で、言葉ではリと言っています。  他に、ル、レ、ロの3つの波動があって、これらが融和統合された波動は、      * *     ** *     *   *   *    *    * **  *  * *  *    *   *  *  *  *     ***   *   *              *  フトマニと言っています。  つまり、左渦巻きと右渦巻きが合体した形なんですね。まさにミトノマグアイの ようです。  縄文土器や隼人の盾の模様にも使われていて、根元的出呪術的な力を秘めていそ うです。    余談ですが、和さんの問いかけで、今渦巻きについてえっちらおっちらと勉強中 です。千田稔氏の「うずまきは語る」(福武書店)を読んでいます。  近い内に内容の紹介をしようと思います。  では、また。                     まるにちょん、○ゝ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/04/18 - 906/906 QZY01267 猫の手 今朝の夢(1) (19) 96/04/17 21:36  私は山の中を歩いてる。  そこはネパールの山を思わせた。  連れが居たのか、一人で居たのかはよく覚えていない。  そんな山の中で  深い青銅色の巨大な像の遺跡が現れた。  私は山の右斜面の小道をを歩いてた。  その谷に入った途端、  思いがけずそんな遺跡が自分の右下に広がっていた。  更にその先を歩いていくと  何かを展示してある博物館のような雰囲気を漂わせた小さな家があった。  私は連れとともにその中に入る。  しかし、がらんとした部屋の中には見るべき何にも見出せなかった。  そこから出ようと思ったとき、出口が見つからなくなってしまっていた。  そこに居合わせたもう一人の男と共に出口を探し回った。  私達が階段の際で困っていると、  そこの家主らしきものがある入り口から入ってきて階段を上がっていった。  私達は隠れてそれを見て、  早速そこから出ていくことにした。  その小屋から出てきても  そこは自分の居場所と感じることできず、  そこから出て行くにはどうしたらよいか考えた。  小屋で出会った男が  上の方からごみが捨てられてくる穴があることを教えてくれた。  私達はそこから脱出することを企てて、  その穴をよじ登り始めた。  ときどき上から残飯などが投げ捨てられてきた。  もうすぐ出口  そういうところまで来ると、  先ほどの小屋の主人とおぼしき男が  長い刃物を十字にして刃を研いでいるのが見えた。  その主人の居る場所は  インドやネパールのバザールで見かけた  街路に面したドカン(店)のキッチンで、  彼は私達を料理するために待ちかまえてた。  そのまま登っていったら捕まってただ料理されてしまうだろう。  仕方がないので私達は下に降り、対策を検討した。  もしかしたら別の出口があるかもしれないということで  別の出口を探すことになる。  そのうちにその小屋で一緒になった一人が  向こうの方に公園があり、  その更に向こうに出口があるという情報を仕入れてきた。  私の連れは先に行き、  私はあとから一人でそこを目指して急ぎ足で歩く、  しかし、急げば急ぐほど  とんでもないほど足が重くなっていくのを感じてる。  ようやく公園の出口にたどり着き、その先にバスが停車していた。  そのバスに乗り込めば家に帰ることができるという  そういう思いに安堵した気分になった。  ところがその公園のネットフェンスの張られた出口には  先ほどの小屋の主人が私を食べたくて待っていた。  この期を逃したらいつバスが来るかは分からない。  そう思ったけれど  それは叶わない。  私は一瞬むらっときて、その主人の胸ぐら掴んでフェンスに押しつけた。  その主人は意外にも子どものように小さく軽かった。  私は力が抜けてしまった。  私がやってきた方からその小屋で出会った男が  俺をおいて行くなよというように  ピンポン玉で遊びながらやってきた。  ハッハッハ、  参ってしまった。  食いたい奴には私を食べて貰うしかないんだろうね。  そうしなきゃ、家に帰りたくても帰してもらえないんだろう。  急げば急ぐほど足が重くなるというのも傑作だ。  モモが灰色の男達に追われて時間の博士のところに向かうように  ゆっくり行くことが早く行けることになるんだろうね。  食べたいと思われているのが私だから  他の二人は気楽にしていられると思ったけれど、  食べられたらまずいと思ったのは私だし、  実際に食べられたらどうなのかは分からない。  ちゃんと付き合ってくれる仲間も居ることだし、  一緒に戯れながら  家路につくのが良いのかもしれないナー。  どうぞ、ドカン(店)のおやじさん、  食べたいならば、私を食べておくんなし。       ** QZY01267/『猫の手』 <96/04/17 21:28:05> **