「追い出す話なんか出てないじゃないか」と別の焚き火民 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/04/29 - 07325/07342 SDI00635 みれ RE^6:壁にぶつかって痛い思いする ( 7) 96/04/27 15:58 07313へのコメント RE:#07313 湖の鷹さん  どもども、こんにちわ(^_^)  相変わらず遅RESの私ですね、すみません。  作文の話、懐かしく読みました。  実は私も先生から書かされる作文に疑問をずうっと持っていました。小学生 の中学年くらいから読書が大好きでしたが感想文とか作文の度に、なんであん なのが花丸なんじゃ!と思うようなのを先生が喜んでいるのを見て、ふーーん、 ああいう風に書けば先生は喜ぶんだなという風に考えたのを覚えています。で、 私がどうしたかというと(笑) 花丸作文や感想文を分析(…というほど大仰 なもんじゃないけど)してノウハウを調べたんですよ(^^;)  小学校高学年辺りじゃ、すっかりノウハウを身に付けた私の作文は、花丸作 文として私の作文が先生を喜ばせるようになり、そんな経緯から私は心の中で 大人を小馬鹿にしていたという厭なタイプの子供でした(^O^;) でも、私はそ んな心の内は見せないでニコニコと素直な子供を演じていましたので、通知簿 には天真爛漫とか明朗闊達とかの親を喜ばせるような四字成句がならんでまし たね、、、あ〜ぁ、こうして書き連ねてみると実に可愛げの無い子供だったん だな、私って…(-_-;)ウウム(小学校の先生がこの会議室読んでたら…(^^;)、で も、もう時効だよねぇ)  いつか自分が大人になったら、絶対に「あんな大人」にはならないぞと固く 子供心に誓ったものです(^_^)ウハハ  心は斯様にひねくれているにも関らず、表面的には親にも教師にも受けの良 い子供であった私は、とうとう高校生になった頃から演じること自体が嫌にな ってしまい、親からも教師からも受けは悪くなった様です(笑) でも友達の 受けは良かったかな…あ、そうでもないかワガママ通してたからねぇ。  ありゃ、何だか旧悪露見大会の様な感じになりつつあるぞ>私  ひねくれの向こう側に「馬鹿がつくほどの素直さって、やっぱ馬鹿じゃない の?」とか思ってた高校生の頃の私は、未だに健在であります(^_^;)(^_^;)  カラオケ、ゆきましょう。  次回、オフがあればお誘いしますよ(*^^*)  オフの話は4番の会議室に掲載されるので、時々4番も覗いてやって下さい まし。  であであ。  中島みゆき10WINGSの中から「二隻の舟」を聞きながら☆みれ・:・。,☆ 07329/07342 MHD02502 ARION ARIONよりノロガメへ ( 7) 96/04/28 08:25 コメント数:1 RE:07328 ノロガメ  あなたは未だ私の言った言葉を理解していないようだね。  この会議室で「おふざけ」と銘打った「イヤミ、意地悪、揶揄」をしないように  私は言った筈だ。  なぜ、あなたはそれを続けるのか?  あなたは彼岸はおろか、此岸を見つめることすら放棄しようとしてはいないか?  あなたの表現したいことが何であるか?を、この会議室に集う者達は、  辛抱強く見ている。  そうした皆の好意の上に胡座をかいていて良いのか?  そういう行いをする者の言うことを誰が聞くのだろうか?  ノロガメ、あなたの言い分をまともに受け取って貰いたいのであれば、  先ず、自分の行いを自ら正すべきなのだ。  頭を小突かれたいものはそうすればいい。  頭を小突かれたという被害者的な幻想に陥って、  現実を見ない理由にするのは本人の勝手だが、  それを周囲に向かって正当化するのは宜しくない。  この部屋での会話を井戸端会議と称して何度か抗議していた筈のノロガメが、  自分の嫌いな井戸端会議的揶揄やイヤミを言うのは何故か?  他人がするのは許せないが、自分は構わないという二重基準は私は認めない、  少なくとも私の息の掛かったこのフォーラム上においては、  それは認められないことであるので即刻止めるように。  ノロガメよ、あなたには発言する権利とそれに伴う義務がある。  たとえあなたがパソ通の世界をヴァーチャルだと捉えていても、だ。  そして、私は未だ暫くの間、あなたの言いたい事を述べるのを見ていよう。  ただし、上記に示した事柄をノロガメが守らないのであれば、  この会議室での発言は止めて貰う。  さて、上記に示した事柄をあなたは守る気があるのか、無いのか。  先ずは、このことに答えて貰いたい。                      −−−ARION,O∴O−−− 07334/07342 QZA02327 ノロガメ RE:ARIONよりノロガメへ ( 7) 96/04/28 17:02 07329へのコメント コメント数:1 ARION様、今日は。 ARION様、脅かさないで下さいな。 先日SUKEさんから、ノロガメには何でも気兼ねなく言えるようになったと言わ れて、とても喜んでいたのです。 まあ〜ノロガメの態度は問題としてありますが、心を通わせる人々が少しずつ増え て来たと思っています。これもノロガメの思い込みでしょうか? 猫の手さんとは、とても気心が合うって感じで、ついつい浮かれた気分になって、 ですからおふざけモードも一つのあいきょうとして軽い気持ちで書いたのですが、 期待していた人から突っ込みが無くて、まさかARION様からくるとは、これは もうびっくり、仰天しました。 ご指摘のような意図はノロガメには決してありませんので、あくまでもふざけた行 為として受け止めて頂きたいのです。 ですが、今後誤解を招かないように悪ふざけは注意したいと思っています。 >私は未だ暫くの間、あなたの言いたいことを述べるのを見ていよう。 期待に添うことが出来るかが問題ですが、どうぞそのようにノロガメもお願いした いと思います。 ですから、書き込みの内容でノロガメの性格を見て頂いて、「イヤミ、意地悪、揶 揄」を本気でする人間かを是非判断して頂きたいのです。 何故そのことをお願いするかと言うと、文字が全てのこの世界です、時には文字化 け、脱線、勘違いに伴う問題が生じる可能性は否めません。 まだまだ不完全なノロガメの書き込みに肝要な態度で接してくれている皆さんには とても感謝し、かといって今ある問題点を改善する術がノロガメにはまだ見えてい ません。もう暫くは甘えさせて頂くしか無く、そんな状態の中で書き込みのチャン スを与えてくれている神に感謝しています。 ノロガメの目的は、一つには何故神を語るのに問題化してくるのか、その原因が 「自己確立」によって個々に暴かれると言うことを言わんとしているのです。 神が人間に語らせるのではなくて、人間が自ら人間を語ることの必要を覚えるので す。 人間が現実を語る、人間が五感で感じるところの現実を語る、現実とは人間の理屈 が優先されて成り立つ世界と捉えています。 「自己確立」は誰にでも出来ると言うものではないかも知れません。 しかし宗教なるものは人間には必要と思います。 決して形作ることの出来ない神をどのように表現すれば、現実とラップするかを求 めようとしています。 どうか見守って下さい。気分を害されたことにお詫び致します。                         ノロガメでした。まる 07340/07342 MHD02502 ARION RE^2:ARIONよりノロガメへ ( 7) 96/04/29 08:35 RE:07334 ノロガメへ  それで、あなたは以降、イヤミ、意地悪、揶揄の類を止める事にしたのか?  私は、あなたの言う「悪ふざけ」を認める訳にはゆかない。  ノロガメよ、私の言う「イヤミ、意地悪、揶揄」、  そして、あなたの言うところの「悪ふざけ」を今後も続けるのか否か?  あなたがイヤミ、意地悪、揶揄を本気でする人間かどうかは、  私の決めるところではない。  しかし、イヤミ、意地悪、揶揄が目的の人間であると私は思っていない。  そういうことが目的で書き込みをしているのであれば、  私は即刻、立ち去りなさいと言うだろう。  再度、問う。  ノロガメよ、私の言う「イヤミ、意地悪、揶揄」、  そして、あなたの言うところの「悪ふざけ」を今後も続けるのか否か?                      −−−ARION,O∴O−−− - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/04/29 - 00911/00926 GFB00026 一輝 借金苦に逃げだした天河神社宮司 (12) 96/04/26 22:10 コメント数:1  「天河弁財天の宮司だった柿坂氏が借金苦に愛人と逃げた」という話が、 さきほど入ってきました。スポンサーが離れて(この辺はシュメールさん詳 しそう)、一時は統一協会に身売りする話が出たり、自己啓発セミナーの会 場にと社を有料リースしたりで、なんとか改築の際の借金を返そうとしたら しいのですが、やはりダメだったようですね。精神世界バブル崩壊の一例と なってしまいました。89年の改築の際のお祭り騒ぎ(そう言えば、この方も レゲエ好きなジャンキーでしたっけね)が、夢の如く思い出されます。村役 場とも何かあったらしく、最近の天川村観光案内パンフから弁財天の説明は 外されているとか。神官の小野田氏も居なくなってしまったし、人間の欲が 勝手に踊って消えて、これで天河弁財天も静かだった頃の昔に戻るのかもし れない。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00926/00926 GBG02043 維/YUI RE:借金苦に逃げだした天河神社宮司 (12) 96/04/29 10:21 00911へのコメント #00911 一輝 さん >>これで天河弁財天も静かだった頃の昔に戻るのかもしれない。 へぇ〜、そうだったんですか。 以前ニューエイジ系のコンサートに行った時に 寄付を募るようなパンフレットを読んだ記憶があるのですが、噂を聞かなくなって どうしたかと思ったら・・・。 一つ前に書いた、質問にちゃんと答えてくれないところからさらに深まった、 ニューエイジ人への不信感ってのにも繋がるんですが、以前私が天河に行った時は、 まさに、天河ブームでした。そこにかかわる人々の商魂やらなんやらと、そこで昔から 弁天様を信じて生きて来た人々が持つ思いとの織りなす奇妙な空間に、とまどいました。 考えて見れば、妙な雰囲気の人々が集まっていたような気がします。そこで、本当に心 のある接し方をしてくれたのは、民宿のおかみさんでした。他の人は、表向きはとても ”フレンドリー”ですが、私には「なんなんだ、このノリは」と思えるようなもので、 その頃は、自分が至らないせいで、なじめないのだと思おうとしてましたが、時が経つ につれて、仲間になれなくて本当によかったとしみじみ思っています。 天河はいいところだと信じ込んでいたのですが、新しくてとても豪華な造りの社に気後 れし、 昼間は観光客や、ニューエイジにはまったかの若い女の人のグループに、自慢げに次か ら次へと説明やらなんやらしていく、なんか天河にちなんだ宗教団体の名刺をくれたお じさん などのノリにめげました。。。だって、全然心が落ち着かないんですよ。 心が落ち着いたのは、やはりくだんの民宿の離れの部屋でした。あそこに泊まれたのは 唯一救いだったなと、笑ってしまいます。 今思うと、あの頃の弁天様は、きっと顔を曇らしていたのでしょう。私が滞在した時は 大雨で、帰路についた途端に晴れ始めたし。 でも、あの土地は好きなので、静かな頃にもどったなら、又訪れて見たい気はしていま す。 96/04/29(月) 00:29 維/YUI(GBG02043) PS: ニューエイジ系のセミナーで、どんな質問をしたか等については、まとまりま したら    書き込もうかなと思っています。(でも、1つごみが増えるだけですよ ^^;;) 00912/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(1) (12) 96/04/27 03:37 コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(1) ■霊感商法の醍醐味    「宝島:女性誌やオカルト雑誌によく広告が載っている「幸運        グッズ」っていうんですか、ああいったいかにも胡散        臭そうな (笑) オカルト・グッズの景気ってどうなん        でしょうか。      B:水の場合と同じで、効果は別にしても、真面目にその        グッズの神秘的なパワーを研究して商品にしているメ        ーカーもありますが、ほとんどが詐欺商品に近いと思        っていいんじゃないですか。      K:でもね、例えばクリスタルやアメジストといった女性        に人気の石に関しては、昔から神秘的な力が宿ってい        ると言われてますでしょ。そういった宣伝文句で女性        のお客さんを引き込むことは、べつに詐欺でもなんで        もないですよ。実際、それらの石は、昔は鉱物屋さん        に置いてあったのが、最近ではニューエイジ・ショッ        プで売られるようになったというだけなんです。数百        円のものから数千円のものまでさまざまですが、なん        の加工もしていないクリスタルなどは、やはり鉱物屋        で売られているものとほとんど同じ値段なんですよ。        べつに店側が暴利を貪っているというわけではないん        ですね。七割近くが原価すからねえ。      C:ところが、それを加工を施して、「願望成就」などの        付加価値をつけて売るんですね。当人たちは何らかの        エネルギーを注入しているといってますが、どの程度        本当かは疑わしい。でもそれが、通常やりとりされて        いる石の値段の十倍から百倍の値段のついた商品とし        て、売り出されるわけですよ。原価が数百円程度のも        のに、数万円の定価がついているなんてザラですから。        それが雑誌に広告でも載せて、上手く読者にアピール        できれば、通販で千単位でさばける。場合によっては、        二、三ヶ月で数百万円の荒稼ぎも可能でしょ。     宝島:なるほど。聞けば聞くほどボロい商売ですねえ (笑) 」  以上は、現在発売中の『宝島30』5月号からの抜粋。チャネラー(文中C)と ブローカー(文中B)とニューエイジショップ経営者(文中K)の対談が収録され ており、今までに無い裏話が聞けて大変おもしろかった。これを読むとニューエイ ジ及び精神世界業界が「ウチは違う」「ウチは儲けてない」などと言いながら、本 音を言えば「ボロ儲け」の世界であることが理解できる。                                (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00913/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(2) (12) 96/04/27 03:39 00912へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(2) ■裸の王様たちの宴  私の家出時代にバイト先で知り合った人物にNという男がいた。霊感があること を自称する男で、確かにNといると不思議な出来事に出くわすことがり、様々なオ カルト体験から、私はN流の呪術的宇宙観とやらから様々なオカルト知識を教わっ ていた。昔のことなので、多少事実と違う部分もあるかもしれないが、オカルトに よっておかしくなっていった人間の、ひとつの実例を取り上げてみようと思う。  Nと最後に再会したときはチャネリングブームのときで、Nは再会するなり自分 のチャネル能力について話してくれた。当時の私はバシャールなどにハマッており、 Nの話すことにはひと通りの説明を加えることがある程度できた。そこで私は様々 な友人にNを紹介した。そうこうするうちに、だんだんとNを中心にサークル的な ものが出来上がってきた。そんな頃、冒険心から私はそのグループに居た、バリ島 に詳しい人物と数名で現地へ行った。  バリ島現地ではオカルトが日常であり、それに比べて日常から遊離した日本のオ カルト状況には、どこか不自然さを感じ始めていた。帰国してからそのことを率直 にNに述べると、Nは教祖然とした自分の置かれた立場に危機感を感じたのか、私 に「6次元界の霊が取り憑いている」と、他のサークル仲間に言い触らし、私を疎 んじるようになった。10年来の付き合いなのに、これはあまりにひどいではない かと思ったが、その時は接触せず、半年ぐらい経った頃、仲間と「なぜ、そんなデ マかせを言ったのか。俺らは友人ではないのか」と問い正してみた。  最初はのらりくらりと逃げてはいたが、最後には謝りはじめた。経緯はこうだっ た。Nの霊能力は私と再会する数年前には失っていた。私と再会することで、再び 力が取り戻せると思い込んだのだが、それはやはりダメだった。しかし、すでにN は、私や周りの仲間たちに霊能者として好意的に持ち上げられており、引くに引け なくなっていた。  そこへもって、彼を盛んに持ち上げていたはずの私が、Nをも含めた日本のオカ ルト状況に疑問を持ってしまった。それではチヤホヤされていた自分の立場が危く なる。そこで、私を抑えようとしたとのことだった。その日の晩、Nから詫びのF AXが来た。「もう二度とこんな馬鹿なマネはしない」とのことだった。文面は、 あたかも泣きながら書いたかのようだった。                                (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00914/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(3) (12) 96/04/27 03:41 00913へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(3) ■霊感少年の末路  今、当時のことを振り返れば、Nは”霊能者”である自分を売りにしか、友人を 集めることの出来ない気の毒な男だったように思う。そして人々は彼の能力に疑問 を持っては離れてゆく。これを何度も繰り返していたのだろう。再会した時には、 以前作っていたサークルのメンバーは誰も居なかったからだ。「霊能力がある」と いうだけで周囲から持ち上げられる快楽に彼は中毒していた、と言った方が適切か もしれない。  そして私がNを紹介した友人たちはと言えば、私の入手するドラッグに群がる輩 だった。ドラッグをいつも持っている”薬局(これは、たけくまさんの私への表現 の流用だが)”である自分を売りに、友人を集めていた寂しい男という点では、N も私も同じ穴のムジナであり、”裸の王様”だったのだ。私はよく懐からドラッグ を取り出しては、誰かの口の中に放り込んでいた。そんな私は”どこでもドアー” を持つ”どらえモン”と呼ばれていた。  私は家出してからというものの、現実逃避を恒常化させ、意識の自由どころか、 欲望にのみ忠実なしもべとなり、心は空っぽになっていた。また、「友達夫婦」と 自称し、恋愛愛情の欠如した見せかけだけの結婚生活を送る私の精神の空虚さは、 このころ極みに達しようとしていた。  本当に「友達夫婦」ならば、友達のままで何もわざわざ結婚する必要も無かった だろうにと、当時の嘘を振り返る。私は自分のそんな状態を認めたくなかったし、 周囲に悟られたくなかったので、見栄を張っていたのだ。  そして、Nの結婚生活も私と同じ轍を歩んでいたのだった。Nと私、そして周囲 に集まった人々は、「この人に言ってもわからない」と、妻に諦められた自己中心 的な夫たちのオカルトサークルだったように思う。彼の妻は、私や友人が来訪する やいなや、顔を背け奥の部屋へ避けるように消えていった。これは私の名ばかりの 家庭でも同じだった。  不毛な自分を”霊能力”や”ドラッグ”でカバーする友人関係。そして、それら の生み出す幻想に逃げ込んでゆく。なんと虚しい行為だろうか。ジャンキー(麻薬 常習者)だったNと私は、ドラッグの効き目こそがサイキックなパワーの源泉だと 信じ込んでいた。  しかし、これは後にドラッグをやめてから、全くの倒錯であることに気づく。私 はだんだん自分のカンが、ドラッグによって鈍くなっていったことにさえ気づかな いほどに、バカになっていた。自覚無き後遺症によって、日常の約束事までも守れ なくなりながらも、それが原因で起きた人間関係の摩擦までポジティブに受けとめ ようと、自分の身勝手な思い込みとオカルト・ヒロイズムを暴走させていたのだっ た。  私は思い込みによる考えでさえ、事実と信じ込むようになっていたし、デマカセ も本当にあったかのように話すようになっていた。他人の話は勝手にアレンジして 違う意味で伝えていた。サイコパスとは、私のことだ。幻想の中に埋没してゆくこ とで、現実の痛みから逃れ、「自分はこれでいいのだ」と言い聞かせるように、周 囲の人々へ嘘を語っていた。それはNも同じだった。  あのFAX以来、私はNに会っていないが、今でもNは自宅のベランダで大麻の 自家栽培をやっているんだろうか。彼は、麻薬後遺症で失明したり、癌にかかった り、無精子症になったり、痴呆症になったり、記憶喪失症になったり、死んだヤツ のことを知っているんだろうか。                                (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00915/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(4) (12) 96/04/27 03:42 00914へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(4) ■教祖となった狼少年  先日フィリ・フェスティバルを紹介する、雑誌『FILA』を読んでいて驚いた のだが、このかつての友人だったNが、あるヒーリング団体の代表(教祖)として、 写真入りでその団体の広告頁に紹介されていた。私はなんだか、とても恥ずかしく なった。「身長がグングン伸びる」というマンガ雑誌に出ている広告のようだった からだ。大昔のNなら「こんなことをやったらオシマイだ」と言ったはずだろう。 「こんなことをやる奴は、神や仏を信じていない証拠なんだよ」と。  何がNをそうさせたのだろうかと思った。仕事に挫折したからだろうか。金に困 って怪しいブローカーと組んだのだろうか。写真でのNは微笑んではいたものの、 どこか歪んでおり、昔の快活な面影は消えていた。写真は、どこか大川隆法を彷彿 とさせるものがある。  Nの主催する団体は無料電話相談が売りなのだが、1万円のテキストグッズを買 わせる商品広告も盛り込まれていた。また、心身の波動を調節するクォーツグッズ とやらを3万円で売っていた。これは原価数百円の悪質な霊感商法ではないかと思 う。こういった法外な高い値段をつけるのは、業界事情通によれば、生活費をこれ らの霊感商法で稼ぎ始めた証拠であるという。  霊能商売の荒稼ぎの醍醐味を知り、フツーの仕事がバカバカしくてやっていられ なくなっているのだろうか。不毛な精神が不毛な商品を作り、さらに不毛な精神の 持ち主たちを誘い込む。Nの周囲には、今どんな「虚しい人々」が彼をチヤホヤし に集まっているのだろうか。  歪んだNの微笑みは、かつての私そのものだ。                                 (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00916/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(5) (12) 96/04/27 03:43 00915へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(5) ■”気”が入っているだけ 巷のウワサでは”気グッズ”なるものがあるところで売られ、そこにはタオルや ら靴下やら、あらゆる衣料品や日常品が”気”というネーミングが施されて売られ ている。そして、「このタオルには”気”が入っている」などと言っては、原価百 円から数百円のものに、一万円くらいの値段を付けているという。それが結構売れ ているらしい。  その”気”もただ印刷されているだけである。しかし「”気”が入っている」と 言えば、たしかにそう印刷されてはいるのだから、まぁ詐欺にはならない。問題は 「”気”のパワーが込められている(この辺の話も、わうさん詳しそう)」と思い 込ませている点だ。売るほうも問題だが、買うほうも問題なのだ。  こう書いてゆくと、「ただ”気”って入っているだけなのに、バカだよね」と嘲 笑する人もいるかもしれない。しかし、「おい、本当に笑えるのか」と言いたくな ることがあるのだ。自分の部屋の中を見渡してみよう。ブランド品がいいものだと 信じて、たいしたデザインでもないのに、ブランドロゴやマークが入っているだけ のものを、「これはいいものだ」と思い込んで大事にしてはいないだろうか。  タオルやTシャツ…、”気”の代わりにブランド名が入っているだけで、どこが 違うというのだろうか。ブランドロゴマークの大きく入った商品をどれだけ持って いるのか、試しに部屋の中を眺めてみるといいだろう。                                (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00917/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(6) (12) 96/04/27 03:44 00916へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(6) ■おベンツ幼稚園  近所に妙な幼稚園がある。東京山の手地区の自宅通いの幼児向けに作られたもの だそうだ。そこでは奇妙な規則があって、送迎に父兄のジーンズ着用が禁じられて いるのだ。それだけの規則にも関わらず、なぜかここの父兄は、僅か2〜3分の距 離であってもベンツで子供を送迎する。  これは規則ではないのだが、みんなが昔からそうしているからやっていると言う。 その為、この幼稚園に入園させた父兄は、みんなクルマをベンツに買い換えるそう だ。そして買い換えが出来ないからと、すぐ近所であっても別の幼稚園に通わせる 父兄がいる。  ここの幼児はとても評判が悪い。イジワルな子が多いのだという。彼らが公園な どに来ると、根こそぎ花壇の花をちぎって持ってゆく。エリート幼稚園なのになぜ、 こんな悪さをするのか。彼らは母親と一緒にいるときはイイ子なのだと言う。とこ ろが衆人環視の場所に出た途端、外でイイ子になろうとしている親が、子供に注意 するのを恥ずかしがることを知って、悪さを始めるのだ。幼児たちは、大人の見栄 や欺瞞を見破っている。                                 (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00918/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(7) (12) 96/04/27 03:50 00917へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(7) ■「親」の顔をしているだけの、無責任なガキ  こういった親は、家庭内では自分がイライラすると、子供にガミガミ叱っている のだが、いったん玄関の外に出てしまうと、人前で子供にガミガミ叱るのはみっと もないからと、他人の目を気にしながら子供にやさしく振る舞う。また、人前でけ っして子供を叱らないし、他人から自分の子供が叱られることも嫌う。そんなこと があると、ひどく誇りを傷付けられたような顔をして、自分の子供を注意した人を 怒る。ファミリーレストランなどで駆け回る子供の親など、その典型例だ。  しかし、見栄を張っているだけで本当に誇りが無いのは彼らの方なのだ。そこに は子供だけでなく、それ以上に自分自身がイイ子に見られたいという願望がある。 彼らは親という顔をしているだけの、無責任なガキだ。自分が恥をかいてでも、本 気で子供に大切なことを教えよう、公平に子供を見守ろう、などという意識は無い。 自分さえ良ければ、自分の子供を含め、他人のことなどどうでも良いのだ。  この親の裏と表の使い方を、子供たちは早いうちから学んでいる。つまり、親と 子の一対一の関係から、衆人環視の社会に出た途端、どう自分が好きにやろうと構 わないと、今度は社会をナメてかかるのだ。先の幼稚園児たちは、幼稚園や家庭で の見栄で凝り固まった息苦しさから脱しようと、悪さをすることで息抜きしている。  この延長の果てにドラッグがあるのだとすれば、それはまるで学生時代の私その ものではないか。そう言えば私の親も上記の如くだった。いつの間にか私は自分の ”育ち”について書いていた。  「空っぽな世界の不安から避難できますよ」「絶対安心ですよ」という宣伝のも とに、ブランド品やエコロジー商品や精神世界グッズ、ドラッグが、幼児たちの未 来に待ち受けている。                                 (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00919/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(8) (12) 96/04/27 03:52 00918へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(8) ■不安と安心の狭間で。 ”気”のパワーのように露骨ではないかもしれないが、「ブランド品なら安心だ 」と思っているのならば、それは「”気”入りグッズ」を買う人々の心理と同じな のだ。それが高じると、これらを持っていない人々を蔑むようになってくる。  他人とは違う良い物で安心したい。そして、そう思っている人々と同じものを持 ちたい。この思いに「”気”入りグッズ」マニアと「ブランド」マニアの違いは無 いのではないだろうか。  精神世界ビジネスや「ネットワークビジネス」と名を変えたネズミ講、そして、 英会話教室、絵画販売、EM販売(世界救世教)、アムウェイ販売、ニュースキン 販売(モルモン教)、ブランド信仰……、これらは”気”入りグッズ同様、安心を 得る為にハマッてゆく保険であり、麻薬なのだ。  では、いったい何が不安なのだろうか。  私はそれをこう考える。ひとつは「みんなと同じであることへの不安」と「みん なと同じでないことへの不安」だ。先の、人前で子供を叱らない、叱られたくない 親は、「みんなと同じでないことへの不安」から、人前でイイ子を演じ安心を得よ うとしている。それが彼らにとってのプライドなのだ。そこに人間としての尊厳や 親としての責任は一切無い。  平等意識から生じる不安に耐えがたき抑圧を感じ、そこから避難しようと、人々 は「安心」を買う。この安心の度数は、快楽的要素が多ければ多いほど高くなって ゆく。しかし「みんな同じようにこの商品で幸せになれる」という意味で、結局は 新たな平等意識へと陥ってゆくにすぎない。  不安と安心の狭間で、平等意識のスタイルを変えているだけなのだ。平等意識に よる抑圧(幻想)から逃れる為に、新たな平等意識による自由(幻想)を買う。こ のように消費が繰り返されながら、精神は空っぽのまま、業者だけが儲けてゆく。                                (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00920/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(9) (12) 96/04/27 03:53 00919へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(9) ■イジメという快楽  私は最初はイジメの対象の人間だったが、後にイジメっ子になった。なぜなら、 イジメる側の人間であるほうが楽しかったからだ。当たり前の話だが、誰かをイジ メ続ける限り、自分はイジメられないと思い込んでいた。  イジメには条件がある。まず、相手がイジメられていることを口外しないこと、 絶対に反撃したり去ったりしないこと、相手の弱みを握っていることだ。私は相手 が他のクラスメートと違う点を見いだすと、いびり出すことが多かった。  不安は誰もが抱えているものだ。不安の無い人間など居ないのではないかと思う。 同じだと思っていたはずの相手に違う部分を発見すると、たびたび私の中では不安 が生じた。  「俺は俺さ」とカッコ付けていたものの、内心は自分だけが違うのが恐ろしかっ たからだ。恐ろしかったからこそ、「俺はオマエらとは違うんだ」と孤高の態度を 周囲に見せていた。私は不安に耐えられなかった。これは恋愛関係に於いても同じ ことを引き起こしていた。相手を手に入れたと思い込むと、今度はイジメに取りか かるのだった。  自分の不安をつぶす為に、相手をつぶしてゆく。自分以外の人間は、私の不安を 慰撫する為のツールだ。イジメは私にとって、ドラッグと同じように快楽だった。  平等意識から生まれた抑圧感から逃れようと、快楽という疑似安心感を得る。そ こで私は、ドラッグやセックスに夢中になった。今やそれらは通過儀礼として、日 本の青少年の間の慣習となりつつあるのではないかと思うことがある。  私の時代とは違い、今は「みんなやっているんだから、自分だってやっていいは ずだ」と隠そうともしない。私も当時みんながそうだったら、やはり同じことを思 っていたかもしれない。  最近こんなことがあった。                                (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00921/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(10) (12) 96/04/27 04:02 00920へのコメント コメント数:1 ●平等意識という名の麻薬(10) ■ソドムとゴモラの街角で…  都心のあるデパートの踊り場で、自分の写真がシールになるマシーンが置いてあ った。そのマシーン自体はどうでもよかったのだが、問題はそのマシーンを告知す る立て看板の方だった。  看板は、文字の読めぬほどビッシリと女子高生たちの顔写真入りのシールが貼ら れている。近づいてよく見ると、シールの下にポケベルナンバーがペンで記されて いた。  一緒に居た当世風俗に詳しい人に聞いてみると「ウリ(売春)だよ」と言う。つ まり男性は、このシールの顔から女子高生を選びながら、ポケベルナンバーに自分 の携帯電話のナンバーを送り、手応えによってその女子高生を買うのだそうだ。盛 り場にはこういったシールが貼られている場所が、たくさんあるという。  もはや彼女たちにとって、売春は楽で効率の良いバイトであり、自分がいかに高 く売れたかを自慢し合っているという。そして互いに”援助オヤジ”を紹介し合う。 収入は月40万とも50万ともなるそうだ。  ある雑誌では街頭インタビューで、「君いくらなら自分を売る?」と20歳前後 の女性に聞くと、ほとんどが値段を即答したという。中にはその場でインタビュア ーに取り引きを持ち込む子も居たそうだ。  この話を聞いた友人は、「自分の娘がそうなったらイヤだなー」と言った。                                (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00922/00926 GFB00026 一輝 平等意識という名の麻薬(11) (12) 96/04/27 04:04 00921へのコメント ●平等意識という名の麻薬(11) ■歴史上、類を見ぬ売春国家   「今や教室にいるだけでも『現実』を学習できる。テレクラができた当初、    売春する子には『不良』が多く、ツーショットがブームになる90年代    からは”普通の子”たちには拡がったが、同級生には内緒だった。とこ    ろがブルセラブームの93年頃から同級生に平気で言えるようになり、    『友達ができるなら』と同級生が芋蔓式に参入してくるようになった」                  (中略)   「80年代のマニュアル恋愛の喧騒を経て、恋愛チャンスが全ての人に開    かれているという幻想が崩壊した現在、日本の素人女・素人女の関係で    は『売る人=売らざるをえない弱者』という通念よりも、むしろ『買う    人=買わざるをえない弱者』という図式こそがリアルになりつつある。」    ……『殺したい誤解』凡庸な人権主義者の「性の商品化批判」・宮台真司  ウリを一度やってしまうと、バカバカしくてチマチマ他のバイトなんてやってい られなくなるという。その金で親の小遣いでは買えなかったブランド品を買い、エ ステや美容整形に投資する。あるいは通販でアダルトグッズ(バイブレータ類)や ドラッグを購入する。  これらの動きのせいか、盛り場での東南アジアからのプロ女性の撤退が目立って きたという。かつてプロはシロートの防壁だったが、今や逆らしい。プロの介在無 きシロートの進出によって、日本は歴史上、類を見ない売春国家になりつつあるの だ。  社会学者・宮台真司氏によれば、女子高校生の平均クラス売春経験率は4割。学 校によっては過半数を超える。進学率低下を怖れ、中学高校のドラッグ調査の結果 を公表したがらない教育委員会。昨年のPTA全国協議会の調査発表では、女子中 学生の3割がテレクラ体験を持っていた。ここまで増えてしまうと、もはや学校も 手に負えなくなってくる。  だからと言って彼女たちがみんな不良の格好をしているわけではない。ウリとい う通過儀礼によって、現実社会を早く知ろうと実体験しているだけなのかもしれな い。自分の若さが商品となり、高額で取り引きされる面白さ。あらゆる欲望が叶う かのような幻想をもたらすビジネス。  そこには学校で感じるような、「自分だけが違うのではないか」という不安はな い。「どうせみんなやっていることだし」の世界が広がっている。しかも需要は大 人社会によって次々と生産される。売る側も買う側も、ごくフツーの人々だ。  ジャンキー時代の私にとっても「快楽という疑似安心感」は最大のテーマだった。 そして、彼女たちの消費を裏から支える”援助オヤジたち”もまた、射精不安から 逃げだそうと疑似恋愛という名の妄想を買っている。どちらも嘘の世界での取り引 きだ。一瞬の安心を買い漁っているのだ。  そして、これは昔からあったことなのだろうが、聖域がタテマエのはずの「恋愛 」や「結婚」までもが、今やウリ(売春)の一形態となりつつあるのではないだろ うか。男性にとっても女性にとっても、自己の欲望達成へ向けての取り引きツール として「恋愛」や「結婚」を最大限に利用しよう、という考え方が定着している。  「そう言ってしまえば身もフタも無い」と言いつつ、みんなウスウス気がついて いるのではないだろうか。成長過程でこのことに気づくのは、男性よりも女性のほ うがずっと早いことから考えれば、先のデータで驚くこともないのかもしれない。  ここに来てまた自分の暴露話をしてしまうが、80年代、私も彼女たちを支えるオ ヤジのひとりだった時期があった。その頃、私は(3)でも少し書いたが、夫婦間 の隙間を、風俗店通いで埋めていたのだ。ドラッグとオカルト趣味、そして風俗店 通いによって、私は現実を直視することから逃げていたのだ。  不安を基盤にドラッグを服し、一時の快楽によって安心感を得ようとしていた。 そして自業自得とも言うべきか、私の妻も隠れてウリ(売春)をやっていたことを 離婚(私は2度離婚経験があり、これは最初の離婚の時の話)してから知らされる ことになるのである。この件の詳細については、機会を改めて報告したいと思う。  平等意識の生み出す不安妄想。もはや誰も止められないのだろうか。  いったい私たち日本人は、空っぽの精神を抱えたまま、見栄ばかり張って何をや っているのだろうか。                                 (つづく)                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00924/00926 GFB00026 一輝 ニューエイジ体験の極意はスタッフになること!? (12) 96/04/27 04:14 00903へのコメント >#903 HALさん >これで得る「収穫」って痛くてマズいことのほうが多いですからね。 ……………これはよくわかります。痛くてマズいということを認めないうちは、      「これでいい」「これでいいはずなんだ」と、思い込みで突っ走っ      ているだけなのかもしれません。痛みを収穫と感じるようになった      ぶん、「いいとしこいたオヤジ」になったというわけでしょうか。      そして、痛みが愚かな自分を思い出す、呼び鈴になるんでしょうね。      このような会議室を運営している私がこんなことを言うのは、おか      しいのかもしれませんが、ニューエイジを真面目に志している若い      人の中には、ゲストではなくスタッフになってしまうことを勧める      ことがあります。なぜならその方が、「ニューエイジのヤラセビジ      ネス」の部分をしっかり体験できるからです。      志していることに対して想いを残して中途半端にやめてしまうより      も、表も裏も味わってみた方が、収穫はあるように思います。団体      組織や指導者の、見たくもない裏の部分を見いだしたときに、矛盾      を矛盾として認める勇気が持てるか、そして、自分の選択の誤りに      気づいたときに、その誤りを正し、実行する勇気を持てるのか、で      すね。ここのところの責任を見過ごし、後で「騙された」というの      では、おかしいのだと思います。団体側も参入者のこの被害者意識      を知っているだけに、同意書を用意するんではないでしょうか。      そして、そんな貴重な体験をしたら、ぜひ、この会議室で聞かせて      頂きたいなどと、都合の良いことを言いたくなるわけです(^^;)。      ここで私が「きっと君も同じニューエイジのヤラセビジネスの部分      を体験できるよ」などと言い、ノウハウ教授料を徴収し、後で責任      を問われたくないからと、同意書を取ったら、これまた精神世界業      者と同じ穴のムジナですね(^^;)。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/04/29 - 04543/04546 GGA02514 KAZE 風の本棚●無心と神の国 (13) 96/04/27 20:27 ■八木誠一+秋月龍みん「無心と神の国/宗教における<自然>」(青土社) 八木誠一はキリスト教からのアプローチ、 秋月龍みんは仏教、特に禅からのアプローチということで、 宗教の根底にある問題を対話によって探ろうというシリーズは これまでに以下の6冊ほど出ていますが、今回はその7冊目。 ●「歴史のイエスを語る」(春秋社/1984) ●「般若心経を語る」(講談社/1985) ●「キリスト教の誕生」(青土社/1985) ●「親鸞とパウロ」(青土社/1989) ●「禅とイエス・キリスト」(青土社/1989) ●「ダンマが露わになるとき」(青土社/1990) これまでも非常に興味深いテーマが語られていましたが、 今回は、これまでにもまして重要なテーマが語られています。 帯にある紹介でいうと、こういった内容になります。   イエスの<アウトマテー(おのずから)>、親鸞の<自然(じねん)>、   禅の<無心>などを手がかりに、宗教における<あるがまま>の概念を   あとづけ、<絶対受容>が示す信仰の深みをたどり、宗教における根源   的なものの境位をさぐる、仏教とキリスト教の宗教哲学対話。    この対話で重要なキーとなるのが、これまで福音書でもあまり注目されてこなかった イエスの「天は地で実を結ぶ」「地がおのずから実を結ぶ」という言葉。 通常は、天と地を結ぶというテーマは、 キリスト教ではほとんど無視されてきたとさえ思われますし、 またその「おのずから(アウトマテー)」ということも注目されませんでしたが、 それこそが、親鸞の「自然法爾」や禅の「無心」ということと 非常に近いとらえかたなのだということが、興味深く語られています。 今回の対話のなかで興味深い部分をひとつだけ引用しておくことにしましょう。   八木   この前の対談『ダンマが露わになるとき』の中で問題になったと思うのですけれ   ども、パウロにおける「自己」ですね。つまり「私の中に生きているキリスト」   を「自己」と押さえたわけですけれども、これは同時に神的であって同時に人間   的であると。対象的なキリストではなくて「私の中に生きているキリスト」です   から、神的であって同時に人的、あるいは天的であって同時に地的だということ   になるのですね。ということは、「自己・自我」と言った場合の「自己」が同時   に、単なる個を超えた超越性を持っていながら、しかも身体的に内在的である、   むしろ身体的である、つまり同時に神的であり人間的であるという二重性を持つ   ということですね。これは「聖なるもの」ということです。自我だって自己を映   す限り、もちろんそういう性格を持ってくるのですけれども、まずは「自己」を   「天的・地的」、あるいは「神的・人間的」と押さえて、露わになった自己のこ   とを「うちなるキリスト=ロゴスの受肉したもの」と、この前に言ったと思うの   ですね。   秋月   その場合もしかし、天と地の矛盾はあるわけですね。   八木   ええ。矛盾があって、しかもそれは一なので。あるいは言い換えてみれば、自己   なら自己というものを我々が分別的に考えると、同時に天的でしかも同時に地的   であると言わなければならない。これは不可分・不可同です。   秋月   ちょうど大拙先生が同じようなことを言っておられるのです。『日本的霊性』の   中で大地性ということを言い出しておられるのですが。この場合でもやっぱり、   天と地ということを言いながら、大地性を言っているのですね。人間は大地にお   いて天と地ということを生きるのだ、というような言い方をされているわけなの   ですね。ちょうど大拙の言う大地性という言葉もやっぱり、天と地ということを   押さえた上で大地と、こう言っているのですね。だから理屈っぽく言えば、天と   地という矛盾があって、そこで大地という天と地の矛盾の自己同一が出てくると。   その大地においてはじめて人間が人間であり得るという構造と、いまおっしゃっ   た「地」の構造とがほとんど同じように響くものだから。ちょっとそれを言って   みたわけなのですけれどもね。                                 (P111-112) 人が天に近づくためには、己を空しくしなければなりません。 しかし、人はこの地上で自我を持ってはじめて人間といえます。 そこで、「天は地で実を結ぶ」ということが重要になってきます。 天は天、地は地というふうに切り離されているものが、 人間のなかで結ばれるというわけです。 そして、その結びのためには、自我を空ずる必要がある。 最初から、自我なしでいくというのではなく、自我がありながら、 その自我において「自己」に目覚めるといいますか・・・。 それが「私の中に生きているキリスト」ということでもあります。 自我を器にして、そこに神性を注ぎ込むことのできる 聖杯にするということもそれと近しいテーマです。 このテーマは、シュタイナーの神秘学においても、 根幹をなすテーマのひとつであるともいえます。 先日からSTEINER FRAGMENTSで少しずつご紹介しようとしているのも 言ってみれば、こうした「天と地の結び」ということを 具体的にさまざまな側面から、宇宙進化論的にアプローチしようというもので それこそが、「新たなるイシスの探求」ということになります(^^)。 機会があれば、ぜひ一読をおすすめしたい一冊です。 シュタイナーと西田幾多郎の思想の共通基盤を観ていくという意味でも、 大変参考になると思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/04/29 - 03945/03950 PAG03134 はな シューメーカー・レビー彗星再考 (14) 96/04/26 23:50 03940へのコメント コメント数:4  木星は全惑星中で最も幸運な星とされるのは、占星術でも、陰陽道 でも共通でした。  木星といえば、一昨年木星に衝突したシューメーカー・レビー彗星 を思い出します。  シューメーカー・レビー彗星は「参戦の合図」でもあったようです。 ARIONは1995年を「参戦の年」と言っていましたが、実際に は、前年94年の夏には「参戦の合図」がなされていたといえます。  シューメーカー・レビー彗星は、アリオン預言の中では「胎児」と も言われていました。  その「胎児」が吉星である木星の懐に還ったのが、シューメーカー ・レビー彗星の意味でもありました。シューメーカー・レビー彗星は 「世直しを合図する星」でもあり、「創造のための破壊の合図」であ ったのではないでしょうか。  木星の記号は数字の4にも似た形をしています。木星の惑星記号は、 「物質から解放される魂」を意味しており、木星にSL9が衝突した とは、物質から解放される魂を振るわせて活性化させた意味があった と読めます。  もしSL9が土星に墜ちていたら、また解釈が変わってきます。と いうのも土星は、木星が幸運の星にたいして「束縛」「停滞」を意味 する星だからです。SL9が土星に衝突していたら、魂の束縛や停滞 を促進するとは、ちょっと表現は変ですが、木星に衝突した意味とは 異なり、「創造」「魂の解放」からはほど遠い意味になってしまいま す。                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/04/29 - 908/908 MHD02672 TAO 認識の限界 (19) 96/04/28 22:52   人間の認識力というのは、宇宙の無窮を思えば本当に微々たるものだと思  う。しかしその「認識の限界」こそが、人の心の基底でもある訳だ。もし通  常の五感を超えて認識力が果てしなく広がって行くとしたら、認識の主体と  しての“自意識”もまた限りなく希薄になって行くのでは無いだろうか。そ  うなれば、「人間の意識」の対極にある「無意識」に同化してしまい、肉体  そのものが意味を為さなくなる。自意識(=認識する自己を自覚しうる意識)  を欠いた肉体とは、まさに虚ろな器であり、無用の長物に過ぎなくなる。   意識とはまさに“自”と“他”の境界に引かれる、揺れ動く線だろう。そ  の境界線が無ければ、自己認識そのものが成り立たなくなる。そしてその境  界線を生み出すのは「言葉」に他ならない。ヒトという種は、言葉によって  自他の分岐が始まり、それから他者という鏡によって照らし返される自分を  発見することで自分を知り、自意識の絶えざる自己延長、自己増殖が始まっ  て行く。   「霊魂の不滅性」とは、実は単に“人間としての意識”の不滅性を言い換  えただけでは無いだろうか? 肉体を喪った心がなお、外界を認識しうると  すれば、肉体的な認識器官としての眼も耳も無い存在が、生前と同じように  世界を認識するというのは実は奇妙な言明では無いだろうか。実際、臨死体  験者の証言を聞くと、生前の感覚そのものが百倍も千倍も拡大されたように  感じたという。しかしここで興味をそそられるのは、肉体的な認識器官に相  当する霊的な認識器官が存在するということだ。霊的な認識器官があるから  こそ、霊もまた認識の限界(生前のとは桁違いだろうが)を持ちうるのであり、  それ故に霊もその次元での自己認識をしうるのでは無いか。少なくとも人間  的な自己認識では無いだろう。   話が前後するが、言葉を持たない人間がどの様なものかは、いわゆる「野  生児」の実例がその原型を提示する。アヴェロンのヴィクトール少年、イン  ドのカマラ・アマラ姉妹、リトアニアの熊少年に共通する症状としては下記  の通りに挙げられる。     涙を流して泣かないこと     笑わないこと     生の食物への嗜好(調理された食物への極端な嫌悪)     衣服を身にまとうことへの頑強な抵抗(寒・暑の知覚と性的羞恥心の     欠如)     言語音や指さし行為に対する全くの無関心   人間の肉体を持ちながらも、自意識の全き欠如が顕現する姿とはこの様な  ものだ。   私は眼によって世界を知る者だけど、眼も耳も生まれつき働かない者はど  うなるのか? 言葉そのものの存在から意識的に教えなければならないのだ。  自ずから眼と耳を通じて言葉=世界を認識しうる健常者とは遥かに遠いマイ  ナス地点に立っている彼らは、言葉を知り得ない限り、人間としての萌芽も  芽生えようが無い。彼らの誰もがヘレン・ケラーになれる訳では無い。生け  る屍となり果てた姿も見知っている。彼らがもし虐待されたとしても、本能  的な防衛反応を示すだけで、心の傷というのは負うことさえも出来ないだろ  う。傷つくことの意味も無い、暗闇と沈黙の世界…軽々しく「無」等という  言葉を弄ぶ人は、結局自分が現実の世界に眼を閉ざしていることに気付いて  いないだけなのだろう。  TAO