「本当に言いたい事とか無いんですか?」と続ける焚き火民 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/05/06 - 00912/00912 JAG04260 満天星 ユートピア---反歴史的なるもの (2) ( 5) 96/05/06 11:53  #909 発言の続きです.  --------------------------------------------------------------  [2. ユートピア的幻想世界が果した役割(歴史上の意味)]  (a)  時代と地域(または民族)とが大規模な不運に見舞われ,社会が混乱  し,社会不安が著しく増大するとき,民衆の間に厭世気分が高まると  ともに,心理的にそれを補償する意味で,世界救済への期待が高まる.  多くの偽予言者(偽預言者)が現れるのは,このようなときである.  キリスト教世界では,初期キリスト教徒たちに対するローマ帝国の激  しい弾圧・迫害の行われた 1 世紀の後半から 最初の世紀末ごろまで  がその最初であり(もっともこれは,キリスト教成立まえから断続的  にユダヤ教徒を襲った状況の一部であるとも言えるものだが),この  時期に,次に述べる「千年王国論」のそもそもの発端ともなる「ヨハ  ネの黙示録」が書かれたのであった.  後には,中世末期のヨーロッパが,そのような社会現象を担うことに  なった最も代表的・典型的な時代(および地域)として挙げられる.  (近代に入っても,千年王国論は何度も現れる.)  民衆の期待は,救世主の登場(キリストの地上への再来)とそれに続  く「黄金時代」の出現に集約される.この「黄金時代」は 1000 年間  続き,その後「最後の審判」が訪れると考えられた.  この,近い将来に到来すると期待された 黄金時代が 「千年王国 the  millennium」の名で呼ばれるものである.(The millennium は 時間  カテゴリ(範疇)の語で, 場所(空間,領域)を表す語では ない.  「至福千年」という訳語は,その点に留意した訳である.)  言葉としては「千年王国論(千年説)」,「千年王国運動」などの形  で使われることが多い.    (一般的な概念としての millennium (pl. millennia) は「千年    紀」と訳し,century の 10 倍の時間単位をいう.これは「紀元    前二千年紀」のように使う.たとえば,紀元前一千年紀 は 1000    B.C. - 1 B.C. であるが,考古学的年代であるから,主として,    百年あるいは数百年単位ででも年代を特定して記述できないとき    に使う呼称であることに,注意されたい.)  千年王国は近い将来に地上に実現するという具体的な期待を担ってい  るもので,彼岸に想定される天国とは異なる.  千年王国運動現象の説明としては,悲惨・過酷な現実の生活の状況に  対して,その理由の説明(合目的性)を与えるという神話的心理要素  (心理的効果)に主な説明を求める行き方が一般的である.  一般化された概念としての千年王国運動現象は,キリスト教世界に限  らず,世界各地に亙って,記録・報告されている.  たとえば,新世界に上陸したヨーロッパ人が,現地人に,伝説に語ら  れていた救世主と見なされたこともあった.(実際は,最も危険な侵  略者・破壊者であったわけだが.)  日本では,鎌倉時代に多く起こった新興仏教(鎌倉仏教)が,民衆に  とって過酷な時代背景・状況の下,類似の期待を担う要素があったも  のであると言えよう.(それらの新興宗教は民衆の期待(心理)に積  極的に答えようとするものであった.)  (b)  近代以降のヨーロッパ世界において(すなわち,人文主義 (ユマニス  ム),近代的自我の成立を経たのちに)現れたユートピア思想が 持っ  ていた意義というのは,民衆的な千年王国運動におけるそれとは異な  るものであった.  すなわち,現実の体制に対する意識的かつ積極的な批判,封建的・教  権的意識に対抗する意味での民主的な意識の主張,寛容と平和の精神  の主張,さらに人間的知性とそれに基づく人間社会の進歩に対する信  頼などの主張により,現状を改革し,新しい社会を建設する努力を促  そうとしたのである.  元々の Utopia は,現実世界から隔絶した大洋の彼方の島であったが  (すなわち仮想の共時的存在であったが),理想社会の概念は,未来  へと投影されるようになったのである.  ロバート・オーウェンや,サン・シモン,シャルル・フーリエらの 初期  社会主義は,そのひとつの帰結であった.                             (続く)                              満天星 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/05/06 - 01012/01016 KFQ02761 しまうま 欲すること ( 6) 96/05/06 04:22 01008へのコメント #01008 めのうさん  ようこそいらさいませ(^^)。 |4月分のHMをまとめて読んで「なんかつまんないなー」と思いました。  正直なご感想、ありがとさんです(^^)ホントニ。潜在的にこう思っている人は決 して少なくないのかもしれませんね、もしかして(^^;。  今も会話がみょーなループに入ってしまっている感じがしますが、こういう 場面は、話題こそ違えけっこう実生活でもありがちですよね。ここで何ができ るか、何を言うか、というあたりは、色々参考になることも多いように思いま す。 |私の場合は、自分が何かを欲することに対して罪悪感(?)のようなものを感じ |ているところがあります。  ええ、以下勝手な感想を申しますが、失礼がありましたら何卒お許しをm(__)m。  「何かを欲することに対する罪悪感」の「何か」の部分に、具体的に何が入 るのか?というあたりが、けっこうポイントだったりしそうな気がします。食 事とか、睡眠とか、排便(失礼(^^;)とか、あるいはゴロゴロすることとか、 妙に真面目に働いてしまうこととか、人によって罪悪感を感じる欲求にも、い ろいろあると思うんですが。いちばん「罪悪感」が強い欲求ってなんなんでし ょうね? |「浅ましい自分」を見たくないと言うか、臭い物に蓋をしているような。 |それが本当に臭い物かどうかよく確かめずにとにかく蓋をしようとしている |感じ。  たぶん、この「臭い物に蓋」が罪悪感の源なんでしょうね。なんかこう、直 視できない胸のモヤモヤみたいな部分。  蓋をしたくなる、ということは、それが「本当に臭い物かどうか」はともか くとして「たぶん臭いだろう」と予測しているのは確かだと思います。  発酵しておいしいヨーグルト(納豆でも可)になればめでたしめでたし、な のですが、心の問題って蓋をしておけばおくほど腐ってますます手を付けるの がイヤになっちゃうんですよね(^^;。その腐臭にどこまで我慢するか、あるい はどこで腹をくくって蓋を開けるか、というところが、関ヶ原なんでしょう。  うーん、他人事ではないなあ(^^;。 しまうま(KFQ02761) 01015/01016 KFQ02761 しまうま 「やってないこと」と虎 その3 ( 6) 96/05/06 05:44 00991へのコメント | で、最初の疑問に戻ってみよう。なぜ、僕はやりたいことを優先し続けてい |るのか? ちょっと考えてみれば、それが自分にとっての「本当にやりたいこ |と」から遠ざかる原因にもなりかねないことなのに……。 | ここでたぶん「虎」との関係が出てくると思うのだ。  というところで、その1が終わっていたのでした。今回は、その続きです。  自分にとっての「本当にやりたいこと」と、「虎がやりたいこと」は、必ず しも一致しない。というよりも、たいていの場合まったく違っていると思う。  例えば、切羽詰まった仕事をしていて、ふと映画なんかが見たくなる。「見 たいなあ」と思い始めると、その「見たい」気持ちにどんどん焦点が合ってい って、仕事が手につかなくなったりする。「ああ、こんなんじゃ仕事が手につ かないよ。こんなことならとっとと映画を見に行って、スッキリした気持ちで 仕事にかかったほうが効率が上がるんじゃないか」などと思う。  ちょっと待った。  冷静に考えてみよう。切羽詰まった仕事を抱えたままで映画を見に行ったと する。すると、僕は本来小心者なので、映画を見ながらも時々仕事のことを思 い出して「こうしている瞬間にも納期は刻々と迫ってくるのだ」みたいな切迫 感から落ち着きを失い、ちっともストーリーに没頭できない。それは、ほとん ど目に見えている。これじゃ映画を楽しみに行くんじゃなくて、単に仕事から 逃げているだけのことだ。映画のおもしろさの何割かを、損してしまうことに なる。結局、自分にとって「楽しくない」結果を得ることは、ほぼ確実なのだ。  だったら、何で自分は「仕事をほっぽりだして映画を見に行きたい」と思う んだろうか。仕事は遅れる。映画はおもしろくない。僕自身にとって、なんの 得もないじゃないか。  で、ふと思う。「映画を見に行きたいのは、僕じゃなくて“虎”なんじゃな いか?」。  そう思うと、非常にしっくり来る。“虎”は近視眼的で、とりあえず目先の 利益や快楽を欲するという。僕がやろうとしていたことは、まさにそういうこ とだ。  じゃあ、僕が本当にやりたいことは何か? 「仕事を早く終わらせて、映画 を見に行きたい」とか、そーゆーことだろう。たぶん。それなら、スッキリし た気分で映画に没頭できるはずだ。  よーし、じゃあ、やるぞぉ。と思って、仕事を片づけてしまうと、さっきま であんなに行きたい行きたいと思っていた映画に、それほどの魅力を感じてい ないことに気付いたりする。やっぱり、あれは「仕事なんてめんどくさい。そ んなのやめて、映画でも見に行こうぜ」という“虎”のささやきだったんだろ う、と納得する。  そういう“虎”のささやきに相づちをうって、言いなりになってしまうと、 結果的に自分にとって不本意な状況に追い込まれてしまったりする(この場合 で言えば、仕事の納期に遅れてしまう)。いったん踏みとどまって、「本当に したいのはどういうことか?」と自分に問いただす必要がある。  これを、HMに当てはめてみるとどうだろう。  先日のテーマRTで、ある人がいみじくも言ったように、今の焚き火の民と 凍え人の会話は、“虎”同士の会話になっている。感情と感情のぶつかり合い。 短絡的で近視眼的な“虎”同士が会話しているから、堂々巡りから抜け出せな いんだろう。  焚き火の民が本当に望んでいるのは、どういうことか? 凍え人が本当に望 んでいるのは、どういう状態か? それぞれが自分に問う必要があるだろう。  「凍え人はけしからん」「のらくらしてばっかりでハッキリせんから、見て てイライラする」「あんなヤツは徹底的に糾弾してしかるべきだ」とかいうの は、いずれも“虎”のささやきなんじゃなかろうか。その感情を、今の状態の 凍え人にそのままぶつけたとしても、凍え人の態度は硬化するばかりだろう。 それは、焚き火の民の本意とする結果ではないはずだ(たぶん)。  もし凍え人ときちんとした会話がしたければ、「けしからん」系の感情はひ とまず脇に置いておいて、冷静に心の話ができるような状況を作り出す必要が ある。そのためには、懐柔策が必要かもしれないし、心にもないお世辞が功を 奏するかもしれないし、あるいは徹底した恫喝が有効なのかもしれない。  どういう策をとるにせよ、冷静かつ意識的に、自分の思うような方向に状況 を変化させ得るような表現を用いるのがいいんだろう。きっと。  もし、凍え人が“虎”としての表現をやめずに、焚き火の民の感情を逆撫で するようなことを言い続けたとしても、焚き火の民が「心からの会話」を望む のならば、いたずらに“虎”のささやきに耳を傾けてはならないと思う。  凍え人が“虎”そのものを表現し続けるのならば、自分の中にある“虎”と 同時に、凍え人という名の“虎”をも視野に入れてコントロールする必要があ るだろう(後者のほうが難しいだろうけど)。つまり、凍え人に対しても適度 な“餌”を与えたり、また必要があればタイミングを見計らってムチでびしっ と叱りつけたりすることも、必要かもしれない、ということだ。  で、そーゆー複雑なことをやりつつ、自分の虎に対して、時期を見計らいな がらちょっとずつ餌をやり続ける必要性も、もちろんある。例えば焚き火で焼 けたおいしい芋を食うとか、森の奥のほうに行って大声でシャウトするとか、 なんかしらの方法でストレスを発散することが大切だ。これを怠ると、思わぬ タイミングで虎の大逆襲にあい、今まで積み重ねてきた「本意の行為」を、自 分の手で思いっきり台無しにしてしまいかねない。  なんか、たいへんそうだなあ。でも、こういうテクは、身につけておけば人 生においてものすごく役立ちそうな気がする。  お隣の7番でも、虎談義が始まっていますね。自分の“虎”にツッコミを入 れ始めるとキリがないし、その上けっこうおもしろい(^^;ときているので、僕 も近々7番にお邪魔して、仲間に加えていただこうと思っております(^^)。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/05/06 - 07387/07391 GED01563 水戸黄門 「虎」とはなんぞや? ( 7) 96/05/06 03:42 07371へのコメント ワシの虎は、物理法則への確信かもしれん。このフォーラムでは、物理法則は地 球で成立するものだという「定説」があるようじゃ。このことは、ARION が、その著作で明らかにしているところじゃ。じゃが、何人からも「黄門は間違 っている」と言われることを好まない。これは、完全に虎じゃ。では、虎が何を 言うたか、紹介しよう。 「情報ではなく、体験を重視せよと論ずる者どもが、ARIONの見解を鵜呑み にし、ARION情報に依存している。そんな者どもに汝の確信の変更を要求さ れている。汝は汝の見解を他の者どもに強制するつもりはないのに、他の者ども の態度は不公平はないか? 汝は相手が何を信じるかに寛大なのに、不公平じゃ な。強制されることがいやだということをわからせてやれ。いかにこの者が情報 だけに頼っているかわからせてやれ。そして、黄門の確信は信仰にも似た実体験 の裏付けがある。この者と違い、情報に依存しているわけではない。しっかり、 反論するが良い」。 虎は、たくみじゃ。虎が、よけいなことを言っている。それは、次の言葉じゃ。 「汝は汝の見解を他の者どもに強制するつもりはないのに、他の者ども の態度は不公平はないか? 汝は相手が何を信じるかに寛大なのに、不公平じゃ な。強制されることがいやだということをわからせてやれ」。 このささやきの分析は、わきにおいておこう。分析するまでないからな。次に、 よけいなことをぬいた虎の言葉を並べてみよう。 「情報ではなく、体験を重視せよと論ずる者どもが、ARIONの見解を鵜呑み にし、ARION情報に依存している。そんな者どもに汝の確信の変更を要求さ れている。いかにこの者が情報だけに頼っているかわからせてやれ。そして、黄 門の確信は信仰にも似た実体験の裏付けがある。この者と違い、情報に依存して いるわけではない。しっかり、反論するが良い」。 ここには、2つの虎がいる。意地という虎と、優越感という虎じゃ。 意地は、「黄門の確信は信仰にも似た実体験の裏付けがある」じゃ。これは、社 会に役立つかもしれん。新しい物理法則を発見するかもしれん。じゃが、科学者 でないワシには、この意地は無意味じゃ。じゃが、大事なことは、ワシに意地あ るということじゃ。これは、ワシで「できる」という意地と社会でがんばろうと するエネルギーじゃ。じゃから、大事にしてやりたいの。 優越感はどうじゃろう。 「情報ではなく、体験を重視せよと論ずる者が、ARIONの見解を鵜呑みに し、ARION情報に依存している。ここは、しっかり反論して、いかにこいつ が情報だけに頼っているかわからせてやれ。」 これは、それこそ、「ARIONの見解を鵜呑み」にした者の者の役に立つかも しれないの。しかし、こんなことは虎の言い分じゃ。無意味なことじゃ。あま り、利益にはならんの。優越感は、「自画自賛」という形をとるようじゃの。他 のものが賞賛が十分だと思わないから「自画自賛」するのじゃ。この虎は、なぜ 登場するか。もともとは親に認められたいとする欲求なんじゃな。そうでない と、食っていけないからなんじゃ。おこづかいももらえないしの。理不尽にどな れられのも、つらい体験じゃったしの。いつも「けなされて」おった。けなすと 「にくしみ」を感じたもんじゃ。それなりの「成果」をあげておったからの。な ぜ、けなされるかわからなかったのじゃ。親にほめられたかったのじゃ。社会に でても、それは同じことじゃ。社会に認められないということは、食っていけな いことなんじゃな。給料が増えないしの。そういう別の欲ともくっつくのじゃ。 ほめ言葉=賞賛が欲しいという欲とは別の欲じゃな。賞賛を受け取ることは快楽 じゃ。それは欲にほかならないの。 子供をみていてわかることじゃが、子供を「ほめろ」とよく聞く。それは、無意 味な育児じゃ。子供は、創造的な仕事を、自分が好きならば、いくらでもやるん じゃ。しかも、ほめるより良い仕事をするんじゃな。このことは、よく覚えてお くといいじゃろう。我々は、他人にほめてもらうために仕事をするわけじゃない からの。じゃが、けなすのはよくない。じゃから、「ほめる必要はないが、けな す必要もない」 なお、欲、感情、欲、好きということと、やはり別物じゃ。しっかり、わけてお かないと混乱するじゃろう。虎と虎のささやきと、虎の好物はわけておくという ことじゃ。 96/05/06(月) 02:14 水戸黄門(GED01563) 07388/07391 GCB01747 地球酔い 虎について ( 7) 96/05/06 05:19 07355へのコメント はじめまして。 私の虎の生態について書くとドロドロしそうなので、 別の角度からみます。 これが何をさせるかというと、迎撃と出撃です。 迎撃は自分を守るため、出撃は他人を攻めるためにします。 >虎とは何か? を、 攻撃する虎とは何か? と、具体的にすると難しくなるなぁ。 私は人と接していて虎が出ないことはない!?(いやな奴^^) のだけど、冷静に考えると肉体の生存本能に似ているかな。 だからといって、精神の生存本能とは違う気がする。 私の場合、自己認識の甘さからくる、自分を知らない自分です。 地球酔い〜ウグッ 07389/07391 KFQ02761 しまうま RE^2:「虎」とはなんぞや? ( 7) 96/05/06 06:11 07376へのコメント #07376 SUKEさん  こんにちは〜(^^)。ちょっと「虎」から話が逸れてしまいますが、ご容赦く ださいませm(__)m。 |あのうさぎ達が話す虎ってのが、この虎なんですね、なるほど!  僕はあの「虎」というのは、どっちかっつーとARIONのことかと思って いました。あるいは“真実”とか。  遠くにあって、想像しているだけの間は「いいな、よさそうだな、そういう の」と思っていても、実際に対面してその厳しさや痛烈さに接すると、コソコ ソと尻尾を巻いて逃げ出してしまう、という感じでしたよね?>『光よりの光』 の中の“虎”に対するうさぎの反応。  でも、いずれにしろ自分の中の“虎”も、逃げ出したくなるほど手強い存在 であるのは確かなんでしょうね、きっと(^^;。 しまうま(KFQ02761) 07390/07391 PAF02400 湖の鷹 RE^10:ごめんね ( 7) 96/05/06 07:04 07370へのコメント 猫の手さんへ、 > もしよろしければ何を知りたいのか教えて頂ければ有り難いです。 とかいうのを読んで、私の中の“虎”がむくむく起き上がってきましたね(^^;)。 ということで私自身の秘めたる望みをひとつ出してみましょう。いわゆる「すべ てのものはあらゆる精進のための糧にすべし」ですね。うんうん、いつかやりた いと思ってたんだ。 まず、ここで私と猫の手さんが持てる共有知識といったら、ここに書かれている 書き込みこそが一番理想的であるということに関しては異論は無いと思います。 ついでに言うと対象者がどんな考えをもっているかも、もしかすると説明してく れるだろうという期待感もあります。たとえばノロガメさんならば、(答えられ ると思ってくれれば)どんなことでも答えてくれるでしょう(そういえば、これに 関しては無条件で信頼してるな、私は(^^;))そのうち使わせてもらいませう、う まいこと続けられたらだけど・・・)。 で、猫の手さんの今回の最初のコメント元(#7297)に書かれていたものから引用 します。 >  多くの人が、学校で、それぞれの家庭で、自分が善意でやったこと、つい思 > わずやってしまったことを何の言い訳もさせてもらえずに頭ごなしに罰せられ > た経験があると思います。私にはこの世界では例外なく誰もがそういう体験を > していると思えます。私はそうされる中で私がされたと同様に、規則に従わな > いものに有無を言わさず規則に従った罰を与えることを強く主張するような人 > 間になっていきました。 さてさて、どういう展開かは知らないけれど、ここの #7310 のガッチャさんの 書き込みが上の引用にぴたりと一致しますね。 >  #7305, 7306, 7307 発言は、MES(3) #1314, 1315, 1316 との重複発言であり > さらに引用の範囲を越えていると判断し、削除した事をお知らせします。 >  >  今後はこのような事の無いようにお願いします。 >  >                   FARION SUB-SYSOP HGC02325 ガッチャ うんうん、ものの見事に第三者から見ると「何の言い訳もさせてもらえずに頭ご なしに罰せられて」いるように読めますね。で、ここからが本題なのだけども、 何故にガッチャさんは上のような「頭ごなしな」書き方をされていると思います?、 そして、この書き込みのどこが「まずい」と思います?、そしてそして、ここが 肝心なところだけれども、「他にどのようなやりかたがある」と思います? 96/05/05(日) 22:04 湖の鷹(PAF02400) ps. ということで、ガッチャさんへ、勝手に引用しました。なにかまずい点・不 具合な点等ございましたら、ご指摘ください。以後、私めの“虎”に、こう いうことはしてはいけないよ、と、よーく言い聞かせますので。 ps2.ということで、他の皆様方へ、かかる火の粉があった場合・なにかまずい点 不具合な点等ございましたら、心迷うことなくご指摘ください。以後、私め の“虎”に、こういうことはしてはいけないよ、と、よーく言い聞かせます ので。 ps3.うーん、はっきり言って、これもアップするかどうか悩んでしまう内容だな。 うーん、“虎”というのは初耳だったけれど、こういう時には、無条件に “虎”がでてくるよな、私って。で、結局アップしてしまえー、とかなるの だけれど・・・。これまた書いていいかどうかためらったりするけれど、 私の頭の中で“虎”はこう言ってましたね、「(連中と同じように)おまえだっ て連中を試すんだろ?」、うーん、私の中の“虎”もなかなか笑かしてくれ るよなー。正直言うと心の重みがかなり無くなりましたね、これ聞いて、 ・・・良いか悪いかは別にして。 ps5.ということで猫の手さんへ、とりあえず「他にどのようなやりかたがある」 かは、無視していいですから、その前の二点ですね、考えてみません? - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/05/06 - 864/864 MHA01114 シュメ−ル この程度は許容範囲でしょうか。 ( 9) 96/05/05 19:59 862へのコメント TAOさんお帰りなさい。 あ、イエローカードで済ませてもらって感謝です。面倒かけてごめんなさい。 書き始めるときにはよさそうなきがしたんですが、書き終わってから、嫌な予 感がしてきて、あわてて会議室の名前を確認して、題名決めたんです。その程 度の配慮じゃだめでしょう。二枚目イエローはもらわないように、気をつけま す。  さて、日出磨さんですが、その精神異常が問題なんです。あとで精神分裂病 ではないという診断が出るのですが、じゃあ、正常かといえば、そうでもなさ そうな様子がこの本からうかがえる。憑依状態といえば簡単ですが、そう言い 切っていいかどうか難しい。FMISTYのUFOの会議室にちょっと書いたんですが、 宮沢賢治さんは霊的な話題について一般向けに語ることはなかったんですが、 その理由として、賢治の友人は「『瞬時といえども、人をまどわせてはいけな い』そういう強いモットーに生きた人です。」と語っている。これってグサっ とくるものがある。これポストオウム時代に神秘をどう語っていくかの判断材 料になる。  「精神異常」の原因は不明です。医師の診断がおりたという事実はほぼ確実 でしょう。「過酷な拷問」の実態については治安側の証言を調べてみたい。全 体として著者の出口斎さんの記述は抑制がきいていて見事です。以下、引用し ておきますので、参考にしてください。日本の歴史と宗教の関わりにおいて、 チェックすべきひとつのエポックでしょう。 引用開始 ………………  この五条署でのことである。深夜、森閑とした署内の独房から突然、日出磨 の声が署内に流れた。 「できません」 しばらくしじまがあって、 「いや、わたしにはとてもできません」  その声に起きた近くの房の者は、息をひそめた。何が起こったのかと、いぶ かった。その後、おなじような意味の言葉が幾日もつづいた。看守も、最初の うちはやめるように注意したが、二、三日してやめないと分かると何も言わな くなった。日出磨の声を聞く者は、神懸かりで問答をしていると判断した。そ れは、鎮魂鬼神の際の神主の問答に似ていたからである。  そして、一週間ほどたって、 「やります」  という声を聞いた。内容は分からないが、日出磨は応じたのである。神の “黙契”が成立したのであろうか。この直後、日出磨は祝詞を声高らかに奏上 した。看守がとんできて何度も怒鳴る。祝詞は終わった。同時に、神との問答 は止んだ。そして、そのときからわけの分からぬことを叫び、狂乱状態となっ た。  −中略−  以来、妻や子供との団欒、知人、信徒との交流、つまり人間的な生活のすべ てとの決別がおこなわれた。周囲の悪罵嘲笑をも越えた、非情の世界へ没入し たのである。日出磨の様子は激変し、常人とは思えない状態にはいり、外見に は精神錯乱、虚脱の状態となった。それはどういうことなのか。どうしてそこ までしなくてはならないのか。その言動が何を意味し、真相は奈辺にあるのか。 その答えはむつかしい。言えそうなことは、神第一主義を貫く日出磨が、途方 もなく大きな目的のため、神の命のまにまに極限の世界に自分を追い込んだ、 ということである。  青春時代のノート(大正十二年四月八日)に、 「一切の身辺の係累をかなぐり棄てて、思うままの世界を跋渉することは、自 分が狂者にならない限りはとてもできない。……」  と書いている。結果的にはそれが現実となる。そして、    あがなひによらでは如何で根底なる醜のみたまを救ひ得べけむ  と、結婚当初に詠んだ歌が、その原点にあるように思われる。しかし、今こ こで性急に結論をまさぐってみても、徒労に帰すであろう。なし得ることは、 その悲痛な、そして神秘に満ちた事実を、克明にかつ虚飾なくのべていくこと でしかない。 …………  引用終り(『神仙の人 出口日出磨』 出口斎 編 講談社 p232-234)  以下、日出磨さんの異常な日常とそれを支える周囲の人間の当惑と労苦が記 述されている。  出口斎さんの抑制のきいた記述が可能になっているのは本人の見識の証左で あるのだろうが、それ以前に、日出磨さん自身が自己の神格化を極度に避けて いたからであると推測される。実際、斎さんのためらいと当惑はなによりも本 人である日出磨さんが多くを語らなかったからである。些細な断片、周囲から の情報を丹念に収集し、日出磨さんの謎に迫ろうとしている。  大本弾圧が一体なんであったのか、容易に結論は出せないが、要因の一つに、 出口王仁三郎さんが幸か不幸か望んでか望まずか、いずれ結果として身に帯び てしまった強烈なカリスマ性があるのだろうと推測される。この点で興味を持 ったのは、第2次大本弾圧の断を下した岡田内閣が2・26事件で退陣したあ と、広田弘毅さんが組閣し、そのまま大本弾圧の方針をもって臨んだ点である。 広田さんが当時大本をどう理解していたのか、調査してみたいと思った。とい うのも広田さん、結構バランス感覚のすぐれた方であるとの印象が私にはある からだ。そして、日出磨さんの特徴はカリスマへの明確な拒否であるようにこ の本からは読み取れた。これは冒頭参照した宮沢賢治さんの「瞬時といえども、 人をまどわせてはいけない」の精神にと同質のものであると思う。さて、では 我々は宗教的情操や存在の神秘をいかに語ればいいのだろうか。