「皆さんは好きにして下さいよ、私は常識的な人だから…」 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/05/11 - 01029/01032 QZE14371 雲上仙人 ターニングポイント ( 6) 96/05/10 18:57 01004へのコメント TO:ALL FROM:雲上仙人  つらつら考えたんだが・・・、どうも4月14日がターニングポイントだった らしいね。 | 96/04/03 「人は自分が居心地良い様に考えるだろう?」と天使は問うた | 96/04/05 「あなたは何を欲しているのか?」と天使は更に問うた | 96/04/09 「それで、あなたは此処で何をしたいのか?」と天使  少なくとも、自分の意志でここまで来たであろう凍え人に対して天使は聞いて いる「何を欲し」てここに来たのか、ここで「何をしたいのか」と。つまりは、 (焚き火の)ここに来たということに対する問いかけが含まれているように思う し、ここで何がしたいのかと言う問いかけがあるように思う。自由意志でここに 来たと言うことに対する認識の違いがあるようだ。 | 96/04/10 「私は凍えていたんです、でも焚き火の傍に招かれて…」と凍え人 | 96/04/11 「招かれたから来たのに火が小さくて暖かくなくて」と凍え人 | 96/04/12 「その内に皆が私の内面に関る様な話をし始めて…」と凍え人 | 96/04/13 「私が迷惑がっているのも尻目に話を続けて…」続ける凍え人 | 96/04/14 「それから?」と天使は凍え人を見据えて言った。 | 96/04/15 「見つめないで下さいよ、居心地悪いから…」と凍え人 | 96/04/16 「何を欲しているのか、どうしたいのか?」と天使は問うた  問われつつ、話し始めた凍え人に4/14の天使の一言から事態は人の態度の是非 へと話しは変わっている。「それから?」と問うのは何も五日目でなくともいいのに、 なんで問うたのだろう・・・もう少し話させてあげてもいいのに。また、「うんうん」と 相槌うってもいいのに・・・。なぜ、「それから?」と突っ込んだんだろう・・・。  ここがターニングポイントのような気がするなぁ。  まぁ、もう暫くはこのシリーズは続くのだろう・・・7週間後の6月初頭に注目して いよっと。(^^ゞ  ではでは 雲上仙人 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/05/11 - 07417/07426 JCF07454 新しい芽 苦手意識について ( 7) 96/05/11 00:05 07377へのコメント  07377には、たくさんの問題が書かれています。少しずつ逐一、見てみました。 終わりの方からですが、どうしてでしょうね。うーん。最近、最後に、意識された ものから覆いをとって行くのが、その前提となるいろいろのことがよく見えて、わ かりやすいからでしょうか。 >ノロガメにはこんな会話しかできません。井戸端会議は苦手です。  どうぞ、ご自由に、お好きなように。  しかしまあ、何かの苦手意識というのは、たいていの人にありますから、個人の ことではなく、問題そのものを調べてみましょう。苦手意識が何なのか、事実を観 察し始めることができれば、そのときは、何かが発見できるかもしれません。  たとえば、たいていの井戸端会議では、感情的な、考えと事実を混同した、言葉 を実体視した行為があります。その行為は自分には苦手だということしでしょうか? しかし、それなら、感情的でなく、考えと事実を混同せずに、言葉を実体視しない で、しかも苦手意識なしに、ここの井戸端会議に参加することができるでしょうか?  たとえば、苦手に感じるときは、結論が先にあるので、事実が新鮮に見られない のかもしれません。自分の、間違っていないと思う考えを話したい欲求でいっぱい なのかもしれません。自分の心は劣等感を持っており、思っているほど、平和では ないのかもしれません。心は自立しているのではなく、壁を作り、孤立しており、 したがって、実は、依存しているかもしれません。社会問題の原因は、他人にある のではなく、自分にあるのかもしれません。そのすべてが明確でしょうか?  さて、このたとえばの話すべてをご破算にして、何も知らないところから、苦手 意識が現実に生じる瞬間に、実際にあるものがそのまま見られているでしょうか? それは他の人が代わりになって行うことは出来ません。言葉で伝えられる、手順の 決まったものなら、だれでもまあまあ実行できるわけですが。直視する事ができる とき、それは、苦手ではないでしょう。そして、触れたくないものには、きっぱり と触れないでしょう。 07418/07426 JCF07454 新しい芽 問題の原因を探り出す ( 7) 96/05/11 00:06 07377へのコメント >0の中にすべての原因が隠されている。 >信心(人が言う心)によってノロガメは原因を探り出すことが出来ました。 >あくまでも自分の問題の原因ですが。  他の人が何かを探し出したかどうかは、事実として見ることはできません。それ で、信心、人が言う心によって、私は、あくまで自分の問題の、原因を探り出すこ とが出来たか? と問います。信心というのは日常的な意味もあって、紛らわしい ので、ちょっと、別に置いておきます。  問題というのは、ものや他の人との関係で、あるいは自分の抱いた思考、つまり、 考え、欲望、意図、感情との関係で、いろいろの挑戦があり、それに応えるときに、 その応対のありようによって生じます。そうですね? 暴力的であるのが問題だと 感じて、非暴力であろうとし、「暴力的に」振る舞ったりします。この、思考の働 きが、どうも暴力的なのはわかるのですが、はっきりとはわかりません。それで、 どんな思考の働きも見逃さないように、まったく白紙で、ものや他の人との関係で 思考の生じるごとに、いま、瞬時瞬時、その動きのままに見ています。  見ていて、はっきり見えているものはあります。消えてしまうものもあります。 問題の原因を見ていると、原因自体が消えてしまい、解決もいらないのではないで しょうか? そして、そこにあるものを喜びと呼ぼうとどう呼ぼうとかまわないの ですが。  問題の中に原因があるのでしょうか? 07420/07426 JCF07454 新しい芽 全否定について ( 7) 96/05/11 00:07 07377へのコメント >0は打ち消す作用  この文の意味はわかりません。  少し、違ったことを話してみます。たとえば、「あの人がおかしいのだ」と怒っ ているとき、何かが欲しくてしがみつき、相手を非難している自分の内面がよく見 えないことがあります。つまり、自分はごく普通であって、相手だけが間違ってい ると思うときがあります。当然とか、いけないとかいう価値観、先入観に気づいて いないなら、実際に起こっていることを見逃してしまうでしょう。  実際に起こっていることが、ありのままに見えるためには、どんな価値観であれ、 疑うことができなければならないのではないでしょうか? 当然とか、いけないと か、どちらも、何も受け入れはしない、という意味での否定、全否定、全打ち消し がなければならないのではないでしょうか? どこまでも。そのとき、事実が見え、 したがって、新鮮に生きているでしょう。違うでしょうか? 07421/07426 JCF07454 新しい芽 未知のものについて ( 7) 96/05/11 00:09 07377へのコメント >0は確認できないもの  この文の意味はわかりません。  それとは別に、未知のものを検討してみましょう。怒り、嫉妬などというものは かなりわかりますし、言葉で伝えることもできます。ひとはよく、所有欲に駆られ、 怒りながら、「私はこんなに愛しているのに」といいます。しかし、怒りや嫉妬は 愛ではないでしょう。怒りや嫉妬があるときには、実物として、実態としては、愛 はないでしょう。愛と思うものは愛ではないでしょう。では、怒り、嫉妬が無いと きにあるものは何でしょうか?  しかし、その前に、怒りが理解されなければなりません。怒りを見ていると、執 着が見えるかもしれません。そして、恐怖がそこにあるのです。このすべてを事実 のままに見ていることで、理解され、解消されてしまっているなら、そこにある実 物を、どう呼ぼうとも、愛と呼ぼうとも、呼べるでしょう。怒り、嫉妬がないとき にあるものは何でしょうか? 何も無いと答えますか、それは愛だとか、それは神 だとか答えますか? 見ていて、見えているものは、あると言えます。  しかし、怒り、羨望、そのた諸々の不調和なものを見逃してはしかたがない。そ こで、実際に生じているもの、実際にあるものを注意深く見ている。その見ている 行為が理解であり、問題の解消なのではないでしょうか? しかし、そこで葛藤す べてはない、それは愛だ、それは神だと名付けると、とたんに観察が止み、元の思 い違いの世界に生きているでしょう。そうではないですか? それゆえ、ただ、静 かに、何も知らないまま、それが何だと決めないまま、静かに、注意深く、見える ものを見ているでしょうか?  未知のもの、言葉がないときにあるものをあれこれ言葉で表現しても、当人にも それは死んだものであるし、他の人にも同様です。そして、伝わることはなく、誤 解が生じます。なぜなら、言葉から連想される偽物になってしまうからです。言葉 の遊びで、自分や他人を煙に巻いても仕方がない。  むしろ、既知のもの、言葉がある時に見えるものをはっきりと見、実行できる行 為、疑問を出すことは出来ます。ぎりぎり話せるところまで話して、あとは黙って 観察しているよりないのではないでしょうか? 07422/07426 JCF07454 新しい芽 葛藤が無いときにあるもの ( 7) 96/05/11 00:09 07377へのコメント >人間には無いと言うことを認めることは出来ません。 >人間が人間でなくなれば、人間は無いと言うことが有ると思えるようになります。 >人間の頭脳(計算機)には0の働きが存在していない。  ここまでの文脈では、これは読んでも何のことかわかりません。  無い、有る、0、というのは何でしょうね。  それから、人間という言葉は日常の用語の部分もあるのでしょうか? たいてい の人間とか、物の道理が存在する物質的な部分である人間とか、信心としての人間 とかに分けているのでしょうか? 精神的な部分で道理に従う人間とか、そこで道 理に従わない人間とか分けているのでしょうか? 分けて、それで抜けがないかど うか? 人間の頭脳(計算機)うんぬんも意味がわかりません。日常用語に、何か の限定の省略があったり、あるいは違う意味が込められているのでしょうか?  個々の言葉は、内部、外部の事実と対応づけられるような、日常使っている意味 で平易に使うようにしないと、言葉で大体表せるものですら、基本的に誤解が生じ ます。それぞれが自分にとっての事実を確かめられないと、話が伝わりません。  自分の中で同じ言葉にいろいろの意味を複数与えて適当に使い分けると、実は、 文が意味不明になります。どういう意味か、せめて文脈でわかるように、説明する 必要があるでしょう。また、平易に説明できるなら、あえて、違う意味にとれる言 葉を使う意味もないでしょう。  また、限定する言葉や、形容詞があるのを端折って、抜かしてしまうのも、困り ものです。結果的には同じ言葉の部分しか表明されていないのですから。すると、 文が意味不明になったり、意味がいろいろにとれたりしてしまいます。注意深く事 実を表そうとしても、なかなか難しいのですから。  これは、実際には心にあるものが、すっかり出されてはいないということですね。  たいていの人々に起こりがちなことですが、「思える」、という現象があります。 実際に見えているものではなく、思考が作り出し、欲求し、それを対象として投影 してしまう。何かが事実、真実だと思える。意地悪だから、嫌いだと思って、他の 人を見ると、ある程度、そうだと思えてしまいます。これですべてははっきりした、 自分の問題は解決したと思うと、とりあえず、すっきりして、真実がつかめたと思 えるのです。しかし、それは思考自身に過ぎない、ということは、よくあることで すが。  さて、ある考え、欲求、言葉がないときにあるものは、何でしょうか? 怒りな ど、葛藤、矛盾がないときあるものは何でしょうか? まず、欲求、言葉、葛藤、 矛盾の存在に、非常に注意深くなければならないでしょう。静かに実際にあるもの に事実のままに気づいている必要があるでしょう。そこまでは、はっきり言えます。 そうですね? また、そのように言えば、事実として、実行でき、確かめられるこ ととして、伝わりうるでしょう。  たとえば「ほら、鳥の声が聞こえるでしょう?」  たとえば、「あいつは間違っている。がみがみがみ」「彼を非難しているの?」 「なんだと! 非難なんかしていない! あいつが間違っているのは事実だ。常識 から言っても!」  しかし、心が静かな中で、「葛藤がない」と判断を下と、それ自体が騒ぎではな いでしょうか? それは心にある騒ぎ、混乱を見逃す始まりではないでしょうか?  静かに観察すること自体が止んでいるでしょう。そして、静かだと自認した心は 「いまあるのは、愛だとか、神だとか」言い出すのです。言っていい悪いの問題で はありませんが、事実としてはそういうことが起こりやすいのではないでしょうか?  それで、心はいま、静かに、実際にあるものを注意深く見ている………。 07423/07426 JCF07454 新しい芽 RE:「虎」とはなんぞや? ( 7) 96/05/11 06:36 07414へのコメント 水戸黄門さん、初めまして  実際に欲しているものが生じたら、その欲しいという欲求の事実はわかりますよ ね。実際に、確かに見えませんか?  しかし、そのとき「虎」は実物ではなく思考の産物に過ぎないのでは? 同様に、 「魂も」思考の産物に過ぎないのでは?  だから、実物を見ているには、問いが大切でしょう。  「どんなふうに」欲しているのか? 07424/07426 JCF07454 新しい芽 RE:「虎」とはなんぞや? ( 7) 96/05/11 06:37 07412へのコメント  しまうまさんにも初めまして。  虎がよりよい案を出そうとしていませんか?  実態はもちろんわかりませんが、しかし、案を考えることで思考は何をしている のでしょうか? 観察してみませんか? たしかに、案が生じているのですが、そ のとき、どんな感情があるのでしょう? それら事実の全体は? 07426/07426 JCF07454 新しい芽 RE:虎について ( 7) 96/05/11 06:37 07411へのコメント  地球酔いさんにも、はじめまして。  虎状態での一瞬、回りと内面を見ている。非難や正当化なしに。つまり、非難や 正当化があれば、その事実を、ただ、何だろうと、見ている。虎状態だとも言わな いで。必要なのは、別の自分ではなくて、別の自分が必要だと思う瞬間の気持ちに 気づいていることでしょう。その気持ちは、観察を避けたい欲望なのでしょうか?  虎が見られたくないと言っているのでしょうか? 07425/07426 JCF07454 新しい芽 RE:虎について ( 7) 96/05/11 06:37 07396へのコメント  SUKEさん、どうも。いろいろのご助言、助かります。「パーフェクトガイド 」という本の助けも借りて、なんとか……。  虎を殺す前に、よくよく観察してみる必要があるでしょう。虎が観察する側に回っ ているのでは仕方がない。だから、どちらの立場かということではなく、見ている 中に非難や正当化があるとき、見逃さないかどうか? - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/05/11 - 02131/02131 JBH00712 桂 桂 シンクロニティ (11) 96/05/11 01:48  不確定性の出来事が連続して起きることを、心理学用語で「シンクロニティ」と いう。これは心理学者のC.G.ユングが作った言葉だ。  特定の霊的な現象にはこのシンクロニティという現象が付き物らしい。いわゆる 「偶然の一致」というものであるが、その偶然が連続して起きると流石に無気味と いう気がしてくる。もっとも平井氏によるとシンクロニティは「日常で起きている 当たり前の出来事」だから、それほど気にするものでない事なのだそうだ。  それも其の筈で、何がなんでも起きた出来事をあれのせい、これのせい、終いに は箸が転がってもシンクロニティでは話しにならない。  ところが四騎忍ら鷹匠中の一行ではこのシンクロニティが続発する。  翁峠行きではついに狂気のマッドサイエンティスト・八雲医師まで現れた。氏は れっきとした精神科医の癖にとうとうと精神世界について説教を垂れ、精神病の何 パーセントかはサイキックな現象によるものだと言うのだから怖れいる。  もっともユングにしても心理学の世界に踏み込めば踏み込むほど超自然現象と人 間の精神の関係性についてどう関連付けて説明して良いか解らなくなったそうだか ら、世の中のドクターの一人くらい<狂>がつくくらいオカルティックな人物がい てもいいかもしれない。  そのユングだが、ある日フロイトと論説について討論になり、「あの花瓶が割れ ると私が言って割れたら、それがシンクロニティだ」とか言ったとか言わなかった とか。その次の瞬間花瓶が割れ、その時からユングとフロイトは袂を分かったとか。 そんな話を聞いた事があるけどきっと眉唾物だろう。今ではどこからこの話を読ん だか、それさえも思い出せない。  西海岸のニューサイエンスト、フリッチョフ・カプラ氏だと、彼はカリフォルニ アの海岸で瞑想中、身体全身が小刻みに揺れ、世界が一体になるビジョンに包まれ た。彼はそれをきっかけに「世界は孤独に分かたれた集合的な存在ではなく、一つ の運命共同体である」として幾つかの論説を展開した。  その中の一つに「くつ紐理論」というのがある。  くつ紐のどこかを引っ張れば必ず全体に影響が及ぶ、世界もこの連続性を保って おり、個々の事象は決してそれ自体独立した自己完結するものではないというのだ。 そう、これは例えばアマゾンに行ったの探検隊が小石を投げた所蝶が飛び立ち、や がては大群になって風を起こしてそれがカリフォルニアのサイクロンになるように。 (これは現代だと数学のカオス理論といわれているものにも似ている)  日本の言霊学という特殊なジャンルにも似た例はある。  今でも何処かの団体で言霊学の修養会を開いているそうだが、かつてある実践者 から話を聞いた事がある。  言霊の力によって風や嵐や台風を起こすことも出来るが、それは神の力によるも のであって人間が起こす訳ではない。言霊の伊吹が風を呼び雲になり天に上りやが て天候を左右する力を持つのは、それを決める時の存在があるからであって人間か らはあくまでもそのきっかけを作るまでなのだという。  どうもこの鷹匠中のメンバー、あちこち行ってはしゃぎまわっているのを見ると この風の騒乱を巻き起こすためだったりして(^^ゞ                              桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/05/11 - 00957/00960 GFB00026 一輝 阿修羅氏のインターネットでの復活 (12) 96/05/11 06:03 00948へのコメント >#0948 山部正人さん お久しぶりです。インターネットと言えば、オウム捜索情報を事前にNIF で流した阿修羅氏が自分のホームページを作って復活したそうですね。知人 からそのログを受け取ったんですが、議定書研究もやっていて面白かったで す。一時は石井久子のファミリーアカウントで、大阪マハーポーシャ店長が 書いている、という話が出ていましたが、どうもそのログを読む限りでは違 うようでした。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 00959/00960 GFB00026 一輝 新雑誌『ボーダーランド』 (12) 96/05/11 06:49 00953へのコメント >#0953 星 飛雄馬さん  私も読みました。  「責任編集」というのは、実際には「委託責任編集」であって、本人が編集し ているわけではないんです。企画会議に顔を出して、後は職人としての編集者が 現場を動くわけです。荒俣氏の場合はわかりませんが、まあ中には、名前だけ貸 して企画会議にも参加していないというヒドイ場合もあります。  『ボーダーランド』の場合、実際の編集作業は、福昌堂で廃刊した雑誌『パワ ースペース』の編集から引き抜かれたスタッフが制作しているという話です。『 ムー30』と言ったらよいのか、内容は30代向けの印象がありますね。単なる UFOだけじゃなくて、裏方であるはずのUFO研究家派閥図なんてのまで記事 にするところが、オカルトメディアの成熟した今風の編集だと思いました。  星さんのおっしゃるような、グルジェフやカスタネダなどの記事というのは、 オカルトメディアが成熟したとは言え、内的な心の話題であって創刊誌ビジュア ルには耐えない地味なものです。そこで、心の外部の客観的現象であるUFOや サイババの記事がメインになったのではないかと思います。ただもし、ずっとこ ういった現象面の題材で、これからもこの雑誌が攻めてゆくとすれば、荒俣氏の 責任編集姿勢が問われてくるのではないかと思いました。  巻末には、横尾忠則氏の宇宙人コンタクト話が出ていましたね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/05/11 - 04587/04597 QZD02307 ジョリー RE:依存、権威化をしないこと (13) 96/05/10 18:06 04576へのコメント コメント数:1 KAZE さん、こんにちは。 >「拠り所にできるたくましい自分に出会いつつある」なんて、素晴らしいですね。 >ぼくの場合は、生まれてこの方、どこにも拠り所のない感覚が続いてきていて、 >そのときどきに、いろんなことに凝ったりもするんですが、 >あくまでも通過地点というか風景という感覚しかないんですよね。 >でも、これは自分を拠り所にしていたというよりは、 >どこにも拠り所を求めることができなかったということに過ぎないんですが^^;。  KAZEさんも、ずいぶん苦労人のようで(^_^;)。  僕なんかも、社会人の第一歩が、親の借金を抱えて歩まなければいけなかった  という、華々しいお出迎えで(^_^;)。おかしい話なんですが、それがある意味  で、自分の拠り所だったような感覚があるんですよね。自分の不幸の原因を、  周囲の環境のせいにしていれば、それで、自分自身に納得させていられたとい  うか・・。  それが、幸運にも、色んな人の手助けがあって、早い内に返済できたのですが、  さて、これから自分の為に何をしようと考えたときに、何も思いつけなかった  んですよね。捨てていたはずの人生が、いきなり戻ってきて、戸惑ってしまっ  た(^_^;)。いろいろと物欲の面で、それからの人生を模索してきたりしたので  すが、あまり効果なく・・(^^;、まあ、今日へと至って来たわけです。   >禅の臨済に「仏陀に逢ったら仏陀を殺せ!」っていう物騒な言葉がありますが、 >仏陀にしろ、シュタイナーにしろ、それをガイドするというのではなく、 >そこに依存してしまうような方向性は危険なんだと思っています。  なるほどね。僕にとっても、そう言う意味で、平井和正が小説家であり続けて  くれたことが、ほんとうに幸運だったと思います。一時期、平井先生は、小説  と現実世界の接点をなくしてしまうような、言動をしていたことがありますが  (^_^;)、概ねフィクションでありつづけてくれたことが、宗教団体の抱えてい  るような、極端なカリスマ性に至らずに済んだ要因だと、僕は考えているんで  すよね。  以前、読書会でも取り上げられていましたが、東洋的な、師匠(グル)と弟子  との関係っていうのが、一番危険みたいですね。自分を無くすのが宗教や思想  だとすれば、そんなもんは、本来必要なものではないですね。  今、平井和正は、人には言えない、内的な神秘体験をしたとかで(^_^;)、自分  の世界観が、がらりと変わっちゃったみたいですから、小説を書くのを楽しん  でいるみたいです。で、僕も今は、ファンとして楽しんで読んでいます。 >ARIONだって同じで、その言葉とかいうのは、単なるガイドなんですよね。 >そこから学ぶものがあれば、それをガイドにして頑張ればいいというだけです。  ですね。僕も最近、MES7へよく書き込んでいたりしますが、どちらかとい  うと、ARIONの言葉に、同化されないように意識しながらやっています。  なるべく自分の主体的意志判断で、ARIONの言葉を取り込んでいくという  か、そんな感じです。自分主体をメインに考えていますから、ARIONに帰  依するなんて意志は、サラサラないので、他の会員には、少し後ろめたい感情  も、なきにしもあらずなのですけれどもね(^_^;)。 >超越的な存在というのは、依存体質の方々にとっては、けっこう危険な存在で、 >自分の依存体質を棚上げにして、べったりしたり反発したりすることが多いです。 >でも、そういうのは、自分の投影に対して反応してるだけなんですよね。  そうですね。できることなら、依存しようと傾倒している人に対しては、逆に  注意するくらいでなければ、いけないと、僕は思う。もっとも、その点につい  ては、ARIONが最近提示している事自体、テーマは「自立」ですから、問  題はないと思いますが(^_^;)!  >ぼくにしても、ARIONにコメントしたのはパソ通を始めた5年近く前だけで >それ以来、そういうことはしたことがないように記憶してます。 >というのも、最初にコメントしてレスをもらった問題というのは >ちゃんと勉強すればいろんな本からでも学べる類のことだったので、 >そういうことにまで超越的な存在と対話しようとする姿勢は >やっぱりまずいなあと思って、それ以降、どんなことでも自分なりの努力で >理解をすすめていこうと思ったわけなのです。  最近ARIONは、アクティブな感じになってしまいましたけど(^_^;)、や  はり、人間の抱える問題の解決は、人間にまかせていただきたいものです。  もし、自分なりのできる努力を放棄して、超越的存在に依存する傾向が誰か  にできてしまったとすれば、そちらの方が危険だと、僕は思いますからね。 >で、ぼくはFARIONに当初からいる議長でありながら、 >ほんとうについ一年ほど前まで、シスオペのみれさんとは、 >社交辞令的な会話しかなぜかしてなかったくらいなんですよね。  ははは(^_^;)。KAZEさんのみれさんに対するスタンスというのは、このFARI  ON内においても、独自のものがあったようですね。その逆に、ARIONに  もっとも傾倒していたはずの人々が、このフォーラムを離反していったとい  うのも、風の噂でよく聞く話です。やはり、「信じる」「信じない」の両極  には、道がないということでしょうか。 >で、最近になってようやく、みれさんの姿勢が、 >意外に、ぼくと近いのではないかと感じるようになってきたわけです^^;。  「最近になって」というところがいいですね(^^;)。僕の考えていることを一  言でいえば、「ARIONは神霊」で「みれさんは人間」。これを、しっか  り、分けて考えることが、間違えを起こさないための、良い方法じゃないか  と思っているんですよね。で、これって、わかります(^_^;)? >今から思うと、質量ともに、まともに読書できるようになったのは、 >30歳過ぎてからのように思います。 >やっと、最近、スタートラインに並ぼうとしてるかな、って感じです。 >つまりは、それまでは右往左往してるだけで、わけわからない状態だったわけです。  どんなときも、この瞬間がスタートラインですね(^^)。そして、右往左往し  ている心の状態から抜け出せることができれば、僕もきっと、集中して何か  に打ち込んでいるような、そんな状態に早くたどり着きたいです。               ジョリー 04594/04597 GGA02514 KAZE RE:依存、権威化をしないこと (13) 96/05/11 13:11 04587へのコメント ジョリーさん、どうも。 》なるほどね。僕にとっても、そう言う意味で、平井和正が小説家であり続けて 》くれたことが、ほんとうに幸運だったと思います。一時期、平井先生は、小説 》と現実世界の接点をなくしてしまうような、言動をしていたことがありますが 》(^_^;)、概ねフィクションでありつづけてくれたことが、宗教団体の抱えてい 》るような、極端なカリスマ性に至らずに済んだ要因だと、僕は考えているんで 》すよね。 平井和正ファンが、みなさんジョリーさんのようだといいんですけどね^^;。 ぼくの見るところでは、「ヒライスト」という言葉が存在するように、 平井和正は、けっこういまだに教祖化されている要素はあるんじゃないかと そう思えるんですけどね^^;。 ご本人の姿勢は別としても、十分、カリスマ性を維持しているし、 平井和正自身も、ぼくの知る限り、かつての言動への反省については、 自覚的であるとはいえないんじゃないかという印象をもっています。 (これがぼくの単なる稚拙な偏見だったら、いいんですけどね^^;) そういう意味で、このFARIONにあるMES11での桂さんの視点というのは、 (性急さや誤解されかねないところなどはけっこうあるとしても^^;>桂さんゴメン) そういう教祖化されかねないところから、 平井和正の作品の真価をしっかり見ていこうというもののように思えて、 いい試みなんじゃないかと思って、ぼくは見ていたりします。 MES11は、これまでけっこうあれこれ波乱がありましたが、 やはり、そこからいなくなってしまった人たちの一部というのは、 どこかで、カリスマ性や教祖化への願望を捨てられない方だったんじゃないかなと 思えるんですが、どうなんでしょうか。 ま、なんにせよ、そうした教祖化、絶対化といった方向性に対しては、 あらゆる側面で、注意していくということが必要だということでしょう。 もちろん、いい意味での敬意や尊敬だとか、傾聴に値する視点だとか、 そういうことに対して、変なねじまがった考え方を持つ必要はないと思います。 要は、「そこから何を学ぶか」なのですから。 》ですね。僕も最近、MES7へよく書き込んでいたりしますが、どちらかとい 》うと、ARIONの言葉に、同化されないように意識しながらやっています。 》なるべく自分の主体的意志判断で、ARIONの言葉を取り込んでいくという 》か、そんな感じです。自分主体をメインに考えていますから、ARIONに帰 》依するなんて意志は、サラサラないので、他の会員には、少し後ろめたい感情 》も、なきにしもあらずなのですけれどもね(^_^;)。 これまで見てきたところ、ARIONは、決して依存を許さない方向性で あの会議室をやってきているように感じます。 だから、「ARIONの言葉に、同化され」るということは ちゃんと読んでいけば、あり得ないことじゃないかと思うんです。 もし、それに依存しようとする姿勢が「他の会員」にあれば、 その部分をどんどん指摘していきながら、それを自分の反省にもまた 使っていくというのがいいんじゃないかと思っています。 だから、後ろめたい感情なんて不要だと思います。 といいながら、ARIONの言葉をほとんど気にしない私^^;。 》ははは(^_^;)。KAZEさんのみれさんに対するスタンスというのは、このFARI 》ON内においても、独自のものがあったようですね。その逆に、ARIONに 》もっとも傾倒していたはずの人々が、このフォーラムを離反していったとい 》うのも、風の噂でよく聞く話です。やはり、「信じる」「信じない」の両極 》には、道がないということでしょうか。 ARIONは、「信じない疑わない」のがいいのだと言ってるそうですが、 まさに、そういう姿勢こそが、多くを学べる姿勢だという気がします。 それは、「嫌いでも理解」っていうのにも通じるなあと思います(^^)。 ぼくは、なぜかFMISTYからこのFARIONに、そのオープンに際して 会議室をお引越してきたのですが、お引越してきたわりには、 なぜか、ARIONともみれさんとも、そう突っ込んでお話する必要性を 最近までそう感じたことはなかったんですよね。 なぜお引越したのかというのも、そういえばよくわかんなくて、 「なんだか新しいフォーラムって面白そうだ」以外の意図はなかったようです^^;。 (いいかげんなやつだな>私^^;) でも、やっと最近になって、ここであれこれやってることの意味が、 少しずつわかりかけているようなところもでてきたところだといえそうです。 だって、こんなフォーラム、他にまずみられないですから^^;。 》 「最近になって」というところがいいですね(^^;)。僕の考えていることを一 》 言でいえば、「ARIONは神霊」で「みれさんは人間」。これを、しっか 》 り、分けて考えることが、間違えを起こさないための、良い方法じゃないか 》 と思っているんですよね。で、これって、わかります(^_^;)? はい、それは当然のことです(キッパリ)。 それを取り違えて、人間を教祖化した人たちの末路っていやですよね。 みれさんも、そういう教祖化されることをいちばん嫌ってるんじゃないかな。 ま、ぼくは、超越的な存在に対しても、けっこう不遜なタイプで^^;、 自分なりのスタンスでやってきていますから、 そこらへんの罠にはまることはなかったようです。 だって、人間は、人間。 人間のためには「人間学」が必要なわけですから。 》 どんなときも、この瞬間がスタートラインですね(^^)。 そうですね(^^)。 いつも、「今、この瞬間」を大事にしていける 自分でありたいと思いますね、ほんと。 おそらくは、ぼくの場合、いつまでたっても、 「迷い」っていうのがなくなることはないでしょうけど^^;、 ま、その「迷い」をどう克服しながらやっていくかというプロセスから 多くを学ぶということが、いちばん大事な姿勢なんじゃないかと思っています。 しかし、これまでのたくさん迷ったけど、 これからもたくさん迷っていくんでしょうね。 ま、それを楽しみにかえていかなくちゃね^^;。 では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04590/04597 VFG13516 あとみ RE:ウェルカム!あとみさん (13) 96/05/11 01:11 04578へのコメント   こんにちは、あとみです。さっそくのRESありがとうございます。   >>  はい、ぼくは、いまのところいちばん参考にしているのは >> シュタイナー、そして西田幾多郎です(^^)。 私も一番心惹かれるのは、シュタイナーです。はじめ教育の方から   はいったので、一番最初に読んだのは、高橋巌さんの四つの気質について   書いてあった本だったと思います。身近にシュタイナーについて知っている   人もいなかったので手探りで著書を探していったら、あるわあるわ・・・   とてもまだ読み切れません。    でも、なかでも私がいちばんシュタイナーに心動かされたのは、   「いかにして超感覚的認識を獲得するか」です。オカルトっぽい本   と見る人も多いみたいですけど、私にとっては心にしみていく感じだった   んですよ。    今手元にないので正確じゃあないんですが、例えば修行って言うのは   今私たちがするとしたら、なにも滝に打たれたり荒行をすること   じゃあなくて、毎日の生活にできるだけ心を込めることだよ、とか   今何かしていることがあったら、自ら捨て去ると決めた以外は、けっして   諦めてしまわないこと、とか書いてありませんでしたっけ?    シンプルな事なんですけれど素直に受け入れられたんですよねそのとき。   西田哲学は華厳経の本にでていたのを少しかじった程度なのでまだ殆ど   わかりません。いつしょに勉強させてください。    私にとっては、シュタイナーもエンデも華厳経もヨガなんかのインド思想も   全然無理なく自分の中でミックスされているみたいです(と言っても、   ほんとに初歩のことしか知らないんですけど・・・)    しっかしですね、私は人でも物でも本でも何でも自分の出会う物は必要な時   と場で出会うと、思うんですけど、シュタイナーだとか華厳経だとか、   こんな事話せる場があるとは・・・こういうのを「縁」と言うのでしょうか?    (ちょっとおおげさですか?)でもとっても嬉しいです。    これからもよろしくお願いします。       では、じゃあね     あとみ(VFG13516) /E     - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/05/11 - 03975/03982 PAG03134 はな 5が表に出る (1) (14) 96/05/10 22:46 03973へのコメント コメント数:1 『7と5と3は、旧来の掟を破り表に出る』  7をス抜きのスサノオとして解読したので、次は「5が表にでる」 について読んでみます。  繋辞上伝という書物には、1から10までの数について、こう書か れています。 「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十。  天の数五、地の数五。五は位相得て各々合うことあり。  天の数二十有五、地の数三十。およそ天地の数五十有五。  これ変化を成し、鬼神を行う所以なり。」  天の数は奇数、地の数は偶数になっています。そして1から10ま でが天と地の対応、すなわち陽と陰の対応になっています。  天数:1、3、5、7、9  地数:2、4、6、8、10  そして、1=6、2=7、3=8、4=9、5=10と陰陽の数字 が対応します。この対応を「合」といいます。  天の数が5つあれば、地の数も5つあります。そして、天の数の合 計は25。地の数の合計は30。天と地の数を合計すると55。  55は5の裏と表が合わさった形であり、表の5と裏の5が並んだ 数字でもあります。実際に、55は陰と陽の数字が合計された(合わ さった)数字です。                       はな 03976/03982 PAG03134 はな 5が表に出る (2) (14) 96/05/10 23:40 03975へのコメント  陰と陽の数字は結びつき「合」をなしていました。  1=6、2=7、3=8、4=9、5=10  これらの天数と地数の差は、どれも「5」です。つまり     「5とは陰と陽を結びつける数字」 です。地数に5が加わり天数となります。同様に天数に5が加わり地 数となります。天から地、地から天は、陰から陽、陽から陰へのうつ りかわりと同じ意味とみてかまいません。  陰から陽への移り変わりを反転というならば、陰から陽への移り変 わり、もしくは陽から陰への移り変わり、すなわち反転するためには 「5の力」が作用しなければなりません。  mes#2014でARIONは、『反転』についてこう述べています。 1.『反転は、タタラ・アタタラの時点で既に出てきている。』 2.『反転は、陰陽道で言えばどういうことを指すか?』  1.のメッセージは動詞に「出てきている(出る)」が用いられて いることに関心を払ってよいでしょう。  1.に関するハローメッセージは、 『「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」→「水(ミ)」…順を追って…』 があります。  火から水へ移るには、タタラ・アタタラの接着剤が必要です。タタ ラを表とすれば、裏はアタタラ。火が水になるには陰陽道でいう「反 転」が作用しなければ、ハローに示されたように「順を追った」こと になりません。  「反転は、タタラ・アタタラの時点で既に出てきている」とは、   →「5(反転の作用数)は、タタラ・アタタラの時点で既に     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~         出てきている」                        ~~~~~~~~~~~~~ と、読めるのです。  ARIONが「7と5と3は、旧来の掟を破り表に出る」のうち、 5は、タタラ・アタタラの時点で既に出てきていると判断できます。                ~~~~~~~~~~~~~~~~                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/05/11 - 939/939 QZE14371 雲上仙人 違和感って・・・ (19) 96/05/10 18:59 916へのコメント TO:猫の手さん FROM:雲上仙人  どもども 猫の手 さん、お初です  コメントの後半部分はみれさんに当てたものや、あなた自身の感想なんで、 ワシがとやかくコメントつけるべきものではありませんから、前半部分だけ コメントしますね。 >> 私はこの会議室に入り込むまでARIONと言われる存在を知りませんでし >>たし、いまだにそのチャネリングの本を読んだこともないままに来ています。 >> ARIONさんについてはかなり異質なものを私は感じていたりもしている >>のです  ワシもここに来るまでARIONについてはまったく知らなかったし、今でも 知らないことの方が多い。チャネリングの本なんてほとんど読んだことないし、 みれさんが書いた本のうち持っているのは「光よりの光」一冊だけだもの。  ARIONってオリオンの親戚かなんかかぁ?ってほとんど見当外れに思った りして(爆)暫くROMしていた。思えば去年の4月だもんなあ初アクセスは。 やっとRTなんかに入ってちろちろと話し始めて慣れた頃には、遅まきの春の嵐 に巻き込まれて・・・。でもまぁ一度でも関りを持ったものを簡単に見限るつもりは 全くないから、今もこうして会員で居るの。チャネリングなんて知らなくとも、 なんでもないと思うよ。それ自体どうこうでないもの。文字として現される情報 によってい意志疎通をしているわけだからね。  だから営業マンと言われようとも女子大生と言われようとも天使と言われよう とも、言われたことをまず受け入れるから。可愛いんだよと言われたら信じるし、 で、写真もらったり実際に逢って可愛かったら惚れ込むしね。(^^ゞ  主婦と言われて信じられるのになんで天使だと言われたら信じられないんだべ かぁ・・・。変わらんべさ。どちらも手は出せないもの(爆)(^^ゞ。文字でお話し するだけなら、相手がどういう存在でも画面上からはわからないもん。それでも いいと思っているよ。(思いっきり外れたRESかな?(^^ゞ)  ARIONが自称「天使」と言うから違和感があるのかなぁ。それとも、他に 何かを感じているんだろうか。ここら辺を詳しく聞きたいなぁ。 >> ARIONさんは神々の内の一つの存在なのかもしれないですが、人間の体 >>を持ってはいなくても何らかのテーマを抱えていて人間界に何らかのアプロー >>チをせざるを得なかったからこそこうして私達と係わることになったのではな >>いかと私は推察しています。  なるほど、そうなのかぁ。神々って言う概念はいまいち判らないけど、ワシは ARIONって、宇宙に存在すると言われている星間物質かなんかなんではない かなぁと勝手に想像している。我々人間も分子に分解すれば、とても生命がある とは想像出来ないように、超巨大なマクロで観れば星間物質が組み合わされて一 つの生命体を形成してたら浪漫が在るなぁと。そうであれば、この宇宙って色々 な形態の生命のみなぎる世界なんだなぁと思う。だったら、この人間と言う肉体 で生きている間は人間として一生懸命に生きたいと思うよ。死ぬその瞬間までは とにかく生きなくてはね。最後の瞬間も生きているはずなんだから。だからね、 ひょっとしてさ、ARIONって肉体を持った我々の生きざまを観察すること自 体が彼らの勉強かもしれないじゃないか。そんな風に思うと何となく楽しくなる。 肉体持って生きていけていいなぁなんて嫉妬してたりしてね(^^ゞ。 >> ですからあのような強圧的な発言は、私には納得行かないものを感じさせる >>ことになってしまいます。本来の意図が何処にあり、どういう風になることを >>目指しているのかはARIONさんそのものに訊いてみなければならないと思 >>っています。  ああ、強圧的だと感じたのかぁ。ワシはね、従前にはARION磁場と言われ ていたのに、なんでARION自身が「私の息のかかった」という表現にしたの かが疑問だったの。「息」と言う表現がとても人間臭くてね、だからARION の担い手が交代したのかなぁと思ったんだよ。交代しても、ARIONと言う存 在としては意志統一されているはずだと思っていたから、表現方法を変えたわけ が知りたかったの。そんなわけが無いのなら、あるいは、ただ単なる表現の違い だけなら、それは解せないぞ、と言う意味だったの。どんな表現されてもワシは 強圧的とかなんとかとは思わないから。ああ、この人はそんな表現なの?と思う だけさ。  本来の意図がどこか別にあるのなら、ぜひ聞いてみたいね。もしも、君が聞い て答えが貰えたら教えてね。  ではでは 雲上仙人