「では…」と凍え人は焚き火を離れ歩き去った…夜は更けゆく - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/05/17 - 00927/00927 KFQ02761 しまうま 待ち伏せ ( 5) 96/05/17 00:31  言葉で言葉を追いかけて追いつけなかった。  観念で観念を追いかけて派手にすっ転んだ。  思いを思いで追っかけたら崖から転落した。  だから今度は待ち伏せてみよう。  誰にも見つからないように。 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/05/17 - 07494/07494 JCF07454 新しい芽 RE:RE^2:虎を殺してはいけない? ( 7) 96/05/16 21:19 07467へのコメント  SUKEの疑問は、つぎのようでしょうか? 「そのまま観察」。そのような個性を失った視点では、本当の自分は見出せない と思う。そのような状況は、無感動の境地と言うか、むしろ心の死んだ人間と言わ ざる を得ないと思うのですが、いかがでしょう?  私たちは個性があると思っているのですが、怒り方、悲しみ方は皆よく似ていま す。会社に入ると社風が身に付くというふうに、反応の仕方はセコハンです。ある 考え方、ある好みに従っていること自体がマンネリであり、セコハンです。そうで はないですか? 個性的だと思う流行の考えを持ち、少しばかり変形するが、繰り 返しがあり、平凡である。違いますか?  それで、どんな考え方、どんな判断にも、注意深く、実際に起こっていることに、 直面できるだろうか? これが私が言いだし、共通に検討しようとしている問いで す。いわゆる「そのまま観察」。  さて、それで、実際にやっているのと、「思う」というのとでは、雲泥の差です。 「思う」というのは、これまでの経験、知識で、セコハン的にまとめたものであっ て、実物ではないでしょう。実物、事実がどうかというところで話がしたいのです が、「思う」というところで話し合うことが多いのは、どうしてでしょうか?  実際に批判なしに、そのまま、観察しているなら、(実行しながらついてこられ ているのでないと、また、お話になってしまうのですが、)こうあるべきだ、ああ すべきだ、こうするのは当然だ、それはいけないのだ、といったセコハンのものが 消えて行き、何の束縛もない、新しいもの、未知のものが姿を現すでしょう。それ は、独創的であり、個性的であり、生き生きしたもの、あふれる喜びではないでしょ うか?  個性的だと思っていたものは、模倣であり、順応であり、抑圧であり、抵抗であ り、混乱、葛藤、矛盾なのではないですか? - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/05/17 - 874/874 MHD02672 TAO RE:人種の発生 ( 9) 96/05/16 23:32 870へのコメント  #870 一輝さん   興味深いアーティクルを幾つもUPして頂いて有り難うございました(^^)。  特に#870のご発言ですが、なかなか微妙な問題を孕んでいる内容ですので、  じっくり熟考してコメントを返したいと思います。人種の差違を、特権階級  の維持の為に利用する思想というのが、本当に西欧だけに発生したものなの  かどうかは、自分で調べるまでには判断保留にしておきたいです。   ただ、英国に見る階級のヒエラルキーが、民族間での権力闘争の結果だと  すれば、イングランドとアイルランドの緊張した関係の背景にあるものが、  史的なスパンを以て見えて来ますね。   恋愛は結果として、男と女の、或いは文化的背景や身体的形質の異なった  人間同士の混血を押し進めますが、シュタイナーは「血と混血の秘密にみち  た作用を理解するとき、はじめてわれわれは人種問題をも理解する」と言い、  「どの民族の中にも、遅かれ早かれ、現れてくるこの異族婚による混血のは  じまりこそ、理性もしくは外的知性の誕生を人類にもたらした」とし、人間  の知性は混血から誕生したとさえ言っているのですね。      二つの人間集団が、たとえば植民地において、ぶつかり合ったとき、     異質の文化が土着の文化に受容されるか否かを洞察するには、血の霊     的意味が理解されていなければならない。現地人の血の中に、土地の     環境が深く作用している場合、異質の文化をその生活に接ぎ穂するこ     とは不可能である。多くの地方で現地人が、移住してきた移民たちと     折り合うことができず、文化的強制の下になぜ亡んでいかねばならな     かったか、の理由もここにある。ヨーロッパ文明を世界の他の諸文化     に接ぎ穂できるなどと、信じてはならない。血に要求することが許さ     れるのは、血が受け入れることのできるものだけである。        『血はまったく特製のジュースだ』(高橋 巌訳/イザラ書房)                              P88〜P89より   「血に要求されることが許されるのは、血が受け入れることのできるもの  だけである」という一節は、深い予言的意味を持っていますね。アジアがい  くら西欧化しようとも、根底に流れる血が替わらない限り、変わらないもの  も存在し続ける。   フェニックスと龍の話にも繋がりますが、もしお互いの血を抹殺し合わな  い形で“封印”を解くということが可能だということならば、民族や血統に  纏わる一切のエゴを乗り越える何かが現れてくるのかもしれませんね。  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/05/17 - 02139/02140 JBH00712 桂 桂 ルシフェル伝 (11) 96/05/16 22:00 コメント数:1   小説業界では「ルシフェル伝」という話があるそうだ。   ルシフェルについて、この神霊の話を書くと必ず作者は怪死するという話だ。   ルシフェルとは周知の通り神に逆らって地獄へと落とされた大天使の名であ  り、「暁の明星」とも称される。   四騎忍が一丁桜にてコノハナサクヤ姫とおぼしき神霊と遭遇した時、「地球  樹」こそが「ルシフェル伝」ではないかと直感した。   四騎忍はこの神霊に会うことによって自身の使命が世界を滅ぼすことにあり、  そして再生させる事にあると言われる。小さき角を持つ人は世界をハルマゲド  ンへともたらす破壊王そのものであったのだろうか。   この四騎忍というネーミング自体が聖書の黙示録に有る災いをもたらす四人  御使いから来ているのだという。「第一のラッパがならされると・・・・」という  ヤツだ。そのような意味で四騎忍という名を持つ少年のストーリィが書かれた  と言うこと自体、ハルマゲドンの始まりを宣誓したものだといえる。   カミシクミというのは奇しきもので、この小説が書かれる背後の理由になっ  た因縁の玉置山では、先代のこの山を奉っていた橘香道氏(故人)によると、  「玉置山が開かれる時が世界の終末が始まる時」なのだそうだ。   現実には必ずしもそうではなかった。無論、それはそれでいい。そう簡単に  世界の終末が訪れる程ワヤな話は無い。むしろ、終わりの日も再生の日も日々  新たに訪れているという言い方の方が良いのかもしれない。人間の細胞が常に  新たなものに変わるように、世界もまた日々変化を遂げるものだからだ。   現代がソドムとゴモラを倍加させた悲壮な様相を展開させていても、未だ世  界は喜びと哀しみを共にさせている。   後日平井氏に「地球樹はルシフェル伝ではないですか」と問うてみた機会が  あった。その時の答は「う〜ん、どうも違うみたいだねぇ」というものだった^^;                             桂 桂(JBH00712)  /E - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/05/17 - 04636/04639 QZD02307 ジョリー RE^2:みれさんへ (13) 96/05/16 20:35 04627へのコメント コメント数:2 みれ さん、こんにちは。 僕が加入している、衛生ラジオのST.GIGA では、今週、カーペンターズの音楽を、  毎日、7時から9時まで放送していて、現在、カレンの透明感ある歌声に包まれ  ながら、キーボードを叩いています。その曲の全てが、アナログレコードである  はずなのに、デジタルのCDに全く劣らない、透きとおったカレンのボーカルっ  て、時代を超えて響いてくるものがあるなって、思います。聞いていて、優しい  気持ちになれるのがいいですね。  僕にとっては、平井和正のボヘミアンガラス・ストリートは、まさにこういう感  じで、その小説を読んでいる時間というのは、とても素直な心持ちにさせてくれ  るんですよね。まあ、少々、エロいというのはありますけど(^_^;)。 | 通常持ち出し得ないログが出まわっているとしたら、何か不正な方法でログ |~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ |が持ち出されたと考えるのが妥当ですよね。 |~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    ですね。ところが、噂によると、その後も何人かの人によって、ログが持ち出さ  れているらしい。別な話で、運営会議室で、言われのない自分の陰口をされてい  ると知って、傷ついた女性もいると、聞いたことがあります。確かに、不正な手  段でそういうものを持ち出すのは、フェアじゃない。しかし、もしその噂にある  ような、運営会議室の使われ方が、運営側で、実際になされているとすれば、そ  ういうのも、僕は、フェアじゃないと思う。 > で、ジョリーさんの言われる「批判」が作品の批判だとしたら、これはどう >ってこと無いんじゃないですか?   うん、作品の批判だったら、僕の場合、それほど気にも止めない。小説なんて、  自分の好きなように、読めばいいと思っていますからね。  ここで、質問なのですが、みれさんが、当時の11番会議室の混乱に対して、平  井和正が、どうやら、裏から糸を引いているらしいと、仰られたそうで(実際は  そのような事実はなかったそうなのですが…)、その当時、多くのスタッフが、  それを信じた、というような話を聞いたのですが、それは、本当なのですか? >平井さんとは二、三度お会いしただけなので、  これについても、実際にお会いしたのは、一度だけと聞きました(^_^;)。で、本  当のところ、どうなのでしょう? > 「どこかで誰かがこう言っていた」とか「あそこで誰某がああ言っていた」 >とかの噂話は尾鰭やハ鰭やらがついて、あたかも事実のように動き始めるから >要注意ですね。  そうですね、僕もそう思います。  噂話というのは、僕も嫌いじゃないんですが、実際の人物とは違う、誰かの先入  観を植え付けた人物像というのができてしまうし、ただ悪戯に、人間関係をギク  シャクさせる結果に陥ることが、結果として多いので、僕はなるべくしないよう  に心がけているんですよね。やはり、こういうところでも、自分をしっかりと見  つめながら、相手に対して、変な誤解がないかを、常にチェックできるように、  心がけて行きたいものです。 > もっと突っ込んだ質問もOKですよ。この際だから何でも聞いて下さいまし。 > ただ、第三者の情報の公開や誹謗中傷と受け取られる様なことは私も書けま >せんので、詳しく状況を話そうと思っても公開の場では制限がありますよね。 >その辺のご理解を宜しくお願いします。  はい、わかりました。  しかし、みれさんと、このような内容についてお話できるのは、何だか嬉しいで  すね。それだけ、僕にも、変な先入観があったのかも(^^;)                 ジョリー 04638/04639 SDI00635 みれ ジョリーさんへ (13) 96/05/16 23:47 04636へのコメント  こんばんわ(^_^)ジョリーさん(長文です(^^;))  カーペンターズ私も好きです。カラオケなんかで「Top of the world」を聞 きたいが為にリクエストして、下手な癖に自分で歌っているのは私です(笑)  では今日も元気で本論ゆきましょう。 | ですね。ところが、噂によると、その後も何人かの人によって、ログが持ち出さ | れているらしい。別な話で、運営会議室で、言われのない自分の陰口をされてい | ると知って、傷ついた女性もいると、聞いたことがあります。確かに、不正な手 | 段でそういうものを持ち出すのは、フェアじゃない。しかし、もしその噂にある | ような、運営会議室の使われ方が、運営側で、実際になされているとすれば、そ | ういうのも、僕は、フェアじゃないと思う。  そうですね、陰口は私も好きじゃありません。  私は相手が居ない場面(RTやオフなんかでね)で何かを話したら、その相 手にも同じことを後に言うというやり方をします。陰口とはその相手がいる所 では言えないことを言う、後ろ暗い事をすることだと私は考えていますので。  運営会議室で誰かがいわれのない陰口を叩かれたことが事実であるかどうか、 をジョリーさんはどうやって確かめたのですか? 「これが事実だとしたらフ ェアじゃない」という仮定基盤上での話には、私は乗れません。これを続けて いると「もし、そうだとしたらけしからん…そうに違いない、いやきっとそう だ!!」…という様なそれこそ理想的(笑)な噂の伝播形式が出来上がる可能 性が高くなりますから。  ただ運営問題として誰かの話が出るのは、有り得ることです。これは発言削 除や発言移動などの際にも、或は議長さんがどう答えて良いのだろう?という 様な紛糾会議室の場合には、その会議室で話をしている人の話題になるのは当 然です。私はこれを陰口とは思いません。ジョリーさんは陰口だと思われます か?  それから、会議室のログを持ち出すという不正行為と、その会議室で陰口が 叩かれていたらしいということとは分けて話すべきだと私は思います。陰口か どうか?という判断基準は人によって異なり、これを論議しようというのは無 理な話です。ですから運営会議室では一切他者の話をするな、ということであ れば理解は出来ますが、これまた不可能な話ですよね。  で、私が一番問題だと思うのは、運営会議室で個人の名前が出ようが出まい が運営スタッフを皆さんが信頼していて下さるのであれば、誰もそこで陰口が 叩かれているなどと思う筈は無いだろうという点です。つまり、陰口を叩かれ ていると思う人は、運営スタッフを信頼できないか、或は、何等かの理由で信 頼したくないんだろうということです。  私の個人的な感想を言わせて頂くと、皆さんの発言の交通整理をし、話題を 提供するという地味な作業を継続するのは、やってみれば分かりますが大変な ことです。この大変なことを進んで自ら引き受けてくれている議長さん達(そ れも見返り無しです)や縁の下の力持ち的な役割ばかり多いSub-SYSOP さんに 対して、何故そう信頼感が持てないのか?という辺りに、寂しさを感じます。 個人的な怨恨や好悪の感情があって信頼出来ないというのなら、字面は理解で きますが納得できません。個人的怨恨や好悪の感情で会議室運営やフォーラム 運営を判断されるというのは、あまりにも悲しい気がします(これは何度も言 いますが私の個人的な意見です、スタッフの代表意見ではありません)  実際FARIONを運営して数年の間に色々な問題がありましたが、ほぼ9 割方が基盤に個人的な恨みつらみの感情や好悪の感情をもつものでした。噂に は噂を広める人の私憤が交じっているということを改めて認識した次第です。 個人的な怨恨や好悪の感情を、誰でもが認める様な公的な問題にスリ替えると いうやり方も多々見て来ましたが、何故そこまでして自身の鬱憤を晴らしたい のだろうか…、何故、正面切って問題と立ち向かわないんだろう?と悲しい気 持ちになったこともありました。噂って、結局は問題解決には至らない、否、 むしろ問題を複雑にし見えなくする様なものとしか私が思えないのは、こうい うことからです。 | ここで、質問なのですが、みれさんが、当時の11番会議室の混乱に対して、平 | 井和正が、どうやら、裏から糸を引いているらしいと、仰られたそうで(実際は | そのような事実はなかったそうなのですが…)、その当時、多くのスタッフが、 | それを信じた、というような話を聞いたのですが、それは、本当なのですか?  平井さんの話は某君が常に関っておりましたので、彼からの情報をそのまま 私がスタッフに伝えたり、某君自身が運営会議室で平井さんのことを書いたり というのはありました。ジョリーさん、私の平井さん観はほぼ某君からの受け 売りでしかありません。この話を続けるのは、それこそ陰口になりかねないの では?…と危惧します。 |>平井さんとは二、三度お会いしただけなので、 | | これについても、実際にお会いしたのは、一度だけと聞きました(^_^;)。で、本 | 当のところ、どうなのでしょう?  ジョリーさんはどなたに聞かれたのでしょう。平井さんからですか?  どっかの料理屋さんで一回と、都内のホテルのロビーで挿絵画家の女性とご 一緒した記憶があるんですけど?…その他にどっかお会いしたかも知れないの で二度と言い切る自信がなくて、それで、二、三度と言ったのですが>私  ジョリーさん、あなたは噂を最初に信じてそれを基盤に私に質問されている のでしょうか? 私、何となく虚しい気持ちになってきました。私はジョリー さんが「質問」をしたいと思われていると信じて答えてきました。が、若しか したらジョリーさんには既に何等かの判断基準があって話を進められているん じゃないでしょうか?最初から色の決まった壁紙について意見を求められてい る様な、そういう感じですけど…、気のせいかしら?  もしジョリーさんの心の中に私や運営陣に関しての先入観があるんだったら、 先ず、それを話して頂けないでしょうか?           みれ★北川恵子★(SDI00635) 04639/04639 GGA02514 KAZE 感想 (13) 96/05/17 12:40 04636へのコメント ジョリーさん、割りコメです。 もっと面白く包括的な視点で話が展開されるかと思って 興味深く読ませていただいていたのですが、 なんだか重箱の隅をつつくような話で、少し残念に思っています。 運営会議室については、秘守義務というのがありますので、 それに関して云々するのは、みれさんがそれについて云々されるまでは それについてお話することはできずにいたのですが、 もちろんぼくも最初からそうした運営会議室には (消極的ではありますが^^;)一応最初から参加してきました。 でもって、そこで話されていることのなかの一部分だけを切り離して あれこれ言うとしたら、そりゃあ、感情的になっているところもあるでしょうし、 あまり適切でない表現がされているときもありますから、 それを批判したり、非難したりすることは簡単なことです。 マスコミで揚げ足取りの馬鹿な議論がまかり通っているようにね。 ぼくとしても、そうした、適切でないとぼくの思っている表現や内容に関しては、 これまでずっと、その適切でないこととかぼくの趣味でないとか^^;、 そういうことを臆せずちゃんと話してきたつもりです。 そして、それを押さえつけられたとかいうことはまったくないです。 都合が悪くなって、責任を回避して逃げた方はいらっしゃいますが^^;。 ということは、みれさんを勝手に盲信したりしないかぎり、 みれさんの意見は意見として、「そういう見方もあるのか」と そういう域をでるものではないということです。 つまり、いわば、「忌憚のない意見」が交わされていたわけです。 もちろん、みれさんに何かを投影した方は、それなりの見方をして、 それでその投影とあれこれやってた方はいたかもしれません^^;。 そもそもぼくは、人のうわさ話などをパソ通であれこれする趣味もないですし、 そんなことを言って時間をつぶすほど暇でもないですから、 運営会議室では、必須事項でない限り、面倒な話は、受け流してしまったり、 あまり気にもとめないほうです^^;。 あれを気にしてそれをネタに噂+尾鰭であれこれ話続けている人って、 よっぽど暇を持て余しているか、よほど私怨があるか、 それとも単に人を批判することの好きな輩でしかないと思います。 なんとか閑居して云々・・・って言葉もありますが。 そんな時間があるなら、もっと有意義なことすればいいのにね。 ま、ぼくの考えでは、おそらく運営上の問題の核にしなければならないのは、 運営上の責任や義務などを等閑にしたりすることなどに対する ある種の批判的な議論のプロセスなどにおいて生じたことについて その責任や義務などを放棄などをめぐるあれこれを どう受け止めるか、そしてそれがフォーラムのあり方にどう影響してくるか。 そういうことではないかと思うのですが、どうでしょうか。 もちろん、みれさんが平井和正に一度会ったとか二度会ったとかいうことが ひょとしたら重大であることもあるのかもしれませんが^^;、 そういうことよりも、もっと包括的な視点のほうが大事だと思うのです。 なにも、みれさんは聖人君子でもグルでもないのですから^^;、 ぼくとしても、「そりゃあ、言い過ぎじゃない、みれさん」っていうことも 確かにありはします。 でも、その時はぼくはちゃんとそれを言ってますし、 それを頭から押さえつけられたことは、皆無です。 もちろん、シスオペとして必要な判断だと思われることについては、 ぼくの趣味ではないこともありますが、それは大局的な視点に立ってみると 仕方ない部分だとぼくなりに理解しています。 ぼくはこのフォーラムに最初からいますから、その流れをある程度見てますし、 それと同時に、批判的な部分をいちばん持っているのではないかと思います。 ぼくはみれさんの「ファン」でもないですし、「アンチ」でもありません。 ぼくは、ここで自分のやりたいことをやっていきたいだけですし、 そのためにできることをせいいっぱいやっていきたいと思っています。 そういうなかで、昼間の奥様向けの訳の分からないゴシップ番組のようなあり方は ただただあきれるばかりです。 そんな暇があったら、もっともっと本質的なことを勉強していきたいと思いますが、 もし、運営上、大きな問題があったとしたら、 そのことに目をつむるつもりはありませんし、 それを裏でこそこそあれこれ言う卑怯なこともしたくありません。 言うべきことを言うために、しなければならないことをする。 これまでもそうしてきましたし、これからもそうしていきたいと思ってます。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/05/17 - 04009/04012 GFB00026 一輝 RE:”君が代”の解読 (14) 96/05/16 22:08 04008へのコメント > SOUNDさん やはり謎だったのですね。 それにもかかわらず歌わせるところ、ますます怪しい。 国歌に採用されたのが明治だとすると、諸国巡幸による天皇崇拝教化時代ですから、 王政復古としての、何らかの呪術的な力を召喚する呪文という可能性もあります。 ARIONの話では、「アメノウキフネは御影石」だそうです。 これを聞いた時、正直申し上げて何を言っているのか、 さっぱりわかりませんでした。 「千代」は千年、「八千代」は八千年の意。「八」はスサノオの数字でしたよね。 「さざれ石(細かい石)」というのは御影石で、花崗岩のことです。 この話を知人にしたら、「それならあるよ、三輪山に」というのです。 三輪山山麓の磐座群は、「さざれ石」で出来ているそうです。 これらの話から「君が代」の「君」の正体が、今上天皇でも国民でもなく、 ニギハヤヒではないかと確信したのです。 「巌」は岩石、「苔のむすまで」と、ここまで来ると、 これはもう三輪山山頂の磐座群です。磐座群は苔むしていましたから。 山頂以外の磐座群は、禁足地なので確認は出来ません。 「君が代」の作者は、三輪山を眺めながらこの歌を詠んだ可能性があります。 以上をまとめて解読すると…、    君が代は         ニギハヤヒの威光は、    千代に 八千代に     千年、いや八千年、    さざれ石の        アメノウキフネが    巌となりて        岩石となって、    苔のむすまで       苔のむすまで続くように…。 では「アメノウキフネ」とは何か。ここで考えられるのが「契約の箱」、 あるいは「十種の神宝の入った器」ですが、もっとも考えられるのが、 「アーク」すなわち「聖柩」です。三輪山はヒギハヤヒのピラミッドでしたね。 ここはむしろ、ヒギハヤヒの遺骸の収められた「石柩」ではないでしょうか。 そうなると、もっとわかりやすくなる…、    君が代は         ニギハヤヒの威光は、    千代に 八千代に     千年、いや八千年、    さざれ石の        石の柩が    巌となりて        岩石となって、    苔のむすまで       苔のむすまで続くように…。 かつて原田常治氏は「皇室は日本の真の歴史を知っている」と述べていました。 ニギハヤヒの威光を、国民の唱歌に乗せることで復活させ、 王政復古によって奉られた天皇の霊的エネルギーを増幅させる。 これが「君が代」という呪文の正体なのではないかと、私は考えています。 それだけに、謎を謎のままにしておく必要があったのではないでしょうか。 もし、何か気づくことありましたら、また教えて下さい。 今後ともよろしくお願いします。                                     一輝