焚き火民達は暫く火に見入っていた。夜露が草を濡らし始めた。 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/05/18 - 00928/00929 CQE04277 九印 難しくない話 ( 5) 96/05/17 20:37  マートンという学者は、ウェーバーという学者が言ったことを分析した人だ  そうです。そして、『社会理論と社会構造』という本を書いたそうです。  確認してませんが、先生がそう言っていたので、間違いはないでしょう。  組織の機能は、   (1)顕在的機能   (2)潜在的機能   (3)順機能   (4)逆機能  に代表されるそうです。  (1)と(2)−その機能が意図していたものであるか、そうでないか。       (ハプニングは(2)に入ると思う)  (3)と(4)−その機能が、組織の目的に合っているかどうか。       (規則が優れているのは(3)で表せるのだと思う)  どうもこのマートンという人は、「動機」と「結果」の混同を防ぐ概念を  作ったらしいです。  主観的に何と言おうが、客観的なものは否定出来ない。  自分で自分をごまかしている私を見透かしたかのような授業内容でした。                    CQE04277 九印 00929/00929 CQE04277 九印 ヒト・カネ・モノ ( 5) 96/05/18 09:13  興味を持っていることに関係したものは、アンテナを張っていれば  捕まえやすいそうだ。もしかしたら、今 私はそれを体験しているの  かもしれない。  それはたまたま新聞の広告が目に止まったり、友達が無料招待券を  持っていたり、授業の臨時講師が教えてくれたりという、自分では  よくわからないルートを辿って来るらしい。  これをフルに活用するには、やっぱりカラダが資本のようだ。  そして、時間をうまく作る能力も必要だ。  時間に関するのが不得意な私は、果たしてこのチャンスをものに  しているのだろうか。  学校で会う友人も、アルバイトして得る収入も、自己投資と称した  買物も、お稽古で身に付ける筋肉も、全てそれらに時間を割くことが  出来なければおしまいだ。  うーむ、収拾がつかなくなってきた・・・。  とりあえず今、最優先すべきは「睡眠」だろうな・・・。                    CQE04277 九印 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/05/18 - 07495/07498 JCF07454 新しい芽 僕らにできることは、なに? ( 7) 96/05/17 23:23 07468へのコメント >>新しい芽さんの問いかけは、その逆を答えとして期待しているものが多いよう に思います。  これは余談ではなくて、大事な思いでしょう。私は、同じ問いを、結果的には、 そのとき、そのとき、「でしょうか?」にしたり、「ないのでしょうか?」にした りしているように思います。はっきりしませんが……。  それはそうと、どちらであれ、私は答えとしてどちらかを全く期待していません。 それはとんでもない勘違いです。問いはあくまで問いなのです。そして、それを読 むとき、何の先入観もないなら、とにかく、自分にとっての事実を見てみるでしょ う。共通の問いとして、自分の問いとして、問うということ。そのとき、はっきり 見えているものは、あれこれ言わなくても、事実は明白です。そうでしょう。わか らないものは、はっきりと、わからない。ことばにする必要は全くないし、理屈も いらない。結論もいらない。むしろ、それらは流動する生きた自分の反応の理解の 妨げをしている。  問うている心の状態と、YESやNOと判断した心、結論としてもっている心の 状態とは違うのではないでしょうか? 次の例で検討したいと思います。 >>「各人のフィルタを通してみているのではないか」 >>この問いかけは、恐らく殆どの人にYESで当てはまることだと僕も思います。  疑問のままなら、疑問が心にあるのなら、各人のフィルタ、思考の仕方が疑われ ているなら、何ができますか? それについて、あれこれ考えをまとめようとする 前に、その、思考の動きが静かに見守られる必要があるのではないでしょうか?  実際にあるものに対して、反応する思考の動きを。これが次に生じる疑問です。  静かに見守るという行為は、非常に、単純に、実行されうることではないですか? 朝から晩まで、いろいろなことに出会います。心にもいろんなことが生じます。そ して、そのとき、何らかの対処が必要です。その瞬間、その瞬間、実際にあるもの が静かに見守られています。そこには見えないもの、考えがそこに持ち込まれます。 実際の状況が気に入らず、あるべき姿をふと思うとき、ちょっと、注意があるなら、 そこには見えないものを持ち込んでいることは、あきらかにわかるでしょう。  明らかに心が静かであるとき、エネルギーの消耗はなく、混乱はなく、実際に生 き生きと生きているでしょう。  一方、「各人のフィルターを通して見ているのではないか」という問いかけに、 「はい」、とか「いいえ」、とか答えている心は何でしょうか。それは、各人のフィ ルターを通して見ているのではないでしょうか?   結論として各人のフィルターを通して見ているのだと思っているなら、いろいろ のことが起こり得ます。  たとえば、これまで通りの生があるでしょう。 たとえば、はっきりとはしなく ても、だからこそ、しっかりした考えも持てる。なぜなら、フィルターを通してい るとわかるのも、はっきり判断できるのも、思考だからと。実際には葛藤があって 混乱していても、その中でよりよい生を探して行く。そこに挑戦があり、生き甲斐 があり、活力があると。  あるいは、挫折を感じる。あるいは……………。 #07467 ここでちょっと、 >>「中立的視点」では、「無感動、心の死んだ状況だ」と思う。  というのを、前回は、少し、簡潔すぎたかな、と思い。例を挙げることにしまし た。例と言っても、私の経験した事実、そしていま、見えている事実。したがって、 「思う」ということではありません。 例: 会社の中で、今日はあわただしい。これまでの仕事は今日中に仕上げなくて は。疲れている。そこへ急な仕事は舞い込むし、急に具合の悪いひとも出てきた。 反応1:つい、非難したり、正当化したりして、葛藤がある。しかし、頭を働かし て対処を考え、感情も他の人にぶっつけながらも、しっかり判断を下して、自己を 主張し、切り抜けて行く。それは生きているという感じを与えてくれる。打ち上げ のビールで達成感を感じ、感動する。だから、中立的な視点などを思うと、無感動 な、心の死んだ状況に思える。実際、非難し、正当化している最中に、ふと、その 無感動さ、死んだ心を感じる。だからこそ、それがバネになり、向上心が生じるの だ。 反応2:中立的な視点でいようと努力している。しかし、実際には、つい、非難し たり、正当化したりしている。それがつらいけれども、励ましでもある。一日を終 わり、振り返ると、感動もあり、生きているという実感もある。しかし、努力して いる中には、無感動さ、死んだ心を感じるときもあり、つらい。 反応3:振り返ってみると、何も非難や正当化はなかった。その意味では中立的な 視点とも言えるだろう。精一杯、できる範囲で独創的に工夫し、突然起きるできご とにも、目を見張り、胸が熱くなり、時には、ぼーっうとしながらも、なんとか、 やり抜いてきた。何の習慣的な型にもとらわれていないので、お互いにどうやって 行くか相談しつつ、それぞれが個性でいっぱいだった。  一日が終わり、すっかりそれらのことは忘れて、まだ明るい緑の中を歩いている。 心は暖かく、木々の中を生き生きとした気持ちで歩いている。  どうも、何の自分なりの心理的な主張がないとき、というのは、実は一番自己が 場面に精一杯にでてきていて、そういうわけで、反応3をのぞくと、反応1と反応2 が、一つの例として、実は無感動の、死んだ心の状態の場面、部分があると言えそ うです。  どの反応も同様ですが、特に反応3については、自分がそのように生きていない なら、実物がわかっているとは言えないところに注意してください。  さて、また、#07468に戻ります。 >>>自分が主体になって改善策を考えるのではなく、考えるという過程が何をしてい >>>るのか、何を得ているのかを、同一化や排除なしに、静かに見ている。  この行為が何をしているのか、というところが、まったく、驚くほど、伝わりに くいところのようですね。  ポイントは、言っていることが心に実現されている「いま」の事実である、とい うことです。読むとき、それを初めの端から実行していって、終わりまで実行して いるなら、行為が実現されていて、事実が見えるでしょう。  考え方ではないのです。  回りのできごと、あるいはある思考と、それに対する自分の次の反応、すなわち 関係が、何の批判もなしに感じられている。静かにしている。何の考えも持ち出さ ない。積極的には。しかし、現実には、よく注意して見ているので、必要な行為は、 それなりにできてしまうのです。  そして、回りは変化し、応対もいる。そして、ふと、考えが生じるかもしれない。 そして、それに伴って感情が動いているのが感じられている。そのままにしている。  実際に見えており、感じられているものがある。いま、あるもの。それだけが実 際にあるもの。それは確かに見えている。  そこに、生じる思考の内容には、過去の事実、将来の計画、予測という、たとえ ば、物理的な、設計的な、ことばでよく記述できる部分もある。  それだけではなくて、心理的なものもある。あるべき姿、期待する姿などは見え ていない。怒りの感情は確かに感じられるが、怒ってはいけないとか、怒るのは自 然だなどというのは、いま、見えているものではない。  しかし、いま、見えているように、そこにあるように錯覚するんですね、ひとは たいてい。錯覚、欺瞞、思い違い。思いこみ。そういういまの姿をただ見ているだ け。  それでどうなるの? と想像しながら言うのは、まったく、あっというまに、た だ、見ているということから、はずれるのです。あまりに単純なことですが、ひと はすぐ、事実を見ているのを忘れて、考えてみるのです。  「自分の思考を客観視する」? いや、思考が生じたら、そのとき、実際には、 感情が伴いますね。だれそれは間違っている、と言うとき、単に事実を言っている のか、それとも、非難の気持ちがあって、胸が騒いでいるのかどうか。回りのでき ごとも含めて、その瞬間の全体を感じているだけ。  「現実に起こっているのをそのまま受け取っているかどうか、その判断さえ、個 人の主観に頼らざるを得ない」? そこの点が要点です。よく見てください。いまの 瞬間、見えているものなのか、思ったこと、思ったことの投影なのか、見分けられ るのではないでしょうか? 判断はいらない。主観には違いないが判断はない。  ただし、どんな考えにもどんな感情にも、どんな意志にも敏感でないと、思いに 気づかないと、そのように見えてしまいます。それも、ある程度はですが。  それは、自分でわかるし、また、自分以外のものが代わりにやることはできない ことがわかるでしょう。思考の枠組みではないから、まず、考えの上で理解してか ら、というわけにも行かないし、指導することもできない。  「心の動きを検証しようというのは理屈ではわかる」? 理屈でわかると思うの は、少しもわかるという行為ではない。経験的に心の動きが葛藤を作り出している のではないかというのが、ある程度はわかるが、はっきりとはわからない。心の動 きは問題を解消する動きであるとも思っているのです。たいてい。  その思っているという行為は、しかし、観察できるのです。そこに動いているの は見えるのです。ただ、それが疑われていないし、何をしているのか、事実を、まっ たく受動的に見てはいない、というのが実際のところなのです。たいてい。  検証している自分がいるなら、偏りは入ります。だから、自分が検証しようとい う、その動きが気づかれていなければならないけれど、それは、実は、見てさえい れば見えますね。  だから、判断が主人公なら、自分の心の動きを完全に封じるでしょう。そのとき は死んでいるし、機械と変わらないでしょう。  そのような判断の動きが見られ、その感情操作の意味、旗印を掲げ、巧妙な自己 主張の言い訳が見破られているとき、いつの間にか、どんな判断も消えているでしょ う。そこに、自己はいないでしょう。  そして、その、注意深い観察が、できること、その場に必要なこと、そのすべて を、自然に生んでいるでしょう。心は生き生きとしているでしょう。そのとき、個 性が十分に発揮され、関係する人々が役割を状況によって、受け持っているでしょ う。このような、すべてがあるのではないでしょうか?  僕らが努力できる範囲というのは、たしかに、どのような偏りの傾向をもっいる か、常に顧み続けることですが、偏りかそうでないのか、判断基準をどうしますか? 欺瞞が生じませんか? 自分のフィルターは自分の個性の一部だと思っているけれ ども、それは、個性を束縛する平凡な枠でしょう。  だから、邪魔な存在として片付けようとしても、別の枠をつくったり、枠を強化し てしまうのです。 それよりも、そのフィルターはどんな色をしていて、どんな癖があって…そう いう事を自分自身が理解し…………。 #07469  コメントツリーとやらがわからなくなって、「その問題」というのが何のことか わかりません。私の書いたものはどれなんでしょうか。  実生活は、ここでしゃべっているとおりです。具体的には、朝から晩までしゃべ ることになりますが、何をしゃべるんでしょうね。 07496/07498 PAF02400 湖の鷹 “ルール” ( 7) 96/05/18 08:27 というわけで、こっちにやってきました(^_^;)イヤ、マァ、トートツナンデスケド・・・。 で、みれさんへ、こんばんわ、Mes 19 #950 へのレスでやんす(^^:)。 「拘束されるのが嫌い」というのは当然ありますね。だけどもこれはこれで先に 書いたとおり しごく個人的な事だから、これをそのまま他へ押し付けようとす るなら、それは「わがまま」であると自覚してたりもしますね。だもんですから、 悲しいことに私は結局「ルールは守るべきもの」というのを認めていますし、可 能な限りルールは遵守すべきという立場におりますね。これまた、悲しいかな、 ルールを守ることが出来ないと判断した場合には、「そんなルールはなかった」 ことにしてしまってたりもするのですが・・・、うーみ。 さてさて「わがまま」ではないことで私が「ルール」を嫌っている理由を改めて 考え直してみると「“私が何かをするときにルールを守っているかどうか”を判 断するのは私ではなく(私以外の)別の人間だ」というふうになりますか。これが もし「私が守ってるかどうかを私自身が判断できる」ならば、「私にもうまく守 れている」といったささいな喜び&自己満足とともにルールも好きになるのだろ うけれど・・・、 ************************************ で、「トイレの前でのじゃんけん」な話にいきます(^^;)。3日目の今日に至って ようやく「まずはそれだけを考えるべき」というので納得してみましたので(^^;)。 > 皆がトイレに行きたい状態の時にトイレが一つしか無い状況、じ > ゃんけんで誰が一番に行くか決めよう〜というのが恐らく最も簡単なルールだ > ろうと思います。 どちらかというと、忘年会かなんかで行った飲み屋でいきなり みんなでトイレ に行きたがるとかいう状況かな、これは(^^;)。私ならばこういう場合絶対に 「みんなが用をたしてから」おもむろに席を立ってトイレに行きますね。うーん、 こういう場合だと「ルールを行使したい人と行使されたい人が、ルールを使って いればいいのであって、私はとりあえず我慢しておいて、みんなが用を済ますの を待つ」になりますか。どちらかというと「傍観者」になってしまいますね、 まぁ、この手の場合は私はほとんどの場合そうしているということで(^^;)。 次に「特別な場合」ではなく、もっと「日常的」なものとして考えてみましょう か?。例えば雑居ビルなんかで、おのおのの部屋にはトイレが付いていなくっ て、各階にひとつづつしかトイレが用意されておらず、しかも、トイレはかなり 奥まったところにあって別の階のトイレに行くのはすごくしんどい・・・、とか いうところでよろしいかな?、そして、無用の混乱を避けるために先に書かれた 「じゃんけん」なルールが“誰が定めたか知らない”けれど用意されていたとい うところで、今回はたまたま、みれさんと私がばったりトイレの前で会ったとし ましょうか(^^;)。みれさんはあるいは「ルール」にのっとって、じゃんけんを 始めようとするかもしれない。だけどもこの場合、相手が私だとしたら、私は必 ず「お先にどうぞ」とゆずるでしょうね。これはもう何人いようが「一度に集ま ったのならば」、私は喜んででは無いにしろ、他の全ての人が「じゃんけん」を 興じているにしろ、その中に入ろうとは思いますまい、一度でもその「ルール」 とかを試していたならば、あるいは、このときまたその「ルール」に従う気になっ た場合はべつにするけれど(^^;)。 話を少し戻して、私がゆずったときに みれさんだったらどうします?。不承不 承にでも譲られてしまいます?、あるいは「ルール」を行使することを望まれま す?。そのとき私ならば「ならば私はここを通りすがっただけだ」と言ったとし ても、「ルール」を行使することに固執します?。 さてと、この点はおいておいて、みれさんは諦めてトイレを使っていて、私が終 わるのを待っていたときに、SUKE さんがやってきたとしましょうか(^^;)ウーミ。 ここでは問題は何も無いはずですよね?、いわゆる、不文律・常識として「先に 待っていた人が次にトイレを使える」というのを期待したいのですけれど・・・、 もし SUKE さんも意固地になって「ルール」があるのだから使わなくてはならな い、とか言いはじめたなら、私は諦めてみれさんを相手にしたときと同じように 対応するでしょうね。 もしも、みれさんも SUKE さんも「ルール」に固執して、あくまでも私にそれを つきあわせようと望んだとみたならば、私も諦めて「じゃんけん」をすることに しましょうか。ですが、私自身は「ルール」に不完全な部分を認めたならば、喜 んでそこを突きまくりますね。たとえば、この場合ならば私は「グー」を出し続 けるとしましょうか?、これは、もう、相手がそのときどういう判断を下すかを 楽しめる、というささいな喜びを見出すためにね(^^;)。さてさて、みれさんは あるいは SUKE さんはあるいは他の人たちは「パー」を出せば必ず勝てるとわか っていた場合、常に「パー」をだし続けますか? 96/05/15(水) 20:56 湖の鷹(PAF02400) 07497/07498 PAF02400 湖の鷹 「合州国」 ( 7) 96/05/18 08:28 合衆国・・・、うーん、すげーな、Win95のIMEは一発で「合衆国」をだ しやがる・・・。私は高校のときの英語の時間にこの「合衆国」は誤訳であると 教えられましたね。もとの横文字は united states 、united は「結合した」、 states は「州」・・・、エメリケンなやつらは自国のことを「合州国」と呼ん でいるわけね。わたしの手元の英和辞典ですら、states の訳の中に「衆」なん かないってのに、なんで・・・、あぁ、そうか、これまた日本の「前例至上主 義」とかいうやつなわけね。日本て基本的に「間違いだ」と指摘しても「昔から そうだった」と言って絶対に変えようとはしないんだよな。それ以前に昔はそう でなかったことでさえ「昔からそうだった」を持ち出しているからな。いやい や、もっとそれ以前に「間違いだ」と指摘すること自体が、この国では「悪いこ と」にされてるんだっけ。 ・・・とか、ようやく言えるような時期になりつつありますね、日本も。ペナル ティを覚悟しなければならないという足枷があるにしろ、まぁ、とりあえずは喜 ぶべきだろう・・・、と言うことで。 96/05/18(土) 08:16 湖の鷹(PAF02400) 07498/07498 PAF02400 湖の鷹 ブロンドな女の子(^_^;)。 ( 7) 96/05/18 08:28 ということで、前のは前振りで、こちらが本文だったりしますけど・・・(^^;)。 ************************************ いつぞやオーストラリア(アウストラリアのほうが近いかな?)に行ったときに、 豪州と米国の発音の違いとかを教えてもらいました。“A”を米国は「エー」と 発音して、豪州は「あ」と発音するそうな。ふみふみ、「アメリカ」というのは 英語のオーストラリア読みだったのね〜、とか思ったのを覚えてたりするけれ ど・・・、 そうそう、そんとき自由行動で街をうろついたときに、結構つばの広いカーボー イハットとかを売ってたので、思わず買い込んでそれかぶって散策したりしたの ですが・・・、うーみ、仲間内からは「なに馬鹿やってんだよー」とか思いっき りけなされてしまいましたねー、うーん、なんて日本人らしいんでしょう。さて さて、それでもって地元のお店巡りをしたんですけれど、小物グッズショップか な、ブロンドのオーストラリアンな女の子の店員さんが小声で微笑みながら「わ んだふぅー」とか言ってくれました。その一言だけですけど、これはこれでうれ しかったですよね。・・・、はぁ、お国柄の違いかなー、うーみ、どちらがより 「人間的」かなー?、なんてね(^_^;)。 オーストラリアでサンドイッチ食ってるときに、ハエが飛んできて俺の食ってる サンドイッチに取り付いたりしたのだけれど、向こうのハエって日本と違って、 なんかこう「汚くない」んですよね。そんでもって、何が違うのか観察してみて たりしたのだけど(^^;)・・・、うんうん、なるへそ、発見してしまいましたね ー(^^;)ウミウミ、連中ってばどいつもこいつも「前足をすりあわせない」んだよな。 これもお国柄の違いなのかなー。日本なんてハエからして「ごますり」な生き物 だもんなー。日本は結局「ごますり」国家なのかもしれん・・・。もっともハエ を相手に「ごますり」をやめろと言っても聞けるわけないだろうけど(^^;)。 96/05/18(土) 08:19 湖の鷹(PAF02400) - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/05/18 - 875/875 MHD02672 TAO 日本古代史上最大の都市 ( 9) 96/05/18 00:36   読売新聞朝刊 1996年5月16日付け記事より   日本史上初の宮都とされる藤原京が、奈良市教委の発掘調査により、これ  までの定説の四倍もの規模を備えていたという新事実が発見されました。藤  原京は天武天皇が発案し、皇后の持統天皇の代に完成を見たとされています  が、僅か16年で平城京へ遷都されています。   平城京へ遷都したのは元明天皇の代ですが、遷都計画を最も推進したのは  当時の右大臣だった藤原不比等とされ、遷都に際して藤原氏の菩提寺の興福  寺を建て、藤原不比等の自邸も道路一本隔てただけの宮殿の離れの様な仕組  みで建てられています。   平城都遷都に際して大がかりな造都工事がなされたものの、その過酷な労  役に役民の辛苦は絶えず、有償の雇役労働者でさえも逃亡が相次いだとされ  ています。今までの定説では、藤原京が手狭になった為に新都造営に踏み切  らざるを得なくなったのだろうとされていましたが、その藤原京が平城都よ  り広かったと判明した以上、定説の見直しをせざるを得なくなるでしょう。   当時の遷都前後でも、性急な遷都に批判の声が数多くあったと言いますが、  その遷都を強引に押し進めた藤原不比等の意図がどこにあったかについては、  藤原京から離れなければならない理由があったのだろうと思われます。それ  だけに限らないのでしょうが、藤原氏族の地位を確保する為の意図的な遷都  だったとしてもあながち外れていないでしょう。   日本古代史を見直す際に、今度の発見は画期的な視野の転換をもたらすこ  とでしょう。  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/05/18 - 02141/02142 JBH00712 桂 桂 荒野の少年 (11) 96/05/17 23:53  <地球樹の女神>第十卷より  「主人の為に命を投げ出す奴隷は少しも珍しい存在ではありません。自分の命より   も主人を愛することは奴隷にも出来るのです。あなたの愛は奴隷の愛でした。独   り占めすること、自分をひたすら可愛がって貰うこと、主人との絶対の絆を固め、   常にそれを確認することで喜びを味あうこと・・・・それは犬が大事な骨を隠し場所   から掘り出して、いつもなめたりかじったりするのと少しも変わりません。それ   は忍ぶさんに相応しくないとわたしは言っているのです」  「冷淡な、抽象的な愛が・・・・肉感的な肌の触れ合いの欠如した大所高所からの愛が、   本当の愛だとおっしゃるのですか?」   愛だなんてこそばゆい言い方をしてしまうのがやはり小説だなと思ってしまう反  面、こうした言い方も出来るのが小説のいい所だなと思ったりもする^^;   世間じゃトレンディドラマとか称して甘ったるいストーリィを垂れ流しているが、  どうにも歯が浮いてしまって気持ち悪い。かといって汗臭い男のドラマというのも  最近では見られないのが少し寂しいが、でも薔薇族じゃないのだからこれもいい^^;   捧げるというのは、自分を投げ出す行為だと思う。「どうぞご自由に使って下さ  い」とよく言うが、じゃそこの崖から飛び降りろと言われて本当に飛び降りる人は  いるだろうか。多分、新興宗教タイプの人間だったらやるだろう。   有る意味でそれは凄い事だ。   何故なら一言も疑うことを知らず、そのまま言葉通りで実行できる信念の強さは  桁が違う。こうした人は身を挺す事になんのためらいもないだろう。失うものの無  い強さだ。   だがそれが誰かの為であったり自己満足の道具となる時、奴隷根性と呼ばれる卑  しい行為になる。それは何の事はない、「他人の為に」といいつつその行為によっ  て自分を満足させているに過ぎないからだ。それは犬のすること。   小説では四騎忍は継母の千枝に徹底的に扱かれ人格的にも人間的にも矯正をされ  た。野獣が社会に適応出来るようにと痛めつける事によって生きていけるようにし  た。   その冷淡な扱いこそが、いたわりなのかもしれない。   最もこんなことは口で言ったり表現できるようなものではない。   身に染みてしか実感出来無い。そのような体験が出来れば幸いだ。それは人間が  犬の生活から脱出出来る時なのだから。   桂 桂(JBH00712) 02142/02142 JBH00712 桂 桂 長い道 (11) 96/05/17 23:56  <果てしなき負債より>   タナトスとトランスレーションにより人口が激減した東京を外れて四騎忍は奇妙な  人物と会合する。   能舞台にあつらわれた会見場所で、面を被る自ら「化生の者」と名乗る老人と。こ  の老人は15世紀から生きてきたと言っている位なのだから、人間ではないのだろう  ^^;  「怪盗リュパン(狼)」のモーリス・ルブランと友達だったというのがイイ。随分と  トボケタご老体だ(^O^;)   このエイリアンは自らをオブザーバーと名乗っている。彼らの立場からすれば地球  に干渉するのは御法度で、地球人の意志決定に関ることはないのだそうだ。実際に地  球にきているエイリアンがどのような存在であるかは解らない。聞く所によれば「海  賊」という形で悪行為をするエイリアンもいれば、地球の進化を見守り続けるエイリ  アンもいるそうだ。   玉置山の成地氏はよくいっていた。玉置山に登って行事を行うと必ずUFOがやっ  てきていて行為を見守るのだという。宇宙人もまた宇宙の進化を研究していて、魂に  ついてまるでコンピュータのように分析しているのだと。不思議な話であるが、無論  信じるも信じないもない。僕はUFOも見たこと無いし、宇宙人にも遭遇したことな  いからだ。   けだし面白いのは氏の話だと神というのも一種コンピュータのような仕組みを人間  に感じさせるもので、決められたことは梃子でも動かせないし、人間のすることも逐  一計量されるが如く見られているのだと言う。UFOの中では人間の魂は色によって  識別することが出来て、獣に近い人間の魂の色は黒く、より人間らしいのは明るい色  で見られるのだという。   UFOのような、この地球上では到底考えられない代物を作るのだから、文明的に  も文化的にも相当な進化を遂げた存在なのだろう、エイリアンというのは。それだか  らこそ、進化の神秘もおよそ知り尽くしているのかもしれない。  「人類はずっと昔から同じです。全く変わっていません。変化しないのです。進化も   せず退化もしません。常に同じです」  「何故そんなに変わらないんだろう?」  「封印されているからだと思います」   その封印とは「人類は巨大な車輪が回転するかの様に、無限回帰の呪い」なのだそ  うだ。   「無限回帰」というのは<ツアラストラはかく語りき>でニーチェが実存主義を確  立する時に用いた言葉だ。キリスト教的な愛・道徳を退廃と呼び、人間が自己を確立  する前に自立心を失わせ奴隷の精神を植え付けるとニーチェは説いた。それは人間が  永遠に不幸のままで晒される「永劫回帰」の呪いであり、この呪縛を解いて人間が一  人で歩めるようになるためとニーチェは新しい哲学を創出する為に「神は死んだ」と  神を殺す。   有る筈も無い道徳心を、これから作り出す為にスケープゴートにする。   架空の神なら、機械仕掛けの神なら幾らでも作り出せるし、殺すことも可能だ。   確かに人間は無限に等しい負債を負っているようだ。   桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/05/18 - 00974/00977 GFB00026 一輝 RE:阿修羅氏のインターネットでの復活 (12) 96/05/18 05:07 00961へのコメント >#0961 山部さん 阿修羅氏のもうひとつ考えられる可能性は、”ホームページの反響によって更に情 報を集める”というのもアリかなと思いました。とりあえず自分の収集した情報の 披露によって、場(ホームページ)が磁性化し、更に範疇外の情報が連鎖して集め られることがあるからです。彼のスタンスの部分に関しては、私もよくわかりませ んね。 話変わってインターネットですが、今ワイワイ日本でブームこいているわけですけ ど、これからはそうも言っていられなくなる部分が出てくると予想されます。その 道の状況に詳しい方から聞いたのですが、今年に入ってから香港やシンガポールか ら、プログラマーやデザイナーの売り込みが、インターネットを通じて企業に直接 来ているそうです。これがもうメチャ安い。 例えば今ホームページなどを、プログラマーやデザイナーたちが、新職だと喜んで ページ万単位でやっているところへ、彼らはページ1ドルでやると売り込んでいる。 これは何もホームページに限ったことではなく、電子系の仕事全般です。仕事も早 いし精度もいい、国内に比べて1/100の値段ならと、今、日本から電子系の仕 事が海外に流出し始めているんです。まだ国内では値段体系も定まらぬ状態にもか かわらず。 こういった円高による産業の空洞化は、町工場とかそういったところだけだろうと 思って、安心している人は多かった。でもすでにメディア業界では、印刷を日本か ら技術を学んだシンガポールに発注する企業が増えています。これだとかなり安く 仕上がる。ところが、インターネットが日本で普及すると、今度は電子系の仕事が 危なくなってきた。円高を抱えたまま、いきなり国際競争の場に引きずり出される ことになりますから。海外旅行で喜んで買い物しているうちはいいけど、同じ仕事 をするのなら、値段でアジアには勝てない。 バブルで経験した「目先のことに眼を奪われて、お祭り騒ぎの後に自分の首が締ま ってゆく」というパターンに、今の日本人は陥っているような気がしてなりません。 シンガポールや香港勢は、語学力も鍛えているし、上昇志向は日本人なんてもんじ ゃない。彼らは必死です。仕事の質もグングン上がってきています。また、彼らは 華僑がバックボーンですから、甘く見ているとこれから日本の電子状況はどうなる のか、ですね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/05/18 - 04640/04644 QZD02307 ジョリー RE:感想 (13) 96/05/17 16:29 04639へのコメント コメント数:1 KAZE さん、こんにちは。  KAZEさんの仰りたいことは、分かりますが、まだ、早いです(^_^;)。  もうちょっと、待って下さい。  今日は、ちょっと、用事で書けません。ゴメンネ>みれさん           ジョリー 04641/04644 GGA02514 KAZE RE:感想 (13) 96/05/17 22:45 04640へのコメント ジョリーさん、どうも。 >>まだ、早いです(^_^;)。 よくわかりませんが、どういうことでしょうか。 ぼくの書いている内容に、先も後もないですし、駆け引きもないです。 あくまでも最低限の基本的な姿勢ということに過ぎません。 そうした姿勢なくして、ぼくのここでのこれまでの書き込みは無意味ですから 「まだ、早い」と言われてしまったら、ここでのすべては水の泡になります。 常に前提になっていることなくして、なにをどうするというのでしょうか。 しかし、ひょっとしたら、ジョリーさんの書かれていることに、 何らかの戦略的意図のようなものがあるのでしょうか。 もしそうだとしたら、ぼくはとんだ的外れな、無駄なことを 書いてしまったのかもしれません。 それが杞憂でしかありませんように。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04642/04644 QZA02327 ノロガメ RE:自分を棚に上げるのはやめましょう (13) 96/05/18 06:49 04631へのコメント KAZEさん、今日は。 さて、こういう状況に陥ったときに、どんな言葉を組み立てれば良いのか? 言い訳を一生懸命書き連ねても、それは言い訳にしかならない。 どちらにしても、書き手の側に立った言葉が生まれてくるだけでしょう。 だから、何を言っても通じない、だから書くだけ無駄だ、と思ったりしましたが、 「自己確立」を吹聴しているノロガメとしては、やはりどんな状況に至ったとして も自己を表明することが、己の果たすべき責任と解釈して、結果を恐れず書くこと にしました。 >自分を棚に上げるのはやめましょう。 ですから、ノロガメ個人については何を言われてもそれは自分で撒いた種ですから、 相手を許すことが出来ると書いています。 許すことの出来ないのは、ノロガメと同じような視点で事物を見ている人がいる訳 で、ノロガメにコメントをつけて下さる何人かの人の内の何人かが最近になって共 鳴、つまり視点が理解していただいている人が現れている事実に元づいて、こむさ んの、愚か者発言はそういう人達へ言及するとのノロガメの判断に基づく解釈にお いて、許せないと言うことで、その意図とする文面の前後だけを取り上げられて、 ノロガメを勝手な人間として決めつけるのは、それは自由ですけど、ノロガメとし ては自分のことを棚に上げてまでも言い訳をしたくなる訳です。 この場(他の会議室)でノロガメを援護すると言うことは、とても勇気のいること だと思います。下手するとノロガメの巻き添えになって、孤立する恐れが有ります。 少なくともそういう気持ちは有っただろうと推察します。 ですから、その人たちの事を思うと、自分は何と言われようと、何と思われようと、 愚か者発言から連想されるその人たちへのノロガメの思いは、この場のノロガメの 問題とは別問題として、どうしても許すことは出来ないのです。 例え書き込みが出来なくなったとしても、絶対に許せません。 絶対に許せないというのは、ノロガメの気持ちであり、その気持ちを表明している のであって、こむさんがそれをどう受け止めるかはこむさんの自由です。 >こむさんは、これまでノロガメさんの何倍も何十倍もいやそれ以上、ちゃんとノ >ロガメさんに辛抱強く語ってこられたはずです。自分を棚に上げるのもほどほど >にされるようお願いします。 誠にお言葉を返して申し訳ないですが、こむさんが書き込んで来たのは、ノロガメ の為では有りません。 こむさんは自分の為に書き込んで来たのです。 つまりテレビゲームを攻略する自信が有って、一つこのゲームを攻略してやろうと 始めたのが1年前のこむさんの姿です。 ところが自分の考えている攻略方法が何一つ通じない、やめてはまたやり。やめて はまたやりの繰り返しで、自滅してしまったのです。 #4593ひとりごとにそれが現れています。 >おいらの主観?ちゃんと「岩波国語辞典」って書いてあんだろう?  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >こんな長文書くなよなまったく。  ̄ ̄ ̄ ̄ これは自らの苛立ちです。 なぜノロガメが言うことを聞かないからと言って苛立つのですか? 実体の無い何も素姓の分からない相手に対して、全然関係ないことです。 相手が言うことを聞かない、鈍感で愚か者であれば、相手にしないで無視すればよ い訳でしょう。そんな相手を攻略出来ない自分に苛立っているに過ぎません。 そんなことノロガメには最初から分かっていました。 ですから「自己確立」なんです。 相手を攻略するには、自己を確立して、自分の言葉で持って試合に挑めば、自分の 言葉で持って攻略する作戦も練れると言うものです。 これはノロガメにも言えることで、ノロガメがこむさんを攻略出来なかったと言う 結果においては、ノロガメの自己確立も対したものではないと言えますね。 ただノロガメの「自己確立」は自己を攻略した、自分に打ち勝ったと言うことにも なるのですが。 トムとジェリーの関係を引き合いに出して、仲良くケンカして行きましょうと言っ て来たのは、そんなこむさんの姿を見てノロガメが感じている自己確立なるものを こむさんにも感じてもらえないかな〜と言う思いであったのです。 ですからノロガメに言わせれば、この場のノロガメに対する、こむさんの行為は 美化されたものでは決して無い、それはエゴでしょう。 >僕からの質問や、この会議室での趣旨にそった発言のお願いでさえ、ほとんど無 >視されて来たのは、ほかならぬノロガメさんでは無いでしょうか。 何と言っても、KAZEさんや、こむさんがいなかったら、ノロガメは甘えさせて もらうことが出来なかった訳で、その点ではKAZEさんの仰せの通り、聞く耳を 持たないノロガメの態度は非難されても仕方ないことです。 ノロガメの考え方は間違っているのかも知れません。多分常識的には間違っている ようです。 1年余り過ぎた時点で、何一つ満足いく結果が表れていないと言うことは、ノロガ メも作戦の練り直しが必要かも知れません。 ですが、ノロガメの問題意識は非常識手段に訴えなければ解決されない、そんな感 じもしている訳で、やはり自分を信じ通す事による結果を見て見たい、そんな事も 考えたりしています。 ちょうどMES14では、なさ村長さんが、預言解読村のご案内にARIONの事 を書いています。 >そのアリオンは、現在の地球に住む人間の状態を憂いています。このままいけば、 >地球という「生命体」は存在不可能な状態も遠くない将来に起こり得るかもしれ >ないという危惧をもち、わたしたち人間が本来の人間として生きて行くために、 >また、これ以上惑星地球の傷口を広げないように、さまざまのメッセージを送っ >てくれています。 ノロガメの問題意識とは、正にこのことなんです。 この問題は突き詰めて行くと、自分が確りした生き方をしなければならないと言う ことです。 自分が正しく生きる、正しく生きるには生きる訳が分からなければ出来ません。 人の言うことに耳を貸さず、「自己確立」一本で突き進んで来たノロガメの態度は、 事は切羽詰まった状態で有って、何の結論も齎せない井戸端会議と同じように見え る人々の言うことに耳を貸している暇が無いと言うことで有った訳です。 どんどんノロガメに対する反発心を引き出して、生きることに真剣に議論が展開さ れることを祈っているのです。 自己確立を果たせない人間には、結果を論じることしか出来ません。 全て結果を見なければ何も分からないと言うことです。 しかしそれでは人類が滅亡するという予言をそのまま結果が表れるまで指をくわえ て見ているしか脳がないと言うことになりますね。 人間に原因が分からないはずはない、人間が原因を作り続けて来ている、これは結 果を見れば原因が有ることが分かります。 私達誰もが、人間の生き方はこのままではいけないと思っているに違い有りません。 これは断言出来ると信じます。 しかし人間の抱えている問題は余りにも多すぎます。 情報化社会はますます問題をややこしくしてしまう恐れが有り、人間は自分を取り 戻すことの難しさを感じています。 そんな世の中に有って、ノロガメは自分を取り戻し「自己確立」を果たした、と言っ ても皆さんにはそれはノロガメの思い込みとしか通じませんが。 まあ〜それはノロガメの表現力のまずさであって致し方ないのですが、ノロガメの 言いたいことは、自分とは「神」だとか、「無」だとか、事物に対して自分をその ように設定すれば、問題意識が個人的から、全体的なものに発展して行くと言うこ とです。 問題は地球規模に発展している現在、人間の自意識は全体意識になる必要が有りま す。 個人的な自由平等論は卒業しなければなりません。 自分とは「無」である、ノロガメのこの答えは、自分とは全体の中の個であること の証しでも有るのです。 個が集まって全体を成す、それが神であり、宇宙です。 個が集まって全体を成す、それが私達の本質(心)です。 個が集まって全体の問題を討議して全体解決を果たす。 自分とは人間(殻)そのものだと言う認識においては、全体の問題意識など関係な く、自分が立ち行くことのみを考えます。 自分さえよければ、自分が助かれば、自分が満足出来れば、自分が納得すれば、 これでは、全体解決は果たされません。 個人→家族→地域→組織→社会→国→地球→宇宙→全体の問題が解決されれば、人 類の未来に夢を描くことが出来るのです。 そういうことで、これまでは現実的にはタブー視されて来た精神世界の議論もパソ 通の世界では誰もがそうした問題を討議出来るこの場を多いに活用して、人間が自 らの起こした問題の原因究明、解決に向かって前進し、明るい未来を人間自らの力 で勝ち取ることが望まれる訳です。 未来を勝ち取るとは、神秘も暴かれて行くと言うことにもなります。 ノロガメの態度は、そういう全体意識から生まれてくるものとご理解下さい。 ノロガメでした。まる 04643/04644 CXE00506 笑笑 RE:「いか超」読書会はじめましょうか (13) 96/05/18 08:01 04605へのコメント KAZEさん、《 隆 》さん、あとみさん、NOBUさん、そしてみなさま、 はじめまして。 しばらく、ROMさせて頂いている笑笑と申します。 本当は、2番会議室で自己紹介からと思いながらも、日常の忙しさを理由 に?まだしておりません。今回の「いか超」読書会には、とても興味をも っています。実は、少し前にこの本を買おうかと思っていたのです。でも、 他の本を買ってしまった、、、『アリオン世紀末書込み寺〔壱ノ巻〕』ち ょっと前の本でしょうけれど、FARIONに自己紹介する前に読んでみ ようかと。でも、なかなか読み進まない。この調子だとたぶんしばらくま たROMしてしまうのが目に見えています。それで、この「いか超」に目 をつけました。どうせ、いずれは読みたい本ですし、KAZEさんに好感を持 っていますので、これはいいタイミングだ、FARIONに書き込むきっ かけにしようと思い、のこのことでてきました。 失礼な言い方になっていたら、ごめんなさい。 急いで、本を購入する予定、、お金あったかな?食費から買っちゃおうか 、、、っていつものこと。本には目がないのです。 自己紹介は、のちほど2番会議室で。。。  でも、少しだけね。 >「最初にシュタイナーありき」ってことじゃなくて >あくまでも、一人一人の魂の成長が問題なんだということを忘れたくな いものです。(#4605 KAZEさん) この言葉、好きです。 私は、現在ある宗教をやっております。が、魂の成長とは、真理とは、 宗派を超えているものだと思います。そして、精神世界と宗教と科学と 生活を分離したものとは考えていません。ですから、いろんなことに興 味があります。ひとつのことにとらわれることは好きではありません。 なのに、どうしてあるひとつの宗教をやっているの?って聞かれたら 「縁」でしょう、、、と今は思っています。今の宗教なしに、今の私は ありませんでしたし、今の私の生活はなりたたないでしょう。それなの に、それをやっていないとは言えないでしょうね。 宗教をやっているからと偏見の目で見ないでね。 でも、いつも魂の成長を求めていることは変わりません。 また、このフォーラムにおいて、勧誘を自分からはするつもりはありま せん。 決してあやしい者ではありません。(^^:) オウムとも無関係、、、(昔むか〜しに本を2、3冊読んだことがある 私は危ない?) こんな私ですが、仲間に入れて頂けますでしょうか? 宜しくお願いいたします。 96/05/17(金) 21:44 笑笑(CXE00506) 04644/04644 GGA02514 KAZE 蜜柑の花の香りに包まれて(^^) (13) 96/05/18 13:32 04608へのコメント 隆ちゃん、どうも。 今年は春がとても寒かったので、 裏山の蜜柑畑からの香ぐわしい花の香りが薫ってくるのが 例年にくらべて遅いなと思っていましたら、 ここ数日、ようやく少しずつその香りに包まれるようになりました(^^)。 ほんとうに香ぐわしい限りです。 また、今年はツツジの開花も遅かったようですが、やっと満開。 明日の日曜日あたり、ツツジの花見にドライブに出かけようと思っているところです。 》あたし自身は、群れることが好きではないんですけど、「群れる」という行為 》そのものは、人間として当たり前の行為なんだと思います。ただし、「群れる 》こと」と「流されること」は別の次元の話で、流される(と言うよりは安易に 》妥協する)隠れ蓑に「群れる」行為を使うっていうのがムカムカしません?。 はい、ムカムカします。 無責任どころか、責任転嫁でもありますからね、そういうのは。 自分で判断できないから群れる、自分で責任をとるのがいやだから群れる。 いやですねぇ。 もちろん、いついかなるときにでも自己主張ばかりする向きもまたいやなもので、 その必要がないときには、その場に調和しているのがいいのだと思います。 しかし、その調和は、ちゃんと自分の意見を持っていることが前提で、 そうでなければ、単なる迎合的な流される群れ方ですから その調和というのは、常にダイナミックさが求められているといえばいえます。 ま、多くの方はどこかからだれかの意見を仕入れてきて、 その権威で自分の意見であるかのように無批判に思いこんでいることが多いですから まずはそうした、いわば「内的に群れている」とでもいうあり方を 批判的に吟味していくことが必要のように思います。 》そのへんは、ちょっと違うかもと思います。本当に群れない人というのは、き 》っと後世の人々には認識されないんじゃないでしょうか。群の中にいて(とり 》あえずちゃんと「群れる」)、その中で妥協せずにアイデンティティを保って 》いられる人物が、魅力的なんじゃないかと思うのです。 はい、おっしゃるとおりだと思います。 ぼくなんかは、隆ちゃんと同じく群れることを回避しがちで、 それはおそらく、群の中で自分をしっかり見るということが 億劫なだけなのかもしれないなあと、反省することがけっこうあります^^;。 今、ふと思いついて、子母沢寛の「勝海舟」(新潮文庫)という 一冊500ページくらい×6冊というのを読んでいるのですが(今、2巻目)、 この勝海舟という人も、群れることを嫌いながらも、群れのなかで 自分のアイデンティティーをしっかり持ち、そのうえで、 自分のエゴや感情に流されず、大局的に必要だと思ったことを遂行した すぐれた人物なのだと思います。 明治維新前後には、すぐらた方々が続々と登場したわけですが、 やはり、ぼくの好きなのはこの勝海舟と坂本龍馬です。 勝海舟の毒舌のキレの良さって、個人的にとっても好きなんですよね。 人物の大きさからいえば、西郷隆盛が大きいのかもしれないのだけれど、 私心のなさというのが、逆に情に絡められてしまうところがあるように感じます。 》「群れない」でいるのは、かなり心地よいことなのですが、群という一種の荒 》波にもまれないと、人間はフニャフニャになってしまうんじゃないかと、最近 》かなりフニャフニャなあたしは考えさせられている最中です。 はい、ぼくもどちらかというと、けっこう本来「フニャフニャ」ですから 日々、主に仕事を通じて荒波にもまれることが必要なんだと思っています。 いま振り返ってみても、一応、今の仕事を15年ほど続けることで、 それが砥石のようになってきたのだなあとうのがわかります。 もちろん、まだまだそれに磨かれてない部分のほうがずっと多いのですが^^;。   》田舎にやってきて、やっぱり都会育ちのあたしは、色々うっとうしかったり、 》不便だったり、不満も多々あるのですが、近くに山や川や田圃などがあって、 》何よりも土がどこにでもある環境は、嬉しい限りです。 ぼくは今も田舎にいますが、小さい頃は、もっともっと田舎の 四万十川の近くにいたのですが、小さい頃のそうした環境というのは とっても大事なんだろうなあと、自分をふりかえってみてもわかります。 ぼくは家庭環境があまりよくなかったところがあるのですが、 救われたのは、そうした自然環境があったからなのかもしれないと思うのです。 でも、ある程度成長してからは、やはり、田舎ならではの閉鎖性からは ある程度自由な環境は必要なのかなとも思います。 今ぼくのいるところ住んでるところは、田舎とはいっても、 閉鎖的な社会環境という意味での社会環境からは、 比較的独立的でいることができるので、少しは楽です。 ま、東京のような都会に住むというのは、息が詰まりそうでダメですけど^^;。 》大きなエネルギーを秘めているからこそ、例の「中」が必要なのだと思います。 》放っておくと暴走しますし、かといってぎゅうぎゅう締めるとかえって爆発し 》たりします。特に恋愛は、引き離そうとすればするほど燃えちゃうものらしい 》ですし・・・。 恋愛というのは、暴走しがちなものですが、 それを通じて、自分を見つめることのできる貴重な鏡でもあるんでしょうね。 恋愛といっても、サカリのついた犬のような、単なる発情でしかないような そんなあり方がほとんどなのでしょうが、そうした要素はあるのだとしても^^;、 もっと魂の化学変化とでもいえるような恋愛ができれば、素敵ですね。 でも、その化学変化も、まかり間違うと、大爆発なのですけど・・・。 》あんまり考えたくない話ですねぇ(^^;)。しかし、我々もボケるんでしょうか。 》どうも、歳をとるにつれてどんどん忙しくなってくる様な気がするんですけど 》もねぇ。 ぼくの知る限りでは、ちゃんと自分の魂を見据えることができる方や 頭と身体をバランスよく使いながら自分なりのテーマを追いかけ続けている方は ほとんどボケるということはないように思います。 そういう意味でいうと、ぼくらくらいの歳でも、半分以上の方は、 すでにボケてしまっているともいえるように思うのですが、どう思われますか。 毎日、ドラッグのようなパチンコに通っている方、 夜の酒場を、毎夜、亡霊のようにさまよう方、 自分を棚に上げて、自分の子どもに執着して、勉強しろ!という親、 そんな方々は、すでにボケがかなり進行しているようにぼくは見えるのですが。 》死体ってやっぱりご迷惑なんでしょうかね。あたしは、生き残った人の「好き 》にして!」って思っています。 ま、それもひとつの考え方ですね。 西洋では、死体を焼かなかったりしますから、 死者が死後、ふらふらと自分の肉体が気になってしまって、そこらへんのことが、 けっこう迷いの原因になっているという話を聞いたりしますが、 要するに、死んだら、自分の肉体のことにあれこれ執着しないようにできれば それでいいのだと思いますけど・・・。 》      一番問題なのは、必要な人に支給されずに、必要でない人に支給 》されている場合が多いという事です。 そこらへんの判断を明確にする方法はないものでしょうかね。 まあ、お役所がそこらへんを公平にするという期待は絶望的でしょうが それにしても、そうした無茶苦茶なあり方をなんとかできないものでしょうか。 世には、「差別だ!」という声を、どうでもいいところで連呼する方はいますが 肝心なところでの公平さというのが、重視されにくいわけで、 ほんと、どうにかならないものかなあと、ため息です。 》働くということと、お金を稼ぐことがイコールでなくなるといいんですが、難 》しいのでしょうね。 難しそうですね^^;。 あの世では、心のあり方そのものが明確に反映されるといいますが、 この世でも、働くということに限らず、どういう心で生きているかそのものが 経済生活に反映してくるのだったら、いいでしょうね。 》仕事=お金に拘っていると、なんか非常にもったいない事になってしまうよう 》な気がします。 そうですね、もったいない。 ぼくも、一応、生きていくために働いてお金を稼いでいるのですが、 お金をたくさんもらうためにあくせくするのだけは、したくないと思ってまして もっと儲かる仕事だとか、給料を上げるための出世云々ということは ほとんど無視しているという感じです。 無視しているといっても、仕事はきついし、そう好きじゃないですけど^^;。 》「だけ」っていう言葉がキーポイントですかね。「自分がよければいい」はう 》まく働けば、自分→周りの人たち→全部に広がって行くような気がしますが、 》「だけ」がついてしまうと、硬直してしまうのでしょう。 自分を度返しして、「私心なく」やるというのはやはり無理がありますから、 自分も、自分以外の人も、という方向がいいように思います。 「私心なく」っていうのも、ともすれば裏返しのエゴになりますし、 「私心だけ」ってのは、いうまでもなく単なるエゴですから、 その極端さから自由でありたいもです。 (小さな声でいいますが^^;、「中道」ってことですよね。) 》おや、KAZEさん悩んでたんですか?。とてもそうは見えませんが・・・。ちな 》みにあたしは・・・もう諦めました(^^;)。 悩んでますよぉ^^;。 自分のきもちいい方向をエスカレートさせると、 ほとんど協調性のない、ただただ群れない方向にいくだけですから、 その軌道修正を、いつも自分に言い聞かせないといけません。 とくに、仕事場なんかでは、その葛藤でかなり疲れてしまいます^^;。 でも、それを「この次生まれてくるときに」なって言ってても、 また次のときにも同じく「この次生まれてくるときに」って言ってしまいそうですし 神様ってのは、そんな人を甘やかすような御利益をくださるわけないですから なんとか今、ふんばってみようというわけです。 「明日できることを今日するな」というのは 「あくせくしない」ための重要な指針ではありますが、 それを悪用すると、無限に自分を甘やかしてしまいかねませんから・・・。 とはいっても、ぼくは十二分にそれを悪用しているんですけど^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/05/18 - 954/955 PAF02400 湖の鷹 RE:組織無きネットワーク...ワケワカメ(^^; (19) 96/05/18 08:28 953へのコメント 雲上仙人さんへ、先日はどうもでしたm(__)m。 RBBSは名前しか知らないし、無線も私は持ってませんが、無線の免許取得の ための問題集は以前見たことがありますね(^^;)。 もともと無線は「免許制度」であるから、「規則・法律」は当然あることになる と思います。「無線従事資格」とかなんとか言いませんでしたっけ?。少し皮肉 った考えですけれど、私は単純に「免許を賭けるような危険は犯さない」ように それぞれが注意しているだけに思えたのだけれど・・・。 例えば、私も首都高速を使って・・・、あれ、ほんとに「高速道路」では無くっ て「自動車専用道路」なんだよな。法定速度が一般道と同じ「最高50Km/hま で」だから。「高いところにある道路」という意味での「ハイウエイ」ならまだ あっているとは思うけれど・・・、 で、首都高なんですけれど、あれって「法定速度」で走ると凄い危険なんですよ ね、なんつっても他の車が100Km/h で走ってるもんだから、私、最初に首都 高使ったときに、「法を守ろうとして」かなり恐ろしい思いをしましたね。私の ルール嫌いの一端がここにもありますね。「私には守れない」&「誰も守ってな い」ルールがあって、私は首都高をつかう限り免停に片足突っ込んでいるという のは良い気持ちはしないからな。 さてさて、日常的に「法律違反」が行われていて、日常的に「免許剥奪」が行わ れているようなところでは、誰も(私でさえ)法を守ろうとしなくなってしまうの ですが、とすれば「無線」の世界は免許制度でもって利用者をフルイにかけて、 なおかつ日常的に「法律遵守」が守られているというのが前提条件にあるのでは ないかな? と、つらつら、考えてみると、NIFも免許制度にして利用者を「一定基準以 上」でなければ受け付けないようにすれば、RBBSと同じになって、そうする と、私は免許を取るのをメンドくさがって、NIFには来なかっただろうなー、 と思いました(^_^;)。 96/05/18(土) 07:32 湖の鷹(PAF02400) 955/955 PAF02400 湖の鷹 法律への不信感 (19) 96/05/18 08:29 ふっ、なんぞ嫌われてしまったか・・・、 とかなんとか書いてみたりして・・・(-_-;)。 えと、今回は純粋に「世紀末」ネタですね。壁に書こうかとも思ったけれど、 まぁ、時勢ネタはこちらにアップすることにします(^^;)。 ************************************ どこぞの国の憲法の第21条に掲げられている「出版の自由」というのは、これ は翻訳される前の英語のものでは「 Freedom of Press 」となっていて、つまり は「取材・報道の自由」という意味なのだそうな。薬害エイズ問題を例にとるな ら、厚生省の秘密をアクセスしていい自由、となるそうな。ここでは「翻訳作業 に携わった日本側の人材に問題があったのではないか?」と書かれているが、い ままで不信に思った人は日本人の中には一人も居なかったのだろう。すげーなー、 「間違い」をそのままほっておけるその神経。 どこぞの国の国家公務員法第100条には「公務員は在職中の秘密を漏らしては ならない」とあるそうな。ふみふみ、大蔵省・厚生省の情報隠しは「法にのっと った行為」だったのね。なんだ、薬害薬害とか言ってるけれど、あれってちゃん と「法律にかなった」ことをやってただけじゃん。まぁ、どうでもいいけど、こ の国家公務員法第100条とかを“なくしてしまわないと”いくら連中を問い詰 めても彼らが口を開くわけないじゃん、んなことしたら「法律違反で処罰されて しまう」から。 ************************************ ・・・ まさか現実にはならないだろう、日本全体が、対処する準備さえしてこなかった 「朝鮮半島有事」の状況が目前に迫ってきたともいえる。日本は何をすべきか。 日米安保条約の中に定められている日本側の義務をきっちり果たせるような体制 を整えるとともに、もうひとつは、憲法第9条に関連して、集団自衛権をどうと らえるかを整理しておくことだろう。 ・・・ 手段自衛権と憲法の関係について政府は「憲法第9条のもとで許容されている自 衛権の行使は、日本防衛のため必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。 集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上これは 許されない」としている。だが、と田中氏は問う、「いったい、必要最低限度と は、何を意味するのか」と。「必要」も「最低限」もとどのつまり政府の政策判断 ではないか。その時々の政府が決定する政策によって判断されるのであれば、こ れは純粋な法律論であるとはいえない。そして政策論であれば、世界情勢や日本 の国際的地位の変化に応じてそれを変更しても少しもおかしくはない・・・ ・・・ 長年、日本を縛り続けてきた政府見解は、よくよくみると、憲法上許されないと いうよりは、政府判断によって許されてこなかったということになる。今、憲法 の見地から見つめた議論を行い、個別的自衛権とは切り離せない集団的自衛権に ついても、前向きに見ていく必要があるのではないか?。 ************************************ 3つめのやつ、なにかコメントしようと思ったけれど、ちと気が滅入ったのでパ スしまする。そいえば私って憲法第九条なんて知らないよな。高校の社会科で教 師が教科書に書いていた奴を“1度だけ”読んでたような記憶もあるけれど、全 然覚えてねーや。 96/05/14(火) 19:35 湖の鷹(PAF02400)