「皆さん、ここはどなたの土地かな?」と村長らしき人が尋ねた。 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/05/21 - 00940/00945 QWB02723 まゆみ マスコミ三大悪 ( 5) 96/05/20 22:17 コメント数:2 と 私が勝手に決めている(笑)、ワイドショー・女性週刊誌・スポーツ新聞(芸 能欄)。大っ嫌いだから全く見ないのだが、それでもたまにはTVのダイジェス ト版・職場の会話等で、世間の話題に取り残されないくらいの情報は漏れてくる。 もちろん、1割信9割疑ぐらいで聞くけど。  たとえば、芸能人カップルの女性の方が、外食先から折り詰めにて持ち帰ろう としたところ男性は「貧乏くさい」と言ったとか。その女性が何かの番組でこの 話をしたことから、ワイドショーに取り上げられたようで。  元々金に苦労のない家に育ったこの男性なら、「貧乏くさい」と言う可能性は 確かにありそうだ。真実だとすればこの事に対する非難は尤もかもしれない。が、 ここで問題にしたいのはそーいう内容のことではなくてえ。  このカップルは既に1年前に別れており、この話を女性が何かの番組で話した のは最近である。そして、この話はかなり大衆ウケする話だと予想できる。また、 殆どの人が女性に同情し、男性に批判的になるのではないだろうか。  何故今頃、全国区のTV番組という大勢の大衆が控えている場で、この話を彼 女はしたのだろう。彼女はこの話をした結果どうなることを望んでいたのだろう か。  自分が贔屓にしている人が非難されれば、やはり面白くない。非難されたこと 自体とは別に非難のされ方に憤りを感じるものらしい。私もこのカップルの男性 を見込んでいたからこそ、件の話題に引っ掛かりを感じ、色々考えてみた。もし この話題の人が興味のない人だったら(嫌いな人なら尚更)、私も当然のように この男性に悪印象を持ち、そのままだったろう。  こーいうことには人一倍気を付けてるつもりだったが、まだまだ見過ごしてる ことはありそうだわ、こりゃ。  しっかしなぁ、いくらなんでもあの話題関連として『街の人インタヴュー・折 り詰めで持ち帰るのは貧乏くさい?!』なんて特集すなっ>某ワイドショーー! (タイトル名は定かで無し。何しろ1週間も前に観た^^;)生まれてはじめてTV に物投げつけたろーとしたぞっ!! まゆみ 00941/00945 QWB02723 まゆみ RE:マスコミ三大悪 ( 5) 96/05/20 22:23 00940へのコメント >>  『街の人インタヴュー・折 >>り詰めで持ち帰るのは貧乏くさい?!』 この定かでないタイトルのコーナーは実際には 今から2週間前のワイドショー 番組内でのもの。このファイルはUPするまで結構長い間お蔵入りしていたので^^;                                  まゆみ 00945/00945 QZG02773 ウルヴィー ワイドショーは嫌いだけど見る(苦笑) ( 5) 96/05/21 09:39 00940へのコメント ども。 女性の名前も男性の名前もわかります(笑)が、彼女がこの話をしたのは 恋愛について語る番組(フジの深夜番組、ウンナンが司会をしてたソムリエ という番組です)内で、「なぜあなた(その女性ですね)はふられるのか( 相手は別に限定して無くて今までなぜふられてきたのかということです)」 という質問に答えたものです。 その質問に答えて自分が悪いという感じで「私貧乏くさいんですよ」と 言ったわけで、決して男を非難する感じではなく、その番組を見た限りでは 「まあ、そういうこともあるだろうな、なにやってんだよミ○○○(笑)」と いう感想を持つだけでしたよ。 そのワイドショーは見てないのですけどおそらくワイドショーのやり口と いうのはひどいものなので(じゃ、見るなよ俺(笑))なにか変な脚色が 有ったのではないかと思います。彼女はそりゃ確かに変(笑)だけどね。 芸能人なんだからいろいろと言われるのは(まあ程度問題だけど)商売柄と いうことで目をつぶらないとファンなんてやっていけないのです(笑)。 そりゃ確かに中山忍は才能はないけどさ(苦笑)。             アメリカで教授と娘が射殺された事件も             ワイドショーでは怪しさが炸裂している             あんな放送大丈夫かと心配までしている             ウルヴィー 00944/00945 GED01563 水戸黄門 御老公の独り言(10) ( 5) 96/05/21 01:48 00905へのコメント 暗黙知の次元の中をみていく。ポラニーの友人は、「社会主義社会では純粋科学 は消滅する。純粋科学は階級的社会の病状であるからである」と語る。ポラニー は、社会主義が科学であるのに、純粋科学を否定する発言に驚く。思考活動が生 んだ社会主義が思考活動の死滅を宣言したからである。 ワシの理解では、ここに、彼の暗黙知の最初の着想がある。ワシの理解では、彼 は生命活動なども科学にありがちな機械論的な観点からは説明できない上位の構 造があるとみている。彼は、おそらく、社会主義体制での科学研究を機械論的で あることを洞察し、科学研究はけっして機械論的ではないという直感が動いたと 思うのじゃ。 (続く) 96/05/21(火) 01:36 水戸黄門(GED01563) - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/05/21 - 01071/01074 KFQ02761 しまうま RE:「感情モロだし」は「虎丸だし」 ( 6) 96/05/20 15:29 01067へのコメント  自己レスです。 | ということは、「望みが達成できなくて怒りが外に向かう、という場合、そ |の望みは本当の自分の望みではない」  いやいや、これは一つの極論だなあ、と自分で思ってしまった(^^;。  「本意の望み」が達成できない場合でも、怒りが外に向かうことって、全く ないわけじゃないような気がしてきました。  ただ、そういう時の「外への怒り」というのは、怒りに到達するまでのプロ セスとか、あるいは怒りの質そのものが、「虎の望み」を阻害された場合とは 違うだろうなー、とも思います。  この辺、もうちょっと考えてみたいです。      しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/05/21 - 07523/07530 LDS05136 YHVH 今年の話題から(1) ( 7) 96/05/20 22:38  現実のすすみ具合  TBS問題について象徴的なのは、降りたスポンサーが ほとんどなかったこと。また、新卒受験者の中で、「今が チャンス」と捉えられていること。  でも、別に憤るような話ではなかろう。損得勘定は日頃 だれでもやっているし、損とわかっていてそれを選ぶ人は まずいない。  昔はそうでなかったかもしれない。けれど、昔のことを 言ってみても、なんだか空しい。  たとえば私についていえば、最近、お金が入ると、すぐ に美味しいものを食べてしまう。でも、大したお金ではな いので、じきになくなる。 「明日もまた、中トロが食べたい!」  ほかに何もいらないとさえ思えてくる。これは、中トロ 中毒だろうか? ジャンキーと一緒……とまではいえない にしても、なんだか似ている。  待っていれば、素晴らしい未来が来るのか。いや、努力 のないところに未来はない。  では、努力すれば、未来は来るのか?  美味しいものを一番最後に残しておくという食べ方は、 お膳がひっくり返らないことを前提としている。もし、お 膳がひっくり返る可能性が強ければ、美味しいものを真っ 先にほおばるのが普通だ。  そこにあるのは、漠然とした絶望感である。  これは、根拠のないものか、根拠のあるものか。  夢、希望、そうした言葉に何のリアリティも感じられな くなったとき、世界は終わってゆくしかないだろう。  YHVH 07524/07530 QZA02327 ノロガメ 自己破滅に至る前に ( 7) 96/05/20 23:30 コメント数:1 SUKEさん、今日は。 MES13会議室でノロガメは愚か者であると言われまして、それはノロガメだけ の問題であれば、わざわざ取り上げることも無いのですが、当会議室MES7で2 〜3人の方に全面的でないにしてもノロガメの視点とするところを理解して頂いた 内容のコメントも頂いて、SUKEさんからも話し相手に選んで頂いたと言うこと も有りまして、この度の愚か者発言に対して、ノロガメはノロガメに少なからず理 解して頂いた方々に対して、心が痛む思いで、その発言に抗議したのですが、ノロ ガメの納得行く回答が得られません。 確かに何と言われても仕方ない振る舞いをしているノロガメですから、わざわざこ んなことをここで表明しても、ノロガメにそんな資格は無いと言う事でも有りましょ うし、SUKEさんにご迷惑をかける結果になるかも知れませんが、ノロガメの皆 さんに対する気持ちが収まりません。 ノロガメの態度はそれなりの訳が有りまして、精神世界の訳の分からない問題に対 して、ノロガメなりの一つの試みとしてあえて非難を覚悟で問題解決に取り組んで いるのです。 ノロガメが承服出来ないのは、ノロガメが愚か者と言われて、そのまま放置すると 言うことは、その愚か者にコメントをつけてくださる人も同レベルの存在になるの ではと言うのがノロガメの危惧する所なのです。 ですから、この発言に納得いく回答が得られない状態ではノロガメのSUKEさん 初め他の皆さんに申し訳ない気持ちでありまして、変な責任の取り方でありますが、 しばらくの間、書き込み停止処分を自らに与えて処理したいと思います。 まあ〜こんなノロガメですから、いなくなる方がかえって皆さんに不快感を与えな いで良いかも知れませんが、これまでの経緯も有りますし、勝手に止めると言うこ とも無責任として観られるかも知れませんので、停止するについてちょっと表明さ せて頂きました。 一言コメント頂ければと思いますので、よろしく。 ノロガメでした。まる 07529/07530 NBB01420 SUKE RE:自己破滅に至る前に ( 7) 96/05/21 01:56 07524へのコメント #7524 ノロガメさん、こんばんは。 発言自粛でしばらく読み専門になる、と言う表明なんですか? >>ノロガメはノロガメに少なからず理解して頂いた方々に対して、心が痛む思いで、                              (改行更新) これは別にノロガメさんが心痛めることは無いと思いました。 抗議の理由を他人に置くのではなく、自分の内に置くようにしないと、いつの 間にか偽善に陥る危険があるでしょう。 >>して、ノロガメなりの一つの試みとしてあえて非難を覚悟で問題解決に取り組んで ここが非常に興味深いところで、ノロガメさん、敢えて覚悟の上なのでしょう? 正にその通りに非難を受けているのではないでしょうか? 覚悟したコトが起こっていると言う訳です。 ある意味ではノロガメさんの望み通りの経過になっている訳です。 その何処に抗議すべき不満があるのか、顧みて検討されてみると、本当に自分 が望んでいることが何なのか見えてくるのではないかと想像します。 >>ノロガメが承服出来ないのは、ノロガメが愚か者と言われて、そのまま放置すると >>言うことは、その愚か者にコメントをつけてくださる人も同レベルの存在になるの >>ではと言うのがノロガメの危惧する所なのです。 その危惧は必要ないですよ(^^;) ノロガメさんに部分的にでも共鳴した人と言うのは、だからと言ってノロガメ さんと同類とは言えないでしょう。ノロガメさんの味方や敵に色分けされては 変です。 そういう事が分からないで、他の人まで愚か者呼ばわりする人がいるとすれば、 言わせておけば良い訳ですが、僕はMES(13)のこむさんの発言からはそのように は読めませんでした。 それよりも、ノロガメさんがご自身の抗議行動の理由を、他人への義理立てに すり替えているように見えます。今回殊更にすり替えようとしているのは、 何故なんでしょう。 抗議しなければ居られない心のざわめきの中に、ふと縞々の尻尾が見えたりし ませんか?(^^;)                             Suke.(^_-)☆ 07525/07530 GED01563 水戸黄門 掟 ( 7) 96/05/21 01:01 07488へのコメント 掟を守る意思のある者や、ある許された方向に「はまる」ことは、少々の掟(ル ール)から逸脱しても許される。じゃが、掟を守らず、許されない方向に「はま った」場合、村八分になるのじゃ。その掟の真意は、掟を守る意思のないものに は、見えにくく反発を感じるものじゃ。じゃから、「執着し、のめりこむ」こと はある組織や集団で生きていく上で必要なことかもしれないのじゃ。 一方、科学の世界では、科学の定説の範囲内であれば誤差も許されるのじゃが、 新しい説の誤差に厳しい。新しい説に情熱をもち、はまり、偏狭である場合、そ の情熱がまわりをまきこめれば、その説が実際に正しそうな場合、新しい潮流を 作る。その潮流は権威となるのじゃ。 ワシは、執着を肯定するのは、こうした背景がある。 凍り人ですらも、ワシは肯定する場合もある。それが、ワシの立場じゃ。 96/05/20(月) 01:44 水戸黄門(GED01563) 07526/07530 NBB01420 SUKE パッシングされて虎った… ( 7) 96/05/21 01:16 高速道路で飛ばしていたら、後ろから接近して来た車にパッシングされました。 丁度すぐ左には車がいなかったので、僕は車線を変えて、後ろから来た車を先 に行かせました。 で、この数瞬間の間に感じたことを書きます。 まずパッシングされた時にははっとした。 で、適切な操作を行って希望通りに先に行かせたのだが、何となく悔しいよう な腹立たしいような感想を持っていることに気が付いた。 カチンと来ると言う程、瞬間にぱっと感じた訳ではないにしでも、それに近い ものだった。 この気持ちに気付いたのは、実際に起こった事の観察をしている間でした。 その車はゆっくり二度パッシングしました。クラクションを鳴らすわけでもあ りませんし、ハイビームのままと言う訳でもありません。また、道を譲られて からの抜き方も、荒っぽさが無く、言ってみれば紳士的に順当な手続きの元に 追い越していった訳です。 この事実を認めて、はたと自分がカチンと来ていることに気が付きました。 どうしてカチンと来たのか? 最初にまず、パッシングされるまで接近に気が付かなかった事が悔しかったん ですね。 定期的にバックミラーを覗いている自覚があるからこそ、屈辱的に感じた訳で す。 接近に気が付いていれば、速度差を察して適宜道を空けるなりしていたので、 それだけ行き届いているつもりでいたんですね。 更に、自車よりも高速で飛ばして行くその車をののしりたくなった。 あんなにスピード出して、何て奴だ、と言う感じで。 その時の速度から言えば、僕の車もそれに追従する速度を出せました。要する に車の性能を問題にしているのではなくて、自分の運転のやり方が問題になっ ているわけです。 相手が悪いと言う根拠は何処にもなく、ただ、上記のように自分が行き届かな かった事を糊塗するために、相手を悪者にしたかったわけですね。 こう気が付いた後でも、虎は執拗に不満を訴えていました。 でもそのうち忘れてしまいましたけど(^^;) ところで、実際僕は行き届いた運転者かと言うと、そう言い切れる根拠は何処 にもありません。つまり、自分は行き届いた、いわば優秀な人間でありたいと 思う気持ちが、下手なプライドになっているわけです。 この「優秀であろうとする自分」と言うのは、それはそれで別に僕の最近の課 題にも繋がってくるのですが、それはまた別の機会に…。                              Suke.(^_-)☆ 07527/07530 NBB01420 SUKE RE:五段階の欲求 ( 7) 96/05/21 01:17 07519へのコメント コメント数:1 #7519 水戸黄門さん、興味深い話をありがとうございます。 確かにこういう話は12番会議室向きなのですが、話の行きがかり上、ここで 紹介していただいたのは良かったなぁと思います。 「K殿」と言うのは僕が3番会議室で紹介した著者、加藤諦三氏のことでしょ うか。水戸黄門さんも愛読されているんですか? 僕も宗教活動の関連は、もしかしたらとは思っていましたが、問題は著作の内 容の方ですので拘らずに書きました。 まぁ本当に調べるつもりなら、黄門さんの言われるような手段がありますね。 僕は忍びの者ではないですけれど(^^;)そこまでやる気にはならなかった(^^;) ところで、この話はとても大事な問題を含んでいると思います。 実際、どのような教義の宗教と関わっているのか知らなければ、「宗教の影響 を除外して読む」と言うことは難しいと思うんです。 これは何も加藤氏の著作に限ったことではなく、世の中に氾濫する情報全てに 対して言える事でしょうね。そうなると、片っ端から宗教を調べて、データベー スのようにしておかなければ、怖くて何の情報も吟味できなくなってしまいそ うです。 で、どうしたらよいか? それが結構重要なポイントじゃないかなと思うんです。 今回加藤氏の著作を読むに当たって、僕自身、自分に当てはまるなと思う所と、 自分とはちょっと違うなと思う所が、両方ともありました。また、大筋では当 てはまるものの、自分の場合はちょっとこの辺が違っているとかね。 つまり、読む時に鵜呑みにするのではなく、書かれている事と自分の実際を比 較しながら読む。書かれていることと自分が違っていることに遠慮をしない、 と言うか…。 その中で、興味深い考え方に出会ったときに、自分の場合にはどうなのかと言 う風に自分で組み立てる。 つまり、どこがどう宗教的なのか判断するよりも、自分で内容を判断して取り 込むと言うことがポイントなんじゃないかなと思うんです。 僕の場合は、論理に無理がないかとか、論理の根拠になる部分に理由無き断定 が無いかとか、自分の場合に当てはめるとしたら納得できるかとか…まぁ色々 ありました。だから読むのは非常に遅いですが(^^;) 水戸黄門さんの場合は、どういう風に用心されているんですか?                 === 自己実現、この言葉も何だか意味が良く分からない言葉だなと思っています。 なるほど、「最終解脱」と同じような幻と考えると怖いですね。 僕は僕なりに自己実現と言う言葉の意味を「社会的に自分の存在価値を創出し 続けている状態」と考えました。これは実際に仕事をしながらだんだんと組上 がった考え方です。しかし、ここで言う「自分の存在価値」と言うのは、所詮 社会的な、と言う但し書きが付くんですよね。 本来、自分の存在価値は自分の内面に確立されて行く筈で、社会的評価に左右 されない筈なんですね。 ただ、仕事の上でのものの見方と、人生を俯瞰して一個の人間としてのものの 見方とは違うと割り切っているところが僕にはあります。 この辺、水戸黄門さんの意見をもっと聞いてみたいと言う気がします。                              Suke.(^_-)☆ 07530/07530 GED01563 水戸黄門 五段階の欲求 ( 7) 96/05/21 02:50 07527へのコメント SUKEさん 今晩は眠れぬ夜なので、コメントすることにした。 ワシが調べてみたら申し上げたのは、脳のなんとかという本の方じゃよ。K殿の 書籍ではない。脳のなんとかについては、多忙であるならば、ワシの方で機会が あれば、話すこともあるじゃろう。 宗教を除外して読む行為は、おっしゃる通り困難じゃ。ワシは、情念が多い場所 を一応除外する。宗教にかかわったことが少しでもあれば、宗教的情念は感覚で わかるのじゃ。ワシは、宗教を批判するつもりはなく、むしろ宗教(というより 祈り)こそ人類の最後のいきつくところと思っておるので、その点、誤解せぬよ うお願いしたいの。 さて、問題は「自己実現」じゃな。 「自分の存在価値」と言うのは、所詮社会的な、と言う但し書きが付く点につい ては2つの注意が必要じゃ。まず、これは誤解じゃと思う。第一に、人は社会的 な生き物じゃから、自己実現とやらも社会的であってこそ本物なのじゃ。第二 に、心理学では、自己実現について、その後、2つのものがあること提示したん じゃ。平たく話そう。 1 外向的な自己実現 たとえば、社会の中で昇進していくことじゃ 2 内向的な自己実現 ヒッピーや反戦運動から芸術や学術的研究を創造するこ とじゃ。反社会的行動が人類の可能性を広げる行為に発展するわけじゃな。 1の昇進は馬鹿にできたものでもない。真に頂点に上ったものはやはりそれなり の人物じゃよ。哲人じゃな。あるいは信仰人のようなところもある。天を畏れる 者なのじゃ。2についてはわかりやすいじゃろう。じゃが、いわゆる社会的な 「自己存在価値」とは異なるものじゃ。なお、心理学では、1と2は相互に行き 来可能としておることを補足しておく。つまり、外向的な欲求の第三段階から横 すべりして内向的な欲求の第三段階に移行することもあるということになってお るようじゃ。 じゃから、外向的な自己実現であっても、真に頂点に上ったものはやはりそれな りの人物であって、自分の内面に確立されている者なのじゃ。内向的な自己実現 でも、内面の自分の内面に確立されているのじゃ。 一応、ここまでがワシの持つ知識で話したものじゃ。以降は、ワシの意見となる。 仕事での社会的な成功や不成功は関係なく、成功して内面に確立されることもな いこともあり、失敗しても内面に確立されることもないこともある。それでもな お、ワシは、仕事というものであっても、自分を磨けると思っておる。内面に確 立できるのじゃよ。人生のほとんどを仕事に費やすならば、そうでないと、つま らないではないかと思うのじゃ。 ワシは、「自己実現」という言葉にこだわるなともうしたいのじゃ。求めるもの ではないのじゃ。世の中は、自己実現を曲解し、誤解しておる。自己実現は、多 分、精神的(魂的か心的)なものじゃ。「精神という名前の物質的欲と同質の欲 望」のようなものに曲解しておる。欲を悪いと申し上げているのではない。精神 と欲をごっちゃにしていると申しておるのじゃ。そして、解脱希求病ならぬ自己 実現希求病があふれているのじゃ。精神を求めているつもりで欲を求めておるの じゃ。しかし、それを崇高な精神を求めていると錯覚しておるから、「違う」と 申したいのじゃ。じゃ。ひたすら、日々はげみ、己を観て、仕事に精進すること が、結局「自己実現」を生むのじゃろう。「自己実現」は、幻影でないとする と、多分、日々の精進の結果なんじゃよ。以上が、ワシの「自己実現」というも のの意見じゃ。わかっていただければ望外の喜びじゃ。(同意は求めておらん)。 ついでに申し上げておきたいのじゃが、よく、仕事では嘘をついても良いという ような話も聞くが、ワシはそう思わない。仕事こそ、嘘をついてはならんのじ ゃ。これは、仕事をする上での鉄則なんじゃな。掟なんじゃよ。仕事で嘘をつか ない者のもつ財産を信用とよぶのじゃ。つらくても。約束を守ること(嘘をつか ないこと)が始めにあるのじゃ。それが、自分の可能性を高め、自信になるのじ ゃよ。とてもあたりまえのことなのじゃ。 96/05/21(火) 01:55 水戸黄門(GED01563) 07528/07530 NBB01420 SUKE ゲーム体験から ( 7) 96/05/21 01:17 07516へのコメント #7516 新しい芽さん、こんばんは。 >>実は#07492へのコメントです。これでいいんですか? あ、いえ、新しい芽さんとの会話は3つくらいのコメントツリーがありました が、そのどれもが同じ様な話題に集束してきたので、ツリーを一つにまとめよ うと言うつもりでした。でないとお互いコメント先がばらばらでわかりにくい かと思ったからです。 丁度、ボールを3つ一度に使いながらキャッチボールをしている感じなので、 ボールを1つにしませんか、と言うことです。 >> ??どうして、全く違うように解釈されるのか、驚き?? 実はこのところ僕も新しい芽さんの言われようとしていることと僕の受け取っ ている事が全然噛み合っていないのではないかと言う気がしているんです。 だから図示のようなやり方で確認をしようと思いました。 文字だけのパソ通では、やはりこうした行き違いをだんだんすり合わせて行く しか無いのですね。 新しい芽さんが言っていることをもっと正確に理解しないと、話が物別れにな るばかりではないかと言う気がしてきましたので、もう少しすり合わせをして ゆけたらと思います。大変かもしれませんが、焦らずよろしくお願いします。 と言うことで…コメントツリーを集約するためにも、他の発言についても一緒 に書いてしまいますね。当然、内容は沢山になってしまいますので、少しマト を絞って一つ一つ行きたいと思います。                 === >> 図式を見ていて、何が書いてあるのかわかりました。 >>  (中略)  だから、無感動、死んだ心の状態というのも、想像でしょう。 いえ、想像には違いありませんが、実際に体験した事実を元にした想像です。 確かに図示だけすると頭の中で理解しただけと受け取られ兼ねないのですが、 実は随分前に自分が実感した実際の体験から、このような図を書けているので す。 まずこの話は自慢ではありません(^^;) 学生時代にのめり込んだゲームマシンの経験なのですが、刻々と現れる敵機を 打ち落としながら先に進むゲームです。ある時、数機連続で現れた敵機に対し て、有効な回避パターンを描きながら反撃する操作を、現れた敵機の数だけ綺 麗にこなしました。 この時、僕よりずっと腕の確かな友人が背後から見ていたのですが、溜息をつ いて「よくかわした」と驚いたのです。何故驚いたのか? それは通常ならこ れだけ連続で敵機が現れた状況では、焦りなどの感情が揺れて正確に操作でき なくなる、逆に言えばそのくらい激しい連続攻撃だった訳ですね。 それを僕が全くこなしてしまったのですが、その時の僕の心理状態は、感情的 な部分があってもそれが自分の運動操作に影響を与えず、ただ画面に起こって いる変化に対応して、最適なパターンを操作していただけなのです。 明瞭に思い出せますが、その瞬間は感情と判断が全く分離した状態でした。 感情が無いと言うのではありません。驚き、焦り、そういうものは発生してい ますから、背後の友人の溜息の意味が分かるわけです。そして満足感もありま す。 ちなみに、その友人が感嘆したのはその時だけで、たまたまその時僕がそうい う状態に没入していたと言うことです。トップデータみたいなものです。 あの図を想定した時には、このような過去の経験を踏まえていました。 自分で言うのも変ですが、こういう感情と判断の分離した状況と言うのは、僕 には結構あります。特に疲れて来た時とか、心理的な葛藤が激しい時とかに、 それでも正常な仕事を要求されると言った場合、慣習的にそうなるようです。 こういう経験があった上で「想像」しています。 体験談で長くなりましたが、この体験談は、僕が決して頭だけで考えている訳 ではなく、過去の自分の経験を元に語っているのだと言う説明だけですね。 で、実際には新しい芽さんが言っていることは、これとはまた違ったことなの かもしれないと思い始めまているのですが、実際の所はどう思われますか?                             Suke.(^_-)☆ - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/05/21 - 878/878 MHD02672 TAO 菊花と太陽 ( 9) 96/05/21 00:03 877へのコメント  #877 ISE さん   ようこそいらっしゃいませ。玉置山へ行かれたのですか。私も三度足を運  んでいますが、いつも独特の清冽な空気が漂っている所ですね。今では山頂  まで車道が通って、車さえ運転出来れば行けるようになっていますので、本  格的な登山装備は余分ですね(^^;。   菊の紋があったということですが、それは気付きませんでした。玉置神社  の社紋自体も何と呼ぶかは忘れましたが、別の形になっていますし。   菊花紋が天皇家の紋章となったのは、ISE さんもおっしゃるように後鳥羽  天皇の代からの様です。元来、菊は東洋では神仙の愛する花とされていて、  和漢では「百草の王」と称されている縁起の良い花です。   日ユ同祖論者が、バビロン遺跡イシュタル門に十六菊紋が刻まれているこ  とから「天皇家の発祥はバビロニアだった」というトンデモ本ノリの珍説を  唱えたりしますが、ISE さんもおっしゃるように「菊花は元々の原産地は中  東」だったということで、オリエント地域全般に菊花紋が見られるそうです。  菊の放射線状の花弁は太陽にも例えられ「日精」とも呼ばれるので、十六菊  花紋の由来は、植物の菊よりも「太陽信仰」にあると考えた方が自然かもし  れませんね。   玉置神社に菊花紋があったというご報告、今度機会があれば、自分の目で  確かめて行きたいと思います。どうも有り難うございました。  TAO - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/05/21 - 04679/04695 GGA02514 KAZE RE:中道論12●風説維摩経5 (13) 96/05/20 15:24 04540へのコメント コメント数:1 「いか超」の読書会を始めましたが、 この「中道論」も、決して諦めずに続けます^^;。 なんだかんだといいながら、中道論も12回目。 今、「維摩経」についてあれこれ書いていますが、 これが終わったら、少し前にさわりだけをお話しした、 中道としてのキリストの道について、現在、読み進めている シュタイナーの講義集からご紹介していきたいと考えています。 実は、この「中道論」は、最初にお話した「三諦円融」を機軸とした 魂のあくなき成長のための道ということと、それに関連させて 人類進化の道としての真の「キリスト」の道を、 「中道」として描いていくのが眼目だったのですが、 そこに行くまでに、少しばかり、仏教的な「不二」と「中道」について 現在、寄り道しているのでした。 さて、前回は、維摩が仏の弟子をやりこめたというエピソードのうち 舎利弗についてご紹介しましたが、その他の弟子達のエピソードについて 今回は、まとめて駆け足でご紹介してみたいと思います。 今回も、参照するのは、鎌田茂雄「維摩経講話」(講談社学術文庫)です。 まず、大迦葉(だいかしょう)の例。 大迦葉は、衣食住の執着から自由になる行である 頭陀行第一といわれた釈迦のでしです。   大迦葉は、貧乏人のいる街で乞食(こつじき)をしていた。そこへ維摩が   やってきた。「お前さんは富者の処へ乞食に行かずに、貧者の処にばかり   行くのは、平等の慈悲心がないからではないか」と言った。維摩が言うに   は、乞食というのは平等の真理にもとづいて行なうものだと。(P88) 要するに、富者と貧者というふうに分けて考えるのは、平等ではないと。 衣食住の執着から自由になるためのはずの乞食が、 その差別のために、むしろそれを強化してしまうことになるわけです。      これが邪な考え、これが正しい真理だと差別し、邪な考えを捨てて正しい   真理を知ることは、普通の常識でいえば正しいことかもしれないが、それ   は倫理の領域でいうことだ。宗教的世界においては邪を捨て正を取るので   はない。邪もなく、正もない霊性界に生きることになる。実相=仏教の真   理そのものに邪正はない。邪正は心によっておこるにすぎない。心が邪で   あれば一切のものが邪となるし、心が正しければ一切のものが正となる。 正邪にしても、邪を捨てた正、正を捨てた邪というのは、 その差別ゆえに、その二項対立を強化してしまうことになります。 また、正と邪というのを実体化してしまうことも問題視されます。 正邪というあらわれは、心のあり方を反映するものでしかないというのです。 続いて、須菩提(しゅぼだい)の例。 須菩提は空の理を深く体得した弟子として描かれます。 須菩提は、あるとき維摩の家に行き、食を乞うたことがあったのですが、 そのときに、維摩は須菩提に、こう言うのです。   お前さんは食を取ることも空、諸法もまた空であることを知らないのでは   ないか(中略)。食を取るには大乗仏教の真理を知ってからにしなければ   ならぬ。(P90)    なんだか屁理屈のようにも思えますが、そのいわんとしていることは 非常に重要なことです。 維摩は言うのです。   もし須菩提、婬・怒・痴を断ぜず、またともに倶ならず。身を壊せずして   しかも一相にしたがい、痴愛を滅せずして明脱をおこし、五逆の相をもっ   て、しかも解脱をえ、また解せず縛あえず、四諦を見ず、四諦を見るにあ   らず。果を得るにあらず、凡夫にあらず、凡夫の法を離るるにあらず、聖   人にあらず、聖人にあらず、聖人にあらざるにあらず。一切の法を成就す   といえども、しかも諸法の相を離るれば、すなわち食をとるべし。    まず、婬は性欲、怒は怒り、痴は愚痴ですが、 通常はこれを断ぜよ!といいますが、維摩はそれではだめで、 この婬・怒・痴といっしょにいなければならないといいます。 「痴愛を滅せずして明脱をおこし」というのは、 性欲、愛欲をなくすというのではなく、しかもそれに執着するなということ。 まあ、そんな感じで、悪魔さえ遠ざけてはならないとまで言います。   外道や悪魔にも身を売らなければならぬ。悪魔になりさがって、悪魔の真   相をみるとき、悪魔もまた雲散霧消する。仏の中に入って仏の実相をみれ   ば、仏もまた無相なることを知る。悪魔も仏もその本質においてはまった   く変わることはない。悪魔も無相、仏も無相にほかならない。維摩は須菩   提に告げた。六師外道を先生として、彼らの堕ち行く先までお前さんも一   緒に堕ちてゆきなさいと。仏教はきれいごとを説く宗教ではない。すべて   のものが滅んでゆく中に、真に生きる生命力を見いだすのが仏教である。   維摩はそのことをよくよく知っていた。須菩提には悪魔が理解できないの   であった。須菩提がとらえた仏は真の仏ではなく、悪魔の化身にすぎなか   った。(P92)    「悪魔に身を売れ」なんて、すさまじいことを言うものですが^^;、 よくよく考えてみると、何が間違っているのかをわかないままに、 「これは善だ」と信じ込んでそれだけをやっているということほど 独善的なことはないわけです。 通常はそこから遠ざかれといわれているものから遠ざかってはならず、 それとともにありながら、それから自由であること。 遠ざかっていては、それが理解できるわけもなく、 きれいごとの上塗りになってしまうだけです。 そこから自由であるためには、それを深く理解することが不可欠で、 それがわからなければ、「食」をとる資格はないと 維摩は須菩提に言ったわけです。 最後に、優波離(うぱり)の例。 優波離は、戒律を守ることにかけては一番という弟子です。   昔、二人の比丘が戒律を破った。仏のところへ行くのは恐ろしいので優波   離のところへ来た。そして自分に「優波離よ、私たちは戒律を犯しました。   (中略)どうかお願いですから、私たちの悔恨を解いて、その罪から免れ   さしてください」と言った。そこで自分は戒律にもとづいて、衆僧の前で   懺悔するようにすすめた。そのとき、維摩が来てこう言った。「優波離よ、   重ねて二比丘の罪を増すことなかれ。当にただちに除滅すべし」と。お前   さんのやり方は罪を清めるどころか、かえって、罪を深めさせているでは   ないか。この場合は何も言わずに、二人に対して、お前さんたちの罪はと   っくに消滅したよ、と言えばいいのだ。(P95-96) これはなんだか維摩が戒律を破った二人の比丘を甘やかしているようですが 決してそうではありません。 優波離が戒律主義に陥って、戒律を犯す罪というのを実体視してしまったのを 罪は、心が汚れているがゆえに罪なのであって、 心が清まれば、罪は消え去ってしまうのだと維摩は言うのです。 二人の比丘は罪を悔いて優波離のところにやってきたわけで、 その時点で、その心はすでに清められているわけです。 なのに、優波離は罪を実体視して、実体視した罪を二人の比丘に もう一度投げかけてしまったことになるのです。 以上、維摩が仏の弟子をやりこめたというエピソードをピックアップして ご紹介したわけですが、維摩は、一貫して「二」を否定します。 悪を排除した善、邪を排除した正、穢れを排除した清らかさ・・・ それを維摩は「不二法門」として、経のなかで一貫して説いているわけです。 次回からは、この維摩経のそうした「不二」の考え方を 典型的に説いていると思われる箇所をピックアップしながら、 その「不二」についての理解を深めていきたいと考えています。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04682/04695 PXY03747 諏訪みのる RE*2:中道論12●風説維摩経5 (13) 96/05/20 18:19 04679へのコメント コメント数:1  KAZEさん、こんにちは。 今回抜粋していただいた所も、例に違わず面白いですね。(^^) 大迦葉尊者と須菩提尊者のお話しには、 共に「乞食」に対する維摩居士の観点も読み取れます。 何かの経に、 釈尊が とある家先で食を乞うた時、その家の者に、 「自ら額に汗して働きもしないで、他人から食を乞うとは何事か!」と、 罵声を浴びせられた時、 「私も智恵を鋤として 人の心という畑を耕しています。」 と答えた…とかいう話しを以前聞いた事があります。 当時 これを聞いた時には「なるほどなぁ」と妙に感心した記憶があるのですが、 今思い返してみると 何だか変な理屈だなぁと思います。(^^;) “だから他者から食を乞得るのだ”という理由にはならないような…。 おそらくこの経も、真の「仏説」ではないのでしょうね。 本当の釈尊(?)なら、もう少し粋な返答があったはず…と、 疑ってしまうのは私の弱みでしょうか。(^^)ゞ ここでいう乞食が成り立つ土壌には、 やはり魂の永遠性…輪廻の思想的背景があっての事なのだと思います。 それと「情は人の為ならず」…の因果律と。 それにしても、維摩居士の出家者への対応ですか、 まるで子供をあしらうがごとくの態度、…もう少し何とかならないかなぁ。 もう少し「さりげなく」「スマートに」できないのでしょうか。(^^;) このキャラでも悪くはないですが(いい味出してます)、 大乗の優位を言いたいのなら もう少し格好よくキャラクター設定してほしかった。 ・・・って思うのは、もしかして私だけ?。(^^;;;;; 》二人の比丘は罪を悔いて優波離のところにやってきたわけで、 》その時点で、その心はすでに清められているわけです。 》なのに、優波離は罪を実体視して、実体視した罪を二人の比丘に 》もう一度投げかけてしまったことになるのです。 これは全く同感です。そのとうりだと思います。 善悪の区別なく、行った行為がどのような事であれ、 それが種となって いずれは自身で収穫しなければならない結果を見ます。 それは本来、あくまで自分自身が自らで受けとめ消化するものですから、 それを故意に第三者が あれこれできるものではないと思うんですね。 千人殺し(実際は999人殺し)のアングリマーラの場合も、 殺人という大きな罪を犯し続けてきた彼に対し、釈尊は、 その罪を「許す」とか「許さない」とかいう判断はされませんでした。 しなかった…というより「できない」というのが本当のところなのでしょう。 「蒔いた種は自ら刈り取らねばならない」という諭しを与えただけでした。 その後 仏弟子に転身した彼は、 多くの者に罵倒されたり、石もて追われたり、乞食を拒否されたり、 様々な仕打ちを受けながらも釈尊の諭しを信じ通し 耐え忍び、 最後も、表面上は いわゆる非業の死を遂げた訳ですが、 その姿には 私は強く心を動かされました。 (どこぞの馬鹿グルとは大違いじゃ!) 「善と悪」、「真の道理」を体得されていた釈尊ならではの姿を見るに、 釈尊存命中に、しかも高弟の一人である優波離尊者が、 “戒律主義に陥って、戒律を犯す罪というのを実体視してしまった”ってのは、 大いに???なのですが、 もし事実に反するものであったならば名誉毀損モノですよね。(^^;) 実名を出すのも善し悪しかなぁ・・・。 今回は、少しばかり「お小言モード」で迫ってみました。(^^) でわ、では。(^^)/ みのる♪デシタ。 04695/04695 GGA02514 KAZE RE:RE*2:中道論12●風説維摩経5 (13) 96/05/21 11:00 04682へのコメント みのる♪さん、どうも。 》ここでいう乞食が成り立つ土壌には、 》やはり魂の永遠性…輪廻の思想的背景があっての事なのだと思います。 》それと「情は人の為ならず」…の因果律と。 「乞食」というのは、たんに施しを受けるということではなく、 お布施とは、むしろ、与える機会をあたえるための方便なのだと思います。 物理的には、食事を施して食わしてやってるということなんですけどね^^;。 》何かの経に、 》釈尊が とある家先で食を乞うた時、その家の者に、 》「自ら額に汗して働きもしないで、他人から食を乞うとは何事か!」と、 》罵声を浴びせられた時、 》「私も智恵を鋤として 人の心という畑を耕しています。」 》と答えた…とかいう話しを以前聞いた事があります。 ですから、 「自ら額に汗して働きもしないで、他人から食を乞うとは何事か!」と 言われたら、こう答えるのがそうした布施の考え方に添っていると思います。   あなたは与えるのではなく、与えられるのです。   乞うのはあなたなのです。   私はただその機会をつくらせていただいているだけ。 だからこそ、維摩は、大乗の法を理解しないでは、 乞食が成り立たないと言ったのだとぼくは理解しています。 つまり、単なる理屈を盾に取ったコジキになってしまってはならないと。 》それにしても、維摩居士の出家者への対応ですか、 》まるで子供をあしらうがごとくの態度、…もう少し何とかならないかなぁ。 》もう少し「さりげなく」「スマートに」できないのでしょうか。(^^;) そうですか、ぼくはあの「子供をあしらうがごとくの態度」が いいんだと思っているんですけどね。 というのも、設定では、自分を「修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!」的に してしまっていて、その自己満足になっている弟子達ばかりですから、 それを笑いのめすのは、しごく正当なことだというふうに感じます。 でも、これは、「修行するぞ!」が嫌いなぼくの趣味かも^^;。 》「善と悪」、「真の道理」を体得されていた釈尊ならではの姿を見るに、 》釈尊存命中に、しかも高弟の一人である優波離尊者が、 》“戒律主義に陥って、戒律を犯す罪というのを実体視してしまった”ってのは、 》大いに???なのですが、 》もし事実に反するものであったならば名誉毀損モノですよね。(^^;) 》実名を出すのも善し悪しかなぁ・・・。 ま、事実はわからないですが、 何か意味ある考え方の認識部分が等閑にされて、 それが自己目的化することって、けっこう多いと思うんです。 釈尊存命中であろうとそうでなかろうと、ね。 これは推測ですが、弟子達の間では、だれが一番弟子か、なんていう議論も 釈迦に隠れていろいろしていたのではないでしょうか。 聖書なんかにも、使徒のなかでだれが一番かというような話がありますし^^;。 そういう馬鹿げた話さえあるくらいですから、 戒律の自己目的化なんて、日常茶飯的にあったのではないでしょうか。 「修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!」ならぬ、 「戒律を守れ!戒律を守れ!戒律を守れ!」ですよね^^;。 話は違いますが、ぼくが学校が大嫌いだったのも、 まったく意味のわからない自己目的化した校則ってのが たくさんあって、あきれてものがいえなかったというのもあります。 「非行防止」っていう考え方も愚の骨頂であることが多いですし^^;。 では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04684/04695 HGE02116 MAKOTO 諦めないで… (13) 96/05/20 23:01 04670へのコメント コメント数:1 #4670>ジョリーさん、おひさしぶりです。  私は、ここに対して、いろんなものを抱えてます。 たぶんそれは、あなたよりもっと、生々しくて、どろどろした感情だと思う。  もっと現実的で、やり切れないものも含まれています。  噂に踊って、怨みや、憎しみも、いだきました。  義憤に燃えた事もあります。  そして私は、それを自分自身に対して働きかける力として利用しました。  今でも全てを解消しきっているとは言えません。 何かことがあるたびに、私を促す声が聞こえます。  今もね、あなたと他の方達のやり取りをみてるだけで、心が騒ぎます。  「私は忘れない」「報いを、受けさせろ」と、促すものが、私の中にいます。  でも、それでは何も解決はしないんです。  正直な話し、今私は、ぎりぎりの所でバランスを取ってるって感じなんですよ(^^;)  ジョリーさんは、ここが好きですか?  ここに集う人達の事が好きでしょうか?  そんな気持ちが根底にあるなら、大丈夫だと思う。  これからどうなさるのかは、ジョリーさんしだいなのですが、  私の気持ちとしては、諦めないで欲しいです。  そして、心が揺れる事を、恐れないで欲しいです。                                MAKOTO 04694/04695 GGA02514 KAZE RE:諦めないで… (13) 96/05/21 10:12 04684へのコメント MAKOTOさん、割りコメです。 >> 噂に踊って、怨みや、憎しみも、いだきました。 >> 義憤に燃えた事もあります。 >> そして私は、それを自分自身に対して働きかける力として利用しました。 少し前にもお話したことですが、ぼくはけっこうオスマシ屋なところがありますから あまり感情的にならずに坦々とやっているような印象があるかもしれませんが、 ぼくはとっても好き嫌いが激しいんですよね。 ここで「嫌いでも理解」っていってるのは、自分への誡めでもあるんです。 この会議室も長くなりますが、ここでやっていることは、 外的な対象に対して、「あれが悪い、これが悪い、気に入らない・・・」ではなく おっしゃるような「それを自分自身に対して働きかける力として利用」しようという 試みだといってもいいかもしれません。 実際、自分を見据えるにはほんとうの勇気がいるけど、 外的なものをあげつらってなんだかんだというのはとっても簡単です。 不信感を持つとか、依存するとかいうのも簡単なことです。 でも、難しいのは、「なぜ自分はそう感じるのか」を きちんと自分に問いかけてみるということだと思うんです。 もちろん、明確に問題のあると思われることに対しては、 臆さず、堂々と立ち向かう勇気が必要なのは当然のことです。 しかし、それはあくまでもオープンな議論として提示する必要があると思います。 ですから、自分への問いかけを忘れないこと。 そして、議論はオープンに行なうこと。 それを、この会議室でのもっとも基本的な姿勢としてきたと思っています。 》 正直な話し、今私は、ぎりぎりの所でバランスを取ってるって感じなんですよ(^^;) それは、ぼくだってそうですし、ある程度はみんなそうだと思うんです。 違うのは、オスマシして見せないようにしているか、そうでないかの違い^^;。 人は、自分だけを特別視しがちなんですが、 ま、それぞれ辛く苦しい部分や、暴走してしまいそうなところって あるんだと思うんです。 ただ違いは、それをそのまま、ばーん!と出してしまうか、 それとも、それを別の力に代えて表現するかではないでしょうか。 》 そして、心が揺れる事を、恐れないで欲しいです。 心は揺れてありたまえだし、、恐れをなくすというのも難しいです。 ぼくだって、こうして長く会議室やってて たくさんいろんな人にコメントしてたりしてますが、 どうしようか・・・って揺れて、恐くなることってけっこうあります。 でも、それをなんとかお互い学べるかたちにしようと四苦八苦してるわけです。 もし、そうみえないとしたら、その試みが少しは成功しているからかもしれません。 ジョリーさんには、勇気をだしてほしいとしかいえません。 どこか陰で、あれこれ説得するような無粋なマネはしたくないんです。 人はそれぞれ自分で苦しみ、 それを乗りこえていかなければならないときがあります。 それをどうされるか、しっかり目を開いて見ていたいと思ってます。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04685/04695 QZY01267 猫の手 納得いかない (13) 96/05/20 23:11 04670へのコメント コメント数:2  久しぶりでこの会議室を覗いてみました。ジョリーさんと他の人達のこのフ ォーラムについてのやりとりを読んでみて、私がジョリーさんだったら同じよ うな選択をしていたろうなと思いました。  自分の言葉の枝葉ばかり責められて、一番話し合いたいと思っている幹の部 分に話が向いてこないのですから。  私の感じていることはジョリーさんのそれとはもしかしたら違うのかもしれ ないけれど、このフォーラムに対して虎になってでも一言言いたいという人達 がその度に挫かされているのを見るに付けやるせなさを感じています。  ジョリーさんに「そんな意気地のないこと言わずに出て来いよ。」という前 に自分達がいかにジョリーさんの気持ちを汲んでいなかったのかに注目するこ との方が大切なのではないかと私は思います。そうしたら自然とジョリーさん は何かを語り始めると思うんだけど?  ジョリーさんは会議の運営が雲の上で行われていて、自分の手元に来ていな いということから来る不満が最初に書き込まれた「運営会議のうわさ話の真偽 の確認」という形で出てきたのではないかと思いますが、どうでしょうか?  それ以上に、このフォーラムのこういったジョリーさんのような発言に対す るRESの書かれ方が、私にはその人の気持ちを踏みにじっていると感じて問題 が大きいような気がします。特にフォーラムの運営者達からの言葉が重くのし かかっていく感じがしてしまいます。そして、その運営者達はあまり意識をし ていないかもしれないけれど、自分達が同時にこのフォーラムにおいては権力 者だということです。そこに向かって何かを言うというのはとても勇気の要る ことです。それを敢えてしたジョリーさんに腹を立てるのではなく逆に感謝し てみたらどうだろうかと思います。きっとそうしたら、ジョリーさんは運営会 議が有ろうがなかろうが、自分の気持ちが運営に役に立っていることに満足し てしまうはずだと思います。    ジョリーさんがこれで去ってしまったとしてもその内に、また誰かがこのフ ォーラムの運営の仕方に運営者達を怖れながらも虎になって一言言うことにな るでしょう。その声に耳を傾けない限り、虎は顔を出し続けるだろうと思いま す。そして『猫の手』の私は、猫の手の役にしか立てないことを認識しつつ虎 が自由に語れることを応援し続けるでしょう。       ** QZY01267/『猫の手』 <96/05/20 23:10:06> ** 04687/04695 GGA02514 KAZE RE:納得いかない (13) 96/05/20 23:38 04685へのコメント 猫の手さん、どうも。 >>                    ジョリーさんと他の人達のこのフ >>ォーラムについてのやりとりを読んでみて、 ちゃんと読まれてないようですね。 部分だけの印象では、正確な判断ができないと思うんですが。 >> 自分達がいかにジョリーさんの気持ちを汲んでいなかったのか では、ジョリーさんは、ほかの人たちの気持ちを汲まなくていいのですか。 また、うわさ話というゴシップからくる憶測を 「運営問題」としてあれこれいうことについてどうお考えですか。 もちろん、今回はちゃんととことん話し合おうということですから、 ジョリーさんとしても、そのゴシップの出所などについても ちゃんと正々堂々と話さなければならないと思うのです。 それでこそ、双方がいかされる道なのではないでしょうか。 ここでのすべての発言には、運営者云々に限らず責任が伴います。 それでこその自由なんです。 責任を放棄したところに自由はありません。 ここは甘えん坊の保育所なのではないのですから。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04692/04695 HGE02116 MAKOTO 納得いかないなら (13) 96/05/21 09:00 04685へのコメント #4685>猫の手さん 誰かが登場して解決してくれるのを望むのではなく、 貴方が自分の信念に従って、行動するしかないんです。 だって、納得いかないのは「あなた」でしょう? 誰が「あなたの望むように」解決してくれるっていうの?                     MAKOTO 04690/04695 GBB03425 Paper Birch RE:お詫び (13) 96/05/21 02:47 04670へのコメント ジョリーさん。  #4670の発言を、何度も何度も読み返しました。そのたびに、涙が出そうに なります。……ねぇ、ジョリーさん。これで良いの? これで納得できるの? それとも……。  もちろん、僕なんかが余計なことを言うまでもなく、本当は自分でも分かっ てますよね、ジョリーさん……。他の人達からも、たくさんコメントが付いて いますし。  でも、僕からも一点だけ……。 | るけど、不本意な結果になりましたが、もう潮時かなと思いま | す。  潮時? なんの潮時ですか? ジョリーさんは今まで此処で、いったい誰と 話してきたと思っているんですか? FARIONのKAZEさん? FARIONの隆さん? FARIONのこむさん、みのるさん、そして僕?  違うよね。ジョリーさんは、僕たちが「FARIONの」人間だから、話していた んじゃないでしょ。その1人1人と、一個の人間としての信頼関係や、友情が あったからこそ、僕たちは此処で話し合ってきたんでしょう? 出会った場所 が、たまたまFARIONだったというだけのことですよね。  で、此処を去る「潮時」って、何の「潮時」ですか。なぜ今まで此処で話し 合ってきて、なぜ今此処を去るんですか。つまりここを去るっていうことは……  ねぇ、ジョリーさん。友情に「潮時」なんて、あると思いますか?  どうしても此処を出ていくと言うなら、無理に引き止める事はしません。で も、これで最後になってしまうとしたら、ジョリーさんにとって、僕(Paper Birch)という人間は、パソコンのディスプレーに出てくる「記号」のようなも のでしか無かったのかなと、悲しくなります。  僕は、ジョリーさんと、友達でありたいと思っています。これからもずっと 友達でいたいと思っています。だから、こんな形で逃げ出さないで下さい。こ んな事を強要されるのは鬱陶しいかもしれないけれど、ここに残って下さい。  そして、いつか、秋葉原で一緒にラーメン食べようよ。....ね。(^^) △▼△ Paper Birch △▼△ 04689/04695 QZE03111 こむ 枝葉 (13) 96/05/21 02:14  自己を正当化しようとする言葉は半ば無意識に使われる。他人だからこそ見 える場合がある。  幹の内部の問題が枝葉に現われることもある。時に枝葉にこだわる必要もあ る。     *****こむ より***** 04691/04695 QZE03111 こむ 雑感 (13) 96/05/21 03:33  他人の態度に、それはおかしいとコメントし、争う人もいるだろう。一方 で、他人の善を信じて自分が正しいと思うことを、こつこつと種を蒔くように 行なう人もいるだろう。  では、種蒔く人に問う。  なぜそれ「のみ」を黙々と行なわないのだ。「争う人」が自分も返り打ちに あう覚悟で争うなら、黙々と種を蒔くこと「のみ」を行なうことがそれに見合 う行為ではないのか?       *****こむ より***** - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/05/21 - 957/958 QZY01267 猫の手 フラクタル (19) 96/05/20 21:06  多くの人は外側の世界を見て自分とは別物と考える。  多くの人は内側の世界を見て自分自身と考える。  外側の世界は自分の内側にあって  内側の世界は自分の外側にあるにも係わらず。  夜、夢を見る。  それは自分の内側の世界なのに係わらず、  内側の世界で自分の外と内を造ってる。  更にその内側の夢の世界に入っていくと  やっぱりそこにも自分の外と内とが待っている。  自分の思考の世界と、  思考から飛び出して勝手に形造る世界、  外側に向かっていっても  内側に向かっていっても  同じこと起こる。  何処までも広げていったとしても  何処までも潜っていったとしても  内と外は有り続ける。  そして深く潜っていった先の内と外のその世界、  それは自分自身を広げていった  内と外のその世界そのものになる。    この世界はフラクタル。  違うように見えていながらも  何処にも同じそれがある。  どんなに広げていっても  どんな狭い部分を採ったとしても  全く同じそれがある。  私の心の中に世界があって  世界の中に私が居るの。  同様に、  あなたの心の中に世界があって  世界の中にあなたが居るの。    私が宇宙を生み出したそのもので、  同様に、  あなたが宇宙を生み出したそのものなのよ。    そう、私はあなた。  あなたは私。  あなたはあなたでありながら  あなたは宇宙そのものだったこと  思い出してごらん。  感じてごらん。    それを思い出してしまったら  それを感じてしまったら  今のあなたとは  ちょっと違うあなたになってしまっているかもしれないね。  でもあなたはあなたであり続けるから大丈夫。  狭いあなたじゃなくて  広くて大きなあなただったこと  思い出すことになる。  宇宙そのものが  本当のあなただったこと  感じることになる。     ** QZY01267/『猫の手』 <96/05/20 19:57:17> ** 958/958 QZY01267 猫の手 内側の世界、外側の世界 (19) 96/05/20 21:06    誰かに、  ああしなさい、こうしなさい。  ああすべきだ、こうすべきだ。  と言う人が居る。  その人は自分の内側の世界において  自分自身に言っている。  ああしなさい、こうしなさい。  ああすべきだ、こうすべきだ。    誰かに語るその言葉、  自分の内側の世界において自分自身に語ってる。    多くの人は  外側の世界は思い通りにならないけれど  内側の世界は思い通りになると思ってる。  ところがどっこい内側の世界も思い通りにならず、  思い通りにならないその虎をどうするかということが話題になってたりしてる。  にもかかわらず、  その虎をどうしたら思い通りにできるかという話にしかならず。  虎は自由を求めて暴れ出す。    内側の世界とは  思ったことがすぐ実現する世界。  外側の世界とは  思ったことと起こることの間にタイムラグのある世界。  このタイムラグがあることで、  異質なものとの出会いが生まれ、  波動の違うものとの出会いが生まれる。  でもその異質なものも波動の違うものも自分自身だったのよ。  それが自分の外にあり  自分と違うものと思ってる限り  それは虎になる。  その虎は噛み付く気など毛頭なかったのに  あなたが「虎だ! 虎だ!」と毛嫌いするものだから  あなたに噛み付くことになる。    内側の世界をコントロールしようとしてる限り  内側の世界は平和にはならないだろうね。  外側の世界で戦ってる限り  外側の世界は戦いに明け暮れる。  どちらも自分で生み出している世界。  どちらも自分で生み出した世界。  その世界をどうしていくか  それはそれを見ている本人次第。  原因を探っていくのも良いだろう。  その間そういう世界が繰り広げられて行くでしょう。  歓び造っていくのも良いでしょう。  次第次第に歓び広がって行くでしょう。    意識してるにしてもしてないにしても  望んでいる世界広がって行くでしょう。    もし外側の世界で何かに出会ったならば、  それも自分だと思ってごらん。  自分が意識してこなかった自分だと思ってごらん。  そしてその声に耳傾けてごらん。  きっと新しい何か与えてくれる。  外側の世界でそれ始めたならば  内側の世界も何かが変わる。  内側の世界でそれ始めたならば  外側の世界も何かが変わる。  内側も外側も表裏一体のこの世界  内側も外側も自分自身で生み出した  自分の世界。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/05/20 21:05:18> **