「皆さんの焚き火が違法で周囲に迷惑なんじゃないか?と」と村長 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/05/28 - 00967/00967 TBE03167 ねずみ もにゃもにゃ ( 5) 96/05/28 12:13 ふと思ったのですが、 最近はやりのt×fとかあの方面の 歌というのはどうも パチンコ屋の軍艦マーチのノリと似ている のではないだろうか。 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/05/28 - 07557/07559 TBE03167 ねずみ お邪魔します ( 7) 96/05/27 21:05 なんだか、やけに騒がしいようですが (^^; ちょっとだけお邪魔します。 昔、RTではじめてARIONにお会いしたことがあって、 その時に、ARIONから「穏やかになったね」と言われたことが ある。 たしかに、いくらかはそうだったけれども、まだまだ、精神的に つらい状態だったように思う。 最近、やっと自分でも穏やかと言えるような状態になってきて、 ああよかったなと思えます。 必要もないのにカッカしているのは辛くて・・・ あの責め苦から解放されて本当に嬉しく思います。 このことをARIONとみれさんにご一報させていただきます。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/05/28 - 04753/04754 QZY01267 猫の手 RE^4:甘えちゃいけないんですか? (13) 96/05/27 22:01 04743へのコメント コメント数:1  KAZEさんRESを有り難う。  多分、KAZEさんのおっしゃることは一般的には正しいのだと思います。その ことを認めた上で 私は語り掛けています。そのことをKAZEさんは私が言葉尻 を捉え、揚げ足取りをしていると感じられているのかもしれません。  「揚げ足を取っている。」と言われれば、それまでです。ごめんなさいと言 って私は退散します。  ただ話を終わらす前に、私がKAZEさんのような一般的な視点とは違うところ から見ていてジョリーさんに語り掛け、KAZEさんに繋げたということは伝えて おきたいと思います。  私はジョリーさんではないですが、私がジョリーさんだったとしたらどうい う思いがあってあれを書いただろうか? 他の人々の反応にどう感じたろうか? そういうところから書きました。実際ジョリーさんが私の思ったように考えた かどうかはジョリーさんでなければ分からないでしょう。ただ私が、ジョリー さんと同じような立場に立ったときに思い巡らせることであろうということに すぎません。  KAZEさんの言うように私はどちらかというと今は、殆ど感覚的に行動してい ます。その割りに結構悩んだりもするのですが、それはそのとき感じたことを どう表現するかで悩むので、それをすべきかすべきじゃないかということでは 悩むことは少なくなっています。  以前はもう、『正義の為』というのがテーマだったようなところがあります。 それからするとえらい変わりようです。今のテーマは自分の抱いた感覚に忠実 に、そして且つ、埋もれてしまった感覚を取り戻す。というところで動いてい ます。それにより、私はもっともっと楽になって行くんだろうと思っています。    一般的な『責任』という考え方で、噂話に根拠を提示せよと言われて提示で きる人は殆ど居ないでしょうし、それをしたらまたその噂話をした間柄同士の 関係を悪くすると思うことから誰との間でどのように話されたかということを 話す人も少ないだろうと私は思います。  そうしなさいと言う人がいくらその相手を責めてないと言ってたとしても、 「責任をとらないままで居る。」という言葉、「問題だな。」といっている言 葉からは受取手としてはKAZEさんの意に反して「責められる。」と受け取って しまうはずです。それは、言葉尻と言う見方もできるかもしれませんが、「責 めようとは思っていない。」という言葉とは裏腹な相手の行動を批判している 姿勢の顕れと相手の側からは見えてしまいます。  本当に相手がどういう想いからそうしたことを語ったのかの真意を知りたい と思ったならば「責任をとっていない。」とか、「問題だ。」と言う思いを脇 に置き、その人がどういう意図を持ってそれをしたのかに興味が持てない限り それを知り得ることはないでしょう。  うちの親父はよくお袋に「嘘をつく。」と責めます。お袋が親父の価値観に 合わないものを隠そうとするのは当たり前で、「それを隠さなければならなく しているのは親父自身だと。」いうことにはなかなか親父は気付きません。結 局は「嘘をつく。」と責めることで余計に相手が嘘をつき続けなければならな くしてしまっています。  親子の関係でもそういうことはよくあることです。「子どもが言うことを聞 かない。」と言っている親は子供にそうさせているのが自分だとはなかなか気 付きません。  ただちょっと、相手がそれを言いたくなったのは何故だろう? それをしよ うとしなくなってしまったのは何故だろう? と考えることができたならお互 いの関係を改善できる可能性があるにも係わらず。  もし、KAZEさんが私の言葉に反感を感じたり、厭な気分に陥って、私の言葉 に耳を傾けたくないと思ったならば、それは私の引き起こしたことして私は私 を見つめます。KAZEさんがどういう気分で私の言葉を受け取ったのか振り返っ てみようと思います。  そこには私の言っていることが正しいとか間違っているということ以上に大 切な何かが潜んでいると私は考えています。  誰かが責任を取らないと嘆く人が居て、「そうしている限り責任は取って貰 えないよ。」と言ってしまう私が居て。その私も、私の言葉が伝わらないと嘆 いていたとするならば、私がその相手の思いを汲み取れない限り、私は誰にも 何も与えられないでしょう。私が思いを変えて、対処の仕方を変えていったと き一緒に私の周りも変わっていくと思っているよ。この世界がこういう状態に あるのはネ、結局、相手の思いを汲み取れない私の責任なんだよね。だから私 はもう少し、少しずつ、人の思いを汲み取れる私になっていこうと思ってるよ。  「こいつ、言いたいこと言いやがってちっとも俺の気持ちなんか分かっちゃ いない。」そう思われたなら、その想い汲み取れるようになって出直してくる しかないものね。  でも知って居るんだよ。KAZEさんも、ここにアクセスしてきた誰も彼もがジ ョリーさんと仲良くしたいってこと。誰も彼もが仲良くできたらいいと思って いるということを。そしてね。KAZEさんが責任を追及したいという想いを脇に 置けたならジョリーさんから「心配させて、御免ね。」というメールが届くは ずだって。  私はね。みんなが「ジョリーさんと仲良くしたい。」と思っているってこと 信じて、一時的に辛い思いをさせちゃうかもしれないけれどと思いつつ。勇気 を絞って書いてみたんだよ。  私のやり方よりももっと上手な、誰もがもっと仲良く楽しくできる方法があ ったなら教えて貰いたいといつも思っているよ。そういう世界を実現すること が私の願いだから。  受け取って貰えなかったなら、じっくり考えて出直してきます。    読んでくれて有り難う。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/05/27 20:07:27> ** 04754/04754 GGA02514 KAZE RE:RE^4:甘えちゃいけないんですか? (13) 96/05/27 23:20 04753へのコメント 猫の手さん、どうも。 >> 私はジョリーさんではないですが、私がジョリーさんだったとしたらどうい >>う思いがあってあれを書いただろうか? 他の人々の反応にどう感じたろうか? >>そういうところから書きました。 ぼくもジョリーさんではないですが、 ジョリーさんがなぜ、どういう思いから書かれたのかをたくさん考えて、 ぼくはぼくなりに、かなり具体的に、ジョリーさんの思いを、感じ方を 理解しながら書いてきたつもりです。 そしてその理解のための根拠になっていることもいくつか調べました。 猫の手さんは、そこらへんの具体的なことをどれだけ理解されているのでしょうか。 また、ジョリーさんがこれまでこの会議室で話されてきたことについて どれほどのことを理解されているのでしょうか。 言葉の表面的なオブラートの部分だけをあれこれいうのではなく、 その真意の部分を理解しようとするのが、 相手を尊重するということなのではないのでしょうか。 そうでなくて、印象だけで「よしよし・・」っていうのは、失礼なことです。 赤ん坊なんかじゃないんですから。 あくまでも理解の上に立って、その上で、無意味な誤解や軋轢を きちんと解いていくことが大切だと思うんです。 また、「責任をとる」云々という固めの話しも、それは相手のためではなく、 自分のためであることを忘れてはいけないのだと思います。 それと、ここに参加される方々みんなが「仲良くできたらいい」というのは それはそうなのですが、この会議室は、何も、「仲良く」することを自己目的化した 会議室ではではありません。 この会議室には、この会議室なりのテーマがあります。 いろいろなことを表面的にではなく、深く掘り下げていこうというのが この会議室のいちばん基本的な姿勢でなくてはなりませんし、 その姿勢をお互いが尊重しあって学びあううえで、 「仲良く」できるに越したことはありませんが、 傷のなめあいのようなことでしたら、この会議室には不向きですし、 そういう会議室にはしたくないと思っています。 それにはそれに適した会議室やフォーラムがあるでしょう。 >>              KAZEさんが責任を追及したいという想いを脇に >>置けたならジョリーさんから「心配させて、御免ね。」というメールが届くは >>ずだって。 誤解が根強くあるようですが、ぼくには、ジョリーさんの 「責任を追及したいという想い」はありませんし、 また、そんなメールもほしくはありません、無意味ですから。 ただ、ジョリーさんに自分のなかにあるものをしっかり見つめてほしいだけです。 それはあくまでも自分が見るのであって、ほかの人に見てもらうものでもないです。 そして、この会議室のテーマも、それ以外のことは二次的なことです。 また、そうしたことを通じて、他の方もそこから自分を見つめることを学びますし そこではじめて意味のあるかたちで「仲良く」できるのだと思っています。 だれでも人は自分のなかにたくさん弱さをもっています。 そしてその弱さをかかえながら、人はそれを克服しようとしています。 克服するためには、その弱さの部分を、自分でなんとかしなければなりませんが、 それをするのは自分でするのです。 励ますことはできますが、それが気休めであってはならないと思うんです。 人は成長の過程で、多く傷を負います。 その傷は外からきたようにみえて、実は自分で自分を傷つけているものです。 だから、自分で自分を傷つけないでもすむようにしないと泥沼になります。 その泥沼からは、自分で抜け出る以外に方法がありません。 人は、どうやったら抜け出られるかをアドバイスはできますが、 抜け出るのは自分なのです。 そうしたことを考えながら、日々模索しているのがこの会議室です。 そして、結論を急ごうとも思っていませんし、結果主義にもなりたくありません。 プロセスが大事なのですから。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04752/04754 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●2 (13) 96/05/27 17:34 04668へのコメント ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第2回/「条件」(P19-31)その2 最初は、補足事項が多くなりましたが、 そろそろテキストにそって話を進めていきたいと思います。     実際、神秘知識といえども人間が問題にするその他の知識、能力と異なるとこ   ろはない、それが秘密の内容を含んでいるというのは、文字を習わなかった人   にとって読み書きに秘密が含まれているのと同じ意味においてである。正しい   仕方で習えば、誰でも書くことをおぼえる。そのように正しい道を求めるなら、   誰でも秘伝を受ける者(神秘学徒)に、否、秘伝を授ける導師(神秘学者)に   さえなることができる。他の外的な知識や能力と異なるのは次の事情に限られ   る。生まれたときの生活環境や文化環境によって、文字の知識を身につける機   会に恵まれない場合があるかもしれない。しかし高次の世界における知識や能   力を真剣に求める者には、どのような障害も存在しない。(P20-21)    自分の横で、数学の問題を軽々と解いている人がいると想像してみてください。 そして、それを見ても、自分には皆目わけがわからない。 または、自分にはまったくわからない文字を当然のように読んでいる人がいる。 その数学の問題や文字は、それを解読できない人にとっては、 「秘密」であるということができます。 その「秘密」に迫るためには、数学を学ばなければなりませんし、 また見知らぬ言葉を学ばなければなりません。 秘密が秘密のままであるということは、 まだそれを学んでないということなわけです。 「自分にはそれを学ぶ環境が与えられてなかった」という言い訳は、 神秘知識を学ぶ上ではなんら障害にはなりえないと書いてありますが、 よくよく世の中を見回してみれば、いかに苦難のなかに置かれても、 自らの魂を成長させながらがんばっている方もいる一方で、 いかに恵まれた環境にあっても、単に堕落しているだけという方もいますし、 それはたとえ環境的には似通った条件にある兄弟であっても、 魂の力にはおのずと差ができていくように、 神秘知識を学ぶことにおいて、最重要なのは、 それを学ぶに値するかどうかということなのだということです。 秘密はその秘密にふさわしい準備のできた人にこそ開示されます。 そういう意味で、秘密を秘密にしているのは、外的要因ではなく、 内的要因にすぎないともいえるわけです。      大切なのは次の二点である。第一に、真剣になって超感覚的認識を求める人な   ら、自分を高次の秘密へ導いてくれる導師を見出すまで、どんな努力も、どん   な障害もおそれてはいけないということ。第二には、認識への正しい、まじめ   な努力が存在するときには、どんな状況下にあっても、伝授する側がその人を   必ず見つけ出してくれるということである。(P21) 「どんな努力も、どんな障害もおそれてはいけない」ということは、 ある意味では、仏教なので、発心だとか回心だとかいわれているようなもので、 それを学ぶのだという魂の底からの希求があってこそ、 道を歩むことができるということでしょう。 そして、その道を不退転で歩み始めた人にとって、 「誰も教えてくれない」ということはありえないことだということです。 もし道を歩もうとしながら、「誰も教えてくれない」「どうしていいかわからない」 そう思う者があったとしたら、その人はそれに気づかないだけか、 その準備ができていないかなわけです。 たとえば、大きな病に罹ってしまったとしましょう。 または、人生で克服できないほどの大きな問題が持ち上がったとします。 そうしたことこそが、その導き手であることもあるはずですが、 それに気づくも気づかないも、その人次第だということがいえます。 ある人にはそれが見え、ある人にはそれが見えない。 見えない人には、その秘密への認識が生まれないというわけです。 一冊の本との出会いというのも、それに似ています。 運命のように本と出会うということは確実にあります。 「あなたは、この本から学ばねばならない」 まるでそう語りかけているような本があるのです。 その本は、なにがなんでも私のところに届けられねばならなかったし、 それは幾度拒んでも拒みきれないようなものでもあります。 しかし、それをほとんど気にとめず、うっちゃっておくのも、 確実にそこから鍵をもらうのも、その人の内的な準備ができているかどうか。 それに尽きるのではないかと思います。 気づき始めると、なにかが自分に語りかけている。 知らなければならないことを知らせようとしている。 そうしたことは、本に限らず、あらゆるところに存在するのがわかります。 世に、「偶然」という言葉がありますが、 誰かが言っていたように、それは偶然を偶然としか思えないのは、 単なる「認識力の不足」以外の何者でもないのです。 まさに、気づきは、シンクロニシティに満ちています。 それを偶然とみるかシンクロニシティとみるか。 それもどれだけ内的な準備ができているかに関わっています。      人間は自分の魂の変革以外に導師の固い口をひらかせる手段を見出すことはで   きない。魂の質を或る高さにまで発達させることができたときはじめて、最高   の霊的な宝が彼に与えられる。(P22) 幼い子や常軌を逸している人に刃物を持たせられないように、 秘密は、それを使いこなせるかどうかによって、 与えられるかどうかが決まってくるといいます。 算数の加減を学んでいる人に計算機を与えるのは適切でないように、 魂の高度な能力を身につけるためには、その基礎から学ぶ必要があります。 何事にも感情的になり、ちゃんと思考力を働かせることができない人や 物事を論理的に考えられなかったり、責任感が欠如していたり、 理屈ばかりが先にたって、何も自分ではしようとしなかったり、 そういう人が、魂の高度な能力を身につけることは不可能なわけです。 そういう意味で、魂の基礎力を身につけるための、修行が必要となってきます。 この「いか超」では、そのためのさまざまな方法論についても 述べられていますので、テキストに添って、今後説明していくことになります。      ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/05/28 - 04050/04055 CQE06546 みぃにゃ RE*3:SOUND とこの部屋の仲間へ (14) 96/05/27 17:23 04033へのコメント  皆さんこんにちは。  ちょっと、怒られるかもしれないんですが……。  私には『魂の双子』のような親友がいます。  「いこい亭」で自己紹介したとき、『見える友達から「あんたの後ろに赤い光が 見える」といわれたことがある』と書いた、その友達です。  今、その子と協力して、この詩編を解読してみようとしています。  彼女はNiftyの会員ではありませんが、信用のおける人物で、明らかに この現実世界以外のものからのメッセージを受け取る能力があります。  と、いうより、あちらの世界のメッセージをそのまま私に伝える人です。  私たちは二人で一つの存在になりつつあります。  私たちの一致した見解では、最後の一節 》 私は言葉を切り揃えはしない。 》 私は音を大事にする。 》 私は木の葉擦れの間で息をしよう。  に、解読の法則とヒントがあると思います。 ☆♪☆みぃにゃ☆♪☆ 04052/04055 GGD02212 スウ RE:RE^2:SOUND とこの部屋の仲間へ (14) 96/05/27 23:13 04038へのコメント #4038 NOISEさん コメントをどうもです。毎度ながら語彙が豊富ですね。 「みすみ を しょうく」が「三角を縄矩」だとすると「三角定規」かな。(スウ) 04051/04055 HQK00566 SOUND RE^5:炎で書いた物語」最終章(その5の。) (14) 96/05/27 17:35 04025へのコメント 「炎で書いた物語」最終章(その5の。)        <私説、君が代考。>      >>須磨は神戸市西部の須磨区南部で大阪湾に面する景勝地。      >>1995年1月14日、発生した阪神大震災の被災地。          前回の最後のこの部分を読み返して阪神大震災の日付をうち間違えているのを発 見した。  現在は、正しくは「阪神淡路大震災」(兵庫県南部地震)と呼ばれ、 1995年1月17日、午前五時四十六分頃に、発生している、と辞典などにも記され ている。 この日付は重要な意味をもっているはずだ。 まちがったままでは申し訳ない。 わが身に火の粉がふりかかっていないので記憶が曖昧になっていた。慎んでお詫びと訂 正させていただく。  *************************************************************      「私説、君が代考氤」ですでにぼくのいわんとするところはほとんど終わってしま ってすべてを察知された方は多いと思うがすこし補足をしてまとめとさせていただく。   前回、「八千代」の説明で唐突に「八尺只の原理」(ヤタノゲンリ) ということばが出てきて「なんのことやろか」と戸惑われた方もあるとかと思うので簡 単に説明しておく。 「八尺只の原理」(ヤタノゲンリ)の尺只(アタ)は漢字表に字がないので尺と只を並 べて代用しているのである。 「尺只(アタ)」は上代の長さの単位で親指か人差し指と中指を開いた程度の長さのこ と。 「八尺只」と八がつけば非常に大きいことであるが八つの頭のことともいわれる。 三種の神器のひとつ、「八尺只鏡(ヤタノカガミ)」や、「八尺只烏(ヤタガラス)」 にも使われる。 「八尺只の原理」(ヤタノゲンリ)というときは大きいと言う意味ではない。 「八田の原理」と書けば見えるように八方に開いた「米」形の蓮華が「田」の回転をす ることである。 「田」の中心に棒(天御柱)を立てて卍(スワスチカ)と逆卍(サヴァスティカ)の回 転することである。 「田」の字は底辺を接した二つのピラミッド(正八面体)を真上から見た字なのだ。 「「田子の浦」のことばに隠されているように田」の裏にも同じ「田」がある。 われわれの眼に見える地上の山の三角形は隔り世ではまったく逆の三角形と底辺を接し ている。 現界のピラミッドが卍(スワスチカ)回転をし、隔り世のピラミッドが逆卍(サヴァス ティカ)の回転をする。 そしてあるとき、磐戸が開く。 そのためにスパスシフィカは逆卍(サヴァスティカ)の回転をしているのである。 その回転が極まったとき真横から見れば上の三角(ミスミ)と下向きの三角の交点が融 け合い、ダビデの盾あるいはソロモンの封印と呼ばれるカゴメ紋を形成する。 はなさんが以前に発言された天使ミカエルの胸のマークはいずれにしてもピラミッドを 示唆しているようだ。 >>    −−−−− >> |  *  | >> |  * *  | >>    | * * |  >> | ******* | >>     −−−−− このことはのちの書き込みで紙幅をとってふれる機会があると思うので 今回は「八尺只の原理」(ヤタノゲンリ)とはそのような天地の交流のこととして理解 しておいていただく。 さて、この「君が代」の歌に出てくるイメージは チ、ヨニ、谷地ヨニ、 いわホト 苔のムロ、など、どれも女陰や子宮に通じ、生産を暗示する。天界の高天原から 地上界の高天原、すなわち、高天腹、ピラミッドからの再生、復活を詠んでいるのであ る。 一旦、隔り世に隠退された饒速日尊(ニギハヤヒ)の天の高天原から地上の高天原への 蘇りが詠われているのである。 それが「君が代は」に換えられるまでの「わがきみは」の歌の真意であった。 ぼくはここではこの歌の作者をのちの物部氏のかたではなく饒速日尊(ニギハヤヒ)そ のものであったと想像するのだ。もちろん、霊的に近いだれかの体を使ってチャネルを 合わせて書き記させたのだろうが。 「わがきみは」と詠む方が饒速日尊(ニギハヤヒ)自身であるとすれば 「わがきみ」は「わが鬼霊は」ととれる。 つまり、隔り世に行って鬼として人々に畏れられる霊はということである。 「わが黄身」と卵の中央にある黄身と考えて、 ここでまたしぶとく例のハロー・メッセージを見て    >>95/11/09はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝        五五の位置に、はじかみの色=黄=鬼=饒速日尊(ニギハヤヒ)が立てば酒匂(サカワ) の戒めが解かれる、ことになる。その五五の位置が「田」や十の中心点なのである。そ してそのときはもうすぐのような気がする。     タタラの説をとって古代の科学を想像すれば あの有名な、宇宙人を思わせる遮光器をつけ、飛行服に身を包んだ土偶はどう見ても古 代の磐船のパイロットのすがたである。 饒速日尊(ニギハヤヒ)の力が蘇ったとき、封印されてきたそのような科学がふたたび 日の目を見ることになるのだろう。 現象的には古代のタタラ・アタタラの科学の復活を歌い、心象的には大和心の復活。 神象的には真の天照太神の復活を歌っている。 現心神界、三界にわたる、復活の歌なのである。 「君が代」となっても、それが真の天照太神の代であることを認識して歌うならば、 国歌としてふさわしい。 国旗の日の丸とともに大和民族の誇るべき國の徴たりうるであろう。 きみがよは  真の天照太神の代は 千代に八千代に 永遠に      さざれ石の  万物生成の神の回転の意思によってマグマが    巌となりて  巌となって結晶し    苔のむすまで 生産に関わる空間ですべてを生じるまで    と普通にそのまま解してもめでたい祝福の歌としてとりたい。    ********************************************        「瞑想(迷走)的、神話ノート」    ここにぼくが瞑想中に見た復活神話をノートしておく。    ところは因幡(イナバ)の國。出演者はイツモという白い兎と鱶(フカ)だった。  兎は隠岐の島から因幡へ海を渡ろうとして鱶に頼んだ。兎の口は兎口(みつくち)で うまく発音できない。息が漏れる。  「フカさん、フカさん」といっているのが「ヒュウガさんヒュウガさん」と言ってい るように聞こえた。  並んだフカたちの背中を渡った兎は礼を言って去ろうとしたが  「イツモよイツモイツモおれたちを足蹴にしやがって、いつまでも黙っていると思う な」  フカの鼻には水が入って「イツモ」が「イヅモ」と聞こえた。  あっというまに兎は海中に落とされた。溺れる兎を鱶たちは拾い上げ赤裸に皮を剥い てしまった。  ヒイヒイ泣いているところを八十(やそ)神が口々に治療法を教えたので兎は  それを信じて潮を浴びた。ゲーッ、ギャーッ、とのたうちまわっているところに  大黒様が登場した。  「おお、おお、かわいそうに、自慢の白い皮をひんむかれたか」  「あいつらは、日向(ヒムカ)と言って皮(ひ)を剥くのさ。ヒンムクのさ」  「そんな駄洒落はやめて、治して下さいよ。八十(やそ)神様に教えてもらって潮を 浴びたらこんなにひどくなって…」  「そうか、耶蘇(やそ)の神は西洋の神じゃからな。兎の料理法には塩の味付けが一 番なんじゃろ。わしはやっぱり、醤油が好みじゃ」  「いい加減にしてくださいよ。わたしは治療法が聞きたいのです」  「それなら、蒲の穂にくるまるのじゃ。おまえのかぶっておったあの白い皮は皇の印 じゃった。皇の字の白をフカに奪われたのじゃ。じっと蒲(がま)んするのじゃ。その 赤裸の色は隔り世の色。我慢しつづければいつかふたたび白き皮が蘇り皇となる日が来 る」  「わかりました、それではおっしゃるように隔り世でしばらく我慢をつづけます。と ころであなたはどなたですか。大國主様ですね」  「みんな、わしを大國主とまちがいよる。名前が似ているからかのう。大物主という のじゃ。隔り世にいるときは赤い色なんじゃがこちらに出てきたとき、黒うなって大黒 となる」  「その手の物はなんですか。そしてその袋の中身はなんでしょう」  「これは打ち出の小槌という。いつか使うことになるじゃろう。この袋には十種神宝 が入っておる」  そう言い残して、大黒様はどっこいしょとばかりに米俵の上に坐った。  赤兎は痛みと怨みに我慢に我慢を重ねて幾時代かが過ぎ去った。  そしてある日、ころをみはからって大黒様の打ち出の小槌が振られた。  みるみるうちに、兎の体は元通りの白い毛に覆われた。    ぼくは瞑想を終わって辺りを見回した。しかし、体一面に白い毛は生えてはいなかっ た。       (この項終わり)      ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04055/04055 QZV02351 平松 賢介 香港は共産化されない? (14) 96/05/28 08:41 こんにちは。 ARIONのメッセージの一節に >>p九十九は百にはならない >> 天は落ちない >> 大きな手がまだらの島より差しのべられる の言葉がありました。 来年中国に返還される香港。99年間の約束でイギリスへ貸してあ ったわけで、100年目に中国となるわけです。 「99は100にならない」自由主義社会の香港は、たとえ返還さ れても共産主義社会にならないと言ってるような気がします。 ラビ・バトラー教授は香港返還を期に、資本主義の崩壊が始まる可 能性があると言ってましたが、「天は落ちない」ということは、つ まり、現体制、資本主義社会は、劇的な変化を遂げるのではなく、 維持される、もしくは類似なものに変化するのではないでしょうか。 それを助けるのが、「大きな手」、イギリスではなく、「まだらの 島」、多民族国家アメリカからの援助によるものではないでしょう か。 東西文明が800年周期で転換するという説があります。十字軍が 文明を東から西へ移動させたのが西暦1200年頃。あれから80 0年。今、文明は北米大陸からアジアに転換されようとしています。 日本がその橋渡し役となりうるのかはなはだ疑問ですが、もし、香 港・中国の間に問題が生じ、そこにアメリカが介入しはじめたとし たなら、西の文明が香港を通じ東に移行し、文明情報を伝達するも のと考えてしまいます。 新しい価値観を求めて・・ホロン QZV02351