奥の焚き火民が「そんな一方的な話、ひどいですよ」と声を掛けた - FARION MES( 3):Media Talk ◆ 本/映画/音楽を語る 96/06/03 - 01355/01355 QZG02773 ウルヴィー ウルヴィー四、五月の本 (61L) ( 3) 96/06/02 23:28  誰も待ってないかも知れないけれど(笑)、一ヶ月あいだが開いたのには実は  理由があるのだよ。その理由になった本をまず一冊目に紹介する。 「キリスト教神秘思想史1教父と東方の霊性」  ルイ・ブイエ著 大森正樹/長戸路信行/中村弓子/宮本久雄/渡辺秀 訳  翻訳・監修 上智大学中世思想研究所   平凡社  \7500   800字×750頁の大作。この本に約ひと月手こずっていたのだ(笑)。   『霊性とは主観側から見た人間の宗教性を意味する。生活における宗教性   の具体的実現の仕方とそれに関する理論を指す。』『霊性の概念は修徳修   行と神秘思想との緊張に満ちた統一とでも言うことができる』 私のごく   ごく主観的な言い方が許されるなら、霊性とは神と(あるいは人間の真実   と)どのようにかかずらって行くかという理論と実際の生活を指す言葉な   のだろうと思う。この本ではキリスト教の黎明期から教父時代、そして東   方教会における霊性を詳述している。細かいところは実は私もまだ頭に入   っていないのだが、確かに言えることはこの本がキリスト者によって書か   れたものであり、キリスト者の為とも言えるほどキリスト教に対する愛に   あふれたものであるということではないだろうか。神がイエスにおいて肉   を帯び死んだのであるから、肉である人間もイエスを通してイエスをまね   ぶことによって、神にたどりつくことができるというすがすがしいほどの   確信、信念は私の中で死に体であったキリスト教に新しい生命力を吹き込   んでくれた。問題は聞き慣れない人物名、文献名(ギリシャ語の名前は覚   えにくい上に偽とか大とか付くし(笑))が続出することだろうか。 以下が厳密な意味での五月の本である(笑)。 「キリスト教の本 上・下」  ブックスエソテリカ第15・16号 学習研究社 各 \1200   キリスト教というとてつもなく巨大な相手をどう一冊の本に収めるのかと   ある意味楽しみにしていたこのシリーズだが、二冊分冊にするとは(笑)。   こちらは上記の大著とくらべるとあきれかえるほどキリスト教に対して厳   しい視点をとっているのが印象的である(上巻、おそらくは複数いる筆者   の中のひとりがそういう考えの持ち主なのだろうが)。『死人が実体的に   復活するなどということが起こるわけはない。それゆえ、イエスは復活し   たか、という問いには、端的に「そんな史実はなかった」と答えればすむ』   と断言し、『いわゆる自然的奇跡(イエスが水の上を歩いたとか、嵐を鎮   めたとか、イチジクの木を呪って枯れさせたなど)は、やはり民間説話的   なものであり、また、死んだ者を甦らせたなどという類いのものは、みな   後代の創作である。』と言い切る。上巻でイエスと聖書、下巻で聖人・聖   母・天使、儀礼・宗派を扱っている。入門書であるスタンスはこのシリー   ズを一貫してかわっていない。 「神々の指紋 上・下」  グラハム・ハンコック著 大地 舜 訳   翔泳社 各 \1500   13番でKAZEさんが紹介された本(#4346)。細かいことをいうときりがない   のだが、いろいろともっと掘りさげて欲しいと思うところが多々あったの   ですこし惜しい気がした。(ピリ・レイスの地図は中米東岸・南米東北部   の海岸線が大幅に広げられたに過ぎないという意見もあるし、ドゴン族の   シリウスミステリーについては、ドゴン族にシリウスのほかに伝わる土星   の輪や木星の衛星についての伝説が西洋天文学と同じ過ちをしているのは   どういうことなのかということに関して説明がなかったりする。つまり自   説にとって都合のいい証拠に関して厳密な審査が行われていない印象をぬ   ぐえないのだ。)だが読み物としておもしろく読ませてもらったのは本当   である。とりあえずスフィンクスの雨による浸食の跡の説明をエジプト学   者たちにぜひお願いしたいものである。なお参考図書中のオリオンミステ   リーはかつて紹介した本で邦訳があります。              今月こそはちゃっちゃと未読の本を              消化しようと思うウルヴィー - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/06/03 - 07615/07620 GBG02043 維/YUI RE:何に拘っているの? ( 7) 96/06/03 00:04 07595へのコメント (これも、ノロガメさんのこと書くので、ノロガメさんも読んでね) やっほ〜、MAKOTOさん。 「ノロガメさん次第」ですよね。 うんうん。これは、誰にでも当てはまることなんでしょうけれども。 私なんか、あいつがどうのこうの…って愚痴ったけれど、結果自分の姿勢で その”あいつ”の自分に対する言動行動が、自然と変わったってこと たくさんありましたからねえ。 それも、自分が本当に感じたこと、思ったことを きちんと相手に伝えるってのを「出来る限り」やっていくというあまり積極的で なく、地味なことだけだったんですが。 たいがい、原因って、自分の中のたいしたことじゃない、気が付かないような くせだとかでした、今までの経験からすると。 あんまりにもたいしたことじゃないことなんで、なんでそうなるのかわからなかったり するんですよ、実際。 だけど、誰か相手がいて、それがはねかえってくると、 予想外のおおきな打撃をうけてしまって、あ然としました。 相手にあやまらせたい、なんて気持ちは私の中にもしょっちゅうわき上がること なのですけれど、そんなちっぽけなことよりも、「自分がほんとうにめざすこと」 の方が大切だって、あるときふと思ったら、一気にいままでの拘りがすっげー ばかげたことになってしまって、「なんてもったいなかったんだ」とガックリした ことが、しばしば…、たびたび…。 まあ、こんなことで会議室使わなきゃならない、 私達って全員責任大きいですよね……ボソ 維/YUI - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/06/03 - 880/880 MHD02672 TAO 出雲の風 4 ( 9) 96/06/02 23:57 879へのコメント   この連載も今回で最終回です。   第三日(五月三日)   【貴船神社】   この朝は松江市内でお土産物を買って来た後、同行者の意向で京都の貴船  神社へ向かうことにしました。貴船神社はご周知の通り鞍馬山にある神社で  すが、何で貴船神社に寄って行ったかというと、同行者が貴船神社の境内に  湧いている神水を頂きたいということで、私も付き合うことにした訳です。   GWの最中の為か高速道路は混んでいて、貴船神社に辿り着いたのは午後  遅くになってでしたが、山中の神社にもかかわらず、結構観光客が押し寄せ  ていて賑わっていました。貴船神社は本社・末社・奥宮に分かれていますが、  ご祭神は「闇■神」又は「高■神」という耳慣れない名前の神様です。       クラオカミノカミ   タカオカミノカミ   ※上記の■に入る字は下のような字です。       雨       ロロロ       龍   この「闇■神/高■神」は日本書紀の巻一にも登場していて、以下に引用  します。                       カグ ツ チ       一書に曰く、伊弉諾尊、剣を抜き軻遇突智を斬り、三段に為した               イカヅチノカミ      オホヤマツミノカミ      まふ。其の一段は是雷神に為り、一段は是大山祗神に為り、一段は       タカオカミ      是高■に為る。   さてこの闇■神ですが、「神道事典」によれば、クラは断崖の下の峡谷を  指し、オカミは水を司る龍とされているそうです。つまり水神=龍神ですね。   ところで、私達と時期を前後して出雲へ出かけた去る方から、面白い話を  伺ったのですが、何でも出雲の熊野大社の境内にある「荒魂社」ではご祭神  として「素戔鳴命、闇■神、高■神」が祀られているそうです。その荒魂社  にも参拝して来た筈ですが、ご祭神までには気付かなかったですね。素戔鳴  命と闇■神が出雲の神社で共に祀られているという事実には、興味を掻き立  てられるものがありました。                     クラ オカミ ノカミ クラ ミ ツ ハノカミ   因みに、闇■神は「高■神」の他にも「闇淤加美神」「闇御津羽神」(記)  とも書かれていて、ミツハの意は、出始めの水や水精を指すと言います。   神水を頂いてから、本社・結社・奥宮を全部参拝して来ましたが、貴船神  社の雰囲気は多少変化したように感じられ、ちょっと明るくなったかもしれ  ないなぁと思いました。奥宮への参拝を済ませた後、日暮れまでにはまだ時  間があったのでちょっと遠いものの、亀岡市の出雲大神宮へ向かうことにし  ました。   【出雲大神宮】   京都市内に一旦戻って、夕焼けの空が異様な模様に染まっているのを車内  から眺めつつ、亀岡市に向かいます。一面田畑ののどかな風景の中に、出雲  大神宮はご神体山である御陰山の麓に構えていて、人影もまばらな夕方の薄  闇の中に、社殿の古びた雰囲気が神秘的な雰囲気を醸し出していました。   丹波国一宮としても知られる出雲大神宮が創建されたのは、和銅二年(709)  と伝えられ、元明天皇の代に当たっていますが、この翌年に藤原京から平城  京へ遷都しています。ここのご祭神も出雲大社と同じく大国主神です。さて  出雲大神宮と出雲大社の関係について不明なところも多いのですが、『徒然  草』の一節に「丹波に出雲という所あり。大社をうつしてめでたくつくれた  り」と記載されていますので、出雲大社から当地に分霊が勧請されたという  ことでしょう。   その反面「元出雲」という呼称があり、山陰の出雲大社よりも古いという  伝承も伝えられており、梅原猛氏の『神々の流竄』によれば、元明天皇が在  位していた和銅年間に、大和朝廷に反逆しがちな豪族らの神々を外に押し遣  る「放遂」が始まり、出雲大社もその時に初めて祀られたのでは無いかと推  察されています。となると、「元出雲」の呼称を持つ出雲大神宮は、出雲の  原像を窺う上で非常に興味深い存在です。そう言えば、出雲大神宮の鎮座し  ている亀岡市は大本教の本拠地でもあった訳ですが、大本教では素戔鳴命等  の出雲系の神々を重視していたので、この符号は面白いです。   参拝を済ませた時には空一面は既に蒼い色に染まっており、すぐ東京まで  の帰路につきました。   【了】  TAO - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/06/03 - 02186/02187 CXE03650 Y.K RE:ゴミが積もって…夢、何処?(^^;) (11) 96/06/02 15:23 02183へのコメント うう、休日だというのに、なんで丸2日もかかる会社の仕事を家に持ち帰ってせにゃー ならんの?ああ、頭が痛い、眼がしばしばする、肩が凝るー!パワーポイントなんて もーさわりたくない!ああ、でもこの作業は今日いっぱい続くー・・・。 あ、お見苦しいところを見られてしまいましたな。どうも、ども、Y.Kです。 素早いレスありがとうございます。>「Y.K殺すにゃ刃物はいらぬ。未読0を3日も 続けりゃそれでよい」 > 腹が立つってとこは、きっと万民共通だろうと私も思います。 >で、腹が立って次にどうするか?ですよね。 腹が立つという感情の嵐に翻弄される >か、それとも何故腹が立つのか?を考えてみるという方向を選ぶか?で、その後が大 >いに違って来ますよね。私は後者の方向で行きたいと思っています。  いやあ、みれさん。それはその通りでしょうけど、みれさんがそうありたいって思っ ていても、相手がそうだとは限らないのが普通でしょう。腹が立ったら、まず相手をぶ ん殴る人だっているくらいですから。(ま、これは論外にしても、何故腹が立つのかを はっきり認識した上で、感情の嵐に翻弄されることを自分に許してやるって人もいて、 これはこれで立派な信条です)腹が立ったら、少なくても心の中は戦闘モードに入るの がまともな人間です。それが建設的かどうかは別にして。  私が言いたいのは、物腰の問題なのです。論理的には同じことを言っていても、表情 や態度で、相手を腹立たせない言い方も、激怒させる言い方もあるってことです。テキ ストベースのネットの上では表情や態度が見えませんから、書き様ってことになりまし ょうか。  「てめえはアホだ!」って名指しでコメントつけられたりしたら、さすがの温厚な Y.Kでも(自分で言うかあ?)何故腹が立つかなんてことは、後回しにして「アホ 言うモンがアホじゃあー!」と条件反射レスを返すでありましょう。「Y.Kさんっ てひょっとしてアホ?」程度だったら「うう!バレたか!」ぐらいになるやも知れま せん。  こういう、相手の冷静さを失わせるであろう書き様をしていないかどうか、少なく とも、シスオペや議長の立場にある人は細心の注意をはらっていただきたいというこ とです。どの程度が相手の冷静さを失わせないボーダーラインかってのは、結構難し いかもわかりませんが、ネットは相手の顔が見えないから、誤読、曲解がまかりとお り易い環境です。明らかに平井ファンと思われる人達への、桂議長の「ファンは要ら ない」は私の眼からみても、「てめえら出て行け!」と読まれる可能性が高い発言だ と思います。                    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  シスオペや議長の立場の人から、こう言われたら、出て行かざるを得ないのが普通で す。(うーん、Y.Kだったら会員削除になるまで出ていかんのじゃないかなー) > で、もう一歩進んで、Y.K さんは責任の所在を私と桂議長に求めることで何 >を話したいのかなと。また私と桂議長に責任があるとして、どう責任を取るこ >とが出来るとお思いなんでしょ?(あなたなら、どうする?って感じね)  ちなみに私は「みれさんと桂議長が悪い!」と糾弾しているわけではなく、「責任の 所在がみれさんと桂議長だけにある」と言っているのでもありません。文字通り「みれ さんと桂さんに、シスオペ、議長としての責任を取っていただきたい」と言っているの です。そして、責任を取るとはもちろん、「二度とあのような騒動(脱会者が出るよう な)がおこらないよう、気を配っていただく」ことです。一方的な言い分かも知れませ んが、一会員に比してシスオペ、議長の責任は、当然重いと、私は思ってます。 >結果として彼らが出て行った…だから必要以上に彼らを追い詰めたのではないか? >という話だったら、それは仮定論になりますよね。  私はみれさんと桂議長の書き様しだいで、「平井ファン」の脱会は充分に避けられた と思っています。私が拘泥するのは、この一点につきます。したがって、会議室の趣旨 から外れず、かつ、同じ事が起こらないように努力することは充分に可能だと思ってい るということです。 > ここを去った平井ファンの方々は、追い詰められて出て行った可哀想な被害 >者だと思いますか?  もちろん、可哀想な被害者だなんて、思ってませんよ。あくまで「ここは私の居たい 場所ではない」という判断に「追いつめられた」ってことです。出ていった人達は平井 ファンとしての誇りと矜持を持って出ていったのですから。彼らから見たら、この会議 室は「席を置いておくのも汚らわしい場所」ってことになるのでしょう。この事態が果 たしてみれさんや桂さんの欲しい結果でしょうか? 断じてないでしょう? 被害者は 脱会者の皆さんのアップしてくれる「平井情報」や「作品への感想」が読めなくなっ た、私も含めたROMMERの皆様方であります。だから繰り返してはならんと主張す るわけです。もちろん、Y.Kの杞憂ではあろうかとは思いますが・・・。 > 個々に意見が違って当り前、自分の意見が通るとは限らない、とこんな当り >前のことが分からない人が多くなってきているように私は思います。  これについては、私は別な意見を持っています。価値観の多様化が進む中、昔に比べ たら随分と少なくなってきていると思われます。これはこれで、虚無感に囚われる人も あるので、一概に良いことばかりとは言えません。むしろ、世間では他人の意見などに 耳を貸さずにゴリゴリ行く人の方が、大きな成果を上げることの方が多いです。(<余 談)    しかし、「自分の意見が通らないこと」を理解しないことと、「自分の受け入れがた い意見を拒絶」することは、まったく別です。別ですが、お互いが一歩も譲らぬまま、 共存することだって可能だと、Y.Kは思うわけです。 −−−−−−−−−−−−−−−−閑話休題−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  さて、6月10日には、いよいよ待望の平井和正さんの新作「月光魔術団 一巻 <春 の魔法使い>」が刊行されまする。 > 「今度の主人公は、なんと女の子だ。それもただの女の子じゃない。<狼の紋章> >の博徳学園に輪をかけたとんでもない暴力学園に舞い降りた爆裂の天使だ」 >ASCII DOS/V ISSUE七月号より。  うー、どうもこりゃ人気がでそうじゃ。アニメ化されるやもしれん。主人公はなんと 「犬神明(メイ)」って名前のライオンヘアーの女の子だそうじゃ。ストリートファイ ターゼロ2のさくらみたいなやつなんじゃろか?    これを読んで、初めて平井ファンになったような若い人達がドヤドヤとこの会議室に 大挙してくることも、充分想定しておかねばなりますまい。 −−−−−−−−−−−−−−−−閑話休題2−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ここから先は、Y.Kの独り言と思ってお聴き流し下さい。この会議室にへんな要求 をしているわけではありませんので。同時に「幼稚園左翼」って表現を誰かに想定して いるわけでもありませんので、誤解なきよう。こういう考え方もあるのでは?というの が趣旨です。 >| 名前も出さずに文句だけ言う・・・こういう幼稚園左翼みたいな人たちがいつ >| までたってもいなくならないのは・・・なぜなんでしょう?。 (>隆ちゃんさん。孫引きしてすんません)  餓鬼じみた発言をする人が、それを続けようとしたら、必ず、心ある人から正されま すよね。それでも続けたら、いずれ本人にすらそれとわかる自己撞着、自己欺瞞、論理 矛盾に陥らざるを得ません。いずれは、自分の愚かさに気付かざるを得ません。そこで 初めて世の中から幼稚園左翼みたいな人が一人減るわけです。こういう人がいなくなら ないのは、世間様がそこまで行くのを許してくれるほど、甘くないからであります。か つ、こういう人達を抹殺しちゃうほど厳しくもないからです。  反省まで至らないから、機会さえあればまたやっちゃうわけです。(自分のことだっ たりして)つまり、こういう人達がいなくならない構造に世の中がなっちゃってるって ことです。対処の方法は、自分が「名前も出さずに文句だけ言う」ことを不快に思うな らば、根気よく自分のスタイルを保持するぐらいでしょう。へたに「こちらの正しさ」 を握りしめて、相手を正そうなんて態度に出ると、いつの間にか、自分が相手と同じレ ベルに落ちちゃってるなんてことは実にありがちなことであります。  ましてや、フォーラムはバンドルでの参加が許可されている場所です。ルールがそれ を許しちゃってるのだから、それはそれでよいではないですか。5カウントまでの反則 がルールで許可されているプロレスみたいなもんです。勿論、個人に対する悪質な誹謗 中傷なんかは反則負け>退場に相当するのでしょうが、ヒール(悪役)のレスラーは大 概、カウント4で一旦反則行為を中断してから、次の反則行為に及びます。もちろん、 レフリーはまた1からカウント始めるわけです。  こんな試合ばっかりじゃあ、さすがに見るのが馬鹿らしくなっちゃいますが、かとい って、正当派のストロングスタイルの試合ばかりじゃ、これもまた、面白くないじゃな いですか。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  い、いかん。パワーポイントが私を呼んでいる。  それでは、また、西城恵・・・じゃない、あわわ、時間がない!さいならです。  えーと、みれさん。11番騒動以外の話題でも、この会議室にちょくちょく来て下さい ね。ではではー。  (マジであせるY.Kからでした) 02187/02187 SDI00635 みれ RE:長い長いアラビアンナイト (11) 96/06/03 08:31 02185へのコメント ふぁらんどーる さん(長文でーす(^_^;))  おっはよぉ〜★(^_^)★  ふぁらんどーるさんも月末は頭が痛いのね。  あたしは月末と月初の10日辺りが頭が痛いです(^_^;)  なんせ10日はカードで使ったお金が銀行から落ちるんですもん。  で、今朝は何だか寝不足で思考力がブーなので、恐怖のサンドイッチRES をさせて頂きますね(どこが恐怖やねん>長文になるのが恐怖やねん>私(^_^;)) | えとね、私の言う「騒動」は、「ファンは要らない」発言よりも前、「白王家」 |や「玉置山」に関する、平井ファンと他の会員の方たちの遣り取りのことなんです |よね。 | これはもの凄く低次元の言い争いでしかなかったんじゃないでしょうか。  おやや、あっさり言われてしまいましたね(笑)  あたしの目にも、やや低次元の争いに見えないことは無かったんですけど、 会議室ってとこは意見の齟齬も起きる場所ですから、お互いに何でも言い合っ て「ほぉ…そうか。そういう考え方もあるんだ」という気付きをお互いに持て れば、それに越したことは無いと思ってます。 | 別に平井ファンの肩を持つわけではないけれども、平井氏がその著作の中で天皇 |家のことを「白王家」と表現してましたよね。それを何気なく自分の文章の中で使 |用したら、いきなり「あんたそれでも日本人か」という突っ込みを入れられる。 | | これって、恐ろしく常軌を逸した遣り取りだと思いません?  んーー、あれは白王家と表現したから突っ込まれたんじゃなかった様に思い ますよ。第二次世界大戦のことについての意見に対する意見だったんじゃない ですか?「あんたそれでも日本人か」という言葉だけ単独に書き抜いて云々す るのは、フェアじゃないので、この問題についてキチンと意見を表明するには 全文を通しての文意を読み取らねば何も言えない様に思いますので、ここで安 易な結論を私は出さないことにしますね(^_^) | またこれも肩を持つわけではありませんが、例の「玉置山」に関して、「平井氏 |が「閉じた」と言ったから、私も「閉じた」と思う。」と言ったことに関して、突 |っ込みを入れた方がいらっしゃいましたよね。 | | これまたおかしな遣り取りが続くことになりましたけれど、これも変じゃなかっ |たですか? | この一連のログを見ると、「話し合い」になってないんですよね。私から見ると |言葉を発した人間に対して、「その考え方は間違ってる」と一方的に言い放ってい |る様にしか見えなかったんですよねー。  私は誰の肩も持ちませんが、玉置山について閉じたと思うと表明する人が居 て、そう思わないと表明する人が居ただけのことだと思っています。また「そ の考え方は間違ってる」と言われても「そう思わない」と答えれば良いだけの こと、と私には思えます。そこでお互いにその意見の論拠を示して合理性や論 理性などを戦わせば良いだけのこと、それが会話だし議論だと私は思います。 文責を負わずに会議室を去ってしまう方が、よっぽど話し合いにならないんじ ゃないでしょうか。 | そもそも、人それぞれ価値観というものは違っていて当たり前でしょ? | 生まれた環境から育ち方、体験や趣味趣向、その他諸々の影響などが複雑に絡み |あって人格が形成されているわけですから、物事の捉え方、考え方等々違っていて |当たり前なんですよね。 | ですから、ある人にとっては重要な事でも、別の人にとってはさして重要ではな |かったりするんですよね。そしてまた正しいと思う方向だって違っているわけです |よね。それが当然なのですよ。  そうです! その通りですよね(^_^)  みんな違うからこそ面白いんですよね。  自分と違う意見を感情的に受け入れたくなくて排除しようと思うから問題が 起きる訳ですから、違うことを喜ぶ人が増えれば、この違いから大いに学べる のにね。真摯に話し合おうとしていても、そりゃ人間ですから失言もあろうし 感情的にもなることもあるでしょう。でもね、そこで「こいつはケシカラン」 とか「あいつとは口も聞きたくない」とかになってしまうのは、非常にもった いないと私なんかは思うんですよ。  「あ、同じ意見だわ」と感じると普通は嬉しいものですけど、それはそれで すよね。だから??って、私は思っちゃいますね…ひねくれてるんかな(笑) でも同じ意見だったら、そこで話が終わってしまいがちですけど、違う意見だ ったら、もっと色々と突っ込んでお互いの感じ方の差異について知ることがで きるから、何だかお得〜とか思いません?(^O^;)…と言って、わざと異なる意 見を言う必要も無いですけどね。要は正直にどう思うか言えば、それでいいと 思うんですよね、私も。  そういう意味で、私はこの11番騒動の後にヒライストが大挙してフォーラ ムを去ったことが残念です。齟齬があるならなおさら面白いんだよ、って何故、 誰も思わなかったんだろうってね。 | 逆に私にとっては「そんなもん、どーでもいいじゃん?」としか思えないくらい |のことでもあるんですよ。あくまでも「噂」ですから事の真偽は知りませんが、も |しそれが仮に本当の事だったとしても、私には「だからどーしたの?」ってなくら |いにしか感じられないんですよね。 | 「作家を愛すること」と「作家に対する非難を許さないこと」というのは、全く |別次元のことであって、それを混同するのは私は嫌いなんですよ。  ふぁらんどーるさん、こんな言葉を聞けるなんてとても嬉しいです。  噂はあくまでも噂でしかなく、個々によって感じ方も物の観方も異なる以上、 自分の目で見て感じることを第一義に扱うってのが私の主義ですから、ふぁら んどーるさんの様に「だからどーしたの?」というリアクションはよく分かり ます。  で、私も全てのファンが非難を許さないんだとは思いたくなかったんですよ。 私もARIONと共に著書を幾つか世に出している著者の端くれですが、ファ ンからの批判や或は非難を、それがキチンとした論拠を示している場合には、 有り難い意見だと思って頂いています。今まで頂いたファンレターは全て取っ てあり、時々取り出して読んだりします(^_^;)もちろん、全ての方にお返事を 出すことは出来ないので誌面を借りて感謝の言葉を書いたり、著書の後書きに 書いたりしますけどね。著者にとってファンの意見は貴重なものです、これは 多分、どんな著者も同じ気持ちだろうと思いますね。 | この会議室に書き込みをしていること自体が、まるで「禁忌」かのように感じさ |せられることもありましたし、忠告を受けたこともあります。  そうですね、そういう忠告メールを受けた人を私も知っています。またこの 会議室から大挙して去った方々複数がセンターメールをしてこの会議室の事で 抗議をしたことも知っています。でも、センターメールしてもフォーラムのマ ネージャーである私と個人間の問題ですから、私の所にセンターから問合せが あって、結局問題は私の所に還って来るんですよ(^_^;)何かあるとすぐにセン ターメールというやり方、なんか子供の頃によく聞いた「先生に言うてやろぉ 〜」式のものを感じて厭ですね。もちろん、私と話し合っても解決に至らない 場合には私からNIFに仲介を依頼することもありますけどね。徹底した話し 合いもせずにセンターメールしても意味が無いと思うんですけどね(^O^;)  この会議室に書き込みをすることを禁忌とせねばならない心には何があるん でしょうね、私はそっちの構造の方に興味があったりします(^_^;) | が、私は当事者でもなんでもないんですよね。ARIONに対して「胡散臭い」 |と思っていても、それはここでの書き込みをやめる理由にはならないんですよね。 | こちらでの議長との遣り取りが楽しくて書き込んでいる以上、とやかく言われる |筋合いじゃないことも事実なんですから。 | また、「噂」はあくまでも「噂」でしかなくて、自分の目で耳で確かめてない以 |上、、鵜呑みには出来ませんもの。  ほんと、ふぁらんどーるさんの言われる通りです。  ARIONを胡散臭いと思ってるというのも、ふぁらんどーるさんの感じ方 ですから、それはそれでいいんじゃないですか? こう言ってる私だって最初 はかなり胡散臭いと思って、それこそ自分が気がふれたんじゃないか?とカウ ンセラーの所に行ったり、これはきっと悪魔だとか言う友人の言葉が気になっ て、毎日教会の御ミサに出たりしてましたもの(^-^;)(私は実はカトリックで す) こんなこと言うのも何ですが、ARIONが宇宙神霊だぁ〜と最初っか ら信じられる人の方が奇特な方なのでは無いでしょうか? | 例えそれが事実だったとしても、この恐ろしく巨大なニフティのネットの中の、 |「ほんの片隅」で起こった「瑣末」な出来事でしかないんですよね。あまりにもあ |まりにもミニマムに過ぎます。他にもいろいろ大切なことはあるはずなんですよね。 | それこそ「大人げない」と感じますしね。 | | とまあ、過激にすぎるかな?とも感じるんですけども、本音は本音ですし、腹の |探り合いする気は毛頭ないんで、こちらに書かせていただきますね。 | 仮定の話ですので、みれさんは気にしないでね☆ みれさんに言ってるわけじゃ |ないからね、これは。(年上に対する態度じゃないね。ごめんなさい>みれさん)  うんうん、同感です。  ふぁらんどーるさんの意見、全然過激じゃないですよ。  腹の探りあいとか行間深読み術とかは、私も得意じゃないんでドライに正直 に言って頂ける方が助かります(笑) ほんっとに腹芸は駄目なんですよね、 私。日本の外国人世界に十数年住んでいたせいかも知れないけど、ハッキリと 正直に言われるのであれば割と、非難めいたことを言われても平気なんです(^-^;) もっとも納得できなかったら徹底的に言い返したりもしますけどね。議論して 相手の論に理があると思ったら、アッサリと相手の論に乗り換えちゃったりす るチャッカリ屋でもあります(笑)  何か気楽に思ってることを書いてしまいました。  でも、結局、私の観方はこんなもんです(笑)  年上だとか年下だとかは、せっかくのパソコン通信上ですから気にしないで やりましょ(…って、年齢を気にしてる訳じゃないけどね(^_^;))  であであ。                     ☆みれ・:・。,☆ - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/06/03 - 04779/04779 GGA02514 KAZE RE:シュタイナー「いか超」から学ぶ●2 (13) 96/06/03 01:48 04778へのコメント あとみさん、どうも。 東洋の行法に関するシュタイナーの具体的な説明を ご参考までに説明させていただきます。 ネタは、シュタイナー「神智学の門前にて」(イザラ書房)のなかの 12)修行 13)東洋の行法とキリスト教の行法 です。   東洋の修行法、ヨーガの修行法においては、地上に生きている人間が   導師−グルであり、修行者は完全にグルに頼ることになる。自己をま   ったく消し去り、グルに帰依するときに、もっともよく進化する。グ   ルは、弟子がどのような行動をするかについても、忠告を与える。こ   のように、自己を完全に滅却するのは、インド人の性質に適したもの   である。(P156)    ちなみに、この場合、導師が与える指示というのは、 大きくわけて次の8つなのだそうです。 1)禁戒 2)勧戒 3)座法 4)調息 5)制感 6)凝念 7)禅定 8)三昧 簡単に説明しますと、1)禁戒は「〜してはならない」こといろいろ。 2)勧戒は、宗教的な慣習を守ること、3)座法は、瞑想時の姿勢、 4)調息は、呼吸法、5)制感は感覚的な知覚の抑制、 6)凝念は、表象のコントロール、つまりはイメージトレーニングですね。 で、7)禅定は、対象のない表象を瞑想すること、 そして、8)三昧は、思考内容のない思考をもつことで高次の秘密に参入すること。 とまあ、こんな感じなんですが、なぜ東洋の行法というのが、 グルに帰依することを求めるのかといえば、 この行法というのは、低次の自我、つまりエゴが残っていると、 ものすごく危険だからだというふうにぼくはとらえています。 別の講義で、シュタイナーはミクロコスモスに向かう行法では、 エゴがものすごく拡大してしまうから、まずはそのエゴを消し去らねばならない。 そういうことを述べていたように記憶しています。 さて、これに対して、薔薇十字的な行法がグルを必要としないのは、 ガイドとするものが違うからです。 しかし、そのかわりに、この方法では、思考の訓練が欠かせません。 「一貫した力強い思考」をガイドとすることになるからです。 ですから、ものごとをちゃんと論理的に考えられないと、 この方法は適さないともいえます(^^;)。 もちろん、それだけではないのですが、それが重要だということです。 >>  シュタイナーが云っている「師」はもっと自由である分、KAZEさんが、前に >> おっしゃってた、自らの存在理由をかけないといけない、厳しいものって感じを >> 受けました。自分の中に、「師」を見いだす目を持たないことには、いくら目の前 に >> 「師」が居たところで、気ずかないよってことなんでしょうか。 はい、ある意味では、もっとも厳しいものであるともいえます。 薔薇十字的な修行の本質は「真の自己認識」であるといいます。 まずは、日常の自己を認識することからはじめ、 さらにそうした低次の自己を放棄して、高次の自己を認識しなければなりません。 そうしたことを、グルを通してではなく、日々の自らの研鑽によって 獲得していかなければならないわけです。 それは、ほかの行法にくらべて、孤独な忍耐力のいる作業になります。 で、どういうふうにそういう「真の自己認識」を獲得していくか、というのが 今回の「いか超」のテーマで、それをこれから少しずつ見ていくわけです。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/06/03 - 00669/00669 KHC01313 まるにちょん 自愛と他愛 (15) 96/06/02 23:27 00668へのコメント  #668 山部正人 さん  いつもカメRESで失礼します。  ここ数日暑い日が続いたかと思うと、九州、沖縄地域で地震があったりしてなん だか地球が活発に活動しているように感じられます。 >> > ええいいですよ。ただ、誹謗中傷のたぐいは遠慮しますのでよろしく。 >> >>  実は、アップしてしばらくしてから、まずいなあと思ったのですよ。あの書き >> 方だと、全ての若い人が、そうである。と断定してしまっていると、とられかね >> ないからです。 >>  でも、削除はしなかったのだけど、、、。 >> これが、666の魔力か!なんて事はないと思いますが。 >> すこし、問題のある発言だったと、反省しています。 山部正人さんなりにいろい気付かれることがあるんですね。 感じたことをそのまま伝えることは、大切なことだと思うんです。 ただ、どうしてそう感じたのかも合わせて伝えるともっといいと思います。 ぼやきであれ、自分の思いを人に伝えることから人間関係ってできてくるのかな と思っています。 >>  久々に、聖書からの引用です。 >> と思って、「汝の欲せざるところ、人に施すなかれ。」と言うのを、探してみた >> のですが、ちょっと、見つからなくて、マタイ伝19章19節に「、、、『自分 >> を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」と言うのは、あるのですが。 >> >>  自分がされたら、いやなことは、人にもするな、と言うことですよね。 引用して下さった聖書の言葉から積極的な他愛を感じます。 自愛は誰にとっても当たり前だと思うんですよ。 自愛が悪いわけではなく、自分を愛していない人が他に愛を発することは出来な いと思うのです。僕はまだまだ自分自身を愛し切れていません、嫌なところは見な いですませたいのですが、これでは他人を愛するなんて以ての外かも知れないなぁ って思います。  で、こんな僕が言うのもなんだけど、自分を本当に心から愛せるようになって、 自分を愛するように他人を愛せたらどれだけ素晴らしいことだろうと思います。  自分の命が大事なら、同じ生命である他の人間の命も大事なはず、命に変わりは ないはずですからね。  思いやりって言葉があるでしょう?  これって他の生命に気付く、思いを遣ることなんだと思います。  他の生命に思いを遣ることが、他愛に繋がるのかなと漠然と思っています。  では、また。               今度は僕がぼやきますよ(^^; まるにちょん、○ゝ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/06/03 - 962/963 PFE01162 HAL RE:とりあえず、会話継続意志表明DDDD (19) 96/06/03 03:37 925へのコメント SUB:意識上の了解事項の限界について こないだは速達だったけど、なにかと忙しくて今度は遅れました。 しかし、シュメール氏もほんと好きだよね、そういう話し。 近ごろは私の方もその手の要請でもないとモノ考えないので、ある意味では助かります。 よって、少し考えてみようかと。 宇宙存在がある対象を「使おう」とするときに、まず個人的な人格をその対象としてい るのかはまず疑問ですね。やはりその場合はその個人が代表する集合体を「操作」の対 象としていることが多いように思えます。 そこに了解事項があったとしてもコンタクトする個人の自我意識に具体的な内容が浮か んでくることは、かえって少ないのではないかと思う。 しかし、ちゃんとその個人が代表する集合体では了解している場合には、例えば「誘拐」 「インプラント」されても問題ないとは言わないけど、それはアリなのではないかと。 要は「了解」する当事者がどれだけ事態を危急のものととらえているかによるだけだと いうところでしょう。 私だって、相手の善悪問わず、種が滅びそうなのでひとつあんたの遺伝子パターンを 提供してくれなんていわれたら、持ってけドロボーてな対応しますもんね。 減るもんじゃないしね。自分の遺伝子組み込んだわけのわからない宇宙人が元気つけて 襲撃してきても、そのときは話しつけやすいじゃないですか。しゃ、こないだの「貸し」 はどうしてくれると、ネゴもやりやすいしね。 それにインプラントとクローンはどこでもやっている技術であって、問題は使い方だけ でしょう。車の運転と同じで使う側の問題。 要するに技術を使う場合の動機と倫理基準をどこに求め得るかというのがシュメール氏 の疑問だということが、最近わかりました。 これは集合的な認識の限界をどのように越えるかという技術的な問題にもかかわって くるようです。この宇宙の大本がどうしたいと思っているかの認識が解れば、大抵の 行動の指針というものは明らかになるはずだもんね。 それには大方の宇宙民族は時間の認識を使っているんだと私は考えます。 少なくとも、地球式の直線的な時間認識ではいわゆる次元間の情報のやり取りは出来な いに等しいですから。 ま、それだけに、全くこの銀河系のスタンダードから遊離した独創的な実験もここでは やり得るわけですけど。 しかし、大勢としてはもう銀河スタンダードに組み込まれるのは間違いないようなので 人類の時間認識の質も変化しているのが昨今の実状ではないでしょうか。 そういった情報は出版のなかでも随分と出てきているようで、最近特に目についたのは マヤ集団の時間観念に関する本がありましたが、これはとても音楽的な共振技術に関す る記述が多くて得るものが多かったです。 彼らはもともと、13:20という系を使っていてこれがこの太陽系の自然な時間系だと主 張し、現在の 12:60系は人工的にルシファー勢力によって捏造されたものだという、か なり的を得た記述がありました。 これは、この星が時間の牢獄であるという私の認識と一致するところがあり、第5惑星 マルデクの共振的重要性やら今後20年程度で起こる歴史の転換技術などに関する記述も みられ、かなり参考になるものがあります。 願わくば、これらの情報がまたしてもファッション・ニューエイジとして消費されない ことを。 今日はこのくらいで。                          HAL 963/963 QZY01267 猫の手 個人の時代 (19) 96/06/03 05:25  一人一人の個人の時代がやってくる。  組織が組織でなくなるときがやってくる。    何故組織が造られたのか  それは神に貢ぎ物を捧げるためだった。  神が自分の労苦を軽くしたいが為に  人々の貢ぎ物を効率よく受け取る為に  貢ぎ物を集める代表として王を置き  組織を組み上げた。  そしてその必要が無くなった今も尚組織は残り  人々の集める貢ぎ物を我が物にしたいと思う者後絶たず。  人々の上に立ちたいと思う者後絶たず。  しかしそれももう終わりの時が来た。  組織が何故必要なのか?  自我の存続に組織が必要と思い込んできたその者も  組織に縛られてるのがしんどくなってくる。  その外側の世界では  組織に寄らず自由に生きている人々目にしてしまい。  「自分が縛られているのに」という  怒りに駆られてそいつら何とかしようと思うけど、  そいつらを縛ること不可能と思い知らされることになる。  そしてついでに、  自分を縛っているのが  自分だと言うことに気付くことになる。    組織が崩れるとき近い。  あちこちでその兆し見え始めてる。  誰かを縛ろうとしている最中に  この世を去る誰かは苦しむことになるでしょう。  自ら組織を壊そうとした誰か、  きっと、歓び手にするでしょう。  誰もが自由、  なにしても自由  なんでも有りのとき近い。    エッ? じゃあ秩序はどうなるかって?  他人のこと心配する必要ないよ。  みんなあなたと同様にそのこと心配してるの。  全く何もかもから自由になって解放されてしまったなら  人の思うことは「誰かの役に立ちたい。」ということだから。  誰もがそこから行動始めるよ。  元々解放されてたと思ったとき、  自分が縛られてると思い込み、自分がやってきたことに  後悔の念が湧くことになる。  そしてその分余計に誰かの役に立ちたいと思うことになる。    そう、元々誰もが自由だったんだけど、  あまりに周りの人々に  自由に生きることが罪だと押し付けられて  それを信じ込んでしまってきただけなんだ。  でもその束縛も  ようやく解け始めたよ。  まだまだ自由に振る舞うこと  許してくれない人多いけど、  それも時間の問題だから、  自分から率先してそうやって生きて良いんだよ。  そういう生き方したときに  あなたは自分の生きた道  誇りに思うことできるでしょう。  このフォーラムも  まだまだその状況からはほど遠いけど  確実に一歩一歩そうなってきているって思っているよ。  このフォーラムをかき回している誰かがパイオニア。  その人の声にもっと耳傾けてごらん。  今の視点をその人に視点にしてごらん。  きっと新しい世界が開けるよ。  かき回している誰かこそ、  新しい価値観、新しい豊かさ運んでくる  鬼の仮面を被った天使だよ。  あなたには彼らが天使の部分をちらちら見せてるの見えるかな?   ** QZY01267/『猫の手』 <96/05/30 08:16:42> **