「それでこんな夜中に焚き火してるなんてと思って」と凍え人 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/06/06 - 01135/01136 GBG02043 維/YUI 管理しようとすると ( 6) 96/06/05 16:51 01127へのコメント おそすぎのRESですが。 管理しようとすると管理されちゃいそうっていうのは…どういう感触っていっても…。 結局は、管理するのもされるのも、自分だから。 あからさまに「管理するぞ」とムチでも持ってあらわれたりすると、 とりあえずのところヘコヘコして、管理されたふりするけど。その実は管理する側の やり口にそって、さきまわりして行動していれば、やり口に該当しないところでは 羽がのばしまくれるでしょう。  管理しているつもりが、うまいこと使われているだけだったり…。 そういうことって、ないですか? 96/06/05(水) 00:57 維/YUI(GBG02043) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/06/06 - 07634/07637 QZY10121 ぷんすか RE^2:引用符について ( 7) 96/06/05 18:01 07622へのコメント 僕もつい最近までは「>」を使い続けていました(^^;) 今では、NifTERMがあるから大丈夫!って感じです。 MS WORKSの通信機能を利用していた頃よりは レス書きも面度臭くなくなったし・・・ (ただ、未だに用途不明の機能がいくつかあって、 「もしかして豚に真珠かも」と思ってるこのごろです。 ヘルプ読んでもわかりづらいし・・^^;) 96/06/05(水) 17:56 ぷんすか(QZY10121) 07635/07637 HGE02116 MAKOTO 反応するものがあるから… ( 7) 96/06/05 22:14 07631へのコメント #7631>水戸黄門さん、ちょっと割り込めです。  私も、自分の中に反応するものがあるから、反応するって思ってるんですよね。  だからこそ、新しい芽さんの行動が、凄く不思議なんです。それこそ、疑問に思 うのも、書きたくなるのも、反応するものがあるからだと思ってるから。でも彼は 自分の側には何も無いと書く。そして、貴方がたが、反応しているだけだと書く。 それが疑問なのだと書く。一面もっともだと思う反面、すごく矛盾を感じてしまう んですよね。そこまで書くのは、やっぱり反応するものがあると思うから。  私の中で反応してる部分ってのは、私の領分のものだから、私がほぐしてくもの なんだけど、だから余計に、貴方のものまで引き受けて、貴方の疑問を晴らしてあ げることなんてできないよって思ってしまうんだよねぇ(^O^)                           MAKOTO でした☆ 07636/07637 GBG02043 維/YUI ふうん。 ( 7) 96/06/06 00:36 07629へのコメント RESありがとうございます。 池に波紋を作っているんですか…、なるほど。 淀みをなくすには、かき混ぜるよりか、流れを作らなきゃならないのでしょ。 石を投げ込んでも、流れにはならないかもよ、ノロガメさん。 *その一歩がどうしても踏み出せない、そこでノロガメは自らの常識をぶっ壊して観 *たのです。 で、どうですか? 一歩踏み出せた感じですか? 私の場合、思考停止というのは、あまり好い方に機能しないので、思考停止になり そうでも、がんばって考えて答えを見つけるってのが、現実結構あります。 思考停止も人それぞれですよね。 思考停止=現実逃避ってなる人もいるし。 けど、ノロガメさんの言ってることに、近いことはあります。 たとえば、考えに考え、悩みに悩んで、「だめだ、こりゃ」ってなったあと、 ふっと気晴らしに本を読んだり、散歩したり、食事の支度をしたり…っていう時に、 突如「おお!!それだ!」って、ひらめいたりして。 *自己正当化に繋がってしまうような気がします。 う〜ん。 けど、ノロガメさんが間違ってないんだったら、正当化したって道理には 反しないでしょう。 正当なら、自己正当化ってのも「まっとう」なことじゃない? *一つの理屈としては、とにかく何事においても、自分の問題として受け止めること *が自己成長になると言うことではないでしょうか。 *他者ではなく、自己なのです、他者が自己であり、自己が他者なのです。 これ、私をはじめここに来ている方々の多くが、そう感じているように思います。 もしかすると、ノロガメさんが持っているこの文章の表すことがらと、私が得た この文章の表すことがらが、まるで違うものだったり…しませんよね? 言葉のまま受け止めていい文章でしょ? だったら、同じじゃないかと思います。 父親と息子のたとえをしていましたが、あれってやっぱし変ですよ! 世の中には、ああいう親子ってざらにいるかもしれないけれど、本当にやっちゃ いけないことを他人に注意するのに、自らの間違いを正さないってのは、親子だろうと 間違っています。 息子は息子で、父親は父親でそれぞれの責任において、 改めなければならないんですよね。 そうじゃなきゃ、息子が納得いかないのは わかる気がするな、私。 本当にいけないことなら、なんで父親はできるのかって 思いますもん。  私は自分の言葉で会話しています。 ところでノロガメさん、私の質問に答えてくれていないのですが…。 馬鹿らしくて、答える気にもならないのであれば、そのようにでも返事を下さい。 (いままで、いろんな人からRES貰ったときに、聞きたかったことが書かれて いなくても、「きっと事情があるのだろう」とか考えて、そのままにしていたの ですが、そういうのもちゃんと時と場合で意思表示しよう!と、最近考えました。) 余談ですが、私はやっぱり人でいたいです。 人として、まだやりたいことが たくさんあるし、今の私は人としての命を受けているし、それがつきるまでは 人でいたいです。 これはまだ言葉として表せないのですが、人として生きる ことの意義(訳?)をなんとなく日常のいろんなことで、ふと感じるこのごろ です。 ノロガメさんの言う、人間でなくなるっていうのは、物質的なことで はなくて、気持ちのあり方や感じ方、禅などでみかける無っていうのに近いの ですよね? 自分の表の心を脇に置いて、自分自身や、周りのことを観てみる というような。  以前から友達と話していて出てくるものに、「自分ってのは、自分が自分って 思っているのだけじゃなくて、周りの人が”あいつは、ああいうヤツだ”って 感じているのもそうなんだよね」っていうのがあります。 結婚して、四六時中 他人がそばにいる環境になると、その辺が妙にクリアになる時があります。 あら、ちと長くなってしまいました。ごめんなさい。 維/YUI - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/06/06 - 02197/02200 CXX05502 ユタカ はじめまして (11) 96/06/05 21:13 コメント数:1  みなさん、こんにちは。はじめまして。  僕はユタカといいます。よろしくお願いいたしまする。  ずっとROMでいようか、どうしようか迷ったのですが、一言ご挨拶したいとい う気持ちが強くなりました。  聖書の、       黙っているのに時があり、話をするのに時がある という言葉を思い出したせいかも知れません。       天の下では、何事にも定まった時期があり、       すべての営みには時がある。       生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。       植えるのに時があり、       植えたものを引き抜くのに時がある。       殺すのに時があり、いやすのに時がある。       くずすのに時があり、建てるのに時がある。       泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。       嘆くのに時があり、踊るのに時がある。       石を投げ捨てるのに時があり、       石を集めるのに時がある。       抱擁するのに時があり、       抱擁をやめるのに時がある。       捜すのに時があり、失うのに時がある。       保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。       引き裂くのに時があり、       縫い合わせるのに時がある。       黙っているのに時があり、話をするのに時がある。       愛するのに時があり、憎むのに時がある       戦うのに時があり、和睦するのに時がある。       ....................................       神のなさることは、すべて時にかなって美しい。  あまり書き込みもせず、ほとんどROMになってしまうと思いますが、よろしく お願いいたしまする。   >>私は、議長は基本的にまじめな方だと考えています(>古日山さん)  僕もそう思っています(^^)。 02200/02200 CXE03650 Y.K RE:はじめまして (11) 96/06/06 01:24 02197へのコメント おお、おおおお! か、神はおわした!古日山さんに引き続き、ユタカさんがっ!  いきなり、格調たかいアップでご登場されるもんですから、Y.Kなど、天使に降臨 されたのかと、思っちゃいましたよ。  突然の天使の降臨に腰を抜かす、羊飼いの少年のような気分です。 −時は来た!集え!天上の天使達よ!− (・・・どっかで聴いたような台詞・・・ちなみに古日山さんは大黒様あたりで?天使 ってガラじゃあありませんよね<カウント1?)  あらためまして、ようこそいらっしゃいました。ユタカさん。 どうも、Y.Kのような俗人がログデータの量を増やしていると、会議室の品性が低下 してしまっていけません。ユタカさんのような方こそ、この会議室にふさわしいアクテ ィブであらせられまする。(これ本当。<カウント−1.5) > あまり書き込みもせず、ほとんどROMになってしまうと思いますが、よろしく >お願いいたしまする。  何を言っているのです!書けー!書くのだー!(<強要はいけませんな。カウント√ 3)いやはや、こちらこそ、よろしくお願いいたしまする。  ユタカさんの文章はとても透き通っていて、ステキですね。引用の聖書の言葉も、こ ざかしく選んだものではなくて、ピュアな意識にスッと浮かんだような感じがして、と ても自然です。  聖書って言えば、みれさんもカトリックだそうですし、私も中学・高校と聖書という 授業があったクチです。ただし、不真面目な私は、日常の出来事から聖書の言葉がふっ と浮かぶほど、血にも肉にもなってませんが。ちなみに、私はブディスト(ブウードゥ イストに非ず)&シントウイストのつもりですが、そちらでも状況は大同小異です。  高校の時、国際ギデオン協会だったかしら、全校生徒に新約聖書を配ってくれた奇特 な(まあ、向こうにすれば布教活動なのでしょが)団体がありまして、その聖書には通 常の目次とは別に「日常、こんな迷いを感じた時は、ダレソレによる福音書のナン章を 読みなさい」なんて、非常に実用的な索引がついておりました。  誰か、熱心な自称平井教信者の方がいらっしゃったら、平井作品をバイブルに見立て て、「こういう索引を作っていただきたいなあ」と、Y.Kは思ったりしています。  −奢り高ぶる心に悩まされる時に→「ハルマゲドン」○巻○○頁−  −家族を失った悲しみに打ちひしがれた時に→「犬神明」○巻○○頁−  −カルトに入信したことをふと疑問に思った時に→「幻魔大戦」○○巻○○○頁  −色っぽい女教師に翻弄された時に→「地球樹の女神」○巻○○頁 みたいにね。 >>>私は、議長は基本的にまじめな方だと考えています(>古日山さん) >僕もそう思っています(^^)。  そうそう、何かのテーマについて、まじめに考察をすすめたいことがあったら、どし どしアップして下さいね。桂議長がしっかりと応対して下さいますよ。(Y.Kはこう いうのダメね。苦手なの。よーまとめんのです)  それでは、ユタカさん、ごゆっくりしていって下さいね。ではでは。 02198/02200 BYI04676 ふぁらんどーる Out of the Blue (11) 96/06/05 23:50 コメント数:1 僕の中では、1986年の1月28日から、時が止まっている。  それから10年の間に、僕は様々な体験をし、家庭を持つに至った。  けれども、それは僕の中を通り過ぎたことではなく、僕の周りを流れ た時間に過ぎないんだ。  いまも、相変わらず時間は止まっている。  Out of the Blue  僕は僕の想いを取り返したい。いまなら、あの頃よりも蒼い空を見れ そうな気がするから…。  これが最後の書き込み。  Long... Long Good-Bye           ふぁらんどーる(BYI04676) 96/06/05(Wed) 02199/02200 CXE03650 Y.K RE:Out of the Blue (11) 96/06/06 01:22 02198へのコメント そっかー。頑張って下さいね。ふぁらんどーるさん。 いつか、どこかで、また会う日まで。 Y.Kより。