「だから?」と天使は村長の顔を微笑みながら覗きこんだ """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/06/10 - 00990/00993 QZY01310 苗(miao) RE:公園で ( 5) 96/06/09 17:26 00982へのコメント  和さん、こんにちわ、お久しぶりですね。お元気でしたか?。  私は無事に試験を終えて今は結果待ちです。しかし合格したとはとても思えない  惨々たる状態にかなり落ち込んでしまいました、ま、それも実力ですから仕方が  無いですね。  ええと、そもそも日本は島国で生態系に隙がある事をご存知でしたか?。これは  ずっと昔に日本が中国本土から切り離された時に列島に生息していた種が限られ  て居た為に起こった現象で、植物でも生物でもいわゆる生態ピラミッドの何処か  に余裕が在る状態なのです。だから他国から別な植物や動物が持ち込まれると繁  殖してしまうのです。とある場所で排水の温度が高いままに維持できる川等では、  飼っていたグッピーが逃げたまま繁殖している所もあります。  所が外国に日本の種を持ち込んでもすぐに死滅して生きては行けないのですよね。  つまり生態系に隙が無くて入り込む余裕が無いからです。日本には昔からその様  に国外からの進入との攻めぎあいの結果に今の状態がある事に、普通は余り関心  を持たれて居ません。それは島国の運命というか、これはどうしようも無い事か  も知れません。  一時花粉症の元凶と騒がれたブタクサ(せいたかあわだちそう)も帰化植物で、  幾ら進入を食い止めても焼け石に水なのでアレルゲンを持つ人は死にそうになり  ながらもただ眺めているだけです。これも何処に問題を持ち込むのが良いのか、  とても解らない事です。  かつて私はガラパゴスに関するテレビ番組中で、上陸する人達が皆同じように靴  の裏も海水で洗っているのを見た時、これがガラパゴスでは生態系を守るために  義務付けられた行為だと知りました。草の種一つその島に揚げてはならない、たっ  た僅かに付いた土のバクテリアでも生態は変わるのです。その人為的変化から守  る為に身体の埃や靴に付いた土等までも綺麗に落として上がるのです。  果たして日本はこうは出来ません。しかし、だからと言って誰を何を問題にはし  きれないし、結果どうなるのか、何の結果をもたらすかは誰にも解らない。ただ、  一つだけ解るのは、こうして多種の諸々が日本に帰化して全体の一つの歯車にな  るという事だけは確かです。それが実は日本という歴史でもあるのです。  バスもほんの数年前までは名前さえ知らない他国の魚でした。しかし、その釣り  上げる時の引きのリアルさが受けて多くのフィッシングマニアに依って放流は繰  り返されて来ました。バスにしろブルーギルにしろ草食では無く雑食ですからそ  れまでの在来種は姿を消すでしょうし、池という限られた場の生態は全く過去と  は違う状態が生まれるでしょう。  ご覧になった池での出来事は確かに一見してバスが悪いという見方も出来ますが  そのバスがカモを食べざるを得ない程に食に困る現状もまたあるという事も見逃  せない事です。。そもそもこの様に命をもて遊ぶ様な人は恐らく自分の命までも  もて遊ぶ様な人柄なのだと知りましょう。バスがカモを食べて次には何を食べる  のか?、待っているのは餌の無くなった池での餓死だけです。もしバスが増える  程に繁殖させてしまったら、一見かわいそうだからと思って餌を与えた人間の高  慢だと言う事です。人の本性が現れるのはこうした現実からです。  例えば猿山で猿を繁殖させすぎて民家の被害を招いたり作物を荒らして困って、  結局厳しい自然環境にさらして減らした例もあります。人は一時の感傷や状況で  判断をしがちですが、本当に長いレンジで見る事が不可欠なんです。  この現状に何を見るかはそれぞれに意見はあるでしょうが、ただ、悲しいという  気持ちも一つではありますが、それだけでは子供じみた感傷に過ぎない訳で、せ  めてもう少しマシな未来が持てるような社会に何が出来るのか考えでも悪くは無  いと思いませんか?。だって、そのピラミッドの頂点に立つのは他でもない人間  そのものなのですから。  当地の池では数年に一度は水を放水し必要な魚(在来種)だけを残し、後は焼却  したり他の場所に移したりして守っていたりします。これも一つではあります。  また看板に「ブルーギルやブラックバス等の放流は出来ません」という内容の表  示をしたりもします。ただ、昨今この様な事を書いてもなおかつ入れるフトドキ  モノは後を絶ちませんが、それでも何か出来る事はあると思いますよ。例えば釣  りに来る客からはメンテ用にお金を請求してそれで資金を集めるとか、ね。高い  お金を取られる場所には釣りの客も行き難いですから或意味では一つのセーブに  なります。管理料に関しては自治体の掛け合いも必要かも知れませんが。  だがしかし…「ごみをすてるな」という看板の場所に更にゴミが積まれているの  は一体何故なんだぁ。自分の首を自分で絞める行為と言う事に気がつかない奴が  多すぎるで。(しかし、やはりというか後日には柵がしてあった) *~゚ miao qigong * wushu taiji quan shixiong ゚~* QZY01310@niftyserve.or.jp - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/06/10 - 07658/07671 QZA02327 ノロガメ RE:新しい芽さんの心をちょっと覗いて観た ( 7) 96/06/09 22:44 07641へのコメント 新しい芽さん、第二幕です。 つぎの課題に移ります。 1 自分とは何か? なるほど新しい芽さんらしき分析として見せて頂きました。 ノロガメの観方は、そのものは物質的なものか、精神的なものかという捉え方であ ります。 物質的な物であるならば、人体解剖で答えが現れると言うことです。 精神的なものであれば、医学的、科学的に答えは生まれません。 それらは自分の感覚的なものになるでしょう。 ノロガメはごく自然な言葉でもって判断して観ました。 「自分の姿」といいますね、「自分」の「姿」この自分と姿の間にある「の」とい う言葉は自分と姿を分け隔てるものです。 姿は自分の使用物として存在します。 姿は物理的に説明出来ます。 姿となるものは何であるかは容易に分かります。 では姿ではない自分はとなると、はたしてそこに言葉となるものは存在するでしょ うか? ノロガメはとりあえず、自分とは物(物質)ではない「無」であると言葉を並べた のです。 これについては、新しい芽さんの論法でいうならば、ノロガメの事実に興味をもっ て試して観れば分かると言うことでしょう。 2 細胞と自分の関係。 ノロガメが自分とは何かを求めている時期に新聞の記事に載った細胞の話に興味を 引かれたのです。 肉眼では見えない世界で細胞は人体を成立させるための働きを繰り返している。 細胞は個々に独立した生き物であり、見ることの出来ない小さな存在が集まって人 間の機能、姿を形成している、その一個一個が正しく生きてそして正しく健康な人 間小宇宙を成り立たせている、このように言葉を組み立てて行くと、全体の中の事 実に存在する自分と言うものが、細胞の姿にラップしてくるのです。 細胞の働きのお陰で自分は今人間として健康に生きられると言うことです、まず生 きられることについて、細胞の働きに対する感謝の気持ちが沸いて来ます。 細胞にも「自分」という言葉があるのではないか? 自分は今細胞として生きている、細胞としての正しい生き方をしなければならない。 この言葉が崩れると、人間の健康は保証の限りではないと思います。 細胞に自由意志を与えたならば、細胞は自由に生きることを思考するでしょう。 これは仮定の話で、そういうことはあり得ないものですが、自分を細胞の立場に立 たせて見ると、そんな言葉が生まれてくるのです。 社会生活の中の仕組みに存在する一個の細胞的な社会人として自分を見ると、社会 の狂いの原因が見えてくるのです。 使命感、責任感が薄れた社会人、道理が分からず自分勝手な生き方をしている社会 人、自分を観ないで他者の生き方ばかりが気になる社会人、そこには健全な社会と なる要員は何一つ観られません。 細胞から得るもの、それはただ単にその姿を分析するのではなく、道理的に自分の 存在をラップさせて観ることが求められるのです。 一つの仕組みのために身を尽くす、それが宗教心と言うものでしょう。 3 神とは? やはりこの問題も、物理的なものではないと言うことがはっきりしていると思いま す。 ですから結論を導き出す言葉は存在しないでしょう。 ノロガメは人間的思考、常識的思考を取り入れることについて、この問題には触れ ていません。 新しい芽さんの回答は、ただたんに分析結果として観させて頂きました。 ノロガメが神を論じるとしたら、それは自分とは何か? そこからつながりが生じ て来ます。 自分とは物ではない「無」である。 自分とは精神的なものであるという理屈において、自分と神を直結させることが出 来て来ます。 自分とは神である。これがノロガメの事実になります。 そして宇宙の起源の領域に自分を立たせることが出来るのです。 心についてもそれを説明する言葉は存在しない、ともかく物理的でないものを説明 する言葉は存在しません。 何故ならば、物で無いものには道理は存在しないからであります。 精神的なものには、心も神も自分も自己もみんな差別用語を伴わずして平等の存在 になります。 ノロガメは五感の働きの及ばないものを「無」として捉えています。 細胞も科学的に解明されるまでは、無の領域に存在していたものです。 無とは何も無しではなく、無の中に全てがある。 人間には無の中身が見えないだけであります。 自分とは人体から分かたれたもの、一個の生命体である。 この答えが思考に取り入れられれば、自分とは神であるという認識は容易く確立さ れます。 神とはイメージの元をなすもの、ノロガメは創意工夫がとても好きな人間です。 人類の生活様式はみんな創意工夫で生まれた物質文明です。 文明の元をたどれば、みんな「無」「心」に突き当たります。 それは物ではなく「無」であります。 人間に思考の働きが無ければ、物は決して形作られることは無い、思考の世界、イ メージの世界、そこに神なるものの存在があり。 そして自分を「無」として認識すれば、自分の存在場所を神の世界に定めることが 出来る。 従って神の創造した物の道理も簡単に分かるという筋の通った理屈が組み立てられ る分けです。 人間的な神とか宗教とかは、精神的病の病院の域から脱することは出来ないと思い ます。 健全な社会には、病院は不要の物です。現実的にはあり得ない理屈ですが、道理的 にはその理屈は成り立つ物になります。 現実には宗教は必要でありましょう。ノロガメも宗教が存在しなければ精神世界を 知る切っ掛けは無かったということになります。 多分死を選択してもはや存在していなかったかも知れません。 宗教は確かに神の声であると思います、しかしそれを体験したからと言って、組織 活動に走ると言うことが問題であり、疑問を覚えたノロガメは組織にたいしてでは なく、神に対して問を発したのです。 そのことは取りも直さず自分に対して問いただしたことになります。 自分の心に問い、自分の心に答えを導きだし、実践して確信に至る。 そんな体験の積み重ねが、「自己確立」をもたらしたのです。 新しい芽さんも、書き込む原動力となるものは、問題意識ではないですか? ずう〜と長い年月蓄積されて来た問題意識が爆発したものとして新しい芽さんの書 き込みを観ています。 空論は自分の意志によって自由に形作られます。 私たちは生きている限り、現実的に役立つことが人間にとって求められるものでしょ う。 ノロガメの理屈も、新しい芽さんの理屈も異次元的なもののようです、ノロガメは それが分かっているので、この場を現実的ではないと捉えての書き込みなのです。 とても現実的に理解得る言葉とは思えません、お互いに(^^) パソ通とは現実的でない言葉も思考出来る、そんな世界ではないでしょうか?        ノロガメでした。まる 07659/07671 GED01563 水戸黄門 リアルタイム(長文) ( 7) 96/06/09 22:59 07618へのコメント #7618 助さん、おはよう。 助> 僕は、推測と断定を分けるべきだと言う前提を持っていますが、推測でしか 助> ない筈のことや、主観的事実でしか無いことを、如何にも一般に認められて 助> いることとして断定する事に傲慢を感じていたんです。 ワシも、新しい芽殿の発言に、助さんがいう「主観的事実を普遍的なものと断定 する行為」を感じた。しかし、ワシは、(今回は)、「主観的事実を普遍的とす るように思われる発言から傲慢さを感じない」。ここも助さんとワシの違いなん じゃよ。すれ違っていないと思う。 ワシは、相手を傲慢と思ったとき、もし相手が「主観的事実を普遍的なものと断 定する行為は避けること」をやっていない場合、「主観的事実を普遍的なものと 断定する行為は避けること」と思ったり、相手に主張することをする。助さん が、「主観的事実を普遍的なものと断定する行為」から傲慢だという論点は、発 言者が謙虚ではないという意味で傲慢であると言いたいのじゃろうと思う。じゃ が、「主観的事実を普遍的なものと断定する行為は避けること」は、助さんが決 めたルールじゃと思う。教えられたとはいえ、これを受け入れ、(新しい芽殿を 傲慢と感じた以上)こだわり(こだわっているかどうかはワシからみた印象じゃ が)、他人にも求めたくなることは、助さんが決めたことじゃと思う。なぜ、こ のルールを受け入れ、こだわり、他人に求めるのじゃろうか? なぜ「主観的事 実でしか無いことを、如何にも一般に認められていることとして断定する事に傲 慢を」感じるのじゃろう? 過去の体験で「観てみる」のはどうじゃろう。 少し、混乱するかもしれないが、ワシの方を観てみよう。ワシが、新しい芽殿を 傲慢と感じたのは、過去の体験に照らすと、次の同型がでてきた。 (新しい芽殿を傲慢と感じる同型は、その後変化してきたが、とりあえず) ・ 「ワシの方が知っている」という自負(うぬぼれ)と、 ・ 「ワシの自説」の境界を越え ・ ワシが「傲慢」と感じる場合の3要素を満たしたからじゃ。 この3つを「調べて」みた。で、いくつか「みえた」ように思う。 うぬぼれとは、自分こそ正しいとする思いや、自分の方がよく知っているとい思 いがあった。 自説の境界とは、「他人のことをとやかくいう前に実践しろ」というワシが決め た(他人にも求める)ルールなんじゃ。どの世界でも、人や社会の批判や評価は するが、自分の批判や評価はせず、自分では何もしない者がいる。ワシは、新し い芽どのを、「こうした人種」と判断したのじゃ。つまり、「自分を観る」実践 をワシのやりかたではやらず、他人の評価と疑問に終始していると判断したから じゃ。「こうした人種」であろうとワシが思った新しい芽殿に「傲慢」という言 葉を当てはめたんじゃな。ところが、このことをもって、新しい芽殿を傲慢と感 じたことに、ワシは「おかしい」と思うようになった。それは、ワシは実践して いるという「うぬぼれ」と関係しているにすぎないのじゃ。 3要素とは、こういうことじゃ。 しかし、このルールだけでは、そのとき相手を「傲慢」と思わない。じゃが、 ・ 自分の主張が通らないとき、自分の意見と違うとき、 ・ 相手が自分より高い(権限や知識を持つ)立場にあると思っている場合で、 ・ 相手が意見をワシに強要しようとしていると感じた場合 その者を「傲慢」と感じることが多いようじゃ。 かって、ARIONを傲慢と思ったことがあるが、この3条件を満たしたのじ ゃ。ARIONも断定口調が多いじゃろう?(笑) 新しい芽殿については、こ の3条件を満たす。第2の条件がどうして満たされるのか不思議かもしれない が、ワシは、新しい芽殿を「教師」のようじゃと感じたことがある。ワシは、教 師を自分より優位の立場にあるとは思いたくないのじゃが、16年間も学校に通 い、教師に指導、支配?されれば、教師=自分より優位 という公式をつくり出 しているのじゃろう。新しい芽殿は教師ではないかもしれないが、教師と思った 以上、第一条件は満たしてしまうのじゃよ。かように心の動きなど、客観的なも のではないのじゃ。事実などないのじゃ。考えたこと。思っていること。感じて いることが、事実でないとするならば・・・。(自分が考えているという考えを もつ自分がいるという事実はある)。 さらに、みていくと、 ・ 相手が自分より高い(権限や知識を持つ)立場にあると思っている場合、 は傲慢を判定する基準ではなく、ワシの劣等感と関係しているようじゃ。よって ・ 自分の主張が通らないとき、自分の意見と違うとき、 ・ 相手が意見をワシに強要しようとしていると感じた場合 が傲慢を感じる基準らしい。 ワシは他人の意見を強要されたくない者じゃということになる。 他人の意見をきかない者を実は人は「傲慢」と呼ぶのじゃな(笑)。で、これを 結論としてしまってはまずいのじゃよ。それをワシは名前づけと呼び、「正当 化」と呼び、「欺瞞」とも呼ぶ。 で、自分の主張が通したいと思うとき、ワシは他人に意見を強要されたくないの で、相手が(断定しているとき)強要していると感じるようなんじゃ。最初か ら、自分の文章を読み直すと、「ワシの方が知ってると自己主張したい」。ここ で虎がつかまったわけじゃ。 じゃが、「なぜ強制されている」と感じたのか答えがでていないようじゃ。再 度、整理してみると、こうなる。つまり、2つの流れがある。 自分の意見が通らない 自分に都合が悪い 自分の意見を通したい 相手の立場が自分より優位にあると感じる(指導していると感じる) 劣等感を感じる 相手が自分の意見を強要していると感じる 自分の意見を通したい(自分の方が優位にたちたい:優越感を感じたい) もうひとつは 自分はよく知っている。 これをわからせたい(といううぬぼれ) ということで、ワシは「自分の意見を通したい」か「自分はよく知っていること をわからせたい」というとことに整理できるじゃろう。なぜ。自分の意見を通し たいか? なぜ自分がよく知っていることを宣伝したいのか、過去の体験に別の 類型がある。じゃが、それだけでは説明できないものが残る。つまり、他人に認 められたいという衝動が残るんじゃが。なぜ、他人に認められたいかわからない のじゃよ。他人のものさしは無意味じゃという話があるが、その話を受け入れつ つも、その答えではワシはワシ自身を納得させるものではないのじゃ。ワシは、 これ以上、先へはすすめない。自分の心の動き(HOW)はわかったような気分 じゃが、なぜそのように思うかは(WHY)はわからずに終わったのじゃよ。こ こから先は、助さんの助けが必要じゃろう。 さて、傲慢さを感じる理由について、今度は視点を変えてみた。 新しい芽殿の発言の「癖」が少しづつわかってような気分があるのじゃが、新し い芽殿のいう「事実」は局面局面または瞬間瞬間での事実であり。普遍的なもの でもないが、新しい芽殿にとっての(かつ彼の意味での)事実じゃろうと思う。 新しい芽殿は、この「理屈」に堅くこだわっているようじゃ。この「理屈」を繰 り返しもちだすのか不思議なんじゃよ。 新しい芽どのの文章のわかりにくさも、思いつくまま書いているからであって、 ある意味で「女性的」というか(侮蔑しているわけではない)、冷静になってみ ると柔軟性があるかもしれん。固まっているのは、ワシかもしれんのじゃ。じゃ が、新しい芽殿にも、柔軟であろうとする堅さがあり、自然体であろうとする堅 さがあるのじゃと思う。なぜこだわるのか不思議じゃな。 ワシは、この堅さに傲慢を感じない。この堅さを「強制する」とワシが感じたと き傲慢を感じるという話はしたの。新しい芽殿は、この堅さ以外のものを認めな い境界を新しい芽殿に感じる。相手を認めない空気に傲慢さを感じるようなんじ ゃな。この印象は、ワシの先に論じた「傲慢」とは異なるものじゃ。この部分を 分離しておく必要はあるじゃろう。これが、自分を主体的に観た場合と異なる 新しい芽殿を傲慢と感じる理由じゃ。 助> そのためには、今回みたいな経験を積んで、指摘を受けた時にはそれを謙虚 助> に吟味するのを繰り返して行くしかないのだろうと思いますが…。 助> 何かあります? 謙虚である必要はないと思うが、どうして優等生でいたいのか、ワシはまだわか らん。母親のせいにしておしまいか?                             96/06/09(日) 10:46 水戸黄門(GED01563) 07663/07671 PAF02400 湖の鷹 RE^2:“ルール” ( 7) 96/06/09 23:06 07569へのコメント みれさん、こんばんわ。私の方は私の方で、普段おぼろげにしか考えてないこと を考え直しながら書いているんで、こっちもこっちで進まないですね。困ったも んだ(^^;)イイワケ イイワケ。 ************************************ >> 湖の鷹さんは、自分で決めて何でもやりたいという気持ちで、ルールの話を >> しておられたんでは無いだろうか?とか思って、こういうRESを書いたんで 簡単に言うとそうなりますよね(^^;)。複雑に言うと、「関係する人すべてが必 要だと決めたもののみ、ルールとして残すべきだ」となったりすると思うのだけ れど(^^;)。 ルールを用意する上で必要不可欠なものが一点だけありまして、まぁ、これはよ もやわからない人は居ないと思うけれども、そのものずばり「ルールを守るこ と」ですよね。えーと、みぃにゃさんが #7503 で書かれていますけれど、 >> 『個人主義』と思われるかもしれませんが、最低限、思いやりと、真摯な態度で接 >>すること、常に前向きの姿勢でいること、この3点が守られていれば、細かい規則は >>特例処置という対応で、破られてもいいと私は思っています。 ですか。これまた(日本ローカルでは)一般的な考え方だと私も思ってます、と明 言しておいて次にすすめまする。 おさらいになるけれど、上の引用から言えば、一体全体 誰が「この3点が守ら れて」いるかどうかを判断するか?、になりますね。例えば私が私自身で判断し て構わないのか?、例えば、私が後世への思いやりと、真摯な態度で接していて、 なおかつ前向きな姿勢でサリンをまいて大量殺人をしたならば・・・、まぁ、だ れも許そうなんて奴はいないでしょう。だけども、確かに「3点が守られ」た行 為なんだから、特例措置という対応で無罪放免にしてくれます?、・・・するわ けないですよね、私は こんなふうに考えていって、結局「いかなるルールも破 られてはならない」と何年も前に結論づけてたわけなのだけれども・・・、 ************************************ で、もひとつ進めて「ルールの優先順位」にいってみませう。 1. 絶対に守るべきルール 2. 出来れば守った方がいいルール 3. 出来れば守るべきではないルール 4. 守ってはいけないルール 私が書くと、上のような4段階のものになりますね。例を挙げていくと、1.は 「人を殺してはいけない」というのがわかりやすいですね。2.はそうね、私ん ところの会社なんかだと「納期を守ること」がこれにあたりますか。あっと、考 えてみりゃ3.も同じになるな、いわゆる「納期遅れは当たり前」という習慣的 規則は出来れば守らない方がいいだよな(^^;)。4.はとりあえずパスしときます。 誰か心当たりのある人がいたら書き込んでやってください。誰も居なかったら、 きっと私が書くでしょう・・・、いや、忘れてなかったら(^^;)。 さてさて、SUKE さんが #7508 で、 >> そんなことするわけないでしょ(^^;) >> がまんしますってば(^^;) と、書いてくれてたりしますが、これはこれでルールの本質を突いていると言っ ていいと思います。えーと、つまり、随時ルールを適用するかどうかを個々人が 判断するべきものであって、お互いが「今回はルールを適用しないと決めたなら じゃんけんはしない」となるのかな。余談ですけれど、確かアメリカだったよな。 トイレで並ぶときには、トイレの入り口で順番待ちをして、いわゆる「先着順」 を厳守するとか。そいえば、銀行なんかも最近はそんな感じになってきたな。マ クドナルドもトイレもカウンターあるいはそれぞれの便器の前に列を作ってたり するけれど・・・。 話をもとに戻します。上の SUKE さんの書き込みだと「明文化されたルール」よ りも「先着順」という一般的な「明文化されて無いルール」を優先した、と書い て構いませんよね。で、SUKE さんの #7511 を読んでいて思ったのだけれど、例 えばこれが「ルール不履行の場合の罰則は運転免許の失効」とかいうペナルティ がもし仮についたとしたら、これはこれで、私はルール内容の馬鹿さ加減を忘れ て、毎度毎度じゃんけんをするんだろうな、というのは容易に想像できますね。 余談ですけど、車を運転してるときには、たとえ見晴らしが良くて、見えるとこ ろに人も他の車もいないところであっても、信号が赤だったら、青になるのを待 ちますね。これについては、どちらかというと「赤信号では止まること」を自分 に対して習慣づけている、といった目的のため、ってのが正解になるけれど・・・、 といったところで、この次はこの次にまわします(^^;)ヘンナイイマワシ。 ************************************ >> 一介の著作権者であるARION(ビクターの「ぼくの地球を守って」のC >>Dには、ARIONの作った詞があります)が自分の会議室に自分の詞を転載 >>できないということに、私はどうも納得がゆかないままです。 言ってしまえば、世の中の不合理の一端でしょうね、一体全体、何のための・誰 のための著作権か?、という点が忘れられているという。余談ですけれど、私は 自分の仕事で作り上げて来たものの一切合切に著作権とかいうものが「存在しな い」ことになってるらしいです。中途半端な意見になりますが、恐らくは「声高 に著作権をわめくような人が業界に居なかった」ためだろうと推察してたりしま すが、別の見方があったなら誰ぞ教えてくれると嬉しいですね(^^;)。 ************************************ >> 一般的にルールは、ルールの為のルールでは無く皆の利益や >> 財産を守り、権利を守り義務を守るものだからね。湖の鷹さんに譲られても、 >> 自分が未だ我慢出来そうだったら譲りかえすでしょう>私  「んじゃ、おさきぃ」とか言ったら みれさん も 拍子抜け or 唖然とするかな? それとも、それが当たり前のように反応してくれるかな?、この辺は、何度か相 手が「え?」ってな感じで唖然とするのを見ましたが・・・、うーん、それにし ても、譲りかえしといて唖然とする方々ってのは一体どのような私の対応を期待 したのだろうか?、 ・・・いや、もちろんわかってるんだけどさっ(^_^;)。 96/06/08(土) 23:18 湖の鷹(PAF02400) 07665/07671 NBB01420 SUKE RE:チョー、ごみレス ( 7) 96/06/09 23:07 07640へのコメント コメント数:1 #7640 維/YUIさん、僕は笑えなかった…。 この発言が、今この時期に、この会議室に書かれた意図は何か? と思うと、きっと7番会議室の現状を描いているのだろうなと推測出来るから。 笑えないですよ。 今の話の流れのあちこちに関わっている僕が大笑いするということは、自分を 阿酒笑っているのと同じ出すからね。                              Suke.(^_-)☆ 07670/07671 GBG02043 維/YUI 笑う必要はないですが ( 7) 96/06/10 12:19 07665へのコメント SUKEさん、RESありがとう。 タイトルどおり、YHVHさんの書き込みを読んで笑う必要はないです。 けど、私はマジに笑っちゃったんですよ。 なぜって言われても、まだそれを考えている所なのだけど。 7番会議室の現状を読んで書いているという推測はできても、 人それぞれですから、ここのことだけが思い当たるわけでもないでしょう。 なんて書いていたら、一つ笑ってしまった動機と思えることを 思い出しました。 以前YHVHさんが、預言解読の議長をやっていくことになったあたりまでの ことですが…。  ・たとえば「何が言いたいのかさっぱりわからない」としよう。 私が、ARION関係の会議室に出入りし始めた時、ほとんどRESはつきません でした。 で、YHVHさんは、みょ〜に根性いれて、長いRESをつけて、しかも 「なんで、そうおもったのか」とか「…と、書いているが、それは〜ということに なるんじゃないか」という、断定的な推測&質問だったんですよ。 これが、私には?で、まさに、上記の一言なわけ。 ・これはいったい誰のことだろうか。相手ではなく、自分である。 そう。わからないのは、私自身のことなんですよ。 ・もちろん、わからない原因は、主に相手にあるかもしれない。 そして、そんなわからない質問をするのは、相手がいけないって気持ちはありました。 ・それでもともかく「わからない」という事実は自分の側にある。 そう。で、私の超お人好しな性格がわざわいして(^^;)、わからないのは私が分かる 水準に達していないからかもしれない…とか、思い直すわけ。 んで、私がどうした のかっていうと、出来る限りきちんと相手の質問には答えていきました。相手がその 答えを”分かるか”どうかは不明でしたが、それでも縁あって言葉を交わすことに なった相手に対しては、ちゃんと分かって判断つくまで、RESがつけばそれに 答えたし、質問にも答えました。質問がわからなければ、ここがこうわからないから おしえてくれという話もしたと思います。 自分にとっての目的や意義がそこにあるのなら、相手がどういう話の展開をしても 相手にも誠意がある限りは、続くもんだと思っています。 それが、「どうでもよくなって」しまったとしたら……。 「? なんで自分は こんな会話を繰り広げているんだろう」ってなってしまったとしたら、それは どこかで自分を見失ってしまったんですよね。 親子の会話とか、兄弟喧嘩、恋人やパートナーとの会話。 そういえば、話しているうちに、訳がわからなくなってきたりするのって、 たいてい、相手と理解しあえずに話をしている時だなぁと思いあたりました。 …………と、そんなこんなのことがあって、笑ったのかもしれないです。 ところで、一つ聞きたいのですが、SUKEさんはなぜ私にRESをつけたの? 本筋ではないところで、読んだ感想として、思わず笑ってしまったと書いただけの ものなのに。 私が、YHVHさんの文章を読んで笑ったことで、(SUKEさんの推測に よると、その文章はここの会議室の現状を表しているから)SUKEさんや他のこの会議室 に参加する方々を笑った(この場合、あんまりいい意味での笑いじゃないでしょうね) と、とられたのでしょうか?  そうとられたのでしたら、私の書き方も簡単すぎていけないのですね。ごめんなさい。 けれど、あの時点では、なんで笑っちゃったのかさだかじゃなかったんですよ。 (だったら書くな、という意見もありそうだけど) また、笑ったことの動機が見つかったら、書きますので。 維/YUI 07671/07671 GBG02043 維/YUI RE:つまらない現実、だからこそ…… ( 7) 96/06/10 12:19 07646へのコメント 7665の SUKEさん宛のRESにも書きましたが、 かなり昔の話を思い出してしまいました。 自分の文章が、わかりにくいかどうかなんて、二の次にで書いていて、 読まれてはじめて、わからない文章なんだって気が付いて、「まあ、そう かもしれない」と思ってみて、と色々やってきたわりには、相変わらずな 文章しか書いてないな…と自嘲の高笑い。 私は本などを読むのは好きなので、わけがわからない文でもつまらなく なければ、わかろうとしてしまいます。 分かることも楽しいのだけれど、 分かろうとする課程も結構おもしろいんで、YHVHさんの難解なRESを 読むのも楽しいです。 昔よりかわかりやすいんで(少しは読解力がついた?) 前よりか楽になりました。 (^^;) 維/YUI - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/06/10 - 04795/04797 GGA02514 KAZE RE:シュタイナー「いか超」から学ぶ●2 (13) 96/06/10 00:15 04788へのコメント あとみさん、どうも。 》  東洋の「師」と「弟子」の関係だと、弟子は、完全に「あなたにおまかせ」 》 状態になるって事ですね?帰依と依存は、また違うのかも知れませんが、 》 完全に頼るって事は、自分の意志は必要ない、と言うことに成るんですね。 そこらへんは難しいところなのですが、 「自分の意志は必要ない」というのではないと思います。 むしろ、通常の低次の意志ではなく、高次の意志が必要だともいえます。 つまり、帰依する覚悟というか、そういう意味での意志は必要です。 そうでないと、帰依するにまで至らないわけですから。 ですから、帰依は依存ということではないように思います。 依存するというのは、もろに低次のエゴの世界なのですけど、 帰依というのは絶対的な信頼感、すべてを預けきる気概だともいえます。 少なくとも、依存にはそういう気概などはまずないでしょう。 》  ここですが、エゴが残っていても、てことははじめにエゴの存在の自覚が 》 なくても、「自分を観る」と言う意志を最初に持ってなくても師弟関係が 》 成り立つ、と言うことなのでしょうか?とりあへず、グルについて行けば、 》 悟りの道まで連れてってくれるさ・・、みたいな。そう考えると、例えば 》 グルがエゴだらけだったりすると、弟子もろともエゴの追求の道を悟りと錯覚 》 して突っ走ってしまうわけですよね。(どっかの宗教団体みたいに) ですから、やはり、「「自分を観る」と言う意志」は必要ですし、 「悟りの道まで連れてってくれるさ」という甘えは捨てる必要があるでしょうね。 捨てるのは低次のエゴであり、真我を捨てるのではないのですから、 グルに依存して甘えるなんてのは論外ですし、 グルが低次のエゴまるだしだとしたら、そもそも師弟関係に入ろうということ自体、 その準備がまるでできていないまま、依存関係を欲しただけということになります。 もちろん、それではグルをどう選ぶのか、ということになるわけですが、 やはり、「求めよ、さらば与えられん」ということで、 自分が何を求めているかによって、真のグルが現われることもあるだろうし、 低次のエゴを偽装した偽のグルが現われることもまたあるのだと思います。 「なんでもいいから解脱したい」という欲望から求める人は、 いわゆる「解脱病」をさまざまなところから呼び寄せることになりますし、 「低次のエゴを克服して健全な人格を育成したい」と願う人は、 それに応じたものを呼び寄せてくるのだと思います。 つまり、グルを選ぶ責任も自分にあるということであって、 一方通行で「騙された」ということはまずないのだと思います。 》  それと比べると、シュタイナーが考えていた、思考の訓練をしていく 》 と言うことは、自己に収れんしていく、と言うことですよね。自分の中心に 》 向かっていくという事で、エゴにからめとられる危険性があるんだと思う 》 のですが、少なくともこの場合、「自分を観」ようとする意志から出発してる 》 しているように思うのですが。つまり、エゴの存在を自覚していて、それを自 》 らの手で摘み取っていこうと言う決心があるから、そこで初めて自分に必要 》 な師の存在を認識できる。 シュタイナーが「いか超」で述べていることは、 感情に溺れず、きちんとやるべきことをやれて、 きちんと物事を健全に考えることができるような基盤づくりを 性急にならず、じっくりと取り組くことのできる姿勢のもとで、 しかも日常生活から逃避するような在り方を戒めながらの修行ですから、 自己認識、世界認識ともに深めていく方向です。 そして、それについてすべて自己責任の原則が必要となるわけです。 ですから、低次のエゴが暴走するというのは、 一番最初の最低の条件を満たすことができないのですから、 その次の段階に進むことはできないわけです。 もちろん、進んだと思いこむことはできるのですけどね(^^;)。 難しいのは、そういう思いこみなのだと思います。 たとえば、そうですね、今自分が虫歯だとして、 「あなたは虫歯だから甘いものは止したほうがいいよ」というのを 愛のないやさしくない行為だと思ってしまうようなのが、エゴの暴走なのですが、 それをエゴの暴走だと気づかないメンタリティーだと、危険だということです。 こういう例だと、そんな人はいないと思いがちなのですが、 実際の所、そういう人ってけっこういるんですよね(^^;)。 ま、そういう方は、思考訓練をしているとはいえないわけです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/06/10 - 04087/04088 CZA03240 すろす 中空の権をもつ君 (14) 96/06/09 16:32 こんにちわ。 なかなか、ARIONのメッセージ読めてきません(ずぼらなんです(^^;))。 ほんのちょっとだけ、気が付いたこと書かせて下さい。 >かすたりて みすみ を しょうく し >ほしみ は、ほし を >ちもり は、ち を >くうなる そは、くうへ 「かすたりて・・・」まだわかりません。 「ほしみ」もまだわかりません(^^;)。(み使いかな?「かい」もみ使いかな) 「ちもり」は地球の管理を任された(創世記)人間だと思います。 「くうなるそ」は聖書のエフェソス人への手紙の2章で  この世の流れに合わせ、中空にあって支配権を握っている権威の霊、  すなわち、神に従わない者たちの内に現に力を奮っている霊 と書かれている「霊」、聖書でいう「悪魔」を指していると思います。                                      それでは。           96/06/08(土) 23:43 すろす(CZA03240) - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/06/10 - 00676/00676 GBG02043 維/YUI RE:核実験強行に抗議する! (15) 96/06/09 14:24 00674へのコメント * 地球を傷つけることは、とりもなおさず、自分を、自分の子孫を傷つけつづける * ことなんだとどうして分からないのだろう…。 最近、ふと思うんです。実は、全部やめてしまいたい人々ってのが増殖してるんじゃ ないかって。 だから、上に引用したこと、わかっていても「だから、なんなの」って「どうせあと 30年かそこらしか生きないんだから、関係ないさ」と言える人って実際いるんだもの。 子供を持っても、その子供を大切に育てられない親が増えている。 昔から親と子供が対立することはあったけれど、それを超える絆があった気がする。 でも、なんだかテレビのニュースとかで聞く話は、そんなもんなくなっちゃった んだと言わんばかりで。 自分が育った、生きている場を愛せなくなったら、やっぱり滅びるしかない。 自分の心のなかに巣くう敵におびやかされ、幻の栄華にすがりつき、 本当の今を見ることができないとき、生きているというよりかは、生ける屍 なんですね。 96/06/09(日) 02:18 維/YUI(GBG02043) - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/06/10 - 968/968 MHA01114 シュメ−ル 流し読み終了。おもしろかった。 (19) 96/06/10 03:47 『アルクトウルス・プローブ』一読しました。アルクトウルスはこの太陽系を このように理解してるんだろうな。太陽系の惑星の説明は思い当たる節がぼろ ぼろあって興味深々だった。最近の話題では、ええとシュレイビーメイカー彗 星でしたっけか、あれが木星に突入したのはルシフアーさんの封印を解いたん だとの情報があった。シンクロする情報だな。あと、ミステリーサークルの話 題もでてきて、懐かしかった。『ナインサークルズ』いまでも聞いてますよ。 湯沢(だっけか?)のストーンサークルを見にいったとき、「これは宇宙との 交流センターだ」という印象が沸いて来たのを思い出した。ストーンサークル とミステリーサークルを同じ文脈で書いた情報は私はこの本が始めて。HAL さんがマヤとルーさんの関係を書いていたのの意味が分かった。マヤって地球 のマヤ文明のことじゃないんだ。  おもしろかったのは、マルデクを壊したのは、木星人だっていうところ。あ と、地球に宇宙のならずものがなだれこんでくるようになったのはつい最近の ことだという話。キリストがルシフアーさんと同じ起源だってのはよく言われ てたけど、ブッタさんもルシフアーさんの後始末分身だってのは初耳だった。 流れとすれば、納得がいった。この太陽系の歴史を理解するのに参考になる本 だ。  原子爆弾が1次元宇宙の自由意志を侵害してそのカルマを地球が被るっての も、その通りだと思った。  バチカンの陰謀も書いていて、ニヤリです。オウムによって日本人はどれく らい目覚めたんだろうか。宗教はもうおわりなんだけどね。あらゆる種類の権 威が失墜する時代。価値と存在が分離していた時代が終り、存在が価値になる 時代。固定化した美ではなく、うつくしくいきること。  アルクトウルスから見ると、太陽系はこうみえてるんだという限定でもって 読めば、いいんだろうと思った。これがすべてではないはず。