「話し合ってお互いに納得のゆく解決をじゃな…コホン」と村長 """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/06/13 - 07697/07706 LDS05136 YHVH 忌憚のない会話 ( 7) 96/06/12 14:41 コメント数:1  わたしたちの会社では、月に1回、企画のためのブレストを 行なっている。このブレストは、なにかの結論を出すことを目 的としない。テーマだけを設定し、自由に意見を交換する。ま た上層部は参加しない。場所についても、社を離れ、近くの喫 茶店で行なうことが多い。  そして昨日は、通らなかった企画をどうすれば実現できるか というテーマだった。  ある女子社員が、「ボランティアの本を作りたい」と話を切 りだした。  企画を通すとは、言ってしまえば、売れそうなロジックを組 み立てることである。だから、たとえば、受験に血眼のお母さ ん向けに「今すぐボランティア〜これで内申書UP!」という 本を出したらどうか……といったアイデアが提出された。  ところが、参加者の多くは「そういう本は、なんとなく出し たくない」との感想をもった。  それで次に、ボランティアそのものについて、皆がどういう イメージをもっているのだろう、という話になった。  参加者6人全員が、「どんな体験があって、だから、自分は こういうイメージをもっている」という話をする。 「気がついたら、姉と一緒にガールスカウトに参加してたのよ、 わたし。で、姉は模範生だったんだけど、わたしはなんとなく 違和感を感じてしまって……」 「そういえばわたしも、知らないうちに交通鼓笛隊に参加して たわ。小太鼓テケテケって」 「え〜!△△さん、そんなことやってたの?」(笑) 「そうなのよ、実は」  こんな話があったかと思えば……。 「うちの親戚には知恵遅れがいるんだけど、正直言って、でき れば関わり合いになりたくないと思った。そんな自分がボラン ティアで何するの?って感じ」 「わたしの場合、親戚一同から仲間はずれにされてるおばあさ んがいて、むかし、すごく可愛がってもらったの。それで、わ たししか相手にする人がいなくて、1ヶ月に1回ぐらい手紙を 書いてます。でも、ついつい忘れたり……。中途半端に期待さ せないほうがいいのかしら」  はたまた、次のような話も飛びだす。 「ボランティアとボランティア精神は違うんじゃないか。たと えば、△△くんの日常を見ていると、ボランティアはやってい ないかもしれないけど、その精神をいつも感じる」 「そうですか。自分では意識したことないんですけど。……実 はむかし、市民運動を手伝ってたことあるんです」 「なになに、それ?」 「東芝の府中工場で不当解雇された人を助けるっていう。その ときの仲間とは今も飲み友達だったりします。でも、学生の頃 そういう話を友人にすると、変な目で見られましたよ。今どき の学生はどんな感じだろうか」  企画のためのブレストといいながら、結局、なぜだか、おた がいの知られざる過去(?)を語りあう会になってしまう。以 前、家族というテーマでやったときもそうだったことをわたし は思いだす。  とにもかくにも、それぞれの心に不思議な余韻を残し、会は 終わりを告げた。  YHVH 07698/07706 LDS05136 YHVH RE:忌憚のない会話 ( 7) 96/06/12 22:06 07697へのコメント 「仲間って何だろう?」  ここのところ、ずっとそんなことを考えている。  自分を観るというのは相当に厳しい作業であって、  おそらく、それを行なう者どうしの間に信頼関係がなければ難しい。  では、ここ7番会議室にそのような環境はあるか。  互いの信頼を育んでいこう……というベクトルは働いているか。  ここは学校でもないし、塾でもない。  先生と生徒たちの集まりではないのだ。  先生がいなくなったとき、生徒たちは一体どういう会話をするんだ?  YHVH - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/06/13 - 895/895 KHC01313 まるにちょん 太陽に棲む烏さん ( 9) 96/06/13 01:59 887へのコメント  #887 TAO さん ども〜(^_^) >>  そのモザイクをデザインしたり製作した人がどこまで陰陽道を意識してい >>  たかは分かりませんが、もし意図的に陰陽道的な呪術効果を狙ってのことだ >>  としたら、そのぶっ飛びぶりにはちょっと怖い気もして来ますね(^^;。 そうですね。 きっと大阪商人の根性からすると、「商売繁盛金持って来い」ってのが呪術の 本音だっりして(^^;。  単なる繁栄と商都守護を目的としているならば、いいのですが、欲望実現の為 の呪術ならば、やはりなんだか寒気がして恐いですね。 >>   三本の足を持つ烏というと、神武天皇の東征説話に登場する八咫烏を思い >>  出します。熊野三山が発行している熊野午王の札にも、三本の足を持つ八咫 >>  烏の姿が描かれており、神の使いの鳥として知られていますね。  そうそう。神様と三本足の烏はどうも深い関係があるようですね。  神武天皇と言えば、玉置山から大和入りしたって話があります。 >>   ところで太陽に鳥が住むという伝承は東南アジアにも伝えられていた筈と >>  記憶しているのですが、文献が見つかりませんので(^^;、ひとまずお預けに >>  しますが、日本だけの神話伝承に限らないのでは無いかと思います。  ええ、そうなんです。  太陽の中に烏がいて、それを弓で射るという伝説がアジア各地であるようです。  例えばわが国の伝承では、  垂仁天皇のとき、九つの日輪が出た。天文博士に占わせると、北の外れのもの は本物だが、南に並んでいる日輪はカラスが化けたものであるとの結果が出た。  射落とさないとモノノケになるとのことであったから、天皇は、八人の射手に 勅した。八人は武蔵国入間群に高い柵をかまえ、梯子をかけて登った。  これがわが国で最初の梯子となったそうだ。  垂仁18年2月10日辰刻(午前8時ごろ)、天皇も御覧になるため武蔵国に 行幸された。こうして八人が思い思いに神に念じて矢を放つと、八筋の矢は八つ の太陽に当たって、筑紫の日向国宮崎郡に落ちた。  天皇が難波の宮に帰られてからほどなくして、八つに日輪が献上された。  長さ1丈5尺(約4.5M)のカラスで、尾幅は1丈6尺(約4.8M)、嘴は3尺8 寸(約1.14M)あった。  そのカラスの首を切らせてみると、長さ2寸(約6cm)四方の玉が一つづつ入 っており、また、1寸6分(約4.8cm)の釈迦像が一体づつ入っていた。  玉は7つの神社と天皇の御倉に収められた。 と肥後の学者 虫番 竜子によって書かれた「広益俗説弁」にあるそうです。        バン  リュウシ        コウエキゾクセツベン  バンは虫へんに番と書きますが、FEPが貧弱ででまへん(^^;  上記の事は真偽は定かではなく、著者本人も荒唐無稽だなはなしで中国の尭帝 伝説の焼き直しではないかとしているそうです。  アジアの太陽を射る話は、いろんな類型があるにけれども、インドンシア語系 諸族、タイ語族、シナ・チベット語族、アルタイ語族、日本、北アメリカ西部諸 族に分布しているそうです。南方では、南島語族のうち、インドネシア語派にだ けしか分布しておらず、北方ではアルタイ語族(テュルク=モンゴル族とツング ース族)だけ分布しているとのことです。  なんとなくではありますが、AMA族の来た道筋に似通っているように思えま す。 >>   そう言えばお正月に供えられる鏡餅は“太陽”であり、“稲の女神の女陰” >>  を指すそうですよ(『歳時記のコスモロジー』北沢方邦著/平凡社刊より)。 >>  米から作られるお餅は、やはり豊穣への願いを込められているようですね。 >>  それでは。 その本持ってました。さっそく該当個所を読んで見て、これ読んでからだった らもっといいものを書けたのになぁって思っています。  参考図書:日本民族文化大系2「太陽と月」=古代人の宇宙観と生死観 小学館  では、また。                     まるにちょん、○ゝ - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/06/13 - 01015/01021 GFB00026 一輝 チャネリング口調の練習 (12) 96/06/12 17:56 コメント数:1 ●チャネリング口調の練習  本日、コカイン不法所持で懲役4年の実刑判決が出た角川春樹代表の出版社、 ハルキ・コミュニケーションが、今朝新聞に大きく新刊広告を出した。書名は 『ラムサ 真・聖なる預言』。内容はチャネリングで、ラムサという宇宙人か らメッセージを受ける女性が、J・Z・ナイトという名のチャネラー。。  これはどこかで聞いた名前だなぁと、古い資料を辿ると、ありましたありま した。1991年7月のある短いログに。その内容とは……、    「今、アメリカのチャネラーのJ・Z・ナイトが独りでチャネリ     ング口調の練習をしているのを見られ、一大スキャンダルにな     っていると聞きました。詳しいこと知っている人いたら教えて     下さい」  本物のチャネリングなら、いつだって一期一会の本番のはずです。ラムサの チャネリングは、日頃からの練習の賜物だったってわけですね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/06/13 - 04799/04801 GGA02514 KAZE 中道論14●風説維摩経7 (13) 96/06/13 10:14 04780へのコメント さて、続いては「観衆生品」です。 この中からは、とってもおもしろい、 天女と舎利弗との問答をご紹介することにします。 維摩の部屋に一人の天女が現われ、菩薩達や弟子達の上に、 天の花びらをまき散らします。   ここに不思議なことはおこった。散らされた花びらが菩薩の身体にふれた。   花びらはただちに地上に落ちた。散らされた花びらが舎利弗などの大弟子の   身体にふれた。花びらは大弟子たちの着物や身体に付着して、どうしても離   れることがない。花びらが衣服についているのは美しい。しかしまったく離   れないのも異様である。大弟子たちがどんなに花びらを取りさろうとしても   花びらは離れない。そこで天女は舎利弗に言った。「舎利弗さん、なぜ花び   らを取ろうとするのですか」と。すると舎利弗が答えた。「この花びらは法   にかなわない花びらであるから取ろうと思っているのです」と。小乗仏教で   は香華を身体につけることは戒律に反するとされている。身体を飾ることは   異性を誘惑することになるからだ。(中略)   すると天女が長口舌をふるって説法した。「この花びらを戒律にかなわない   ものとしてはいけません。なぜかというと、この花びらには分別はありませ   ん。あなたが自分で分別の想念を生んだのです。(P172) 修行を「修行のための修行」ということで自己目的化してしまうと、 「花びら」さえも、「法にかなわない」というふうにとらえてしまいかねません。 そこでは、何のための「戒律」なのかということがわからなくなっていて、 戒律そのものに意味があるかのようにそれが実体化してしまうわけです。 こうしたことは、「修行」ということだけではなく、 私たちの日常生活で「道徳」だとか「ルール」だとかいうことについてもいえることで 「なぜそうなのか、そうしなければならないのか」がわからないままに 「そういうのものだ」ということで、自己目的化されていることは多いものです。 ちゃんと考えてみればおかしなことでも、「そういうものだ」から、 そうでないほうがおかしいということになってしまうわけです。 学校での規則などでも、わけのわからない規則ばかりですよね。 (私はこれで、学校が大嫌いになりました^^;) 「戒律」は、それが「戒律」であるための意味があり、 「道徳」や「ルール」は、それが「道徳」や「ルール」であるための意味があります。 「戒律」や「道徳」、「ルール」そのものに「分別」があるのではなく、 それを行使する者が、それぞれの「分別」でそれをつくったわけです。 そのことにちゃんと意識的にならないと、自分の「分別」を絶対化してしまって それに対する別の視点というのがわからなくなってしまいます。 多くは、その「分別」というのは、どこか外からある種の権威のように作用していて 「それは権威だから正しい」ということになってしまいます。      さて、その後も、舎利弗は、小乗ではなくて大乗だということに関して 天女にさまざまに諭されてしまいます。 舎利弗はそれを快く思わなかったようで、天女に次のように質問します。   「あなたはなぜ女身を転じて男にならないのですか」(P179)    それに対して天女は次のように言います。   「私は十二年以来、女人の相を求めているが、まだそれを得ることができませ   ん。どうして転ずる必要がありましょう。たとえば幻術師が幻の女を仮に作っ   たようなものです。それに女身を転じて男にならないのか、と質問するような   人がはたして正しい人でしょうか」と。(P179) 仏教では「女人成仏」ということについてのあれこれの話もありますが、 基本的に、女人は女人のままでは悟れないというような わけのわからない話があったりするように、ぼくは記憶してます。 この「維摩経」あたりは、そこらへんなんか、軽く笑い飛ばします。 男だとか女だとかいう「分別」は無意味だというわけです。 もちろん、男女の特性の違いがないわけではないですが、 そうした違いと男女の実体化というのはまったく別のことです。 舎利弗は、男女を実体化してそれをみずからの「分別」でみていた。 だから、天女にその点を鋭く指摘されたわけです。 ま、仏教の修行者というのは、禁欲を絵に描いたようなもので、 それが弱さになっているというところがあるんですよね。 だからこそ、それがすごい執着になって、逆に好色になっていく^^;。 「饅頭恐い」で食べてしまえばいいのに^^;。 この先が特にすごく面白いのですが、 神通力をそなえた天女は、舎利弗を女人にしてしまいます。   女身に身を転じた舎利弗に対して天女は言った。「あなたはなぜ女身を転じて   男にならないのですか」と。天女は舎利弗に逆襲を加えた。舎利弗は驚いた。   自分が知らないうちに女身に変えられたのであったから。すかさず天女は言っ   た。「舎利弗さん、あなたがもしよく女身を転じて男になれるのなら、どんな   女もそのようにするでしょう。あなたは女身を現わしていても、女ではないの   です。だから仏は一切のものを男でも女でもないとお説きになったのですと。                                  (P180)   しかし、いちばんこだわっているものに、 自分がなってしまうというのはすごく面白い発想ですよね。 自分が一番避けたいもの、嫌っているもの・・・、 そうしたことというのは、実は、それに執着しているということなわけで、 執着していなければ、それに対して過剰反応する必要はないですし、 すべてに「分別」をもちこまないで、ありのままに見ることができますし、 また何があっても臨機応変に対処することができるはずです。 もちろん、そういうことはとっても難しいのですが、 だからこそ、「嫌いでも理解、好きならもっと理解」ということで、 無理解がゆえの執着という罠から自由になる必要があるのだと思うのです。 さて、「観衆生品」をご紹介しましたが、 次回は「仏道品」〜「入不二法門品」へと進み、 まさに「中道」の考え方そのものである「不二」ということについて その核心の部分を見ていくことにします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04800/04801 GGA02514 KAZE 風遊戯94●祈り (13) 96/06/13 10:14 天の思いが私を通して天に帰りますように 私の思いが天を通して私に帰りますように あなたの思いが私を通してあなたに帰りますように 私の思いがあなたを通して私に返りますように ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 04801/04801 GGA02514 KAZE 風遊戯95●祈り (13) 96/06/13 10:14 一枚の木の葉の散ることさえ意味深くあるように 私のこの生も意味深くあることに気づきが深まりますように 種には、花咲き、稔る可能性が込められているように 私のこの生も花咲き、稔る可能性のあることに気づきが深まりますように 宇宙があらゆる存在のなかに照りはえているように 私のこの生にも宇宙がに照りはえていることに気づきが深まりますように ☆☆☆by KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/06/13 - 04097/04098 PAG03134 はな RE^12:炎で書いた物語」最終章(その6の4) (14) 96/06/13 12:40 04085へのコメント SOUND さん しまうま さん  割りコメになります。  アリオン預言で「****」などのように区切られていることにつ いて、以前HVHY前議長が解読されていました。  HVHYさんの解読によれば、「*」を用いて時間軸を現している とうのです。しまうまさんが引用してくださった92年のメッセージ は、7連に分けられていたはずです。(今、転居のまっただ中であり、 過去ログが入った私のパソコンが荷造り状態なので確認できません)  このとき、前半3章は「過去」、後半3連は「未来」を。そして、 第4連は「時空の転換点」を現していたと、HVHYさんが指摘され ていました。  確かにHVHYさんが指摘されるように、前半3連は「〜だ」のよ うに過去形が用いられ、後半3連は「片目の男につれて行かれる」な どと、未来形で記されていました。「*」印は時間軸を現しており、 まとめると、以下のようになります。  第1〜第3連  「過去」  第4連     「現在(時空の転換点)」  第5〜第7連  「未来」  で、今回のアリオンメッセージでは、7連形式ではなく4連形式で 過去、現在、未来を現しています。なぜ7連形式のメッセージから4 連形式のメッセージになったか? ちょっと、ひっかかっています。     はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/06/13 - 969/973 XLB04022 大愛    RE:癒し (19) 96/06/12 14:31 960へのコメント コメント数:1 #960へ はじめまして、猫の手 さん。大愛と申します。なにせ新参者なんで、わ からないのですが、あなたの発言にはRESを付けてはならないというよ うな、暗黙の了解があるのでしょうか? もしそうでなければ、コメントさせていただきます。 知花敏彦さんは、ご存じでしょうか。この方によりますと、既に、現在は 個人的な病や悩みの時代ではない、全体を考える時だとのことです。私も その通りだと思い、どうしてもよくならない腰痛だけは治していただき、 これからは、一切病気にはならないと決心しました(この「決心」という ものは、けっこう霊格向上に役立つそうです)。 病気の原因の大半は自分の想念の問題ですから、このように決心さえすれ ば、二度と病気にはならないでしょう。 −−−ところが....最近、水火土の会なる団体の書いた本を読んだの ですが、病気の原因は主に「因」なのだそうです。これは、今世・前世・ 先祖・創造神の恨みつらみなのだそうです。ちょっと、私にはよく理解で きませんでした。もし同じ本を読んでらしたらご意見下さい。徳間書店か らでている超知ライブラリーの「未来創造」という本です。 NIFTY ID XLB04022 大愛 972/973 QZY01267 猫の手 私は私のために生きる (19) 96/06/13 11:23  私は私のために生きる。  私は私の幸せのために生きる。  でもね、  私が幸せ感じるためには  私の回りの人々が幸せでなければならないの  だから私はその人たちのためにも生きる。  そしてまた、  その人たちが幸せ感じるためにはね、  更にその周りの人々が幸せでなければならないの。  だから私はその人達のためにも生きる。  そして更にまた、  その人たちが幸せ感じるためにはね、  更にその周りの人々が幸せでなければならないの。  だから私は誰ものためにも生きることになる。    誰かを批判している内は  幸せには成れないみたいだよ。  誰かと競争している内は  幸せには成れないみたいだよ。  互いにランク付けし合っている内は  幸せには成れないみたいだよ。    誰がどんなことをしてきたか  それは私には分からない。  何がホントで何が嘘なのか  私には分からないけど、  過去がどうあろうとも  これからどうするかが大切なこと。  そう私は思ってる。    多分これからいろんな情報飛び交うと思う。  きっと今まで受け入れることできなかった  いろんな話が飛び交うと思う。  何処までがホントで何処までが嘘なのか  そんなことは本当は分からない。  「自分が見てきたことが本当のこと。」  そう言い張る人は居るだろう。  その人にそう見えたことはホントだとしても  それが本当のことなのかどうかは分からない。    いくら客観的であろうとしても  総てが主観の世界。  あくまでも心を開き、  何に対しても心を開き、  そうしたときに豊かな世界が開いていくのだと思う。    今こうして様々な話が飛び交い始めてる。  それはようやくここまで心を開くことできたという証なの  これから更にいろんな話が行き交うでしょう。  どんな話が行き交ったにしても  それを頭から拒絶せず  そういう見方、可能性、  それを受け入れていったなら  その中にきっと素晴らしい未来も生み出す情報も  見つけることできるだろうと思うんだ。    私は私のために生きる。  誰でもない私のために生きる。  私が幸せに成りたいが為、  私は私の周りの誰もが幸せを感じれるように成ること望む。  私から見て  いくらその人々が不幸に見えたにしても  そうしていることがその人々にとり、  「幸せなんだ。」と納得したときに  私は「その人々を幸せ感じられるようにしたい。」  そう望む執着、手放せるでしょう。    それまで私は私のために  誰もが幸せ感じられるようになること望みつつ  私の主観を生き続けることになるのでしょうね。    今までは地球人だけで手一杯頭一杯だったのが  金星のキンちゃん、  木星のモクちゃん、  土星のドンちゃん  第12惑星のエロヒムちゃんに  オリオンちゃん、プレアデスちゃん  いろんな宇宙人がやってきて  その宇宙人の幸せまでも考えなければならなくなった。    まだまだいろんな宇宙人現れるでしょう。  いろんな価値観飛び交うでしょう。  その中で自分自身を保っていなければ、  海面に浮かぶ木の葉のように揺らぎ喘ぐことになるでしょう。    知らないことを知っていることが偉いわけじゃない。  できないことができるのが偉いわけじゃない。  持ってないものを持っているのが偉いわけじゃない。  何も知らなくたって  何ができなくたって  何も持っていなくても  今を楽しむことができることができる誰かなら  今の連続である永遠を楽しむことができる誰かが居たならば  私はそういう人を尊敬したい。  私はそういう人を尊びたいな。  そして私もそういう人になっていこうと思ってる。    宇宙の根本創造者は  不幸になりたくてこの宇宙を造ったわけじゃないはずだから  ただただ私はそのこと信じ、  何がどうあったとしても  何がどうなったとしても  「みんな幸せなんだ。」と思える自分に成っていく。    本当はそれだけで良い筈なんだけど、  まだ少しそこにたどり着くまでに  寄り道するのも良いかもしれないね。  そう、その寄り道は  「誰もが幸せ感じれるよう成って貰いたい。」  そういう想いから行為し続ける。  ただそういうことなのさ。       ** QZY01267/『猫の手』 <96/06/12 00:11:11> **