「つーことで宜しいかな?」と村長は凍え人と天使を交互に見た """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/06/14 - 07709/07711 GBG02043 維/YUI RE^2:忌憚のない会話 ( 7) 96/06/14 02:16 07698へのコメント さて、「信頼」とはなんだろうね…。 どう、思います? YHVHさん。 私は、あの人を信頼している…とかさ。 私は皆の信頼をうけている…とかさ。 あいつは、私の信頼をうらぎった…とかさ。 表に見えるものと見えないもの。 聞こえてきた噂と、聞こえてこないこと。 星の数ほどの言葉を交わしても、生まれない信頼。 星の数ほどの言葉を交わさなければ、生まれなかった信頼。 高校の時だったかに、先生が自分と何ら隔てることのない、ただの人間でも あるってことを、日々の中で感じ取っていった記憶があります。 先生ってのは、どうやればいいか…とか、こっちの方向の方がいいだろう…とかを やや一般的に示すことができるだけで、生徒の行動を逐一管理する人ではないもんね。 先生が生徒に渡してくれた知識や知恵や方法なんかは、受け取った生徒ひとりひとりの 中でしか、活きていかない。 生徒が活かす気がなければ、それだけのこと。 でも、活かさないからって、先生はどうすることもできない。 悲しいと思うかもしれないけれど。なにを選ぶかは、生徒の自由なんだもの。 ひとりでもそこからその生徒独自の発想で、新たな道を歩き始めたら そこで、やっと先生から生徒に受け継がれたといえるんだよね。 ときおり思う。自分の道は自分でしか決めることができないんだからって。 日々の生活している中で、時に他人に対して腹立たしく思いながら、 何かに押しつぶされそうな気持ちになっている自分に、あきれはてながら。 先生もある意味では対等だって、理屈じゃなくそう感じた時から、先生との距離が 変わった。 近くても遠い人から、遠くても近い人に。 だけど、それは自分が 自分の成すべき事をやっていると思える時。 先生といつか、対等にいろんな話をできるようになれるかと思ってから、どのくらい 過ぎたのか。 ある時、ふいにそんな時がきたりする。 ところで、「ここの会議室にそのような環境があるか」と書いていましたけれど、 それって、「ここに参加している人の心に信頼はあるか」ということ? で、最初の疑問にもどってしまう。 なにをもって、「信頼」とするのか…ってね。   維/YUI - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/06/14 - 974/977 XLB04022 大愛    RE:私は私のために生きる (19) 96/06/13 16:31 972へのコメント こんにちは、猫の手 さん、大愛です。またRES付けちゃいます。 「信じる者には証明はいらない。信じない者には証明しようがない。」 ということですね。 「人々は大洪水がやって来て、すべてをさらっていくまで、気が付かな かった。だから、目覚めていなさい。」ということでもありますね。 NIFTY XLB04022 大愛 975/977 CQE06546 みぃにゃ 出会い (19) 96/06/13 19:40  今日、一つの出会いがあった。  今はまだ、それしか言えない。  でも、なにかが変わる。  そんな、予感がした。 ☆♪☆みぃにゃ☆♪☆ 976/977 QZY01267 猫の手 病気 (19) 96/06/14 06:16 969へのコメント コメント数:1 大愛さん こんにちは、RESが遅くなりました。  別に私にはコメントをしないという約束はないと思うのですが、多分それは 私の放っている雰囲気によるものではないかと思います。  たまにコメントなりメールを頂くととても嬉しい『猫の手』です。  これからも宜しくね。  このところ、「春眠暁を覚えず」ということわざの通りなのか睡眠時間がや たらと長くなってしまっている<夢を楽しみすぎて、現実と言われるこの世界 に戻ってくるのがおっくうになっている。>のと、ブロバイダーと契約したも ののちっともインターネットに接続できず悪戦苦闘していたり、Niftyのロー ドしたファイルが壊れてしまっていたりして何とも悩ましい状態に居ります。  その間にこむさんとの会話が進んでいるようですが、私からもコメントを挟 ませて貰います。  知花さんは私のところからそう遠くない処に居ることもあって、よくときど き朝と夜の話を聞きに行ったことがありました。だいたいその度に一番前で居 眠りをしていました。研究していることは面白いけど、話は面白くなかったと いう印象を持っています。とは言ってもあの人から教わったこともずいぶんあ りました。  多分、病気にはまた成っちゃうよ。あのラーマ・クリシュナでさえ癌だった んだから、意識を高めたら病気にならないと言うのは嘘だと思うよ。別の見方 をすれば、生きていることそのものが病気だから。ただ私は、病気をカルマの 結果という捉え方をするよりも何らかのメッセージだという捉え方をしたいと 思っています。もしくは、その状態に成ることにより、「潜在的に何らかの経 験をしたがっている。」という捉え方が好きです。  多分、『苦』は超越するものではなくて、感じたり、体験したりという形で 受け取るものなのではないかという気がします。ある種の自分の欲求に自分自 身が傾いていくと、全体としての自分の中でバランスを保とうとして体や精神 に信号が送られます。敏感な人はそれをすばやくキャッチして大きく振れる前 に修正します。でも、その感覚に無頓着で居ると無頓着で居た分だけそれが痛 みとなって帰ってくることになるのではないかと思います。それが多くの慢性 的病気の原因ではないかと思います。  つまりそれは、その病気になった人が望んでいたもののもう一つの側面を受 け取っているにすぎないのではないかと思います。ところが多くの場合、何か を望むときそのひとつの側面からしか見ていないためにそれに付随してくるも のを受け取りきれないということが起こるのかもしれません。  病気を嫌なものと思っている限り、病気になったとき苦しまざるを得ないの じゃないのかな? と言いつつ私も余り好きなものではないけれど・・・。  病気になることを受け入れたって病気になることもあるだろうけど、一緒に 精神まで苦しめることはないと思います。因果応報という考え方はたとえそれ が事実だとしても、そういう意味においてそういう捉え方はしたくないと思っ ています。過去において何らかの因果を生み出して何かが起こったとしたなら、 「自分の潜在的なある意識においてそういう状況を自分で感じ、体験したかっ たんだ。」というように、自分の自主的な選択によってそれが起こっていると 考えたいなと思います。  そうしたときに、自分自身の潜在的な選択にさえも積極的に責任をとる気に なって、そのことに敏感に成ろうとすることができ、実際に敏感に成っていく のではないかと思います。  そんなわけで、私もヒカルちゃんみたいに人の病気を治すことがときどきで きてしまったりする事もあるけれど、せっかく本人が望んで生み出しているも のをその潜在的なメッセージを無視して治してしまうのはうまくないと思って それは極力しないようにしています。  それより大切なのは、精神の病を治すことだと思っています。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/06/13 23:03:39> ** 977/977 XLB04022 大愛    RE:病気 (19) 96/06/14 09:22 976へのコメント こんにちは、猫の手 さん。 >>をすれば、生きていることそのものが病気だから。ただ私は、病気をカルマの >>結果という捉え方をするよりも何らかのメッセージだという捉え方をしたいと >>思っています。もしくは、その状態に成ることにより、「潜在的に何らかの経 >>験をしたがっている。」という捉え方が好きです。 そうでしょうね。私も、病気はメッセージであるというのは正解だと思います。 ですが、自分の意識の中で、病気にならずとも、その原因がわかることができる くらい波動を高めれば、肉体は健康であるはずだと思います。と言うか、そもそ も病気というものが存在すると思い込んでいること自体、病気であると言えるの ではないでしょうか。ですから、 >>それより大切なのは、精神の病を治すことだと思っています。 その通りだと思います。 NIFTY XLB04022 大愛