「迷惑行為かどうか判断し辛いのでね…」と村長は言った。 """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/06/17 - 01005/01005 QZY01310 苗(miao) RE:RE^2:公園で ( 5) 96/06/17 10:04 00994へのコメント  和さん、更に困惑させてしまいましたか?。  私の個人的な意見は、例えば自然状態(つまり過去に於いて長い間変化し難い環  境状態だった状況)を人為的に変えた行為には必然に人為的に管理する義務が発  生する、と考えるのがベストと思っております。たとえ可愛いと思うカルガモも  酷いと思うバスも私の視点から見れば同位置に見る対象です。ただ、その義務と  責任を誰が払うかというのは別に問題もありますが、当人が払わない場合は代替  え人が必要な事も当然と言えば当然でしょう。人はそれを端迷惑と言いますが。  例えば犬猫ですが、もし成人すれば去勢します。わが家の犬も初潮と同時に手術  しました。何故なら飼うという行為が自然では無い状態だから、管理者が管理し  ている事ですよね。管理者は例え子供であれ扶養義務のある大人がそれを担いま  す。そもそも飼い犬や飼い猫の子供が増えて困る場合、この処置を取るのが責任  であり義務と言うものです。また放し飼いにもしない事も、です。飼い猫や犬が  飼われる前提のあるものなのに、どうして飼う行為が自然では無いと思われる向  きもあるでしょうが、犬や猫に取っては飼われていようといまいと、自分の本能  に添って生きているという事は変わりませんから、その本能の欲するままに成人  をすれば相手を求める。それが犬や猫には極普通で自然な事です。  が、自然だからと放っておけば多大な迷惑を多くの人が被らなければならない、  それが摂理というものです。生き物を飼うという行為は同時に管理する責任と義  務を負う事だと、今、どれほどの人が認識しているかは解りません。が、解らな  い事だから別に知らなくても良いのだという理論は社会に通りません。その人を  中心に世の中が回っている訳ではありません。これは他人を自分と同列にあつか  う社会的な視点が無いと解らない事です。が、社会の一員であると言う事を知る  事も簡単に言えば義務ではあるのです。それは自分が知る知らないに関わらず社  会に依存しなければ生活できないものだからです。しかしそれらは世代の断絶と  いう現象の中に消えて行こうとしています。愁える社会になってしまいました。  バスはルアーで釣れる魚です。取りも直さず「何でも食いつく」単純な奴なので  スポーツフィッシングの格好の対象となっています。が、だからと言って勝手に  池等に放流しても良いという理由にはなりません。人為的にバスを入れるならそ  れでも構わない、が、必要以上にそれらを増やす事は破壊に通じる事を良く認識  しなければなりません。一種の趣味行為である釣りを多くの人が支える以上は、  その魚という現物を放棄する事は出来ない事だと考えます。それだから入れるな  ら入れるだけの責任と義務を負うのが当たり前だと思う訳です。上記の犬猫の様  にね。そこにはモラル以前の行為という認識が必要ではないでしょうか。  私はだからこそ、この事を少しでも多くの人に「まずは知って貰いたい」そして  「疑問意識を持って貰いたい」と念じるばかりです。理解者が増す事が一番に良  い方向へ向かえる条件だと思うからです。  手前味噌な話しになりますが、昨今近辺の川の下流域にある人造ダム、通称白竜  湖での釣りの客が大変に多くなりました。これはいわゆるRV車が増えた為に、  河川域でのレジャーが増加した為と考えています。ゴミ問題も確かに増えますが  同時に釣りの釣果が増えると同時にバスも減っています。上記の様にルアーで安  易に釣れるという事が、生き餌等の気持ちの悪い餌を触れない婦人や子供にも意  外に受けている。どうも人の逞しさと言うか、したたかさと言う…何とも言い難  い気分です。  おとんぼの中一の息子が先の日曜、その白竜湖に釣りに行きました。けれど帰っ  てくるなりどうも憤慨した様なので理由を聞くと、やはり釣りに来ていた親子が  (これは父と息子)自分の釣っているすぐ側で釣り始め、父親が余り干渉せず、  とうとう見かねてわが家の息子が色々アドバイスをしたらしいのです。例えば回  りを良く確かめて投げるとか、糸を絡めない方法だとか、リールの巻き方や糸の  かけ方とか。所が、そうしている内に父親は「あんたが教えてやってくれ」と言っ  たかと思うとさっさと車に乗り込んでしまい、その見ず知らずの子供の面倒をみ  る事になった、と言うのです。  釣りにも釣りとしてのルールがあり、それは当然の様に父から息子に受け継がれ  ていくものです。そうしなければ他人に迷惑を掛けている事も知らない身勝手な  釣り手が増えて行くだけだからです。皆が楽しく釣りの出来る環境作りは、当た  り前なマナーとして存在する事を伝える事も無く、安易に他人任せにする父の態  度に息子は呆れてしまった、というのです。尤もその父親はどうも「草むらの蛇  が恐い」とか言ったらしいですが。(まったく呆れた奴だ。)  父親がどういった人かは知り得ませんが、そもそも大人と言うのは自分の経験を  蓄積し蓄積した経験を活かし活かした経験を取捨選択し子供に、或いは他者に伝  える義務があります。それが社会還元という責任です。別な言葉で言えば躾です  が。まさにこの父親の無責任という躾が子供に受け継がれました。その子供が将  来無責任に生きる事を自らの手が伝えた現実をいつ父親は気がつくのでしょう。  この様な人が増えると、やはり川端には切れた糸や、壊れたルアーが散乱してし  まう結果になり、結局それによって怪我をする人や動物が現れるという悪循環が  出来てしまう。同じ日曜には朝から空き缶拾いの日だったので私も参加したので  すが、幾多の缶を足で潰してはゴミ袋に入れながら、まさに身勝手な人の集団オ  ンパレードを見た気がしました。せめて息子にはそんな大人にならない様に自分  を含めしっかり躾なくてはね。ホント。 しかし、ちとくどい話しになってしまった  様で…年を取った証拠かも…気をつけねば。  所で、私の旦那に添って中国に行けそうな雲行きです。それまでには仕事を纏め  て終えなければなりませんので当分はここともお別れです。これほど早くに念願  の中国行きが実現するとは、予想さえしていなかった事で思わぬ幸運に、とても  ありがたく思っています。別に拳法行脚をする訳ではありませんが(^^;…場所は  広島直行便で西安から始皇帝陵と敦煌です。横やりが入って中止にならない事を  祈りながら…更にはガルーダの二の舞にならない様に…。(エンジン止まったら  代わりに「気」で吹き飛ばすどえす。ウハハ.. (^^;ヾ ポリポリ)  再見〜 *~゚ miao qigong * wushu taiji quan shixiong ゚~* QZY01310@niftyserve.or.jp - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/06/17 - 01217/01219 GBG02043 維/YUI 舞台上のトラですか? ( 6) 96/06/17 01:38 01142へのコメント どうも、おそくなりましたっ! そろそろ7月の公演も押し迫ってきていて、バタバタしています。 (今回は、私が台本書いてるから、タイヘンなのよ!) 舞台上での虎って言えば、「主役はわ・た・し」というヤツでしょうか…ね。 ドップリと役に浸って、感情溢れる芝居をするというのは、自己満足には最適かも しれません。 でもなぁ、浸りすぎているのって、観ていると見苦しかったりすることの方が 多いからなぁ〜。 けれど、役者にしても、演出にしても、作家にしても、その他の道具関係、音響、 照明なんかは、あるところワガママな拘りがないと、「いいもの」は出来ないって 良く言われます。 それを丸だしでいたら、周りとぶつかりまくって、一つのいい 作品を創り上げることは困難になるでしょうが、うまい出し方…とでもいうのかな、 そういうのがあれば、すごく力になりますよね。 芸術って、生きる力をみせる術のようにも思うので、そういうのは虎さんの十八番 かもしれませんね。  96/06/17(月) 01:28 維/YUI(GBG02043) - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/06/17 - 07758/07766 GBG02043 維/YUI RE^4:ふうん。 ( 7) 96/06/17 01:38 07711へのコメント まいど、RESありがとうございます。 *知能の働きがにぶい→バカ、アホ、ドンカン、マヌケ、スカタン。 思わず笑ってしまいました。 愚かという言葉からのノロガメさんのイメージって 結構きてますねぇ。 やっぱり、ノロガメさんとしては馬鹿にされるのが許せなかったんでしょうか。 それでもいいんじゃないかと思います。  言った方にしろ、言われた方にしろ、自らに非があれば、いずれにせよ自らが思い知る ものではないですか。  *つまり自分とは人間ではなく、神なんだと言う認識です。 *そしてそのことは特別なものではなく、自己の本質であると捉えているのです。 これ!これ!この「神」って言葉が、誤解を招く事って結構ありますよね。 キリスト教の信者さんなどに言わせれば、自分が神だなどとは、口が裂けても言えない ことでしょうし。 けれど、2行目を読むとわかるように、ノロガメさんが言いたいの は、おそらく「自分とは現実の物質世界で動き回っている物体としての”人間”では なく、心を通じて感じ取れる精神の潜在的な深みに流れる、表面だけにとらわれていな いもの、”本質”としての自己である」というようなことで、その”本質としての自己” をノロガメさんは「神」と称しているということではないでしょうか? 私の使える範囲の語彙で書いたんで、まるっきりはずしているかもしれませんが。。。 でも、そうして考えれば、 *自分とは神であると言う「神」は自分だけが理解している神であって、 *一般的に概念としてある神ではない。 とおっしゃるノロガメさんの話になんら反するところないですもん。 *自分の存在を揺るぎないものにすると言う意味で自己確立が有るとも言えます。 *ノロガメはそれを意図も簡単に成し遂げたのです。 意図も簡単に…というのがどのくらい簡単だったのか、聞いてみたい気がします。 いままでのノロガメさんの書き込み読んでいても、なにがどう簡単だったかとかは わからなかったです。 ところで、ふと思ったんですが、私の努力やらなんやらとは裏腹に、私の「存在」は 揺るぎないものですよ!ね?! 私が忘れているだけだったりして。 私がここに 存在しているということは、私自身が否定しても厳然として揺るがないですもん。 危ういのは感情の方ですね。 「いなくなってしまいたい」だとか、「私の存在を 周りにアッピールしたい!」とか、その時々で勝手なこと言ってますから。 なぁるほど…。 さてさて、最後に”?”がついてる文があったので、それにお答えして今回は 終わりにしますです。 *維/YUIさんも、女として女らしく生きることに何か引っ掛かるものを感じてい *ませんか? 言葉どおりに私の考えを言えば、なぁんにも引っかかるものを感じてはいません。 十代の頃とかに、(私は男の子が大っ嫌いだったんで)男なんかに負けるか!って 負けまいとしてつっぱっていましたけれど。今は、女だろうが男だろうが、それぞれの やれることを精一杯やれればいいって思っていますので、「男なんかに…」っていう つっぱりはないです。(つっぱり自体は、前よりもひどくなったかもしれない。(^^;)) だってね、以前にも何かで書き込んだけれど、私は女なんです。男になる必要も ないですもん。 女が女らしくって、あたりまえじゃないですか。 ただ…、女であることを利用して、自分でできることを自分が怠けるために男に すりよって、媚びうって、やってもらうとか、そういうのは「女らしさをはき違え てんじゃねぇよ!」とケリの一つでもくらわしてやろうと思いますが…。 あと、私が子供の頃とかに言われていた「女ってのは、すぐに群れたがる」の、 群れるのもあまり好きではないです。友達と一緒に遊んだりするのは好きですが。 ノロガメさんにとって、「男らしい」「女らしい」っていうのは、どういうもの なのでしょうか? 維/YUI 07746/07766 LDS05136 YHVH RE:RE^2:忌憚のない会話 ( 7) 96/06/16 18:39 07709へのコメント 人間は人間を恐怖しているところがあるように思います。 これは、いったい何に由来するものなのか? 妻に「どうして私と結婚したの?」と聞かれて、 私は「少なくとも恐くなかったから」と答えました。 なんとも失礼な話ですが、それが実感にいちばん近いのです。 ただ最近は、恐い人を選んだほうがよかったような気もしています。 まあ、こればっかりはよくわからないのですが……。 YHVH 07747/07766 LDS05136 YHVH ハイ・イメージ ( 7) 96/06/16 18:43  ずっと読むのが精一杯、しかも一部だけという状態が続いていたが、 そのあいだにもARIONのコメントが時々あって、特に英雄さんへ 贈られた「恐怖と期待は波動が酷似している」という発言がわたしは 印象に残っている。  気にとまると、書き込むつもりで文章を作ったりもした。ところが、 マックでUPする方法がわからず、そうこうしているうちに書き込む 意味がなくなってしまうこともあった。かつて、一度にあまりたくさ んUPするなと、みれさんが言っていたのを思い出す。  やや傍観者のような風情で読んでいて、あらためて感じたことは、 NIFTY広しといえども、素直に心と心で会話している場所は此処 をおいて他にない……ということ。であれば、その場所をまず大切に したい。  大同小異。些細なことに拘るなとは言わない。しかし、何かがある と思って来た場所に、何かを発見したときの歓びを忘れてしまったら 何もならない。いまだ土中に埋まったままの種子であったとしても、 それは、すでに「大輪の花」なのだ。  YHVH 07752/07766 SDI00635 みれ RE^3:“ルール” ( 7) 96/06/16 22:06 07663へのコメント RE:#07663 湖の鷹さん  うは、コメントついてたのね(^^;)  ここんとこちょっと忙しくて見落としていました、ごめんなさい。  で、このルールの話、なんとなく当初の論旨から逸れてきている様に感じる んですよ。 #07717のSUKEさんのコメントにもありますが;(以下に転載) | どうしてそういうルールが出来たんだろうか? | そう考えてみると、この話、実は例として出されただけで、本当に必要で立て | られたルールでは無いわけです。だからこそ話がややこしくなる。 | | ルールを論じる時に、そのルールでどういう不都合が起きるだとか、そういう | 観点で議論すると、どうしても矛盾だらけになってしまう。 | そのルールの目的は何だったかをもう一度振り返って、結果的に起こった不都 | 合と照らし合わせて、秤にかけるようにしないと、いつも本質を見失う議論に | なりかねないと思います。どうでしょ(^^)  殆どSUKEさんのコメントの引用で事足りてしまうのですが、私も同じ意見で すという表明に替えさせて下さい(^^;)  例え話を基盤に話を展開すると、どうしても論旨がズレてゆくと思いますの で、この話、19番での最初の湖の鷹さんの問題提起の部分に戻るか、一応終 わりにするかのどちらかにしたいと思います。如何ですか?                              ☆みれ・:・。,☆ 07755/07766 NBB01420 SUKE RE:備忘録 ( 7) 96/06/16 23:48 07716へのコメント #7716 めのうさん、こんばんは。 読んでいて、僕にも正にこれって思うことが沢山ありました。 >> どうしたいかよりもどうするのが正しいかをまず考えていた。 僕もそうでした。 その事につい最近気が付きました。 気付いたきっかけは幾つもあります。 水戸黄門さんが再度指摘された「母親の影響」の話もそのきっかけの一つです。 今では母親ではなく、職場の上司や、周りの友人達を相手に、「正しい」ある いは「模範的な」ことは何かを考えているのでした。 それはもう30年もの間に定着した反射神経のようなもので、 僕の人格の一部…いや殆どになってしまっていました。 そう、殆どに。 ならば「○○をしたい」と発想する事の出来る「僕」は 一体どこにいってしまったのだろうか。 そう気が付いたとき、 今までの人生全てが無駄なものに思えてしまいました。 自分として生きてこなかった人生。 他人の顔色から「正しいこと」を判断して生きてきた人生。 そして今、職場でも私生活でも、僕は僕でないが故に 一個の人間として十分でない。 だからこそ職場では「使いでのあるツール」であり、 好きになった人からはことごとく「良い先輩、優しいお兄さん」であると。 確かに正論を唱うことで、人当たりを良くすることで、僕は嫌われなくはなった。 しかし、嫌われてでも僕らしい我侭や感情を発揮していたら、 今頃どうなっていただろうか?と。 嫌われない人間にではなく、 好かれる人間になっていたのではないかと。 最近の僕は、多少身勝手な気がしてもその行動を抑圧せず表現してみたり、 かつてもっと多感に自分の心を感じていた筈の頃を思い出しながら、 抑圧し細かく砕いて捨て去ってきた自分の破片が残っていないかと、 探してみたりするんです。                             Suke.(^_-)☆ 07759/07766 GBG02043 維/YUI RE^2:笑う必要はないですが ( 7) 96/06/17 01:39 07719へのコメント やっほ〜、SUKEさん。RESありがとうございます。 MAKOTOさんが、RESしてたでしょ。7691と7737かな。 私、あのノリに結構近いものはあります。 長所でもあり短所でもあるんだけど、私は根が不真面目というか、極楽トンボなんだと 前から思ったりしています。 深刻な事態にはまってしまって抜けられないとき、2つ道があって、1つはとにかく ひたすら考えに考えて、はまりにはまって、無理矢理にでもひねり出して解決策を 講じるっていうもので、もう1つは型にはまってしまったものをワザと”はずす”って いうようなこと。 いままで深刻になって抱え込んでいたことを、「やぁめたっ!」と 放り投げちゃうとか、「なにばかばかしいことやってんだか」と突き放してしまう。 それによって、凝り固まっていた気持ちや考えに「ゆとり」が生まれて、問題全体が 見えてきたりするってこと。 …どちらも経験、あるんではないでしょうか?ない?? 人それぞれやり方がありますから、どういう場合にどれなんてことは、本人が決めなき ゃならないことだけど。 私は、笑っても泣いても、怒ってもいいって思っています。 問題があったとして、 それが解決すればいいわけだし、それがどう解決したかに興味があるし。こうじゃなき ゃならないってことはないよね。 まるっきり責任放棄で、どうでもよくなっちゃって 投げやりなままで、無気力でいつづける(なんてことが出来ればだけど)ようになっち ゃおしまいだとは思うけれどね。 ところで、私はYHVHさんに、なぜ7639のような書き込みをしたのか、 聞いてみたい気がするな。。。 もう一つ、気が付いたんだけど。私は、この間自分の過去の出来事を書いたけれど、 あれは過去のことだけではなく、現在のことでもあるんです。 ここの会議室での ことも、もちろん含めて。  維/YUI 07763/07766 QZY10121 ぷんすか RE:ARION12より、ぷんすか達へ(や ( 7) 96/06/17 11:57 07742へのコメント ARION,レスどうもありがとう。 とてもうれしかったです。 * 自分を観ることは、特にこの会議室の様に文字だけの会話の場では、 * 心の軌跡を正直に記すことから始めなければならない。 * 自分の心の中の矛盾する部分も、 * 矛盾を恐れずに書き記すことから始めなければ、 * 読む人に何も伝わらない。 前回に書き込んだときは、上記の事柄を実感しながら 書いていた記憶があるのですが、今現在、 それが実感しながら書けないのです。 だから、心の軌跡を正直に記せる、と思ったなら返事をかこう。 そう思ったのですがそうならず、朝起きてみてもそのままでした。 思い切って、僕が思い当たるその理由を書きますが、 決してARIONを心の底から侮辱しようとしているのではないです。 本当に、心に浮かんだことを書くのでどうか変に思わないでください。 レスをいただき、とてもびっくりして、さらに内容を読み、感嘆した僕でした。 しかしそういうふうに、とても嬉しさを感じている時はいつも 不安に襲われるのです。そしてまた、ふと不安が過ぎる自分を、 「素直に物事を喜べない奴」とみなして自己嫌悪に陥ります。 そういうコンプレックス状態を脱しようとして「でも、最初に読んだとき、 素直に感激してたじゃない」と思い込もうとすると、みるみる これらの事柄にとらわれて嬉しい気持ちがしぼんでいるのを発見し、 また嫌な気持ちになります。 それから、ARIONへの侮辱・疑いの言葉が思い浮かんでくるのです。 それは読んだ方も嫌でしょうし、書く方も嫌なので 具体的に書きません。 なぜか突然そういう気持ちがわいてくる自分は、やっぱりネガティブなのだろうか と片づけるのは簡単ですが、類似の場面においてやはりいつも同じパターンを 繰り返している自分をどうしようもないのです。ARIONを侮辱したり疑っている 自分が嫌です。 でもARIONを嫌いじゃないし、心の底から憎んでいる、という感覚がないのです。 どっちかといえば、喪失感、空しさに近く、なんとなくやる気のない状態なのです。 ARIONのある言葉に失望したり、反撃したりしているわけでもないのに 突然打ち消しの言葉が浮かんで来て離れないのは、自分でもその理由がわかりません。 今も浮かんで来ます。 こういう嬉しい気持ちになったとき、いつもこういうパターンに陥る自分は いったいなんなのかよくわかりません。しかし、この状態をあなたに伝えずに レスを書こうとし、そうして出てくる言葉があまりにも嘘っぽいので やめて、こうして書いています。 少し脱線した感じですが、今の自分を書いたつもりです。 *この会議室に書き込まなくとも、あなたの心が私達の方へ向いているならば、 * あなたの事は私達に全て伝わるから、この会議室で失敗しようが何をしようが、 * 心配するには及ばない。 あなたに「伝わる」ときを想像しました。 そんな時、すぐに「星空」を思い浮かべてしまう・・・単純。 「伝わる」行為は目にみえないぶん、本当に心がどうあるかを 点検しなきゃいけないんだ、と思いました。 目にみえることに惑わされがちな僕ですが、心から「伝える」 ことによりわかってもらえるなら本当に嬉しいです。 * 私達は先生だと思われても一向に構わない。 * が、しかし、私達は人間世界での先生の様に百点を取っても褒めないだろう。 * 私達が大事にするのは、瞬間の結果ではなく、 * あなたがどうやってそこ(百点)に至ったかなのだからね。 わかりました。 * 私達は褒めることは好きだ。 * あなたがたが褒められることによって、前に進む力を惜しみなく出すならば。 * しかし、今までの経験上、 * 私達が褒めた者は目の前にあるハードルを見落とす傾向が強くなるのも分かった。 * だから、私達から褒められたと思った人は、 * それまで以上に周囲に目を光らせることが必要になるだろう。 ハードルは誰にでもあらわれてくるものでしょうが、 これはそのまま「自分にとって困難なこと」と受け取って良いのでしょうか・・・? * この部分で充分に伝わるものがある。 * だが、ぷんすか、あなたはこれで満足してはいけない。 * 出来る限りの努力をして、あなたの気持ちを「本当の心」からの気持ちを、 * 私達や周囲の人達に伝える努力をしなさい。 わかりました。 前回のレスでも、「この部分」に至るまでまわりくどく書きましたが、 そんな気持ちが浮かんでくるとは書き込んでいる当初は思いませんでした。 よほど注意していないと「ま、いいや」と見過ごしてしまう自分がいるので、 心してこの言葉を実行していこうと思います。 正直言って、不安もあります。 こういうことをせずに来たゆえに、「いや!」と柱にしがみつく自分が います。 「本当の気持ち」を伝えて、変に思われないか。 嫌われないか。何かを失わないか。笑われないか。 想像がつかないです。僕はどうなっていくのか不安です。 できるところから、やっていきます。 * 何故、思っていることをストレートに言えないのか? * このことを今後、皆とこの会議室でも話し合ってみて貰いたい。 親の気持ちになぞらえたたとえ、とってもわかりやすかったです。 「ああそうか」とひざを打ちました。 僕にとっても興味あることがらなので、アップしてみます。 * 標識を越えるまでは、標識を目標にするのは構わない。 * だが、あなたがたが到着する処までの道のりには、 * 数々の標識があるということを、 * いつも心の片隅に置いておいて欲しいのだよ。 * 登山の一合目で頂上に着いたと誤解しないで欲しいと願う。 僕の登山日記は白紙です。 これから、それをうめていけるよう がんばってみます。 - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/06/17 - 04112/04115 CQE06546 みぃにゃ 『緋色の女』について (14) 96/06/16 15:41 04109へのコメント コメント数:2  こんにちは、はなさん。  すみません、イメージだけなんですが、この『緋色の女』に何故か 私は禍々しいものを感じてしまうのです。  私は自分のイメージとしてずっと「赤」それも厳密にいうと神社の鳥居 の色のような『朱』『紅』を持っています。  それで、この『緋色の女』に深い関心を持ちました。  いくつかのARIONの詩編を読んでいると、同じ「赤」を指す言葉なのに なぜ『緋』でなければいけないのか、不思議に思います。  ただ、「赤い女」と書いてもいい、だのに何故『緋』なんだろうかと。  私のイメージの中で、『緋』という色は少しピンクがかった赤です。  それも、専門的な言葉で言うと寒色系(ブルー系)の赤なんです。  それに対して『朱』『紅』は明らかに少し黄色がかった赤です。  暖色系(イエロー系)と呼ばれる赤。  このあたりになにかあるのかなぁ?  細かく色の違いを見分けることができなければ、すべて同じ『あか』なんです けれども……。 ☆♪☆みぃにゃ☆♪☆ 04114/04115 TBE00443 武 Re:『緋色の女』について (14) 96/06/17 00:29 04112へのコメント  こんばんわ、みぃにゃさん。ワリコメさせてください。  『緋色の女』なんですが、聖書からだと思いますよ。日本語に訳されるとき、必 ずしも「緋」と訳されるとは、限らないようですが、  黙示録   17章3節4節 scarlet >17:3 それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、 >ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちてお >り、七つの頭と十本の角を持っていた。 >17:4 この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべき >ものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。 (共同訳) エレミヤ書  4章30節  crimson >4:30 辱められた女よ、何をしているのか。緋の衣をまとい、 >金の飾りを着け/目の縁を黒く塗り、美しく装ってもむなしい。 >愛人らはお前を退け、お前の命を奪おうとする。 (新共同訳) が「緋」と訳されています。  scarlet : 「深紅色の」の意味の他に比喩として「罪悪を象徴する色」  crimson : 「深紅の」「血なまぐさい」(新和英中辞典 研究社) とありますので、 >私は禍々しいものを感じてしまうのです。 というのはすばらしい直観だと思います。 でわでわ。 04115/04115 GBG02043 維/YUI RE:『緋色の女』について (14) 96/06/17 10:05 04112へのコメント こんにちわ、みぃにゃさん。 書き込みを読んで、幾つかのことを思いましたので、コメントとして書きます。 緋色の赤は、なんとなく汚れた赤という感じがしました。 私は結構、この色の方が、朱色とかよりか好きです。(似合わない色なので) 血でいうと、静脈の色のような…。 紅や朱というのは、新鮮な感じがします。 そこから発して、緋色というのは、さまざまなことがらを通ってきた後の色では ないかとも思います。 無垢な少女の色が、紅だとすると、 世の中で嫌なことも悲しいことも嬉しいことも、合わせて通り抜けてきた女の人の色が 緋という感じです。 武さんのコメントにもありましたが、緋色は「罪悪の色」とか「姦淫の色」とか されている向きも、特に西洋、キリスト教関係ではあるようですね。 それとはちょっと違う話ですが、 緋色=ひいろ=火色 という読み方をしたときに、思い出すのが イザナミとコノハナサクヤヒメです。二人とも火にまつわる命がけの出来事をエピ ソードとして持っている神様です。 イザナミは、ホノカグチツチ(火の神様)を生むときに、ホトを火で焼かれたのが もとで、お亡くなりになります。 コノハナサクヤヒメは、自分の身の潔白の証として、炎の中で子供を産みます。 この2人供、夫との間にいわゆる「おとしめられた」関係があります。 イザナミは、黄泉の国に下がった後、最愛の妻を求めて夫のイザナギが迎えに来て くれるのですが、その夫は妻の「黄泉の国の食べ物を食べてしまった私の姿を、今は 見ないでほしい。」という言葉に「見ない」と約束するのですが、つい見てしまうん ですね。気持ちからすればわからないじゃないのですが、ちゃんと訳があって 「見るな」と言っているのに、その約束を自分の欲求から破り、その結果恐れおのの いて、逃げだそうとするんですから、妻にしてみれば「おとしめられた」気持ちでは なかったでしょうか。 コノハナサクヤヒメは、妊娠したときに夫から「それは俺の子ではないだろう」と とんでもないことを言われて、その身の潔白を示すために、自ら炎の中で子供を 生みます。 これも、夫の勝手な邪推で無謀な出産をすることとなるんですから、妻としては 心中かなり悲しいものがあったのではないかと思います。 かなりおおざっぱな話をしてしまいましたが、そういったことで、緋色の女から 私は日本神話のヒメガミ二人を思ったのでした。 維/YUI - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/06/17 - 00681/00682 GBG02043 維/YUI 楽なようで楽じゃない (15) 96/06/17 01:39 00679へのコメント どもども。 他人まかせにするってことは、一見楽なようでいて、実はとっても楽じゃないです。 なんて書くと、私の友人の中には「それは人を信用してないんだ〜!」とか チャチャを入れるのがいそうなんですが…。 過去日々の中で、何度となく人任せにして、そのツケが自分にちゃんと回ってきたので、 最近は、できることはなんだかんだと自分でやってしまいがちで…。(なんだ…、だか ら私って妙に忙しいのかな?!(^^;;;) 仕事が詰まっているときの、夕食のおかずを決めるのくらいは、他人まかせでもいいか ななどと思ったりして。 * 他人まかせじゃいけないと思いつつ、どうしても結果として他人まかせっぼくなっ てしまうこと → 政治や行政のやっていることがら。議員の選出。 これって、なん とかできないものなのでしょうか。。。 96/06/17(月) 00:54 維/YUI(GBG02043) 00682/00682 GBG02043 維/YUI 自分の心の中に巣くう敵 (15) 96/06/17 01:39 00680へのコメント 早速ですが、前回書いた(00678で)「自分の心の中に巣くう敵」というのは、 人が、国家が、人類が、心の中で作り上げている、現実にいる…とは限らない”敵” のことです。 自分の中にある「誰かに命を、財産をねらわれたら」と心配する気持ちがエスカレート して、現実にいる誰かをそれに当てはめて考えちゃうとか。 自分の中にある「あの土地を手に入れたら、広くていいな」と欲する気持ちが どこうどう間違えてか、自分に正当な権利があるかのように理屈付けて、その権利を 阻害するものとして、現実にいる誰かを当てはめて考えてしまう、とか。 自分の中にある「こんな意見を書いたら、読んでいる人から反発をうけるだろう」と 危惧する気持ちが、心の防御策として先手を打って、ちょっとでも意見の違う人の 書き込みを「ほらきた」とばかりに、反発をした相手として当てはめて考えるとか。 そういうのじゃない「自分のなかの敵」としては、怠けてはいけないところで、 「怠けよう」とささやく自分自身、反対に休まなければならないところで、「さあ、 せっかくだからこれだけは終わらせよう」といって休ませない自分自身、といったのも 考えられますが。 96/06/17(月) 01:06 維/YUI(GBG02043) - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/06/17 - 978/978 QZY01267 猫の手 RE^2:私は私のために生きる (19) 96/06/17 06:01 974へのコメント  大愛さんたびたびRESをありがとう。  こういうRESがつくと嬉しくて舞い上がってしまいます。  ただ私は、私にとって特別ではあるけれど、他者に対して「どうすべきだ。」 とか、「どうしなさい。」と言えるような特別な存在ではないみたいです。で すから、「目覚めていなさい。」というような言葉は喉の根元の辺りまで出て きても、それは違うなと思って、私は「目覚めていてほしい」と思って居るん だな。と思い返します。  たとえ、狭い範囲の自分であっても想い通りにしようと思ったら想い通りに ならない部分が生まれてしまうみたいなんだよね。変えられるのは自分の想い だけのようなんです。そんなわけでじゃあ私はどうしようか考えあぐねて、生 まれてくる思いも肯定してやってこの世界のすべてを受け入れて、その上で、 自分の想いを表現しつつ、自分の思いいに変化を生み出していこうと思わざる を得ないみたいな感じでここでこういう詩を綴っています。  たぶん、私が楽しむだけの存在になったらこんなことはしていないだろうと 思います。我ながら重いものを背負っているなと思っています。でも、だれも そういう私をかえりみなくても私だけはそういう私をしっかり包み込んでやろ うと想っています。  たぶん、私が私に起こることを受け入れてコントロールすることを手放して、 私自身を癒した分だけ、この世界も私の望んでいるように変わっていくのだと いう気がしています。  大愛さんが自分自身に向き合って、より素晴らしい大愛さんになろうとして いる気持ちが伝わってきます。それを私はとても嬉しく思います。  大愛さんが一人の悩める人であるのと同様に私も同じように悩める一人の人 です。どんなに偉そうな存在であろうと、どんな聖者であろうとも、そのこと にはなんの代わりもないみたいです。  何か知っていたり、何かができたり、何かを持っていたりする存在を自分よ り上に置きたくなるのは仕方のないことではあります。でもそうすることで、 いつの間にか知らない誰か、できない誰か、持っていない誰かを下にしてしま っている自分を発見することになるでしょう。でも本当は誰もが、何もかもが 対等なのではないかという気がします。唯一、私が私にとって特別なように、 大愛さんも大愛さんにとっては特別で、誰もが自分自身は特別なんだというこ とは確かだと思います。元々誰もが特別な存在だったのに他の誰かに特別であ ることを認めてもらおうとしてしまってきたことがうまくいかないものを生み 出してきたのではないかという気がします。  一人でも多くの人が、大愛さんのように自分に向かい始めたならばきっとこ の世界は私にとって居心地の良い世界に変わっていってくれるような気がしま す。私の言葉を受け取ってくれてありがとう。         ** QZY01267/猫の手 <96/06/15 08:43:27> **