「だから話になる相手じゃないって言ってるんですよ」と凍え人 """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/06/29 - 07891/07894 LDS05136 YHVH 短剣で証されたものは? ( 7) 96/06/28 14:11 コメント数:1 ARIONへ 2日連続で、印象的な夢を見ました。 6月14日の夢……年老いた母親を騙して逃げた女たちを警察に通報。          その女たちは警察のパトカーに追いかけられるが、          そのかわり、私はその女たちの仲間の男に追われ、          最後は逃げ切れず、一発必中の拳銃で狙撃される。 6月15日の夢……なよなよしつつ磐石のポジションを確保している          女のような男を感情のまま激しい言葉で罵倒する。          言い切ってその場を去ったあと、しばらくしたら          その男が一直線に来て、短剣で胸を一突きされる。 女のような男は、男のような女だったかもしれません。 短剣の話が出てきて驚いたので、こちらにUPしました。 明確に自分が殺される夢を見たのは、記憶するかぎり初めて……かも。 YHVH 07893/07894 KFQ02761 しまうま RE:短剣で証されたものは? ( 7) 96/06/28 22:11 07891へのコメント #07891 YHVHさん  こんにちは〜(^^)。  うーん、興味深い夢ですね。  YHVHさんの「6月14日の夢」では、拳銃に狙撃される、という結末だ ったそうですね。実は僕も、6月27日に「悪人に拳銃で撃たれて、結局ロボ コップみたいなカラダになってしまう」というちょっと間抜けな(^^;夢をみた ばかりだったので、なんとなく気になってしまいました。  僕の夢の粗筋も書かせていただこうかと思ったのですが、もんのすごく長く なってしまうので、ちょっとこの会議室には不向きかも(^^;。  もしよろしければ、10番に河岸をうつしませんか? 必要であれば、元発 言からゴッソリ10番に移すことも、運営陣の方に頼めば可能だと思いますの で……。  ではでは、またよろしくお願いします(^^)。 しまうま(KFQ02761) 07892/07894 LDS05136 YHVH おぞましきもの ( 7) 96/06/28 14:17  利害関係や上下関係のなかでは、自ずとストレートに言えない場合がある し、言わないほうがいい場合もあるので、そういった「しがらみ」がない。 にもかかわらず言えないケースを考えてみたい。  すると、真っ先に浮かぶのは、これは私だけなのかどうかわからないが、 好きな人になかなか好きと言えない……といった類のことだ。  ここで思い出すのが、「期待と恐怖は波動が似ている」という話。  もし、好きであればあるほど言えなくなる。つまり、恐いのだとすると、 それだけ期待も大きいということになる。  では、いったい何を「期待」しているのか?  それを考える前に、「言えない心理の微妙さ」について少し触れる。  たぶん、相手から拒否の言葉を聞きたくないのだ。ならばアクセスしなけ ればいいのだが、そうはいかない。一種の矛盾。  あの人やその人に拒否されても別段なんとも思わない。ところが、彼女に だけは拒否されたくない。ならば彼女を避ければいい。なのに、その彼女と こそ話がしたい。声が聞きたい。  しかし冷静に考えてみて、なぜ彼女でなければダメなのだろう。  よく「あなたしかいない」などと言う。そして、その相手を殺してしまう ことさえある。愛の証しが人殺し……  たとえば密室で。だれにも見つからない場所、二人きり。想い溢れて彼女 に襲いかかる。そこで彼女に一体どうして欲しいのか?  YHVH - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/06/29 - 01110/01125 GFB00026 一輝 結果が見えないと行動しないのは。 (12) 96/06/29 01:57 01053へのコメント コメント数:1 >#1053 わうさん  それって変わった映画ですね。まるでライターホラー映画(^^;)。 | 何かを判断するときに現場の視点で見る。とても大切なことだと思います。 | |(略) | | 話が思いっきりそれましたが、取材をするには、相手の視点にならなければ |本当の情報は集まらない、それは真理でしょうね。 ……………私が「ポイヤウンペ」さんのことで感じたのは、研究対象である人々を      飛び越えて、いきなり行政のところへ行ってしまっては、一番大切な何      かが欠落したものになりはしないか、という危惧でした。      現実に困っているヒトがいて、そのヒトをなんとかする手段が福祉であ      るのならば、まずその困っている人々の話を直接見聞に行くのは、行政      関係者ならずとも研究者ならば当然のはずです。面倒がったり嫌がった      り自分では出来ないと諦めているのでは、何の為の研究でしょう。      昆虫の研究家が、昆虫には一切直接関わらずに昆虫図鑑だけを集めたり、      他の研究家に会うだけで研究するようなものです。そんな人は、昆虫へ      の愛情や情熱が欠落しています。      もちろん多角的な視点は、判断材料には有効です。しかし基本となる現      場の視点を持ちえなければ、研究の根幹である肝心の「困っている(あ      るいは困っているように見える)人の心」が”おざなり”ですし、そこ      に「福祉」や「平等」という言葉の影に隠れた”冷たさ”を感じたので      した。 | でも、ホームレスの中に入って実体験するのはいいけど、あまりに居心地が |よくって、そのまま帰れなくなってしまったら、困っちゃいますね (^^) ……………そうですね(^^;)。でも、これだけはやってみたいとわかりません。      最初は誰だって不安です。人生なんてそんな不安の連続。だからこそ   「ギャンブル」だと何度も言ってきたわけだし、私はそんな人を応援      したくなるのです。      始める前から、あーだこーだと結果を想定してやめてしまったりする      のは、結果が見えないと行動しないという私たちの悪い癖でしょうね。      私たちは、そうやって「知恵」という人生の糧を得るチャンスを、何      度も逃しているのかもしれません。「知識」の量は(積み重ねられた      資料の高さや試験などで)目に見えても、「知恵」の量は見えません      から…。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01105/01125 VZL02575 ハカセ RE:また新しいオカルト雑誌!? (12) 96/06/28 22:20 01071へのコメント >#1071 氷室 玲さん はじめまして、コメントどうも有り難うございます。 これからもよろしくお願いします。 『聖なる予言』の続編を執筆中と言う事でしたから、てっきり何か関係が在るの かと思いましたが、只似た名前なだけなんですね。 >> そういえば、J.Z.ナイトは、「ラムサ」の監護権をめぐって >>ドイツ人霊能者と裁判で争ったそうです。ドイツ人霊能者の方が、 >>「独占所有権」を主張してナイトを訴え、判決は、ナイトの「著作権」を >>侵害したとして約1000ドルの損害賠償を命じられた、とのこと。 >> どちらも「ラムサ」を独占しようとしているのが不可解でした。 >>互いに無意味なことをしているとしか思えないから。 へえ、そんな事があったんですか(^^;)すごい話ですね。チャネラーの中にも いろいろな人がいるんですね。 VZL02575:ハカセ 01115/01125 GFB00026 一輝 RE:また新しいオカルト雑誌!? (12) 96/06/29 04:50 01071へのコメント >#1071 氷室 玲さん やっと追いつきました。はじめまして、一輝です。 これからもよろしくお願いします。 | そういえば、J.Z.ナイトは、「ラムサ」の監護権をめぐって |ドイツ人霊能者と裁判で争ったそうです。ドイツ人霊能者の方が、 |「独占所有権」を主張してナイトを訴え、判決は、ナイトの「著作権」を |侵害したとして約1000ドルの損害賠償を命じられた、とのこと。 | どちらも「ラムサ」を独占しようとしているのが不可解でした。 |互いに無意味なことをしているとしか思えないから。 ……………面白い話だなー。人間臭いったらありゃしない。      日本ではバシャールが、チャネリングのフランチャイズ化を      していましたっけね。ダリルとあやことさゆりの3人が、そ      れぞれバシャールをやっていました。この3人には対立は無      かったようですが、私としては一度「3人バシャール」とい      う同時出演があったら見たかったなと思います。興行的にこ      ういうウルトラ兄弟的な”見せ物”は、前代未聞のはずです      から。独占所有権にしても、やはり「愛」がどうのというエ      エカッコしいの問題ではなく、やはり利権という個人の欲望      を巡る”見せ物”以上でも以下でもないような印象ですね。      1000ドルを得ることで失ったものというのはなかったのでし      ょうかね。 | “evah”ですか。ある意味では結構楽しみにしています。 |でも、この雑誌について知っている人ってどのくらいいるのだろう? |私は、サンマーク出版の書籍にはさまっていたビラで知りました。 | ただ、「エヴァ」と聞いて、何かを勘違いして買う連中が出てくるのでは |ないのだろうか、と少々心配になっています(笑)。 ……………私も、これまた興行的な意味でオカルト雑誌の新刊というの      はいつも楽しみにしています。どこかプロレスに通ずるもの      があるのかもしれません。どうしてもどんなにキレイゴトを      書いていても、”人間の欲望臭い綻び”がポロポロと、誌面      のどこかにハミ出てしまっているからです。この辺のウオッ      チャーにはYAHATAさんが居ましたっけ。      これからオカルト商売は、「健康」や「介護」や「エステ」      を隠れ蓑にしてゆくような気がしています。 |》テに看板変えてるパターンというのがトレンドですね。宗教団体が健康食品 |》や化粧品のネットワークビジネスを始めるのも、その流れ。 | | 宗教団体が健康食品などのビジネスをするのは、「団体の運営」の観点から |見て自立的と言え、健全な運営なら別に悪くないと思うけど、一歩間違えると、 |たとえ良いものを扱っても、それが悪いイメージを持つことがあり得ます。 ……………これはとても難しい問題を孕んでいます。でもおっしゃるこ      とはわかります。      宗教団体が健康食品などのビジネス、と言えば、統一協会の      ダミー会社や団体は、全国数百社にのぼるそうです。どこか      のフォーラムのDLにそのリストが載っていました。ふだん      のその企業から統一協会を見分けるのは至難の技です。      オウムは以前、世田谷の三軒茶屋でお弁当屋をやっていまし      た。その近隣の三宿交差点に、サイババ信者と思われる人々      が、今でもお弁当屋をやっています。さすがにオウム事件以      来、サイババの写真は表に貼らなくなりましたが、外から厨      房を覗けば見ることができます。サイババは厳格な菜食主義      者(あの体型で本当なんだろうか(^^;)ということですが、      その店で作られるお弁当には肉も魚も入っています。彼らに      とって健全でない食物でも、健全な運営には欠かせないアイ      テムのひとつになってしまうあたりが妙です。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01107/01125 MHA01114 シュメ−ル MMCの時代 (12) 96/06/28 22:54 01098へのコメント  一輝さん、たけくまさん、どうも。  『歴史を変えた偽書』(ジャパンミックス編集・発行)関連ですが、朝松さ んの回想、チェック不足みたいですね。原田さんにクレームつけときます。イ ンタビューものってのは、基本的に話し言葉なわけで、情報の精度がさがって しまう。  現代は情報化社会が成熟してすでに情報社会になってしまっている。この時 代の課題は情報操作との戦いでしょう。交換経済から貨幣経済に移行して、使 用価値が交換価値に移行してきたわけだけれど、その基盤は価値意識の有りよ うであるともいえる。地上の富という価値を手にしたものが次に目指すのは、 価値意識そのものを操作すること。金儲けから人儲けへ。その実態は価値儲け で、価値意識の自己目的化。情報操作のいきつくところはマス・マインド・コ ントロール(MMC)。おそらく後世、20世紀はこのMMCをいかに我々が 克服したかを世紀のエポックとして語るのではないか。さもなければ、我々は、 地球規模でのMMCネットワークにしっかり組み込まれ、価値の自己創出とい う人間の尊厳を侵害された、バーチャルリアリテイの僕となっていることだろ う。身近なところでは、自分の意見を正当化したがる傾向。間違いを認めない 頑迷さ。  おそらくMMCとは宇宙の父性の不調和な専制であって、未成熟な創造主の 過ちの残映なんだと思う。やたら支配したがるせっかちなおやじ。ダサイんだ けど、分かってない懲りない人達。人間はあたまでかんがえてるとか、脳を意 識の座としてしまうロゴス主義の間違いも基本はおなし。我々は、胸を痛めた り、腹を割って語り合ったりしているのであって、情報処理のための情報など はない。  「始めにロゴスありき」というのも要は昔はロゴスだけの貧弱な宇宙だった ということにすぎないのであって、今、宇宙は生き生きと生きている。譜面の チェロ曲は音楽ではない。あえていえば、死せる音楽。あのふくよかな肢体を 振動させてロゴスが受肉するその全宇宙の振動が音楽であり、チェロ曲、生け る音楽だろう。  と、すれば、この情報操作の時代を生き生きと生きるためのメルクマールは あのチェロの響きのようにしっかりとした事実の厚みをもった情報を語り伝え ることだろう。しかしそれはかならずしも情報の量には比例しない。俳句や短 歌を愛してきた我々の先輩はわずかの情報量が喚起する豊かな生の光景を愛し てきた。豊かな現実感覚を我々が失わないこと、それが情報操作による虚な現 実の危うさを感じとる身体を与えてくれるはずだ。  01117/01125 GFB00026 一輝 カスタネダは魂を売ったのか。 (12) 96/06/29 04:57 ●カスタネダは魂を売ったのか。  『AERA』4月15日号で「古代メキシコ体操・米インテリ女性に人気」と の記事が掲載された。その体操の名はテンセグリティ。このテンセグリティの主 催者の名は、あろうことかカルロス・カスタネダ。まさか、同姓同名なのではと 思いきや、兄弟弟子として彼の著書群にたびたび登場してきた女性たち(タイシ ャ・アズベラー、キャロル・ティグズ、フロリンダ・ドナー、ブルー・スカウト )の名も列挙されており、彼らとその体操のセミナーを開催しているということ だった。400ドルの参加費用を支払えば、約一万年前の昔から内密裏に伝承さ れてきたこの秘術を伝授されるという。  私はここで、ヨーロッパからアメリカへと渡ったロシア出身の神秘思想家G. I.グルジェフのことを思い出す。アメリカはあらゆる欲望が実現するかのよう に錯覚する国である。これが私の体験したアメリカだった。そんなアメリカに渡 り、戦火をくぐり抜け安住の地を得て、組織的な成功を収めたはずのグルジェフ は、晩年に絶望的な悲しみの表情を見せるようになる。コリン・ウイルソンも、 このグルジェフの悲しみについて次のように言及している。「ベネットはまた二 十五年後にグルジェフを見た時の悲しそうな様子に驚いている。しかもこの悲し みは、彼の後期のあらゆる写真に見られるのである」と。  この事実は、14年前に上梓された幻のオカルト雑誌『DECODE』で知った話であ る。その記事から今度は直接引用(原文のまま)してみよう。    『…(略)…グルジェフが弟子達に伝えたかったのは、ある秘教的な     知識などではなく、神秘学の根本原理だったのである。ところが、     多くの弟子達は、グルジェフはどのような人間なのかということば     かりにエネルギーを費やしてしまった。つまり、グルジェフが弟子     達に繰り返し述べていたことは「常に自分を忘れるな(Remember Y     ourself )」ということだったにもかかわらず、彼らは、自分では なく師にばかり注意を注いでいたのである。それは彼らにとっても     不幸なことだった。      ところで、極端な言い方をすれば、神秘学とは、ばかのひとつ覚     えのように、「自分自身を知れ」と繰り返すことである。従って、     万人共通のシステムなどあり得ない。なぜなら、「そなた自身の内     部にこそ生きた真理がある(ジャラール・ツ・デイン・ルーミー)     」のであり、その真理を見いだすのは個の仕事だからである。シス     テムは、世界中に存在する個の数と同じだけあるのである。そして、     それは、師によって与えられるものではなく、自ら見出すものなの     だ。…(略)…』                ……………「Remember Yourself」杉田丈作  アメリカに於いてカスタネダは、かつてのグルジェフと同じ轍を踏みつつある のだろうか。約一万年前の昔から内密裏に伝承されてきたというこの秘術を40 0ドルで伝授したカスタネダの場合は、あからさまに金銭授受をやっているだけ に、本人の自覚の有無を問わず事態はグルジェフよりも深刻かもしれない。  秘術を売ったものは魂を売ったも同然。人生に於いてそれ相応のツケを支払う ことになるだろうし、そのことはカスタネダ自身が、師ドンファンから聞いてい たことではなかったのか。もし、これらのセミナーの話が全て本当ならば、セミ ナーに於ける秘術公開の時点で、それはもはや「秘術」とは呼べなくなるだろう。  拝金主義者と化した神秘家たちを飲み込むアメリカ。私はカスタネダの顔を、 いつか写真で見てみたいと思う。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/06/29 - 04830/04834 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●5 (13) 96/06/28 15:13 04798へのコメント コメント数:1 ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第5回/「内的平静」(P32-44)その1      神秘学徒はその認識のはじめに、畏敬の小道と内的生活の開発という二つの行   を与えられた。さて神秘学はこの小道を歩み、内的生活の開発に努める上で遵   守する必要があると思われる諸規則についても語っている。以下に述べるその   ような実践上の諸規則は思いつきの所産ではなく、太古の経験と知識に基づい   ており、高次の知識の道が示される場合には古来常に同一の仕方で与えられて   きた。霊的生活上の真の師はすべて、たとえそれらの規則を同一の言葉で表現   してはいなくても、その内容に関して常に一致した立場に立っている。内容上   に相違があるとすれば、その相違は表面的なものにすぎず、本質的ではない。                                 (P32) 最初の前提となるのは、世界への、真理への信頼感という意味での畏敬の念であり、 また、外的なものから自由であることのできるような内的なあり方でしたが、 この章から、「内的生活の開発」のために必要ないくつかが、 決して恣意的にではなく、太古から培われてきたものとして説明されていきます。 シュタイナーの「いか超」に限らず、霊性の向上ということのための修行は、 見かけの差があるとしても、基本的には同じ要素をもっているということですが、 ぼくの知る限りでも、確かに多く、同じ要素を見出すことができます。 ただ、この「いか超」で述べられているさまざまは、 かなり近代的なあり方をとっているといえるようですので、 現代人には、かなり近づきやすい表現をしているといえそうです。   霊的生活上の師はすべてこの諸規則を通して他人を支配しようとは望んでいな   い。どんな人の独立性をも侵そうとはしない。なぜなら神秘学者は他の誰より   も人間の独立性を尊重し守護しようとするからである。すでに前章で述べたよ   うに、すべての導師を結ぶきづなは霊的なものであり、二つの当然の原則がこ   の結合帯の留め金となっていた。今もし導師が堅固に壁に守られたその霊域か   ら出て、公衆の面前に立つとすれば、ただちに彼は第三の原則--「自分の行為   や発言がどんな人の自由なる決意にも干渉しないように配慮せよ」、に従った   態度を求められる。   霊的生活上の真の師はまったくこの基本的精神に貫かれている。このことを洞   察する人は、自分が師から要求された実践的規則に従っても、自分の独立した   立場が侵されたりはしない、ということを理解するだろう。 (P32-33) こうしたことを逆にいえば、修行者は、自らの「独立性」や「自由なる決意」が 基本条件として必要とされるということであって、 そうした条件なくして、「師」に依存しようとか甘えようとかいうのであれば、 その人は、修行者であるとはもはやいえないことになります。 さらにいえば、他を支配しようとしその自由を奪おうとする師には、 依存し甘えようとする弟子が、需要-供給の関係で引き寄せられるといえるわけで、 いわゆる「おかげ」を期待する宗教団体は、 そうした需給関係によって成立しているがゆえに、 霊性を高めるという方向性からは遠いといえます。 「奇跡」や「超常現象」によって、人を引きつけるようなあり方もまた同じです。 たとえば、他の要素では、高みにあるかのようにみえるサイババにしても、 そういうことを用いるが故に、ある種の魔境ととなりあわせであるといえます。 サイババ自身はそうでなくても、いわゆる「サイババ詣で」をするメンタリティは 「独立性」や「自由なる決意」を否定するものであることは確かです。 サイババの話がでたので、ついでに付加しておくと、 サイババは、たとえば女性に対する保守的な観点を強調するところがありますが、 ぼくの考えでは、それは過去の霊性に戻ろうとする指向を強く持っているがゆえに、 むしろ、現代では、そこに大きな「魔境」があるといってもいいように思います。      このような実践的規則の中の最初のひとつは次のような言葉で表現されうる。   「内的平静の瞬間を確保し、その時間の中で本質的なものと非本質的なものと   を区別することを学べ。」(中略)   内的平静の瞬間の確保という上述の規則そのものは簡単である。それに従うこ   ともまた簡単である。しかし簡単であればある程、それは真剣かつ厳格に修め   られなければ、目標にまで導いてくれない。(P33-34) 確かに、「内的平静の瞬間の確保」ということはそう困難なことではないけれど、 それを持続的に、忍耐強く保つということはそう簡単ではないように思います。 いわゆる「三日坊主」の「内的平静」は、決してその「確保」ではないからです。 野球でのバッターの打率や投手の勝率、防御率ということにしても、 一日や二日での好調だけではそう力になるものではありません。 ある特定の期間において、ある一定以上の力が求められるわけです。 「健康」ということでもそうで、一日だけ理想的な食事や運動をしたからといって それだけで有効に働くということはまずないといっていいと思います。 むしろ、小さなことからでも、毎日坦々と続けていくこと。 そのことによってのみ、真の成果が得られるということは、 何においても鉄則であるということをここで確認しておきたいと思います。 手前味噌になりますが、ぼくがもう4〜5年近く、風邪さえひかなくなっているのも、 そうした持続的なものの積み重ねであるといえそうです。 少なくとも、今になって思えば、ああ、こうして続けることで、 バランスが保てているんだなあということがわかります。 ちなみに、それまで、ぼくは年に2〜3回は風邪をひくのが常でした。 さて、次回からは、その「内的平静の瞬間の確保」について、 その具体的な方法に入っていきます。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04834/04834 VYX05032 ERT RE:シュタイナー「いか超」から学ぶ●5 (13) 96/06/29 12:05 04830へのコメント KAZEさん,暖かいお迎えありがとうございました。 この読書会参加にあたり,また(何度目かな)ひさびさに「いか超」を読んでみました。 はじめて読んだのは大学に入りたてのころだったはずですが,正直いってとても読みや すい とは思いませんでした。ほとんど理解できなかったといってよいと思います。が,何度 も読み返す 気になるのは,何かが残るからなのでしょう。知的に理解するための本や単なるマニュ アルでは このようなことはありません。理性に留まりながらも,読書が「体験」になるような何 かがあります。 ささやかではありますが,読書を繰り返す度に体験が螺旋状に高まって行くように感じ ます。 >> このような実践的規則の中の最初のひとつは次のような言葉で表現されうる。 >>「内的平静の瞬間を確保し、その時間の中で本質的なものと非本質的なものと >> を区別することを学べ。」(中略) >> 内的平静の瞬間の確保という上述の規則そのものは簡単である。それに従うこ >> ともまた簡単である。しかし簡単であればある程、それは真剣かつ厳格に修め >> られなければ、目標にまで導いてくれない。(P33-34) >> 小さなことからでも、毎日坦々と続けていくこと。 >> そのことによってのみ、真の成果が得られるということは、 >> 何においても鉄則であるということをここで確認しておきたいと思います。 本当にその通りです。日々の生活や人間関係を応用問題として考え,地道な練習を続け ること。やはりこ れが基本と思います。私自身現実には「人間くさい」しがらみなどに巻き込まれて感情 が自動的・習慣的 に反応する瞬間ばかりですが,そうしたひとつひとつの瞬間こそがまさに実践的な課題 の場になるのです ね。 日常生活では些細なことに「カッ」となったり,落ち込んだりすることばかりですが, 最初はそういった 否定的な感情を抑えることが行なのだと思っていました。しかし,感情は勝手に湧き上 るもので,抑えつ けれると,より強力になって逆襲してきます。無意識の中では否定的な感情はパワーア ップするようです。 そういった感情を無理やり抑えるのでなく,感情を体験しながら,感情の中に我を忘れ てしまわないこと。 そういうふうに今は考えています。なぜ自分はそう感じたのかを冷静に捉え直す。「内 的平静」とは感情 の押し殺しでなく,感情の対象化,理解,受容なのだと思います。 それから,ERTというハンドルネームは,STEINERのアナグラム ERT SEINから(ちょっ と 気取りすぎかな)。 ERTEというartistにもひっかけてますが,特に深い意味はありません。読み方は・・・, うーんそうですねえ,「えると」と読んでください。 それではまた。ERT 04833/04834 GGD03030 《 隆 》 味覚の意味 (13) 96/06/29 09:36 04819へのコメント  KAZEさん、どうもです。    >先週は、CMの制作のために金沢〜富山あたりに行ってきました。  >金沢方面ははじめてだったのですが、とてもいいところですね(^^)。  はい、なかなか風情のある場所が多いところだと思います。ちょっと鼻持ちな  らないとこもありますがぁ・・・(^^;)。北陸と言えば、また大雨が降りまし  て、小谷村はせっかくの復旧工事が振り出しに戻ってしまったそうです。金澤  も被害の出たところがあったとか。洪水などの被害は、川の治水工事すりゃい  いってもんじゃないと思うんですけど、この方面も対症療法的といいますか、  近視眼的といいますか、要するにその場限りのごまかしが多くて???です。    >兼六園の近くに泊まることができて、  兼六園は、その名に恥じない公園だとあたしも思いました。手入れが行く届い  ているというか、愛されているというか・・・(^^)。    >さりげなく生けてあった、近所で摘んできたというドクダミの花などにも、  >その気どらない性格など感じられて、とても気持ちよい時間が過ごせました。  ドクダミですかぁ、へぇ。生け花っていうと、必要以上に枯れてたり、辟易す  るほどゴージャスって場合が多いように感じますが、なかなかいいかも。    >ただ、気をつけないといけないのは、  >どうもドラッグとの関係が深そうに思えることと、  >ニューエイジ特有の安易な「自我の消滅」を強調してしまう傾向でしょうか。  まだ、途中までしか読んでないのでわかりませんが、気をつけておきます。そ  ういえば彼はどことなくラジニーシさんに似てたりして(^^;)。    >学ぶべきところは学び、そうでないところは、反面教師として学ぶ。  >そこらへんを見極めていくことが、ニューエイジ系のものを見るときには  >特に重要な作業になってくるように思うのです。  アンドルー・ワイルさんがニューエイジ系だという感覚は、どうもまだしませ  んけど、ニューエイジ系に限らず、「学ぶべきところは学び、そうでないとこ  ろは、反面教師として学ぶ」というのは当たり前のことですよね。人間も本も、  100%なものは多分ないですから、「ほうほう」って感心しながらも「ほん  まかいな?」っていう姿勢がないとまずいと思います。    禅に出てくる「不立文字」の考え方は、そういう意味で真理だなぁと最近思い  ます。「不立文字」の学術的な解釈はともかく、文章や言葉というのは脆いも  のだということです。どんなに素晴らしい内容の書物であっても、読む人が誤  解や曲解をしてしまったら・・・アジャパーですもんね。風の本棚で、中矢さ  んの本の批評がありましたが、日月神示もシルバーバーチの霊訓も霊界物語も  聖書も読む人によっては無価値なものに成り下がってしまいます。きっとみん  な素晴らしい書物の筈なんでしょうが、それこそ、権威(最近、権威に対して  アレルギー気味ですね(^^;))なんかに成り下がった日にゃあ・・・。    >いきなりそれを「なかったことにしよう」ということはできないし、  >もしそれを「出家」だとか「滅する」ということで否定してしまうと、  >今生きていることそのものを無意味にしてしまうことになりますよね。  はい、思いっきり無意味だと思います(何のために生まれて来たんじゃい!)。  「解脱」というのは「解きあかす」という字が含まれていまして、脱する為に  何がしかを解きあかす必要があるように思われます。それをただ脱するのは単  に逃げてるだけです。「滅する」にしても同じ事ですよね。無闇に滅するのは  ただのバカです。こういう逃げるバカの事を関西では「ズッコイ」と言います  が、「なかったことにしよう」はまさに「ズッコイ!」わけで、そんなことは  許される筈がありません(誰かが許しても、ワシは許さへんでぇ!」)。    >ですから、大事なのは、そうした基本条件や基本姿勢に対して  >それをきちんと見据えながら、そこから出発することなのだと思うのです。  >それが、依存状態から自由になる唯一の道だとぼくは思っています。  >そして、それこそが「中道」のはじまりです(^^)。  誰にでも出発点はありますが、それぞれみんな違います。その出発点を見ない  で進むなんてちょっと不可能ですよね。解脱とか修行って言う人たちは、違う  出発点を持つ人たちを一緒にして、無理矢理進まそうとしますが、これって乱  暴以外の何者でもありません。そういう乱暴な話はうっちゃといて、やっぱり  一人一人が自分をきちんと見ることが、そもそもの始まりになるとあたしも思  います。    >こういう例をあげればあたりまえのようなことでも、  >占いということになると、いきなり「私をどこかにつれてって」とか  >「私を幸せにして」的な馬鹿げたことを求めるわけで、  >ほんとうに、「一生寝とれ!」ですよね^^;。  変な幻想がつきまとっているのでしょうが、困ったものです。まあ、そういう  幻想を抱かせる占い屋さんがいるからいけないのでしょうけど・・・。    >もちろん、稚拙な意味での「契約」という考え方から脱皮し、  >むしろ、それを「内在的超越」としての「神」との契約、  >つまりは、自分で自分の真実の部分と約束をして、  >内的自由によってみずからを律していく方向にいかなばなりません。  要するに「再契約」とか「再確認」ですよね。人はもともと神様を内包してい  るのですから・・・。しかし、一神教の人たちの「契約」っていつまで経って  も変わらんような気がしますけどねぇ。何千年も経った今でも・・・あのまん  まですから・・・(^^;)。    >ほんとうに楽しいと思いこんでしまうと危険ですよね。  そうそう、「思いこむ」っていうのが恐いですね。でも・・・バーチャルな世  界というのは、それこそ「思いこみの世界」なのかもしれませんが・・・。    >それよりなにより、とってもまろやかで美味しいのがいいです(^^)。あれだ  >けいろいろ入ってると不味そうな感じもしますが、ところがどっこいです。  へぇ、そうなんですか。ちょっと飲んでみたくなりました。今度、購入先を教  えて下さい。多少高くても、試してみるだけならカミさんからお許しも出るで  しょう。(^_^)ゞ ポリポリ    >ファーストフード店でも、ミスタードーナツとかにはわりと行きますが、  >あのマ****ドとかは、食べられたものではないと思うんですけど、  やっぱり行きますか、ミスタードーナツ(^^;)。あたしも、たまに行きます。  マ****ドはその昔ニャンバーガーと呼ばれていました。店の近くの野良猫  がいなくなるとか言って・・・(^^;)。まあ、それは冗談としても、それくら  いまずかったです。今はハンバーガーを食べませんが、食べてるときでもほと  んど行きませんでした。あたしはファーストキッチンのベーコンエッグバーガ  ー&ミネストローネスープが好きでした。カミさんはモスバーガーが好みだっ  たそうです。今は多分、食べると気分が悪くなると思いますが・・・(^^;)。    >最初の話になりますが、富山で、抹茶と丁寧につくられたお菓子、  >それから、手づくりの、やさいたっぷりのお饅頭を、  >ゆったりとしたなかで、歓談しながらいただく贅沢と比べて、  >ファーストフードのあの貧しさは、いったい何なんでしょうか。  食材を粗末に扱う人たちに、美味しいものは作れません。食事は餌ではないの  です。たとえどんなに質素なものでも、食材に感謝し、食べる人に喜んでもら  おう(感謝して食べてもらおう)という気持ちで作れば、それはご馳走になる  んだと思います。  >決して高価なものではないにしても、ていねいにつくられた美味しさを美味  >しいと感じられる感受性は、せっかく私たちに捧げてくださる存在たちへの  >最低限のマナーだとも思うのです。  そういう事ですよね。味覚は毒を判別するだけでなく、食べ物に感謝する為に  備わっている機能であると思います。ですから、食べ物に感謝できない人は、  その機能が失われて行くのでしょう。実に悲しいことです。    >いただかせていただけることへの感謝というのが基本にあれば、それだけで  >食べることそのものが「癒し」にもなるのではという気もします。  かもしれませんね。最近カミさんが「貧乏はもう疲れたけど、ひとつだけ良か  ったことがある」と言ってました。それは、食べ物に心から感謝できることで  す。月末になると、連日「あるもので済ます」攻撃なのですが、それでも、夕  飯を美味しくいただけるとありがたいですし、たまに贅沢なもの(と言っても  今の日本では普通の食べ物ですが(^^;))を食べると非常に幸福な気分になり  ます。考えてみれば、我々の子供の頃は卵だって、けっこう贅沢品だったんで  すよね。食べ物に関する事は、もっとちゃんと考えなくていかんのに・・・っ  とまたまた思ったのでした。                            by りゅうちゃん - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/06/29 - 04140/04141 HQK00566 SOUND RE^11:炎で書いた物語」最終章(その7の3) (14) 96/06/29 12:24 04134へのコメント コメント数:1 「炎で書いた物語」最終章(その7の3)  <わかりあえる日まで>(その3)               >>十字の真下に穴があった。  >>緋色の紐が投げ入れられたが、  >>それは飢えた者に盗まれた。     これまで、超古代、古代と時代順にコースを辿ってきたが、あまり遠い昔のことで  「それがどうした!」と思われる方もあるだろう。現代を生きるわれわれになんの関 係があるのか、と…。  それでは、脇道のようだが、現代コースに足を踏み入れて今現在、  われわれのまわりに起こっている事件に当てはめてARIONの意図を探ってみよ う。     ぼくには上の三行が薬害HIV(エイズ)感染事件のことを暗示しているように見 える。  緑十字が只同然で仕入れて発売して巨利を得た非加熱血液製剤の名称は  クリスマシン(CHRISTMASIN)であった。  なんとCHRISTMAS(クリスマス)ということばを薬品名に含んでいたのであ る。  「十字の真下に穴があった。」のは間違いない。  「緋色の紐」とは(非)加熱血液製剤のことである。  「それは飢えた者に盗まれた。」  その危険性に気が付いて世界的に使用をやめようとしていた  非加熱血液製剤を金に飢えた者に文字どおり次の血を「盗」まれたのである。     そのことをARIONは 92/08/30 19:18の発言ですでに警告していた。    >>緋色の女は、藍のローブを纏い、緑のおしろいを身体に塗り準備している。     「緋色の女」は、非加熱血液製剤のことである。   朱色の鮮血を意味しない緋色で示唆している。  「藍のローブを纏い」はうわべだけを飾るために「愛のローブ」  CHRISTMAS(クリスマス)という愛の象徴のような  救世主の仮面をつけた薬品名のローブをまとってその下の醜い欲望を覆ったのであろ う。  「緑のおしろいを身体に塗り準備している。」  これは。緑十字の化粧をして売り出す準備がされていることを示唆している。     その後、95年12月に「加熱製剤」の使用が認められたのちにも  血友病以外の患者の方々にまでもそれは使用され被害を拡げた。        *************************************************          >>人よ、人であれ。      という一行から自分自身に対する宿題になっていた 「一二三四五六七八九十」の封印を特定できた。  発言番号#03951の「炎で書いた物語」最終章(その3)で >> 「令茲十宝謂一二三四五六七八九十」の箇所は >> 「一二三四五六七八九十」をここに十宝と謂わしむ、と読める。 >> これは神道の「一二三の祓い」である。 >> 「ひふみよいむなやここたり」と一般には奏上する。 >> 正式には >> 「ひふみよいむなや。こともちろらね。しきるゆゐつ。わぬそをたはくめか。 >> うおゑにさりへて。のますあせえほれけ」の四十七音といわれる。 >>  >> そして、その最後の一行が最も重要な文章であると思われる。 >>  >> 「而布留部由良由良止布留部、如此為之者、死人代生矣、即是布留之言本矣」 >> しこうして、フルべユラユラとフルべ、このごとくにこれを為した者は死ぬ人も生 ま れ >>代わる、 >>    すなわち、それが本当に布留=饒速日尊の言という。 >>     >>    饒速日尊は十種の神宝に死者の復活の法が秘められていることを後世に伝え て お >>いたのであった。 >>    その法とは >>    「一二三四五六七八九十」である。 >>    これをどう読むかはぼくにはまだわからない。 >>    それがわかれば完全に >>    酒匂(サカワ)の戒めが解かれるのだろう。          とこの時点で記した。 一目で「一二三四五六七八九十」の封印を見破ってしまわれた方もいらっしゃるかと存 ずるが このときのぼくにはまだ「一二三四五六七八九十」にどんな封印がかけられているのか わからなかった。 「一二三の祓い」式に 「ひふみよいむなやここたり」と読んでは意味が通らない。 ごく一般的に 「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、と お」 と読んでも意味不明なのは見えない封印がかかっているからだ。 どうして数を数えるときいちいちツをつけなければいけないのか…。  学校で教えられたからそう読んできたが、最後の十にトオツと言わないのは変だ。 そのかわりに、五にはイツツと二つのツを付けてあるから辻褄が合っているなどと 笑い話なのか本気なのかわからない説で無理矢理納得させられてきた。 それ以上追求すると煙たがられるだけでだれも本当のわけを知らないままに通りすぎて しまう。  たまに訳知り顔な人がいろいろな理屈をつけて  そのツの持つ意味を説明してくれたが結局解明されきれなかった。 学校の先生ならそんなとき最後には業を煮やして、そうなっているものはそうなってい るのだから ことばはそのまま覚えるべきである、ということになった。  そんなことを問題にして時間を使うのは無駄でおかしいと思うほど 一見なんでもなく思えたツが実はなんと封印のためにつけられていたのである。 「人よ、人であれ。」という句を見たとき ひとはひとつでなくてひとであれば良いことに気づいた。 そのことに気が付いた瞬間にこの封印は外すことができた。 封印と見えない封印であったから封印であると正体を見破ればあとは簡単である。 不必要な封印のツを取り去ってしまえば良いだけである。 「ひと、ふた、み、よ、いつ、む、な、や、ここの、とお」 必要なツは五の「いツ」だけであった。 漢字交じりにすればもっとわかりやすいだろうか。 「人、蓋、見よ、何時、無、成や、ここの戸を」 なんとやさしい日本語が秘められていたのであったことか…。 もう説明不用かと思うが 蓋というのは現界神界をふさぐ天岩戸のことだろう。 もっとわかりやすく書き直せば 「人、フタ見よ、いつ無に為すや、ここの戸を」  これでだれの目にも明かな文章になった。 「一二三四五六七八九十」とは  祖神がこの数の読み方を創って以来、発し続けてきたわれわれ人類にに対する根源的 な問だったのである。 それが封印をとった「一二三四五六七八九十」のすがたであった。 そのフタ(天の岩戸)を見いだし。そしてわれわれの手でそれを無になすこと。 それがこれからのわれら人類に課せられた使命であるらしい。 神来鈴(ジングルベル)が聴こえる。 そのフタのありかを探して次回は「かごめ唄コース」を辿ることになる。 それはきっと入り組んだ迷宮のようであることが予想される。   (つづく)    ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04141/04141 KFQ02761 しまうま RE^12:炎で書いた物語」最終章(その7の3) (14) 96/06/29 12:54 04140へのコメント #04140 SOUNDさん |「人、フタ見よ、いつ無に為すや、ここの戸を」  もう脱帽です(__;)。  古語では、「塞ぐ(ふさぐ)」を「ふたぐ」と読んでいたようですから、 「二(ふた)」にはこちらの意味もあったのかもしれませんね。いずれにせよ 「蓋をしていた」ということのようです。  試しに広辞苑を引くと、「ひと」「ふた」「み」「よ」「いつ」「む」「な」 「や」「ここの」「と」、すべて数の名としてちゃんと載ってました。  「十」の項を見ると、もともとの表記は「トヲ」であったようです。SOUNDさ んの解釈に益々迫真性が出てきますね(^^)。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/06/29 - 00691/00691 KFQ02761 しまうま FECO MES( 7)藤井さんの発言(長文230行) (15) 96/06/28 16:12 まるにちょんさん  どうもご無沙汰でした(^^)。  FECOのMES( 7)に、この会議室のテーマとも深く関わりのある、興味深い発言 が掲載されていましたので、以下に転載させていただきます。  転載をご快諾いただいた発言者の藤井さんに、この場を借りて厚く御礼申し 上げますm(__)m。 しまうま(KFQ02761) −(転載開始)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− |06639/06701 NAH00661 藤井秀光 歓迎「『明るい日本』国会議員連盟」結 成 |( 7) 96/06/07 17:40 コメント数:4  6月5日の報道によると、いわゆる「侵略」を否定し「謝罪」に反対する 自民党衆参国会議員により「『明るい日本』国会議員連盟」結成されたとの ことで、心より歓迎致します。  奥野会長(元文相)はその会見で、いわゆる従軍慰安婦の行為は商行為で あったとの見解も示しました。  やっと誰にもわかりやすい当を得た発言がでてきたなーと思います。  マスコミの論調も最近かなり変わってきた感じもありますが、まだこれま で同様の考え方にたつものもあり、特に南京事件を捏造(?)した朝日新聞 や今も旧日教組の立場に立つ教育関係者等に反省を求め、明治以来日本が果 たしてきた歴史的貢献を正当に評価すべき時であると考えます。  戦前日本がアジアで行ったことの中には結果的に大いにその国に役立った 事柄があり、それはそれなりに日本が自身でしっかり認識したいものだと考 えます。  また、ご参考まで、藤岡信勝氏(東京大学教授)によれば、今もマスコミ に登場する日本の「自虐史観」の源流は次の二つ、即ち  1.東京裁判により日本に全責任が帰せられ、それに日本中が洗脳された  2.昭和初期にスターリンが日本共産党に与えた日本革命方針 によるとのことである。  詳しくは同氏の「近現代史の教育の革命」(明治図書)または文芸春秋 「諸君」4月号「自由主義史観とはなにか」をどうぞ。 |06650/06701 NAH00661 藤井秀光 RE:歓迎「『明るい日本』国会議員連盟」 発|( 7) 96/06/09 09:17 コメント数:1 NOVOさんこんにちわ 昨年7月につずいて再度の発言いただき恐縮です。 昨年拝見したときに発言するとよかったのですが、今回の自民党国会議員連盟発足でや っと書き込む勇気を得たところですので悪しからずご了承下さい。 言いたいことはいろいろあるのですが、今日は南京大虐殺の事実関係について発言しま す。 いわゆる「南京大虐殺」とは昭和12年(1937)12月に日本軍が南京に進出して1 カ月のうちに市民を30万人(諸説あり)虐殺し、「南京市街は数週間にわたり惨死体で 血に彩られ、街全体が死体で覆われた」と言われるものです。  ところがそのときは(まだ宣戦布告がされていないので)欧米の外交機関や赤十字が 存続していて「南京安全区国際委員会」を組織しており、日本大使館に対し「もし日本兵 の あいだに直ちに秩序が回復されないならば20万の中国人市民の多数に餓死者がでるこ とが避けられないでしょう」との文書を出しています(陥落4日後)。 だいたい大虐殺の最中に餓死者のことをそんなに心配するものなのでしょうか。市民 が殺されることに一言も触れていないのはどうしてでしょうか。 それに文書に書かれ て いる市民の数は20万人ですが、その中でそんな大量の虐殺はありうるのでしょうか。 また、NOVOさんはおじさんの撮影した虐殺直前シーンの写真をみとのことですが 、欧米人が1枚ぐらいは大虐殺の情景写真をもっていてもいいと思うのですが。それに 欧米人からの南京大虐殺の証言もありません。 いま発売中の「諸君」7月号には「南京事件従軍日記のまぼろし」との記事が出てい ます。ご承知のようにこの日記は9年前の昭和62年に東史郎一等兵の日記として公表 さ れ、新聞に大々的に取り上げられたものですが、この記事で一番驚いたのが東一等兵と同 じ中隊にいた人達で、そんな日記は作りごとだと訴えてもマスコミはまともに取り上げ て くれなかったとのことです。(名誉毀損での裁判の結果は東一等兵の敗訴です。) 話は変わりますが全米マスコミに取り上げられている「三菱アメリカ」でのセクハラ も全くの作り事です(と確信します)。(くわしくは「諸君」7月号「三菱セクハラ疑惑を 洗 い直す」をごらんください)。  もちろんどんな記事でも書いてあることの(またはテレビ画面の)どれが事実でどれが 嘘かを判断するのは受け手ですが、わたしはわたしなりに判断しています。わたしは体験 からしか学べませんが、国会議員の130人(明るい日本議員連盟)もやはり体験から し か学べない人達ばかりでしょうか。政治家はほんとうに馬鹿ばかりなのでしょうか。国民 はそれほど賢明なのでしょうか。 話しは変わりますが、私はいま司馬遼太郎の日露戦争を題材に取った「坂の上の雲」 を読んでいます。いかにしてロシヤから日本を守るかに必死のひとびとの姿に引き込ま れ ています。とても侵略をめざして始めた戦争とは思えません。戦費の調達(ヨーロッパ での外債の発行)の苦労を見てもそうです。  トルコ領土の半分以上を強奪したロシアは朝鮮半島北西部を取り囲んで遼東半島まで きていたから日本は必死だったのです。本当に自虐史観でいいのでしょうか。 従軍慰安婦と侵略については改めたいと思います。 |06651/06701 NAH00661 藤井秀光 RE:歓迎「『明るい日本』国会議員連盟」 発|( 7) 96/06/09 10:08 floatさんこんにちわ 早速コメントいただきありがとうございます。 私は韓国に行ったことがないので反日を体験したことがありませんが、反日を選挙に利 用する(竹島)大統領は要注意だとは思います。  ところで「反日」ですが、私は「反日」は日本の自虐思想の裏返しの要素が大と考えてい ま す。「もうしわけない」「もうしわけない」と謝ってばかりいる隣人にたいして「そん なことはありません」と拒否しないのは彼らの当然の態度です。反日を煽っているのは 実は日本の自虐新聞です。  現に今回の「従軍慰安婦商行為」発言に日本の新聞は冷静でした。従って(?)韓国 での「盲言」記事は低調でした(事実誤認なら訂正して下さい)。  都合の悪いことがあるとすぐに日帝36年のせいにされると聞いたことがありますが 、韓国には日本統治36年の前に何千年の朝鮮の歴史があり、また今は統治終了後50 年もたっています。朝鮮は36年で立ち上がれなくなるほどもともと力のない国なので しょうか。  自虐思想を卒業して言うべきことをいうことが反日がなくなり友好が深まる道だと考 えます。 |06676/06701 NAH00661 藤井秀光 RE:「『明るい日本』国会議員連盟」発足 |( 7) 96/06/12 20:33 コメント数:3 皆さんこんにちわ 季節ネタとの評もいただいており、カメ発言で、なお長文で恐縮ですが、歴史教科書で はいまでもまだ戦争の全責任は日本に帰せられていますので、その不当性の認識を皆さ んにも共有いただきたく、「侵略」について発言します。  日本がした戦争は侵略ではなっかたとの論拠としてここでは次の3点を取り上げます。 それは. 1.日本は自衛のために戦争せざるを得なっかた。  白人が世界を支配する中で唯一 人種平等を主張する日本は、孤立の異端児となり、 アメリカへの移民も拒絶され、「石油の一滴は血の一滴」といわれた石油を不売政策で 販売拒否されたうえ、ハルノートを突きつけられて開戦せざるを得なっかたのです。  開戦での昭和天皇の詔勅には「(英米は)遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナ ル脅威ヲ加フ・・・・帝国ハ今ヤ自存自衛ノタメ蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキ ナリ」とあり、  マッカーサーも昭和26年上院聴聞会で「日本が行った戦争は自衛のための戦争であ った」と証言しています。  勝敗二人の責任者の発言は一致しています。日本は自衛のために戦ったのです。 2.日本は侵略はしていない。  「侵略」とは「侵入」し「略奪」することです。欧米はコロンブスのアメリカ大陸 ‘発見’以来400年間好き勝手に侵入し、領土をかすめ取り、財を簒奪してきました (その成果は大英博物館が代表する)。日本は侵入しても略奪はしていません。  領土について言えば、大東亜戦争中に併合したのは昭南市(シンガポール)の例外が あるだけで、ラオスも、タイも、ベトナムも、ミャンマー(ビルマ)も、インドネシア (ジャワ、スマトラ、ボルネオ)も一時的軍政はあったものの、原則日本領土への編入 はしていません。それに点と線を維持するのがやっとでした。  財産の収奪という点で言えば、収奪どころか一時多大の国家予算をそのインフラ整備 と教育(学校建設など)、衛生(病院建設など)に投入しています。 3.「侵略」は「AGGRESSION」の誤訳で、正しくは「侵攻」です。  東京 裁判では日本の軍事行為を「AGGRESSION」と記述しています。「AGGRE SSION」を「侵略」と翻訳したのが大まちがいで、正しい翻訳は「侵攻」です。英 語では、日本の真珠湾攻撃も、朝鮮戦争での中国の参戦も、みな「AGGRESSIO N」ですから、「侵攻」が正しいことは間違いありません。また、明治時代の英華辞典 では「AGGRESSION」を「侵伐、侵犯、攻打、蟲食、侵害」などと中国語に訳 しており、そのどこにも「略、掠」の字はありません。日本の行った軍事行動を連合国 は「AGGRESSION」と言い、それは「侵攻」を意味します。日本軍の行動は侵 略ではありません。  ただ、誠にややこしいことに、(また、上記でわかるとおり、)中国語の「侵略」は 英語の「AGGRESSION」と同じ意味です。逆に言えば日本語の「侵攻」=中国 語の 「侵略」なのです。ただ、いまは日本語がかなり浸透して意味も変わっているようです (以上は小堀桂一郎東大教授他より)。  また、ご参考まで、「南京大虐殺」は中国では「南京大屠殺」で、「天安門事件」は 香港の新聞では「天安門大屠殺」でした。   なお、補足になりますが、  戦争を結果から言えば、多くの租界があって半植民地化していた中国が完全独立し、 仏領インドシナだったベトナム、ラオス、カンボジャ、オランダ植民地のインドネシア、 イギリス植民地だったシンガポール、ミャンマー、インド、アメリカ植民地だったフィ リッピン、などなど皆それぞれ独立して、「アジア人によるアジア」が実現してしまっ たことは誠に興味深いことです。また、  かって毛沢東や中共の幹部は、日本人が戦争について謝ると、「いや、あなたたち、 わびる必要はありませんよ。日本のおかげで共産主義国家ができたんですよ。」と言っ たとのことですし、シャファー元マレーシア外相は、「大東亜戦争なくしては、マレー シアもシンガポールもその他の東南アジア諸国の独立も考えられない。」 等々の発言 があったことは記憶にしまっておいていいことだと思います。  また、私がくどくどと発言する理由は、今の教科書の考え方(自虐思想)では本当の 戦争の反省ができないと考えるからです。戦争に突き進んでいったのは決して日本の侵 略主義によるものからではなく、もっと他に反省しなければならない事項があるはずで す。私は自虐史観から解放され、白紙から戦争の歴史を洗い直して本当の原因を認識し たときに、今日本が直面する課題(沖縄、農業、貿易、住専、薬害、など)を解決する キーのいくつかが見つかるのではないかと考えるからです。  よろしく意を汲んでいただき、ご指導いただきたいのです。また、常に勇気をもって リードしていただいている奥野元文相のご自愛を祈っています。   長文へのおつきあいありがとうございました。 |06719/06721 NAH00661 藤井秀光 中教審答申について |( 7) 96/06/22 16:22 混世魔王さんこんにちわ <全てが馬鹿らしくなってきた>とのことですが同様に思うことはたくさんあります。  その中の一つは、先日(18日)の中央教育審議会(中教審)の「審議のまとめ」で す。中教審の内容を一言で言うと、「子供に生きる力とゆとり」を持たせるための「学 校週5日制」の実施と、「総合的な学習の時間」の新設です。  しかし、文部省はよくこんなきれいごとを言うものだと感心します。だから混世魔王 さんが言われるように<住専も、金融も、財政も、自由貿易も、新産業革命の為の失業 問題も、若者の心の崩壊も、環境も、世界の穀物問題>もみんなだめになって、日本は ダメな方向へむかっている(世論調査)ことになったのです。  私は中教審答申を次のように解釈して、その答申に賛成することにしました。考え過 ぎでしょうか。  その解釈とは、 1.週休2日制の完全実施  先生の勤務態勢は現在は変則週休2日制であるが、それを一般企業、公務員並みの完 全週休2日制とし、先生に「ゆとりある」生活を保障する。  ただし、教育ママなど一部人種に配慮して「学校週5日制」と表現することとする。 2.上記目的を達成するための授業内容の一部カットはやむを得ないこととする。  ただし、これも表現方法に留意して次のように言い替える、即ち  「不可欠な教育内容を厳選すると同時に、総合的な学習の時間を新設する。」  また、「総合的な学習の時間」にはごくわずかでも「英語を教える」ことにして、授 業内容のカットをソフト化し、曖昧にする。 3.人格形成や道徳教育などについて  現在の文部省の体制では「子供の教育や人格形成」に関する教育は完全に失敗してき たことは住専なども明らかになっており、公教育にそれをゆだねることは不可能である ことが証明された。従って、それは家庭とそれを支える企業に責任を持たせることとし 、公教育はこれからできるだけ遠ざかる。  ただし、これも表現には十分留意し、「本来家庭や地域社会が担うべきものを学校が 担っている現状の改善と、学校のスリム化」との表現を使うこととする。 4.教育の自由化、規制緩和について  塾の活用など教育の自由化、規制緩和は大切な課題である。先生の週休2日制が定着 すれば、生徒は毎土曜日に塾へ行くことが可能となる。これは塾教育体制の充実となり 、教育の自由化が大きく前進することとなる。将来は義務教育の廃止も含めて教育の自 由化や規制緩和を進める。  また、塾の教育方法は学校の教育方法より間違なく進歩しているので、生徒の学力の 向上は確実と考えられる。  ただし、この項目についてはプレス発表はしないこととする。 5.答申にいたる経過について  当発表は「答申」の形を取っているが、実質は文部省作成案を中教審に全面的に押し つけ、発表させたものであることに留意し、プレス発表や説明文言には十分注意する。 6.広報について  新聞はネタもとの発表資料をそのまま記事にするのが通常でありなんら心配すること ではないが、余分な詮索を避けるため、この発表は新聞社原稿締め切り時間ギリギリに おこなうこととし、また、発言はあくまで公式発言を逸脱しないよう十分留意する。 私の解釈(一部は独断と偏見による推定)は以上です。なお、「 」内はすべて中教審 答申にある文言です。 以上 −(転載終了)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−