「君の話は、夜中に庭先で焚き火をして騒いでいる人が…」と村長 """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/07/02 - 07913/07913 SDI00635 みれ 会話継続意志表明で〜す(^_^) ( 7) 96/07/02 11:14 07885へのコメント RE:#07885 MAKOTOさん  元ネタが見えなくなる前に何とかしたいと思いつつ、元々は理論的、分析的 な話の進め方が苦手な私には、ああした話の継続にエネルギーが要るんです(笑) で、コメントリンクをプリントアウトしてチェックしながら、コメントしてゆ こうと思っていますので、もちっと待ってて下さいましね。  この頃思うこと…、よく苦手意識とか言うけど、これって苦手なことをやる のが大変なんじゃなくて、苦手だということから今まであまり経験していない 事だからこそ、それをやる手順だとかに慣れていなくて「アワアワ〜」になる とか、手順に時間が掛かるとか、そういうことで気持ちがメゲそうになること を言うんだなぁと(何を今更ですが(^O^;))  そこでメゲそうになる気持ちを立て直して、頑張ってやってゆこうと思う時 って、そこに何かキッカケみたいなものがあるんだよね。それが私の場合は 「最初に持った好奇心」だったりするんだけど、これもきっと千差万別なんだ ろーなぁ。  更にこの「頑張ってやってゆこー」を維持するものも千差万別なんだろーな ぁ…(゚-゚)トオイメ…1分経過…そして私は、この場合だと「うっしゃ、ほんなら千 差万別を見たろうやんか!」という風になってゆく(笑)  つーことで、(^^)/"デワデワ                              ☆みれ・:・。,☆ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/07/02 - 01000/01001 QZY01267 猫の手 鏡の世界で (19) 96/07/01 21:19  この世界は私を映す鏡の世界  それは私じゃないと思っても  探してみれば  やっぱり私の中にもあって  いつでもそれは外に出てくるように控えてる。  いつでもそれは私の内側でうごめいている。    私が誰かに『あなた』と言ったとき  その誰かはそれを自分のこととは受け取ることはない。  表面的反応はそれを自分のこととして反論したりするように見えるけど、  反論は受け取ってないからこそしているの。  私がそれを自分と思っていないから  相手もそれを自分とは思わない。  この世界の何もかも  私を映す鏡なの。  私がそれを受け入れたくないのも分かるけど  実はそれも私だったのよ。  でも大丈夫、  私にはないと思ってた  素晴らしい私も一緒にそこに居るって知っている。  どちらの私を出すか、  それを私は決められる。    敵対しなければならないと思っていたならば、  その想いが鏡となって  敵対し続けなければならない世界を造ってく  誰もが優しさ持っている。  そう思ったならば、  いずれ誰もがその優しさ表現し始めるでしょう。  私がいつでも素直に優しさ表現できないように  誰もがいつでも私に対して優しくしてくれるわけじゃない。  でもその誰かがいつでも何処でもその優しさを  表現できないということはない。  ただそのときにたまたま何かの関係で  それを表現できなかっただけのこと。    この世界の総てが  私を写す鏡の世界  どんなに嫌なものであろうとも  どんなに素敵なものであろうとも  総ては私が生み出した。    エッ?この世界を私が生み出した?  じゃあきっちりその責任を執っていただきましょう。  きっと誰かが言うでしょう。  自分が世界を造っていると思えない誰かがそう言うでしょう。  でも大丈夫、  その責任執るってことは  自分自身を生きると言うことに他ならないから  私は私を生きることで私の責任執って、  その誰かもその誰かを生きていることでその責任執っている。  だから大丈夫、  誰も責任執っていない人など居ないから。  誰もが自分の幸せ考えている。  誰もが豊かであること願ってる。  そうそうやって生きていくことで誰もが責任執っている。  この世界を生み出した責任執っている。    私という凡人がこの世界を造ったの  あなたという凡人がこの世界を造ったの  あなたは私であって、  私はあなたなの。  そのことを信じようとはしない誰かがいても  それが間違いだと言うことにはならないでしょう。  それが証明できなくたって  それが間違いだと言うことにはならないでしょう。  誰もそれを証明なんてできないよ。  誰もそれが間違いとも証明できないよ。  ただその世界を味わってごらん、感じてごらん。  この世界が鏡の世界だと分かるときがくる。  自分を映す鏡の世界だと納得するときがくる。  そう、この世界の総てが私自身だったんだ。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/06/30 09:26:11> ** 01001/01001 QZY01267 猫の手 RE^2:もし,エイズが流行していなければ・ (19) 96/07/01 21:20 00999へのコメント  喜久井さんこんにちは、喜久井さんの話は私には新鮮でした。  やはり女性と男性では、性に対する感覚の違いというのはあるものなんです ね。妙に納得してしまいました。  そうですね。性病が恐いと言う男も普通の女の子だったら大丈夫と言うわけ で普通の女の子を口説き落とすテクニックを身につけようとしているみたいで、 その目的になる部分は変わっていないような気がします。  エイズで、ソープランドのような風俗業は苦しくなったみたいだけれど、ラ ブホテルの方は相変わらず繁盛しているみたいですから。  私からすると、子どもを生み出すことも物質への執着に見えたりしています。  物への執着が無くなってしまったら、子孫を残そうなどとは思わないでしょ うから。 ちがうかな?  夫婦で居るということも片方が経済的基盤を当てにして、片方が性的欲求を 満たすためだけのために夫婦をしているのだったら、そのときだけの直接現金 取引の売買春とそう変わりはないような気が私はしています。  最近の風潮として、女性も別な形で経済基盤を持てるようになり、そういう 関係から抜け出すことができるようになり、ところが夫の方はそういった関係 に何の疑問も持っていなかったものだからお互いの間にある溝を埋めることが できず、離婚に至るケースが多いような気がしています。  女性の経済的自立というのは男女間の対等性を生み出す上で必要なプロセス になっていると思ってみています。    私が結婚をしたいとは思わないとか、子どもを欲しいとは思わないとか言う と驚く人がいるけれど、そういうのってちょっと特殊なのかな? 結婚という 名の元に、相手も自分も縛るとするならば、私には負担だし、子孫を残す目的 が曖昧すぎちゃって、子孫を残すということが必要なことにも素晴らしいこと にも思えないものだから。この世の中の大勢を占める人達が子孫を残すことを 人生の中の大きな仕事と考えているようなんだけれど、その子孫に自分達の人 生の後始末をさせようとしているように見えるのは私の偏見かな? もし本当 に子孫のことを考えていたならもうちょっとましな環境を造っていると思うん だけど?  つれづれに私の思うところを書いてみました。         ** QZY01267/『猫の手』 <96/06/30 10:14:32> **