「実際には誰も騒いで居らぬし、庭の所有者も居るし…」と村長 """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/07/04 - 01032/01032 JAG04260 Homeless 満天星 踏絵(S.01) 言語と論理 ( 5) 96/07/04 05:33 ┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴ ┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ ┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴ [踏み絵 外典 シリーズ (S.01)[言語と論理]]┴┬┴┬┴┬┴┬┴┬ ─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬┴┬┴┬┴┬┴┬┴  + - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - +  | 今回より 2 回に亙り, 『踏み絵』外典シリーズを 掲載し |  | ます. これらは 『踏み絵』シリーズ 1 のための補足の意 |  | 味を持つものです.                  |  | 『踏み絵』シリーズ 2 (瞑想についての話) は, 予告にも |  | 拘らず休載状態になっていますが, いずれ再開する予定で |  | すので, お待ちいただければ幸いです.         |  + - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - +   悪魔があなたに言った(暗黙のうちに無条件に)−−   「願いを一つだけ 叶えてしんぜよう」   このとき    『どんな願いを叶えていただくときにも さらに もう一つだけ    願いを叶えていただける権利を 私に得させてください』   と 要求することは 許されるのだろうか? [言語と論理]    −−"ゲーデルの不完全性定理" をめぐって−− 「ゲーデルの不完全性定理」について知りたいと 言われるかの?   (『踏み絵』シリーズ 1 の第 2 回 (1.2)「鏡としての神 (2/2)」   (原発言番号 #90)の注で ちょっとだけ それについては 触れ   ておったのじゃったのぅ) うむ... それは 人間の知性の論理的な側面の極北とも 言えるものじ ゃでのぅ 当然といったらよいか 複雑かつ難解な証明の手続きを経ることによっ て 初めて到達できる 結論(定理)なのじゃな つまり 普通の人々には足を踏み入れることの困難な 数学や論理学の 荒野にそびえ立つ城塞のようなものであって ということは わしらは 遠くから それを眺めているよりしかたがない ということ に なるのじゃろうかの? ところが ありがたいことにはの 「ゲーデルの不完全性定理」が対象としている「論理の世界の普遍的な 性質」の一端を ふつうの言葉で語り あるいは 理解するということは 不可能というものでもないのじゃ そのような説明のしかた あるいは 理解のしかたによっても 「ゲーデルの不完全性定理」とは どのような方法によって どのよう な 論理や言語の世界における事実 (それは 一つの普遍的な真理と呼んでもよいようなものじゃがの) 現実の世界のどのような性質を 証明しているのか ということを わずかにではあるが 窺い知ることができるものなのじゃよ では さっそく 本題に入るとしよう 次の文を読んでみてほしい    「昨日の午後、私が部屋で本を読んでいますと、彼がやって来て、    一枚の紙片をテーブルの上に置いて出て行きました。その紙に書    いてあったことを、私は一字一句そのままに書き写しています。    いま読んでいらっしゃるこの文章、『昨日の午後、私が……』に    はじまる、まさにこ'の'文'章'がそれです。この文章をあなたは    いまお読みになっているわけですが、この文章の奇妙な点はどこ    にあるのか、ひとつ考えてみて下さいませんか。」   問 2 右の文の奇妙さ(それがもしあるとすれば)を考えてみるこ      と。      参考文献 : J.G. バラード「最後の秒読み」(『時間都市』      所収)、 F. ブラウン「ユーディーの原理」(『天使と宇宙      船』所収)       (入沢康夫「詩の構造その他に関し考えてみたいことの乱       雑なノート 1」(「誰が書くものか」), 『現代詩手帖』       1970 年 6 月号, (思潮社) より.(アポストロフィをもっ       て傍点に代えた.)       なお『時間都市』, 『天使と宇宙船』はともに創元推理文       庫版の短篇集の書名である.) バラードとブラウンの二つの短篇というのはの いずれもともに 作品の中に登場する ある文書(作品)が 実は 当の作品そのものであ る というトリックを持つものでの 入沢が書いた短い文は そのトリックの構造を解りやすくしたものであ ったわけじゃな 文がこのように当の文自身の存在様式(真または偽なること または その文自身の来歴など)に言及するとき おかしなことが起こる この「おかしなこと」というのは パラドックス(逆説)と呼ばれてお る状態なのじゃ パラドックスの典型の一つは 次のようなものじゃよ   A 氏は言う 「B 氏は嘘つきで B 氏の言うことはすべて 偽 であ   る」   一方   B 氏は言う 「A 氏は正直者で A 氏の言うことはすべて 真 であ   る」 この文のおかしなところは すぐに解るじゃろう? さきの入沢の文のような場合 これをなぜパラドックスと呼べるのかと いう説明は端折るが 数学的言語であると自然言語であるとに関らず 論理表現における こ のような構造上の制約 つまり 自分自身の(言語や文自体の)本質を記述できない というこ とじゃが 言語のうちに必ず存すると考えられる このような一種の欠陥こそ ゲーデルがその証明に挑み そして それに成功したものであると 言 えるものなのじゃ 数学の世界で価値を認められるためにはの ある特殊な条件の下で 面白い性質(数などの間の関係)が成立する ということを証明しただけでは はっきり言って まあ 何の価値も認められない すなわち 相対的に特殊ではないと認められるところの 一般的(普遍的)な領域 において ある性質がつねに存する ということを 証明したときに あるいは 特殊な性質の裏に潜む深い意味を明らかにしたときに 初め て その業績に 高い価値が与えられるのじゃ さて そこで 「ゲーデルの不完全性定理」とは何を明らかにしている ものかということを 噛み砕いた言い方で 述べてみるとの   自然数論を含む程度に複雑な 論理体系(公理系) というものは   それが (明白な欠陥を有しないことにより) 十分に有用な体系で   あるかぎり その公理系内で証明不可能な命題が 一つ以上 必ず   存在する (言い換えると 証明不可能な命題を記述することがで   きる) というふうに まあ 言えるわけじゃな 命題というのは 「A は B である」というような文のことじゃ 「A は B である」という文は 「真」であるか 「偽」であるか いず れかであると 言えるの あり得るすべての命題の 真(または偽)なることを 証明できること を 「体系が“完全”である」と言う と 定義しているので そうでないことを すなわち 「体系が“不完全”である」と言い 実質的に あらゆる論理体系は不完全である と証明したのが 「ゲーデルの不完全性定理」(第一定理)というものなのじゃよ 「自然数論」とは 小数や分数を扱わない数学(整数論)であって さ らに負の数も扱わない 簡単な算術ができる程度の「もっとも易しい数 学」ということじゃ じゃによって 実質的に あらゆる論理体系が不完全であり その中には 自然言語も含まれる ということなるわけなのじゃ 次に 「(明白な欠陥を有しないことにより)十分に有用な体系」 と述べた 論理体系の性質のことじゃがの この 有用であるための性質を 「無矛盾」という 「矛盾」とは a=b, a≠b がともに証明され得るようなことをいう 体系に矛盾があることが明らかであるならば (すなわち 矛盾の存在が証明されるならば) 要するに その体系は役に立たないわけじゃ ところが 本当に無矛盾であると言えるのか ということになるとの 無矛盾であることを証明するはずの命題が 実は 当の論理体系内では 証明不可能であるために 結局 当の体系内の公理および手法によってそれを証明することはでき ない(第二定理) ということになるのじゃ 抽象的な説明としては たとえば いまのような説明ができるわけであ るからして 「ゲーデルの不完全性定理」のあらましを理解することは さほど難しいことではない と言えるの しかし その定理の証明は 難しい 聞くところによれば その証明の方法は どのような命題 どれほど複雑な命題であっても 一個の自然数(正の 整数)として表現できる ということを利用して 数学的方法を適用して 証明しているのだということじゃ なるほど どんな長篇小説でも どんなに容量の大きな磁気テープの記 録内容の全体も それが ディジタル記録方式によって記録されている限りは 有限長のビット列 すなわち「一個の数」(二進の正の整数)に違いな いと 言えるわけじゃ! さて 数学の世界においては 自然数論または整数論の体系(公理系)内で証明不可能な命題も 実数 論まで体系を拡大すれば 証明が可能となり 実数論の体系内で証明不可能な命題も 虚数論まで体系を拡大すれば 証明が可能となる... というふうに 論述の舞台・次元といったものを複雑性を増す方向に上 げていけば 証明できなかった命題が証明できるようになる と言われ ておる (しかし もちろん 不完全性は 決して排除できない) ところで   「言語とは何か?」   「言語とはかくかくなるものである」 といった問題(命題)を考えるときに わしらは 言語を越える手段を持ってはおらぬわけじゃな あるいは また   「かくかくなることを思考している 私(私の 意識とか 頭脳)と   は...?」 と問う場合も 言語を用いて思考しているわけであり 言語を越える手 段がないという点で 同様の制約の下にあると考えられる そうだとすると いま述べたような問題について思考することというのは 一個の体系が その体系内における手段により 当の体系自身のことを 思考し すなわち 定義したり 証明したり 批判したりしようとして いるのであると 言えるわけじゃな そのような場合における 言語の性質や制約の一端を 一般的な「証明」というわけではないものの 端的に見せてくれているのが さきに示した文の類であるというわけな のじゃ そしてまた それとともに ゲーデルが不完全性定理の証明に用いた方法というのも ある種のパラ ドックス文を数学的に記述した命題を利用したものであったのじゃよ ところで 人というものは 言語を越える「直観」というものが ある ような ないような 気がしていて 何か そういうものによって 判断を下す場合もあるわけじゃが その「直観」もまた 言語の機能の一部であるのかもしれず いずれにせよ 直観を越える (したがって 直観を批判する資格のあ る) 「超直観」という手段はないわけなので 方法上の制約に関する事情は だから 直観力というはたらきが存在するとしても 本質的に変り得るわけでは ないように思われるのぅ 「人間の知性の論理的な側面の極北」というふうに さきに 「ゲーデルの不完全性定理」について わしは評したのじゃったが じゃからと言うて 数学や論理学の進歩が そこで止ってしまったわけではないのじゃ むしろ 様々なパラドックスの意味を論理的に考察する方向で 新しい 試みが種々行われているのが 現状である と言える その意味で 人間の知性にとって 言われるような「危機」は まだまだ 訪れてはいない 危機というものは つねに 非知性の側に 知性の欠如のゆえに存在す るのじゃ それは 人類の過去の歴史においてそうであったのと 変りはないと 言えるのぅ...   整数論 → 実数論 → 虚数論 という 数論の発展についても ちょっと述べたが 人がさまざまに知識や経験を積み重ねていくのは ちょうどそのように 己れの能力や可能性の範囲を拡大していくためで あるのじゃろうの とすれば その過程で (数学・論理学におけるのとは むしろ逆の因果関係を予測することに なるとも言えるが) 己れ自身に対する論理的な認識を深めることによってこそ 知識や経験や知恵の体系としての自己の可能性の拡大が その結果として あるいはそれと並行して 得られる ということにも なるであろう いろいろなことについての知識などというものは あまり無いなら無い で かまわないと わしは思っておるのじゃが 単に知識の量が豊富なだけで 自ら思考することによって ものを生み出していくこと それは 己れの頭の中だけにおいてのことであってもよいわけじゃが そのように ものを生み出していくことをしないのは 知識が貧弱であることよりも ずっと感心しないことであると わしは思っておるのじゃよ ---------------------------------------------------------------- [参考文献]  ゲーデルの不完全性定理やその周辺の事柄を一般向けに解説した本の  中から, 特に読みやすく, かつ, ごく薄い(または判型の小さい)本  に限って紹介する. (以下は, いずれも縦組の本である!)  『科学朝日』, 1994 年 3 月号,(特集「ゲーデルの不思議世界」),    朝日新聞社  『パズルとパラドックス』, 内井惣七, 講談社現代新書 (970)  『うそとパラドックス』,  内井惣七, 講談社現代新書 (881)  『ゲーデル・不完全性定理』, 吉永良正, ブルーバックス (B-947),    講談社  『ゲーデルの謎を解く』, 林晋, 岩波科学ライブラリー (6),    岩波書店   + - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - +   | 『踏み絵』シリーズ 1 発言番号 : 74, 90, 107, 129, 145 |   + - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - + - FARION MES(11):狼を生きる  ★ 平井和正の著作から 96/07/04 - 02295/02295 JBH00712 桂 桂 議長退職のお知らせ (11) 96/07/03 23:28  みなさんこんばんわ(^^)  いきなりで唐突なお知らせをしなければなりません。  実の事を言うと私は今までフリーターをしてせっせと就職活動に励んでいたので すが、ようやくそれに目処がたち、8/1から入社する事が決定いたしました。  そしてその後の身の振り方についてなのですが、研修の為に約一年間は寮生活を 余儀なくされ、完全に缶詰状態になってしまうのでパソコン通信も出来なくなって しまう環境になってしまいます。  議長になって一年と三ヶ月余り、これからという時に議長を退職し、日常の生活 に勤しむ事になります。  そして今後の会議室についてなのですが、どなたか後任議長をやる気の有るの方 を捜したいと思います。誰か議長を務める気の有る方はいらっしゃいませんか?  誰も見つからなかった場合、会議室は維持出来なくなってしまいますので、どな たか立候補して下さい。  では宜しくお願いします。 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/07/04 - 01163/01166 GFB00026 一輝 RE:書評『歴史を変えた偽書』 (12) 96/07/04 03:09 01098へのコメント コメント数:1 >#1098 たけくまさん おひさしぶりです。たけくまさんがまだ『歴史を変えた偽書』を読んでもいないの に書くことは気が引けるのですが、すでにお読みの読者の為に書き連ねてみます。 |僕は武田氏とは一度しか会ったことがないし、それも友人が武田氏に会うというので |その他大勢のひとりとして付いていっただけでして、たぶん武田氏は僕の存在など |記憶にないと思います。友成さんにしても僕の知る限り、武田氏とは関係ないはず |です。 ……………文中「絃映社」というのは「群雄社」の間違いだったかもしれないです      ね。そうなると、たけくまさんと友成さんとの関連性が出てくる。武田      さんを佐山さんと間違えていたら、これもまた笑えます。別に佐山さん      が弟子を取っていたわけではないけれど、文門として考えれば、皆さん      今や売れっ子作家だし、門下生にされてしまうかも、ぐはは(^^;)。      ここいら辺の話は、80年代以降の「へんたいよいこ」を経て「アート      ブーム」へと、サブカルチャーがメジャーに吸収されてゆく前の、一番      面白かった時代です。『歴史を変えた偽書』で朝松健氏は、エロ業界の      流れとポップオカルトの流れもまた、同じ源流を持つ血縁関係であった      ということを言いたかったのでしょう。      70年代サブカルモードと、将来を凌駕した様々なモードが、エロス&      アート&ニューエイジの実験場だったエロ業界で、集中的に交錯してい      たのは確かです。いやむしろ、たけくまさんや私は積極的にこれらを交      配させた張本人のひとりだったと言った方がいいかもしれない(笑)。      メジャーの舞台に上がって表現できるチャンスの無かった、当時10代の      私たちにとって、エロ業界は貴重な自己表現の舞台でした。      ここに関しては、実体験として門をくぐった、たけくまさんや私などの      当時の残党にしか語ることの出来得ない話なのかもしれません。それだ      けに、伝聞だけで誤解の無いよう、そろそろあの時代の伝説を書物なり      にはっきり記録する時代に入ったと言えるのではないでしょうか。それ      をぜひ貴殿にやって頂きたいですね(笑)。できるかぎりお手伝いしま      す。      それにしても、ワイドショーを降ろされた亀和田武氏が、先日の週刊ポ      ストで、番組放映中はあれほど過去をマスコミに明かしたがらなかった      のに、いきなり元エロ雑誌編集者として出ていたのには驚きました。      〔以下は、とても好奇心の強い熱心なFARION&読者向けに♪…………〕      どこまで出来るかわかりませんが、『歴史を変えた偽書』の補足説明に      なるよう、皆さんにわかりやすく説明しますと、通信界でも著名な高杉      弾氏という方が「オナニー&メディテーション」という概念を70年代末 に考えて、”精神世界とエロスを同じ土俵の上で語り表現する”という      革命的なことを始めたのです。これは同時に”俗なるものに聖を見出し、      聖なるものに俗を見出す”行為への積極的な試みでした。      彼はゴミ捨て場で拾ったエロ雑誌に出ていたある写真について知りたく      て、エロ出版社に遊びに行って、その場で社長に「エロ雑誌を作らない      か」といきなり言われて始めた人です。『Jam』『HEVEN』とい      う雑誌を創刊し、スカトロやフェティッシュなエロ写真の次頁に、オカ      ルト界の巨魁と呼ばれた武田崇元氏が登場し、高杉氏編集の下にオカル      ト&古史古伝対談をやっていたのでした。そこに違和感を感じさせなか      ったのが、彼の天才的な編集のセンスだったと思います。      ところが「せっかく深夜に抜きたくて自販機まで行って買ったのに、こ      れじゃーパンツ下げても抜けねーよー」という読者も居て、「たしかに      これじゃ抜けない」と会社側も文句を言いだして、そうこうするうちに      別の理由で会社は二つに分裂し、雑誌は移籍。      その頃私は不良社員で、LSD体験が原因で会社を長期無断欠勤し、ク      ビになりかかり、エロ表現のノウハウを某カメラマンのところで勉強し      なおして、「表紙はエロ雑誌、中身は抜けるニューエイジ雑誌」(本当      に抜けたのかは分からないが)を私なりに作ってみようと始めたのが、      たけくまさんを誘ったアレだったのです。      ヌードグラビアの上に、ラムダスやカスタネダやグルジェフやバグワン      のパクリ文章が躍っていた。次にはたけくまさんの、今西錦司架空イン      タビュー。バグワン信者に見せたらバカ受けでした。当時、悶々男性に      3万部は売れていたはずです。今なら「イルカと泳ぐヘアヌード」とか      「元オウムの小宮嬢ヘアヌードメディテーション」とか、やっていたか      もしれない(笑)。      この頃、社内では二つの流れが出来ていて、それは「性器へと収束して      ゆく表現」と「性器から拡張してゆく表現」でした。前者を目指してい      た人には、モデルの毛を剃るのが好きで、本当にモデルの性器に自分の      性器を収束してしまう人もいましたっけ(笑)。クビになったけど。こ      の人たちの中から、後にAV監督として大活躍する人物が出てきます。      私などは後者で、下手をするとハイヒールでも魚でも性器として表現で      きてしまう危ないものがありました。そうなってくると、ヌードなどよ      りも着ている女性の方が、スケベに見えてしょうがない。着衣女性のヌ      ードを想像する方が面白いという、ある種の職業病。この頃の私は「大      麻犬」であると同時に「ヌード透視犬」でした(笑)。      長くなってしまいましたが、エロスとオカルトは、タントラでも表現さ      れるように、ハイテンションという創造的磁場に於いて、同根であると      つくづく思います。そんなエロ雑誌のひとつ、高杉弾氏編集の『HEA      VEN』に、古史古伝本プロデューサーの武田崇元氏という人物がゲス      トとして出ていたのです。そのことから事実誤認はあったけれども、『      歴史を変えた偽書』という古史古伝暴露本に、エロ業界話まで出てきた      のだと思います。      70年代末にやっと男性は、エロ雑誌との出会いによってマスターベー      ションの罪悪感から解放されてゆくわけですが、その一方で、そこから      派生したAV(アダルトビデオ)の登場によって想像力を失い、生身の      女性に立ち向かってゆくパワーを吸い取られていってしまう。その直前      の作業の中で一部の者たちによって、”俗なるものに聖を見いだし、聖      なるものに俗を見いだす”実験が行われていたというわけです。      この実験は、当会議室の「精神世界裏表」という概念に、限りなく近い      ものがあります。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01166/01166 MXF01761 たけくま RE:書評『歴史を変えた偽書』 (12) 96/07/04 04:53 01163へのコメント >一輝さん たけくまです。現在多忙モードなので、少しだけレスします(色々書きたいことは あるのですが(笑)) えと、朝松健氏は「絃映社」と「群雄社」を間違えていたのではないかという ご指摘ですが、確かにこれはありそうですね。(あ、言い忘れましたが僕も「歴史 を変えた偽書」買いました。まだ朝松インタビュー以外は斜め読みですが) 僕は絃映社とはまったく何の関係もありません。ただ友成純一氏はデビューした のが同社発行の「幻影城」でしたので、当時同社に出入りはしていたはずです。 でも「地球ロマン」との関係はなかったはずです。 まあ、これを含めてケアレス・ミスはあるけれど、面白いインタビューでした。 それから余談だけど、朝松インタビューの前のページで宇田川岳夫という人が 文章を書いてますね。彼、僕の古い知りあいなんですよ(笑)。たぶん知りあって 13年くらいになると思いますが、当時の彼はもの凄いオタクで(今もですが) カルトなマンガとカルトなプログレのマニアでした。ただ、オカルトだけは 手を付けていなかったんですね。 その彼に「地球ロマン」や「迷宮」の存在を教えたのは、何を隠そう僕なんです。 彼の趣味傾向からして、きっと気にいるだろうと思ったら、案の定ドップリはま ってしまって(笑)。あっと言う間に、僕のレベルを追い越してしまいました。 一時期など八幡書店の発行物を「月に10万円分」買っていたというとんでも ないハマリ方で、八幡にとってはトップクラスのお得意さまだったんじゃないか な。 実は、「友人が武田氏に会うというので……」と僕が書いた文中の「友人」とは、 この宇田川さんだったのでした(笑)。 まあ、彼の名誉のために付け加えると、彼のハマリ方は“いい意味での”オタク 的なハマリ方で、いわゆる信仰的なそれとは無縁でしたね。対象に最低限の批判 的な目を持ちつつ、熱中するというか……。「世の中にこんな狂った世界が存在 するのか」と言いながら、その「狂い方」をファンとして楽しむ、というスタン スだったと思います。まあ、「狂ったもの」に月10万も投資するというのも、 まともな人が見れば充分に狂ってますがね(笑)。 いや、「歴史を変えた偽書」をめくって宇田川さんの名前を見つけたので、驚いて こんなことを書いてしまいました。ああ、ちょっとだけ書くつもりが……(笑)。 しかしあの本、八幡批判的な側面を抜きにすると、そのまんま昔の「地球ロマン」 だと言っても通用する内容ですね。ここも興味深かったところです。 たけくま 01165/01166 GFB00026 一輝 教祖がレイプ!? (12) 96/07/04 03:17 ●教祖がレイプ!? 週刊ポスト7月12号 P.233で、S学会の名誉会長レイプ提訴で、国内大手新聞が圧 力を怖れてか取り上げなかったものの、提訴した女性が日本外国特派員協会クラブで 記者会見に応じたことから、この報道はロイター通信によって世界を駆けめぐること となった。 タイには推定4万人の信者がいると言われているが、そのうち2000人の信者が脱 会へと動きだしたという。かつてない訴訟であるだけに、こんな時にこそ及び腰にな らず、マスコミもそろそろちゃんと動き出さねば、例の放送局の二の舞を踏みかねな いだろう。 余談だが、同誌 P.213で曽野綾子氏の「昼寝するお化け・寄付に関する迷信」という 元従軍慰安婦問題に関する盲点を鋭く突いたエッセイが出ており、こちらもご参照さ れたい。慰安婦補償問題に一番力を入れているはずの朝日新聞は、正式の問い合わせ に対し、「この種の団体に寄付することはまずありません」と答えているそうだ。 ウケ狙いの自虐史観の裏にあるこの「冷たさ」は、いったい何なのか。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/07/04 - 04163/04165 LDS05136 YHVH 短剣の意味は? (14) 96/07/04 12:44 コメント数:1 [解釈対象の抜粋] そして、時の器は砂を残した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 緋色の女は目覚め、起きあがった。 そして、彼女の美しさを知る者が周囲に居ることを確認した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 恐れは期待と同じ力で、物事を実現の方向へ導く。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 生きてゆく権利を叫ぶ時に、 生きてゆく義務を同じ重さで感じることを忘れるな。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 目覚めることで見える物は、 あなたを傷つけるか? 傷つく事を恐れ、傷つける事を恐れ、 何もしない人が「わかったフリの優しさ」を振りまく。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私は長い間鎖に繋がれていました、と彼女は言った。 でも、あなたが私を解放してくれましたと、 彼女は上目遣いにあなたを見た。 彼女の瞳には感謝の色が見えた。 気をつけよ、と声がした。 だが、しかし、このか弱げな感謝している女性の、 いったい何に気をつけるというのか? 次の瞬間、あなたの胸には短剣が刺さっていた。 その短剣の束には、「愛」という文字が彫られていた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 人は、人と関係することで人間になり、 人間になることで自らの中に宇宙を知る。 宇宙を知ったらどうなるか? −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− まさに、恐らくそこには何もないだろう。 あなたの人生の途上で、あなたが見つけ得るもの以外は。 YHVH 04164/04165 LDS05136 YHVH RE:短剣の意味は? (14) 96/07/04 12:45 04163へのコメント コメント数:1 [一つの解釈……薔薇十字の秘儀] 光あれという声に気づき、「闇」の中で目覚める。 すると「緋色の女」も目覚め、起きあがった。 忌み嫌っていたはずのその女はとても美しかった。 長い間恐れ、鎖に繋いでいた女を生まれて初めて解放する。 彼女の瞳には深い感謝が見えた。妖しい上目遣い…… わかったフリの人々が、気をつけよと忠告してくれる。 しかし傷つく事、傷つける事を恐れれば恐れるほど、 自ら傷つき、また彼女も傷つけてしまう。「力」の法則。 どんな事が待っていようと構わない! そのすべてを私は引き受ける。もちろん「死」も辞さない! 覚悟して△△△△にすべてを委ねた、その瞬間、 人生唯一の宝物……「愛」……を受け取る。 あなたが宇宙に居るとは、ただ、そういうことである。 YHVH 04165/04165 LDS05136 YHVH RE:短剣の意味は? (14) 96/07/04 12:46 04164へのコメント [魔術の三層構造] 道具 → 儀式 → 生命 道具は、儀式のシンボル(道標)である。 儀式は、生命のシンボル(道標)である。 すなわち魔術の堕落とは、儀式の形骸化にある。 大多数のオカルト団体は、同じ轍を踏んでいる。 YHVH - FARION MES(15):マホロバ誕生 ★ 大和魂復活のために 96/07/04 - 00699/00701 NAH00661 藤井秀慧     RE:太平洋戦争について (15) 96/07/04 03:26 コメント数:2 世紀末フォーラムの皆さんこんにちわ しまうまさん、まるにちょんさん、高い評価をいただき恐縮です。 わたしは比較的アタラシヤですのでまだ一般化していない「仮説」に興味を引かれる傾 向があり、そういう各氏の諸論にを読むことに加え、日本人としての血をひいているせ いでしょうか、いま、このような考えになっているところです。 ご参考にしていただければと考え、先日のFECOへの発言を一部訂正して(FECO のNOVOさんに間違いを訂正いただきましたので)ここに書き込ませていただきます。 それは次の通りです。 『遅くなりましたが、「軍国日本の興亡」目を通しました。 NOVOさんがおっしゃるように、今次大戦へ向けて、軍が日本をいかに戦争に引きず り込んでいったのかという軍の「悪業」はよくわかりました。しかし、読後思うことは 2つあります。 それは、1.日露戦争について、と、2.往事(戦争前)といまとの共通性です。 まず、1.の日露戦争についてですが、日露戦争でもし日本が負けていたらどうなって いたかということです。 日露戦争の時代は、東欧では、ポーランドやルーマニア、北欧ではフィンランド、スエ ーデン、それに、中央アジアの各国などなど、ある国はロシアの領土に組み込まれ、あ る国はロシアの属国にされた、弱肉強食の時代でした。そんなところでもし日本が負け ていたとしたら、朝鮮、満州はロシアの領土となり、日本はロシアの属国にされていた のは間違いないでしょう。 東欧、北欧はまだ白人種ですが、日本は白人種ではないので、おそらくインデイアン並 みに扱われていたでしょう。事実、ロシアの皇帝は日本人を猿と公言していました。明 治から大正、昭和、平成と続いていて、いまこんなに豊かなのも日本軍が国の存亡をか けて戦い、国民全体が必死に頑張ったからです。 2つ目は往時(昭和初年〜10年代)の軍部のやり方といまの中央での物事の決まり方 とが大変共通していることです。 当時、市ヶ谷(?)の軍部は独断で事を運び、既成事実を先行させてはそれを政治に追 認させて、日本を戦争に駆り立てました。いまの霞ヶ関も全く同様です。 大蔵省は勝手に通達(?)を出して住専なる天下り先を作って社長を送り込み、それが 危なくなると担当大臣に無断で農水省と覚え書きを交わしました。完全に越権行為です。 国民にはこれまた全く無断ですから、民主主義に反するのは明らかです。 それが失敗すると、政治が飲まざるを得ない環境を作り出し、そして法案作ってて与党 に飲ませ、成立させました。大蔵省は失敗の責任を銀行などに押し付けて自分は一切の 責任から逃れる、しかも焼け太りを狙っています(定年65歳へ延長)(定年65歳が 悪いと言っているのではありません。リストラがないので定員が15%増になるのが心 配です。)。 文部省は、倫理、道徳の荒廃(住専、オウム、などなど)にほうかむりして「中教審」 答申で自己保身を狙っています。中教審の答申は本当に国民を馬鹿にしきっています。 (マスコミがなにも言わないのが私には不可解です。) 厚生省の官僚はあれだけの薬害被害者をだしながら反省はゼロです。一割のガンにしか 効果のない抗ガン剤を全部のガン患者に使用させて健保財源を食いつぶしています。自 分たちの天下り先確保が大きな目的です。そして、あげくの財源破綻を介護保険新設で ごまかしてまたまた国民に負担(保険料)を押しつけようとしています。 さらに心配なのは(実は、これが本論ですが)、いまの霞ヶ関の官僚の養成方法および 官僚体制が、かっての市ヶ谷軍部のそれとそっくりだという点です。 かっての軍人(召集された兵隊ではありません)は陸軍幼年学校出の超秀才や陸軍士官 学校出身者で構成されたエリート集団そのものでした。幼年学校に入学するのはいまの 東大以上に難しかったとのことです。その集団が日本をミスリードしたのです。 いまの中央省庁の官僚はみな超一流の大学を出、さらに選別を受けて狭き門をくぐった 超エリートばかりです。それが自分の所属集団の利益第一で仕事をしています。 かっての軍部とまったく瓜二つです。 結論が遅くなりましたが、私が主張したいのは、かっての戦争についての反省するに当 たって、「日本は戦争をして迷惑をかけた、悪かった、すみません、これからは戦争は 一切致しません」といっているだけでいいのかということです。 戦争の反省はもっと徹底的にする必要があるのではないか、軍部が悪い、戦争は悪だ、 戦争反対と言っている反省では、その反省に点数をつければ50点(?)ではないか、 と言うことです。それでは現在の問題点を克服できないのではないか、ということです。 では100点満点の反省をするにはどうすればいいか、それは「日本が悪かった、迷惑 をかけてすみません」などなど自己反省だけの「自虐史観」を脱ぎ捨てて、もっといろ いろの角度から考え直してみること、それが100点満点の反省への第一歩であり、そ してそこでこそいま直面する問題を解く鍵が見つかるのではないかと考えるのです。 いまの霞ヶ関と、かっての市ヶ谷とが共通点を持っていると、認識したときにいまの大 蔵省の問題点が「誰の目にも」明らかになるのです。 いま戦後50年経ちました。マルクスの唯物史観も間違いが明確になり、日教組も大転 換しました。軍部を見る目も50年前と同じでいいわけはありません。 いま熱心な先生は「近現代史教育の改革」(明治図書.藤岡信勝東大教授)を争って読 んでいるとの記事を目にして早速購入しました。大変参考になりました。ぜひ読んでい ただきたいと思います。(2000円と高くてすみません。それに市販していないので、 書店で申し込んで3週間前後かかります。) 奧野元文相は「従軍慰安婦は商行為であった。」との誰にもわかりやすい表現で日本人 を自虐史観から解放してくれました。 100点満点の反省へ向けて第一歩を踏み出したいと思います。(しかし、あまりにも 時間がないのも事実です。)』 以上がちょっと長いのですが先日のFECOへの発言です。それに、お褒めにあづかり ましたので、それに乗って、上記の反省点「官僚制」に続いて2つ目の反省点を「研究」 しているところです。 今後ともよろしくお願いします。 00700/00701 KFQ02761 しまうま RE^2:太平洋戦争について (15) 96/07/04 04:35 00699へのコメント #00699 藤井さん  こんにちは(^^)。わざわざおいでいただき、ありがとうございます。  この度#00699で転載していただいたご発言は、FECOで拝見して「うわー、こ れも是非FARIONに転載させていただきたいなー」と思っていたものでした。  藤井さん自ら転載してくださって、大変うれしいです。 |2つ目は往時(昭和初年〜10年代)の軍部のやり方といまの中央での物事の |決まり方とが大変共通していることです。 |当時、市ヶ谷(?)の軍部は独断で事を運び、既成事実を先行させてはそれを |政治に追認させて、日本を戦争に駆り立てました。いまの霞ヶ関も全く同様で |す。  この論旨、非常に興味深いです。もしそうだとすれば、今こそ戦前・戦中の 教訓を学びなおして、今日の社会に活かして行くべきですね。そのためにも、 藤井さんがなさっているような、多角的な視点から先の戦争を捉え直す、とい う作業を、この会議室でも進めていけるといいなあ、と思っています。  僕は、戦時中のいわゆる「大本営」という存在は(今のところ)あまり好き でないのですが、戦前の「自主独立の気風に満ちた日本人」というのは、正直 言って好きです。  あのキリリとした日本人が、どこでどう間違って今みたいなフニャチンにな ってしまったのか、というあたりを、太平洋戦争の前後を俯瞰することから検 証できるんじゃないかな?なんて思っています。  議論の拙いところも多々あるかと思いますが、ぜひとも藤井さんからの鋭い ご指摘を仰ぎたいと思っています。  今後ともどうぞよろしくお願いします。    しまうま(KFQ02761) 00701/00701 PXY03747 諏訪みのる RE^2:太平洋戦争について (15) 96/07/04 12:42 00699へのコメント   #699 藤井秀慧さん、こんにちは。    初めまして、諏訪みのる と申します。 私も以前から、先の大東亜戦争、あるいは「自虐史観」の見直しについて、 大いに興味を抱いていた者の一人です。 他のフォーラムへは あまり顔を出さないもので、 藤井さんのように、 こうした話題のお話し合いがなされている所がある事は知りませんでした。 新鮮な驚きを感じています。(^^) >>奧野元文相は「従軍慰安婦は商行為であった。」との誰にもわかりやすい表現で日本 人を >>自虐史観から解放してくれました。 表現こそわかりやすいですが、 そう言い切るに足る証拠について言及されなかった点が残念です。 政治的な圧力に屈したかのような形で口を閉ざされたようにも見えました。 ここで終わりにしてしまうと、 「解放」どころか かえって、「より強固な自縛」へと成りかねない…。 事の真偽はともかく、同じ政治生命を掛けるのなら、 たとえ悪者扱いされようとも、 一度は徹底的にオープンな形で意見交換が成される必要があると思います。 日の目は見ておられない真面目な研究者達の意見も取り上げ、 公平な場での討論がなされる必要があるのではないでしょうか。 私のような素人でさえ首を傾げたくなるような ある種のマスコミの偏向報道は、 私には、 勝者の論理によって裁かれた 彼の極東国際軍事裁判と重なって映ってしまいます。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ご挨拶の代わりに、私見を少し書かせていただきました。 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。(^^)/ でわ、では。(^^)              みのる♪デシタ。 - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/07/04 - 01008/01011 MAF00551 MID HEAVEN RE:Mazdaと外国人社長の縁 (19) 96/07/04 01:44 01003へのコメント DUNさんお久しぶりです。 ゾロアスターとMazdaの件以前から私も気にしていたのですが、DUNさんがこの件 について興味を持っていらしたとは知りませんでした。実は私の妻の過去世を初め てチャネルして貰ったときに、ゾロアスターを崇拝している者の意識が出て来まし て、それ以来ちょっと気にしていました。娘の通っている幼稚園では園長が、シュ タイナー教育を取り入れており、オイルトミーの講習もあります。妻はこの幼稚園 がとても気に入っていて、引っ越した後も、私や妻の母の反対を無視して次女を通 わせています。学費が高くて大変なんですが‥なんでこんなに執着するんだろうっ て思っていたら、ある日書店で見つけたシュタイナーの予言の本を立ち読みしてて 気づいたのですが、シュタイナーの言っている事って下地としてはゾロアスター教 の影響があるんですよね! これって単なる偶然とはとても思えない私でした。 シュメールさんのおすすめでこちらもROMしていたんですがしゃしゃり出てしまい ました。(^_^;)   そうそう、そういえば何を隠そう私も元ドラマーなんです。今は ラテンパーカッョンにくらがえしましたけど。といってもコンガはやりません手が グローブになっちゃいますので、もっぱらティンバレスと小物であばれています。 (笑) Mazdaのコメント楽しみにしています。それでは‥                             - MID HEAVEN - 01010/01011 QZY01267 猫の手 子孫を残すということ、 (19) 96/07/04 06:05  喜久井さんコメントをありがとう。  内用がエイズとは離れてしまいそうなのでコメントリンクを外して書き込み ます。    たぶん、喜久井さんとの考え方の違いは、私との世界観、宇宙観の違いによ るものと思います。  子孫がなくなってしまっても総てがなくなるとは私は思っていないんです。 私という存在はこの世界で死んだとしても存在としては残っています。それと 同じように、誰もがこの世界で死んだからといってすぐさまなくなってしまう わけではないでしょう。きっと、  私にとっての子孫を残すという意味は「私がこの世界に戻ってくる器を残 す。」ということになります。この世界に戻ってくる必要が感じられなくなっ てしまった今、私は子孫を残す必要を感じなくなっています。  「子孫を残す本能」というのはどうして生み出されたか? これは面白いテ ーマですね。それはたぶん、この宇宙の根本的創造者が自分でこの世界を味わ い楽しむ為の方法だったのではないかと察します。  つまり、自分が生まれ出てくる器を造っては記憶をいったん消去して又、生 まれ出てくるということを繰り返し、そういう生命の輪廻をつくり出すことで、 この世界に多彩な様々なものを造り生み出してきたわけです。  そのための条件として、欲望というものが必要でした。SEXしたいという欲 望、生まれてきた自分の子どもを大切に育てたいという欲望、これはこの世界 を創り出すための必要不可欠な要素です。その欲望が生命になかったならばこ の世界は変容していくことはできなかったでしょう。そういうイメージを私は 持っています。  多くの人の「子どもを残したい」という願望を聞くと、その目的が曖昧だと 感じたことがあると思います。だからこそ、「本能」と言ってしまうのでしょ う。でも人は、子孫を残すか残さないかを意識的に選ぶことができます。どち らでなければならないということはないと思います。  ただ私は、自分が今の世代の子孫となって生まれでたときに今生きている人 人の歪みを背負って生きていくのはしんどいと思うことから、「やーめた。」 と思ったわけです。  ところが、私が「やーめた。」と言ったからといって、誰もが子供を作らな いでおこうとは思わないだろうということも知っています。だから結局私はそ の誰かの作り出した子孫として生まれてくることもあるということにはなりま す。でも、私が止めたと思うことで少なくとも五十億分の一位のリスクの回避 にはなるだろうと思います。更に、こうやって自分の思いを伝えることで、も しかしたらかなりの大きな要素として、リスクを回避する可能性すらあると考 えています。  自分の利益だけを考えるひとをエゴイストというならば、私ほどのエゴイス トはそうは居ないでしょう。私的な考え方をすれば、冷静なエゴイストである ことが望ましいですね。そうすれば、1000年先、更にもっと先までも幸せで 居続けることができるだろうと考えてます。あまり目先の利益に囚われすぎる と、そのちょっと先で躓くのが事の常のようですから。  もう一つおまけを付ければ、私は誰かから教育や、躾されるようなことは嫌 いなものだから教育や躾は勘弁して欲しいなと思っています。子どもには、子 どもでなくても誰にであっても元々自分で必要なことを学び、目の前に立ちふ さがる障害を乗り越えて行くだけの能力があると私は考えています。その力を 踏みにじってしまったのが教育であり躾だと私には見えてます。教育だとか躾 だとかの観念の押しつけを止めて、より子どもの能力を信頼したところから対 等な存在として子どもに接したならきっと子ども達は自らの力で様々な困難を 克服していく事と思います。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/07/03 22:42:54> **