「分かりましたっ、もういいですよ。」と凍え人は声を荒げた """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/07/06 - 07930/07931 GED01563 水戸黄門 可能性の秘密 ( 7) 96/07/06 02:38 響きあい。愛。。愛とは可能性を広げること。可能性を落とすことは犯罪、天使 からみると人はエネルギーなどなど。天使はこうした言葉を私たちに伝達した。 覚えておくがいい。人は愛の生き物なり。最近、なんとなく、こうした言葉はす べて愛という言葉に集約されるのではないかと思うようになった。覚えておくが いい。人は愛の生き物なり。 人はすなわちエネルギー。エネルギーは可能性。愛はこのエネルギーを強化す る。人のエネルギーを強化しあうことが響き。人のエネルギーを奪うことが愛の 反対。人は人を支配しようとし、支配とは人からエネルギーを奪おうとする。そ のエネルギーは愛であり、人は人から愛を奪おうとする。そのエネルギーは愛だ から、人は愛の生き物。欲は愛を奪うもの。同時に欲は愛を与える源泉。 うまく言葉にできないが、なにかぼんやりとわかってきたような気がする。 会議室での論争は、愛を奪う行為となりうる。人を支配しようとする論争は、 相手を打ち負かそうとし、相手の可能性を摘む。 96/07/04(木) 01:11 水戸黄門(GED01563) - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/07/06 - 01193/01193 GFB00026 一輝 書評『言語道断!ホーキング青山自伝』 (12) 96/07/06 07:02 01181へのコメント ●書評『言語道断!ホーキング青山自伝』ホーキング青山著・情報センター出版局刊 「見せ物小屋へようこそ!」  これが、先天性多発性関節拘縮症のコメディアン、ホーキング青山氏のお笑いの 一場面のセリフだ。彼が待ち合わせの東京タワーに現れた日、「いったい車椅子で ここまでどうやって来たのですか」と、聞こうと思ったが、私の中の「こんな話は 聞いてはイケナイ」というヒューマニズムが邪魔をして、ただ私はニヤけて突っ立 ったまま、名刺を差し出すのだった。  彼のギャグを聞いていると、いかに私たちが安っぽいヒューマニズムの世界に生 きているのかの、化けの皮を剥がされてしまう。それはそれは恐ろしいもんだ。障 害者が障害ネタで笑いを誘う。鋭い観察眼で人々の善意までもが笑いのネタとして、 ホーキング青山氏のまな板に乗せられる。それを障害者も笑っている。それを私が 笑って良いのか悪いのか、ああ、でも思わず笑ってしまう。だめだ我慢出来ない。 そう悩む自分がこれまた恐ろしく馬鹿に見えてくる。いったい誰が障害者なんだ!  今やヒューマニズムは抑圧の権化だ。ヒューマニズムは恥ずかしい! ○目次より   第1章 はたして私は不幸なのか?       1 私はかわいそうか?       2 人はなぜ私がかわいそうなのか?   第2章 私には何ができるのか?       1 生まれて初めての単独外出       2 車イスの上の夜       3 障害者年金20万円の行方   第3章 私を取り巻く人々について       1 笑いの中にある本音       2 母の教え       3 恋愛論・SEX観       4 突然プロレスの話です   第4章 こだわっているのは誰か?       1 一人暮らし実現計画       2 将来の夢、私の構想       3 信仰は本当に人を救えるのか?       4 障害者は障害者をどう見ているの?   特別付録 ホーキング青山、自分史を語る ○帯より     『障害を”かわいそう”と思うか      ”個性”と思うかで生き方は変わる      青山も あなたも』                  ……………大川興業総裁 大川豊                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 P.S. 『異端の小国』(岩上安身著)という小人プロレスの本も面白いそうだ。 これはまだ入手していないので、お読みになったどなたかに 書評のチャンスをお譲りします(^^;)。 01192/01193 GFB00026 一輝 RE:21世紀・予定不調和耐久レース (12) 96/07/06 06:54 01121へのコメント >#1121 喜久井さん |不安も不安の原因も、解決方法は自分の中にしかないのですからね。 |根気のいることですが、元から断たなきゃ悪化の一途です。 ……………そうですね。誰かが解決してくれるとウロウロ捜し回っているから、      いつになっても本質的な問題が先送りになってしまうんです。これ      には、解決法を外部に求めてウロウロする自分に、スッパリと諦め      て頂くしかありませんね。まったく根気のいることです。 |”21世紀・予定不調和耐久レース”に勝ち残るためには、やっぱり |タフな精神力を持たなくては!>弱っちぃわたし ……………自分にも言い聞かせていることなんですが、迫る困難を「〜された」      と誰かのせいにしてしまうよりも、「自分が選んだこと」と腹をくく      ってしまうことが大事なんですよね。挑戦的な選択を選ぶことで、ひ      とつひとつ人生が自分のものになってゆく。この耐久レース、自分に      負けるのも自分ならば、自分に勝つのも自分。がんばりましょうや!                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/07/06 - 04853/04853 GGA02514 KAZE 中道論15●風説維摩経8 (13) 96/07/06 12:17 04799へのコメント さて、続いて「仏道品」に入ります。 この「仏道品」は、「仏道とは何か」ということをめぐって、 維摩と文殊菩薩とが議論していくという設定になっています。 まず、文殊菩薩が維摩に「菩薩はどうして仏道に通達するか」を聞きますと、 維摩は「もし菩薩は非道の中を行けば仏道に通達する」と答えます。 さらに文殊は「菩薩が非道の中を行くとはどういう意味であるか」を問うと 維摩は、「もし菩薩は五無間に行くとしても、悩みも恚りもなく、 地獄に行っても罪や垢れがなく、畜生道に行っても無明と驕慢などの過がなく…」 という感じで答えていきます。 ふつうだと、「仏道とはどうあるべきか」と問えば、 「正しき道を歩め。正しき道とはこれこれこういう道である。」 こういうふうに答えるのが常識的な在り方ですが、 ここでは、「非道の中を行く」ことを説くわけで、 外的な戒律によって、「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」と 事細かく縛って修行させるのとはまったく発想を逆にしています。 ほんとうに、恐ろしい修行の仕方を説いていて、驚くばかりですが、 よくよく考えてみると、外的環境を制限することで得られることは、 隔離病棟のなかで辛うじて病が進まないようにしている状態に 比較することができるように思います。 もちろん、それが必要な場合もあることは確かですが、 その隔離病棟を本来の修行の場だと思いこんでしまう勘違いは これほどおそろしい勘違いはないのだともいえます(^^;)。 真に「正しき道」である「八正道」というのは、 隔離病棟としての「八正道」なのではなく、 過酷な環境にありながらも、みずからの自由意志によって、 その歩むべき道を見失わないものでなければならないということなのだと思います。 ちょうど「いか超」の読書会で、「内的平静」についての行について 少しご紹介したところですけど、その行も、日常的な環境にあっても、 そこでみずからを失わず、高次の自己を見いだすためのものです。 さらにその「非道を行じる」ことがどういうことかを説明するための 問答が展開されていきます。   まず維摩が聞いた。「何を如来の種としますか」と。これに対して文殊師利   は答えた。「有心を種とし、無明、有愛を種とし、貪、瞋、痴を種とし、四   顛倒を種とし、五蓋を種とし、六入を種とし、七識処を種とし、八邪法を種   とし、九悩処を種とし、十不善道を種とします。一言でいうと六十二見や、   一切煩悩がみな仏の種になります」と。(P188) 隔離病棟では、患者にふさわしい病人用の食事や薬が与えられ、 それによって患者はなんとかその身を保っていくわけですが、 真の在り方としては、やはり、そうした「特別食」や「薬」ではなく、 世にある「毒」までをふくんだすべてを滋養にしていく必要があります。 まあ、ここでは、これでもか、これでもか、という感じで、 「有心」「無明」「有愛」「貪、瞋、痴」「四顛倒」「五蓋」「六入」「七識処」 「八邪法」「九悩処」「十不善道」と、よくもよくも並べ立てたものですが、 こうしたすべてを排除せよというのではなく、これらすべてが「種」になる! あらゆる偏見や煩悩こそが「仏の種」になる!というわけです。 つまり、端的にいうと、「悪」こそが「善」の種になるということになります。 仏道も高次の段階の行でいうと、ここまでこなければ嘘だというわけです。 もちろん、そういう「悪」になりなさいということではなく、 その「悪」とともにありながら、その「悪」にとらわれず、 しかもそれを「種」として、それを変容させ、「花」を咲かせ、 「実り」にしていきなさいということです。 さらにいうと、菩薩とは、衆生を救うためなら、 たとえ地獄の中にさえもその身を捨てるのだといいうのです。    火中に蓮華を生ずるは、是れ希有なりと謂いつべし。(P197)    「火中に蓮華を生ずる」というのは、よく聞く言葉ですが、 自分だけを純粋に保って、悟った気になるのが菩薩なのではなく、 世の最も汚れた中にまで降りて行って、そこを変容させるのが菩薩です。 ま、言うは易しですが、これはほんとうに難しいテーマです。 火事の時に、炎の燃え盛るなか、炎のなかにいる人を 救出するような、そんな困難なことなんですよね。 しかも、その火中にある人は、自分が火中にいることを知らなかったりするわけで それこそその「無明」の人を相手に、その人の手を引いて、 そこから救出してこなければならないんです。 悪くすれば、自分もその炎に焼かれて死んでしまいかねない役目です。 ちなみに、この話は、法華経の「譬喩品」の有名な「火宅の喩え」のイメージです。 一応、参考までにそれをご紹介しておくことにします。   ある長者の家に火事が起こって、しだいに燃え広がっていった。家は焼け落ち   ようとしているのに、長者の子供たちは家の中で遊びに夢中になっていて逃げ   ようとはしない。長者が「早く外に出よ」と言っても耳に入らない。そこで長   者は一計を案じた。子供たちに向かって「家の外に美しい車があるから、早く   出てきて、取りなさい」と言った。子供たちは争って門の外に出たので、火に   焼かれることを免れることができた。   (鎌田茂雄「法華経を読む」(講談社学術文庫 P69)    さて、さらに維摩はその身を自由自在に現わしながら、衆生を救うことを説きます。      あるときは現じて淫女となりて、諸の好色の者を引き、先づ欲の鉤(かぎ)   をもって牽(ひ)きて、のち仏道に入らしむ。(P199) これこそ、みずから身をもって「方便」を使いながら、 炎の外に導いていく菩薩の在り方ですが、こうした「方便」を使うためには、 そうした「色」や「欲」を体現できるほどに理解していなければならないわけで、 こういうのを読むと、きわめて高度な仏教の考え方だと、 ほんとうに感心ばかりしてしまいます。    さて、次回はいよいよ、維摩経の核心である「入不二法門品」に入ります。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/07/06 - 01020/01022 BYI17604 虫人 RE:もし,エイズが流行していなければ・・ (19) 96/07/05 17:28 01014へのコメント 喜久井 町子さんへ >>>「交通事故は車を運転した罰だ!」というのは車の運転を職業にしている人 >>>に対して失礼ですよね?同様に前述の発言は『いかがわしい性行為』を職業 >>>にしている人にたいして失礼です。 >> >>この場合、「いかがわしい性交為」と比較するなら、普通の運転手よりも >>暴走族にしたほうが、バランスが良いと思いますが、いかが? >>普通の運転手と釣り合うのは、特定の人とセックスをしている人々だと思うの >>ですが(^^)。 私としては ___________________________________       性行為             車の運転      性行為のよって他人に迷惑をかける人 =  暴走行為をする人 (性犯罪者も含む)                      (日常の足として) 特定の人とだけセックスしている人  =  マイカーだけを運転している人            不特定多数の人とのセックスを楽しむ人=  アマチュアレーサーや                      ツーリングを趣味にしている人                        性行為を職業としている人      =  プロのドライバー (プロとして当然、普通の人には      (普通の人にはできない運転を    できないようないかがわしい性       する技術を持つ)  行為を多数の人と行う場合もある) ___________________________________     という例えが正当だと思います。 性行為のプロはアマチュアよりも危険にさらされており(プロのレース競技は 一瞬の気の緩みやちょっとしたマシントラブルが事故に繋がります)、 また、プロは多数の客と性行為をしているので性病に感染しやすく、いったん 感染すると多くの人に性病を拡めてしまいます(マイカーの事故よりもバスの 事故の方が被害者が多い)。特定の人とだけセックスしている人(=マイカー だけを運転している人)の方が安全なのは確か?ですが、性行為(車の運転) に危険がつきものなのは当然で、性病(交通事故)はプロだけが起こしている わけではありません。プロはプロとしての自覚をもって性病対策をするべきで あるし、アマチュアもそういうプロに対してはそれなりの敬意を払うべきでしょう。 01021/01022 QZY01267 猫の手 躾、教育について (19) 96/07/06 07:02 01015へのコメント  喜久井さん、私の発言の元になっている意味を理解していただいてありがと う。    そうなんです。子孫にも、嫌な相手にも、困った相手にも、私がなるときが 来る。そういうイメージが私の中にあるために私は躾とか教育が厭なんです。 そして、喜久井さんの子どもとして生まれたときに躾なんかされてはたまらな いので今の内にそんな必要ないことだけは伝えておこうと思います。  たぶん、躾が必要だと思っている人の気持ちには、子どもがより社会に適合 した人になって貰いたいという願いが込められていると思います。そして、た だ単に放任してしまっては社会に適合できないと考えているのだろうと思いま す。喜久井さんのおっしゃることはそう言うことですよね。  でもね、人間の子どもが放任されてしまったら生きること自体が難しいので はないかと私は思うよ。何らかの手を加えない限り人間の子どもって、生きて はいけないんですよね。  となると問題は、どういう手の加え方を子どもに対してするかという事だろ うと思うんだけど・・・。  つまり放任された子どもが居るわけではなく、丁寧な扱いを受けた子どもと 粗雑な扱いを受けた子どもが居るわけではないかと思います。(私が何を丁寧 と考えているかはこの後の文章から察して下さい。)    私の姿勢の基本は、「知らないことは教えてあげればいい。」ということ と、「やって貰いたいことはお願いすればいい。」ということだけです。  多分それだけのことで、「子どもがちっとも言うことを聴かない。」と嘆い ている親の苦労が五分の一に減るでしょう。更にそこに、子どもがしてくれた ことに対して「ありがとう。」という感謝からくる言葉掛けと、子どもの話し 掛けてくることに対して「そうなの。」という共感からくる言葉掛けで更に苦 労はその五分の一に減るでしょう。  合わせて二十五分の一に苦労が減ってしまうはずです。いや、もっとそれ以 上であると共に、何処で何をしていようともより社会と協調していけ、幸せを 感じていられる大人になることを私は請け合います。  そのような育児法の中には「躾」という言葉や「教育」という言葉は出てき ません。子どもは親の言った言葉から学ぶのではなくて、親のやっていること を真似ながら学んでいくのですから、子どもが粗暴なのは、親が、もしくはそ の子どもの付近にいる大人達がその子どもを粗暴に扱っているという事に他な らないでしょう。  エッ? そんなことで粗暴な要素を持って産まれた子供が自分自身を律っす る事ができるはずがない。 そうおっしゃる方も居るかもしれません。 でも、 子どもが初めから粗暴だったわけではないとは思いませんか? ただ単に親の 映し鏡をしているにすぎないように私には見えるんだけどな。  ところで、この世界には心理カウンセリングや、セラピーを生業としている 人が居ます。その人達がクライアントに対面するとき、躾や教育をしていると 思いますか? 多分相手が粗暴なクライアントであればあるほど(要するに重 症なクライアントであればあるほど)、クライアントに躾や教育をしていると 感じさせてしまった時点からクライアントは心を閉じてカウンセリングやセラ ピーは失敗に終わるはずです。  つまり世の中には躾や教育(相手が知りたいという事を教えるのは私は教育 とは呼ばない。)をせずにより社会に適合し、より良い生き方ができるように してあげる方法があるという事です。更にもう一つつけ加えれば、彼ら専門職 のなかのスペシャリストはそれまでの扱いがへたくそで重症になった人をも立 ち直す技量を持っているという事です。つまり、白紙の状態の子どもに接する 母親はそれほどのスペシャリストにならなくてもより社会に適合した幸せな子 どもを育てることができるということです。  ルールを知らないようだったら教えてあげればいい。ルールに関係なく自分 に厭なことはお願いすればいい。そして、当たり前にしてくれていることを悦 んで感謝の気持ちを伝え、子どもが伝えたがってることに共感してやれば、多 くの人に好かれる(要するに社会に適合してしまう)幸せな大人に成長してい くことでしょう。  「教えたのにやらない。」と怒って、更に教え込もうとしたって、相手は知 っていてやらないのだから、教え込んだからといってやるようにはならないと 思うよ。力でそうするように押さえ込んだらきっと後で恨みを買って復讐でも されるのが関の山だろうね。そういうことをしていることを世の人々は躾とか 教育と呼んでいるような気が私にはするのだけれど、それは私の偏見なのかな?  私はそういうことを躾とか教育と呼んでいるけれど、私の見方と違う、実際 に躾られる私が悦んで聴きたくなるような躾方法ってあるのかな?  幼い子どもはね。自分の目の前に起こる総てのことが自分の責任だと思って いるよ。お父さんとお母さんが喧嘩をしてれば自分がその元を造ったのではな いかと一生懸命にどうしたら良いかを考えている。そのうちに大人のすること を真似するようになり、自分への責任の回避の仕方を学んでいくの。  子どもはネ、親が叱って子どもに言うことを聴かせることで親が自分の責任 を回避していることを見抜いているよ。  これだけのことを伝えておけば、少しは私も喜んで喜久井さんの子どもにな ることを選ぶ気持ちになれるかな?  少なくとも、子どもである私と対等に接したいと思ってくれているお母さん になってくれそうだから。   ** QZY01267/『猫の手』 <96/07/05 22:24:08> ** 01022/01022 MHA01114 シュメ−ル おひさしぶり。 (19) 96/07/06 08:14  DUNさん、MID HEAVENさん、お久し振り。私も昔、パーカッションなんぞ をやってました。みんな叩くのが好きみたいですね。パーカション系の人間と、 メロディライン系の人間って区別できるかもしれない。  7月にはいってやっと時間がもてるようになりました。『アルクトウルス・ プローブ』を読んでます。アルクトウルスってこんなに太陽系に関わってたっ てのは意外でした。ルシファー理解もうなずける所が多い。でも、じっくり読 まないと、ルシファーさんが単なる悪人に受け取られるかもしれない。この我 々の太陽をふくむ銀河の辺縁系に繰り広げられた物語はじっくりと時間をかけ て読み解く価値がある。同時に、このアルクトウルス物語をジグソーパズルの 一片として眺める視点も維持しなければならない。宇宙パズルを見通す鍵は今 回はルシファー。彼のこのアルクトウルス物語への投影断面は以下が象徴的だ。 「光であると同時に、私はエゴだ。エゴは、分離状態において力を維持する。 第6次元の光と、第3次元のエゴの組み合わせが、私の動きをあまりにも矛盾 に満ちたものにした。またそれにより、私の行為は容易に誤って知覚される。 絶対的な意味において、良いとか悪いとかということは存在しない。それゆえ に、私の行為すべての効果は、究極的に創造的であり、光へ向かう進化要因を さらに深める。」    (『アルクトウルス・プローブ』 ホセ・アグエイアス著 たま出版  1900円 P259-260 ) ルシファーさんがここの銀河で活躍することになるシナリオを我々の銀河系の 中心意識は知っているだろうし、プレアデスにこの銀河へのアクセスポイント を置いたマヤさんたちもそのインタ−・銀河の全体風景を俯瞰しているようだ。 HALさんがルーさんと親しいのもHALさん自身がこのマヤのアクセスポイ ント経由でこの銀河にやってきているからだと思う。(でしょ?>HALさん) それじゃ、マヤさんたちって何者なのかというと、彼等自身が語っているよう に、「5次元から7次元に浸透」し、「私たちが最初に時間をマスターした者 であり、時間をマスターすることにより、空間を越えることができる」(前掲 書 p191)存在なんでしょう。ま、宇宙にインターネットを付設した人達と 思っておけばいいんでしょう。とすれば、他の銀河系の記憶をもっているいわ ば正式なパスポートをもっている人達ってのは大抵、マヤさんたちが設置した アクセスポイントのお世話になっているって事でしょうか。プレアデスが面白 いのは日本の神戸や横浜みたいに異文化が入って来るところだからということ だと思うんですが、その港をつくったのがこの本によればマヤさん達みたい。 ま、密入国ってのがあるから、いちがいにはいえないでしょう。逆にいえば、 マヤのお世話になってないで、地球にきている人達ってのは要注意ってことか (思い当たる人が、ここのメンバーにもいそうな予感あり。それぞれの記憶回 復に期待したいところ)。その意味で、ドタバタ闖入者みたいにあらわれるH ALさんってのは実は、まっとうな宇宙警察コロンボだったりする。  ルーさんが死の領域を扱うってのは、もっともな感じがする。3次元的な分 離のリアリティを設定するってことは、当然分離できないものを分離しちゃう わけで、その補正というか切りかすというか、表現できなかった部分を表現す る領域を作ってやらないと、宇宙のバランスがたもてない。リサイクル、資源 回収システムというか、全体への回帰機能。うちの銀河のこの太陽系に宇宙の ならずものが集まったってのは、いってみれば、ルーさんのせいといえないこ ともないわけですが、彼だって、この銀河に頼まれてやってるわけで、単に役 割分担にすぎない。創造があるところには破壊がある。なにも彼はならずもの を引き寄せる磁石だけじゃなくって、宇宙の創造プロジェクトの一環なはず。 これがここ数年話題になっている宇宙シフト。宇宙の情報センターというより は、宇宙情報シード構想。生殖細胞の分化過程として理解したほうがいいので はないか。