村長は怪訝な顔をして凍え人を見た。梟の鳴き声がする… """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/07/12 - 04175/04176 KFQ02761 しまうま マヤ族関連追加情報(^^; (14) 96/07/11 13:54 04142へのコメント コメント数:1 #04142 SOUNDさん  こんにちは〜(^^)。  『マヤ文明の謎』(青木晴夫著・講談社現代新書)に、マヤと日本のつなが りをにおわせる情報がありましたので、ご報告しますm(__)m。 ◎民族の指導者  マヤ族のマヤの指導者には、暦や天体の知識が必須だったし、太陽が止まる ことなく運行を続けるように努力せねばならなかった。  一方、日本の指導者(天皇)は「ひじり(日知り)」であり「ひつぎ(日継 ぎ)」であった。 ◎王位の継承  マヤ族の王位は、鏡の受け渡しで継承された。  日本では、鏡・剣・珠・比礼などが王位継承の証とされた。 ◎新年の行事  マヤ族は、一年の終わりにかまどの火を消し、神官が新しくおこした火をも らって、新年のはじめの食事を準備した。  日本でも、古くはこういった習慣があり、今でも神社の初詣で火をもらって きて、その日で食事を作る習慣を残す地方もあるという。  うーん、「日本とマヤのつながり」を確定するにはまだちょっと弱いかもし れませんが、調べてみるともっと面白い共通点が見えてくるかもしれません。 とりあえず、マヤ族の神話の周辺を、もう少しあたってみようと思っています(^^)。  ともかく、ユーラシア大陸からアメリカ大陸に人類が移住した、というのは、 学説として確かに認められているみたいです。ただ、「特定の民族」「特定の 文明」と、マヤ族のつながり、というのが決定的に証明されていない、という ことのようです。  あんまり当てにならない情報でしたが(^^;、また何か分かったらご報告しま ーす(^^)/ デハデハ。 しまうま(KFQ02761) 04176/04176 KFQ02761 しまうま RE:マヤ族関連追加情報(^^; (14) 96/07/12 01:22 04175へのコメント  さらに追加でーす。  『マヤ・インカに縄文人を追う』(野口赫宙著・新芸術社)によれば、マヤ 数字の記述方法と新羅人(漢民族)の数字の記述方法が酷似しているそうです。 ◎マヤ数字 (1)  ・   (2) ・・  (3) ・・・  (4)・・・・ (5)____ (6)  ・   (7) ・・  (8) ・・・  (9)・・・・ (10) ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄ ◎新羅人(漢民族)の数字 (1)  |   (2) ||  (3) |||  (4)|||| (5)____ (6)  |   (7) ||  (8) |||  (9)|||| (10) ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄  よーするに、1を「・」で表すか「|」で表すかという違いだけのようです。 これを「偶然の一致」だけでは片づけるのは無理があるなあ、と思いました。  また、北アメリカのインディアンは狩猟を専業としていたのに対して、中部 アメリカのマヤ人および南アメリカのインカ人は農耕を営み、手工業もかなり 発達していたようです。で、これは「北アメリカのインディアンとの民族性の 相違」を示すものだと考えていいみたいです。  北アメリカのインディアンが「狩猟」民族であった、ということは、従来の、 「アジアの古代狩猟民族が、獲物とする動物たちの移動を追って、ベーリング 海峡を渡り新大陸にやってきた」という説に何ら矛盾するところはありません。  しかし、南米に住む「農耕」民族が、くそ寒いアラスカ大陸のほうを通って 新大陸に渡り、そこからわざわざ南米まで南下した、というのは、ちょっとう なづきかねる気がします。  今のところ、マヤ族とインカ族の祖先が、太古の海を渡って新大陸を訪れた、 という説は学会では認められていないようです。しかし、日本人は縄文期にす でに「刳り舟」(木をくりぬいた丸太舟)ではなく、木を組んだ「構造船」を 建造していた、という説も最近出てきていることでもあるし、古代人が黒潮に 乗って新大陸に移住した、という可能性も否定しきってしまうことはできない、 というのがこの本の著者の意見です。僕も、今のところそう思います。  さらに、エクアドルで発掘された土器(バルディヴィア土器)と縄文土器の 共通性は、極めて高いそうです。エヴァンズ博士という人が、千葉・堀之内、 九州・岩崎、本州・勝坂の3カ所から発掘された縄文土器と比較したところに よれば……。  ◎バルディヴィア土器と日本の縄文土器の年代が同時代。  ◎制作方法と形が酷似している。   ・ヘタの付け方が同じ(指圧で縁を整えている)。   ・組み合わせの方法が同じ(←何の「組み合わせ」なのか不明(^^;)。   ・ジグザグ模様が同じ。   ・壺の内壁の曲がり具合が同じ。  とのことです。  また、同じ著者の記述によれば、繁栄していた当時のマヤ人の平均身長は、 日本の縄文人とほぼ同様の156センチであったそうです。  現在も、純血を守っているマヤの人たちは、アジア人(特に大陸系の)と同 じ顔立ちであるとのことでした。  また、インカ人の歯の並びは「前歯が8本」「門歯の裏側がシャベル型」と いうモンゴリアンの特徴を備えているそうです。  うーん、本のタイトル(『マヤ・インカに縄文人を追う』)を見たときは 「この本は決定的だ!」と思ったのですが、それほど決め手になるような話は なかったです(^^;。もうちょっとじっくり探してみますね。  ではでは(^^)/。 しまうま(KFQ02761)