「凍えさん、本当の話をして下さい」と焚き火民は丁寧に言った """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""" - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/07/13 - 01221/01227 GFB00026 一輝 RE:ニューエイジの光と影「麻薬後遺症」 (12) 96/07/13 07:00 01220へのコメント コメント数:1 >#1119 2019さん(2) 長いので発言を分けました。 |ドラッグは自然に対しての感受性を高めるとよくいわれます。それは逆にいえば、 |その人が日常の生活のなかでいかに「自然」に対してこころを向けてなかったか、 |ということの現れでもあるはずです。もともと、日本人は日常のなかに自然をと |りこみ、自然のなかに美を見い出す文化を持っていたはずです。そのことを真に |理解すればもはやドラッグなど必要ないこと、むしろ手段が目的となってしまっ |ている愚かさに気付くのでしょう。 ……………そうですね。その通りなんですが、それなら何故その●氏は、お金のか      からない禅を人々にすすめないのでしょうね。今、彼らは『カリフォル      ニア・トランスパーソナル心理学会体験ツアー』エコノミークラス9日      間を458000円で募集していますが、言っていることとやっている      ことがあまりに違います。”たった一杯の自然の湧き水、そのことの有      難さ”を説く人がやることではありません。真の仏教者がやることでも      ない。先の繰り返しになりますが、それはあくまでも商売だからです。      これで生計を営んでいるからです。      例えば親鸞が『佐渡島・日常のなかに自然をとりこみ、自然のなかに美      を見い出す体験ツアー』割安コース9日間を45両8000分なんての      をやったことはないはずです。”たった一杯の自然の湧き水、そのこと      の有難さ”に真に気づいた者なら、とっくに次のことへ取り組んでいる      はずです。いつまでも、”たった一杯の自然の湧き水、そのことの有難      さ”の体験にこだわっているのならば、それこそ「始まりのドア」と「      終わりのドア」を勘違いしているからに他なりません。もし、その体験      が何らかのワークショップの間に起きたことならば、それが”自覚無き     精神的外傷”なのです。私はこういった人々にたくさん会いましたが、      一様に自らの覚醒体験(グッドトリップ、バッドトリップを問わず)へ、      一生拘り続けようとしているふうに見えました。まるで、そこから先に      は進みたくないかのようでした。      また、●氏が、サイケデリックのバッドトリップ体験をしたということ      ですが、その方が今ドラッグをやっていないという保証はどこにもない      (やっているという保証もありませんが)のです。なぜなら、●+■で      は、こんな美談は誰でもひとつやふたつ事実に脚色して話せましたから。      また美談は自分にとって誠に都合の良い自己正当化になり、ゲストに話      していると、なんだか自分が「あたりまえのことに感謝し、敬い、愛す      る、いい人、ヒューマニズムしている人」に思えてきて、時には話術を      忘れて心地良い気分になったものです。今思い出すと、恥ずかしくてな      りません(^^;)。私はやりませんでしたが、相手が異性でこの手の美      談に盛り上がると、ホロロとした相手とナンパにしけ込む者もいました。      ●+■は、今の形態に至るまで分裂したりかなりゴタゴタがあり(これ      は主幹の■氏の自己中心的な在り方に原因があった為で、利害関係の直      接無かった者は何も実態を知らない)、その騒動と過去のドラッグの惨      状を知っている者を多く抱えたままの続行は危ないと、スタッフを入れ      換えて現在の新形態でやっているフシがあります。しかしこれも今まで      の汚物を拭ったにすぎなかったのではないでしょうか。なぜなら、逃亡      したはず(2016さんのお話にもありましたが、私が聞いているようにや      はり逃亡だったんですね)のハードジャンキー■氏は今でも●+■へ出      入りし、ハワイから帰国のたびにワークショップを開いているからです。      ただし、そんな中でも、 |           トランスパーソナルは何か、そのワークショップはどう |なのか参加したことのない僕はよく知りませんが、今の僕がドラッグのトラウマ |から抜け出し、現実を見つめはじめるきっかけのひとつに●+■のT氏との対話 |があったことは事実です。      と、2016さんが現実を見つめはじめるきっかけを見出したことは、収穫      だったと思います。本当に良かったですね。私も彼らの表のツラと裏の      ツラの違いを見聞し、そして自分の表のツラと裏のツラを自覚するに至      り、現実を見つめはじめる、ほんの最初のきっかけを得ました。                FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01222/01227 GFB00026 一輝 RE:ニューエイジの光と影「麻薬後遺症」 (12) 96/07/13 07:03 01221へのコメント >#1119 2016さん(3) 次は、ニューエイジの本質的な部分へ斬り込んでみたいと思います。 |僕はいずれ、意識革命は起こると信じています。それは今も変わりません。 |しかしそれは自分の父、母、そして年寄りから子供までが、ゆっくりと参加する、 |何世代もかかる静かな変化だと思っています。 ……………私も長い間そう思っていました。でもだんだん現実を見てゆくにつれ、      そうは思わなくなったのです。その理由は「1.世の中の誰もが意識革      命を望んでいるわけではないこと」「2.誰もが同じ意識の変化を体験      するということはあり得ないこと」「3.意識革命は日常的なものであ      り、本人が求める限り日々死ぬまで終わらないので、敢えて”革命”な      どと名付けて特別視する必要はないこと」だからです。もっとあります      が、ここら辺で止めておきます。      例えばこんなことがありました。自分がLSDで覚醒したと思い込んで、      LSDをいろんな友人に与えて、いわゆる超絶体験を勧めていた頃の話      です。わりと私のまわりには、哲学的なことに興味を持つ友人が多く、      トリップ中には、これが「神秘体験かー!」などと感動に泣く者が結構      多かったのですが、その中で一番インテリと思われていたヤツとトリッ      プしていたら、「うひょひょー、あのさー▲君のことだけど、あいつの      カミさんて黒人だろー。あんなの抱いて猿みたいだって思わないのかね      ー、わっはっはー!」と、突然言いだしたのです。「笑いが止まらない      よー!」と芝生を転げ回りながら。このとき、私は半殺しにしてやろう      かと思いましたね。本人の嗜好傾向と実際の生き方が、必ずしも合致す      るとは限らない。      またあるとき別の友人は、JRのトイレで小便をしながら、小窓から見      えるホームの光景を見ながら、”天恵の如き覚醒に目覚めた”と力説し      ます。ホームに入ってくる列車を見ながら、「俺だけは皆とは違う人間      だ、となんだかんだ言っても、けっきょく俺は、あのホームに入ってき      た列車に、みんなと同じように乗っているんだ。なんて俺は傲慢だった      んだ。今までなぜ俺は、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう!      」と感動し、ズボンのチャックからイチモツを出したまま、そこで泣い      たそうです。彼は「あの時、ホームに列車が入ってこなかったら、俺の      人生はどうなっていたことか。俺は今でもあのトイレに感謝している」      と言うのです。その友人はドラッグをやっていません。      これらは、「誰もが同じ体験をしたからと言って同じ認識を得るとは限      らないこと」を表しています。ブッダの道で落ちていた覚醒の石は、ブ      ッダにしか見えません。「ブッダと同じ道を歩めば、誰もが同じ石が見      つかる」など述べるのは、”最初のドア”を”最後のドア”だと思い込      んで、ドアを開けずに引き返して来てしまった者の慢心であり、「誰も      が自分やブッダと同じドアを開けたがっているなど」と述べる至っては、      傲慢以外の何者でもありません。LSDやワークショップに覚醒の拠り      所を置き、料金を取るなど、もっての他です。これはかつての私自身へ      の自己批判を兼ねます。何もかも自分でやり遂げねば、自分の人生の糧      にはならないのです。 |あたりまえのことに感謝し、敬い、愛する気持ちを誰もが無理なくもつ生活。 |それは4時間や8時間で終わるようなヴァーチャルなものではないはずです。 ……………同感です。出会いは自己の内部での、気づきのきっかけにはなるかもし      れない。しかし、トランスパーソナル学のように、気づきそのものが外      部(ドラッグ・グッズ・ワークショップ・著名人・海外からの輸入思想      )からもたらされるなどという、依存心に耽溺する甘ったれた幻想は、      ”自分は一般人とは違う覚醒した人間だ”というエリート意識だけは強      めますが、それは単に”自分を偽る新たな仮面”にしか成り得ません。      ●+■は”意識変容のスタイル”にとらわれすぎていました。トランス      パーソナル心理学も同様です。”気づき”は、当人の切なる望みに応じ、      姿や形や時や場所に関係無く訪れます。大自然の中であろうと、都会の      トイレであろうと、”気づき”は環境に左右されるものではありません。      またニューエイジの著名人でなくとも、旨いラーメン屋のオヤジや、勤      続40年の旋盤工のジジイと話していたって、”気づき”はあります。      注意深く日々を送っていれば。「それでは気分が盛りあがらない」と言      う人は、本当に”気づき”を望んでいるのではなく、「気づいた気分に      浸りたかった」「気づいた気分に陶酔したかった」だけなのかもしれま      せん。そんな人にこそ、ドラッグやワークショップが用意されているの      です。      そして、用意されたこれらのコースの中で、”覚醒”と名の付いたドア      の前で宴会を開き、「なんでこんなことに気づかなかったんだろう」と      互いに「おーおースゲーなー」と感動しつつ、宴の中で熟睡してゆきま      す。彼らの台本(マニュアル)にあるセリフはいつもここまで。だから      ワンパターン。なぜなら、台本に無いそのドアの向こう側の世界を、自      力で誰も開けて垣間見たことがないからです。      私も彼らと一緒になって、”覚醒”と名の付いたドアの前で、いつまで      も大麻を吸って”ラリパッパな目覚めた気分”に興じていたのです。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01223/01227 GFB00026 一輝 サンカの現在 (12) 96/07/13 07:05 01124へのコメント >#1124 喜久井さん カメレスで、すみませんです。 いつも書き込みをありがとう。 |世の中にはっきりと痕跡を残さないで来たからこそ、彼等の民族 |が崩壊しなかったのかもしれない。だから、無闇に彼等を表に引 |っぱり出すのは、彼等に取っては迷惑なのかも。 |でも知りたい...^^;) ……………サンカというのは、古代〜中世の花形の職能集団だったと言われて      います。このことから、こんな話を聞きました。よく「人間国宝」      と呼ばれている人たち。彼らの作品には、カミに捧げる行為として      の宇宙観が存在していると思います。実は彼らもサンカの一派なん      だという話を最近、ある筋から聞きました。      秘密結社が名乗り出たら、もうそれは秘密結社ではないように、サ      ンカも同様に、名乗り出ないことにもまた、彼らの宇宙観の一端が      あるのかもしれません。宇宙人が全部UFOで現れて自らの存在を      誇示するとは限らぬように…。気が付いたらサンカだった、宇宙人      だった、障害者だった、というくらい、履歴に意味を成さない世界      を作ってしまいましょう(^^;)。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01225/01227 GFB00026 一輝 RE:書評『昨日超大国・明日最貧国』 (12) 96/07/13 07:09 01139へのコメント >#1139 怪僧わかめさん 初めまして。これからもよろしくお願いします。 |そうそう、件のヤコブ氏ですが、 | |間違いなく、日本人が書いていると思いますよ。 | |ただのペン・ネームだ、ぐらいの開き直りすればいいのに。 | |しかしイザヤ氏はきちんと連絡先まで用意していたのに、ヤコブ氏は |少し準備不足でしたね。 ……………連絡先を用意していないのは、取材を受けたくないことや、たぶ      ん印税目当てで書いていないからだと思います。本を出すことに      よってのみ影響力を持とうとする確信犯ですね。驚くべき調査能      力ですが、氏の調査は、単独で行っているのではないという話を      聞いたことがあります。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01224/01227 GFB00026 一輝 事件を目の前にして。 (12) 96/07/13 07:07 01130へのコメント >#1130 氷室さん おはようございます(徹夜明けですね)。 | 何はともあれ、最近の若者(自分もか?)は、「我慢」がろくに出来ない。 |ひどいガキになると、短絡的に暴力を振るったり、盗みをしたりする。 ……………もうメチャクチャですね。犯罪はよく見かけます。女子高校生2名      が、突然ジーンズショップから走って出て来たかと思ったら、店員      が「ドロボー!」と叫んでいる。近所を散歩していたら、小学校高      学年の女の子が、猫の首を思いっきり締めていたりね。すごい世界      だと思う。      私の高校時代も酷かったけど、私などは珍しい方だった。今は事件      の数が多すぎる。皆が自分を「いいヤツ」だと思ってヒューマニズ      ムこいている一方で、この社会は何をやっても見つからなければO      Kなんだと、どこかで思っている。      そーゆー現場を前に、いったい自分に何が出来るか。これがいま本      当に問われているんですよね。注意するかどうか、止めるかどうか、      追いかけるかどうか、通報するかどうか、見て見ぬふりをするかど      うか、日々選択を迫られますね。銃を持っているかもしれないし、      反撃も侮れない。一歩間違えると死ぬか生きるかになってしまう。      いつの間にか、アメリカに滞在していた頃と同じ危機意識回路を使      っている自分が居ます。総てポジティブに鈍く生きればいいのだろ      うけど、そうはゆかない。見て見ぬふりをしていると、なんだか自      分を裏切ったような気分になってくる。      一人前にならぬうちに、大人と同じ権利と自由を与えられる不幸。      当人はそれでいいと思っているかもしれないけれど、何の義務や      責任の自覚もないということは、それ自体が悲劇の始まりですね。      ガキに「お前も平等だから」と、無制限に権利と自由を与えたこ      とへの報復が、いま始まっている。少年法をきつくしたり死刑を      増やさないと、歯止めを失ったこれからの世界は大変でしょうね。      今まで崇めていた日本国憲法に、今度は苦しめられる社会が来て      いる。 |下手をすると、親の世代までがそうだったりすることも。 ……………これは大アリです。いつかマンションの玄関前で立ションしてい      るジジイが居たので、思いっきり「コラー!」と怒鳴った。よく      よく考えてみると、何で俺がオヤジを怒鳴ってるんだ。年齢的に      立場が逆じゃないのか? 子供の頃に「コラー!」と私を怒鳴っ      た、カミナリオヤジたちはもうみんな死んでしまったんでしょう      か。      あのカミナリって愛情だったんですね。今度は氷室さんや私がカ      ミナリオヤジになる番です。がんばりましょう!                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/07/13 - 04870/04872 GGA02514 KAZE 風の本棚●聖書の土地と人々 (13) 96/07/12 15:58 ■曾野綾子・三浦朱門・河谷龍彦「聖書の土地と人々」(新潮社) 聖書に興味がでてきたのは、そう昔のことではなく、ほんの数年前のことで、 それまでは、仏教などにくらべて、そう親近感はなかったのですが、 今では、ちゃんと手元に聖書を置いておくようになっていますし、 特にキリスト教についての理解を深めたいとさえ強く思うようにさえなっています。 とはいっても、今ある宗教団体としてのキリスト教に 興味があるわけではありませんが。 そうした前置きはともかくとして、この本は、カトリックの作家夫婦である 曾野綾子と三浦朱門が、現地の案内役である河谷龍彦と 実際の「聖書の世界」をつくった土地と人間について 生き生きと楽しく語っているもので、 抽象的なかたちではなく、具体的な生きたものとして聖書の世界を実感するには 格好のガイドなのではないかという気がします。 とはいっても、ぼくとしては、実際のところはあまりに不案内ですから、 あくまでもぼくにとって、聖書の実際の背景としての風土が よくわかったということです。 では、いくつか引用紹介を。   河谷 旧約の厳しさというかユダヤ人の厳しさに対する福音の愛は、イエスの   背景に厳しい砂漠の姿を置かなければなかなか浮かび上がってきません。ガリ   ラヤ湖畔のやさしい風が吹いて、そういったところだけでなく、エルサレムあ   たりのファリサイ的岩盤といった厳しい自然の中で、イエスが愛という言葉を   吐かれた。日本で愛という言葉を聞くと、何かなよっとした感じですけれども   先ほどのパウロではないが、旧約の律法の世界、あの灼熱の砂漠を背後にして   愛ということは、砂漠的人たち、トーラーを支えに生きている人たちにとって   は、滅びよということと同じではなかったか。非常に切れ味の鋭いドスを突き   つけられたような言葉が愛ではなかったかと思うのです。(P272-273)      三浦 (…)民主主義を絶対の方法みたいに思っている人がいるけれども、本   当は民主的にやれることなんて大してないんです。例えば学問的な真実、物理   的な原則なんていうのは、民主的に決められっこないですよね。民主的に決め   られることというのは、簡単にいうと日常生活の次元の部分だけであって、よ   り本質的なものでは民主主義なんていうのは何の役にも立ちはしない。    その意味では、二千年前と今とは、事態は何も変わっていないと思うんです   よね。ですから、民主主義というものを何よりも大切と信じている人々には、   ぜひとも砂漠の旅をしてもらいたい。方角を一つ間違えたら、オアシスに行き   着けないばかりか、一族全滅になる世界ですから。(P325)    この引用箇所だとちょっと堅そうな話のような印象があるかもしれませんが、 「キリストはどんなパンを食べていたか」のような きわめて具体的な衣食住をはじめとした興味深い話がたくさんあって、 そうしたことを今我々の暮らしている日本のそれと比較するなどして 聖書ならではの発想を楽しく学ぶには格好の本ではないでしょうか。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04872/04872 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●7 (13) 96/07/12 23:26 04848へのコメント ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第7回/「内的平静」(P32-44)その3   神秘学徒がこの規則に従うとき、対外的な生活態度を変化させる必要はまった   くない。以前と同様、それ以後もまた日々の稼業に従事する。どんな仕方にせ   よ、それによって「生活」から疎外されるようなことはありえない。一日の他   の時間には安んじて、むしろますます完全に、この「生活」に没頭することが   できるようになる。なぜならあの隔離された瞬間に、「高次の生活」が修得さ   れるのであるから。(P36) 「修行」を理由にして日常生活をおろそかにすることは本末転倒です。 従って、現代的な神秘行にとっては、隠遁とかは論外になります。 それは、姿を変えた逃避以外の意味をもちえないわけです。 実際、ぼくなんかの衝動としても、どうしても日常生活の苦しさから逃れて どこかに隠遁したいという欲求がかなりあるのですが^^;、 そうした自分の傾向は逃避でしかないと認めなければなりません。 現実社会はあまりに矛盾に満ちているからといって、 それから自分一人だけ離れてみたところで、何の意味もないどころか、 逃避することで、社会への責任を放棄しているだけなのだということを しっかりと認めなければならないということです。 社会性を失うことなく、そのうえで一定時間を、それとは離れた形で 内的生活の流れを確保し、それを生長させていくのがこの「内的平静」の行です。      次第にこの「高次の生活」が日常生活にまで影響を及ぼし始める。隔離された   瞬間内での内的平静が日常生活に働きかける。人間全体に落ち着きが、個々の   行動に確かさがより加わり、もはやどんな突発事項によっても取り乱したりし   なくなる。新参の神秘学徒は徐々にではあるが自分で自分を統御できるように   なり、外的事情や外的影響の支配を受けずにすむようになる。このような人は   やがて、隔離された瞬間がどれ程自分の力の源泉となっているかに気づくであ   ろう。これまで怒りをさそってきた事柄に出会っても、もはや怒らずにすむよ   うになる。これまで不安を呼び起こした無数の事柄も不安の種であることをや   める。(中略)このようにして神秘学徒の生活態度の中に、人生を充実させ促   進させるような考えがあとからあとから、これまでの衰弱と抑圧をもたらす考   えの代わりに、現われてくる。人生の荒波の中を確実に進んでいけるように、   彼は人生行路の舵をとり始める。これまでの彼はこの荒波にゆさぶられて、右   往左往していたのである。(P36-37) 日常生活とは別の所で、それをまるで他人のことのように見ることのできるような そんな時間を毎日継続的に持ちながら、それによって自らの内に潜在していた 「高次の人間」を成長させていくことで、その「高次の人間」が、今度は、 日常生活における自分に深く影響してくることになります。 つまり、隔離された時間における「内的平静」が、 日常生活を「内的平静」へと導いていくわけです。 その「内的平静」とは、自分の感情をコントロールできるということであって、 そのことによって、「外的事情や外的影響」から自由になることができます。 それまでの自分が、「外的事情や外的影響」によって触発された感情によって 揺り動かされなすすべもなくなっていたのが、 それがなくなり、それを正しく導けるようになるということです。 船を操るたとえで言えば、それまでは荒波のなすがままになっていたのが、 それを乗り切れるだけの操舵技術を身につけたということになります。 ぼくじしんのことでいえば、ぼくは小さい頃、ある種の怒りに襲われたとき、 それを押さえることができず、かなり荒れていました(^^;)。 あげくのはてが、自分の頭を柱にぶつけてたりさえしていました。 今思い出しても恥ずかしさの極みなのですが、 やはり、それは自分のなかでの高次の自我があまりに未発達で、 感情のなすがままになってしまっていたということなのだと思います。 ま、それは小学生頃の話なので、今と比べても仕方ないのですが(^^;)、 今でも、自分の感情をまったく「まるで他人のことのように」見ることまでは なかなかできませんけど、それに振り回されることだけは かなり少なくなったと思います。 そういう状態をそれぞれが自分で比較してみると、その状態の違いが、 かなりはっきりとつかめるのではないかと思います。      さてここで以上すべての規則の有効範囲について、あらためて考えておこう。   人間の内なる「高次の人間」は絶えず進化している。けれどもその進化が合法   則的に生じるためには、上述した安らぎと落ちつきとが存在しなければならな   い。外的生活の波は、人間がそれを支配せず、それに支配されるときには、内   なる人間にあらゆる側面から圧迫を加えてくる。そうなると、まるで岩の割れ   目に生じた植物のような生き方しかできない。しかも植物が生長を続けるため   の空間なら外から人の手で作ってやることができる。しかし内なる人間のため   には誰も外から必要な空間を作ってやることができない。自分の魂の中の内的   平静だけがそうできるのである。(P38) 「自分に勝つ」という表現があります。 その表現には、主語としての「高次の自分」とそれが制御すべき「自分」が ともにふくまれています。 その二つの自分を同じものとしてしかとらえられないとしたら、 船は先導を失って逆巻く波のなかを木の葉のようにさまようだけになります。 日常生活とは隔離された時間をつかって「内的平静」の行をするということは、 その「高次の自分」を目覚めさせるということであって、 そのことで、まさに「高次の自分」が「自分に勝つ」ということができるわけです。      目覚めた「高次の人間」は「内なる支配者」となる。彼は確かな手で外的人間   の生活を導く。外的人間が主導権を持つ限り、「内なる」人間は外なる人間の   奴隷でしかなく、それ故自分の力を発揮することができない。怒ったり怒らな   かったりすることが自分以外の何かに依存しているとすれば、私は自分自身の   主人ではない。(P39) 「高次の人間」を自らの内において目覚めさせることができれば、 それは「内なる支配者」として「低次の自分」を導き、 それを変容させていくことができます。 その 「低次の自分」を「表層的な自我」ということもできますが、 それが常に「高次の人間」との関係を失わないようにすることで、 まさにその「私」は「低次の感情」の支配を脱して、 そこから自由であることができるようになります。 「私」が自分自身の主人になること、それが「内的平静」のテーマなのです。      ☆☆☆KAZE☆☆☆