- FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/10/08 - 01449/01595 KFQ02761 しまうま RE:男が抱きしめるもの…!? ( 8) 96/07/14 16:32 01442へのコメント コメント数:1 #01442 みれさん  こんにちは〜(^^)。 | 男性諸君、ベッドの中で恋人や妻を抱く時、「夢」も一緒に抱いてますか? | 未だ、恋人のいない人は「夢」と一緒に抱きしめたいと思いますか?  はい、思います(^^)/。  残念ながら、恋人と「夢」を一緒に抱きしめていることを実感した経験は、 僕にはまだないです。でも、好きな人がいると、なんかこうムクムクとパワー が湧いてきて、「やったるでー」という感じになるパターンは、何度か経験し ています(そのパワーがあらぬ方向に暴走してしまって、後で反省することも 多かったけど(^^;)。  「夢」には、なんかこう、新しいモノを作り上げていく原動力、みたいなイ メージがあります。ARIONの言葉を読み直したりして思ったのですが、異 性との恋愛関係ではぐくまれる“原動力”と、同性との友人関係ではぐくまれ る“原動力”とでは、質的にも量的にもずいぶん違うみたいですね。そして、 その危険性も可能性も、同性との関係に比べて桁違いに大きいような。  欲で異性と結びついてしまうと、その“原動力”がお互いを束縛する方向に 働いてしまう。一方、お互いに夢(とか理想とか)を持って抱きしめあえば、 同じ“原動力”が創造性な方向に働く、という感じでしょうか。  僕は、やっぱり創造的な恋愛関係をもちたいなあ、と思います。  なんか、あまりロマンのない観念論的な話になってしまいました(^^;シツレイ。    しまうま(KFQ02761) 01455/01595 SDI00635 みれ 男が女だけ抱きしめるとき(笑) ( 8) 96/07/16 12:33 01449へのコメント  三日遅れの便りを乗せてぇ〜と(^_^;)  既にお馴染み、遅RESの私。  しかし暑い、暑過ぎるゥ〜。脳味噌がゆだる。  変なタイトルに変な出だしに…(^。^;)ウウッ…この先どうしようか。  話は逸れるけど、男が情欲に駆られて女を抱く時について話しましょう。  相手の女性が未熟で夢見がちな場合には、男性が情欲に駆られているだけと しても、何故かそれを都合よく誤解してくれちゃったりします(爆)つまり、 男性側の情欲の迸りを「ああ、こんなにも愛してくれてるのね」とか思っちゃ う訳です。で、男性側もこんなにも相手が欲しいのは「こいつを愛してるから だぁ〜」ってなっちゃうことも多いですよね(^_^;)  で、こうした情欲を恋愛だと勘違いしているケースは、早晩お互い「あれ、 何か変だぞ(-_-;??…しっくりこないじゃないか」ということになる訳で、そ うなると「もう愛してないのね…(;_;)」とかになる訳です。  あー、身も蓋もない話しちゃった(^O^;)(^O^;)  男女共に情欲の虜になる傾向が恋愛には付き物ではあるけれど、情欲を恋愛、 更に「愛」なんだと思ってしまう悲劇には陥らない様にしないとねぇ…。  わはは、変な話になっちゃったね。                             ☆みれ・:・。,☆ 01454/01595 GBG02043 維/YUI 快楽を否定はしないが ( 8) 96/07/16 01:39 01444へのコメント RES、ありがとうございます。 私ね、SEX、快楽追求ネタが嫌いなのではないのよ。 いいもんじゃない? いいもんだって感じているから、がっかりしたのだと思っています。 情緒もへったくれもないSEXなんて、私は絶対に嫌だなって いうだけなのです。私は、SEXの快楽に愛情は不可欠だもん。 相手も自分もとてもいい気持ちになれて、満足できるように… という気持ちが働いているなら、お互いが納得するようなことを やっていけばいいと思う。 素直な気持ちの表現が、そうなるのなら、それがその人の表現なのだと 思う。 なにが、悲しいって…。 独りだけの思い込みで、相手に接している 話とかが多いから。勝手に想像力膨らませて、目の前にいる相手をみて じゃなく、自分の頭の中にあるストーリーで接している人の話をきくから。 前の書き込みで、不満が残るんじゃないかと書いたんだけど、残るのは 不満だけじゃない。 本当に心から求めるものでなければ、その不満は 身体にも不調を残す。 たとえ、その時そこに快楽があっても、その 快楽だけあればいいと信じていても、忘れた頃になって気付かされる。 そんなことを思ってしまいました。 20代半ばの頃、付き合っていた人に抱かれながら、よく思ってました。 「私の心も一緒に抱いてよ」って。 そう相手が分かるまで話せたら、 違うストーリーが展開されたのでしょう。 その頃は、相手ととことん話し合うこともせずにいたし、話し合うつもり でいると思っていても、どこか逃げていました。戦えもしませんでした。 その結果、戦って傷つくよりひどい傷を自分にも、たぶん相手にもつけた と今になって、思えています。 雑誌を読んで出てきた感想は、私の体験への思いでもあります。 (けど、雑誌に出てたハチャメチャなことは、ぜぇぇぇったいに体験 したくないぞ!!!) 96/07/15(月) 23:45 維/YUI(GBG02043) 01499/01595 KFQ02761 しまうま RE^3:女性性器の見え方/後編(2) ( 8) 96/07/30 15:36 01493へのコメント コメント数:1 #01493 みれさん  こんにちは〜(^^)。  毎回ドキをムネムネさせながら(^^;読ませていただいています。  後編(2)を読んで、漠然と「男性と女性の性器に対する見方の違い」みた いなものを感じました。  たぶん、男性が同じものを見て描写したとしても、もちっとムードに流れる というか、フィルターがかかるというか、少なくともああまで冷静には見れな いんじゃないかな?と思います(自分を基準に考えれば、ですが(^^;)。  男性器が「陽」であり「顕なるもの」であり「即物的な器官」だとすれば、 女性器は「陰」であり「秘されしもの」であり「神秘的な臓物」である、とい うような違いもあるのかもしれませんね。  女性が男性ストリップ(あるんだそーですね(-"-;))を見て感想を書くと、 また違った雰囲気になるのかなー、などとも思いました(^^;。  ではでは、続きを楽しみにしています(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 01524/01595 KFQ02761 しまうま 愛について◆男と女(人に聞いた話など) ( 8) 96/08/08 13:57 01395へのコメント コメント数:1  男と女はぜんぜん違うもんだ、とかいう話を、時折聞く。  曰く「男はイヌであり、女はネコである」。  曰く「男は妄想し、女は夢想する」。  曰く「男と女の間には深くて暗い淵がある」。  また、誰だったかは「男はたいてい、女を“自分と同じ種類の生き物”だと 思いこんで失敗する。一方女は、男を“自分とは違う生き物”として扱うべき ことを本能的に知っている。だから、常に女のほうが一枚上手なのだ」などと 書いていた。  そういうもんなんだろうか。よくわからんが。  最近、「日本でも性転換が合法化される」とかいう噂を聞いた。  本屋に行けば、女装趣味の専門誌があるし、テレビをつければ、性転換した 女性ウン十人を対象にアンケートが行われたりもしている。性の境界を横断し ようとする衝動が、昔に比べてかなりオープンになってきたのは確かだろう。  こういう状況を「男女の境界がなくなりつつある」的な論調で分析している ジャーナリズムもあるようだが、僕はむしろ「男と女の決定的な違いを見せつ けられている」という気がする。  豊胸手術を受け、イチモツを切断したうえに女陰もどきをくっつけて、定期 的に女性ホルモンを体内に注入しているという男性は、全体がいかにも“女性 らしい”ために、かえって「相づちをうつ時の首の動き」や「タバコの火の消 し方」などからかいま見える“男っぽさ”が、いっそう強調されてしまう。  性転換したという女性の場合は、さらに露骨だ。いくら胸を削ぎ落としても 体の節々のふくよかさは隠すべくもないし、何より態度やしゃべり方の中に 「女の子が思い描く“男らしい男”」が見事に体現されていて、なんだか微笑 ましくすらある。  そういうのを見るにつけ「やっぱり男と女って違うんだなあ」と思う。  「男性は論理と感情の切り分けがうまく、女性は論理と感情を混沌のままで 扱うことに長けている」とかいう話を聞いたことがある。  例えば、萩尾望都の『銀の三角』というマンガを読み終えて、「もっと思い 切り叙情的なほうにシフトすればいいのに。変に論理的なものをくっつけよう とするから、ファンタジーに没頭できない」と僕は感じた。しかし女性の知人 に話を聞くと「そんな風には思わなかった」という。その人は、ストーリーに 絡んでくる論理性も、叙情的なストーリーの一部として捉えたらしい。  もちろん、論理と感情の分離にしろ、混沌にしろ、個人差は大いにあるだろ う。自分の感情的な凹凸よりも話のスジを優先することができる女性(多くは 有能なOLだったりする)はいるし、自分の意見を論破されないように随所に 感情論を散りばめる男性(部下に慕われない中間管理職だったりする)も決し て少なくない。  ただ、マスとして見た場合「男性は論理的な話に感情を持ち込みにくい」 「女性は感情と論理を同一平面上で捉えている」という大まかな傾向は、ある ように思う。  ARIONは『I LOVE YOU 1』の中で、以下のように述べている。 『 男性は元々、創造力のエネルギーを多く持っている性だ。   女性は破壊のエネルギーを多く持つ。   男性は生まれ持っているエネルギーは創造のエネルギーだけで、破壊のエ ネルギーは女性と接する事で取り入れる。   女性は破壊のエネルギーを持って生まれてくる。そして生理的に創造を行 う(受胎・出産)という一期完結性の創造エネルギーをも併せ持つ。』 『 射程距離に例えて言えば女性の創造力は射程距離が短く、男性の創造力は 射程距離が長いと言える。』 『 男女の持つエネルギーは、性質も動作も電気エネルギーと似ているので、 二つの電極として話を進めよう。破壊エネルギーと創造エネルギーの極性は、 破壊がプラス・エネルギー、創造がマイナス・エネルギーとなる。電気と似 ていて一極だけでは機能しない。女性は生まれつきプラス・マイナスの揃っ た性であり、男性は、優れてはいるがマイナス電極しか持たない。電気を流 すには両極必要だ。男性の創造エネルギーに優れた働きをさせようとすれば、 女性の破壊エネルギーが必要になる。   良き創造は良き破壊との組み合わせで成立するからである。』 『 表現者としての男性エネルギーと、絶え間無い自己破壊の連続の結果の純 化された破壊エネルギーを持つ女性エネルギーの結合による、破壊を内在、 包含する表現は、全ての人々の中に眠る『至福の為の創造願望』を揺り動か すことが出来る。それら眠れる人々の心臓を捕まえて離さない、強くそして 優しい、固くそして柔らかい、醜くそして美しい、二律背反のエネルギーこ そ、現在の人々が、生物的に感知している『破滅の予感』に揺さぶりを掛け て、破滅のための大なる非連続の破壊ではなく、創造の為の小なる連続の破 壊を引き起こすことができるのだ。』  ARIONは、この話に続けて「創造の為の小なる連続の破壊」を車のエン ジンの中で行われる小爆発に例え、「破滅の為の大なる非連続の破壊」を原爆 ミサイル発射ボタンを押す行為に例えている。  創造というのは、言い換えれば「物事を秩序だてる営み」だと言えるだろう。  何万という部品から自動車を組み上げるのも、雑多な食材を元に中華料理を 作るのも、鉄塊から刀を打ち上げるのも、毛玉でマフラーを編み上げるのも、 子供の教育も、都市設計も、すべての創造は一種の「秩序立て」と見なすこと ができる。  中には「混沌そのもの」を表現するような芸術もあるが、これは多くの人に 「混沌」のイメージを呼び起こすように(意識的にせよ無意識にせよ)綿密に 計算され、秩序立てられた創造なんじゃないかと思う。頭の中が本当に「混沌 そのもの」である乳幼児が描いた絵を見て「クリエイティブだ」と感じない (親バカを除いて)のは、そこに「混沌を表現するための秩序」が存在しない からだと思う。  物事を秩序立てる前段階としては、さまざまな「切り分け」「区分」の作業 が必要だ。  多くの神話では、神が混沌の中から天と地を「分離」するところから話が始 まっている。卑近な例を取れば、自分が本当にやりたいことと、人から言われ てやらねばと思うことの「区分」ができていなければ、“自分の”人生を切り 開くことはできない。  男性の創造力のほうが射程距離が長い、とARIONが言っている論拠のひ とつは、「男性は、物事を切り分け、区分し、そこから秩序を組み上げていく 能力が高い」という点にありそうな気がする。  男性による「秩序立て」がその極みに達すると、それは一種の「息苦しさ」 や「硬さ」「融通のなさ」につながる。つまり、悪い意味で“出来上がって” しまうのだ。  だから男性は、女性の持つ混沌とした在り方に触れることで、“出来上がっ て”しまった何かをいったん破壊しようとするんだと思う。  麻雀に例えれば、配牌から順に手を組み上げていき、最後の牌を取り終えた ところが創造の極みだ。男性の創造力だけでは、この状態からまた一個一個の 麻雀牌を取り分け、別の形に組み替える、とかいうような作業ができるだけだ。 これでは、次の局に移ることはできない。  そこで、女性の破壊力がもたらす“混沌”が必要なのだ。次の段階の創造に 移行するためには、論理も感情も理性も本能もない混ぜのまま、積み上げられ た牌も廃棄された牌も一緒くたにして、“混沌”というるつぼに放り込む力の 働きがどうしても必要になる。そして、その“混沌”の中から、男性は再び新 しい秩序を組み上げていこうとするんだろう。  ARIONが、 『男性は創造のエネルギーしか持たない為に、  ある程度のエネルギーのピークを迎えると、  男性は女性に近づき、  自らの創造のピークに破壊の力を加えて、  一つの完成させたエネルギーにしたい気持ちになるが、  これは自然なことなのだ。』  と言っているのは、たぶん上記のような意味もあると思う。  ARIONは、この言葉に続けて以下のように言っている。 『こうして形成された創造のエネルギーを女性は受け取り、  代わりに破壊のエネルギーを男性に渡す。  これが生命エネルギーの循環であり、  こうした男女の特性に依るエネルギー分担が、  宇宙生命潮流の流れに合一する、生かし生かされる力=愛を支えている。』  反語的に言えば、今まで自分が作り上げてきた秩序にいつまでもしがみつい ている男も、男の作り上げた秩序を破壊する勇気のない女も、愛を「する」こ とはできない、ということになるだろう。 しまうま(KFQ02761) 01525/01595 GGA02514 KAZE RE:愛について◆男と女(人に聞いた話など ( 8) 96/08/08 15:15 01524へのコメント コメント数:1 しまうまさん、どうも。 男と女の違いの話、興味深く拝見させていただいてます(^^)。 》そういうのを見るにつけ「やっぱり男と女って違うんだなあ」と思う。 ま、それはそうだし、ARIONの説明も納得のいくものではあるんですが 「男女の違い」以前に、「個人差」ってことをしっかり見ていかないと、 「男」だとか「女」だとかいうのが、抽象論になってしまうように思います。 抽象論になってしまった男女の差異についての話は、 実際の人間とはどんどんかけ離れていってしまいますし、 そういう抽象論から現実の人間を見てしまうことで、 その人のかけがえのない個性が二分化されて見えるだけになってしまう危険性は 注意しておかないと、ばかばかしい議論になってしまうように思うんです。 性別ということでいうと、物質的な肉体レベルと生命体レベルには性別はあるけど その他の「体」としては性別はないということもいわれますし、 精神の性別なんていうのは無意味ですから、 あくまでも「男女」ということで何が議論されているのかということを ある程度意識しておく必要があるのではないでしょうか。 ま、ぼくには女装の趣味はないですけど、 「俺は男だ!」っていう意識もほとんど希薄です^^;。 しかし、女装だとか、「俺は男だ!」っていうあたりのことというのは、 男女の本質的な差というのではなく、一種の文化的影響ないし倒錯的影響であって、 早い話、「どんな幻想を受け容れているか」にすぎませんから、 男女の差を話す場合には、そこらへんも注意しとかないと、 紛らわしくなってくるのではないでしょうか。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01529/01595 KFQ02761 しまうま RE^2:愛について◆男と女(人に聞いた話ナド) ( 8) 96/08/10 05:40 01525へのコメント コメント数:1 #01525 KAZEさん  こんにちは〜(^^)。コメントどうもありがとさんですm(__)m。 |「男女の違い」以前に、「個人差」ってことをしっかり見ていかないと、 |「男」だとか「女」だとかいうのが、抽象論になってしまうように思います。  うーん、なるほど。僕は、先の発言で「創造と破壊」「秩序と無秩序」みた いなテーマを男女の在り方にからめて考えてみたのですが、そのテーマを追求 するうえで、「個人差」という視点をもってくるのも非常におもしろいですね(^^)。  ただ、最近、男女の在り方とゆーのが、僕の中で非常にクローズアップされ てきてしまっているので、どうもしばらくこの視点から離れられそうにありま せん(^^;。で、たぶん「男と女」という括りの中から新しく見えてくるものも あるんじゃないかな?と思っています。だもんで、もうちょっと「男と女」に こだわってみたいです。KAZEさんにいただいたご助言を忘れずにm(__)m、「個 人差」も念頭に置いたうえで話を進めて行くつもりです。  「個人差」のほうで突っ込んでみたくなったら、KAZEさんのお部屋のほうで お話しさせていただいたほうがいいかもしれませんね(^^)。そのときはまたよ ろしくお願いしますm(__)m。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) P.S.13番のご返事、遅くなってすみません。そのうち必ず書き込みます (「いか超」もちゃんと読んでます(^^;)ので、もう少々お待ちください ませm(__)m。 01530/01595 GGA02514 KAZE RE:RE^2:愛について◆男と女(人に聞いた話 ナ ( 8) 96/08/10 15:14 01529へのコメント コメント数:1 しまうまさん、どうも。 MES13のほうは、ま、どうでもいいとして(^^;、 最近とみによく感じることがありますので、それを少し。 サイババさんもそうですし、最近の新興宗教もそうなのですが、 どうも男女関係を過去の方向に退行させて、 そのうえで調和を取り戻そうというような方向がけっこう強くあるように思います。 今の男女関係の不調和は、過去の「正しい」あり方が崩れてきたからで、 その不調和をもう一度調和に戻さなければならないというわけです。 いわく、「女性は補助者である」「女性は男性に尽くさねばならない」云々・・。 ま、そうしたい人はそうすればいいのですが、そこには「なぜ」がないですし、 「男女」がまさに抽象化、一般化されたまま、現実の個が無視されている。 もちろん、現代の状況を見れば、「従うべき規範」を失ってしまって 女性たちの多くは自ら火のなかに飛び込んで自滅しかねない状況になってますし(^^; その変化を受けて、男性たちの多くは戸惑い、 みずからの創造性をスポイルしてしまうことになっているように思えます。 けれど、そうしたカオス的状況には、それなりの意味があると思うのです。 これまでは、「従うべき規範」という「外から」の枠に固定化したあり方だったのが これからは、それぞれが個としてみずからを見据えた自由な姿勢で、 「内的自発による規範」をそれぞれが獲得していかなければならないわけです。 だから、男女それぞれのあり方は、過去の規範に戻るのではなく、 未来をどう創造していくかという方向に向かわなければならないように思います。 そういう観点のもとでこそ、「男女の違い」を見ていかなければならない、と そう思っているわけです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 01531/01595 KFQ02761 しまうま RE^4:愛について◆男と女(人に聞いた話ナ ( 8) 96/08/11 04:09 01530へのコメント #01530 KAZEさん  こんにちは(^^)。ご返事どうもですm(__)m。 |いわく、「女性は補助者である」「女性は男性に尽くさねばならない」云々・・。  ありますねー、そういうの(^^;。  創造と破壊で言えば、「破壊は創造の補助である」「破壊は創造の為にある」 という感じでしょうか。でも、これって逆にしてもまったく問題ないと僕は思 います。浜辺で作った砂城を壊すのも、ゴジラの暴れっぷりを鑑賞するのも、 一種の「破壊の喜び」を味わっているのであり、「破壊のために創造する」と 言ったほうがふさわしい場合も往々にしてありますもんね(^^)。  同じように、「男性は女性の補助者である」とも「男性は女性に尽くさねば ならない」とも言えると思います。  また、「女性は補助者」「女性は男性に尽くすべき」に対するアンチテーゼ として、「女性は弱者」「男性は女性を保護するべき」というのもあります。  この考えを実践すると、男性は「か弱い女性を守り慈しむ英雄的な自分像」 に酔い痴れ、女性は女性で「保護され大切にされている状況」に甘えまくる、 という構図に落ち着きます。現代の男女関係の問題点としては、こっちのほう がメジャーなんじゃないかな?という気がします(僕もやってたし(^^ゞ)。  結局、テーゼもアンチテーゼも「相手と自分の関係性」に重きを置いている わけで、相手を直視していないのはもちろん、自分自身さえもきちんと見えて いない状態なんでしょうね(直視しちゃったら、こんなお互いの足を引っ張り 合うような関係に落ち着いていられなくなりますもんねー(^^;)。 |これからは、それぞれが個としてみずからを見据えた自由な姿勢で、 |「内的自発による規範」をそれぞれが獲得していかなければならないわけです。  そうですね。僕もそう思います(^^)。  「従うべき規範」もなければ「追うべきトレンド」もない、「浸るべき自分 像」もなければ「夢想するべき相手像」もない、未知の荒野のど真ん中にいる 自分を見据えるところから始めなければ、本当の意味での「男女関係」という のは成り立たないと思います(それ以前に「人間関係」でしょうけれど(^^;)。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 01566/01595 KFQ02761 しまうま 愛について◆男女の呼応(いくつかの極論) ( 8) 96/09/09 06:00 01395へのコメント  1カ月以上間があいたぞ。文句あっか(初手から開き直り(__;)アァ…)。 ==========================================================  以下にお話しするのは、一つの“類型”であり、“ありがちなパターン”で あって、「すべての男女がそうである!」と決めつけるものではないことを、 あらかじめお断りしておきます。 ======================================================================  世間を見渡して思う。  世の男女とゆーものは、どんなにキレイ事を並べてみても、所詮は“欲”と “感情”に基づいて惹かれ合っているようだ(もちろん僕も例外ではない)。 “理性”なんて、至極もっともらしい理由を後からアレコレ付け加えるだけの ものだ。異性を求める欲と感情を美化する場合には、“愛”という言葉が特に 便利だ。  “欲”と“感情”に基づいているからといって、それをすぐさま「よろしく ないこと」にカテゴライズする必要はない。“欲と感情”によってできた足が かりの上に、何を築き上げていくかが問題なのだ。欲と感情に引きずられて、 本意と違うほうへズルズル行っちゃうのに気をつけていれば、特に問題はない。  異性を求める欲と感情を、はなから“愛”だと思いこんでいると、無抵抗の まま、ズルズルと、思いもよらなかった方向に引きずっていかれることが多い。 そんな時は「愛する○○のため」とか、「どんなに周囲が反対しても愛を貫く」 といった、二人の意識を高揚させてくれるようなキャッチフレーズが、頻繁に 用いられる。それによって、理性や良心に目隠しをしてしまうわけだ。理性や 良心が冷酷に働いていれば、なかなか性欲や一体化願望が満たされないからだ。  後になって、通ってきた軌跡を冷静に振り返ると、自分の行動の原動力にな っていたものが何であったかに気付く。  一般に、女性に比べると、男性のほうが異性を求める傾向が強い。これは、 女性が『内に“創造”と“破壊”の両方を秘めており、自分の中だけでエネル ギーを完結させることができる』のに対して、男性が『内に“創造”のエネル ギーしかもっておらず、内的な飽和状態に陥りやすい』からだろう。  ある女性が語るところによれば「女性とは元来枠をもたない生き物であり、 自分でも何をしでかすかわからないような不安定さをもっている。何ものにも 属さず、自分にのみ属する」という。その“何をしでかすかわからない”性質 こそが、自分の内側にあるものや、外的な事ごとを“破壊”していくのだろう。  また民俗学においては、『ある未開の部族に新しい事物がもたらされたとき、 子供→成人女性→成人男性、という順序で順応する』というのが、ほぼ定説に なっているそうだ。この順序は、チンパンジーなどの動物の群れでも、同じで あるらしい。つまり、「斯くあるべし」的な教育を受けていない状態では、概 して男性よりも女性のほうが好奇心が強く、慣習に囚われにくい、と言えそう だ。これも、女性のもつ“破壊”の性質の一側面であるように思える。  現代社会では、男性が女性に求愛するのが普通だと思われている。「女性が 男性にプロポーズした」なんていうと、ちょっとしたセンセーションであり、 その女性は「はしたない」と評価されたりすることもある。  そこで、女性は男性に対して、ある種の“雰囲気”を醸し出すことによって 求愛のサインを送る。それは概ね「私、困ってるんです」「私って弱い女なの」 「もう、どうすればいいのかわからない……」といった“雰囲気”である。  この“雰囲気”は、どこでもかしこでも強烈に発散されているわけではない。 自分が好ましいと思っている男性の前で、あるいは何らかの形で力を借りたい と思っている男性の前で、もっとも強く発散される。  このサインを受け取った男性は、「この女性には自分の手助けが必要だ」と 判断する(もちろん、女性はそのように判断してほしくて“雰囲気”を醸し出 している)。そして男性は、ほぼ反射的にその判断を言動に反映する。それは、 「どうしたの?」「何かあったの?」「オレでよければ話を聞くよ」といった 言葉と、優しくて包容力のありそうな態度、として現れる。  この時、男性が「女性から送られたサインに反応して動いている」と自覚す ることはまずあり得ない。あくまでも自発的に、相手の女性のためを思って、 純粋な動機で動いている、と確信している。あるいは女性経験が豊富な男性で あっても、「この女、オレに気がありそうだな。ちょっと口説いてみるか」と いう程度の認識しかもたない。いずれにせよ「自分の意志で女性を選んでいる」 と思いこんでいることに変わりはない。  一方女性は、醸し出す“雰囲気”に対して素早くスマートに反応してくれる 男性を「優しい」「よく気がつく」「私のことを思ってくれている」という風 に評価する。逆に、なかなか反応しない男性を「不愛想」「気が利かない」 「思いやりがない」と判定する。  一般に、男性は“か弱い信号”に弱い(僕は特に弱い)。  “か弱い信号”は、以下のような特徴に代表される。 ◎子供っぽさ  ・幼顔  ・つぶらな瞳  ・舌足らずなしゃべり ◎スレンダーな体型  ・繊細な指先  ・か細い手足  ・白い肌 ◎頼りなげな風情  ・引っ込み思案な感じ  ・不安そうな表情  ・困った素振り  もちろん、いつもいつも「不安そう」だったり「引っ込み思案」だったり、 「困った素振り」を見せたりしている女性については、男性も「暗い女」「し ょーもないヤツ」として切り捨ててしまいがちだ。普段、明朗活発でバリバリ 頑張っている女性によって発信される“か弱い信号”のほうが、効果は高い。  では、なぜ男性はそういった“雰囲気”や“か弱い信号”に反応してしまう のだろうか?  という話は、次回以降で。 しまうま(KFQ02761) 01584/01595 KFQ02761 しまうま 愛について◆男女の呼応(システムの話) ( 8) 96/09/23 09:31 01395へのコメント コメント数:1  前回は、女性の発散する頼りなげな“雰囲気”や“か弱い信号”と、それに 対応する男性の「この女性には自分の手助けが必要だ」「こいつには俺がつい ててやらなければ」といった反射的な判断(実は女性の素振りに反応している だけ)についてお話しした。  今回は「なぜ男性は、女性の発散する雰囲気に対して反射的に応えてしまう のか?」という点について考えてみたい。  最初にお断りしておくが、女性が振りまく“雰囲気”や“信号”に対して、 すべての男性が反射行動を起こす、というわけではない。例えば、外人男性の 多くは、日本人女性が意図的に(といっても本人はほぼ無意識だが)醸し出す “困った素振り”(例:「あたしわかんなーい」「えー、困っちゃうー」など) を見て「こいつ白痴か?」と怪しむという。もちろん、日本人男性の中にも、 女性の頼りなげな“雰囲気”を、「見え透いた甘え」として嫌悪する人は存在 する。ただし、数はそれほど多くなさそうだ。  では、女性のそういう“雰囲気”を愛好する人と嫌悪する人の違いはどこに あるのだろうか。  一般的な傾向として、そういう“雰囲気”を愛好し“信号”に対して敏感に 反応するタイプの人は、自己の存在意義の確認行為を自分の外側で行いたがる。 すなわち、誰かに「褒められる」、誰かに「評価される」、誰かに「気に入ら れる」といった他者の評価によって、自分の価値を値踏みする傾向がある、と いうことだ。  おそらく、女性に対する「手助けしてあげたい」「俺が守ってやらねば」と いった言動も、そういう“外的評価重視”の傾向の延長線上にあるのだろう。 つまり、そういう言動によって「男らしい自分」「頼りになる自分」を再確認 しようとしているのだ。  他者からの評価を求める男性にとって、女性の発散する“頼りなげな雰囲気” は、格好の自己評価再確認のチャンスでもある。そこで「頼りになる自分」を 演じきることができれば、女性は「○○君、すごーい」と褒め称えてくれるし、 うまくいけば一発くらいヤラセてくれるかもしれない(露骨ですまん(__;))。 いきおい、○○君は発奮してしまうわけだ。  では、もし女性のほうが“雰囲気”や“信号”による曖昧な依頼の仕方では なく、あからさまに「○○君、これやってよ」と頼んできたらどうだろうか。 その場合、○○君は「この女性に頼まれてやっている」ことを明確に自覚する ことになる。しかし「頼まれてやる」のでは、「困っているか弱い女性に手を 差し伸べる男らしい自分」の姿に酔うことが、やや難しくなってくる。意識の フォーカスの仕方によっては、「女性に命令されて諾々と従っている情けない 自分」に焦点があってしまいかねない。これでは、自分の存在意義を確認する という男性側の目的は達成されないことになってしまう。  そこで、賢い女性は、直接的な言葉ではなく“態度”や“雰囲気”によって 「あなたの手助けがほしいの」ということを、それとなく男性に伝える。そう すれば、その“雰囲気”をキャッチした男性の側にも「俺は困っている女性を 自らの意志で助けるのだ」と思いこむ余地が生じる(そして、大半はそう思い こむ)。  これで、女性は「男性からの手助け(もしくは好意)を得る」という目的を 達成し、男性は「女性から感謝されることによって自己の存在意義を確認する」 という快感を味わうことができる。  これで、お互いに不都合はない。  よくできたシステムだと思う。  このシステムには、もう一つ「男女の間にある一種の“隙間”を埋める」と いう重要な役割がある。その“隙間”について、次回はお話ししたい。    しまうま(KFQ02761) 01595/01595 CYE00272 RADIO HEAD RE:◆男女の呼応(システムの話) ( 8) 96/10/08 04:46 01584へのコメント #01584しまうま さん: はじめまして。このフォーラムでの初めての発言でちょっと緊張してますが よろしくおねがいします。 しまうまさんのこのお話しが面白かったので、レスつけちゃたんですけど 大丈夫ですか(笑)ルール違反じゃありません?なんか話しがまだ続くようだ ったのでちょっと心配です。マズかったら削除しますので、申しつけてくだ さい。>しまうまさん > 今回は「なぜ男性は、女性の発散する雰囲気に対して反射的に応えてしまう >のか?」という点について考えてみたい。 この問題、結論からいえば、 >うまくいけば一発くらいヤラセてくれるかもしれない(露骨ですまん(__;))。 の一言に尽きると思います。 手助けをするというのは、意識的にでも無意識にでもそのあとの報酬を期待し ての行動ではないでしょうか? そして「男らしい自分」「頼りになる自分」を主張するというのは、その報酬 を得る為の一つの手段であり、それ以上の意味はないと思います。 では、何故そういった素振りに反応してしまうのでしょう。 それはその女性に対して下心が初めからあったからです。 (下心=好意と受け取ってください。) まったく興味のない女性に同じような事を言われた場合を考えてみると分かり やすいかと思います。果たして同じ思考パターンがでてくるでしょうか? >なく、あからさまに「○○君、これやってよ」と頼んできたらどうだろうか。 この場合、男女関係なく、いい気分はしないでしょう。 人にものを頼む時は、お願いしますとか言うべきです。 > では、女性のそういう“雰囲気”を愛好する人と嫌悪する人の違いはどこに >あるのだろうか。 これはその人の嗜好だと思います。中には気の強い女性が好きな人もいるでしょう。 そういう人が嫌悪するのではないでしょうか。 蛇足ですが「雰囲気女性」が好きな人は、その女性に対し、 何とかなりそう>>相談もちかけられた>>いまがチャンス>>好かれるように対応>> あとは勢いで(意味わかりましたか?)というパターンを用いる事が多いのでは ないかと推測しますが、いかがなもんでしょう。 (なんか自分のこと言ってるような) 雰囲気女性に関しては、ちょっと女性の方からクレームいただきそうなので 遠慮しておきます。 失礼いたしました。       RADIO HEAD 01594/01595 GBG02043 維/YUI アメリカの新聞 ( 8) 96/10/06 19:58 昨日の日経の夕刊だったと思うのだけど、9月の終わりから10月にかけて、アメリカの 新聞、ロサンジェルス・タイムズ、ウォールストリートジャーナルが「日本の少女売春」 のことを前者は一面写真入り、後者は半ページに近い大型の記事で掲載したそうだ。 「豊かな国」にまん延する社会病理を分析するってことらしい。 内容は、3回の売春行為で高級ブランド品を手に入れた少女の話からはじまり、テレク ラの実体についてと(ロサンジェルス・タイムズ)、「東京の最新流行、ティーンの売春」 という見出しで、女子高校生の8%が「セックス産業」に関わっている等(ウォールス トリ ート)の話だそうだ。 援助交際って言葉まで紹介されているとか。。。。(- -;) 日本の法律制度の甘さ、買う側の男性の責任について書かれ、又、他のアジア諸国の 売春と比較し、日本のものは貧困や強制ではなく、物質主義によるものという分析が されている、ということだ。 図書館に行って、実際何が書かれているか読んでみたくなった。 しかし…、なんというか。。。 エンジョコウサイなんてことば、輸出したくなかった なぁ。 それにさ、なんで「最新流行」なのよっ!売春が!!! 世も末だわ。      維/YUI MRE - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/10/08 - 08074/08432 KFR04742 YUKO 動揺 ( 7) 96/07/31 16:12 今まで、私は自分の意見をあまり人に言う事をしようとしませんでした。ここ3ヵ月ほ ど、機会がある毎に自分の意見を相手に伝えるように意識しています。 4月からとある市が地域活動としてやっている体操教室で子供たちに体操を教えている んですけど、そこの責任者コーチに対して、すごく腹が立ったんです。 新入りの私に対して、思ったことは何でも私に言ってきてください。と言われていたの で、クラス編成の事、コーチ同志のコミュニケーションのこと等、疑問だったり、要望 だったり、提案だったり、思ったことを彼にいろいろと言ってたんですけど、まったく 私の言うことを理解しようとしない。まともな答えは何一つ帰ってこず、挙げ句の果て にはむっとされてしまった。その時、むっとされたことで私はものすごく腹がたった。 (顔では笑ってましたが。) 2〜3日してから、どうしてあの時腹がたったのか考えたんです。 彼は以前から人の意見を聞き入れずに何でも自分が決めてしまわなくては気が済まない 人で、そのわりに毎回言っていることが違うので、他のコーチが振り回されていろいろ もめている、と言うことを以前から聞いていました。それでも、私の言うことは聞いて くれるんじゃないか、と言う期待を持っていました。その期待を彼が裏切ったことでわ たしは(こんなはずじゃない、何でわかんないの?)と半ば責めるような気持ちになっ たんです。それが日頃の彼のあまりにも非常識な態度に対しての不信感と一緒になって、 腹を立ててました。 自分の起こす行動や言動に対して、自分で勝手に次の展開を予想して、それが叶わない 時にものすごい動揺があるんです。以前は動揺するのがいやで(というより怖くて)な かなか自分の思ったことを人に言えなかったんだって今になって思います。次の展開を 予想してしまうって言うのは私の中に相手を思いどおりにしたい、という欲求があるん だと思います。そのくせ自分に自信がないから、すぐ動揺してしまうのかなって。 結局次から、そのコーチの私に対する態度は冷たいものになったけど、私の意見を聞い ていた他のコーチ達とは突っ込んで話ができるようになり、物事が前に進んでるな、っ て感触を受けています。(言ってみるもんですね。) 冷たい態度を取られて、まだかなり動揺はしてるんです。できれば彼から逃げたいよう な気分です。でも、今から教室に行ってきます。                               YUKO 08078/08432 KFR04742 YUKO 動揺の理由 ( 7) 96/08/01 20:32 体育館に彼が入ってきてから、別れるまで、私は彼の態度にいち いち反応している。他の先輩コーチに彼の態度に振り回されてた らきりがないよ、と指摘されてどきっとしました。 彼の欠点のあら捜ししているんです。発見してはいちいちむかつ いてたりして。 そうすることで、彼に対する動揺がなくなっているみたいです。 動揺するといういやな部分を、彼に八つ当たりすることで、自分 を誤魔化してるのかもしれない、と思いました。 私が正しくて、彼が間違っている。 そんな思い込みが自分の中にあります。自分が正義のヒーローに なったような錯覚。それに酔いかけていました。 この思い込み、自分を真っ直ぐに見ることができない理由の一つ なんだろうな。 そう、今までだっていつでも私は正義のヒーローになったつもり でいました。そうやってずっと自分を避けていたんです。 だから、ほんとの自分がちょっと顔を出すと、すごく動揺する。 弱味を人に見せたくないし、自分でもみたくないと思ってる。 動揺するのは周りの状態に対してではなくて、自分自身の状態に 対して起こっていたもの。いつも周りのせいにしてました。 他の場合を思い出しても、動揺している時にいつも心をよぎるの が(この場をどうやって取り繕うか。)という思いでした。 結局誰に対してもいい顔していたいんです。自分で思い描いてい る理想の人でいたいんです。 なんか、その事にしがみついてる自分がいます。                              YUKO 08348/08432 GBG02043 維/YUI ARIONさんへ ( 7) 96/10/02 02:19 08066へのコメント 7月の終わりの時点で、ARIONさんの「愛と感情」の話は、文字面分かった。 自分では意味が分かったと思っていたのだけれど、自分のこととして取り入れられて いなかった。 今やっと、自分の中にあの文章が示していたことが染み込んでき始めたような気持ち。 論理の組立は苦手だから、旨く言い表せないのだけれど…。 そんな訳でヒントをありがとう。 道を探し続けられるよう、がんばってみようと思った。 維/YUI 08113/08432 GBG02043 維/YUI RE^8:定まるとは ( 7) 96/08/06 02:20 08096へのコメント コメント数:1 「無」についての話。 たいした話じゃないから、期待してもダメですよ>ノロガメさん。 幼い頃から、劣等感が多いのに「本当の自分は違うんだ」って 妙に屈折したプライドを持っていたのですが、自分が努力を怠った ことで、いくつも挫折をし、間違いもし、何度も落ち込んでいました。 でも、なんとかプライドを守りたくて、自分の存在の正当性を 示したかったのです。 あるとき、やはり落ち込んでいまして、自分は何にも取り柄がない、 世の中にとって価値のない人間である、いないも同然なのだと 考えつづけていました。 そういうときは、そういうのに合った本とかに出くわすんです。 その時は、TAO「道」の話が出ている本でした。 そこに、唐突に「自分というものをいないものとする」という話が でていました。「自分はこぎ手のいない舟のようなものだと思え」 だったかな。 こぎ手のいない舟が誰かの舟にぶつかることがあっても、 誰もこぎ手のいない舟に向かって文句を言うヤツはいまい…とありました。 この頃の私にはピッタリでした。人間嫌いでしたから、人とごたごた するのとかは大の苦手だったからです。 自分が予想した相手との やり取りだけで、すでにうんざりしてしまったりして。。。 そんなでしたから、このこぎ手のいない舟は、「できたら、最高!」 だったんです。。。 もちろん、そんなこと完璧に出来たら、苦労はしないのですが、 少なくともそういう風に装うことはできました。 色々な問題がその後も起きましたが、何度か私は「舟」に化けて、 その場をやり過ごせたのです。 が、それは結局の所、問題を先送りにしただけで、なんの解決にも なりませんでした。 時を経て、同じ様なさらに複雑化した問題が 別の機会に巡ってきて、それは「舟」になることで逃れられはしな かったのです。 そんなような失敗をいくつか繰り返してきました、ある時ふと、 自分が「無」ではない方が納得がいくことに気が付きました。 とりあえずの便方としてそういう観念が活きることはあっても、 それが絶対のものとはできません。なんでと言われても、それは 「だって、私「無」じゃないもの」と、言ってしまいそうです。 私には「私はわたしです」というのが一番ピンときています。 そしてそのことが、私が経験するさまざまな出来事(問題)を解決する 原動力になっているような気もします。 「私はわたしです」のわたしは、生きて常に変化しつづけ、喜怒哀楽を 持ち、悩みもすれば、開き直りもするそういう存在です。 そういう存在を育ててくれているのは、経験してきた出来事や、そこで 出会った人々です。 「空の舟」では得られないものです。 う〜ん、うまくまとまらないです。。。 でも、そういう意味で自分が「無」とはできないのです。 (でも、観念としてノロガメさんのおっしゃってた事は理解できてる と思います。) 維/YUI 08342/08432 QFH02012 アラミス 越えてはならない一線 ( 7) 96/10/01 18:08 08341へのコメント コメント数:1  ノロガメさん、ROMerより一言です。 この会議室上でノロガメさんと同じ様な言動を繰り返す人は過去幾人も おりました。 ある者は独りで、またある者達は徒党を組んで他人の言葉に耳を傾けず ひたすら自分だけの話し・道理を説くのみでした。 そんな彼らはいったいどうなった事でしょう? そう皆一人残らず消え去りました。ここはノロガメさんの様な独りよが りな言葉を受け入れる事は決してないのです。 はっきり言いましょう。私のパソ通経験からすればノロガメさんの言動 は最低最悪の部類に入ります。ノロガメさんの道理(特にパソ通は異次 元云々の下り)は他フォーラムなら無条件に削除もの場合によっては会 員削除もありえるでしょう、ノロガメさんの言動が受け入れられる場所 は皆無と言っても間違いありません。 でも、ここFARIONは違った。そんなノロガメさんに対して多くの人達が 会話し続けて来た(13番7番会議室で)何故だか分かりますか? そしていったいどれだけの人がノロガメさんの為に多くの時間と労力を 費やしてきた事でしょう・・ ところがあなたはガスキーさんという人まで引き込んでさらに道理を拡 大しようとしている、それは今までの皆との会話を全て無に帰す最悪の 行為なんですよ。 ノロガメさん、もしあなたがここで発言できないようになったらどうし ます?フォーラムではここ以外あなたの居場所は無いのですよ? どうかこれ以上他人を巻き込んでまで道理を説く事はお止め下さい。 ノロガメさんは今、奈落の底に落ちるかどうかの瀬戸際に居る事をお忘 れ無く。 それからまだ見ぬガスキーさんに言っておきます。 ノロガメさんの為を思うならばあなたは語ってはなりません(何よりも 自分の事を考えるならば)どんなに素晴らしい道理を説こうともノロガ メさんの道理は決して受け入れられる事は無いのです。 08358/08432 QZA02327 ノロガメ RE:越えてはならない一線 ( 7) 96/10/03 00:37 08342へのコメント コメント数:2 アラミスさん、今日は。 アラミスさんの存在を忘れていました。 忘れるようなアップでは、ノロガメはなかなか退散しませんよ〜〜〜だ。 >はっきり言いましょう。私のパソ通経験からすればノロガメさんの言動は最低最 >悪の部類に入ります。 それを承知で書き込んでいますと言ったら、どうします。 ノロガメが捉えている最低人間というものは、人の指摘ばかりして、自分の意見を 持たない人のことを言います。 最低だろうが、最悪だろうが、精神的社会問題に挑戦して、その解決を図ろうとす る自分の意見をアップすることが、道理に適った行為であると言うことです。 道理とは、筋道であります。 今日の次は明日です、その明日が来れば明日は今日になります。 ノロガメの同じことの垂れ流しは、この道理に基づくものです。 おわかりかなぁ〜 道理とは結果を評論することでは有りません。 筋道をもっと砕いて言うならば、一生懸命になると言うことです。 一生懸命事物に取り組んで行くその姿勢です。 アラミスさんはパソ通の世界をただ単にコミニュケーションを図る場として捉えて いるのかも知れませんが、ノロガメは現実にはタブー視されている、解決不可能と 思われている精神的な問題解決のための意見の交換場所という捉え方でアップをし ているのです。 自分を観ると言うことも、その中に含まれているのです。 >ノロガメさん、もしあなたがここで発言出来ないようになったらどうします? どうもしません、発言出来ないようになったら、発言をしないだけです。 ですから、ノロガメは発言が出来る間は発言を続けると言うことです。 なんか、文句有りますか? 一人でもRESを付けてくれる人がいれば、発言が出来ます。 完全に無視されれば、発言は出来ません。と言うことです。 アラミスさん、一人一人に無視するように言い聞かせることです。それが道理に適 うノロガメ追い出し作戦です。 つまり道理に適うと言うことは筋の通る話になると言うことです。結果はどうなる か知りませんよ。 >それから、まだ見ぬガスキーさんに言っておきます。ノロガメさんの為を思うな >らばあなたは語ってはなりません。(何よりも自分の事を考えるならば)どんな >に素晴らしい道理を説こうともノロガメさんの道理は決して受け入れられる事は >無いのです。 #8354 ガスキーさんに質問です。 >私はあなたの持論よりあなた自身に興味を持っています。 アラミスさん、もしガスキーさんがアラミスさんの忠告を聞いて、書き込みを中止 していたら、アラミスさんがガスキーさんに興味を持つことが出来ないんですよ。 どんなに素晴らしい道理を説こうとも・・・・ アラミスさんは一切無視すると言うことではないのですか? この発言は無責任発言とノロガメは見なします >彼の話が本当かどうかは分かりませんが、 本当かどうかは分からないのに、どうしてノロガメさんの道理は決して受け入れら れる事は無いのです。と断言出来るのでしょうね。 これも無責任発言だ。 >実はここFARIONに集う人達にはノロガメさん以外にも精神世界を知ってしまった >人が山のようにいます(私もそうなんですよ)、 それにしては、自分の意見を言わずにいられなくなる人の少ないこと、愚かな行為 や恥をさらす人の少ないこと、確か、ARION様の言葉に、精神世界を知ってし まったら、愚かで恥さらしに見なされるおそれが有るというものが有ったように記 憶しているのだが、記憶違いだろうか? アラミスさん、まぁ〜そんなに目くじら立てないで、穏やかに行きましょうや。 人の心と言うものは、別け隔ての出来ない平等な存在で有ることは、精神世界を知っ てしまったアラミスさんで有れば、常識でしょうが。 ノロガメの書き込んだ結果が気に入らなくても、その結果はアラミスさんと何ら別 け隔てのない、ノロガメと言う人の心から生まれたものです。 アラミスさんは、その人の心までも否定してしまうのでしょうか? 道理世界では、それは自分をも否定することになるんですがね。              ノロガメでした。まる 08366/08432 QFH02012 アラミス RE:越えてはならない一線 ( 7) 96/10/03 15:25 08358へのコメント  ノロガメさん>> >>それを承知で書き込んでいますと言ったら、どうします。 あなたがそうなのは前からの書き込みで知っていますから。だから最低最悪なん ですよ。 >>最低だろうが、最悪だろうが、精神的社会問題に挑戦して、その解決を図ろうとす >>る自分の意見をアップすることが、道理に適った行為であると言うことです。 ここはそういう事をする場所ではないとはご存知ありませんでしたか!? >>アラミスさんはパソ通の世界をただ単にコミニュケーションを図る場として捉えて >>いるのかも知れませんが、ノロガメは現実にはタブー視されている、解決不可能と >>思われている精神的な問題解決のための意見の交換場所という捉え方でアップをし >>ているのです。 結構ですね。でも私にはノロガメさんが意見交換として発言している様には見えま せんが?あなたは今まで皆とのやりとりで人の話しを聴くって事してましたっけ? >>なんか、文句有りますか? ありますよ、大いに! こういう例え話をしましょう。 茶の間で一家団らんしている家に、突然亀の甲羅を背負った男が土足ではい上が り拡声器片手に道理をガナリ始めた。・・・こんな男を無視して家の人達はまとも な生活の営みができますかね?そういう訳で黙って見てはいられないですね。 それから「無責任発言」ですが、もう少し言葉の使い所を考えてから発言しては 如何?こういう使い方をしていると「私は考え無しに適当に言葉使ってます」っ て宣言しているようなもんですよ。 >>それにしては、自分の意見を言わずにいられなくなる人の少ないこと、愚かな行為 >>や恥をさらす人の少ないこと、確か、ARION様の言葉に、精神世界を知ってし >>まったら、愚かで恥さらしに見なされるおそれが有るというものが有ったように記 >>憶しているのだが、記憶違いだろうか? あなたはここの過去LOG全て(LIBも含めてだ)読み通しましたか? 読みもしないうちにそんな事を言う資格はありませんよ。読んでこう言うなら あなたの目は節穴です。 それから記憶違いでしょうね、それ以上に勝手な自己解釈しているだけですね。 ARIONはノロガメさんみたいになれなんて一言も言ってません。 >>アラミスさん、まぁ〜そんなに目くじら立てないで、穏やかに行きましょうや。 人をなめるのもいい加減にしてね、いつまでも同じ事を繰り返させる程ここは甘く ないです。それに私はノロガメさんの戯言に付き合う程暇じゃ無いしね。 私はノロガメさんを否定します、50過ぎの家庭を持つ男が精神世界にはまって 狂人の様な戯言を繰り返す・・誰がこんな人間の生き方に共鳴できると言うのか? 私はノロガメさんの様な生き方をするぐらいならば死んだ方がマシです。 08375/08432 NBB01420 SUKE ノロガメさん ( 7) 96/10/04 01:52 08358へのコメント コメント数:1 #8358 ノロガメさん        ===発言の内容について=== >>忘れるようなアップでは、ノロガメはなかなか退散しませんよ〜〜〜だ。 このような言い合いは実りのある会話とは思えません。 子供の喧嘩では無いのですから、改めて下さい。 >>それを承知で書き込んでいますと言ったら、どうします。 >>     (中略) >>最低だろうが、最悪だろうが、精神的社会問題に挑戦して、その解決を図ろうとす >>る自分の意見をアップすることが、道理に適った行為であると言うことです。 上記を読むと、ノロガメさんはご自分が最低最悪であることを自覚されて、 なおかつ確信犯的に発言を重ねていると言うことになりますが、 本当でしょうか? >>            ノロガメは現実にはタブー視されている、解決不可能と >>思われている精神的な問題解決のための意見の交換場所という捉え方でアップをし >>ているのです。 これはノロガメさん、あなたの個人的な解釈であって、 この場に通用するかどうかは分からないことです。 それを踏まえていますか?        ===この場への参加の仕方について=== >>自分を観ると言うことも、その中に含まれているのです。 「自分を観る」については、人それぞれ色々な方法があるでしょうけれど、こ の場ではARIONが教えてくれる色々な事を、自分の生活に活かして行こう と言う趣旨もあります。 ですから、持論を持ち込んで周囲の人のやり方を非難するようでは、今までこ の会議室で様々な試みの末に培ってきた歴史を軽んじ、同時に持論を重んじる 井の中の蛙でしかありません。 これはノロガメさんだけに限ったことではありませんが、持論がある人は何故 その持論ばかりに固執するのでしょうか。この場での流れと自分の持論との違 いを見極め、あるいは共通点を探し出し、より良い生き方を学ぼうとすること こそ、本当に私達が目指すべき方向性ではありますまいか。 この会議室に戻られてからのノロガメさんに、僕はそのように接してきたつも りです。しかしノロガメさんはどうであったでしょうか? 相変わらず持論に 拘るのみならず、他人からの意見に耳を貸さない態度を変えようとはしていま せんね?             ===警告=== >>ですから、ノロガメは発言が出来る間は発言を続けると言うことです。 >>なんか、文句有りますか? あります。 文句ではありませんが、しかし言うことがあります。 ノロガメさんは今まで他人からの意見を受け取らないと言うことを再三指摘さ れていながら、それを敢えて受け入れないことで、ご自分を主張されてきた。 しかし主張一辺倒は会議室という場にそぐわないのです。 それは掲示板というシステムにこそ相応しい。 それにもかかわらず、ノロガメさんを活かそうとしてコメントしてくれている 人がまだいると言うのに、それに甘えて自分を観る行為を拒み続けるのでした ら、この場に参加する資格がありません。 気長に対応してきたつもりですが、進歩がないと言うことでしたら向上心を認 められませんので、タイムオーバーということです。 ノロガメさん 感情に流されず、ご自分を真摯に振り返り、 更に以前議長ARIONに向けて言い切ったご自分の姿勢をもう一度思い出し、 ご自分の発言した事が本当であるのか、答えて下さい。 もしこの場に参加する資格が無い方でしたら、退場願うことになります。 この発言は警告として受け取って下さい。                         7番会議室 副議長 SUKE 08389/08432 QZA02327 ノロガメ RE:ノロガメさん ( 7) 96/10/05 01:32 08375へのコメント コメント数:3 ゚SUKEさん、今日は。 チャンスの後には、ピンチあり。ピンチの後には、チャンスありって感じですね。 ガスキーさんが、現れてノロガメに取ってはチャンスが到来して、一挙に汚名挽回 になるかと思えば、アラミスさんが現れて汚名挽回どころか、書き込むチャンスが なくなりそう、これも意識出来ない道理の世界から生まれて来る結果と言うもので しょう。 ちょうどSUKEさんと臨機応変について語り合っていたところで、これはこの場 を道場と捉えるならば、臨機応変を実践出来るのではないでしょうか。 一度有ることは二度になりかけていますが、前回ノロガメがこの場から去ったのは SUKEさん始め皆さんにご迷惑になると言う理由を取り入れました。 それも臨機応変と言うことでしょう。 今回は少し考え方が違います。 アラミスさんの指摘でノロガメがこの場を去ったとしたら、異端者は一切この場で 発言出来ない事実と習慣になるでしょう。 異端者というものは、それを指摘する人が異端者であって、異端者と名指しされて いる人は異端者ではない。 ノロガメから観れば、ノロガメを異端と感じている人が異端者になります。 その習慣と当たり前が、日本人は世界に取り残される結果を招いてしまいます。 人類皆兄弟、誰が言ったのかは知りませんが、アラミスさんのような人がこの場で 幅を利かせるようでは、差別心を消して世界の人と仲良くすることは出来ない。 私達は今インターネットの網の中にいます。 神の意志は人類を一派一絡げにしようとしているのです。 どんな人でも書き込みが出来る場が現れたのです。 この場はノロガメには場違いと言う人もいますが、ノロガメはこれを縁と捉えてい ます。 SUKEさん、始め維/YUIさんも、そしてMAOTOさんも、そして、そして、 13番では、こむさん、懐かしいです、KAZEさん、それからそれからRESを 付けて下さった皆さんとの出会い、みんな縁であります。 良くも悪くも出来た縁を大切にしたいと思っているのですが、縁にもそぐわない縁 が有るようで、すぐに切れてしまいます。 切れる原因はノロガメに有るようですが。 今回のノロガメの臨機応変を考えています。 この場を去ることは、一番容易い臨機応変でありましょう。 ところがです、精神世界を知ってしまったら行動に移さずにはいられなくなると言 う、その中身とは、問題の原因が見えて来るので、その問題を見逃す訳にはいかな くなると言うことなんです。 自分を観ると言う人間には難しいとされる問題をこの場で扱っていますね。 ノロガメにはその問題の答えが見えているので、それを何とか皆さんに伝えたいと 自己表明をしているのです。 その事実、正誤、賛否についてはこれは精神世界の事ですから、人間の思考で判断 することは出来ません。 ただ自分に正直になると、今有る結果の姿になってしまうのです。 自分の中に有るものをさらけ出して、問題解決に一役買いたいということです。 ですから、アラミスさんの指摘でこの場を去るという方法を取るとしたら、それは ノロガメがこの場に書き込んでいる目的とは一切関係ない、ただ人に迷惑をかける と言う理由によるものとなります。 そして、アラミスさんの指摘に納得しているのであれば、まだ筋の通る話になりま すが、今この場を去れば、ノロガメの問題意識は何一つ解決されない、それどころ か自分に正直になれないストレスがたまって来るでしょうね。 今回のアラミスさんに対するノロガメのコメントにSUKEさんが言及しています が、あれは売り言葉に買い言葉であって、アラミスさんとノロガメの間にある、き れいごとなど言っていられるか、の部類として観て頂きたい。 道理とは全体を観るものです。 その全体の一部分を取り上げて、一つ一つ指摘を受けたのでは、議論を全体に広げ て行くことは出来ません。 アラミスさんの指摘に屈してしまえば、このピンチを乗り越えることにはなりませ んね。 異端者排除は、ノロガメも皆さんも楽な道を選ぶことになります。 ピンチや苦難を乗り越えて自分を観ることが出来るので、人間には難しくなるので す。今回の臨機応変は楽な道を選ぶことを止めようと思っています。 ノロガメがどのように踏ん張って、このピンチを乗り越えて行くのか、それはノロ ガメに取っても、皆さんに取っても学びの良い教材になると思うのですが。 ガスキーさんも現れたことだし、また違った話の流れも観られるのではないでしょ うか?、自分にとってマイナスにはならないと思うのですがね。 ノロガメとしては、聞く耳を持たないと言う意識は自覚されていません。 RESが付けば、それに対してノロガメを表明しているのですが、結果としてはご 覧のような姿になる訳です。 皆さんが観ている問題に対して、どんな身の処し方が良いのかを考えています。 いろいろな問題の捉え方、処理の仕方が有ると言うことを理解して頂きたい。 そしてその問題に取り組もうとしている自分に正直で有りたいと思う人間もいるこ とを理解して頂きたい。 ただその人間の態度が問題であるならば、やはりその問題に取り組んで行く姿勢を 持って頂きたい、ただ気にくわんから追い出せでは、この場の本来有るべき目的へ は永久に到達されないでしょう。 皆さんがRESを付けてくれるので、ノロガメもノロガメの観ている精神世界の言 葉を書き込むことが出来る訳で、ノロガメ自身自分の心を目で観ることが出来ます が、RESが付かなければここまで観られて来た自分の心を観ることは出来なくな ります。 それは皆さんにも同様でありまして、ノロガメの精神世界とはどんなものかを観る ことが出来ない、それは自慢話ではなくて、良くも悪くも一つのたたき台になるこ とは事実でしょう。 会議室にたたき台が有るのが良いのか、ないのが良いのか、あれば議論がしやすく ります。 と言うことで、少し静観させて頂いて、RESが付けばこのピンチを乗り越える道 を選びたいと思っています。 ただガスキーさんが嫌気をさして、消えてしまうことを心配しているのですが、 ノロガメとしては、皆さんにとって異端者と見なされるもの同士の会話を観て頂き たいという願いが有ります。 しぶとく居座る結果になりますが、それはあくまで問題を見逃して自分が楽になる ことを選択しない態度として観て頂きたいですね。 自己確立は、何事が起きようとも、自分を推し進めることが出来ます。 ノロガメは現実にもそれを実践して職場における我が道を切り開いています。 信念は実践なしには生まれません。 信念がなければこの場のノロガメ像は存在しないでしょう。ノロガメでした。まる /E 08392/08432 GGD02212 スウ おめえパン買いに行って来い ( 7) 96/10/05 03:02 08389へのコメント  タイトルは、「ボキャブラ」に出ていた「汚名・挽回」のダジャレですが、 正しくは、「名誉挽回」もしくは「汚名返上」でしょうね。「汚名挽回」と いう誤った日本語はかなり一般化してしまっているようですが、文字通りに 解釈すると「不名誉な評判を取り戻す」ことになってしまいます。最初から 挽回する名誉も無いのであれば、やはり「汚名返上」と言うべきでしょう。 08393/08432 SDI00635 みれ ノロガメさんへ【運営注意】です ( 7) 96/10/05 05:07 08389へのコメント RE:#08389 ノロガメさん  ノロガメさん、あなたの会話姿勢が問題だと多くの方が過去から今に至るま で、何度も何度も指摘してきましたね?  ところがあなたは「聞く耳持たず」状態のまま、改善されませんでした。  あなたはご自分の発言姿勢を注意されると、いつもご自分の発言内容につい て答えてきましたが、それが何度にも及んだ上、確信犯的な行為であるとご自 分でも話されましたので、ここに明確に運営側からの注意とさせて頂きます。             ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^  向こう一週間以内にノロガメさんの態度に改善が見られない場合には、会員 資格降格処分とさせて頂きます。             ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ(北川恵子)★ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (以下、私的意見です)  ノロガメさん、あなたはご自分の意見を皆に押し付けているに過ぎないので すよ、分からないのですか?  他の人の意見に耳傾けて、お互いの差を知ろうとする努力をするべきこの会 議室で、天上天下唯我独尊の方の意見表明は場違いなのです。  誰もノロガメさんを異端者だなどと言っていません。異端者であるかどうか の定義などどうでも良い話です。あなたは自分の意見を皆が受け入れて褒めて くれないからと異端者扱いされていると言っているに過ぎないのですよ。異端 者扱いされた〜!と言えば、弱者の権利を標榜できるとでも思っていますか?  ノロガメさんの言う「異端者」は、単なるワガママな人間のことでしょう? ワガママが通らないからとゴネる人が、この会議室で発言出来なくても当り前 です。ワガママを目一杯通したい為に、異端者や差別などの弱者的立場の言葉 を濫用する人は、この会議室どころかフォーラムにも居て頂かなくて構わない です(~^~)キッパリ  もう一度言います。  あなたの発言内容の是非を問う前に、先ずその発言姿勢を何とかして下さい。  また、あなたの唱える「自己確立」を他の人に押し付けないで下さい。あな たの唱えるものは、どう考えても他の方の話す「自己確立」の話とは異なりま す。自己確立を果たした者が取る姿勢だとは誰も思えない事ばかりを繰り返し 続けて、それでいったい誰を説得出来ると思いますか?  一週間の間に目覚ましい変化が無い場合には、私はSYSOP としての義務を果 たします。                              ☆みれ・:・。,☆ 08397/08432 NBB01420 SUKE RE^2:ノロガメさん ( 7) 96/10/05 21:27 08389へのコメント コメント数:1 #8389 ノロガメさん 拝読した限り、発言姿勢を改めるつもりはない、と言うことですね? 既に運営注意が出ましたが、ノロガメさんがどのように解釈されようとも、 今この場で警告差し上げたのは、「異端者だから」では無いことを、 確かにここで表明しておきます。 ノロガメさんを異端者だと言っているのはノロガメさん自身であることを ご確認下さい>ノロガメさん 今回の警告について、アラミスさん云々は関係ありません。 ノロガメさんご自身のみの問題です。 実際に私はアラミスさんからの提案発言を読む前に、ノロガメさんの#8358を 読んだ時点で警告対象であると判断しましたことを付け加えておきます。 警告に際してノロガメさんのどこが問題なのか、よく読んで理解されて下さい。 理解のための時間は既に今までの膨大な発言のやりとりの中で充分にありまし たから、これが最後のチャンスでしょう。 他者との会話を行う場で、相手の意見を決して取り入れようとしないで、自分 の言うことばかりを聞いて貰おうと言うことが、どんなにマナー違反であるか、 気づいてください。 ノロガメさんはご自分にとって楽な道を選ばず、敢えて苦しい道を選ぼうとさ れていると言うことですね。 ノロガメさんにとって最も苦しい道とは、ご自分でストレスと言われているよ うに、他人から相手にされないことでしょう。 まだ苦しい道を通って学ぶ意思があるのでしたら、正にこの場から退去され、 相手にされないと言うストレスをじっくりと感じてみることも、新たな学びの 道を切り開かれる一つの方策だとも思えます。 運営処分を受けるにせよ、それはノロガメさんからの回答による結果であり、 ノロガメさんはご自身のなされた回答に責任を以て謙虚にこれを受け止めて頂 きたいと願います。                         7番会議室 副議長 SUKE 08412/08432 QZA02327 ノロガメ RE:RE^2:ノロガメさん ( 7) 96/10/07 02:01 08397へのコメント コメント数:6 SUKEさん、今日は。 これが最後のRESになるかも知れません。 まだタイムリミットまでには、時間がありますから、道理がつながればノロガメは この場で書き込むことが出来るでしょう。 道理がつながると言うことは、これから書こうとしている言葉が道理に適っていれ ば、どのような形になるかは分かりませんが、ノロガメの進むべき道が現れると言 うことです。 なぜ態度を改めないで自分を推し進めて来たのか、実はノロガメにも意識出来なかっ たのですが、こう言う状況になってノロガメにもそ理由が見えて来ました。 ノロガメが職場でちょうど今この場で展開している状況と全く同じ状態で自分の葛 藤があった訳です。 経営者の態度がどう考えても理解出来ない、その経営姿勢では会社は成り立たない。 だからノロガメは経営者の態度を改めるように指摘し続けて来たのです。 ちょうど皆さんが今ノロガメに対する気持ちと同じことなんです。 なぜなんだ?、どうしてなんだ?、何が自分に欠けているんだ、何としても会社を 生かさなければならない、で無いとノロガメの従業員に対する責任を遂行すること が出来なくなる。 普通であれば、こんな会社でやってられるか!て事になりますが、ノロガメには職 場を仕切ると言う使命がありまして、その使命を放棄するとみんなに迷惑をかける ことが目に見えているので、止めるに止められず、もうそうなると思考の限界でノ イローゼになってしまいます。 ところが、経営者の態度を責めるのを諦めて、自分に与えられた使命のみを遂行す れば、今日一日が何事も無く過ぎて行くことに気が付いたのです。 それどころか、ノロガメの人生が何故かバラ色に輝き出したのです。 ノロガメの会社は下請けの仕事をこなす仕組みになっていまして、仕事は親会社の 都合でいろいろ変化します。 その変化に臨機応変が求められる訳です。 付き合いと言うものが仕事を断ることが出来なくします。 暇になると、人手が余ってくる、忙しくなると人手が足りない。 そういう状況の中で、自分に与えられた仕事との葛藤がある訳です。 経営姿勢云々もその中に含まれます。 そういう問題に目が奪われて葛藤が始まる訳ですが、もうどうにもならなくなって くると、人のこと、会社のことはどうなってもいいや、自分の限界はこれまでなん だ、自分は自分のすることだけを考えて行くしか無い、と言うある種の開き直りで す。 ノロガメの態度を指摘してもどうにもならない、この場の目的にのみ自分を生かす ことを考える、自分を観るために、そんなノロガメに自分が捕らわれるなんてばか ばかしい、そういうことではなくて、自分にどんな意見があるのかを思考すること です。 人は人、自分は自分、自分の意見はこうだって事を主張する。 今ノロガメの態度にうんざりしている人が、このような意識改革をしたならば、そ の人は確実に自己確立が果たされると思います。 ノロガメはそのプロセスを踏んだのです。 ノロガメの態度を指摘して、言うことを聞かなければ追い出せばノロガメはいなく なって、この場は静かになる。 これがガスキーさんの言葉を借りれば、習慣と当たり前の思考でしょう。 信じれば救われると言うことがありますが、ノロガメが踏んだこのプロセスを信じ たならば、その人はそのプロセスを踏むことが出来てノロガメの出した結果を観る ことが出来るでしょう。 信じなければ、ノロガメの踏んだプロセスは誰も観ることは出来ません。 この期に及んで、ノロガメを信じれなんてとんでもないことですが、ノロガメは押 し売りをしているのではなくて、プロセスを表明しているのです。 ノロガメの目の前に何故その職場が生まれたのかと言うと、ノロガメがなぜ? ど うして?と自分の心を一生懸命働かせたからなんですね。 こんな会社と投げ出していれば、心の働きは生まれず、従ってそのプロセスも踏む ことが出来ず、自己確立と言う結果も生み出す原因が無い訳です。 ノイローゼになっても、諦めず一生懸命頑張って来た努力が今のノロガメの姿なん です。 ノロガメの態度は気に入らないが、何故ノロガメがそういう態度を取るのかを求め ようとする人は諦めずにRESをつけてくれます。 その反対がアラミスさんであり、MAKOTOさんですね。 心の働きがそこで大きく仕訳されてしまいます。 タイムリミットが現れても尚且つ自分を推し進めようという心の中には、自分を観 るために何かを求めようとしている皆さんにぜひノロガメの踏んだプロセスを聞い て頂きたいと言う願望なのです。 その願望が今ある状況を皆さんの目の前に作り出しているのです。 自分を観るためのお膳立てが出来上がりました。 ノロガメにも意識出来なかったノロガメの態度がこのお膳立てのために無意識に働 いていたのです。 いくら改めさせようとしても言うことを聞かないノロガメなんてほっといて、自分 のこの場への参加目的を果たすための思考を取り入れることです。 ノロガメはそのプロセスを踏んだのです。 誤解しないように言っておきますが、ノロガメの踏んだプロセスを真似ると、ノロ ガメのような自己確立が現れると言う判断は間違いです。 ノロガメとの縁を重視するならば、その縁は大切にされるでしょう。 そして信じれば、そのプロセスを真似ることが出来ます。 ここで大事なことは、その結果を想像して判断を下すことではなくて、自分の心を どのように設定するかという、意識改革なのです。 それはノロガメには一切関係なく、あくまでも自分がどうするかの選択なんです。 選択した道の先に何があるかです。 残念ながら、態度を改める意識が働きません。 どのように改めればよいのか、その言葉が無いのです。 道理の世界は人間に理解出来るものはありません。 人間は自分を観ることが出来れば、道理も見えて来ます。 これはガスキーさんも同じ意見だと確信しています。 道理が見えなければ、ノロガメの態度を理解することは出来ないのです。 そして人間の思考では、その道理を説くことも出来ないのです。 そこでノロガメは考えました。 こんなノロガメが自分に正直になることが道理を説きた唯一の思考なんだってこと を。 正直者は馬鹿を見ると言うことが言われますが、馬鹿を見るか見ないかそれはノロ ガメの賭けでもある訳です。 タイムリミットまでに、その賭けの答えが現れます。 結果を恐れず、自分の正直を推し進めて来た結果が、ノロガメの踏んだ哲を皆さん の前にお膳立てが出来たと言うことです。 はてさてお膳に並べられたノロガメの料理を皆さんは食べることが出来るでしょう か? 毒が入っているかも知れません。 試食して観れば、味合うことが出来ます。 食べず嫌いは、疑心の心です。 みんな自分の選択域の問題ですね。 何故この場なのか、何故ノロガメなのか、何故アラミスさんなのか、何故ガスキー さんなのか、みんな現れて存在するのは、道理があるからなんです。 それぞれに取ってその道理には意味があるのです。 そういうことで、皆さんの前で道理についてガスキーさんと言葉を交わしたいので す。 今はただ、イエローカードがレッドにならないように祈るだけです。 それはノロガメが態度を改めることによってなされるものではないのです。 この書き込みが最後になるかならないかは道理(神の意志)(自分の無意識)が決 めることになります。 ノロガメでした。まる 08413/08432 PXP02610 修羅 呆れて物も言えん ( 7) 96/10/07 12:21 08412へのコメント   ノロガメさん。   まだやってたのね。いい加減にしなさいよ(^"^;)                              修羅☆ 08416/08432 QFH02012 アラミス RE:RE^2:ノロガメさん ( 7) 96/10/07 17:15 08412へのコメント ノロガメさん宛のRESだけれどもガスキーさんにも向けて有りあります。 勘違いしている様なので言っておきますが、ノロガメさんの言うプロセスも道 理も十分分かっているのですよ。一年以上も同じ言動を繰り返してりゃ皆もう 耳に蛸ができてます。 ノロガメさんはノロガメさん、私には私の道理がある。それで私はノロガメさ んの様な在り方は否定し拒否するという事です。さらに「自分は自分」=自己 確立ならば私も自己確立者になる訳で、そんな戯言は冗談きつすぎて私は笑っ ちゃうのです。 自分に正直とか自分を抑圧しないとか言いますが、 では他人に不正直であったり、他人を抑圧しても良いのですかね? ノロガメさんもガスキーさんもこの視点がすっぽりと抜け落ちているのですよ。 特にノロガメさんは言っている事とやっている事が天と地程も開きがあるので すから話しになりませんわな。 これは習慣とか常識のレベルの話しじゃないからね、まさに人として道を外れ る行為だからね・・まぁ道理を説く者自身が道から外れている事に気付かないの だからどうしようもないか。 尤もノロガメさんは職場のストレスをここで憂さ晴らししている様なので論外 ではありますが。 それでガスキーさん、あなたこんな人に付いて行って後悔しません?ノロガメ さんの後追って命綱無しのバンジージャンプするか踏みとどまるか・・どうする のさ? 08417/08432 GBG02755 すまる RE:RE^2:ノロガメさん ( 7) 96/10/07 17:41 08412へのコメント 久しぶりです>>ノロガメさん ノロガメさんが変わらない限り、退去させられるんですね。 私は、「変わる必要」はないと感じています。 時として、「変わる必要」を必要としている側が、「変わる必要」があると 私は思うことがあります。 相手のありのままを受け入れると言うことを、どうしても私は必要とします。 これは私の個性に他なりませんが。 「変わる必要性」を感じている側に、「許容の限界」があるからだと思います。 そして、その限界をその側の人は、「当たり前」と思い込んでいることが 多いからです。この「限界」は、本当に人それぞれで、それぞれで良いと 思ってもいますが。 もし、自分を知りたいと望んでいるならば、この「限界」の正体を突き止めることも 必要だと思っています。 当たり前のこと、世間の常識、として、見ることを怠っているならば、 その方がもったいないと私は思うんです。 いえ、ノロガメさんの退去と言う事態を、どうこうしろと言っているわけでは ありません。 このフォーラムには、このフォーラムのやり方があって当たり前で、そこに座ることを 許されないなら、ここは、不釣り合いであったと去って行くしかないのですから。 ノロガメさんが退去しても、自分を変える必要がないと考えてしまったなら、 それで、終わりなのですから。 ・・なぜ、こんなことを書くのかと言えば、誰も書かなかったからですけれど。 わけのわからないことをウダウダ続けられては迷惑だ、と思う人ばかりで、 なんだか、そんな人しかここにはいないみたいで、寂しかったから。 私、ノロガメさんの我侭、好きでしたよ、とっても。 私の苦手なことを、人にねじ伏せられることなく、やり遂げたのですもの。 文章がやや下手で、分かり難い点は確かに、弱点でしたけれど、 頭のいい、分かりやすい文章よりも、何か、人間らしくて、暖かかった。 物わかりの良いフリをしない分だけ、人間くさいと私は思ってた。 私にも、そんな強さ、あどけなさがあったら良かったのに!って。 ここにいる人が必要としている「変化」は現れなかったかもしれないけれど、 きっと、ノロガメさんにとっては、大切な出会いであったに違いないって 祈っています。 私も生きて行くのが、めちゃんこ不器用で、人に疎まれたり、誤解されたり、 それはいっぱい傷ついていますけれど、でも、不器用で良かったなぁって 思っているんですよ。 不器用な人には、不器用なりの楽しみってあるから。 これからも、今のままのノロガメさんでいてくださいね。 出会えて良かったです。(^_^)                             すまる 08418/08432 HGC02325 ガッチャ RE:RE^2:ノロガメさん ( 7) 96/10/07 18:20 08412へのコメント  #08412 ノロガメ さん     既に何枚かのイエローカードは出ているのですが、ここに来ても態度を改め  るつもりが無いとの事。さらに「自分を観る」→「道理が見える」→「ノロガ  メの態度が理解できる」と繋げるにあたっては、何をかいわんやです。    |今はただ、イエローカードがレッドにならないように祈るだけです。  |それはノロガメが態度を改めることによってなされるものではないのです。     イエローがレッドにならないのはノロガメさん自身が態度を改める事によっ  てなされるものです。誤解やすり替えをなさらないように。     この発言を運営注意とし、最後のイエローカードであると宣言します。有余  1週間と言わ、次の発言に改善がみられない場合は、無条件に会員資格降格と  させて頂きます。                      FARION SUB-SYSOP HGC02325 ガッチャ 08421/08432 NBB01420 SUKE RE^4:ノロガメさん ( 7) 96/10/07 22:15 08412へのコメント #8412 ノロガメさん 更にはっきりとここで表明しておきます。 ノロガメさんを「気に入らないから」警告したのではありません。 そう思われているのなら、誤解ですから理解し直して下さい。 他人の話を聞かない人には、発言する資格もない、と言う理由で警告しています。 今までは警告しなくても、皆がそれを伝えようとして努力してきました。 しかしここが潮時というものです。 警告の意味を理解して下さい。 一般的な成人が理解出来ない程難しい話ではありません。 これ以上、警告の意味を理解せずに、更に態度を改めないのでしたら、警告の 意味を理解する意志がないと判断せざるを得ません。                          7番会議室 副議長 SUKE 08196/08432 GBG02043 維/YUI 産み育むもの ( 7) 96/08/18 22:55 コメント数:1 私が(私達が)、産み育んでいくもの。 それは、一瞬一瞬の自分の行動、自分自身。 それは、自と他の間の何か。 人と人の間の繋がりのひとつひとつ。 人々が集う場。 その間、場、繋がりを通して、自分は育まれる。学んでいく。 維/YUI 08221/08432 NBB01420 SUKE RE:産み育むもの ( 7) 96/08/23 12:16 08196へのコメント コメント数:1 育む力、それは 愛する力 愛のない行為は、何も産まない、何も育まない 育むこと、それは 可能性を広げること 愛のない目は、可能性を認めない、自由を認めない 愛があれば、育み、可能性を見 愛がなければ、芽を摘み、見るものは知ったものにしか見えなくなる 愛を贈る者、愛を受け取る者 示し合わせることもなく、互いに知ることもなく ただ行うことのみが、出来ること…         ………なのではないかしらんね...Suke.(^_-)☆ 08226/08432 GBG02043 維/YUI しかして…愛とは。。。 ( 7) 96/08/23 23:39 08221へのコメント コメント数:1 何が、可能性を衰退させ 何が、それを鼓舞するのか たまにふと、思うんです。 わたしのなす行為、ひとつひとつ、それには愛があるのかと。 よかれと思っておこす行動一つ一つ、 考えあぐねた結果一つ一つ、 それでも後悔はしてないけどね。 まだ、判断しきれないです。 「ああ、またやっちまったぃ!!」と苦笑いします。 維/YUI 08259/08432 NBB01420 SUKE RE:しかして…愛とは。。。 ( 7) 96/08/31 17:27 08226へのコメント #8226 維/YUIさん、どうもです。 さて、愛とはなんぞやと言われてしまうと 色々な想いが浮かんできて困ってしまう。 まぁとりあえず、「愛とは可能性を育むもの」と言うのは 間違いでは無さそう… だけど、育まなければ…愛さなければ…って思ったらもう 「なければならない」式の押しつけになってしまう。 結局、僕らは敵同士じゃないんだって言うことを忘れないで いようと思っています。 >>「ああ、またやっちまったぃ!!」と苦笑いします。 そりゃ僕も同じで(^_^;)めげずに頑張るしかないよね(^_^;)                            Suke.(^_-)☆ 08227/08432 GBG02043 維/YUI RE:理論と感情 ( 7) 96/08/23 23:39 08216へのコメント コメント数:1 一人になりたい…ですか? う〜ん。 もともと、独身の時から 一人で行動することが多かったので、四六時中同一の人が半径5−6 メートルに居るという状況にどうしてもなじみきれないんですね。(笑) んでもって、うちの旦那の場合、人の手を借りなきゃできないことばかり なので、どうしても私個人の行動に入り込むことになるんです。 すると、集中がとぎれてしまう私としてはキレてくるんですよ。 結婚してこの方、一度も離れたことがないので(旦那が入院したことは あったけど、時間がある限り付き添いだったし)、たまには一人でぷらっ と山登りでもしたいなぁ〜とか思うわけです。 ところで、感情を害されてカッカする…ってところから、感情は必要で ないものとされているようなんですが、それは単に、感情に流される から、いけないだけではないのでしょうか? 私は、感情が正論だとかって話をしているのではないのです。 感情自体はいいもわるいもなくて、それはただ人間ならば”ある”もの なのでは? それにハマッてしまうから、時として大きな問題にまで発展してしまう だけのことでしょう。けれど、感情がまるでなかったら、良い芸術は たいして生まれていないのではないかと思います。劇なんか、感情抜きに したら、ほとんどつまんなくなっちゃいそ〜だわ。(ま、それはそれ。 理論的に客観的に物事を見極めなきゃならないときには、感情は一旦 脇に置く方が、実際楽ですね。) 感情のない人間(というのが、本当にあったとして)を軽蔑はしませんが、 友達にはなりたくないです。ノロガメさんについても、もし感情のカケラも なかったら、RES書こうとも思わないですよ、たぶん。 ノロガメさんの書いていた自分が良い状態についての話、概ねオッケーです。 人間に便利というのが、楽して儲けるにつながるとは、思ってもみません でした。そういわれてみれば、そんな感じもみえますね。 私は、働くのは好きです。どうでもいいような職場でのどうでもいい仕事 については、ヤル気が失せることもありますが、それでもやることは キチッと仕上げないと、なぁんか心地悪くて。 自らの額に汗して、何かを創り上げる、やり遂げる…、そういったことが 私にはとてもいいエネルギーになります。 それを機械任せ、他人まかせ にするなんて、そんなもったいない! 機械には、機械にやらせるべきテリトリーがあるんではないですかね。 >>世間が悪いから自分も良い状態が保てないと言うことではなくて、 >>世間が悪く見えるのは、自分の状態が良くないからであり、世間と >>いうものは常に自然であるという捉え方が必要のようですね。 はいはい。これ。 私も、こういう捉え方で、切り抜けた事ごとが ありました。(でも、なおやっぱり「これは、絶対に世の中間違ってる」 と思うことはありませんでした?)私の場合は、少なくとも自分は 自分ができ得る限りのことはやっているということで、ある程度の ところまでは、状況を改善できることもあった…ということでした。 >>人生は何事も、創意工夫です、工夫しなければ、なにも見えて来ません。 これは、すっごく賛成です! ほんと、そうなんですよ、ね! 若い劇仲間の子が、たいして考えず、行動もせずに、「できないんです、 どうしましょう…」なんて言ってるのを聞くと、怒りを通り越して、 なんだかなさけなくなってしまいます。「少なくとも、好きでやってる ことについてぐらいは、もうちょっとマジに悩めよぉ!!!」と、 ついつぶやいてしまいます。 ノロガメも同感ですが、だからといって、風潮に逆らっても個人的な意見なんて空 しいものです。 >>ところがパソ通のこうした会議室では、その気持ちを表明出来る、 >>これは空しいものでは有りませんね。 >>聞いてくれる人もいるし、そして意見も聞かせてもらえる、自分が >>真剣であれば、それが反映されます。 えっと、私は友人の間でもこんなような話はすることがあるので、 パソ通の会議室に限定してはいません。ノロガメさんは、パソ通以外の ところでは、こういった話はできないのでしょうか? たとえば奥様と でも。友人の方々とでも。 >>ですからノロガメはこの場と言うものを、ただ単に人間的なコミニュケー >>ションの場として捉えるのではなくて、現実とは異なるものとして観る >>ことが必要であると思うのです。 ARIONさんが、この場には特別な磁場が形成されている、というよう なことを以前話していたと思いますが、そういう意味では、確かにいつも とは「異なる」のかもしれません。 が、ARIONさん達が働きかけているのは、この場だけではないという 話もあったと思います。(ARIONという名称は使って無いだろうけど) それとは別に、私はここで話されていること、そこでつかんだ事柄は それを受けた一人一人が、責任をもって、自らの行動と言葉で、現実に 反映されていなければ、意味がないと思っています。便方として、ここを 現実(?)/日常と切り離すことはともかく、一旦自分の心を通し、魂に 刻みつけたのなら、それはこの場でもここ以外の場でも発揮されるもの ではないのでしょうか。 なんだか、とても長くなりました。。。(ごめんなさい>読む人ALL) 維/YUI 08281/08432 CQE06546 みぃにゃ ジェンターフリー ( 7) 96/09/06 10:55 コメント数:1  今日(9/5)、市の公民館に「ジェンター」についての講演を聞きにいきました。  「ジェンター」社会的に作られた性差について、女性はもう何年も 闘ってきています。  でも、男性はどうなんでしょう?  男性優位の社会で男性に都合の良いように仕組まれたはずのジェンターで、 男性自身も気がつかないうちに捕われて、身動きができなくなり、自分自身 を見失っています。  困ったことに、それに気がつかずに、自分が本当はなにに苦しめられて いるのかわからないまま途方に暮れて生きる活力を失っている人が多いのだな と、いまさらながらに気がつきました。  男だからこうあるべき、女だからこうするべきといった考えに捕われずに 自分がそれをすることを選択して、行動をおこすことが大切なはずなのに、 世論の事なかれ主義や年よりの古い封建的な考えに知らない間に毒されている。  自分が本当にやりたいことは何なのかわからないまま、男だから、女だから と人生の選択肢を狭めてしまっている。  無気力でマスコミや権威に流されやすい人が多くなるはずだよね。  性別に捕われることなく「人」として「個」としてパートナーを見つけなきゃ いけないのに、たくさんの人と交流していかなければいけないのに、 呪縛はあまりにも強い。  たとえ話をたくさん交え、わかりやすい講演でした。  一番印象に残ったのは、 「人と人が触れ合う為には、共鳴感を持つこと、他人に共鳴できる人は 自分の内面も理解していくことができる」  と、言われた部分。  ひとつ思い当たることがある。  ジェンターに捕われず公正な目で相手を見た時。  そこに見えるものは、「現在の相手の状態」だ。  相手が思っている「こう見せたいと思っている自分」というフィルターを 無視した本当の現在の状態が見える。  あたしはどうもその本当の部分に共鳴して、手助けができないかどうかと 働きかけをしてしまうらしい。  それはともすれば、相手は隠しておきたいと感じている部分だったり するので、反発されてしまうんだ。  難しいねぇ。  人は皆、自分がいかにジェンターに縛られているのか、知らないといけない。  そして、そこから本当の自分との闘いがはじまる。  自分らしい自分を見つける旅がはじまる。  講師は立命館大学の中村さんという方でした。  みなさんも機会があれば、講演を聞きにいかれることをお勧めします。  ☆♪☆みぃにゃ CQE06546@niftyserve.or.jp☆♪☆ 08282/08432 JCF02051 めのう 進歩がない。 ( 7) 96/09/06 21:33 先日HDの中身を整理していて昔アップした発言の束を見つけました。 (NIFTY入会以来自分の発言は全部保管している私。マメだなぁ) ひととおり読み返してガックリしました。 ....進歩がないっ! いくらなんでもこりゃヒドイ。 同じことを表現を変えて言ってるだけじゃないか。 本当に口ばっかりでなーんにも行動してない。 自分の発言に責任を持とうと思って保管してきたつもりが、いやもう、恥ず かしいやらゾッとするやら情けないやら.... そろそろ目標を定めて勉強しよう、生活も改めようなんて思っていたところ ですが、「そろそろ」なんて悠長なことは言ってられない事態の深刻さを ようやく認識した次第。 今までは明日やればいいことを明後日、明明後日にとダラダラ引き延ばして いたけど、出来るなら今日のうちにやるようにしないと私の人生いくらあっ ても足りなくなるぞっ(^"^;                         ◆◆ めのう ◆◆ 08289/08432 NBB01420 SUKE 道の歩き方 ( 7) 96/09/10 01:22 突然ですが、最近あったことを(^_^) 先日、街の歩き方について面白い事に気が付きました。 友人がどうも人にぶつかるのを頓着しないで歩いているようで、後からついて 歩いていた僕は「なんだか自分からぶつかりに行っているみたいだ」と思って いたんです。 その話を当人にしたところ、ぶつかったらどうなんだ?と言う話になりまして。 ぶつかって相手が怒って殴ってきたらどうしよう…そんな事を考えました。 で、ぶつかってしまったら、殴られるかもしれないし殴られないかもしれない。 でも、ぶつからなかったら、殴られる事はない。 僕の感覚では殴られる事は無い後者を選ぶんですね。だから僕は街を歩いてい るとき、自分に無理のない範囲で他人とぶつかるのを避ける癖がついています。 ところが、ぶつかった後の事はぶつかってから考えれば良いと言う人もいるわ けで、殴られてもたかが殴られるだけ…という感覚もあるようです。 その辺が僕にとっては新鮮な驚きでして…。 そこで、日曜日に秋葉原に買い物に出た時、試しに自分の進路を変えずに歩け るかどうか、早速やってみました(^_^;) なにしろ人混みですからね>日曜の秋葉原 でもやってみると案外相手が避けることが多い。 避けない人でも直前になって僕が肩を交わすのと同時位に向こうも肩を交わし たりします。これが相手と自分が同じタイミングだったりするとちょっと嬉し い(^_^;) 要するに、ただ歩きながら、先から来る人を相手に精神的な駆け引きをしてい るんですね、これって。 そのうち、面白いことに気が付きました。 のろのろ歩いている人に後ろから追いついても、やはり全然気が付かないので 避けてはくれません。流石にそういう時は自分の進路を変えなければ追い抜け ない。当たり前(^_^;)なんだけど、そういうのも面白かった。 外国人は風習の違いなのかどうも考えている事がよくわからないと感じていま したが、こういう駆け引きではやはり似たようなもので、外国人もちゃんと避 けたりします。 道ばたのジャンクなんかに気を取られていると、やはり全然駄目ですね。 すれ違うのが綺麗な女の子だったりすると、その顔に目が行ってしまって、す ぐに人波のドツボにはまってしまいます(^_^;) それから、子供はダメですね。やはり目線の高さが全然違うからか、全くこち らの存在を無視されてしまう(^_^;) そうこうしている内に、後ろの人の手に僕の手がぶつかりました。 予想外の方向だったので、結構ちゃんとぶつかってしまいましたが、相手は気 にしなかったようです。 で、ぶつかってみて思ったんですが、やはりぶつかると分かっていながらぶつ かって行くのは失礼ではないかと。(^_^;) それはそうです。当たり前なんですが、やってみて改めて分かるってこんな感 じなんですね。 こういう日常の歩き方一つでも、精神的なコミュニケーションがあるって事に 初めて気が付きました。 何となく人混みを歩くのがちょっと面白かった日でしたよ。                              Suke.(^_-)☆ 08343/08432 CYF03422 ガスキー 習慣と、当たり前 ( 7) 96/10/01 23:05 コメント数:9 FARIONのみなさん、初めまして、ガスキーと申します。 ただいまより、習慣と当たり前の関係について、掘り進んで観たいと、思います なぜなら、その延長線上に、すべての問題と、すべての解決が潜んでいるように 感じるからです。 小さな子供が、自分のいつも遊んでいるおもちゃを、取り上げられると怒ります。 (ごく一般的に、考えて下さい) それは、自分のおもちゃだと思っている(確信している)からです。 なぜ、その子供は、自分のおもちゃだと、思った(確信した)か、と申しますと それを、買い与えた大人が、『これは、あなたのおもちゃだよ』と、言った後で その言葉通り、その子供が、自分専用の、おもちゃとして使い続ける事が出来た 現実があったからです。 『これは、あなたのおもちゃだよ』と、言われても、そのおもちゃを自分専用に 使えなかった場合、自分だけの、おもちゃというような、実感は湧きません。 と言う事は、子供が『このおもちゃは、私の物である』と、思い、その事を 当たり前と感じる(当たり前と感じますと、その事は意識から消えます) ようになる為には その前に、自分のおもちゃとして、遊び続ける事が出来たと言う事実の、習慣化 を、必要とします。 つまり、事実の、習慣化により、良い、悪いに関係なく、当たり前という 感じ方は、心に生じて来ます。 そして、その習慣(おもちゃを、自分の思うがまま使う)を、当たり前と心の中に 取り入れてしまうと、その習慣が、続く事を、当たり前と感じてしまうので (その心は、当たり前と感じている事を意識出来ません) 変化した時、不当だ、理不尽だ、けしからん許せないと言う、怒りの心が その人の都合とは関係なく、湧き起こって来ます。 だから、子供は、おもちゃを取り上げると怒るのです。 今回は、子供とおもちゃで説明させていただきましたが、すべてに当てはまるのでは ないかと、思います。 人間の心の中に生じて来た、当たり前と言う感じ方は、その人の考え方の前提と なります。 つまり、自分に取って当たり前と感じている事が、当たり前に行かなかった場合 不当だ、理不尽だ、けしからん許せないと言う、怒りの心が、その人の都合とは関係 なくその人の心の中に、生じて来ます。 それぞれの方の、心の中に生じて来た怒りの心を、客観的に判断していただければ 見えて来ると思います。 私は、相手(自分も含めたすべての、事柄)が(こうなる、こういく、こう考える) (これは、心の中の自分の考え方の、すべての出発点となる、前提であるので 自分で、意識出来ない、前提を意識した途端に、その前提は変わってしまう 自分の力で意識出来ないから前提である)と思っていたのに、期待に反して 現実には(こうなった、こういった、こう考えた)からです。 一つの例を上げますと、親が、子供を自分の所有物と考えているので (子供を自分の所有物と考えている、これはその親の考え方の、すべての出発点 なのです、『子供は、私の所有物』そこから、その親のすべての思いは、出発 するのです、そしてその前提は、意識されないのです。 なぜなら『子供は、私の所有物』の前提を、意識した瞬間に、その親の前提は 崩れ去るからです。 『子供は、私の物、私の所有物、だから、子供が私に従うのは、当たり前の事』 と、思っているから、子供が親に従わなかったら、怒るのです 親が、怒るのは、子供が親に従わないと言う、事実にあるのでなく 子供が私に従うのは、当たり前の事と感じている、意識されないけど 現実に存在する事実に在ります。 意識されないけど、現実に存在する事実を受け入れる事、これが、自分を観ることです 子供に怒りを感じる、家内に怒りを感じる、部下に怒りを感じる、上司に怒りを 感じる、世の中に怒りを感じる、相手に怒りを感じる、自分に怒りを感じるなどは すべて、自分の心の中に存在する そうなって当たり前だ。そうなるのは当然の事だ。と感じている、心にあります。 自分の期待している通りにならない、現実にあるのではないのです。 CYF03422 ガスキーでした。 96/10/01(水) 08419/08432 CYF03422 ガスキー RE:習慣と、当たり前 ( 7) 96/10/07 20:12 08401へのコメント コメント数:1 維/YUIさん、こんにちは、ガスキーです。 #08401のコメントです。(ご指摘ありがとうございます。) (まだまだ分からない事が、多いのでまた、不自然なところがありましたら 指摘して下さい。) 改行します。 》何があっても超然としていられることをめざしている人って、結構見ましたし 》聞きましたよ、精神世界に興味ある人々の中で。 ちょっと気になったのですが、単に超然としているのと、超然としているように 自分と、自分以外のすべての人に、見せるのは、どこが違うと思いますか ? 日常の例でしたら、単に子供を愛しているのと、自分では意識上で、子供を愛して いると、信じ、子供にも信じ込ませ(親に依存しているので、子供は、意識上は 愛されていると、信じる)ている親。 見分けるキーワードは その親が、子供に見返りを求めているか、いないか(本人は意識していない、また 見返りを求めている事実を、認められないし、見返りを求めている事実に気づく 事を、子供に許さない) また、子供に見返りを求めているなら、何を見返りに求めているか ? また、もう一つのポイントは、反対したり、否定した時、怒るか、怒らないかだと 思います。 だから『あんたは、私を自分にとって都合良いように、操作していただけだ!』とか 『私は、あなたが大嫌いだ!』とか子供が言うと、愛しているように自分と 自分以外の人間に見せかけている親は、激昂します。 (怒りの理由を、相手に求めます。) 同じ道理を先程の、(超然)に当てはめてみますと 》何があっても超然としていられることをめざしている人 と言うのは、超然としなければならない理由が無意識下にある人でしょうか ? (と言う事は、自分の生き方を否定されれば怒りが湧いて来る人) では、超然としなければならない理由が無意識下になくて、超然としている人は 超然する事を目的にしたのでなくて、日常の行為の結果が、第三者から見れば 超然としていると、見えるのであって、その人にとっては、超然としているように 見えようと、見えよまいと、関係ないひと。 愛さなければならない理由のある人は、現実として愛する(愛しているように見せる 事は出来ても)事は出来ないとおなじく 超然しなければならない理由のある人は、現実として超然する事は、ないって事に なりませんか ? CYF03422 ガスキーでした。96/10/07 (月) 08425/08432 GBG02043 維/YUI RE^2:習慣と、当たり前 ( 7) 96/10/08 00:09 08419へのコメント こんばんわ。 >>ちょっと気になったのですが、単に超然としているのと、超然としているように >>自分と、自分以外のすべての人に、見せるのは、どこが違うと思いますか ? 実際にそうなっているか、そうなっているように”見せかけている”ということです から、事実か事実ではないかの違いがあります。 超然とした人になることをめざしている人にもいろいろいるでしょうね。 本当にただそういう人が理想だと思ってる人や、そういう人はかっこいいように 思えて、そういう人になって、周りの人に認められたい人とか…。 まあ、どちらにしろわざわざ、感情をまるっきり切り捨てて生きる人を目指すって 心境が、私にはなじめませんね。  現実に超然としようと、そう演じてみせようと、どっちでもつまらないことです。 維/YUI - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/10/08 - 923/982 GFB00026 一輝 鬼の伝説 ( 9) 96/07/19 23:25 922へのコメント コメント数:1 >しまうまさん、TAOさん 『鬼の伝説』邦光史郎著・集英社刊  まだ読んでもいない本の紹介になりますが、新刊(5月)紹介には「日本人 にとって<鬼>とは何だったのか? 恐れながらも親しまれてきたその正体を 求めて、知的冒険の旅が始まる…。歴史的、民俗学的考察の書」とあります。 まずは御報告まで…。                                     一輝 928/982 KFQ02761 しまうま RE:鬼の伝説 ( 9) 96/07/21 04:35 923へのコメント #923 一輝さん  こんにちは(^^)。  本のご紹介、どうもありがとうございましたm(__)m。  明日は町に出る予定なので、本屋さんで探してみますね。  感想はまた改めてアップさせていただきまーす(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 929/982 MHD02672 TAO RE:荒神谷遺跡の × ( 9) 96/07/21 19:45 926へのコメント  #926 ISE さん   どうも。今回も興味深い内容ですね(^^)。  >>  問題は銅剣なんですが、この銅剣、茎の部分に × が掘られているん  >> ですね。また銅剣が朱塗りされていることから、これはなにか呪術的な  >> 祈りをこめて埋めたと考えられます。                             (改行位置変更)   それは初耳でした。この銅剣、クリス型と呼ばれるタイプで、刀身が中細  の波状型というのが特徴ですが、南朝鮮から中国の山東省〜雲南省を経てイ  ンドシナ半島まで広く分布しているとされます。逆に北朝鮮や中国北部から  は出土してないようです。   銅剣の茎に刻まれた「×」がどういう意味を持っているのかについては、  判断材料が乏しく何とも断言出来かねますが、銅剣が埋められた当時の状況  を想像するに、何らかの呪術的な意図をこめて刻まれたことは言い得るので  は無いかと思います。もし「×」を十字と見るならば、十字は古代より世界  的に普遍的なシンボルだったのですから、間違いないでしょう。「◎」も渦  巻か或いは太陽の表現だとしたら、その取り合わせに象徴的な意味があって  もおかしくありませんね。   『十字架と渦巻』(大和岩雄著/白水社刊)によれば、十字は「時空の円環  運動は渦巻・螺旋のように立体的であり、回転しながら上昇し下降する。そ  うした渦巻・螺旋運動の中に、すべての生きとし生けるものの生死はある。  その渦巻の中心象徴として十字形があった」とされています。   そういう観点から見れば、エジプトやシュメール等の古代オリエント世界  で「×」や「+」が“太陽の運行を司る大地神”“輝く”という意味になる  のもむべなるかな、です。太陽も毎日生まれては死ぬ、生死の円環運動を繰  り返しながら豊穣をもたらすのですから。神話研究家のJ・キャンベルも「  十字架は母神シンボル」としています。日本とエジプトは面白いことに、王  権神話では「太陽」と「王」をダブルイメージで見ているという共通点があ  りますね。   話が飛びましたね(^^;。  ***  >>  つまり、当時の出雲族と日向族は、出雲族主導で、和合、協調、して  >> いたと考えられます。しかし後一世紀前半、その和合が崩れる何かが起  >> きた。(国譲り?)  >> 単に出雲族と日向族の和合の主導が、日向族に移るだけであれば、35  >> 8本の剣に × を刻み、剣を朱塗りして埋葬するというのはおかしい。  >> 日向族は出雲族に対して協調の主導を迫ったのではなく、支配、隷従、  >> を迫ったと考えられます。   『AMA族の系譜』によると日向族と出雲族が決裂したのは、スサノオの  娘婿で、出雲と日向(九州)の統治権を受け継いでいたオオナムチ(大国主神)  が、九州で死んだ後に、出雲継承紛争が起こってからだとしています。オオ  ナムチは出雲の正妻、日向の現地妻のどちらとも子供を成していたので、統  治権の継承を巡って揉めたという訳ですが、それが後に「国譲り」というエ  ピソードとして残されたということでしょうね。   そういや、つい最近も某ファッションデザイナーが死に、遺産継承を巡っ  て異母兄弟の間で骨肉の争いが生じるなんていう騒動もあったなぁ(^^;。  >>  戦前最大の民間宗教、大本教(九鬼・出雲系)が、中国、朝鮮、台湾、  >> 南洋諸島の植民地に、戦争反対・差別反対・搾取反対などの開放の輪を  >> 広げ、協調していたのに対し、アマテラスを掲げて復活した天皇制の日  >> 本が、アジアの国々に対して行ったのが、支配、隷従、であったのは、正に  >> 「歴史は繰り返す」ですね。   う〜む。『記紀』で歴史を改竄した張本人は、日向系の持統天皇であり藤  原不比等であったといいますからね。皇室自体は『記紀』をまともに受け止  めずに、皇室内では史実に基づいた出雲系の慣例を採用しているそうですが、  明治政府により捏造された「国家神道」は、歴史を改竄した虚偽の史書をプ  ロパガンダに使った訳ですから、結果も歪んでくるのは必然だったと言えま  す。  >>  [真の太陽神]には、支配、隷従、ではなく和合、協調、をお願いした  >> いと思います。   そうですね(^^)。太陽自体は何の分け隔ても無く全ての人々に陽光を降り  注ぐのですから。では〜。  TAO 959/982 MHD02672 TAO 白山菊理媛幻想 その五 ( 9) 96/08/17 23:31 950へのコメント   今回は番外編です。  ◆◇◆   先週土曜日の深夜、同行者の運転する車で熊野へ向けて出発した。玉置山  と那智の滝に参拝する為である。(その時は知らなかったのだけど、今月の  『ムー』でも玉置神社の特集記事を組んでいたらしい)   翌日のお昼丁度に、玉置山の頂上にある玉置神社の駐車場に到着する(車  を止めた瞬間に、12時の時報が鳴ったという ^^;)。駐車場の前の鳥居か  ら玉置神社まではかなりの距離がある為、かなり整えられた山道を歩く。玉  置神社までは往路と帰路の二つの道があって、いつもは往路を通って行くの  だが、今度は何故か間違えて、本来は帰路である道を通ってしまった。その  お陰で意外なことに気付くに至ったのである。   道を歩いて行くうちに、高さが数十メートルぐらいはありそうな溶岩状の  岩が山腹に食い込んでいるのが見えた。その前に小さな木鳥居が立っていて、  その傍らの立て看板を見ると「白山社 祭神・菊理媛」と書いてある。   玉置山に「白山社」!? あまりの意外さに驚いてしまったが、同時に昔  某霊能者の女性(笑)に伺った「玉置山と白山は繋がっている(霊的な意味で)」  という言葉を思い出した。そしてKAZEさんが#362で「玉置山−白山−富士山」  が成す三角形についても言及していたことも。同行者が以前に富士山に登っ  ているのである。   玉置神社の主祭神はやはり「国常立尊」であったが、今までよく分からな  かった玉石社のご祭神も「大巳貴尊」(=大国主神)とされていることも判明  した。このオオナムチノミコトについては、通常「大国主神」の異称となっ  ているが、『出雲風土記』『出雲国造神賀詞』では「国土造成神」として位  置づけられている為、元々は出雲系の国土造成神だったのが『記紀』に組み  込まれたのでは無いかともいう。   ここで話がいきなりぶっ飛びモードにワープするのだが(笑)、ARION  が自分の出処について触れ、自分達は日月−大本の神と同じだとした上で「  日月の神として現れた神は大本の神であり、更に遡ると出雲の神」とも話し  ていたのを思い出した。日月神示でも大本教でも国土神として重要な扱いを  受けている「国常立尊」が玉置神社本社のご祭神であり、末社の玉石社のご  祭神も出雲系の国土神「オオナムチ」であるというのは実に面白いのでは無  いだろうか。   その玉石社であるが、新宮市で買い求めた一輪の白百合と酒を供えて祀っ  たものの、「生気」の乏しさが気掛かりになった。玉石に、あの重量感が失  われているように感じられたのである。帰京してから『ムー』の記事を読ん  でみると、なんと玉石の周囲に勝手に経文とかを埋めて行く輩がいるらしい  (- -;)。そう言えば玉石は柵に囲まれているのであるが、その中に紙の皿が  投げ込まれていて、何とか回収しようと思ったものの、柵に阻まれて出来な  かった。   ちょっと暗鬱な気分で引き返したが、帰りも帰路の道にし、再び白山社に  寄って参拝して行った。今後に白山登山を控えている為である。4回目の参  拝にして玉置山に白山社を見つけたのは偶然だったが、玉置山に登ることは  もう無いだろうと思えるだけに、最後の収穫だったと言える。  TAO 980/982 MHD02672 TAO 狼、モンゴル、スラヴ ( 9) 96/09/23 23:45 976へのコメント コメント数:1 #976 一輝さん   亀レスになってしまって申し訳ありません(^_^;)。   >>  また、アジアという視野で探せば「呉越(ベトナム)」と「吐藩(チ   >>  ベット)」も犬祖伝説の国家でした。つまり、稲作をもたらしたAM   >>  A族トーテムとしての「牛」や「蛇」以前は、「犬」が幅を効かせた   >>  トーテムだったと考えられるわけですね。「犬」とは即ち「狼」です。   「狼」といえば、狼を祖先とするのは、トルコ系の民族の祖先伝説の特徴だ  そうです。モンゴルの創始者チンギス・ハーンを「蒼き狼」の子孫とする通説  が有名ですが、実はこれは誤訳に基づく誤解らしいのです。   モンゴル語でチンギス・ハーンの一生を記した『元朝秘史』という有名な物  語がありますが(但し、史書というより殆ど歴史小説に近い)、明治時代にこの  『元朝秘史』を邦訳した『成吉思汗実録』を出した那珂通世が、本来は「斑の  狼」と訳すべきだったのを誤って「蒼き狼」と訳したのが、そのロマンティッ  クな響き故に伝播されたといいます。   さてモンゴルの創始者であるチンギス・ハーンの祖先として「狼」が挙げら  れているのは、モンゴル民族にトルコ系の住民の血も混じっているということ  なのでしょう。実際、モンゴル部族が現れる以前には、モンゴル高原はトルコ  系の民族に占められていたといいます。   中国では隋に当たる時代に、モンゴル高原では「突厥(トツケツ)」という民族が  隆盛を誇っていましたが、この「突厥」はテュルクという民族名を漢字で写し  たもので、このテュルクが、日本語の「トルコ」の原語です。552 年の突厥の  建国以来、中央アジアの遊牧民は殆ど「テュルク」と称するようになりました  が、中国の史書では突厥の祖先に関しては「狼の子孫」としています。このト  ルコ系固有の狼=祖先伝説が、モンゴル部族にも受け継がれて来たようですね。  ***   話は変わりますが、以前一輝さんと「スラヴ」について個人的に話し合った  ことは覚えておいてでしょうか。確か、ARIONのサジェスチョンの中に「  スラブ文化については、AMA族とコーカソイドが融和して出来上がった独特  の文化だ」というのがあったという話でしたが、スラヴとモンゴルの関係につ  いての興味深い情報を入手しました。世界的な東洋史学者である岡田英弘の『  世界史の誕生』(筑摩書房/ちくまライブラリー No.73)から引用します。     ロシアも、モンゴル帝国の継承国家である。これは、東スラヴ人とフィ    ン人を、スカンディナヴィアから来たルーシが支配して作った国家である。    しかしルーシには統一がなく、リューリク家の公たちがばらばらに、それ    ぞれの都市を支配していて、1237年のモンゴル軍の侵入を迎えた。これ以    後、ルーシは黄金のオルドのハーンたちに臣従して、いわゆる「タタルの    軛(クビキ)」の時代が五百年間も続くことになった。「タタル」とはロシア    語で、トルコ語を話すイスラム教徒のモンゴル人を指した言葉である。                             (同書 216Pより)    ※ルーシ…九世紀に北方に現れた種族で、ゲルマン系のノルマン人だった         とされる。「ルーシ」は「ロシア」の語源であり、ルーシが征         服した国土が「ロシア」、ルーシに征服された人々が「ロシア         人」になった。なお、ルーシは「ハザール帝国」を滅ぼした張         本人でもある。   以降、著者は具体的な例を挙げながら、モンゴルの支配下でルーシが殆どモ  ンゴル化してしまい、それが「ロシア文明の基礎」になったとしています。モ  ンゴルの支配は非常に文化的なものだったらしく、政治・軍事両面でモンゴル  の洗練された様式を学ぶのにルーシは熱心だったといいます。   ただ、宗教面についてはルーシはロシア正教をそのまま遵守しましたが、そ  れにしても、あらゆる宗教に寛大だったモンゴル人が、教会や修道院を免税に  する等の施策を行った為、弾圧の憂き目にも会わずそれまでになく普及したそ  うです。   ルーシの宗教であるロシア正教は、公用語のギリシア語では無くスラヴ語を  採用しましたが、スラヴ語に翻訳された文献は「キリスト教神学」だけで、ギ  リシア哲学・文学・科学の古典は一切翻訳されなかったといいます。その為、  西ヨーロッパの文明の礎となった古典ギリシア・ローマの精神の影響は、ルー  シの文明圏に入ることは無かったのですが、それがあの独特の「スラヴの霊性」  の元になったのかと考えると、不思議な気がしますね。   モンゴルとAMA族がどう関わったのかについては、一輝さんは「私は蒙古  族を、同じく中央アジアに端を発しながら、北方へとコースを変えたAMA族  の残党ではないかと見ている。彼らの目的地はあくまでもモンゴルであって、  日本であるとは言い難い」(『AMA族の系譜』より)としていますが、AMA  族の“遺産”がモンゴルにも伝わっていたとして、モンゴルがロシアという国  家の成立に大きな役割を果たしていたことを考え合わせれば、      「スラブ文化については、AMA族とコーカソイドが融和して出来上     がった独特の文化だ」   というARIONのサジェスチョンは正鵠を射ていたことになりますね。  TAO 981/982 MHD02672 TAO モンゴルという謎 ( 9) 96/09/27 23:39 980へのコメント コメント数:1   話題がモンゴルに及んだ段階で、俄にチンギス・ハーンやモンゴル帝国に  興味が湧いて来て、しばらく関連文献を漁っていましたが、これが面白いの  何の。  ・世界史の誕生      岡田 英弘著  筑摩書房  ・チンギス・ハーン    岡田 英弘著  朝日文庫  ・ジンギスカン      小林高四郎著  岩波新書  ・モンゴル帝国の興亡   杉山 正明著  講談社現代新書   この中で『世界史の誕生』と『モンゴル帝国の興亡』が、世界史における  モンゴル帝国の巨大な足跡と意義に言及し、モンゴル帝国がそれ以降の「世  界」を創ったとさえ言います。      歴史は世界であり、それを産み出した文明がおおう地域によって、     通用範囲が決まるものである。歴史を持つ二大文明である地中海=西     ヨーロッパ文明と中国文明は、それぞれ前五世紀と前二世紀末に固有     の歴史を産み出してから、十二世紀に至るまで、それぞれの地域でそ     れぞれの枠組みを持った歴史を書き続けていた。それが十三世紀のモ     ンゴル帝国の出現によって、中国文明はモンゴル文明に呑み込まれて     しまい、そのモンゴル文明は西に広がって、地中海=西ヨーロッパ文     明と直結することになった。これによって、二つの歴史文明は初めて     接触し、全ユーラシア大陸をおおう世界史が初めて可能になったので     ある。                        『世界史の誕生』245Pより   モンゴルがヨーロッパにまで遠征した折りには、ヨーロッパの人々は恐慌  に見舞われ、「タタル人は彼らのタルタルス(地獄)へ追いやるべし」という  有名な一句(フレデリク二世のヘンリー三世宛書簡より)が生まれています。  タタルという呼称はモンゴルの異称でもありましたが、「地獄(タルタルス)」  と酷似していることから、モンゴル=地獄の民というイメージが波及された  そうです。   この時から「モンゴルの恐怖」によって、ヨーロッパの中にモンゴロイド  に対する無意識的な恐怖感や畏怖感、或いは侮蔑心が芽生えていたとするの  は穿ちすぎでしょうか。   #980では、モンゴルのルーシ(後のロシア)征服について述べましたが、モ  ンゴル軍がキエフの町や人をことごとく破壊・虐殺したとされる、1240年の  キエフ侵入にしても、後世の誇張や創作に依るところが多いそうです。西欧  中心主義の世界史から見れば、モンゴルは恐るべき破壊者として措定されが  ちですが、逆の立場から見ればモンゴルは類い希な軍事・政治能力に恵まれ  た有能な遊牧国家だったとも言えます。   「東洋」と「西洋」という概念もまた、モンゴルの出現を境にその萌芽が  芽生えたと言えます。どちらにしても対立概念が無ければ成り立たないし、  モンゴルを媒体にして「西欧」と「アジア」という“対立”が可能になった  とも言い換えられるでしょう。   面白いことに、近代世界における日本もまた西欧に対して、かってのモン  ゴルと似通った衝撃を与えることになるのですが。西欧列強に「タタルの軛  (クビキ)」ならぬ「日本の軛」を打ち込んだというか。どちらも戦時中の行為  については残虐だったと一方的に誹られていますし。  ***   さて今度の日曜日(29日)の夜9時より、日本テレビの「知っているつもり  !?」でチンギス・ハーン特集を二時間枠で放映します。チンギス・ハーンの  生涯や業績を、アレキサンダー大王やナポレオン等の歴代の征服者とも比較  対照しながら追って行く内容の模様です。これは必見ですね。  TAO 982/982 GFB00026 一輝 モンゴルとAMA族 ( 9) 96/10/05 07:48 981へのコメント >#981 TAOさん 面白い話ですね。 チンギス・ハーンの子孫から数世紀後、中近東でチムールが現れてチムール帝国 が作られ、更に数世紀後、チムールの子孫からインドでムガールが現れてムガー ル帝国が作られる。インド最後の帝国であり、イギリスにインドを売り渡したの がモンゴルの末裔だったとは、歴史の皮肉ですね。チムール帝国もムガール帝国 も、芸術に財を注ぎ、人類の遺産とも言うべき多くのものを残しています。イン ドのタジマハールなどがそうです。 先程、エアチェックした「知っているつもり!?」のチンギス・ハーン特集をやっ と見終えました。あの番組の良さというのは、歴史の偉人を等身大の人間として 紹介しているところにありますね。私はもう少し地上から離れたところで、チン ギス・ハーンについて話してみます。 モンゴルについてARIONに質問を試みたことがあるのですが、何も答えては くれなかった覚えがあります。ただARIONが教えてくれない時と云うのは、 どこか宿題を言い渡されているような気がして、しぶとくその周辺を洗い直すよ うなことを始める癖が、私にあるようです。これは同じように答えてはくれなか った大和族についてもそうでした。 『遊牧騎馬民族国家』護雅夫著・講談社現代新書には、遊牧騎馬民族の精神基盤 を成しているシャーマニズムについて、興味深い逸話を紹介しています。      タタール人は、現在のカガンの父であるジンギス=カンは      人間の種ではなくて、実は、目に見えない地点から発する      光線がその母のテントの天窓から入ってきて、彼女に、「      汝は、他日きっと全世界の王者となるべき我が児を得るで      あろう」と告知して生まれたものである、と確信している。 これは、日光感精男子出誕伝説と呼ばれるアジア各地に残る創始神話で、日本で は南西諸島(ユタの呪詞によって語り継がれてきた)、日輪の子と呼ばれた豊臣 秀吉、中国では周公の先祖の始祖伝説にもあります。いずれも父親不在の懐妊や 処女懐妊の話です。イエス誕生の場合もそうでしたね。 それから更に、AMA族との関連を示す重要な指摘として、私が勝手に受けとめ た、こんな話もありました。この話には出雲族族長スサノオを彷彿とさせるもの があります。      ジンギス=カンの幼名であるテムジンは、トルコ語で鍛冶      屋をあらわすテムルジがなまったもので、かれはもともと      鍛冶を業としていたのだ、という説も出されたことがあり      ます。しかしこれらはいずれも史実ではなく、ジンギス=      カンつまりテムジン自身が鍛冶師であったことをしめす証      拠はどこにもありません。けれども、モンゴル人によって      かれが鍛冶師だった、と信じられていたこと、このことは      たしかな事実なのです。 族長が鍛冶師だったという伝説には、AMA族の匂いがプンプンしてきますね。 そして、私がかねてより気になっていた、モンゴル族にとっての君主を意味する 「カン(ハーン)」という言葉について、以下の指摘がありました。      十三世紀にモンゴリア地方を旅行したフランシスコ会修道      士、ルブルクは、ジンギス=カンなどのカン、つまり君主      を意味する「カン」という言葉の語源を、トルコ語でシャ      ーマンをしめす「カム」という語にもとめています。これ      はたんなる通俗語源説にすぎず、カン(君主)とカム(シ      ャーマン)とのあいだには、なんの語源的関係もありませ      ん。しかし、それなのに、かれがこういう誤解をするにい      たった根底には。カン=カム=シャーマンという、古い時      代の史実・信仰がはたらいていたといって、まちがいない      でしょう。ジンギス=カンがその即位のさい、成巫式にお      けるとおなじく、黒いフェルトにのせられたのは、かれが      その君主権の源流を天上の神霊からうけていたことをしめ      すものにほかならぬでしょう。 私はこの「カン(ハーン)」という語感について、中央アジアの遊牧民共通の何 らかの共通点を感じていました。ひとつは2〜3世紀、アジアからヨーロッパに 侵入したフン族の「フン」という言葉の持つ響き。そしてハンガリーに滞在し、 そこから更に北欧へと向かったフィン族の「フィン」という言葉の持つ響き。彼 らがアメリカへ向かったAMA族の一派だとすると、   ハーン(鍛冶師君主)=ハム(シャーマン)=フンorフィン(AMA族名) というチャートが出来ます。私はノアの3人の子供の名を思い出しました。ヤフ ェトとセムとハム(カム)です。ノアは鍛冶師だったのではないでしょうか。キ リスト教では、ハムをエジプト人やエチオピア人の先祖としてとらえているよう ですが、これがイスラム教では黒人の先祖とされている。結局自分の民族が、歴 史に残ったセム族の子孫と言いたげに目茶苦茶ですね(^^;)。この辺で聖書の 舞台設定と背景には疑問が出てくる。 私は日本へ来た「失われた10氏族」のうちの6氏族が、セムの子孫であることか ら、モンゴル人やトルコ人を、かつて別れたハムの子孫ではないかと思っていま す。バベルの塔を作ったのもハムの子孫でしたね。この子孫は、広大なスケール でドカーンと派手なシンボルを打ち建てる傾向があるようです。あくまでも私が 勝手に言っているだけですが…。ちなみにハムには「暑さ」という意味があり、 カムとも読みます。セムは「名」という意味。 いやはや、トンデモ系話で失礼しました。                                     一輝 977/982 CQE07040 ISE 母の記憶(娼婦マリアと黒マリア) ( 9) 96/09/08 23:07 コメント数:1 今回は「娼婦マリア」「黒マリア」の冤罪をはらしてみたいと思います。 ( 十字架と渦巻 大和岩男 白水社 )より 聖書に登場するマリアは、聖処女で聖母になったマリアだけではない。 聖母マリアと共に著名なのは、娼婦のマグダラのマリアである。 ウオーカーは、マグダラのマリアについて、「福音書は、復活後イエスはまずこの 女のところに姿をあらわしたと述べている(マルコによる福音書)。後にキリスト 教徒が非難したため教例集から除かれた書物には、二人の関係についてさらに奇妙 なことが詳しく述べられている。イエスは他の使徒すべてを合わせたよりもマグダ ラのマリアを愛し、「使徒たちの使徒」「すべてを知った女」と呼んでしばしば接 吻した。(中略) オリゲネス(キリスト教の教夫で、一八五〜二五四年頃のエジプト人)は、娼婦マ リアを「私たちのすべての母とか」「エルサレム」とか「教会」と呼んでおり、時 の始まりから生き続けているマグダラのマリアは不死であると主張した。このよう に娼婦マリアは聖母マリアの異形にすぎなかった」と書く。 聖書によれば、イエスの埋葬に立ち会い復活したイエスに最初に会い、主の最初の 証人であったのは、聖母マリアではなくマグダラのマリアであったから、三世紀の グノーシス派の聖典はマグダラのマリアを「イエスに最も深く愛されたもの」と書 いている。 (中略) 十字架の原像が十字形太母像であるように、十字架にかかったイエスは太母につい ている男根状頭部であり、マリアとイエスは一体の両性具有の元人間、つまり十字 形太母像である。 イアン・ベッグは、ユングがとりあげたエピファニウスの記述について、「タント ラのヨーガを思わせる行為」であり、「この行為は、明らかに反対の性を持つ『自 分の別の半身』と交わることで完全な形を生み出すことを象徴した」と書いている。 両性具有の性交は「反対の性を持つ『自分の別の半身』と交わること」である。マ リアはそのような両性具有の太母だから、処女で懐妊した聖母であるとともに、結 婚せずに子を産むマグダラの娼婦マリアでもあったのである。 石井美樹子はマリアについて、「処女懐胎して子の神を産み、次には子神の花嫁と なり、子と交わってまた子を産み、このようにしてまた地に子をふやす両性具有の 大地神がその原形だと書くが、この原形としてのマリアが聖処女で聖母のマリアと マグダラの娼婦マリアとに分かれたのである。二人のマリアは太母の表裏である。 (中略) 黒マリア信仰はイシスやアルテミス信仰やガリアのケルト人の地母神信仰に起源が あるといわれているが、キリスト教から異教として排除されたかっての太母信仰が、 黒マリア信仰として民衆の中に根強く残っていたのである。 したがって同じマリアでもマグダラのマリアの伝説がこの地には伝えられていた。 この黒いマリアの代表的な例が、シャルトルの丘のノートル・ダム寺院の地下祭室 に祀られている「地下の聖母」である。シャルトルの丘はかってケルト人の聖地で あり、満月の晩にこの地の泉に四方から集まってきたガリアの地のケルト人は、 ドルイドによる祭儀をおこなった。ケルト人は泉のそばにある洞窟に黒い母子像を 祀って聖地にしていた。この聖地にキリスト教の教会が建てられたので、洞窟の黒 い母子像は教会の地下祭室に移されて祀られた。 引用終了 初期のキリスト教では、イエスは牧童、子供、少年でイメージされており、十字架 と絡む形で描かれています。十字架は母神のシンボルであり、ギリシャでは十字架 にかかって死ぬ人を、死んで母と結ばれると言いました。 後の「父神=絶対神」化したキリスト教では大地神としてのマリアは「娼婦マリア」 「大地の大淫婦」などとして「龍」と共に焼き尽くさなければならない存在として 蔑視されてしまいます。 ケルトの「黒マリア」信仰については、日本でも堕ちたイザナミの別称が「黒髪天神」 とされていて興味深い符号です。 その他、ケルトの遺跡には日本の縄文時代に見られる「渦巻文」が描かれているの も見逃せないですね。 またケルトの母子像(母が子を抱く形)が山の洞窟に祀られるというのも日本の 修験道に通じるものがあると思います。 アイルランドと日本の共通性はその他にも多く、「妖精」と「妖怪」や、 ケルト信仰で死者の行く「常若の国」と日本の「常世の国」など、死んでも人は 無に帰るわけではなく永遠に生まれ変わるという霊魂感においても共通です。 アイルランド、レフカス島で生まれたラフカディオ・ハーンは、日本とアイルラン ドの共通性に感銘をうけ、後に日本に永住し、名を「小泉八雲」と改め多くの書物 を残しました。 どこかで青白い、広い、敷石のある場所─多分お寺の境内なのだろう─そこ に薄日が差して淡い色に染まっている。私の前に若くもなく年老いてもいない 女が、大きな灰色の柱の台座のところに坐っている。女の顔しか見えなかった ので、その柱がなにを支えているのかわからなかった。しばらくの間、私はそ の女に憶えがあると思った。ところがその女が不気味なものに見えてきたので ある。両の唇は動いているのに、その両の目は閉じている。私はひたすら女を 見つめていた。 すると長い歳月の距りを通して来るようなかすかな声でもって、女はおだやか に嘆きの歌をうたい始めた。そしてそれを聴いているうちに、ケルトの子守り 歌のぼんやりした記憶が私によみがえって来た。そして歌いながら女は片手で その長い黒髪を振りほどいたので、黒髪は渦を巻いて石の上に落ちた。 そして下に落ちてみると髪はもはや黒ではなく、青かった。日ざしのようにう っすらと青かった。 (日本海の浜辺で 小泉八雲 講談社)より 小泉八雲が幻視した女は、ケルトの「黒マリア」日本の「黒髪天神」のように思わ れます。 閉じた両目は地上の堕落を見ないようにし、それでも子(人類)を思う気 持ちで「子守り歌」を歌います。 あなたの両目がいつか開かれますように。 ISE 978/982 MHD02672 TAO 女性の全なるもの・イシス〜マリア ( 9) 96/09/09 23:46 977へのコメント  #977 ISE さん   どうも(^^)。大和岩雄さんの『十字架と渦巻』は、私もいたく感銘を受け  た一冊です。しかし引用が長すぎますね(^^;。引用される場合は、主と従の  関係がはっきりするように、出来れば全体の三分の一までに抑えて下されば  幸いです。宜しくお願い致します。m(_ _)m ペコ   『十字架と渦巻』より引用された箇所の中にあった「黒マリア」ですが、  黒マリア信仰については『黒マリアの謎』(田中 仁彦著/岩波書店刊)、『  黒い聖母崇拝の博物誌』(イアン・ベック著、林 睦子訳/三交社刊)という  好著が出されています。どちらも非常に面白いので、一読をお勧めしますが、  どちらも黒マリアの原型を「イシス」に認めています。   イシスはエジプト神話最大の女神で、大地母神の代表格とも言える存在で  すが、ホルスを抱くイシス像はやがてマリアとキリストの母子像にも受け継  がれて行きます。旧約聖書の「出エジプト記」に見るように、イスラエル人  が奴隷としてエジプトに囚われていた時期がありましたが、その間にイシス  信仰が彼らにも知られていたことでしょう。   イシスは大抵、三日月の形をした二本の角の間に太陽を戴いていますが、  イシスは月の女神でもあり、そしてマリアの象徴も月だとされています。最  近14番でも話題になった「ヨハネの黙示録」の、第十二章第一節で歌われ  た「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠を  かぶっていた」女性もまた、マリアだとする説もあるみたいです。   392 年にキリスト教がローマ帝国の国教となり、それ以後にその権威を拡  げて行くさなかで、母系社会のシンボルであった大地母神を抹殺して行きま  すが、それでも人々の「母なるもの」への本能的な憧憬を封じ込めることは  出来ず、古代の大地母神の残滓が、永遠なる母としての「聖母マリア」信仰  へと受け継がれて行った訳ですね。   さて、古代の大地母神信仰における女神には、イシスの他にキュベレー、  アルミテスといった名前が挙げられますが、特にキュベレーは最初のうちは、  神体として黒い石が崇められていたといい、またエフェソスのアルミテスも  黒い隕石崇拝から始まったという伝承があるので、「黒マリア」との関連が  強く窺えますね。興味深いことに、キュベレーは元来は「山の女神」だった  ともされています。   「黒マリア」の系譜は実に、古代より根深く息づいていると言えます。   さて、このフォーラムらしい展開に持って行くと、ARIONは「アジア  は女性原理の中枢を成している」といい、「昔からの女性枢軸主義がアジア  に戻ってくるべきだ」とも断言しています。対比的に見ての話ですが、確か  に西洋には男性原理が、アジアには女性原理が強く現れているように思えま  す。   全てを産み、養い、また死者をも迎え入れる「大地」という母が、「人間」  という子の暴虐によって息絶えてしまうような事態は起こらないでしょうが、  他の子供達を守るために「人間」を間引きするということはあるかもしれま  せん。大地母神は豊穣の神であるのと同時に、死と再生の神でもあるのです  から。  TAO - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/10/08 - 01382/01483 VZL02575 ハカセ RE:ポジティブ宇宙人の野望 (12) 96/09/21 00:00 01363へのコメント コメント数:2 こんにちは、一輝さん。 バシャールが宇宙人を名乗っている以上は、必ず昔からのUFO話しとくっ付かない 筈はないと思ってましたが、そんなぶっ飛んだ話しがでてこようとは。 驚いたというより、呆れてしまいました。 チャネラーに限らず、霊界の話しやUFO話等、能力者や秘密諜報員でも無い限り確か め様の無いことばかりで、#1363の話しなど真偽を確認できない事を良い事に好き 勝手を言っているように思えます。 まあ、自分の目で見た事以外信じないとかいう訳ではないですし、現実に不思議な 体験や説明の付かない事もいろいろ在りましたし。 それにしても、彼等チャネラー等の話しはそういった説明できない事に対する一つ の仮説を言っているのにすぎず、非能力者にとっては、一種の思考ゲームなんだろ うと思いますが。 ですが、あんまり目茶苦茶を言われるとゲームにはなりませんね(^^;) UFOや宇宙人がらみの話しだと、今度公開される「インデペンデンス・デイ」を楽しみにし ています。 この手の映画が公開されると、決まって政府の極秘情報リークだとか、世論操作で 在るとか、ささやかれますが今度はどんな噂が流れるんでしょうね。 もし何らかのリークだとしたら、なんで映画「ロズウェル」(でしたか)が、公開された後 に今更宇宙人の大侵略という昔に逆行するようなものが出てくるんだろう。 まあ、単に映画は面白ければ何でも良いと言う事なんでしょうね。 VZL02575:ハカセ 01375/01483 MAF00551 MID HEAVEN RE:宇宙外交の時代 (12) 96/09/13 23:36 01365へのコメント コメント数:1  シュメールさんお元気ですか、この度はワープロソフトご愁傷様でした。  何だか私のせいみたいで、申し訳ありません。  鎖国関連で「霊的な征服」と言うのがありましたが、誰かの本でザビエルはバチカン に潜入したユダヤがイエズス会をカモフラージュにして世界支配の足がかりとして世界 中に送り込んだ宣教師の一人だと言うのがありました。真偽のほどは別として、WOWO Wで見たジュリー・アンドリュース主演の「ハワイ」(66年米)という映画では、正に破 壊されて行く太平洋民族の共同体と文化のドキュメンタリーでした。  FMISTY 18番でオリハルさんが言ってたグレイがバシャールを名乗りチャネリングに よって情報を伝えていると言う説がありましたが、状況はもっと深刻になってきたよう です。昨日のフジTVの「MMR未確認飛行物体・地球人絶滅を狙うグレイのUFO軍団VS. MMR…地球最後の日・中山秀征」の結末で、悪魔=グレイ VS. 天使=バシャールという 図式が提示されていました。危機に陥ったMMRが連載漫画の中に「BASHAR」の文字を 暗号として入れ込み、それをパソ通仲間の少年達が解読して宇宙電波研究所から火星に 向けて送信するが、グレイの妨害を受け、パソ通のディスプレイ上で「宇宙電波研究所 へ集まれ‥BASHAR」の呼びかけの罠にはまった子供達が大勢駆けつけるが、主人公の 踝は殺される。子供達が夜空を仰ぎ「天使バシャール」に祈るとグレイのUFO群は母船 と共に砕け散り消滅、変わって光球が天下り宇宙人として実体化されたバシャールが光 り輝く存在として現れ、死んだ踝を光の中で空中に持ち上げ蘇生させ、宇宙の彼方に連 れ去る。と言うものです。劇中のTVニュースのキャスターとして露口氏が登場するなど 局あげての制作だったことは推察できます。それにしても、とんでもないプロパガンダ が目の前で展開したという印象を持ったのは、はたしてまたもや私だけだったんでしょ うねきっと。  先日届いた(株)未来の封書に「FUNAI OPEN WORLD vol.3 '96」のパンフレットが 入っていました。よく見ると、共催に「(株)VOICE」とありました。船井氏のポジテ ィブシンキングも味噌くそ一緒で危機感を覚えてしまいます。しかし、ちょっと目を引 いたのがグラハム・ハンコック氏の特別来日講演です。ちょうど今日「神々の指紋」を 読み終えたところです。結局ハンコック氏も論理的思考の後にアトランティスやピラミ ッドとの関わりにエソテリックな問題を提起しているし、知恵の神トトについて言及し ている、この問題は私個人のかなりプライベートな物事と深く関連しているため、大ま かなストーリーの欠落した細かいディティールを埋めるのに大変役に立ちました。この 件については、公の場での発言としてはそぐわないのでふせることにしますが、ハンコ ック氏は本文中で二度もフリーメーソンについて言及していると言うことと、下巻P.29 9で以下のように発言しているのが気になりました。 奥義を伝達する。  状況によっては、固い決意をもった男女が核となって引き継ぐことで、この宗派の奥 義を保存することもあり得る。また、適切な動機付けと教化の技術があり、半原始の土 地の住民の中から新たな構成員を加えれば、このような宗派は、ほとんど永久的に存続 できるだろう。しかしそれには、構成員が(救世主を待ち望むユダヤ人のように)、何千 年も何万年も、自分たちの正体を現すときが来たという確信を得るまで、時節を待たな ければならない。  まるで、その時が今訪れているというふうに私には読めます。そして、さらには「エ メラルドタブレット」が示唆しているとおり、P.308では  スフィンクスの足元の基盤の奥深くにある大きな空洞に何があるかを真剣に調査すべ きだろう。この空洞は、1993年の地震波測定による調査で発見されたものだ。  と述べているのです。勿論答えは「エメラルドタブレット」中にありました。  先日、セミナーに参加してきました、またしても意外な収穫がありました。                                - MID HEAVEN - 01377/01483 MHA01114 シュメ−ル RE:宇宙外交の時代 (12) 96/09/17 07:05 01375へのコメント コメント数:1 MID HEAVENさんどうも。 なんでMID HEAVENさんとの関係でこわれるのか、謎ですが、ま、これだけ回数 がかさなると、何かありと思うべきですよね。私とMID HEAVENさんの関係の問 題であってMID HEAVENさんに一方的に問題があるんじゃないことは確実なので 安心してください。HALさんとの時もそうだったから、そのうち落ち着くで しょう。ただ今回不思議なのは、HALさんとの時は話題によってバグったり こわれたりしてたのが、MID HEAVENさんとの場合は内容までいかないうちにハ ードなこわれかたをする点。これはパソコンやめてワープロで書いてます。ワ ープロの方が単純な分、丈夫です。  さて、わたしも早速ビデオでそのMMR見ました。ま、ボイス関係者という かバシャール愛好者が番組スタッフになんらかの縁があってバシャールの宣伝 やったんじゃないかな。テレビの視聴者の年齢層がバシャール本を読む辺りに は、随分情勢は変わってしまうと思うけど。ま、陰謀とよぶにはあまりにもち ゃち。グレイやバシャールが悪玉善玉としてどれだけ印象づけられたかには気 になります。  『「宇宙人」内なる訪問者』読みました。同時に『遭遇を越えて』(ホイッ トリー・ストリーバー著 翔永社 1800円)を読んだんですが、後者のp314に こういう一節がある。 「ライト基地に勤務したことのある人々がいうには、ある最高機密科学論文が 存在し、それにはビジターたちがわれわれの世界に入り込むためには、われわ れが彼らの存在を認める必要があり、彼らの「侵略」はわれわれが彼らの存在 を否定し、信じないことによって、防ぐことができると書いてあるらしいのだ。」 これって前著を読むと理解できる。ここでいっているビジターはグレイでしょ う。なるほど初期のアメリカの隠蔽戦略にはこういった理論が一枚加わってい た可能性はおおいにあるし、この戦略って有効なのかもしれない。  さて、グレイ、『内なる訪問者』に書いてあることって、いい線いってるん だろうというのが単純な第一印象です。ただ、あくまでもグレイサイドのプロ パガンダなんで、もう一つ別の視点からのすりあわせを読者側でする必要を感 じます。で、どういう視点かというと、もともと地球計画をつくったこの銀河 系の主流派がグレイの地球関与をどう見ているか。このへんをすこし探ってみ たい。  さて、一輝さんはここではどこまで許容する予定なんだろうか。はみでそう なら、19番にシフトしますので、宜しく。 01378/01483 QFH02012 アラミス MMRですが・・ (12) 96/09/17 19:11 01377へのコメント コメント数:3  MID HEAVENさん、シュメールさん>>ちょいRESです。 TVのMMRがアレなのは原作の漫画版に合わせているだけなのでは?。 当時漫画のMMR(マガジンですが)を見ましたがあの悪玉グレイVS善玉 バシャールなんて言うラストを見てズッコケたものです(^^;)TVの方は 漫画を多少アレンジしている様ですね(私は見ていませんが)。 そもそも精神世界やオカルトを少しかじった者ならば、あの話しのオチの お粗末さは噴飯モノで所詮漫画に過ぎない訳です。それに加えてあの漫画 は結構NIF辺りからネタを拾って来ている様で分かる人が読めばかなり笑え るとも言えましょう。ここFARIONも例外ではないようで、当時RTでひっそ りと話題になった事もありましたっけ(苦笑)。 問題なのは明らかにどうしようも無いゴミ情報がいかにも本当らしくメデ ィアに流れてしまう事でしょう。漫画だけならお笑いでも済ませましょう が(とは言え扱っている内容が内容なだけに私は極めて批判的であります が>>MMR)TVで全国にアレな内容が流れてはね・・ それでなくても精神世界は「本当の様な嘘話」に溢れているのですから、 この世界に足突っ込んでいる者ならば無批判になんでも受け入れるのでは 無く各自それなりに線引くなり検証しませんとね。ましてや情報流す側が どうでもよい馬鹿話タワケ話を垂れ流す様では混乱の元ですから。 (そういうタワケ話しは叩かないとね・・ワライ) 私が思うに原作者はグレイVSバシャールなんて話しを分かっていてわざと 受けねらいでやったのだと思いますが。 そうそう最近の漫画のMMRですがト本系に行っちゃった様で見る物は殆 ど無いですね。 01395/01483 BYI20520 HAL グレイもつらいとこ (12) 96/09/21 07:59 コメント数:2 久しぶりに覗いてみたら自分の名前があったのでなんじゃらと思うとシュメールさんで はないですか、つまらんのー。うそですけど、お元気ですか。 一輝くさんもお久しぶり、いつもお世話になってます。 なにかグレイの話題が出てますけど、最近はこのあたりの話題も一般化したみたいです ね。良くも悪くも。 私の方も何かと好きなもので忙しくなるほど宇宙人情報に逃避するという悪い癖を続け てはいますが、グレイ絡みの話は随分トーンが変わって来たような印象があります。 一方的な悪役イメージが少し変わってきたような感触がありますね。 もちろん、例のリサ・ロイヤルの本などもその一環らしい。彼女はインターネットにも ホームページを持っていていろんなチャネリング情報も公開してるようです。あからさ まな商売はしてないようですが、しっかり本の宣伝はしてましたね。 なにしろセドナ系ですからかなり疑ってかかる必要はあると思いますし、名前がロイヤ ルというのも、あんまりな感じがあります。なにかプリンスホテルのいかがわしさみた いなものも感じますね。 で、その「内なる訪問者」の内容ですが、どういうわけか私にはかなり納得の行く部分 があって驚きました。バシャールあたりの内容も含めてね。 ロイヤル氏本人としては割りと尻軽にいろんな存在とチャネルするタイプみたいだし、 ジャーメインという中立的な意識存在も登場し、はたまた、プレアデス人の介在も受け るという雑食性が私は嫌いではなかったですね。 メディアでは、コリン・ウィルソンが集合意識の変化に関する著作を出したとか、「神 々の指紋」が本屋で平積みとか、私には人類の集合意識から何かが浮上するサインのよ うに感じられます。「神々、、」は読んでないけど。 このサインとグレイの接近とは無関係ではないというのが私の思いでして、アメリカの インターネットのサイトを見てても意外にグレイに悪感情をもっているものは少ない。 ストリーバー氏なんかもそうだし、おかげで5年間も干されていたようなことも発言し ていますね。 むしろ、彼らが警告的なトーンで語っているのは軍関係の動向のようですね。 ひょっとすると、おおかたのグレイは軍とその背後組織に濡れ衣を着せられているとこ ろもあるんじゃないかとも思えてくる内容が目に付きます。 そういえば、私も89年ころにグレイに繋げてもらったときには彼らも、そいつは濡れ衣 だよといってたしなあ。 やはり人類の敵は外からは来ないというのが本当のとこなのではないかな。 そいつは内側から来るものと思った方がいいですよ。人類の内部と我々自身の内側かな、 敵さんがやってくるのは。 ついでに、一輝さんの言われるような「ポジティブになろう」の話はあの本の内容には 無いように思いますし、「私はもう一人のあなた」と言ってグレイが現れてはいけない 理由もないと私は思います。 ことさら悪徳宇宙人の肩を持つ気もないですが、このように言う自分の体験的な経験も あるもので、ちょっと書いてみました。 かろうじて12番に書き込める内容になってるかな?                                    HAL ううむ、使い慣れないパソコンから入れたら失敗しました。#1377 に対するものでした失礼! 01396/01483 MHA01114 シュメ−ル アジア人種の起源について (12) 96/09/21 16:29 01395へのコメント みなさんどうも。 へえ、ここもいろんな方が読んでるんだ。ほんじゃ、例の番組や漫画のコンセ プトにも我々のお喋りの影響があったりするわけですか。ちょい責任はおいか ねるけど、ま、良質の情報提供に心がけるしかないですね。  HALさん、どうも。お互い、忙しいのに、病気ですね。忙しいところに重なっ てきたんで、エジプト関連の仕事も神経労働になってしまってます。エジプト 時代の記憶みたいなものが集合意識的に浮上してきてる感じがある。『神々の 指紋』、仕事のからみで、人との待ち合わせの合間に新宿の紀ノ国屋の店頭で 買わざるを得なくなった。店頭に平積みされてたのが運のつきというか、買っ て読んでないと、非常識な非文化人あつかいされそうな雰囲気だった。時代も かわったもんだ。ネフェルチチやイクナトンは今どうしてるんだろうか。 『内なる訪問者』の中で、気になってるとこがあるので、引用します。 −−−−−−−引用開始−−−−− 地球人の創造が始まった当初、彼らは、この地球を平和と統一が実現する惑星 にしたいと願いました。現在、地球上で栄えている種族のうち、原初の地球に いなかったのは東洋人だけでした。ここで一挙に話しを何前年も未来に進めま す。「宇宙連合」の人々と太古に地球人の創造にあたった存在たち(なかには 肉体を持たない状態へ進化した存在もいます)は、古代の地球を振り返り、そ こで遺伝子操作によって誕生しつつあった種族がたどる可能性をみました。  すると、そこで誕生する種族だけでは、望む統合が実現できないことを感じ たのです。そこで彼らは地球人が造られた古代に溯り、将来、彼らがたどるで あろうコースを変えたのです。この判断を下した宇宙人は、地球上での遺伝子 実験を受け持っていた、未来のゼータ・レクチル星人とメタ・ヒューマンでし た。こうして彼らは過去の地球に戻り、後にアジア人種となる種族の遺伝子を 組み込んだのです。  アジア人の特徴を見ると、彼らには個性への偏重がなく。多様性が少ないこ とが分かります。また彼らは、東洋の宗教に反映される深い霊性を備えていま す。こうしたアジア人の特徴は、創造の父たち(地球外文明の人々)が、もと もと地球に求めた状態を実現する上で、重要な鍵となるものです。  こうした経緯により、現在の地球人が存在する時間軸は、太古の先祖たちが 存在していた時間軸とは異なります。  −−−−−引用終り−−−(『「宇宙人」内なる訪問者』 徳間書店  リサ ・ロイヤル外著   p228)  一瞬、これ古事記のヒルコ神話にダブってしまいましたが、このジャーメイ ンさんの情報、おもしろい。ジャーメインさんはこういった認識をもってるら しい。これってどう理解すればいいんだろうかう。銀河系宇宙の集合意識体と のことですが、直観的な印象だと、5次元以上の認識レベルをもった情報系の ような気がする。たぶんジャーメインはデッチアゲの情報を流しているわけで はなく、こういったアジア人種理解がある種の存在領域では成立してるんだろ うと思う。この辺の遺伝子実験には時代が異なるんでしょうが、アリオンさん も絡んでいるはずで、ARIONさんの見解も聞いてみたいところです。(み れさんなんか情報ないですか?)でHAL さん、これどう読みましたか。特に、 進化のコースを変えたのが、未来のゼータ・レクチル星人とメタ・ヒューマン だという辺り。  この現在の時間座標に固定されている我々の意識形態からはこのジャーメイ ンさんの情報は、「へえ」と聞いとくしかないんですが、このジャーメインさ んの情報系と現在の地球時間がコンタクトとれているということは、この我々 の時間軸上でのシフトがいい線いってしまうという予測ができるんだと思う。 とすれば、ジャーメインさんが「創造の父たち」と呼んでいる次元の存在たち の地球プロジェクトはこの時間系ではまずは成功しそうということか。とすれ ば、シャンバラ系でのゼータ・レクチルの地球干渉行為の評価は冷ややかなも のから暖かいものに変わっていく事になるわけで、それは地球意識に反映し、 我々の意識に反映するはず。放蕩息子が帰ってきたという聖書の比喩みたいな 状況か。  これってジャーメインサイドの理解であって、反面、シャンバラ系はいまで もグレイの遺伝子操作・地球操作と自らの計画とが利害対立するという認識が あるような雰囲気がある。未来からくる情報系と過去からくる情報系と分類す るのはまずいのかな。シャンバラ系の意識をもつってことはそれだけでこの銀 河系を遥かにこえた全宇宙の創造にリンクした意識なわけで過去といっても間 違いじゃない気がするが。  地球人の時間系意識のもっているポテンシャルな力ってのは意外な威力を発 揮しているのかもしれない。これはこの地球環境においても多面的な現象の一 部が文字情報として活字化され事実として切り取られると、その事実から逆に 現象が一元的に整理され、理解され、歴史となっていくのに似ている。活字化 ・物質化が現象理解を変貌させる。とすれば「思いがそのまま現実になる」と いう構造をもつ世界に存在する知性体にすれば、地球人のポテンシャルは魅力 でしょう。  と、ここまで書いてたら、引用部分に関して、シャンバラ系から情報が届い た。九州です。 要点を書いとくと、 「宇宙連合からの通信ではなく、銀河連合からのものではないのでしょうか。」 これ、いえる。翻訳の問題かも知れません。混乱というか、区別がまだ一般化 してないのだと思う。宇宙連合のほうは地球が属しているここの銀河に成立し ている情報共有体。ローカルネットというと叱られるかな。 「グレイは…(中略) …アジア人種に関与できずにいる種の一つでもありま す。また“原初の地球にいなかったのは東洋人だけ…”という下りについて一 言付け加えるなら、猿に気いた種の多くがいたのであって、ヒューマンとして、 営んでいたのではないこと。よって、後世アジア人種となる類いの出現に他の ものは恐れさえ覚え、敬ったということ。」 なるほど、ジャーメインさんとはだいぶ話しが違う。むむ、情報の整理が必要 ですね。 ひとまずこの辺で。 01397/01483 SDI00635 みれ RE:グレイもつらいとこ (12) 96/09/22 02:41 01395へのコメント コメント数:1  そのリサ・ロイヤル氏、もしかしたら私の知っているリア・バイヤースの改 名後の名前かも知れないと思いました。彼女は1985年〜86年当時、セン ト・ジャーメイン(サンジェルマン伯爵)なる霊と交信しており、この彼女に 大いに影響を受けたのが、あのシャーリー・マクレーンの本の翻訳で一躍有名 になった山川夫妻という訳で、リア(リサ?)を日本に紹介したのが山川夫妻 だったこともあって、当時山川夫妻とお付き合いのあった私はリアを1ヶ月ほ ど家にステイさせてあげたこともありました。結局は、生き方についての意見 が合わずお互いに会いたいとも思わなくなって久しいのですが…そうそう、彼 女はセドナに住んでます、バシャール系のチャネラー達とも当時から親交があ りましたね(^_^;)  リアと山川夫妻はアメリカでのライフ・ダイナミクス関係で知り合ったとい う話を聞いています。リサ・ロイヤルと名乗るチャネラー、もしリサならばそ の内容の信憑性には疑問がありますね。私は彼女から彼女のチャネリングはビ ジネスだと聞かされているし、彼女のチャネリング予言が幾つも外れているこ とも知っているからです(^_^;)…お友達として付き合うには、朗らかで楽しい 人だとは思いましたが、霊的観点からは…(-_-;)ウウム…状態でした。  リサ・ロイヤル氏のHOMEPAGEアドレス教えてくれたら有り難いんだけど…。  ちょっと自分の目で確かめてみたいと思います。                             ☆みれ・:・。,☆ 01399/01483 BYI20520 HAL RE:グレイもつらいとこ (12) 96/09/22 07:37 01397へのコメント コメント数:1 おっと、久ぶりだねえ。お元気ですか。 こちらはなんとか元気ですが、最近のいろんな変動により体調を維持する のは大変よね。 しかし、ここでディープな話が出ましたねえ。ロイヤルさんとお知り合い かも、というのは面白い。でジャーメインつうのがサン・ジャルマン? こいつは楽しい。でもそれって、アリオンとみれさんの関係に似てなくも ない。構造として共に過去に接点を持っていて地球外起源というかたち。 で、むこうは商売人でライフ・ダイナミクス関係とな。 じゃ、とりあえずあちらのホームページのアドレスをお知らせしましょう。 Lyssa Royal Home page: http://www.newciv.org/worldtrans/ lyssa/index.html というものです。 このページの上位ディレクトリに、SPIRITUAL EVOLUTIONというページ がありそこのチャネリングのリンクに発見したのよ。ここにはプレアデス 系のBarbara Marciniak や Zetatalkなる面白そうなものもあったんだけ ど、そのアドレスは今は機能してなかった。このあたりはヤフーアメリカ で"Conspiracy"と検索してたら発見したのね。 そこにはロイヤル氏の写真も載ってるので見ればすぐわかるでしょう。 感想はちゃんとフィードバックしてちょうだいねー!                             HAL 01400/01483 BYI20520 HAL RE:グレイもつらいとこ (12) 96/09/22 07:55 01399へのコメント コメント数:2 シュメールさん早いレスポンスですね。 「店頭に平積みされてたのが運のつきというか、買って読んでないと、非常識 な非文化人あつかいされそうな雰囲気だった。」というのは笑いますよね。 あれって聞いた話によると、まるで昔の大陸書房もののカット&ペーストみた いですが、いまごろどうなってるの?という感じですよね。 しかし、グレイ関係のことって意外にみなさん気にしてるというのがわかるよ うな気がしておもしろい。やっぱ石は投げてみるべきかな。 話題の核になることによって、既に彼らは人類に貢献してますね。 でも、結局はなんとかせにゃならんのは、我々の問題だから、この時期にから んでくる「宇宙存在」はすべて我々の問題や影の投影という本質をもっている はずだと思いますね。 そして大抵は彼ら自身の問題も同時になんとかしようとしているに違いない。 これはグレイに限らず、バシャールもプレアデスもオリオンも未来人も全て ある種の欠陥を地球と関わることによってなんとかしようという要素はあるは ず。これに当てはまらないのは一部の集合意識のみなさんだけでしょう。   このことは、当然我々人類の集合意識としての独自性において了解していると 私は思っています。だからグレイが私の遺伝子コードを分けてくれというなら いくらでもくれてあげたい。減るもんじゃないし、だれも損はしないもんね。 例え私のミンチ状の肉が欲しいと言うのでもその場で納得できればいいんじゃ ないの、くらいのことは考えてる。 ま、リスクは高いほうがおいしいという私の性格もありますが。 これは見方の問題でしかない。従って、、、、 九州の見解というのもジャーメインの見解というのも私には違っているように は見えないのね。同じことを違う言い回しにしているだけだと。 個人的にシュメールさんに言いたいけど、情報は整理したところで迷路の数が 増えるだけですよ。それより 「地球人の時間系意識のもっているポテンシャルな力ってのは意外な威力を発 揮しているのかもしれない。」というご自身の言葉のなかに賢明な示唆がある ように思いますけど。 これって感情的なポテンシャルと関係があるのよ。 なんかえらそーですみませんでした。んじゃ、またね。                             HAL 01401/01483 SDI00635 みれ RE^2:グレイもつらいとこ (12) 96/09/22 16:50 01400へのコメント  どもども(^_^)、ほんとお久しぶりでしたね(笑)  HOMEPAGEのアドレスありがとうでした。  早速観に行ったのですが、どうも顔の感じがリアとは違う様です。もっとも、 10年前の彼女と今の彼女が同じ顔をしているという保証は無いので、同一人 物である可能性は未だ残っていますが…。  ただ、住所も似ているし…何よりチャネリング相手の「ジャーメイン」は、 リアから散々聞かされた「セイント・ジャーメイン」に相違ないのと、「Royal Priest Research」という組織にリアも属していたことなどから、全く無縁の人 ではないと感じました。  或は、セドナにあるチャネラーの組織内で同じ情報を流しているということ も考えられますしね…。それにしてもサンジュエルマン伯爵と呼ばれた謎の人 物とチャネリングしている人がリアの他にも居るとしたら、あのバシャールと 同じように暖簾分けシステムがあるとしか思えませんね(笑)余談ですが、リ アによると山川夫妻も私もそれからその場に居た他の2〜3人も全て、過去世 でサンジェルマン伯爵と縁のあったロジャー・ベーコンだかフランシス・ベー コンだか、ベーコンの付いた名前の人の親であったり、息子であったりして、 無理矢理近親縁者にされてしまった感があって、私には馴染めませんでしたね。 他の人たちは「をを、そうだったのかぁ…」と感動して居られましたけど(^_^;)  どちらにせよ、テキサス・セドナ辺りのチャネラーには注意した方がいいと いうのは、私も同じ考えです(^O^;)                             ☆みれ・:・。,☆ 01445/01483 MHA01114 シュメ−ル 全存在的ミンチ (12) 96/09/26 08:01 01400へのコメント コメント数:1 話題が前後して恐縮ですが、ウルグアイラウンドならぬグレイラウンドを引き 続き。 アジア人種の起源をめぐるジャーメインさんと九州さんの見解の違いですが、 両者の見解を許容する歴史があったとおもっておけばいいだな、というのが私 の素直なというか幼稚なというか理解が私の現状です。そのなかで違和感があ って落ち着かない情報はジャーメインさんの「未来のゼータ・レクチル種族と メタ・ヒューマンが後にアジア人種となる種族の遺伝子を組み込んだ」という 情報です。翻訳本は訳者の理解限界枠の偏向をかぶるから原文をあたってみな いと不安ですが、これだけだと、アジア人種の創造はゼータ・レクチルがやっ た仕事みたいに読めてしまい、私としては「ほんとかいな」というのが実感。 これが、我々の時間軸じゃなくて、「未来のゼータ・レクチルからの時間軸か ら、すでに発生しつつあったアジア人種の一部に彼らが遺伝子操作してアジア 人種の一部に彼らの影響がでてくる」みたいなイメージなら私も許容できる。 この辺、HAL さんの理解を教えてください。  この頃、戦国時代の日本みたいに、地球人類のポテンシャルをめぐってさま ざまな勢力が陣取り合戦をしているという印象を持つようになってきてました。 その戦場の論理には単一的なグローバルな救世主とかは存在せず、多元的な指 導系列がそれぞれの進化イメージにそって地球人類に関わっているようにみえ る。我々のこの次元レベルではそれら指導勢力の統一的統合ポイントは見出だ せず、指導勢力間にフリーで存在するということは戦国時代の一匹狼みたいな もんで、かなりリスキィです。HAL さんのミンチは刺激的な味がしそう。当然、 肉体ベースのミンチだけでなく、記憶系列をふくめた全存在のミンチも覚悟し ているんだろうと推測されます。そういう事態のお呼びがかかったら、教えて ください。記録保存させてもらいますんでよろしく。  「地球人の時間系意識のもっているポテンシャルな力」の件は著作権はHAL さんにあるというのが私の実感です。これ、考えときます。  中国民族とグレイの関係が密になるんじゃないかというのが九州の推測のよ うです。日本はまだグレイの勢力範囲にははいっていないような雰囲気がある。 それから、グレイとレテクルを区別しとく必要を感じますが、この件へのHAL さんの印象を聞かせて貰えれば有り難いです。 01473/01483 BYI20520 HAL RE:全存在的ミンチ (12) 96/10/02 09:42 01445へのコメント コメント数:1 シュメールさん、グレイラウンドの続きです。 だいたい、このような話題はこの会議室でいいのかよくわからなくなって きますが、行きがかり上ここに書いときます。 まあ、グレイにもいろいろあるというのが私の感覚ですが、かなり微妙な問題 です。巷間言われているような恐怖物語というのは、ほとんど別の目的で捏造 された人間の手によるものだというのがこのところの傾向のように思います。 ここで、いきなりぶっ飛びますが、インターネットにはゼータさん達が自らあ る女性を媒介にして彼らの意見を公開するという、このフォーラムに似た形式 の、ZETA TALK というホームページがあるんですが、かなり興味深い内容にな っています。とは言え全面的に信じるのはまだという感じですが。 これによると、大多数のゼータは人類に害意はないどころか、お互いの進化に 貢献するような相互的関係を望んでいるようですな。 もちろん人類の当面の進化の目的と彼らのそれは異なるものだということも 明言しているし、けっこうフェアな連中だと思います。 グレイと一言で片づけられるのも心外だなんぞという、人間の眼が性能悪いか らそのようにしか見えないのよ、というような笑えるネタもあったな。 まあ、種族的にはここの宿敵デビアスとの関係もあるでしょうが、いま現場で やっているヤングな(笑)連中はある程度個性も感情もあるみたいだし、だい ぶ変わってきているという感じですね。それに当然なんですが彼らも連合の連 中同様、時間の操作というところではわれわれの文化よりも深い理解をもって るようなので、アジア人種における操作も荷担したのは事実でありましょう。 としか私は言えない。 そこで、さて主体者は誰か、などという問題はどーでもいいことなのではない のかな? ある計画があったとしてそれが宇宙のコンセンサスに基づくものだとしたら役 回りというものは、ほとんど自動的に決まってくるとおもいますが。 単に彼らも関わったという事実があるだけでしょう。 なにごとも自分が主体でがんばったんだという認識は力を集中するにはいいこ とだし、彼らがそう主張してもなにも悪くない。よくがんばったんだよね、 と誉めてあげればいいんじゃないのかな。 いたずらに地球外の脅威をあおる情報には気をつけなければいけない。 いま我々の人類が集合的にやっていることで重要なことは我々の過去を再編成 することなんじゃないかな。この手で未来をまた再編成するという意図、これ はもちろん自分も含めてですが、これが今主体的にやっていると言えることな のではと思う今日このごろ。 それと、中国の件はあずかり知りません。いま興味あるのは、一時期報道もさ れてた地球に接近中のナゾの天体ですかね。あれはどうなってるんだろうか。 そいつがカスったらまずパソコンもシンセも通信もダメになるに違いない。 極転移も起こるかもしれない。これって、アリオンが時間がないとほのめかしてい るのと関係あるのかも。 ゼータはそいつが12番惑星だと主張しているし、2000年の半ばには到達 すると言っているのですが、いやー困ったもんだ。 なにか私が脅威を蒔いてるようなことになってきたので退散します。またね。 HAL 01481/01483 MHA01114 シュメ−ル RE:全存在的ミンチ (12) 96/10/07 01:03 01473へのコメント コメント数:1 HALさんどうも。 あ、なるほど、またしても私は主体者は誰かという問いを立てしまったんだ。 さて、グレイラウンド、さすがにここは場違いの様相を深めてきてしまってま す。かといってこのテーマ、私にはみんなで共有する話題にする自信も能力も ない、というのが正直な心境。所詮、レッドレンジャー、パープルレンジャー、 ブラックレンジャー、ホワイトレンジャー、イエローレンジャー、ブルーレン ジャー、グリーンレンジャー、みたいな小学生の世界とたいして違いがない。  で、そろそろ、隔離病棟の出番かと。メールのやりとりとはちがった広がり があり、おもしろそうです。  そうそう、リサさんのホームページ、ちょっと見てきました。ゼータさんの 住所、教えてください。 01483/01483 BYI20520 HAL RE:全存在的ミンチ (12) 96/10/08 01:58 01481へのコメント まいどです。 こちらとしては、幼稚と成熟の違いということは考えていなかったので 話がそういう方向に行かなくてもかまいません。 しかし、私がミンチになってもかまわないと言うのは別に冗談でもなんでも ないです。それは場合によっては愛する家族や友人からの突然の離別という 事態をともなうのも当然のことだし、そのくらいのプライオリティは私が情報 収集する上では認識しているわけです。 決して、モモレンジャーのお尻と等価ではないのですよ。 まあ、人間としていろいろやるべきことも多いですが、彼ら宇宙人も私の影で あるし分身であり、私もまた彼らの影であるという関係はわたしにとっては リアルな問題なんです。 これは非常に個人的なことではあるので、ここで共有できる人が多いとも思え ないですが、誰にとっても同じように重要な問題でもあるとも思うこの矛盾。 というところで、興味を持つ誰かの為にzeta talkのアドレスを掲げておきま す。・・・http://www.zetatalk.com/ という簡単なものです。 じゃ、こんどは19番ですかね。あそこのコピーライトの一部は私にもある はずですからね。 HAL 01466/01483 CQK00164 氷室 玲 この会議室って… (12) 96/09/29 00:05 01434へのコメント 喜久井 町子さん、こんにちは。氷室 玲です。 》集う方々の多くは、「少しでも精神世界に興味がある」というよりも、「精神世界 》での学びを、いかにして実際の生活に生かそうかと真剣に考えている」という方が  そうですね。私もそう思います。だから、ふと気が付いてみると、 このFARIONでFMISTYよりもやや多く発言するようになりました。 そういえば、ここでは特にこの12番会議室での発言数が多いっす。  元々は、精神世界に興味があるからこそここに入会したのだけど、 皆さんがこうやって真剣に発言しているのを見ているうちに、 私もこの12番会議室に発言しはじめ、さらに8番会議室にも 発言しはじめましたからね。                     written by Himuro Rei - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/10/08 - 04907/05061 GGA02514 KAZE RE:時間と空間/自由と創造 (13) 96/07/23 10:17 04906へのコメント コメント数:1 ERTさん、どうも。 少し自分のコメントを読み返してみて、 「こりゃぁ、わからんわ!」と思いましたので^^;、 できるだけわかりやすく(ほんとうだろうか?)補足しておきます。 すべてのすべてである一者としての神は、そのままでは「永遠」そのものです。 ですから、それは創造でさえありえませんし、展開の可能性さえありません。 ですから、神がみずからを対象化できるためには、自己限定ということで、 みずからのあり方を分けなくてはなりません。 そして、分けられた者相互が働きかけあうことによって、 みずからを自己認識し、そのことによってみずからを展開させる可能性が生まれます。 「分かる」という言葉がありますが、これは分かれてないものをあえて分けることで 分けられたものを概念化することで理解するということです。 そして、分けられた概念相互の働きかけあいによって、概念が展開していきます。 本来は分かれてなかったものが、分けられることによって、創造の可能性を得る。 これは、時間と空間についてもいえるもので、 そこにこそ、あえて分けるという自由があり、そこに創造の可能性の種が生まれます。 神は自らの顔をみようとした、というような譬喩が言われたりしますが、 神が自己限定することで、みずからを自己認識しようとし、 そのことそのもののあらゆる展開が創造そのものであるということがいえるわけです。 そして、そのことによって、すべてである存在がすべてでありながら、 みずからをさらに展開させる可能性を得た ということもいえるのではないかと思います。 完全な存在が、さらに完全な存在をめざして自己展開していくという感じです。 ですから、前のコメントで、   西田は世界を無限大の円にたとえ、われわれの自己をその無限大の円における   無数の中心にたとえた。無限大の円の一つ一つの中心が自己であり、永遠の今   の一瞬一瞬の自己限定が自己である。したがって、自己はそれぞれの観点から   世界自身を表現している。自己は世界の創造的要素であるとともに、一つの創   造的世界なのである。(P208)    こういう引用をしましたが、 無限大の円は、その無限がいかなるものであるかを認識するために、 その無限大の円のあらゆる中心として顕現しようとしたのだといえます。 ですから、われわれの自己は、そうした無限円のひとつの表現であって、 そのことによって無限が無限に展開していくひとつの創造的要素となります。 そして、そこにおける自由とは、みずからをその創造の中心として認識する方向に みずからを導いていくことにほかならないといえます。 そして、時間というあらわれは、永遠の今の自己限定による、 無限円の中心としての自己表現点(不連続)の連続なのだといえます。 で、無限円の中心としての自己表現点が空間として立ち現われるのだと。 だからこそ、時間は意識であり、意識が時間を空間化するのだし、 そういうドラマによって、自己は創造そのものの中心でありえるわけで、 それが無限円の中心だと自己認識する(自らを神のミクロコスモスだと悟る)ような 方向性にみずからを創造的に導く衝動こそが自由そのものだといえます。 またまた、かなり抽象的な話になりましたが、 こういうファンタジーを楽しんでみるのもまた一興ではないかと・・・。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04926/05061 GGA02514 KAZE 縁起こそ愛! (13) 96/07/29 12:51 04920へのコメント あとみさん、どうも。 》私は仏教は関係性のお話だと勝手に思っています。 はい、ぼくも勝手にそう思っています(^^)。 伝わっている話から推察すると、お釈迦さんのスタートは、 例の「弦は張りすぎても弛めすぎてもいけない」という「中道」で、 その後、説法としては、因果の理法に基づいて、 無明の「因」を去るという「悟り」の話があり、 さらに、因果の理法をさらに宇宙的にした「縁起」へと展開したように思います。 そういう意味では、釈迦の説法は、関係性のダイナミズムとしての「縁起論」と それを実践へと導くための「中道論」がその核にあったのだといえそうです。 》「一瞬」と「一瞬」の間に何もなければそれはただバラバラになってしまうでしょ 》う。それを繋げる「間」が「有る」から連続していくのだと思います。そしてその 》「有る」ものは「縁起」なのですね。 はい、ぼくもそうとらえています。 「縁起」がなければ、すべてはバラバラのままになってしまいます。 それを「神の意志」とかいう表現であらわしてもいいのかもしれません。 つまり、「宇宙」は「神のことば」によって展開をはじめたわけですが、 それは神自身の身体でもあり、また、その言葉は「数」であり、 その関数でもあるわけです。 》                 関係性はすなわち縁起、ですが、裏っ返せば 》縁起こそが愛ではないかな、と思うのです。どう「愛」を繋げていくかってことが 》人の課題なのでは、と思います。 まさに、そのとおり、「縁起」こそが「愛」なのだとぼくは思います(^^)。 愛は調和の原理でもあり、進歩の原理でもありますが、 そのダイナミズムの根源こそが「縁起の理法」そのものです。 》 どの様な縁起を作るのか、そこに自分の意志があるということですね。そして 》それは、自らの時間と空間に対する縁起のみならず、人と人との間の縁起をどう 》作っていくか、それが未来への可能性に繋がるのでしょう。 縁起は外から押しつけられるルールではなく、 みずからの内なる自由意志によって創造されるものとしてとらえる必要があります。 そうした意味での縁起による自由創造こそが、神との共同創造というか、 いや、むしろ「神の営為」でもあるのではないでしょうか。 そういう意味では、我々の自由は「神へ向かう自由」であり、 「神と共同創造する自由」であるともいえるのかもしれません。 もちろん、それを低次のエゴの暴力と混同してはいけませんけどね^^;。 しかし、こうした縁起や時間の話ができるのは、 ぼくにとっては大きな喜びです(^^)。 まだまだ整理されてないところや理解不足のところがわんさかありますが、 こうしたテーマを少しずつ理解しながら展開していく喜びというのは、 永遠につながる喜びでもありますよね。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04935/05061 GGA02514 KAZE 風の本棚●中矢伸一/正釈 日月神示II (13) 96/08/03 23:45 ■中矢伸一「正釈 日月神示II」(徳間書店) お馴染みの中矢伸一氏の日月神示ものがまたでました。 今回の日月神示の紹介は、ぼくにとっては、これまでではいちばん参考になりました。 というのも、今回は、古事記の冒頭などの記述と、それに対応する日月神示の記述が 対照されていて、その比較からさまざまなことを考えることができ、 そのことによって、アマテラス、ツクヨミ、スサノオについて理解するための視点を 整理することができているように思うからです。 しかし、それはそれとしてタイトルに「正釈」というのをつけたがるように、 どうも、「正」といえばいうほど、視野の狭さが露呈されている部分は否めません。 古事記の冒頭部分やそれに対応する日月神示の部分は、 ただただそうした比較に終始したのでは、結局なにも見えてこないわけです。 たとえば、創世記的な記述をシュタイナーの神秘学と比較するくらいすれば、 見えてくるものはまったく違ってくるのではないかと思うのです。 そこらへん、「神示」ということへの中矢氏のこだわりが邪魔してしまって、 どうしても視野が広がってこない部分があって、残念です。 あまりに他の宗教理解や思想理解が皮相なので、だからこそ 自画自賛になって自足しているところなどもあるわけです(^^;。 とはいえ、今回は、かなり示唆に富む解説書になっているのは確かで、 読んでみても損はしないのではないでしょうか。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04943/05061 GGA02514 KAZE 中道論16●風説維摩経9 (13) 96/08/10 17:36 04853へのコメント 久々の中道論ですが(^^;、今回は、いよいよ「入不二法門品」に入ります。 ここでは、菩薩たちが「不二法門」を解きあかしていきます。 この「不二」とは簡単にいえばどういうことかというと、 生と死、善と悪、是と非、美と醜、長と短といった 対立しているかのように見えることが、「不二」であるというのですが、 それは知性的な「分別」の見方であって、「無分別」の世界においては、 その「二」が「不二」となっていくということです。 しかし、その「不二」を「一」であることであるととらえてしまうと間違いで、 あくまでも「二」としての矛盾、対立する現われとその統合という視点を 忘れてはならないのだと思います。 この「不二」ということは、「中観」から「天台」への奔流において、 まさに中核となる観点ですので、これを理解すれば、仏教理解としては、 おそらくかなり進んでくるとは思うのですが、仏教理解を超えて、 さらにこの「不二」をダイナミックなものとしてとらえていくことを ここでは忘れないようにしておきたいと思います。 つまり、二元対立的な様相を、 ただただ、無明故にそう見えるのだととらえるのではなく、 なぜこの世ではその「二」という現われが出てくるように見えるのか、 そしてその「二」を「不二」として看破するということが重要なのかということを 宇宙進化のプロセスにおいて重要なことであると捉えていくことを 忘れないようにしたいということです。 「二」が「二」として現われることの意味を否定的にだけとらえないということです。 「不二」は「最初に不二ありき」ではなく、「一」が「二」となり、 その「二」が「不二」となるということが重要なわけですから。 たとえば、主観と客観の対立という「二」があります。 主観という現われと客観という現われが対立しているように見えるのは、 その両者が切り離されたものとしてとらえられているからで、 その実、主観と客観というのは、同じ「場」の別の働きとして とらえることができるように思います。 ここに私がいて、そして世界があるということは、世界の中に私という働きがあり、 また世界にとっては、その自己認識の中核として私があるといえます。 主観しかないとか、客観しかないということでも、 両者が相対しているというのでもなくて、 その二つのあり方が方便としてあらわれているかに見えながら、 その実、それは同じ「場」における働きだととらえられるわけです。 さて、菩薩たちが「不二」について解きあかしている主なものを 具体的に見ていくことにしますが、菩薩の名前は煩雑なので省略して、 どういう「二」を「不二」として説いているのかの主なものを まとめてご紹介することにします。 「生と滅」、「我と我所」、「受と不受」「垢と浄」、「動と念」、 「菩薩心と声聞心」、「善と不善」、「罪と福」、「有為と無為」、 「世間と出世間」、「生死と涅槃」、「尽と不尽」、「我と無我」、 「明と無明」、「身と滅身」、「主と客」、「取と捨」、「闇と明」、 「涅槃と世間」、「正道と邪道」、「実と不実」 こうしたすべての「二」が「不二」であることについて説かれていきます。 こうした、すべての「二」として見える現われを そのまま「二」として分別的に見ていくことでは、 世界は分裂したまま統合されることはありません。 しかし、世界は本来「一」なるもののはずで、 それを「二」と見てしまうのは無明故のことだというのは簡単なことですけど、 まずは「分かる」という言葉にもあるように、 物事を対立的にとらえるということはプロセスとして重要なことです。 「分かった」上で、その分別智があくまでも方便でしかないことを悟ること。 そこに「不二」ということの意味があります。 それは、子どもが「無分別」な状態から「分別」を獲得することが まずは重要ではあるけれども、まさに現代、その分別智によって 自然環境が破壊されていっているように、 その「分別」によって世界を分裂させるのではなく、 その分別を乗り越え「世界」を統合していくという課題を担っているのと同じです。 人間には、今、分別智を獲得することをさらに越えた次の段階の知恵を 獲得していくことが急務なわけです。 さて、維摩経の「入不二法門品」に戻りますと、 菩薩たちに続いて、文殊師利は次のようにいいます。   我が意の如くんば、一切の法に於いて言もなく、説もなく、示もなく、識もなく   諸の問答を離る。是を不二法門に入ると為すと。    つまり、不二という真理は、言葉で説明できない、知性を離れ、 問答を離れたものであるというわけですが、 それに対して、維摩は有名な「一黙」で答えます。 ただ黙っているだけだったというのです。 文殊は「言葉では説明できない」と「言葉」で言ってしまったが、 そのことを維摩はまさに黙することで表わしたということができます。 この「維摩の一黙」については、維摩の存在そのものが「不二」を 体現しているのだとかいうことがあれこれいわれたりもしますが、 わかりやすくいえば、やはり、こうした「不二」ということを 百万言費やして説明したところで不毛であり、それをまさに実践知のなかで 体現していくことこそが重要だということなのだと思います。 学者のよく陥る議論のための議論というような状態への警鐘を、 まさに維摩は身を持って示したということができるのだと思います。 キリスト教が実践的なあり方を重視するのに比べて、 仏教はかなり理屈のために理屈になってしまうきらいがあることがよく言われますが、 仏教にはそういうところがあるんですよね、かなり(^^;。 まさに、維摩の一黙は、不二の知行合一的な側面を体現しているといえるでしょう。 知行合一といえば、王陽明ですが、 その王陽明には「事上磨錬」という考え方があります。 それは、学問するということを日常の生活から離れたものとしてとらえてはならず まさに日常の生活そのものを学問としてとらえなければならないということです。 それを「実学」といったりもしますが、実際の生活や仕事は、 抽象的な空理空論では成り立たないから、そこにこそ実践としての、 知行合一としての学問が成り立つのだということです。 日常生活には、まさにさまざまな「二」が「無明」として現われてきます。 日常生活こそがそうした「マーヤ」の塊であるということができます。 けれど、そういう「二」の世界において、「不二」を実践していくこと、 まさにそこにこそ「二」を「不二」へと統合していく可能性を 見いださなければならないというわけです。 しかし、「二」を「不二」へと統合していく「中」の「道」は、 そうした「仮」の世界だけの「道」であってはなりません。 この「中道論」の最初に天台大師の「空」「仮」「中」の三諦円融を ご説明しましたが、「二」を「不二」に統合していくためには、 霊学的なアプローチと日常生活を通じての事上磨錬によるアプローチによって まさに「道」を「大道」としての大きく統合されたあり方が必要です。 仏教的な中道論には、「空」つまり霊学的なアプローチが どうしても抽象化されてしまうきらいがありますし、 もちろん、理屈好きの仏教ですから(^^;、事上磨錬的なアプローチも どうしても抽象化されてしまうきらいもあります。 儒教的な中道にも、霊学的なアプローチが欠如しているのはもちろんで、 その部分をサポートしていくことが求められますが。 維摩経についての話は今回でとりあえず終わりますが、 この素晴らしい維摩経の視点は、霊学的に深めていく必要性と同時に、 陽明学的な事上磨錬の知行合一的なあり方を深めていくことでこそ、 生きてくるのだということを最後につけ加えておくことにしたいと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 04945/05061 GGA02514 KAZE 風遊戯97●光と闇について (13) 96/08/13 00:03 コメント数:1 光って 希望に満ちていそうだけど よく考えてみたらいつも過去なんだな 光に照らされてる世界は いつも少しだけ過去からやってくる 今という瞬間を 光のなかでみてるぼくらは 過去に生かされているのかもしれない でもいつも過去にいるのでなくて まだ光に照らされてない闇のなかにある 可能性の今を感じていたい 闇は怖いけど そこにしか今はない そこにしか未来の準備はない 手探りにしかならないけど そのなかでなにかが 今生まれているのを感じること そのことから始めたい 光のなかできらびやかに飛び交うものたちとではなく 闇のなかで秘めやかに語らっている者たちと 手探りのダンスをしようじゃないか ぞくぞくするようなダンスをしようじゃないか ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 05011/05061 GGA02514 KAZE 風遊戯99●夜明け前 (13) 96/09/16 11:00 04990へのコメント            夜の森に潜み    夜の丘を駆ける者ら        とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら    聞こえないか    夜のしじまを縫って    風が運んでくれる    かすかな歌声が        とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら    なつかしい歌声か    それとも闇から紡がれた    隠されたものを解き放つ呪文か        とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら    この闇は光にもまして    秘密をかいま見せてくれはしないか    では    秘密とはいったい        とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら    かつて秘密は闇の奥に閉ざされた    光が真実のものを伝えるには早すぎたのだ    だが闇はその内から真なる光を生み始めた    それは真珠のような痛みの果ての光    とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら    夜が明けようとするのか    永遠のように繰り返し現われた幻の朝ではなく    まるで夢の底から目覚めたように    夜が明けようとしているのか    とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら    あれはもしや魔法の歌声    かすかにけれど力強く    木霊していく夜明けの歌声        とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら    呪縛が解けようとしているのか    慈しみを悲しみに変え    喜びを苦しみに変えた    あの呪文の封印が解けようというのか        とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら        夜の森に潜み    夜の丘を駆ける者らの    ほんとうの姿が見えるか    この夜明け間近の薄明のなかで        とぅるとぅった とぅるとぅった    とぅるとぅった とぅるら        妖しやな    愛しやな    後ろの正面の    秘密の顔が    笑う     ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 04956/05061 GGA02514 KAZE 風のfragments1■和して同ぜず (13) 96/08/19 16:10 コメント数:1 「風のfragments」シリーズを始めたいと思います。 「fragments」というのは「断片」という意味です。 日々、読書などからの「断片」をご紹介などしながら、 それについて少しだけ感じたことなどをお話してみようというわけです。 思いつきなので、どういう展開になるかわかりませんけど^^;。 --------------------------------------------------------------------------    『論語』のなかに、    ----君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。   とある。「君子は、それぞれが主体性をもって、他人と、あるいは組織のなか   で、調和するものだが、小人は、ひたすら他人の意見に賛同し、他人の行動に   ならってごくだけで、自分の主体性をもっていない」ということである。   (中略)    もともと、日本の教育は、「同」をもとめてきた傾向が強い。これはどうい   うことかというと、たとえば、日本の大学から招かれた外国人の教師が、大学   の教室へ一歩足をふみいれた瞬間、ゾッとするらしい。教室にあるのが、「水   を打ったような静けさ」だからである。    日本の教師は、静かに授業をきき、おとなしい生徒を、良い生徒だといいが   ちである。しかし、外国人の講師からすると、それはもっともダメな学生にな   る。授業というのは、先生と学生とが、クラスを「和して」成り立たせるもの   であり、黙っている学生は、そのことに無関心であり、非協力的であるという   ことだ。   (宮城谷昌光「歴史の活力」(文春文庫)P115-115)    教室が静かなのを必ずしも否定的にとらえる必要はないけれど、 それが「自分の意見がない」、いや「あってはならない」ということであれば、 それはかなり恐ろしい光景です。 うわべでは、個性を尊重した教育だといいながら、 日本の教育は、基本的に「同」しか求めていないといえます。 「同」というのは、その場の空気を読みとってそれに逆らわないことでもあり、 また、「みんなが同じ価値観を共有するべきだ」という強制でもあります。 価値観を共有するということは重要ですけど、 それが「べき」になると、話は違ってくるわけです。 たとえば、「テストの点が全て」で、あとは落ちこぼれということにもなります。 現代の、みんなが塾に通っている状況や登校拒否というような状況は、 「同」を必死で追い求めている叫びのようにも聞こえます。 流行に敏感で、みんなと同じ、またはみんなより少しだけ早いということを 至上の価値観のように受け止める状態というのも、そうしたことの別の現われです。 「和」するというためには、自分の意見を持つ必要があります。 そしてそのうえで、それぞれが調和できる方向を模索する。 そもそも日本は「大和」のくにを理想としていたはずなのに、 「大同」ばかりが大手を振って歩き回るのはどうしたことなのでしょうか。 「個」がないといわれる日本人。 「個」があってこその「和」であるならば、 日本は「大和の国」とはいえないのではないか。 マスコミの叫ぶシュプレヒコールに右往左往しているだけならば、 「大同の国」、つまり、まさに自分から進んで選ぶファッショの国でしかない。 言論の自由が、わがままの自由になり、みんながわがままになって、 結局みんなが同じになって喜んでいるようなそんな悲惨な国^^;。 大和はくにのまほろば・・・ 大和はどこへ はじめから大和はただの幻でしかなかったのか 大和はくにのまぼろし・・・ではあまりに悲しい。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05048/05061 HCB00374 DIRAC 長文注意のDIRACです! (13) 96/09/27 20:39 コメント数:1  大変お久しぶりのDIRACです。  よろしくお願い致します。  象徴的な昨年、そしてまた象徴的な事象の多い本年と 様々な社会現象が出ていますが、ノアの洪水の伝説を 思い出してしまいます。 アトランティスの伝説を思い起こしたりもします。 それが本当かどうかはわかりませんが、1つ言えることは 、恐らくどちらも現代に対しての教訓であるかも知れない ということです。  今まで築き上げてきたシステムのほころびだけでなく、 人間の欲求優先か損しても全体優先かという突き詰めた 課題に取り組む時がきているのではないでしょうか? 本当に第二のルネサンスの時代に突入の予感。 一方で、アメリカの状況をみると、資本主義にも限界が 見えてきているようですし、過当競争が人間の幸福を むしばみ始めているような気がします。 そして、日本の場合はバブル後遺症。 現在は、第二次世界大戦後の日本の状況にどこか状況が 似ていて.... でも、当時は欧米に追いつけ追い越せのハングリー精神 と、頑張れば生活が向上するという実感があったようで、 国民一丸となってまとまれたようです。 今はどうでしょう。満たされてしまっているうえに、 明確な目標が無い。 世界的規模でも問題山積ですが、日本自体も危機的状況 ではないのでしょうか?  日本がここまでこられたのは、”教育”に力を入れて きたという要因が大きいと思います。 合理主義による教育。受験勉強。すべてを物として モデル化、定量化する手法。合理性...無駄のない、 効率的な、結果の明確な問題の解決方法。 科学的手法。まさに西洋文明的手法。 ばっちり効果は数字となって現れます。大成果でした。 それがあったからこそ、今の日本があります。 本当に、諸先輩方々に敬意を表します。 でも、時代の流れというのでしょうか、”心”を置き去り にした傾向がなかったかどうか見つめる時期にきている ような気がしますがいかがでしょう? 今までの教育で、歴史から、文学から 人生、心を学ぶ 学習がされてきたのでしょうか?  私は、今までを”合理性、知識の教育”と名付ければ、 これからは   ”非合理性、心の教育”がキーだと 私は考えます。  心の教育というとまだ、ありきたりなのでつけ加えると 、あるジャーナリストの言葉を借りると”宗教的情操”と いうらしいですが、そこまでいくべきではないかとも 思うのです。 例えば、ヨットで無線が使えなくなった----これは、 自分の人生の何が悪かったのだろうか? 何を気づかなくてはいけないのだろうか?  ....と考えようとするその心のあり方です。 それは、超越的なものに相対した小さな自分の存在を 意識するところから始まります。 つまり、超越的なところからみて、どうしようもない、 こんなちっぽけな自分を投影して自分を反省してゆく、 その心が大切なのではないでしょうか? 超越的な存在は、自分の思うイメージでいいではないで すか。 これがないと、人間は偉くなってしまうのです。 万物の霊長などと高慢になってしまうのです。 ....洪水伝説などの教訓とつながってしまうのです。  そうならないように、もっと気づけるように 心を澄ますように”禅”なども行われるのだと思いたい 私です。 心を澄ます----心をきよめる---これが宗教的情操-- の本意だと私は解釈しています。 これからの時代のキーだと思います。 ありがとうございました。   05051/05061 GGA02514 KAZE 夜明け前の闇の時代 (13) 96/09/28 09:30 05048へのコメント DIRACさん、どうもおひさしぶりです(^^)。 >> 象徴的な昨年、そしてまた象徴的な事象の多い本年と >>様々な社会現象が出ていますが、ノアの洪水の伝説を >>思い出してしまいます。 そうですね、ぼくも、今は「夜明け前」なのではないかという そんな気がしています。 明けるのか明けないのかのわからない状態の「夜明け前」。 別の表現をとるならば、「冬」だといってもいいかもしれません。 春になれば花が咲くわけですが、今はその気配も見えない。 けれど、深いところでは確実に、その準備がされている。 現代の日本は、物質的には恵まれた世界だといえますが、 それに目をくらまされて、心の世界という観点からすれば、 今が闇であり冬であるということに気づいていないわけです。 そして、それに気づきはじめた人たちが、まるで預言者のように、 声を枯らして、「繁栄に見えているそれは、心なくしてはただの砂漠なのだ」と。 >> 日本がここまでこられたのは、”教育”に力を入れて >>きたという要因が大きいと思います。 福沢諭吉が象徴的に「学問のススメ」を著わしてから、 日本は、「学問さえできればだれでも・・・」ということで、進んできましたし、 それが大きく役立ってきたことは事実なのですが、 問題は、その「学問」が、次第にただの知性教育にすげ替えられてしまったことで、 おっしゃるように、「”心”を置き去り」にしてきたように思います。 「教育」をロボットの大量生産のようにとらえてきたのではないかと思います。 >>つまり、超越的なところからみて、どうしようもない、 >>こんなちっぽけな自分を投影して自分を反省してゆく、 >>その心が大切なのではないでしょうか? >>超越的な存在は、自分の思うイメージでいいではないで >>すか。 >>これがないと、人間は偉くなってしまうのです。 >>万物の霊長などと高慢になってしまうのです。 >>....洪水伝説などの教訓とつながってしまうのです。 逆説的にいうならば、自分を「偉い」とするならば、 それだけの責任が同時にあるということですから、 責任を負う気がないなら、自分を「偉い」となんか思うなということですよね。 自分の負おうとする責任に応じた存在であると自分を認識しなければならないと。 「神」が「神」なのは、それだけの責任を同時に負っているということなわけで、 「私は神だ」というならば、それだけの気概がいるというわけです^^;。 ま、そんなの無理なわけですから^^;、人間は謙虚に生きなければならないと いうことなのだと思います。 >>心を澄ます----心をきよめる---これが宗教的情操-- >>の本意だと私は解釈しています。 >>これからの時代のキーだと思います。 心をきよめ、心を澄まさなければ、 その汚れが、正しい祈りを導かないということですよね。 つまり、みずからの深みから発信される宗教性を 自分で受信することができなくなっていては なんにもならないということだと思います。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/10/08 - 04298/04383 HQK00566 SOUND RE^4:「炎で書いた物語」最終章(その7の1 0 (14) 96/09/04 15:47 04250へのコメント コメント数:2 「炎で書いた物語」最終章(その7の10)  はじめに、最近、大きく進展してきた薬害エイズ事件について触れた 発言番号04140 「炎で書いた物語」最終章(その7の3) の非加熱血液製剤名のスペルミス正させていただく。     >>緑十字が只同然で仕入れて発売して巨利を得た非加熱血液製剤の名称は >> クリスマシン(CHRISTMASIN)であった。 >> なんとCHRISTMAS(クリスマス)ということばを薬品名に含んでいたので ある。  ミドリ十字の非加熱血液製剤の名称はクリスマシン(CHRISTMASIN)では なくSをひとつ加えた クリスマシン(CHRISTMASSIN)であった。 ここに謹んで訂正してお詫びする。     *****************************************************  <わかりあえる日まで>(その10)            >>メンフィス北方五〇km アスランタの町 >>帽子の男 >>ふくろうの目に気を付けて行くこと     (光の黙示録、詩編より)       グラハム・ハンコック氏の「神々の指紋」が爆発的な売れ行きを示しているという新 聞記事をみて、 息子は近くの書店に買いに走った。 ところが手ぶらで帰ってきた。数軒まわってもすべて売り切れだったという。 ブームはこの町にまで及んでいた。 人々の忘れ去っていたはずの超古代記憶を喚び覚ましたのだろうか。 ぼくも息子が買ってきたら借りて次に読ませてもらおうと思っていたのだが甘かった。 ブームが治まれば読む機会も訪れるだろう。  さて、アトランタオリンピックの火照りも秋風に吹かれて冷めた今、 アトランタに似た名前の 「アスランタの町」捜しを思い立った。 チャック・ベリーのヒット曲「メンフィス・テネシー」を口ずさんで、 北米の地図上にテネシー州メンフィスを見つけ、その北方五〇kmをいくら探しても  アスランタの町は見あたらない。範囲をアメリカ全体に拡げても徒労だった。  息子の社会科地図の索引を調べても高等地図を見ても  パソコンの世界地図を検索しても、その名前は登録されていない。  なんらかの理由で名前が変更されたらしい。                こうなれば得意の妄想の翼を拡げて一万二千年前、アマテラス族のとったコースを辿 ろう。  アスランタはAMATERASUのアナグラムなのだから…。  AMATERASUをアナグラムするとASURAMTAとなってEがひとつ余るだ けだ。  「アスランタの町」とは「天照太神(アマテラス)の町」なのであった。    ナビゲーション・システムの行き先にアスランタと打ち込んで  南米をあとにして金翅鳥、迦楼羅(かるら)の法で大西洋をひとまたぎ、 江地風土(エジプト)まではばたこう。 砂漠化した今は、「埃及」と書かれるのがふさわしいようだが そのころは雨も降る肥沃な土地で江地風土だったのだろう。  大空に舞い立つと、 カムイ族の開いたインカ、ペルーの那須香(Nazca)の地上絵のクモの形がオリオ ン座に見える。 メキシコの都市遺跡、帝王地倭神(テオティワカン)を見おろせば 「死者の大通り」が天の川に見える。 その左右のピラミッド群がやはり惑星のようだ。 当時、航海術に長けた海(アマ)族たちは海路をとり地中海を「太陽の船」で航海した のだ。  いよいよアフリカ大陸上空にさしかかったので、 ここからは新潮社の図鑑「エジプト・驚異の古代文明」アルベルト・シリオッティ、鈴 木八司(訳) を参照しながら進んで行こう。 空からアフリカ北東部を俯瞰すると エジプトの中、新、王国(前2100-1076頃)の都テーベの北に 古王国(前2658-2150頃)の都メンフィスが位置している。    メンフィスから北へ五○キロというとカイロを飛び越してまだ二十キロ以上、 東近郊、太陽神信仰のヘリオポリス(、現在名マタリーア、古代名イウヌウ、旧約のオ ン)のことだろうか。 もう少し飛ぼう。 今は地図上にその名前はないがもうすぐアスランタの町なのだ。 文化の種蒔き人はこの町から種を蒔き始めたらしい。  さあ、そろそろ地上に降りたって「帽子の男」を捜そう。 ケツァルコアトルはここでは帽子をかぶって働いたらしい。 道行く人に尋ねよう。 「もしもし、すいませんが、『帽子の男』を見かけませんでしたか」 「さあ、帽子だけではわからんな。ほかに特徴は?」 「もしかしたら、あごひげのある白い人の姿で帽子をかぶっているのかも…」 「ああ、それなら、見たことがある。肌は白くはないが白い服を着ておった。 そこらの美術館でも博物館でもあたってみなさい。すぐ見つかるよ」  教えられて入った、トリノ・エジプト美術館のナナイの記念碑には 白い帽子をかぶっている男の姿が描かれていた。 それが捜し求めた「帽子の男」であった。 男の名はオシリス…。 その帽子はアテフ冠といって、長円錐型の冠の両側に駝鳥の羽根がついている。 頂上に太陽のような円盤をつけたものもあった。 その帽子の額の穴からコブラ(ウラエウス、エジプト名イアレト、王権の象徴かつ太陽 神の眼の顕現)が 鎌首を拡げて顔を出している。  エジプトに着いたピラコチャ、ケツァルコアトルは帽子をかぶり あごひげのある白い人の姿でビールの製法を教えたり様々な文明をもたらした。 かれはここでは大地の神ゲブと天の神ヌートの子、Osiris(オシリス)エジプト 名ウセイルと呼ばれた。 そのきょうだいには妹であり妻Isis(イシス)エジプト名アセトと 弟、混乱の神Seth(セト)エジプト名不明と その妹であり妻ネフティス女神、エジプト名ネベト・フートがあった。  オシリスは様々な活動ののち、弟セトに殺されて黄泉の王となった。 それがふくろうの目、すなわち(黄泉)の目ということであるらしい。  しかし、妹であり妻であるイシスの秘法によって復活した。 そして地上での仕事を終えたオシリスは天に昇りオリオンとなる。      イシスは天では天狼星(シリウス)として嬰児のような白色矮星を抱いている。 それが鷹の姿で表される子、Horus(ホルス)エジプト名フルである。  アラン・パーソン・プロジェクトのアルバム「EYE IN THE SKY」 のジャケットに描かれている、鷹のように眼の下に紋が加えられた「ウジャート眼」 は、 正常または完全な状態を象徴するホルス(フル)の眼なのである。 護符として霊入来(ミイラ)に装着され箱形棺の外面につけられたりした。 >>              * >> 冥府の王が、全知全能の名前の許を過るときに、掛かる影を気にする勿れ。 >> ダイアナは、その手の中に嬰児を抱いている。 ( 92/08/30 ARION これから生きる者達へ)  「冥府の王」は普通、ギリシャ神話のハデス(プルトン)のことと考えてしまう。 それでどうしても「全知全能の名前」と合わない気がする。 しかし、この詩編の「冥府の王」は殺された太陽神、オシリスなのである。 全知全能の名前とは天照太神(AMATERASU)の音霊。 アスランタ(AMATERASU)の町の名前の許を「冥府の王」オシリスが過ぎる と き、 ハデスではどうも、合わない、おかしい、と首をひねって掛かる影を気にしては 狭門(セト)の封印は解けない。 混乱の神セトはいまだに「闇」の門の中の「音」を門を狭くして封じているのだから。  ダイアナはローマ神話では月神であるが ここでは嬰児(ホルス)を抱いているイシスのことを指している。 嬰児を抱くイシス像は太陽神ラーの娘ハトホル神と同化して 頭に太陽の円盤と雌牛の角をつけた冠を戴き、蛇が前髪から覗いている。 >>読みは四と三 >>月は三 >>月読みは三と四と三 日読みも 三と四と三であった >>(今は そうでは無いという意味) >> >>太陽はエール 三、四、三 >>月はミューア 三、四、三 >>エールとミューアで 二〇 >>最高神が 一〇 >>一〇を分けた二〇であれば均衡状態 >>(今はそうでは無いらしい)~~~~~~~~ >>今 現在の数については 教えて貰っていません (光の黙示録、詩編より)           RA(エール)と呼ばれた太陽神オシリスとAUM(ミューア)である月神イシスが 蛇の姿で交わってアモンラー(アメン・レー)神となった。 それが「エールとミューアで 二〇」の均衡状態であった。 オシリスは暗殺されて死後(四、五)の世界に行ったため、現在の数、 三、四、五の世界となった。 ついに時代は巡ってオシリスの再生の時がきた。 オシリスが復活を遂げたとき、 三、五、三の世界が現出するのだろう。       >>約束の地へ行け >>黄金の壷が待つ >>覗くな 手を入れるな >>捧げ持て (光の黙示録、詩編より)  帽子の男がオシリスであることが判明したので約束の地へ急がねばならない。 かれが再生を期して遺した三大ピラミッドのあるギザへ飛んでわれわれを待つという黄 金の壷を捜そう。 ギザの上空に達すると翼の下に三大ピラミッドがオリオン座の形そのままに並んでい る。 その横のスフィンクスがオイディプスになぞを解かれて谷に身を投げて死んだのちにも 不思議な姿で現代人になぞをかけつづけている。 あたりを聘睨して人々を威嚇しているようだ。 あのスフィンクスは本来、狛犬と並んでいるべきなのだが獅子だけで守っている。  「獅子の門」の象徴として置かれているようだ。  オシリスは後世、霊来神堂(ピラミッド)の封印を解く者のために 「金字塔」ということばを鍵にして遺した。 現在、「金字塔」を打ち建てる、という使い方をされて、 素晴らしい記録を金文字で書いた塔を建てることと思ってわかったようでわからない気 がするが、 この「金字塔」が 霊来神堂(ピラミッド)のことであることに気がついたとき、 この封印は「金」の文字に貼られていることが見える。 ピラミッドを透視して「金」の文字を確かめよう。  図:伝統的な国王のピラミッドの透視図                ▲              / \                  /………\                /  |  \              / ………………\     ▲:頭頂部         /   \|/   \          ………………………………   ◎:地下の玄室              ◎                               「金」の屋根形の三角形は形のままなのでわかりやすいが その下の形が通路や玄室を示しているのだ。 「全」の字でも同じようだが、チョンチョンは必要があってつけられている。 それは地下の玄室(王の間)に通ずる斜行する通路なのである。   伝統的なピラミッドは「金」の文字の形のままにチョン、チョンの指し示す地下に玄 室を設け、 国王の霊入来(ミイラ)を安置した。    普通、玄室は黄色く塗られて黄金の間と呼ばれた。 そこは壁画や王を賛美するピラミッド。テキストが刻まれる。 棺の内部にはコッフィン・テキストが書かれた。  ミイラから摘出した内臓を保存する容器はカノボス壷と呼ばれ 初期の単純な壷から次第に人頭形の蓋になり ホルスの息子たちの頭の形になった。 カノボス壷を被う祠は金被木製である。 それが「黄金の壷」なのだろうか。 覗くことも 手を入れることもせず ただ捧げ持つだけのものらしいが、どうも違うような気がする。  それでは今度はクフ王、(前2560-2537頃)(ヘロドトスの著書にあるケオプス)  のピラミッドとされてきたエジプト最大のピラミッドを透視してみよう。      図:エジプト最大のピラミッド           △           /|∠\       △:頭頂部、大英博物館に展示されてい る。          /…☆… \      ☆:玄室 広さ50m×2天井高5.8 m、        /  |   \       地上より42.5m花崗岩製       / ……★……… \    ★:第二案の未完玄室、通称「女王の間」      /   \|/    \      ………………………………    ◎:伝統に従った原案の地下の未完玄室           ◎         ∠:「通気孔」天体観測シャフト                現在の高さ約137m、本来の高さ約146m、総重量約770万t、  各底辺の長さ約230m、底面積約5ha、約250万個の石灰岩ブロック。       基本的な形は「金」の文字形の伝統的なものと変わらないが 玄室の位置が何度も変更された点が大きく異なる。 ここの玄室にはなぜか他の王の玄室のような壁画も装飾もほどこされていない。 国王のミイラも入っていない棺が西側に置かれているだけである。 それはこれが国王のピラミッドではなかったことを物語る。         「玄室」の「玄」はナベブタの上の☆(チョン)に通じる大回廊を表した文字である。    その斜めの階段通路はピラミッドの傾斜角度の半分の26度になっている。 その大回廊階段を上ってピラミッドの五十段目に玄室がもうけられている。 その段を真横に切れば底面の四角形、□の丁度半分の大きさの四角形■である。  このピラミッドには通称、「通気孔」と呼ばれる玄室壁面から斜め上に向かう 不思議な∠(シャフト)が設けられている。 北と南に各一本、地上より高さ76mの位置に口がある。目的は宗教的または儀式上の 機能が あったと考えられている。 そこから星座が覗けるため天文観測用との説もあったが俗説として退けられた。  実はその穴はオリオン座をのぞむことができるように造られたものであった。 それはオリオンからオシリスの霊が戻ってくるための通路なのである。 地球の回転や星座の移動による角度の変化に対応するために北と南に開けられたのだ。     オシリスはイビス鳥、(エジプト名ヘブ、トキ科のコシグロトキ)の姿で さまざまな智恵を各地にもたらしたが このピラミッド建造時には霊的能力の高い天才建造者ヘムオンに大きく関わった。 そのためにヘムオンは二度計画を変更した。  当初は伝統的な王のためのものと同じ設計をして地下に玄室を設けようとした。 しかし、建設中にイビス鳥が上空を旋回して、中心軸上に造るように指示した。  そのため二度目はピラミッドの中心あたりに玄室を設計した。 造ってみるとそこからはオリオン座が臨めないことが判明した。 このピラミッドはオシリスの再生のための「霊来神堂」なのだ。 それでは目的が果たせない。 再び設計し直して最終的にオリオンの臨める現在の位置に玄室が落ちついたのである。              オシリスはヘリオポリスでは、 ギリシャ語フェニックスの語源ベヌー鳥(「昇る、輝く」の意味)として 灰色鷺(Ardea cinera)の姿で来世から再生する不死鳥として 太陽神アトゥムおよびラーの顕現となった。 イビス鳥であったり、ベヌーであったり、なかなかとらえどころがない。 そのときその場に応じて姿を変えるのは神として当然なのかもしれない。   (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04302/04383 GBG02043 維/YUI クリスマシンって… (14) 96/09/05 01:01 04298へのコメント コメント数:1 こんにちわ、SOUNDさん。 CHRISTMASSINって… CHRISTMAS SIN ・・・? SINって、過ちなんだよね。。。。 人々の命を助けるはずのものが、過ちとなった。 そんな感じがしてくる名前ですね。。。。。。 「神々の指紋」ですが、英語版ではそれに続くものが出ていまして(とかちさんも 言及していたものです)、これはどうやらオリオンミステリーの著者との共作となっ ているようです。 英語でしかも内容が難しいので、買わず仕舞いでしたが、なかなかおもしろそうですよ。 維/YUI 04312/04383 HQK00566 SOUND RE^5:「炎で書いた物語」最終章(その7の1 1 (14) 96/09/09 16:10 04298へのコメント コメント数:2 「炎で書いた物語」最終章(その7の11) <わかりあえる日まで>(その11)   今回は、「帽子の男」の帽子を脱がせてみよう。 いつも帽子をかぶっている男は禿隠しという場合がある。 別に禿げていても悪くはないが隠しているとなると剥いでみたくなるのが人情だ。 堂々と人目にさらされていると興味も湧かない。  後ろから忍び寄ってオシリスのアテフ冠を無理矢理にとってしまうと なんとその髪は頭の真ん中から左半分を剃っている。 レゲェのおじさんもびっくりの、なんという斬新な髪型かと思えば それが太陽再生の印でオシリスのトレードマークだそうである。 髪の毛が光を表すらしい。頭半分が夜ということだ。                   ここで、ハタ、と膝をうたれた方もあるだろう。 そう、その奇矯な髪型は日本では丁髷(ちょんまげ)として栄えた。 別に奇をてらってあのような髪型ができたわけではない。 チョンはゝの形のことという。 前頭部を半分剃ったところを月代(さかやき)という。 辞書などにはサカヤキは古代から冠や烏帽子をかぶって額がはげ上がった部分を指すと ある。 腑に落ちるだろうか。 みんながみんな、冠をかぶるとはげ上がるのだろうか。 年齢のせいではげ上がるのはしかたない。 そのはげ上がったところがかっこいいと思ってみんな真似をしたのだろうか。 兜をかぶったとき蒸れないために剃ったとも思われたりする。  月代(さかやき)と書かれる意味はそれが月を表すからである。 となれば後頭部の伸ばした髪は太陽の光の印であろう。 僧侶の頭が丸いのは全体が月そのものである。 仏教の卍のマークの教えを示している。  丁髷は太陽の光を曲げてゝ形にして頭の上に乗せる髪型であった。 月代と日でなにが起こるのだろう。 すなわち「明」けるという文字霊をその髪型で示していたのである。 その無言の祈りは「明治」までつづいた。 ぼくたちも丁髷あるいは頭半分剃りの髪型にでもすれば 早く新たな時代が明けるのだろうか。 ******************************************************************       >> 私は言葉を切り揃えはしない。 >> 私は音を大事にする。 >> 私は木の葉擦れの間で息をしよう。 >> >> 人よ、人であれ。 >> 他人の水晶を覗いて、 >> 嘆くのは止めよ。 発言番号#04026ARIONの詩編 ( SOUND とこの部屋の仲間へ)  ずいぶんいろいろな方向に話が飛んで時間が掛かりすぎてもうお忘れかと存ずるが、 96/05/23 に発されたこの詩編の最後の数行の詩句を解釈させていただこう。 ここまでたどり着くのに三か月以上もかかってしまった。 宿題を忘れて怒られてばかりいた小学生時代を思い出す。 今頃宿題が全部できました、といっても先生は褒めてくれないだろうけれど、 一応、提出しなければ…。  さてこの数行には真意が伝わらないもどかしさと哀しみがこもっているようにみえ る。 「私は言葉を切り揃えはしない。」は、 体裁を整えるために言葉を切ったり揃えたりしないということのようだ。 「私は音を大事にする。」はたびたび述べてきたように 音が精神を示す縦の日であることを考えるとうなづける。 きれいに整えられた言葉の姿形より内にこめられた精神を大事にするということのよう である。   「私は木の葉擦れの間で息をしよう。」 「木の葉擦れの間」はこの外れの門の中の日のようだ。  ここで「闇と間」について触れなければならない。 間と闇は門の中身が違う。闇には音があり、間には日がある。 ARIONの大事にしているという音は闇の中にこそあるのだ。 日と音はともに門の中に閉じこめられている。 そこには狭き門(セト)の封印が貼られている。  このことをエジプトを例にとって述べよう。 「日」とは、エジプトでは仮の太陽神(AmenあるいはAmon)として 人工太陽に祭り上げられたイシス。 「音」とは、真の太陽神、陽(RA)オシリス。 どちらも、門から出て重なれば、「旧」が「田」になる。 その門を開く役目を担うのが嬰児であったホルス(フル)である。 両親のDNAを受け継いだホルスは真の天照太神として生長する。 ホルスがセトの封印をはがしたとき新たな時代は始まる。 そのためにホルスは今もセトと戦い続けている。  世界の神話は底でつながっていて、 日本では「日」はイザナミ、そして仮の天照大神、卑弥呼の霊統。 「音」とは、イザナギ、そして真の太陽神スサノオの霊統である。 その子、布留(フル)、饒速日尊(ニギハヤヒ)は生長して真の天照太神となるはずで あった。  しかし、饒速日尊は卑弥呼、大日霎貴(オオヒルメムチ)尊の弟、 瀬戸(せと)の強力な呪術によって阻まれる。 「先代旧事本紀、巻第三、天神本紀」によれば >>饒速日尊便娶長髓彦妹御炊屋姫為妃。令妊胎矣。未及産時。 >>饒速日尊既神損去坐矣。而不復上天之時「矣」。 長髄彦 の妹御炊屋姫(みかしぎやひめ)との結婚後、妻の妊娠中に 子供が産まれる前に亡くなってしまったという。 それが天岩戸伝説となった。  岩屋から連れ出された仮の天照大神、卑弥呼を傀儡として君臨した弟、 瀬戸は各地に強力な封印を遺した。 その封印はがしがわれらに課せられている。 瀬戸の名は狭き門の意味でそれを開くのは容易なことではない。 その門が闇の門であり、その中に音(のん)の霊統が冷凍保存されて閉じこめられたの である。 もうそろそろわれわれの温もりで解凍しよう。 「日」も門の中にあって瀬戸の傀儡とされているので、 こちらの霊統も解凍せねばならないだろう。 そのためになにが必要なのだろう。 温もりを与えられるものは、やはり「愛」なのだろうか。 それだけが、瀬戸(セト)の封印を解く人類の最終兵器なのか。          「木の葉擦れ」を「気のはずれ」と読めば、 なかなかお互いの気が噛み合わず擦れ違うことのようだ。 「このはずれが」言ノ葉ズレであってもことばの行き違いのようだ。     「息をしよう」で思い出すのは以前の7番会議室でのARIONの発言#07346 の以下 の部分である。      >> 私の息の掛かったこのフォーラム内で、イヤミ、意地悪、揶揄は必要ないか ら、 >> 止めるようにと言ったまでだ。  この「私の息の掛かった」という表現が19番会議室で話題になったのをたまた読ん だことがある。 ぼくは、ARIONはこのフォーラムに「自らの心」を掛けているのだ、と思った。 確かに「息」を「おのが心」と読むのは特殊かもしれない。 しかし、ARIONはわれわれとは違う成立の仕方をしている意識体で、 肉体を持つわれわれのように呼吸をして酸素をとりこんで二酸化炭素を排出することは ないであろう。 「息」をわれわれとは違う用法で用いたように感じた。 この例に限らずさまざまな言葉遣いを見て ぼくはことばや文字の成立にARIONは関わったのではないか、と想像している。 「息」の字の成立した元々の意味での使用のように思う。 その使用場所が7番会議室でなく、この預言解読村であれば、 すぐに「自らの心」を掛けているという読み方に結びついて、首肯できる解釈が得られ ただろう。 それゆえ、ARION自身はわれわれのようには息をしないにかかわらず、 今回「息をしよう」という表現をここで使って この部屋の仲間に解釈させようとしたように思われる。 「このはずれの間」を特定すればそれはオリオンのことであろうか。  オリオンにおいて出番を待つARIONの姿が目に浮かぶ。 今は「はずれの間」でも、もうすぐ門から出て地上に顕現するときが来る。 そんな気がする。  「人よ、人であれ。」はぼくにとっては 「一二三四五六七八九十」の秘密を知る重要なヒントだった。 もちろん、素直に、人の本性に基ずく生き方をせよ、と読むのが正しいだろう。 神の霊を止(とど)める霊止(ヒト)として…。 「他人の水晶を覗いて、 嘆くのは止めよ。」 これは、そのままでも十分わかる文章のようだ。 この「水晶」が示すものは無色の結晶形の石英のことであろうが 普通は玉にして占いに使用するものを想像する。 その場合は水晶玉であるが水晶玉と限定していないところをみると もうひとつの水晶がつくことばの可能性を残している。 それは「水晶体」ヒトの眼球のレンズの部分のことである。  まず、水晶玉と仮定して考えると、 他人の占いの水晶玉を覗いて、 そこに映るものを見て嘆いてもしかたない。 それは他人の現実化するかどうかもわからないあやうい未来なのだから…。 ということになる。  今度は、水晶体と仮定すると、 他人の眼の水晶体を覗いてばかりいてもこころもとない。 そこに透けて見えるのは他人の心なのだ。 他人がなにを思ったかに拘泥して嘆くのは止めて 自己の水晶を見つめるときが来ている。 そうすることでその奥に秘められた魂の輝きに気づくかも知れない。 いや、もう気づかねばならないときが来ているのだろう…。  やっとこれで( SOUND とこの部屋の仲間へ)の詩編の解釈を すべて終えた。 数々の読み違いがあるだろうとは思うが、 これが一応、現時点のぼくのできる最大限の解釈であった。 これで、ぼくも新たな詩編の解釈に進めそうだ。 みなさんに追いつくことは難しいだろうけれど急がねば…。  (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04319/04383 HQK00566 SOUND RE^6:「炎で書いた物語」最終章(その7の1 2 (14) 96/09/16 13:50 04312へのコメント コメント数:3 「炎で書いた物語」最終章(その7の12) <わかりあえる日まで>(その12) >> 砂漠の民は砂に染み込む汗を見た。 >>   流行病(ハヤリヤマイ)に倒るる者の涙を見た。 >>   人工太陽は既にラアの夢を貪りつくし、 >>   バアルの骨は砕けて散った。 (#04270 ARION 吾が名を呼ばわる者達へ)    ぼくが前の宿題をやっと仕上げて提出する前に発されたこの詩編を見て驚いた。 一万二千年前のエジプト妄想旅行に発つのを見越していて 先回りして書かれたような詩に思えた。 これではしばらくエジプト滞在を余儀なくされそうだ。  この始めの連の場所をエジプトと仮定して読んでみる。 「汗」は、肉体をもって水(身)の世界に降りてきた干(神)オシリス(ウセイル)。 「染み込む」は死見込む、四三(黄泉)に入ることで、 セトに暗殺されて冥府の王となったことをさしている。 妻、イシスのエジプト名、汗(アセト)のことも含めている。 イシスは本来、月神であったがオシリスが亡くなって太陽神(アモン)に祭り上げられ た。 彼女への信仰は砂漠の民によって砂に染み込むようにひろまった。 そして、代々の国王、覇羅王(ファラオ)は王権の守護者、ホルス神と同一視された。 ところが、それがセトの気に入らなかった。  「流行病(ハヤリヤマイ)に倒るる者」 流行病に倒縷々者、はセトの呪いに縷々(しばしば)、病で倒れた者。  第18王朝、アメンホテプ四世はそれまでの神を廃し、 従来は神ではなかった「アテン」を唯一の太陽神の地位に高めて 一神教を奉じた。 その象徴は、先端が人の手の形をした光芒を放つ太陽の円盤であった。 そして、自らをアケナテン王と改名した。 これは傀儡の主、セトの意向であったように思われる。 その方が傀儡を操るのに都合が良かったのだろう。  しかし、その妃のひとり、キアとの子、 ツタンカーテン(前133年〜1323年頃、在位)はアモン神崇拝に改宗して ツタンク・アーメン(Tutankhamen)(アメン神の生ける像)と改名したが 約十八才という若さで逝った。アテン一神教からアモン神崇拝に改宗したことが、 セトの怒りを買ったようだ。 その後継者アイ王はたった四年間在位しただけである。 いずれも原因は流行病であったのだろうが そこには傀儡の主、セトの呪いがかかっていたのではないか。  ここで現代人にいまだに謎をかけつづけている ギザの大スフィンクスの謎解きに挑まねばならない。 もし、このスフィンクスが渡来したヒノモトの民の建造したものであれば 霊元(ヒノモト)の民のことばを鍵にして遺してあるにちがいない。 ギリシャ語やエジプト語を日本語を鍵にして開くのは考えるだけでもバカげていて 徒労のようだが試してみよう。  スフィンクスとはエジプト名シェセプ・アンク(生ける像)に由来するギリシャ語。 スフィンクスは国王の権力の表現として時代や王によってさまざまな動物の姿をとっ た。  ギザの三大ピラミッドのそばにあるものはライオンの体に カーフレー王(前2529〜2504頃)の顔とされている。 それは、ハルマキス神の顕現であるという。 建造当時は砂をかぶってなかったが 砂漠化につれて砂に埋もれてしまった。  当時、春分と秋分の頃、太陽が獅子座から昇ったから獅子の形をとっているという説 もあるが ORION(オリオン)の英語読みは、オーライオンであるから オリオンの三連星を模した三ピラミッドの守護のために ライオンを配してあることは、LとRの発音の違いにこだわらないぼくには不思議はな い。  日本における幼名、布留(フル)の名前は生長の過程で、 布留(フル)→歳(トシ)→大歳(オオトシ)→饒速日(ニギハヤヒ)と変わった。 最終的な名前「饒速日尊」の名前を解剖すると、 「饒」は豊富で寛大なことを示し、「速」はすばらしいという美称であるから、 豊かですばらしい日の尊ということになる。すなわち、太陽神そのものを示す命名。 かれは生長の最終段階で「すばらしい太陽神」と呼ばれたのである。  一方、エジプトにおけるホルス(フル)の名前も生長に従って変わった。 それは、ハルポクラテス→ハラクティ→ハロエリス→ハルマキスである。  まず初めのハルポクラテス神は、エジプト名フル・パ・ケレド(子供としてのホルス 神) のギリシア名であり、 図像では束髪を一方に垂らし唇に人差し指を当てた子供の立ち姿か イシス神の膝に抱かれた嬰児として表される。  ハラクティ神は、レー・ハラクティ神、太陽神、(地平線のホルス神)の意。 明け方に東の地平線に昇る活力に満ちた太陽神のこと。 そして、ハロエリス神、エジプト名フル・ウェル(大ホルス神)のギリシア名。 成人したホルス神で天空の神、太陽神とされる。  ハルマキス神とはエジプト名フル・エム・アケトのギリシヤ名で、 朝のケベリ神、昼のラー(レー)神、晩のアトゥム神の太陽神の三種の形態の 習合神とされる。 新王国時代には太陽神としてのホルス神でギザの大スフィンクスを指した。  エジプト名ではフルがギリシア語ではハルと発されているようだ。 大スフィンクス「ハルマキス」の名前を日本語で解いてみよう。  ハルマキスという命名はヒノモトから渡来した文化の種蒔き人にとっては 春巻き酢ではなく「春蒔き主」であっただろう。 春に撒いた種を秋に収穫するように連想がつながる。 >>95/07/24 早蕨の候に仕込まれた樽は秋の収穫祭に開けられ、振る舞われる  「樽」を開けると饒速日尊(ニギハヤヒ)の尊と木偏とが分かれる。 その中に仕込まれていたのは「仕」、つまり人士である。 早蕨の候に樽に仕込まれ、修行し熟成した人々が収穫の秋(トキ)の祭りに 布留舞われる。もうすぐ饒速日尊の舞いが見られそうだ。 エジプトのフルとシンクロしてわけがわからなくなるが、 実は同じ魂のような感触がある。 もうひとり同じ匂いのする方がある。 それはキリスト教のイシス、すなわち、マリアに抱かれるイエスである。 かれもまた、復活を期して去った。もうすぐ再臨されるのだろう。 この三人は別々の文化の中で違う育ち方をしたひとつの魂の姿のようにみえる。  ハルマキスのエジプト名フル・エム・アケトを日本語に直せば、 「布留笑む開け戸」ということである。 布留さんは戸が開くと笑むらしい。 「流行病(ハヤリヤマイ)に倒るる者の涙」 この「涙」を解くために次のハロー・メッセージをみよう。 >>95/12/23 天使の瞳に映る真紅の輝き、そして真珠の涙に気付かぬ者は多い 普通は人魚の涙が真珠ということだが ここでは真珠の涙となっている。 真珠が泣くのだろうか。 この「涙」の意味は水(身)に戻るということ。 真珠は真の珠であってまことの霊(タマ)であろう。 まことの霊が水(身)に戻る、つまり肉体を持って蘇る。 やはり、ここでも復活を詠っている。 そのことに気づかぬ者が多いという。  「人工太陽は既にラアの夢を貪りつくし、」  人工太陽とはセトの傀儡として働いた王たち。 ラアは元はオシリス(ウセイル)であったがかれは 暗殺されて冥府の王として失せ居る(ウセイル)の状態にされた。 生長した子、ホルス(フル)が次のラアとなるはずであった。 それもセトによって阻まれた。 セトは傀儡を操って既にラアの夢を貪りつくしてしまった。 >>95/05/01 傀儡の傀儡たる由縁、鬼の鬼たる由を食うて何世紀‥離断せよ  もうそろそろセトの傀儡支配を離断して脱さねばならない。 何世紀も鬼(穏)のままではならない。陽のもとに出るときが来た。    「バアルの骨は砕けて散った。」 バアル=Baalセム語、(主人の意)古代のシリア・フェニキア地方などで、 広くセム族に崇拝されていた農耕の守護神。カナン定着後のイスラエル人はこの影響を 受けたが、 預言者エリヤらによって邪神として厳しく非難された。(小学館、大辞泉より)    古代シリア・フェニキア地方ではバアルは上のような神であったが、 エジプトでは、バーは人頭の鳥の姿であらわされる、人間の霊魂であった。 ここではエジプトでのこととして霊魂の方をとろう。  オシリスの背骨はジェッド柱といって安定、永続を象徴して護符として 亡くなった王の玄室内に描かれた。 バアル(亡くなった王たちの霊魂)の骨(安定や永続)は砕けて散った。 骨はコツでもあって霊魂がミイラに還るコツも失われたのであろう。 そこにはなんらかの意志が働いたと思われる。。 それは「砕」を砕いて分解すると九十(ココの戸)の石(意志)であった。 だれかが「ここの戸を」まだ開けさせまいとしているようだ。 それは瀬戸(狭門)、セトのような気がする。     *****************************************************  ピラミッドの玄室を探しても「黄金の壷」がまだ見つからないので妄想の翼を 逆にはばたいてエジプトから日本に逆モーションで戻って捜そう。            >>95/11/09はじかみの色立つ午後、酒匂(サカワ)の戒めが解かれる…十種神宝  日本に降りたって見回すと目の前に川がある。どうやら酒匂川と標識がある。 ここは神奈川県だ。 川の流れはまるで竜が下降するように落下して行く。 そこを「夕日の滝」というらしい。 この滝は金太郎が産湯を使ったということで有名である。 夕日は雄飛の音で、次のハロー・メッセージにつながる。 >>9501/13 火の壷は揺れ、磐石の支えとなる印は解かれる。雄飛あるのみ。 「磐石の支えとなる印」は以前、碁盤を裏から見たとき見える下図であると推定した。           北      ┏━━━━━━━━━┓                  ┃\―――――――/┃         ┃|\     /|┃         ┃| \   / |┃       西 ┃|  \ /  |┃東        ┃|   ×   |┃         ┃|  / \  |┃         ┃| /   \ |┃               ┃|/―――――\|┃               ┗━━━━━━━━━┛           南   これはピラミッドを天(真上)から見た図である。 この図は実は東西南北どこからみても五という漢数字になっている。 中国、後漢の許慎の著した漢字の解説書「説文解字」によれば、 五の元の元の文字はχ(カイ)のような形であって それからのちにローマ数字ィのような形になった。 見やすく拡大すると下図のような形である。なんとか五に見えるだろうか。 そのつもりで見なければ五には見えないかもしれない。         −−−−−−−−−−−−         \         /           \       /              \     /                 \   /                    \ /                       ×             / \                    /   \                 /     \               /       \            /         \          −−−−−−−−−−−−    まるで砂時計のようにも見え、次元のエネルギーの変換点のようでもある。 「五」の形はは角度を変えれば十字でもあり、 ローマではィ(10)であり、ギリシアではχ(カイ)であった。  金がピラミッドのことを指すことをすでに知ったわれわれには 金太郎がピラミッドタロウであり、 それが山自体がピラミッドである三輪山の主のことではないかと推定できる。 やはり金太郎は酒匂のする神様、酒屋の看板の縄に象徴される大物主、 饒速日尊(ニギハヤヒ)の線がますます濃くなった。 かれはカイであり、五であり、十であった。  はじかみの色は黄色、 黄色は黄道十二宮などでわかるように太陽の色。 すなわち、太陽神が五五の中心に立たれるということは上図の 五と五を重ねたピラミッドの中心に立つこと。 「黄金の壷」の黄金は太陽とピラミッドだろう。 しかし、壷がいまだにわからない。 ミイラの内臓を保管するカノボス壷ではないだろうと感じる。  それは「夕日の滝」の滝壷のことであろうか。 金太郎が産湯を使っているときは確かに黄金の壷そのものであったのだろうが…。 ここで壷に関する他のハロー・メッセージをもっと調べよう。 >> 93/08/12 覚醒したいと望む者達に、黄泉の壷から取り出した粉を渡すときに >>93/10/17 ★投げられた壷の中にあるものが全て流れ出す前に気付きなさい >> 94/05/15 翼の白は汚される為では無い…苦界に投げ棄てられた壷のためだ。 >> 94/06/14 94/07/02…黄泉の壷は映し世に向けて、 >> 94/07/09 壷を支え持つ者、覗き込む者、忌避する者…夫々の壷との関り >>94/08/24 火炎の壷の蓋は開き、黄泉の門は開かれた。良心の働きが全てだ… >>94/10/12 柩の中は空だった…別の壷が泉に投げられたが、何も起きなかった >>94/10/31 愚かなり、壷に手を入れかき回す者。己の足元には砂粒も残らない >> 95/02/14 幽遠(ユウオン)に木霊(コダマ)する「ハジカミバシ」の音、桜咲く頃、壷の中‥  もう、わけがわからないものばかりでいらいらするので 「壷」をエイヤとばかりに割ってしまおう。 ガチャンッと割れた壷を拾うと「士」と「亜」だ。 なんだ、これだけか、と気が抜けた。もっと大げさなものが秘められているかと思って いた。  ところがこのことによって、壷の秘密が解けることになった。 壷の上に乗っているものは「土」だと思う先入観が邪魔していたのである。 残念ながら眼が見えていなかった。 なんと「士」だったのだ。士(さむらい)が入っている壷だった。 この壷からこれからの時代を担う士がお出ましになる。 上のハロー・メッセージはすべてそのことを示していたのだ。 やっと捜し当てた「黄金の壷」は太陽神、真の天照太神とその意を承けて出てくる 冥界で修行した士(さむらい)の集められている場所のことであった。 >> 93/08/12 覚醒したいと望む者達に、黄泉の壷から取り出した粉を渡すときに  黄泉の壷から士が出てきてわれわれが覚醒する、その時は 粉(97)年であるらし い。       (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04341/04383 HQK00566 SOUND RE^7:「炎で書いた物語」最終章その7の13 (14) 96/09/22 14:57 04319へのコメント コメント数:1 「炎で書いた物語」最終章(その7の13) <わかりあえる日まで>(その13)    今朝、トイレの電球が切れていた。 驚いた…。 何を大げさな、そんなことぐらいで驚くな、と思われようが、 うちの家では家族の話題になるちょっとした事件なのである。 1986年春、アメリカから還ってきてこの家に入って、持ち帰った電灯を トイレにとりつけて以来、一度も切れたことがない。 永久に切れないのかと錯覚していた。  そんなはずはない。 どんなものにも終わりが来る。当たり前のことだけど目の当たりにして呆然とした。 ぼくにとっては、それは人工太陽の終焉を象徴するできごとであった。    ******************************************************************** <究極的かごめ唄考」> >>   梟の呼び声は、新たなる智慧を。 >>   梟の嘆く声は、新たなる苦悩を。 >>   しかり、識ることは我が身を切ることなり。 >> >>  ダイアモンドダストの降る前に…。 >>  石臼が砕ける前に…。 >>  我等が時の砂が落ち果てる前に…。 >> (ARION 吾が名を呼ばわる者達へ)        かごめ唄をこれまで考えてきて、いまだに籠の中の鳥の特定に手古摺っている。 あまりにも鳥類は多く、範囲が広すぎてなかなか絞りきれない。 大海から一滴の清水を探すようだ。 これまでみてきた南米のケツアル・コアトルやコンドル、 エジプトのイビス(トキ)やベヌー(フェニックス) 日本の丹頂鶴などは可能性が高いとは思うが 竹冠をかぶった竜の魂をもった鳥ということなら どの鳥も恐竜の骨組みを遺しているので可能性がある。  この「 吾が名を呼ばわる者達へ」の詩編の最終の二連は、 籠の中の鳥の特定にもがいてARIONの名を呼ぶ、ぼくを見かねて発されたように感 じる。 それで順を追わず、中を飛ばしてこの二連をまな板に乗せる。 「梟」はさらし首の意であったり、性質が荒く、昼は隠れ、 夜出て小鳥などを補食し長じてはその親鳥をも食うと言われ悪鳥、 不孝の鳥として憎まれる黄泉の使者とされる。  梟もかれらの生活行動をしているわけで別に悪事を行(おこな)っているわけではな い。 このことさらにひどいイメージには なんらかの意図があるとしか思えない。 「梟の呼び声は、新たなる智慧を。」  なぜそんなにも悪いイメージのトリの呼び声が新たなる智慧を、ということになるの か、 腑に落ちない…。 「ダイアモンドダストの降る前に…。」  このことばをARIONが思いついたとき、ニャッとほくそ笑んだように感じる。 実によくできた一行である。 この場合、正面からダイアモンドダストを考えると しばらく前の芥川賞作品の題名にもあったから足をとられて混乱する。 ぼくは普通の読み方を捨て、音だけを頼りに開く。 「大アモン人(神)出すとの振る舞えに」ということだろう。 大アモン人(神)出す、すなわち、イシスの再臨を ホルス(フル)が計画している。そのことの前に。 このような同音異義語はARIONのことばの引き出しには 収まりきれないほど溢れているのだろう。  「石臼が砕ける前に…。」 石臼はイシスとその星、シリウスの合成語。 石臼で示唆している石偏のウスは「碓」という字である。 石臼は本来、穀物などを砕くものであるのに、石臼自身が砕けるという。  こうなれば「碓」を砕いてみなければならない。 そこには石と隹(ふるとり)があった。 隹は布留鳥(ふるとり)というなぞかけである。 やっと探していたトリが影をチラッと見せた。 このトリの正体をつきとめよう。 そのために漢和辞典が必要だ。 ぼくは漢和辞典を持っていないので息子に頼んで貸してもらう。 一冊ぐらい買った方が良いとは思うが、なぜかこれまで買いそびてきた。 というわけでここからは息子の「大修館、新漢和辞典」を参照して 文字の意味を調べながら進む。  「隹」(ふるとり)音スイ、サイ、セ (一)とり、尾の短い鳥の総称、ふふどり、きじばと。 (二)山の高大なさま。=崔 文字を構成するときは、鳥に関する字の意味で用いる。 「鳥(尾の長いとり)」「酉(ひよみのとり)」と区別して、 「舊(旧ふるい)の字中に隹があるので、ふるとりと称する。  (大修館、新漢和辞典) この隹(ふるとり)の解字を見ると 宝珠の形の頭が乗っかった尻尾の短い、翼をもった鳥である。 この骨組みは竜のものであるのかもしれない。 見る人のイメージ化の力によって大きく見方が異なるだろう。  「舊(旧ふるい)の字中に隹があるというヒントで「舊」の字の項を調べる。 「舊」の文字はクサカンムリに隹(ふるとり)を臼で支えている。 饒速日尊(ニギハヤヒ)のことが記述されている「先代舊事本紀」も 舊の字が使用されていたが今は旧の字で代用されることが多い。 そのために舊の字を眼にする機会が減って、その意味を知ろうとする人もなくなった。 クサカンムリと臼に挟まれた隹(ふるとり)。 どうしてこれでフルいの意になるのか。 それにはどんな意味が込められているのだろう。  この字の臼は尻臼(シリウス)の位置にある。 居り音(オリオン)に音、お尻主(オシリス)は居られる。 草を冠に戴いて隹は尻臼(シリウス)に腰掛けられている。 一体、ぼくは真剣に何を考えているのか…。 上から読めばクサトリウス…。 これはヨーロッパの神話にでもありそうな名前だ。 こうして思考は迷宮に入ってしまう。 なんとかして出口をみつけねば…。 「舊」の字を必死で見る。拡大鏡を覗く。 なんと、クサカンムリに見えるがクサカンムリではなかった。 こういう形はクサカンムリと勝手に決めていたのが間違いだった。 先入観に眼を覆われていた。 まずこういうときは先入観の眼鏡を外してかからねば像が歪む。 その歪んだ虚像を実像と錯覚してしまう。  わかりやすく太字で大きく書けば 『━┫┣━』(カン)である。 これはあげまき(総角)という昔の子どもの髪の形のこと。 髪を左右に分けて頭上でわがね、双角状に両輪を作ったもの。 おさないことを示す。 音のカンには還るや環(輪)の意がある。 『━┫┣━』は卵の古字という説もあり、 生まれてまもなく、おさないことから転じてあげまきの意になったという。 この『━┫┣━』と隹(ふるとり)が重なった字はカンと読み、頭に毛の多い鳥の意に なる。 やっとトリの姿がライトの中央に浮かんできた。 「舊」の解字を見ると正面から見た鳥の姿になっている。 土台になっている臼(キュウ)が音を表し、鳥の鳴き声。 ふくろうの意で久に通じて、ふるい意に用いられる、とある。 「上を向いて歩こう」の故坂本九さんも九の音が久に通じるので 本名はひさしさんであった。  「梟」の文字の音はキョウなので旧(キュウ)の音に結びつかなかった。 ふくろうの鳴き声ははホーとばかり思っていたが キュウであるらしい。 これは数霊では九で三四五の世界の四五(死後)の世界におられたことを示している。  こうして、梟が冥府の使者としての舊(フル)、饒速日尊の象徴として 詩編に用いられていることがわかった。 『━┫┣━』は生まれて間もない嬰児で、イシスに抱かれるホルス(フル)あるいは マリアの膝のイエスを示しているようだ。   「梟の呼び声は、新たなる智慧を。」は「饒速日尊の呼び声は、新たなる智慧を 。」で 「梟の嘆く声は、新たなる苦悩を。」は「饒速日尊の嘆く声は、新たなる苦悩を。」 ということであった。智恵も苦悩も新たになる。   「しかり、識ることは我が身を切ることなり。」 これは「識」の字の成り立ち。 「識る」ことは表面的に「知る」ではなく「言音」を矛で我が身を切り、 取り込んでしまうことである。 そうすると、「我」の偏の部分に「言音」が取り込まれ「識」の文字が形成される。 「我等が時の砂が落ち果てる前に…。」 「時の砂」は解きの主名で、もうそろそろ謎解き、封印解きは終わろうとしているよう だ。 「主名」はもう解けただろうか。 饒速日尊(ニギハヤヒ)の名はかなり解けつつあるようだ。 すべてが解け終わるその前にしておかなければならない準備があるのであろう。  とにもかくにも、古代から秘されてきた「かごめ唄」の籠の中の鳥とは 梟の姿をした饒速日尊であった。 もうすぐ、真の天照太神としてお出ましになることになろう。  (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04361/04383 HQK00566 SOUND RE^8:「炎で書いた物語」最終章その7の14 (14) 96/09/28 14:39 04341へのコメント コメント数:3 「炎で書いた物語」最終章(その7の14) <わかりあえる日まで>(その14) >>              ****** >> 終り無き夢を見ようとした者達の夢が、今終わろうとしている。 >> 新しい円環を見出す為に、旧き円環を脱する者達に幸いあれ。 >> 全てが、ここに始まるからだ。 >> 全てが、ここに終わるからだ。 >> >>              ******* >> 狭間より来る者は、印を持っているだろう。 >> 夕刻と朝陽の光を文字に、その者は話すだろう。 >> 今まで聞いた「聖なる言葉」は、彼の足元に崩れ、 >> 人々は、彼を怖れるだろう。 >> まことに陰なるものは、まことに陽なるものとしての印を >> 人々の目につくところに掲げるだろう。 >> >> あなたがた、川の流れる先を案じていてはならない。 >> あなたがた、目に見える一部分だけを信じてはならない。 >> あなたがたが、本当に探しているものは、堕としめられ辱められて >> あなたがたの目に見えない所に、幽閉されている。 >> >> 1より10生きる者には、大いなる啓示と大いなる助力が与えられ、 >> 1であることの意味や、1である以前の数字にこだわる者には、 >> 果てのない薄闇が与えられるだろう。 >> >> 門は、もうじき開けられるのだから・・・・・・ (92/08/30ARION これから生きる者達へ)  恐縮だがわが家のトイレの電灯の話を続ける。 十年もの間、毎日使ったその10Wほどの電球が切れてとりあえず手持ちのものをつけ た。 あいにく10Wのものはなく最近買った60Wのものしかなかった。 取り付けるとあまりの眩しさに眼がくらんだ。  「便所の100W」とかいう、不必要に明るすぎる人を 揶揄する表現があってその通りだと思っていた。 谷崎潤一郎が「陰翳礼賛」において日本文化の中の陰翳の役割を礼賛したように…。  ところが、しばらく経って馴れてくると別にまぶしいと感じなくなった。 なんと、今では明るくて快適なのだ。 妻などは本を読むのに丁度いいと言い出した。 音も静かで集中できるという。 これまでも、本を読むことは読めたが少し薄暗いと感じた。 それでも狭いトイレであることだし、それで十分と満足し、そんなものだ、と思ってい た。  ついに電球が切れて、新たな明かりを得て われわれが長い間薄闇の中で過ごして来たことに気がついた。 そして正しい陽が出てくれば初めは眩しく感じてもすぐに快適になることにも…。  「終り無き夢を見ようとした者達の夢が、今終わろうとしている。」  10Wの光量でわれわれに夢を見せていた者達の時代は終わり新たな時代に入る。 「狭間より来る者は、印を持っているだろう。」 「狭間」は狭門(セト)の門に閉じこめられた日のことである。 「まことに陰なるものは、まことに陽なるものとしての印を  人々の目につくところに掲げるだろう。」 「冥府の主」としてまことに陰なるものである方は、 まことに陽なるものとしての印を掲げることになるのだろう。 「あなたがたが、本当に探しているものは、堕としめられ辱められて あなたがたの目に見えない所に、幽閉されている。」 その真の陽の居場所が隔り世であるらしい。 「果てのない薄闇が与えられるだろう。」 たった10Wほどの人工太陽の光を太陽と信じる時代を これからも生きることになるのであろう。  ****************************************************** <究極的かごめ唄考、>    籠の中のトリを追いかける。 その籠の文字をそのまま名前にした元伊勢とも称される丹後一ノ宮籠(この)神社を調 べると、 境外末社に奥宮、真名井神社がある。 その紋がカゴメ、六芒星である。 真名井神社の井は本字に戻せば真名丼神社だが どうも、これでは食べ物の神様のようで重みがない。  「丼」の字から思い出すちょっとした習わしがある。 ご飯のお代わりをよそってもらうとき、 椀の中央に少しだけ残すというものである。 これでは何度おかわりを繰り返えしても 中央のチョンにあたる飯はなくならないのではないかと思った。 なぜそんなことをするのか首を傾(かし)げたが わけもわからず真似した。 意味を尋ねられても相手も説明できなかっただろう。  考えてみればあれは丼の字のような形だった。 椀の中央にゝを残して次々におかわりをしていくという慣習の示唆するものは 魂の系譜の継承であろう。 代は替わっても主は代わらない。永遠に受け継がれる魂…。  しかし、それでは困る者がいた。その者は呪術によって丼のゝを抜いてしまう。 その者の名はエジプトではセト、キリスト教ではSATAN(セィトゥン)、 日本では瀬戸(セト)であった。 かれは決して表には姿を見せず名前さえも巧妙に隠して傀儡の主として君臨する。  それで、丼は井にされてしまった。 丹や円の形のチョンあり鳥居のマークもチョン抜きが当たり前になった。 そのことをだれも不審とも思わない時代が続いた。 そして、長い雌伏の時を経た現代、 丼の中から消されていたチョンはドンとして復活を果たそうとしている。  六芒星紋で知られる宮を辿れば 真名井神社から 伊勢内宮伊雑宮(いざわのみや)へとつながる。 どうしてお宮さんなのに「雑」という あまり印象の良くない文字を使用しているのだろうか。  「雑」は九(キュウ)に木に隹(ふるとり) ちょっと目にはわからないがこれは舊の字の構成に似ている。 「舊」はカンに隹に臼(キュウ)であった。 この「雑」の文字も九の数霊をもつ木(気)の隹(ふるとり)が隠されているのだ。 伊勢はこの内宮にこそ真の天照太神が奉られている。 千葉県成田市台方の痲賀多(まかた)神社の本殿屋根にもカゴメ紋が描かれている。 カゴメ紋を図にすると下のようになる。              /\         ………………………………          \ /    \ /            \      /             / \    / \              ………………………………                   \/                 井と同じく中心におわすべきチョンは省かれている。なにか物足りない。 ゝを見やすい*にして書き加えると下のようになる。                                               /\         ………………………………          \ /    \ /            \   *   /             / \    / \              ………………………………                   \/                        こうしてながめると落ちついたようだ。どうもこれが籠の中のトリの姿のようだ。  このチョンの特定のためにチョンの意味を調べると、 「ゝ」は象形でみれば「主」の古い字形で、 ともしび皿の中でもえるほのおの形という説がある。 すなわち、主の王の形が燭台を象っていて その上に燃える炎が主そのものなのである。  やっとここでこの物語の題名となる「炎」が登場した。 この炎がこの物語の書かれる意味であった。 >>95/12/18 大きな燭台を掲げた天使…「さて、どちらの舞台に幕を引くのか」 >> 95/12/19 天使は燭台を飾り机の上に置いた…「林檎は何処に実るのか?」 >> 95/12/20 天使は燭台に燃え続ける様に命じ、傍らに置いた剣を手に持った。 この燭台の示すものは主の座す位置ということである。 これまでの舞台に幕が引かれようとしている。 林檎で五の数霊の饒速日尊(ニギハヤヒ)を暗示している。 燭台には炎、主(チョン)が燃え続け、 天使は剣(つるぎ)すなわち、系譜に連なる蔓(つる)につながれた気(ぎ)を手に持 った。  そろそろ、真の主とその系譜に連なる者の力を合わせた活躍が始まろうとしている。 (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04362/04383 GBG02043 維/YUI おかわりの仕方 (14) 96/09/29 00:28 04361へのコメント コメント数:1 こんばんわ、SOUNDさん。 相変わらず、ガンガン書き込みしてくださって、ありがとうございます。 だんだん幕が近づいてきましたね。 (^_^) >>ご飯のお代わりをよそってもらうとき、 >>椀の中央に少しだけ残すというものである。 >>これでは何度おかわりを繰り返えしても >>中央のチョンにあたる飯はなくならないのではないかと思った。 これを読んだとき、ふとARIONさんの詩的メッセージの中にある、 「実を口にしたのなら、せめてその種子を土に返せ」というような内容のものを 思い出しました。 もっとも、ごはんは種子そのものだから、ちょっと違うカンジですが。 ここからは、私の勝手な思いですが… 「おかわり!」と、言ってお茶碗を出すときに、その差し出したお茶碗の底、真ん中に ちょこんと残った、米粒の塊。これって、やっぱり「お返しする分」だなって気がしま す。  実を収穫してもその全てを食べたりしてしまうのではなく、次の時の種子として 残しておくんですよね、お百姓さんは。あるもの全て食べ尽くしてしまうなんてことは しないと聞きました。 そして、残しておいた分を土/神側に返すと、また実を授けてくれる。 実りの内、いくらかをちゃんと残しておいて、土に返せば、その次の収穫をもたらして もらえる…という、神と人の間の約束ごとが、ごはんを食べるという日常の大切な事柄 に織り込まれているような、そんな気がしました。 維/YUI 04365/04383 HQK00566 SOUND RE:おかわりの仕方 (14) 96/09/29 14:57 04362へのコメント #4362維/YUIさん、こんにちは(^^)。 >>実りの内、いくらかをちゃんと残しておいて、土に返せば、その次の収穫をもたらし て >>もらえる…という、神と人の間の約束ごとが、ごはんを食べるという日常の大切な事 柄 >>に織り込まれているような、そんな気がしました。  その通りなんでしょうね。なにか儀式のようなフシもありますね。 日頃、訳も知らずにただ繰り返している事柄の中に 神事が組み込まれて伝えられているのかも…。  朝、顔を洗うことや掃除をすることや家屋に入るとき玄関で靴を脱ぐこととか まるで家が神殿であるようです。 目に見えないちょっとしたことが古代から脈々と受け継がれた 身削(禊)ぎ祓いであったりして日本の神に対する 敬意を示すことになったりするのかと思ったりします。 含蓄のある考えさせられるコメントありがとうございました。 それではまた(^.^/)))~~~bye!! SOUNDでした 04370/04383 GCG01101 アマデウス RE^9:「炎で書いた物語」最終章その7の14 (14) 96/09/30 01:37 04361へのコメント コメント数:1 #4361 SOUND さん   どうもご無沙汰です〜   さて、千葉は成田の麻賀多神社といえば、かの日月神示の始まりとなった  場所ですね。その境内で、岡本天明の右手が突然動き始めたと聞きます。  このフォーラムでときどき話題に上る中矢伸一氏は、日月神示関連の一連の  著作で知られていますが、そのうち「日月神示 艮(トドメ)の戦(イクサ)」  (徳間書店)という本のカ裏表紙には、まさしくカゴメ紋にゝが入った図柄  がデザインされているんです。本文中の各章の扉にも、同じ図柄が入って  います。実際にはカゴメ紋が大きな円の中に描かれており、○ゝと六芒星が  合体したような形になっています。   本文中にはこのマークについては何も述べられていませんし、装丁者の  名前も掲載されていないので、どういう意図を持ってのデザインなのかは  わかりません。でも本のサブタイトルが「正神V.S.イシヤ=イルミナティの  世界最終戦争」とあり、論旨も徹底的にイシヤを悪者にしていることから、  おそらくイシヤのシンボルである六芒星を○ゝに取り込むことによって  「悪を抱き参らせる」というようなイメージを表そうとしたのではないかと。   この本はあまりにイシヤをステレオタイプに捉えすぎているような気が  して、「気持ちはわかるがちょっとなぁ」というところなんですが、イシヤ  で象徴されるのが自分の内なる物欲であり、それを今まで閉じこめていた  魂の光で照らすのだと言うように考えると、SOUNDさんの解釈とつながって  くるような気がしました。                              アマデウス 04382/04383 HQK00566 SOUND RE^9:「炎で書いた物語」最終章7の15 (14) 96/10/07 14:42 04361へのコメント 「炎で書いた物語」最終章(その7の15) <わかりあえる日まで>(その15) >> *赤い月の形としての物語* >> >> 〔プロローグ〕 >> >> 銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。 >> ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。  >> 暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。 >> 「見よ」と声がする。 >> 叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。 >> 人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。 >> その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。 今回は、TAO さんが「過去のログよりの転載です」と題して転載して下さった *赤い月の形としての物語*の内容に踏み入る。 この題名はすでに大物主(ニギハヤヒ)の独り言(モノローグ)と解釈した。 それがこの詩編全体を統一する色合いをなしている。  「銀色の舟の娘は」 銀色は普通一般には、月を修飾する色であり、金色は太陽を形容する。 そうすると、銀色の舟は月が舟のような形をした三日月のことらしい。 「銀色の舟の娘は」を音から書き換えると銀色の舟呑む皇は、となる。 三日月を呑む皇、とはだれのことだろう。 やはり、大物主がここでも自らをそのように表現しているようである。 すなわち、三日月を呑むことで夜明けをもたらそうとしているように思える。 「葦の夢の中に分け入る」 大物主は悪士(あし)の夢の中に「分」つまり、八の数霊の刀で入る。 「星の形を散りばめた布の国」 この布の国の特定はかなり難しい。 布がつく国名が見あたらず、わずかにギリシアの「希」の字がが似ていて 近いかとも思ったがちがうようだ。 「星の形を散りばめた」から考えて様々な国旗を見回しても見つからない。 そして、合衆国の最後に散らばった星、ハワイ州が布哇と書くことに気づいた。 ハワイを国として表現してあるのだ。   布哇(ハワイ)からの轟魔(ゴーマ)とは 有名なキラウエア火山の噴火のように感じる。 キラウエア(Kilauea)=ハワイ島南東部の活火山。 標高1222m。山頂に大カルデラがあり、 その中央のハレマウマウ火口では溶岩湖がよく出現する。 (小学館、大辞泉より)     ゴーマをGoohrrmaというスペルにしてアナグラムすると 創世記18−19のGomorrah(ゴモラ)の破滅を思い出す。  キラウエア火山には霊的あるいは物質的な改革をもたらし封印を解くための地球の血 液、 マグマ(ゴーマ)がたぎっているようだ。 それは人類の無意識相にも細胞にも働きかけるのだろう。 このゴーマもぼくには五間(ゴーマ)として門の中の日、 饒速日尊(ニギハヤヒ)のお出ましになるひとつの姿のように感ぜられる。 地球の血液(マグマ)も人の血液もともに四十数億年前に分かれた兄妹、 月の引力の作用を常に受けている。 そのことがこの詩編の通奏低音のように響いている。  「暗い日々の夜明けは」 「暗」は音が日のかげにあること。 その音(のん)がいよいよ日陰から出て夜が明ける。 「黒い羊の葬られた所へ」 「黒い羊」もまた大物主の言い替えであろう。 「黒」は田の回転している赤で赤の世界(隔り世)からお出ましになる天照太神が 羊(ヨウ)、陽として暗喩されている。 「黒」を方角と考えると、五行では北である。 北から何かが起こりそうだ。  「人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。」 赤い月(mono)はやはり隔り世にある大鬼(mono)主であろう。 人は大物主(ニギハヤヒ)が冥王(メイオウ)でもあることを読みとる。 天王は素盞鳴尊であり、冥王はその子、饒速日尊であったのだ。  饒速日尊には別称、異称が多くて混乱をきたすので主なものを以下に書き出してお く。 大物主(オオモノヌシ) 奇甕玉(クシミカタマ)尊 賀茂別雷大神(カモワケイカズチ) 日本大国魂(ヤマトオオクニダマ)大神 事解之男尊(コトサカノオノミコト) 大歳御祖大神(オオトシミオヤオオカミ) 山王(サンノウ)さん  饒速日尊が祭神とされる神社名。 三輪(美和)神社、熊野(本宮)大社、賀茂(上)神社、日吉(日枝)神社、 大国魂(国玉)神社、金比羅(琴平)宮、大歳神社、全国の山王さん。  素盞鳴尊の異称、別称を以下に列挙しておく。 布都斯御魂(フツシミタマ) 熊野速玉(クマノハヤタマ)大神 八千矛(ヤチホコ)大神 神天照真良武雄(カムアマテラスマラタケオ) 熊野加茂呂(クマノカモロ)尊 武速(タケハヤ)素佐之男尊 進雄(スサノオ)尊 牛頭天王(ゴズテンノウ) 天王さん。  素盞鳴尊が祭神とされる神社名。 八坂(阪)神社、熊野(速玉)大社、氷川(簸川)神社、祇園社・天王さん、牛頭天 王。    以上のように素盞鳴尊、饒速日尊親子は様々な名前で祭られて 容易にはだれと判じがたくなってしまった。 しかし、われわれはニギハヤヒがメイオウであることをここに読みとることができた。 「その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。」 「隠されていた嘆き」の穏(鬼)の嘆きの字は「漢」に通じる。 鬼とされてきて漢(おとこ)ということであろう。 「壷」は士で蓋をした亜。 「亜」の字は準ずるや、つぎの意味で次の時代を担う者の容れ物ということを示してい る。 いよいよその壷から鬼とされてきた漢(おとこ)たちが出てくるという。 これまでにぼくが他の預言において解読した内容と ほぼ同じことがここでも述べられているようである。 これほどまでに饒速日尊(天照太神)の復活と夜明けを くりかえして報らせなければならない意味があるのだろう。        *********************************** 発言番号04051「炎で書いた物語」最終章(その5の。)の <私説、君が代考。>において君が代を次のように結論づけた。 >>現象的には古代のタタラ・アタタラの科学の復活を歌い、心象的には大和心の復活。 >>神象的には真の天照太神の復活を歌っている。 >>現心神界、三界にわたる、復活の歌なのである。 >>「君が代」となっても、それが真の天照太神の代であることを認識して歌うならば、 >>国歌としてふさわしい。 >>国旗の日の丸とともに大和民族の誇るべき國の徴たりうるであろう。 >>きみがよは  真の天照太神の代は >> >>千代に八千代に 永遠に   >>  >> さざれ石の  万物生成の神の回転の意思によってマグマが >>  >> 巌となりて  巌となって結晶し >>  >> 苔のむすまで 生産に関わる空間ですべてを生じるまで >>  >> と普通にそのまま解してもめでたい祝福の歌としてとりたい。    この時点ではこういう形でぼくの中の君が代には一応の決着が着いていた。 ところが、一輝さんは、以下に引用する君が代の元歌を発見された。 >>  ▲序歌(歌の情景や詠まれた経緯などを説明する歌) >> >>  「金刺宮御宇天皇治世而大政 >>   不下先皇兆民悦之 >>   祝世而謡之」 >> >>   以下、現代語訳 >> >>  「きんめいてんのうのみよ てんのうのまつりごとはおおいにおさまりて >>   さきつみかどにおとらず おおたみからこれをよろこび >>   よをいわいて これをうたう」 >> >> >>  ▲本歌 >> >>  「君之代者千代于八千代于 >>   微小砂石之磐巌興成而 >>   苔之結迄 >>   時人」 >> >>   以下、現代語訳 >> >>  「きみがよはちよにやちよに >>   さざれいしのいわおとなりて >>   こけのむすまで >>   ときのひと」   一輝さんのこの素晴らしい発見のおかげで 君が代は古今集に「わがきみは」の歌として収録される前の時点ですでに君が代だった ことがわかった。 それについてぼくなりに考察してみる。 推古天皇の時代(620年頃)に編纂されたとされる舊事本記(くじほんぎ)、 の時点ですでに君が代であった名歌が 醍醐天皇の時代(905年頃)に編纂された「古今和歌集」に 「わがきみは」の歌としてどうして収録されたのか。 そしてなぜふたたび、君が代に戻されなければならなかったのか。  元々の音霊がキミが代ということは キ、ミ、すなわち、日本の国生みをなさった伊奘諾尊(キ)伊奘冉尊(ミ)両尊の代と 考えられる。 元々そのような日本の国生みから始まった一大名歌が 古今集編纂の頃には「わがきみは」となってしまった。 そこにあったことを推理すると歴史から抹殺された大和の大王、 饒速日尊の遺徳を伝えようとする人々によって「わがきみは」として詠い継がれたのだ ろう。  しかし、それも束の間、為政者たちによって「君が代」に戻されて現代に至った。 その間も日本の国歌としての命は絶えることなく脈々との歌に受け継がれてきた。 そのように感じる。 (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ >> >> >> 04327/04383 HQK00566 SOUND RE^7:「炎で書いた物語」最終章(その7の1 1 (14) 96/09/18 14:58 04324へのコメント コメント数:1 #4324しまうまさん、こんにちは(^^)。 >>「他人の水晶」が「他人の水晶体」であるという解釈、いつもながら「納得!」 >>です。 「他人の水晶」については実はもうひとつの可能性を考えていたのです。 それを書くと話が無茶苦茶になってあらぬ方向に進むので書きませんでした。  それは突飛かもしれませんが、 古代マヤのドクロ水晶や空飛ぶ円盤のてっぺんについているといわれる水晶です。 糸状の螺旋になった水晶によって反重力を生み時空を 航行することができるのだと思っています。 それは未来の科学で、他人の水晶であって現在の自分たちに 与えられているのものではないのだから 羨んで嘆いてもしかたないということかな(^O^)、 なんて思ったりしました。  そういう進化した科学が与えられるには時間がかかりそうです。 火薬でもダイナマイトでも原子力でも与えると人殺しや地球の破壊ばかりに使うのです から…。 いつまでたっても赤ん坊のままでは与えたくても なにも与えられないのでしょうね。 地球人も霊的、精神的に育って、 これで使いこなせると認められれば与えてもらえるのでしょう。 なんのことかわからなくなりましたがこのへんで(^_^)/~~バイバーイ! どうもコメントありがとうございました。 SOUNDでした 04332/04383 KFQ02761 しまうま RE^8:「炎で書いた物語」最終章(その7の1 1 (14) 96/09/19 05:15 04327へのコメント #04327 SOUNDさん  こんにちは(^^)。ご返事どうもですm(__)m。 |古代マヤのドクロ水晶や空飛ぶ円盤のてっぺんについているといわれる水晶です。 |糸状の螺旋になった水晶によって反重力を生み時空を |航行することができるのだと思っています。 |それは未来の科学で、他人の水晶であって現在の自分たちに |与えられているのものではないのだから |羨んで嘆いてもしかたないということかな(^O^)、 |なんて思ったりしました。  うーん、SOUNDさんの解読って、とにかく直観オンリー!というわけではなく て、直観から導かれたものすごく広範な解釈の道筋の中から、「これぞ!」と いう道を選んで解釈を進めてらっしゃる、という感じなんですねー。  なんか、SOUNDさんの解読作業の一端をかいま見たような気がして、なんだか 嬉しいです(^^)。 |いつまでたっても赤ん坊のままでは与えたくても |なにも与えられないのでしょうね。 |地球人も霊的、精神的に育って、 |これで使いこなせると認められれば与えてもらえるのでしょう。  そうですね。確かに人間ってまだまだ未熟な生き物だし、見方によっては現 代人はどんどん“幼児退行”していっているようにも思えてしまいます。  SOUNDさんが押し開く封印の扉から、世を照らす光が届きますように(^^)。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 04287/04383 QWC01550 コットンマウス 冥府の王 (14) 96/09/02 02:10 04268へのコメント #04268 みんた さん  こんにちわ(^^) お久しぶりです。 > 最近妙に、気になっていたんですが、釈迦に説法という気もして、 >書き込まずにいたんですけど。  実は、私も気になっていました(^^; 書き込まなかった理由も同じで す(^^ゞポリポリ > ウラン、ネプツニウム、プルトニウムの語源について書いておきますね。 > >* 天然に存在する元素は原子番号92のウランまでだ。これに人工的に >* 陽子や中性子を加えていって、新しい元素をつくる。その第1号は93 >* 番元素ネプツニウムで、ウラン(ウラヌス=天王星に由来)の外側という >* 意味でネプチューン(海王星)にちなんで命名された。そうなると94番 >* 元素は、とうぜんプルートー(冥王星)にちなんでプルトニウムというこ >* とになるが、この元素に冥土(地獄)の王の元素、という名がつけられた >* のは、偶然とはいえ皮肉なことであった。 > > 「プルトニウムの未来」 高木仁三郎著 岩波新書 650円 より  プルトニウムについて、少し補足させてくださいね(^^)  プルトー(Pluto)は、ギリシャ神話の冥府の王である「ハデス(Hades)」 の英語読みの別名ですが、「ハデス」の名前が余りに不吉であるため、 「富めるもの」を意味するプルトン(Plouton 英語ではPluto)と呼ばれ ていました。 妃である「ペルセポネ」同様に、地底の神「ハデス」も穀 物を実らせて富を生むと考えられていたため、「富めるもの」の名があて られたようです(ローマ神話では、「よき忠告者」「名高き者」「門を閉 ざす者」「憎むべき者」等の別名も用いられました)。  ギリシャ神話では、「ハデス」は険しい表情の、冷酷非情な神で、彼の 支配する王国の規則を情け容赦なく全てのものに平等に適用するが、決し て邪悪や不正を行う悪魔的な神ではなかったようです。  プルトニウムの発見者であるG・シーボーグがこの神話を知っていたか 否かは定かではありませんが、94番目の超ウラン元素の名前として、こ れほどふさわしいものはなかったと思います。 96/09/01(日) 12:12 コットンマウス(QWC01550) 04277/04383 GBG02043 維/YUI エジプトのオリオン (14) 96/08/29 20:33 コメント数:1 気が付いている人もきっと居るとおもうのですが…。 エジプトの文字(?)にある、オリオンのマークが、舟に乗った人で、 しかも片手には金星のマークの形をした鍵(?)を持ち、もう一方の手 には、三日月を戴いた杖を持っているように見えるんです。 そして、オリオンとされているのはオシリスであり、別の絵文字では、 オリオン(オシリス)が、イシスと、3人の子供を伴っているものが あります。 イシスが持つ杖は、途中から枝分かれしていて、別れた先には金星の マークが掲げられています。 で、この人物は総て舟(と思しきもの)に乗っています。 そこで思うのですが、古代エジプトの人々って、海洋民族だったの でしょうか? 最近流行の「神々の指紋」でも読んだら、そのあたりの話が 書いてないかなぁ〜などと思っているのでした。。。 維/YUI 04280/04383 JCC02647 とかち 海洋民族は超古代人? (14) 96/08/31 08:16 04277へのコメント コメント数:1  維/YUIさん、お久しぶりです。  「神々の指紋」ですか、上・下巻とも読みました。  会社の人から紹介されて、探し回ってようやく買って読んだ訳ですが、  維/YUIさんの書き込みの事にも触れてます。  本の中に書かれているんですが、どれかのピラミッドの中に  舟が埋葬されていて、それは今のエジプトでは考えられないような  海洋を航海できる舟であると言われてます。  元々オリシスや南米のピラコチャって言うのが超古代文明(1億2000年前)  辺りにあらわれたそうで、氷河期が終わる時、洪水となり、地球規模の  地殻変動が起き、人類が滅亡する時に残った者たちが、  文明伝承するために、オリシスはエジプトに、ピラコチャは南米に  舟で現れ、文明を伝承したと書かれてます。  本の中ではスフィンクスが建造された頃のエジプトは気候もよく  今のように砂漠ではなかったとも書かれています。  それはスフィンクスに、雨による浸食が見られるからです。  古代エジプトでは氷河期が終わり、地殻変動により赤道近くに移動したエジプトが  砂漠化され、スフィンクスも砂で覆い尽くされたとも書いてあり、  古代エジプトではナイル川を航海する舟を建造すればいいのに  それ以上の外洋航海できる舟は必要としなかったと考えられてます。  スフィンクスが建造されたのが1億2000年前と言うのが  地球の歳差運動からみて、春分、秋分の日に太陽がどの正座から昇ってくるかで  わかり、スフィンクスの建造時期は、春分・秋分の日に獅子座から太陽が昇る事に  より、1億2000年前に建造されたと推測されます。  はっきり覚えてないんですが(本も人に貸してるし)、魚座から昇る時には  半魚人、確かキリストの頃は牡羊座で未の像が多く建造されています。  今考えられてる古代エジプト人が海洋民族ではなく、超古代エジプト人が  海洋民族だったと考えられる理由です。  元々ピラミッド(大きな3連の)、はオリオン座の位置関係と極似し、  オリシスがエジプトで奉られている理由のひとつでもあるそうです。  秋には続書が発行され、超古代文明はピラミッドに秘密があると仮定し  書かれているようです。  (謎のアトランティス大陸は南極では?と言った事も書かれてるし(^_^;))  著者のグラハム・ハンコックは「神々の指紋」で知名度がまし、  色々な雑誌(ボーダーライン等)で、インタビューに応じ  「世界不思議発見」では2週にわたり特集(南米・エジプト・南極)をくんでました  稚拙な説明じゃ、わからないと思いますので  興味があれば一読されたら、もっとはっきりするかも(^_^;)  ただ上・下巻併せるとかなり膨大なページになりますんで  エジプト(海洋民族?)を知りたければ、下巻だけでもいいと思いますよ。                             とかち 04278/04383 HQK00566 SOUND RE:『君が代』の元歌 (14) 96/08/30 09:03 04267へのコメント #4267一輝さん、こんにちは(^^)。 この情報には目が飛び出しました(●^o^●)。 「君が代」に元歌があったとはすごいですね。 旧事本記は図書館で借りたとがあったのですが大成経は見たことがありません。 その巻第六十二「詠歌本紀」に『君が代』の元歌があったのですか。 よく発見されましたね。感心しました。 「古今和歌集」の「君が代」よりも、300年近く古い歌なら古代からの大ヒット曲と して次の世紀に遺したい歌とか何とか言って連綿と歌い継ぐがれてきたのでしょうね。 日本国歌になったのはそれなりの意味があるのですね。  内容についてはまた考え直さねばならない部分がありそうです。 「 炎で書いた物語」に組み込んで考えてゆかせていただきます。  素晴らしい情報まことにありがとうございましたm(__)m   HAVE A NICE DAY! ** HQK00566/SOUND ** 04281/04383 BXP02077 優位 預言解読RTで思い出したこと (14) 96/08/31 22:28 コメント数:1  なんですが、僕がARIONから貰ったメールの中に、最高神10に関する  記述があったように記憶しています。この部屋にアップしていたかどうか、  不明なのですが、調べられるでしょうか?>はな村長 P.S.恐らく、僕のメールのログは残っていないと思うので‥‥。 96/08/31(土) 22:23 優位(BXP02077) 04282/04383 PAG03134 はな RE:預言解読RTで思い出したこと (14) 96/09/01 11:13 04281へのコメント コメント数:1 優位 さん  こんにちは(^^) >> なんですが、僕がARIONから貰ったメールの中に、最高神10に関する >> 記述があったように記憶しています。この部屋にアップしていたかどうか、 >> 不明なのですが、調べられるでしょうか?>はな村長  mes03148に、以下のタイトルで発言がありました。 >>mes#03148 JCF00616 優位 頂いた『鍵』より..(長文) (引用開始)  …先日、紀伊半島旅行中にずーっと心の中で暖めていた質問を、  ARIONに伺うことができました。ここに報告と、それを鍵にして  解読を試みたいと思います。  僕からの質問;   『聖詞の拡がり』と『数字の10(最高神)の潜在的活動』は、   関連しているか、いないか?  ARIONからの返答(みれさんによる伝言という形);   大いに関連している。また、数字の10は5の活動の裏   にあって、5の活動は2と3の活動が過去にあったからだ。 (以下略)  ではでは(^^)/~~~~                       はな 04285/04383 BXP02077 優位 RE^2:預言解読RTで思い出したこと (14) 96/09/01 17:03 04282へのコメント  はな 村長  ありがとうございました。ちゃんと、発言していたんですね、僕(^^;  それにしても、僕の知らないARION発言とか凄く多くて、驚いてます。  過去ログちゃんとあたってみないと駄目ですね。 96/09/01(日) 16:54 優位(BXP02077@niftyserve.or.jp) 04283/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(1) (14) 96/09/01 15:44 コメント数:7  去る8月30日に「第2回預言解読RT」を実施しました。多数の皆様の ご参加ありがとうございました。  第1回預言解読RTはアリオンメッセージの中からいくつかを選択し、み なさんのイメージをお聞かせいただきました。第2回預言解読RTは新約聖 書において代表的預言書である「ヨハネの黙示録」を扱いました。  今回の預言解読RT開催にあたって、事前にヨハネ黙示録を読まれた方も おられました。ギネスブックに載っているベストセラー本、つまり、これま でに最も多くの数が出版された本としての「聖書」は、日本人にとっては、 ちょっと縁遠い存在かもしれません。  ヨハネの黙示録には、こんな感想が寄せられました。 ・以前読んだときよりかは少し読めるようになったかなってかんじだけど、  やっぱしよくわからない(^^;)>ヨハネの黙視録 ・しかし、ヨハネの黙し録を読むとなんか苦しくなるなぁ・・ ・そうそう チェルノブイリのときに線を引いたのだ    3つ目のご意見でチェルノブイリの時に線を引かれた方は、ヨハネの黙示 録において次の記述に線を引かれていました。 『第3の天使がらっぱを吹き鳴らした。すると天から大きな星が落ち、たい  まつのように燃え、川の3分の1と水のみなもとの上に落ちた。この星の  名は「苦よもぎ」と言い、水の3分の1は苦よもぎに代わり、水が苦くな  たので多くの人が死んだ』(ヨハネ黙示録 第8章 第10節)  「苦よもぎ」はロシア語で「チェルノブイリ」と発音します。ヨハネの黙 示録のこの記述は、現在多くの聖書研究者の間ではチェルノブイリ原子力発 電所の事故を預言したものだと考えられています。  苦よもぎは第3のみ使いがラッパを吹き鳴らしたところで書かれていまし た。第3のみ使いがラッパを吹き鳴らすと、次は第4のみ使いがラッパを吹 き鳴らします。  アリオンはかつて第4のみ使いであるとも言っています。そのRTに出席 されていた当時の預言解読部屋議長HVHYさんが編集されたRT記録を振 り返りながら、第2回預言解読RTは次なるテーマを皆で話し合いました。                       はな 04288/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(2) (14) 96/09/02 07:41 04283へのコメント ●第4のみ使いであるアリオン (2,はな)昔ね。HVHYさんが議長だった頃、アリオンがRTに出てきた     ことがあったんですよ。     そのときアリオンは「終わるものは、終わらせねばならない」っ     て言ってました。     *     *     *     *     *  1992年10月25日早朝、HVHY前議長がRTに出られると、アリオンが 登場し、ヨハネの黙示録が示すところの「第4のみ使い」であると明言し ました。このRTの内容は、聖書に興味がある私には非常にショッキング でした。  アリオンは、当時のRTで、第4のみ使い以外にもさまざまな点につい て意見を述べていました。その模様を、HVHYさんが書かれた発言を引 用しつつ、振り返ってみます。  では、RTのポイントを引用します。 >>001/999 GCC01413 HVHY 『新しい始まり』 >>(13) 92/10/25 11:13 コメント数:3    <ポイントの整理>        1.終わるものは終わらせねばならない。          然らずんば、新しい始まりはない。        2.若し、終わるべきものを終わらすことが出来ない時には、          まず、『ツチ(=地球)』が大打撃を受けることになる。        3.終わらせるための最大のポイントは、          全ての人々が『愛』を受け入れることである。        4.世紀末フォーラムの参加者は、ほぼ全員が、          『愛』を受け入れる準備が整っていると判断している。        5.私(ARION)は、          『第4の馬であるところの御使い』でもある。        6.『死』や『黄泉』に対する人間のイメージは、          人間が考えた“自分勝手”なものである。        7.私(ARION)は、今後3週間、          『(第4の)封印』を解くことに全力を傾注する。  この発言に対して、アラミスさんから、編集済みRTログがアップされました。 その抜粋を引用しましょう。 (1,ARION)これから、天使族は地上で色々なことを始める (1,ARION)私は、第4の馬であるところの御使いでもある (1,ARION)HVHYよ、その黙示録の説明をしてくれたまえ (1,BBB)もくじろくって人体の変容的な解釈も可能ですか?>ARION (1,ARION)人体の変容には、直接関係はないだろう>BBB (1,BBB)ふみふみ>ARION (1,HVHY)7つの封印の話ですか>ARION (1,ARION)それを、話してくれたまえ>HVHY (1,HVHY)小羊が第4の封印を開いた時、青白い馬が現れる。 (1,HVHY)それに乗っているものの名は『死』と言い、これに「死者の国」が 従っていた。 (1,HVHY)彼等には、剣、飢饉、死、野獣で人を殺す権限が与えられていた。 (1,ARION)あなたがたが抱いている「死」のイメージや黄泉のイメージは、 人間だけのものだ (1,ARION)私は、ユダヤの神とアマツクニトコタチの神との双方に流れる者だ (1,HVHY)幸なるかな、その在りて在る方は、その月においでになる…  この後、アリオンは封印を解くことに全力を傾けると言ってRTを去りました。 (1,ARION)私は、これから3週間掛けて、ゆっくりと封印を解く (1,ARION)預言解読の方は、もうすぐ形がみえるから頑張ってもらいたい (1,ARION)私は、あなたがたに伝えるだけだ (1,ARION)伝えた後に、あなたがたが、それをどう処理しようと構わない (1,ARION)それでは、私はあなたがたに最も近づく用意をするために (1,ARION)今までにない試みを始めるためにも (1,ARION)封印を解くことに集中することを伝えて、今日はお別れしよう  第2回預言解読RTでも、こんな話が出されました。 ・ARIONは「古代は現代と通じるだろう そうして、日本という国は大き  な禊ぎを受けるが」「愛を継承する子供達が必ず、立て直す」とも言ってる。   →そういえば、本を読んでいて、あ、と思ったのが、アリオンの言葉に時    の砂ってあるけど、解きって意味もあるのだろうかなんて思ったりした    ..全然関係ないか(^^;)   →この間のARIONの発言をみると最近のHMは預言と関係してそうな    印象でしたね  アリオンは「終わるものは終わらせねばならない」とも言っていました。預 言解読RTで皆と検討した最初のテーマは「じゃぁ、終わらせるもの」って一 体何だと思いますか?に移りました。 04290/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(3) (14) 96/09/03 07:54 04283へのコメント コメント数:1 ●「終るものは、終らせねばならない」とは?  アリオンは「終わるものは終わらせねばならない」とも言っていました。預 言解読RTで皆と検討した最初のテーマは「じゃぁ、終わらせるもの」って一 体何だと思いますか?に移ります。  同じく、1992年10月25日のRTから。 (1,ARION)終わりは、始まりに似ている (1,ARION)始まりは終わりに似ている (1,ARION)しかし、この時に始まるのは、終わりではない (1,ARION)あなたがたの意識が、何も終らせようとしないとき (1,ARION)世界は、始まることを止めるだろう (1,ARION)この世界が始まることを止めてしまったら (1,ARION)それは、先ずツチである基盤に影響するだろう (1,ARION)大地は振動し、水が枯れたり、多すぎたり (1,ARION)植物は以上発生をくり返し、豊穣であるべきところは、枯渇する (1,ARION)終るものは、終らせねばならない (1,ARION)人口的な技量だけで支えられるものではない  これを受けて第2回預言解読RTでは、こう疑問提起させて頂きました。 (2,はな)「終わるものは終わらせねばならない」って、何を「終わ      らせる」べきなんだと思いますか?>みなさん <以下みなさんのご意見>   ・うーん、頭の中になんとなくイメージがあるようで、でもはっきりさせる  のがいやなような感じ ・ねばならない・・・というのは 穏やかではないですね ・うーむむ。私個人の場合だと、自分のどうしようもない・・なんていうん だろうか、そういうもの・・・うーむ・・いまはなんだか自分のことしか  考えられない感じです   →個人的には、毎度繰り返す自分の生きていくときの癖とか、はまりや    すいところ。そのループを終わらせて、新たにはじめなきゃならない。   →大事ですよ 自分。 ・終わると言うことは 今まで続いてきたものだから人間のしてきたことで  しょう  「終わるとは今まで続いてきたものだから、人間のしてきたことでしょう」 との発言を受けて、こんな意見が出されました。 (1)間違った始点から始まった、歴史  →多分「旧い世界」じゃないですか>終わらせる。  →旧い世界観のループを終わらせないと生ける化石の世界となる。  →旧い意識に固執しているという意味では?    →意識ですか・・・  →旧い…というのは、古代ではなくて、今に引き継がれている…ととって、   よいでしょうか?    →いやいや、終わらせなければならないのは、旧い世界観に拘る姿勢     でしょうね。歴史とは違うでしょう>旧い。    →歴史じゃなくていいんだけど。昔の人って、世界観が違ってたと思     っているます。    →ああ、世界観というよりも、現状維持に固執する意識でしょうね。     >終わらせる    →日本規模も 個人規模もあるのかな? (2)ニューエイジビジネス(^^;  →ニューエイジビジネス全盛だもんね。  →ニューエイジビジネスとか 知らない・・・  →どちからというと、セミナー関係に重点を置き始めている (3)原子力発電所の開発 (4)社会の過当競争                       はな 04292/04383 VFD07310 NORI RE:第2回預言解読RT編集議事録(3) (14) 96/09/03 22:04 04290へのコメント >●「終るものは、終らせねばならない」とは? これは円環の話しと同じことを言っているのかななんて思いました。 そんだけ。(^^; 96/09/03(火) 13:56 NORI(VFD07310) 04293/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(4) (14) 96/09/04 07:04 04283へのコメント 「第4・・・は、聖書のどのあたりに書かれているのでしょうか?」 との質問も、RTで出されました。 ・たとえば「7つの封印」「7つの災い」があります。 ・第七の封印まであったはず ・「怒りの7つの杯」などもあって、7つがいろいろ出てきます。 ・「黙示録」には“7”という数字が頻繁に出て来ますね ・解きの数7とか>時の砂  →なんとなく、砂がおちてしまうというのは、悲しいイメージなの   で、逆の願望だったりして(^^;)>解く ・7は「4と3」に分けられます。  RTでは「7つの災い」「7つのラッパ」などと答えるのが精一杯 でしたので、本稿ではRTで書けなかった部分を発言します。  黙示録でまず、7が頻出する場面は、第1章13節以降です。 「そう話した声の方をみようとして後ろを振り返ると、7つの金の燭  台があった。」(第13節) 「右の手に7つの星をもち、口から両刃の鋭い剣が出、顔は照りわた  る太陽のようであった。」(第16節)  「第4」に関する記述をピックアップしてみます。ヨハネの黙示録 第1章に「7つの教会」が出てきており、7つの教会の4番目が、ま ずはじめの「第4」です。7つの教会には次の教会があります。 ★7つの教会 1.エフェゾ   2.スミルナ   3.ペルガモ   4.ティアティラ 5.サルデス   6.フィラデルフィア   7.ラオディキア    ヨハネはキリストから、「これら7つの教会の天使に向けてヨハネ が受ける幻を書き記し、手紙を送れ」と命じます。(ヨハネ黙示録 第1章 11節を参照ください)  まずここで第4といえば、ティアティラの教会です。第4の教会、 ティアティラの天使にこう書き記せ、とキリストはヨハネに伝えます。 では、当該部分を引用してみましょう。アリオンメッセージに関係す る語彙がたくさんちりばめられています。 (第4の教会であるティアティラの天使への預言) 『ティアティラの教会の天使にこう書け、<神のみ子、目は燃える  炎のよう、足は尊い青銅のようなお方は言われる。私はあなたの  行いと愛と信仰と献身と忍耐を知っている。近ごろのあなたの行  いは前よりも多い。』             (ヨハネ黙示録第2章 18、19節)  まずここでは、「目は燃える炎のよう」として、アリオンのシン ボル「炎」が登場します。  第2章19節の次は、淫行の女エザベルの記述です。彼女は、 これまでにアリオンのメッセージで何度かでてくる「緋色の女」 の象徴的存在として登場しているようです。  アリオンメッセージに登場する「緋色の女」は、最近ですと、武 さんがmes#04114にて旧約聖書エレミヤ書と新約聖書ヨハネ黙示録 の記述を引用されて発言されていました。そちらをご参照されなが ら黙示録第20節以降を読んでみていただいてよろしいかと思いま す。 『しかし私にはあなたをとがめることがある。あなたはエザベル  を放任している。この女は自ら預言者と名のり、淫行をさせ、  偶像に備えたものを食べよと教えて、私のしもべを惑わしてい  る。私は悔い改めの機会を彼女に与えたが、彼女はその淫行を  改めようとしなかった。私は彼女を苦しみの床に投げ捨て、  姦淫の仲間をも、もしその行いを改めなければ大いなる試練に  投げ入れ、また彼女の子どもを打ち殺そう。こうしてすべての  教会はあなたたち各自の業(わざ)に従って報酬を与える。テ  ィアティラのその他の信者で、この女の教えに従わず、いわゆ  るサタンの秘密を知らぬ者たちに、他の荷を負わせることはし  ないと私は宣言する。』           (ヨハネ黙示録 第2章 20〜24節)  ヨハネの黙示録も最後に近くなった第17章では、神の怒りの 「7つの杯」が注がれた後、緋色の女の住むバビロンの街へ罪が 下る記述があります。ある天使は、非常な権威をもっていて、 「倒れた、倒れた、大バビロン。それは悪魔のすみか、すべての 不浄な霊とすべての汚れたいとわしい鳥の住まいとなった」(黙 示録第18章 第1節)と言います。                       はな 04303/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(5) (14) 96/09/05 07:50 04283へのコメント  引き続きRTで出された質問に対する私なりの答えを書かせて もらってます。RTの内容とは少し乖離しますが、ご了承くださ い。  淫婦の女エザベルが住む町バビロンが滅びたと高らかに宣言す る、この「非常な権威をもつ天使」とは、ミカエルではないでし ょうか。ミカエルは天使長であり、ミカエルのエネルギーの一顕 現であるアリオンも「私は天使長の立場から、死ぬことはできな い」と言っていました。ミカエルが非常な顕現をもつ天使である ことを確かめるために、ミカエルの説明を「オカルトの辞典」よ り引用します。 「太陽層の支配に関与する大天使で、大天使たちの指導者だと言                  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  う者もいる。トリテミウスは、彼をセクンダデイの存在の指導  者とする。ミカエルという名は、正しくは「ミハイエル」と発  音される。キリスト教の秘教の伝説では、ミカエルは新しい死 ~~  者の霊魂の守護者で、死者の代わって悪霊の群と戦うことにな ~~~~~~~~~~~~~~~~  っている。占星術の伝承では、火の要素の支配に関わり、エジ                ~~~~~~~~~~~~~~  プトの象徴を借りた、霊魂の重みをはかるための二つの秤と、  黄金の剣を持ち物にして、しばしば描かれている。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~   聖書の第4の御使いがアリオンですから、アリオン=ミカエル であるので、第4の御使いは大天使ミカエルです。  緋色の女が住む町バビロンが滅ぼされることを告げる天使がミ カエルであれば、アリオンが緋色の女についてさまざまな預言を 現在出しているのは、バビロンに下される罰を補足しているよう です。                       はな 04308/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(6) (14) 96/09/07 07:36 04283へのコメント コメント数:1  第4の教会ティアティラから、RTに話を戻します。  「終わるものは終わらせねばならない」と、先日のアリオンメッセージ mes#4270に出てきた「人工太陽」に話が移りました。    ・人工太陽は既にラアの夢を貪りつくし、  mes#4270ではその後、    さて、夜は朝と出会うことなく、    白日夢を紡ごうとしている。    己が足先を見つめよ。 という文がありました。人工太陽が輝いている限り、夜が終わらず、本当 の朝は訪れないのではないのか。白昼夢は人工太陽がみさせているのでは ないかという意見が出、人工太陽について以下の意見が出されました。 ・人工太陽って、まがいものっぽいよね  →はい 何かの代替え みたいですね  →夜が来ないと夜明けも来ないのね ・人工太陽が輝いているから、夜にならない・・つまり日が暮れない・・  終わりが終わらないと読みました。だからアリオンは「夜は朝と出会う  ことなく」って言ったとおもう。   →なるほど>おわらない   →終わらせるためには、「人工太陽」の輝きを止めなければならない   →虚構の輝きを止めると言うことかな?   →いったん 終わらせなくちゃ いけないのか・・・ ・星であって人工太陽では無いのね… ・人間が作ってしまった神=科学の信仰をやめることかな ・今の都市は完全な夜というのが存在しなくなったなぁ ・なにか、白い光とか、過去ログにあったのを思い浮かべてしまった・・ ・電気仕掛けの太陽とも読めますね ・朝=太陽が登る と人工太陽とは関係してるのかな ・太陽について 考えるのが先決ですかね・・・>人工太陽 Q:終わらない人工太陽の輝きって何でしょう? ・政治家達の虚構の春(^_^;)>はな  →春夏秋冬で春を謳歌してるからな。あいつら>政治家 ・私、やっぱり人工太陽って原子力のような気がするな。夜でも明るくし  ているのは、電気で、それの多くを原子力で補おうとしているんだから、  この国は。 ・本物の太陽では無いから、そうあるべき太陽のエナジーは無いんだろうか ・太陽のエナジーは生命力、人工太陽は虚構の明るさかなぁ…。 ・人工太陽には光も熱も「まがいもの」なのよね ・人工太陽なのだよね、人工衛星では無い…うーむ ・以前アリオンが「太陽の意義は光と熱だ」と言ってました。太陽の膨張と  縮小が、世界を新たなステージに進めるとも。人工太陽だと、膨張と縮小  が起こらないような気がする ・太陽を信仰するものは 昔からありましたね  →又は「太陽霊」という考え方が古代よりあった。古今東西で太陽信仰は   普遍的な拡がりを持っていました。何せ農耕信仰の大本ですし。 ・ラアの夢を貪る…あたりにもかかるのかな…人工太陽  →バアの胃袋を空にするなってのがあった    →あ、それだ!    →バアルはなんでしょう?       →バアルって、雷神だね。またはキリスト教以前の土着神だっ        た。ああ、牛の神でもあったなぁ。       →ラーはエジプトの太陽神ですね ・なんかSOUNDさんの書かれていたラアとか日と陽のことを連想もしたりする ・太陽の恵みなくして 地球は成り立ちません 当たり前。な・の・に・   人工太陽があるという。これは おかしい>人工太陽  →「惑星ですら一人で生きられないことに気づいてほしい」ってアリオン言   ってましたね。     →うんうん 地球と太陽の微妙な位置関係が、生命の繁殖を促してい      る。       →すごいよね          →だから凄い計算があるのではないかと思ってしまう  →地球が 地球だけで 生きていると思いこんでませんか?地球人。地球だ   けの勝手で いろんなことをして。太陽なくして 地球が成り立たないは   ずなのに地球人は 成り立たそうとしているのかな。    →人が自分だけで生きているとまで思う ・先進諸国の地球規模の環境破壊は 行き着くところまで行ってしまっている  のかもしれない。  →実際 気象が変になりすぎている    →今年は夏が無かった感じや(^^; ・別のすじの話で『石油地下の太陽』という話もあるが信用できるかわからな  いか。 ・人々に白昼夢を見せ続ける人工太陽   →白日夢 も人口太陽と関係ありカナ   →白昼夢、眠りながら生きる民と言うことになりますね   →やはり原発を思い浮かべるなぁ   →催眠状態で生きている民…。12番のテーマやな>自己催眠に浸る民   →確かに現代人は慢性的に睡眠不足(^_^;)     →人間のサイクルが狂ったりして ・「太陽=光と熱」だとすると「人工の光と熱」かな?   →または人工的なエネルギー源かも。 04311/04383 GBG02043 維/YUI RE:第2回預言解読RT編集議事録(6) (14) 96/09/07 20:52 04308へのコメント ふと、思いたったので… >・ラアの夢を貪る…あたりにもかかるのかな…人工太陽 > →バアの胃袋を空にするなってのがあった >   →あ、それだ! >   →バアルはなんでしょう? >      →バアルって、雷神だね。またはキリスト教以前の土着神だっ >       た。ああ、牛の神でもあったなぁ。 バアルの骨は砕けて散った…という記述が#4270にあるのだけれど、 バアルって、スペイン語で大衆食堂のことなんだよね。(音からだけの連想) バアルの骨が砕け散っているというのが、日常自分たちが食べ、飲んでいる 食物を確保する屋台骨が崩れてしまっていると読めるような気がした。 たとえば、日本はみんなが書き込みしている中にもあるけれど、食物の自給率 30%ぐらいとか…って話がある。自分たちが食べる日常のものさえ、自分たちの 手で作り出せない。 そんな感じがした。 それは地球全体についても言える ことかも。  維/YUI 04309/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(7) (14) 96/09/07 07:36 04283へのコメント (アリオンのmes#4270より)   ダイアモンドダストの降る前に…。   石臼が砕ける前に…。   我等が時の砂が落ち果てる前に…。 (2,AAAA)そういえば、石臼という言葉があったけど、黙示録にはひき     うすのような石をもちあげ・・・という文句があった。 (2,BBBB)ヨハネの黙示録、第18章、21節に「臼」の記述がありま     す。  ヨハネ黙示録には石臼が「滅ぼされるべきバビロンの象徴」として 登場します。 「すると一位の強い天使が大きなひき臼のような石を持ち上げ、海に  投げて言った。「偉大な町バビロンはこのように一投げで投げ捨て  られ、ふたたび現れない。もう竪琴を弾き、楽を奏し、笛とラッパ  を鳴らす者の声はおまえの中で聞こえない。どんな職人も、もうお  まえのうちには見えない。もうひき臼の音も聞こえない。」             (ヨハネ黙示録第18章 21、22節) (以下、RT記録) ・で、ここに石臼の記述があって、「バビロンのように一投げされた」  比喩に使われています。バビロンとは、「罪業の都市」の意味で聖書  に用いられていますから、>ALL ・うーむ 何か一緒くたに放り込まれた感じやね>石臼 ・このあいだ、横浜駅でビルの上から石臼が落ちてくるって事件があ  ったな…。   →やだな…、横浜には、すでに石臼が落ちているわよ。   →聖書のことが何で日本に?(^^;     →なんでて、そんなんわからんわ〜 ・何もかも消えた感じ>この箇所 ・臼は女杵は男を象徴、って関係ないか(^^;) ・アリオンのメッセージで「石臼が砕ける前に・・・」というのは、罪  業の都市バビロンが滅ぼされる前に・・・と読める。 ・これは ムーみたいですね 沈没してる ・で、時の砂が落ち終わるのと、石臼が投げられるのは、同じ時期では  ないかと思うのです。 ・海の中に投げ込まれて 全く姿を消したとなると。 ・今の日本も退廃ムードが出始めているなぁ(--;)>少女売春とかおやじ  狩りとか                       はな 04313/04383 PAG03134 はな 第2回預言解読RT編集議事録(8) (14) 96/09/10 07:36 04283へのコメント (アリオンのmes#4270より)   ダイアモンドダストの降る前に…。   石臼が砕ける前に…。   我等が時の砂が落ち果てる前に…。  話は、ダイヤモンドダストにも移りました。 ・ダイヤモンドダストってなんやろ?  →大気中の水が凍って、それが光にあたってきらきらするってやつじゃ   ない?  →雹(ひょう)みたいね    →スキー場とかで、観れるっていうやつじゃないの?  →ダイヤモンドダスト は 海の中の泡?    →いや、一般的な意味でのダイヤモンドダストのこと。 ・ダイヤモンドダスト・・・なんかこれまで皆が追い求めていた物質的価  値観をダイヤモンドになぞらえ、それがぱぁーっと砕け散ったイメージ  がします。  →なるほど。そういうイメージもありますね。 ・砕けた虚構かな。いや 砕けた虚栄だな バブルが弾けた ・ダイヤモンドダストって細かい雪が舞い上がる風景でしょ?だから白い  雪が関係する何かではないかな… ・いろんな粉がでてきますね〜〜  →粉は「97」と読むとアリオンは言ってました。    →あ、そうなのですか>97    →粉・・・97・・・ ・雪と言えば、マリンスノーなんかも関係してくるかな?  →白い雪か>ダイヤモンドダスト (以上でRT編集議事録を終わります)                       はな 04284/04383 BXP02077 優位 RE:吾が名を呼ばわる者達へ (14) 96/09/01 17:03 04270へのコメント コメント数:2  なんとなく、わかるような気がするところを少しだけ……  (ほんと何の役にも立てませんが、覚え書き程度に(^^;)) |   人工太陽は既にラアの夢を貪りつくし、 |   バアルの骨は砕けて散った。  原発は既に古代エジプトの太陽神?の夢を貪りつくし…ということ?  もう原発の未来は無くなったということなのでしょうか。  そういう未来の無い原発なのに、まだ大丈夫と言って憚らない人達が居る現実。 |   人よ、大らかなる人である為の人よ。 |   祖土(オヤツチ)を蔑(ナイガシ)ろにする者達を選ぶ勿れ。 |   たわわに実る黄金が頭(コウベ)を垂れても、 |   大きな風は吹き荒れる。  政府や原発推進派がいくら利益をもたらすと主張し、頭を下げることがあっても、  『大きな風』は吹き荒れるのだから、彼らを選んではいけない‥‥。  『大きな風』って何を意味しているんでしょう。 |   さて、夜は朝と出会うことなく、 |   白日夢を紡ごうとしている。 |   己が足先を見つめよ。  夜が、白日夢(非日常的な空想)を紡ごうとしているってことは‥‥。  真の夜でない非日常的な夜がずっと続くということ? |  輝くベツレヘムの星は厩(ウマヤ)を目指さない。 |  新しい敷き藁は消毒の匂いがする。 |  人の手に依って起きた事柄を科学は偶然の仕業だと言う。 |  新しき神経叢(シンケイソウ)は、新しき神を生むか?  『ベツレヘムの星』ってどこかで聞いたような単語ですけど、わからない(^^;  ベツレヘムは、イエスの誕生地でしたっけ。 |  ダイアモンドダストの降る前に…。 |  石臼が砕ける前に…。 |  我等が時の砂が落ち果てる前に…。  ダイアモンドであって、ダイヤモンドで無いのは何故だろう?と思って  辞書を開くと、diamond の語源は、adamant(極めて固い)に繋がって  いるらしい。更に語源を辿ると……もしかしてAdam迄行くのでしょうか。  the old Adamの意味は、『教えを受けても変わらない人間の罪深い本性』  とあります。ついでに、そのまんま意味(細氷)でも、固い、凍ってい  る…というイメージがあります。臼は、黙示録に出てくる都市の事でし  たっけ?(よく覚えてない(^^;)) それで、当てはめて読んでみると、  人の心が頑なになって死んでしまう前に…。  都市が破滅する前に…。  神霊族の顕現が無くなる前に…。  と、こんな感じになるのでしょうか(結構適当な解釈(^^;))。  なんか、全体的に科学の推進と人の心の衰退を匂わせる文章といった感じが  します。祖土全体が、科学の危険に曝されているようで、身の回りに満ちて  いる危険を敏感に察知して生活しなければいけないと思いました。 96/09/01(日) 16:12 優位(BXP02077@niftyserve.or.jp) 04289/04383 GBG02043 維/YUI RE^2:吾が名を呼ばわる者達へ (14) 96/09/03 00:08 04284へのコメント コメント数:1 >>『ベツレヘムの星』ってどこかで聞いたような単語ですけど、わからない(^^; >> ベツレヘムは、イエスの誕生地でしたっけ。 そうです。イエスさまが生まれたのがベツレヘムの厩ということになっています。 マタイとルカの両福音書に記述があります。 んでもって、マタイの方では、(2章)3人の博士(又は王)が東の空に上がった 星を見て、エルサレムにやってきます。 博士/王などと日本語ではなっているし、 この間私がスペインの人から聞いたのは、やはり「王」でした。 英語では 「WISE MEN」とか、「SOME MEN WHO STUDIED THE STARS WHO CAME FROM THE EAST」 などとなっていまして、これを読む限り王ってのも、博士っていうのもちょっと違う ような気がします。 「東方の星観(ホシミ)の人」か、「まじない師」ってところだと思います。古代では こういう人が博士的な役割をしていたから、博士かもしれませんが…。 彼らは、エルサレムでヘロデ王(贅沢三昧しているイメージの大きい王様)に、 「ユダヤの新しい王が生まれるという星を観たのでやってきました」と言うので、 ヘロデ王は自分の地位が危うくなるもののと不安になって、ベツレヘムとその周辺の 2歳以下の子供をことごとく殺してまわったそうです。 が、当のイエスとその家族はすでにエジプトに逃れていて、災難にはあわずに 済んだそうです。 この時に博士達をエルサレムからベツレヘムのイエスのところまで導いたのが、 「ベツレヘムの星」とされている星です。 ルカの方には(2章)ベツレヘムの3人の羊飼となっています。(SHEPHEADS) 彼らは天使から「救世主が生まれる」と告げられ、イエスを探し当てたことに なっています。 SHEPHEADSは、星を読むこともあったようなので、やはり「ホシミの人」が有力な 感じです。 ルカでは星に導かれたとの記述はありません。 はしょりまくった話ですが、参考までに。 維/YUI 04295/04383 BXP02077 優位 ベツレヘムの星 (14) 96/09/04 11:24 04289へのコメント コメント数:1  維/YUI さん |この時に博士達をエルサレムからベツレヘムのイエスのところまで導いたのが、 |「ベツレヘムの星」とされている星です。  なるほど。そうだったのですか。福音書に記述があるということなので、  そちらをまたじっくり読んでみます。僕が読んだことのある福音書は、  ヨハネ福音書くらいなので(^^;  教えて頂いて、どうもありがとうございました。 96/09/04(水) 10:52 優位(BXP02077@niftyserve.or.jp) 04301/04383 PAG03134 はな RE:ベツレヘムの星 (14) 96/09/04 23:04 04295へのコメント 優位 さん  割りコメです。  ベツレヘムの星なんすが、金星とも、超新星の爆発とも、木星や土星とも 言われています。あるいは、実際の星ではなく、当方に「光」が見えたのか もしれません。  ご参考までに。(^^)                       はな 04340/04383 BXP02077 優位 RE^2:吾が名を呼ばわる者達へ (14) 96/09/22 13:57 04284へのコメント ||  石臼が砕ける前に…。  『神々の指紋』の中には、臼に関する記述が沢山あって、そこで述べられて  いるのは、臼は超古代人が神話として残した、歳差運動を示唆する暗号のよ  うなもののようです(ちょっとパラパラ見ただけなので詳しくはわかりませ  んが)。それにしても、臼=天空の現象の象徴だとすると、石臼がくだける  というのは……。この恐ろしさは、『神々の指紋(上)』P.357から抜粋した  以下の部分をご覧になればわかるかと思います。  「次の章で見るように、歳差運動の長くゆっくりとした周期は、見かけ上の  空の眺めを変化させてきただけではない。この天空の現象は、地球の地軸の  旋回で起き、地球に直接的な影響を与える。実際のところ、歳差運動は、氷  河時代の突然の始まりや突然の衰退に深い関係があるとみられているのだ。」 96/09/22(日) 13:40 優位(BXP02077@niftyserve.or.jp) 04334/04383 GFB00026 一輝 RE:吾が名を呼ばわる者達へ (14) 96/09/21 05:08 04331へのコメント コメント数:1 >#4331 ばかままさん 初めまして。 |>>   バアルの骨は砕けて散った。 | |日本と日本人が持っていた 日本の信仰は粉々になった。 ……………「バアル」とは「聖牛」のことです。中近東の神殿には、謎の牛人      間がたくさん刻印されています。「バアル信仰」とは、アジア全域      に広がる「聖牛信仰」であると共に、出雲族首領スサノオ一族<牛      一族・詳しくは、MES(9)#965>の伝えた豊穰信仰でもあります。ス      サノオ自身もまた人々に「牛(牛頭様)」と呼ばれていました。神      社の屋根に角が交差したような飾りが付いているのは、神社建築(      神明造り)そのものが牛を表現しているからだと唱える歴史研究家      もいます。      スサノオら出雲一族は、殺牛祭というカミ(自然)とヒトとの契約      の更新作業である儀礼を日本にもたらしたのですが、やがて日向族      出身の聖武天皇や朝鮮半島人の血を継承した恒武天皇の禁令によっ      て契約更新が出来なくなりました。この習慣は雨乞いの儀礼として      極秘理に行われていましたが、やがて牛の代わりに馬が神社に奉納      されることとなり、今では絵馬という形でその慣習は残っています。      私は「バアルの骨は砕けて散った」を「スサノオが日本に伝えた教      えが崩壊した」ということなのではないかと思いました。そこで、      この一行の、ばかままさんの解釈に一票。 |>>  石臼が砕ける前に…。 ……………「石臼」は、今では無用の長物ですが、かつてはこれが無ければ、      生きて行けないほどの、所有する一族にとって大切な器具でした。      「石臼」は、そのままでは食べにくい穀物を加工する為の道具で      す。これを現代に置き換えるとすれば、「石臼」とは私たちにと      って、いったい何に該当するのでしょう。そこで「石臼」とは私      たちの衣食住を支える為のシステムではないかと考えました。こ      のシステムが、やがて崩壊するのではないかと…。                                     一輝 04339/04383 VFG01465 ばかまま RE^2:吾が名を呼ばわる者達へ (14) 96/09/22 02:34 04334へのコメント #04334 一輝さん はじめまして(カナ) >>……………「バアル」とは「聖牛」のことです。中近東の神殿には、謎の牛人 >>     間がたくさん刻印されています。「バアル信仰」とは、アジア全域 >>     に広がる「聖牛信仰」であると共に、出雲族首領スサノオ一族<牛 >>     一族・詳しくは、MES(9)#965>の伝えた豊穰信仰でもあります。ス  「石臼」について 聖書を読み返そうとパラパラと探していたら「バアル」  という言葉がありました。新約聖書のホセア書第二章の八です。  それ以降にもいくつか。「バアルの祭り」などと書かれているので   一輝さんの言われる「聖牛信仰」のことでしょうか。   >>|>>  石臼が砕ける前に…。 >> >>……………「石臼」は、今では無用の長物ですが、かつてはこれが無ければ、 >>     生きて行けないほどの、所有する一族にとって大切な器具でした。 >> >>     「石臼」は、そのままでは食べにくい穀物を加工する為の道具で >>     す。これを現代に置き換えるとすれば、「石臼」とは私たちにと >>     って、いったい何に該当するのでしょう。そこで「石臼」とは私 >>     たちの衣食住を支える為のシステムではないかと考えました。こ >>     のシステムが、やがて崩壊するのではないかと…。  そうですか 生きて行けないほどの物だったんですか。  私は小さい頃に 石臼の片一方の方を 父と一緒にいるときに拾ったことが  あります。「これで もう 海は塩辛くならない」と私に教えてくれた父は  やはり嘘吐きでしょうか。(一輝さんに何を聞いているのやら・・・)    石臼って 砕く物ですよね?TVで引いているところを見たことがあります。  グルグル グルグル 回して砕く。上から入れた物が 横から形を変えて  出てくる。石臼が砕けると もう上から何も入れられないし 回せない。  もちろん 横から 何も出てこない。生み出されない。  石臼自体が砕けてしまうとは そういう意味があるんですね。恐い。 04294/04383 BXP02077 優位 秘蔵のRTログ他がある方へ… (14) 96/09/04 11:24 コメント数:2  昨日のハローメッセージのテーマRTの最後の方で、ARIONの過去ログの  話題になりました。それで、その時に僕がうろ覚えしているもので、ハッキリ  わからない内容のメッセージがあるのですが、内容を出来る限り正確な情報と  するために、該当するRT等のログを持っている方、いらっしゃいましたら、  是非、この会議室の方へお知らせ下さい。また、該当する内容以外にも、共有  すべきメッセージだと思われたら、教えて頂きたいと思っています。  うろ覚えの情報:   1……招かれざる未来の、24??年、人類がアリオン計画を発動する。      アリオン計画とは、人類が地球に見切りを付けて、地球から脱出する      計画。その頃、人は既に人と呼べるような状態には無いらしい。また      アリオン計画という名称は、人間が名付けたらしい。   2……1997年の秋頃、天皇制とコメ問題を巡って、日本の命運を左右      するような出来事が起る。なお、この時期は人間界のリアクション      によって若干前後する可能性あり。  共に、(1,ARION)からではなく、(1,みれ)さんからの情報で、当時は『オフ  レコ発言』として聞いたものです。ですが、昨日のRTで会議室で公開募集して  みてはどうか?との提案があり、僕が代表して募集することになりました。  というわけで、もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非、会議室  の方へ書き込んで下さい(^^) 宜しくお願いします。 P.S.村長の所持率が一番高かったりして(^_^) 96/09/04(水) 10:32 優位(BXP02077) 04299/04383 GHD00256 七穂 RE:秘蔵のRTログ他がある方へ… (14) 96/09/04 21:25 04294へのコメント   #4294 優位さん   久しぶりにおじゃまいたします。m(..)m   以前、そのRTに参加していたような気がして、メモを探して  みたらありました。1994年9月4日のRTの日付けでした。  今からちょうど2年前のRTの日付けというのが、おもしろいですね。     そういえば、あのRTの後にログを編集してアップするという  話があったのでしたが、それでわたしも一度編集に挑戦してみようと  思ってやってみたのでしたが、どうもうまくできなくて、そのまま  ギブアップしたことを思い出しました。(ーー;)   ログを読み返してみたら、はなさんもログをお持ちのようですね。  とりあえず、日付けのお知らせまで・・(^^)/~~                      GHD00256/ 七穂 04300/04383 PAG03134 はな RE:秘蔵のRTログ他がある方へ… (14) 96/09/04 23:04 04294へのコメント コメント数:1 優位さん 提案してくれてありがとうございました。 七穂さん RTの日付を報せてくれてありがとうございます。 >>  1……招かれざる未来の、24??年、人類がアリオン計画を発動する。 >>     アリオン計画とは、人類が地球に見切りを付けて、地球から脱出する >>     計画。その頃、人は既に人と呼べるような状態には無いらしい。また >>     アリオン計画という名称は、人間が名付けたらしい。 >> >>  2……1997年の秋頃、天皇制とコメ問題を巡って、日本の命運を左右 >>     するような出来事が起る。なお、この時期は人間界のリアクション >>     によって若干前後する可能性あり。  1については七穂さんがしらべてくださったとおり、私もその場に居合わせて おりますので、RT記録をもっています。どなたかRTのログを編集してくださ る方、おられますか? ただし、RT出席者以外にRT生ログをお渡しするには、 当日の参加者全員から許可をもらわなければなりません。ですから、まず94年 9月4日のRTに出席された方でRTログを編集していただける方にお任せした いと考えています。  2の内容が発言されたRTには、私は参加していません。どなたかご記憶にあ れば、この会議室で概要を話していただけませんか? あるいは、ログの編集を していただけるようであれば、お願いできませんでしょうか。                       はな 04304/04383 BXP02077 優位 RE^2:秘蔵のRTログ他がある方へ… (14) 96/09/05 14:55 04300へのコメント コメント数:1  七穂さん、日付まで調べて頂いてどうもありがとうございました(^^)  本当に、ジャスト2年前だったのですね。何か意味でもあるのでしょうか。  >はな村長 |9月4日のRTに出席された方でRTログを編集していただける方にお任せした |いと考えています。  もし良ければ僕が編集しましょうか? なにせ言いだしっぺですし(^^;  ところで編集というのは、RTのログのうち、ARION以外の参加者の  名前を伏せて、経過が分かりやすいようにするという作業を言うのでしょ  うか? この質問は、もしかしたらもっと大変な事なのかもしれない…と  思ったのでしてみました(^^; 96/09/05(木) 14:10 優位(BXP02077@niftyserve.or.jp) 04305/04383 PAG03134 はな RE^3:秘蔵のRTログ他がある方へ… (14) 96/09/05 22:12 04304へのコメント コメント数:1 優位 さん >> ところで編集というのは、RTのログのうち、ARION以外の参加者の >> 名前を伏せて、経過が分かりやすいようにするという作業を言うのでしょ >> うか?  できればそうしていただけると有り難いです。RTログは、そのままでは 第三者が読んだときに話の流れが非常につかみにくいからです。よろしけれ ば、みれさんの話されたこと、それに伴うみなさんのコメント、そのコメン トから派生した議論なんて具合に内容を分けてもらうと、読みやすくなるか と考えます。それから、みれさんの発言はみれさんの名前を付けていただく として、それ以外の会員さんのハンドル名は伏せる、あるいは省略していた だきたいと思います。  注文多かったかな(^^;、ログ編集お願いできますか?>優位さん  さらにご質問があれば、遠慮なく聞いてください。(^^)                       はな 04307/04383 BXP02077 優位 RE^4:秘蔵のRTログ他がある方へ… (14) 96/09/06 23:14 04305へのコメント コメント数:1  はな 村長 | 注文多かったかな(^^;、ログ編集お願いできますか?>優位さん  はい、では喜んでやらせて頂きます。  ということで、RTログを送って下さい。  宜しくお願いします。 96/09/06(金) 23:04 優位(BXP02077@niftyserve.or.jp) 04310/04383 PAG03134 はな RTログ送信させていただきます (14) 96/09/07 17:28 04307へのコメント 優位 さん  は〜い、それではログをメールしておきます。編集作業、大変でしょう けれど、よろしくお願いします。m(_ _)m                       はな 04314/04383 GBG02043 維/YUI 安達太良山が動いてる (14) 96/09/12 01:20 コメント数:3 アタタラ山の火口(?)で、20センチほどの泥の噴出痕がみつかったそうです。 今日は、11:37AM頃に、茨城県沖を震源とする、M6.6の地震があって、 関東から、東北地方にかけて揺れたし…。 一番震度のあった、佐原って香取神社の地元ですね。 なぜだか、ポンと離れた長野県の諏訪が震度3を記録しています。 盛岡や、新潟でも震度2が記録されているってことは、かなり大きいってこと? (いまいち地震の規模、仕組みがわからない > 私) 維/YUI 04321/04383 PAG03134 はな RE:安達太良山が動いてる (14) 96/09/17 20:08 04314へのコメント 維/YUI さん  安達太良山って一九○○年に爆発し、七十二人の犠牲者を出している そうです。タタラ・アタタラって、アリオンによれば「反転」がからん でくると言ってたなぁ。                       はな 04368/04383 PAG03134 はな 安達太良山に登ってきました (14) 96/09/29 21:43 04314へのコメント  9月28日安達太良山に登ってきました。週末を利用して、何の目的も なく訪れた福島で、「そういえば安達太良山が動いているなぁ」と思い、 安達太良山登山をしてきました。  噴火口は現在立入禁止区域にはなっておらず、泥の噴出痕が確認できた 事実と、なにか危ない気配があればすぐ立ち退くようにと勧告するだけの 看板が立っているだけでした。  この話は、旅日記(登山日記?)としてまとめた後、アップするつも りです。 (当発言は、ひとつの独立した発言のつもりですが、話題が安達太良  山で共通でしたから、mes#04314にコメントリンクをさせてあります)                       はな 04333/04383 GFB00026 一輝 彗星とは何か。 (14) 96/09/21 05:04 04322へのコメント コメント数:1 >#4322 はなさん ごぶさたしています。お元気ですか。 | このところの彗星ラッシュに、太陽系の動きに意味深な点があると感 |じています。 | | 彗星は元々太陽系の辺遠からやってくる来訪者であり、これほど毎年 |彗星フィーバーになるのは、有史以来あまりありません。 | | 百武彗星に至っては公転周期が1万年と推定されています。そんな彗 |星たちが、この時期に集中して夜空をにぎわしていることに、太陽系規 |模の力が活発化しているように感じます。 ……………その昔、科学にチョー強い人がARIONに彗星のことで質問して      いるのを脇で聞いたことがあります。何でも彗星というのは、太陽      系にとって、老朽化し剥離した細胞間膜だというのです。それを人      間に例えると、古くなった皮膚が剥がれ落ちるのと同じだという説      明を聞きました。つまり、太陽系の一番外側には、何らかの膜のよ      うなものがあって、それが新陳代謝によって剥がれ太陽に向かって      落ちてゆく。太陽系も人間も細胞も相似象であることを意味します。      そう考えると、今太陽系では何らかの新陳代謝を促すようなことが      起きているのではないでしょうか。彗星という剥がれ落ちたものに      よる「破壊の力」は、同時に太陽系全体の「創造の力」を促してい      る。更にこう考えることも出来ます。太陽系から見てミクロレベル      での人類の惨状は、太陽系全体へも悪影響を与え、そのことが新陳      代謝を促している。      そうだとすれば、一連の彗星ラッシュは、太陽系そのものが人類に      対し、「振るい分け」という大事業へ向けて狼煙を上げた可能性が      ありますね。もちろんこの「振るい分け」は、太陽系がやるという      意味と同時に、私たち自身が人生を選び取ることで自らを「振るい      分け」ることでもあります。手で掴めるものを選ぶのか、手で掴め      ないものを選ぶのか。                                     一輝 04337/04383 PAG03134 はな 太陽系辺遠の岩石 (14) 96/09/22 00:25 04333へのコメント コメント数:1 一輝 さん  ほんにご無沙汰しています。  彗星は太陽系にとって新陳代謝を促し、老朽化し剥離した細胞間膜 とのこと。私も一輝さんが考えられるように、人類の惨状が太陽系全 体に影響を与えていると思います。  彗星のラッシュを時間的に捉えると、二つあるように思います。  一つは、新陳代謝が起こった時点、つまり太陽系の外側にある細胞 間膜からポロリと彗星となる原石がはがれ落ちたとき。もう一つは、 はがれ落ちた彗星が地球から視認できる時点です。  実際に新陳代謝が起こっているのは、辺遠から彗星片が太陽に向か ってやってくる時点といえます。太陽系の外側から彗星がやってくる のに要する時間は、かなり長く、短くても数百年は要するでしょう。 であれば、人類の惨状により太陽系の新陳代謝が促されたのは、かな り以前からってことになります。つまり、数百年も数千年も前から、 人間のエネルギーがなんらかの形で太陽系の新陳代謝を促していたと。  例えば、聖書の創世記には人間が禁断の果実を食べて堕落したこと が書かれていますが、この時点ですでに人間の惨状が始まっていると みれば、アダムとイブが堕落したところからすでに彗星を誕生させる 力がはたらいていると考えられます。  光の黙示録にも、今の地球は霊的にも物的にも温度異常だそうで、 地球の温度異常は、あたかも風邪を引いたときに体温が上がるよう に、太陽系という体温を上昇させているように感じます。太陽系が 地球のためにヒーヒー熱を出している。太陽系の体温を下げるには、 私たち人間自身が体温を下げるにはどうしたらよいかを考えていか ねばならない時期にきていると感じます。                       はな 04379/04383 GFB00026 一輝 地球の温度を下げるには (14) 96/10/05 08:58 04337へのコメント >#4337 はなさん | 光の黙示録にも、今の地球は霊的にも物的にも温度異常だそうで、 |地球の温度異常は、あたかも風邪を引いたときに体温が上がるよう |に、太陽系という体温を上昇させているように感じます。太陽系が |地球のためにヒーヒー熱を出している。太陽系の体温を下げるには、 |私たち人間自身が体温を下げるにはどうしたらよいかを考えていか |ねばならない時期にきていると感じます。 ……………たまたま見ていたどこかの雑誌で、フィリピンのピナツボ火山噴火で      その年の地球各地の平均気温が2〜3度下がった話が出ていました。      地球の体温を下げるには、マグマの露出による噴煙が太陽の光を遮る      のが、一番てっとり早いのかもしれませんね。先日もアイスランドの      氷河の下で、火山の噴火が始まったばかり。ARION預言に「茜」      という言葉が出てきますが(「滴岩」は「沖縄」か)、「マグマ」か      もしれません。地球が「血」を流しているのですね。彗星の接近を合      図に…。      「マグマ」は、その地表に立つ人間の意識の変化によって磁気的に相      互作用を及ぼす、というようなARIONの話を聞いたことがありま      す。AMA族が火山列島日本に来たのもその為だと…。ところで地球      の地磁気が異常に低くなってきているそうです。グラハム・ハンコッ      クによると、それはポールシフト(磁極移動)を引き起こしかねない      ということです。意識の濁った人は低磁気という話があります。これ      もまた、人間の持つ磁力と地球の磁場とが、相互作用を起こしている      結果であると言えそうです。                                     一輝 04354/04383 PAG03134 はな χとπ (1) (14) 96/09/25 20:42 コメント数:5  χのハローに、こんなんありました。  12/01 χ(カイ)なる者はオズマの、π(パイ)なる者はシグマの夢を夫々見る  09/28 χ(カイ)なる者はΣ(シグマ)を従え、α(アルファ)とΩ(オメガ)を統合す…  かつてmes#3770にて >>03770/03771 PAG03134 はな πが無いよぉ〜  という発言をしました。内容はいたってシンプルで、次のようでした。 >>『χ(カイ)なる者はオズマの、π(パイ)なる者はシグマの夢を夫々見る』 >>に書かれている「π(パイ)なる者」が、まだ分かりません。(>_<) >> χとπもあわせて意味をつかまないと、両者の対比構造が読みとれま >>せんし。それに、オズマとシグマの夢も、まだ解読中です。  内容はシンプルというか、何もない‥‥。  χについてはχシリーズを掲載しましたが、どうもそれだけではない ような気がしており、ずっと気になっていました。ある時にはχをカバ ラと結びつけもしました。 >> カオスとガイヤとエロスというその三位一体はカバラのアイン・ソ >> フ(同系統の言葉カイノ(χαιυω)が”虚空”という意味をも >> つことで分かるように、カオスは空間である)、即ち無際限の全と >> シェキナーと日の老いたる者即ち聖霊に相応する」 >> >> ここからカバラで言う「アイン・ソフ」が、虚空を示すカイ(χ) >>に匹敵する意味を持つと読めるのです。  今回は、χとπがつながった(気がした)ので、みなさんにご紹介さ せていただきます。今回の読み方は、これまでのχについての解釈を否 定するのでないのはもちろんのこと、こういう見方もできるという一解 釈です。  さて、χとπはXとPが重なった記号として表記され、キリストを表 すシンボルです。(下図参照)      \   |⊃  /   ←ここがPの部分       \  |  /        \ | /         \|/          *         /|\        / | \       /  |  \      /   |   \  地下墓地の石にこの図形が彫られていたり、石版などにもPとXが組 み合わされた十字が彫られています。また、デザインによってPの右半 分にUを寝かせたようにみえる部分の大きさは異なります。ともあれ、 このようにPとXが重ね合わされた記号があり、この記号がキリストを 表しているのです。  今回のお話は、χとπについてです。                       はな 04358/04383 PAG03134 はな χとπ (2) (14) 96/09/26 19:32 04354へのコメント  この、PとXを重ね合わせた記号は”カイ・ロー(Chi-Rho)”といわ れます。カイとローは、ギリシャ語によるキリスト(Christ)の最初の2 文字です。  十字架にはさまざまな形があり、普段知られている+型の他も、X字 型の十字架があります。X型の十字は「アンデレ十字」または「X型十 字」と言います。カイ・ローの十字は、アンデレ十字にPが加わった形 でもあります。  Pはギリシャ文字では(ρ:ロー)にあたります。以下に一覧として表 記したギリシャ文字は、一見アルファベットに対応しているようですが、 全部で24文字から構成され、アルファベットの26文字とトータルの 文字数が異なるため、一対一の対応はできません。  α:アルファ  β:ベータ  γ:ガンマ  δ:デルタ  ε:エプシロン  ζ:ゼータ  η:エータ  θ:シータ  ι:イオタ  κ:カッパ  λ:ラムダ  μ:ミュー  ν:ニュー  ξ:クシー   ο:オミクロン  π:パイ  ρ:ロー  σ:シグマ  τ:タウ  υ:イプシロン  φ:ファイ  χ:カイ  ψ:プシー  ω:オメガ  アルファベットとギリシャ文字を対応させようとして、上表にアルフ ァベットをAから順番に重ねて読んでいっても、うまく重なりません。 Pをみてもπ:パイかρ:ローか判断に苦しみます。文字の形では「ρ:ロー」 の大文字を「P」と書きますが、発音でみればPは「π:パイ」に近いと いえます。実際、アルファベットのPに対応するギリシャ文字は「π: パイ」となっています。これらから、πとχのハローメッセージはPとX に対応しており、XとPを重ねた記号の象徴であるキリストについて語 られていると判断しました。                       はな 04363/04383 PAG03134 はな χとπ (3) (14) 96/09/29 03:43 04354へのコメント コメント数:1  PとXでキリスト。 「χ(カイ)なる者はオズマの、π(パイ)なる者はシグマの夢を夫々見る」  アリオンのメッセージでは、      1)χなる者      2)πなる者 と、明らかに2者を区別しています。PとXでキリストかと思いきや、 PとXはそれぞれ別の者であり、キリストの他にもう一名いるようです。 私は隠されたもう一人の彼を「イエス=キリスト」としてみました。つ まり、あえてイエスとキリストをπとχで区別しているのではないかと 考えました。  イエスとキリストは教会の教義では区別されています。ご存じの方も 多いと思いますが、「イエス=キリスト」が、何故中央が「=」で結ば れているかと言いますと、人の子イエスは神の子キリストと同一である とみなしているからです。イエス=キリストは山田太郎を「山田=太郎」 と姓と名に分解したかのような意味ではありません。  馬小屋で生まれた「人」としてのイエスは、十字架に掲げられ磔刑に 処され死亡する時点で終結します。そして、イエスの遺体は死語3日目 に消え、墓の周りにはイエスの亡骸は見つからなかったと伝えられてい ます。これが、いわゆるイエスの復活です。磔刑に処された後に復活し たイエスは、人類の罪をあがなう「キリスト(救世主)」とされました。 イエスが本当に復活したのか?という問いに対する答えは半ば神話化し ているものの、イエスの弟子たちはイエスが復活したと信じていました し、初代教会でもイエスの復活が信じられていたのは歴史的な事実です。  ともあれ、本稿ではイエスの復活が実話だったかは問題にせず、あく まで人の子としてのイエスと、神の子としてのキリストとを区別しつつ 、それぞれをχとπに置きなぞらえてみました。  じゃぁ、χとπのどちらがイエスで、どちらがキリストなのか?  それは、χがキリストを意味しています。  クリスマスはXmasとも書かれます(なお、日本でよく見かけるX'mas と「’」を挿入するのは間違いです)。クリスマスはキリストと韻が似 ています。Xmasなのに、発音はクリスマスと読む。クリスマスの本来の 綴りは"Christmas"です。けれども、Xをクリスマスと読む理由は知りま せんでした。とりあえずキリストとクリスマスは関係が深いので「χ」は "Xmas"の頭文字「X」と同じなのではないかと結びつけ、英和辞書で "Xmas"を調べました。そしたら、なんと"Xmas"の由来は「キリストを表 すギリシャ語の頭文字がχであることから、"Christmas"をXmasと書くの だと書かれてあるではありませんか。  XmasのXはχであり、キリストを表していた。  πとχをイエスとキリストに分解するならば、消去法でπはイエスと なります。イエスがπでキリストがχ。     イエス‥‥π : キリスト‥‥χ            → π=χ とは イエス=キリスト  イエスが死に、ふたたび復活したことによって「イエス=キリスト」で あると結びつけられた。だからこそ、PとXが重ね合わされた記号はイエ スとキリストが同一であるという意味であり、イエス=キリストを表して いるのではないかと考えてみました。                       はな 04366/04383 HQK00566 SOUND RE:χとπ (3) (14) 96/09/29 14:57 04363へのコメント #4363はなさん、こんにちは(^^)。 >> >>    イエス‥‥π : キリスト‥‥χ >> >>           → π=χ とは イエス=キリスト >> >> イエスが死に、ふたたび復活したことによって「イエス=キリスト」で >>あると結びつけられた。だからこそ、PとXが重ね合わされた記号はイエ >>スとキリストが同一であるという意味であり、イエス=キリストを表して >>いるのではないかと考えてみました。 >>    見事ですね(^^)// ハクシュハクシュ ぼくにはχとπの違いが解けませんでした。 カイがχでXであり、キリストであり、ホルスであり、饒速日尊であり、 とどうどう巡りを繰り返し、 χとπの関係がつながらず苦しんでいました。 まさか、人であるイエスと神であるキリストを分けるという発想には及びつきませんで した。 π(パイ)は確かにぼくの眼には人の姿に見えます。 χが地上に降りて歩いた姿がπであり、人の文字なんでしょうね。 どうも、すばらしい考察ありがとうございました。 少し、眼が見えたような気がします。 それでは HAVE A NICE DAY! ** HQK00566/SOUND ** 04375/04383 PAG03134 はな χとπ (4) (14) 96/10/01 07:46 04354へのコメント  χはキリストを表していることから、その他のハローについてもいくつ かの解釈が可能になります。 たとえば、1995年4月のハローメッセージ。 「04/12 憤怒のχ、金剛夜叉力為し給わん。国津御祖(ミオヤ)共に戦わん。」  ここに登場する「憤怒のχ」は「憤怒のキリスト」と読めます。キリス トと共に国津御祖が戦う。西欧ではメジャーな神とされるキリストが、実 は国津御祖と戦う。つまり、私たちの国をお創りになった国祖神とともに 戦うというのです。  キリストと国津御祖の取り合わせを、私は別に奇妙とは感じません。私 はイエス=キリストはアジア系だったのではないかと考えているからです。 一輝さんが執筆され、データライブラリに登録してある「AMA族の系譜」 には、キリストが描かれた肖像画には、肌が茶褐色(でしたか)だったと 書かれています。映画マルコムXで話題になったように「キリストが白人 であるという証拠はない」に問題提起されるように、イエスは白人ではな く、アジア系だったにもかかわらず、後に「キリストは白人である」とね つ造されてしまった可能性が非常に高いのです。  ヨハネやとか、パウロだとか、イエスの側近だった人たちも、絵画や彫 刻では白人とされている芸術が多く残されています。これは「イエス=キ リストは白人である。その他の信徒も白人であった」と情報がねつ造され た後に創られたのではないでしょうか。  イエスが茶褐色の肌をしたアジア系の人物であるならば、イエス=キリ ストはなにも白人優位の社会を支える神ではありません。日本は確かにキ リスト教にはなじみの薄い人々が多く住む国ですが、イエスが説いている 話は西欧の専売特許ではないはずです。ですから、別に憤怒しているキリ ストと国津御祖が共に戦おうと手を組んでも、何ら不思議はないと私は感 じています。                       はな 04378/04383 PAG03134 はな χとπ (5) (14) 96/10/03 20:18 04354へのコメント  χをキリストとした内容とは別に、今度はχがもっている図形的な側面 から何か見つからないかと考えました。  χは未知数としてよく数学の方程式などに用いられます。以前NORI さんがχやπやシグマがでてきたときに、数学的な記号の意味を紹介して くださったように、χは未知数でもあります。  今回の内容は直接χが未知数とは関係ありません。ただ、学生時代に方 程式の解を求めるときに、幾度となくχをノートに書きました。(χから 解を求め、ノートに解を書いた。なんて洒落てる場合ではないかこーいう こと言うと、「しょーもないこと言っとるなぁ」と知人からボコボコにさ れるしなぁ)  ノートに書かれた文字をみると、こんな風でした。     |\     /     | \   /        \ /         X        / \         /   \ |      /     \|  よく見ると「χ」は「卍」の一部分と「十」の一部分を重ねてできてい ます。    ̄ ̄|     |     |     と   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  から 「χ」 が生まれる     |       ̄ ̄  (卍の一部)     (十字の一部)  ちなみに、χを作るために卍と十字のうち、それぞれ1つのパーツしか 用いませんでしたが、表と裏のχがあると考えれば、卍と十字から2つの χがうまれるので、それぞれを表と裏のχとあてはめられます。 「卍と十字」のところで解読しましたように、卍は肉を、十字は霊を示し ていました。そして卍と十字からそれぞれ上昇三角(△)と下降三角(▽) が生まれ、双方の調和が保てたときに正八面体が組み立てられると書きま した。  正八面体が立体で卍と十字の合成ならば、平面上での卍と十字の合成は 「χ」に集約されるのではないか。χは霊と肉の調和が保てた状態であれ ば、たとえばアリオンによる「χは1であり、1はスメラミコトの数字で もある」というヒントから、スメラミコトは霊と肉の調和が保てた「生き 神さま」つまり、アラヒトカミに通じます。                       はな 04380/04383 PAG03134 はな χとπ (6) (14) 96/10/06 17:44 04354へのコメント コメント数:1  1) χ(カイ)なる者はオズマの、π(パイ)なる者はシグマの夢を夫々見る  2) χ(カイ)なる者はΣ(シグマ)を従え、α(アルファ)とΩ(オメガ)を統合す…  この二つのハローをみておもしろい点があります。それは、1)のハロ ーではπなる者がシグマの夢をみるという「π‥‥シグマ」の関係があ るのに対し、2)のハローではχなる者はΣ(シグマ)を従え、と、「χ‥‥ シグマ」の関係になっているからです。  もう少し詳しく両者の関係を捉えてみます。まずは二つの文章を並列 に並べてみます。 1)' π(パイ)なる者はシグマの夢をみる 2)' χ(カイ)なる者はΣ(シグマ)を従える  それぞれ1'(=1ダッシュ)と2'(=2ダッシュ)としてみますと、1)'では、πなる 者はシグマの夢を見ています。シグマの夢を見ているのであり、手に届 かない存在として表現されています。たとえば神霊界と人間界のように 「界」が異なるというように捉えれば、シグマの夢をみているπなる者と シグマなる存在は「界」が異なる位置に存しています。一方、2)'をみる と、χなる者はΣ(シグマ)を従えているのですから、これは同じ「界」に 存していると分かります。 <ハローメッセージ 1) と 2) の関係>     シグマ−−−−−−χなる者に従えられている      :       (言い換えれば「χなる者の従者」)      :      :      : −−−−−:「πは夢をみる」−−−−−(ここで界が変わっている)−−      :      :      :     πなる者  ここで、χはキリスト、πはイエスを思い出すと、χは神界に存在す る神の子キリストであり、πは磔(はりつけ)にされる前の「人として」 のイエスでした。ですから、χなる者、つまりキリストに従えられてい るシグマを神界、πなるイエスを人界として、さらに上図に書き加えて いきます。 <ハローメッセージ 1) と 2) の関係(2)>     シグマ−−−−−−【キリスト】に従えられている      :       (言い換えれば【キリスト】の従者)      :      :      :        【 神  界 】(アストラル界?)      :           ↑      :           ↑ −−−−−:−−−(ここで界が変わっている)−−−−      :           ↓      :           ↓      :        【 人  界 】      :     πなる者 (=イエス)  もう一度大切な点を述べますと、πなる者はシグマの夢をみるのです から、πなる者にとってシグマは「手に届く位置にいない存在」なわけ です。それに対してシグマはχに従えられていますから、手の届く位置 にいる、もしくは同じ「界」にいることになります。                       はな 04381/04383 GBG02043 維/YUI 花嫁は誰だ (14) 96/10/07 01:17 04380へのコメント SOUNDさんとはなさんが、連載もの書いているんで、ちょっと書かないでいたんですが、 たまたま勉強で読んでいた本に、キリストと花嫁のくだり(黙示録のやつ等)のことが 出ていて、改めて、”そういえば「子羊の花嫁は汚れのない麻布の衣を着ることを 許された」という文があり、それについて以前話が出たな”と思い起こしていました。 でね、花嫁って誰(何)なのかって話は、あまり言及されていた記憶がないんですよね。 誰か心当たりあるでしょうか? 私の読んだ本では、一般的に「花嫁」は「キリストの意思をつぐ聖徒達による教会」 を指すらしいんですけどね。 私はいろいろ考えた結果、キリストの伝えた天の意思に叶う行動をするもの達が 集う場…ってことかなって思いました。 教会っていう特定の建物では限定されすぎ のような気がして。 どこかで、正しい行いをする人の体を教会とも呼ぶっていう ようなことが書いてあったし…。 黙示録を読んでいると、女は大地や街を表しているような気もするのだけど。 なんか知っている人います?? 維/YUI 04355/04383 GHD00256 七穂 彗星の話で連想したこと (14) 96/09/26 03:46 コメント数:2    #4337の彗星と太陽系の新陳代謝の話を読んで、何か気の遠くなる話  だなぁと思いましたが、  黄金太陽の出てくる(7)92/5/7のARIONより心ある者たちへ、の >>              **** >> そして幾星霜の年月が流れ、再び真空の空に風が起き、  >> 胎児はあなたがたの手の中に戻った。    の、幾星霜の年月が流れ、・・というのがだぶって見えて、  ここに出てくる、真空の空に風が起きるというのは、  なんだかこの宇宙を流れる彗星のこともあらわしているのかなぁ  とも思えました。  光の黙示録の21にも出てますね。 >> 真空の空に風が起こり >> 胎児は 再び私達の手の中に    真空の空に起こる風と胎児がセットになっているなら、胎児は  なんだろう?とちょっと思ったりして・・・    部分的に見ると、 >> 蟹星の夜に降りる星、 >> 朱き星の地からの裏に、こっそりと降りる星、 >> これが 私達の * の星 (*は米チョボなのだけど^^;) >> これが 私達の暁の星 >> 真空の空に風が起こり >> 胎児は 再び私達の手の中に  と光の黙示録の方にはあって、  黄金太陽の方には >>             ***** >>  >> 私は、まことにあなたがたに言おう。 >> あなたがたの夢は、あなたがたの手の中にあると。  とあって、なんだか 胎児=あなたがたの夢(手の中にある)  みたいで、また 胎児=こっそりと降りる星 のような感じもして、  少し前のハローメッセージに出てきた、あなたがたの見たいもの  が見えるという(同時に見たくないものでもあるとあったけど)  輝く星みたいな感じもして・・(^^;)結局よくわからないのだけれど、  そういうことをつらつらと連想しました。と、これだけなのですが。                     GHD00256/ 七穂 04356/04383 GHD00256 七穂 RE:彗星の話で連想したこと (14) 96/09/26 03:52 04355へのコメント すいません。 >> 朱き星の力の裏に   でした。 04377/04383 PAG03134 はな RE:彗星の話で連想したこと (14) 96/10/02 08:15 04355へのコメント 七穂 さん  こんにちわ。お久しぶりです。  さてさて、mes#02186 タイムスタンプ「94/07/16 22:25」に、アリオン 情報としてシューメーカー・レビー彗星の衝突について、アラミスさんが 発言してくださっています。  「響きは彼方から、合図は光と共に…戦いは、これからなのだ…」  このメッセージは、94年7月17日以降次々起こる彗星の衝突を示して おり、彗星衝突が、封印を解かれた「鬼」たちが活動を顕在化させ「まつろ わぬ者」として「鬼」として封印されてきた「力」が復権されるという合図 になることを意味しているといいます。  光の黙示録にでてくる「真空の空に風が起こる時、蟹星の赤い夢が敗れる。」 の真空の空に風が起こるのは、シューメーカー・レビー彗星が宇宙間を進ん でいる様子をあらわしています。  米印はシューメーカー・レビー彗星のことを言っているようですよ。  でも、この他にも多くの意味を持っていそうです。なんたって、アリオン の預言はダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングがあると聞きますから。                       はな 04359/04383 JCF02051 めのう 古い話で恐縮ですが(^_^; (14) 96/09/26 20:58 コメント数:2  どうも、ご無沙汰しておりますm(_ _)m   もう半年も前になりますが、はなさんがゴールデンドーン・タロットの話を されてましたよね。 で、最近FFORTUNEにその画像データが登録されたのでご紹介します。 ---> FFORTUNE LIB 9 #138-144 GoldenDawn黄金の暁 秘密結社・黄金の暁会という響きとはうらはらに、なんかホンワカした感じ の絵柄です。(残念ながら私のシュミぢゃないのよねぇ(^x^;)                         ◆◆ めのう ◆◆ 04360/04383 PAG03134 はな RE:古い話で恐縮ですが(^_^; (14) 96/09/26 23:32 04359へのコメント めのう さん  フォローありがとうございました。FFORTUNEには、そのほかのタロット カードの画像が登録されているので、興味のある方はそちらもご覧になら れてはいかがでしょうか。                       はな 04364/04383 PAG03134 はな ほんわかしたタロット (14) 96/09/29 11:02 04359へのコメント コメント数:1 めのう さん >> 秘密結社・黄金の暁会という響きとはうらはらに、なんかホンワカした感じ  わたしの好きな図案のタロットに「アクエリアンタロット」があります。 このタロットは、私にはほんわかしたデザインだという印象があります。 アクエリアンタロットを図案している人は、シャンプーやコロンなどの図 案をデザインしている、米国では売れっ子イラストレーターだそうです。 彼の名前が誰かは、誰が図案していたか忘れてしまいました。                       はな 04376/04383 JCF02051 めのう RE:ほんわかしたタロット (14) 96/10/01 23:19 04364へのコメント  #4364 はなさん アクエリアンの作者はデビッド・パラディーニという人でしたっけ。 淡く渋い色調で落ち着いた印象のカードだな〜と思ってましたが、はなさん の感じではこういうのがほんわか系なのですね。なるほどー。 アクエリアンとは別物で「パラディーニ・タロット」というデッキと解説本 のセットが本屋にありました。 中身までは見れませんでしたが、ケースの絵からするとやはりアクエリアン に似た感じのようでした。 (同じ人が描いているんだから当たり前か(^^;) アクエリアンもまたちょっとシュミぢゃなくて買うのを断念した私(^^;                         ◆◆ めのう ◆◆ 04383/04383 SGQ02661 龍 日本人の祖先に白人 (14) 96/10/07 23:11 ちょっと気になった情報があったので掲載します。 >日本人の祖先にはヨーロッパ系の白人集団が混血している可能性が高いことが >東京大学の研究グループの分析で分かった。親から子にしか受け継がれないウ >イルスの遺伝子を解析したところ、東北地方では欧州の白人にしかみられない >遺伝子が多く見つかった。白人の集団が移住して住み着いたことが考えられる >という。日本人の起源を解明する新たな手がかりとなる。 > 解明したのは東大医科学研究所の余郷嘉明助教授と東大医学部の北村唯一助 >教授ら。ほとんどの人が体内に持っている「JCウイルス」に着目してルーツ >探しを試みた。このウイルスは普通のウイルスのように他人に感染することな >く、親から子にだけ感染して代々受け継がれるのが特徴なので、その系統から >由来を探った。 > 研究グループは世界各国から尿を集め、尿の中に含まれるJCウイルスの遺 >伝子を解析した。その結果、世界中のウイルスは大きく12の系統に分けられ >ることが分かった。 > このうち日本人にみられるのは四系統。北日本では、朝鮮半島に多いMY型 >が多く、西日本には朝鮮半島から中国の中部、北部にみられるCY型が多かっ >た。沖縄や鹿児島では東南アジアのSC型もみられた。 > 一方、秋田や弘前、五所川原など東北の日本海側では、アジア諸国ではほと >んどみられないEU型を持つ人が1-2割いることがわかった。 > EU型はヨーロッパやトルコなどに特有の系統で、白人を含む集団が東北地 >方に移住して混血したことが考えられるという。 >(日本経済新聞1996年10月7日科学技術欄15面より掲載) 色々、話題になる東北地方でこのような事実があるとは意外でした。 PS.これはどの会議室にアップしてよいかわからずここにアップしました。    どこか適当な会議室があったら移動してもらっても結構です。    SGQ02661 龍 で し た! - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/10/08 - 01110/01117 QZY01267 猫の手 第四ダッシュの方法 (19) 96/10/01 06:42 01109へのコメント コメント数:1  ウーン、不安になってきたなー。  第四ダッシュの方法なんてあるのかなー?  結局そんな方法なんてなくって、賞罰をうまく使い分けて行くしかないのか な?  実はね、その第四ダッシュの方法と、これまで上げてきた叱る、放任する、 甘やかす、という方法と、大きな違いがあるんだなー。そのことを理解してい れば、その方法は使いやすいんだよね。  さて何だろう?   でもそのことに思い至るには、多くの人の思い込みによる敷居を低くしてあ げなければならないかもしれないね。  まず、二つの誉めるということの違いを研究してみよう。    例題1-1  奥さん   どう、今日はちょっと頑張って料理を作ってみたのよ。 ご主人1  ワー、今日はごちそうだね。       おまえだってやろうと思えばできるじゃないか。       偉いね、大したもんだよ。         こう言われて奥さんはどう感じるだろう。  明日もごちそうを作ってご主人を待って居ようと思うかな?     例題1-2  奥さん   どう、今日はちょっと頑張って料理を作ってみたのよ。 ご主人2   ワー、今日はごちそうだね。       ウーン、とっても美味しそうだ。       こんな手の込んだことして貰えて嬉しいな。                    なんか、わざとらしいって? とは言ってもこう言われて悪い気にはならな いね。で、もしかしたら明日も腕を振るってみようという気になるかもしれな いね。1-1と1-2の違いって何だろう?  どっちも一般的に「ほめる」という言葉を使っているね。  でも明らかに違うと思わない? そしてけっこう、子どもには1-1の方の 誉め方をしている人多いのと違うかな?  例えば、  例題2-1 子ども   今日学校の算数のテストで90点とることできたよ。 お母さん  そう、よくやったわね。       おまえもやればできるじゃない。       今度も頑張ってね。         子供との間だと、何の変哲もない普通の会話のように見えちゃうね。  いやむしろ、こういう風に誉めることが必要だと思っている人の方が多いの じゃないかしら?  もしこれを例題1-2と同じような雰囲気で語ってみたらどうなるのかやっ てみようかな?          たぶん、私ならこうなるね。    例題2-2 子ども   今日学校の算数のテストで90点とることできたよ。 お母さん  そう、頑張ったんだね。       大分力入れて勉強したの?        子ども   うん、こことここをこうやって考えてやってみたんだ。 お母さん  そう、お母さんはあなたが一生懸命勉強してくれるんで嬉しいわ。  どうでしょう?  やっぱりどっちも「ほめる」という言葉を使うと思うけど、ちょっと違うの が分かるよね。  これに対しては、子どもの行動の目的がどこに行くかを見てみれば分かりや すいと思うんだ。    例題2-1の方は、次回も誉められたいと思って勉強することになるのかな? で、例題2-2の方はお母さんにまた喜んでもらいたいと思って勉強すること になるのではないかという気がするな。この違いってささいなようで大きいよ うな気がするけれどどうでしょう?     ちなみにスパルタ式ならば、    例題2-3 子ども   今日学校の算数のテストで90点とることできたよ。 お母さん  そう、あと、10点取りそこなっちゃったのね。       いったいどこを間違えちゃったの?         たぶんこういう言葉を掛けられた子どもは次回100点取れない限りお母さ んにテストの結果は見せたいと思わないでしょうね。  で、怖いのは、お母さんの期待に答えることができないと思うようになって いったときですね。親の期待に答えられないと思うようになった子どもはどこ に向かっていくか想像してみるのも良いかもしれません。  でもね、不思議なことに人はそういうことが想像できるのに、目の前に展開 される自分と誰かの関係に対してはそれを想像することが難しくなっちゃうん だよね。どうしてでしょうね。  で、放任派のお母さんなら、そう、というだけで終わっちゃうのかな。そう いう子はよほど自分で好きでやっていない限り興味の示されない算数はやらな くなっちゃうだろうね。  お母さんが手の込んだ料理をしなくなるのと同様に。  そして、更に、2-1と2-2の違いはその次のテストの結果が50点だった りしたらてきめんに出てくるね。  例題2-1' 子ども   今度のテストは50点になっちゃった。 お母さん  そう、お母さんも残念だわ。       いったいどうしちゃったのおまえは、       あんなにできていたのに・・・。    子どもの方はただでさえ落ち込んでいるのに益々落ち込んでいきそうですね。 お母さんからこういう反応が返ってくることを予測している子どもは、テスト の点が悪いときにはそれを明かさないようになっていくことになるということ も予想がつくね。つまりはスパルタ式とやっぱり同じ方向に向かっていってし まうのかな?  で、2-2の場合はどんな展開になるでしょう。    例題2-2' 子ども   今度のテストは50点になっちゃった。 お母さん  そう、頑張って勉強したのに残念だったわね。        子ども   うん、でも軽いと思って手を抜いちゃったのがいけなかったかな? お母さん  そう、じゃあ今度はもうちょっと頑張ってみると良いかもしれないね。  どうもこれだと、手を抜いたことも正直にお母さんにばらすことができてし まいそうですね。  どうですか? 第四ダッシュの方法と、他の方法の違い分かって貰えるかな?  要するに、私が語りたい第四ダッシュの方法と他の方法の違いは、 対等な関係か、上下関係かというところなんだけど・・・。  そのことを理解して貰えると嬉しいな。  対等な関係がどういうことを生み、上下の関係がどういうことを生むのかそ れをじっくり考えて貰えれば、見えてくることが沢山あると思っているよ。  私がこの会議室で語ったほとんど総てのことが、私が口を挟んだ総てのこと が、対等な関係を無視していることを嘆いているってことが分かって貰えるよ うな気がするよ。たとえそれが犬だとしても、人の方が偉いと思っている限り、 対等なコミュニケーションは成り立たないものね。  そう、赤ちゃんも、犬も、猫も、他の総ての生命が宇宙人として、人間と対 等な存在だってこと理解して貰えると嬉しいな。  もっとも、人間同士でさえ対等になり得ないのに、他の生物との対等性を考 えるなんてこととっても無理なことかもしれないね。    まずは、人間同士の中で、相手より自分が物事を知っていようとも、力があ ろうとも、権力を持っていたにしても、何らかの権限を持っていたにしろ、そ れを手放して対等な立場に降りてきたときに初めてより良い関係が育っていく ということに気づいて欲しいと思うんだ。  たぶんこれを2500年前の仏陀さんの時代に仏陀さんがいくら語っても、2000 年前のキリストさんの時代にキリストさんがいくら語っても、このような論理 的思考ができる人々があまりに少なくて、どうしようもなかったんだろうと思 うんだ。  今でさえ、信じてきたこととの間にギャップがありすぎて、受け取れない人 たちが多いのに、たぶん、百年前だってとっても難しかったんじゃないかと思 うんだ。  でもようやくこの世紀末にして、その論理性を冷静に見つめて、やっていく ことができるようになってきているんじゃないかと思うんだ。  たぶんね。このことを知ったからといって、過去の習慣となっているものを 変えて行くには時間がかかるだろうけれど、お互いに支え合ってやって行くな らば、意外に簡単にできるようになっていくかもしれないなと思っているよ。  私自身がこのフォーラムで浮いてしまっているのもネ。十分なほどの勇気く じきをしているからだとは感じているよ。でも慌てずゆっくりと、ゆっくりと、 関係をつくっていきたいと思っているよ。  ン??、ちょっとこういうことを語るのは早すぎた?   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<09/30 19:38> ** 01111/01117 QZY01267 猫の手 勇気づけ (19) 96/10/01 13:57 01110へのコメント コメント数:1  どんな育児書を読んでも「ほめる」ということが必要だと唱っているけれど、 どうも二種類のほめ方があるらしいことが見えてきたと思います。私は第四ダ ッシュのほめ方を「勇気づけ」と呼び、それ以外の「誉める」という言葉と分 けて使いたいと思います。  あるところで、「勇気づけ」と「誉める」ことの違いについて話していたら、 どうもそれはうまくないんじゃないかという話しになりました。何がどううま くないかというと、「誉めるのを止めて勇気づけをしましょう。」と言ったと き、どういうことが起こるかということからでした。どうもほとんどの人たち が二種類の「ほめる」ということを混乱させていて、誉めるのを止めなきゃい けないと思うと、今まで自然にしていた勇気づけまで止めてしまうということ が起こってしまうということでした。  そう言われてみれば確かにそうなんですよね。  私のようにさんざ、その違いを学習してきた者ならばいざ知らず、一般的に は肯定的部分へのアプローチは総て「ほめる」という言葉で一括されているよ うですから、勇気づけという考え方になじんでいない人に、それを分けろと言 うのは難しいみたいですね。  そんなわけでそこでは「勇気づけになるような『ほめ方』をしよう。」とい う言い方をした方が受け取ってもらい安く、早く勇気づけになじむようになる という話しになりました。一応私は言葉としては厳格にその違いを分けたいと 思うけど、目的に対する使い方というところでそれはうまいやり方だと思って います。  そこで私は勇気づけを第五の方法とは言わず、第四ダッシュという言い方を 使ってみました。そしてここでは、勇気づけにならない「ほめる」は「誉める」 と表すことにしました。  そんな風に考えると、頭から、「しつけは不要だ。」と言うよりも、「勇気 づけになるようなしつけをしよう。」と言った方が通りが良いのかも知れませ んでしたね。でも私の中ではどうしても、「しつける」という動詞の中に上下 関係を感じてしまい、「勘弁して!」という想いが浮かんで来るんですよね。     これは私の心の傷です。         勇気づけたときのその後の子どもの行動の動機と、誉めたときのその後の子 どもの行動の動機に違いが出てくるのが少し分かって貰えたのではないかと思 います。単純な見方をすれば、「誉められたい。」と思ったら、自分の利益に 向かっていく方向で、「喜ばれたい。」と思ったら他人の利益に向かっていく 方向だと思ってくれても良いかも知れません。  明らかにこの方法は、他人の役に立つようになりなさいなんてお説教するよ りも効力があると私は思っています。    ここでもう少し、勇気づけってどんなものなのか考えてみたいと思います。    よく巷で採られている勇気を湧かせる方法としてこんなのがありますね。    例 1 猫の手  頑張れ! 頑張れ! 頑張りなさい!      頑張れば、あなただって勇気づけができるようになりますから      頑張って勉強してみて下さい。       友人   でも、どうも私は素質がないのかなー?        猫の手  いやそんなことはないですよ。      頑張って日々やってみることですよ。       友人   でもー。ねー。  で、この友人は私の期待通りに頑張って勇気づけを学んでくれると思います か? なかなかきわどいところですね。時によっては頑張ってやってみようと 思う気になる方もあるかも知れないですけれど、自分のやることに自信を持て ないで来た人は、そのまま崩れ去っていくイメージが浮かんでしまいます。  もしかしたら、こちらとしては支えているようなつもりでいても、相手にと っては突き放されていくように感じているのかも知れません。どうも、勇気づ けと、励まし、激励とは違うみたいですね。  勇気づけの基本にあるのは相手の自発性です。自発的に喜んでもらいたい。 役に立ちたい。頑張ろう。という気持ちを沸き上がらせるようなアプローチを 「勇気づけ」と考えたいと思います。  そこで基本となるのは、相手のしてくれたことに対して「嬉しいという気持 ちを相手が受け取ってくれるように表現する。」ということです。一言で言え ば『感謝』ですね。「自分のした行動が人の役に立っていて喜ばれているんだ。」 と思えたら、きっとその人は更にそれを一生懸命やろうと思うようになるだろ うという気がします。逆に、誰もそのことに無関心であることを感じればやる 気は次第に失せて行くでしょうし、更にそれに対して批判されたら、そんなこ とに手を出す気がなくなってしまうんじゃないのかな? もっとも、批判され、 厭がられれば厭がられるほどに喜んでそれをする場合も多いみたいですけどね。  次の大切な要素としては『共感』があります。    例 2-1   部下   ある企画書について課長と言い争ってしょぼくれて席に戻ってきた。 主任   やあえらい目に遭っちゃったね。気の毒に・・・。      大変だったね。      むかっ腹立ったろう。かわいそうに・・・。  アレ? なんか変だね。何かこれって#1110の例題2-1' に似た感じがあ るね。これだと、益々落ち込んで立ち直れなくなりそうな気がするね。できれ ばこういうのは共感とは言いたくないね。言うとすれば『同情』という言葉が 適切そうですね。  例 2-2   部下   ある企画書について課長と言い争ってしょぼくれて席に戻ってきた。 主任   君の企画は課長に認めて貰えなかったんだね。残念だったね。       もし私に相談したいことや、手伝えることがあったら相談してね。      可能な限り相談に乗るから。  さて、これだとどうだろう? これだとあとでこの主任に相談してみようと いう気になるかも知れないね。  2-1と2-2の違いってなんだろう? どうも2-1だと目上の者が目下の 者を哀れに思っているというという感じがありますね。2-2になると自分の 残念だったという気持ちが通じていると感じると共に次のステップに向かう何 かを与えてもらっている気がしませんか。この辺が同情と共感の違いかも知れ ないと思うのですが。  では、もう一つ例を、    例 2-3   部下   ある企画書について課長と言い争ってしょぼくれて席に戻ってきた。 主任   君の案はすごく良いのに課長は分かってないんだよ。      あの課長は頑固で保守的で、分からず屋でどうしようもないね。      いくら良い提案をしたってことなかれ主義でどうにもならないさ。  どうですか? 結構こうやって近づいてきてくれる人、身近に多かったりし ませんか? で、この後は二人で課長の愚痴を言い合いながら赤提灯へ、とい うスタイルになりそうですね。  一見、とてもお互いに共感し合っているような気がするけれど、何かが欠如 している感じがしますね。  というところで別の例を、  例 3-1   奥さん1 私、どうも猫の手さん苦手だわ。   奥さん2 そう、実は私も猫の手さん厭なのよ。      いつも煮えきらないし、勝手なことばかり言っていて。      それに引き替え、奥さんはとても気安く私の話に乗ってくれて、      猫の手さんの話を聞いていると疲れちゃうけど、      奥さんと話していると楽しいわ。      これからも友だちでいてね。  奥さん1 アーラ。そんなこと言っていただいて嬉しいわ。  2-3と3-1は似た感じですね。いったいどこが共通しているんでしょう?  端的に言えば、共通の敵を持つ者同士は同胞という感じかな?  でも世の中ではこうやって仲が良くなる人たちって多いと思いませんか?  確かにお互いに共感し合ってはいるけれど、共通の敵が居なくなってしまった ら、いつこの二人の間も仲違いするか分からないようなイメージが私にはあり ますが、どうでしょう?  では、こんなだったらどうですか?  例 3-2   奥さん1 私、どうも猫の手さん苦手だわ。   奥さん2 そうね、猫の手さんってちょっと変わったところあるわね。      私も猫の手さんが苦手だったりするけれど、      じっくり話を聞いていると、私にない視点を持っていたりして      考えさせられることもあるわ。       奥さん1 そうですかー? 今度、もう少し話してみようかしら。  どうでしょう、これだと猫の手さんを共通の敵として相手に取り入らなくて も良さそうですね。でも、次のような場合にはなかなか大変なんですよね。い つも私はこういう場面で苦慮して居るんですよね。  例 4-1 母親   ダメじゃないアキラ! 何度言ったら分かるの。      もういい加減にしなさい。       友だち  あら、お母さん大変ですわね。      子どもをしつけるのって難しいですね。          母親   そうなのよ。      もうアキラったら駄々をこねだしたらどうしようもないのよ。    どうもこれだと、お母さんに取り入ってアキラちゃんとの関係を無視してい る感じがしますね。では,こうだったらどうでしょう。  例 4-2 母親   ダメじゃないアキラ! 何度言ったら分かるの。      もういい加減にしなさい。       友だち  アラー、ダメよ奥さん、そんな叱り方しちゃ。      そんな風に叱っちゃったら子どもが益々いじけちゃって、      手が付けられなくなっていくわよ。 母親   なによ、他人がそんなことに口を出さないでよ。  こんな言い方をしたらこんな返事が返ってきそうですね。私は常々こうはな らないように気をつけようとは思っていても、結果的にこうなってしまうこと が多いみたいです。それはまだ私が癒されていない部分が多いからなんだと思 わざるを得ないのかも知れません。  じゃあどうなるのが理想なんだろう?  この場合はお母さんだけど、その他に権限を持って自分の正しさを振り回し ている人にそれを一旦脇に置けませんか? とは言ってみてもほとんど通じな いですね。せいぜい私ができることはこんなことぐらいです。  例 4-3 母親   ダメじゃないアキラ! 何度言ったら分かるの。      もういい加減にしなさい。       友だち  アラー、アキラちゃん何をしたの?      何かお母さんの怒りたくなるようなことしちゃったの? 母親   もうアキラったらダダをこねだしたらどうしようもないんだから。 友だち  ああ、そう、      ところでアキラちゃん、      アキラちゃんはお母さんに何かしてもらいたいの?  これでうまく行くかどうかは私にも分かりません。  ただこれによりお母さんの視点が、自分の正しさからアキラちゃんのそれを している目的に移ったなら、より良い関係に至る入り口になるんだけどなー。 と思えるぐらいです。  もっとうまいやり方があったら私も教えていただきたいと思っています。  例、2-2.3-2.4-3において私は、その人の誰かを責めている部分に関 してだけは共感していません。もしそれをしたらそれは同情になってしまうの ではないかという気が私にはしています。どうも私の性質としては同情するよ りは、4-2のように諭す側に回ってしまうみたいですね。  どうですか? 同情してあげる方が、諭すよりは相手との関係を維持してい る分だけまだましなんでしょうか?  このフォーラムの中でも、大分、私はこういうことをやってきましたが、ず うっと自分の力不足を感じ続けています。  でき得るならば、権限とか、強みとかいうものを振り回すことでお互いの関 係の中でどんな効果があるのか生きている人々一人一人に改めて見直してもら えたら、21世紀に対して私も希望がもてるのですけれど・・・。  それをこのフォーラムから始めることはできないものかしら?      アラ?  また諭しちゃったかしら?   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<10/01 12:11> ** 01114/01117 QZY01267 猫の手 罪悪感 (19) 96/10/06 10:17 01111へのコメント  あるところにこんな本の紹介があった。「人間の顔は猿よりこわいー高校生 創作名言633選ー」(K.K.ベストセラーズ)その中のいくつもの面白い名言 の中にこんなものがあった。「信じるものは救われない。ただ利用されるだけ だ。」これを読んで私はオーム真理教事件を思い出した。多くの人々がオーム 真理教を糾弾するけれど、その多くの人があることを信じ込み、自分自身が染 脳されていて、ある何者かに利用されているのに気づけないでいるような気が 私にはしているんだよね。いくら私が洗脳することが必要だと言ったところで 洗脳そのものがいけないことだと染脳されてしまっていて、それが脳の中にシ ミとなってこびりついてしまっているから、とても洗い落とすことができなく なってしまっているひとの方が多かったりするのかしら? と。  ある講座の帰り道、一緒になったお母さんが私に訊いてきた。「講座を受講 して、どうしたら良いか、分からなくなっちゃったわ。」と。それはどういう ことかというと。お留守番で家においてきた子どもにお土産を持って帰ろうと 思っていたけれど、もしかしたらこれはご褒美になっちゃうのかしら?という 疑問だった。  ご褒美はどうも子どもの健康な意識の成長のためにうまいやり方ではないと いうことを学んだところで、お母さんは、どうしたら良いか迷ってしまったみ たい。でも、たぶん、そういう教育効果という地点から見ていたら問題を複雑 化してしまいそうな気がしたんだ。  そこで私は、そのお母さんに訊いてみた。「もしかしたら、そのお土産を持 って帰ろうと思ったのは罪悪感からですか?」って。  一瞬、お母さん、声を詰まらせた後、「そうかも知れないです。」と言って くれた。  そこで更に私は訊いた。「じゃあ、その罪悪感を抱かずに子どもにお土産を 渡すとしたら、どんな言い方をしますか?」  しばらく考えてから、「そうですね、素直にありがとう。と言って渡せるだ ろうと思います。」と言った。そして続けざまに「でも、それで、子どもはそ れを習慣的に欲しがるようになってしまいませんか?」と訊いてきた。  私はその後半部分には答えずに、「じゃあ、罪悪感を抱いたまま渡すとした らどういう言い方になると思いますか?」と訊いてみた。  けれど、今度はなかなか答えが返ってこなかった。そこで、私は言ってみた。 「子どもへの教育的効果をどうするかということよりも、私には罪悪感をどう 処理するかということの方が差し迫った問題のような気がするのですが・・・。」  ここまで読んであなたはどう思いましたか?  私はまず、教育効果より、自分の感情処理の方を先に考えたいと思う。感情 は多くの場合目的を持っているから、いくら崇高な教育の目標を持っていても、 感情が沸き上がってしまったら、人って不思議なことに感情の目的の方が優先 されてしまうんだよね。だから、先に自分の感情処理の方を優先的にやってお かないと、相手に適切な教育効果を施すことは難しいと思うんだ。  罪悪感というのは、「相手に悪いことをした。」とか、「相手に負担を掛け た。」というときに沸き上がってくる感覚だよね。別にこれは良いとか悪いと かいうものではないよね。どちらかというと、私はそういう感覚を抱くのは健 全だと思うんだ。では、それを隠そうとするのはどういうところから来るんだ と思う? 隠すことでどんなメリットがあるだろう?  もしかしたらそれって、子どもができの悪いテストを隠すのと近いところに 根があるかも知れないね。「相手との間にどういう関係を持っていたいのか?」 そういう自問自答が必要かも知れないね。要するに、相手より自分を上の立場 に置いていることが大切なのか、どうかということ。  自分自身に自信のある人は表面的に相手との力関係が自分の方が弱くなった としても本質的に相手と対等と感じているから、罪悪感を抱いたことを隠そう とすることはあまりしないような気がするんだな。  隠すのは「相手がそれを責める。」という場合が想定されているんじゃない のかしら? 実際に相手が責めるか責めないかは分からないけど、相手に責め られたとしたらあまり心地良くはないからね。  ところが、人ってどうも罪悪感を抱いたまま平気ではいられないようにでき ているみたいですね。で、観察しているとどういうことをするかと言うと、別 の形でそれを表現するんだよね。たぶん、心の中でバランスを必要としている のじゃないかと思うんだ。  そして、本当に相手が望んでいたことと違ったご褒美とか、お礼という形に なって出ていくのじゃないかしら? でも本当のところ、相手の不満も、自分 の不安も収まってはいないんだよね。で、なんかのときに、相手の不満が出て きたことに対して、「あれだけご褒美を上げておいたのに。」とか「あれだけ お礼をしておいたのに。」みたいな思いが出てくるんのじゃないのかな?  その罪悪感を罪悪感として解消したら、どうなるだろう。人の弱みに付け込 むことが好きな相手なら、その弱みに乗じ、いろいろ何かを要求してくるかも しれないね。それが相手の望みなら、償いとしてそれを満たすことも必要かも しれないけどね。それにより、罪悪感を抱くのは相手の自由だから。  精神的に健康な相手なら、いや、なんでもないさ。と言ってくれるかもしれ ないし、そのことに不満を持ってた相手なら、不満をひとしきり言った後、許 してくれるんじゃないのかな。  そうなったとき、罪悪感を抱いていた私は相手に対してどんな気持ちを抱く だろうか? たぶん、「良かった。」とか、「嬉しい」という気持ちじゃない のかな? その後の相手との関係考えたならどっちが良いのかこういう考え方 がヒントになるんじゃないかと私は思っているよ。  ここまで考えた上、お土産をどうするか? というテーマ。  あなたなら、どうします?             ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<10/06 10:09> ** 01113/01117 QZY01267 猫の手 靴の履き間違え (19) 96/10/06 10:17 01109へのコメント コメント数:1  先日、友達の小児科医の話してくれた100%靴を左右履き間違える子供と いう例を書いたけど、それを目の前で見てしまい、思わず笑ってしまった。  私とあるお母さん、そして、二才のアキラちゃんと一緒に外に出ることになっ た。で、私は玄関で前に座って、「アキラちゃん、アキラちゃんはちゃんと靴 を履けるかな?」と訊きながら玄関の縁段の前にしゃがみ込んで見ていたの。 そのときは、アキラちゃんはちゃんと左右を間違えずに履き始めたんだよね。  でも、後ろからお母さんが「アキラちゃん左右履き間違えないでね。」と声 を掛けた途端に、履きかけていた靴を脱いで、左右反対に履き始めてくれちゃ った。  このことはお母さんには言わなかったけど、今までお母さんの愛を一身に受 けていたのが、最近になってアキラちゃんには妹ができて、その王座から転落 したことからお母さんの意識を自分に向けさせるための方法として、お母さん の厭がることをしきりにしていることは、確かだと私は思ったよ。  大人の世界的な見方をすれば、今まで旦那さんと仲睦まじく愛し、愛され過 ごしてきたと思ったら、旦チャンが、もう一人の女性を「これは二番目の私の奥さ んです。二人で仲良くやって下さい。」と連れてきて、自分よりも、後から連 れてきた女性の方ばかりにやさしくしているように思えたとしたら、何を想い、 どういう行動を起こすか、と考えたら分かりやすいかもネ。実際に、アキラちゃ んもお母さんの見ている前で、妹のサクラちゃんにつねったり、ぶつけたりと いうこといを「止めなさい」と言われても何度もしていたよ。  旦那が浮気したその相手の女が憎くてしょうがないという話しとか、ずうっ と昔に離婚状態になっている奥さんからさんざん嫌がらせをされて困っている とか、聞いたことないですか?   子どもだって同じだと思って良いんじゃないの?  で、靴を履き間違えたアキラちゃんを私がどうしたかって?  私はそのままかまわず外に出たさ。左右違う方履いて歩きにくいのは本人の 問題だもの、途中転びそうになったけど、例え、転んだとしても「ホーラ見な さい。」なんてことは言わないよ。それではその事件が罰になっちゃうからね。 ただ自分で起き上がれることを見守って、それができたら嬉しさを伝えるだけ さ。本人が、靴と足がマッチしていなくて転んだと思えば止めちゃうはずだし ね。そして、しきりにお母さんの役に立っているアキラちゃんに、嬉しさを伝 えて行くだけさ。  まあ、大体ね、靴を酸っぱくして言うことなんか、役に立つことないね。相 手にはそれ自体が目的なのだから。  そういえば、このフォーラムの中にもいたナー、そう言われている人が。「 どうして?どうして?」とやたらと尋ねる子供も知ることが目的でないことは 知られていることね。  本人が、どう答えるかは別にして(まあ訊いたって、こちらが納得できるよ うな答えが返ってくるはずもないことは明らかだしね。)、相手の目的がこち らの感情にあると考え、それに乗らないで別の対処法を考えるのが一般的には 賢明だと私は思うよな。     ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<10/06 09:13> ** 01116/01117 QFH02012 アラミス ここは保育園じゃ無い (19) 96/10/07 18:21 01113へのコメント 猫の手さん初めまして、ちょいとRESです。 二才の幼児と大人を同一視する事自体、私は無茶な話しと思っていますが。 そもそもそんな恥ずかしい大人になんか成りたく無いですねぇ、ついでにそ んな二才児の大人の人とはお友達になりたいとも思いませんな(苦笑) それはさておき・・ ここに書き込みしている人って二才の幼児じゃないんだよね。 皆いい年したオ・ト・ナですよ、当然ながら相手を大人として扱って会話し ている訳だから幼児扱いしちゃ失礼ってもんでしょ。 それともあれかな?幼児大人は幼児として扱って欲しいとか? 「○○ちゃん、どうしたのかなぁー、おじちゃんに何か言いたい事あるのか なぁ?」って言われたいとか?・・・ だぁぁー、そんなアホらしい事やっていられっか!!っての(^"^;)。 ここはFHOIKUEN(保育園フォーラム)では無い(爆) でも現実にはそんな幼児大人がここに集まってくる事に結構ゼツボー感味わ っちゃったりしているのですが(乾笑) 01115/01117 MHA01114 シュメ−ル 12番から漂流してきました。 (19) 96/10/07 01:06 コメント数:1 おじゃまします。12番から流れてきました。 FARIONで、デビアス関連っていうのもなかなか刺激的です。 ところで、なんでデビアスさんとARIONさんちは対立したんだろうか、そ の辺の経緯が分かれば、HALさんに教えてほしい。それから、私もここの全 部の部屋を見ているわけでもないんですが、最近ARIONさんはどうしてる んだろうか。  宇宙の計画の主体者の件ですが、この3次元というかこの我々の肉体レベル での振動世界において高次元からの干渉というのはどのくらい可能なのだろう か。我々が、粘土細工するときに、いわば粘土はどうにでもなるといいつつ、 なかなか思うような造型ができないけれど、そういった比喩でとらえればいい のだろうか。単純に、粘土をぐしゃっと潰して、再び作り直すことは可能なん ですが、それって、粘土を自由にいじっているという実感はないです。陶芸家 が土の言葉を聞き分けるようになって、やっと粘土との一体感を感じるように なるのであって、それといわゆる自由とはずいぶん違う。我々は、今回粘土の 役割を貰ってるんで、うまく、造型できて窯に入れて、違う存在次元に移行で きるか、また、ぐちゃっとつぶされて、再び、粘土ごねからやり直すのか、み たいな、ある種煮詰まった段階にきているような雰囲気がある。で、この譬え でいえば、窯にいれるか、ぐちゃっと潰すかを判断する役割をもっている存在 があるんじゃないかとおもうんだけど、どうなんだろう。ま、窯にはいっても 破裂して完成品にならない陶磁器もある。すべてが宇宙のコンセンサスといっ ても一定の役割分担とそれぞれの裁量権があるのもこの宇宙じゃないのかな、 と思う。ただし、できつつある器のどの角度なりどの曲線なりが陶芸家の意思 決定に影響を与えるのかは、実は、その陶芸家自身が明確に意識化できるわけ でもないというのが陶芸家の実態なんで、陶芸家の意思決定を左右しているの は器の在り方ともいえる。このレベルでいえば、HALさんのいうように、誰 も決定権など持っていないといえる。で、結局、一見矛盾する見解が成立して しまう。…と、こんな譬えだと私にも理解可能です。  来年って1997年だな。2000年の半ばの空模様も気になりますが、そ の前に、日本の大地が気になってます。  隔離病棟とはいえ、やっぱり、書けないことってありますね。  そうそう、再度、HALさんにお願いですが、ZETA TALK、の情報、教えて ください。