- FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/11/08 - 08769/08782 BYK00511 導 RE:ARIONより導へ ( 7) 96/11/07 00:18 08753へのコメント コメント数:1 ARIONへ返事を頂きありがとう。 しかし、貴方は大きな過ちを犯していることに気付いていない。 私が話した事の本質はあなた達の存在を語るものなのです。 もし、自分の本質を観ることが貴方を観ることにではなく、そ れが幻想であると言うのであれば、貴方自身は幻想の何者でも ないのである。 貴方は人間そのものであり、神と人間をつなげる道である。 貴方が万の言葉を駆使しようとも、人間と貴方を区別する限り 神を示す事は出来ないであろう。 嘗て、神霊に対して人間を信じなさいと怖れもなく言う者がい ただろうか。 しかし、時代は否、神はそのことを如何にも望んでいる。 加えて言う。 これは幻想でも何でもない。私は私の命を、否存在の全てをか けて言う。 信仰の時代は終わった。神々が人間を信じることでのみ、人間 が人間自身の可能性を以て、新たな命として誕生するのである 。その時、貴方達の存在は人間と全く一つになるのである。 この果実は甘い、そしてすこし酸っぱいが香りは良いと説明し ている場合ではない。 貴方達は貴方達自身を食べさせねばならないのである。 恐らく、貴方が私に対してくれたメッセージと同じ事を私は貴 方に感じている。 肉を持つ者と概念を持つ者との接点はそこにあるのであろう。 これ以上は私も此の議論は無意味かと思う。 故に私は貴方のくれたメッセージに心を戻す。 但し、もし貴方が人間に対して畏れを抱かせる様なメッセージ を送ることがあれば、譬えそれが真実を語るものであっても、 私は己の全存在をかけて貴方と闘う。 何故なら信仰の時代は過ぎたからだ。 親愛なるARIONへトンネルは両面から掘るものだよ。 08773/08782 GFH02347 ゾウリムシ 導さんとARIONの会話を読んで ( 7) 96/11/07 09:16 コメント数:1 導さんへ あなたが、ARIONに書いたメッセージには、(8745 には) : しかし、私は貴方が何者かは良く知っている。貴方が私を知っている : 事と同じように。 「えー どえらいこと言うなあ。」と感じた。 : 今、貴方は必死に貴方が何者であるのか知らせようとしている。 : 貴方を直接見せようと懸命に働いている。 : 何故なら、自分を観るとは貴方を観る事に他ならないからだ。 どうして、「自分を観るのと」「ARIONを観るのと」同じなのか、よく、 分からなかった。  次にARIONからのコメント(8753)を読んで : 初めまして。 : 申し訳ないが私達神霊族は、あなたの幻想に付き合ってる訳にはゆかない。 最初読んだ時、「ARIONもきついこと言う。わざわざ言わなくてもいいのに。」 と感じた。特に幻想という言葉あたりに、「ピクッ」ときたみたい。 だが、後で( 導さんの8769を読んだ後で) 読み返してみると、「ああ、優しいな。」 とも思える。 さらに、導さんからARIONへのコメント(8769)を読んで : 貴方は人間そのものであり、神と人間をつなげる道である。 : 貴方が万の言葉を駆使しようとも、人間と貴方を区別する限り :神を示す事は出来ないであろう。 これを読むと、神霊族は人間と大差ないように思っているようにもとれる。 しかし、神霊族は、神ではないが、肉体を持たない宇宙意識なのだ。 人間はもとより、宇宙の民族( 動、植物を含めた) をもはるかに越えた意識体なのだ。 あなたは、こういう意識体が存在することを、信じられるか。 私は、信じている。 : 信仰の時代は終わった。神々が人間を信じることでのみ、人間が人間自信の : 可能性を以て、新たな命として誕生するのである。 : その時、貴方達の存在は人間と全く一つになるのである。 なぜ、信仰の時代が終わったのか、聞いてみたい。 また、人間や神霊族の関係や結末がわかるということは、君が、神のごときものと いうことで、 これは大変なことだぞ。 君は、神のごときものなのか。 : 親愛なるARIONへトンネルは両面から掘るものだよ。 この言葉には不遜さを感じた。                  ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ 08775/08782 BYK00511 導 RE:導さんとARIONの会話を読んで ( 7) 96/11/08 00:13 08773へのコメント  ゾウリムシさん今晩は。私の発言は暴言に思えるでしょうね。 私自身も少し驚いています。私の内部から突然突き上げた想い が発した言葉であり、その言葉を止めることが出来ないのは妄 想と言われてもしょうがないことでしょう。 虎の言葉のままにかもしれない。  しかしながら私はどうしてもARIONの言葉がいつも引っ かっていたのです。  ARIONは常に自分の心の動き、色、音を注意深く観、そ れが常に正しい事なのかを見極めるために、もう一人の自分を 持てと言っているように思う。情動や渇欲に溺れず、又自身の 描く妄想や社会の醸す幻想に踊らされることなく、常に却下照 らす智を持てと。そしてその智こそが、もう一人の自分こそが 真我即ち真実の自己である事を常に意識せよと。  では、その真実の自己とは何者なのでしょうか。  私は、ARIONに対して貴方が誰かは知らないが、何者か よく知っていると言ったのは真実の自己こそがARIONであ ると信じて疑わぬゆえであります。  導というハンドルネームの所以は嘗てコメントさせて頂きま した。林羅万象ことごとく真理への導きと観る心こそ我が心と いう意味ですが、導きを観る心も導きそのものなのであります 。ではその導きは何者なのか、これは神の声としか言いようが ないのであります。  観られるものと観る心は一体なのであり、これを仏と言った り、神という故に万物は悉く神の顕れであり、全てに仏性あり というのでありましょう。  私はこの無声の声を常に感じてきた。その声は常に私の中心 から起こり、ほら見てごらんあそこの花はきれいだね。花は、 もっと心を開いてごらん。私を包む空も貴方を包む空も一つで すよ。と語りかけてくる。悲しみの、苦しみも、超えろ越えろ と語りかけて来る。此の声と友に私は常に生きてきた。  そして、その声は常に無言であるが神と私という信頼の上に 成り立っていた。神は私自身であり私は神であると。この結び つきこそが愛という力であり、愛こそが神であり、私であると 今も揺るがない。  これは特別な事ではない。全ての存在が神の顕れなのである から。始まりは分からない。しかし、全ては一つなのであり、 愛故に万化なのである。  私はARIONが人間に対し何よりその事を伝えるべきでは ないかと感じた。そして伝える方法は無言でなくてはならない と。無言とは話さない事ではない。美であり真であり善である はずだと思う。  これは違う、こうしなさい、こうあるべきではないかと言う 分別心から発する言葉は人間に任せればよい。そう感じた。  そして、信仰の時代は終わったというのは信仰という媒介者 はもう必要ではなく。直接神と人間が触れあう愛の時代がすで に始まっていると私は感じています。 故に神の媒介者である神霊としてのARIONは愛に徹するべ きだと私は思います。  人間の分際でとか、不遜だとか、思い違いをしてるとか、妄 想とかそのような事は意味のない言葉の様に思う。  何故なら大切なことは愛そのものの力であり、働きであり、 どんな仕事をするかであるからだ。私は人間として命がけで神 と向き合い、神の道をもって仕事をするのみである。それ以外 の何者でもありません。これが合気道であると。  最後にARION、大分力み過ぎた言葉で貴方もお笑いにな られていることでしょう。  ただ私は貴方に全身全霊を以てぶつかって行こうと思います。 許してくれますか。  神と聖霊と人との話は当分控えます。まだ私の神を語る言葉 は貴方の言う通り幼いからです。  最愛のARIONへ。そして、親愛なる兄弟であるゾウリム シ君へ。  - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/11/08 - 01646/01648 MHD02672 TAO 10月20日テーマRT「援助交際を考える」 2 ( 8) 96/11/06 23:31 01644へのコメント   前回から一週間以上も間が空いてしまいましたが(_ _;)、テーマRT「援  助交際を考える」の第二回目のまとめです。  ★後半のまとめ   ・援助交際って無責任の極みのような気がする     →本当に無責任だと思う      →売春、買春行為に対するリスクとか責任とかは考えていないよう       な>双方       →本人たちが考えてなくても、付きまとってるもんだから>リスク   ・一体女子高生でなくなったあと、彼女達はどうなっていくんだろうか?     →世の中を舐めるようになったら、落ちるだけかも   ・責任なんてのを感じてたらそもそも買わないだろうなぁ(苦笑)>おやぢ     →欲望の暴走状態>おやぢ   ・高校生如きに「本人の勝手」という資格はない     →あの、高校生ごときってのはどーいう?(^^;      →高校生は立派に考える力もあるし、一人の人間として扱うべきで       しょ       →そうでなくては、いつまでたってもガキのままですよきっと        →責任の範囲内で自由があるんだと思うなぁ   ・まだ半人前>高校生     →まぁ勝手放題している突っ張り高校生には、家に帰って「ただいま      ぁ」なんてやってほしくないよね(^_^;)...ボソッ      →高校生は非力だけど、その範囲での責任を弁えている子って少な       くなったような       →うーん、、いたい思いして、そこからまなぶこともあるんだろ        うけど・・        →少なくとも経済的自立は出来てないんだからね>高校生   ・いえ、迷惑が『本人のみ』のときは『それで本当にいいの?』と確認す    ることしかできないと思う。強制はできないと思う   ・親のすねをかじっている奴らが何で「自分の勝手でしょ」と言えるんだ    ろう?     →そう、だから学費を稼いで夜間に通うような一匹狼の高校生なら「      勝手」と言っても納得できる(^_^;)      →うーむ、ほんとうだ。そういうやつはさっさと親がこばなれして、       世間にだしてやればいいのに、ですね       →権利には義務が、自由には責任が伴うことは当然のはずだが…   ・半人前… という扱いが世間の風潮として強すぎるんで、それをタテに    してうまく自由にやってるんだと思いますケド(^^:)<今の高校生     →逆に半人前なのに持ち上げ過ぎてるよーな気がする ちゃんと半人      前として扱ってない   ・僕は、精神性を疎んじた世界観が蔓延している結果のようにも思うんで    す     →好きでもない男に抱かれることを、汚れと思う気持ちが、援助交際      には殆ど無いと思うんですね      →うーむ 自分で望んで抱かれたのなら汚れと感じないのだろうが       →お金の為に売春することを汚いと感じられないのが問題かも        →と言うより、変化は処女膜くらいのもので、物質的に何も変         わらないじゃないかと言う世界観です   ・ホントに「考える力」があったら援助交際なんてしないだろうって気が    する(^^;     →しないんじゃない      →信じられないって、いう子もいるんだよね、中には>高校生   ・それで、「考えなしの半人前」とおもって扱ってる面はあるでしょ?     →あるねぇ って実際に高校生と接触する機会はないけども   ・ま、イケイケ ヤリヤリの人は幾らでもいるが、援助交際は確信犯的な    臭いがするのがどうもね   ・売春自体は、合法とされていた時代もあったんですが、昔は芸者など「    気概」があったと思うんです     →ただ体を売るだけで無く、芸とかも含めて相手に売っていた訳です。      →商品の品質にプライドがあった訳ね(^_^;)       →花魁とか、教養あったもんね        →むしろ昔は、娼婦には教養が要求されたんですね         →やはり、プロにはプロの誇りがないとね。          →(クラブとパブのホステスの差か?(^^;)   ・女子高生の感覚では売りも援助交際も、ちょっとやばいバイトくらいに    しか思っていないかもしれないね...ボソッ     →今の素人コーコーセイには、教養も技術もありますか?(^_^;)      →ないことがウリなんじゃないの?(^^;       →(狂養と偽術だったりして(^_^;))        →若い体さえあればいいという阿呆な大人たちが、需要を成り         立たせてしまった(^^;         →わかけりゃいーんです(^^;)(逆にそれが彼女らの「ウリ」          ですからね)          →若いことが「ウリ」というのも…   ・大体、そういう子供を相手にする大人はどうなっちゅうんだ、おいおい、    とおもう     →若い体さえあれば満足という大人たちも、ある意味では幼児なんで      すね      →事実、そうですよ? 高校生を越えたら、相場ガタ落ちしますもの       (他にウリがなければね)       →「かわいい」ってのがポイントなんですよね、女子高生は        →で、この「かわいい」ってのは「幼い」と殆ど同じなんですね         →だから幼い格好(ルーズソックスやミニスカ)が流行る          →便利すぎる言葉だなー(^"^;>かわいい           →幼さというより、単に成熟ができないだけなんだよ   ・考える範囲が狭かろうがさ、考えることは出来るわけで、そっから出した    結論を頭っから否定はしてほしくないなー     →否定はしないけれど、聞いていて「考えがたりなさそうだ」と思う      ことは仕方がないよ      →あ、別にそれはいーん じゃないの?自分の思うことはどーしよう       もないやん(笑)       →世間の正しい正しくないってのは関係ないでしょ(^^; 決めん        のは自分なんだから   ・うーんと、ぼくが聞きたかったのは***さんはどうして(考える範囲    が広いと)『援助交際なんかしない』って言うのかなと思ったんです   ・むかし、赤線というのがあったころには、もうすこし買う男の側には気    概があったのではないかと思う。本を読んで思ったのだけど   ・今の時代、「幼さ」に価値があるのね(^^;     →けど、あのケバイ顔は、やつれていてかわいくも、おさなくもなかっ      たぞ>駅前のトイレであった女子高校生      →顔はやつれているし、足は太いし(^_^;)>女子高生   ・こういう価値観が多数派になるとそれが正しいってことになっちゃうの    かな>世の中(なんかやだな)     →多数派が標準ならば、援助交際もゆくゆくは標準に…とか(-_-;)      →標準にはならんようなきがするけど、でもそれは私の世代が思       うことであって、女子高生はどう思うか、やっぱ得体がしれん       ですね(^^;)   ・そうそう、成熟というものが無い社会なのでしょうね>今時の日本って     →顔つきも態度も行動も未成熟なんや>今の人間 意識して変えてい      かな、エライめにあう   ・感覚とか世界観が全く違うとか感じることあります?今の子に     →違うねぇ 職場の若い子の話を聞いていると価値観とか、かなりギ      ャップを感じる      →そんなには、違いないですよ、きっと       →雑誌で見るような女子高生とつきあいがないからぴんとこない        んだけど、ああいうこたちだけではないだろうに、とも思いま        すね。やっぱり感覚的に理解できるこもいるとおもう        →ですね、女子高生ってくくってしまうのは気を付けないとい         けないんでしょうね   ・「よごれた感じがして、もう絶対やらない」って子の記事がありました     →でも確か2〜30人はこなした後の話でしたが      →(それ、ただ「飽きた」というだけでは(^^;))   ・最近の若者言葉は殆ど理解不能ですね(^^;     →なんかね、日本語じゃないみたいな言葉しゃべる奴いるんだ>若者で      →単語の羅列だったりしない? うちの職場の子とかほとんど幼児語       →実際、そういうわけがわからんこが身近に現われたとき、自分        はどういう態度で接するんだろうか・・        →私なら結局、放っておいてしまうだろうなぁ(^^;   ・フィリピンでも少女買春が社会問題化しているっていいますね     →それも日本人が(--;)>フィリピン      →そ。日本の男はもてないから、フィリピーナに逃避するわけね(笑)       →日本人だけじゃないけどね、ヨーロッパあたりからも来る、         ドイツとか        →フィリピンの場合にはかなり強制的な売春で、日本の援助交         際とは違いますね         →かならずしも、強制とは限らないが・・・ 貧困が原因し          ていることは事実です   ・その子たちの未来=日本の行く末なんだよね     →昭和の本格的終わりですね。最近の日本の状況は      →日本の場合は 倫理観そのものの崩壊のような気がしますね>援       助交際   ・援助交際はそれを買う中年(?)男性たちの問題だと思うけどね、若者    の問題というよりは     →そういう風潮が成り立ってしまう今時の日本って(--;)      →男どもにも問題あるけど、女の方も…       →女性の側は結構割り切ってやっているからね、それは自己決定        でしょう、一つの   ・援助交際とかってさ、そういうことでしか、自分の価値を確認できない    ような世の中だって、彼女らが無意識に思っているのかも   ・オヤジと女子高生はたまたま利害が一致しちゃってるんですね     →男子高校生は援助交際してないのかな<買い手が少ないのか   ・だから、家庭が完全に崩壊しているという現在の状況がかなり大きいと    思う     →そうかもしれない、家庭問題ってのも芋ズル式に出てくるんだろう      なぁ      →夫婦が崩壊して家庭内離婚しているし、子どもと親との絆も失わ       れている・・・       →それは援助する側のおやじの問題にも繋がってくるような   ・そうだ、買う方が悪いんだ。とかいってると女子高生が『そうだわ、買    う方がいけないんだわ、私達が悪いんじゃないんだわ(こんな言葉は使    わないだろうけど)』とかいうだろうなあ     →うはは、「買う奴がいるから売っているだけよ」というだろうな   ・最近思うだけど、だんだん個人が孤立した状況になってる気がします     →世の中が人間を粗末に扱ってる…      →それは今の日本の社会や政治が、個人を粗末に扱っていること       の反映でしょ       →人間を粗末に扱う>全体的な風潮        →だからおやじが女子高生に走ったり、女子高生が援助交際し         たりする原因のような気がする         →それって、結局個人が個人を粗末に扱う、自分が自分を粗          末に…ってなってくる   ・女の人はそゆのにあんまりお金出さないよーな気がする     →でも、女性が男性ホストを買うというのもあるけどな(^^;)      →でも絶対数は少ないでしょ 断然売る方が多い   ・まず自分を粗末に扱っているのが問題なんでしょうね     →当の女子高校生には「自分を粗末に扱っている」という意識が無い      かもね      →絶対ないと思う       →女子高生に視野の広さ(?)を教える大人からして荒んでるか        らやっぱ『子供から』変えるの方が難しいのでは?   ・夢が足りないんだわ、きっと・・とじぶんを振り返って思う     →既に日本も虚飾の国になっている訳でしょ、外見だけは豊かだけど、      精神的には崩壊してる      →でも、それがマズイってことも、みんな薄々気がつきだしてきて       いる       →気づき初めてはいるけど、何もできないという無力感に襲われ        ているのだろう   ・けれど、自分を粗末にしているって感覚は、麻痺してきているように思    いませんか?     →案外、粗末に扱っていると「認めたくない」だけかも知れない(^_^;)      →そもそも「自分を粗末に扱う」こと自体が分からないのかも       →そうですね、麻痺してますね   ・いろいろな物は、なんでも手に出来て…、自分の望むことは、なんでも    やれて>どこが粗末なのって。     →どこが粗末なのかわからないところに、精神文化が忘れられている      現状が現れているような気がします   ・子どもは早い時期に親を見て、将来を見通してしまっているからね     →先が見えてしまってるから妙に刹那的なのかな   ・「子供から変える」と言うよりは、「共に変える」つもりでないと…     →自分を変えずに子供だけ変えるのは虫が良すぎるから…      →大人自身も血を流す覚悟が無いと、子供を引っ張れる筈は無い   ・「援助交際」自体も、日本社会の自己崩壊の萌芽に成らなければいいが     →僕は日本社会の崩壊の萌芽じゃなくて、日本社会崩壊の象徴という      か、その現れではないかと思いますね      →別に大地震が来なくても、こういう風に崩壊するのかって。   ・少年犯罪はだんだん確信犯的になって来ているみたいですね     →少年犯罪は現実逃避的な面が強いと思う、だから、それだけ今の社      会が住みづらくなっているのでしょう、子どもたちにとって   ・子供に舐められる社会なんて、情けないとしか言いようがないけど そ    れが現実だから     →大人が子供から甘く見られると言うことは、絶対良くない      →大人が大人で無くなっているんですね       →子供に分からせることを出来なくしたのは、大人自身だよね。   ・とりあえず「何かヘンだ」って思う自分の価値観を信じて生きていこう    かな(^^;   ・(自分の耳にも痛い>大人が大人で無い)     →年だけ食っていくのはヤバイなと思いつつ(^^;      →大人のつもりではいるけど、まだまだ未熟。       →女子高校生だけ変えても、大人達が変わらなければ、また同じ        事が繰り返されるだろうし        →結局さ、援助交際するような子を作りあげたのも、大人の欲         望だったりもするんじゃない   ***   今回も200行を超えましたが(^^;、ひとまずこれにて締め括りです。参  加された皆様、お疲れ様でした。  TAO - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/11/08 - 00984/01000 MHD02672 TAO 鍛冶師と王 ( 9) 96/10/13 22:09 00982へのコメント コメント数:1  #982 一輝さん   亀レスで失礼致します。m(_ _;)m >> モンゴルについてARIONに質問を試みたことがあるのですが、何も >> 答えてはくれなかった覚えがあります。   へぇ、ARIONが教えないというのは、知らないからという訳では無い  でしょうね。知らないなら知らない、分からないなら分からないと答えても  いい筈ですし。一輝さんはどんな質問をされたのでしょうか?   AMA族とモンゴル部族の関連については、AMA族が鍛冶族としての性  格をも持ち合わせていたことを考えると、モンゴル人がチンギス・カーンを  鍛冶師としても見ていたことは、確かに興味深いですね。   ルーマニア出身の世界的な宗教学者のエリアーデは『鍛冶師と錬金術師』  という著作を著していますが、彼の主張によれば、古代社会において鍛冶師  はシャーマンと同義語であり、「火の親方」とも呼ばれ、超自然的な力を備  えた存在と見なされていたといいます。同書では、バリ島でも徒弟鍛冶師の  為にイニシエーション儀礼が催され、仕事道具の前でマントラを唱えたとい  う事例も紹介されています。   「カン(ハーン)」という遊牧民の最高指導者の称号が、シャーマンを示す  「カム」と結びつけられていたというのは面白いですね。そもそも王とは最  高位のシャーマンでもあったんですから。鍛冶師=シャーマンとすれば、王  がその二つの面を兼ね備えていてもおかしくはありませんね。カンとカムが  結びつけられたのも、そういう背景があったからでしょう。  ***   カンで思い出しましたが、#976で一輝さんが触れられた、  >> 「桓」について調べて見ますと、朝鮮半島の英雄・檀君神話に出てくる  >> 檀君の父親の名が「桓雄」なんです。   この「桓」という字は、韓民族の「韓」の正字に当たるそうです。これに  ついてはしっかりと裏を取った訳では無いので、断言は出来ませんが、そう  だとすれば、桓武天皇とは、渡来系住民と藤原氏が協力しあって「簒奪した」  王権ですね。  TAO 00992/01000 GFB00026 一輝 鍛冶師王ニギハヤヒと銅鐸 ( 9) 96/10/22 20:47 00984へのコメント コメント数:1 >#984 TAOさん |>> モンゴルについてARIONに質問を試みたことがあるのですが、何も |>> 答えてはくれなかった覚えがあります。 | | へぇ、ARIONが教えないというのは、知らないからという訳では無い |でしょうね。知らないなら知らない、分からないなら分からないと答えても |いい筈ですし。一輝さんはどんな質問をされたのでしょうか? ……………それがどういう流れで何を質問したのかを忘れてしまったのです。      かれこれもう6〜7年前になりますか。メモを取るべきでしたね。 | ルーマニア出身の世界的な宗教学者のエリアーデは『鍛冶師と錬金術師』 |という著作を著していますが、彼の主張によれば、古代社会において鍛冶師 |はシャーマンと同義語であり、「火の親方」とも呼ばれ、超自然的な力を備 |えた存在と見なされていたといいます。同書では、バリ島でも徒弟鍛冶師の |為にイニシエーション儀礼が催され、仕事道具の前でマントラを唱えたとい |う事例も紹介されています。 ……………バリでもそうですか。最近バリ島のAMA族系部族・トゥガナン族の      音楽を入手したのですが、普通のガムランは青銅製ですが、この村で      は唯一鉄製のガムランが使われています。彼らは学術的にはアガ族と      呼ばれていますが、そのルーツは西隣のジャワ島中部高地、ディエン      高原のアガ村です。スマトラ島のAMA族系部族・バタック族の音楽      も入手したのですが、この音楽が日本の和太鼓の旋律とトゥガナン族      のガムランの旋律が混ざっているんです。出雲族のコースが日本方向      (スラウェシ島方面)とジャワ(バリ島及びロンボク島方面)方向へ      と別れる前の拠点だったのかもしれません。彼らの鍛冶に関すること      はまだ分かっていませんが、鉄器を広めていたことは知られています。 | 「カン(ハーン)」という遊牧民の最高指導者の称号が、シャーマンを示す |「カム」と結びつけられていたというのは面白いですね。そもそも王とは最 |高位のシャーマンでもあったんですから。鍛冶師=シャーマンとすれば、王 |がその二つの面を兼ね備えていてもおかしくはありませんね。カンとカムが |結びつけられたのも、そういう背景があったからでしょう。 ……………この辺から、スサノオやニギハヤヒもまた鍛冶師=シャーマンである      と同時に、王でもあったという可能性は否めません。ここ数年出雲族      の子孫を主人公にし、ニギハヤヒの復権をテーマにした歴史小説を盛      んに書いている黒須紀一郎氏の新刊『役小角』では、役小角の先祖で      あるニギハヤヒと銅鐸について、以下のように書いています。  「韓半島側に面した出雲の国に、須佐之男という王がいた。須佐之男は、出雲の   国を治め、銅や鉄の利器を用いて国土の開拓を進め、やがてその勢力は、西の   筑紫や日向にまで及んでいった。やがてその勢力は、西の国造りが終わった須   佐之男は、自分の息子饒速日を大和に遣わせて、国造りをさせた。饒速日は、   父須佐之男から学んだ鉄資源の発見、採取、鍛冶の技術を駆使して利器を造り、   山を開き、原野を開拓していった。茅の原、葦の沼地が豊かな田園に変わり、   人が集まり、定着し、暮らしも向上した。他にも災いを払う呪術や、病気を治   す薬草の知識も、この饒速日によって人々にもたらされた。こうして大王とな   った饒速日は、人々に敬われ、死後神となって諸国に祀られた。三輪(三室山   )や石上、熊野、賀茂、その他諸国各地に饒速日は祀られて、人々に敬愛され   た。饒速日は、父須佐之男や兄弟たちの霊の他に、もう一つの神を信奉してい   た。それは、クスミと呼ばれる異形の神であった。銅製で寺院の梵鐘を押し潰   したような不思議な形をしていた。後に銅鐸と呼ばれるようになった祭器であ   る。これは、川や沼沢地の葦などに寄生して出来る、中が空洞の褐鉄鉱の塊り   であるスズの成長を祈るために考え出された神なのである。スズの成長は七、   八年、あるいは十数年もの時間を必要とする。しかしそれでは、急速に進む開   拓には間に合わない。そこで饒速日たちはスズと似た形の神を創り、その神に   祈ることによって、スズの成長を早めようとした。それがクスミなのである。」      古代アジアに於いて、雨乞いに用いられた銅鼓の流れを汲んでいる、      と思われた銅鐸には、鍛冶族或いは産鉄民の祭器としての役目があっ      たわけですね。                      *      最近聞いた話では、天皇は神殿や皇霊殿の前でも柏手を打たないそう      です。宮中で柏手を打つのは、新嘗祭の前日の鎮魂祭(原田常治氏に      よれば、ニギハヤヒの鎮魂祭)の時だけで、二度「八枚手(やひらで      )」といって八回柏手を打ちます。はなさんのARION預言解読に      よれば、「八」は出雲族を表す数字でしたっけ。天皇家が日向系や渡      来系になっても、今でも出雲族やニギハヤヒには、霊的に頭が上がら      ないのかもしれませんね。                                     一輝 00993/01000 MHD02672 TAO 銅鐸と産鉄民 ( 9) 96/10/26 14:28 00992へのコメント  #992 一輝さん   黒須紀一郎氏の新著のご紹介、どうも有り難うございました。黒須氏は藤  原不比等を題材にした『覇王・不比等』も著していますが、この著書では藤  原氏がニギハヤヒを封印したとしていますね。   一輝さんが引用された、  : 饒速日は、父須佐之男や兄弟たちの霊の他に、もう一つの神を信奉して  : いた。それは、クスミと呼ばれる異形の神であった。銅製で寺院の梵鐘  : を押し潰したような不思議な形をしていた。後に銅鐸と呼ばれるように  : なった祭器である。これは、川や沼沢地の葦などに寄生して出来る、中  : が空洞の褐鉄鉱の塊りであるスズの成長を祈るために考え出された神な  : のである。スズの成長は七、八年、あるいは十数年もの時間を必要とす  : る。しかしそれでは、急速に進む開拓には間に合わない。そこで饒速日  : たちはスズと似た形の神を創り、その神に祈ることによって、スズの成  : 長を早めようとした。それがクスミなのである。   という箇所ですが、この「褐鉄鉱」については、宮司で古代祭祀研究者で  もある真弓常忠氏が『古代の鉄と神々』(学生社刊)で詳細に触れています。  真弓氏は、沼沢や湿原等の水辺に生える植物の根に絡まって出来上がる、自  然の「鈴」である褐鉄鉱を、古代の産鉄民は製鉄の原料として使ったであろ  うとしており、褐鉄鉱の中に銅鐸によく似た形状のものが往々として含まれ  ることから、銅鐸の起源もここにあるとしています。      弥生時代の民は鉄を求めること切であって、そのため「スズ」の生     成を待ち望み、生成を促進させるために呪儀をおこなった。…中略…     そこで、この模造品を作って「スズ」のできそうな湖沼を見渡す山の     中腹の傾斜地で、これを振り鳴らしては仲間の「スズ」の霊を呼び集     め、あるいは地中に埋納して同類の繁殖を祈った。一種の類感呪術で     ある。                    (同書 P69〜P70)   つまるところ、銅鐸は鉄を求めての祭具であったと真弓氏は唱えますが、  この主張には、あり得ないことでは無いと頷けるものがありました。それに  銅鐸作製には物部氏が深く関わっていたらしいことは、#991で言及した通り  ですが、モノノベ氏という名前の中には「モノ」が含まれていることは一目  瞭然ですね。この「モノ」は事象一般を指す言葉ですが、真弓氏は「モノ」  とは元来は「鉄」を意味していたのでは無いかとしています。鉄とは正に何  にでもなり得る「モノ」で、農作に使われる農工具にもなれば、武器にもな  り得ますね。      大物主神の“モノ”にしても、物部の“モノ”にしても、その発祥     は鉄であった。しかもこの鉄こそは不思議なシロモノで、農耕生産と     いう平和的用途に有用であるのと同時に、剣や鏃の鋭利な刃物、武器     ともなって殺傷する威力をもち、畏怖すべき存在となる。この鉄に畏     怖すべきデーモンを認めるのはきわめて自然であり、鉄を意味した“     モノ”という語が、一種の霊格の汎称となるのも理のとうぜんであっ     た。                        (同書 P45)   製鉄技術を持ち、或いは産鉄民を支配していたと思われる氏族が「モノノ  ベ」と名乗り、軍事氏族であるのと同時に祭祀氏族でもあったという事実は、  鉄がいかに重要であったか、そして鉄を採取して精錬すること自体が呪術と  見られていたことを考え合わせると、ごく自然な成り行きだったのでしょう。  ***   AMA族は海人族でもありましたが、ARIONの「AMA族は産鉄民で  ある」というサジェスチョンを裏付けするような箇所もありましたので、今  回は引用だらけになりそうですが(^^;、また引用します。      海人族はこの日本列島に稲種をもたらした。海上の道は稲の道でも     あった。と同時にそれは鉄の道でもあった。鉄産の最初の発見者は海     人族だったのである。鉄は河流・湖沼・海辺等の水辺に堆積・沈殿し     て形成する褐鉄鉱にしても、鉄穴流しによって流水を利用して採取す     る砂鉄にしても、水に所縁の鉱物だからである。福士幸次郎も、産鉄     の発見者は水に所縁の民族で、漁業・航海に関係があり、航海の熟練     が鉄の民族を駆って絶えず新たな鉄の富の探検・遠征・移住に向かわ     せたと説く(『原日本考』昭和十七年)。わが国では海人族である尾張     氏や安曇氏が、海岸から内陸深く山間部にまで分布している事実をみ     れば思い半ばに過ぎるものがあろう。      海人族は水稲耕作を推し進めるために、鉄を求めて海岸より内陸へ     と河川に沿ってさかのぼっていった。そして鉄のある地に住みついて     自ら製鉄を行い、かつ水稲耕作に従事したのである。稲は水中の鉄分     を吸収して太るとも植物学の立場からの教示も得た。                              (同書 P104)   一見関係が無さそうに見えた製鉄と稲作、そして銅鐸が一気に結び付くの  には驚きを禁じ得ませんでしたが、こうして見ると「産鉄民」が一つの中核  となっているのですね。このように『古代の鉄と神々』は非常に示唆に富ん  だ好著なので、是非ご一読をお勧め致します。  TAO 00985/01000 CZT02064 夜船 RE^2:日月神示関係の文献について ( 9) 96/10/16 02:25 00971へのコメント コメント数:1 月子 様、初めまして。 『日月神示』については、神示を受けられた岡本天明さんの未亡人の岡本三典(みの り) 先生が 「至恩郷」 という会を主宰されており、『至恩通信』という会報を発行 しておられます。他では入手しにくい資料などもそこを通じて手に入るようですか ら、連絡してみられると良いかと思います。連絡先は、 〒510-12 三重県三重郡菰野町菰野5833-2 「至恩郷」 です。 妄言多謝。 May the Force be with You! かむながらたまちはへませ! 合掌。 96/10/15 夜船拜 (CZT02064) 00989/01000 MHD02672 TAO いらっしゃいませ>夜船さん ( 9) 96/10/16 07:09 00985へのコメント コメント数:1  #985 夜船さん   初めまして。インフォメーションをどうもでした。至恩郷は今でも活動を  続けているのですね。こういう時勢になって来ると「日月神示」が今後いか  なる意義を持って来るのか、その行方も興味深いところですね。それでは又  どうぞ〜。(^^)  TAO 00990/01000 MHD02672 TAO 出雲の銅鐸・その後 ( 9) 96/10/17 07:13 00989へのコメント コメント数:2   先日に島根県で大量に発見された銅鐸についての続報です。   出土した31個のうち、27個には実用型の「聞く銅鐸」と装飾型の「見  る銅鐸」が混在していました。銅鐸は、最初はつり下げて音を鳴らしていた  のが、次第に大型化して飾る型に変わって行ったとされています。   その二つの型が同じ所に埋納されていたということは、長らく銅鐸の作製  に努めていた勢力が存在し、何らかの理由で纏めて埋納したのだろうと考え  られます。何故、このような形で二つの型の銅鐸が埋められたかについては、  今後のさらなる調査が待たれますね。  TAO 00991/01000 MHD02672 TAO 埋められた銅鐸 ( 9) 96/10/22 00:40 00990へのコメント   島根県加茂町の加茂岩倉遺跡で銅鐸が31個発見されたというニュースよ  り、学界で様々な反響や憶測を巻き起こしているそうですが、今日付けの読  売夕刊では「出雲は聖地であったか」という考古学者・近藤喬一氏の仮説が  載せられていました。それによると、出雲では過去の荒神谷遺跡や今度の加  茂岩倉遺跡のように一度出たら、このように大量の青銅器が出土することに  注目し、各地から青銅器を出雲へ持ち寄って来たかもしれないという可能性  を示唆しています。「出雲はバチカンのような宗教的な聖地であったろうか」  と筆者は言いますが、そのような古い時代から出雲が宗教的な権威を誇って  いたということを遺跡が証明出来るとすれば、興味深いことです。   銅鐸自体は実は『古事記』『日本書紀』にも全く記述が無く、何の為に造  られ、どの様に使われたかについては未だに謎のままで、今のところ弥生時  代の前期の終わり頃に朝鮮半島から日本に伝わったとされています。農耕儀  礼の祭器で、豊作を祈って土に埋められたという説もあります。墓地に埋め  られた例は一つも無く、墓地の副葬品であれば埋葬された権力者の個人的所  有品と見なせますが、そうで無いので、銅鐸は「共同体社会が共有した祭器」  であったのでしょう。   岩倉加茂遺跡の場合はほぼ完全な形で発見されたようですが、銅鐸が故意  に破砕された形で発見された例もあり、昭和53年に兵庫県の日高町・久田  谷より117片に砕かれた銅鐸が出土しています。その砕かれ方がほぼ均等  な大きさに砕かれていることや銅鐸を破砕するのには大変な力が要るという  ことから、銅鐸を祭器に利用していた共同体社会が「外部勢力の侵入、脅威」  によって銅鐸を砕いたり、或いは埋めたりしたのでは無いかという説も唱え  られています。実際、銅鐸はある時期から不意に消え去るのですが、複数の  勢力の力関係によって「銅鐸祭祀」の終焉が告げられたとすれば、銅鐸祭祀  を行っていた共同体社会とは何だったのかという問題が出てくる訳です。   民俗学者の谷川健一氏は『白鳥伝説』で、物部氏こそ銅鐸の製作集団であ  り、ニギハヤヒを祀る神社や物部氏が祀る神社の近くより銅鐸が出土された  実例を挙げています。東大阪市にある、ニギハヤヒを祀る石切剣箭神社より  1キロ程の鬼虎川遺跡からも銅鐸や銅剣の鋳型が出土していますが、石切剣  箭神社にも(出土地が不明な)三角縁神獣鏡と環頭大刀柄頭が保管されていま  す。この環頭大刀柄頭は、奈良の石上神宮の禁足地から出土したものと同一  だそうですが、石上神宮も物部氏ゆかりの神社ですね。   谷川氏は「銅鐸は物部王国のシンボルと称すべきもの」としていて、大和  における銅鐸製造に物部氏が深く関与していたということを綿密なフィール  ドワークによって検証していますが、確かに銅鐸と銅器製作集団としての物  部氏の関係には疑い得ないものがあるようです。ちなみにニギハヤヒについ  ても、同書では「ニギハヤヒは鍛冶氏族の尊崇する雷神であり、日神であっ  た。日神といえばふつう太陽崇拝の神と見られるが、ニギハヤヒのばあいに  は青銅器の製作と深く絡んで」いるとしています。鍛冶氏族の日神信仰、雷  神信仰がニギハヤヒと重なられたのは後世のことでしょうが、興味深いこと  ですね。  TAO 00996/01000 MHD02672 TAO 銅鐸という神 ( 9) 96/10/31 01:13 00990へのコメント コメント数:1   島根県の加茂岩倉遺跡より出土した銅鐸についての続報です。   出土した34個のうちの6個が、近畿や山陰で出土している銅鐸と同じ鋳  型で造られた“兄弟銅鐸”である可能性が高いことが判明したとのことです。  大和と出雲等、銅鐸の流通ルートがそれだけ活発だったということで、それ  だけ銅鐸は祭器として崇められ、重要な位置を占めていたと推察出来ます。  その銅鐸がある時期より突然消え去り、後世になって殆どが埋納された状態  で発見されることの意味を、古代史研究者の奥野正男氏はこのように推察し  ています。      永い年月にわたって神霊の宿る大切な呪具として、また同時に潜在     的には貨幣のような価値すらもっていたと思われる貴重な青銅器を、     各地で土中に埋めている現象は、青銅器という呪具の宗教的な死を意     味しています。その呪具を神そのものとして崇拝していたとすれば、     それを地下に埋納することはまさに神の死です。神の死もまた人の死     と同じく、死とともに死者の世界である地中に埋葬されたといえまし     ょう。          『古代人は太陽に何を祈ったのか』(大和書房) P128より   銅鐸を以て神を崇めていた氏族とは何だったのか、銅鐸に託された神の名  前はいかなるものであったか、あたかもその秘密が表に現れようとしている  かのようですね。  TAO 01000/01000 MHD02672 TAO 銅鐸は出雲で作られたか ( 9) 96/11/08 00:37 00996へのコメント   加茂岩倉遺跡より出土した銅鐸についての報道が続いていますが、その中  からトピックスを幾つか。   加茂岩倉遺跡の銅鐸の一つに、「目」(?)を表現した文様が描かれている  ことが判明しましたが、同様な文様は、全国で発掘された数百個の銅鐸の中  では、岐阜県より出土した上呂二号銅鐸にしか見られないということです。  これにより「出雲−東海」の間でも、銅鐸流通ルートが存在したという可能  性が出て来ました。   また加茂岩倉遺跡の銅鐸の製作地についても、同遺跡調査指導者であり、  奈良県立橿原考古学研究所の所員も兼ねている久野雄一郎氏が調査の結果、  「銅鐸は近畿地方で製作された」とする従来の説を覆し、出雲で製作されて  いたとする見解を明らかにしました。加茂岩倉遺跡の銅鐸は純度の高い銅を  使っていることが判明し、島根県美保関町で銅28%を含む高純度の鉱石が採  取されていることから、製作の原料を地元で調節した可能性が高いとしてい  ます。   同遺跡の銅鐸の製作地については、奈良県上牧町で見つかった銅鐸と同じ  鋳型から作られていることから、畿内で製作されて出雲に運ばれたとする説  もありましたが、原料から見て出雲産の銅で作られたという可能性が出て来  た以上、鋳型自体は両地域で共通していたと考えてもおかしくは無さそうで  す。   いずれにせよ、銅鐸は全国で約490個と数多く出土しているのにもかか  わらず、『記紀』では全く言及されていないという不思議な祭器です。『記  紀』編纂時には、銅鐸祭祀は既に姿を消していたであろうことも影響してい  るのでしょうが、編纂者側に銅鐸の存在を抹殺してしまいたい事情があった  のだろうかとも考えられます。ましてや呪術的な祭器であったならば、ひと  しおだったのでしょう。  TAO 00986/01000 MHD02672 TAO 画像データをUPしました ( 9) 96/10/16 02:26   既に1番会議室で報告されていますが、この度、自分が撮影した白山や玉  置山関係の写真を、ライブラリ8番に登録しました。  ※LIB 8 【★音楽・画像データ】     番号 ID 登録日付 バイト データ名   57 MHD02672 96/10/14 73371 玉置神社その2   56 MHD02672 96/10/14 61575 玉置神社その1   55 MHD02672 96/10/14 38866 那智の滝   54 MHD02672 96/10/13 33103 白山写真その4   53 MHD02672 96/10/13 33545 白山写真その3   52 MHD02672 96/10/13 62290 白山写真その2   51 MHD02672 96/10/13 15401 白山写真その1   以上ですが、ご感想をUPして頂ければ幸いです(^^)。  TAO 00988/01000 MHD02672 TAO 出雲族と銅鐸 ( 9) 96/10/16 07:09   昨日(15日)付けの読売新聞朝刊より。   島根県加茂町岩倉の農道建設予定地から十四日、弥生時代中期から後期の  銅鐸が31個出土しました。一カ所で見つかった量としては日本最多だそう  です。出土地は、かの荒神谷遺跡よりわずか東南約三キロという近さなので、  双方とも同じ者の手によって掘られ、埋められた可能性はありそうです。   この記事を目にした時には、興奮を抑えられませんでした。出雲族と銅鐸  の関係について新たなデータが示されたからです。何より日本最多の量とい  うのが、出雲族が銅鐸を自ら生産していたという可能性を示唆していますし、  逆に畿内から持ち込まれたとしても、出雲と大和の間で銅鐸が重要な意義を  備えていたことになります。   谷川健一氏の「白鳥伝説」(小学館)では、銅鐸はニギハヤヒを祖とする物  部氏のシンボルだったとしていますが、ニギハヤヒの父であるスサノオも出  雲族の首長だったとされますから、銅鐸=物部氏が作製した祭具によって、  大和族と出雲族が宗教的に結びつけられていたとも考えられそうです。今後  色々な波及を及ぼしそうな発見ですね。  TAO 00994/01000 QZA00337 おーてぃ 「護法魔王尊」について、 ( 9) 96/10/29 23:21 コメント数:1 お邪魔いたします。 おーてぃ ともうします。 はじめて書き込みいたします。宜しくお願いいたします。 早速なのですが、私、今、鞍馬寺に祀られている「護法魔王尊」サナート・クマラ なる存在に興味を抱き、いろいろ調べ始めたところなのですが、 どうも、あまり情報量がないように感じております。 (私自身に、調べる能力が無いのかもしれませんが。) そこで、お助けをいただきたいと思い、書き込むことにした 次第であります。 いまのところ、  <1650万年前に、サナート・クマラは金星より、  7人のクラーマ(7大聖師)と、60人の大師とともに、白馬に乗って、  炎に包まれながらルシファーと闇の軍団の勢力のはびこるレムリア大陸に  おりてきた。そして、地下の大空洞のなかに壮麗な秘密都市シャンバラを  建設しそこを拠点とした。>  <世界の主の下にはいろいろな部門を担当しているサナト・クマーラSanat   Kumaraと申し上げ、あるいは「一六(十六才)の青年」、「永遠の処女-   青年」ともいわれる。クマーラKumaraという言葉は肩書きであって、君主   あるいは統治者の意味である。他の方々と一緒に金星の進化系から現在の   第四環の中期と第三レミゥリア根人種の中期とに(1)地球人類の精神的進化   を早め、(2)地球の秘聖職階級(オカルト・ハイエラーキー)を創設し、   (3)地球天体の統治を引き継ぐために、地球にこられたのである。>      <そして、牛頭天王、ともいわれている。    さらに、「天狗の総師」とも、いわれている。> だいたい、この程度の知識しか、いまのところありません。 「護法魔王尊」サナート・クマラに関する情報、または、鞍馬寺に関する情報 どんなささいなことでも、どんなつまらないような事でもいいのです。 何かありましたら、教えて下さい。 皆々様、よろしくお願いいたします。                             おーてぃ でした。 00995/01000 MHD02672 TAO サナート・クマラ ( 9) 96/10/31 00:37 00994へのコメント コメント数:1  #994 おーてぃさん   ようこそいらっしゃいませ(^^)。議長を務めているTAO と申します。   さて「護法魔王尊」についてのご質問ですが、私自身、鞍馬山には何度も  足を運んでいて、魔王尊が祀られているという奥の院にも参拝しています。  あの辺りを過ぎて更に進むと、貴船川や貴船神社に達しますね。                 サナート・クマラは、神智学協会の創設者ブラヴァツキー夫人の著作、「  シークレット・ドクトリン」でも言及されていますね。鞍馬寺から管長の信  楽香雲氏がしたためた『鞍馬山歳時記』という本が発行されていますが(鞍  馬寺で買えます)、この中にもサナート・クマラについて一章を割いてあり、  かなり詳細に説明されています。                        ロゴス   それによると、サナート・クマラはいわば地球神であり、地球全体の進化  を司っていて、人類のみならず神々や自然霊の進化も促すとされています。  地球が創造されて以来、地球の霊王は三度変わったそうで、サナート・クマ  ラは三回目の霊王だそうです。サナート・クマラが住むシャンバラは、かっ  て中央アジア海に於ける島だったそうです。   ついでにこのフォーラムに常駐している(?)宇宙神霊ARION経由の情  報を挙げますと、大昔に金星から使者団が人類の遺伝子操作の為に地球に赴  き、磁場矯正を行ってから、金星から一人の王子を代表とする地球監視団が、  今の日本の近畿地方の山岳部に到着したといいます。この王子がサナート・  クマラだそうです。   鞍馬山は牛若丸伝説や「五月満月祭」「鞍馬の火祭」が有名ですね。火祭  は由岐神社の例大祭ですが、ここはご祭神として大己貴命が祀られており、  これは出雲大社に祀られている大国主神の異称なのですが、素戔鳴命の娘婿  にも当たります。サナート・クマラとされる牛頭天王が、素戔鳴命ともされ  ていることを考え合わせると面白い符号ですね。   詳細については前述の『鞍馬山歳時記』にありますので、今度鞍馬山へ出  かけられる機会がありましたら、鞍馬寺で探されてみてはどうでしょうか。  それでは又どうぞ〜(^^)。  TAO 00997/01000 QZA00337 おーてぃ RE:サナート・クマラ ( 9) 96/10/31 14:37 00995へのコメント コメント数:1 TAOさん、はじめまして 御丁寧なRESありがとうございます。 大変参考になりました。さすがだな〜という思いです。 とても、うれしく感じました。  >地球が創造されて以来、地球の霊王は三度変わったそうで、サナート・クマ  >ラは三回目の霊王だそうです。 シュタイナーによれば、地球も輪廻転生するとのことで、土星紀、太陽紀、 月紀、と受肉を経てきて、これは地球紀の地球になってから三度変わった ということなのでしょうか?  >今の日本の近畿地方の山岳部に到着したといいます。この王子がサナート・  >クマラだそうです。 近畿地方の山岳部に到着した。これは、とても興味深いことです。 宇宙神霊ARION経由の情報とのことですが、これは一体なんなの でしょうか?  >サナート・クマラとされる牛頭天王が、素戔鳴命ともされ  >ていることを考え合わせると面白い符号ですね。 とてもおもしろいと思っております。 さて、   『天河流動縁起 』 祐(示すへんに古)松泰成(こまつたいへい)著     太陽出版 ISBN4-87666-036-0 C0014 なる本、後存知でしょうか。 白老師(サナート・クマラ)に導かれ、1999年のグランドクロスに向けて 天河大弁財天社を中心に、伊勢神宮、熊野速玉大社および那智の滝、 高野山、鞍馬山、の4カ所を四翼に配し、マンダラを回転させるという お話が書いてあるのですが、不思議な本だなと思っております。 一種の神おこしのお話と思うのですが、是非、TAOさんの御意見など お聞きしてみたいと思うのです。 単に『神おこし』のことなども、なにかありましたらお願いしたいのですが。 さてさて、お願いばかりでまことに申し訳ありません。 しかし、楽しみに、TAOさんの御意見お待ちしております。 よろしく、お願いいたします。                              おーてぃ でした。  追伸   『鞍馬山歳時記』 是非、手に入れようと思います。    ありがとうございます。                 00998/01000 MHD02672 TAO RE:サナート・クマラ ( 9) 96/11/01 00:30 00997へのコメント コメント数:1  #997 おーてぃさん   どうも。ちょっとコメントが粗雑かな?と思っていたのですが、あの程度  でも参考になられたようで、こちらも幸いです(^^)。  >> シュタイナーによれば、地球も輪廻転生するとのことで、土星紀、太陽  >> 紀、月紀、と受肉を経てきて、これは地球紀の地球になってから三度変  >> わったということなのでしょうか?   ううむ、シュタイナーは結構読んでいるのですが、土星紀やら太陽紀やら  のくだりになると、さっぱり理解不能です(^^;。13番会議室の議長、KAZEさ  んはシュタイナーに大変詳しい方なので、尋ねてみられてはどうかと思いま  す。でも、この場合はシュタイナーはあまり関係無いのではないでしょうか。  >> 近畿地方の山岳部に到着した。これは、とても興味深いことです。   多分、鞍馬山自体じゃないですか。京都市外にある山ですから。  >> 宇宙神霊ARION経由の情報とのことですが、これは一体なんなの  >> でしょうか?   すみません、説明不足でしたね。このフォーラムのシスオペを努めていら  れるみれさんにチャネリングしている霊的存在のことです。詳しくについて  は、ログインしてから「PROF MHD02502」或いは「PROF SDI00635」とコマン  ドを打てば、ARIONやみれさんのプロフィールが参照出来ます。   『天河流動縁起』については初耳でしたが、機会があれば入手して読んで  みます。但し、今の天河大弁財天社はあまり良くない状況だとも聞きますね。  それでは。  TAO 00999/01000 QZA00337 おーてぃ RE^2:サナート・クマラ ( 9) 96/11/07 01:09 00998へのコメント TAOさん、こんにちは、 『鞍馬山歳時記』手に入れました。 とても、役にたっております。 ありがとうございました。 私は、レイキ発祥の地、鞍馬山に興味を持つものです。 今後とも、くだらないとも思える質問などを書き込むことも あると思いますが、よろしくお願いいたします。            おーてぃ でした。 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/11/08 - 05063/05112 GGA02514 KAZE 風遊戯100●神遊び (13) 96/10/10 09:48 05011へのコメント コメント数:1        そして 神が生まれる    神はいつも生まれているけれど    ほんのまれにしか気づかれない        わたしは神    そしてあなたも神    星も花も風も    猫たちもまた神        神は無数にいて    そしてたった一人    無限で    だからこそ有限にもなる        気づくのも神    気づかぬのもまた神    神はいつもそうして遊んでいる        神は喜び    そして悲しみ    みずからを励まし    そしてみずからを苛める        すべては一人で無数の役を引き受ける戯れ    舞台の上で演じ    観客席に座って喝采を送る        神は父として現われ    子として現われ    聖霊として現われる        その戯れのなかで    永遠であり    新しい可能性であるものが生まれる        神はいつも生まれている    けれど気づかれることはまれだ    気づきと無明が戯れあい    無限と有限が明滅する        一人遊びの    一人遊びによる    すべてがさらに大いなるすべてになるための    そんな劇場で         ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 05098/05112 GGA02514 KAZE 風遊戯101●NO!NAME (13) 96/10/24 22:16 05063へのコメント コメント数:1        ぼくは男などではない    男ではなくぼくなのだ    きみは女などではない    女ではなく君なのだ        ぼくときみは恋人でも夫婦でもない    恋人でも夫婦でもなくぼくときみなのだ    ぼくときみはただひとつのかけがえのない二人    なのにそれを何かの名前で呼ぶことなどできはしない        なぜ人は何かになりたがるのだろう    何かであることで安心するのだろう    名づけられようとするのだろう    そしてその名にふさわしくあろうとするのだろう        ぼくはぼくであり名などなく    きみはきみであり名などない    名のない二人がそこにいて    かぎりなくそこに充実している    そのことを名づけられる名などどこにもない     ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 05107/05112 GGA02514 KAZE RE:風遊戯102●そぞろ (13) 96/11/06 00:14 05098へのコメント        雨の後、なお降り続く心の雨よ    跳ぶか跳ばぬかとまどいつ    知るか知らぬか秋の月        こころそぞろに彷徨いつ    星の銀河の彼方まで    行きたし行けぬ歯痒さよ        日地月の団子に星の胡麻かけ食らふ人ありし    その人はまた途方もなき人情家なり    我はただ月見の団子を食らふのみ    また真に人を知り得る人でもなし        四苦八苦を悟りたる人ありし    その人はまたそれゆえに慈しみの人なり    我はただ四苦八苦に溺れるのみ    また真には慈しみを持たぬ者なり        こころそぞろに彷徨いつ    なお降り続く心の雨よ    されど我、誇り持て    自由を願う誇り持て    夜明け前の地を這う者なり    地を這う誇りを持つ者なり     ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 05080/05112 GFD00204 松川 貴     RE:久しぶりです>松川さん (13) 96/10/16 01:11 05077へのコメント コメント数:1  TAO さん いやあTAO さん、お久しぶりです。多くの皆さんが私に対して〈揺るがない人物〉 というような印象を持たれていたようですが、それは〈通信内における虚像〉の何も のでもないです。私は超人ではありません。きっとそれは私の〈話し方〉からくる印 象だったんですよ。 私は〈あの事件〉を本当に理解しているか。私の真意はなんだったのか。率直なと ころ私にも分からない部分があるのです。どうかこういう言い方を逃げと取らないで ください。「本音を言え」と言われても、自分が自分を理解できない状況に陥ってい る場合、〈正確に返答すること〉はとても難しいことです。でもとにかく当時私はバ ランスを崩してしまっていたということだけは確かです。  私は女性を〈美女〉だからという理由で〈尊敬〉することはまったくありません。 〈彼女は踊ることができる〉ということに驚かされたからです。私もこの5月までオ ードリーに対して、多くの人々と似たりよったりの印象しか持っていなかったのです。  オードリーは世界であまりにも有名になってしまいましたが、大部分のファンがオ ードリーを一定のフレイムの中で眺めつづけていると私は思っています。たぶん多く の人が今でもオードリーをアメリカ人だと思っているはずです。彼女はオランダ人で した。10代をヨーロッパで過ごした女性は、国内が戦場にならなかったアメリカ娘 たちのように陽気で脳天気ではいられなかったのです。(ちなみにキャサリン・ヘプ バーンはイギリス出身の女優だったはずです。)  オードリーは純粋培養された女優ではありません。それは彼女の生い立ちから、ア メリカのパラマウント映画に見いだされるまでの、彼女の苦闘を眺めれば一目瞭然で す。一方で彼女は〈運命の人〉という言い方もできると思います。運命が彼女をアメ リカの映画界に連れ去りました。彼女はその運命によく耐えたと思います。  オードリーのために弁明しておきますが、ひところ女性雑誌に載った「オードリー はケネディ大統領の愛人だった」などという記事はまったくのナンセンスです。  TAO さん、でもこりゃあ趣味論争ですよ。ひとつ騙されたと思って、私の推薦する 『オードリーの愛と真実』を読んでやってください。認識が変わること請け合います。                以上、オードリーと友達になりたい松川からでした。 05083/05112 MHD02672 TAO RE:久しぶりです>松川さん (13) 96/10/18 01:09 05080へのコメント コメント数:1  #5080 松川 貴さん   どうも。件の事件の“真相”については、それなりに解明されてくる時が  いつかきっと来るでしょうから、今は寝かせておいた方がいいのかもしれま  せんね。   お勧めの『オードリーの愛と真実』については、今度の週末に図書館で探  してみたいと思います。オードリーがオランダ人だということ、デビュー前  には容貌に対するコンプレックスに苛まされていたことも知っていましたが、  彼女の実生活における人生行路についてはよく知らなかったので、いい機会  かと思います。   さて、松川さんの本格的な発言もそろそろ読んでみたいところですね。12  番とか15番辺りに、松川さんの本領を発揮出来そうな話題が幾つかあります  し、期待していますので。ではでは。  TAO 05092/05112 GFD00204 松川 貴     RE:久しぶりです>松川さん (13) 96/10/19 23:17 05083へのコメント コメント数:1  TAO さん  TAO さんは(KAZEさんも)なんか私の関心と違う話をされています。私は〈女〉 の話をしているわけではありません。〈人間〉の話をしていたのです。(などとい う〈言い方〉をすると、「ほーら、松川流熱中ゲームが始まったぞー」などと思わ れるかナー。(でもオードリーの件はこの辺りでお開きにいたしましょう。)  それほど遠くない昔、テレビ『知ってるつもり』で、オードリーの特集があった ようですね。その当時私は朝刊のテレビ欄で、オードリーの特集があることを知っ たはずなのですが、「あっ、オードリーね。別に見なくてもいいや」と思ってその 時はそれで終わってしまったのです。後になってビデオで個人的にオードリーのこ とに興味を持ち、職場の皆に「オードリー、オードリー」と吹聴すると、やたらに みながオードリーの個人史に詳しい。みな、『知ってるつもり』を見ていたのです。 その時は「なんてこったい。俺が一番オードリーのことを知らない」と思いました。 オードリーの映画で本当に好きなのは『パリの恋人』(原題『FUNNY FACE』)一 本だけです。オードリーがこの映画を残していなかったら、私はオードリーに興味 を持つことはなかったでしょう。もちろんバレエにもです。  さて、〈日本〉。私生活面がまだ落ちついてない段階なので、落ちついたらぼち ぼち会話に参加しいこうと思っています。                                  松川 貴 05095/05112 GGA02514 KAZE RE:久しぶりです>松川さん (13) 96/10/21 12:18 05092へのコメント 松川 貴さん、どうも。 》 TAO さんは(KAZEさんも)なんか私の関心と違う話をされています。私は〈女〉 》の話をしているわけではありません。〈人間〉の話をしていたのです。 松川さんの関心とは違うかもしれませんが、 ぼくも〈女〉の話をしていたわけではありません。 〈人間〉の話、そして〈日本人〉の話をしていたのです。 そして、それはシュタイナーの神秘学の話にもつながるものです。 もちろん、そのネタとして〈女優〉をひきあいにだしたわけなんですけどね^^;。 ですから、映画でいえば、〈日本人〉に受けるストーリーでもいいですし、 〈日本人〉が好んでとりあげてきた題材なんかでももちろんいいわけです。 えっと、オードリーですが、オードリーの出演した分のレンタルビデを 借りてきましたので、今週から少しずつ見ていきたいと思っています。 では(^^)。 05065/05112 GGA02514 KAZE 何からでも学ぶ (13) 96/10/11 00:04 05061へのコメント あとみさん、どうも。 》でも受け手の感情のままに自分の中で響かせてしまうことは、声を発した側の感情 》とは別の響き方をしてしまいます。つまり、歪んでしまうのですね。 》 相手の思っていることをその通りに感じることは、自分の心の鏡にかかる己の感情 》という曇りを取り除かないといけないのですね。なかなか難しいことですが。^^; 確か西郷隆盛という人は、小さく叩けば小さく響き、 大きく叩けば大きく響く鐘のような人だ、というような形容があったと思いますが、 虚心坦懐に「声」を受け入れるということは、 みずからをそうした鐘のようにするということなのかなとも思います。 肝心なのはその鐘の精度というか、ちゃんと響くかどうかです。 自分の感情のフィルターを入れて響かせてしまうと、 その鐘は、二人が叩いた鐘のようになって澄んだ音にはならないわけです。 自分が相手の「声」をどう聴いているかによくよく注意してみると なんとなくわかるときがあるのですが、相手の声の持つ感情と、 聞いている自分の感情とは、干渉しあってさまざまな形を描きます。 自分の感情を透明にできるならば、相手の声の感情が、 そのまま自分のなかでその相手の感情の形をとって描かれることになるのですが、 まずはそういうことは困難なことですから(^^;、 せめて、「どう干渉しあっているのか」について意識的に感じとるようにしていけば 自分がどういうときにその干渉波を出しているのかがわかるようになります。 反感をもっているときに出す干渉波、交感をもっているときに出す干渉波、です。 》つまり好意を抱いている人の言うことは、何でもよく受け取ろうとしていたり、 》苦手だったり、はっきりヤだなぁと思っている人だと、何となくおざなりに 》聞いていた自分に姿に、です。 》自分の心の狭さというか、あまりの偏見さに結構情け無くなったモノです。 》 ただ、それに気づいたとき、自分の感情というフィルターを完全に取り除く 》ことは出来ないにしても、そのフィルターに「ちょっとどきなさい」とは、 》言えますよね。 ぼくも、「自分の心の狭さというか、あまりの偏見さ」には、 日々情けなさと後悔の念ばかりを感じているのですが(^^;、 先にお話したように、自分がどのような干渉波を出しているのかについて、 その「傾向と対策」を練っておくことというのは必要だと思います。 そうでないと、「フィルター」というのは強固ではがれにくいですから、 準備なしに「さあ、虚心坦懐にいくぞ!」ってやってもなかなかうまくいかない。 まずは、目標を決めて、「この人にはこういう接し方をしがちだから、 せめてそうならないように、聞くことに徹するようにしよう」というふうに 少しずつ訓練していくというのがいいように思います。 》 自分の苦手とする人をちゃんと理解するのって、ホント難しいです。 》でもそういうことにこそ学びの種はあるのでしょうね。自分の意にそぐわないことを 》言われたりされたりすると、不快の感情はすぐ浮かんでしまうのですが、 》そこで一歩引く、と言うか、冷静な態度が求められますね。 》 言葉を発した相手のその理由を「何故だろう?」と思い測る態度、心に余裕がない と 》決して出来ることではないのかも知れません。 そうですね、「嫌いでも理解」というのはほんとうに難しいと思いますし、 それはある意味ではずっと課題にしていく必要のあることだと思います。 ただ、そこで大事なことは、「嫌いでも理解」は 「相手を肯定すること」ではないということです。 場合によっては、理解することでこそ、 相手に対して毅然とできるということもあるのだということです。 「それはこういう点で間違ってはいないか」とは、 相手を理解しようとする姿勢なしでは言えるものではありません。 相手のいわんとすることを自分に響かせてはじめて、 その響き方について「なぜそういう響きがあるのか」が問えるわけです。 それは、つまり、快・不快によるのではなく、 理解できるからこそ、理解しようとするからこそ、持てる姿勢なのだと思うのです。 もちろん、そういう姿勢は少し間違って、自分をごまかしてしまうと、 自分を正当化し相手を非難するようなあり方に堕してしまうこともあります。 ですから、そういう自分のエゴにも十分注意深くありながら、 そのうえで、あえて、「言うべきことを言う」という試みを していかなければならないのではないでしょうか。 そして、もしそれに誤解などや無理解があれば、それを反省し、再検討しながら、 自分のもっているフィルターについての理解を深めるようにしていけば、 その繰り返しのなかで、自分を生長させていくことができるのではないでしょうか。 》                           あらゆるモノから 》学ぶことは出来るのだと、謙虚な気持を失わないでいないと、いろんなものが、 》見えなくなってしまいそうです。 この会議室で基本姿勢としていることに、「嫌いでも理解・・・」のほかに 「何からでも学べる・学ぼうとする」というのもあります(^^)。 これは喉頭の近くの十六弁の蓮華の開発についての部分(P125)でも ふれられていますので、少し先取りすることになりますが、 参考までに、そこを紹介させていただくことにします。   人生からできるだけ多くを学ぼうと努力することである。人生に役立ってくれる   ものは、たとえどんなに些細な事柄でも、無意味に傍らを通り過ごさせはしない。   自分の行為が不完全であったり、間違ったりした場合にも、それは同様の事柄を   より正しく、より完全に実行できるためのきっかけとなってくれたのである。他   人の行動を観察するときにも、彼はこのような目標のためにそれを観察する。彼   は経験という貴重な財産を少しずつ貯える努力の中で、その経験を絶えず反省の   材料にしようと試みる。決断や実行に際して助けとなり得る体験内容を重んじ、   これを顧慮せずには何事も行なわない。(P125-126) では(^^)。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05100/05112 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●13 (13) 96/10/29 17:36 05058へのコメント ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第13回/「霊界参入の三段階/開悟」(P57-77)その1 少し間があきましたが^^;、続けさせていただきます。   悟りは非常に単純な行から生じる。この場合にも各人の中に微睡んでいる感情   や思考を目覚ませ、発達させることが問題となる。忍耐力を結集させて、その   単純な行を誠実にそして持続的に遂行する人だけに、内部に顕現する光を知覚   する能力が与えられる。(P57) 滝に打たれたり、水に潜ったり、山を駆けめぐったり、断食をしたり・・・ というような荒行をしなければ悟れないとかいう思いこみがよくありますが、 むしろそれは、結果を得たいがための執着を強めることにしか ならないのではないでしょうか。 大切なのは、みずからの内に眠っている「種」を根気よく発芽させ、 それをさらに気長に成長させていくことなのだと思います。 それには、水と養分と光を適切なかたちで適切なときに与えてあげるという ことなわけです。 荒行は、そうした健全な発育をさせないような過剰な促成栽培的な 危険が常に潜んでいるといえます。 眠っている感情や思考の可能性を、ことさらな仕方ではなく、 持続的な単純な行を通じて育んでいこうとすることだけが必要なのだというのですが その「持続的」な「忍耐力」があるかどうかだけがここでは最重要になります。 つまり、結果主義に陥らずじっくりと待つということです。      最初は一定の仕方で様々の自然存在を考察することから始める。たとえば見事   に結晶した透明な石(水晶)との例を取り上げてみよう。先ず次のような仕方   で注意力のすべてをこの石と動物との比較に集中しようと努める。(中略)以   下の言葉に思考を集中させる。−−「石には形態があり、動物にも形態がある。   石は静かにおのれの場所に留まり続ける。動物は場所を移動する。場所を移動   するように、動物を促すのは衝動(欲望)である。動物の形態もこの衝動に従   って形成されている。その諸器官はこの衝動にふさわしいあり方をしている。   これに対して、石の形態は欲望に応じてはいない。欲望をもたぬ力によって形   成されている。」われわれがこの思考内容に没頭しつつ、あらゆる注意力を石   と動物の観察に集中するとき、われわれの魂の中に二つのまったく相違した感   情が生じる。石から或る種の感情が、動物から別の種類の感情が魂に流れてく   る。(P57-58)   おそらく始めからそうなることはないであろう。しかし本当に忍耐強くこの行   を続けていけば、必ずいつかはこれらの感情が表われてくる筈である。しかし   それには行をいつまでも続けていく忍耐力が必要である。これらの感情が現わ   れても、はじめは観察している間だけしか存続しないかも知れない。しかし後   になれば、外的対象をその都度観察しなくても、ただそれについて考えるだけ   で、この二つの感情は常に立ち現われてくる。−−この感情並びにこれと結び   ついた思考から、霊魂の知覚器官が作り出される。(P58) 自然存在には、鉱物、植物、動物というあり方があり、 それらを観察、考察することによって生じてくる感情があり、 そして、最初は外的対象を観察することで得られる感情、思考が、 対象なくしても、現われてくるようになるというのです。 確かに、石などの鉱物と植物、そして動物には明かな相違があります。 この世界においては、鉱物は物質体だけを有していますし、 植物は物質体と生命体を有しています。 そしてまた、さらに動物は感情をも有していて、自由に移動したりもします。 そうした違いを観察、考察するなかから、そのなかで現われてくる感情と思考に 没頭していくなで作り出されるのが「霊魂の知覚器官」だということです。      こうして形成された器官は霊眼と呼ばれる。この霊眼によって魂と例の色が次   第に見えるようになる。「準備段階」として述べた行を修めただけでは、霊界   の線や形象が暗い状態に留まっている。「悟り」を通してその線や形象は明る   くなる。(P58)      神秘学は見霊器官に対して石から流れてくる霊的色調を「青」もしくは「青味   がかった赤」、動物から感知されるものを「赤」もしくは「赤みがかった黄」   と呼ぶ。事実そのようにして霊眼に生じるものは「霊的な種類の」色なのであ   る。植物から発する色は「緑」であるが、それは次第に明るいエーテル的な薔   薇色に移行する。自然物の中で特に植物は高次の諸世界においても物質界での   特定の性質をそのまま表わしている。石や動物にはそのような例がない。(P59) 前章で扱ったのが「準備段階」で、この章で扱うのが「悟り」です。 ま、ここらへんの違いは、ぼくにはあまりわからないところですので^^;、 そうした「霊的色調」については、ふむふむ、そうか、ふむふむ、というように、 受け取ってくださればと思います(けっこう無責任な言い方ですね^^;)。   慎重な態度をとろうとせぬ限り、神秘学へ赴くべきではない。性急に進歩を求   めて神秘学徒としての自覚を忘れ、高貴、善良、もしくは物質的な現実感覚の   一片でも、神秘修行の過程で失うようなことがあってはならない。反対に自分   の道徳的な力、内的誠実さ、観察能力を修行を通して高めねばならない。たと   えば基本的な悟りの行の過程においては、隣人や動物に対する同情心、自然美   に対する感受性を絶えず高めていくように努力しなければならない。この意識   的な努力を怠ると、同情心も感受性も、行の過程で失われてしまう。心情は頑   なになり、現実感覚は鈍くなる。そしてそれは危険な結果を招く。(P60) これはとても大切なことです。 神秘学を学ぶということを、超能力を得るための修行だとかいうふうに思うならば それは大きな間違いだということです。 霊的な修行を性急に行なう方の多くが、「現実感覚」を失い、 「隣人や動物に対する同情心、自然美に対する感受性」を失って、 人格を崩壊させていくというのはよくある話ですが、 ここでシュタイナーは、「物質的な現実感覚の一片でも、 神秘修行の過程で失うようなことがあってはならない」というのです。 現代の日本には、唯物論的傾向と無自覚に霊的なものを求める傾向が ともに高まってきているように思います。 それは一見方向が逆であるかのように見えますが、 「現実」を見ようとしていないということにおいて、 このふたつは同じ傾向性の別の表現形態であるといえます。 ニューエイジや開発セミナー、そして安易なプラス発想の啓蒙などなどは、 すべて、すでに過去における叡智の霊的顕現方法の安易な安売りだといえます。 シュタイナーは「太古の叡智は一度失われる必要があった」といいますが、 それは、過去において正しかったとされる霊的な修行の方法に関しても、 もはや現代においてはほとんど無効になっているということであり、 安易に過去の方法を現代に持ってきてありがたがるのは危険だということです。 たとえば、現代では、思考ということを無視した安易な感情の耽溺は 麻薬でしかないにもかかわわず、ヒーリングだとかセミナーだとかで、 強調されるのはほとんど感情のマスターベーション以外の何者でもないのです。      本書に示された道を行くときには、無理をしない限り、誰も有害な影響を受け   ない。無理をしない、という点について、ただひとつだけ注視しておけば、自   分の生活環境や社会的義務が許す以上の時間と精力を修行に用いるべきではな   い。どんな人も、神秘修行のために、社会的な生活環境を一時的にせよ、変化   させてはならない。真の成果を得ようとするなら、忍耐を持たねばならない。   いつでも、始めてから数分後には行を中止して、静かに日々の仕事に赴くこと   ができなくてはならない。そして行についての思考内容が日々の仕事の中に少   しでも混入してはならない。最高の意味で待つことを学んだ人でなければ、神   秘学徒となる資格はなく、神秘学徒を志しても、すぐれた成果に達することは   決してないであろう。(P61) 「修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!」とばかり 一日中、いわゆる「修行」に耽溺することの危険性を認識する必要があります。 現代では、「社会的な生活環境」からかけ離れた修行は、逃避でしかありません。 毎日、坦々と特定の時間に極めて意識的な修行をしていきながら、 日常生活はそのまま通常のまま送ることができることが重要なわけです。 日常生活をなおざりにした修行の危険性について再認識しておく必要があります。 もちろん、だからといって、日常生活に埋もれてしまってはならず、 常に意識的な生活態度を心がけていかなければならないのは当然のことです。 日常生活から逃避することなく、日々、坦々と学びながら、 この引用にあるように「最高の意味で待つことを学」ぶこと。 それこそが、「神秘学徒」にとってもっとも重要なことであることを 忘れないようにしたいものです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05093/05112 QZA00337 おーてぃ はじめまして、サナート・クラーマについ て (13) 96/10/20 01:58 コメント数:1 お邪魔いたします。初めて発言させていただきます。 おーてぃと申します。 最近、シュタイナー、ブラヴァツキーなど、神智学系統の 本を読み始めたばかりの初心者です。 こちらの、会議室は、二カ月ぐらい前からROMさせて 戴いております。 こちらには、KAZEさんをはじめとして、かなり神秘学等に 詳しい方々がいらっしゃるようお見受け致しました。 そこで、教えていただきたいことがあるのです。 1650万年前に、金星より地球にやってきたと云われる 世界王 サナート・クラーマについてなのですが。 <サナート・クラーマは、七人のクラーマ(七大聖師)と、 六十人の大師とともに、白馬に乗って、炎に包まれながら ルシファーと闇の軍団の勢力のはびこるレムリア大陸におりてきた。 そして、地下の大空洞のなかに壮麗な秘密都市シャンバラを 建設しそこを拠点とした。> と言うことなのですが、この辺のところをもっと詳しく 知りたいと思っているのです。 また、この辺のところに関する本などを、紹介して戴けましたら 幸いと思っております。 日本におきましては、護法魔王尊として、鞍馬寺に祀られている。 ということなのですが、 この辺に関しましても何かありましたなら、教えていただきたい と思っております。 いきなりお邪魔しまして、勝手なのですが、 宜しく、お願い致します。                            おーてぃ 05096/05112 GGA02514 KAZE ウェルカム、おーてぃさん(^^) (13) 96/10/21 12:18 05093へのコメント コメント数:1 はじめまして&ようこそ、おーてぃさん(^^)。 今後ともよろしくお願いします。 さて、いきなりですが、「おーてぃ」さんていうハンドルネーム、 なんだか不思議な感じがしますね。 できれば、「おーてぃ」さんというのがどういうところからきているのかを お聞かせいただければ幸いです。 》最近、シュタイナー、ブラヴァツキーなど、神智学系統の 》本を読み始めたばかりの初心者です。 そうですか、それはそれは(^^)。 ぼくは、ブラバツキーのほうは、そんなに詳しくありませんけど、 シュタイナーに関しては、邦訳されているものなどはほとんど読んでますし、 その資料のほとんども手元にありますし、 まだ翻訳されていない原書も少しはありますので、 少しはお役に立てるかと思います。 もちろん、理解のほうはまだまだなので^^;、 いっしょにそれを勉強させていただければと思っています。 》1650万年前に、金星より地球にやってきたと云われる 》世界王 サナート・クラーマについてなのですが。 ううん、ぼくが知っていて、ある程度読んでるのは、 たま出版からでている「神智学大要」の5の「太陽系」あたりでしょうか。 その第19章「世界主と補佐役」(P137)のなかにこういう記述があったりします。   世界の主の下にはいろいろな部門を担当しているサナト・クマーラSanat   Kumaraと申し上げ、あるいは「一六(十六才)の青年」、「永遠の処女-   青年」ともいわれる。クマーラKumaraという言葉は肩書きであって、君主   あるいは統治者の意味である。他の方々と一緒に金星の進化系から現在の   第四環の中期と第三レミゥリア根人種の中期とに(1)地球人類の精神的進化   を早め、(2)地球の秘聖職階級(オカルト・ハイエラーキー)を創設し、   (3)地球天体の統治を引き継ぐために、地球にこられたのである。    ま、それ以外は、そんなに知らないので、すみません^^;。 ま、こうした神智学系の「知識」っていうのは、 けっこう派手目に感じられますけど、こういうのを知ったからといって、 自らの魂の成長というテーマとはあまり関係しないので、 半ば遊び感覚で知っておくくらいでいいのではないでしょうか。 ちなみに、このサナート・クマーラと「ルシファー」というのは、 どうも同じく「金星」あたりから来たとかいいますから、 その二つの存在を両義的に見ていく視点も必要かなとも思います。 ルシファーについても少しコメントしておきますと、 ルシファーもいわゆる堕天使としての闇のルシファーと 本来の光ととしてのルシファーというふうに、両義的にとらえておきたほうが その存在の意味についてとらえるときに有効だと思います。 》日本におきましては、護法魔王尊として、鞍馬寺に祀られている。 》ということなのですが、 そうですね、牛頭天王などともいわれますね。 それを日本神話ふうにいうと、スサノオなので、興味深いところですし、 「牛」を祭っていたのが、ユダヤのバール神だというのもけっこう示唆的です。 ちなみに、モーゼの像の頭には、牛の角があったりもします(^^)。 今回は、ここらあたりで。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05097/05112 QZA00337 おーてぃ RE:ウェルカム、おーてぃさん(^^) (13) 96/10/21 23:31 05096へのコメント KAZE さん、早速のご返事ありがとうございます。 あの、ハンドルネームなのですが、特別な意味はありません。 “おー”は、神道の警蹕のおー、仏教のオームのおー、 宇宙に鳴り響いている根源音の、おー。 さて、“てぃ”は、なんだろうと、考えてるところです。 まあ、頭文字だとでも思って下さい。すいません。 さて、さて、ご教授ありがとうございます。 >>自らの魂の成長というテーマとはあまり関係しないので、 >>半ば遊び感覚で知っておくくらいでいいのではないでしょうか。 そうですね。私も、基本的にそのように思っております。 たまたま、いろいろな偶然が重なりまして、サナート・クマーラに、 興味を持つこととなりました。今は、サナート・クマーラを おいかけることが、必要みたいなのですね。変な言い方を しますが、私の場合、自らの魂の成長というテーマと関係が あるのかもしれません。自分でもよく解らないのです。 >>ちなみに、このサナート・クマーラと「ルシファー」というのは、 >>どうも同じく「金星」あたりから来たとかいいますから、 >>その二つの存在を両義的に見ていく視点も必要かなとも思います。 >>ルシファーについても少しコメントしておきますと、 >>ルシファーもいわゆる堕天使としての闇のルシファーと >>本来の光ととしてのルシファーというふうに、両義的にとらえておきたほうが >>その存在の意味についてとらえるときに有効だと思います。 この辺のご指摘とても勉強になります。ありがとうございます。 そうですか、スサノオが牛頭天王と同一視されるというのは、読んだこと がありましたが護法魔王尊(サナート・クマーラ)が牛頭天王といわれている というのは初耳でした。一方、神仏分離令以前、アマテラス大神は、大日如来と 同一視されていたというのがありますね。 護法魔王尊(サナート・クマーラ)= 牛頭天王 = スサノオ     大日如来                   = アマテラス大神 天の神と地の神ですか。これはまた、おもしろいですね。 《魔王尊(サナートクラマ)より下方から、大日如来により上方から、  上下双方からの光により、陰影の出来るを許さず、まさに、  霊の浄化はもとより、想念霊界自体を解消する絶好の機会に、  恵まれることとなる。》 なる本を、読んでいたものですから、すみません独り言になってしまいました。 いやー、ありがとうございました。                          よかった、よかったの  おーてぃ でした。 05112/05112 GGA02514 KAZE 風の本棚●シュタイナー/黙示録講義 (13) 96/11/08 00:10 ■ルドルフ・シュタイナーの「大予言2」  (松浦賢編・訳・解説・イザラ書房/1996.10.25) 「大予言2」などと、タイトルはものものしく、かつ軽薄だけれど、 内容は、かなり重要なものなので、シュタイナーの思想を学ぶ者には 必読のものを多く含んでいます。 シュタイナーの全集は全部で354巻あるのですが、 そのなかで、第342巻〜346巻の5巻が刊行されたのは、 つい昨年の1995年のことです。 つまり、それまでは、限られた人しか読めなかったということです。 その5巻の内容を中心に紹介しているのが、今回の「大予言2」で、 これは、キリスト者共同体の司祭に対して、死の前年になされた一連の講義のうち 主に「ヨハネの黙示録」についての講義を収めている第346巻の内容を かいつまんで紹介したものです。 その5巻とは、以下のものです。 ■第342巻「刷新されたキリスト的、宗教活動のためのアントロポゾフィー的基礎」 ■第343巻「霊的認識、宗教感情、祭祀的活動」 ■第344巻「キリスト者共同体設立に際しての講義」 ■第345巻「作用する言葉の本質について」 ■第346巻「ヨハネ黙示録と司祭の活動」 シュタイナーの思想のメインテーマは、「キリスト衝動」だといってもいいと ぼくはとらえているのですが、その「キリスト」というのは、 通常の意味での「キリスト教」とはかなり異なっていますし、 そうしたセクト的な意味での「キリスト」ではなく、 現在、そして未来の人類にとって共通テーマとしての「キリスト」です。 ですから、それが「キリスト」と呼ばれていようとそうでないかろうと問題ではなく その「衝動」の内容が問題なのです。   いまや、人間は自己意識を備えた存在として、キリストの本質を、そして   キリストと世界全体のつながりを認識しなければなりません。そうするこ   とによってのみ、人間が実際に一人の「私(自我)」として活動すること   が可能となるのです。<「悪の秘儀」79頁>      子(訳注 キリストを指す)の衝動は魂のなかに受け入れられ、魂によっ   て手を加えられなくてはなりません。子の衝動は、魂が肉体の力や遺伝の   力から自由になるように、魂を拡大することができなくてはなりません。   子の衝動は人間の自由のなかへと入り込んでいきます−−初期キリスト教   の時代の人々は自由をそのように理解したのです−−。子の衝動は魂の自   由のなかへと入りこみます。そこでは魂は遺伝の力から自由になります。   子の衝動こそが、「父親によって与えられた人生を送るあいだに自分自身   を手に入れる能力」を人間に与えるのです。このようにして太古の秘儀に   おいて、人々は父なる人間と、父の息子であり、キリストの兄弟である人   間とを見ました。キリストの兄弟である息子は、自分自身を手にいれ、あ   る意味において肉体から自由になったものを自分のなかに受けいれます。   彼は自分自身のなかに新しい領域を担わなくてはなりません。それは自然   とはなんのかかわりもありません。それは自然とは別の秩序を提示します。   すなわちそれは、精神の領域なのです。(第364巻105−106)    この連続シリーズで紹介されたキリストについてのテーマは、 限りなく重く切実なものです。 この「大予言2」では、シュタイナーの「ヨハネの黙示録」をめぐる話が 紹介されていますが、これについては、既に訳されている 「黙示録の秘密」(水声社)で、詳細に解説されているところでもあります。 併せて読まれると、より理解は深まるかと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/11/08 - 04468/04477 GFB00026 一輝 魔術・錬金術・黙示録を表現した音楽 (14) 96/11/07 02:00 04439へのコメント コメント数:2 >#4439 SOUNDさん | 恥ずかしながらぼくは昔、プログレやアートロックやハードロックが苦手で、 |ほとんどキャッシュボックス誌やビルボード誌のトップ100 |に入る音楽しか興味がありませんでした。 |キングクリムゾンもあまり聴いた記憶がありません。 |まさか、そんな自分がアメリカでプログレのバンドを |組むことになるとは夢想だにしませんでした。 |結局すぐにバンドは崩壊してしまいましたが…。 ……………そうだったんですか。プログレというとつい様式化した音楽を想像して      しまうんですが、プログレというジャンルで括って売られているのは、      世界で日本だけなんですね。そしてこういったバンド人気に火がつき、      今なお確実にCDが売れるのもアジアの中では日本だけです。プログレ      でも、演奏者が自らを器とし、その器を通して何らかの宇宙的エネルギ      ーを体現しようと試みているものはごく僅かです。      1970年後半、日本で「新月」というプログレバンドが、喜多郎と前後し      てデビューしまして、ここのギタリストだった人が世紀末フォーラムで      お馴染みのHALさんです。アメリカでも、 SOUNDさんのような動きが あったんですね。プログレを問わず、魔術・錬金術・黙示録に影響を受 けた音楽を、以下に紹介してみます。         <魔術・錬金術・黙示録を表現したと思われる音楽> *KING CRIMSON/LARKS'TONGUES IN ASPIC *KING CRIMSON/STARLESS AND BIBLE BLACK *KING CRIMSON/RED             明確に魔術色・錬金術色・黙示録色を打ち出したのは、             以上3作品。REDを発表する直前に解散し、リーダ             ーのロバート・フリップは、神秘家グルジェフの高弟             ベネットの直弟子となり、しばらく音楽の世界から遠             ざかることになる。 *THIRD EAR BAND/ALCHEMY             バイオリン・チェロ・オーボエ・タブラなどを使い、             呪術的なサウンドを作り上げていた伝説の錬金バンド。             センセーショナルなイギリスデビューアルバム。 *AFRODITIES'CHILD/666             ヴァンゲリスが在籍したギリシア出身バンド。70年代 ヨーロッパで大ヒット。解散後、ヴァンゲリスはソロ             になり現在に至る。彼のデビューアルバムでもある本 アルバム(2CD)のテーマは、ヨハネ黙示録。 *POPOL VOH/HOSIANA MANTRA *POPOL VOH/DAS HOHELIED SALOMOS *POPOL VOH/LETZTE TAGE LETZTE NACHTE             いずれも旧約聖書をテーマとしたアルバム。ドイツ出身             のポポル・ヴーのメンバーは、日本でも知られる映画監             督ヴェルナー・ヘルツォークと旧知の間柄で、彼のサン             トラ音楽も担当している。 *BILL NELSON/CHANCE ENCOUNTERS IN THE GARDEN OF LIGHTS             80年代、YMOにギタリストとして参加していた元ビ             ーバップ・デラックスのビル・ネルソンが、グノーシ             ス派神秘主義の影響下にあったことは、日本でほとん             ど知られていない。グノーシスを音楽で表現する試み             が、イギリス発の本アルバム(2CD)。 *ENIGMA†MCMXC a.D.             1991年、日本でも大ヒットしたハウス系ベルリンサウ             ンド。全曲フルバージョンのプロモビデオが、日本で             も発売されているので、CDよりもビデオをぜひ薦め             たい。預言解読に役立ちそうな象徴記号が、映像随所             に散りばめられている。映像的にも素晴らしい。”浮 上するスパスシフィカ”らしきヴィジョンも出てくる。 エニグマは、魔術・錬金術等、かなり本気で傾倒して             いると見た。 ※この他、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジが音楽を担当し  たケネス・アンガー監督の映画『ルシファー・ライジング』も取り上げたかっ  たのですが、アルバム未発表なので除外しました。THIRD EAR BAND,AFRODITIE S'CHILD,BILL NELSON 以外は、日本盤で入手可能。                                     一輝 04473/04477 GBG02043 維/YUI RE:魔術・錬金術・黙示録を表現した音楽 (14) 96/11/08 00:10 04468へのコメント こんばんわ、一輝さん。 プログレ系、まるっきり詳しくないんですが…(キングクリムゾンは少し知っている) たまたま、”AFRODITIES'CHILD/666”ってのが書いてあったので…。 日本盤、CDなら手に入りますよ。 だって、私今年の夏前あたりに手に入れて、私の 「聞いたことないけど買っちまったCDコレクション」に入っていますから。 日本フォノグラムが出しています。 維/YUI 04476/04477 HQK00566 SOUND RE:魔術・錬金術・黙示録を表現した音楽 (14) 96/11/08 15:22 04468へのコメント #4468一輝さん、こんにちは(^^)。  <魔術・錬金術・黙示録を表現したと思われる音楽>の紹介ありがとうございます。 >> >>*KING CRIMSON/LARKS'TONGUES IN ASPIC >>*KING CRIMSON/STARLESS AND BIBLE BLACK >>*KING CRIMSON/RED >> >>            明確に魔術色・錬金術色・黙示録色を打ち出したのは、 >>            以上3作品。REDを発表する直前に解散し、リーダ >>            ーのロバート・フリップは、神秘家グルジェフの高弟 >>            ベネットの直弟子となり、しばらく音楽の世界から遠 >>            ざかることになる。  そうなんですか、ロバート・フリップはグルジェフの系譜に連なる人なんですか。  やっとKING CRIMSON/REDを見つけて購入しました。 発表当時のものと現在のCDではライナーノートも書き換えられたでしょうが 赤岩和美さんの書かれたこのCDのライナーノートから 錬金術関連の部分を引用します。 「錬金術道は黒から純粋の色である白へと辿りつくことを目的としているが、 その探究の究極の結果に”赤”があるという。」  なるほど、このアルバムは錬金術を表しているのですね。 何度も聞き直して表現している物を聴き取ろうとしました。 最後のSTARLESSという歌にはSTARLESS AND BIBLE BLACKということばが うまく使われていますね。視覚的な効果が曲に深みを与えて ぼくの耳には一番心地よく響きました。 ジャケット裏のメーターは確かに振り切れて レッドゾーンを指しています。 この絵の示唆するもの危険地帯なのか究極の結果なのか…。 考えさせられます。 エニグマのビデオは一度、 衛星放送で一部放映しているのを見たような記憶があります。 ハードロッカーやプログレッシブロッカーにとって聖書の世界や :魔術・錬金術は尽きせぬ魅力を持つテーマなんでしょうね。 どうも、コメントありがとうございました。 それではまた(^_^)/~ HAVE A NICE DAY! ** HQK00566/SOUND ** 04469/04477 HQK00566 SOUND RE^13:「炎で書いた物語」最終章7の19 (14) 96/11/07 15:24 04432へのコメント コメント数:1 「炎で書いた物語」最終章(その7の19) <わかりあえる日まで>(その19) 1991年8月21日(水)  ぼくたち一家はシンガポールのKallang theatre(カラン・シアタ ー)にいた。 リハビリのために転院した病院でなんとか車椅子なしで生活できるまでに回復して 頚椎損傷というあまりうれしくない肩書きつきの退院をし、 楽器を弾きにくくなったので昔買ったコンピューターで作った歌が ある音楽祭の日本代表として選ばれて出場したのだ。  リードシンガーとして頼んだ女性と息子と三人のコーラスで歌った。 妻は応援役として拍手にまわって大いに盛り上げてくれた。 普通のストーリーなら事故に遭って努力を重ねてそれを乗り越え、 音楽祭に出場して歌う場面がフィナーレになってめでたしめでたし、 というところなのだろうけれど  ぼくの人生のシナリオはそれが大団円ではなかった。 このシナリオの意外な展開を眼にするには十一月まで待たねばならなかった。 1991年11月29日午後三時  その日、ぼくは自宅で自作の歌を何度も録音し直してヘトヘトになった。 これだけ歌っても満足できるものが録れないのは早い話が歌が下手なのだ、 という簡単な結論にたどり着いて熱い風呂に入った。 長くつかり過ぎていたらしい。 湯あたりでボーとしてきた。風呂からあがろうとしても立ち上がれなくなっていた。 どうしたことか足が風呂桶の高さを越えない。 否応なく腿上げ運動を果てしなく続ける羽目に陥った。 このとき、ぼくの心臓はフル回転していたことだろう。 まわりのありとあらゆるものにすがりつきもがいた。 それまで蟻地獄に堕ちた蟻の気持ちを察してやるほどの やさしさはもちあわせてなかったが、 今は少しは察してやることができそうだ。 頭がのぼせて足で風呂桶をまたぐのはもう無理になっていた。 そのまま洗い場に倒れ込んで脱出した。 「鳥人ブブカでさえ予選のバーが越えられない日もあるのだ」 尺取虫のように壁際まで進んで湯気の中でのびていた。 そのとき、息子が学校から帰ってきて風呂場に倒れているぼくを見つけた。 ぼくは頭が痛いと訴えたという。痛かったかどうか、はっきりしない。 ソファベッドに横たえられてそのまま寝入った。  翌朝、妻と息子はいつも朝早く起きるぼくがいつまでも寝たままなので不審に思っ た。 ぼくの顔を覗き込むと白眼をむいている。 息子はぼくが冗談でやっているのか、と怪しんだという。 普段、そのくらいのことはしかねないと思われている。 それはこんなとき、まずい。  それでも、尿失禁に気づいたとき、 いくらなんでもそこまでは冗談をしないと思ったことだろう。 妻が住所を教えて受話器を置く前に救急車のサイレンが聞こえた、という。 救急車の中で妻はなるべく費用の掛からない病院を探してくれ、と頼んだ。 救急隊員はそんな余裕はない、 脈が弱まってとぎれかかっている、とあせって応えた。 それで運び込まれた最寄りの病院が東川口病院であった。  医師が頭を開くと血液が脳全体にまわっていた。 脳内出血だった。妻はその血の量に愕然とした。 出血後、二三時間置いておいても危ないのに一晩寝ていたので広範囲に血がまわってし まったらしい。 息子は子供だということでぼくの脳を見せてもらえなかったことを悔しがっていた。 人の脳の内部を眼にする機会というのはそうはないだろう。 別にそんなもの見たところでどうということはないと思うが かれの無念さがある程度理解できなくもない。  脳の手術中、息子は妻に不安そうに尋ねた。 「お父さん、レナードみたいになるの?」 レナードとは、少し前に観た映画「レナードの朝」の主人公のことだった。 ロバート・デニーロが脳の機能がうまくはたらかない人を好演していたので 息子にはその姿が衝撃的に焼き付いていた。 妻は答えに困った。ふたりで不安を抱えて手術の終わるのを待った。 手術後の回復期、ぼくは大暴れして人々に迷惑をかけたという。 点滴に鎮静剤を入れられておとなしくさせられた。 幸い都合の悪いことはなにも憶えていない。 「退院したら、ぼくは崇凰(すうおう)という名前で龍神として勞(はたら)く」 と見舞いに来た妻に宣言したことは憶えている。 妻は、とりたてて驚くでもなく、ああそう、とあっさり受け流した。 それだけでしまいだった。それで充分だった。 結局、退院後もそんな名前は使用したことがないのだから…。 一時の気の迷いだったのか。  脳の中身が治るまでの間、右脚の太腿に貯蔵のために埋めてあった頭の骨を 元の切り取った箇所に填(は)め込む手術はクリスマスの日に行われた。 切り取られた骨は冷蔵庫などに保存するより自分の体にしまっておく方が腐敗などしに くいので 太腿に埋めて保存してあったのだ。 将来いつの時代にかぼくの頭蓋骨が土から掘り出されるようなことがあれば この時代にもこれだけの脳手術をするだけの技術があったとの見本にされるだろう。 それとも、やはり二十世紀にはこんな野蛮な方法で頭の骨を切っていたと思われるか。  今でもあの時、麻酔が効くまでの間に見つめた無影灯が眼に浮かぶ。 この世で最後に見る灯かりかも知れないとなんとはなしに不安を感じたのだ。 時折、今もあのまま目覚めていないのではないか、とフト思う。 こうして、ぼくは頚椎損傷の後遺症に加えて脳卒中の後遺症も抱えて その後の人生を生きることになった。 なんのこっちゃ、 これではとうてい、めでたしめでたし、とは言えないようだ。   ********************************************************** <究極的かごめ唄考・>  かごめ唄についての考察を煮詰めてきていよいよ もう少しで煮上がるような気がしている。 発言番号03844 「炎で書いた物語」第七章(その1) において使用した玉置宮のお札の図が かごめ唄に関するものであると思われるので手を加えてもう一度掲げよう。       +----------------------------------------------+  下手 |                   (幕) |上手 右端|        \成 的 矢/        |左端    |  (月)○   \   /   (日)◎  |   |          \ /          |     |(雲)∈〜〜   音 × 弦  (雲)⊆〜〜 |    |          / \          |    | 松       / 須 \         |     | 明 花瓶   /波   礼\        |   |                        |    |  弓 (| 退       悪 |) 玉  |    |  神 (| 久   大   魔 |) 置  |     |  楽 (|    胎 金    |) 宮  |    |    (|     日     |)    |    |                       |  +----------------------------------------------+              (客席) >>94/07/11 左端から幕は閉じられようとしている、右端には松明灯る花瓶が。 舞台の右(水気)端の月の代(胎蔵界)で弓(夢)神楽は舞われ やがては退久となり数霊九は去る。こちらは現実界なので文字は上から読む。 左(火垂り)端は日の代(金剛界)で隔り世なので文字は下から読む。 魔悪はモウアクの音霊である。 悪魔(あくま)と書かれても本当の悪魔ではない。その反対である。 その方は玉置宮を下から読んだ闇奥霊(やみおくたま)として、 開く間(あくま)を待っていた。 それは門の間の日であり闇の門中の音である。  閉じられようとしている左端、舞台上手側に弦がある。 これが弦(ツル)なのである。 それではカメはどこだろう。 その場所をこのハロー・メッセージが示している。 これから開こうとする右端、下手側に松明灯る花瓶がある。 花瓶に松明をさしてあるのは不自然だが 日と月が重なって「明」けを松(待つ)ものが松明で象徴され、 それが灯っているということは、 明けを待っている間燃えているのだ。 それが燃え尽きたとき花瓶には本来飾られるべき花が生(い)けられることになる。 花瓶、花(八七)の瓶(カメ)がツルを待っている。 すなわち、これはツルとカメが須(ス)べるということを示した図であった。  この組み合わされた二本の矢の形は五(χ、ィ)の文字形である。 その部分を抜き出してわかりやすく並べると          成−−−的−−−矢           |\     /|              | \   / |               |  \ /  |                音   須   弦          |  / \  |               | /   \ |              |/     \|               波−−−−−−−礼  これは天から見たビラミッド形であり碁盤の裏のヘソでもあり、 そして、須をゝとした丼の形である。 井桁は主(す)を中心につながるのだ。 それがチョンあり井(丼)の意味である。              /\         ………………………………          \ /    \ /            \  〆   /             / \    / \              ………………………………                   \/                        >>メの神の世には 光 未だ齢(ヨワイ)を持たず >>今 しばらくの時を待つべし >> >>−−−カリカラの明王 (光の黙示録、詩編より)  メの神は〆の神であり目の神。 「光」の文字は火をヒトアシが掲げた姿。 視点を変えればπ(パイ)の上に三つのチョンが乗っている。 このチョンをぼく流に特定すると左がイザナギ、右がイザナミ、真ん中がスサノオ。 左がオシリス(スサノオ)なら右がイシス(イナダ)真ん中がホルス(ニギハヤヒ)。 左がYHVHなら右がマリア、真ん中がキリストということになる。 πはその三者の地上における乗り物、すなわち「人」のようだ。 「未だ齢(ヨワイ)を持たず」というのは「光の黙示録」の時点では まだ光が生長を遂げていなかったからであろう。 ヒカリは、仮(カリ)の日(ヒ)から真の光へと生長を遂げる。 「今 しばらくの時を待つべし」 時は「解き」であり、すべての封印を解ききるまでしばらく待たねばならない。 「カリカラの明王」とは仮の世から明ける王。 それはもうご承知のようにあの方である。         カゴメ唄の「後の正面だあれ」を 五の正面と読めば五の数霊の饒速日尊。 カゴメの中心に入るべき方であったが その座を瀬戸に奪われて「失し呂(炉)」の正面で今日まで待っておられた。          そんな強大な力を持つ瀬戸とはだれか。なかなか正体を見せない。 かれはエジプトでは混乱の神セトとしてオシリスを暗殺し、 日本では大日霎貴(オオヒルメムチ)尊の弟瀬戸(狭門)で 巧妙に己の名を隠して傀儡の主として君臨する。 門の中に音神を閉じこめ「闇」とし、門の中に日神を閉じこめ「間」にし、 音神と日神を合わせても「暗」いままにしてしまった。 キリスト教では反キリスト、SATANである。 ゾロアスター教ではアフラ・マズダに対するアフリマン。 宇宙では、デ・ゼビアス・デニアス・アイ(クリル)であり、 自らをグレート・マザー(グレイ)と名乗り姉、イシス(マリア)の名を騙(かた)っ ている。  しかし、もうかれの支配は長くない。 「左端から幕は閉じられようとしている、」のである。 サタンから幕は閉じられ、サタンは舞台から姿を消す。  かごめ唄の封印が解けて籠の中のトリ(饒速日尊)の登場が間近に迫った。 <究極的かごめ唄考、完> ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04474/04477 GBG02043 維/YUI RE^14:「炎で書いた物語」最終章7の19 (14) 96/11/08 00:10 04469へのコメント コメント数:1 毎度、ダイナミックな解読をありがとうございます。 そして、SOUNDさんご自身の体験談も。 私の旦那が頸椎損傷してまして、彼からいろいろと大変な話も聞いていたので、 SOUNDさん、きっとすごく辛い中、がんばったんだなぁ…というか……。なんともいえ ない気持ちです。 ところで、知識のない私に教えてください… (^^;)ワカンナインダモン クリルってなんでしょう????? 維/YUI 04477/04477 HQK00566 SOUND RE^15:「炎で書いた物語」最終章7の19 (14) 96/11/08 15:22 04474へのコメント #4474維/YUIさん、こんにちは(^^)。 いつも、コメントありがとうございます。 >>クリルってなんでしょう?????  この質問はぼくからARIONにしたい気持ちです。 ぼくにもはっきりわかっていないからです。 それでも、ぼくにその名前を書かせようというなにかの力が働いたようです。 何しろARION族はデ・ゼビアス・デニアス・アイとは長い間争っているのですから もう、そろそろ、クリルについて口を開いても良いのではないかと思っています。  ぼくのわずかな知識を書きますと クリルという名前はデ・ゼビアス・デニアス・アイの偽名だそうです。 特定させないためにいっぱい偽名を持っているだろうし、 今、一部の人々がそう呼んでいるだけかもしれません。 この名前はデ・ゼビアス・デニアス・アイより響きが良くて憶え易いし 子供の意識に進入してコントロールしやすいのでしょう。 これからクリルという名前が子供たちの間でもてはやされそうな気がします。 これが当たっているかどうかも自分自身首をひねっています。 ARIONさん、この説明をするにはぼくでは役不足で ぼくの説明では納得できない方が多いと思います。 どうか、よろしければみなさんにクリルのことを説明してあげてくださいませんか。 こんなところでふって申し訳ありません>ARION 維/YUIさん、拙い説明で済みませんでした(゚゚)(。。)ペコッ これ以上のことはぼくにはわかりません。 それではまた(^.^/)))~~~bye!! SOUNDでした 04470/04477 PAG03134 はな RE:ディメンション・ジャンプ (14) 96/11/07 23:43 04427へのコメント 一輝 さん  ポールシフト(極移動)とディメンションジャンプ(次元跳躍)の 説明ありがとうございました。 >>         ディメンション・ジャンプの場合は、時間そのものが過去 >>     や未来へ、地球の一部が斑状に跳躍することで、地球の崩壊エネル >>     ギーを分散させる効果ではないかと思います。前者の場合は、ジワ >>     ジワと磁気異常が飽和点を迎えて起こるのに対して、後者の場合は >>     人為的な崩壊エネルギーが突発的に放出され、飽和点を迎えて次元 >>     に亀裂が生じる。  これって、ゆっくり地震と大地震の違いのようですね。大地震にしても、ディ メンションジャンプにしても、エネルギーの出し方が突発的になればなるほど、 地球に与えるショックも大きくなり被害が拡大します。RTでもアリオンによれ ばこれ以上のディメンションジャンプは地球が耐えられないところまできている ほど、地球自身の生命力が弱っています。 >>     ARIONによればディメンション・ジャンプ(次元跳躍)は、地 >>     球で過去3回起きており、地球では、これ以上ディメンション・ジ >>     ャンプ(次元跳躍)は起きないそうです。  光の黙示録28節には、ディメンション・ジャンプらしき記述があります。 「時空の掟を破って、伝えし言の葉  我々の望み  過去の過ちを 再び繰り返すことを  其方達は望んでいるのか  3度の裏切り 3度の絶滅  この度は 思い留めよ」  「3度の裏切り 3度の絶滅」がディメンション・ジャンプの記述だと思いま す。そして、過去3度のディメンション・ジャンプにより、3度の絶滅があった と。絶滅とはその時に住んでいた人類を含め生命体の絶滅を言っているのでしょ うか。「この度は 思い留めよ」とは、今度ディメンション・ジャンプを引き起 こせば、地球自体が生命体を養えなくなる星と化してしまうからでしょう。  地球は太陽系から程良く離れ、生命体を養うために必要な水と大気などが、さ まざまな調和を保っている美しい星です。地球には疑問も多くあり、たとえば生 命の呼吸に欠かせない酸素、これは大気の成分に約21%の酸素が含まれていま す。酸素がこれだけ割合的に多く含まれているにも関わらず、大爆発をしないの は、奇跡とも言えるそうです。これ以上酸素が多くなると、大爆発をしてしまう し、これ以下ですと生命が住めなくなる、ちょうど微妙な混合割合だそうです。  「過去の過ちを 再び繰り返すことを其方達は望んでいるのか」と言われても、 「そんなこと言われても、知らないし、覚えていないもの」なんて声がどこかか ら聞こえてきそうですが、私は魂の深奥はこの事実を知っていると感じています。  mes#4446にて、アリオンは「今、ひとたび、時の掟に抗い。」と言っています。  これも、光の黙示録同節の「時空の掟を破って、伝えし言の葉 我々の望み」に 書かれているように、かねてから何度も言われていました。 >>     ディメンション・ジャンプ(次元跳躍)とは、地球にも時間の流れ >>     のパターンが無数にあって、今の私たちの地球以外にも別の時間を >>     過ごしている地球があるそうです。これらの地球は過ごしてきた経 >>     緯が違う為、私たちの地球とは似つつも、時間も地形も人種も異な >>     る地球。  今の地球は、生命進化の過程で生まれている地球のプロトタイプなんでしょ うか。いくつかの地球のうち、次の進化のステップに行けそうな地球は、次の ステップに進み、魂があまりにもひどい進化(退化)をした地球は次のステッ プに行かず無に帰される。  私は宇宙もエネルギーバランスってのがあると思っています。もし、私たちの 住む地球が無に帰される、つまり宇宙のゴミとなってしまうなら、たとえ一銀河 系の辺境に位置している地球とて、宇宙を汚してしまうのは事実です。アリオン は、このまま地球が死に至ってしまえば、一部の人間の魂はM42に転生すると 預言しています。しかも、地球に住んでいる人々のすべての魂を受け入れる余地 はないとも。地球が死ぬことによる宇宙エネルギーバランスの崩れ方は、宇宙全 体から見ても、決して過小な影響ではすまされないでしょう。宇宙の一部が汚れ てしまえば、宇宙のどこかにしわ寄せがくるはずです。エネルギーの欠損を補い、 宇宙のエネルギーバランスをとるためには、限られた魂でマイナスエネルギーを 補わねばならないのではないか‥‥と、私は考えています。 >>     ややこしい歴史のややこしい説明で申し訳ないです。これだけやや >>     こしくしてしまった生存者の子孫だけに、いま歴史教科書が左翼人 >>     たちによって大きく歪曲されて文部省検定を通過し、学校で配布さ >>     れていますが、嘘の歴史(清水書院を除いて総て歪曲済)にだけは、 >>     私たちは加担しないようにしたいものです。  私が高校生のころ、日本史の先生はこだわりを持っていて、当時教科書検定で 揺れていた清水書院の教科書を使っていました。富永さんだっけ?が書かれた教 科書だったのではないですか?  今、超古代史についてこの会議室で書かせていただいている私は、日本史の授 業はといえば、内職と、居眠りでほとんどを過ごしていましたっけ。                       はな 04471/04477 GBG02043 維/YUI かなり勝手な解釈(^^;)マイドォ〜 (14) 96/11/08 00:10 04446へのコメント >> 月の娘は既に成人になり、 >> 大地の掟を統べる様になった。 4446を読んだすぐ後に、錬金術関係の本の中に、「月が大地母神としてあらわれる」 というのをみつけました。しかも、それはアルベドの段階について記述されている章 です。 この月(の娘)が(成人し)母神と変容をとげる時、自我を自己と結合させる 性質がそこにあるそうです。 はなさんと星見さんが話している7番会議室での出来事 はやっぱり錬金術の一端であると、あらためて思いました。 >> 今ひとたび、私は私の掌(テノヒラ)から、 >> この銀の砂を零(コボ)そう。 この銀の砂が銀の粉と同じだとして、銀というのは、プラチナのことも表すという話も すでに出ています。 と、するとプラチナは白い金ですから、やっぱり第3段階にうつ る前、アルベドの段階の”金となるべくしてある金属”ということなのでしょうかね? その白金の粉とは…となると。 なんの脈絡もなく1つの結論を言うと、”自分を観る”又はそれに匹敵するなんらかの 行動がその粉であり、7番を読んでいると分かるのではと思うのですが、その行動は、 個人に影響を及ぼすものであり、粉=>97=>困難でもあります。 自分に降りかかる 困難をくぐり抜け、自我と自己を一端切り分けることで、プラチナの輝きを持つ者と なるわけです。プラチナはもしかすると鏡でもあるのかもしれないです。 7番は一個人のことを取り扱っているわけですが、この切り分けは個人レベルだけでは なく、家庭や職場、街、国、そして地球規模でも、大なり小なり行われてきているよう に思います。 リストラっていうのも、そういうのの一端であるだろうし。 もっとも かなりいきすぎだったり、それを利用して別のことをしようとしたりっていうことが 結構多かったみたいだけど。(そういえば、7番でもいきすぎじゃないかとか、それは 「自分を観る」を都合良く解釈して行動しているだけだとかって話がありました。) 維/YUI 04472/04477 GBG02043 維/YUI ログの編集、ごくろうさまです (14) 96/11/08 00:10 04457へのコメント 優位さん、大変ありがとうございます。 副代表がぼけてるもんですから、つい村の皆さんに頼ってしまって…。 すっごくかっこよくまとまっていたんで、さすがだぁ!!と感心しました。 HomePageにも是非のっけてください>みれさん&関係者 維/YUI