08839/08983 HGE02116 MAKOTO RE:ARIONよりの伝言(長文) ( 7) 96/11/10 23:09 08810へのコメント コメント数:2 #8810 >アラミスさん、割り込んでごめんなさい。今回は、お願いしたい事がある んですけど、聞いていただけますか? |それから一応私の話もしておきますが・・昔7番会議室ができた頃、私も自分を見 |る(この頃は観るじゃなかった)を一人でやっていた。丁度今のあなたみたいに |自分の考えや感情をブツ切りにして分解して見ていく・・これをやって行くとどう |なるかと言うと最終的に思考停止(ついでに言えば体も停止・笑)状態になって |行き詰まるんですよ、つまり駄目なんですねこれは(苦笑)。  ただ「駄目だ」というだけで無く、「駄目だ」と思った以降の話しをお聞かせ願 えませんか? それまでのやり方では駄目だと思った時点で、別の形での試行錯誤 を重ねられた事と思います。できればそのあたりのお話を、お聞かせいただけると 有難いのですが…  お聞きしたい理由は、「一人で」という事に限界を感じているからです。また、 「自分なりのやり方」というものに対して執着し続ける事に、行き詰まりを感じて いるからです。そういう気持ちから「自分を観るRT」にも立候補させていただき ました。  御一考いただけるなら幸いです。                                MAKOTO 08852/08983 GBG02043 維/YUI RE^2:ARIONよりの伝言(長文) ( 7) 96/11/11 01:37 08839へのコメント >> ただ「駄目だ」というだけで無く、「駄目だ」と思った以降の話しをお聞かせ願 >>えませんか? それまでのやり方では駄目だと思った時点で、別の形での試行錯誤 >>を重ねられた事と思います。できればそのあたりのお話を、お聞かせいただけると >>有難いのですが… 私も聞いてみたいです。>アラミスさん 私はここでは、自分の話、日常の出来事からのことなんかを書いていて、実際にRES でつっこまれたことが限りなく少ないので、あんまりいわゆる”自分を観る”にはなっ ていないように思っています。 ただ、他人様が鏡になる…ということでは、自分の行動に対する人々のリアクションや それに対しての自分のリアクションを観察するということを演劇の練習の一環でやって いましたので、多少役に立っているのかもしれないですが。(どっちかというと、そっ ちがルーツで観察とかを始めたのです。) 維/YUI 08864/08983 QFH02012 アラミス RE:ARIONよりの伝言(長文) ( 7) 96/11/11 18:37 08839へのコメント コメント数:2  MAKOTOさん、維/YUIさん>> 「駄目だ」と分かってその後どうしたのか? これにて一巻の終わり・・つまり何もやっていないと言う事です。 これは前にMAKOTOさんに、この場だったと思うけど返答しましたよね。私は 「自分を観る」事をしていませんと。つまりそれ以降特別に「自分を観る」 事をやっていないし意識してもいないのです。 それでは私がここに書き込むのは何かと言うと「自分を観る」とは無関係な 書き込みをする人が多いので、そんな人に「あなた何やっているんですか?」 と聞いているに過ぎない訳です(私の発言傾向を見れば一目瞭然でしょう、 私は「自分を観る」会話にはRESしていませんから) この会議室が正常に機能していれば私はここに発言する事は無いでしょうね。 * さて「自分を観る」を一人でやると行き詰まるのはある意味で当然でしょう。 かなり昔から鏡の話が出ていた通り相手が必要ですよ。それに自分のやり方 に拘っていたのでは独善に陥る事は十分考えられます。 ですからMAKOTOさんが現状打破の為にRTに参加しようと考えている事は必然 だし正しい方向だと思います。 08877/08983 GBG02043 維/YUI RE^2:ARIONよりの伝言(長文) ( 7) 96/11/12 02:17 08864へのコメント >>これは前にMAKOTOさんに、この場だったと思うけど返答しましたよね。私は >>「自分を観る」事をしていませんと。 思い出しました。以前に書いていましたね。失礼しました。 維/YUI 続き (改行で次の発言) > 08890/08983 HGE02116 MAKOTO RE:ARIONよりの伝言(長文) ( 7) 96/11/12 09:21 08864へのコメント コメント数:1 #8864 >アラミスさん、RESありがとうございます。  私は、維/YUIと違って、「私は自分を観ていない」という発言の事はよく 憶えていました。あれは、頭の中が真っ白になるくらいにインパクトの強いもの でしたから、私にとっては忘れられない発言です。それを踏まえた上で、それ以 降に何か変化があったのかと思って、質問させていただきました。  私の中には、「やってもいないのに、なんでそこまでむきになって文句つける んだ?」という疑問があります。また「いつまでも、文句ばかりつけていないで 不満なら、自分でこれというものを示すべきだ」という、苛立ちもあります。  その気持ちの前提となるのは、「やったものにしかいう資格がない」と私が思 っているからのようです。私の中で騒いでいるのは、「まず、自分がやってみせ ろ」なんですね(^^;)  ですが、「自分でやりもせずにえらそうに」という感情は、貴方に対して向け るものではなく、私自身のありように、まず向けるべきものです。私自身、言う だけでやっているとは言えない。…が、それを認めるのは痛いですから。他人の 事とする事で、自分が負うべき痛みを回避しようとしてしまう… そういった部 分があります。  こういった傾向についても、私の持つ不満に、大きく関わっているものですの で、RTではっきりさせたいように思います。  アラミスさんも、私とは別の形で、かなりの不満をお持ちなのでは、ないので しょうか? 理想とする姿に反するから、つい物言いたくなる、そんな感じをい つも受けてしまうのだけど… これは、私の感じている事です。掘り下げてみる ことに、感心があるのですが、アラミスさんの意志次第ですものね。また、今は 自分を観るRTの事に徹したいので、取り敢えずは保留にさせていただきます。                          MAKOTO でした☆ 続き (改行で次の発言) > 08896/08983 QFH02012 アラミス RE:ARIONよりの伝言(長文) ( 7) 96/11/12 18:43 08890へのコメント MAKOTOさん>> 私も不平不満ありましたよ>>過去、それは多分MAKOTOさんの想像通り 「何でこの会議室には主旨から外れた、勘違いのあさって野郎ばかりが 我が者顔で書き込みしているのだ?おまけに叩いても叩いてもいくらで も湧いて出てきやがる・・対応が生温すぎるんじゃないのか?」と。 でも今はもう不平不満は無くなりましたよ・・もうかれこれ一年近くにな りますかね。何故無くなったかと言うと一つはこの会議室は清濁ひっく るめての場という事がよく分かった為と私自身FARIONへの過剰な思い入 れが無くなってしまったからなんですよ(信じられないかもしれません が) だから今やっている事は不満とは無関係なんですよ。 MAKOTOさんもRTの日時が決まった様ですし、専念すべき事柄にあたるの がよろしいでしょう。 続き (改行で次の発言) > 08853/08983 VFG01465 ばかまま 正直に言ってくれて有り難う ( 7) 96/11/11 06:09 08825へのコメント  こんにちわ 導さん    他のもレスがついているようですが それは 読まずにこれを書きます。  だから これは 私だけの意見だと思って下さい。    導さんには 導さんの信念がおありになる。これは わかりました。  ですが ここは「自分を語る」会議室ではありません。  似ているようでも違います。  ----------------------------------------------------------------- >>ARIONという存在が神霊族などと言っていることが腹立たしか >>ったのです。  他にあなたが 腹立たしくて批判したことのあるものは 何でしょうか。   >>信じる信じないはその人間に任せるとしても、    ご自分の言葉に責任をお持ちになれますね?  任せるのですね。 では 任せていただきます。       >>人間と神の関係は私如きも語れるものではありません >>が、少なくても肉体を持たぬ宇宙精神などと言う陳腐 >>な神秘性を盾にとり、真理を語ろうとする事は卑怯で >>あると思う。何故ならそうゆう神秘性を前提にARI >>ONは歪みのない鏡とすることは、信仰であるからだ >>。信仰の全てを否定するのではありません。  人間と神との関係を語れないわけではないでしょう?  それは 考え違いをしていらっしゃいます。  「神」とは ふれてはいけないものですか?  導さんは「神」を そんな遠くにお供えしているのですか?    >>ARIONが先見を持つ、人間としての発言であるな >>ら、真実の自己を観ることはARIONを観ることで >>はないと、いう言葉はうなずける。  仮定の段階で ARIONの言っていることとは 違うので  導き出した答えは 違います。  うなずいているのは それは 思い違いです。   >>私はARIONを試したのです。かつてARIONは >>私を試す試みには乗らないと言っているが、私は人間 >>としての怒りから、試したのであります。  人間としての怒りを発するのに「試す」という消極的な態度は  導さんの「神」という文字がついている存在に対する 極度の  恐れを表しているとは思い当たりませんか?  試してみて どうでしたか?  胸のすく思いですか? その同じ胸で 死んでいく子どものことを  哀れんでいるのですか?      >>もしこれが過ちであり、独説であり、私個人の幻想で >>あるなら、そしてARIONが本当に神霊であるなら >>、私の命を取ってみてくれ。私はそれが過ちなら、何 >>時でも命をなげうつ。但し人間の尊厳をかけて私は如 >>何なるものとも、たとえ神霊であろうが闘う。  導さんの命は導さんのものですよ。  ARIONに投げ出さずに 導さんのご心配されている戦地と化した  他国に 命を投げ出す覚悟で家族を置いて出ていく人がいるのを  知らないはずはないでしょう?  そこに投げ出す命は 持ち合わせていないのですか?  人間の尊厳をかけるなら 人間として 人間のためにお使い下さい。     >>はっきり言う私はARIONを人間と見ている。  違いますけど。 導さんが そう思うことで得るものはなんですか?  なぜ そう思いたいのか。 自分をご覧になって下さい。  ここは そういう会議室です。  「ARIONにもの申す」会議室ではありません。     >>又、ARIONを神霊と信じるもののひたむきな純粋 >>さと信仰心を尊びます。  神霊を信じることと 信仰心とは 少し違いませんか?  そして 大きく違いますよ。    >>しかし、ARIONが導く言葉の光を受け止め。 >>真実の自己の追求並びにその追求は何が目的なのか、 >>その事については互いの立場や概念を越えて、共に見 >>つめたいと切に願う。 >>そして、この場で、新しい道が開けて行くことを心よ >>り願います。  真実の自己の追求? それは 違います。  やはり 過去LOGを熟読されたほうがいいと思います。    「切に願う」「心より願います。」  願うだけの人は この会議室には向かないと思います。  -------------------------------------------------------------  導さんは この会議室の主旨に賛同するのか しないのか。  参加するのか 退出するのか。 これを導さんが決めなければ。  違いますか? 導さんは 自分のことをするのです。  他人のことをするのではありません。    この会議室は 主旨に賛同せず 参加しない人には入る必要のない  所だとは お考えになりませんでしたか?    導さんの意に添わない全ての対象について導さんの命がつきるまで   「批判行脚」していかなければなりませんね。  そんなことに 導さんの命を使いきって それで納得出来ますか? 続き (改行で次の発言) > 08863/08983 QFH02012 アラミス RE:RE^2:導さんとARIONの会話を読ん で ( 7) 96/11/11 18:36 08838へのコメント 導さん>> 自己陶酔が分かっているならば、それは止めた方が良いでしょう。 そんな状態で参加できる様な会議室じゃありませんよ>>7番会議室 特に酔っぱらいはいけません最悪ですね、素面に戻って頂かないと。 顔洗って頭冷やして来た方がよろしいでしょう。 それから個人的な感想を言いますと、導さんの日常は自己陶酔だら けに見えますが?そんな自分を見失った状態で大丈夫なんですか? 武道の道を歩んでいる方の言葉とは到底思えませんが。 さて・・皆さんのRESへの返答を見て思うのですが。 いったい導さんは何しにここにやって来たのでしょうか?基RESの 8825は神霊などと名乗る存在はけしからんと言うのが主旨>>導さん その後の話は言い訳に終始している様で見苦しいったらありはしま せんが。 - FARION MES( 8):恋愛錬金術  ★ 愛と性を本音で語る 96/11/19 - 01654/01667 SDI00635 みれ RE^2:援助交際/我慢出来ないぃ(*^^*;) ( 8) 96/11/12 22:27 01653へのコメント #01653 めのうさんへ  どもども(^_^)  いやぁ、確かに凄いタイトルだわ(苦笑) | 私が恐れているのは、「我慢できない」が「我慢しなくてもいい」になり、 | 更にそれが広く当たり前になってしまうことです。 | ケダモノ社会はいやだよう(>_<)  これこそARIONが言っている「体主霊従」の結果でしょうね。  …と、別にARIONの宣伝に来た訳じゃないけどさ>私(^^;)  ケダモノにだってルールがあります。  生きてゆく上での過酷な競争や能力に依るピラミッド構造も。  でもね、今のこの日本社会は弱者保護という名前に隠れた、過剰な能力弱体 化運動があり、過剰な差別撤廃思想に依る能力低下運動があってケダモノ社会 の様な弱肉強食も無く、天敵も居ないという状態ですから、ケダモノ社会より 悪いと言えると思います。  これを何とかするには、やっぱり地道でも一人一人の人間の、心身共に自立 することからしか無いんだろうな、と思います…でもちょっと溜め息(^O^;)                             ☆みれ・:・。,☆ 01655/01667 MHD02672 TAO 援助交際に走る理由 ( 8) 96/11/12 23:59 01652へのコメント コメント数:1  #1652 SUKEさん   どうも。ある意味ではもはや末期症状か?とも思えてくるよーな援助交際  の横行ですが、最近、『限りなく透明に近いブルー』の村上龍氏が「援助交  際」をテーマにした作品『ラブ&ポップ』(幻冬舎刊)を書き下したそうで、  『サンデー毎日』にその対談が載っていました。村上氏が女子高校生を取材  して最も衝撃を受けたのは、援助交際に走る少女達が決して「特殊な」子で  は無く、むしろどこから見ても普通の子としか思えないマジョリティが大多  数だったということだそうです。   売春だけで無くクスリもやってしまう子達が数パーセントいて、その反対  に受験勉強に専心している子達も十数パーセントいて、その間の圧倒的なマ  ジョリティが援助交際に走っていると言う。   それが事実ならば、そこら辺を歩いている、いわゆる普通の子達の中で売  春行為に何らかの抵抗も感じずに行っている子もいる訳で、援助交際をやる  ような子はやはり少数派だろうという思い込みは幻想じゃないか?と考え直  しましたね。援助交際をやるような子は身内にはいない、という思い込みに  浸っている家庭って、結構多いじゃないかなと思います。あくまでも人事と  している。   「普通の」少女達が売春行為に走るのは、SUKEさんが「物欲を満たす為に  我慢するのは嫌だから、手っ取り早い手段を取る」だけでは無く、そういう  あり方が可能な社会の鏡となっている面もあるじゃないかなと思います。昔  から少女というのは、無意識的かつ敏感に世相を反映して来たところがある  訳で、ある意味では「カナリヤ」なんですね。   少女達の援助交際は決して特別なことでは無く、欲望を野放しのままにし  て来た日本社会の膿から必然的に生まれて来たことだったかなと考え始めて  います。   村上氏は、少女達がブランド品等を買うために自分の身体を売るというこ  とのリスクをどこまで理解しているかを疑問とし、例えばお客の中に暴力団  や変質者もいたりして不思議は無い訳だし、援助交際で殺人行為が起こって  もおかしくは無い筈、という発言もありました。   ふと思ったけど、ラブホテルの中で女子高校生の死体が発見されるなんて  いう事件が起こったら(-_-;)、援助交際ブーム(?)はいっぺんに冷めるかも  しれない、なんて…。既に、12番会議室でも書かれていたようにエイズが  蔓延しつつあるようですし、実際HIV感染者は年々増えているといいます。   欲望の果ての自滅、これが日本社会の末路にならないだろうか?  TAO 01658/01667 NBB01420 SUKE RE:援助交際に走る理由 ( 8) 96/11/16 23:07 01655へのコメント コメント数:2 #1655 TAOさん、こんばんは。 サンデー毎日、僕も読みました。 あの記事では「普通の子が援助交際している」と言う風に書いてありましたが、 むしろ「援助交際するのが普通の子だ」になっているのでしょうね。 援助交際は、その辺でアルバイトするのと同じくらい、当たり前のことになっ ている。特別な子でなくても、誰でもきっかけさえあればやってみたい、一つ の楽しみなのでしょう。 あの記事で、「あと残り人生約60年はどうするのか?」と言うような質問に 「40年でいいよ」と女子高生が答えたあたり、それが正に現代っ子の世界観 なんだろうとはっとしました。 つまり、「世の中、たかが知れてる」訳です。 子供の頃は、家の中でも広かった。大きくなるに従って町の中を遊ぶようにな り、それから電車やバスで高校に通うようになり、大人になると自動車や飛行 機で日本や世界を行き来できる…もはや高校生の段階で充分に地球は小さく見 えてしまう。 子供の頃、TVで観た怪獣いや魔法遣いは、現実には存在しない。世の中には 会社と言うものがあり、お金の流通で全てが価値化され、地球を守る正義など 本当は誰も意識していなくて、三流政治家の浅はかな言い訳に一喜一憂する ニュースから眺める日本は、もはや何も楽しそうな事はない。大人になったら、 そういう社会に組み込まれて下らない人生を送るしかない…。 東京の道路で、その地下に何があるか?と見おろすと、アスファルトの向こう に地下配管やら鉄道やらがあって、後は土ばかり。実際に見なくても想像出来 てしまいます。 空の向こうには真空の宇宙があって、どこまでも続いている、それは行かなく ても想像できます。 世の中、既にわかってしまったことばかり。 こんな「ネタのばれた世の中」にあって、生きる先行きが見えてしまっている 状況では、学校で勉強するのも何の意味も持たないでしょう。親を安心させる 為だけの勉強になるのも当然です。 そして、詰まらぬ社会人に収まる前に、今、未成年という立場で出来るだけの 事を楽しんでおきたい…何と言っても、たかが知れてる世の中です。最後の生 きる望みは「楽しみ」でしょう。それしかもう残されていないのですね。 だから、彼女らの価値観は「楽しいか?」でしかない。 こうした絶望感の中で、「あと40年でいいよ」と言う彼女らの気持ちは分か るような気がします。五感で感じられる物質しか理解し得ない彼ら彼女らには、 もはやこの世の中に夢を持つことが出来ないのかもしれないと思います。                              Suke.(^_-)☆ 01660/01667 NBB01420 SUKE ユダヤの救世主が日本に現れる? ( 8) 96/11/16 23:07 01652へのコメント …ってタイトルだけ見ると会議室間違いのような気がしますが(^_^;) 「ユダヤの救世主が日本に現れる」中矢伸一著 徳間書店 日月神示の解説でもよく知られている中矢氏の著作で、タイトルを見ると「な んだなんだ??」と言う感じですが(^_^;)その中の一節に次のような一節があ ります。 >> 「自分さえ良ければいい」「今さえ楽しければそれでいい」といった独善的 >>打算主義は、若者の間ではほぼ完全に浸透してしまった感がある。 >> 髪を金髪に染め、ロック音楽に身をゆだね、酒と煙草とセックスに明け暮れ >>る彼らの中には、「何で日本人なんかに生まれたんだろう。アメリカ人に生ま >>れれば良かったのに」と呟く者もいる。        (P57) まぁ中矢氏は結構断定的にびしっと書いてしまうところあたりに過激さを感じ るのですが、この一節にある「独善的打算主義」と言うのは言い得て妙かなと 思いました。 女子高生らがハーフになりたいのも、こうした価値観から生まれてくる遊びの 一つなのかも知れません。                              Suke.(^_-)☆ 01664/01667 FAA00103 Meison 御無沙汰です。 ( 8) 96/11/18 12:08  皆様お元気そうでなによりです。此方はこれから夏を迎え、 月初めからサマータイムに入って、日本と2時間の時差が有 ります。  TAO氏の少女売春に関する論説、大変興味深く拝見いた しました。そして、ふとこんな事を考えてみました。  昭和30年代、売春防止法に血眼になっていた婦人活動家 の先生方が今生きて居られたら、この世相を如何におっしゃ るだろうかと...。  確かに公認売春業は無くなったけれど、それは売春そのも のを野放しにして、市場を青空の下に広げてしまったのです から。  まさか「解放された女性が、自らの意志で選んだ所行。」 と満足される筈は有りますまい。  少し冗句が過ぎたようです。  毎日、諸兄姉の御発言を楽しみに致しております。  では又                 豪州ルンペン Meison 01667/01667 NBB01420 SUKE 高校生が小学生に撃退さる! ( 8) 96/11/18 21:19 出張で電車に乗っていたら、女子高生がドアに背をもたれていて、横から頭一 つ高い男子生徒が、彼女の脳天にキスする如く顔を当ててじゃれていた。彼女 の顔は見えないが、男は耳に小さなピアスをしている。 次の駅で騒々しい小学生の餓鬼どもが乗ってきた。男が少し居心地悪げに顔を 上げたりまた伏せたりした。見ると餓鬼どもがちらちらとカップルを見ながら ニヤついてコソコソと話している。 いたたまれなかったのか、次の駅で男は彼女から離れ、先に降り口まで行って しまった。女は「なによイクジナシ」と思ったかどうかはわからないが、不満 げにじっと見ると、ついて降りて行った。 普段はラッシュにうっとおしい餓鬼どもだが、今日ばかりは「よくやった!」 と褒めてやりたかったが、何も言わなかった(^^;) 餓鬼どもも降りていって、残った二人がカップルのいたドアのところに来た。 「ここだぜ」 「こんな感じで」 「そうそう、こうやってたよな」 「やだねぇ〜」 こやつら…(^^;) 一人がドアガラスを指でこすりながら 「なんかあったかくないか?」 「ほらぬるぬるする」 あの女の子は制服の背中越しにガラスを濡らすほど背中から○液を出す異生物 んな訳はないので、別にぬるぬるする筈はないのだが… それにしたって小学生に冷やかされたからって女を置いて先に逃げてしまう男 だなんて、なんて情けない野郎だか。 電車の中なんかでいちゃつくからだ、もっと静かな公園とかだなぁ……… いえ、何でもありませんっ。                              Suke.(^_-)☆ PS:餓鬼どもはあの後、ドアガラスに向かって手を振りかざして  「死んでやるぅ〜っ」などと遊んでいた。幸せな連中… - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/11/19 - 01001/01016 MHD02672 TAO 鞍馬山の魔の空間 ( 9) 96/11/10 22:43 00999へのコメント コメント数:1  #999 おーてぃさん   どうも。『鞍馬山歳時記』が入手出来た旨、良かったですね(^^)。鞍馬山  に関する文献では、下記の書籍も参考になるのでは無いかと思います。   『場所の記憶 −日本という身体−』(鎌田 東二著、講談社学術文庫)   著者は国文学研究者で、神道学や宗教学等の分野で独特の直感に基づいた  著作活動を精力的に努めている人です。上述の著書では『「神」と「魔」の  トポロジー 鞍馬山の魔の「空間」をめぐって』という一章をしたためてお  り、非常に刺激的な内容となっています。   鞍馬山の奇祭「五月満月祭」についても、そこにおける神智学オカルティ  ズムの影響や秘儀的な要素に関して詳細な描写がありますので、単にぶっ飛  びモードの読み物としても楽しめるのでは無いかと思います。五月満月祭に  現れるという仏陀は、マイトレーヤ(弥勒菩薩)だとされていますが、弥勒菩  薩については「弥勒菩薩とは誰か」シリーズを(#290,#292,#343,#368,#559)  ご参照下さい。   「五月満月祭」には一度行ってみたいものですね。ではでは。  TAO 01002/01016 QZA00337 おーてぃ RE:鞍馬山の魔の空間 ( 9) 96/11/11 23:22 01001へのコメント コメント数:1 TAO さん、ありがとうございます。 実は、偶然なのですが、鎌田東二さんの本、ちょっと前に手に 入れてました。 鎌田東二さんの名前は、別件にて知る機会がありました。 立ち読み中、背表紙に鎌田東二さんの名前をみつけ、手に とってみたところ鞍馬山のことが書いてありまして、すぐに 購入、読みました。すばらしく、とても参考になりました。 さて、私は、天河にも、ご縁をいただき何度か訪れております。 天河にて、不思議体験もさせて戴いております。 ただ、最近、天河には、あまり良いうわさはありません。 フライデーなどに、スキャンダラスに扱われました。 これが、2度目と思います。 さて、1度目のあと、『天河曼荼羅』なる本がでました。 こんな天河の現状を憂えてだされたようです。 その編者が、鎌田東二さん、津村喬さん、だったのです。 その時の印象が、強く残っておりました。 ただ、それだけのことなのですが。 さて、私は、神奈川県に住んでおります。ほとんど、東京よりです。 鞍馬山、天河は、とても行きたいところなのですが、なかなか、 気軽にはいけません。とても残念です。 「五月満月祭」私も、是非、行ってみたいと思っております。が‥‥。 いろいろと、ありがとうございます。                             おーてぃ でした。 01011/01016 MHD02672 TAO AMA族談義 〔4〕 ( 9) 96/11/17 07:16 01005へのコメント コメント数:1  【聖徳太子と蘇我氏 1】   今回から聖徳太子、そして彼と血縁が深かった蘇我氏について述べたいと  思います。先日奈良へ出かけた折りに、法隆寺にも寄って来ましたので、そ  の報告から…。  *夢殿   例によって夜行バスで奈良まで移動した翌朝、奈良の空は見事なまでに快  晴だった。朝食を駅で済ませ、正倉院展へ向かう。開場1時間前にもかかわ  らず、既に数十人の列が出来上がっていた。正倉院展を見終えた後は、法隆  寺で人と落ち合う約束がある為、JR線で法隆寺駅に向かう。   法隆寺の中門の前で、某ドクターと美人の婚約者が待っていた。ドクター  はFARIONのアクティブであり、顔馴染みでもあるのだが、婚約者さんとは初  対面。手話を多少たしなんでいるとかで、それが結構スムースな手話だった  ので、この日は意志疎通にあまり不自由は感じなかった。   法隆寺の定番見学コースを巡って来て、最後には夢殿に辿り着いた。聖徳  太子がこの中でよく瞑想に浸ったという伝承が伝えられており、八角円堂と  いう珍しい形態がよく知られている。この八角円堂について意表を衝く解釈  を施したのは『聖徳太子の正体』(文春文庫)で「聖徳太子=トルコ系の渡来  人」という奇想天外な論を披露した小林惠子氏であり、古代ペルシアの国家  宗教であったゾロアスター教も、八角形の神殿の中で聖火を燃やしていたと  いう説を紹介し、聖徳太子の正体が中央及び西アジアから来た人だったから  こそ、夢殿の八角形にもそれが投影されたのでは無いかとしている。   ゾロアスター教の影響については、蘇我馬子や聖徳太子が生きていた時代  には、ペルシア人らしき人が渡来したという記事が『日本書紀』に残されて  いるので、当時の日本列島には思ったより遠方の国からも来日していたよう  だ。正倉院にも、シルクロード経由の宝物が数多く納められており、ペルシ  アガラスの瓶など有名である。   『古代の日本とイラン』(学生社)を著した井本英一氏は、飛鳥地方に数多  くされている石造遺物は、このような外来人によって造られた可能性がある  としている。蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台も、そうだろうか。飛鳥の石  造遺物には、日本人離れした感覚を感じるのである。   話はさらに逸れるのだが、古代イラン語には「アマ」という“力”を意味  する言葉があり、ゾロアスターの家名「スピタマ」或いは「スピターマ」も  「白きアマを持つ」という意味だという。ゾロアスターの家系に代々伝えら  れて来た霊能のことを指すのであろう。   話を夢殿に戻して、夢殿には聖徳太子をモデルにしたと伝えられる「救世  観音」が安置されている。梅原猛氏の『隠された十字架』(新潮社)で、長ら  く450m余にもわたる木綿布でぐるぐるに覆われて、秘仏として封印され  て来たというエピソードが有名になったが、確かに異様な面構えでちょっと  怖い感じもある。そして、極めて異国的な匂いもある。   救世観音の光背は火焔型で、両手に納められている曲玉も火焔型であるこ  とから、そこにもゾロアスター教の聖火信仰の影響を感じ取れないだろうか。  そして救世観音の宝冠に付けられている飾りにも、当時のペルシア文化の影  響が窺えるとする学者もいるのである。実際、夢殿に伝来されている「四騎  獅子狩文錦」もササン朝のペルシアの流れを汲んだ文様とされ、当時のペル  シアと日本の文化交流を証明するものとして注目されている。   東京の国立博物館の別館、法隆寺宝物館にも、ササン朝ペルシアのパフラ  ヴィー文字が刻まれた白壇の香木が保管されているが、これも法隆寺ゆかり  のものであることから、聖徳太子と古代ペルシアの縁の深さにはちょっと驚  かされてしまう。   聖徳太子は日本仏教の開祖のように言われているが、実際には仏教に限ら  ず、あらゆる国の文化に目を向けた“国際人”だったのでは無いだろうか。  そうで無ければ、あの有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に  致す」という一句が収められた国書を、隋の煬帝に呈するという大胆な外交  感覚を発揮出来なかったろう。   小林惠子氏が主張する、聖徳太子自身は渡来人だったかということについ  ては懐疑的ではあるけれども、当時の国際事情によく通じた人だったのは確  かだと思う。   さて実は、聖徳太子に関するARION情報は殆ど無く、『AMA族の系  譜』でも詳しくは触れられていないのであるが、数年前にRTでARION  に聞く機会があり、その時に「聖徳太子は渡来人か?」と質問したところ、  「そうでは無い」「四天王寺に聖徳太子の秘密の一部が隠されている」とい  う返事があった。今のところそれだけであるが、聖徳太子に関する検証は続  けて行きたいと思う。  TAO 01016/01016 MHD02672 TAO AMA族談義 〔5〕 ( 9) 96/11/19 12:24 01011へのコメント  【聖徳太子と蘇我氏 2】   法隆寺から、大和平群郡額田郷(現:大和市郡山市額田部)にある額安寺へ、  ドクターの車で向かう。  *額安寺   実はここは聖徳太子よりも、万葉歌人の額田王ゆかりの場所として赴いた  積もりだったのが、後になってここも聖徳太子に関係があったと知って驚い  た。   額田王は額田部の出身であったと推察されるが、実際『薬師寺縁起』によ  れば、「額田部姫王」と記されている。聖徳太子と関係が深かった推古天皇  も、幼名は「額田部皇女」だった。また額田部湯座連という氏族が存し、そ の本拠地が前述の平群郡額田郷であったということからも、額田王が額田郷 で育ったのは間違いないだろう。   現郡山市額田部には、推古神社が額安寺の東に鎮座しているということだ  が、これは推古天皇が同地で育った証であろう。   「額田王は出雲系だ」   これはARIONのサジェスチョンであるが、実際、出雲にも「額田部臣」  なる氏族が存在したらしく、出雲風土記の丘の岡田山一号墳出土の銅剣にも、  「額田部臣」という銘文が刻まれている。   平群郡の額田部は、額田部皇女(後の推古天皇)の養育に携わったらしいこ  とから見て、恐らく額田部湯坐連であろう。「湯坐連」というのは、皇子養  育を職務とした皇室部民であるからだ。恐らく乳母を出した(古来は、皇子  の名前に乳母の氏を付けることが多い)縁をもって、蘇我氏とも関わりが深  かったのでは無いかと推察される。   額田王を指して「出雲系の家系に育って、出雲系の神事を行った」として  いるのは『額田姫王』(紀伊國屋新書)を著した谷馨氏で、額田部連は出雲系  の神事に通じた集団であろうとしている。   さて額安寺の駐車場に到着し、寺の正面まで歩いて行ったら、門が閉めら  れていた。どうしようかと思っているうちに、管理人らしい女性が姿を見せ  る。ドクターが掛け合ってくれて、幸いに中に入らせて頂けることになった。  境内は意外とこじんまりしていて、小綺麗な印象だった。重要文化財の虚空  蔵菩薩半跏像(日本最古らしい)も見せて頂いて、何か得した気分だった。   さて、額安寺の前身は「熊凝道場」といい、聖徳太子が創建したという伝  承が残されている。寺号の「額安寺」は、推古天皇の額に瘍が出来、この道  場に祈願したところ跡形も無く快癒したので、額安寺の名を賜ったという。  いずれも伝承の域を出ないが、聖徳太子伝説がこの地にも及んでいることは、  額田部や額田王とのかすかな縁を窺わせ、心惹かれるものがある。   なお、「ヌカタ」という名前には産鉄民が絡むので、それについても簡単  に記しておきたい。先ほどの額田部湯坐連の祖は、『新撰姓氏録』では「明  立天之御影命」とされているが、これは鍛冶の神とされる「天目一箇命」と  同一神であり、そこから額田部自身も鍛冶に携わっていた氏族では無いかと  見る識者も少なく無い。「額田=土処田」で産鉄湯を指すとする人もいれば、  糠型とする人もいて、ヌカという言葉はかくも様々な解釈を施されているの  である。   ***   余談。通常「マラ」は男根、「ホト」は女陰を意味するが、マラは鍛冶師  をも意味し、ホトも火処であるので、新たなモノを産み出す鍛冶自体が男女  の交合に喩えられ、そこよりダブルイメージが派生したのであろう。ちなみ  に『古事記』に出てくる天津麻羅(アマツ-マラ)も鍛冶の神であり、石屋戸に隠れ  たアマテラスを招き出す為の鏡の製作に携わったという。   14番では錬金術の話が続いているが、希代の宗教学者エリアーデには『鍛  冶師と錬金術師』(せりか書房/大室幹雄訳)という傑作があるので、それで  鍛冶と錬金術を比較して考えて見ても、面白いかもしれない。  TAO 01007/01016 MHD02672 TAO 銅鐸に描かれた鹿 ( 9) 96/11/16 01:14 01000へのコメント コメント数:1   “まだまだ続くよ”の加茂岩倉遺跡の銅鐸関係のニュースです(^_^;)。   11月15日付の読売新聞・夕刊によれば、二つの銅鐸にそれぞれトンボと鹿  の絵が発見され、神戸・桜ヶ丘銅鐸との関連が考えられるという報告がなさ  れたそうです。トンボの方はこれまでに無くリアルに描写されているといい  ます。   鹿の方は神獣として崇められており、また古代の農耕社会では鹿の血を種  もみに使ったともいい、鹿の血は穀物に活力を与えると信じられていたそう  です。猟師の間でも、鹿の生血を飲んで初めて一人前の猟師と認められたと  いいます。   古代日本では鹿の骨を占いに使ったという話は有名ですが、「鹿卜」と呼  ばれたこの占法は、古くは紀元前5000年頃から中国で行われていて、現代で  も群馬の貫前神社等で行うそうです。   絵画銅鐸では、鹿は特に好まれる画題で二十個以上に見られるそうですが、  鹿の血が穀物に活力を与えると信じられていたことから、銅鐸には農耕祭器  としての意味合いもあったろうと思われます。  TAO 01009/01016 GCG01101 アマデウス RE:銅鐸に描かれた鹿 ( 9) 96/11/16 13:57 01007へのコメント コメント数:1 #1007 TAO さん   銅鐸関連の続報、興味深く拝見しています。 >>   11月15日付の読売新聞・夕刊によれば、二つの銅鐸にそれぞれトンボと鹿 >>  の絵が発見され、神戸・桜ヶ丘銅鐸との関連が考えられるという報告がなさ >>  れたそうです。トンボの方はこれまでに無くリアルに描写されているといい >>  ます。   僕が中学生の頃、「銅鐸の謎」という本を読んだことがあります。著者名は  失念しましたが、たしか日本史の専門家ではなくオリエント史専攻の方だった  と思います。その本の内容は、銅鐸(に限らず古代の遺跡・発掘品)に描かれ  ている絵は、漢字以前に日本に存在した絵文字ではないかという大胆な仮説で  した。   たとえばこのトンボですが、古語辞典によればトンボの古代の呼び名は  「アキツ」といい、これは秋津島すなわち日本を意味する絵文字であるという  のです。   鹿の方は古代でも「カ」ですが、銅鐸ではよく1ブロックの中に鹿と狩人が  一緒に描かれていて、狩人は弓を持っているケースが多いことから、鹿を射る  →射る鹿→イルカすなわち蘇我入鹿を意味するのではないかといことでした。   このほか、銅鐸によく描かれる絵として高床式倉庫がありますが、これは  高倉=タカクラ=タカミクラすなわち天皇または天皇即位の意味ですね。  これだけだと単なる単語に過ぎないのですが、銅鐸には片面6〜8程度の矩形  のブロックに分かれ各ブロックの中に絵が描かれていて、これを上から順に  つなげて読むことによって、文章として意味が解釈できるというのです。   著者が解読した銅鐸の中に、イルカとタカミクラが続けて描かれているもの  があり、つまりその銅鐸は蘇我入鹿が天皇であったことを示しているのだと  主張していました。何でも、続けて読むと「秋津島の○○にて、入鹿 高御倉。  ××の年△△月、○○のオビト(←人の名前です(^^;)築く」と、銅鐸の制作  年や製造者の名前まで読みとれるそうで、単なる語呂合わせと思えないような  説得力があったのを覚えています。   書いているうちにだんだん思い出してきましたが(^^;、銅鐸に鹿の絵が非常  に多いということは、つまり銅鐸は蘇我入鹿または蘇我氏全体のプロパガンダ  の道具として使われたのではないか、あるいは古代から祭祀で使われていた  銅鐸を蘇我氏が利用したのではないかとの考察もなされていました。そして  銅鐸が故意に埋められた形跡があること・ある時期を境にして一斉に消えて  いること・表面に傷を付けられた物があることを考えると、蘇我氏の宣伝道具  として各地に配された銅鐸はまた蘇我氏の専横の象徴でもあり、次第に人民の  怨恨の的となって、大化改新の際に葬られたのではないかという興味深い説も  披露されていましたね。   これ以外にも沢山の事例が紹介されていたのですが、何分20年も前のこと  なので忘れてしまいました。著者は専攻のオリエント史の経験から、遺物に  描かれている絵は、古代人の芸術的な表現意欲の発露の場合もあるが、多くの  場合意思を伝えるための媒介つまり絵文字として使われていることに着目した  ようです。またオリエント史の常識から言うと、魏志倭人伝の中の倭人の習俗  の記述にある「木を刻み」というのは、文字を刻む様を連想するのが普通だ  そうです。このようなことを考えると、古代というのは現代から見れば異文化  に等しいですから、現代日本人の常識の枠の中で考えるだけでなく、異文化の  目で現在定説とされている古文書や遺跡を見直してみると、新たな発見がある  かも知れませんね。                               アマデウス 01010/01016 MHD02672 TAO 石と青銅 ( 9) 96/11/17 01:58 01009へのコメント コメント数:1  #1009 アマデウスさん   どうも(^^)。『銅鐸の謎』、そういう本もありましたか。中学生の頃と言  えばかなり古いですね(^_^;)。←あ、人の年齢をバラスようなことを…   トンボは古くは「アキツ」と呼ばれていたのはその通りで、万葉集にも出  ていたのでは無いかと覚えています。アキツシマ(秋津洲)は『日本書紀』の  伊弉諾尊と伊弉冉尊による「国産み」の章に出て来ますね。異書の一書に伝  えて、二神が同居するようになって最初に生んだ島が「大日本豊秋津洲(オホヤ  マトトヨ アキヅシマ)とされています。   ただ、蜻蛉(トンボ)が日本列島を象徴するのかと言われれば、何とも…(^^;。   それに射られる鹿が「蘇我入鹿」を意味するというのもスゴイな〜と思っ  てしまいました(^^;。蘇我蝦夷・入鹿親子が生きていた時代には、銅鐸はも  う消えていたのでは? ただ、蘇我入鹿天皇説は、一部の古代史研究者や作  家によって主張されていますね。これについては稿を改めて述べたいと思い  ます。   銅鐸と蘇我氏の関係というのは意表を衝いていて、面白いですね。蘇我氏  というのは、飛鳥にあちこち散在している石造遺物に見られるように、青銅  器文化より巨岩文化に深く関係していそうだ、という印象があるからです。  こないだは奈良旅行へ出かけて来た折りに、蘇我馬子の墓とされる石舞台等  も見てきましたが、蘇我氏と飛鳥の石造遺物の関係は深そうな気がします。  あくまでも想像だけですが。   銅鐸は蘇我氏よりもむしろ物部氏に関係が深いと思っていて、これについ  ては今まで書いて来たアーティクルでも言及していますが、蘇我氏と物部氏  は『日本書紀』では、宗教戦争で対立していたように書かれていますね。こ  れに疑問を差し挟む研究者もいて、むしろ物部氏の内部対立(仏教派−神道  派)に蘇我氏が手を貸しただけでは無いか?としている人もいます。   『AMA族の系譜』では、日向族が蘇我氏を使って仏教を積極的に取り入  れ、ニギハヤヒの末裔であり、出雲神道を司っていた物部氏を弱体化させた  としていますが、実際はもっと込み入った状況だったのかもしれません。何  しろ、蘇我馬子の妻が物部氏の出身だったし、物部氏の伝承とされる『先代  旧事本紀』でも、物部の女性が蘇我馬子と結婚して、豊浦大臣=入鹿を生ん  だという記事がありますし。これって変ですよね、『日本書紀』では豊浦大  臣は入鹿の父親、蝦夷とされているのに、ここでは入鹿その人となっている  のですから。   蘇我氏と物部氏が対立していたという歴史上の通説を疑ってかかれば、銅  鐸祭祀に深く関わっていたらしい物部氏との関係から、蘇我氏も銅鐸のこと  を知っていては不思議は無いでしょう。鹿の絵が「蘇我入鹿」というのはア  レですが…(^_^;)。そりゃ「トンデモ本」じゃなかったですか?(^_^;)   ついでですから、蘇我氏と出雲族の関係についてさらに妄想を働かせます  (^_^;)。12番会議室の、一輝さんの『蘇れ神よ!蘇れ民よ!<3>』(#237)  では、    >>  蘇民祭の「蘇」とは、牛の乳を煮たものである。「蘇民」とは、牛を  >> 崇めていた一族であることは、以前「牛の一族」で述べた通りである。  >> 出雲系AMA族は「蘇民」と名を変えて民衆の中に溶け込んでいったの  >> だ。                             (改行位置変更)   飛鳥の名物は、古代チーズの「蘇」ですね。蘇を発明したのはいかなる人  達だったのか、ど忘れしてしまいましたが、蘇我氏だったっけ?(^_^;) い  ずれにしても、蘇我氏と出雲の関係は意外に深いらしく、門脇禎二氏の『出  雲の古代史』(NHKブックス)では、蘇我氏が出雲を支配していたのでは無  いかとし、須佐神社の脇を流れる素鵝(ソガ)川 の名も、この地を支配してい  た蘇我氏との関わりから来ているのでは無いかとしています。   門脇氏は、蘇我氏を大和国家の実質的な支配者だったとしていますが、蘇  我氏と天皇家の関係が実際には如何なるものだったか、蘇我王朝の存在を検  証しなければならないと思っています。   いつの間にか話が逸れましたが(^^;、これぐらいで。  TAO 01014/01016 GCG01101 アマデウス RE:石と青銅 ( 9) 96/11/19 01:32 01010へのコメント #1010 TAOさん >> ただ、蜻蛉(トンボ)が日本列島を象徴するのかと言われれば、何とも…(^^;。   いえ、トンボそのものが日本列島を象徴するのではなく、アキツという  発音が意味を持つ、要するに文字とするなら表音文字ということです。  射る鹿→入鹿も同じで、鹿の絵だけでは「入鹿」とは読めませんね。  たしかカッパブックスだったと思うのですが、あそこは「ト本」も出して  いたのかしらん(^^;   銅鐸と蘇我氏の関係は、絵文字としてみた場合の最もわかりやすい解読例  としてていただけで、それがこの本の主題ではなかったと思います。銅鐸に  描かれた絵だけでなく、石に刻まれた絵や古墳の壁画なども解読の対象にな  っていました。   この説の妥当性はもちろん慎重に吟味されるべきでしょうが、それ以上に  固定された史観に囚われない、このような斬新な発想も可能であるという、  その柔軟さが示唆するところは大きいのではないかと思います。                              アマデウス - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/11/19 - 01518/01528 QZR03572 山中 俊子    詭弁・洗脳に関する本 (12) 96/11/11 05:30 コメント数:1 言葉を使って相手を騙したり自分の思うように相手を操ったりするテクニック(詭 弁及び洗脳等)に関する研究をしようと思っています。どなたか良い本・資料をご存 知でしたら教えてください。 01519/01528 GFB00026 一輝 RE:詭弁・洗脳に関する本 (12) 96/11/12 16:30 01518へのコメント コメント数:1 >#1518 山中さん 初めまして、ですよね? | 言葉を使って相手を騙したり自分の思うように相手を操ったりするテクニック( |詭弁及び洗脳等)に関する研究をしようと思っています。どなたか良い本・資料を |ご存知でしたら教えてください。 ……………『洗脳体験』島田裕己著(宝島社)      『マインドコントロールの恐怖』スティーヴン・ハッサン著(恒友社)      『洗脳の科学』リチャード・キャメリアン著(第三書館)      『催眠術師になりたい』ダーク・ヒロカズ著(竹書房)      『図解・催眠術のかけ方』松岡圭祐著(ジャパンミックス)      『バカゲット』酒井冬雪著(イーハトーヴ出版)      少ないですが、ざっとこんなところですね。      ところで、「言葉を使って相手を騙したり自分の思うように      相手を操ったりするテクニックに関する研究」を      始めた動機について、お聞かせ下さいな。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01525/01528 BZN01330 西野 智昭    RE^2:詭弁・洗脳に関する本 (12) 96/11/15 04:45 01519へのコメント 一輝さん、こんばんは。  西野 智昭と言います。  この会議室での発言は初めてです。  横槍ですみません。    実は、僕も洗脳に関する本を探していました。  というのも、少し前にフジの深夜の『NONFIX』というドキュメンタリーで「苫 米地」という苗字の脳関係の若手の博士が、麻原やサイババが売りモノしている奇跡を いとも簡単に女子大生相手にやってみせているのを観て驚いたからです。    今まで僕は洗脳の技術というのを「得体の知れない怖いもの」と考えていましたが、 苫米地博士によると、脳の理屈が分かれば簡単なものらしいのです。  最近でも「自己啓発」などの洗脳は企業主体に行なわれているようですが、脳の理論 が一般化されれば早晩、教育や就職といった機会はおろか、友人関係の中にまでそのテ クニックが浸透してくると思いました。素人の杜撰な洗脳に晒されるという恐さがあっ て、洗脳のテクニックやその応用例を知っておいて損はないと思ったのです。    一輝さんが前の発言で挙げた本のうち、『洗脳体験』島田裕己著(宝島社)を読んだ のみです。他の本も是非参照しようと思うのですが、「苫米地」博士のも読んでみたい と思っています。この人はアメリカで研究してきた人なようなので、英語の論文ならど こかで出版されていると思うのですが、僕が読めそうにありません。  苫米地博士の日本語の著作をご存じないでしょうか?               西野 智昭 BZN01330 11/15 03:20 01520/01528 GFB00026 一輝 イルカツアーで、ついに死者が! (12) 96/11/12 16:40 01506へのコメント コメント数:1 >#1506 ハカセさん  久々のイルカ関連ニュースです。  イルカツアーで死者が出たそうです。ひとりは、船に長時間乗ることで、イルカ の波動に合わせるという触れ込みの、ハワイへ船に乗ってのツアー参加者。ハワイ でのダイビング中に溺死。関係者は「死んでイルカに還ったのです」などと、とぼ けた説明をしているそうです。  もうひとりは、ニュージーランドへのイルカツアーで、発情期の野性イルカのオ スに触れようとした女性が、嫉妬したのか近くに居た野性イルカのメスに襲われた との話。イルカのメスは、女性の腹めがけて突進し、まもなく内蔵破裂のため亡く なったとのこと。  自然の恐ろしさや厳しさを、人間の勝手で都合良く解釈したツケが、いよいよま わり始めたのかもしれませんね。イルカツアーの主催者側は、事故の隠蔽に努めた ようですが、やはりこういった話は回り回って「天知る、地知る、人が知る」です。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01521/01528 GFB00026 一輝 子供が大人をナメ始める瞬間。 (12) 96/11/12 22:50 01514へのコメント コメント数:1 >1514 氷室さん、こんばんわ。 |》開けると、いきなり窓に手を入れ、彼の喉元にナイフを当て、「カネ!」と |》一言。仕方なく財布を渡すと去ったというのだが、この手の事件が全国で急 |》増している。欲しくなったらすぐに達成。 | えっ、その方は窓を全開にしたのですか? 全開でなければ、 |その腕をへし折ること(極端か…)もできたと思うのですが… |ただ、いきなりやられるとパニックしてもおかしくないですね。 | 何かが欲しくなったら他人の迷惑を一切考えずに盗みをしたり、 |金を脅し取ったりする連中って、許しがたいですね。 ……………武道をやっている人でも、いざとなると難しいものではないでしょ      うか。喉元にナイフを当てられると、もっと難しい。      盗みというのは、私もハマッていましたが、一度やると面白くなっ      てやめられなくなります。他人の迷惑がどうのなどと考えてたらで      きません。痛い目に本人が会うしかない。私の場合、とうとう大切      な友人の店で無意識に盗んでまい、その友人に後々まで親切にされ      たことから、激しい罪の意識に襲われるようになり、もうこんなこ      とは病気だとやめたのです。 |》 みんなどうせ見て見ぬフリだし、この方法で簡単に欲望を達成出来ると、 |》日本の高校生も世の中をナメ始めているんではないだろうか。襲われた彼は |(後略) | ナメ始めていると言うよりはナメ切っているのかも。 |田毛嫌な話ではありますが、あまりナメたまねをするとしっぺ返しが |あることを思い知らせるようにしなければならないのでしょうかねぇ。 | ナイフや護身具のメーカーが儲かりそうなこの現状。 |とりあえずは自分の身を守ることから始めなければならないのか… ……………私が大人をナメ始めた瞬間というのがいくつかあって、高校時代、      遅刻して友人と登校して、校門に天敵だった体育教師がウロウロし      てたので、これはマズイと隣家に忍び込んで、そこから学校の塀を      よじ登ったんですよ。まさに壁を乗り越えようとした時に、廊下を      こちらへやって来る数学教師と目が合ってしまった。ところが、そ      の教師は、まるで見なかったことにして、クルリと引き返してしま      ったんです。      「なんだありゃ、だらしねー奴な」と壁の上で談義。それからです      ね。その教師をターゲットにしてバコバコにしたのは。後ろからゴ      ミ箱をかぶせて皆でケリを入れまくったり。見て見ぬフリをしてい      る大人が許せなかった。自分たちが悪いのにね。こういうことが積      み重なって、大人なんかチョロイもんだぜ、という感覚が身につい      て行ったんです、私の場合。もし、あの時に教師にバコバコにされ      て大恥を皆の前でかかされてたら、その後は違う展開になっていた      と思います。      今年の夏、コンビニでエロマンガやエロ本を読んでいる小学生を見      て、真後ろから「オマエは何を読んでいるんだー!」と大声で叫ん      だら、ビビリまくって震えてました。その後やさしく「おまえが読      むには早いんだよ」と言うと、素直に謝ったんですが、こーゆーの      はまだいい方。それも恥かかせて諭すなら小学生まで。これが中高      校生となると、そうはゆきません。相手を選ばないと反撃される可      能性がある。それもその場とは限らない。暇な彼らに反撃の機会は      いくらでもあります。明らかな犯罪の場合は、警察に連絡した方が      いいです。      いずれも、日々の「見て見ぬフリ」の積み重ねの結果ですね。これ      から放火のシーズンですから、皆さんも見て見ぬフリせず、不審人      物や不審火に気を付けましょう。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01524/01528 CQK00164 氷室 玲 RE:子供が大人をナメ始める瞬間。 (12) 96/11/14 00:48 01521へのコメント 一輝さん、こんにちは。「道を探す者」氷室 玲です。 》……………武道をやっている人でも、いざとなると難しいものではないでしょ 》     うか。喉元にナイフを当てられると、もっと難しい。  ええ。だから「いきなりやられるとパニック…」と書き加えていたのです。 私もそれをやられたとしたら、まずはパニックに陥るでしょう。 もしすぐに回復したら、如何に反撃するかを考えると思うけど… 》     きません。痛い目に本人が会うしかない。私の場合、とうとう大切 》     な友人の店で無意識に盗んでまい、その友人に後々まで親切にされ 》     たことから、激しい罪の意識に襲われるようになり、もうこんなこ 》     とは病気だとやめたのです。  私も一時期(とは言っても数日間ほど)、本を万引きしていたことが あります。しかし、すぐに罪の意識にさいなまれ、やめましたが。 塾でテストを受けている最中(のはず)に涙があふれたのを覚えています。 》     今年の夏、コンビニでエロマンガやエロ本を読んでいる小学生を見 》     て、真後ろから「オマエは何を読んでいるんだー!」と大声で叫ん  私なら、その程度は笑って見過ごします。(^_^;; しかし、万引きを見つけることがあったら…背後から蹴飛ばすかも。 場合によって、そいつらを諭すとか、店の人に告げるとかするでしょうが。 》     から放火のシーズンですから、皆さんも見て見ぬフリせず、不審人 》     物や不審火に気を付けましょう。  そうですね。気を付けた方がいいですね。                     written by Himuro Rei 01522/01528 GFB00026 一輝 ケロヨン教の謎。 (12) 96/11/12 22:51 昨日から報道されているが、オウムの残党たちが分派活動として、ケロヨン教 (ケロヨンクラブ)なるサークル活動を開始したそうだ。御神体がケロヨンなわ けではないが、見えるところにはケロッピ風のイラストを、部屋の奥には麻原彰 晃の写真を飾っている。昼は経済活動で宗教活動は夜のみ。休日には全国の霊場 や神社を巡っているとのことだが、何をやってんだか。なんでも「オウムが蘇る (よみ、かえる)」の”かえる”のところと、ケロヨンをかけているんだそうだ。 「サークル活動をやりませんか」という呼びかけで、戸口勧誘している。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01523/01528 GFB00026 一輝 『黒い羊は眠らない』講座*2 (12) 96/11/12 23:33 01511へのコメント 『黒い羊は眠らない』講座*2(週刊ヤングサンデー『黒い羊は眠らない』より) ------------------------------------------------------------------------- ACT.7 「羊たちの世界」 湊「そんな自分のない奴らなんか大っ嫌いだっ!!    なんでそんなに自分を捨てて他人のいいなりになっちゃえるんだっ!!」 一生「わかりきったことだ。それが楽だからさ。    何かを選ぶ時、自分で善悪や正否を決めて選ぶより、    他人に選んでもらったほうが楽だからだ。    たしかに彼らは羊だよ。    自分の道を決めることも出来ない。    自分が何をしたいのかまで人に決めてもらわなきゃわからない。    だから。    どこかのペテン師が、もっともらしい顔をして道を示してやれば、    それが本当か嘘かも確かめずについてくる。    不安を埋めてくれるものなら、どんな嘘でも信じたがる。    弱いからだ!    カルトにはまる奴だけが羊じゃない。    外の世界も同じことだ。    流行っているというだけで    自分がそれを好きか嫌いかもわからないまま、とびついていく奴ら。    ルールに従っていれば、迷わずにすむからと、    ルール自体の正否もわからずに、従っている奴ら。    自分で選ぶことをせずに、何かにすがりついている奴はいくらでもいる。    …………いや…………    この世界には、そんな奴しかいない。    この世界は羊たちの世界だ!」 ……………NO.48 1996/11/14号より 評*一生の「羊たちの世界」の話には、うなずくものがありますね。    一生は、かつて哲夫が崩壊に導いたカルト教団の教祖に愛でられ    た男で、教祖失脚後、その幹部になっている。一生の語っている    ことは、敵対しているはずの哲夫の話に一脈通じており、羊の世    界の話は、的を得ていると言えよう。しかし一生には、見落とし    ている部分がある。一生は羊たちを洗脳し蔑みながら、彼もまた、    教団という羊の群れに依存する一匹の羊なのだ。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01527/01528 GFB00026 一輝 通過儀礼…緩衝機能…安保条約…猿岩石 (12) 96/11/16 02:29 01504へのコメント コメント数:1 >#1504 ハカセさん、遅くなりました。  これはとても興味深い話題ですね。話題提供ありがとう。 |精神分析家の一人エリクソンの説によると、現代社会における人生最大の危機 |の一つにアイディンティティの獲得という事があるそうです。 |それは、教育の拡大を強調する文化と大半の現代職業の複雑さによって、僕た |ちの社会ではアイディンティティ感覚の発達がきわめて困難になっていると言う事だそ |うです。価値や社会的役割の変化が、両親の役割を担わないばかりか大人とし |てのいかなる役割モデルもなくなってしまう可能性が... | |自らを振り返り、新たな方向性、価値、目的を発達させる時間が数ヶ月から数 |年続く事に成るそうです。 |只し、この説も何十年か昔の物ですし真の現代では、数年どころか数十年も続 |くかも... | |で、それがどういった意味を持つかと言うと、概存の社会的目標や価値に対す |る敵意として表現される事もある。葛藤を抱えた精神は誰でも無いよりは、悪 |い人間のほうがまだましだと思い、売春婦等の否定的役割に身を委ねていく。 | |とまあ、ある説を紹介しました。僕としては結構うなずけるんですがどうでし |ょうか。 ……………うなずくところがあるんですが、欧米の歴史的土壌を踏まえた社会とは      異なる日本では、多少その意味が違ってくるのではないかと思われます。      日本人の場合、アイディンティティの獲得感を失ったのは、村落共同体が機能し      ていた頃に存在した通過儀礼の喪失に関連がありそうですね。今でも村      落共同体がキチンと機能しているバリ社会では、通過儀礼が生まれてま      もなくから無数にあって、最期に麻酔なしの削歯という最高の苦痛によ      って終了を迎えるんですが、人によっては30代、40代になるらしく、そ れはそれは痛いそうです。歯科嫌いの私など、この部分に関してはバリ      社会に生まれなくて良かったーなどと思ってしまいます。      戦後、農地改革の始まりによって村落共同体の崩壊した日本では、そう      いった通過儀礼を失いながらも、心のどこかで、その代償行為となるも      のを追いかける傾向があると思います。それが人によっては「タバコを      吸う」ことであったり「酒を飲む」ことであったり「女を抱く」ことで      あったり「パチンコをする」ことであったりですね。成人にならなけれ      ば出来ない、と思われることを未成年でやることで、「大人になったよ      うな、なっていないような曖昧な感じ」を得てゆく。      その通過儀礼も時代によって異なり、60年代なら「学生運動をやる」こ      とであったのが、90年代なら「援助交際をやる」ことであったり「ドラ      ッグをやる」ことであったりに変化しているのかもしれません。これら      は、一見反社会的なので、確かにエリクソン説の”概存の社会的目標や      価値に対する敵意として表現”に見える。しかし、よくよく考えてみれ      ば、どれも一部の大人もやっていることです。一般の大人も出来ぬ一部      大人の過剰な行動をマネすることで、一足飛びに子供である自分を超え      ようとしているのかもしれません。 |この説の骨子にあるのは、社会的要因によって大きく精神は影響を受けるとい |う事だと思います。 |又、身体の発達状況にも大きく影響されるそうです。 | |ちなみに僕の学生時代を思い出してみると、アイディンティティなどは無く、成長期の |ホルモンづけの為か今から考えると不安定この上無い精神状態でした。 |当時僕の言葉にしろ行動にしろ、意識に登らない程抑圧されていましたが葛藤 |の苦痛から来る悲鳴というか助けを求めた物であったように思えます。皆さん |はどうでしたか? ……………それまで大人と子供の区別も無く、放ったらかされて育てられたはずな      のに、いろいろ問題を起こすようになった高校くらいから「生意気だ、      ガキのくせに」と言われるようになりました。その辺からですね。反抗      心が親や社会に向きだしたのは。「なんで俺がガキなんだよ!」ってね。      そう思うこと自体、ガキの証拠なんですけどね。      私の場合、生意気言いだした高校二年から、父が一切私と会話をしなく      なりまして、親としては無言の圧力をかけて後で美談にでもしてやろう      とナルシスティックに考えてたようですが、ますます親との信頼関係は      険悪になり逆効果。他人と家族をやっているような約二年間で、精神は      不安定でした。とうとう父と私、母と私という組み合わせで取っ組み合      いを始めて、きっと甘えたかったんでしょうね。      先日も書きましたが、父に進学放棄宣言をした時、私は札束でなぐられ      たわけですが、その時の言葉は二年ぶりでした。最後に札ビラを私に投      げつけ、「これぐらい稼いでから言え!」と、吐き捨てるように言われ      たのを覚えています。今思えば、まるで熱血マンガのワンシーンですね。      アイディンティティへの目覚めとは、意外なところからやってきます。当時の私      にとっては災難だったけれども、後々考えれば幸運でした。乱暴な手続      きで誰にでも良いとは思えませんが、私の場合、家出が本格的な通過儀      礼の一歩となりました。      昨年の話ですが、人間は幼児の頃は、流入する情報をダイレクトに受け      とめて、いちいち衝撃を受ける傾向があります。いきなり視界に人が現      れただけで、身体全体で驚いたりするんです。で、いつまでもそれでは      困るんで、衝撃を和らげるため、成長過程で様々な脳内麻薬を分泌して      ゆくようになります。      列車と列車の間にある、緩衝機能のようなものが発達してゆくんですね。      ところがこれが発達しすぎると困ったことが起きるんです。実際に痛み      があっても感じないようになってしまったりする。心の痛みすら感じま      いとしたりします。ドラッグは、実際には通過儀礼どころか、これらの      緩衝機能の発達を促します。      緩衝機能は、ある種のシールドでもあるわけなんですが、このシールド      の内部に安住していると、知覚の広がりや認識の深さの幅が極端に狭く      なってしまうのですよ。自分という個体を保護すべき緩衝機能が、ある      種の制約になってしまう。これはティーンエイジャーの親との軋轢につ      いても同様のものがあると思います。      村落共同体社会での通過儀礼とは、成長過程で知覚の広がりや認識の深      さの幅を、その個体の年齢に相応しく拡大させる為に、緩衝機能を破壊      させる儀礼でもあるわけです。つまり大人になるということは、自らを      保護するシステムを自らの手で壊し、その行為自体を周囲の人々に祝福      されることでした。      ところが、戦後平等教育を当然のものとしてしまった今、大人と子供の      区別をする躾けを失い、その為いくら年齢を重ねても緩衝機能だけは、      ますます肥大してしまう。知覚や認識の幅が幼少時のままの自閉状態に      なり、しかもその殻の中に閉じこもったままに甘やかされ、他者の知覚      に関心を持つまでもなく、自分の知覚世界の中だけで自慰行為に耽るよ      うになってしまった。      肥大化した緩衝機能という胚芽を抱えた青年を見ていると、容姿は相応      でも、15歳に感じた女性が実は20歳だったり、25歳に感じた男性が実は      30歳だったり、実際の年齢よりも若いというよりも幼く見えるんです。      これは、緩衝機能の肥大化が進んでいない中国人や韓国人には、あまり      感じません。同い年でも、日本人より彼らの方がずっと大人に感じます。      通過儀礼は緩衝機能を自ら破壊し「傷つくことを恐れる」ことを防ぎま      す。緩衝機能という胚芽を抱えて生きているということは、「傷つくこ      とを恐れて生きる」ことでもあるわけです。これは同時に自立と成長へ      向かっていないことでもあります。日本は戦後、日米安保条約という緩      衝機能の下に「一国平和主義」路線でやってきましたが、これもまた「      自分だけは傷つきたくない」という、幼稚で自閉的な国民性を表したも      のと言えます。      無名タレントだったはずの猿岩石に人気が出たのは、彼らが何度も危機      を迎え傷つきながらも、ちゃんと生きており、彼らをTVで見ることで、      通過儀礼シミュレーションを味わえたからではないかと思います。TV      で観ている限りは傷つきませんから。      自らの可能性の扉を開け、真に知覚と認識を拡大出来るか否かは、甘や      かして今や肥大化した緩衝機能を抱えた、親にも子にも問われています。      緩衝機能を自らの手によって破壊しない限り、アイディンティティの獲得への道      は、いつまで経っても始まらないのです。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01528/01528 GFB00026 一輝 続・通過儀礼…緩衝機能…安保条約…猿岩 石 (12) 96/11/19 02:54 01527へのコメント 更に掘り下げてみます。 |    自らの可能性の扉を開け、真に知覚と認識を拡大出来るか否かは、甘や |    かして今や肥大化した緩衝機能を抱えた、親にも子にも問われています。 |    緩衝機能を自らの手によって破壊しない限り、アイディンティティの獲得への道 |    は、いつまで経っても始まらないのです。 ……………緩衝機能は、本人の受ける衝撃を防ぐ”責任の代替システム”とも言え      ます。つまり、緩衝機能を自らの手によって破壊するということは、自      ら衝撃を引き受けることで、責任をも自らのものにすることになります。      これは、人生をひとつひとつ自分のものにしてゆく作業に他なりません。      これらを繰り返すことによって、知覚や認識を深め、アイディンティティ獲得へ      の道が開けると考えれば、どんなに傷つこうとも、先行きは閉じてはお      らず、開けているのではないでしょうか。猿岩石だって、帰国後「アジ      アはもうイヤです」と言いつつ、あれだけの経験をしながら死ななかっ      たんです。      幕末時代、維新の志士たちは脱藩し、尊譲運動に身を投じました。傷つ      くことはわかっていても、それでもなおやらねば死に切れないことがあ      ったからです。終戦時インドネシアに居た2000余名の日本人は脱走      し、独立運動に身を投じました。傷つくことはわかっていても、それで      もなおやらねば死に切れないことがあったからです。彼ら(10代〜20代      前半)は、自分の周囲を包んでいた藩や軍という緩衝機能を自ら放棄し、      ”自由と独立”という道標を見出したのです。      緩衝機能を失っても人間そう簡単には死にません。しかしながら、緩衝      機能という肥大した胚芽を抱えて生きる日本人には、一度もその機能を      手放したことが無いゆえに、まるでそれがないと死んでしまうかのよう      な妄想を抱き続けているところがあります。      単に傷つくのを恐れているだけなのに、妄想は様々な知識を呼び込んで      膨れ上がり、自分が扉の向こうに踏み出そうとしない言い訳を、「危な      いから、それ以上行っちゃダメよ」という妄想の母を背後に描きながら、      いつまでもブツブツつぶやいている、というわけです。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/11/19 - 05113/05128 GGA02514 KAZE 風のfragments/13■サウンド・オブ・ミュージック (13) 96/11/09 02:11   「ほんまに芸のない奴や」「思ったことそのまま言うとる。能のない」   ひねりも工夫もない表現は、洗練された感性からこんな評価を受ける。つまり芸   や能は、あからさまでつつしみも深みもないむき出しの表現の反対側にある。芸   能とは、「芸も能もない」表現の対極にあるものの総称だろう。   (1996年11月8日金曜日付・朝日新聞21面/国際日本文化研究センター教授(都   市文化論)白幡洋三郎「あしたへ45/震災からの新文明」より)    「本音」や「純粋さ」が尊ばれる傾向には、疑問を感じる。 もちろん、「本音」や「純粋さ」には「プレ[メインの前にあるもの]」と「ポスト [メイン]」があって、 ここで疑問を感じると言っているのは「プレ」のそれらである。 日本人は「穢れ」は「払う」ものだと思っている。 ということは、いつも汚れる前のきれいな状態でいたいと願っているのだ。 つまり、「子どものようでありたい」ではなく、「子どもでいたい」ということ。 言葉を換えていえば、「個」なんか要らない、ということだ。 「芸術」は「アート」。 「人」がいて、はじめて成立する。 真の芸術は、神への捧げものであるともいえるが、 それは、「人」が捧げるのだ。 「人」が「個」であることを表現することを通じて、 それを祈りにまで高めようとする行為なのであって、 最初から「個」を否定して、いきなり「無私」であれというのではない。 もう30年前につくられた名作のミュージカルに、 「サウンド・オブ・ミュージック」というのがある。 主人公のマリアは、修道院から出て、妻をなくして7人の子どものいる トラップ大佐の家で家庭教師をし、大佐を愛してしまう。 その愛から逃げようとして、一度修道院に逃げ帰るマリアであったが、 修道院長は、そのマリアに、愛から逃げないように諭し、マリアは戻っていく・・・。 ま、話の筋はどうでもいいとして、この名作では、 ナチ化した人たちを除いて、個と個がしっかりと向き合っている。 マリアは子供たちと「友達」になろうとする。 愛を体験するために、すべての小道を通っていく覚悟を持とうとする。 そうした素晴らしい「個」故の愛が、ミュージカル映画という「芸術」で表現される。 それは、ポストとしての「本音」であり「純粋さ」なのだ。 決して、感情の吐露のような稚拙な「本音」や純粋願望の発露なのではない。 しかし、現代、この日本では、「甘え」や「弱者」が礼讃される。 けれどそれは、「プレ」として、成長を拒否したの堕落以外の何者でもないのだ。 ある意味では、「サウンド・オブ・ミュージック」でも描かれるような 「ナチ」化した人たちと同じ様なあり方なのだ。 逆のようにみえながら、その実同じ原理であることを見抜かねばならない。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05114/05128 GGA02514 KAZE 風のfragments/14■無縁 (13) 96/11/10 22:39 コメント数:1   最近、歴史・時代小説を読んでいて、いつも頭に浮かんで来る言葉に「無縁」   がある。これは、網野善彦が自身の中世研究『無縁・公界・楽』などで明らか   にし、今年、刊行された土屋恵一郎『正義論/自由論−無縁社会日本の正義』   においては「家族、身分、階級といった人間の出生にかかわる自然の共同性か   ら離れ」「そこに自由がある。平等もある」「ユートピア的世界である」と説   明されているものだ。   さらに同書では、松岡心平の『宴の身体』から中世の花の下連歌、あるいは笠   着(かさぎ)連歌のくだりを引用。こうした連歌の席で出席者は、おのおのの   身分を隠すことが規則となっており、上皇から下層民に至るまで、あらゆる階   層の人々が参加することが出来たという。   この「自分の自由とともに他者の自由を認める精神が生まれ」、一つの物語を   共有するのではなく、おのおのの旅の物語を持った人間たちの集いによる宴(   うたげ)の場−それこそが「無縁」なのである。土屋が、現代社会における文   化・宗教・民族間の対立・矛盾を統一できるキーワードとして「無縁」という   言葉を選んだのも故ないことではないのである。   (縄田一男「『無縁』と歴史・時代小説」/朝日新聞・1996/11/10付23面)    シュタイナーは、神秘学徒の資格として「故郷喪失者」ということを挙げている。 もちろん、故郷を追われた者という意味ではなく、 「故郷」に象徴されるような帰属性を超える者という意味である。 「故郷喪失者」であることによってこそ、「故郷」を深く捉えることができる。 無自覚に「故郷」にどっぷりつかっている者は、むしろ「故郷」を知らないのだ。 その「故郷喪失者」は、「無縁」に似ている。 「無縁」であるということは、「自由」であるということである。 「自由」とは、「自らの由」を追求する姿勢であるから、 それを、自分の「所属」している「故郷」に求めていては「自由」ではないのだ。 人は、「無縁」から出発せねばならぬ。 「無縁」によってこそ成立する「縁起」でなければならぬ。 「組織なきネットワーク」の基盤も「無縁」である。 けれど、その「無縁」は「無責任」を意味してはいない。 いや、むしろ「自由」の基盤は「自己責任」以外の何者でもないのだから、 ネットワークの結節点である主体は、責任を担ってこそ成立する。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05118/05128 GGA02514 KAZE 風のfragments/15■ホモ・ルーデンス (13) 96/11/13 11:40 05114へのコメント コメント数:1   「試作(ポイエーシス)とは、一つの遊戯機能なのである。それは精神の遊戯   空間の内で行なわれる。(中略)そこで物事は<日常生活>の中にあった時と   は異なった相貌を帯び、ものとものとは、論理や因果律とは別の絆によって結   び合わされる。(中略)それは真面目を超越した彼岸に立っている。(中略)   夢、魅惑、恍惚、笑いの領域の中にある。」      「遊戯というのは何か独自の、固有なものなのだ。遊戯という概念そのものが   真面目よりも上の序列に属している。真面目は遊戯を閉め出そうとするのに、   遊戯は真面目をも内包したところでいっこう差し支えないのである。」      「文化は、全体としてますます真面目なものになってゆき−−法律、戦争、経   済、技術、知識は遊戯との触れ合いを失ってゆくかように見える。そればかり   か、かつては神聖な行為として、遊戯的表現のために広い分野を残してくれて   いた祭祀までも、そういう成行を共にするように見える。しかし、そうなった   時にも、依然としてかつての華やかな、高貴な遊戯の砦として残っているもの、   それが詩なのである。」      (堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま文芸文庫)のなかからの孫引き    引用は高橋英夫氏によるヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス(遊戯人    間)」の翻訳より)     定家の「名月記」についての堀田善衛のものを面白く読んでたところ、 そのなかにホイジンガの「ホモ・ルーデンス」からの引用があって、 「遊戯」に関する興味深い内容となっていたので、紹介してみることにした。 「ホモ・ルーデンス」といえば、学生時代にざっと見たことはあったはずだけれど あらためてこうしてその内容にふれてみると、その意味深さを再認識する。 この会議室は「神秘学遊戯団」と称しているのだけれども、 その「遊戯」ということをこの引用の内容は意味深く示唆していると思う。 世の中は深刻な真面目さに満ちている。 それは、クイズの○×に近いような知識の切り売りとしての 学校教育に象徴されるような制度的な一義性としての真面目さだ。 真面目といいながら、認識としてみれば、あまりに不真面目な態度なのだ。 「純粋」というのも、そう。 「本音」というのも、そう。 それらは、「遊戯」を排したあまりに真面目な、真面目が故の怠惰であり、 排他であり、豊かさを拒否したエゴイズムでしかない。 そこでは、あらゆる可能性が拒否され、お仕着せの日常だけが披露される。 イジメも、遊戯を拒否され、「真面目」を強要された場所での、 もうひとつの、極めて「真面目」な行動なのだといえる。 遊戯は、あらゆる決まり切った制度からしなやかに自由である。 従って、たとえば、宗教的なセクトからはもっとも自由なものである。 そうした自由を神秘学のための基本姿勢としたいと思う。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05121/05128 GGA02514 KAZE 風のfragments/16■ウソ (13) 96/11/16 01:03 05118へのコメント コメント数:1   「ええ。でもよく誤解されるんですけど、私の歌は日記は私小説じゃない。歌い   たい日記や私小説じゃない。歌いたいのはその時の心情であって、事実としてあ   ったこと以上に伝わりやすい言葉があるなら、平気でウソだってつきますよ。」   (朝日新聞1996/11/15付第23面〜「探見劇場/きく」中島みゆき「『夜会』は私の   実験劇場」言葉にこだわる意志の人〜より)    真実の言葉とは何だろう。 事実とは真実なのだろうか。 そうではあるまい。 ウソこそが真実になることもあるのだ。 その時、事実はむしろ虚偽になってしまう。 この引用は中島みゆきが「歌」について語った言葉だが、 「歌」に限らず、それはいえるのではないか。 「真実」は「事実」を平気で飛翔するものなのだ。 もっとも、その場合の「真実」を、自己保存的な嘘と混同してはならない。 その「真実」は血肉そのものなのだから。 「真実」を伝えるためのウソ。 それは、ファンタジーそのものだともいえる。 ファンタージエンを生きることは、逆説的に最も生を生きているのだ。 ファンタージエンをなくした「事実主義」は、人を亡霊にさせる。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05125/05128 GGA02514 KAZE 風のfragments/17■友情 (13) 96/11/17 21:50 05121へのコメント   そこ(『スッタニパータ』(経集))に語られていることは、詮ずるところ、   「よく教えの道理を会得したるものが、自由の境地を為すべきこと」は、ただ   慈愛をのみ修するがよいということである。生きとし生けるもののうえに、   「幸いあれ、平和あれ、安楽あれ」と念ずることであるとするのである。それ   が一切世間の人々にたいしてブッダ・ゴータマとその弟子たちが修する人間関   係のありようであった。   その徳目を、彼は《メッター》(metta)ということばをもって言い表わした。し   かるに、いま翻ってその原語の意味をさぐってみると、それもまた「友情」を   意味することばである。さきに述べたように、「サンガ」(僧伽=教団)のな   かにおける彼らの人間関係の徳目は「善き友」(kalyanamitta)であったが、こ   こでは、その「友」(mitta)が抽象化されて「友情」(metta)がその徳目とされ   ている。それは、これまで「慈」の訳語をもってこの徳目を教えられてきたわ   たしどもにとっては、いささか意外だったと申さねばならない。(中略)   ながいあいだ自己に専注し、自己の奥深いところに沈潜して、そこで真の自己   のありように相逢うことを得たものが、いま、ようやく「自由の境地」を得て、   たかく眼をあげて見渡してみると、そこに見出される一切世間の風景は、これ   まで見来たったものとは、まったく異なったものとして彼のまえにある。(中   略)すべてのものが人間同士なのである。彼らもまた、人間の悲しい重荷を担   いであるくわたしとおなじ人間なのだ。その思いが、人間同士の「友情」つま   り「慈」なのである。   (仏教の思想1「知恵と慈悲」<ブッダ>/角川文庫ソフィア/P200-201) 仏教の根本にあるのは「友情」である。 通常の仏教のイメージとは遠いのかもしれないが、 これが「仏教」にほかならないのであって、 権威的なあり方はすべて堕落した姿であると、少なくともぼくは思う。 ブッダの思想は、「縁起」を基本としている。   これあるによりてこれあり   これ生ずればこれ生ず    という原因−結果の発想である。 だから、「生老病死」などの四苦八苦から自由になるためには その「原因」から自由となることによって、 その「苦」から「解脱」できるというわけだ。 「十二因縁」という原因−結果の連鎖も、その連鎖の原因をひとつひとつ 遡っていき、その原因から自由であることができるというのだ。 「苦渋滅道」という四つの真理である「四諦」も、そういうことを意味する。 そこには、そういう「真理」があるということであって、 そこに「権威」が生まれる余地など本来ないのだ。 ただ、その「真理」を告げ知らせる者としてブッダが位置づけられているだけだ。 だからその「法」を知って自由になった者同士は、 「友情」によって結ばれるのだといえる。 その「友情」は、「自由」な者、「自由」を目指す者どうしであるがゆえの 「友情」なのだ。 ブッダは死を前にして「自帰依、法帰依」を説いたといわれるが、 それは自らの本質である「自由」とそれを基礎づける真理である「法」意外には 依ってはならないのだということを意味する。 通常、仏教では「無我」ということがいわれるが、その「無我」の「我」は、 偽我としての「我」であって、「真我」のことではない。 それが誤解されて「我なんかないんだ」という浅はかな論を展開する仏教者も 後を絶たないのだが、「自帰依」ということがいわれるように、 みずからの本質を知り、それに依らねばならないということなのだ。 『ダンマパダ』(法句経)の「自己品」には、つぎのような偈(韻文)があるという。   自己のよりどころは自己のみである   自己のほかにいかなるよりどころがあろうか   自己のよく調御(じょうご)せられたとき   人は得がたいよりどころを得るのである    まさに、自らの由としての「自由」意外に拠り所はないということである。 ARION風にいえば、そのために「自分を観る」が必要なのである。 そして、偽我を去るために「虎」を知ることが求められる。 また、このフォーラムでの人間関係の基本は「組織なきネットワーク」である。 それは、まさに「虎」を知り「自分を観」、「自由」を得た者、得ようとする者が 互いに「慈」をもって「友」としてふれあい、研鑽しあうというコンセプトなのだと ぼくはとらえている。 拠り所は自己であり、自由になること。 そしてそれゆえに可能となるネットワークのスピリットを ぼくは「友情」と呼びたいと思うのだ。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/11/19 - 04483/04534 GHH10354 星見 鏡とは? (14) 96/11/09 06:39 04478へのコメント コメント数:1 自己レスです(^^;) 維/YUIさんのコメントを見ていてはっと気が付くことがありました。 (維/YUIさん、勝手に引用します。ごめんなさい。むかっ腹がたったらいつでも あやまりますので、おっしゃてください m(_ _)m) ≫プラチナはもしかすると鏡でもあるのかもしれないです。 鏡とは....自分の「影」を観ているに過ぎないのでは? 一方を白の柱(前は「虎」と言ったけれども(^^;) とすれば、黒の柱.... すなわち客観的な「自分」とその理想像はその影になるのでしょうね。 自分の鏡像と距離を置いて見つめ直してみる....意味深ですね。 ....ってまだカバラにふるかなぁ(^^;) 人によっておそらく異なるでしょうけれども、自分の理想像と本能から来る 自然的な欲望を勝手にないまぜにして「虎」と言って逃げを打っているだけでは ないのかな.... ソロモンの六芒星のように光と影がつり合っている状態を皆さんは求めて いるのかも知れませんね。 つり合っているようにみえてもあやふやな崩れやすいバランス.... そこでとどまっていてはいけないのに.... 崩壊こそが美しいと言いますが、まさに「6」の象徴を現実にした姿が 今の7番会議室の状況なのかも知れませんね。 上の三角と下の三角だけしか観えていないのでしょうか.... (「6(ティフェレト)」の象徴は太陽(マルにちょん)ですから、形骸化が 進んでいる(六芒星の中心がない?)と言いたいのですかね(^^; ま、それが錬金術の本質という話もありますけども(^^;) セフィロトに当てはめれば、ARIONはただ、見るに見かねてマルクトから イェソドまでに火を加えて励起しただけでしょう。炎の天使ですし〜(^^;) 今回の「人間の間で解答を出して欲しい」というのも、ここから先は自分たちで 答えを出しなさいということでしょうから.... (イェソドの象徴惑星も「銀(月)」ですし〜) ★ 何だか早く目が覚めてしまった 星見 GHH10354 ★ 04496/04534 GBG02043 維/YUI ここに書く話じゃないかも (14) 96/11/10 12:43 04491へのコメント 先日、第二次橋本内閣が組閣されたのだけれども、その内閣が重要課題として 西暦2000年までに行政改革を始められるようにするんだそうだ。 それに対する世の中の反応というのは、60%ちょいの人々が「期待できない」 だったんだって。 頑張れと思っている人は、わずか20%足らずだったようだ。 …ん〜、政治不信を唱える人々の気持ちはわかるんだけどもね、「やらなきゃならない こと」をやりはじめようとしているその鼻先をくじくことしなくたっていいんじゃない のかって気もするんだな。 そりゃ、政治家の今までの所行がひどすぎて、民衆は無気 力になっちゃうんだってのもわかる。 だからって180度そっぽを向いたら、何か良く なるんだろうか。 少なくとも選挙をやって、50%を割るような投票率でも、支持があって出来た政府を 民衆が貶めることはないんじゃないの。 いっくら言っても駄目なんだもの…っていうのは実感だろう。でも、あきらめちゃった ら「どうなってもいい」ってことにもなっちゃう。 今回も駄目政府かもしれない。でも、精一杯真っ当になるよう頑張ってくれとハッパか けるのってそんなに変なことかな。 おだてりゃ木に登る…じゃないけど、単体じゃたいしたことできなくても、民衆が力を 貸したら出来ちゃうことだって多いはず。民衆が政府がドジなことしでかさないように 監視して、やるべきことをやらせていかなきゃ、本当の民主制じゃないと思う。 本当に頑張ろうって気持ちの政治家だっているはずだ(と、私は思う)。手放しに委託し てしまうのではなく、応援をする気持ちを持つことって、そんなに変なことだろうか。 自分の国なんだもの。自分たちを支持してくれる、見ていてくれる民衆がいるってこと は、政治家にだってとても活力になるし、支持する者の為にって気持ちも出てくるんじ ゃないのかな。 政府にそっぽを向くことも、度を過ぎれば甘えだろう。虎を止めることのできない自分 のようなもんだ。 政治の乱れだって、私達民衆の堕落が荷担しているところ、結構あると思える。 火星が行くって言ってるのは、そんなことの表れのような気もする。 維/YUI 04506/04534 PAG03134 はな 第2段階の名称修正します (14) 96/11/12 00:36 04434へのコメント >> 第2段階:アベルド(白化)    >>      ‥‥化学変化により新しく生成された物質が白く凝固する過程  第2段階はアベルドではなく、正しくはアルベドと表記します。                    ^^^^^^^^  失礼しました。m(_ _;)m                       はな 04479/04534 GBG02043 維/YUI RE^16:「炎で書いた物語」最終章7の19 (14) 96/11/09 00:26 04477へのコメント こんばんわ、SOUNDさん。 クリルという名称、なんか聞いたことあるような…ないような…。 デ・ゼビアス・デニアス・アイが、いろんな名前を使っているのは、 なんとなく察しがつきます。 ARIONさん達にしても、別のところの 仕事では別な呼び名だそうですし。 どうもありがとうございます。 分かる必要があれば、分かる機会がおとずれるでしょうから、それを待ちます。 (^_^) 維/YUI 04532/04534 HQK00566 SOUND RE^14:「炎で書いた物語」最終章8の1 (14) 96/11/18 16:56 04469へのコメント 「炎で書いた物語」最終章(その8の1) <戦士(さむらい)達は今>(その1) 氈D暮れなずむ空の色 ざわめく街の匂い   戦い終えて     家路をいそぐ   見知らぬ人にさえ  カタコトの挨拶   ひとり暮らしの   アパートで   サムライ達は  サムライ達は今   何を夢見る .初めての土地を踏み おびえる心隠し   群衆の中      孤独を知った   やっと好きになってきたこの国を明日、又   離れる時がやってくる   サムライ達は  サムライ達は今   何を夢見る 。.この世界 股にかけ 駆けぬけた 若い日々   愛した人を 指折り数え   それぞれの言葉で憶えたI LOVE YOU   旅路を終えて 眠りについた   サムライ達は  サムライ達は今   何を夢見る  ************************************************** >> >> 終わりのときは始まりに似ている。 >> (ARIONより全ての者へ)  「終わり」とはしめた巻糸の意。 糸が捲かれて締められて終わる。 それが始まりに似ているという。 本当に似ているかどうか検証してみよう。 「始まり」とは女のムロ すべては女のムロすなわち胎から始まった。 そこに胤(たね)は宿り生長しやがて産まれる。 「終わりのとき」の「とき」を時と漢字を使っていないのは 「解き、溶き、鴇、辰、穐、熔き」などの可能性を含めるためだろう。 「穐」は秋の古字で本字 亀がトキに関係が深いようだ。 「秋」の意味を見てみよう。 >>五行説では金に配し、それに基づいて、色では白、方位では西に配する。 (大修館、新漢和辞典) 「あきら、とき、とし、みのる、」などとも読まれる。 鳥の鴇は年に鳥とも書く。トシの鳥なら饒速日尊の鳥である。 五行説の金は金太郎を思い起こす。 色の白は白山、 方位の西は「光の黙示録、詩編」の 「真珠の光 浮かぶ日こそ世に茜さす日ぞ」  という一句を思い出す。 真珠の光、スパスシフィカが浮かぶ日、さす茜と思える。  「秋」の字は「穐」の亀が火に入れ替えられたということは この亀は火の性を持っているのだろう。 亀は甕に通じて、この物語の主人公、饒速日尊であろうと推理できる。  火の性質をもった神といえば日本書紀に 伊奘冉尊が火神、軻遇突智(かぐつち)を産んでホトを焼かれて亡くなったとの記述が あるが その後の伊奘諾尊の演じた行動がことがあまりにも奇矯でどうにも信じがたい。 「唯、この一児(ひとつぎ)を以て、我が愛しき妹(なにものみこと)に替えつるか な」 などとのたまって十握(とつか)剣を抜いて軻遇突智を三段に斬ってしまった。 これは血迷ったにしてもあまりひどすぎる。こんな親はいない。 仮にも人の親であるならこのような話を首肯できる人はいないだろう。 妻が産褥で死んだからといって産まれた子供に罪はない。子を斬れば妻も子も失うこと になる。  ところが、伊奘諾尊は天涯孤独になることなく、軻遇突智の血から様々な神々と 三柱の神が産まれている。 それは甕速日命(みかはやひ)、と漢速日命(ひのはやひ)、 この漢は実は漢のサンズイを火偏にした文字で 火が盛んなことを示す。 そして、武甕槌神(たけのみかづち)となっている。 日本書紀は日向の記録なのでこのように記述されているのであろう。 饒速日尊の名前を消すために苦労していることが見える。 この三柱の名前は饒速日尊の名前をばらばらにしてある。 甕速日命(みかはやひ)の名前の甕が三輪山で酒の神としての 饒速日尊のことであるとわれわれすでには知っている。 漢速日命(ひのはやひ)は火の神としての饒速日尊のひとつの性質であろう。 武甕槌神(たけのみかづち)は武神として雷神としての饒速日尊の性質をとった名前で あろう。 その三つの性質をまとめれば饒速日尊であり三神に斬り分けられる前の軻遇突智であっ た。 この軻遇突智の斬り分け話しは妻、伊奘冉尊(イシス)と交代に 八百万の神々が世を統治するために現れたということかと推量する。 饒速日尊は統治権を握れずにその名を騙る者にとってかわられた。 そして、剣の頭から滴った血がクラオカミになったという。 クラオカミのクラは闇(くら)だがオカミの字は靈の巫の部分が龍に入れ替えられた文 字である。 「小学館、大辞泉」を参照すると 「くら、は谷、おかみは、龍神の意。記紀神話で、高オカミとともに水を司る龍神。 京都の貴船神社奥宮の祭神」 とある。 高オカミである父、スサノオが、山の龍として力を奮い、 クラオカミであるニギハヤヒが谷の龍として力を奮っている姿が浮かぶ。  このクラオカミについては、以前、9番会議室の発言番号880において TAOさんが 「 出雲の風 4」と題して発言されていた。  ぼくの籠の中の鳥捜しの終点は靈としての饒速日尊であるが 実際にどんな名をもつの鳥で顕現するのかなかなかわからなかった。 ケツァール・コアトルなのか鴇なのか、鶴なのかそれともコンドルか、 フクロウなのか、と迷い続けていた。 そんななかで 最近、毎日新聞、埼玉面に 将棋の米長邦雄九段の人生を語る「ともに勝つ」という連載が始まった。  米長九段は月読命を信奉して全国各地を巡り、 名人位をとる前に鑑真和上で知られる唐招提寺に詣でた。 その講堂中央須弥壇の弥勒如来座像の光背に鳥が彫られていた。 米長九段は鑑真和上の像の前で瞑想中にその鳥の鳴き声を聴いたという。  その鳥の名は迦陵頻伽(かりょうびんが)である。 小学館、大辞泉によれば  迦陵頻伽は梵語のkalavinkaの音写であり、 雅楽の舞曲では迦陵頻(かりょうびん)と略されている。 雪山あるいは極楽浄土にいるという想像上の鳥で聞いて飽きることのない 美声によって法を説くとされ、浄土曼荼羅には人頭・鳥身の姿で表される、 というような説明があって 中尊寺の「金銅華蔓(けまん)」の部分に彫られている迦陵頻伽の姿の図版がある。  ぼくにはこの鳥の絵がエジプトの人頭の鳥の姿であらわされるバーと重なって見え た。 それは。 エジプトのバーは不気味なフクロウのような姿で黄泉の世界とこの世を行き来する霊魂 であった。 ホルス(フル)は地上では鷹の姿で象徴されたが 死後の世界ではこのバーの姿で表されたのだ。 それは大和の王、饒速日尊(フル)としてはすでに詳述した 「舊」の字で表されるフクロウである。  こうして、ぼくの中で、迦陵頻伽とバーとフクロウが結びついた。  夜明けの番に登場する籠の中のトリとはARIONのメッセージにたびたび登場する 梟。 その名は迦陵頻伽(かりょうびんが)であった。 饒速日尊は再臨の際、火の性質で人類に火の洗礼を与えるために 「火の鳥」(霊の鳥)として顕現することになるだろう。 梟の姿の饒速日尊は現在、どこで何をされているのだろう。 そのことを知るために2梟の登場する最近のハロー・メッセージを調べよう。 >>96/07/12村長は怪訝な顔をして凍え人を見た。梟の鳴き声がする… >>96/07/17凍え人に質問した焚き火民は暫し絶句した…梟がまた鳴いている >>96/08/04 焚き火民と村長は凍え人の去った方向を見つめた…梟の声がする >>96/08/14 「おお!!」と皆は声をあげた。しゃがみこむ者も居た…梟の声   >>96/09/09 村長はゆっくりとした足取りで天使の庭を出て行った…梟が鳴く >>96/09/21 「振り返って私を見ました」焚き火民は皆を見た…梟の声  この日の時点まで梟はみんなの会話の経過を聞いて鳴いたり声をあげている。 >>96/10/28 月は薄い雲の間から青い光を放ち、夜露に濡れた草原を照らす…  ここには梟は出てこないが預言的なハロー・メッセージである。 この日、雲で象徴される出雲の門の間の日から月が青い光を放っている。 「夜露」は出雲の数八(夜)が露(あらわ)になること。 いよいよ出雲の雲が薄くなって舞台に月の光を受けて登場が近づいた。 人々は草原にいる。そこが舞台である。 >>96/11/06 雲間から月が顔を出し光を投げかける…梟は梢で片目を瞑る  雲の門の間の日から月が顔を出す。 「顔」は彦のかお、ということで、月が日子(ひこ)のかおを出すということである。 投げかける光はまだ仮のヒカリで太陽が反射した光である。 やっと梟の居場所が特定された。 饒速日尊は梟の姿で梢にとまっている。 この「梟」の文字は鳥が木にとまっている姿である。 梟の文字を使用しているときは木にとまっている状態を表しているらしい。 「梢」の字をよく見ると梢は木が月の光とともにあるところである。    普通、詩人は詩を書くとき、一字一句を大切にして 意味ばかりでなくことばの響きやリズム、字面、文字数などこだわるが、 ここではARIONは片目といって、右目とも左目とも特定していない。 ぼくはARIONに偉大な詩人の魂を感じるので ARIONの詩魂をはかって考察すると片目だけでもどちらか特定できる気がする。 この音数を数えると片目でも右目でも同じなので右目なら右目と書いているはずだ。 それをしないのは右目ということばの響きや字面がよほどいやだったのか、 左目だったからしかない。ぼくにはそうとしかとれない。 この梟の目はフクロウ時計のように左右に動き ついには左目を瞑ってしまう。 梟が瞑る左目は靈(ひ)垂り(精神)の方の界を観る目であろう。 梟は右目で、凍え人や焚き火の民のくりひろげる現実界を見、 左目では冥界を見ている。 「瞑る」という字は冥界の目である。 瞑る方の目では冥界の出来事を見ているのである。  その冥界にはなにがあるのだろう。 そこでは百鬼夜行が起きている。 「鬼」の字は見ての通り、一角獣を象りハロー・メッセージにも使われている。 >> 95/05/20 一角獣は夢を見る。シャボン玉の命のように希薄な夢を現実行動へ  冥界にはこれまで鬼(一角獣)とされて世に受け入れられなかった魂が棲んでいる。 梟(迦陵頻伽)の命を受けて世に出る日を待ち望んでいる。 「希薄」(きはく)、希いの薄い夢であっても気迫(きはく)をもって現実に行動すれ ば夢は現実化する。 冥界の鬼たちとは、それはスサノオに端を発する魂たち、 思いつくままに名を挙げれば 坂上田村麻呂、阿弖流為(あてるい)、聖徳太子、源義経、申楽の観阿弥、世阿弥親 子、平将門、弓削道鏡、諸々の鬼(サムライ)たちである。 梟の姿の饒速日尊は右目で物質界で起きる凍え人と焚き火の民の会話を見、 左目では霊の世界での出来事を見ている。 左右の目に映る世界での物語の推移が極まるのを待っているのだ。 そして、それが極まったとき、括り括られ終わり、新たな物語が始まる。 その登場人物は今、あの世でもこの世でも選り分けられ舞台に登ろうとしている。      (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04492/04534 MHD02672 TAO 『光よりの光』について (14) 96/11/10 01:26 04485へのコメント  #4485 はなさん  >>  こうやって並べてみると、どれにも「光よりの光‥‥」が含まれてい  >> るんですよね。   昨晩はキリスト教信者の集会に参加する機会があったんですが、その際に  配られたプリントに『光よりの光』という言葉が印刷されていました。それ  で驚いて見直すと、それは二ケア信条を記したもので、その中に『光よりの  光』が入っていたんですね。   生憎と、そのプリントは集会後に返さなければならなかったので、全文を  引用することは出来ないのですが、『光よりの光』という語句が入っていた  ことは確かに覚えています。   とゆうことで、専門家(?)のウルヴィーさんのコメントを待ちます(^^)。  TAO 04490/04534 PAG03134 はな 青白き馬にまたがる者 (14) 96/11/10 00:57 04446へのコメント コメント数:2  メモ代わりに。 >> 見よ、青白い馬に跨る者をと声がする。  アリオンはかつて自分を聖書の黙示録に登場する「第四のみ使い」で あると言っていました。第四の御使いは「青白き馬」にまたがっていま す。「青白い馬に跨る者」とは、アリオンのこと。 ●海王星と冥王星の舞踏会は何だったのか? 「 木星の王は言った。 『私は力尽きた』   火星の皇子は言った。  『私は行く』   月の娘は既に成人になり、  大地の掟を統べる様になった。   冥王と海王は円卓に就いた。」 は、5年ほど前のアリオンメッセージが伏線になっています。 |                   2 |        ジャンヌは、もはやフランスからは来ないだろう。 |        黒い旗は、むしろカリブ海の方向から来るだろう。 |               「さて」と娘は話す。 |           「私の舟は、何処に着くのでしょう」 |      そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。 |        大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との、 |     楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。 |            ひとり外れて、「土の王」が嘆く。 |            「水の王」は娘の為に、舟を出す。  海王星と冥王星の楕円の舞踏会も終わり、冥王星と海王星は円卓につい た。また、火星と木星は舞踏会にて密談を交わしています。密談の結果、 木星の王は「私は力つきた」と言い、火星は「私は行く」と言っている。  対応関係を示して、この辺で‥‥。                         はな 04493/04534 PAG03134 はな 私は力つきた & 私は行く (14) 96/11/10 02:21 04490へのコメント コメント数:1  火星の惑星記号は「♂」ですが、元々は金星の惑星記号である「♀」 を逆さにした、上に十字、下に丸という記号でした。精神の象徴は○で 表され、十字が物質の象徴だとされています。金星は物質である十字を ○、すなわち精神が上から統制できている状態なのに対し、火星は十字 が○を従えている格好になります。つまり、物質が精神を支配している 様子を記しています。  火星の皇子が「私は行く」と言ったのは、精神を物質に従えさせ、肉 主霊従の状態で、まだまだこれから進んでいくと言っているように思え ました。  また、木星の惑星記号は、今まで物質にとらえられていた精神を解放 する意味が秘められています。  木星の王が「私は力つきた」と言ったのは、物質に呪縛されている精 神性を解放しようとしてきたが、もう限界だ。これまでだ。と言ってい るよう。  シューメーカー・レビー彗星が木星に衝突したのも、鐘を鳴らすかの ように「どーん」と木星に衝突し、霊が肉から解放されやすいように、 警鐘をならしました。木星が響いたにも関わらず、その響きは地球では 十分に受け取られず、現状を見る限り生かし切れなかった。木星の王が 「私は力つきた」と言ったのは、彼の無念さが込められているように感 じました。                       はな 04509/04534 GHH10354 星見 惑星記号との照応 (14) 96/11/12 17:10 04493へのコメント コメント数:1 星見です。 わたしも象徴記号については少し異なる考えを持ったもので.... とことん錬金術ネタで恐縮ですが。 ≫ 火星の惑星記号は「♂」ですが、元々は金星の惑星記号である「♀」 ≫を逆さにした、上に十字、下に丸という記号でした。精神の象徴は○で ≫表され、十字が物質の象徴だとされています。金星は物質である十字を ≫○、すなわち精神が上から統制できている状態なのに対し、火星は十字 ≫が○を従えている格好になります。つまり、物質が精神を支配している ≫様子を記しています。 惑星の象徴記号の三元素「十字」「まる」「三日月」についてですが、 最近ここではやりの錬金術では、それぞれの象徴が 十字:腐食と物質 まる:太陽と黄金(赤) 三日月:月と銀(白) に置換されます。 (水銀:水星の象徴記号だけがこの三つ全てを兼ね備えている ....というお話は何処かでもうされていましたっけ?あちこちの 過去ログの未読の途中なので、もうなにがなんだか(^^;) はなさんの補足になる形になりますが、 木星の象徴記号は三日月の下に十字ですから、 今まで鏡のように神秘的で影に隠れていたものが内部から腐食して 表面に出てきたことを暗示しているとも言えます。 一時期皆の注目を浴びた彗星の衝突による爆発も、社会的、思想的に内部の 腐食したものが現実に出てくるきっかけになっていたのではないかと考えて いました。 解釈が当たっているかどうかはともかくとしても(^^;) 逆に、火星は十字の下に太陽ですから、外側は太陽のように壮麗であっても いつかは外側から腐食し、華麗な仮面が剥がれていくことを暗示している わけです。その華麗な戦いぶりは他のものを圧倒していても戦いの返り血を 浴びて、ぬぐってもぬぐっても表面にさびが生じてしまうように。 自ら統率し、自ら滅びていく暗示を内包する記号です。 ただ、木星の王は火星の王子(若い!)と交替したわけですから、 これからは見せ掛けの黄金の輝きにだまされることが十分ありうるわけですね。 錆は一個所に出来ると、その化学反応は一気に連鎖的に進む傾向があります。 見せ掛けの輝きを維持する側と何とか亀裂を見つけて一気に体制を覆す側とに わかれるのでは....そんな気がしています。 個人レベルにせよ、社会現象にせよ、いろんな場面について当てはまる メッセージであると考えています。 ★ 星見 GHH10354 ★ 04513/04534 PAG03134 はな RE:惑星記号との照応 (14) 96/11/13 23:05 04509へのコメント コメント数:1 星見 さん  惑星記号の説明をしてくださって、ありがとうございました。木星の 象徴記号と火星の象徴記号の意味の違いがクリアーになった感じです。  せっかく錬金術上で進めてくださっている話の腰を折るかのようで恐 縮ですが、火星の皇子が「私は行く」と言っている姿、ノストラダムス の予言と重なったのでコメントさせていただきます。  火星の皇子といえば、マルス。マルスといえば有名すぎるほど有名な、 ノストラダムスのかの4行詩が思い浮かびます。  「1999の9の月に   天から恐怖の大王が降ってきて   アンゴルモアの大王が復権する   その前後にマルスが幸福の名の下に統治する」  マルスが「行く」のは「統治しに行く」です。この世をマルスの支配 下に置くために。星見さんのお知恵をかりれば、壮麗であってもいつか は外側から腐食し、華麗な仮面が剥がれていくような虚飾の世界をまだ まだ続けるかのようです。こんな見栄の世界は、長くは続きませんよね。  アリオンはかつて緊急メッセージとして、「あなたがた、ノストラダ ムスの予言を当ててはならない。」と言っていました。マルスが「私は 行く」と言っているのは、ノストラダムスの予言が成就してしまいそう な気配が感じられました。  アリオンがノストラダムスの予言を当ててはならないと警告したのは、 ノストラダムスの予言自体に問題があるのではなく、予言を狡猾に利用 し予言を意図的に当ててきた連中が背後にいたことを警戒してのことで す。大衆を週末思想に釘付けにして、意識をそらしている傍らで、自分 たちの利を得ようと目論まれている連中の意のままに操られてはいけな いとの忠告を込めたメッセージでした。  マルスについて記されたアリオンメッセージの1行は、「あなたがた ノストラダムスの予言が的中させられようとしている。警戒せよ」と言 っているように感じました。                       はな 04519/04534 GHH10354 星見 マルスについて (14) 96/11/15 01:14 04513へのコメント 「火星の皇子」については、私もはなさんと同じく、例の4行詩が頭にちらついていま した。 これも有名なお話ですが、ノストラダムスの研究家の方達の間では、マルスは「国連」 であるという話でまとまりつつあるとか無いとか。 何だか話があっちこっちに飛んでしまうような気がしますけれども、ひっかかる話があ るので、ちょっとコメントをば。 (新参者のくせに書き込んでばっかりだけど....いいのかなぁ?) 最近の子供たちは戦うことに一種の憧れを感じているということだそうですね。 あまり口に出したりはしないけれども、正義の旗印の下に集まり、正義を行使するため に自分の力を思う存分振るってみたいという子供が多いという話を聞きます。 「平和」に疲れているらしいのです。 今の生活はいわば幻のようなもので、来るべき戦いの横行する世紀末の時代にこそ自分 の本当の姿が在るのだ、という子供が。 (大人にも多いという(T_T) 当然、その力を振るうためには、何かしらの敵の姿が見えなくてはならず、されど自分 ではそのようなものを探す気力もないため、今は取りあえず指導者の出現を待ち、世の 崩壊をじっと楽しみにしている輩が多いそうです。 木星の王と火星の皇子はここでも当てはまることになりますね。 「滅び」の予兆を感じ取っているのか、それとも....? 「幸福の名の下に....」は世界ではイデオロギーの違いうんぬんで語られていますけれ ども、日本に於いては何か異なる顕現の仕方をするように実行されているようです。 (どっちも当人にとっては正義であるというのが困ったところでして) 彼等にとっての絢爛たる「火星の皇子」はいつ造られてしまうのでしょうか。 某教育研究機関がどうだのこうだのというウワサも.... 憶測のお話はやめておきましょうか(^^;) ★ ジェッターマルスとかゴッドマーズとかなら大歓迎の 星見 ★ 04502/04534 NBB01420 SUKE 月の娘 (14) 96/11/11 20:59 04490へのコメント コメント数:1 #4490 はなさん、こんばんは。 >>  月の娘は既に成人になり、  大地の掟を統べる様になった。 最近、月の秘密云々と言う本を見つけました。内容的にはちょっと信用してい ないのですが(^^;)(カリウムを地球上に無い物質と書いていたので)しかし、 月についての注目が復興して来るのかな?と思いました。 月は以前から例外的な衛星として科学的にも謎が多かった訳ですが、何だか月 に隠されていた何かが準備を整え、地球上に影響を与えるようになってきてい る、と解釈すると怖いものがありますね。 月の娘と言えば、竹取物語のかぐや姫、あるいはウルトラマンエースの変身前 の一人南夕子を思い出しますが(^^;) 個人的には何故か月の娘に恋い焦がれる思いがぴんと来てしまう(^^;)                              Suke.(^_-)☆ 04507/04534 PAG03134 はな 成長した月の娘 (14) 96/11/12 00:36 04502へのコメント SUKE さん、こんにちわ。  月の娘は成人になったとは、何度も月が満ち欠けした時の経過が伏線に あるでしょう。地球の潮の満ち引きの3分の1は月の力によるものとされ ており、月は地球に大きな影響をもたらしています。月の娘が成人になっ た今は「潮時」といえると思います。  月に対しての注目が復興してくるのか?というご指摘、これを占星術的 にみると、月は無意識や母性の原型ですんで、母性や深層心理についての 関心が復興してくると読み直してみました。 >> 月は以前から例外的な衛星として科学的にも謎が多かった訳ですが、何だか月 >> に隠されていた何かが準備を整え、地球上に影響を与えるようになってきてい >> る、と解釈すると怖いものがありますね。  月が例外的な惑星であることは、私の知っている範囲だと、 ・地球の大きさに対して、衛生である月が異常に大きい ・月の視直径(見かけの大きさ)と太陽の視直径がほぼ同じ  (だから皆既日食や皆既月食がおこる) ・月の中は空洞ではないか ・月の自転速度と公転速度が同じ  (よって月はいつも同じ方向しか私たちにみせてくれない) です。地球から一番近い星なのに、とてもミステリーが多い惑星です。月 に隠されていた何かが準備を整えているのだとすると、私たちの知らない 準備ごとの数もあまりに多すぎます。神さまで言うならば、ほとんど知ら れていないツクヨミ(月読み)が挙げられますし。  NASAの観測情報などを見ると、火星以遠の惑星の研究はいろいろと 公開されてるんですが、それらに比べて月の研究成果が非常に少ないのに 疑問を感じています。火星に生命体か?というニュースも、元ネタは数年 前に発見されており、公表をしぶっていただけのこと。月にも隠されてい る事実がたくさんあるのでしょう。月に関するあっ!と驚く新たなる事実 が公開されるかもしれません。                       はな 04516/04534 SDI00635 みれ RE:1994/09/04のRT編集ログ(2) (14) 96/11/14 20:25 04451へのコメント #04451 優位 さん  こんばんわ(^_^)  先程、インターネット上のFARIONのHOMEPAGE用に編集ログを再編集し 終わりました。再編集したのは、横尾さんのことに触れている部分を外す為で す。個人的な話なのでインターネット上で不特定多数の方にお見せするのはち ょっと…ということで、外したのです。それで、タイトルの番号も一つずつず らしました。事後承諾になって申し訳ないです(__;)悪しからずご了承下さい。  個人の悪口を言っているのでは無いけれど、やっぱり内部事情だしねぇ(^O^;)  ということで、今晩のRT編集(会議室違いだけど)も宜しくお願いします。      96/11/14(木) 19:45 みれ★SDI00635 04529/04534 PAG03134 はな 私たちの星=出雲の星 (14) 96/11/17 23:09 04355へのコメント 七穂 さん  亀レスです。  光の黙示録第21章、 >> これが 私達の * の星 (*は米チョボなのだけど^^;) >> これが 私達の暁の星 >> 真空の空に風が起こり >> 胎児は 再び私達の手の中に  ここに出てくる星は、こんな形をしています。 (記号1‥‥光の黙示録)    \|/    −+−    ひげ8本(^^;    /|\ 本当は各線はぶつ切れではなく「+」と「x」を重ねた記号にな ってます。これ、米の字とほとんど同じで、米といえばSOUND さ んがいろいろと解読をなさっていました。  ところで、先の記号から縦棒を一本取り除いてみると、こうな ります。 (記号2)    \ /    −+−    ひげ6本    / \  記号2は、太陽のシンボルです。天気図の雪印でもあります。 この記号は斜めに二本、横に一本線があり、合計6本の棘(とげ) があります。カバラでは「6:ティファレト」の象徴惑星が太陽 であり、太陽の数字は6とされています。  この延長線上で考えれば、記号1は数字で読めば「8」になり ます。  光の黙示録第21章の「私たちの*星」は、シューメーカー・ レビー彗星でした。そして、今回この星が「8」だとみれば、 「これが私たちの出雲の星」と読み替えられます。  シューメーカー・レビー彗星は出雲族の復権をかけた重要な合 図だったようです。                       はな 04531/04534 GBG02043 維/YUI マルス96 (14) 96/11/18 12:50 もう、タイトルでわかったと思いますが…。 ロシアの火星無人探査機、マルス96が11/16打ち上げに失敗し、 30日以内に太平洋上に落下するらしいのですが、この探査機は プルトニウムを燃料とする発電機4台を積んでいるそうで、 落下した時に、放射能汚染を引き起こす恐れがあると、各新聞では 伝えています。 「もう行く」と言った火星の皇子…このマルス96の話なんてこと… ないですよね? >> 冥王と海王は円卓に就いた。 今回のマルス96のことがきっかけとなって、はなさんが04517で >>放射線や核に関わる会議の進行開始が示唆 と書いていますが、これが一部の者達の利益のみを追求した裏会議ではなく、 本腰を入れて放射線や核の扱い等について地球全体としての向上につながる ような話し合いであることを願わずにはいられません。 維/YUI