「気付かない事で自分が困る経験が無いと難しい」と天使 - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/11/22 - 09024/09029 BYK00511 導 RE:ARIONよりの伝言です ( 7) 96/11/21 23:02 08984へのコメント ARIONまず私はこのテーマを一足一刀の 思いで取り組むことを宣言します。 その方法は反省をもって試みます。 宣言は必要ないかもしれませんが、道場にて 心を整え、身を真っ直ぐに礼をする思いで、 課題に正対いたしたく存知ます。 このツリー以外のコメントに対しては、一端 お返事をお休みさせて戴きたく思います。 せっかくのコメントに対するお返事を休む事 に誠に申し訳なく存じますが、必ず後日、お 返事いたしますのでお許し下さい。 その故は、この聖書の一節に並々ならぬもの を感じたからです。 それは何か、どう感じたのかは後ほどきちん と書きます。 今、私はこの会議室で自分の中に虎を観まし た。しかし、観ただけでこれをどうしたら良 いのか、この虎は何なのか全く何処から手を つけて良いのか分からない状態であります。 この虎は私の中心にどっかり座り込んでいま した。それを観たとたん暴れまくります。 ものすごい勢いで暴れ出しました。 俺は独善家であったのか。と気付いたのです 。正にSUKEさんの表現は私を写していま す。それは、この会議室ではじめてARIO Nに対して発言し、その返事を戴いた時から 見え始めました。 今ではよく見えます。しかし、この凄まじい 虎をどうしたらいいのか分からないのです。 その時、この聖書の一節が眼に飛び込んでき ました。 この一節の解釈は数え切れない程あるでしょ う。しかし、今、私が抱えている自分の中に どっかり座り、突然傍若無人に暴れ回る虎の 問題から眺めれば、情というものの観点から 聖書の一節を振り返り、自己の反省に活かし たく存じます。 まずは、この聖書の一節を繰り返し読み、深 く心を落ち着けることから始めます。 そして、自分の中から偽りのない言葉が産ま れるまで、発言を控えます。 このテーマからは無駄な剣は抜かぬ様に自戒 したいと存じます。 - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/11/22 - 01024/01026 QGB02123 不二子 「一つ目」と「片目」について。 ( 9) 96/11/21 16:25 コメント数:1 はじめまして。前の書き込みを少々拝見させていただきました。 興味深いテーマがいくつもありました。 ここで遊ばせて頂きたく存じます。よろしくお願いします。 まずは自己紹介がわりに「一つ目」についての私見を少々述べさせて頂きます。 私は、「一つ目」と「片目」は違うと思います。 「一つ目」について考察するにあたり重要なことは、「一つ目である」という現象 ではなく、「一つ目で見る」という行為のほうではないでしょうか。そして、「一 つ目で見る」とは、二つあるうちのどちらか片方で見る、ではなく、二つあるもの を一つにして見る、ということだと思うのです。「目を一つにして見る」というこ とです。あるいはもともと目は一つであるとし、「一つなる目で見る」というほう が正確かも知れません。いずれにせよ、「片目で見る」とは違うと思います。  では、「一つなる目で見る」とはどういうことなのか。それがなぜ鍛冶の文化と 結び付くのか。ここが重要なわけですが、実はまだ私にもよく分かりません。ただ 「一つなる目で見る」ことで、日頃「二つ目」が相対論的に捉えている世界に特異 点が穿たれ、その時起きる認識の変化(ニューエイジ的に意識変容といってもいい ですが)のプロセスが、鍛冶のプロセスとフラクタルな関係にあるのかな、と見当 をつけています。いいかげんなことで申し訳ないのですが、こんなことに結論を出 すにはワタクシはまだ青過ぎますゆえ、どうぞ御勘弁を。よろしければ共に考えて ください。 今日はこのあたりでシメます。今後ともよろしくお願いします。 不二子 01026/01026 MHD02672 TAO RE:「一つ目」と「片目」について。 ( 9) 96/11/22 01:11 01024へのコメント  #1024 不二子さん   今晩は(^^)。   確かに「一つ目」と「片目」とは違いますね。鍛冶の神が元来一つ目なの  か、片目なのかについてですが、実際の鍛冶職に就いているタタラ師が火に  よって片目を痛めているか失明している事例が多いことから、片目=鍛冶師  の職業病と見て差し障り無いと思いますし、そこから片目の神というイメー  ジが出来上がっているでは無いでしょうか。   とは言え、鍛冶師が炎の色を見極めるのに、両目よりも片目の方がやりや  すかったと思いますし、また一方の目を守る為にも片目を瞑ることもあった  でしょう。   身も蓋も無い言い方ですが、一つ目とか片目とかは飽くまでも「結果」で  あって、そこに形而上的な必然や理由とかは無かったと思います。鍛冶師は  古来よりシャーマンと同一視されて来ましたが、それは火の操作や金属の変  容といった異能、或いは片目を失う程の過酷な労働の姿によって人々から畏  怖されて来たからだろうと考えています。   ただ、鍛冶も錬金術も「物質の変容」に携わる営みですから、そこに人間  の心理的な変容を投影出来るのも確かで、鍛冶や錬金術のプロセスを「死と  再生」のイニシエーションに照合する試みは、古来より東西を問わず行われ  て来ました。以下、『鍛冶師と錬金術師』より引用して締め括ります。      つまり、自然を変化させる責任をわがものとすることにおいて人間     は自らを時間の位置に置いたのである。大地の奥底では「成熟する」     ために数千年か永劫を要したことを、治金師と錬金術師は数週間で達     成することができると主張する。………(中略)………天上の鍛冶師は     創造を完成し、世界を秩序づけ、文化の基礎を置き、人類を秘儀の認     識へ導くのだ。                          同書 P212〜P213より   ではでは(^^)。  TAO 01025/01026 MHD02672 TAO Unsuccessful comment ( 9) 96/11/22 01:10 RE:1023 SUB:ウェルカム>不二子さん  #1023 不二子さん   ようこそいらっしゃいませ(^^)。議長のTAO です。ここ、「濃い」ですか  (^^;?   三峯登拝のお話、面白かったです。夕暮れの中を、野犬の一団に囲まれる  なんて、おいそれとは体験出来ない出来事ですね。怖い気もしますが…(^^;。  >> あそこは山開きの期間中でなくても登拝できます。神社も開いてますし、  >> 宿坊にも泊まれます。ただし夜間の登頂は禁止です。   お〜、来年の山開きまで待たなければならないかと思っていたので、貴重  なインフォメーションを有り難うございました。今年中に再登山してみたい  と思います。  >> 「・・・・・・・・・・・・・・。杉並区のかたですか。コスモメイト  >> の方ですか?近頃よくみえられますが。」   ふ〜ん(^^;。コスモメイトですか。何で三峯に来るんでしょうね(^^;。  >> 商魂のたくましさ加減では三峯神社のほうがずっと露骨だと思いますね。  >> 境内をボウリングして温泉つくって各種信仰宗教の団体御一行様迎えち  >> ゃうんだもんなあ。   そう言えば、本社の隣に食堂と温泉がありましたね。確かに団体客らしい  人たちも結構見掛けました。コスモメイトといい、新興宗教団体の人たちが  押し掛けるような何かが、三峯神社にあるんですかね…。  >> それともうひとつ、あそこの本社は丑寅、奥社はイヌイにそれぞれきっ  >> ちり面しています。これまた御参考までに。   丑寅に向いているとは気付きませんでした。大本教では国常立命は鬼門に  閉じこめられていたとしていますので、国常立神社が境内に鎮座しているこ  とも意味ありげですね。それと、「イヌイ」って何ですか?   それでは今後もどうぞ宜しく〜(^^)。  TAO - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/11/22 - 01532/01533 BZN01330 西野 智昭    RE:洗脳:苫米地 NONFIX >一輝さん (12) 96/11/21 17:41 01530へのコメント コメント数:1 一輝さん、おはようございます。  西野 智昭です。  情報ありがとうございますm(__)m。  『ダ・ヴィンチ』1995年6月号で洗脳本の地図になるわけですね。      早速、ご質問の方に移らせていただきます。     >>苫米地博士のお話、番組内容でもかまいません。もう少し詳しく聞かせて下さると助 かり>>ます。  番組の主題は、苫米地博士(若手・キレモノ系)の研究分野(ヴァーチャル・リアリ ティー理論?)から見た洗脳。 「ここまで分かった洗脳体験」という感じです。具体的には、苫米地博士が、洗脳の技 術や脳の仕組みを解説して、宗教団体などで「神秘」「奇跡」と信じられているもの を、博士自身が科学的(?)に被験者に体験させるというもの。    脳の理屈としては、人がトランス状態にある時は、その人にどのような体験も誘導で きるというものでした。  また、私たちは日常的にしばしばトランス状態(番組の中ではもっと正確な言葉で使 われていました。)に落ちるということでした。それは、別に深い催眠状態を指すので はなくて、電車の中の読書で感情移入して周囲の状況を忘れて泣いているという状態 や、一人で回想に耽っている程度の状態です。  博士によると、そういう状態の人は、現実の音も聞こえず、目の前の人間も見えない のだけれど、当の本人は、その本に書いてある風景を見、登場人物の声を聞いていると いうことです。  つまり被験者を誘導(催眠)するには、本の筋に沿ってお話を新たに進めてやればい いとのことでした。ここで大事なのは、あくまで筋書に沿った進行をしなくては、被験 者がついてきてくれないということです。被験者が信じたいと思うこと以外の誘導はで きないそうです。    そこでいくつかの実験が局のスタジオで始められます。    まずは女子大生(失礼だが、軽薄で媚びた格好の人)。  おそらく催眠術に掛かりやすい人を選んだらしく、この女性はすぐにトランス状態に なりました。博士は変態のようにへらへら笑いながら「今から先生が君の欲しいものを この手から出してあげるからね」と言います。わざとらしいくらいの「へらへら」とい うのは、決して博士が異常ということではなく、被験者に博士が権力者だということと 敵意を持っていないことを強調するためにそんな態度を取っていたようです。  で、博士が手の平から指輪を出すと言って、女性の手に指輪を渡す仕草をしました。 すると女性は、ないはずの指輪をちゃんと受け取って自分の指にはめました。そして、 嬉しそうにしげしげと自分の指を見つめているのです。時計もあげました。重さも感じ ているとのことでした。  次に博士はベンツを手の平から出してあげると言います。たくさんの指輪や時計をは めていると思っている女性もさすがにいぶかしみましたが、右手の指をわざとサイババ 風にこすりあわせて「ほら出た。先生なんでも出来ちゃうんだから」と言うと、明らか に女性の目にはベンツが映っているようでした。大きなボディを眼がなぞっているので す。  このちょっとした奇跡を女性に見せた後、すかさず博士は次の大奇跡に移ります。中 奇跡のできた人なら大奇跡もできる、と巧みに女性を誘導します。  「今度は先生、空を飛ぶからね」と言って、1センチ浮いた、10センチ浮いた(こ こもちょっとづつ)と言いながらスタジオの天井まで浮いてしまいました、女性のイメ ージの中で。  これでこの女性への実験を終了。椅子に座らせて、博士が手を叩くと女性が目を覚ま します。夢から覚めた子供のように女性は指輪や時計を探しましたが、催眠術に納得す ると正常に戻ったようでした。しかし、博士の簡単な合図にすぐにトランス状態になっ てしまいます。そして、嘘だと分かったはずの女性がまた嬉々として時計をもらいま す。僕の見たところに寄れば、トランス状態が本当に醒めるまで、あくまで「醒めた」 という暗示を与えるというものです。博士はここのところで、素人の催眠術遊びに警告 しています。被験者から術を完全に外すには熟練が必要らしいです。    洗脳とは言わないまでも、催眠術のようなことはよく男性が女性を口説く時に知らず に利用しているそうです。  意中の女性を暗くて静かなバーに軟禁状態にして、薬物(アルコール)を使用し、相 手に必要なのは自分しかいないと思わせるといったテクニックです。    次の女性はTシャツにジーンズ姿のしっかり者風。  今度はいよいよ洗脳です。  まず女性は、思い出をさかのぼらされます。記憶がさかのぼるごとに女性の言葉づか いがその当時の口調になります。女子高生の時のハスっぱな口調。小学生の時の口調、 そしてとうとう、幼児の時の舌足らずな口調に戻りました。これは被験者の女性が演技 しているのではないそうです。まさしく当時の口調ということでした。被験者に自分の 名前を書かすと、女子高生時代、小学時代と字も変わっていきました。幼時の名前で は、のたくったの平仮名になり、当時間違って覚えたクセまで一緒になりました。  ここで博士は、女性の記憶を入れ換えようとします。  幼少時の女性はかまくらを作るのが得意だったそうです。博士が雪をどうやって固め るのかと問うと、塩を利用するのだと女性が答えます。博士は「塩だった?砂糖じゃな いの?」と女性の記憶をすり替えた後、(たしか)女性の記憶を現在まで再びさかのぼ らせてから術を解きました。  正常になった女性に何気なくかまくらの作り方を訊きます。すると女性は「砂糖で雪 を固める」と真顔で答えるのです。女性は自分の間違いに気づきません。科学の法則に 反していることに疑問を持ちません。  これで洗脳が完了したということです。被験者の記憶の一点だけをすり替えてくる。 小さな一点ですが、この一点が非科学的なことを信じやすくする根拠にもなるというこ とらしいです。    次がフジテレビのアナウンサー。これは数人の中からトランス状態の落ちやすい人を 選びました。「武田なんとか」という新人の女性です。  今度は、記憶の未知の部分に新しい記憶をつなげようという試みです。  先ほどの女性と同じように記憶をさかのぼらせて、記憶の一番古いところまで行き着 かせます。この女性アナウンサーは、自分のウチの庭の池に落ちた記憶が一番古いもの でした。ナレーションで、この溺れたエピソードは本当の記憶かどうか怪しいと入りま す。アナウンサーが成長するたびに親から聞かされたことを記憶として信じているのか も知れないということです。このくらい古くて曖昧な記憶のディテールを博士は質問し ていきます。すると初めは曖昧だった記憶が、色から匂いから明確に再現されていきま した。そして、アナウンサーが池に落ちて水底を見たところで、不快感を訴えだして、 どうしても記憶を辿ることができなくなりました。これは被験者の記憶が本当にないの か、親から聞かされた話がここで終わっていたかということです。  実験はこれで終わりました。    これは、宗教団体で前世の記憶を植え付けるテクニックを応用したものだと僕は思い ました。博士は、ここで改めて洗脳というのは荒唐無稽なものは植え付けられないとい うことを強調します。あくまで本人が信じている、信じたい事柄に延長線を引いてやる ということでした。    女性アナウンサーの実験中にハプニングが起こりました。実験をガラス越しに見守っ ていたディレクターだかプロデューサーの男性がトランス状態に落ちてしまいました。 博士は男性の元に駆けつけて男性の具合を見ます。そして催眠術で男性の行動を誘導し ました。  博士が両手が軽くなると言うと、男性は両手をあげます。何だかおかしくなってきた と言うと、男性がたまらず笑い出しました。  博士がトランス状態を解くと男性は、正常に戻ったようでした。そして男性が「たし かに手が軽くなったように感じた。笑うのはさすがに嫌だったが、我慢できなかった」 と感想をもらします。スタッフたちが仲間が正常に戻ったのを安心した時、博士が合図 をすると、男性はすぐに元に戻って首をうなだれてしまいました。  博士はこの後、慎重に術を解いたのですが、僕はこの場面で、洗脳の恐さと強さを知 りました。    たしか、これで番組が終わったように思います。博士は、現実感というのは自分の外 側に確固としてあるのではなく、脳の中の各個人が持っている固有の感覚で、ヴァーチ ャル・リアリティーと限りなく近い感覚なんだと言っているようでした。     >>企業での洗脳について、もし何かご存じでしたら教えて下さい。  ということですが、一つ思い当たることがあります。    ウチのカミサンは、以前保険の外交をやっていた時の話です。90年以降が企業洗脳 が顕著になるということでしたが、この話もやはり92、3年くらいの話です。    保険の外交というのは、たいがい主婦の小遣い稼ぎで、あらかた親戚を加入させて成 績優秀の賞状をもらった後に、新規の客を見つけられなくて辞めていくパターンが多い そうです。ウチのカミサンは、勧誘がうまかったのかどうか、お情けの親戚加入の他に も新規の客を加入させて長続きしていました。  そのうち会社から、各支社の成績優秀な外交員を集めて合宿をやるということで、カ ミサンは所属の支社の何人かと参加させられました。  これからの話は後日にかいつまんで聞いたことなので、正確ではありません、たぶ ん。    そこでは合宿の参加者各々に、将来の夢を具体的に発表させるのだそうです。  その次に、その夢の実現のために10年後にはどうなっていなければならないのかを 発表させます。この後、5年、3年と年を刻んでいって、最終的には、夢の実現のため に今日何をしなくてはならないのか、というところまで行くのだそうです。要するに、 保険を売るための明確な動機付けを行なったのだと思いました。どんなに断わられても ガンバリ続ける営業力を養うとともに、会社と個人の利益を強引に結びつける機会だと 思いました。  合宿は2泊3日くらいあったと思います。おそらく、各人の夢の内容を率直に皆の前 で発表できるようにじっくりと時間を掛けたのだと思います。各人の夢とそのための約 束をお互いに監視させることで、同僚の目が労働を強制的に促し、かつ、より強固な仲 間意識を作ることができます。まるで大日本帝国のように。    正直言って、その時は洗脳セミナーに自分のカミサンが行かされたとは思っていなか ったので、ずいぶん企業はうまいことをするもんだと感心してしまいました。  実際、今でもそれは洗脳には違いないが、「悪質」とまでは思いません。人格をいじ ってしまうわけでなし、商品をより多く売る目的にしぼられたものですから。また、カ ミサンは当時の支社の慣例に従ったまでで、義理で参加しただけですから、セミナーの 効果は、少なくても僕には感じられませんでした。  「人格改造」でもなく「自己啓発」でもなく、企業の目的にしぼられた「研修」と称 する洗脳セミナーは、僕の予想よりも広く応用されているのではないかと思ったもので す。むしろ、学校教育は洗脳の場ですね。僕の実感としては、学校で教わった常識のう ちでその理由の分かったものはあまりないです。      ずいぶん長くなってしまいましたが、これで失礼します。               西野 智昭 BZN01330 11/21 07:57 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/11/22 - 05131/05131 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●15 (13) 96/11/22 00:54 05119へのコメント ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第15回/「霊界参入の三段階/開悟の段階における思考と感情の制御」                               (P57-77)その3    前回の終わりのところに、   感情と思考を正しい方向へ向けることが問題なのである。そうすれば通常の生   活においては見ることのできなかったもののために知覚能力が開発される。    というところがありましたが、 今回は、「どのようにしてそれが可能となるのか」について。   植物の小さな種を眼の前に置く。その際大切なのは、この、目立たぬものを前   にして、以下に述べる思考内容をできるだけ集中的に作り出し、それを通して   一定の感情を呼び起こすことである。しかしその前に、先ず肉眼に見える限り   の、種の形状、色、その他の特徴を熟視し、その後で以下の思考作業を行なう   のである。この種が地に撒かれるなら、そこから次のように思考を続ける。今   自分が想像の力によって作り出しているものを、将来大地と光の力が現実にこ   の種から招き出すであろう。もしこの種が見たところ本物そくりに造られた模   造品だったとしたら、どんな大地や光の力も、そこから植物を招き出すことは   できない。以上の思考内容をできるだけ明確に把握し、生き生きとそれを体験   することができたとき、更に以下の思考内容をもふさわしい感情とともに体験   することができるであろう。(P65) ここでは、魂が一定の表象に没頭することによって、 魂の隠れた能力を引き出すということが目指されています。 「表象」というのは、目の前にあるものをとらえる、思い描くというような意味です。 通常の生活においては、表象はめまぐるしいほどに変化しつづけ、 それに応じて魂の力も容易に分散していきます。 そのような分散しがちな力をひとつの表象に集中するということが重要です。 この修行では、植物の小さな種に対して、魂のいとなみのすべてを 集中させていくという方法です。 そうしてひとつの表象に沈潜していくことによって、 魂はそれ自体の力を強め、内的沈潜へと向かうことが可能になります。 ここでは、植物の種の表象という方法がとられていますが、 シュタイナーが別のところで紹介しているものを参考までに挙げると、 植物の生長と枯死についての瞑想、水晶の結晶についての瞑想などもあります。 また、その他にも、もっと効果的な方法として、 象徴的な表象を使う方法もあります。 シュタイナーがよくとりあげる象徴には、 黒い十字架が交差するところに、七つの赤く輝く薔薇が円環状に並んでいる、 というのがありますし、ある言葉に沈潜するというようなやり方もあります。 さて、植物の小さな種を表象する行についてさらに続けましょう。      種の中には、眼に見えぬ仕方で、後にそこから生長してくる植物全体の力がそ   なわっている。人工的な模造品にはこの力が存在していない。しかしそれにも   かかわらず私の眼には両方とも同じように見える。したがって本物の種の中に   は模造品の中には存在しない何かが眼に見えずに内包されている。さてここで   修行者はこの不可視なものに感情と思考のすべててを集中しなければならない。   種における不可視的なものは、眼に見える植物にまで変化する。後になれば、   私もこの種から可視化されて生じたその植物の色や形態を見ることができるで   あろう。眼に見えぬものが見えるものになる。そしてもし私に考える能力がそ   なわっていなかったとすれば、後に可視化される植物の色や形態を。現在私が   すでに心中に表象することもなかったでろう。----この思考内容に思考と感情   を集中させなければならないのである。(P65-66)      その際に大切なのは、思考する内容を感情の内容にする、ということである。   妨げになるような雑念を一切排除して、静かに上述したひとつの思考内容だけ   を集中的に体験する。そしてこの体験を通して、時とともに、思考と感情がい   わば魂の奥底にまで貫通するように努める。(P66) 植物の種を表象することを忍耐強く続けること。 それをただおざなりの義務のようにするのではなく、 できるだけみずみずしいまでの感受性で表象していくこと。 その体験そのものに魂がとどまるということによって、 内的な魂の力を育てていくことができるわけです。 魂は、そうした修行によって、単なる外界の表象、物質的感覚に作用する印象を超え 内にまどろんでいた魂の能力が開花していくことになります。 単なる外的な印象によって生じたのではない感情が魂を支配する状態を続けることで 内的な魂の能力が育っていくことになるということです。 この能力を育てていくには、通常、長い時間がかかるといいます。 そのために、忍耐と持続力を魂の基本的気分としなければならないということは これまでにも何度も述べてきたことです。      正しい仕方でこの思考と感情の行を積み重ねていくなら、おそらくは無数の試   みの後で、ひとつの力を自分の内部に感知するようになるであろう。そしてこ   の力から新たらしい種類の直観が生じるでろう。その結果種が今や小さな光雲   につつまれたように見えてくる。種がこの感覚的=霊的な直観によって、一種   の焔として知覚される。焔の中心には、リラ(藤)色の印象にも似たものが感   知され、その周辺部には薄紫色を見たときに感じるようなものが感知される。   ----そこにはそれまで見えなかったものが、自分の内に呼び起こした思考と感   情の力によって現われている。感覚的には不可視のものが、すなわち後になっ   てはじめて可視的となる植物が、霊的に可視的な仕方でそこに顕現している。                                 (P66-67) これは、いわゆるイマジネーション認識への道で、 これは、通常のように外界を知覚、表象することによる「対象的認識」と 呼ばれるものとは異なる認識方法です。      以上の事柄はすべて、多くの人にとっては幻想にすぎないであろう。(中略)   しかし正にこの困難な地点でこそ、幻想と霊的現実とを混同しないことが決定   的に重要になるのである。更にまた、臆したり、無気力になったりせず、断固   として前進する勇気をもつこと、これが大切である。そのためにも真偽を区別   する健全な感覚を常に養う必要がある。修行中は常に、自分自身をまったく意   識的に支配しつつ、日常の事柄に対するときと同じ確かさで、自分の体験に対   しても思考力を行使できなければならない。(P67) ここでいう「イマジネーション」という言葉は、 「空想」「幻想」「想像」というような意味ではなく、 物質的、感覚的に知覚される表象や事物の世界よりも、 むしろ「現実的」なものを意味しています。 もっとも、ここでは通常は見えない何かが見えるその内容が問題なのではなくて、 そうしたプロセスにおいて育っていく魂の力こそが問題なのだということは しっかり確認しておきたいと思います。 世の多くの人は、ほとんど目の前にあるものや それに関連することしか認識しようとしていないわけで、 少しでも抽象的な内容や概念などさえ認識できないのが普通です。 けれど、そうしたあり方は、魂の力を枯渇させるだけで、 その底に眠っている本来の力を育てていくものではないことは確かです。 もちろん、「対象的認識」にはそれなりの意味があって、 それさえまともにできないというのは論外なのですが、 魂の潜在能力の開発という意味では、「対象的認識」を離れた認識を得ることが まずは重要だということがいえます。 そこにこそ、「自由」へ向かう道が開かれているのですから。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/11/22 - 04550/04553 PAG03134 はな 火星に生命はいるか (14) 96/11/21 21:22 04545へのコメント コメント数:2 維/YUIさん みんた さん  Time Magazineが主催する火星のホームページをのぞいてきたら、「火星 には生命体がいると思いますか?」と問いがあり、「はい」か「いいえ」 で得票するようになっていました。早速「はい」の方に投票し、結果を見る と「はい」が2959人、「いいえ」が1942人でした。  火星に生命体はいると思うと投票した人が5分の3、生息しないと思う人 が5分の2おり、若干「いる」と思う人が上回っている程度でした。この結 果をすぐさま、社会全体の認知のようにとらえるのは、とってもムリがあり ます。  今年11月、12月と、火星探査にむけてロケットが相次いで米国から打 ち上げられます。 <米国>  その1:惑星探査機      1996年11月6日打ち上げ  1997年9月11日火星着      目的「火星の地質、気候調査」  その2:惑星探査機(ローバーと呼ばれる車です)      1996年12月2日打ち上げ  1997年7月4日火星着      目的「火星の岩石、地質の調査」 <ロシア>  その3:惑星探査機      1996年11月16日打ち上げ 1997年9月12日火星着      目的「火星の大気、地磁気、地質調査」  火星に向けての惑星探査ラッシュですな。  私なんぞは、宇宙人がいるかいないかを議論するのはあまり進歩がないな と思っています。むしろ、宇宙人にあったらどうするか?とか、なぜ地球に 宇宙人が現れないのかなどの観点から話をする方がよほど面白いと思います。   *  *  ドラえもんやオバQで知られる藤子不二雄氏のマンガのひとつに「もじゃ 公」ってのがありまして、冒頭は「もじゃ公」と21エモンにも出てくる共 通のキャラクターであるゴンスケというロボットが、自分たちと宇宙の旅行 をするパートナーを捜すシーンから始まります。  道中、眼下に広がるは青い星地球。地球を見て、もじゃ公はゴンスケに尋 ねます「太陽系第三惑星地球はどうか?ここにはまともなのがいそうか?」 と。ゴンスケはそっけなくもじゃ公の問いに、こう答えます。「文化レベル 0.3 同じ星の人間同士が戦ったりする野蛮な星。見るだけ無駄」と。そ して二人は、せっかくだから寄り道でもと地球に降り立ち、かれらの物語が 始まりまるというマンガでした。  ゴンスケがもじゃ公に答えたセリフが、未だに印象に残っています。これ だけ野蛮な星だからこそ、まだまだ宇宙人も寄りつけないんでしょう。                       はな 04551/04553 PAG03134 はな RE:火星に生命はいるか (14) 96/11/21 21:34 04550へのコメント  ちょいと補足します。  宇宙人がいる、いないについて話あうのが良くないというのが言いたいの ではなく、Timeのホームページにみられるように、世間の話題がいまだに宇 宙人がいる、いないのレベルで留まっているのが残念だという思いで、先の 発言を書きました。なんか民衆をそのレベルの話に釘付けしておき、関心を 本題からそらしているように感じます。これは、ノストラダムスの予言を週 末思想に結びつけて大衆の意識を釘付けにしている様子と似ているからこそ、 不気味にすら感じます。  * * 参考までに、Time Magazine社の火星ホームページのアドレスは 「http://time.com/mars」です。                       はな 04553/04553 GBG02043 維/YUI RE:火星に生命はいるか (14) 96/11/22 01:12 04550へのコメント >>社会全体の認知のようにとらえるのは、とってもムリがあります。 ムリだよねぇ。アメリカでは社会全体の認知としたい動きがあるの? まあ、NASAが少なくとも過去に「いた」形跡があるって言えば、 「そうか。」ってことになるのでしょうけれど。 維/YUI 04552/04553 PAG03134 はな 「月の娘は既に成人になり」 (14) 96/11/21 22:43 04446へのコメント  アリオンが本格的にメッセージを伝えるようになって10年ほどた ちました。アリオンは来年、神霊族自らの掟を括ると言います。アリ オン達神霊族が現れて、今までをひとつの錬金術の過程とみると、ほ ぼ最終過程にはいったといえます。それは、「月の娘は既に成人にな り、大地の掟を統べるようになった。」から推測できるのです。    木星の王は言った。    『私は力尽きた』    火星の皇子は言った。    『私は行く』    月の娘は既に成人になり、    大地の掟を統べる様になった。    冥王と海王は円卓に就いた。  (mes#4446より)  「アニマ」と呼ばれる概念が錬金術には登場します。アニマは通常 「魂」と訳されたり「魂の妹」といわれます。錬金術の過程であった 黒化、白化、黄化、赤化は、魂あるいは魂の妹が変容する姿として、 象徴化されてきました。黒化から赤化に移り進んでゆく過程は、魂の 妹とされ、アニマと呼ばれる娘さんの成長記録そのものなのです。  ところで、アニマの話とアリオンのメッセージを平行して進めてい くためには、メッセージ#4446に出てくる月の娘がアニマ(魂の妹) と同じ意味を持たねば、両者の接点が生まれません。その作業を怠る と、錬金術について触れているであろうアリオンのメッセージだと、 確信を持って言えなくなってしまうからです。  月の娘とアニマ(魂の妹)を結びつけられるようになるのは、錬金 術の第2段階である白化になって可能となります。なぜならば、第2 段階のアニマ(魂)とは、月の女と言われるからです。魂の妹は、成 長するにしたがって、いろいろと象徴される女性が変わります。エヴ ァとか、マドンナ(聖母)とか、イシスとか、それぞれ段階ごとに姿 を変えてゆくのです。月の赤子だろうが、月の妹だろうがお姉さんだ ろうが、月のおばさんだろうが、はたまた月のおばあさんだろうが、 月の女と言ってしまえば、女性形をすべてひっくるめて総称として表 現できます。  月の娘さんであるアニマの成長過程をたどってみます。 [アニマの段階]    [象徴者]       [意味] 第1段階のアニマ‥‥エヴァ、大地の女   −性愛の対象−   (錬金術でいうニグレド「黒化」) 第2段階のアニマ‥‥月の女        −ロマンティックな愛の対象−   (錬金術でいうアルベド「白化」) 第3段階のアニマ‥‥聖母、天の女     −霊的な愛の対象−   (錬金術でいうキトリニタス「黄化」) 第4段階のアニマ‥‥智慧の女神アテネ、モナリザ           イシス、観音、マリア −神秘的な愛の対象−   (錬金術でいうルベド「赤化」)  第1段階から第4段階に移るにしたがって、愛す対象は、より肉体 的欲求から、次第に霊的な愛の対象へと移っていきます。  第4段階のアニマになると、もはや女性ではなく、両性具有者の性 質になってくるといわれています。性別のない天使に近い存在になっ てくるのです。この会議室でも頻繁にでてきたイシスは、智慧の女性 として最終段階の女性形に位置します。  アリオンメッセージにあった、「月の娘は成長し、大地を統べるよ うになった」というのは、第1段階でエヴァや大地の女と呼ばれた女 性が、次第に成長し、智慧を有していく様子を表現していると思いま した。大地に生まれ、大地を統べるための智慧を有する。そんなイメ ージが月の娘の成長から読みとれるのです。  月の娘は成長してどうなるのでしょうか? 私は大地を統べるエネ ルギーがより充満すると思います。月の娘が成長するのは「大地を統 べる愛」を世に充満させるためだと解釈しています。しかし、娘さん はまだ表に出ていないのです。いや、出てこられないはずです。それ は、私が思うところ、月の娘さんは封印の力によって封じ込められて いるからです。                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/11/22 - 01175/01176 QZY01267 猫の手 息をひそめて (19) 96/11/22 07:14  その声を逃しちゃいけないよ。  いつ来るか分からないその声を。  息をひそめて、  逃さないよう、  そうっと息をひそめ続けて  耳をそばだてていなくてはいけないよ。  それはもう近いから。  それを聞き逃さないよう、  じいっと耳をそばだてていなくてはいけないよ。    それはいつ来るか分からない。  でも、それは必ず来るからね。  だから、息をひそめて  じいっと耳をそばだてている必要があるの。  その声を聞き逃さないよう。  どこから来るやら分からないその声を聞き逃さないよう  じいっと息ひそめ、  耳をそばだてていなくちゃいけないよ。  それはもう近いから。           ** QZY01267/『猫の手』 <11/21 22:42> ** 01176/01176 QZY01267 猫の手 RE^4:SMILEリーダー養成講座受講してきました (19) 96/11/22 07:15 01174へのコメント  DIYさん、風邪の具合はいかがでしょうか?  そういえば先日列車の中で相席して話しをした人も風邪をひいていました。  今風邪がはやっているのかな?  しっかり養生して下さい。      私の方は経済的には危機的状況になるものの、仕事がないならばしっかり休 んでおこうと思っていたのですが、どうもそういうわけにも行かなかったよう で、再び三度忙しかったりしています。そうは言いながら、このところ毎週ヒ ューマン・ギルドに顔を出したりしています。今週末は、カウンセリング&セ ラピー演習です。先週は、カウンセリング演習と共に、プロセス指向心理学の セラピー(アドラー心理学とは別)を受けて来ました。どうもやはり今私は大 きなテーマにぶつかっているような気がしています。  暖かい時期は、信州をバイクでツーリングするのは気持ちが良いでしょうね。 でもこれからの時期は、信州のバイク野郎にはきつい季節です。今働かせても らっている会社には年中バイクで通勤している人がいます。とても強い人です。 もっとも、私もチャリで走り回っているけれどちっとも寒さには慣れません。  信州が、安曇が好きだという人に出会うと吾が事のように嬉しくなってしま う猫の手です。    本当に深く理解したい一冊の本というと私は「続アドラー心理学トーキング セミナー」になってしまうのかもしれません。滅多に繰り返し本を読むことの ない私には珍しくこの本を5回ほど繰り返して読んでます。とは言ってもこれ はいかに生きるかという意味でHow toものです。  ナポレオンはそういう一冊の本に「聖書」選んだみたいですが、私は、そう いう本を選ぶとしたらアドラー心理学関係の本になってしまいそうです。アド ラー心理学を離れるとしたら、「バガヴァット・ギター」ということになるか な?  私が徹底して好きだった小説家は新田次郎さんでした。たぶんあの人の書い たもので文庫になっているものは全部読んでいると思います。ほとんど小説っ て読まない人なのに何故でしょう? 自然の描写の仕方が好きだったのかもし れません。  深く心に残っている小説というと「リトル・トリー」かな、もう最後は涙を ぼろぼろ流して読んでいました。  「エジプトからアトランティスへ」「創世の守護神」の二冊は何とか読み終 えました。結構どちらも読みやすい本でした。これを読んで、スクフィンクス の前足の下が発掘されるのが楽しみになってきています。  「どうすれば幸福になれるか」の方も読もうと思って持ち歩いています。今 のところ110ページまでなんとか読み進みました。アドラー心理学のエッセン スはふんだんに盛り込まれているとは思うのだけれど、でもどうも、カブ人間 は劣っているというような断定口調があって好きになれず、投げ出したくなっ ています。著者そのものがアドラー心理学を生きていたとしたらこういう表現 の仕方にはならなかったのではないかという気がするけれど、今から60年も 前の時代では、本を読むことができる人というのはごく一部の限られた人たち だけだったんだろうし、ましてや書く人となるとごく一部のエリートだったん だろうなと思いました。  それではまた。         ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<11/21 22:35> **