「事実を在るがままに見るには凝視していては駄目だ」と天使 01480/01481 SDI00635 みれ ARIONの新刊書発売! ( 3) 96/11/30 19:24 コメント数:1  お待たせしました!ARIONの新刊書が発売になりました(*^^*) -----------------------------------------------------------------------------  タイトル★アーリオーンメッセージ  出版社 ★徳間書店  値段  ★1400円  ページ数★310ページ -----------------------------------------------------------------------------  【帯】              電脳空間に現れた                 ウツノ カムヒ              天使=宇宙神霊からの               衝撃の預言!!      太古、日本列島に封印された<聖なる力>を早く早く解き      放て!!アジアの龍ドラゴンと西欧の不死鳥フェニックスとの      死を賭した戦いを超え、光の世紀に入る為に………… -----------------------------------------------------------------------------  【目次】 -----------------------------------------------------------------------------  はじめに  宇宙神霊アーリオーンの預言が示すもの        〜アリオンとは何者か、なぜ今アリオンの預言を世に問うのか〜  第1章   かつての日本で何があったのか        〜日本が真の力を発揮するには、アマテラスの義弟たちの封印を         解かねばならない〜                    ヨミガエ  第2章   解かれた封印から「鬼」が黄泉帰る        〜貶められた「鬼」の本当の姿が明らかになる。それが祖土(オヤツチ)        復活のとき〜  第3章   アジアと西欧−価値観の相克を超えて        〜世紀末、日本は再生し、アジアは台頭する、そして、アジアと西欧        は死を賭して戦わねばならない〜  第4章   日本人はこれからどうあるべきか        〜体主霊従から霊主体従へ、誰もが抱える「内なる封印」を解け〜  第5章   封印を解かれた「ち」の力が日本と日本人を変える        〜日本人の真価が問われる、混沌の世紀末の到来〜  おわりに ----------------------------------------------------------------------------                              ☆みれ・:・。,☆ 01481/01481 QFH02012 アラミス RE:ARIONの新刊書発売! ( 3) 96/11/30 21:32 01480へのコメント みれさん>> やっと出ましたね、アーリオーンメッセージ。 本屋で見つけた所、目の前で一冊手に取ってレジに持って行く人がいたりして 出足はなかなか好調かも。 私も早速購入して読んでいる所です、内容としてはタイトル通りARIONの 預言メッセージの解読が中心で14番会議室的色合いが強くなっていますね。 思えばFARIONがSTARTした頃から預言解読部屋でARIONのMSGが解読されて 来て、こうして一つの形に実を結んだのを見ると感慨深いものがありますね・・ って私は会議室見ていただけだけど(^^;)。 そうそうちょっと補足すると>>本 徳間の「超知ライブラリー」のシリーズから出ています。それと今回の著者は アートライン・プロジェクトの名前で出ていますから本屋さんに取り寄せても らう時は間違えないように>>ALL - FARION MES( 7):自分を観る  ★ ARIONを鏡にして 96/12/01 - 09055/09096 GFH02347 ゾウリムシ RE:ケース ( 7) 96/11/25 22:22 9000 水戸黄門さんへ、 :さて、トンチンカンに限らないだけど、「言葉」に対する反応があるかどうかは : チェックしておいたほうがいいようです。 「言葉」に対する反応について言えば、自分に対して肯定的な言葉には、リラックス し、否定的な言葉がでたら、身構えます。 私の場合、人に「あなたは言葉に反応している。」と言われてもさほど、気になりま せん。前述のように、反応はありますが、誰が何と言おうと、基本的姿勢として、 言葉というより文全体から、相手が何を言おうとしているのかを、読み取ろうとする 姿勢を持っているからです。( もちろん、読み間違うことも、ないとはいえませんが) これは、同じ言葉でも、相手の言葉と私の言葉では、その意味することが、 厳密には違うと思っているからであり、言葉じりを取り上げての不毛の論争を避ける ためです。不毛の論争にあけくれる程、私は暇ではない。と思っています。 ただ、欧、米文化のように、意志を言葉にしてはっきり出して言わなければ、わからな い場合や、契約書などの場合もありますから、いちがいに私の姿勢がいいとも言い切れ ません。 これは、アホな人間達とはなるべく関わり合いたくないという思いがあるからでしょう。 ( もちろん、自分から見て、アホな人間と思える人間ですが、) ウンザリという思いもあります。 そういえば、「出会いを楽しむ。」とか、 ある所では、「私は、仙人になりたい。」と言ったこともありました。 ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ 09067/09096 BYK00511 導 RE:ARIONよりの伝言です ( 7) 96/11/26 23:03 09024へのコメント 一時的な感情の変化、怒り、悲しみ、喜び そうゆうものに振り回される事はないと思 っていました。 怒り、悲しみ、喜び、妬み、憎しみ、恋慕 そういう心の色を眺め、むしろ楽しむこと も出来ると思っていました。 仕事や家庭、様々な人間関係その中で、何 時でも澄んだ心で立つことが出来ると思っ ていました。 しかし、よくよく観てみると、そういう感 情の動きをコントロールしているものは、 自己の存在に対する渇欲でありました。 求めて止まぬ自分への愛。 この愛は他を愛するというカモフラージュ で姿を隠していた。 万物を愛おしく思う心の裏に激しく求める 満たされぬ思いがあった。 この想いは己自身を隠す為に多くの妄想を 生み、この妄想同士がまるで社会を築く様 に連鎖関連しあい私という架空の人格を生 み出した。 剣を構えれば心乱れることはない。 しかし、仮に相手の剣が私の妻や子に向け られたら、私の心は真っ赤に染まり、相手 を躊躇無く切る。その切った相手にも愛す る妻子がいるかもしれないことを考えるこ ともしないだろう。 大分前の事だが家族で歩いていてたら、向 こうから来た人がじゃまだと言って家内の 肩を突き飛ばした。 瞬間私は相手の胸ぐらをつかみ道路にたた きつけていた。 はっと気がついた時遅く、我が子が私を見 て怯えていた。 恐らく、私を相手が突き飛ばしたなら気に も止めなかっただろう。 しかし、自分が愛するものを汚される事に 私は異常なほど心を乱される。 自分の中にいる激しい虎は愛という形で私 を制服している。この一見美しき愛の裏に は激しい愛苦が潜むる。 この愛はひたすら自己を太らせることのみ 望み、けして満たされる事のない虎。 この虎と如何に相対するか。 今、膠着状態である。 - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/12/01 - 01030/01032 MHD02672 TAO 問題意識の在処 ( 9) 96/11/23 22:00 01029へのコメント  #1029 不二子さん   どうも。まず三峰神社の本殿が建てられた時代ですが、寛文元年(1611)と  されています。江戸時代(徳川時代)ですね。   ***   この会議室の性格ですが、どちらかというと日本史の再検証をメインテー  マに据えていて、隠された歴史を掘り起こす作業を推し進めています。少な  くとも抽象的、形而上学的な論議には向かない部屋でしょう。                            シュクア   産鉄民における「一つ目の神」への信仰は、彼ら自身の宿痾に直結してい  たからこそ、産鉄民の間において際だった比重を占めていたと見ていますが、  「一つ目の神」を創造したのは、恐らく外部の産鉄民への畏怖の表現であり、  産鉄民自身もやがてそういう信仰を共有するのに至ったのだと考えています。  また「一つ目の神」とは、産鉄民の由来を神々に結びつけることで、彼ら自  身の存在意義を裏付けようとした結果でもあると見ます。   不二子さんとは必ずしも意見の一致を見る必要は無いのですが、不二子さ  ん自身の問題意識がどこにあって、何を知りたいか?というところをまず明  確にされない限りは、この先の展開は難しいのでは無いでしょうか。   キリスト教や仏教の既成宗教にしろ、民間宗教にしろ、信仰が生まれる背  景においては、最初に超自然的な触発があったとされる場合が多く、そうい  う意味で宗教や信仰とはまず外部から与えられるものと言えます。逆にユン  グのように、人間の心理に「神」の原型があるからこそ、外部に「神」を投  影するのだという考えもあります。   私自身にとっては信仰ほど退屈なものは無いのですが、信仰というものが  文化や歴史に与えて来た影響にはいたく興味を感じています。宗教を欠いた  人類史なんてものは想像出来ませんからね。   エリアーデが面白いのは、汎人類的な観点から宗教の系譜史というものを  追おうというその姿勢です。やはり著作をきちっと読まない限りは、彼の真  価を理解出来ないだろうと思います。他人の引用を読んだだけではつまらな  いでしょう。  TAO 01031/01032 MHD02672 TAO AMA族談義 〔7〕 ( 9) 96/11/27 12:55 01028へのコメント コメント数:1  【聖徳太子と蘇我氏 4】   この日、最後に向かった目的地は、橿原市小綱町に鎮座している「入鹿神  社」だったが、車路よりかなり奥まった場所にある為、探し当てるのに手間  取ってしまった。   *入鹿神社   この名前通りに蘇我入鹿を祀っている神社であるが、石鳥居にもどこにも  入鹿神社の社名を示す文字も標識も無い為、かろうじて神社の前に立ってい  る説明板で分かるぐらいである。この説明板にはこう記されている。     「橿原市指定文化財       建造物  入鹿神社本殿一棟               昭和五十五年三月十七日指定       当社は廃普賢寺の東南部の一段高い所に西に      向かって建ち、もとは、同寺の鎮守社であった      と伝えられる。祭神は素戔鳴命と入鹿大臣の両      柱を合祀している。」   蘇我入鹿と言えば、『日本書紀』では権勢を誇って横暴をふるい、聖徳太  子の子の山背大兄皇子とその一族を滅ぼした張本人とされているが、この入  鹿神社に入る路地の脇に、道標のような石碑が立っており、下記のような文  章が刻まれている。   正面 「聖徳太子御自作 大日如来 佛起山 普賢寺」   側面 「蘇我入鹿 御舊跡」   と、聖徳太子と、聖徳太子の子孫を滅ぼした張本人の蘇我入鹿とが一緒に  並んでいるのである。何とも奇妙な神社ではあるが、近々、この時の写真を  データライブラリに載せるので、ご興味がある方はご参照頂きたい。   この神社のことを知ったのは、古代史研究者の関 祐二氏の『聖徳太子は  蘇我入鹿である』(フットワーク出版社)という奇想天外な題名の著書からで  ある。私自身この題名を一見して、最初はトンデモ本の類かと思ったが、内  容を読んでみると、『日本書紀』他、様々な文献より聖徳太子や蘇我入鹿に  ついての伝承を比較対照しながら、両者の共通点をあぶり出して行くという  丹念な検証を進めているので、なかなか納得力がある。   文豪の坂口安吾は『飛鳥の幻』(『安吾新日本地理』河出文庫に収録)とい  うエッセイで、飛鳥時代における蘇我天皇の可能性を示し、入鹿が時の天皇  位に就いていて、それを民衆も認めていたのでは無いかという推論を発表し  ているが、関氏は坂口安吾の推論をさらに推し進め、『日本書紀』では全く  別人である筈の聖徳太子と蘇我入鹿、この両者に関する『日本書紀』の記述  の不自然さを指摘しながら、同一人物が別々の人格に書き分けられたのでは  無いかとしている。   蘇我入鹿は中大兄皇子と藤原鎌足によって暗殺され、ここから大化改新が  始まるのであるが、大化改新とは、蝦夷−入鹿と続く蘇我本宗家を倒す為の  反動的クーデターに過ぎなかったのであり、大和国内の内紛であったとする  研究者(門脇禎二氏等)も幾人かいる。門脇氏は「大化改新における基本的な  政治路線や外交路線は、既に蘇我入鹿の執政期において打ち出されていた」  としている(『蘇我氏の栄光と陰影』より)。大化改新によっ て、政治路線が  百八十度変わったという訳では無かったのである。   天皇位に就いていた可能性があるとされ、政治的にも進歩派だった蘇我入  鹿を暗殺したとなれば、それを正当化する為に『日本書紀』で悪人に仕立て  なければならなかったということだろう。実際、これは坂口安吾も指摘して  いることであるが、『日本書紀』における蘇我入鹿暗殺の記事は奇妙に大袈  裟であり、崇峻天皇暗殺の記事等はあっさりとしたものなのに、蘇我入鹿に  関しては延々と言葉を費やしている。言い訳とは得てして長くなるものだろ  うか。   関氏は、聖徳太子=蘇我入鹿だとするならば、実際は誰であったかについ  ては『元興寺伽藍縁起井流記資材帳』そして『日本書紀』にも一度だけ出て  くる、蘇我馬子の長男、蘇我善徳では無いかとしている。この蘇我善徳は馬  子と物部の女の間に生まれたとされ、元興寺を建てたという。何故聖徳太子  と蘇我入鹿を別々の人物に仕立てなければならなかったか、山背大兄皇子の  一族の滅亡のことはどう解すべきか等々についても、関氏は綿密に推論を展  開しているので、興味や疑問がおありの方は、直接著書に当たって見ること  をお勧めしたいと思う。   聖徳太子を架空の人物と見るのは関氏に限らず、石渡伸一郎氏も『聖徳太  子はいなかった』(三一書房)で、聖徳太子は本来の大王であった蘇我馬子の  事績を覆い隠す為に『日本書紀』で創造された人物としている。関氏とは人  物の比定が違うが、聖徳太子の正体が「蘇我系の天皇」だったという点では  一致している。   ここで気付くのは、蘇我家が天皇家の外戚として権勢を得ていたというこ  とで、持統天皇−元明天皇−元正天皇と続いた女帝達はいずれも蘇我家の血  筋を引いている。天皇家に外戚として取り入って権勢を得るという蘇我家の  やり方をそっくり真似て、蘇我家にとって変わったのが藤原家だと、梅原猛  氏は指摘している。『隠された十字架』で梅原氏は、入鹿暗殺に対して「藤  原氏が蘇我氏の内部分裂を図って、反主流派や不平分子を抱き込んで事件を  成功させた」としているが、実際、蘇我家は藤原家にとって変わられた形で  歴史の表面から消えて行くのである。   ***   入鹿神社の境内のはずれには、「明治天皇遙拝所」と刻まれた石碑が立っ  ていたが、この小さな神社に本当に明治天皇が寄って行ったとすれば、それ  も不思議なことじゃないだろうか。  TAO 01032/01032 MHD02672 TAO AMA族談義 〔8〕 ( 9) 96/12/01 00:33 01031へのコメント  【聖徳太子と蘇我氏 5】   *王陵の谷   法隆寺−額安寺−入鹿神社と巡った翌日は、聖徳太子御廟があるとされる  叡福寺まで向かった。叡福寺が位置している磯長谷は、蘇我氏と関係が深い  天皇や皇族の御陵が多く「王陵の谷」とも呼ばれている。聖徳太子御廟の他  に敏達天皇、用明天皇、推古天皇、孝徳天皇らの御陵が治まっていて、これ  ら五陵は五つの御陵が五枚の梅の花弁に似ているところから「梅鉢五陵」と  呼ばれるようになったという。   大和の飛鳥を「遠つ飛鳥」と言うのに対し、磯長谷から羽曳野にかけてを  「近つ飛鳥」と言う。恐らく難波を起点にし、近い方を「近つ飛鳥」、遠い  方を「遠つ飛鳥」としたのであろうが、どちらにも「飛鳥」という地名を当  てているのが気掛かりで、飛鳥という地名の由来を探るのに示唆する所が多  そうである。   梅鉢五陵のうち、敏達天皇・推古天皇・聖徳太子は母子での合葬墳であり、  当時は母系制陵墓が作られる風習があったのかもしれない。   磯長谷に蘇我氏と関係が深い皇族の御陵が多いのは、蘇我氏が飛鳥に進出  する以前の本拠地であったからであろう。これらの御陵のすぐ南側には「一  須賀古墳群」があり、この古墳群はおよそ十支群約二百墓というかなり大規  模な群集墳で、渡来系集団の家族墓であるという見方が強い。蘇我氏自身も  先祖を渡来人とする氏族と捉える研究者も多く、実際蘇我氏が仏教の導入に  心を砕いたのも、韓半島との関係によるものが大きいのだろう。   この日は好天気だったので、磯長谷を数時間ほどかけて歩き回ったのであ  るが、この土地は意外に重要な意味を秘めているのでは無いかというのが、  この日に得られた感触であった。   *叡福寺   磯長谷を廻る前に朝一番で赴いたのがここであり、寺伝によれば、叡福寺  は聖徳太子御廟を守る為に建てられた寺であり、この御廟については『日本  書紀』にも「(聖徳太子を)この月に磯長陵に祀る」とある。聖徳太子と后・  膳部大郎女、母后・穴穂部間人皇女が共に祀られている三骨一廟であり、寺  の境内より一段高い場所に位置している。   叡福寺の境内は清々しい雰囲気に満たされており、境内を横切って一番奥  の御廟に上がる石段へ向かう。石段を上がり切ると、柵に囲まれた御廟が見  え、敷き詰められた白砂が美しい。柵の扉には菊の紋章が付けられていて、  御廟の正面には墓の石室に通じる羨道の入り口があるが、格子戸で閉じられ  ており、中世から明治十二年までは寺僧や特別な人は廟窟内に入れたという  が、今では誰も入れないようになっている模様である。御廟は宮内庁の管轄  になっていて、明治十二年の廟窟修理の際に大きな岩石を以て羨道を閉じた  とのことで、何故そのような措置を取ったのか、宮内庁の意図が図りかねる  ところである。   聖徳太子御廟にはいにしえより多くの高僧が詣っており、空海・最澄・日  蓮・親鸞等の名前が挙げられる。特に親鸞は熱心な太子信仰の持ち主だった  ようで、晩年近くになっても参拝を続けたという。御廟の右側には「弘法大  師堂」が建てられており、空海自身が刻んだと伝えられる弘法大師像が本尊  として祀られている。   *西方院   道路を挟んで叡福寺の向かいに位置している尼寺であり、聖徳太子の三人  の乳母が太子の菩提を弔う為に建てた寺だと伝えられている。この三人の乳  母とは、禅蔵(小野妹子の娘)、善信(蘇我馬子の娘)、恵善(物部守屋の娘)と  いい、太子亡き後に出家して尼になったという。ここでも、宿敵同士であっ  た筈の蘇我馬子、物部守屋の娘が一緒に太子の菩提を弔っていたとされてい  るのである。これは蘇我家と物部家が実際には深い関係を持っていたと解す  るならば、何ら不思議なことでは無いのであるが。  TAO - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/12/01 - 01538/01563 MHD02672 TAO 日韓関係についての書籍紹介 (12) 96/11/23 16:48 コメント数:1   「サピオ」(小学館)連載の『新・ゴーマニズム宣言』では「慰安婦問題」  を取り上げている最中であるが、賛否両論含めて反響にもの凄いものがある  らしい。慰安婦問題の「強制連行」の真偽性を問いかけたり、現地の業者の  関わりや戦時レイプと慰安所の混同を指摘したり、元・慰安婦を取り上げた  ドキュメント番組の「ヤラセ」を暴いたり…と徹底的にやってくれるものだ  から、特に「強制連行アリ」派を刺激しまくっているようだ。   以前より慰安婦問題には少なからず関心があって、私自身「強制連行」は  あったかもしれないという風に受け止めていたが、それは「元・慰安婦」の  「証言」によるものが大きかったようで、実際に無かったことをあったかの  ように証言して、犠牲者のように振る舞うという行為自体があり得るだろう  か?と懐疑的だったからだ。   しかしそれは素朴に過ぎる見方だったようで、自らの犠牲者意識に囚われ  て現実誤認をしてしまったり、また意図的な唆(ソソノカ)しに乗って偽証すると  いうこともあり得るかもしれないと考えるようになった。本人に偽証の意識  が無くても、現実誤認故に、結果として偽証になってしまう可能性もあるだ  ろう。   作者の小林よしのりも近々「慰安婦カミングアウトの構造」を描くと公言  しているので、慰安婦問題の核心である「強制連行」の有無に対する「証言」  の真偽性も改めて問われてくるだろう。あら、書籍紹介だったのに最初から  話が逸れてしまった(^_^;)。なお「サピオ」の最新号は来週の水曜日(27日)  に発売されるが、編集部が「従軍慰安婦の虚構を突く中国側資料をついに発  見!」だそうだから、『新・ゴーマニズム宣言』と合わせて楽しみにしてい  る。   しかし「日本軍の主導による強制連行」についての真偽性が未だにはっき  りしないのに、既成事実のように「慰安婦問題」を日本軍の蛮行として教科  書に載せてしまうというのは、あまりに無責任なのでは無いか(-_-;)。   ***   やっと本題に入ります(^_^;)。かなり以前から、韓国の反日感情や反日的  な姿勢が気になっていたが、「日本が朝鮮に悪いことをやって、しかも謝罪  も反省もして無いのだから、仕方ないかな」という“判断停止”に陥ってい  た。それでも韓国側のあまりのしつこさに「何か変だぞ」と思い始め、日韓  関係に関わる本を読み始めたのだが、段々韓国の“ルサンチマン”が見え出  して来た。   ・韓国へ、怒りと悲しみ(ネスコ発行/文藝春秋発売) 豊田 有恒著   韓国事情に精通している著者は、日本人の大部分は韓国に対して何を言っ  てもやっても韓国人は分かってくれないという無力感に苛まされ始めている  という危機感を表明した上で、韓国における知識層やジャーナリズムの反日  感情に基づく対日論調の「捏造」の実例を豊富に挙げているが、著者はそこ  に韓国人の「被害者意識の暴走」を見出しており、煎じ詰めれば「日本に対  抗することでしか国家的、国民的なアイデンティティを保てない」韓国人の  錯誤を手厳しく指弾している。   無論、韓国の暴走の背景には、日本側の毅然と出来ない対応も原因の一つ  となっているのは確かで、そういう意味では表裏一体と言えるだろう。お互  いに不幸な関係を脱することが出来ないでいる。   ちょっと道草。前述の小林よしのりも、朝鮮のメジャー新聞『朝鮮日報』  のインタビューを受けることになって、慰安婦問題に関する持論を堂々と展  開したいと言っているが、日本人が毅然とした対応を見せたら、相手側の反  応がいかなるものになるか、楽しみだ。   話を戻して、韓=朝鮮半島は過去二千年に千回近い侵略を体験しており、  それ故に異民族に対して非を認めたり反省すれば、逆に殺されるかもしれな  いという過酷な歴史の蓄積から、自分の非を認めたがらない性向が出来たと  著者は言う。それは分かるとしても、今だに日本文化の流入を認めない、と  ても文化国家とは思えない韓国政府の姿勢には疑問を禁じ得ない。   日本人自身も原爆や東京大空襲等でアメリカにひどい目にあっているが、  だからと言って、映画や文学等のアメリカ文化を否定しないだろう。   全編にわたって著者の辛辣な韓国批判が展開されているが、それでも韓国  に対する真摯な姿勢が窺え、決して誹謗中傷的な内容に堕落していない。自  分の国の病根を見つめなければならないのは、韓国も日本も同じなのであり、  相手の非ばかりを指摘し合うだけでは仕方ないのだ。   ・韓国の激情 日本の無情(徳間書店) 呉 善花+渡部 昇一対談集   『スカートの風』等の著作活動で名が知られる呉氏と渡部氏の対談集であ  るが、ワールドカップ共催の件ではっとさせられた箇所がある。     呉………日韓共同開催を提案したのはヨーロッパ人ですね。はっきり         言って、それは、日韓がヨーロッパ人に見下されたというこ         とじゃないんですか。あんたたちは愚にもつかない喧嘩をや         っている、それでは大会がぶちこわしになってしまう。しょ         うがない人たちだ、我々が仲裁してやろうと、そういうシチ         ュエーションですよね。     渡部……そう、一種の人種差別ですよね。だいたい、共催なんていう         おかしな方法を飲ませようなんていうのは傲慢ですよ。元来、         Wカップは一国で開催するのが原則だったのですから。                             同書 P21〜P22   あ〜日韓とも結局「ガキ」扱いされただけかと気付かされ、そして憤慨し  た(-_-;)。日韓の誘致合戦は確かにちょっと頂けないものもあったが、相手  を対等に認めていないからこそ、共催という例外的な措置手段を取った側に  もアンフェアなものを感じざるを得ない。   この対談集も本音で交わされているのが面白く、読み応えがある。   長くなったので、これぐらいで。デハデハ  TAO 01541/01563 CZT02064 夜船 RE:朝鮮に唐芥子を持ち込んだのは誰? (12) 96/11/25 04:00 01538へのコメント TAO 様、ごきげんよう。 》  日本人自身も原爆や東京大空襲等でアメリカにひどい目にあっているが、 》 だからと言って、映画や文学等のアメリカ文化を否定しないだろう。 今もって秀吉の朝鮮出兵のことを恨みがましく言うのは、イタリアがナポレオン の侵略を今もって恨みがましく言うようなもので、ちょっと情けないですよね (マ ジな話、文化の先輩という意味で、朝鮮と日本の関係は、まさにイタリアとフラン スの関係に似ているんだよね)。 そもそも、アメリカ原産の唐芥子だって、誰が朝鮮半島に持ち込んだのかという と、実は加藤清正ら秀吉の軍勢なのであって、毎日キムチに入れてそれを食べてい ながら 「盗泉の水は飲まず」 の儒教の国でございって言うのも、変な話。 ま、それだけ“文化汚染”されやすい国だという自覚があるからこそ、日本の歌 謡曲が上演禁止になっていたりするのかも (^ ^)。 また、朝鮮の独立運動家をかくまって政府の取り調べを受けたこともある福沢諭 吉を、単に『脱亞論』の著者だからという理由で民族差別論者のように言うのも、 儒教の教えとどう整合するのか…… (シン・スゴさん、あなたのことですよ。もっと も、福沢は儒教に象徴されるような考え方から脱することをこそ『脱亞論』の中で 主張していたはずなので、儒教にとっては親の仇かもね (^ ^))。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− こういったことについて、朝鮮半島ご出身の皆さんはどのように考えておられる のか、もしROMしておられたら、ぜひ教えてほしいと思います。 別に差別云々というのではなくて、同じアジア同胞として、何だか……ね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 妄言多謝。 May the Force be with You! かむながらたまちはへませ! 合掌。 96/11/24 夜船拜 (CZT02064) 01554/01563 GFB00026 一輝 オウムと援助交際 (12) 96/11/29 23:42 01522へのコメント  オウムの残党たちによるケロヨン教(ケロヨンクラブ)の活動を先日報じたが、 最近、吉祥寺や茨城や福島にオウム残党の新アジトが出来ている。茨城のはプー ル付きの豪邸で、麻原の三女アーチャリーが居を構えている。不思議なのは、こ ういった拠点への活動資金が、一体どこから出ているかなのだが、一番収益を上 げているのが、女性オウム信者たちの援助交際活動だという話がある。  これはまだマスコミには知られていないようだが、吉祥寺駅近くにある某キャ バクラはオウムの店で、信者ホステスがもてなしてくれるというので、一部のキ ャバクラマニアの間で話題になっている。資金稼ぎには、やはり水商売や風俗産 業が、一番てっとり早いのかもしれない。セックスレスの昨今だが、今やオウム も、世の男性の性欲あっての存在と化しているようだ。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01555/01563 GFB00026 一輝 『黒い羊は眠らない』講座*3 (12) 96/11/29 23:46 01523へのコメント 『黒い羊は眠らない』講座*3(週刊ヤングサンデー『黒い羊は眠らない』より) ------------------------------------------------------------------------- ACT.9 「湊のために」 湊「アララギ(一生)が言ってた…あたしだって知ってた…!    この世界は羊の世界だ…!    どいつもこいつも自分から自分を放り捨てて    誰かに…何かに飼われたがっている奴ばっかりだ!    それに…その弱さにつけ込んで人の心をオモチャにしたがる奴ら!    アララギやお前みたいに!    何かを信じようとすれば、羊になるしかないんだ!    でも何ひとつ信じるものがなくて、どうやって生きていければいい!?    確かなものなんか何もないっ!    もう何もわかんないよっ!!」 哲夫「この後に及んで、まだ何かにすがりつきたいのか。    自分で答えを出せない時、簡単に外のものに頼るな。    それが羊根性ってんだよ!」    ……略……   「弱い羊でも群れも飼われもせずに生きてくことはできるんだ。    自分の中にひとつだけでも自分で鍛えて自分で築いた、    揺らぐことのない何かを持ってさえいればな」 ……………NO.50 1996/11/28号より 評*確かなものなんかない、何を信じればいい。…これは精神世界に    関わる動機のひとつであると同時に、精神世界を離れる動機のひ    とつでもある場合が多い。自分の中の孤独を埋めてくれるものを    求めて信じるという行為を続ける限り、この旅は永遠に続く。    しかし、日々自分で努力を重ねた末に培ってきたものは、揺るぎ    ない輝きを持つ。これは、私たちのような努力を忌み嫌って、楽    々に日々を過ごそうとしてきた戦後世代にとっては、耳の痛い話    だ。    ついつい「じゃあお金を払えばいいじゃん、高い代償で入手した    ものなら、なおさら信じられるんじゃないかな」と、私たちは考    えてしまう。金銭は、努力して培ったものより目にはっきり映る    ので確かな印象を与えるからだ。ふだんから目に映るものだけを    信じていると、この妄想は起こり易くなる。    孤独は、換金したものや他者の存在では埋められない。それは底    無し沼のようなものだ。あらゆるものを呑み尽くす。自分さえも    呑み込んでしまう。自分の孤独を埋められるのは自分しか居ない。    自分自身で答えを出すまで執念深く耐えうる精神。厳しい口調だ    が、この必要性を哲夫は湊に伝えようとしている。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01556/01563 GFB00026 一輝 ヘロイン所持の日本人に無期判決 (12) 96/11/29 23:48  バンコクの司法裁判所は20日、ヘロイン1.35Kgを所持していたとして、 千葉県印旛郡の無職山出正義被告に死刑判決を言い渡していたが、被告が 罪状を認めたため、その場で無期懲役に減刑した。  山出被告は、今年 5月19日、バンコクのドンムアン空港で成田行き航空 機に搭乗しようとしたところを、胴巻きと靴にヘロインを隠し持っている ところを税関職員に発見され、その場で逮捕された。  こういった話を聞くと、いかにアジアが麻薬に厳しいかがわかる。これ までにも、日本のメディアで報道されていない無期懲役刑で服役中の日本 人や、死刑になった日本人はたくさんいるそうだ。  麻薬について甘く考えて手を出していると、後でとてつもない代償を支 払うことになる。これだけは確かなのだが、当の本人には気づかないこと が多いのも確かである。  もし、これを読む皆さんの身近な友人知人が麻薬に手を染めていたら、 決して見逃さぬことの無いよう心がけて頂きたい。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01557/01563 GFB00026 一輝 ニューエイジと催眠技術 (12) 96/11/29 23:52 01532へのコメント >#1534 西野さん いやー、詳しい番組内容の紹介、ありがとうございました。 これまでの自分のニューエイジ体験を、振り返りながら読みました。 |脳の理屈としては、人がトランス状態にある時は、その人にどのような体験も誘導 |できるというものでした。また、私たちは日常的にしばしばトランス状態(番組の |中ではもっと正確な言葉で使われていました。)に落ちるということでした。それ |は、別に深い催眠状態を指すのではなくて、電車の中の読書で感情移入して周囲の |状況を忘れて泣いているという状態や、一人で回想に耽っている程度の状態です。 ……………そう考えると、私たちの生活の大部分はトランス状態ですね。こ      の国の大半(90%以上)の人々が、つい100百年前まで百姓生      活を送っていたことを考えると、私たちは”催眠培養液内生活”      を送っていると言えるでしょうね。 |つまり被験者を誘導(催眠)するには、本の筋に沿ってお話を新たに進めてやれば |いいとのことでした。ここで大事なのは、あくまで筋書に沿った進行をしなくては、 |被験者がついてきてくれないということです。被験者が信じたいと思うこと以外の |誘導はできないそうです。 ……………なるほど。これはまた人々が、”筋書きの行方”というものを予      め望んでいる状態にあることを意味しますね。精神世界業者から      見れば、人々は催眠されがっているように見えるのでしょう。そ      れにどのように餌を蒔くか。もう少し突っ込んで言えば、人々は      催眠を自覚しないように誘導して欲しいと…。自覚してしまえば、      再び別の催眠へと流れてゆく。 |おそらく催眠術に掛かりやすい人を選んだらしく、この女性はすぐにトランス状態 |になりました。博士は変態のようにへらへら笑いながら「今から先生が君の欲しい |ものをこの手から出してあげるからね」と言います。わざとらしいくらいの「へら |へら」というのは、決して博士が異常ということではなく、被験者に博士が権力者 |だということと敵意を持っていないことを強調するためにそんな態度を取っていた |ようです。 ……………”被験者に博士が権力者だということと敵意を持っていないこと      を強調するために、変態のようにへらへら笑いながら催眠へ導く      ”…これは興味深いですね。まさにニューエイジ系のパンフや雑      誌に出てくる指導者や翻訳者のそぶりだからです。歯を剥き出し      にして笑っている写真がよく見かけます。あれは催眠の技術だっ      たわけですね。その手のエクササイズに入る前にやらされる呼吸      法も、ある種の催眠技術だとすれば、納得がゆきます。 |これでこの女性への実験を終了。椅子に座らせて、博士が手を叩くと女性が目を覚 |まします。夢から覚めた子供のように女性は指輪や時計を探しましたが、催眠術に |納得すると正常に戻ったようでした。しかし、博士の簡単な合図にすぐにトランス |状態になってしまいます。そして、嘘だと分かったはずの女性がまた嬉々として時 |計をもらいます。僕の見たところに寄れば、トランス状態が本当に醒めるまで、あ |くまで「醒めた」という暗示を与えるというものです。博士はここのところで、素 |人の催眠術遊びに警告しています。被験者から術を完全に外すには熟練が必要らし |いです。 ……………ここも興味深いです。”トランス状態が本当に醒めるまで、あく      まで「醒めた」という暗示を与える”というところ。これもまた      精神世界及びニューエイジの催眠技術として使われていますね。      「覚醒」という常人の状態よりも高みにあると思わせた状態へ、      暗示によって導く点です。他者によって催眠を解くのが難しいの      ならば、本人ならよほど自覚的に自分が見えていないと困難でし      ょうね。 |洗脳とは言わないまでも、催眠術のようなことはよく男性が女性を口説く時に知ら |ずに利用しているそうです。意中の女性を暗くて静かなバーに軟禁状態にして、薬 |物(アルコール)を使用し、相手に必要なのは自分しかいないと思わせるといった |テクニックです。 ……………これはよくわかります。気がついたら真っ裸ってやつですね。ナ      ンパの本当に巧い人は、アルコールなんて使いません。目と言葉      だけで、一気に数十分(^^;)で。しかしこれも今では珍しくな      りましたね。      最近の男性は口説きの途中で、失敗を恐れて傷付きたくないと怖      じ気づき、「僕が必要なのは君だ」などと甘える。そこで今度は、      女性が逆ナンパの行動に出る。男性はそれを期待してデートの度      に女性からの行動を待つというパターンを、”暗くて静かな店”      で、よく見かけます。自分からは何もしたくない。”する”より      ”される”方がいい自慰中心男性。      これは、相手に女性を意識しているのではなく、母親を意識して      いる為です。 |これで洗脳が完了したということです。被験者の記憶の一点だけをすり替えてくる。 |小さな一点ですが、この一点が非科学的なことを信じやすくする根拠にもなるとい |うことらしいです。 ……………「洗脳の儀礼」とてのニューエイジの動きを分析してゆくと、「      本物」の情報の中に一点だけ「嘘」を染めておく、というテクニ      ックが使われます。こうしておいた上で、最初は「全部本当」と      いうムードをメディアで醸しだし、のちにその「嘘」の一点を大      きく暴く。そして「全部嘘」というムードを醸しだす。      こうすると、最初の「本物」までもが、全部関心の外側へと弾き      飛ばされてしまう。そこに、この一点が「非科学的なことを信じ      やすくする根拠」であると同時に、「非科学的なことに無関心に      なる根拠」にもなると思いました。 |これは、宗教団体で前世の記憶を植え付けるテクニックを応用したものだと僕は思 |いました。博士は、ここで改めて洗脳というのは荒唐無稽なものは植え付けられな |いということを強調します。あくまで本人が信じている、信じたい事柄に延長線を |引いてやるということでした。 ……………わかりますね、信じたい事柄に延長線を引いてやるというお話。      ここで思ったのは、催眠培養液生活を送り、「嘘」と「本当」の      中で揺れ動くことによって、私たちはいつの間にか”外部の対象      を信じるか信じないか”ということに拘わる傾向が出ていること      です。両者も”信じたい事柄だけしか見えない”という視野狭窄      には変わらない。そこで「信じもせず、疑いもせず」という戦略      が、重要になってきます。 |たしか、これで番組が終わったように思います。博士は、現実感というのは自分の |外側に確固としてあるのではなく、脳の中の各個人が持っている固有の感覚で、ヴ |ァーチャル・リアリティーと限りなく近い感覚なんだと言っているようでした。 ……………現実感というものが、いかに個人の固有の感覚で形成されている      に過ぎないかというのは、ドラッグの力を借りずとも、細微に日      常を送っていると、朧気ながら見えてくるものです。      現実感がそれだけ脆さと危うさを孕んでいるものだけに、各個人      間によるコミュニケーション密度を高め、それを繰り返すことで、      現実感を互いに理解してゆく努力を重ねなければ、旧約聖書にあ      るような”バベルの塔の悲劇”を繰り返すことになるでしょう。      人間が奢り高ぶって天まで届くが如き塔を建てようとした為、神      の怒りを買い、その報いとしてお互いの言葉が判らなくなり、そ      れぞれが思い込みだけで行動することで、バベルの塔は大混乱を      招く。それは現代でも、既に始まっているのかもしれませんね。      それだけに、私たちは互いに会話を続ける努力が試されている。 |「人格改造」でもなく「自己啓発」でもなく、企業の目的にしぼられた「研修」と |称する洗脳セミナーは、僕の予想よりも広く応用されているのではないかと思った |ものです。むしろ、学校教育は洗脳の場ですね。僕の実感としては、学校で教わっ |た常識のうちでその理由の分かったものはあまりないです。 ……………終身雇用制度がなくなり、目的意識を見失いがちな最近の傾向で      は、より強力な研修が必要になります。私の知り合いにも、様々      な自己啓発セミナーを体験した人が、自らの豊富な経験を生かし      て大企業の研修部門で新入社員向けのカリキュラムを作っている。      また他に、そういった大企業の社員教育向けの部門で働いている      人もいるのですが、その人から聞いた話では、社長は社内で教祖      のような存在であり、社員はその教祖の下で人生を捧げる信者の      ような存在であり、社内ではそのように仕向けられているそうで      す。その人は社風に嫌気が差し、まもなく退社するとのこと。小      さな企業でも、教祖紛いのワンマン社長が居る会社で、よくある      話ですが。      学校教育が洗脳の場と化しているというのは、同感です。特に歴      史教科書など大問題ですね。先日も『国民の油断』(西尾幹二+      藤岡信勝・PHP)という教科書問題を告発した本を読んだので      すが、私の学生時代に比べ、来年の4月から配布される歴史教科      書の歪曲した内容には、たまげました。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/12/01 - 05133/05148 GGA02514 KAZE 風のfragments/18■行ということ (13) 96/11/23 22:11 05125へのコメント コメント数:1   近世とか近代とかいわれる歴史の時間を根本的に特徴づける一つの事柄は、   人間形成の道から「行」という契機が脱落して来たということである。特に   知性の面において、客体的な事物に関する知、科学が代表するような客観的   な知が支配的になり、客体についての究明と主体の自己究明とが切り離せな   い一つのものであるような、そういう知の次元が閉ざされて来たことである。   そういう知の特色は、或る事柄を会得するその知が、会得の過程において、   同時に知る自己自身をも内から変えていくというところにある。その変えら   れた自己からさらにその事柄の一層深く広い会得が生じ、その知がまた自己   を変えていく。科学的な知のようにただ外だけに向けられた客観知とは違っ   て、外への方向と内への方向が二つで一つであるような知であり、客観知を   超えた次元の上に成り立つ知である。   (西谷啓治「行ということ」(「宗教と非宗教の間」(西谷啓治著・上田閑   照編・岩波書店・同時代ライブラリー285所収/1996.11.15発行)    通常の科学を含んだ学問には、内への方向への知が欠けている。 つまり、学問によって得た知が自らを変容させる契機である必要を 必ずしも持たないということである。 だから、原子力の開発は、そのまま核兵器の製造に行き着いてしまう。 学者は知識を得ることを目的とし、それがどう用いられるかには、 関心をもたないでも済ませられるのだ。 それが問題になるのは、それが社会的な問題としてクローズアップされ、 それに対してなんらかの実践的な側面についての責任から 遠ざかってはいられなくなったときに限るといってもいい。 だから、「誰にもばれなかったら何でもしていい」という発想なのだ。 「世間様に申し訳ない」という発想も同じ。 つまり、世間が何もいわなければ、なんでもしていいと思っているのだ。 政治倫理にしても、それがいっこうに変化しないのは、 それが世間で通用するとほとんど信仰しているからにすぎないのだ。 そこには、「内への方向」への知が欠けている。 教育では、偏差値の高い人間というのは、ほとんど外的な知の修得を 得意としている人間だといってもいい。 そこに、内的な知を持ち込んでしまうと、知識はテストされる知識では もはやあり得なくなるから、偏差値を高めるためには、 そうした知識に対する根源的な意味での「なぜ」を封じなければならない。 「学ぶ」ということは、引用にもあるように、 「外への方向と内への方向が二つで一つであるような知」でなければならない。 けれど、そういう知は、ますます乏しくなってきている。 そういう知は、すべからく「行」であるといってもいいのだが、 ファーストフード的な偏差値的知には、行は邪魔なのだ。 問いと答えは、常に一対一対応でなければならないし、 マニュアル通りのものでなければならないからだ。 それを離れると、ロボットたちは何をしていいか皆目わからないのだ。 ファッションにしたところで、ブランドという権威をなくすと、 判断基準をもたないというお粗末だ。 既成の快楽だけを貪ることをプログラミングされたロボット人間には、 「行」は似合わないのだ。 というよりは、何のために「行」があるのかさえ皆目わからないに違いない。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05137/05148 GGA02514 KAZE 風のfragments/19■遊び (13) 96/11/26 00:41 05133へのコメント コメント数:1   すべての人間は遊ぶことから生活を始める。幼児の生活は純粋の喜びで、従   って天真である。生まれたての赤ん坊が泣いたり、手足を動かしたり、母親   の乳房に吸いついたりすることは、普通には遊びとは呼ばれない。しかし幼   児の遊びはそれと境目なしに連続している。遊びの発してくる源は生命の、   よく分からない暗い深底へ消えて行っている。他方では、人間の文化や宗教、   またときとして哲学でさえも、その最も高く登りつめたところで再び「遊び」   の概念と結びついている。東洋でも古来そうだし、西洋でもそうらしい。仏   教でいう「遊戯三昧」など一番手近な例だろう。親鸞にも「心は浄土に遊ぶ   なり」という言葉があるし、禅などになると、地獄の針の山に遊ぶというよ   うなことさえ言う。いったい、人類の歴史をだんだんと遡ると、宗教も芸術   や技術も、認識も、すべて一つに融け合ってくるが、そこのところにすでに   「遊び」の性質が結びついているといわれる。とにかく、遊びということに   は、人間というものの本質に絡まった深い意義が含まれているらしい。   (西谷啓治「宗教と非宗教の間」(「宗教と非宗教の間」(西谷啓治著・上   田閑照編・岩波書店・同時代ライブラリー285所収/1996.11.15発行) 真に遊べる者は稀である。 通常、遊びと称しているレジャーやら趣味やらは、 単なる気晴らしにしかすぎない。 遊びには、すべてがふくまれている。 幼児においては、それは未分化のそれであり、 高みにある遊びは、高次の統合としてのそれである。 統合されているがゆえの、三昧としての遊びである。 既に生を重ねた身であってみれば、未分化の遊びはもはやない。 分裂したさまざまを統合し、そのうえで人間の本質が そこに注ぎ込まれたものでなければならないのだ。 言葉を換えていえば、遊びとは中道ゆえの姿勢だともいえる。 気晴らし以外の何者も持てない者は、存在を浪費している。 休日ともなれば、強迫神経症のようにレジャーに邁進する者たち。 ルーティーン化した気晴らし方法を権威的に外からもってきて、 そのレールに乗っていれば、「自分は上手に遊んでいるんだ」と思い、 安心する者たち。 そんな貧しさを貧しさだと思うこともできず、 流行に乗り、ブランドを買いあさるようにレジャーに走る。 遊びが砂漠化しはじめているともいえる。 遊びは気晴らしとは無縁のものだ。 それは切実なものである。 けれど、それはルーティーン化を常にすり抜けていくものであり、 それゆえに深刻さとは無縁の高笑いそのものだ。 人間は遊びの可能性に満ちた存在だ。 遊びの可能性を殺していく人間は、人間を放棄しようとしている。 遊びの可能性は、自由の可能性であり、そこに己の存在理由がある。   遊びをせんとや生まれけん   戯れせんとや生まれけん ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05142/05148 GGA02514 KAZE 風のfragments/20■閑 (13) 96/11/29 21:49 05137へのコメント   現代に必要な本当の閑は、休日とか休暇とかで働かなくてもいいという意味   ではありません。休みで家の中で家の中でゴロッとしている時にでも心の中   は忙しい。社会で活動している時の忙しさと同じように忙しい。いずれの場   合も根本的にいえば心は同じように忙しく働いている。それは当然で、人間   が生きている限り、心の活動はなくてはならない。根本的な意味で人間は動   である。心がたえず動いていることが生きているということである。しかも   そういう根本の動の中に静があり、動がそのまま静であるというところがな   くてはならない。静といっても、ただ忙しいのを止めて山の中にでも入らな   ければ静にならぬというということではない。山の中に入れば入ったで、い   ろんなことを考えて心は忙しい。そういう意味の静ではなくて、どこへ行っ   てもどこに居ても、山の中でも会社で働いている中でも、静があるというふ   うな、そういう静が本当の静で、本当の暇です。仕事がないから暇だとか、   動きがないから静かだとか、単にそれだけのことではない。人間に必要なの   は、そういう本当の閑暇だと思います。   (西谷啓治「禅の現代的意義」(「宗教と非宗教の間」(西谷啓治著・上田   閑照編・岩波書店・同時代ライブラリー285所収/1996.11.15発行) 現代人は暇をもてあましている。 「暇」というものが理解できず、まさに「もてあましている」のだ。 だから、仕事が終わるとパチンコに、歓楽街に、 そして休日になると、すかさずレジャーに時間を潰しに出かけたりする。 まさにこれも時間を「潰して」台無しにしてしまうのである。 引用にもあるように、休日に家でごろごろしている間も、 その「暇」を遊んでいるのではなく、ただただ空虚なだけなのだ。 人はいつも何かをしている。 何かをしていなければ、落ちつかない。 「手持ちぶさた」なのだ。 そうした状態は、常に外的なものに心を奪われているから、 みずからの内なる世界のことがわからない状態だといっていい。 だから、そうした人は、みずからに意識を向けざるを得ない状況になると とたんに取り乱してしまうことになる。 本当の「暇」も、「静」も理解することができないわけだ。 悟りを求めて山に登り静寂の内に修行する人もいるが、 そういう環境にいるからといって、その人が「静」であるとはいえない。 むしろ、そういう特殊な環境でしか「静」でいられないと思いこんでいることこそが その人を「静」から遠ざけているといっても過言ではないと思う。 自分と向き合い、その内なる時間性を生きることこそが 真の「閑暇」を楽しむということであり、「静」のうちにいるということなのだ。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05134/05148 GGA02514 KAZE 風遊戯104●虚無の超克 (13) 96/11/23 23:32 05116へのコメント            迷路にあり    闇は深く    孤独は果てしない    足下には陥穽がひろがる        虚無を自覚せよ    救いなど求めてはならない    けれど自由を手放してはならない    自由だけが灯火となるのだから        虚無を生きる者よ    おまえは虚無に立ち向かうことでこそ    愛に到ることができるであろう    道はただひとつ    虚無という道のみ    それ以外の道はやがて虚無へと到るが    虚無という道の果てには愛がある    その逆説を生きよ        救いを求める祈りは聴かれないが    虚無のなかで真の自由を叫ぶ声は    聴かれるであろう    虚無はそれを歩むことで    愛に変態する    虚無を歩まぬ者には    虚無が襲いかかる    むしろ虚無を襲う者となれ        甘い声は愛ではなく虚無へと誘う    その声はセイレーンの魔女    誘惑に勝たねばならぬ    いやむしろ魔女をも愛へと誘わねばならなぬ    虚無をも抱き抱えるのだ             ☆☆☆by KAZE☆☆☆ 05138/05148 MHD02672 TAO シュタイナーが見た世界の闇 (13) 96/11/27 12:55 コメント数:1   以前、この会議室でも紹介された『ルドルフ・シュタイナーの「大予言」』  を読み直している最中ですが、改めてシュタイナーの人類の未来に対する洞  察眼の正確さを感じさせられているところです。   シュタイナーが洞察した未来のうちには「性倫理の荒廃」が挙げられ、下  記のように述べられていますが、      すなわちこの場合、人類の進化の内部で起こることに関して、「性     生活と性の本質の中から本能が、明るい目覚めた意識の中で人類にと     って有益な方法で生じるのではなく、むしろ有害で破壊的な方法で現     われることになるだろう」と言い表わすことができるのです。本能は     単に混乱を引き起こすだけではなく、社会生活の中にまで移行し、社     会生活の内部で形を取るまでになるでしょう。性生活を通して血の中     に現れてくるものによって、人間はほかのなににもまして強い影響を     受けます。そして地球になんらかの友愛の精神を展開する代わりに、     人類は友愛の精神を絶えず拒絶するようになるでしょう。私がここで     言う本能とは、このようなものになるでしょう。                      <『天使と人間』69〜70>                             同書 P109より   最近は「援助交際」が取り沙汰されていますが、日本に限らず性の荒廃は  長らく世界的な風潮になっていますね。性犯罪の猟奇性は年々エスカレート  していますし、小児性愛者による子供達への性犯罪も急増して来ているとい  います。欧州では子供の失踪が相次ぎ、90年代に入ってから数百人にものぼ  るといいますが、その傍ら、誘拐された少年や少女を使ってのポルノビデオ  や写真が大量にばらまかれている。   昔からこのように正常な性愛から逸脱した人間は常に存在したかもしれま  せんが、性本能の逸脱、暴走がかくも世界を危機的状況に追いつめている時  代とは、前代未聞ですね。しかも性犯罪の犠牲になった子供達は、成人して  から自分もまた同じようなことを繰り返す率が高いといいますから、正に性  本能が「有害で破壊的な方法」で使われているとしか言えない。   シュタイナーには、自分が没した後の世界で、多くの人間が「性」を通し  て「闇」の世界に引きずり込まれる情景が見えていたのだとしたら、この修  羅場を人類はいかに乗り超えるべきなのか、シュタイナー自身はどう考えて  来たのだろうかという気がします。個人の問題に置き換えても、破壊的な性  体験によるトラウマや自己卑下といった後遺症をいかに克服するべきなのか、  という問題に繋がって来ますね。   シュタイナー絡みだったので、13番に書き込みましたが、下の階(12番)の  方が良かったのかもしれない(^^;。   ***   暗い話はさておいて、気分転換にシュタイナー関連のインフォメーション  をば。   東京都のワタリウム美術館(渋谷区神宮前3−7−6)で、シュタイナーが  生前に講義のために書いた「黒板絵」を展覧するという珍しい展覧会が催さ  れます。弟子が予め黒板に黒い紙を貼って、その上にシュタイナーが描いた  絵を保存してあったのを展示する模様です。それだけなら、有名人の絵画や  サインを展示するのとあまり発想が変わらないようですが、シュタイナーと  いう精神が人類史に存在したという事実自体が驚異なだけに、彼の精神が直  接描いた絵から何らかのエナジーを感じ取る良い機会と言えます。   開催時期は11月30日から来年3月30日までなので、地方に住んでいるシュ  タイナーファンも上京の機会があったら、見に行かれば如何でしょうか。  TAO 05140/05148 GGA02514 KAZE 性から友愛へ (13) 96/11/28 10:27 05138へのコメント TAOさん、どうも。 密教の経典に「理趣経」というのがあって、 空海がそれを最澄に貸すのを拒んだという話がありますし、 空海の危惧通り、それを誤解して真言立川流とかいうのがでてきて、 中沢新一が喜んでそれをとりあげたりする・・・ってことにもなるのですが^^;、 「性」の問題というのは、それだけにむずかしいのだと思います。 多くの宗教は、おそらくそれを危惧して禁欲という方法論に逃げ込んだりしますし その反対の極として、放縦さのなかに変な教義を見つけたりもするようですが、 どちらにしても、「性」というのは、人類の歴史とともに、 その意味がかなり高度な問題として、 提示されてきているといっていいのだと思います。 外的なアプローチとしては、禁欲や放縦がありますし、 内的アプローチとしては、アニマ、アニムスあれこれというもありますが、 現在「性倫理の荒廃」という現象としてあらわれているのは、 外的な意味で拘束してきた「性倫理」が風化してしまったにもかかわらず、 それを内的な意味でとらえかえす魂を成長させていないということだと思います。 弁証法のように、性の二つの極としての男性性と女性性というのは、 魂的にも肉体的にも、相互に働きかけることで統合されていくのが 望ましいのではないかと思いますし、そこらへんのことをとらえかえしながら たとえば「理趣経」なんかみてると意味深いものだと思うのですが、 そこらへんは、簡単に誤解を許すものではあるんですよね。 性犯罪に関係する方というのは、ほんの単純な発想でみても、 おそらくは、自らの魂の問題をなおざりにすることで、 肉体的に暴走し発現するエネルギーとしてしか表現できないんだろうと思います。 ルシファー的な熱狂がアーリマン的に顕現しているといいますか・・・。 》                個人の問題に置き換えても、破壊的な性 》体験によるトラウマや自己卑下といった後遺症をいかに克服するべきなのか、 》という問題に繋がって来ますね。 そうですね、外的ななんらかの体験がトラウマとなってしまって、 それを引きずることで、性の力の暴走を許していくというのはあると思います。 けれど、それも基本的に魂の問題なんですよね。 「傷」を「傷」のままにしておき化膿させていくことでもできますし^^;、 それを蓮華を咲かせるための汚泥だというふうにとらえていくこともできます。 前者のようにすることは簡単なことで、小説のネタにもなりやすいですが^^;、 後者のようにするためには、自分の魂と向き合いながら、 性というエネルギーをメタモルフォーゼさせていくに足るだけの、 認識を深めることを伴った忍耐強い「行」が必要になるように思います。 その上で、引用してくださっていたシュタイナーの 》         そして地球になんらかの友愛の精神を展開する代わりに、 》    人類は友愛の精神を絶えず拒絶するようになるでしょう。 こういう未来像の反対としての、「友愛の精神」の展開が まさに可能になってくるのではないかと思います。 そういう意味では、「友愛」というのは「性」の統合した姿だともいえます。 さて、MES3でもご紹介いただいた下記のシュタイナーの黒板絵と展覧会ですが 》  『ルドルフ・シュタイナー 遺された黒板絵』 ワタリウム美術館 監修 》                        高橋 巖 訳 》                        筑摩書房刊  》                        定価 4841円(税込み) 展覧会は行けるかどうかまだわかりませんが、 その本はさっそく探してみようと思います。 黒板絵については、シュタイナーの全集のなかには、 そのカラー版を付録としてつけていたのもありましたから、 そのいくつかはもっていたりもしますが、確かにとてもいいですよね。 もちろん、黒板絵といってもおそらくは、ノートをとっていたような方々が それを再現したものなのでしょうが、 チョークで書かれたあのオーラの舞いのような絵は なかなか意味深いもののように思います。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05146/05148 GGA02514 KAZE シュタイナー全集●GA2:ゲーテ的世界観 (13) 96/12/01 00:07 05145へのコメント コメント数:1 ■GA 2  ゲーテ的世界観の認識論要綱  特にシラーに関連して  〜並びに、キュルシュナー「ドイツ国民文学叢書」の中の   「ゲーテ自然科学論集」別巻として〜  Grundlinien einer Erkenntnistheorie der Goehteschen Weltanschauung,  mit besonderer Ruecksicht auf Schiller (1886)  Zugleich eine Zugabe zu Goethes  in Kuerschner   *邦訳  ●ルドルフ・シュタイナー「ゲーテ的世界観の認識論要綱」   (浅田豊訳/筑摩書房/1991.6.10初版第一刷発行) シュタイナーは1879年にウィーン工科大学自然科学の勉強をはじめたのですが、 ゲーテ研究家として知られていたカール・ユリウス・シュレーアーの推薦で 1882年にキュルシュナー「ドイツ国民文学叢書」の中のゲーテ自然科学論集の 編集発行の委託を受けました。 その過程のなかから生まれてきたのが本書であるといっていいと思います。 ちなみに、本書は1886年に出版されています。 この論考は、その後、シュタイナーの哲学的主著である「自由の哲学」として 発展していくわけですが、ここには、すでに「人智学」の理念的基礎があります。 ちなみに、神秘学としての主著である「神秘学概論」でも、 この本に次のように言及されています。  精神科学の伝達をとおして感覚性から自由な思考へと導く道は、まったく確かな  ものである。もうひとつ確かで、なによりも正確な道があるが、その道は多くの  人にとって難しいものである。その道は『ゲーテ的世界観の認識論要綱』と『自  由の哲学』に述べられているものである。これらの本には、思考が物質的−感覚  的外界の印象に没頭するのではなく、ただ思考そのものであるときに、人間の思  考が獲得しうるものが述べられている。感覚的なものの思い出に耽るのではなく、  純粋思考が生命的な存在のように活動する。これらの著作には、精神科学の伝達  はなにも含まれていない。純粋な、みずからのなかで活動する思考が、世界と人  生と人間について解明しうることが示されている。これらの著作は、感覚界の認  識と霊的世界の認識の、非常に重要な中間段階にあるものである。思考が感覚的  観察を越えていきつつ、まだ霊探求に入っていくことを避けているときに、思考  が獲得しうるものを提供している。これらの書物を魂全体に作用させる者は、す  でに霊的世界のなかに立っている。ただ、霊的世界が思考世界として現れるので  ある。このような中間段階を自分の中に作用させる者は、確かな道を歩んでいる。  そして、そうすることによって、高次の世界に対する感情を獲得することができ  る。その感情は、以後ずっと、すばらしい成果をもたらすであろう。  (ルドルフ ・シュタイナー「神秘学概論」   西川隆範訳/イザラ書房/1992.10.30初版発行/P322-323)    興味深いのは、訳書の「ゲーテ的世界観の認識論要綱」の巻末にある 「訳者あとがき」で、浅田豊が西田幾多郎とシュタイナーの「純粋経験」を 比較していることです。 興味のある方は、ぜひお読みいただければと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/12/01 - 04566/04590 HQK00566 SOUND RE^15:「炎で書いた物語」最終章8の2 (14) 96/11/25 16:45 04532へのコメント コメント数:2 「炎で書いた物語」最終章(その8の2) <戦士(さむらい)達は今>(その2)  その日、ぼくたちはサンディエゴである企業のパーティで演奏した。 音楽のケータリングサービスのようなものだ。 サンディエゴはメキシコの国境に近い街で ロス・アンジェルスから車でフリーウェイを南進してかなりの距離である。 宴も終わり豪華な食事にまでありついて、いい気持ちで帰途についた。 道は直線なので迷うこともなくただ坦々と走り続けるだけだ。 前方で赤い灯火が振られた。 何かの検問らしい。 早く家に帰りたくて停まるのがじゃまくさかったが一応停まった。 警官ではなくてどうやら国境警備員のような身なりだ。 ぼくの相棒がメキシコ人に見えたようだった。 ぼくが密入国してきたメキシコ人を車で助けているとでも思ったようだった。 仕事から帰ってきたところだと言っても、楽器類を見せても信用しない。 ぼくは相棒がメキシコ人に見えたからだと思ったが、 相棒はぼくの方がメキシコ人に見えたからだ、と思っただろう。  とにかく、ふたりとも取り調べ小屋に連れ込まれた。 隣は留置所になっている。 そこに不法入国者を入れて置いて移民局からきたバスに乗せてメキシコに送り返すらし い。 身分証明書や運転免許証、その他を調べられる。 パスポートと言われても、一時滞在でなくこの国に住んでいるのだから普段は身につけ ていない。 ぼくたちを日本人と信じてくれない。 留学生といっても移民局に照会するからと言って待たされた。 何をいっても信じない。 相棒はアメリカ人女性と結婚しているので立派に就業許可証を持っている。 ぼくはこのまま、妻と息子の待つロスアンジェルスのわが家に帰れないのかも知れな い、 と思った。 ぼくの友だちは何人も移民局に捕まって日本に送り返されている。 この書類にサインしろと言われたとき、柄にもなく手が震えた。 昔、ロッキード事件の国会喚問のテレビ中継で 全日空の社長大庭氏の手が震えてサインできなかったのを見たことがある。 あのときは自分はサインぐらいで手が震えるようなことはないだろう、 と思っていた。 国境警備員は不審そうにぽくの手を見つめる。 ぼくはやっとの思いでサインして移民局からの返事を待った。 重い時がきしみながら流れた。 その間中 あれこれ、最悪の可能性が頭を過(よ)ぎった。 話すことばもなくただ待つだけだった。 やがて、太陽が昇り始めた。 国境警備員は、もうこりゃ、返事が来そうにないな、悪かったな、帰って良い、 とこの一晩のゲームに飽きて言った。 たったそれだけのささやかな経験だったがぼくはそれ以来、 日本に帰るまでサン・ディエゴには近づけなかった。    世界には色々な国があってその国境のあたりでは何があるかわからない。 テレビ局丸抱えの、ぼくらはこんなにがんばっています、と見せつけるショーを 冒険と称して売る者があるからといって、人の為すことのすべてが虚構ではない。 だれの目にも触れないところで本当に自分の命をかけて時代を開くために今、 旅しているサムライもある、と信じている。  ************************************************ 世の中にはわけのわからない呪文がいっぱいある。 それをひとつづつ解けば封印が解けていくかもしれない。 ソーラン節の 「ヤレンソーラン」もユダヤ語であるらしいし、 富士太郎という天狗に教えられた亀石の翁、役小角(えんのおづぬ)を始祖とする修験 道の 祝詞「臨兵闘者皆陳列在前」(りんぴょうとうじゃかいちんれつざいぜん)もわけがわ からないが 臨は天照太神、兵は八幡、闘は春日大明神、者は加茂大明神、皆は稲荷大明神、 を意味して出雲の靈統の復活を祈っているという。  11/24のTBSテレビ「神々のいたずら」では河童伝説を追っていた。 ぼくは河童とは映画「プレデター」のような宇宙人の一種かと思っていた。 泳いでいる人の尻を抜くというのは牛などで頻繁に起こったミューティレーションのよ うだし、 その姿はリトル・グレイ(デ・ゼビアス・デニアス・アイ)のようだ、と感じていた。 クリルという偽名より親しみやすいカッパに代えられたのではないか。 カッパという名前なら子供たちに嫌われないだろう。ヒーローにでもなれそうだ。  町をあげて河童を祭り上げているところもある。 熊本県八代町にある河童渡来の碑に書かれた呪文「オレオレデーライタ」を 進(すすみ)英夫という地元の方が 「我們呉人的来了」(ウォーメンウォレンダライラ)と解読してしまったのには驚い た。 日本語にすれば「われら、呉人がやってきた」というところらしい。 中国の三国「魏(220-265)呉(222-280)蜀(221-263)」の 水の都として知られる蘇州の呉の人々が敗れて四散して難民となり 日本にまで逃れたという。 史記、巻三十一、呉太伯世家第一に文身断髪とあることで、 呉から来た渡来人がざんばら髪の文身(いれずみ)の姿で水に潜り漁をした、 のがカッパとする説には説得力があった。 入れ墨が甲羅に見えたとも考えられるが 入れ墨は水の妖怪に自分を同類だと思わせて襲われないためだということだったが、 その妖怪こそが問題の河童ではなかったか。 かれらも水中に棲む妖怪の存在を信じていたから畏れたのだろう。 ぼくにはそれが空気中より水棲生活に適した肉体でやってきたクリルであったのではな いかと思える。 ミューティレーションなどでサンプルした地球人の体と自らの肉体を研究して そして、ついに、その肉体では地球環境に適合できないと判断して 姿を消してしまったのではないかなどと想像している。 現在はもっと、違う形でかれらは地球を牛耳る国の中枢部に食い込み地球に接触してい るのだろう。 これは杞憂だろうか。  *************************************************************************** >> 94/12/01 χ(カイ)なる者はオズマの、π(パイ)なる者はシグマの夢を夫々見る >> 95/09/28 χ(カイ)なる者はΣ(シグマ)を従え、α(アルファ)とΩ(オメガ)を統合す…  オズマという聞き慣れないことばのヒントが夫々である。 これは思わず、ソレゾレと読んでしまいそうになる。 夫はツマと読める。すなわち、夫々と書いてオズマなのである。 早い話が、連れ合いのことであろう。 94/12/01のχ(カイ)の左の線は伊奘諾尊であり右が伊奘冉尊なのである。 χ(カイ)なる者、すなわちχ(イザナギ、イザナミ)の交わるところに、 主(す)素盞鳴尊(YHVH、オシリス、)は産まれて活躍した。  そして、95/09/28 のχ(カイ)なる者の場合は左の線がスサノオで右が母、クシイナダ ヒメと思える。 その中心に産まれたのがニギハヤヒである。 π(パイ)なる者は、人として生きる饒速日尊(ホルス、キリスト)であり 父素盞鳴尊(師熊)の夢を見るということになる。 かれはイエス・キリストとして地上での仕事を終えて天に還った。 Xであったかれは回転を始めてχ(カイ)となる。 その回転方向は逆卍である。 復活の際、スサノオ(シグマ)のスをJESUS(ヘソ)に入れて再臨する。 それがΣ(シグマ)を従えα(アルファ)とΩ(オメガ)を統合する。ということである。 >>94/04/24 麒麟の熱い鼓動は四肢に炎を漲らせ、その息吹は雷鳴と共に… 五の数靈の麒麟(饒速日尊)は四肢(獅子)(四、四)の門に炎を漲らせ すなわち、水切らせる 雷、鳴る神(スサノオ)と共に次の時代を開く。  >>94/04/25 舞い降りる夢の轍、くぐらぬ鳥居の跡、そして龍は咆哮する  舞い降りるのは夢の倭達(わだち) くぐらぬ鳥居(ゝなし鳥居)の跡 鳥居は括るものだがゝなしでは括れない。 そこをくぐって中へ進んでも鳥はいない。 龍は咆哮し彷徨する。 >>94/04/26 傀儡の忍び笑いは、速き水を治める者の威光の前に凍るだろう   傀儡、すなわち括らせようとしない者たちの忍び笑い(刃の心の笑い)は、 速き水を治める者(饒速日尊)の威光の前に凍るときが迫っている。  *********************************************************  >>94/01/31 炎と水、そして風=「水(ミ)」→「火(カ)」→「タタラ・アタタラ」 >>94/05/19 蘇る力、水と火、火と水、狭間に雷電と風の夢乗せて  これらのハロー・メッセージは錬金術に関していると思われる。 すべての人は究極の錬金術師である。 人(火止)であると同時に身(水)でもある肉体を持つ。 母の胎内で心臓が鼓動し始めたときから血液は潮となって流れ一秒として熄むことはな い。 そして、この世にオギャアと叫んで生まれ出たときから錬金術を始める。 空気を肺というフイゴに風として吸い込み、 体内の火と水の工場で生存に必要なありとあらゆる物質を精錬する。 寝ている間もこの工場は休むことなく活動を続ける。 雷電に象徴される体内電流は神経を通り各組織に命令を伝達する。  前回の軻遇突智(かぐつち)の話に登場した 甕速日命(みかはやひ)と漢速日命(ひのはやひ) 武甕槌神(たけのみかづち)の三神は実は人の誕生神話であった。 甕(みか)とは水火)のことである。 神(火水)の反転が人なのである。 「ひのはやひ」とは靈速日のことで靈が主になっている存在であるから。 武甕槌神のイカヅチの性質は体内電流の作用によって動くからであろう。 すなわち、軻遇突智(かぐつち)とはわれら人の始祖であった。 イザナミは人を産むことでこの世の役割を終えて黄泉に入った。 イザナギは人の三つの性質を切り分けてみせた。 水火(肉体)、靈、そして電気である。  ここで唐突だが日本から目を遠くイスラエルにやって ダビデ王の話を見よう。 「旧約聖書サムエル記下11」において ダビデはウリヤの妻、バテシバ(バト・シェバ)に横恋慕して ウリヤを殺しバテシバを奪ってしまう。 その話が神学的に変容してダビデが愛によって 悪魔(ウリヤ)からバテシバを救いソロモンをもうけたことになる。 そして、バテシバとソロモンの関係が聖母とキリストとみなされる。 カゴメ(六芒星)はダビデの盾とかソロモンの封印と呼ばれてユダヤのマークになる。 そのカゴメの封印が解けたとき中の鳥(ソロモン、ニギハヤヒ、ホルス、キリスト)が 出てくる。 所が変わると、名前が変わるので書いていてもなにがなにかわからなくなるが、 結局はこれらの「ソロモン、ニギハヤヒ、ホルス、キリスト、e.t.c.」 という名前はすべて真の天照太神の異名であるのだろう。 はやく、統一した名前でお出ましいただきたいものである。 (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04589/04590 PAG03134 はな 「しし」=獅子、四肢 (14) 96/11/30 09:40 04566へのコメント SOUND さん、こんにちわ。(^^)  SOUND さんが取り上げた次のメッセージから、私は古代エジプト人の 宇宙観に結びつけたくなりました。 >>94/04/24 麒麟の熱い鼓動は四肢に炎を漲らせ、その息吹は雷鳴と共に…  古代エジプト人は天と地は4本の柱で支えあい、結びついているとと らえていました。4本の柱は天空を表すヌゥト女神の手足です。ヌゥト 女神は大地に四つん這いになっている姿で史跡に残されており、この四 つん這いになっている手足が四肢になぞらえられるのです。すなわち四 肢に炎を漲らせるとは、天空を表すヌゥト女神に炎を漲らせるの意では ないかと考えました。   *  *  ここで、ヌゥト女神についてご存じ無い方のために、ご説明しておき ます。まず、古代エジプト人の宇宙観から、そしてエジプト神話に基づ く宇宙観の双方をみてみます。 (古代エジプト人の宇宙観) 「伝統的に古代エジプト人がいだいていた宇宙観は次のようなものであ った。彼らは大地を、エジプトの地を表す円盤状にみなしていた。その 縁には盛り上がった山々があり、これは外国の土地である山地の端であ った。この大地は空に浮いており、その下にはヌンと呼ばれる水が広が っていた。ヌンは冥界(地下)の海であったが、それに関連する一観念 によると、太陽は大地の下を通る夜ごとの旅の後に、毎朝ヌンの水から 再生され、ナイルもまた洞窟を通ってヌンから流れ出すとされていた。 それゆえヌンはそこから初めて生命を生み出した原初の海であり、その 後も生命はヌンから生まれでると考えられていた。天空は大地を平鍋を ひっくり返したような形で覆い、それは「天の4本の円柱」で支えられ ていた。この4という数字は、これらの柱が磁石の示す4つの方位(東 西南北)に置かれていたことを暗示している。それと釣り合いをとるた めと、この宇宙は有限と考えられていたために、もう一つの「蓋」、す なわち冥界の極限をなす地下の空が創造された。」 (古代エジプト人の神話による宇宙観) 「こうした現実的な宇宙観に加えて、古代エジプトには神話に基づく宇 宙観も存在していた。それは絵画にもしばしばみられるように、天空は、 横たわった大地の神ゲブの体に指先と爪先をつけ、アーチ状に湾曲させ た天空の女神ヌゥトの体であり、ゲブとヌゥトの間には、大気の神シュ ーが上天を両手で支えていた。またヌゥトで表される天の円盤は、牡牛 の姿をした女神ハトホルに置きかえられることもあった。月や星はヌゥ トもしくはハトホルの下腹を通り、太陽もまた、この女神たちの横切る 天の河に沿って航行したのである。」              (「ファラオと死者の書」 吉村作治著               小学館ライブラリーより P.212-213)    *  *  「四肢に炎を漲らせ」とはヌゥト女神の体に炎を漲らせることであ あり、「その息吹は雷鳴と共に…」の息吹とは大気の神シューがつか さどっています。  「四肢に炎を漲らせ」でおもしろいのは、炎という火の要素と、漲 らせるという漢字にさんずい編が用いられていることからも分かるよ うに、水の要素が含まれていおり、「水・火」が対応させられている 点です。  「漲(みなぎ)らせる」は、もともと「水」が一面に「張り広がる」 意味から転じて生まれた文字です。先のハローには、麒麟の熱い鼓動 は四肢で支えられている天空に炎を漲らせているとは書かれてあって も、水が張り広がることは書かれていません。あくまで火と風の要素 しかないわけです。最も単純に、火は神さま、水は人の象徴とみると、 天と空にエネルギーを満ちあふれさせているのは、神からだけにより ます。私からみれば、水のエネルギーももっと満ちあふれてもよいと 思うのですが、これがハローに記されていないのは、人の力が十分に 発揮されていないからなのではないかと思っています。  「その息吹は雷鳴と共に…」の次にはどんな文章が来るのかも気に なります。翌日のハローは、「舞い降りる夢の轍‥‥」になっており、  04/24 麒麟の熱い鼓動は四肢に炎を漲らせ、その息吹は雷鳴と共に…  04/25 舞い降りる夢の轍、くぐらぬ鳥居の跡、そして龍は咆哮する  「麒麟の熱い鼓動は四肢に炎を漲らせ、その息吹は雷鳴と共に、舞 い降りる夢の轍、くぐらぬ鳥居の跡、そして龍は咆哮する。」と、‥ ‥部分を読点に置き換えてハローメッセージを続けて読んでも、文の 体をなしません。(ヨワッタモンダ)  う〜ん、今日はここまで。                       はな 04577/04590 PAG03134 はな 白虎を放つとは (3) (14) 96/11/28 00:29 04446へのコメント  なぜ、人間の中にある虎が「がぉー」っと出てこなければならない かといえば、欲情に拮抗する霊の力をより磨くためだと考えています。 というのも、自ら欲情を押さえ込んで、感情の起伏のない人間を装っ ている以上、本当に改善すべき自分が見えてこないため、欲に拮抗す る霊の力が発動しにくいからです。  我欲のままに生きるてはいけないと霊は知っているのでしょう。で も、小さな欲(アリオンが言うところの子虎)にしか出さなければ、 小さな欲をコントロールするだけの小さな霊力が発動するだけで済み ます。でも、その奥に潜むもっと巨大は欲(アリオンが言うところの 親虎)を引っぱり出さない限り、親虎をコントロールするほどの霊力 を磨く機会も生まれないと思うのです。  アリオンが「眠った虎を引き出しなさい」というのは、単に欲を封 じ込めてはいけないといっているのではなく、眠った巨大な虎をひっ ぱりだすことにより、より自分を律していかなければならなくなるか らです。これがすなわち自分の器を大きくしていく過程になると思い ます。  先に私はカバラの生命の樹を用いて、最下層のマルクト(数字の10 にあたるセフィロト)から「8=ホド」と「7=ネツァー」に向かっ て陰と陽が両極化していくとを書きました。      \      / ← 分離の最終段階、すなわち対極化       \    /        \  /         \/  ← 分離の初段階          :          ● ← 「私」という存在     陰    中道    陽     :    :    :     :    :    :     :    :    :    「反響」   :   「永遠」   (8=ホド)  : (7=ネツァー)     ● (9=イエソド) ●      \   ●   /        \  |  /        \ | /        8(陰)と7(陽)へ分離し         \|/         その度合いを高め両極化する           ●        「王国」      (マルクト=10)  陰と陽をそれぞれ、虎と虎をコントロールする自分に置き換えてみ れば、より大きな虎を引っぱり出すことは、それだけ虎を飼い慣らす だけの力が必要になり、両極化するエネルギーはより大きくなります。  もっと簡単に、上図のV字型をみれば、V字型がそっくり人間の器 と見なすことができると思います。    分離の最終段階 → \      /   【虎の大本(ドン)】  \    /  ←V字型が人間の器                \  /    を大きくしていく  分離の初段階、【子虎】 →  \/     過程を示している                  :                  ●                       はな 04571/04590 NBB01420 SUKE 太陽電池 (14) 96/11/26 21:59 04545へのコメント コメント数:1 太陽電池はクリーンなエネルギーとして期待されたものの、結局太陽光を電力 に変換する効率が頭打ちになってしまい、将来性は乏しいと言う話を聞いたこ とがあります。 うろ覚えなんですが、例としてソーラーカーの話がありました。太陽電池でモー ターを動かしながら冷房などとんでもないそうで、走るだけでも補助バッテリー を使用していると言うこと。夏の暑い最中に冷房も作動出来ない車に誰がのる ものか、と言う話でした。 それなら、補助電源としての太陽電池ならどうか?と思いますが、今のところ 太陽電池を製造するコストを、その太陽電池の寿命までに生産する電気エネル ギーで賄い切れないと言うのが実情だそうで、結局、お金も資源も無駄にして 光を僅かな電力に変換しただけで、クリーンエネルギーとは程遠いと言うこと です。 むしろ、光しかエネルギー源が無い宇宙機器とか、メンテナンスフリーで発光 する標識とか、そういう特殊なメリットがある場所に敢えて使う特殊電池とし ての意味合いが強いのですね。 ところで、随分以前から気になっているのですが、「光の黙示録」の中に光を エネルギーに変換する話が出てきます。(P154)この方法は人類がまだ気づいて いない方法らしく、将来のエネルギー危機への対策として有望らしいのですが、 未だに何が書かれているのか分からない(^^;)                             Suke.(^_-)☆ 04574/04590 QWC01550 コットンマウス RE:海王と冥王の会談 (14) 96/11/28 00:06 04541へのコメント コメント数:1 #04541 はな さん 維/YUI さん こんにちわ(^^) お話し中のところ、割り込み失礼します。 > 円卓の残りの席に天王星が腰掛けるのではないか?と推測してるんで >すよ。天王星が海王星と冥王星と共に会合するとなれば、放射性元素に >関連する惑星は「すべて」出そろいますからね。 > > 天王星、海王星、冥王星をどこかの国になぞらえて、原子核の三者会 >談にはなぞらえられないでしょうかね。アメリカ、ロシア、中国とか。 >(この辺、密かにコットンマウスさんに割りコメを期待してます)  呼出し状(笑)を頂きましたので、適切なお答えでは無いかも知れま せんが、お話ししたいと思います。  惑星と国について、私の勝手なイメージをあてはめてみました(^^;  (宇宙開発、原子力開発、軍事力、国際政治等の視点に、ギリシャ ・ローマ神話をミックスしてみました)。  冥王星・・・ロシア (PLUTO)  大量のプルトニウムを保有するとともに、その宇宙        利用に熱心である。厳格なプル−ト(=ハデス)は、        強固な官僚制を誇った帝政ロシアをイメージさせる。        ロシア革命という破壊と創造を経ているところは、        冥王星の占星術的特質と重なる。  海王星・・・アメリカ (NEPTUNE)  ローマ神話の海の神「ネプチューン」は、ギリシャ        神話の海神「ポセイドン」と同一視される。世界最        大の海洋国家で、強大で即応性に優れた空海軍力を        持つ同国は、三つ又の矛を持ち、戦車で海上を疾走        するネプチューンをイメージする。  天王星・・・EU(特に、ドイツ・イギリス・フランス) (URANUS)   宇宙開発(ドイツ=V2ロケット)や原子力開発        (イギリス=ラザフォードの核分裂実験)の基礎を        つくるとともに、衰えたものの近代国家と国際政治        を作り出した国々の集合体であるEUは、ガイア        (大地)から生まれた最初の神であるウラノスと        イメージが重なる。  ・・・となぞらえてみました。  ご注文の「原子力の三者会談」ですが、ちょっと役者が多いか、 少ないかという感じです(^^;;;(能力不足ですいません・・・)  アメリカ(海王星)・ロシア(冥王星)の会談でしたら、話し合 うテーマは多岐にわたりますので、特定は困難です。原子力関連で 言えば昨年は、両国間の戦略兵器削減条約(STARTK)が発効 するなど軍備管理の面での進展がありました。  アメリカ(海王星)・ロシア(冥王星)・EU(天王星)の会談で は、原子力関連では、他の国も交えた形ですが、昨年と今年は進展が ありました。NPT(核不拡散条約)の無期延長、CTBT(包括的 核実験禁止条約)に関する交渉もインドなどの抵抗を押し切って、進 みました。 ここで、原子力関連では、はずすことの出来ない国である日本に登 場して頂きましょう。とりあえず、日本を水星(=MERCURY)になぞら えてみました(ローマ神話における神々の使いの神で、職人・商人の 神であるマーキュリーは、ギリシャ神話のヘルメスと同一視された。 そしてヘルメスは、ゼウスの伝令であり、死者の国へ魂を導く案内人 でもある)。  アメリカ(海王星)・ロシア(冥王星)・EU(天王星)・日本 (水星)を円卓についてもらうと、大きな会議が2つあります。 国際宇宙ステーション計画(上記の国に加え、カナダも参加)と ITER(国際熱核融合実験炉)理事会(今年12月17〜18日 に、東京で開催)があります。特にITER理事会では、実験炉の 詳細設計が討議されるほか、立地場所の選定方法や事業費の負担割 合が話し合われます(各国が財政上の理由で誘致に消極的なので、 日本が最有力候補です・・・。非公式情報では、北海道の苫小牧東 部工業基地のようです)。  まとまりない文章で申し訳けありませんが、ご一読頂ければ幸い ですm(_ _)m                  コットンマウス(QWC01550) 04583/04590 QWC01550 コットンマウス 円卓 (14) 96/11/29 00:51 04574へのコメント  自己RESです(^^; #04574関連で思ったこと・・・  >冥王と海王は円卓に就いた。  「円卓」。かの有名なイギリスの伝説、アーサー王物語に 出てくる事を思い出す。  魔法使いマリーンが王ユーサーのために作った円卓。後に アーサー王のものとなり、彼と彼の騎士(一説では)150 名が取り囲み、互いに序列を競うことなく会話や食事を楽し んだ。特に、中央に「聖杯」が現れるとこのテーブルの円は 中心を得て完成する(マロリー・「アーサー王の死」)  しかし、程なく甥ダートレットの反乱により、アーサー王 と彼の騎士達も戦乱に巻き込まれて、多くが落命する結末と なる。  悲劇的な結末だけは、避けてほしい。 96/11/28(木) 23:24 コットンマウス(QWC01550) 04573/04590 GHH10354 星見 自由は諸刃の剣? (14) 96/11/27 23:23 04556へのコメント はなさん、興味深いレスをどうもありがとうございました。 蛇はその正邪の変容性が大きい生き物であるからゆえであろうという意見には、私も賛 成です。 地上の生き物は動物にせよ、植物にせよ、地上に立つために根や足があるように大地に 向かって伸びようとする力と、それとは反対に太陽に向かって伸びようとする力との両 方に引っ張られているという考え方があります。 上に伸びようとするためには、それだけ自分を支えるためのエネルギーを地に向けて費 やさなくてはいけないというジレンマに支えられていると。 天と地、理想と現実、聖と邪との両方に魅かれながら。 二足歩行で地上に立つ人間はそのギャップが最も大きいとされます。 私はこの束縛から抜け出た象徴こそ蛇なのではないかと考えています。 蛇は大地の塵の中にも、高い樹を登って天に生きることも出来ます。 塵に生きる姿は低俗な世界の中にも黄金や宝石のような見えない宝があることを、螺旋 を描きながら木々を伝う姿は霊性の上昇を示しているのではないでしょうか。自由に二 つの世界が行き来できるのに加えて、蛇の「脱皮」は新生、復活の象徴ですから、錬金 術、とりわけ最終段階の赤化を表現するのにはうってつけだったのではないかと推測し ています。 このような自由が与えられているのは、人間も同じなのでしょう。自由の危険性をも内 包した象徴なのでしょうね。これについても同意見です。私の心の蛇もどうも下に向き がちで....むむむ。 蛇のくねる姿からは「波」を連想させるので、水のように下に流されやすい哀れな動物 であるという思想も合わせて考えると、ますますもって上昇が如何に厳しいことかとい うことを思い知らされます。 》それはなぜって? だって、自分の尾を加えていたら「その実を食べたらうま 》いぞ〜」なんて、イブに向かって喋られるはずないんですから。(^^; うまい表現ですね(^^) 言いえて妙とはまさにこのこと。 ウロボロスについても興味深い表現がありましたので、考え直してみようと思っていま す。 》 論文がんばってください! どうもありがとうございました。(お礼が遅くなってしまいましたが) 私も早くカタをつけたいです(^^;) ★ 星見 ★ 04578/04590 PAG03134 はな 静岡県中部での一連の地震について (14) 96/11/28 20:03  今月中旬から続いている静岡県中部の地震について、地震予知連絡 会は「フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界面が深い所 から徐々にはがれている可能性がある」と分析し、報告されました。 一連の地震は過去10年以上にわたり地震の無かったところで起きて おり、それまでの地震のメカニズムとは違っているようです。同様の 形態をした地震を分析した結果、静岡県で起きている一連の地震の原 因は、プレート境界面が深部から徐々にはがれている可能性があると のことです。                       はな 04579/04590 PAG03134 はな 都心から子どもがいなくなるとき (14) 96/11/28 20:03  東京都は防災都市づくり推進計画の中間報告をまとめたそうです。 中間報告の内容には、20年後をめどに木造密集地域の不燃化を押 し進め、災害に強い町づくりを検討してきたとのこと。  昨日の新聞記事に、東京都港区が話題になっていた。高騰する住 居費や駐車場代など生活費が圧迫されたり、緑が少なくなりアメニ ティは低下していると。その結果、港区では住民活動である自治会 や町内会が活発でなくなってきている。子どもも少なくなり、記事 には、小学生がランドセルをしょって一人で通学する光景が写真に 映し出されていた。  東京都が防災都市づくり推進計画をまとめても、実施されるのは 20年後。私は遅すぎると思う。  都心の木造住宅密集地域は、小規模な地権者が多く、高齢化した 方々が多く住み、なかなか防火対策ができなくなっている。アリオ ンは、  「都心から子どもと犬・猫の姿が見られなくなるとき、都心   の生命は終わる。大規模な火災が発生するだろう。」 と預言している。すでに都内から子どもの姿が少なくなって久しい。 アリオンの預言はいつ成就してもおかしくないはずだ。東京都の中 間報告を待っていられる状況ではないと感じる。だからこそ、一人 一人の防災意識の高揚が今必要なのだと思う。                       はな 04582/04590 PAG03134 はな 南アフリカ、台湾と断交 (14) 96/11/28 22:28 ●アリオン預言 〜アフリカ編〜  「アフリカの過激な軍事国は、       意外な対外政策を打ちだして世間を賑わすだろう。」     *    *    *    *    *    *     アフリカの過激な軍事国に南アフリカも含めて良いだろう。いや、過 激な軍事国の筆頭に挙げられる。核開発疑惑、武器の大量取引など、軍 事大国であるが故のニュースには事欠かない。今年7月には、南アフリ カの兵器公社が欧州と初の大規模取引をしている。  核開発疑惑に関するニュースを振り返ってみると、1996年4月11日、 アフリカ大陸を非核地帯化と宣言するアフリカ非核化条約(ペリンダバ 条約)が調印されている。  アフリカ非核化条約は、そもそもフランスが1960年、アルジェリアの サハラ砂漠での核実験を実施したことへの反発から浮上した。しかし、 南アフリカの核開発疑惑で条約化が遅れていたのである。そして、1993 年に南アフリカは核兵器廃棄を宣言したことから、条文作業が具体化し、 昨年六月のアフリカ統一機構首脳会議で「アフリカ非核化宣言」が採択 されるに至った。  1993年に南アフリカが核兵器廃棄を宣言したのは、「アフリカの過激 な軍事国は、意外な対外政策を打ちだして世間を賑わした」にぴったり 来る出来事だった。  そして、今日11月28日、アリオンの預言は再び成就したといえるニュ ースが舞い込んできた。南アフリカは台湾と断交し、中国との国交を樹 立すると発表したのである。残念ながら、このニュースはNHKで同日 放映された7時のニュースでは、7時20分過ぎに少し報道されただけ であった。  南アフリカが台湾と断交を決定するまでのうち、表面化したニュース の一部のストーリーを追跡してみよう。背景には中国が南アフリカに向 けて国交樹立するならば、台湾との断交をせよと迫られていた事実があ る。 1996年4月上旬 中国、南ア2国間関係について協議すると発表 1996年4月下旬 中国、台湾がそろって南アフリカを訪問すると発表 1996年5月上旬 江沢民国家主席が五月八日から二週間にわたり、         アフリカ六国を訪問  4月下旬の中国と台湾の外交政策のせめぎ合いは熾烈であった。台湾 の徐立徳・行政院副院長は4月22日に南アフリカを訪問する予定である ことを明らかにするやいなや、翌日23日には中国外務省が、江沢民国家 主席がアフリカを訪問する計画が発表されるほどだった。特に、江沢民 国家主席がアフリカを訪問するのは、今回が初めてであったことからも、 その意気込みがうかがえた。 1996年7月中旬 マンデラ大統領「国交問題は中国と台湾が話し合いで         解決すべき。南アフリカが結論を出す問題ではない」         と語る。 1996年8月下旬 マンデラ大統領「中国と外交関係を結びたいが、台湾         (との外交関係)は放棄できない」と述べる。 そして、 1996年11月28日 マンデラ大統領、台湾との断交を発表  折しも、中国はインドと経済の自由化について話し合いをはじめてい るところであるし、つい先日はAPECで「自由化の目標」を決めたボ ゴール宣言が採択され、アメリカを模倣するかのように自由主義経済の 道をさらに一歩進むことを決めたばかりである。                       はな 04584/04590 QWC01550 コットンマウス RE:災害ニュース 11月20日分 (14) 96/11/29 00:51 04563へのコメント #04563 はな さん  こんにちわ(^^) ちょっとコメントさせてください(^^) > (ひとことコメント) >  定期検査と「定期」と新聞の見出しに付けば、「なんだいつもの >  ことか」と思ってしまうが、実は、冷却水に含まれるサビの軸へ >  の進入防止工事がメインでないの? 定期検査は3ヶ月間にわた >  って行われるそう。  原発の「定期検査」は、年1回、原子炉施設を対象に膨大な量の検査 と補修を行うもので、数千人の作業員を動員して通常2〜3ヶ月の期間 を要します(根拠法令は電気事業法 通商産業省の管轄です)。その際に 必要な工事を行うことは、あり得ますね。 > 阪神大震災の教訓から地震計を新たに設置す >  るとか。耐震性は心配ないっていってるのに、どうして改めて阪 >  神大震災の教訓を受けて地震計を設置するのさ。  正確に申しますと、耐振性が心配ないのと言い切れるのは「原子炉」 格納容器のみです。それ以外の施設については,以前の建築基準法に基 づいて建設されています(阪神大震災の後で、茨城県の某村で受けた研 修の際に、原発の耐振性の問題で、研修生と講師が激論になっていまし た)。  なお、原発にはある一定以上の揺れを地震計が検知すると、原子炉が 自動停止するシステムがついていますので、その精度をあげるためのも のかと思われます。  取りとめのないお話しで失礼しましたm(_ _)m    96/11/29(金) 00:09 コットンマウス(QWC01550) 04588/04590 PAG03134 はな アリオン12と13 (14) 96/11/30 02:20 04587へのコメント 「割れた亀甲の文字を読むに必要な目は、1、5、6、8、13」                    (95年10月17日 ハロー)  本稿では13は12+1であることをタロットカード「世界」から発 展させ、10月17日のハローを解く一つの手がかりにします。  タロットカードの「世界」には、黄道十二宮に囲まれて、両性具有者 が描かれていました。中央の両性具有者はイシスとも言われ、ゴールデ ンドーンのタロットカードをみると、ちゃんとイシスのシンボルである 三日月を冠しています。  錬金術の完成図である「世界」にイシスが両性具有者として出てくる のは、4段階のアニマからも納得できることです。 −−−−−−−−− <4段階のアニマ(再掲)> −−−−−−−−−  第1段階のアニマ‥‥エヴァ、大地の女   −性愛の対象−    (錬金術でいうニグレド「黒化」)  第2段階のアニマ‥‥月の女        −ロマンティックな愛の対象−    (錬金術でいうアルベド「白化」)  第3段階のアニマ‥‥聖母、天の女     −霊的な愛の対象−    (錬金術でいうキトリニタス「黄化」)  第4段階のアニマ‥‥智慧の女神アテネ、モナリザ            【イシス】、観音、マリア −神秘的な愛の対象−    (錬金術でいうルベド「赤化」)      (両性具有者的存在) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  過去の発言にあったように、アリオンは1から12までのエネルギー体 があり、1から12までのエネルギー体が集合したときに、それらを統括 する大アリオンが出てきます。最近の7番のアリオンメッセージは「アリ オン12」と明記されることが多くなりました。以前は「ARION0∴ 0」が頻出していました。これは、ARIONも単体で関わったメッセー ジから、アリオンが1から12まで集まって書かれているメッセージが多 くなってきたのではないかと思っています。問題は、アリオンがどうのと いうよりも、大アリオンの出方です。  アリオン1から12と大アリオンの関係は、黄道十二宮と黄道十二宮の 中央に位置する両性具有者の関係に等しいのです。12とは13番目を呼 び起こすための必須条件みたいな数だと思うのです。「○と・(マルとチ ョン」でいえば、○が黄道十二宮の円環でしたから12で、・が1となり ます。13は○(12)と・(1)が合わさって出てくる数字といえます。  キリストと12使徒の関係もまたしかりです。キリストが「・」で、キ リストを取り巻く使徒が12人いた伝説は、アリオン12と同様に、13 を1+12ととらえる一つの裏付けになります。  10月17日のハローで、亀甲の目を読むに必要な数字は「1、5、6、8、 13」と書かれています。私は亀甲の目を「拮抗の目」と読み直してみま した。何と何が拮抗しているかといえば、13と13が拮抗しているので す。「1、5、6、8、13」には、二つの13と、拮抗の均衡点に8が 位置しています。         (左側)   ‖ (右側)                ‖        「1、5、6、 8、 13」         ~~~~~~~~~~  ‖           ↓    ↓   ↓      1+5+6=12、 8、 13                ‖                ‖                  左側は1+5+6=12にしかなりませんが、12となって新たに降臨 する1なる存在がありますから、左側の12も13となります。  左の13と右の13の間に8があります。8は無限大「∞」であり、右 側の円環と左側の円環をつなぐ「橋渡し」的な存在です。  「8」はまた、出雲を意味する数字です。出雲といえば風雲生ずる国で あり、その象徴は「風」です。  左を古き円環、右を新しき円環とすると、古き円環「0」と新しき円環 「0」を橋渡しするのが「8」です。そしてこの8は風でもあり、風が起 きなければ、古き円環から新しき円環への循環作用が働きません。  スサノオ率いる出雲族の象徴的な数字も「8」でした。古き円環を断ち 切り新たな円環に移行するには、まず古き円環と新しき円環をつなげなけ ればなりません。ここに復権する出雲族の力が作用すると考え、次のよう な図を作ってみました。        1・5・6   8     13          ‖     ‖     ‖           (古き円環)0   0(新しき円環)         12   \  /   13       (=13)   \/               ∞(=8)               ‖  「8 = 円環を切り替える力 = 風(=剣)= 出雲の力」                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/12/01 - 01177/01178 XLB04022 大愛    RE:息をひそめて (19) 96/11/26 18:12 01175へのコメント 猫の手 さん、こんにちは。超お久しぶりです。帰ってきた大愛です(^^;。 帰ってきてから、あっちこっちの会議室を眺めていたのですが、やっぱり、猫の 手さんの詩が私には一番ピンと来ます。 そうですねえ、私も善からぬことにはまりかけ、声を受け入れる準備ができてい ません。波動というものは、高めるのは大変ですが、下げるのは急激にできます (^^;。波動が下がってしまうと、声も聞こえなくなるし、幸運も逃げていくし、 健康状態も悪化してしまいます。私自身、自分の波動が精妙だった時を体験して いるので、今の自分が情けないです(;_;)。また、頑張って、波動を高めていき たいと思っています。とりあえず、例の知花さんのお話を聞きに行ってきます。 それではまた。       96/11/26(火) 大愛(XLB04022)