「そして、今ここに再び林檎の樹がある…」天使は皆を見渡した - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/12/15 - 02047/02048 KFQ02761 しまうま RE:痛みを感じた理由…かな(^^;) ( 6) 96/12/15 10:57 02043へのコメント #02043 MAKOTOさん  こんにちは(^^)。丁寧なご説明、どうもありがとうございました。  概ね納得できたのですが、一カ所だけ質問させてくださいね。 | …でも、焚き火の民の胡散臭さに通じるものも、私の中にあるんですよね。 |それでも、こっちの方は奇麗に棚上げする事ができた。それだけHMを読みな |がら、焚き火の民の言動に歯がゆいものを感じてたって事なのかも知れません。  ここで、「焚き火の民の胡散臭さに通じるもの」を奇麗に棚上げできたのは、 なぜだったんでしょうか? 「HMを読みながら焚き火の民の言動に歯がゆい ものを感じてた」から棚上げする事ができた、というのは、今一つ繋がりが見 えにくいのですが……。もしよかったら、補足の説明をお願いしますm(__)m。  ではでは(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02048/02048 KFQ02761 しまうま 【テーマ別HM】嘘 ( 6) 96/12/15 10:58 02045へのコメント |94/10/22 揺るぎない信念は、自他共に嘘を付かないことへの不断の努力から  信念とは、いわば「信じ続けること」でしょう。何を信じるかは人それぞれ ですが、一瞬一瞬「自分はこれを信じるか?」と自らに問い続け、その問いに 答え続ける行為が、結果的に「信念」と呼ばれるものになるんだと思います。  ところが、自分や周囲に対して嘘をつくことが平気であれば、「自分はこれ を信じるか?」という問いに答えても、その答えを自分で信じることができな くなってしまいます。自分で自分が信じられない。要するに、何も信じられな くなるのです。  「嘘」には2種類あると思います。一つは「積極的な嘘」で、もう一つは 「消極的な嘘」です。  「積極的な嘘」とは、まさに「嘘をつく」ことで、「ないものをあるという」 「事実をまげて人に伝える」「都合のいいように言葉をすり替える」ことなど を指します。親が子供に「嘘をついてはいけません」と言うときは、たいてい こちらの意味です。  もう一つの「消極的な嘘」とは、「何も言わない」「何もしない」「見えて いるものが見えてないフリをする」ことによる「嘘」です。「今、あの人には こう忠告したほうがいいんだろうけど、でも言うと嫌われそうだしなあ」とか、 「あそこに困っている人がいるようだけど、面倒くさいから見て見ぬフリをし よう」とかいう心の働きです。これも、自分の心を裏切っている、という意味 では立派な嘘になります。  自分にも、他人にも、嘘をつかないことへの「不断の努力」。「不断」とい うからには、それこそ毎瞬毎瞬を努めることです。  長い時間がかかるかもしれませんが、「揺るぎない信念」「不屈の精神」を、 自分の中に培っていきたいと思います。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/12/15 - 01043/01046 QWN03766 み〜ちゃN RE:#1041の出典は何なのでしょうか? ( 9) 96/12/14 22:41 01042へのコメント コメント数:1 TAO さん、こんにちは。たびたび、すいません。 >  さて早速ですが、#1041 に書かれた内容は、どこを出典としていられるの > でしょうか? この会議室は「歴史」をテーマとしていますので、論説を挙 > げられる際に文献を引用される場合には、出所を明らかにされるようにお願 > い申し上げます。   参考にした本は「言霊玄修秘伝」(大宮司郎・八幡書店)        「人類が生まれた秘密を明かす」(深見東州・たちばな出版)        「日本の神様を知る辞典」(阿部正路・日本文芸社)                                 ―他―  >  また、私は新興宗教と目されるセクトの教典には大抵目を通していますが、 > こういう内容は初めてですし、もし何らかの教典から引用された内容でした > ら、ここはドグマの内部での談義を目的とする会議室ではありませんので、 > 今回のように会議室の主旨から外れていると思われる論説は、別にもっと相 > 応しい会議室があるでしょうから、その方にUPされる方が宜しいかと思い > ます。 「ス神とは、何ぞや?」の、質問に答えるには、より深く理解する上で、あった 方が良いと、思ったので書いただけです。質問へ答える事が、会議の趣旨から外 れているのだったら、もう、返事は書きません。古神道は日本の歴史ですが、こ れら宗教を語るについては、歴史ではないと見なし、質問の説明に教典からの引 用もやむを得ない場合も、趣旨に反するので書きません。で、宜しいでしょうか? >  少し強い言い方になったかもしれませんが、会議室の主旨を理解した上で > の書き込みでしたら歓迎致しますので、どうぞご理解の程をお願い致します。 マナー違反で申し訳ないです(−_−;)ゞ。 反省してますので、今後ともよろしくしてやって下さい。 96/12/14(土) 21:44 み〜ちゃん(QWN03766) 01044/01046 MHD02672 TAO RE:#1041の出典は何なのでしょうか? ( 9) 96/12/15 10:05 01043へのコメント  #1043 み〜ちゃんさん   出典の紹介をどうもでした。ううむ、歴史の本というよりも宗教思想の本  みたいですね〜(^^;。この部屋は宗教を取り上げることもありますが、それ  は宗教自体よりも、その歴史的背景を考えて行くというやり方で進めていま  す。  >> 「ス神とは、何ぞや?」の、質問に答えるには、より深く理解する上で、  >> あった方が良いと、思ったので書いただけです。質問へ答える事が、会  >> 議の趣旨から外れているのだったら、もう、返事は書きません。   質問に答えるのは構わないのですが、出典を明らかにしないで書き込むと、  発言者の個人的な宗教的思想・信条を発表したものと見なされることがあり  ますので、歴史を検証するというこの部屋のコンセプトには合わなくなって  しまいます。   また「神」というのは、その実在についての客観的な検証が殆ど不可能な  為、なるべく避けたいという議長自身の姿勢もありますので、どうぞご諒解  の程を宜しくお願い申しあげます。  >> 古神道は日本の歴史ですが、これら宗教を語るについては、歴史ではな  >> いと見なし、質問の説明に教典からの引用もやむを得ない場合も、趣旨  >> に反するので書きません。で、宜しいでしょうか?   古神道は「歴史」では無く、日本特有の宗教現象だと思いますが…(^^;。  ついでに言うと、古神道とは神道の古来の姿を復古したものというより、近  世(江戸時代)に入ってから平田篤胤等の国学者らが「神道ルネッサンス」と  いう形で推し進めた宗教運動だと考えています。平田篤胤に始まったこの潮  流はやがて、大本教に流れ付きますね。  TAO 01045/01046 MHD02672 TAO 荒神谷と加茂岩倉の「×」 ( 9) 96/12/15 10:05 00926へのコメント   #926でISE さんが、荒神谷遺跡より出土した銅剣の茎に刻まれた「×」印  について言及されていましたが、12月14日付の日本経済新聞・朝刊の記事に  よれば、加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸の一個にも「×」印が刻まれていた  ことが判明したそうです。なお読売朝刊によれば、「×」が刻まれた銅鐸は  これが初めてだといいます。   「×」印は銅鐸の鈕(チュウ=つり手)に刻まれており、荒谷神遺跡の銅剣の印  より大きめだが、形状や線の特徴はよく似ているそうです。   調査に当たった京都国立博物館の難波洋三考古学長によれば、これにより  「荒神谷と加茂岩倉の両遺跡はほぼ同年代であり、同一集団が二カ所に分け  て青銅器を埋めた可能性が極めて高くなった」としています。この集団につ  いては      この集団は大量で多様な青銅器を所持し、近畿と九州双方に大きな     影響力を持っていたとみられる。                              (同記事より)   とされており、この推察に間違いが無ければ、当時出雲族が政治的な主導  権をも握っていたのでは無いかと思われます。   加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡の関係について新たな推察が加わった以上、両  遺跡を総合して考えて行くことで、古代出雲の世界が新たなイメージを加え  て見えて行くことでしょう。  TAO 01046/01046 MHD02672 TAO 「古代出雲文化展」の開催のお知らせ ( 9) 96/12/15 10:05   来年春より「古代出雲文化展」が三大都市で催されることになりました。  以下はそのインフォメーションです。   東京展/1997年4月26日〜6月8日 東武美術館   島根展/ 〃 7月5日〜8月24日 島根県立八雲立つ風土記の丘資料館                   島根県立博物館   大阪展/ 〃 11月18日〜12月21日 大阪府立美術館   出雲の豊富な考古資料及び美術工芸品を一堂に展示し、古代出雲の実像を  追って行くという内容のようです。  TAO - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/12/15 - 05189/05191 GGA02514 KAZE 風釈般若心経 Ver.2 (13) 96/12/14 23:24 もうずっと前のことになりますが、 #04337で、般若心経をぼくなりに勝手に読みかえて訳した 「風釈般若心経 」というのを書いたことがありましたが、 補足したほうがいいと思うところを見つけましたし 表現的にもうすこしすっきりさせたほうがいいとも思いましたので、 その時に書いたVer.1.1をさらに、Ver.2として バージョンアップしてみることにしました(^^)。 以前のバージョンがお読みになりたい方は、#04337をどうぞ。         <風釈般若心経 Ver.2>         智慧ある者よ   智慧を限りなく求め行じる者よ   我と世界を その謎と呪縛から解き放ち   その本来の姿を明かしたまえ       空を知る者は幸いである    おまえは苦しみを克服することになる    なぜならすべては空に貫かれ空そのものだからだ         空とはいったい何であろうか    それは物質の根源を成すものであり    あらゆる精神の働きの根源を成すものでもある         いいかね    物質も精神も空そのものなのだから    生死 善悪 浄不浄 増減といった対立的に見えるものは    すべてその空を理解しないがゆえの現われなのだ    だからその現われに心乱さないようにするがいい    その対立をしっかり見つめそれらの根源を見定めることだ        五感や心の働きにとらわれてはいけないよ    そうしたものは我が世界を見る窓でもあるのだが    それは同時に我と世界に枠をはめてしまうことにもなる    我と世界には本来そんな枠など本来ありはしないのだ    だから五感や心の働きがつくりだす我と世界とともにありながら    それにとらわれない自在さを得ることを心がけなさい        我が世界を見る窓を固定してしまってもいけないよ    ともすればその窓は枠がはめられるだけではなく    その場所まで固定されてしまうことになるのだ    我は方便としての現れであるがゆえに    不動の場所に家を建て    その窓から世界を見ているように思っているが    それに執着し家と窓を絶対化してしまうことが多いのだ    窓の大きさもまたその場所も自在であるのだということを知りなさい        生老病死といったこの世の苦しみから解放されるためには    その苦しみをつくりあげている原因を取り除けばいいともいうが    そもそもそういうことそのものさえ    空を体得したならばそれは執着ゆえのものだということがわかるだろう    生老病死という現象のなかにある永遠を見いだしなさい    それらは原因と結果の法則のなかにあるが    その法則を越えて自由に創造されるものを見失ってはならないのだ        人は物質世界と精神世界を貫いてある存在であり    その根源は空である    空を体得するならば    自らが過去現在未来を貫いていく存在であることに目覚めることができる    そうすることで宇宙進化の潮流にいることを知り    自らの自由意志によってその流れに乗ることができるのだ        智慧ある者よ    宇宙潮流に乗る者よ    おまえは我と世界の謎を知る者    そして自由を勝ち取る者だ    智慧を限りなく求め行じる者    宇宙潮流に乗る者よ    常にその潮流とともにあれ! ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05191/05191 GGA02514 KAZE シュタイナー全集●GA15:人間と人類の霊的導き (13) 96/12/15 00:44 05187へのコメント ■GA15    人間と人類の霊的導き  人類の進化に関する精神科学の成果    Die geistige Fuehrung des Menschen unde der Menschheit (1911)  Geisteswissenschaftliche Ergebnisse ueber die Menschheits-Entwickelung *邦訳/  「個人と人類を導く霊の働き   ----人類発展史についての霊学による研究成果」  (浅田豊訳・村松書館/1984.9.20 発行) これは、1911年の5月にコペンハーゲンで開かれた 「スカンジナビア神智学協会総会」に続いて行われた講演を記録したものです。 シュタイナー自身が述べているように、ここに述べられている内容は 「神智学」や「神秘学概論」の読者を想定しているものだということですが、 逆に言えば、それらの本を読まれた後で本書を読むと、 よりいっそう理解が深まるということでもありますので、 機会がおありの方はぜひ読んでほしい内容になっています。 本書は、「キリスト」の意味を深く認識するという意味でも重要です。 ある意味では、シュタイナーの神秘学の基本は、 「キリスト衝動」そのものを深く認識することであるともいえるからです。 以下、本文より、いくつか。   人間は自己認識をとおして自分の内の指導者であるキリストを発見する。   キリストが地上に生きた時から人間は自分の内で常にキリストを見出す   ことができるが、それはキリストが常に人間の内にいるからである。      人間が実際のところどういう存在であるかを知るだけでよい。そうすれ   ばその認識から、キリストの本質を洞察することができる。そして真に   人類を洞察することからキリストの理念にまで達し、人間がキリストを   自分自身の内に求めるときにはじめてキリストを最もよく見つけられる   ことを知ったとき、そのとき人類が聖書の記録をふり返ってみるならば   聖書ははじめてその重大な意味を得る。      「将来人間の心の中に生きるキリスト理念は、その偉大さにおいて人類   が今まで認識したと思っているどのものとも全く比較にならない」。キ   リストによる最初の衝動として成立し、キリストについての考え方とし   て今日まで生きていたものは、----キリスト原理を最もよく代表した人   たちの場合でさえも----キリストの真の認識の準備にすぎない。     ☆☆☆KAZE☆☆☆