「或いは、再度智慧を悪利用するに留まるか…」 - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/12/17 - 02053/02053 KFQ02761 しまうま RE^3:961212、13 の ハローメッセージ ( 6) 96/12/16 23:33 02051へのコメント #02051 ばかままさん  こんにちは(^^)。 |敵といっても、抹殺するのが敵ではなくて、戦って、融合するのが敵 |だとしたら、人は人という生き物に対して、改めて考え、見つめること。 |国はその由来と行く末をとことんつきつめる。民は民としての存在理由 |わ見つめ、誇りを取り戻す・・・そういう「戦い」なら、多少の傷は |覚悟して飛び込むべきでしょう。  うーん、なるほど。「傷」について、と言えば、この一連のHMを思い出し ます。 |94/04/04 自分の厭な所を相手に見出して、それを攻撃することで何を得る? |94/04/05 自分に向けるべき刃を他人に向けても、自分の厭な所は変らない… |94/04/06 他に刃を向けると、相手が傷つき屈する事が目的になりかねない |94/04/07 己に刃を向けると、己が傷つくかも知れない…だから怖れ、避ける |94/04/08 本当に傷ついた経験の無い者ほど、傷つくことを怖れるという現象 |94/04/09 傷つくことを知らないままに、傷つく想像は成長してゆくが… |94/04/10 肥大した「傷つく」想像の産物は、真に傷つく事より始末が悪い |94/04/11 真に傷ついた経験のある者は対処法を知るが、想像経験者には無い |94/04/12 傷つくことを恐れ、特定他者の言動を攻撃と勘違いしていないか? |94/04/13 己が傷つく仮定を基に、自己防衛しながら会話をしても響かない…  ああ、自分で引用していて耳が痛い(^^;。 |主イエスの再臨に「つるぎ」がもたらされるとしたら、それは |「戦う手段」としての「つるぎ」だうと思います。 |戦う・・・というのは、上記の意味としてです。  なるほど、僕は「情を断ち切るための剣」と思っていましたが、「戦う手段」 (戦うためのツール)とも考えられますね。  ではでは(^^)/。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/12/17 - 01047/01047 CQE07040 ISE RE:荒神谷と加茂岩倉の「×」 ( 9) 96/12/16 23:20 01045へのコメント TAOさん お久しぶりです。お変わりありませんか? 随分とサボっているISEです (^_^;) >#926でISE さんが、荒神谷遺跡より出土した銅剣の茎に刻まれた「×」印 >について言及されていましたが、12月14日付の日本経済新聞・朝刊の記事に >よれば、加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸の一個にも「×」印が刻まれていた >ことが判明したそうです。なお読売朝刊によれば、「×」が刻まれた銅鐸は >これが初めてだといいます。 >「×」印は銅鐸の鈕(チュウ=つり手)に刻まれており、荒谷神遺跡の銅剣の印 >より大きめだが、形状や線の特徴はよく似ているそうです。 あのときはシュメール、エジプト文字などから考察しましたが、 古代「×」はあと男女、性交表現でもありますね。 荒神谷の剣も茎の部分に「×」が刻まれていますが、加茂岩倉の銅鐸も 銅鐸の鈕(チュウ=つり手)の部分に「×」が刻まれているそうで、 案外、あの時代すでに「×」=「ダメ」という意味合いを持っていたのかも 知れませんね。 荒神谷遺跡の青銅器を分類すると 銅鐸 六個 銅矛 十六個 銅剣 三五八本 で、なんだか銅鐸の数が少ないな?と思っていたのですが、 >調査に当たった京都国立博物館の難波洋三考古学長によれば、これにより >「荒神谷と加茂岩倉の両遺跡はほぼ同年代であり、同一集団が二カ所に分け >て青銅器を埋めた可能性が極めて高くなった」としています。 ということで、荒神谷の銅鐸がなぜ少なかったのか納得した次第です。 それにしても出雲王朝否定論者にはダメ押しの一撃ですね。(もういないか) 今年は日本のみならず、世界で発掘ラッシュでしたが、銅鐸に関してはまだまだ 埋まっているような気がします。東北にだって北海道にだって。 (^^)//それでは ISE - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/12/17 - 05198/05198 BXN01172 がねっしゅ がねっしゅのシュタイナー教育論(序の序) (13) 96/12/17 01:11 05185へのコメント \(^o^)/今晩は,がねっしゅです\(^o^)/ >>ぜひ、この場を「自由に」使っていただいて、 >>「文章のお稽古」を試みてくださいね(^^)。 はい,KAZEさんに暖かいコメントを頂き,有難く思います.(^o^)/ でもまあ,内容は「自由」そのものではなく,どちらかというと 「教育と自律」という事に成ろうかと思いますが. 僕自身は,早稲田や広島出身ではなく,シュタイナーとは全然関係無いような 大学の出身です. で,孤立無援でやっていたような状態なので, 自分の文章にあまり自身が無いのですが(^_^;) まあ,自分なりにやらせていただこうと思います.宜しくお願いしますm(__)m 本格的に書き始める前に,少しだけ. 日本の教育思想は,世界に比べて100年は遅れているといわれます. 世界では,ルソーが「子どもという時期」の大切さに気付き,子ども時代の 権利というものを主張したのがきっかけとなり,その後, モンテッソーリやピアジェ,デューイといった人達が,子どもという存在を 科学しました.そうした研究の成果が「子どもの権利」の発見に至ったわけですが, 日本ではそうした主張は行われずに今日まで来ています. それでは日本ではどのような教育思想が盛んかというと,まず一つには, 行動主義的な教育思想ですね.これは,子どもを,どういうものに作り上げることが できるかというところから,教育を考えるわけです. 公文式を例にとると分かりやすいのですが,子どもの能力を最大限に生かす,という 点から詰め込んでいくわけです.その場合,「子どもがここまで出来る必要が あるのか」といった素朴な疑問は完全に無視されるわけです. 昔からの教育ママとよばれる学習指導?も,これにあたるとみていいのですが. もう一つは,「教育を,まず第一に社会化の過程として捉える教育学」です. この教育学(思想)は,社会的な要求(たとえば産業界に必要とされている人間像) を教育に課すわけです. たとえば,経済団体連合会(経団連)は,臨時教育審議会の後の1986年6月, 『経済・産業構造の新たな展開に適応するための雇用・人材養成問題についての報告』 において、情報化に対応すべくコンピュータ教育を必修とすること、また国際化に 対応すべく、語学において会話を重視することを要求しています. この思想は,憲法や教育基本法にある「能力に応じて」という文言を利用し, 高度経済成長のための人材開発政策の一環として,教育投資論 (教育には固有の目的がないとして、教育が時の政治や経済に従属するのは当然だ とした)を生み出しました. また,1966年には中央教育審議会から『期待される人間像』と題する要請が出されて います.その中では,「正しい愛国心」と「象徴への敬愛」が強調されていました. つまり,中教審にしても,経団連にしても,教育というものを,自分達の 都合のいい社会人を作り出すための方法として捉えていたわけです.  だが、そうした知的な訓練の連続や外部からの要請は今に始まったことでは ありません.知性への過剰な重視は、シュタイナーの時代,いやもっと昔から ありました.そうした知的なものを重視する現代の大人は,次のような問題点を 抱えているとシュタイナーは指摘します.    今日の人間は本当に人の言葉を聞くことができません.…たとえば社会主義的な  考え方をする人たち達の前で話をしますと,その人たち数十年間仲間のアジテーター  たちから聞いてきたことだけを聞き取るのです.他のことは,物理的にも聞いていな  いのです.そのことは時折素朴な言い方でこんなふうに語られます.『ドクター・シ  ュタイナーはいいこともいろいろ言うが,新しいことは全然言わない』と.人間とい  うものは耳を傾けようとするとき,あまりに柔軟さを欠いてしまっているものですか  ら,数十年来耳にたこができてしまった事柄以外はすべて耳に聞こえてこないので す.   GA294 「教育芸術1 方法論と教授法」 高橋巖訳 筑摩書房 1993年 p.68 つまり,平べったく言うと、現代人は頑固になっているのです.しかしそれは, 性格のことではありません.現代人が創造性を失って,既知の事柄の虜になっている ことを表しているのです. つまり、新しい世界観を持ち得なくなっているのです. なぜであろうか?それは、私達の学問観に目を向けてみると,はっきりしてきます. シュタイナーは現代の学校における思考=概念化の在り方について,次のように いいます.    皆さんが作り上げる概念は死んでいるのです.   …いつ死んだ概念を植え付けるのでしょうか.それは絶えず定義づけを行なうとき  です.『ライオンとは…』というような定義をして,それを暗記させる時,子どもに  死んだ概念を植えつけるのです.   GA293 「教育の基礎としての一般人間学」 高橋巖訳 筑摩書房 1993年 p.145  概念を硬直させてしまうと,私たちはそこから新しいものを受け入れることができに くくなる. 現在の学校では教授法を用いて子どもに概念を与えるわけだが,たとえば 「ライオンとは…」と学校で習った子どもは、この次に動物園でライオンを見たとき, 「あっ、学校で習ったのと同じだ!」と満足してしまい,それ以上ライオンについて じっくり観察することを拒否するかもしれない.なぜなら,目の前にあるものは,既 に自分がよく知っているものだから. そうではなくて,    子どもに概念を与える時,その概念はいつまでも初めの時のままではなく,成長  し変化を遂げるものでなければなりません.   GA293 そのような「生きた概念」の大切さを理解していない現代人は,人権問題や環境問題, 第3世界の問題などの新たな問題に対する答えを探せずにいる。なぜなら, 彼らが問題解決のために用いる,「死んだ概念」という武器は,既知の存在が 未来永劫続くことを前提としているのだから.「生きた概念」を見失った人間は, 聖書にあるような、超自然の徳というべき「信じること」「愛すること」 「希望をもつこと」が出来ないでいる.なぜなら,超自然の徳を持つためには, 因果的なものの考え方を捨てなければならないからである. 私たちが神を信じるのは.何らかの原因があるわけではない.(もっとも,ご利益主義 で神を拝む人もいるが)隣人を愛するのに理由はない.若者が将来に希望を持つのに 根拠はないのである. それと同じ意味で,自分の将来だとか,世界の未来といった問題を考えるときは, 現在を越える発想を持たねばならない.しかし現代の教育は子どもに「死んだ概念」 ばかりを与えてしまい,子どもが人類の未来を創造する能力を無視してしまっている。 といった所から,僕の論文が始まるわけですが,今読み返してみると, すごい恥ずかしいところがずいぶんありますねぇ(*^_^*;) やっぱりやめようかな.いやいや,ここまでやってしまったのだから, 最後までやってみますが, まあ,今回の内容も,教育学を学んでおられない方には慣れない言葉があったり, ぎゃくに,哲学の用語なのに,概念が曖昧なところがあると思います. そういったところで疑問があれば,どんどんコメントください. ちょっとここまでのところ,いささかとばしてやってきた感じがあるのですが, (挨拶もそこそこに,こんな文章アップするとか) これからゆっくり,シュタイナー教育の目指しているものについて 皆さんと考える機会を提供できればと思います. では,これからも宜しくお願いしますm(__)m ** BXN01172/がねっしゅ ** - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/12/17 - 04694/04695 PAG03134 はな いらっしゃいませ、ステラさん (14) 96/12/16 23:43 04672へのコメント  ステラさん、こちらこそ晴れるや亭ではお世話になりました。預言解読 村でも、あらためてよろしくお願いします。 >>あと4年のうちに、こつこつと気付いた人からやれることをやっていく。 >>私としては、ツケを払うという事を、痛い目にあうというより、こんな風に考 >>えたいです。  今私たちにできることと言えば、それぞれの人がおのおの気づいたと ころからこつこつツケを返していくのがよいのでしょうが、そうもうか うかとしていられない気もします。そう思うのは、天地が「うぉ〜りゃ ぁ」とばかりに荒療治を施すかもしれないからです。ステラさんは日月 神示をご存じでしょうか。日月神示には日本の行く末を憂う予言がたく さん記されており、日本にカツを入れる予言もまた、たくさん残されて います。  たとえば、  「日本の国が元の国ざから元の国から改造るのざから   一番つらい事になるのざぞ、覚悟はよいか。」  「政治も経済も何もかも無くなるぞ、   食べるものも一時は無くなってしまうぞ。」 と書かれているのです。こんな預言を読むと、日本を根本的に治療するには、 やっぱり荒療治が必要なところまできているのかな、と考えてしまいます。 (なお、本発言はこれまでツケについてご意見をお寄せいただいた維/YUI  さん、星見さん、YUKOさん、アマデウスさん(以上発言順)宛とさせていた  だきます)                        はな 04691/04695 PAG03134 はな 八卦について 〜陰陽道から〜 (5) (14) 96/12/16 23:18 04645へのコメント  「割れた亀甲の文字を読むに必要な目は、1、5、6、8、13」                  (95/10/17 ハローメッセージ)         *     *     *     *  前回は易経の1番目の卦である「乾為天(けんいてん)」から、亀甲の 目を読んでみた。乾為天とは物事が満ち満ちている状態であり、物事が陽 として、つまり、表に出て際だっている状態を表していた。  そして、乾為天の卦を日向族が表に出ている状態になぞらえ、日向が封 印の力に依存して表に出ている状態は長くつづかないことを示した。なぜ ならば陰陽道の思想には、「物、極まれば必ず反す」とあるからだ。おみ くじの大吉と大凶は表裏一体であるというのも、易思想からきているのだ ろう。  日月神示には、「スサノオの大神様も篤く祀りてくれよ、この神様には 毎夜毎日お詫びせねばならんのざぞ。この世の罪穢(けがれ)負われて陰 から守護されて御座(ござ)る尊い御神様ぞ」とあり、陰からスサノオが 我が国を支えてきたことが記されている。  そして、スサノオが陰から陽に反転したのは、アリオンのタタラ・アタ タラのハローが出された時点で成立している。  以上が、これまでの流れのまとめである。         *     *     *     * ●易経の5番目の卦(カ)「需(じゅ)」  「1:乾為天」の次に亀甲に必要な目は「5」である。64卦で5番目 の卦は「水天需(すいてんじゅ)」である。水天需には「待つ、待機」の 意味がある。    「5:水天需(すいてんじゅ)」の卦          _ _            ___  (水)          _ _          上が水、下が天なので          ___          水天需と呼ばれる          ___  (天)          ___    待つのは出雲族が陽として表に顕現する出番を待ち望んでいる状態であ る。したがって、「5」ではまだ反転は起こっていない。  スサノオが陰から日本を見守っている姿を、易経の需の説明と照らし合 わせると、スサノオが隠忍自重している姿がありありと浮かび上がってく る。では易経の水天需の説明を読んでみよう。   「需」は須、待つことである。危険が前に控えているのだ。剛健   な者もしばらく時を待ち、決して暴走しない。それゆえ危険に陥   ることはなく、進退きわまることもない。   「需」の卦は、誠実さがあふれ、やがて大いに伸び栄える形であ   る。揺るがぬ意思を保てば、吉を得る。                    (易経 徳間書店より引用)  待つについては、アリオンのハローもあった。   「邂逅。近き時を松の枝に輝き待つ。宵闇か薄暮か‥愛と哀」           ~~ ~~~~  水天需の卦は需であり、これに上のハローの「邂逅」と結びつけると、 より一層、出雲族が次第に表に顕現しようとする「待ち」の状態が明確 になる。  また、需とは須であり、須とは待つ意味を持っている。スサノオの由 来は「須佐の男(すさのお)」からではないかともされている。この須 佐に需であり、待つ意味をもつ「須」の文字が含まれているのは、興味 深い。                       はな 04692/04695 PAG03134 はな 八卦について 〜陰陽道から〜 (6) (14) 96/12/16 23:18 04645へのコメント  64卦の6番目の卦「天水訟(てんすいしょう)」に話を移そう。5か ら6への移行は「反転」がキーワードになる。水天需の卦が「水」を上 部に、下部に「天」を持っていたのに対し、「6:天水訟(てんすいし ょう)」とは、上に天を、下に水を持っており、天と水が反転している。 {図1参照}  反転は、タタラ・アタタラの時に生じているから、水天需と天水訟は タタラ・アタタラの作用が生じる前と後の卦といってよい。 {図1:水天需と天水訟}    「5:水天需」の卦          「6:天水訟」の卦      _ _                 ___      ___  (水)            ___  (天)      _ _   →→→ 水と天 →→→   ___      ___       が反転       _ _      ___  (天)  している      ___  (水)      ___                 _ _  水天需と天水訟で天と水がひっくり返っているとはどういう意味があ るのか、もう少し探ってみる。すると、「5:水天需」では天が下に位 置していたのに対し、「6:天水訟」では天がひっくり返って上に位置 している。これは、日向をベースにした世から出雲を基盤にした世への 転換を意味すると私はとらえた。  なぜならば、易では下の要素を基盤に上の要素が立脚しているととら え、水天需であれば、天が下にあり、天を基盤に水が立脚することにな るからだ。  陽が「___」3本から構成された「1:乾為天」は天を構成する要 素として、上も下も「天」であり、いわば「日向だらけ」の卦であった。  水天需は「天」を下に置き、日向をを基盤にしている卦と読める。ま だ日向の基盤の上に出雲が乗っており、これではまだ、史実にそぐわな い。あくまで出雲族を基盤として日向族が出雲族に彩りをあたえなけれ ばならないからだ。  出雲が基盤になるためには、「6:天水訟」のように、天と水がひっ くりかえってこそ成立するのである。  「5:水天需」から「6:天水訟」への反転は、日向=「(これまで) 天(を掌握していた者)」の等式が崩れ、まことに陰なる者であるスサ ノオらが陽に転じたことを表していると考えられる。                       はな 04695/04695 GBG02043 維/YUI 忘れた頃に、気になる… (14) 96/12/17 01:28 04049へのコメント 今年の5月27日付で、CHARANさんがARIONメッセージをUPしてくださいました。 先日のRTの時に、ふと思い出しました。 メッセージは、IからUまでのアルファベットごとに、数行の文章が書いてあり、 最後には、X、XX、XXXの3つの数行から成る章があります。 そのうちのSとTが気になっています。 ☆ S パピエ・トッシュの方法を誰にも ☆   教えてはならない ★ T グラン・コリドールを通ってゆく人々よ ★   その方角に泉はなく、あるのはただ ★   奈落への穴だけだ ☆の方は、まるっきり???なんです。 昨日少し思いついた★の方について。 このTの章を読んだ第一印象で、本筋だとされている道は、本来たどるべき道では なく、さらに闇の奥底に迷い込むことになる、と読みました。 グラン・コリドールっていうのは、外国語だと思われますので、多分「大回廊」と でもいうのか、「王道」というようなもの、一般的にそこを通るのがあたりまえと されているような道、方法、生き方、ではないかと思いました。 泉は、命の水を生み出すところ。生きる智恵、生きる活力、乾いた喉(心)を潤す ことのできるものが、わき出るところです。 「誰もが信じて疑わないようなメインストリート(生き方)を進んでも、そこには 求めていた幸せなどはなく、さらに心がすさんでいくような事がおきていく暗黒の 世の中を彷徨うことになる。」 心がすさむだけならまだしも、ニュアンスとしては、虚ろな躯と化した人々が 先の見えない暗い穴に吸い込まれていくような感じ。 で、昨日は「グラン・コリドール」をいろいろいじってみました。 愚乱・狐狸道 (昔の暴走族みたいね、全部漢字に直してみるなんて ^^;) ・愚行が入り乱れ、狐と狸の化かし合いのように、お互いを騙し合うような人間関係  で、成り立っている世の中。  RTが終わった頃に、ちょっと話にのぼったことなのですが、 「神々の指紋」の世界的な大ヒットですが、最近になって、あの本に意義をとなえる本 が出たとTVでやっていました。 このところ、あちこちで時々気になっているのですが、「こぞって絶賛!」の後に、 「実は…とんでもないシロモノ!」っていうパターン、目に付きませんか? 話題になった「猿岩石」も、そうだし。 実際、まがい物を本物として、騙していることは、それとして問題ですが、そこの ところは、とりあえずおいといて。 神々の指紋について私は、事実と違うこともあるだろう、が、総てがまったくの作り話 ではない、と捉えています。読み物として、結構おもしろいし。 総てが本当はないけれど、本当のカケラがそこにはあるとは、思える。 ところが、それがわぁっと広まりピークを過ぎた辺りで、「そんなもん、偽モンだ」と して、今度はそれを「え?そうだったのか」と、またまた鵜呑みにする。 そんなに人間もバカじゃないですから、自分で考えているうちは、それなりな判断が できるものではないかとおもいますけれど。 そんなこんなが、何度か繰り返されていると、たとえば「神々の指紋」に昔の埋もれ、 忘れ去られた歴史を掘り出すヒントとなることがらにも、人々は感心を持たなくなり、 せっかく本当の歴史が復活しようとしても、それを支えるヒトの力が及ばないことに なり、事実を目の辺りにしても、以前の事実ではないことがまかり通ってしまうよう になってしまうのでは、と心配になりました。 「猿岩石」についても、TV局もウソをつく必要はなかったけれど、私は 「猿岩石」が体験したことは、やっぱりあの人達の心の財産になっているのでは ないかと思うし、それを周りがとやかく批評していることの方が妙だと思うのです。 私も何回か、彼らの度の様子をTVで観ましたが、TVカメラが入っていると いうことは、演出は少なからずバラエティ番組なりにあると思ったし、大体、世の中の 情勢を少しでも知っていれば、国境を越えることなど危険きわまりないことであると いうことなど、分かるもんだと思うのです。 実際、私でさえ「全部は歩いて越えられ ないよなぁ」って思っていたくらいだから。  と、話がずれてますが、ここのフォーラムでは、当初から何度か話されていたこと なので、いまさら…だけど。 巷に溢れている情報は、玉石混合。 聞かされるままに、「マスコミがこう言っていたから」というようなことをすぐさま 自分の意見にしてしまいがちな今の世の中の流れは、すごくコワイです。 みんなが知っていることが必ずしも真実とは限らない。 流される情報に踊らされて、あっちこっち、ふらふらと彷徨ったあげくに、 何が本当なのか、何を信じればいいのかを判断できず、思考停止状態になって しまったら…。 その空虚な状態の時に、心地よい言葉で洗脳があったら。。。 そういうことも警告したメッセージだったのかなと、グラン・コリドールの章 を読み返したのでした。 維/YUI - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/12/17 - 01203/01203 XLB04022 大愛    RE^3:SMILE (19) 96/12/17 10:32 01201へのコメント 猫の手 さん、こんにちは。 パンドラの箱の例えがありますが、一体いつから、この地球に利己心や憎悪や妬 み猜みなどが居ついたのでしょうか? 知恵者、ルシファーが持ち込んだのでし ょうか? 人は皆、生まれたときは、超能力者であり、純粋であり、神なので す。それが、多くのサタンの誘惑に、まんまと屈し、回りの大人たちと同様の 「普通の地球人」になってしまうのですね。私もそうです。サタンの誘惑は、と ても魅力的です。よほどの精神力がない限り、この誘惑には勝てません。今の私 は、多分、最低のところにいます。でも、気楽に、焦らず、少しづつ登っていこ うと思っています。悪魔の誘惑は、所詮、真理ではありません。真理の素晴らし さに気付いたときは、もう、どんな誘惑にも屈することはないでしょう。       96/12/17(火) 大愛(XLB04022)