言い終わると天使は剣を左手に持ち、すっくと立ち上がった。 - FARION MES( 5):**/////*/////*/////*/////*/////*/////** 96/12/28 - 01740/01748 QZE03111 こむ 良いとこ探し ( 5) 96/12/25 00:36  嫌いなやつを好きになる努力なんてしない。  そんな暇があるなら、好きなやつをもっともっと好きになる。  でも、嫌いなやつを嫌い続けることもしない。明日は好きになるかもしれな い。  なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのか考えてみてもいいが、理由がわかったから って、べつにどうってことはない。  できもしないのに、嫌いなやつの良いとこ探しなんかしないほうがいい。ス トレスがたまるだけだ。嫌いなやつのことは適度に嫌っておけばいいのだ。嫌 いすぎると、これまたストレスになるだけだけど。     *****こむ より***** - FARION MES( 6):ハロー・メッセージ ★ 今日のハロー・メッセージから 96/12/28 - 02093/02110 GBG02043 維/YUI RE:【テーマ別HM】林檎 ( 6) 96/12/25 10:53 02091へのコメント コメント数:1 こんばんわ、しまうまさん。 私が最近の林檎のハローメッセージを読んで、思い出しているのは 以前に読んだ、その実を食したのなら、せめて種は土に返すようにといった様な 内容の文章です。 智恵の実=林檎を食した人は、その智恵を使って大地に還元できる事ごとを行えと いうような感じです。けれど、実際は欲のために悪用して、それは大地の為には ならず、また自らの魂の望まぬ方向へといざなう何かしらの力に荷担することに なっているのが、現状っていうことでしょうか。 96/12/24(火) 23:37 維/YUI(GBG02043) 02097/02110 KFQ02761 しまうま RE^2:【テーマ別HM】林檎 ( 6) 96/12/26 21:38 02093へのコメント #02093 維/YUIさん  こんにちは〜(^^)。 |私が最近の林檎のハローメッセージを読んで、思い出しているのは |以前に読んだ、その実を食したのなら、せめて種は土に返すようにといった様な |内容の文章です。  ああ、はいはい、そういうメッセージもありましたね(^^)。  調べてみると、『光の黙示録』の中の「詩的メッセージ」24に、   III   果実を食してしまったなら せめて種子を地に戻せ  というのがありました。  ここで言われている「地」とは、祖土(オヤツチ)のことかもしれませんね。  気になるのは「せめて」という言葉です。「…なら、せめて〜せよ」という 言い方には、「…という(よくないことを)してしまったなら、やむを得ない (もう取り返しがつかない)から、せめて〜でもやって(罪滅ぼしをして)お きなさい」というようなニュアンスがあります。ということは、ここで言われ ている果実(林檎のこと?)は、「できれば食べないほうがいいもの」である ようですね。  もう一つ、『光の黙示録』に、「果実」関連のメッセージがありました。 「詩的メッセージ」2の、   七、   果実の肉を食してはならない        種子を袋に収めよ  というもので、ここではストレートに「果実の肉を食してはならない」と書 かれています。ただし、こちらでは「せめて種子を地に戻せ」ではなく、「種 子を袋に収めよ」となっています。「(食したならせめて)種子を袋に収めよ」 という意味かな?とも思いましたが、どうも違う気がします。なんとなく。  「果実の肉を食すと、一緒に種子まで食べてしまうから、ダメだよ。果肉を 食べずに、その中から種子をほじくり出して、袋に収めなさい」とか、そうい う意味かな?などと想像しました。その行為が何を意味するのか、よくわかり ませんが(^^;。 |あなたがたの意図しない者に、あなたがたの果実を与えるのは |これは、罪に等しい行いなのだ。 |あなたがたの果実は、あなたがたの手の中で熟し、 |あなたがたの身体に溶け、そしてその種をこの土地に帰すことを |願い、望んでいるのだ。  一方で、こういうメッセージもあります(92年5月7日、ARIONの発 言より)。  ここでは、果実は食べて血肉にすることが望まれているようですね。  「果実」は1種類ではなく、いくつか種類があるのかなあ? 食べていいヤ ツと、悪いヤツと。 |95/04/05 皮を食す果実と食さない果実がある‥然し果実の存在意味は同じ  このHMでは、「皮を食す果実」と「食さない果実」の2種類が出てきてい ますね。林檎は、一般的には「皮を食さない果実」です(たぶん)。「皮を食 す果実」というと、なんでしょうね。……と、考えてみたけど、ぜんぜん思い 当たりません。イチゴは皮を剥かずに食べるけど、あれはもともと「皮がない」 んだから、「皮を食さない」ほうに入りそう。メロンやスイカは論外だし、バ ナナやミカンも無理。キウイもライチもまずそう。パパイヤもマンゴーも(よ くしらんけど)皮は食べないでしょう、皮は。  と考えてみると、もしかして林檎って、ほとんど唯一「皮を食す果実」なん だろうか。よく似たタイプの果実にナシがあるけど、あれを皮ごと食べるって 人はあまり聞かない。皮がありながら、皮ごと食べる「林檎」って、もしかし てけっこう特殊な存在なのかも。  他に「皮はあるけど果肉と一緒に食べてしまうのもアリ」的な果実があった ら、教えてくださいm(__)m>維/YUIさん&ALL。  HM中に出てくる「果実」としては、上記以外にこんなのがありました。 |93/10/28 夢は食した果実の後に…ざわめきはざわめきとして楽しみなさい |94/05/06 皿の上の果実は食するに値しない、川辺の賛歌は火をもて凍る |94/06/06 龍の吐息は道筋となり、その咆哮は果実を生む…百鬼夜行は進む  うーん、どれもようわかりませんわ(^^;。 しまうま(KFQ02761) 02105/02110 VFG01465 ばかまま RE:【テーマ別HM】林檎 ( 6) 96/12/27 07:29 02091へのコメント  こんにちわ しまうまさん  「林檎の実から成る智慧」についてですが、  >>034/999 MHD02502 ARION ARIONより心ある者たちへ >>( 7) 92/05/07 05:25 >>私は、まことにあなたがたに言おう。 >>あなたがたの夢は、あなたがたの手の中にあると。 >>あなたがた、この国に生まれ集う者たちよ、 >>よくお聞きなさい。 >> >>あなたがたの意図しない者に、あなたがたの果実を与えるのは >>これは、罪に等しい行いなのだ。 >>あなたがたの果実は、あなたがたの手の中で熟し、 >>あなたがたの身体に溶け、そしてその種をこの土地に帰すことを >>願い、望んでいるのだ。  上記の発言は抜粋したものですが、この発言と、  「アーリオーン・メッセージ」(本です>ご存じない方に)を合わせて  読んでみると(熟読にはほど遠いが)、この日本の土地を目指してきた  者達が、「林檎」もしくは「林檎と表されている何か」を持ってきたのに  それが活かされず、表面上だけの「活用」に終わってしまったから、  再度、「林檎」もしくは「林檎と表されている何か」を手にした私達  は、それが自分の手の中にあることに気づき、「熟し」「取り入れ」  それを、日本という国、日本という国に集う人たちに還元していく事  を、望んでいるのかなと思ったりします。     ところで、「林檎」にこだわってみるなら、こんなものはどうでしょう。  「林檎」の原産地が、中央アジアであり、日本を目指してやってきた  アマ族も中央アジア南東部のパミール高原から旅立ったそうだという  ことから、実際に林檎(林檎の元の種なのかもしれませんが)を荷物  に詰め込んできたのかもしれないということ。    もうひとつ、「林檎」は(りゅうごう)とも読み、りゅうごうとは  立后とも書き換えられ、「正式に皇后を立てる」という意味だそうなので、  96/12/14のハローメッセージ に当てはめてみて   「林檎(アマテラス)の実(三)から成る智慧を与えた」とも読めます。  「アーリオーン・メッセージ」はお正月休みの宿題ね。 の ばかまま 02086/02110 VFG01465 ばかまま 961220-22 の ハローメッセージ ( 6) 96/12/24 18:44 >>961220天使の話を聞いていた焚き火民達はそれぞれに何かを言おうとした >>961221「言いたい事は沢山あるだろう、だが今は待て」と天使は言った >>961222「暫しの間、巡りゆく思いを離れて自分を振り返りなさい」  天使に向かって言おうとしたのでしょうね。そして、天使がそれを制止した。     光の黙示録から抜粋  -----------------------------------------------------------------  <19>  回せ 回せよ 回転灯籠  巡り 巡る 炎の輪  まことに移ろい易きは 人の心  この日をもって 心と別れよ  愛の炎だけを武器として戦え  戦うのは 全ての人々 全ての自己  最後に残るは 自己 己れ  自己と戦い 勝ったとき  カリマホロバ マホロバとなり  輪廻の鎖は解かれる    (以下 略)   ----------------------------------------------------------------------  最近、「愛」ってなんだろうなと考えていたのですが、カスタネダ会議室での  読書日記を書き終えて、終盤に「最高の呪術師 ドン・ヘナロ」が地球という  大地を愛し、大地から愛されている場面を読んで、「なるほど」と思いました。  言葉で表現するのは「野暮」というものですからしません。  人の心は、その肉体を持つが故に、なかなか思い通りにはなってくれません。  肉体には欲が備わっているので、それを無視するわけにもいきません。  しかし、そういう肉体から来る欲を含めて、重く固い心と決別して、「自由」  (英語で言うところのfreeではないし、日本語で言うところの勝手でもない)  になることを、相当の覚悟を持ってやり遂げなさい。と言いたいのでしょう。  そして、輪廻の鎖を解かれたら、「わたし」は「わたし」と呼べないものに  分散していくようですね・・・(「カスタネダ」入っています。)  鎖の跡のついた女がARIONの言葉に何度か登場しましたが、鎖は輪廻の鎖  を意味し、それを解かれた女は「愛」と書かれた短剣を携えていたようです。  「愛」をもってして、「輪廻」の鎖から解き放たれると言いたいのでしょう。  話しを戻しますね。  なぜ、今は待ち、暫しの間、自分を振り返るのか?  こんな言葉があります。  ---------------------------------------------------------------------  まて‐しばし【待て暫し】  1 「しばらく待っていよ」と命ずる語。   2 自ら省みて自分の行動を差し控える際にいう語。   3 〔動〕ミノカサゴの別称。  ---------------------------------------------------------------------  みの‐かさご【蓑笠子】  カサゴ科の海産の硬骨魚。カサゴに似ているが、背びれ・胸びれは非常に長く、  体色は美しい。背びれのとげには毒腺があり、刺されると甚だ痛い。南日本産。  食用。マテシバシ。  ---------------------------------------------------------------------  お魚さんの名前だったというのは驚きですが、まぁ、それは置いておいて。  「よく考えもせずにものを言うのではない」ということではないと思う。  今、自分の中にわき上がってきた気持ちがあるのなら、それを見るのは自分  しか出来ないことだから、そのまま出すのか、止めるのか、自分で決めなさい  ということだ。  そして、また、言うべき相手は、いつまでも「天使」であってはならない。  人は人と、言葉と心を通わせる必要がある。人間になるのだから。  天使が「暫し語らうため」に天使の庭に出てきてから、一年が経つ。 >>95/12/25 天使は、暫しの間焚き火の明りと共に民と語らう為、屋外に出た  暫しが一年になったのは、大変長い期間だったと思うが、夜も明けること  だし、天使もこの場を去るのでしょう。私たちは、天使の「暫し」の期間  ぐらいは、たっぷりと時間をかけて、自分を振り返る必要があるようです。  そして、それは、人間同士が話し合っていくことが望ましく、天使の行動を  「待っては、答える。聞いては、答える。」というパターンから脱していか  なければならないということも知らなければなりませんね。 02087/02110 VFG01465 ばかまま 961224 の ハローメッセージ ( 6) 96/12/24 18:44 コメント数:1 >>焚き火民達は自分の手を見た、そこには今まで無かった林檎の実が  リンゴの一品種に「紅玉」というものがあるそうだ。  表皮は真紅で果肉は薄クリーム色。  この「紅玉」のはルビーの訳語になるという。  ---------------------------------------------------------------  ルビー【ruby】  鋼玉(コウギヨク)の一変種。紅色を帯びた透明または透明に近い宝石。  ビルマに主産。紅玉。  ---------------------------------------------------------------   「広辞苑 第四版 CD−ROM(カラー)版」岩波書店 参照     松(そのうろこの形から龍と解釈、龍は日本ね。)の枝にとまっていた  らしいふくろうは、ルビーの指輪を持っていた。     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  四、月明りのふくろうは その爪にルビーの指輪を    三番目の羽根は切り取るべし    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   「月明りのふくろう」は「デビアス」のシンボルではないか、  と93/08/13にHVHYさんは類推した。  私にはこの「デビアス」というものがよくわからないが、過去ログを読むと  強力な「敵」であるらしい。その「敵」がルビーを持っていたのではない。  ルビーのついた、「輪」を持っていたのだ。 >>95/06/03 夜の枝々を渡る風は梟の嘴を避けた‥既に梟の爪にルビーは無い  梟という姿の「敵」は、その「輪」だけを今は持ち、肝心の  ルビーは持っていないという。使い果たしたのか、取られたのか。    光の黙示録<26>に「闇からの使者 輪を持ちて炎を誤りに使う」とある。  輪を持って、炎(ルビー?)を誤りに使った結果、無くなってしまったのか。     しかし、今、焚き火民達は、その手に林檎(ルビー)を持っている。  これを離しては成らない。焚き火民、私たちの手に再び与えられた、この  林檎を手放しては、祖の二の舞になる。いくら、ここが舞台だとはいえ  二の舞はしたくない。私たちは、私たちの手の中で、この林檎を抱え  活かしていかなければならない。私たちの舞を舞うのだ。  きっと、林檎の実は生まれたての胎児のように瑞々しいはずだ。  今、私の手の中に何があるかなと見てみると、何もない。  (手を見ている母を哀れに思ったのか、娘がビスケットをくれたが)  「智慧」が見えるわけはないと、自分を慰めつつ・・・。 02090/02110 KFQ02761 しまうま 林檎と紅玉 ( 6) 96/12/24 23:21 02087へのコメント コメント数:1 #02087 ばかままさん  こんにちは(^^)。  今更ながら、林檎とルビーについて、シンボル辞典を引いてみました。  以下、HMと関係がありそうな項目の抜粋です。 【林檎】(apple) ◎大地、(球状の)全体性、この世の物質的欲望と歓喜一般。  ・林檎の木は人間の幸福、生きる喜びを表す。  ・ヘブライ-キリスト教の楽園と関連する。  ・ヘスペリデス(黄昏の娘たち)の林檎はとりわけ喜びを意味し、大地と関 連があった。そしてこの林檎はヘラ(神々の女王)への結婚の贈り物で、ヘ ラはその林檎を黄泉の国の竜に守らせた。 ◎不死。  ・イブは「知恵」によってアダムを永遠に生きるものにしようとして林檎を 与えたのである。 ◎罪悪。  ・林檎は中世では肉欲の罪を表した。林檎はラテン語でmalumと言い、悪をma lusという。また中世では聖母マリアが手にしている林檎、またはマリアが抱 いているキリストが手に持つ林檎は征服された悪を象徴する。 ◎春の先触れ、開始。  林檎は「新しいアダム」としてのイエスを表し、贖罪+救い、天国の再開、 永遠の生の印となる。 ◎秋、終わり、死(罪)、完結。  ・「不死」を表す林檎をもいで与えることは、即、「死」を意味することに なる。  ・聖書では、エデンの園における不幸な事件のためにこの世に死が現れたと されている。 ◎知恵。  ・知恵と認識を与えるために、イブはアダムに林檎を与えた。エデンの園に は「知恵」の蛇もいた。ヘスペリデスも林檎を訪問者に送り、知恵を与えた。 そこには冥界の知恵の竜がいた。 ◎その他  ・林檎畑は神のいるところ(中世ユダヤ神教の教典Zohar)。  ・林檎はヘスペリデスの園では星だと言われている。  ここで出てくる「ヘスペリデス」とは、「アトラスとヘスペリデスの娘たち」 のことであり、西方の死者たちの住む『至福の島』にある庭園に住んでいて、 ここには(死および不死の)金の林檎がなる木があり、竜が守っているそうで す。……そう聞いてもやっぱりよくわかりませんが(^^;。  しかし、林檎が象徴するものとして、「開始」と「終わり」の両方があった とは知りませなんだ。かつてのHM、 |95/08/23 始まりは終わりと似ている‥終わりだと勘違いする事の無い様に |95/11/28 くくりは始まり、始まりは終り、終りは誕生…そして蘇生の時  なんかとも、関連が出てくるかもしれませんね。例えば、焚き火の民たちが、 天使から林檎(智慧)を授かって、「これでもうオレ達も大丈夫だ」と安堵し てしまっては、単なる「終わり」になってしまいますね。実際には、林檎を手 にしたここからこそが「始まり」なのでしょう。  もう一つ、ルビーも調べてみました。 【ルビー】(ruby)  ・慈悲、愛、熱情、美、光、優雅、幸福、無分別などを表す。  ・エジプトではファラオの(蛇の形の)笏に填め込まれたことから、、威厳、 (神の)力、王位を表す。  ・神の愛を表す。地上で正しい支配者であったもののように祝福された魂は、 木星天ではルビーのように見える。  だそうです。こちらはあまりピンとくるものが見つかりませんでした。  あと、シンボル辞典に「紅玉」という項目もあったので、引いてみました。 【深紅のザクロ石、紅玉】(carbuncle)  ・この石は、夜(衣服さえも通して)光る。反射光ではなく、石自体が光を 放つ。  ・8本のユリの花(すなわち十字とX形十字とでできる8本の輻(ヤ))と轂(コ シキ)からなる盾の中央部をcarbuncleという。  ・太陽のシンボルで幸福を表す。  ・イスラエル人の慰めのために、紅玉の門が作られる(『イザヤ』54,12)。  ・セラピム(炎の蛇)と関連する。  ・5個の紅玉はキリストの5カ所の聖痕を表す。  ・普遍、自信、精力、力、慈愛を表す。  うーん、こちらもわかるようなわからんような(^^;。 しまうま(KFQ02761) 02104/02110 VFG01465 ばかまま RE:林檎と紅玉 ( 6) 96/12/27 07:29 02090へのコメント  こんにちわ しまうまさん   >> なんかとも、関連が出てくるかもしれませんね。例えば、焚き火の民たちが、 >>天使から林檎(智慧)を授かって、「これでもうオレ達も大丈夫だ」と安堵し >>てしまっては、単なる「終わり」になってしまいますね。実際には、林檎を手 >>にしたここからこそが「始まり」なのでしょう。  智慧は、たぶん「智恵」「知恵」とは違うものでしょうね。  これは、辞書の意味に厳密につきあわせて考えたのではなくて  そう感じるのですが。    こう、「夕焼けがきれいだと、明日の天気は・・・」というような  ものとは違って、人間の手に余るような壮大な仕組みというか、  プロジェクトというか、まぁそんな得体の知れないもののことで、  それは、私たちの体の中に、心の中に「昔からあったもの」のはず  ですが、すでにほとんど無くなりかけているものではないかなと。    知恵なら使いこなせますが、智慧となると、こねくり回せるもの  ではない。だから、それは「活かす」のか「悪利用するに留まる」か  ぐらいにしか人間は手出しできないのかも。    もっと、古代人に近い人間だったら、手出しもしやすいのでしょうが  そういう身体ではなくなっている現代人が、いきなり深入りすると  身を滅ぼしかねないほどの強力な力があるのでしょう。    今回は、「未知の次元」と「「アーリオーン・メッセージ」」の両方  が入ってまーーす。 02094/02110 VFG01465 ばかまま RE:射きる ( 6) 96/12/26 01:05 02071へのコメント コメント数:2  こんにちわ 亀レス・・・ですかね。ごめんなさい。   >> イメージ・シンボル辞典(埃かぶってます)で松の項を調べると……、  にゃ、にゃんともったいないのだ。  でも、CDなら良かったのにね。それなら、私買ってしまうかも。   >> その他、「勝利」「船舶」「悲嘆・忍耐・憐れみ」「哲学」「陰気さ」「刑 >>罰」などの意味がありました。相反する意味が混同しているのが、おもしろい >>ですね。どっちに解釈していいのかわからんじゃないかー!  クスクス。何となく、しまうまさんのお気持ちを察して笑ってしまいます。  維/YUIさんの方が、お詳しいと思うのですが、タロットの話しに  置き換えてみてもいいですか?   ひとつのカードには、「正位置」での意味、「逆位置」での意味がそれぞれ  あって、正反対のものばかりと言い切れないのですが、随分意味が違います。  その「正位置」の意味もひとつではなく、いろいろな言葉で示されています。    それらを羅列しただけでは、占い師さんとは言えません。  流れとか、そのカードが出てきた位置とそのカードの意味を合わせて、  後は直感なのかな、それらで判断していくようですよ。  私が、何年も前にしていた頃は、そうしていました。もちろんアマチュアです。    幸いなことに、ハローメッセージ の歴史は何年もあり、他の会議室での発言もある  ので、それらを何とか並べてみる作業のうちに、「間違っているかも  しれないけど、私には、この意味しか見えてこない。この意味ならすっきり  と筋が通る」と思える「結果」が、毎日のハローメッセージ の私の発言です。  最近・・・骨のあるハローメッセージ ばかりなので、「わー!!頭がぐちゃぐちゃ」  と思うことも多いのですが、ふっと、筋が通る解釈が自分の中で見えてくると  「これよね?これしか私にはわからないから、これでいっちゃえ」という  情けない状態におちいってます。    あのー、頭の中にわき起こるいろいろなイメージとか、資料などを  わかりやすく、見渡すように、ページを繰るようなソフトはないものかと  お店で見てみるのですが、良さそうな物はさすがに高いですね。  今は、いろいろ工夫してやってます。  以上、単なる雑談でした。 02095/02110 GBG02043 維/YUI RE^2:射きる ( 6) 96/12/26 11:52 02094へのコメント コメント数:1 >>維/YUIさんの方が、お詳しいと思うのですが、タロットの話しに >>置き換えてみてもいいですか? それを言うなら、めのうさんでしょう。 >>最近・・・骨のあるハローメッセージ ばかりなので、「わー!!頭がぐちゃぐちゃ」 >>と思うことも多いのですが、ふっと、筋が通る解釈が自分の中で見えてくると >>「これよね?これしか私にはわからないから、これでいっちゃえ」という >>情けない状態におちいってます。 情けなくない!情けなくない!ぜーんぜん、情けなくないってば! ひとりひとりの、「これしか私にはわからないから、これで」が、集まって 場としても実を結ぶんではないでしょか???ばかままさんみたいに、書き込みを してくれる人々の意見が、それぞれどこかでお互いに繋がりを持ち、それが網の目 のように広がって、また1つの大きな意味合いを持ってくるのだと思うのですが。 ねぇ、お願いなんですけれど、たま〜にでいいから、14番にも来てよぉ! (ROMしている人達も、ひらめくことがあったら、思うことがあったら、ちょこっと でも、それを書いてみましょうよ!!!ねっ!!! 読んでいるだけよりか、おもしろ いよ、絶対!) 96/12/26(木) 11:42 維/YUI(GBG02043) 02107/02110 KFQ02761 しまうま RE^2:ミトラ教 ( 6) 96/12/27 22:17 02103へのコメント #02103 KAZEさん  こんにちは〜。  昨日13番の過去ログをちらちら見ていたら、「ミトラ神」という言葉が出 ていたので、「さすが、KAZEさんはご存じなんだなー」と思ってました。で、 今日未明にアクセスしてみたら、KAZEさんが色々な情報を寄せてくださってい たので、嬉しい驚きでした(^^)。  「神の意志をもっともよく知る者であり、あらゆる場所に自らの姿を投影し て人間や天使たちを導く教師にして救世主」「キリスト教やイスラームにも伝 えられ、聖霊あるいはアル−マフディーと呼ばれて、それぞれの神智学の中で 今も重要な地位を占めている」とは、うーむ、ミトラ神って、今までぜんぜん 知りませんでしたが、実はすごく偉大な存在なんですね。  そういうミトラ神を崇拝する宗教が「ミトラ教」ですか。そのミトラ教で 「松」と太陽が関連づけられている、ということは、ミトラ教ではけっこう 「聖なる木」なのかもしれませんね>松。  HMには、「松明」という言葉も何度か出てきています。  「松」が太陽の象徴だとすると、「松明」とは「太陽の明け」すなわち「夜 明け」を表すのかもしれないなあ、とも思いました。 |94/09/20 さて、準備は宜しいかな? 生命(イノチ)の松明に火が点る時が近い  そう思うと、特にこのHMは、「夜明け」に対する準備の有無を問うている ように感じました。焚き火の民は、あるいは僕たちは、「夜明け」への準備が できているんだろうか? 心の中の全てが白昼にさらされてもいいように、心 の大掃除(?)はできているか?  ……そう考えると、上辺だけを取り繕ってどうこうしよう、というのは、も う本当に通用しなくなるんだなあ、と思いました。  ご紹介していただいた本、大きい本屋に寄ったときに、探してみます。しか し、『ミトラ神学/古代ミトラ神学から現代神智学へ』の4600円という値 段には、ちょっと購入に二の足を踏んでしまいますね(^^;。とりあえず、探し てみようと思います  どうもありがとうございました(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02106/02110 GBG02043 維/YUI RE:ミトラ教 ( 6) 96/12/27 15:45 02102へのコメント ども、しまうまさん。KAZEさんが、詳しい話をしてくれましたね>ミトラ神 来年になったら図書館に行ってみてみようかな…。 すっごいゴミなんですけど、14番的なゴミで ^^; ミトラ → 見虎 、ミトラス → 見虎主  ミトラス神 → 看取らす神 → 月におわして、地球のことごとを見ている神様が                 いたような気が… 夜の明かりっていえば、月明かりと松明ですよね、やっぱ。 わけわかめな書き込みで、失礼しました。 m(_ _;)m 96/12/27(金) 02:25 維/YUI(GBG02043) 02100/02110 KFQ02761 しまうま 焚き火について ( 6) 96/12/27 00:15  『光の黙示録』の「詩的メッセージ」2の中に、「焚き火」と関係ありそう なのがあったので、ご紹介します。  二四、 流れを滞らせるな      木々を拾い集め 小石を拾い集め      小さな火をおこせ      望む者 全てを火の回りに立たせよ      望む者 全てを宴に招け  「望む者」ということで言えば、凍えさんはどうだったんだろう? 彼は 「私は何も依頼していない」と言い、また「皆さん、私の前に焚き火を移して くれませんか」「招いてください」と言っている。これは「焚き火の回りに行 くことを望んでいる」と言えるだろうか? 僕は、これは「人に望まれて焚き 火の回りに行くことを望んでいる」態度であって、「焚き火の回りに行くこと」 をストレートに望んでいるのではないと思う。なんか、プライドが邪魔してい るのか、あるいは自らに責任がかかってくるのを恐れているのか、とにかく直 接的な態度ではないように思う。  「流れを滞らせるな」「小さな火をおこせ」という言葉から、なんとなく、 今、天使の焚き火にいる焚き火民たちが、やがては天使の焚き火から旅立って、 各々の見つけた場所で、小さな焚き火を作り始める……というストーリーを想 像しました。  今までは、「天使の焚き火」の中で、天使が作り出す流れに乗っていた焚き 火民たちが、今度は自分達一人一人が「流れ」そのものとなって、動き始める ……という感じ。 しまうま(KFQ02761) 02101/02110 KFQ02761 しまうま 12月25日のテーマRTまとめ(その1) ( 6) 96/12/27 00:16  昨日(25日)のRTにご参加くださった皆さま、どうもありがとうござい ましたm(__)m。いつもよりやや少な目の人数でしたが、充実した話し合いがで きたと思ってます(^^)。  では早速、12月6〜8日のHMについての話し合いから、まとめに入りま ーす。 しまうま(KFQ02761) ---------------------------------------------------------------------- ●見あげると夜空にひときわ輝く天狼星… ●「あなたがたは、自らの生命を学び舎として磨くこと」と天使 ●「そしてその為にこそ生命を燃やす事を忘れていないか?」 ◎「自らの生命を学び舎として磨く」「その為にこそ命を燃やす」とは、どう いう意味だと思う?  ・「自分の生命とは,成長するものであってそれを生かすかは自分だけしか 磨けない」「命を燃やすときは,一生に数回しかない。その限られた命を燃 やすにはよほどの覚悟を得られなければならない」。自分を活かすも殺すも 自分次第、ということ。  ・まず生きろ。生ききるなかで、つかみとれ。その為にこそ、命をかけよ。  ・生きることで、物事を知るべき。物事を知るために生きよ。  ・自分を再発見せよ。  ・「私自身はどうありたいと思っているのか」「そうあるために命を賭ける ことができるのか?」  ・自分の人生を黒板とすれば、肉体はチョーク、生命活動が軌跡となるんで はないかなぁ…。で、自らの生命を学び舎とは、生きていることそれ自体な んだし、命を燃やすとは真剣にと言う意味なんだと思っている。学ぶ事を忘 れた生き方はするな、と言う意味なのではないか。  ・学ぶ事を忘れた生き方とはどんな生き方?  ・虎に飼われた生き方。  ・(メッセージを読むに当たって)耳が痛いと言えば痛いんだけど、以前ほ どの辛さはない。以前だったら、叱られてると受け取ってたような気がする。 あんた、なにしてるのって。  ・私の場合「全存在をかけて」だね。命も、魂も、可能性も、ぜーんぶひっ くるめて。  ・この「人生=学び舎」という考えって、すごくいいと思う。『たとえ辛く とも「学び舎」から学ぶことを諦めないこと』というHMが、以前にもあっ た。  ・肉体をもって生きていること自体が魂の修行なんだと思っている。だから、 言葉どおりに私はHMを受け止めた。 02109/02110 MHD02672 TAO RE:本当の希望とは? ( 6) 96/12/27 22:27 02079へのコメント  #2079 しまうまさん   どうも。ううむ、しまうまさんもかなり深刻な精神的危機を迎えていた時  期があったのですね。でも若い時にそういう時期を経ておいたことは、当時  は辛かったのでしょうが、後になって肥やしになってくるものなのですよね。  私なんか今頃になって危機を迎えているような有様ですから。(_ _;)   バジャールは、私も一時はまったことがありますが(^^;、あの中に出てく  る「障害者」への言及内容がどうしても納得出来なくて、第二巻まで買って  あったのを、半年も経たない内に古本屋に売り飛ばしました(^^;。「障害者」  の問題というのは、決して本人だけの問題で無く、現実的・社会的な問題を  も孕んでいるので、本人が「ワクワクする」ことで済む筈が無い。   そう言えば、あれはアメリカからの舶来思想ですが、12番でも言及された  ように、アメリカ社会の深刻な人種差別問題については全く触れていません  ね。黒人の方々はきっとバジャールなんか鼻から馬鹿にしていたかも(爆)。   現実の社会に溢れている矛盾や不条理を解決する為には、温室育ちのよう  な柔な精神構造では立ち向かえませんね。自ら心の「向こう傷」を負う覚悟  で迎えなければならない。差別撤廃運動にたずさわって来た方々というのは、  そのような強靱な精神を持っている方が多くいらっしゃるのでしょう。私な  んか楽をしたがる方ですから、そういう運動の最前線で闘っている方々には  敬意を払ってしまうのですが、そういう自分の人生自体は怠けている。ああ。   流石にそのままでは腐ってしまうと気付いて、自分から動き出さなければ  ならないと考えるようになりました。この「自ら動く」というのが肝心なの  ですが、責務や罪悪感だけで動くだけでは、結局「自分の本意」を生きるこ  とに繋がらないばかりか、自分を活かすことも出来ないのだと思います。そ  の為にも、「自分を観る」とは「自分の本意を知る」ための一手段では無い  でしょうか。  TAO - FARION MES( 9):日本魔界巡航 ★ 神と人の関りを探る 96/12/28 - 01049/01052 MHD02672 TAO キリスト異伝(ぶっ飛びモード) ( 9) 96/12/23 23:48   間もなくクリスマスだから…という訳では無いのですが、現在シリーズで  扱っている聖徳太子が馬小屋の前で生まれたと伝えられているのは、馬小屋  で生まれたイエス・キリストの生誕説話を彷彿させますし、イエスの生い立  ちに関しては色々と怪説(?)も交わされているので、今回はいささかぶっ飛  びモードで。   原田実氏の『黄金伝説と仏陀伝 −聖伝に隠された東西交流』(人文書院)  は、キリスト教聖人の事跡を集大成した中世ヨーロッパの書物『黄金伝説』  に伝えられる説話と、仏陀伝に伝えられる説話の類似に触れて、東西文化交  流の道筋を追ったユニークな好著ですが、この中に「キリスト双子説」が登  場して来ます。   キリストの十二弟子の一人、聖トマスは「デドモ(ディデュモス)」という  別名を持っていますが、このディデュモスというのはギリシア語では「二重」  という意味があるそうです。「トマス」という言葉自体も、キリストも喋っ  たとされるアラム語では「双子」を意味し、そのギリシア語訳が「ディデュ  モス」です。   新約聖書外典の『トマス行伝』では、何とトマスの“インド伝道”を伝え  ているのですが、その第四行伝では「トマスは、イエスの双子の兄弟だ」と  されています。なお、この『トマス行伝』は翻訳も出ています(教文館刊)。   中世までのヨーロッパでは『トマスによるイエスの幼時物語』という物語  が盛んに読まれていたようで、幼少のイエスの事跡を著しているのですが、  イエスの家族の一人で無ければ知り得ないような挿話に満ちた内容で、恐ら  くトマスとイエスが「兄弟である」という伝承を背景にして成り立ったので  しょう。   さて、ここでドイツの人智学者シュタイナーが唱えた「二人のキリスト」  説が思い出されるのです。『第五福音書』(西川隆範訳/イザラ書房刊)では  「ナータン系のイエスとソロモン系のイエス、二人のイエスが存在した」と  しており、まずソロモン系のキリストにゾロアスターの自我が宿り、これは  12歳の時にナータン系のイエスに移り行ったと言います。   ゾロアスターの自我が去った後のソロモン系のイエスは死んだとされます  ので、『トマス行伝』等の「イエスとトマスは双子だ」という伝承とは食い  違ってしまいますが、少なくとも「二人のキリストがいた」という点では一  致しており、この符号は興味深いものがあります。   以下は、『第五福音書』の訳者による後書きの中からの引用です。      オルモンド・エドワーズの研究(『福音書年表』1972)によれば、紀     元前一年一月四日にソロモン系のイエス、同年十二月二十五日にナー     タン系のイエスが生まれた。十二歳になった時、ソロモン系のイエス     の自我がナータン系のイエスに移行し、その後、十二歳から三十歳ま     での十八年間にユダヤ教への失望、異教への失望、エッセネ派からの     離脱を経験し、三十歳になった時、紀元三十一年一月六日、太陽神キ     リストを受け入れた。                             同書 P127より   シュタイナーによれば、キリストは太陽神だったとされますが、日本の太  陽神と言えば、14番会議室でも言及されたようにアマテラスでは無く、ニギ  ハヤヒが本来の太陽神に比定されていることが思い出されますね。   シュタイナーの『第五福音書』は、歴史的検証と照らし合わせても注目さ  せられる箇所が多々ありますので、機会があれば又触れたいと思います。  TAO 01050/01052 MHD02672 TAO AMA族談義 〔11〕 ( 9) 96/12/25 21:54 01034へのコメント コメント数:1  【聖徳太子と蘇我氏 8】   *阿毎多利思比孤   前回から三週間も間が空いてしまいました。(_ _;)   『日本書紀』では、聖徳太子が摂政として推古天皇をサポートしていたこ  とになっていますが、同時代の中国の史書『隋書』には、倭王として「阿毎  多利思比孤(アマタリヒコ)」が登場してくるというのは有名な話ですね。その記事  を引用します。      開皇二十年(=推古八年/600)、倭王あり、姓は阿毎、字は多利思比     孤、阿輩キ弥(アエキミ)と号す。      大業三年(推古十五年/607)、其の王多利思比孤、使を遣わして朝貢     す。   二度にわたって倭王・阿毎多利思比孤が登場してくる訳で、男性の王とな  っているので、『日本書紀』が伝える推古天皇という女帝の存在と食い違っ  て来ます。その食い違いを巡って様々な議論が交わされて来たのですが、当  時の大王(後の天皇にあたる)はやはり聖徳太子=阿毎多利思比孤では無かっ  たか、とする向きも少なくないようです。   門脇禎二氏は『蘇我氏の栄光と陰影』(『古代日本の豪族』収録/学生社)  では、この「阿毎多利思比孤」問題を面白い着眼点から捉えています。それ  によれば、奈良時代から当時の天皇が男性であろうと女性であろうと、伊勢  に斎王(巫女としての未婚の王女)を送るという習慣がありますが、それ以前  の時代には男帝の時だけに送り、女帝の時には送らなかったといいます。   で、『日本書紀』には、聖徳太子の父である用明天皇の時に酢香手姫王女  が伊勢に斎王として赴いたという記事がありますが、三十七年間伊勢大神に  お仕えし、そして三十七年経った時に斎王の地位を退いて大和の葛城に帰郷  したとされます。   この三十七年目というのが、『日本書紀』では聖徳太子が死んだ 621年に  丁度当たるというのです。用明天皇、崇峻天皇と続いた後に推古天皇となっ  てからも、酢香手姫王女はなお斎王として伊勢で仕えていた訳ですから、こ  れは理屈に合わないことですが、当時の大王は実は男性だったと考えれば、  筋が通って来ます。聖徳太子の死後は恐らく推古天皇で、それならば殆ど同  時に酢香手姫王女が斎王を退いたのも分かります。伊勢の斎王制度から、こ  ういう読み方が出来るとは新鮮な驚きです。   『隋書』には、例の「日出づる処の天子、書を日の没する処の天子に致す。  恙なきや云々」という有名な一文が出て来ますが、隋の煬帝が日本へ使者と  して遣った裴世清のリポートでも、女性の王とは明記されていません。   「アマタリヒコ」という呼称は果たして固有名詞だったか、それとも単な  る敬称だったかという議論も交わされている様ですが、この人物が聖徳太子  と同一人物と言い切れるかは難しいところですね。  TAO 01051/01052 MHD02672 TAO AMA族談義 〔12〕 ( 9) 96/12/27 23:20 01050へのコメント   これまで「聖徳太子と蘇我氏」というテーマで連載を続けさせて頂きまし  たが、次の発言にあるような事情で、これにて一応終えたいと思います。   #1031 で言及した「入鹿神社」ですが、その画像データを五枚ライブラリ  8番にUPしました。ご興味がある方は参照して頂ければ幸いです。  TAO 01052/01052 MHD02672 TAO 議長辞任の挨拶 ( 9) 96/12/27 23:20   既に告知されている通り、新年早々より本フォーラムはリニューアルされ  ることとなりましたが、それに伴って本会議室からもお知らせがあります。   この会議室を始めてから二年八ヵ月経過していますが、以前より会議室進  行が滞りがちになって行き、また議長自身も行き詰まりを痛感するようにな  りました。そこで、ここは心機一新して一会員に戻り、改めて己のテーマを  模索していこうと思います。ひいては、いささか唐突ではありますが、この  度のフォーラムリニューアルを契機として、議長を降りることに決めました。  今までご愛顧下さった方々に深くお礼を申し上げます。   会議室自体は多少模様替えした上で存続する模様ですので、今後しばらく  は議長不在のままかと思われますが、皆様からも歴史に関する話題を振って  頂けるようなら幸いです。私自身も、一会員として時折参加する心づもりで  す。   なお、この会議室は12月31日をもって閉鎖される予定です。皆様、今まで  どうも有り難うございました。m(_ _)m ペコ  MES 9 議長:TAO - FARION MES(12):精神世界裏表 ★ ニューエイジビジネス を斬る 96/12/28 - 01612/01615 BZN01330 西野 智昭    RE:”ひとじゃらし”に乗せられない方法 (12) 96/12/28 04:02 01589へのコメント 一輝さん、こんばんは。  西野 智昭です。  「ニューエイジ」の意味分かりました。    思い返してみれば、宗教やオカルトのディープな部分にはまらないものの、僕が興味 を持ったりするものはたいがいニューエイジ的なものと言えそうです。いわゆる商品化 されたニューエイジものには、つい財布がゆるんでいます。    僕はこれ、ニューエイジ的な状況というのは、歴史の必然的な流れかと思っていまし た。なので、その中で自分の身を処していかなくてはならないものだと考えていまし た。それなのに、ニューウェイブを気取った芸術にしろ、文学にしろ、“ムーブメン ト”と言われたものは、一見楽しそうなものの、少しの快楽を提供すると、その質を問 わないまま「商品」として完成度を極めると、たちまち消費されてしまうばかりで、い たずらに金と時間が浪費され、読まないままの一連の本が積み重なっていくという体験 の連続でした。    そんな僕だったので、一輝さんの「ニューエイジ」と歴史を相対化させた見識に、新 鮮な思いがしました。コロンブスの卵というか、「そんなスタンスの取り方もありか !?」という驚きです。    最近の僕は、「カルト」だ「悪趣味」だとか、次々商品化されてくる底の浅い概念に つき合うのも飽きて、古書目録や図書館で個人的に興味をそそる本を散歩をするように 読んでいます。しかし、そんな自己満足状態に不安を持っていました。  要するに、自分が面白いと思っているものは誰にも理解されないかも知れない、つま り、自分は誰からも評価されないという不安から、“マイブーム”を説明するためにニ ューエイジ風の言辞を学習しておこう、なんて思ったり…。    自分の心の弱さでしょうか、どうしてもニューエイジから抜け出られない、歴史と自 分がつながることができないという先入観を持っていました。自分の子供(2歳)の成 長を見ているうちにそんな先入観も薄れてきているようですが、一輝さんのレスがいい きっかけになりそうです。  それにしても、アッ、しつこく食い下がるようで恐縮ですが、まだ僕がよく分からな いのが、一輝さんが書いていた >> 自己同化を防ぎ、自己の自立性を強化 というものです。  『なんでも鑑定団』を観ていると、価値を所有するよりも、創造(発見)する人間に なりたいなんて思うのですが、そういうことを言っているのでしょうか?  僕の頭には、「快楽のない人生など無だ」という観念が根強くあって、究極は、いか に自分にジャストフィットした快楽を手に入れられるか、探求することができるか、と いう課題を持っているので、そういう視点から一輝さんの言葉を読むと「借り物の快楽 に満足せずに、自分固有の快楽を追求すること」という意味に読んでしまいます。  まあ、僕が「快楽」と偉そうに言っているのは、別にハードなドラッグを使用するこ とでも、性幻想の実現を言っているのではありません。生きていること自体が面白い、 「死ぬために生きる」ということをいかに全肯定できるかということなんです。    その手段として「ねこじゃらし」にあえて耽溺せず、少し離れて、それを振る者の正 体を確かめ、どうしてそれが魅力的なのか、なんでそれを振るのかを考えるのは、大変 有効だと思います。  しかし、その「演習」を何のためにするか、という段階で多くに人は迷ってしまうの でしょうね。一輝さんがあえて「本筋」と抽象的に書いたのは、その具体的な内容が人 それぞれ違うことを暗示しているのだと思いました。    視野狭窄の刹那的な快楽をもたらすねこじゃらしは、とても「本筋」に似ているもの だと僕は邪推(参考/オウム)しています。実は、「本筋」というものが、多様なもの か、究極単一的なものか、僕には判断が付きません。しかし、それは自分の外に発見で きるとは思っていません。世の中で最も危険なねこじゃらしというのは、他人が発見し た、他人固有の「本筋」であるという気がします。それが「本筋」あることは真実だけ ど、決して自分のではない。これを忘れて、安易にねこじゃらしに近づくと痛い目に遭 うのではないでしょうか。    体力も知力も十分にありながら、それを活かす「本筋」こそが見つからない。「本 筋」さえ見つかれば、自己実現ができるという錯覚を信じ込んでしまった人は、自分の 中で発見するべき「本筋」を安易に外に求めてしまうのではと、想像する次第です。    なんだか話が抽象的になってしまって、自分でも話の筋が掴めきれなくなったのでこ の辺にします。  年末は休みがないので、異様に長い一週間を過ごしているようで、頭の中が澱みがち です。               西野 智昭 BZN01330 12/28 03:57 01613/01615 GFB00026 一輝 RE:なるほど! (12) 96/12/28 05:57 01595へのコメント >#1595 夜船さん | ある方の 「あの人は本物ですか? と聞く前に、自分が本物になったらええやな |いの」 という言葉を思い出しました。 | 鮒井さんが言われるのとは別の意味で、まさに今こそ“本物の時代”なんですね |ぇ。 ……………ぶっちゃけた話、誰が本物だろうが、そんなことはどうだっていい、      そんなことで一喜一憂していることに価値は無い、テメーが本物に      なりたいかが一番大切なんだぜ、という、その心意気なんですね、      要は。      嘘の時代になればなるほどに、本物は稀少価値が出てくるものです。      各々が「心に嘘を付かない生き方」をすることで養われる自信が、      「本物で在りたい心意気」をしっかり支えるでしょう(「欲望に嘘      を付かない生き方」と勘違いしては、それも心への嘘になってしま      いますので注意)。それは、いかなる権威や財貨も揺るがすことは      出来ません。 | と言いながら、“ニュー・エイジ的”グッズに囲まれていたりするわけですが | (^ ^)。 ……………例えば、それってどんなものがあるんでしょーか。教えてね(^^;)。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):神秘学遊戯団 ★ 限りなき神秘への航海 96/12/28 - 05217/05239 GGA02514 KAZE 風のfragments/24■理想と現実・霊と物質 (13) 96/12/23 20:37 05209へのコメント コメント数:1   皆さんが真実を知ろうとするのでしたら、理想主義者か現実主義者、または   唯物論者か唯心論者に留まり続けることはできません。そのいずれにもなれ   なければならないのです。皆さんは精神を徹底して探し求め、それを物質の   中にも見いだせなければなりません。つまり物質を通して精神を見つけだす   ことができる程にまで、物質の本質を洞察しなければなりません。   (シュタイナー「社会の未来」イザラ書房刊/P73)    霊的なことに傾倒していくと、肉体的な在り方を蔑視してしまうことになりがちです。 「霊主体従」ということを「体は低次なのだ」と勝手に解釈してしまうのです。 そうではなくて、「体」も本来霊的な本質を持ちながら、 方便として、また供犠として、そのように現象しているのだということを 深く洞察しなければなりません。 「物質は光になろうとしている」にもかかわらず、 あえて物質という形態をとっていることに対して、 その深い意味を洞察しなければならないのです。 「現実はそんなに甘いもんじゃない」を繰り返す人の「現実」が いかに空想的であるかを看破しなければなりませんし、 「ぼくは理想に生きるんだ」を繰り返す人の「理想」が 「現実」の単なる逃避的な裏返しでしかないということを看破しなければなりません。 仏教ではそういう在り方を「不二」といいます。 さらにいうと、「不二而二」。 「二」であることを否定するのではなく、 その「二」でありながら、しかもそれが「不二」であることを 矛盾的に体現しなければならないということです。 それが、「不二而二」の常なる統合のプロセスとしての「中道」なのです。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05223/05239 GGA02514 KAZE 風のfragments/25■クリスマス (13) 96/12/25 00:35 05217へのコメント      人間の魂の根底に   勝利に輝く精神の太陽が生きる。   心情の正しい力が   内面の冬の生命のなかで、   心の希望の衝動を   魂に予感させる。   冬の深い夜のなかの   最高の生命の象徴として、   聖夜の祝福の光のなかに   人間は太陽精神の勝利を見る。      空間の広がりのなかで事物が   感覚に語りかけ、   時間の流れのなかで変容する。   人間の魂は認識しつつ、   空間の広がりに限定されず、   時間の流れに到達されず、   永遠の王国に突き進む。      (ルドルフ・シュタイナー「瞑想と祈りの言葉」西川隆範編訳/イザラ書房)      祈りよ届け   私の奥底に   そして   生まれでよ   内なる光       聖なるかな    聖なるかな    内なる光が生まれる    それは精神の勝利の歌    やがて歌われる勝利の歌      祈りが届く   私の奥底に   そして   生まれでる   内なる光       聖なるかな    聖なるかな    内なる光が生まれる    それは精神の勝利の歌    やがて歌われる勝利の歌      今はまだ闇の中   けれど闇の胎内に生まれでようとしている   大いなる精神の光が   やがては永遠の王国を築く       聖なるかな    聖なるかな    内なる光が生まれる    それは精神の勝利の歌    やがて歌われる勝利の歌      今はまだ夢の中   けれど夢の内に生まれでた   大いなる精神の光が   やがては夢を永遠に変容させる       聖なるかな    聖なるかな    内なる光が生まれる    それは精神の勝利の歌    やがて歌われる勝利の歌      クリスマスを祝して   祈りが届きますように   アーメン・・・         ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05218/05239 GGA02514 KAZE おひさしぶり>隆ちゃん (13) 96/12/23 23:13 05216へのコメント 隆ちゃん、おひさしぶりです。 ほんとうにご無沙汰ですけど^^;、いろいろやりたいことで忙しそうなのは 充実していて、むしろいいことなのかもしれませんね。 やりたいことがあれば、どんどん新しいことに取り組む姿勢さえあれば、 どんな時代がきても大丈夫、っていうところはあるでしょうから(^^)。 さて、ホームページといえば、ぼくもそろそろホームページをつくってみようか とか考えているところなのですが、もちろんテーマはシュタイナーで、 これまでシュタイナーに関してあれこれやってきたことを 資料として提供できるようなホームページにできればなと思っています。 そのためにも、今354巻のシュタイナー全集の紹介をして、 基礎的な資料にしようとか思ったりもしているのですが、 邦訳をふくめてあれこれ見てるとこれがけっこう大変なので、 まだまだホームページは先のことになるかもしれません。 ま、気長にやってみようかと思います。 パソコン関係では、MES16のPaper Birchさんのところで話したのですが、 3年半ぶりにパソコンを新しくしまして、1カ月ほど前に Performa 5410を購入しました。 購入した理由のひとつは、これまで使っていたPowerBook145Bの調子が悪いのと やはり、処理速度やメモリーの問題が大きかったようです。 なにせ、Performa 5410はもちろんPPCの120MHで、メモリーは1.6Gですから。 また、標準のRAMは16Mだったのですが、16Mを足して合計32Mにしました。 しかし、この16Mがたったの1万円というのですから、驚いてしまいました。 》 「今日はこれとこれをしよう」などと思いながら、ふと気がつくと日が暮れて 》 いて、結局半分も終わっていないという、情けない日が続いておりますが、歳 》 取ると時間の流れるのが早いのかなぁと思ったり、昔に比べると、馬力が無く 》 なって仕事が遅くなったのかなぁと思ったり・・・。 時間は意識の影響を受けて長くなったり短くなったり確かにしますが、 時間が足りない、というのは、充実している証拠ですから、喜ばしいのでは。 ぼくも、以前にもましてもっと時間があったらいいなと思ってますけど、 昔に比べると、ぼくの場合は、むしろ馬力がでてきましたし、 けっこう効率もよくなってきているようですから、歳のせいではないと思います。 たまには少し調子の良くないことはあっても、風邪で倒れるなんてことも 相変わらずないですから、けっこう快調ではないかと自分では思っています。 ただ、最近少し考えているのは、できるだけ系統的に何かのテーマに まとまった単位で取り組んでいこうと思っていまして、 そのあたりに割けるエネルギー配分などの在り方など、 もっと工夫してみようとは思っています。 さて、この夏、秋頃からですけど、休日の天気の良い日などを選んで、 比較的近くにある山などで、往復1時間程度で登れるくらいのところに 相棒といっしょに登ったりもしています。 やってみると、これがなかなか気持ちいいものですから、 これからも続けてみたいなと思っています。 冬には少し無理ですけど、春になったら、日帰りで可能なくらいの山にも 少しずつ登ってみようかとも思っています。 こうした足腰の鍛錬のおかげか、先日取材で、「毛利元就を訪ねる旅」とかで 中国地方のあちこちを走り回ったときにも、へたばるカメラマンを尻目に けっこう元気に野山を駆けることができました。 ある地方に出かけて、毛利元就ゆかりの碑文の場所を探していて、 どうしても見つからないので、走っている郵便屋のおばさんを見つけて、 追いかけてつかまえてその場所を聞くなどということもしましたが^^;、 けっこう走ったにもかかわらず、自分でも驚くくらい疲れませんでした(^^)。 》 え〜、それから、親父の17回忌を機会に、肉食を解禁しました(^^;)。カミ 》 さんは相変わらず、菜食ファンですし、あたしも大量に食べる気はしませんが、 》 どうも、あたしは菜食が身体にあってないようなので・・・。ちなみに、肉を 》 食いだしたら、とたんに体重が2kg増えました。そんなわけで、毒がなくて、 》 まずくなければ、何でも(ヘビでも蛙でも虫でも)食べるりゅうちゃんに返り 》 咲きましたので、ご報告しておきます。m(_._)m ぼくも基本的に菜食ファンですけど、もちろん肉、魚は食べます。 もちろん、過度に飽食するというのは論外ですけど、 「菜食主義」とかいう「主義」はむしろ危険なのではないかとさえ思います。 しかし、「何でも(ヘビでも蛙でも虫でも)食べるりゅうちゃん」というのは けっこうコワイものがありますが、ま、お元気そうでなによりです。 では、快適なペースを見つけながら、 そろそろここにもぼちぼち参加をお願いします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05219/05239 KFQ02761 しまうま RE:内なる恥と外なる恥など (13) 96/12/23 23:36 05111へのコメント コメント数:1 #05111 KAZEさん  こんにちは(^^)。本当に記録的なまでの亀レスですみません(__;)。  でも、時間を経て読み返しているのに、KAZEさんの言葉が「今の自分」に対 する言葉であるように思えて、不思議な感じがします(^^;。 |で、「恥じる」ということは、そうした内的自発によって成長させられた |「内なるキリスト」の基準からみずからを反省するということですから、 |外なる基準で反省するということはできません。 |人から何か言われて「反省します!」とかいうことは、 |多くの場合は、単に「外的基準を認め、それに従います!」というだけです。  「外的基準を認め、それに従います!」とは、本当にドンピシャリの言葉だ と思います。「なるほど、あなたから見れば、私の行動はそういう風に見える んですね。分かりました。では、あなたの基準に合わせて、私のこういう部分 を削って、ああいうパーツを加えましょう」ということですね。  で、とりあえず相手の言った通りのことをやってみても、基準自体が自分の ものになっていないので、小手先での対応になります。必ず再び相手の価値観 と異なる部分が出てくる。  すると相手は「分かったと言っていたが、これはその基準から外れているの ではないか?」と指摘します。「ああ、そう言えばそうですね。ここも直しま しょう」と、やっつけ仕事で体裁を整える。  そうやって、自分の基準と他人の基準との照らし合わせやすり合わせもせず に、人の基準に合わせた「自分」の増改築を続けていると、内実と外観に統一 性のない、いびつな「自分」が出来上がってしまいます。  他人の基準に合った「自分」のほうが、人から好かれやすい、という思い込 みがあるため、僕なんかは、すぐに「増改築後の外観」を「本当の自分」だと 言いたくなります。で、「放置されている内実」の汚さを指差して「ああ、虎 が僕を誘惑している」とか言います。  人の視線がある間はまだ「外観」を保っていられるのですが、自分一人にな ったとき、というのは「放置されている内実」そのものが露出します。そうし て「ああ、虎の誘惑に引っかかってしまった」と、「反省している外観」を取 り繕う。  KAZEさんのおっしゃるとおり、「外なる基準で反省するということはでき」 なくて、できるのは「反省している外面を作る」ことぐらいなのでしょうね。 |もちろん、検証するための体験というのは必要不可欠なのですが、 |何の地図も持たずに自分で一から測量しはじめようとしても無謀です^^;。 | |ですから、そのための神秘学であり、霊学なわけです。  んー、なるほど。  最近のKAZEさんの発言で紹介されているシュタイナーの言葉、興味深いです。 僕も一冊読もうと思っているのですが、最初に読むといいのは、やはり『いか 超』でしょうか?  僕は本を読むだけで「なんかやった気になる」のも、ノウハウを知っただけ で「賢く強くなったと思いこむ」のも得意なので、十分気をつけながら読もう と思っています。  ではでは(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 05221/05239 GGA02514 KAZE 恥を知る (13) 96/12/24 17:41 05219へのコメント コメント数:2 しまうまさん、どうも。 孟子にこんな言葉があります。   恥づること無きを之れ恥づれば、恥づること無し    「恥知らず」というのは、恥を知らないからこそ、「恥知らず」なのであって 恥を知れば、既にその人は「恥知らず」ではなくなっています。 つまり、真に反省することが「恥を知る」ということなわけです。 で、なぜ外的な基準に合わせることで、反省した気になって、 いつまでも「恥」の何たるかが分からないのかというと、 おっしゃるように、 》他人の基準に合った「自分」のほうが、人から好かれやすい、という思い込 》みがあるため なんですよね。 「人から好かれたい」という基準というのは、 「人間」が「人の間」と書くように、関係性の存在である人間にとっては、 そこから脱することはとても難しいことで、 悪くすると、カメレオンのようにころころとその色を変えることで 自分という存在を安定させようとすることになるのですが、 そういうことばかりしていると、自分がいったいどういう存在なのか、 ほとんどわからなくなってきます。 もっとも、多くの人は、最初に刷り込まれた外的な評価基準に染まってしまい 一度染まった色を変えることはなかなかできないわけで、 その色というか、強固に覆った鎧というかを、自分そのものだと思いこんで それと一生つきあっていくことになります。 で、環境の変化などが大きくあって、それにカメレオンできなくなると、 その人は、いわば、分裂的なあり方を示すようになります。 「人から好かれたい」にも関わらず、 かつての「人から好かれる基準」に沿ってしか自分を表現できないので、 その表現で外界に対処しようとして、 新しい「人から好かれる基準」と矛盾を起こしてしまうわけです。 つまり、「そういうものだ」は変化しているのに、 自分のなかでつくりあげてしまった「そういうものだ」と相剋してしまう。 こういうあり方においては、自分という存在は、 外界と調和しようが不調和であろうが、 外的な基準でできている自動機械のような存在であるといえます。 しかし、自動機械から脱しようとしても、 何が自分なのかわからなくなってしまうと、どうしようもなくなりますので、 そのために、自分の中にある現在の外的基準や、かつてあって、 今も自分の中に働いている外的基準について、チェックしていくことが必要で そのチェックというのは、すべてに「なぜ」をぶつけることでもあります。 これは永遠の作業であるともいえますが、 そういう「なぜ」を自分に問い続けていこうとする気概こそが、 「恥を知る」ということになるのではないでしょうか。 その「なぜ」を問うという姿勢があると、 他の人に対しても、その人がなぜそうなのかを探求する姿勢となって現われます。 頭から人のことを決めつけるということは、「なぜ」を問うことではないですから じっくりとその人の「なぜ」を洞察することが必要になります。 もっとも、それはとても難しいことで、 ついつい「あなたはこういう人だ」というふうに決めつけがちなのですが、 それを押し止め、どれだけ相手の「なぜ」に迫っていけるか。 そのことも、意識的に努力していかなければならない大きな課題です。 偽物の自分を自分だと思いこんでしまう恥と 偽物の人をその人だと思いこんでしまう恥と その「恥」をどれだけ知ることができるか。 それこそが、遠回りではありますが、確実な道なのではないでしょうか。 そういえば、こういう作業が「自分を観る」ということだといえそうですね。 さて、 》僕も一冊読もうと思っているのですが、最初に読むといいのは、やはり『いか 》超』でしょうか? 神秘学の最初の基本だと、やはり「神智学」のほうを 先に読まれたほうがいいように思います。 「いか超」はあくまでも修行論ですので、 ガイドとなる見取り図としては、「神智学」が適していると思います。 では、では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05222/05239 GGA02514 KAZE 「恥」は、耳の心 (13) 96/12/24 21:42 05221へのコメント しまうまさん、補足です。 「恥」は、「耳の心」と書きますね。 ですから、やはり、耳を閉ざさずしっかりとひらいて、 人の言葉に、自然の言葉に、耳を傾けるというのが大事なのだと思います。 言葉を代えていえば、この「恥」ということは 「虚心坦懐」ということでもありそうですね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05233/05239 KFQ02761 しまうま RE:恥を知る (13) 96/12/27 00:16 05221へのコメント コメント数:1 #05221 KAZEさん  こんにちは(^^)。コメントありがとうございますm(__)m。 |悪くすると、カメレオンのようにころころとその色を変えることで |自分という存在を安定させようとすることになるのですが、 |そういうことばかりしていると、自分がいったいどういう存在なのか、 |ほとんどわからなくなってきます。  そういう「わからなさ」って、実感としてわかります(^^;。「今自分はどう 感じているのか」「今自分は何をどうしたいのか」「今自分は何を正しいと思 い、何を間違っていると思うのか」とかいうあたり、パイプが詰まったように 出てこないですね。  その一方で、「僕がこうすれば、人はそう感じるに違いない」とか、「人は 僕にこうして欲しいと思っているだろう」とか、「人はあれを正しいとし、そ れを間違っているとするだろう」とかいうのはわかる(つもりでいる)から、 すぐにそれを自分の基準にしてしまう。自分不在です。  「外界と調和しようが不調和であろうが、外的な基準でできている自動機械 のような存在」というのは、なるほどです。外界と調和してれば、なんとなく 「問題なし」みたいな気がしますが、実際には、そうやって「外に基準を求め る」という姿勢が基盤にある限り、それは一種の自働機械的反応であり、自分 不在に変わりはない、ということですね。 |そういう「なぜ」を自分に問い続けていこうとする気概こそが、 |「恥を知る」ということになるのではないでしょうか。  うーん、「なぜ」を問い続ける気概が「恥を知る」ことになる、というのは、 実感が湧かないのですが、そういう「自らに問い続ける」気概、根気、忍耐力、 自制心を鍛えていく作業は続けたいと思います。その先に、「恥を知る」こと ができればめっけものです(^^)。  僕の場合、いちばんわかりやすい「自働機械」的行動として、「一人でいる ときに何の自制もなくやりたいことやっちゃう」ことが挙げられます。まずは、 そのあたりに対していちいち「なぜ」という問いかけをしていこうと思ってい ます。  #05222で書いてくださった「恥=虚心坦懐」というお話は、なんとなく分か る気がします。自分のイヤなところから目を逸らしたり、あるいは勝手な自己 正当化に走ったりしたくなる欲を、いったん脇に置いておいて、自分がやった こと、人から言われたことのありのままを見る、という感じですね。  さて、本のご推薦、どうもありがとうございましたm(__)m。KAZEさんのおっ しゃる「神智学」というのは、#05173で紹介されている『神智学----超感覚的 世界の認識と人間の本質への導き』のことでしょうか?  全集の中の1冊ということですが、1冊だけ購入することって可能でしょう か。単行本としても出てるのかどうか、今度本屋さんで調べてみようと思いま す。ではでは(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 05236/05239 GGA02514 KAZE 世間様は神様です、という日本^^; (13) 96/12/27 14:55 05233へのコメント しまうまさん、どうも。 》                            「今自分はどう 》感じているのか」「今自分は何をどうしたいのか」「今自分は何を正しいと思 》い、何を間違っていると思うのか」とかいうあたり、パイプが詰まったように 》出てこないですね。 》 その一方で、「僕がこうすれば、人はそう感じるに違いない」とか、「人は 》僕にこうして欲しいと思っているだろう」とか、「人はあれを正しいとし、そ 》れを間違っているとするだろう」とかいうのはわかる(つもりでいる)から、 》すぐにそれを自分の基準にしてしまう。自分不在です。 「人は僕にこうして欲しいと思っているだろう」と思っているどうしが 互いに相手を基準にしようとしているところを想像したら面白いですね^^;。 そこに基準がなければ、その基準をどこかからもってくることになるんでしょう。 つまり、「世間」という基準を取り出してくるわけです。 「世間様に申し訳がない」「世間様は許さない」ということになります。 もちろん、相手の感じ、考えていること、そして「世間様」の基準について ある程度理解したうえでのことであるのはもちろんですが、 やはり、「自分はどうなのか」ということがなければ、なんだか不毛ですよね。 戦時中のファシズムなんかも、終わってみれば、 そういうのが外からやってきてそれに逆らえなかったかのように思うわけですが 実の所、多くの方はそういうファシズムそのものの一部として機能してました。 つまり、ファシズムという「世間様」にのっかって生きていて、 自分をそうした別の働きの乗り物のひとつとして提供していたわけです。 昨今は、フェミニズム的な運動のなかで「女性は平和を愛している」的な よくわからない主張なんかもありますが、戦時中は「愛国婦人会」と称して 「なぜ戦わないのか」なんて主張していたのですから。 今のPTAの集団なんかも、そういうのと似ているように思うんですけどね^^;。 もちろん、いつの時代にも流されない方はいて、 そういう方はけっこう辛い思いをしながら迫害を受けたりもするわけです。 》                    外界と調和してれば、なんとなく 》「問題なし」みたいな気がしますが、実際には、そうやって「外に基準を求め 》る」という姿勢が基盤にある限り、それは一種の自働機械的反応であり、自分 》不在に変わりはない、ということですね。 そうです、「ファシズム」が外界にあればそれに調和し^^;、 「デモクラシー」が外界にあれば調和し、ってことで、 そういう方々が集団になって「世間様」を構成していくことになります。 》 うーん、「なぜ」を問い続ける気概が「恥を知る」ことになる、というのは、 》実感が湧かないのですが、そういう「自らに問い続ける」気概、根気、忍耐力、 》自制心を鍛えていく作業は続けたいと思います。その先に、「恥を知る」こと 》ができればめっけものです(^^)。 「なぜ」を問うことは、自分に耳を澄ませ、人に耳を澄ませることですから、 自分のしたいことがわからないとかで人に迎合しないということであり、 また、人のことがわからずに、エゴの塊にならないということです。 でも、先の例のように、すぐに「世間様」に動かされていて、 それで自分は責任をとらずにすむ状態にいると、そうではないですよね。 そういう状態こそが「恥知らず」な状態なのではないでしょうか。 戦時中は戦争を賛美し、戦後はそれが自分とは関係ないかのように、 民主主義絶対、戦争放棄を賛美するような。 》 僕の場合、いちばんわかりやすい「自働機械」的行動として、「一人でいる 》ときに何の自制もなくやりたいことやっちゃう」ことが挙げられます。まずは、 》そのあたりに対していちいち「なぜ」という問いかけをしていこうと思ってい 》ます。 そこで問題になるのは「やりたいことやっちゃう」ことではなくて、 「何の自制もなく」ということですよね。 つまりは、人が見ていないと、人の目を気にしてできないことをする、と^^;。 ま、だれでもそういうところはあるわけですが、 人が見ていないとしても、「神は見ている」ということで自制するのが 宗教者の立場だといえます。 けれど、そうではなくて、そこで問うべきは、 「一人でいるときに本当にやりたいことをやっているか」なのでしょうね。 そこに、「自由」ということが関わってきます。 さて、「神智学」ですが、 》 全集の中の1冊ということですが、1冊だけ購入することって可能でしょう 》か。 今紹介している「全集」は、ドイツ語の全集で、 邦訳でそういうのは存在していません。 一冊ずつ買えるのはもちろんです。 しかし、日本語でもシュタイナーの全集が読めればどんなにいいか。 ぼくにお金と暇があったら、すぐにでもそれに取り組むんですけどね。 今ご紹介しているシュタイナーの原書としての全集ですけど、 その都度ご紹介している約本にしても、おそらく一部を除いては、 なかなか手に入りにくいものもたくさんあると思いますし、 まともに総合的な形で日本でシュタイナーの神秘学を知ろうと思っても なかなかむずかしいと思うんですよね。 では、ぜひ、「神智学」をお読みください。 わからない部分などあれば、ぼくの分かる範囲でお答えしたいと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05224/05239 GGA02514 KAZE シュタイナー全集●GA25:宇宙論、宗教、哲学 (13) 96/12/25 00:35 05220へのコメント コメント数:1 ■GA25    宇宙論、宗教、哲学     Kosmologie,Religion und Philosophie (1922) *邦訳/  ・「宇宙論、宗教、哲学」  (「霊界の境域」(西川隆範訳/風の薔薇)所収) この本は1922年9月6日〜15日に、フランス語圏にいる人智学者対象に シュタイナーが行った「人智学に於ける哲学、宇宙論、宗教」という 連続講演のために、通訳のジュール・ザウアーヴァイン用に書かれたもので それは、同じく1922年の「ゲーテアヌム」誌の6号〜16号に掲載されました。 これが単行本として刊行されたのは、シュタイナーの死後、1930年に マリー・シュタイナーによってであり、その際には、 「ルドルフ・シュタイナーによって著述された霊学的認識の瞑想過程」 という副題がつけられていたといいます。 これについては、邦訳の「訳者あとがき」にある解説が 参考になると思われますので、それをご紹介することにします。   連続講演「人智学に於ける哲学、宇宙論、宗教」の聴衆の中には、後にキリ   スト者共同体の創設者となる人々の姿が見られた。人智学は、徹頭徹尾認識   の学であつて、その認識の光によって諸宗教の本質を解明することはあつて   も、イマジネーション、インスピレーション、イントゥイションとの関連に   於いて、シュタイナーが宗教の問題を大きくとりあげたことはあまりなかつ   た。「人智学に於ける哲学、宇宙論、宗教」に於いてシュタイナーが宗教の   問題を重視したのは多くの聴衆にとつて不思議に思はれた。その謎は、この   講義講演と平行して、宗教革新運動・キリスト者共同体の最終的な準備が行   はれてゐたことが明らかにされたことで解かれた。1922年9月16日、   フリードリヒ・リッテルマイアーを中心としてキリスト者共同体が発足し、   シュタイナーはこの運動のために、人間聖別式を中心にした7つの秘蹟を与   へたのである。   「宇宙論・宗教・哲学」では、イマジネーション認識、インスピレーション   認識、イントゥイション認識が「霊的認識の階梯」とは別の視点から述べら   れ、行が本質的に死後の世界の体験、そして、キリスト体験に結びついてゐ   ることを考へ合はせれば、マリー・シュタイナーが本書を「霊的認識の階梯」   「霊界の境域」と並ぶ、瞑想行についての最も重要な著作の一つとみなした   のは当然のことであったといへる。 これで、邦訳の「霊界の境域」(風の薔薇/現在は、水声社から発行)に 収められた「霊的認識の階梯」、「霊界の境域」、「宇宙論・宗教・哲学」を ご紹介したことになりますが、これは「神秘学概論」をさらに深く理解するための テキストとしての非常に有効なのではないかと思われますので、 機会があれば一度はしっかり読み込んでおきたい本の一冊です。 ●主な内容/  人智学の三つの課題  思考・感情・意志に関する魂の修行  イマジネーション認識/インスピレーション認識/イントゥイション認識  認識の行と意志の行  魂の睡眠体験  人類の進化に於ける魂的・霊的存在の感覚的・物質的存在への移行  キリストと人類  キリストとの関連に於ける死  キリストとの関連に於ける自我意識の運命  魂の意志領域の体験   ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05227/05239 GGA02514 KAZE シュタイナー全集●GA26:人智学指導原則 (13) 96/12/26 00:33 05224へのコメント コメント数:1 ■GA26    人智学指導原則  人智学の認識の道  ミカエルの秘儀     Anthroposophische Leitsaetze (1924/1925) Der Erkenntnisweg der Anthroposophie - Das Michael-Mysterium *邦訳/  ・「人智学指導原則」(西川隆範訳/水声社/1992.9.20発行) シュタイナーは、1923年の一般人智学協会の設立のためのクリスマス会議から、 1925年3月の死まで、185の「人智学指導原則」と「人智学協会において行われ ていること」という経過報告において毎週出されていた「協会員への手紙」と を書きましたが、この巻には、その「人智学指導原則」の全部と、「協会員へ の手紙」の一部が収められています。 「人智学指導原則」に直接関連してはいない部分の「協会員への手紙」につい ては、GA260aに収められています。 ちなみに、邦訳は、「人智学指導原則」のみです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05232/05239 GGA02514 KAZE シュタイナー全集●GA27:精神科学へ向かう医学 (13) 96/12/27 00:04 05227へのコメント コメント数:1 ■GA27    精神科学的認識に向かう医学を拡充させるための基礎となること  シュタイナー博士、イタ・ヴェークマン博士共著     Grundlegendes fuer eine Erweiterung der Heilkunst  nach geisteswissenschaftlichen Erkenntnissen (1925) Von Dr.Steiner und Dr.Ita Wegman 医師を対象としたこの論文で問題になっているのは、 人智学によって豊かになり拡大された治療の本質ということです。 シュタイナーの医学に関する業績に関しては、 日本ではほとんど知れれていないということがいえますが、 シュタイナーは、この本の共著者でもあるオランダの女医 イタ・ヴェークマン博士とともに、スイスのドルナハに 新しい、一種の総合医学の基礎を築きました。 シュタイナーの死後、ヴェークマンは、ドルナハの隣町アーレスハイムに移り 現在のイタ・ヴェークマン病院で人智学的な医学を実践しました。 アーレスハイムには、現在、そのイタ・ヴェークマン病院のほかに、 癌の研究で成果をあげているルカス病院、 医薬品を製造しているヴェレダ社があります。 ヴェレダ社は、ドイツにも工場があって、 ドイツにはヴァラ製薬、フィルダー社などもつくられました。 こうした医学の方面でのシュタイナーの神秘学の展開に関しては 邦訳にしてもわずかしかなく、なかなか理解されがたい部分ではありますが シュタイナーの神秘学を教育ということだけで部分理解するのではなく 広がりをもって理解するためには、こうした医学方面に関しても 理解していく必要があるのではないでしょうか。    ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05238/05239 GGA02514 KAZE シュタイナー全集●GA28:わが人生の歩み (13) 96/12/28 00:08 05232へのコメント ■GA28    わが人生の歩み     Mein Lebensgang (1923-1925) *邦訳/  ・「シュタイナー自伝I/わが人生の歩み」   (伊藤勉+中村康二訳/人智学出版社/1982.11.2発行)  ・「シュタイナー自伝II/わが人生の歩み」   (伊藤勉+中村康二訳/人智学出版社/1983.3.15発行) 本書は、人智学と社会有機体三分節化運動のための雑誌「ゲーテアヌム」に 1923年12月9日から1925年4月5日にかけて、70回連載されたもので、 残念ながらこれは、シュタイナーの52歳までの時点で、 シュタイナーの死によって未完のままに終わりましたが、 死後、夫人のマリー・シュタイナーにより、1925年に出版されました。 邦訳では、全2巻に分けてだされていますが、 ひょっとしたら、もう手に入りにくくなっているかもしれません。 本文の最初にあるように、シュタイナー自身としては、 こうした自伝を書こうとは思っていなかったようですけど、 友人の勧めもあり、また変な憶測を避けるためにも、書くことにしたようです。 しかし、こうした記録はたしかに後世、こうしてシュタイナーの神秘学を 学んでいくにあたっては、参考になるのは確かですので、 読まれていて損はないと思います。 以下、冒頭あたりの部分から、なぜこうした自伝を書くことになったかについて。   私は、自伝を書くというようなことは。自分の柄ではないと告白せざるを   えない。というのは、私は自分が言うべきことや為すべきことを、私個人   ではなく、問題自体が求めるがままに形成しようと絶えず努めてきたから   である。確かに個人的要素は、多くの分野で人間活動に非常に価値ある色   彩を賦与するであろう。しかしこの個人的要素は、自分の個性を観察する   ことによってではなく、話し方や挙措を通して現れ出るべきものであろう。   自己観察から生ずる事柄は、せいぜい自分で処理すればよい問題である。   したがって、私がこのような記録を書くことに決心したのは、一つには、   私の人生と私の行動との関連について述べられている多くの偏見を、客観   的な記述によって正す義務があると思うからであり、いま一つには、この   ような偏見がある以上、私に好意的な人々の勧めにも道理があると思われ   るからである。    「自分の柄ではない」という通り、この自伝はシュタイナーの死によって 未完に終わることになりましたが、 世の中には、名声を求めるあまりに、早くから自伝を残そうと努める方の なんと多いことでしょうか。 それは、みずからの活動を「個人的なこと」であると 告白しているようなものです。 また、「私の人生と私の行動との関連について述べられている多くの偏見」に 関しては、現代の日本でもそうしたことはわりとあるようで、 この自伝から抜き出してきた要素を、さも暴露記事のような在り方で、 告発しようとしているような稚拙な在り方を読んだ記憶があります。 で、この自伝を読んでいない方がそれを読んで、誤解するというわけです。 たとえば、「シュタイナーはフリーメーソンと関係があった!」など 自伝のなかでちゃんとそれについてのいきさつなどの説明があるにも関わらず それをシュタイナーが隠していたかのような書き方などはよくされることです。 シュタイナーに限らず、そうした馬鹿げた書き手と読み手の需給関係によって 増殖していく誤解は百害あって一利なしですので、 そうした稚拙な需給関係に入る前に^^; こうした自伝を一応読んでおくということも意味のあることだと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05234/05239 GGA02514 KAZE 飴と鞭など (13) 96/12/27 01:04 05228へのコメント アマデウスさん、どうも。 》 僕は最初「悪魔の教え」という表現を見たとき「辛辣だなぁ」と思ったん 》ですが、本当の自分から目を背けさせるような誘惑をささやくような心の動き 》と考えると、確かに「悪魔」というのは言い得て妙のような感じがしますね。 シュタイナー的にいうと、「悪魔」というのは二つの方向に大別できます。 いわゆるルシファーとアーリマンですけど、わかりやすくいうと、 現実逃避にもなりがちな欲望や空想に向かう方向をルシファー、 唯物論的な即物的傾向、科学主義的傾向に向かう方向をアーリマンといいます。 それぞれに「悪魔の誘惑」なわけですけど、 どちらも真実から目をそらせようとする「誘惑」に他ならなくて、 その二つとも両極端な現実逃避の方向であるといえますから、 その二つの方向の「中道」を歩むことが「正道」であるといえます。 》 「悪魔」と名付けてしまうと、自分以外の者のように感じてしまいますが、 》甘い言葉をささやくのは自分自身の一部でもあるんですね。虎と似ています 》が、虎はうまくコントロールすればエネルギーに転化できるのに対して、 》タチが悪いと思います。 「虎」に働きかけるという存在を「悪魔」だということもできるでしょうね。 「虎」をそそのかして暴走させる手口をたくさんもっていて、 こちらが「虎」をちゃんと制御できないとみるや、その隙に乗じて、 「虎」を懐柔しようとてなづけるというわけです。 》 どちらも油断したらすぐに丸め込まれてしまう手強い相手ですが、まあ虎 》にしても悪魔にしても、自分の心の一つの現れであることを自覚して、自分 》を律するトレーニングを促してくれるネタと思っておくことにします(^^;。 おそらく働きかけてくる「悪魔」のパワーというのは、 その「虎」のパワーに応じたものなのでしょうから、 しっかり「虎」を制御できていれば、なんとか乗り切れるもののように思います。 結局は、よくいわれるようにすべては「我が唯心の所現である」わけで、 おっしゃるように、魂の働きを強めていくトレーニングとして考えれば、 それを「遊戯」することとしてとらえることもできますね(^^)。 》 ところで話は全然変わりますが、今日通勤途中に駅の電光ニュースで、 》「ボランティア活動すれば免停処分取り消しとの道路交通法改正案」という 》のを見かけました。これ、どう考えてもおかしいですよね。要するに「社会 》奉仕すればチャラにしてやるよ」ということなのでしょうが、根本的にズレ 》ていると思います。 それは、「○○○したら罰則を与えるから、罰則がいやだったらするな!」 というのの裏返しですね。 「放っておいたら悪いことをするんだから外から縛る必要がある」という性悪説。 「ボランティア」にしても、それが「自発」であることを理解せず、 社会的なシステムのひとつとしてだけ活用しようとするわけでしょう。 けれど、日本での共同体の原理というのは、基本的には、 そうした村八分的な、外的規範で縛ってしまう発想、 「空気」ないしは「空気」を実体化したルールで縛ってしまう発想ですから、 まずは、それに「なぜ」という意識を常にもっていかないと、 そういう「飴と鞭」式の馬鹿げた在り方に流されてしまいがちですね。 「飴と鞭」でロボット化されている人間たちと 「飴と鞭」で調教する発想しかできない、これまたロボット人間たちのつくりあげる きわめて貧しい社会には生きたくないものですけど、 悲しいことに、現状ではそういう方向性が強いように感じます。 学校しかり、会社しかり、家庭しかり。 まずは、自分のなかにあるそういう「飴と鞭」に できるだけ意識的になることから始めたいですね。 では、では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05230/05239 GGA02514 KAZE FARIONのリニューアルについて (13) 96/12/26 23:38 他の会議室でも公示されはじめているように、 来年早々、このFARIONがリニューアルされます。 その準備のため、この会議室も一時的に閉鎖となりますが、 以下の予定で、同じくこの13番会議室はこのまま継続されます。 ・12月31日朝からリードオンリーとなります。 ・1月1日深夜より、会議室が閉鎖となります。 ・1月3日昼頃から、会議室が再会します。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05231/05239 GGA02514 KAZE 宗教・哲学会議室の新設について (13) 96/12/26 23:38 全アーティクルで、FARIONのリニューアルについてお知らせしましたが、 この「神秘学遊戯団」のテーマの展開として、 18番会議室として「宗教・哲学会議室」が新設される予定です。 この会議室は、単にこの会議室からの展開であるというのではなくて、 現在の18番会議室での「道」に関する話などについてのテーマなども 継承していく新たなものとなると思いますので、ご期待ください。 この会議室の関連でいえば、「いか超」の話はこのままこの「神秘学遊戯団」で、 「禅について」や「仏教思想」の話に関しては、 新たな「宗教・哲学会議室」でお話を続けていくことになります。 なお、その新しい会議室では、 現在18番会議室での副議長をされているアマデウスさんと そしてこのぼくが、「二人議長」として話を進めていく予定です(^^)。 ご期待ください。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):預言解読村  ★ 預言・予言は何を語るか 96/12/28 - 04724/04754 HQK00566 SOUND RE^17:「炎で書いた物語」最終章8の4 (14) 96/12/23 16:50 04608へのコメント コメント数:2 「炎で書いた物語」最終章(その8の4) <戦士(さむらい)達は今>(その4)  病院で目覚めると五年前脳内出血の手術を、執刀してくれた医師の顔が目の前にあっ た。 ぼくの意識の中でその五年前の時点と現在という時が直接、接ぎ木されて、 間の時間がどこかへ飛んで行ってしまった。 妻や息子にあとで聞いて知ったことを以下に記しておく。  12/13午後七時前、 妻と息子の声が聞こえなくなり意識が途絶えた。 目の玉が裏返っていたという。 妻は119番を呼んで救急車のあとについて自家用車で走った。 「わたしたちは信号無視で行けますが、 あなたはダメなんですよ。みなさん間違えて事故を起こしたりするんです」 そう念を押されて妻は病院まで慎重に運転した。  駆けつけた脳外科の医師はぼくの顔は忘れていたが カルテを見て自分の患者であったことに気がついた。 そして、その間、一度も指定した薬を取りに来ていないことを知って 怒り心頭に発して妻と息子をなじった。 血圧降下剤と痙攣抑止剤はどうしても必要だという。 「本人が飲まないと言うので」という息子を 「薬も飲まないのなら救急車も呼ぶことはないじゃないか。 君はそれでもセガレかそれでお父さんの命を縮めてもいいのか」 と責めた。 「本人の意思を尊重します」 と息子は答えた。 「頭の方は大丈夫ですがCTスキャンで見ると胸のところに変な影があります。 わたしは胸は専門ではないので何とも言えないが 明日、専門医が来ますからこのまま入院して待って下さい」 と医師は入院を勧めた。 脳の発作なのに胸まで見たというのはどうも変である。 「本人に訊いてからにします」 「本人は眠剤(みんざい)をうって眠らせてしまえば、いいじゃありませんか。」 「やっぱり、本人の人権を尊重して連れて帰ります」 五年前、意見を求められることの無かった中学生が 人権尊重ということばを使える高校三年生になったのだから月日が経つのは早い。 ベッドというまな板の上の患者もただの物体ではなく 人権というものを持っていることをこの高校生は知っていた。  というわけでぼくは人権を尊重されて帰宅できた。 そして、翌日、胸の検査に来て下さいと言われていたことの断りの電話を事務所に入れ た。 「うちの院長が呼吸器専門なのですが検査はいりませんか」 と尋ねられて、院長のお達しで機会があれば 全ての患者の胸までCTスキャンで観ることになっているのではあるまいかと邪推し た。 しばらくして、脳外科の担当医から電話があって、本当に痙攣止めの薬はいらないので すね、 と念を押してきた。 病院に検査や薬の不要を納得して貰うのは好意を無にするようでむつかしい。  ぼくは何の薬であろうとあまり頼らないことにしている。  頚椎損傷で入院していたとき、あまりの服用薬の多さに閉口して、 医師と相談してなるべく薬を削って本当に必要な薬以外は飲まないようにすると宣言し た。 すると、最後に医師が残したのは、なんと下剤だった。 神経が損傷していると自力で排便するのが難しいのでそれだけは必要だという。 退院の日、医師はどうしてもこれだけは、といってかなりの量の下剤を出してくれた。 ぼくは、要らない、と言った。 それでも、医師は、どうしても、と言うので仕方なく一応持って帰った。 結局、一包みも開くことはなかった。 しばらくは、便秘と便失禁の毎日だった。 しかし、自分が決めたことだからあまんじてその状態を受け入れた。 やがて、いつしか体が薬を飲まないことに慣れて便秘や便失禁も消えた。  ぼくは生死を分かつときの応急の投薬は拒まないけれど、 自ら求めて服用し続ける気はない。 自分に元々備わった治癒力が衰えるような気がするのだ。 脳卒中の後も退院後は医師が指定した降圧剤や痙攣抑止薬に全く世話になることなく済 んだ。 時折、調子が悪くなっても、それはそんなものだ、と思って納得している。  今回、救急車で運び込まれたのは失敗だった。 だから、薬を飲めといわれる羽目になった。 でも、五年間もお世話にならずに済んだのだから、 これはこれででいいのではないかと思っている。  ***********************************************************************  今回は、同魂異名であろうと思われる籠の中の鳥(ニギハヤヒ、ホルス、キリスト) を追いかけて鳥に関する預言を調べる。 >> 94/04/23 未だ明け染めぬ頃、帝の意志は夜鳴き鳥に無事に運ばれるだろう  この夜鳴き鳥を常世の長鳴鳥と考えて古事記を参照する。 岩波文庫「古事記」に 天照大御神が「天の石屋戸(いわやど)を開きてさし籠(こも)りましき。」とある。 この部分の注を見ると「岩戸にこもるということは貴人の死を意味する。」 となっている。 その貴人こそが饒速日尊であった。 「籠る」という字をみれば籠の中の鳥となったと推測できる。 「石屋戸」とは文字どおりイシヤ(デ・ゼビアス・デニアス・アイ)の戸である。  常世の長鳴き鳥とは鶏のことで太陽の出現を促す呪術ということになっている。 ところが、これは実は「名が無き鳥」(ナガナキドリ)のことなのである。 名が無き鳥として饒速日尊の名は歴史から消されてしまった。 「籠の中の鳥」として今日までかごめ唄に歌われて来た。 常夜(黄泉)の国でこの鳥は鳴き続けた。 「帝の意志は夜鳴き鳥に無事に運ばれるだろう」 帝とはミカドで三角なのである。 靈来神堂(ピラミッド)の三角のことでもあるので石(意志)を運ぶという表現をとっ ている。 夜鳴き鳥にピラミッドの石が運ばれると黄金太陽の用意ができるのである。 >>94/05/07 十字形に黒鳥は飛び、鉤爪を卍に掛ける…湯屋の中で眠るのは誰? 十字(クロス)とは黒主(クロス)の意でもちろん、キリストのシンボルである。 黒鳥は赤の世界(隔り世)から出てきたキリストの十字が回転する文字(黒)の鳥、 黄金太陽の上のビラミッドが回転する。 鉤爪は肉食鳥、梟の爪で詰めに通ずる。 卍の水極(右)の回転、物質至上主義は大詰め(極)に近づいた。 湯屋(熊野)の中で眠るスサノオ(YHVH、オシリス)の目覚めと共に 逆卍の回転、靈主のの世を開く。 >>94/06/01 940617…位はあるべきところへ、940618…高飛び鳥の鳴く声を… 高は鷹がエジプトのホルスの象徴であるから、 ここではホルスとしてのキリストを示唆している。 「飛び鳥」は飛鳥(あすか)を示唆して「位はあるべきところへ、」とは饒速日尊の復 位を指す。 >> 95/02/24 朝告鳥、世明け時に鳴く。悪しき法は蹄に掛けよと麒麟が吠える  朝の文字の意味についてはすでに述べたことがあるが補足しておこう。 朝の偏は、黄金太陽(八咫の原理)そのものを表しているのだ。 上下にある十字は二つの逆回転する靈来神堂である。 黄金太陽と月とによって真の朝が来る。 そのことを示すためにこの文字は創られた。 そのことを告げる鳥は世明け時に鳴く。 「悪しき法は蹄に掛けよ」 「蹄」すなわち、帝(ミカド)の足に掛けよ。 三角(ミカド)の足とは朝の偏の黄金太陽の足の部分であろう。 そこに悪しき法(卍)を掛けることによって朝の偏は完成する。 飛鳥について考察するために光の黙示録の詩編を参照しよう。 >> >>三四、 飛ぶ鳥は撃たれた >>    闇に走る者達の >>    「聖なる剣」によって (光の黙示録、詩編より)  この飛ぶ鳥が飛鳥のことでその帝、饒速日尊を象徴している。 「闇」すなわち、八(出雲)から三(日向)にするべく走る者達の 「聖なる剣」によって撃たれたという。  この場合の「聖」は良い意味ではない。 「聖」とは耳と口ではなくこの□は古代の巫術(フジュツ)の呪器(ジュキ)のこと。     「占」の口はサイというお椀の形。呪や祝いの兄にも含まれる。 大日霎貴(オオヒルメムチ)尊(卑弥呼)が耳を澄まして 神のお告げを聞くのだがそこで陰謀があった。 饒速日尊は卑弥呼を傀儡として操る弟、瀬戸に撃たれた。 剣(つるぎ)は蔓気で、その系統の一族のことである。  巫術(フジュツ)によって「聖」、すなわち、耳を澄まし 口(さい)に入れられたお告げによって王になることを目指す一族によって  飛ぶ鳥(出雲族)は撃たれた。 しかし、なぜ飛ぶ鳥と書いてアスカと読むのだろうか。習わないことには とても読めない字である。 その深い意味をわれわれも知るときがついに来た。 飛鳥(ASUKA)は天上で反転して読めば「開くさ」ということである。 もう、物質の世は極みに達し反転するときが迫っている。 そのとき、「開くさ」とこれまで待ち続けていたのである。 飛鳥の帝はついに反転して統治するときが…。  (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 04742/04754 KFQ02761 しまうま RE^18:「炎で書いた物語」最終章8の4 (14) 96/12/26 21:38 04724へのコメント コメント数:1 #04724 SOUNDさん  こんにちは〜(^^)。 | 常世の長鳴き鳥とは鶏のことで太陽の出現を促す呪術ということになっている。 |ところが、これは実は「名が無き鳥」(ナガナキドリ)のことなのである。 |名が無き鳥として饒速日尊の名は歴史から消されてしまった。  今日、『光の黙示録』の詩篇を読み返していたら、こんなのがありました。   IV   喜びの歌を血塗られた雄叫びに変えるのか       その手に懸けるか この名も無き鳥を  この「名も無き鳥」も、SOUNDさんのおっしゃる、 「名が無き鳥=長鳴鳥=饒速日尊」  の系列に収まる鳥なのかもしれないなあ、などと思いました。  「血塗られた雄叫び」というフレーズには、出雲族の血脈をもつものに対す る徹底的な断種・弾圧があったことを、想像させますね。  でわでわ〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 04751/04754 HQK00566 SOUND RE^19:「炎で書いた物語」最終章8の4 (14) 96/12/27 17:13 04742へのコメント #4742しまうまさん、こんにちは(^^)。 >> IV   喜びの歌を血塗られた雄叫びに変えるのか >>      その手に懸けるか この名も無き鳥を >> >> この「名も無き鳥」も、SOUNDさんのおっしゃる、 >>「名が無き鳥=長鳴鳥=饒速日尊」 >> の系列に収まる鳥なのかもしれないなあ、などと思いました。 >> 「血塗られた雄叫び」というフレーズには、出雲族の血脈をもつものに対す >>る徹底的な断種・弾圧があったことを、想像させますね。  うーむ、これは見落としていました。鋭い指摘に驚きました。 その通りですね。「名も無き鳥」とナガナキドリは全く同じ事を意味していますね。 これではいっぱい見落としているヒントがありそうですね(゚O゚) いつもコメントありがとうございますm(__)m それでは(^_^)/~ SOUNDでした 04749/04754 PAG03134 はな 三角の意思 (14) 96/12/27 02:01 04724へのコメント SOUND さん  救急車で運ばれた一連のご報告、読ませていただきました。大変 だったのですね。その後お身体の回復具合はいかがですか。SOUND さんのお話をうかがって、私の父親のことを思い出しました。私の 父親は医者が嫌いで、何度か「即、入院!」と言われたことがあり まして、そのたびに帰ってきてました。SOUND さんのように、自分 の自然治癒能力を信じていたと言うよりは、単に医者嫌いだったよ うです。  さて、 >>「帝の意志は夜鳴き鳥に無事に運ばれるだろう」 >>帝とはミカドで三角なのである。  「帝とはミカドで三角なのである」から、日向が封印した345 の直角三角形の封印ではないかと思いました。(ROMerの方へ:日向 の345の封印とは、日向族が直角三角形の形で日本国中にかけま くった封印です。現在地名として「3」のつく所、地名の頭が「ご」 で始まる所が345の封印の2点を表しています。詳しくは新刊 「アーリオーン メッセージ」(徳間書店)」をご参照ください。  帝の意志=「3角(みかど)の54(いし)」と読むと、345が 入っていますよね。何かの解読に使えないでしょうか。                         はな 04725/04754 GCG01101 アマデウス RE:【週間テーマ 1】 (14) 96/12/23 22:52 04698へのコメント コメント数:1 #4698 はな さん >>   1)今年1年は、あなたにとってどんな年だったでしょうか?   今まで当然だと思っていたこと・考えるまでもないと思っていたことが、  実はそうではないんじゃないか?と疑問が持ち上がった一年でした。  その疑問についてよく考えてみると、本当は考えないといけなかったこと  なのに、考える苦しさに背を向けて「世間一般そういうものだ」で済まして  きたことに気付かされたように感じます。   4年も前にARIONの著作を読んで、考えてきたつもりだったことが、  実はまだ表面を撫でているに過ぎなかったような気がしています。遅ればせ  ながら考え始めようとして、突然目の前に断崖絶壁が現れたような。  だから、「どんな年だったか?」と問われたら、答えは         キビシ〜〜〜ッ(財津一郎風に(^^;)                               アマデウス 04735/04754 PAG03134 はな RE^2:【週間テーマ 1】 (14) 96/12/25 21:16 04725へのコメント アマデウス さん  その‥‥、財津一郎風に「キビシ〜〜〜ッ」っての、私知らないんどすわ。(^^;  私はこの一年を振り返って、本番にふさわしい年を過ごせたか、はっきり言って 疑問符です。自分を愛せなかった時、自分を愛した時、瞬間瞬間でいろいろとあり ました。総じて愛したい自分がどこかに行ってしまい、見えなくなってしまった年 であったようにも感じます。  96年も後半になって、ばたばたと身辺にいろいろと起こり、自分の弱さが露呈 した年でもありました。「あれ、おれってこんなことでガタガタくるんや」と思っ たこともあります。 >>  4年も前にARIONの著作を読んで、考えてきたつもりだったことが、 >> 実はまだ表面を撫でているに過ぎなかったような気がしています。遅ればせ >> ながら考え始めようとして、突然目の前に断崖絶壁が現れたような。  アリオンの「光よりの光」の一節に、身体がいまいち優れない人には、案外所有 欲の強い人が多いことが指摘されています。4年も前に読んだこの一節は、自分に は、関係ないだろうとタカをくくっていたのですが、しっかり自分が所有欲の強い 人間だと感じた年でもありました。  それまで体の調子がいまいち優れなかったことがしばしばあり、「私は所有欲は 強い方ではないから、体の調子が優れない理由はなんなんだろう?」と4年も過ご してきました。自分の弱さが露呈したのは、「自分が手にしたであろうもの」が幻 想だと気づいたときのショックとして現れました。アマデウスさんの目の前にある 断崖絶壁の一つが、私の場合所有欲への拘泥でした。                       はな 04737/04754 PAG03134 はな 週間テーマは12月31日〆切 (14) 96/12/25 22:05 04698へのコメント  MES#04698とMES#04699にて発表したテーマも、残り数日で締め切り日を 迎えます。この会議室を読まれて、まだ発言されていらっしゃらない方、 1行でも2行でもよいですから、日記代わりにでも預言解読村を利用して みませんか?  12月31日までのお題は、次の2つです。   1)今年1年は、あなたにとってどんな年だったでしょうか?   2)子どもと犬、猫が住み易い土地とは?  詳しくは、MES#04698とMES#04699をご覧ください。                       はな 04754/04754 MHD02672 TAO 今年という年 (14) 96/12/27 22:27 04698へのコメント   週間テーマに私も参加させて頂きます。m(. .)m  >> 今年1年は、あなたにとってどんな年だったでしょうか?   現実認識や自己認識の甘さ、そして己の依存心を痛感させられた年でした  ね。欲望に惑わされて無謀な真似もやらかしたり、何かと自分自身に失望せ  ざるを得ない局面が多かったように思えます。「本番」という語感とは裏腹  に、やり遂げたという充実感が湧いて来ない年でした。   そういう意味では、自分の掛け値がない等身大の姿に気付く為の一年だっ  たように思えます。来年が、今までの自分を括る/括られる年だとしたら、  括った/括られた後の自分の「新しい始まり」を目覚めなければならないの  では無いでしょうか。   今までの自分の人生が意味を失ったような喪失感も味わいましたが、それ  が本当の終わりとなるのか、或いは始まりの為の終わりとなるか、は自分次  第なのだろうと思います。  TAO 04727/04754 PAG03134 はな 体調の良い悪し (14) 96/12/23 23:33 04713へのコメント 維/YUI さん、こんにちは。 >でも、かなり体が主になっていた年。体がつらくなると、つい甘やかします。 >そのあげく、調子が良くなかったりして。 >心のストレスが体のわがままを増長させていることを思い知った年。  私は「体調がいまいち優れない」と思うときがあり、後から振り返ると なんらかの問題を抱えていたことがありました。なぜ体調が悪くなったか 考えるようになったのは、まだ最近です。今でも、問題のほうには意識を 向けようとするのだけど、維/YUIさんが言われるように自分の体を自 分で甘やかしているから体調が悪くなることには、なかなか気づけません。  以前は風邪を引いたら、じぶんで「お〜、よしよし(気持ちわる)」と、 自分で自分を慰めていたのですが、最近、自分ながらに少し意識が変わっ たかなと思うのは、風邪を引いたら悔しいと感じるようになったことです。 それに、風邪を引いてくやしいと思うほうが、自分の体に備わっている自 然治癒力がうまく働いて、早く風邪が治るような気がします。   はな 04741/04754 PAG03134 はな ツケそのもの (14) 96/12/26 19:05 04607へのコメント コメント数:1  おそばせながら、「私たちが払うツケとは?」について思うことがあった。  大蔵省は1997年度を「財政構造改革元年」と銘打って、予算の原案を 発表して、あらためて話題になっているのが「国民の抱えている借金地獄」 である。  現在、国と地方が抱えている借金を見積もるとなんと477兆円! 国民 一人当たり350万円くらい。一世帯が平均何人かは分からないけれど、返 済能力がある人は国民の5分の3位とすると、一人当たりざっと見積もって も500万円はくだらない借金を抱えている。  国は60年債だっけか?を打ちだして、私たちの子どもや孫の世代にいま の借金を返させようとしている。  このツケも今世紀中に返すことになるのか?                       はな 04745/04754 QWC01550 コットンマウス 支払い困難(^^; (14) 96/12/27 00:41 04741へのコメント #04741 はな さん こんにちわ(^^) > おそばせながら、「私たちが払うツケとは?」について思うことがあった。 > > 大蔵省は1997年度を「財政構造改革元年」と銘打って、予算の原案を >発表して、あらためて話題になっているのが「国民の抱えている借金地獄」 >である。  まじめにとんでもない借金ですね(^^;   先日、市町村の起債(長期ローンと考えてください)許可を担当している 連中と今の国の財政状況について話す機会がありましたが、地方公共団体が 今の国と同じような状況になったら、びた一文起債できないばかりか、大幅 な歳出削減(人員の大量削減や事業の大幅縮小など)で済めばいい方で、 下手すれば国の管理下におかれるような事態になりかねないと真顔で話して いました(^^; 重大な決意で、公共事業費の大幅カットに、各種政策の根本的見直し、 租税優遇措置の原則撤廃、罰則の大幅強化等をやれば、なんとか返済できる かも知れませんが・・・。半端な決意じゃダメでしょうねー(^^;;;   > このツケも今世紀中に返すことになるのか? ツケ払いの強制執行が行われないことを、切に希望するのみです(苦笑)    96/12/27(金) 00:02 コットンマウス(QWC01550) 04729/04754 GHH10354 星見 RE:八卦について 〜陰陽道から〜 (8) (14) 96/12/24 04:38 04720へのコメント コメント数:1  はなさん、こんばんはです。 》 64卦の8番目の卦は水地比である。水地比は1文字で「比」とも 》言われ、人の和を示す卦である。。「比」の文字は人が二人並んだ形 》をかたどっており、争いの後に人々が親和関係になることを示す卦で 》ある。  水地の卦は「水」の下に「地」がある....その名の通りそれぞれが収まるべき ところに収まり、水が地を潤し、地が水の意を汲み取るようにしてその流れの場 を提供するという、「和」を示す卦です。また、デジタルな世界の広がりとして 卦を見ると、「8」は、それぞれの要素が補いあって世界を構成するという暗示で もあります。 (1:中心、無であり有、空/2:天と地、光と闇、陰と陽/4:自然、物質、人間  /8:家族、社会....etc.) 》 亀甲を読むために必要な目の8には、これからの世界を立ててゆく 》ために、両者が和合し、協力し合ってゆかねばならないことが示され 》ている。  ただ、協調を示すに当たっては、然るべき者が上に立ち、それをバックアップ するものが下から支えるという形にならないと「和」として成り立ちませんよ ね。「8」の数字で解くと「4」は物質と人間の数字ですから、上に立つ者と下か ら支える者とで社会がうまく機能することになります(4+4=8)。  互いに認めあい、補いあう形で進まねばならないことを説いています。相克の 関係にあるものが協力しあえば無から有を生み出せるが如く....それも、 「支配」ではなく自然な形ですんなりはまるように。  どちらか一方では決して成り立たないのですから。 (真の和合のためには全てが対等であることを認めなければならないのですが)  はたして下の者が上の者を席巻するだけの実力を携えて、それに取って代わる ことが出来るのでしょうか....  また、上の人間がそれを認めることが出来るのでしょうか....?                             ★ 星見 ★ 04732/04754 PAG03134 はな RE^2:八卦について 〜陰陽道から〜(8) (14) 96/12/25 20:14 04729へのコメント コメント数:1 星見さん、まいどどうもです。 >> はたして下の者が上の者を席巻するだけの実力を携えて、それに取って代わる >>ことが出来るのでしょうか.... >> また、上の人間がそれを認めることが出来るのでしょうか....?  星見さんが指摘されたこの部分を、アジアと欧米にあてはめてみると、 現在の世情分析にもなるかな。 1.「はたしてアジアが欧米を席巻するだけの実力を携えて、欧米に取    って代わることができるか?」 2.「また、欧米はアジアが欧米に取って代わることを認められるか?」 1.については、わたしはすでにアジアは欧米を席巻するだけの実力が あると考えています。 2.については疑問です。欧米がけっこう往生際が悪いような気がしま すから。                       はな 04744/04754 GHH10354 星見 RE^3:八卦について 〜陰陽道から〜(8) (14) 96/12/27 00:10 04732へのコメント コメント数:1 》2.については疑問です。欧米がけっこう往生際が悪いような気がしま 》すから。  問題はこれなんですよね〜、やっぱり。  日向と出雲にしてもしかり、アジアと欧米にしてもまたしかり....  よっぽど出来た人間じゃなければ席を明け渡すことはないでしょうから。  でも、こういうお話はたいがいのことに当てはまっちゃうんですけどね(^^;)                             ★ 星見 ★ 04748/04754 PAG03134 はな 相克探しもおもしろそう (14) 96/12/27 02:01 04744へのコメント 星見 さん >> でも、こういうお話はたいがいのことに当てはまっちゃうんですけどね(^^;)  身近なところで ●●V.S.○○という相克探しをするのもおもしろいかも。 あ、次のお題決まったか?(^^;                       はな 04753/04754 PAG03134 はな 八卦について 〜陰陽道から〜 (9) (14) 96/12/27 20:13 04645へのコメント  「割れた亀甲の文字を読むに必要な目は、1、5、6、8、13」                  (95/10/17 ハローメッセージ)            *     *     *  易経にある64卦からひもといてきた1から8までの数字をたどって、 相克する二つのグループである日向と出雲、また欧米とアジアの今後た どるべきシナリオを模索してきた。  亀甲を読むために必要な目の8には、これからの世界を立ててゆく ために、これまで不仲であった両者が和合してゆかねばならないこと が示されていた。「8:水地比(すいちひ)」は人の和を表しており、 易経をみれば、何事も親和の心で進めれば多くの者が仰ぎしたがうと ある。不穏な仲であった者同士が和解する卦であった。  さて、割れた亀甲の文字を読むに必要な目の最後である13は、ど うなっているであろうか。  13:同人 (天火同人)    ___    ___    ___  (天)    ___    _ _    ___  (火)       易経には、次のように書かれてある。 『遠近の別なく、広く同士を求める。中心となる唯一の柔爻が中正を  守って人々と対しているのだ。志は遂げられる。たくましい実行力  は、大河を渡るような難事業をも成就させる。知性豊かにしかも剛  健、よく中正を守る。これが君子の正しいあり方である。この道を  変わることなく守る君子のみが、天下の人々の心を通じあわせるこ  とができる。』                 (易経 徳間書店 p.86)  13:同人の卦では、正しい君子のありかたが説かれている。同人 の卦では、君子がたどる道は、遠近の別なく広く同士を求めなければ ならないと教えてくれる。日向なら日向族の中ばかりに同士を求める のではなく、出雲族やそのほかの民族とも志を同じくして、道を求め て行かねばならない。これまでの日本の歴史は、日向族一色に塗り替 えられた歴史であり、そこからは出雲族は排除されてきた。  いま、出雲の神々が次々に復権しつつあり、出雲族と日向族は反転 しようとしている。しかしながら、ここで出雲族の圧倒的勝利となっ てもいけないのである。出雲族出身のスサノオやニギハヤヒが日本の 君子たりえるのは、あくまでもサブとして出雲族を支える日向族の強 力なサポートがあってのことだ。亀甲に映し出された13:同人の卦 は、どちらかがどちらかを虐げて上に立つのではなく、広く同士を求 めてゆかねば、君子が君子たりえず、また、君子の元で暮らす人心は まとまらないことを語ってくれている。  (このシリーズ終わり)                       はな 04731/04754 PAG03134 はな 預言解読村閉鎖のご連絡 (14) 96/12/25 20:14 コメント数:2  タイトルを見て驚かれたでしょうか(^^;  さて、新年早々FARION再編成のために、本年12月31日をもって閉鎖の 運びとなりました。預言解読村が消えて無くなってしまうわけではありませ ん。また、過去ログについてはデータライブラリに格納する予定ですので、 預言解読村が一旦閉鎖されても読めるようにいたしますのでご安心ください。  粉(97)の年にむけて、リニューアルするFARIONは、1月1日元旦の夜半 に会議室をクローズします。フォーラムオープンはフォーラム再編成の手続き が終了する、1月3日のお昼を予定しています。                        預言解読村 村長 はな 04743/04754 GHH10354 星見 RE:オクターブ (14) 96/12/27 00:10 04673へのコメント コメント数:1  関連するかどうかはわかりませんが、書店でこんな本が出ていました。  「音のなんでも小事典」 ブルーバックス  音の螺旋構造は神秘学や楽典の観念論なんかではよく見られますけども、科学 的にもその知覚が正しいことが証明されていたとは知りませんでした。  ちょっとびっくりした本です。                             ★ 星見 ★ 04747/04754 PAG03134 はな RE^2:オクターブ (14) 96/12/27 02:01 04743へのコメント 星見 さん  書籍の紹介ありがとうございました。私は音楽は好きで、結構オーディオに はまったくちです。「音のなんでも小事典」、おもしろそうです。 >> 音の螺旋構造は神秘学や楽典の観念論なんかではよく見られますけども、科学 >>的にもその知覚が正しいことが証明されていたとは知りませんでした。  音の螺旋構造が神秘学などの観念論で書かれているのですか。私がよく 目にするのは、ピタゴラスの「星辰の音楽に関する理論」です。挿し絵が いろいろあって、円がたくさん書かれている図ですが、あれがひょっとし て螺旋の構造なんでしょうか?  1オクターブのド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シが7で、占星術の7惑星 と一致している。それに、視覚的に虹の色は7色に分類されているなど、 7に分割されるのは、けっこうありますね。虹は本来スペクトルで見れば 無数の色が混在しているのであり、決して7色に分けられる訳ではないん ですけど。   *  *  *  * ※ROMの方のためにピタゴラスの星辰の音楽に関する理論を少し説明してお きます。  「ピタゴラスは宇宙を巨大な一弦琴と考えていた。その一本の弦は上   端は絶対精神に結びつけられ、その下端は絶対物質につながってい   る。言い換えれば一本の弦が天と地の間に張り渡されているのであ   る。天の外周から数えてピタゴラスはある権威にしたがって宇宙を   9つの部分に分けた。また別な権威にしたがって12の部分に分け   ることもあった。12の体系は次のようなものである。最初の区域   は炎上天と呼ばれ、これが恒星天にあたる。そこは不死なる神々の   住まいである。第2から12に至る区域は、(順に)「土星天」   「木星天」「火星天」「太陽天」「金星天」「水星天」「月天」   「火天」「風天」「水天」「地天」である。この7惑星の配列は   (太陽と月は古代天文学では惑星とみなされた)、ユダヤ人の燭台   が象徴するものと一致している。中央の幹に太陽があって両側にそ   れぞれ3つの惑星が配されているのである。」       (「秘密の博物誌」 マンリー・P・ホール著 人文書院)                       はな - FARION MES(19):世も末ばなし ★ ぶっ飛び話・罰当たり話 96/12/28 - 01254/01287 QZY01267 猫の手 自己中心的がいけないの? (19) 96/12/23 15:25  私の、  自己中心的なところがいけないんですか?    世界を背負っちゃっているような気分になっちゃってさ!    あんたの気持ちの中にもあるでしょ!  自己中心的なところがさ!    それを  いけない!  いけない!  と言っちゃったらさ、  あんたの中にある  自己中心的でありたい気持ちが  かわいそうでしょ。    あなたの中にある気持ちを潰しておいて、  あんたは幸せになれると思うの?    その気持ちも  大切にしてあげなさいよー。      私のことを、  自己中心的だって  責めてしまうと、  自分が、  自己中心的だと  宣伝しているようなもんじゃないですか。      その自分にも、  自己中心的なところがあるのを  認めてしまいなさいよ。  自分にもそれがあることを、  正直になってあげなさいよ。    そうしたら、  自分の中にある、  自己中心的な奴が  楽になるからさ。    自分に自己中心的なところがあることを  認めてしまったら、  他人の自己中心的なところは、  苦笑いして、  見ていられるんじゃないのかい?      思いきり、  自分に、  自分は宇宙の中心に居るんだ!  っと、  言ってあげてよ。    隣の誰かも、  やっぱり、  宇宙の中心に居るんだからさ。           ** QZY01267/『猫の手』 <12/23 15:13> ** 01255/01287 QZY01267 猫の手 未来を造る波動 (19) 96/12/23 15:26 コメント数:1  物質に頼る波動というのはね、  過去の波動なの。  過去のそれが幸せだった頃の記憶なの。    未来を紡いでいく波動はね、  あなたの幸せ感情が  生み出して行くんだよ。  どうしても、  今まで、  波動というのが分からなかったんだ。    そしたら、  どうもそういうことらしい。      よく病気を癒すという人たちが居るけれど、  その人達を見ても  多くの人を癒しているのに、  どうも、  幸せそうに見えなかったんだよね。    ところが彼らは、  自分の幸せ感の波動を生み出さないで、  物質界に残っている  過去の波動を回していたんだ。    だからそれは本当の所、  癒されたわけではなかったんだよね。  ただちょっと、  そこから離れただけだったんだ。    もちろん居るよ、  世の中には、  幸せの波動で癒してくれる  治療師さんも。             ** QZY01267/『猫の手』 <12/23 15:24> ** 01257/01287 HGE02116 MAKOTO 猫の手さんへ (19) 96/12/23 23:22 01255へのコメント コメント数:1 猫の手さん、貴方の一連の書込みに、違和感を感じている理由がやっと分かった。 それってね、私にとっては、強いられて言う言葉じゃないのよ。誰かに促されて口 にする言葉でもないの。誰かに分かってもらう為に口にするものじゃないし、誰か に聞かせる為のものでもないの。それは、誰かに「教えてもらう」ようなものじゃ ないの。そして、それは私が知っていればいいことなんだよ。 私にとって、それは、さりげなく口にする言葉。私が、言いたいと思ったときに口 にする言葉。そして、心の中で祈ってる時に、ふと浮かぶ言葉でもある。わざわざ 人前で言葉にする必要はないものなんだよ。 それを貴方は「表明しろ」と「強制」してる。むきになって「分からせようと」し てる。そんな貴方の態度に対する反発が、私の場合は違和感のもととなっている。 私も、みんな幸せになれるといいなって思う。けど、それをわざわざ言葉にする必 要は無いの。人にわかってもらわなきゃ、ならないようなもんじゃないからね。あ と、照れくさくて言いにくい言葉だったりもするんだけどね(^^;) …けどこれって、口にしても、口にしなくても、大抵の人は、心の中に持ってる「 思い」だと思うよ。私はこんな風に思ってる。 猫の手さん、貴方は、どうしても言葉にしてくれなきゃ嫌なの? 言葉にしてくれ なきゃ分からないの? 私は、それって、我が侭だと思うよ。 猫の手さん、貴方は、誰もが言葉にしてくれなきゃ、信じられない? もしもそん な気持ちが、貴方の中にあるのなら、それって哀しい事だね。 私は思う。もしもみんなから、貴方の欲しい言葉を得たとしても、貴方はそれを、 「心底から」は、信じられないんじゃないのかしら? そしてまた、何かの切っ掛 けで、自分の感じてる哀しさの中に溺れてしまうんじゃないのかしら? これが私 の杞憂ならいいんだけどね。 私は思うの。猫の手さん、まず貴方が幸せになればいいんだよ。貴方の姿を見て、 私もそうなりたいという気持ちを、誰かの中に起こさせるほどに、貴方の後に続き たいと思わせるほどに、幸せになればいいのよ。猫の手さん、私はね、貴方にでき る事は、人を変える事ではなく、話題を提供する事でもなく、ただ「身をもって、 幸せである事を示す」ことだけだと思うよ。 貴方が、まこと「幸せ」であるなら、そして「全ての幸せ」を祈るのならば、いつ までも、他者に苦痛や不快さを強いるものではない。それが「善意」から来たもの であっても、「必死の思い」から来たものであっても、今は、あやまてる行為と化 していると思う。それでは、貴方の気持ちは伝わらないだろう。そして、貴方には それが、分かっていると思う。 RESはいりません。ただ、貴方の気持ちがしずまったなら、自分が何を望んでい るのか、そして、自分が本当は何をしたいのか、今一度考えてみてくれるといいな と思います。                                MAKOTO 01260/01287 QZY01267 猫の手 MAKOTOさんへ (19) 96/12/24 04:33 01257へのコメント コメント数:1  MAKOTOさん、丁寧なRESをありがとう御座いました。    RESは、いらないと言うことでしたが、気になることがありましたので、RES させていただきます。  MAKOTOさんは、「誰もの幸せを願っている」ということを口に出して欲しい という私の言葉を強制されているように受け取ったんだ。  どちらかというと私は、普段その言葉を聞けなくて疲れてしまっているので 聴かせて欲しいとお願いしていたのですが、どこで、強制されているという風 にお受け取りになったのかしら?  今後のコミュニケーションのあり方として、学びたいと思いますので、どこ でそうだったのかお教え願います。  それにしても「誰もが幸せであることを願っている。」て口にするっていう のはそんなに難しいことだったのかしら?  私はごく当たり前の簡単なことだと思っていただけに、この会議室での今ま での状況を、逆に驚いて居るんですよ。  『猫の手』は、その言葉だけ頂ければ、元気になれるってお願いしているの ですけれど? それって、傲慢なお願いなんですか?    私が何を望んでいるか、何をしようとしているか、そのことについては大分 書いてきたつもりなのです。今のところ、それ以外の何かが私からでてくると は思えないのですが。 私がここに書き込みを始めてから、その基本姿勢はず うっと変わっていませんよ。  私はどこの誰であろうと、私の前にいる誰かが私のしたことで、幸せそうに していてくれたなら、嬉しくて、そのためにまた何かをしたいと思うのです。  本当は何をしたい?  本当に、誰もが幸せになるように糸を紡ぎたいのです。   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<12/24 03:53> ** 01282/01287 HGE02116 MAKOTO 猫の手さん(長文注意) (19) 96/12/27 00:25 01260へのコメント コメント数:1 #1260 >猫の手さん、RESありがとう。  まず、質問にお答えします。私が強制と受け取ったのは、情緒的、かつ、自己 陶酔的な大量の文に、辟易しているという、私の個人的な感情が原因です。読ん でいて楽しくないんですよ。ほっとするようなものでもない。ただ、貴方の苦し みや、焦り、甘ったるい感傷ばかりが伝わってくる。それが私の中で「感情への 共感の押し付け」「慰めの強要」という風に置き換えられ、それを私は、強制と 受け止めているようです。  どこに、どんな風な引っかかりを感じるかを、書き出す事もできるのですが、 大抵のものに「何らかの引っかかり」を感じていますので、申し訳ないのですが それを一々書いているだけの時間がありません。以下に、今回戴いたRESを読 んで、どう感じ、どう思っているのかを、内容に沿いながら書いてみますので、 参考になさってください。   *     *     *     *     *     * | どちらかというと私は、普段その言葉を聞けなくて疲れてしまっているので |聴かせて欲しいとお願いしていたのですが、どこで、強制されているという風 |にお受け取りになったのかしら?  猫の手さんが、言葉を欲しがっているという事はわかるのですが、その先の貴 方の行動が、どうにも符に落ちません。「聞かせて欲しい」と言っているのは猫 の手さんですね。「聞かせてくれると元気になる」のも猫の手さんですね。なの に貴方は、手を差し伸べてくれた人を救おうとする。自分の望んでる言葉が得ら れないと、なんで「救おう」とするんですか? その辺りが私にはよくわかりま せん。  猫の手さんの発言の中には、「貴方は私、私の一部」といったフレーズが、今 までに何度も出てきていますので、私とは、自他の認識の仕方が異なっているの かも知れません。猫の手さんの中では、自分と他人の区別というものが、どのよ うに処理されているのでしょうか? 私は、このあたりに、逆転する原因が隠さ れているように思います。 | それにしても「誰もが幸せであることを願っている。」て口にするっていう |のはそんなに難しいことだったのかしら?  そう望む事は、特別な事ではないと思います。それを口にするかどうかは、個 人の意志しだいだと思います。「難しいことだったのかしら?」という発言につ いては、私は「難しいこと」にしている責任の【一端は】「猫の手」さんにある ように思います。もっともこれは、この会議室ではという前提つきの意見ですの で、お間違えなきように。  私の場合、口にする事はさして難しい事ではありません。今。口にしないのは、 猫の手さんの欲求を叶える為には、口にしたくないからです。理由は、貴方の欲 求を叶え、貴方の感情を満足させる事が、貴方の為にならないと判断しているか らです。 | 私はごく当たり前の簡単なことだと思っていただけに、この会議室での今ま |での状況を、逆に驚いて居るんですよ。  私は、猫の手さんの「当たり前」と、私の「当たり前」には、かなりのずれが あるように思います。同じように、猫の手さんの「当たり前」と、他の方達の「 当たり前」との間にも、ずれがあるように思います。同じ事が「簡単だと思って いること」にも、言えるように思います。 | 『猫の手』は、その言葉だけ頂ければ、元気になれるってお願いしているの |ですけれど? それって、傲慢なお願いなんですか?  はい、現状を見る限りにおいては、貴方の態度は傲慢だと思います。そう思う 理由は、貴方の願望を叶えてくれる事のみを、際限無く求め続けているからです。 そこには、甘ったるい感傷が満ちているだけで、他者への配慮はないように思い ます。 | 本当に、誰もが幸せになるように糸を紡ぎたいのです。  猫の手さん、貴方の望みは「貴方が元気になる事」なんですか? それとも、 みんなが「誰もが幸せになる」事なんですか? 答えにくい質問かも知れません が、せめてどちらを優先させたいかだけでも、お聞かせいただけるなら幸いです。  ちなみに、質問理由ですけど、どちらを優先させるかをはっきりさせる事で、 今後の展開が、変わってくるように思ったからです。                               MAKOTO 01286/01287 QZY01267 猫の手 RE:猫の手さん (19) 96/12/27 14:00 01282へのコメント  MAKOTOさん、長いRESをありがとう御座います。    そうですか、かなり私は傷心状態にありましたから、辟易したと感じた方が 多くいらっしゃったのかも知れませんね。  そのことを教えて下さって、ありがとう御座います。    日常はかなり賑やかな場の雰囲気を生み出している私なのですが、この場所 に書き込みするときは何故か感傷状態になってしまいやすいんですよね。かつ ての、「ノロガメ」さん風に考えると、ここが非日常のバーチャル空間として 日常とのバランスを取る場所として機能していたのかも知れません。  私がSOSを発信してからの数日間というものは、本当に苦しかったですよ。  自分自身がSOSしなければならない状態のために苦しんで、それに対する期 待する反応がないことに苦しんで、全くキチガイ状態だったんですから。  でもここに来て、ようやくスッキリすることができてきています。  ただ、私がここでSOSをする必要があったんだ。それで十分だったんだ。と いう気がしています。体はいまだに重いですけれど、気分は軽くなっています。 自己完結してしまったということで、みなさんにはお騒がせして申し訳なく思 います。  でも、「大丈夫、私も誰もの幸せを願っているから。」という言葉は私をと ても嬉しくさせ、元気づけてくれる言葉であることには変わりません。  そういう意味でも、MAKOTOさんがRESをつけて下さったことを嬉しく思って います。その上、私の滞っているところを教えて下さって感謝しています。  私の望みが、「私が元気になるか」「誰もの幸せか」という質問はとても難 しいです。私が元気な状態でも、誰かが不幸と感じているようであれば、私は 元気で居られなくなってしまうだろうと思います。といって、誰もの幸せとい うことで自己犠牲していたとするならばそれはやっぱり私自身の不幸です。堂 々巡りしてしまいますね。  どうも、MAKOTOさんは、何かそのことについて思っていることがあるようで すので聴かせて頂けると有り難いです。  そうそう、自分と、他人との関係ですが、それもやっぱり全く相反する二つ のものがあります。「貴方は私、私の一部」と感じ考える方向と、「全く異質 の存在」と考える方向です。  「貴方は私、私の一部」と考えるときには、自分の所有物と思うような受け 取り方は危険だと思っています。あくまでも、自分の感情の状態の鏡としての 機能です。もう一つの「異質の存在」という面は、違うからこそきちっとした 手順を踏んだコミュニケーションが必要だという意味においてです。  親子の間や、狭い共同体の中でありがちなことですが、以心伝心、言葉にし なくても相手が受け取り自分の思いが伝わらないのはおかしいと思うのはとて も、非健康的な考え方だと考えています。更に、自分の思い通りにしようとい うのは、傲慢となってきます。  その辺の微妙な違いを、伝え切れていないというもどかしさが、常に、この 会議室に来てつきまとっていました。うまい言い表し方はないものかといつも 考えあぐねています。やっぱりこう書いても理解できないのかなーとか、  結局それが、感傷的になっていく原因にもなって居るみたいですね。  みなさんには、見苦しい文章に見えたのかも知れませんが、私は自分の文章 を読み返して、なかなか面白いイメージで世界を言い表していると感心してし まったりしています。ひとり、悦に入っちゃっていたりして、ご免なさい。  MAKOTOさんの、いたわりのある言葉を、ようやく受け取ることができました。  以前、別の会議室でRESを頂いたときにはとてもショックだったのですが、 今回は素直に受け取れました。ありがとう御座いました。  これからも宜しくお願いします。            ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<96/12/27 13:31:47> ** 01256/01287 JAG04260 満天星 猫の手さんに質問 ! (続) (19) 96/12/23 22:03 01252へのコメント コメント数:2 #1252 - 1254 猫の手さん こんばんは. 「逆質問」というものが大切である場合もありますが, 猫の手さんから の逆質問には, 原則としてお答えいたしません. 猫の手さんからの逆質問は, お互いが先へ進むための何らの意味もない ものとしか認められないので, この点, ご容赦願います.(私の方から は必要があって「逆質問」をしたい場合が出てくるかもしれませんが, そのときにも逆質問はしないことにします. −−しかたがありませんか らね. (^^; ) さて, 猫の手さんの 3 つの書込みを分析してみましょう. まず, 逆質問はすべて消去します. そうすると, その後に残る, 意味のあるメッセージは, 『私は自分の書込みがどんなに自己中心的であっても, 自分としてはそ れで(自己中心的なままで)よいと思う』 ということだけになりますね. さて, 上記の猫の手さんの発言は, 私の質問 (#1251) に何パーセント くらい答えたことになるのでしょうか? 次に, 猫の手さん個人にだけ関することではなく, この会議室の存在意 義に関わる問題がそろそろ見えてきているように思いますので, 次のこ とも書いておきたいと思います.(原則としては, 1 日に, 猫の手さん への回答や質問を 1 項目だけ書込むことにしておりますが.)  (1) 結果として『対話の材料を提供しているんですよ。』ということ    になるのと,「対話をしようとしている」こととは, 全く 別のこ    とです.    ある人が「対話をしようとしている」と認められるためには, 何    が必要でしょうか? (これについては, 私もいま考えていると    ころです.)  (2) 少なくとも〈壁〉(MES 5) では独り言は許容されています.    しかし, 他の会議室では, 独り言の書込みは, 原則として認めら    れないですね.    猫の手さんの書込みは, 独り言でしょうか, 独り言ではないでし    ょうか? 簡単には結論の得られそうもない問題と思われますので, 少し早いかも しれませんが, とりあえず 2 項目だけ書いておきます. さて, さきの「自己中心的」云々という立論(設問)に対する私の考え は, はっきりと,「自己中心的な行動はいけない」というものです. それは, その人自身にも利益を齎らしません. ましてや, 他人に利益を 及ぼすことなどあり得ようはずもありません. それだけではなく, 周囲 には迷惑を及ぼすと思います. (あまりにも常識的で, 凡庸な考えのように思われますが, (^^; その ようなことをはっきりと言わなければならないほどに, 残念な(情けな い)状況にあるというわけですね.) また, >> 私の求めや、 >> 問いに答えないで、 と, #1252 に猫の手さんは書いていますが, 猫の手さんの要求が #1220 に書かれたこと, あるいはそれに代表されるようなことでしたら, それ に対する私の回答は #1229 に書いたとおりなのです. −−それは, あ んまり素っ気無いもののようですが, それに対して補足すべきことは, いまのところ見当たらないと思うのです. 逆質問以外で, 私に対する質問がありましたら, すみませんが, 猫の手 さんは, 改めて明確にお書きくださいますようお願いします. #1251 に書きました猫の手さんへの質問は, なお, そのままに留保され ておりますので, できましたら率直なご回答をお願いします.                              満天星 01259/01287 QZY01267 猫の手 対話してないと言われても。 (19) 96/12/24 04:32 01256へのコメント コメント数:1  #1220では、助けを求めている人が、何を求めているのか、その人を観察す ると共に、自分の感情に耳を傾けて下さいということを、書いたつもりなので すが、満天星さんは、『猫の手』が何を求めていたと判断したのでしょうか? 私はその求めに応じてもらった気も、応じるか、応じないかの解答も、満天星 さんからは、全くもらった気がしないのですが?   それでおきながら、対話してないと言われても私も困るなー。        ところで満天星さんの望みはなんですか?  誰もが幸せであってもらいたいと言って書き込むことが自己中心的なんですか?  そういう場合には、じゃあどうしたらそうなって行くだろう? と話し掛け 始めれば、対話になっていくと思うけれど、満天星さんがそうしないわけはど うしてですか?  簡単に言えば、私は見苦しいから出ていってくれと言うことですか?  はじめからその態度で来られたんでは対話にならないわけだ。        違いましたか?        『猫の手』は、いつも、対話のきっかけになるものを提供してますよ。  それに対して、掛け合いになるものを返さずに、いきなりあんたは自己中心 的で、対話しないと言われても困ってしまうんです。  誰もが幸せ感じれるようになるためには何ができるだろうか?     ということについてはいつも私は開いていますよ。  そして、満天星さんの幸せ感も私の幸せですから、満天星さんが何を望んで いるのか教えて下さいとお願いしています。  私の望みについては、もう何度も言ってますよね。  とうぜん、私も対話したいと思っていますよ。            ** QZY01267/『猫の手』 <96/12/24 03:27:08> ** 01268/01287 JAG04260 満天星 RE:対話してないと言われても。 (19) 96/12/25 00:19 01259へのコメント コメント数:1 #1259 猫の手さん こんばんは. ようやく素直な態度で回答と質問をいただけたので, ほっとしています. このように対応してくだされば, 価値のある対話がしていけると思いま す. >> #1220では、. . . 満天星さんは、『猫の手』が何を求めていたと判 >>断したのでしょうか? >> >>私はその求めに応じてもらった気も、応じるか、応じないかの解答も、 >>満天星さんからは、全くもらった気がしないのですが? 私が理解した猫の手さんの私に対する要求は, #1229 に引用した 4 項目 です(3 項目 + 1 項目と言う方が適切かもしれませんが). それらに対して, 私は明確な回答をしています. −−最初の 2 項目の要求が主要であると思いますが, それらに対して, 私がはっきりと「拒否している」ことがお解りでないようですね. なぜ, 猫の手さんが「回答をもらった気がしない」のか, 大変不思議に 思います.(3 項目め以下にもちゃんと答えているのに...)    (ちゃんと読み返してみてくださいね. (^_^; ) >> ところで満天星さんの望みはなんですか? 何度も繰り返されているこの質問に対するお答えは, 次回か, その後に 書きます. 項目が多いですから... >> 誰もが幸せであってもらいたいと言って書き込むことが自己中心的なんですか? 猫の手さんの場合には, それが, 明らかに自己中心的な行動であると思 いますよ. >> そういう場合には、じゃあどうしたらそうなって行くだろう? と話し掛け >>始めれば、対話になっていくと思うけれど、満天星さんがそうしないわけはど >>うしてですか? その「問題(立論)」に関心がないということもありますが, より重要 なことは, 猫の手さんの「単なる自己満足」のためのお手伝いはできな いということです. (理由は上記に止まるものではありませんが, 今日はこれだけにしてお きます.) >> 簡単に言えば、私は見苦しいから出ていってくれと言うことですか? >> はじめからその態度で来られたんでは対話にならないわけだ。 >>       違いましたか? 猫の手さんが, 他人(これは, もちろん「多数の」という意味です)の 注意などに耳を貸さず, 自己中心的で意味のない書込みだけを続けるよ うであれば,『見苦しい』ですし,『出ていってもらいたい』と, 思いま すね. しかし, 現時点まで, 一貫して, そうならないことを願っています. 対話は, 質問などの項目数を少なくしてやった方がスムースに行きます から, そのようにしましょう. −−1 日のうちに質問と答えの往復が可 能なのですから. 今日は, 私の方からの質問は休みます. では, また明日.                              満天星 01270/01287 QZY01267 猫の手 RE^2:対話してないと言われても。 (19) 96/12/25 18:26 01268へのコメント コメント数:1  満天星さん、あなたの理性的なのに大変感服しちゃいます。    満天星さんは、私のSOS に最初のRES をつけて下さったのですが、どうも、 私を助けるためにお声を掛けて下さった訳じゃなかったんですね。私はてっき り、助けに来て下さったものと思い、勘違いして話を進めていました。  もし助けたいという方であったなら、「私も誰もの幸せを願っているから、 そんなに気落ちしていなくても大丈夫だよ。」とか言って声を掛けるのです が、どうも話しがぐるぐる回るんで、おかしいと思っていました。  で、  満天星さんが望んでいることは、「私のMESを、少なくしろ。」と言うこと なので、今夜は、あなたへのRESだけにしておきます。  ただ私は、誰の書き込みの妨害をした記憶もありませんし、一日の発言数に 規定があるとも知りませんでした。いずれにしてもこの会議室では、書き込む 人が少なくて、ほとんど私ばかりが発言しているような形にはなっていました よね。私はいつでも誰かが書き込んでくれるのを待っていましたし、誰かに私 のMESの後にRESをつけて貰いたいと思って書いていましたよ。  しきりに私を「自己中心的」だ。と言って批判する内容を私は満天星さんの 文章から読みとりましたが、、再度お伺いしますが、「誰もの幸せを願う」と いうのは自己中心的でしょうか?   ちなみに私には、満天星さんの発言のどこかにあった、「私は他人には迎合 しません。」という方が、相手に合わせようとはしない分だけ自己中心的な気 がしますが、どんなものでしょうか?  私は相手に自己満足を与えて、相手が幸せな気分にになってくれるなら、喜 んで迎合して自己満足を与えたいと思っていますよ。ただそれが、自分の能力 に見合わないこと、その相手の背景にある何かとの関係をゆがめたり、誰かを 傷つけるなと思える場合には、そうはしないように心がけています。それに私 は共感という言葉を与えています。  私は今のようなくたびれ果てた状態であっても、他人の思いに共感する態度 は持ち続けたいと思っています。    また、私のしたことで、実害があったとしたら、そのことを書いていただけ ると、有り難く思います。今の状態だと、詫びようと思っても、誰に何を詫び たらよいのやら分かりません。  ちなみに私は、私だけが宇宙の中心に居るとは言っていませんよ。満天星さ んも宇宙の中心に居るということをどのMESにも含めて書いたつもりだったん ですが、満天星さんにはそのことが読みとれなかったみたいですね。  更に、そこに付け加えるとすると、実は、満天星さんは、私の感情でもある んです。私は、満天星さんの傷ついた感情だというようなことは度々書いてき ましたが、このことは初めてでしたっけ?  だからこそ、満天星さんという私の感情にも幸せを感じていて貰いたいと思 い、どうしたら良いか、あれやこれや考えているんです。  満天星さんは、私にどうしてもらえれば、幸せを感じることができるのでし ょうか?  私は満天星さんにも幸せを感じて欲しくって「私も誰もの幸せを願っている よ。」と口にして欲しかったのですがどうも、それでは幸せな感じにはなれな いみたいですから、別の、何かを探さなければならなそうですね。  よくあるのは、他人の自己中心的なところを批判する人は、本当は自分が中 心に居たいと思う人に多いようなのですが? 満天星さんは、違いますよね。   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<12/25 18:15> ** 01271/01287 JAG04260 満天星 言葉・行動・意思 (19) 96/12/26 00:13 01270へのコメント コメント数:1 #1270 猫の手さん こんばんは. 冷静で理性的なお話しができて, 嬉しく思います. >> . . . 再度お伺いしますが、「誰もの幸せを願う」と >>いうのは自己中心的でしょうか? 一般的な意味でおっしゃっているのでしたら, そういうこと−−行動の 意味や, 言葉の奥にある意味−−は, 言葉づら・文字づらからは解らな いものです. だから,『誰もの幸せを願う』という書込みをすることは, - 自己中心的である場合もあれば, - 自己中心的でない場合もある, ということが言えるだけです. ところで,「私はすべての人の幸せを願っています」といったような書 込みをする人は滅多にいません. ほとんどの人にとって, そのような書 込みをする「必要」はないからです. 個人の行動には, その行動固有の意味・目的があって, 為されるもので す. そこで,「ほとんどの人」には意味(意義・価値)がないが, ある特定 の人にあってだけは意味がある「行動」とは, その根本にある「意思」 「欲求」はどのようなものであると思いますか?(回答は不要です.) 次に, アサハラショーコーが「私はすべての人の幸せを願っています」 と語ったとしたら, 猫の手さんはどのように思いますか? −−長い年月の間には, アサハラはいろいろな場所で, 幾たびもそうい う意味の言葉を吐いたのではないかと推測されますが(これは, 不自然 な推測ではないですよね), それはどのような意思に基づいてなされ, 社会・世界・宇宙にどのような影響を齎らす言葉・観念であったのでし ょうか? (回答は不要です.) >> ちなみに私には、満天星さんの発言のどこかにあった、「私は他人には迎合 >>しません。」という方が、相手に合わせようとはしない分だけ自己中心的な気 >>がしますが、どんなものでしょうか? |>> 私は、「人の感情に耳を傾けて下さい。」と言っているんです。 |>> どうするのが正しいじゃなく、 |>> 人の感情に耳を傾けて、 |>> それに愛のフレーズで合わせて欲しいと言っているんです。 上記は猫の手さんの #1220 から, #1229 に私が引用したものです. 猫の手さんが「たとえそれが正しくなくても」という意味のことを思っ ていられるのが, とても気になります. 私はそうすることが「正しい」と思わないかぎり, ある行動はとりませ ん. しかし, ここで言う「正しさ」とは, いろいろなレベル(水準・次 元など)があるうちの, より深いレベルでの正しさに従う, ということ です. ですから, あるレベルでは正しくなくても, より深いレベルで正 しいことであるならば, そのように行動するはずです. 私は, 猫の手さんの「感情」や「要求」に迎合することが, 猫の手さん のためには決してならないと考えています. だから, そういうことはし ません. >> また、私のしたことで、実害があったとしたら、そのことを書いていただけ >>ると、有り難く思います。今の状態だと、詫びようと思っても、誰に何を詫び >>たらよいのやら分かりません。 とても素直なお言葉なので, 嬉しく思います. 気になさらなくて良いと思いますよ. >> 満天星さんは、私にどうしてもらえれば、幸せを感じることができるのでし >>ょうか? 留保されているご質問への回答とともに, 次回にでも書くつもりです. --------------------------------------------------------------- 以下は, この「対話」とは別の文脈でお読みいただけると幸いです. >> よくあるのは、他人の自己中心的なところを批判する人は、本当は >>自分が中心に居たいと思う人に多いようなのですが? あなたのその考え・見方は正しいかもしれません.(正しい場合もある でしょう.) しかし, たとえそうであっても, あなたに対して「あなたの○○は自己 中心的だ」といった言葉を誰かが言う場合には, その批判のうちには何 十パーセントかの正しさは含まれているものなのです.(一般的に言っ て.) ですから, そのような場合に, その言葉を否定するのではなく, 受け入 れて, 反省してみるということが, とても大切です. そして, 他人に対しては,「その人の幸せを願う」ことよりも,(誰かに) 「悪意を抱かない」ということの方が, 千倍・万倍も大切で, 加えて, 自分自身にとっても意味(利益)のあることだと思いますよ. 上記の, 他人からの批判云々というのは, ネット外の(直接の)人間関 係においての話です.(ネット上でも全く同じ, とは言い難い.) この意味で, 対話とは別の文脈でお受取りください.                              満天星 01273/01287 QZY01267 猫の手 RE:言葉・行動・意思 (19) 96/12/26 12:50 01271へのコメント コメント数:2  満天星さんこんばんは、    ようやくまともな会話になってきたことを私も喜んでいます。  ただ、やっぱり困ったなーと思っているのは、満天星さんが私の語っている ことの20%もどうも理解していないような様子だからです。もっとも、私の MESを読んだほとんどの人がそうなんでしょうね。そうなると私の語り方がま ずいと言うことになるのでしょうか?  まず、思っていることを言葉にしてしまうことの重要性です。  少なくとも、「誰もの幸せも願っています。」と言いながら、目の前の人を 殴ることができる人はそうは居ないと思います。なんて言いながら、#1210の 私の状態で満天星さんが目の前にいたら満天星さんを殴っていたかも知れない ですけれどね。それであっても、相手に幸せになって貰いたいという気持ちは 開いています。口にしちゃっている分だけ、そうせざるを得なくなってくるわ けです。  もしそれをしていなければ、言っていることと行動が伴わないじゃないか! とすぐに横槍が飛んできますから、それを気にしている人にはしんどかったり するかも知れませんね。大方の人は、それがしんどいと思うから口にしないん じゃないですか?  で、麻原彰晃ちゃんですが、たぶん彼は、目の前の、「あなたが」だとか、 「自分の信者が」とは言っていただろうと思うけれど、「誰もに」という言い 方は間違いなくしていなかったはずです。  ちなみに私は、その「誰も」の中に、さんざん最近でてきた悪魔だとかサタ ーンも含んでいますよ。彰晃ちゃんを含めてもらってもいいです。  もう一度言いますが、悪魔もサターンも天使なんです。堕ちた天使なんです。 ただ勇気が挫けているだけなんです。そして、そういった存在も幸せになって くれないと、私が幸せを感じられないのです。つまり、誰もが幸せを感じた状 態ではないのです。そうでしょ、悪におびえている状態っていうのは幸せとは 言い難いですものね。  多くの人は、悪におびえている状態で、二元論的に悪に立ち向かおうとしま すが、私は「悪をも幸せにしちゃいなさい。」と言っちゃっているんです。そ うしたら、悪魔が天使になって自分を助けてくれるって言っているんです。  それは単純に、悪に手を貸せと言っているんではないですよ。ここで誤解さ れると、また話がややこしくなっちゃいますから、付け加えておきます。あく までも、背景には、誰もの幸せが基本にあります。  私は物事を、正しいとか、間違っているという二元論的判断はしません。こ れと同じことは、ARIONさんの方からも何かあったんじゃなかったでしたっけ?  私はそれにより、どういうことが起こるかに興味があるだけです。頭で善悪を 判断しておかしな方向へ突き進んでしまうのを止めることができるのは感情で す。誰もの幸せをも願っているという誰にでも当たり前にある感情なんです。  感情の、混乱を沈めるのは頭ではあるけれど、頭の暴走を防ぐのは感情なん です。ですから私は、感情を開いて欲しいと言うのです。今の世の中は、多く の人の頭が感情に対して暴走しちゃって居るんです。  彰晃ちゃんだって、その感情が開いていれば、サリンなんか撒こうとは思わ なかったはずです。  ところで、満天星さんは、何故、私にRESをつけて下さったんでしょう?  私の発言により、満天星さんはなんの実害も受けていないとおっしゃるし、 私が何を望んでいるか伺っても答えて下さらない。  まあ、だいたい分かっていますけれどね。  だってさ、「誰もの幸せも願っている。」というのが自己中心的だと言って しまったら、何を持ち出したって独善的だって反対に返されかねないものね。 違うかな?  私はね、やっぱり満天星さんにも幸せになって貰いたいと思っているのよ。  そして、「満天星さんはこうしたらただそのままで幸せになれるのに。」と いうのも今までコミュニケーションしてきたところで見えていますよ。  でも、満天星さんは、『猫の手』から教えられたんでは嬉しくないようです し、受け取る気にもなれないみたいですから、教えるの、ヤーメタ なんです。  今のままで満天星さんが、十分幸せを謳歌しているのでしたら私は何も言う つもりはありません。でも、結構、人にした親切があだになって返って来るっ てこと多いんじゃ御座いませんか?  本当は、『猫の手』にだって、助けたいと思って声を掛けて下さったんじゃ なかったんですか? それが意外な方向に話が展開してしまって、おやっと思 っていらっしゃるんじゃないですか?  人生の中で、そういうことが度重なってくると、誰かに親切にする気もなく なってくれば、他人の興味にも関心を示すことができなくなってきてしまいま すよね。  他人の興味に共感できるっていうのは、心に余裕があって楽ですよー。  その後でいいんじゃないですか? 迎合するかしないかを判断するのは。  満天星さんにも、幸せになって貰いたいんだけど、ダメかな?   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<12/26 10:49> ** 01278/01287 JAG04260 満天星 ちょっとしたお願い,ほか (19) 96/12/26 20:58 01273へのコメント #1273 猫の手さん こんばんは. 猫の手さんねぇ, #1273 の前 2/3 はただの「演説」なんですよね. 私との対話は, なるべく「一問一答」形式に近いものにするようにしま しょうね.(ほかの人とのはさておき...) >> . . . でも、結構、人にした親切があだになって返って来るっ >>てこと多いんじゃ御座いませんか? そういうことは, 私の場合, まったく経験しておりません. どうしてで しょうねぇ? (^_^) >> 本当は、『猫の手』にだって、助けたいと思って声を掛けて下さっ >>たんじゃなかったんですか? ・・・・・・・・・・・・ >>それが意外な方向に話が展開してしまって、おやっと思っていらっし >>ゃるんじゃないですか? そんなことはないです. >> 満天星さんにも、幸せになって貰いたいんだけど、ダメかな? 猫の手さんがそういうことを思っていらっしゃるうちは, 私は不幸です.                            ウウッ.. (_ _; 私自身のために, 猫の手さんにお願いしたいことが一つあります. それは, 私が猫の手さんにお送りしたメッセージ, レスを, 1 度か 2 度読んだだけで終りにしないで, なるべく何度も読み返してほしい, と いうことです. どうぞよろしくお願いしますね.                              満天星 01281/01287 JAG04260 満天星 独善とは? (19) 96/12/27 00:15 01273へのコメント #1273 猫の手さん こんにちは. #1278 を書いた時点で, 次に猫の手さんにお送りする予定であった文書 (回答)もできていたのですが, まだそれをお送りするのにためらいが あります. 理由は, 私の言葉が猫の手さんの頭と心に入らないのではないかと思わ れるからです−−率直に申しますと... 人の行動が「自己中心的」であるか否かという判断・認識は, 抽象性が 高いというか, かなり高度な精神の(理知的な)作業を必要とするもの です. それよりはずっと易しい事柄に「独善」,「独善的」というのがありま す.    ^^^^^^^^^^^^ 私は, こう見えても( ?(^^; ),「自分が他人にどう見られているか?」 ということを, けっこう気にしています. つまり, 自分が(自分の価値規準における)「『あるべきあり方』にあ るか?」というより,「『望ましくないあり方』に思われていることがな いか?」−−ということについて, 注意を払っています. そして, まずいと思われることが解ったときには, すぐに自分の行動を 修正します(feed back というものです). さて, 私は, いま, 猫の手さんの頭と心にはそのような仕組がないのだ ろうか? と, 疑問に思うものです. また, 猫の手さんには, 猫の手さんの「感情」が, 見たくない, 聞きた くない, 知りたくないものに対しては, 自動的に目・耳・心を完璧に塞 ぐ機能が備わっているのではないだろうかとも思うのです−−もしかす ると... そこで, 質問−− 猫の手さんの心の辞書には「独善」について, どのような説明が書いて ありますか? では, また.                              満天星 01262/01287 QZY01267 猫の手 満天星さーん (19) 96/12/24 06:42 01256へのコメント コメント数:1  私はあなたを  癒せるよ。    だから大丈夫、    思いきり不満をぶつけていいよ。    思いきりごねてくれてもいいからね。    あなたの気が済むまで、    思いきりごねて大丈夫だからね。          あなたにも、  幸せ感じていてもらいたいと  思っているからね。               ** QZY01267/『猫の手』 <12/24 06:42> ** 01269/01287 JAG04260 満天星 RE:満天星さーん (19) 96/12/25 00:19 01262へのコメント #1262 猫の手さん こういう書込みは, 見苦しく, 不快ですから, 自重してくださいますよ うお願いします. 内容・形式ともに, 大変見苦しいものです. どうぞ,「対話的な」,「礼儀正しい」ご発言のみになさいますよう, お 願いします. 会議室は,〈壁〉も含め, あなただけのネットワーク空間ではないこと をご理解ください.                              満天星 01258/01287 QZY01267 猫の手 どっちの声かしら? (19) 96/12/24 04:32  ところで、あなたは  「誰もの幸せも願っています。」  という言葉、  口に出して欲しいと乞いるこの主は  悪魔だと思いますか?    そんなのちゃんちゃらおかしい、  バカな奴だねー。  カッコ着けやがって。  と、言っている方が  天使だと思いますか?    そいつは言ってます。  悪魔と言われている者も、  勇気が挫けている天使だと。    そいつは驚いています。  そんなことは誰でも簡単に口走れる、  単純なことだと思っていたのに、  どうしてそんなに口が重くなっちゃっているのかと    それを口にしてしまうと、  あなたに、  どんな支障がやって来るんですか?      もう、  クリスマスですよ。 01261/01287 QZY01267 猫の手 大切な理由 (19) 96/12/24 06:42  こんな簡単なこと、  口に出さないからこそ、  出すことが大事なんです。        それを安心して出せる空間が  どんななのか、  想像してみて下さい。      そのためだけなんです。    そこから、  一歩、一歩、  始まって行くんです。  そういう気持ちで、  対話をするって、  難しいですか?        私はそういう気持ちで  いつも、  話しかけてきましたよ。      口に出したくなかったらいいですよ。    でも私はいつも、  そういう気持ちで、  あなたに接しますから。      疑っていてもいいですよ。    私はいつもそういう  気持ちでいますから。                メリー クリスマス           ** QZY01267/『猫の手』 <12/24 06:36> ** 01263/01287 QZY01267 猫の手 波動は天から貰うものじゃない (19) 96/12/24 11:01  波動は  天から貰うものじゃなくって、  自分で生み出すものよ。    言葉にすることで、  身体で表現することで、  愛の感情感じることで、  自分で生み出すものよ。    波動は感情の流れ、  感情の薄れたものほど、  波動が低くなる。  愛の感情がこもったものは、  波動が高くなる。  醜い感情を表すと、  波動はゆがむ。  波動とはそういうものなんだ。    幸せの感情いっぱい持ってたら  波動は上がる。  自然と上がる。    波動は感情の  情報だったのよ。  波動はそこに込められた、  感情の情報だったのよ。    物に残っている波動は  過去の波動。    今生み出せるのは、  今の感情の波動。  それが未来を生み出していく。    今の幸せを紡いでいけば、  未来の幸せにつないでいける。             ** QZY01267/『猫の手』 <96/12/24 10:41:28> ** 01264/01287 QZY01267 猫の手 それを口にしてみれば、 (19) 96/12/24 11:01  それは『猫の手』を  救う言葉ではあったけど、  それを口にしてみれば、  自分を救う言葉だったてこと  よく、分かるわよ。 01265/01287 QZY01267 猫の手 もうじき (19) 96/12/24 11:01  もうじき私は、  このチャネリング状態を  抜けちゃうかも知れないけれど、  『猫の手』は、  いつでも誰もの幸せ願っているよ。            かわいそうに、  この『猫の手』疲れ切っちゃって、  だからこそ、  チャネリングできるみたいだから、  しばらくこのままに、  しておきましょうか?    ところで、  あなたは何を  お望みですか? 01266/01287 QZY01267 猫の手 トンマ (19) 96/12/24 11:01  なんで、私はこんなこと  してなきゃいけないの?    それはあんたが自分で望んだことよ。    でも僕は、ただ、  誰もの幸せ望んだだけだよ。    そんなおバカさん、  この世界にどのくらい  いると思っていた?  そんなこと口にできるおバカさん  この世界にどのくらい  いると思っていた?    トンマね、あなたも、  それで、  疲れ切っちゃった訳ね。    それで、なんだか分からないエネルギーに、  憑かれたようにせかされて、  書いている訳ね。        まあいいわ、  勝手にしなさい、  あなたの好きなように、  愛って奴を、  振りまいてご覧なさい。      やるだけやったら  疲れ切って、  その憑き物も落ちるでしょうから。  やるしかないわよね。 01267/01287 QZY01267 猫の手 この広い宇宙の中で2 (19) 96/12/24 14:27 01249へのコメント  この広い宇宙を歩いていたら、  変な奴に出会ってしまった。  そいつの言うことにゃ  私はあなたの感情なんだって。    なんだか変な奴。  でも、  見ると本当に疲れているみたい。    そいつの言うことにゃ、  俺の感情が疲れているんだって。    感情が疲れている?  体なら、いくつあっても足りないくらい  忙しいし、疲れているけどね。    そいつの言うことにゃ、  俺に、  誰もの幸せも願っています。  って言って欲しいんだって。      バカなこと言ってるよ。  そんなにおまえに人の幸せを願う気持ちがあるんなら  しっかり働けよ。  こっちは忙しいんだから。    おまえのように、  平和にダラーッとしていられたら気楽だね。  まっ、そいつも疲れてはいるんだろうけどね。    そいつの言うことにゃ、  疲れ切った私を  助けたいと思えないくらい  俺の、誰をも幸せに思う気持ちが  疲れてしまっているんだって。    全くたまらないこと言ってくれるよ。  こっちは自分のことだけで、  精いっぱいなのに、  いちいち、  他人の心配までしていられないよ。      感情さんは困ってしまいました。  どうしたらいいか困ってしまいました。    その人は一向に  耳を貸してくれようとはしてくれません。  それどころか逆に、  ああしなくちゃいけません、  こうしなければいけません。  そう言って  疲れ切っている感情さんにお説教します。    俺はね、  おまえみたいな奴を  見ていると、  虫ずが走るんだ。  早くどこかへさっさと居なくなれ!  そうその人は言いました。    感情さんは困りました。  本当は、  その人の幸せのために  姿を消したいところだけれど、  その本人が、  忘れていたことで、  姿を現してしまっているので、  その人にそれを思い出して貰わないと、  消えることができません。    どうしようか、考えました、  考えあぐねた上、  こう言いました。    私はあなたの幸せのために消えたいと思います。  でも、あなたにこの一言をつ口ずさんで貰えないと、  消えることができません。  言っていただけますか?    「私も、誰もの幸せ願っています。」  って      さて、  その人はどうしたでしょう?      もし、言ったとすれば、  幸せの、心地良い光がすうーっとその人の中に  入ってくるのを感じたことでしょう。  なにか、むず痒いような、  それで居ながら暖かい何かを感じていたことでしょう。    そして、  その感情さんはどこかに消えたかって?  さて、どうでしょう?  その人が幸せな気分になってくれたなら、  どうでもいいんじゃないですか?           ** QZY01267/『猫の手』 <12/24 14:20> ** 01272/01287 SGQ02661 龍 クニチコタチの大神 (19) 96/12/26 03:33 コメント数:3 こんばんわ、19番会議室にも乱入してきました。 わたしは1992年11月11日から1カ月間、クニトコタチの 大神といわゆるチャネリング現象を体験しました。 それ以来、不眠症が続いており今年6月から休職状態に陥りました。 不眠症を押さえる薬を飲んで過ごしてきましたが、来年からカウン セリングをうけて実際にどういう状態に落ちいたのか根本から 考えなおそうと思ってます。  みんなにこの話をすると一笑に付されてしまうので今までは あまり話さないようにしてました。この霊統はARIONとは 違う霊統らしいですが、私にはショックなできごとでした。 さてと不眠症の原因をはっきりさせるべく来年から行動を開始し ます。その経過を逐次報告する事にしました。 期待しないで待ってくださいね(^_^;) 以上           龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01274/01287 QZY01267 猫の手 RE:クニチコタチの大神 (19) 96/12/26 12:50 01272へのコメント コメント数:1  いらっしゃいませ、龍さん。  (こんな書き出しをすると、また誰かが、     ここはおまえ専用の会議室ではない。とごねてくるかな?)       龍さんは、思わぬ、チャネリング現象に出会ってしまってその後、不眠症が 続き、お悩みになっていらっしゃるのですね。   今まで、誰にも言わなかったようなことを、ここで言葉にしたのには何か わけがあるのでしょうか?    もし私にできることがあるようでしたら、お話を聴きたいと思います。                                           ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<12/26 11:16> ** 01276/01287 SGQ02661 龍 RE:クニチコタチの大神 (19) 96/12/26 17:02 01274へのコメント コメント数:1 どうも、猫の手さん、 > 今まで、誰にも言わなかったようなことを、ここで言葉にしたのには何か >わけがあるのでしょうか?  まあちょっと訂正しますが、このことはRTなどで言ったことはたびたび  あります。しかしそれは病院にいった方がいいよ、とか、気にしない方が  いいよ、またはおれも神様が出てきたよというような会話でした。  私の体験は言葉にできないほどのもので、それを伝えても?しか帰って  来ないようなものばかりです。この2年は誰にも言わないようにしてまし  たけどね(^_^;)。   > もし私にできることがあるようでしたら、お話を聴きたいと思います。  残念なことですが、これは私の問題なので、猫の手さんにお話はできな  いでしょう。実は私もこの2年間誰にも話さないようにしてたのは回り  の方の意見があったからです。しかし、もう薬でごまかして生きていき  のがいやになり始めたし、実際は心のどこかにひっかかっていましたの  で根本的な解決のためにカウンセリングを受けることに決めました。    ひとつだけ言いますが、私はこの「火水伝文」を読んでチャネリング状態  になりました。ここのフォーラムではARIONも含めてその他の方々か  ら、否定された物で、ARIONにいたっては「霊統が違う」と会話を停  止させたものです。わたしはこの本を信じている訳ではないのですが、私  の過去を知るためにはどうしても避けては通れない本なのです。    以上                 龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01285/01287 QZY01267 猫の手 RE^2:クニチコタチの大神 (19) 96/12/27 13:59 01276へのコメント    龍さん、こんばんは、    龍さんには沢山のコメントが付いているようなので私のコメントは短め   にします。           2年も、誰にも言わなかったのをここに来て、また、語ろうと思ったのには 何か訳があるんでしょうか?  それは、龍さんの過去を知ることと、何か関係があるのですか?           ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<12/27 13:59> ** 01275/01287 QWN03766 み〜ちゃN RE:クニチコタチの大神 (19) 96/12/26 14:48 01272へのコメント コメント数:1 龍 さん、こんにちは、初めまして。 >わたしは1992年11月11日から1カ月間、クニトコタチの >大神といわゆるチャネリング現象を体験しました。 1992年は平成4年ですよね。<4>には、「天の完成数、地の完成 数」の意味があります。(その2つの4を足して8という∞無限が、生 まれます。)そして、<11>は「統一」。1992年11月11日を、 1ケタ分解して足すと43、更に足して7。<7>は「生命数、全ての 事物を目的まで導くもの」  平成8年1996年12月26日は、6 3で9。<9>は、「あと1つで完成する」1足せば次の段階へ進める。 数だけ見て、コトタマ分解しても何か、凄いものが、働いている気がしてな りません。内容が楽しみです。 所で、チャネリング現象ってどんな現象を言うのでしょうか。 96/12/26(木) 13:50 み〜ちゃん(QWN03766) 01277/01287 SGQ02661 龍 RE:クニチコタチの大神 (19) 96/12/26 17:02 01275へのコメント こんにちは、はじめまして みーちゃん。 >1992年は平成4年ですよね。<4>には、「天の完成数、地の完成 >数」の意味があります。(その2つの4を足して8という∞無限が、生 >まれます。)そして、<11>は「統一」。1992年11月11日を、 >1ケタ分解して足すと43、更に足して7。<7>は「生命数、全ての >事物を目的まで導くもの」  平成8年1996年12月26日は、6 >3で9。<9>は、「あと1つで完成する」1足せば次の段階へ進める  そんなことがあるんですね(゚o゚)ゲッ!!、驚きました。  実は11についてはまだあって中学生のころからか一週間に何度も  午前午後問わずふと時計を見ると「11時11分」なんですよね。    最近はこの傾向は頻繁に起きるようになってます。ここからは私の  憶測にしかすぎませんが、平成11年11月11日に私に何か起こ  るのではないかと不安に思ってます。単なる思い過ごしならいいの  ですが・・・   >所で、チャネリング現象ってどんな現象を言うのでしょうか。  私の場合は歯をくいしばるところからちょっと力を抜くと、歯が  モールス信号のようにかちかちと歯がなるんです。それとその  直後その意味が頭に伝わってくるという感じでしょうか。  (わからないですよね、これじゃ(^_^;))  基本的には今はもう起こらないんでチャネリング現象については  あまり興味はないんですが、過去のログをあたるとここのチャネラー  さんの発言があると思いますのでそちらを当たって見て下さい。   以上              龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01279/01287 MHA01114 シュメ−ル RE:クニチコタチの大神 (19) 96/12/26 21:05 01272へのコメント コメント数:2  龍さん、はじめまして。  国常立のチャネルですか。その辺、私のほうにも知り合いがいるんで、龍さ んの体験談楽しみにしてます。 「火水伝文」の我空さんは、面識があるんで、あの雰囲気は良く分かる。AR IONさんと国常立さんはARIONさんのいうとおり、私も霊統が違うと思 っています。国常立さんたちは地球では古い系統だし、ARIONさんは彼等 に比べれば、多分、新しい。で、利害はかならずしも一致するわけではないと 推測しています。で、ARIONさんにつかず離れずの立場にある人達がこの 会議室には集まってきていた経緯があります。  国常立さんがもろに国常立を名のって、チャネルしてくるってのはどうもす ぐには、頷けないんですが、ま、良くは分からない。しばらく読んでいないん ですが、我空さんのチャネルにもそういえば国常立の名前があったような気が する。  チャネルの内容を紹介して貰えれば、なんらかのコメントはつけれると思い ます。国常立さん自身はチャネルによってひろく一般に呼び掛けるという方法 は取らないと思う。で、龍さんの個人的なチャネルってのに興味があります。 国常立さん自身のチャネルだとほとんど召集令状みたいなもんになるような気 がする。  取敢えず、龍さんの体験談が読めることを楽しみにしています。 01280/01287 QFH02012 アラミス RE:クニチコタチの大神 (19) 96/12/26 23:15 01279へのコメント コメント数:1 龍さん、みーちゃNさん、シュメールさんへ この会議室にふさわしいぶっとび話をまとめてRESです。 数字を加算・分解等して都合良く意味付けするのは落とし穴の第一歩・・ 私は数字の持つ意味を否定はしませんが、そういった不埒な遊びをする 事によって狂気の世界に行った人も過去何人も見てきましたので(どこ で見たかって?ここでですよ)釘刺しておきます。 さて、最近「電波系」なる書籍が出たのですがご存知でしょうか?>>皆 さん チャネリング等に興味があるなら必読とも言える実に興味深い本です。 特にチャネル現象に「苦しんでいる」人にはお薦めしますよ 余談:チャネリングといった現象が本当に人間にとってノーマルな状態 であるのか?少し疑ってみたほうがよろしいかも・・そしてそれが人の幸 せに結びつくかどうかも・・ 何時も思うのだがチャネリングや霊的な事を声高に叫ぶ人達って、正気 と狂気の境を自覚して語っているのだろうか?そして自己を客観的に見 つめる冷徹とも言える様な冷めた目で観察できているのだろうか? さらに個人的に言わせてもらうと、カスタネダのドン・ファンシリーズ を読むとこういった霊現象に深入りする事がどれだけ危険な事か分かる のだが・・(死の覚悟はできているのか?)そしてそういった事に拘る事 のくだらなさも分かるのだ。 ナワールの前では普通の人間は無力なんだよ(苦笑) 01287/01287 SGQ02661 龍 RE:クニトコタチの大神 (19) 96/12/27 22:49 01280へのコメント こんばんわ、アラミスさん、龍です(^-^) >数字を加算・分解等して都合良く意味付けするのは落とし穴の第一歩・・ >私は数字の持つ意味を否定はしませんが、そういった不埒な遊びをする >事によって狂気の世界に行った人も過去何人も見てきましたので(どこ >で見たかって?ここでですよ)釘刺しておきます。 言われることはわかりますが、そのような行為はここだけで行われてる ことではありませんね。ここの14番と6番会議室でも数字については よく話合われますね。最近出たここのフォーラムのアートラインプロジ ェクトの執筆した本もしかりですね。これらについても同じ意見なんで しょうか? >さて、最近「電波系」なる書籍が出たのですがご存知でしょうか?>>皆 >さん 聞いたこともありません。よければ出版社と題名を教えてもらえませんか。 >余談:チャネリングといった現象が本当に人間にとってノーマルな状態 >であるのか?少し疑ってみたほうがよろしいかも・・そしてそれが人の幸 >せに結びつくかどうかも・・ 私は人の幸せになるのかとかは全く考えないで発言してしまいました。 しかし、私にとってはノーマルだとか異常であるかの問題を考えても 自分の人生の中で何かおかしな、自分でわからないものがあればわかり たいと思うのは必然と思うのですが(^_^;)。特に私の場合、不眠症の原因 がそこにあるのではないかと思ってますから。どうしてもそこに触れざる をえないのです。 >何時も思うのだがチャネリングや霊的な事を声高に叫ぶ人達って、正気 >と狂気の境を自覚して語っているのだろうか?そして自己を客観的に見 >つめる冷徹とも言える様な冷めた目で観察できているのだろうか?  先にも書きましたがこれは、異常な状態でも、それと対面しなければ ならないわけです。わたしは今までそれを避けてきました、また前の状態 戻るのではないかなってね、でもそうしてるうちは問題の解決にはならない と考えるようになりました。 >さらに個人的に言わせてもらうと、カスタネダのドン・ファンシリーズ >を読むとこういった霊現象に深入りする事がどれだけ危険な事か分かる >のだが・・(死の覚悟はできているのか?)そしてそういった事に拘る事 >のくだらなさも分かるのだ。  あなたは他の会議室でもドン・ファンのことを書いていますが、わたしは 読んだこともないので何ともいえません。しかし一つだけ言えることがりま す。その作者はあなたのいう霊的現象に実際に見舞われたのか、それとも それを外から見て書いてるかで話はだいぶかわるんじゃないんですかね?  外から見れば異常な状態なんでしょう、しかし霊的状態に置かれてる人に 取ってはそれは真実です。なぜそんな状態になったのだろう、なんかあるの だろうか、不安で仕方ないです。その時あなたはそこで霊的現象に見舞われ てる人に一言、異常だったんだよで納得させることができますか?。少なく とも私は納得できなかった。だからカウンセリングを行うように医師と相談 して決めました。  一つ質問がありますがそういうアラミスさんはなんでここのフォーラムに いるんですか?ここはそういうチャネリングをしている人が主催するフォー ラムです。ここのフォーラムにいて何をしたいんですか?霊的なことにかか わってるのに、その危険性が分かっているのになぜこのフォーラムにいるん すか。別にここを去れという意味でいってるのではありません。あなたの言 ってることと行動が矛盾があるのであえて質問したわけです。 (PS. ARIONだけは別格なんだという答えはしないでくださいね。     別格ならその理由を書いてくださいね(^_^;)  )   >ナワールの前では普通の人間は無力なんだよ(苦笑)  この意味してることがわかりません、できれば説明をしてもらえませんか?    あともう一つここの会議室は今年をもって廃止になり、同じ会議室はでき  ないとのことなんでご意見はなるべく早くお願いします(^_^;)   以上                  龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01283/01287 SGQ02661 龍 クニチコタチの大神 (19) 96/12/27 00:53 01279へのコメント コメント数:1 こんばんわ、はじめまして、シュメールさん(^-^) クニトコタチのチャネルのことは本当は話さないように いわれてました。しかし話してしまった以上もう後には 引けませんね(^_^;) 私の体験談なんですが、非常に説明しにくいことと自分でも 何をしたのか忘れてしまってることがあります。それで今回 、カウンセリングでもってその状況を追体験するのが目的です。 ですから、私の体験談の読めるのは来年のいつか自分でもわか りません。  しかし、私の体験談で確実にわかってることを書きますね。 (これは印象がもっとも強かったので覚えてると解釈してい  ますが(^_^;))  1・1992年11月11日正午において人間は火か水かど    ちらかが決定されたことです。    私は火水伝文で書かれた食事の時に唱える呪文を約1カ月    前から行っていました。肉類もできるだけとらずに、お米    と野菜だけ食べてました    そして11月11日正午以降、私の目には異様な風景が見    えました。それは火の人は顔が赤く近くによると暑いんです。    この数はほとんどの人が火でしたね(^_^;)。    それに対して水の人は顔色は普通なんですが、冷気が体の回    りに感じられます。私は水の人でした。ですから同じ部屋に    いるとあまりの暑さにいられなくて水の人のいるところに避    難しました。また火の人はしきりに水の人に飲みにいかない    かと誘ってることでした。私の記憶から行くと、コーヒーな    ど熱いものを飲むと水の人も火の人になってしまいます。  2・チャネルしたのはクニトコタチだけではなかったということ    です。様々な邪神(これは私の主観ですが)あれをしろ、こ    れをしろと指示するのですが、どういう方法かは今は忘れま    したがそれを判別する方法を見つけてクニトコタチの指示の    通りに行動したところ、私の行ったこともない神社にたどり    ついたということです。そこの社にはなんと龍の彫り物がし    てあるさびれた神社がありました。そこには二つの社があり    まして鳥居が2つ、階段が2つありましてその先に社がある    ものでした。私はまず左が水の社だと言われ、行を行います。    クニチコタチの言う通りにですね、ここでもいくつか神様が    出てきて指示するわけですが、私が間違えたり、彼らが間違    えたりして階段を徐々に登り社の前にいって何かいうのです。    何を行ったのかは覚えてません。    3・その行は夕暮れまで続いて、その夜はいろいろな神様いう通り    にして町を徘徊するんですが、ある時、車の下に隠れろと言わ    れその通りにすると、またなんか行を行いまして、その後、大    声で私にもわからない呪文を言ったのでした。私がカウンセリ    ングを受けるのはこの呪文の内容が知りたいからです。 以上が私が今、確実に思う出すことができる体験です。まあチャネルと いうよりは何かの霊に取りつかれたように見えるかもしれませんが、ク ニトコタチでて指示してることに変わりはないのでチャネルと言ってま す。まあ普通の人がこれを見たら精神異常者だと間違われてしまう内容 ですが、いまはもうこんなことはありませんので心配はありません(^_^;)。 以上が確実分かってる体験ですがシュメールさんどうでしょうか? 以上                龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01284/01287 MHA01114 シュメ−ル RE:クニチコタチの大神 (19) 96/12/27 07:54 01283へのコメント なるほど、『火水伝文』がきっかけですか。あれってテンションが高いですか らね。『火水』がきっかけでも、『火水』に同調して進むかどうかは、龍さん の意志でしょう。食事の変化も龍さんの変化の要因のひとつでしょうから。  これまで働いていなかった感覚が動き始めると、大抵白昼夢状態が始まるみ たいです。原則的には、昼間見る夢なのだと思っておくのが、無難だとおもう。 夢だから、龍さんのさまざまな思いが投影されるし、ある種の天啓みたいな要 素も混じっているんでしょう。この白昼夢のあつかいに失敗すると、危険です。 龍さんの文章を読む限りでは龍さんは無難に白昼夢状態を処理したように感じ られます。自動車を手にいれたときに、旨く取り扱えるようになるか、自爆す るか、周囲に迷惑をかけるか、に分かれますが、龍さんの体験もそんなもんと 思う。  で、呪文の内容をおしえてくれるカウンセリングってのはいったい何なので しょうか。呪文自体を記憶しているのなら、教えてください。公開に問題があ るのなら、メールでもください。  とりあえず、とりいそぎ思い付くままの、レスを書いときます。