「林檎の樹は人の前に茂り、人は林檎の果実を再び手にした」天使 - FARION MES( 4):*********** カベ (Wall) *************** 97/01/09 - 00050/00095 SDI00635 みれ RE:責任のある発言…か。 ( 4) 97/01/05 16:49 00037へのコメント  維/YUIさん、明確なコメントなので思わずRESします(^^;) |私はここのフォーラムのいくつかに、書き込みを行っています。 |書き込む時に、いちいち責任がどうの…とか考えて、書き込んではいません。 |ですが、私の書き込みに対して、質問がきたり、反論がきたりすれば、できうる |限りの力を持って、誠実に対応してきているつもりです。 |いままでの発言すべてに、こまかい突っ込みを入れられたら、もしかすると |「責任」が具体的には取れない事柄も、あるかもしれません。ですが、できうる |だけのことがらは、していくのだという気持ちでいます。 そういうのでは、 |いけないのでしょうか?  その個人の「できうる限りの力を持って、誠実に対応」すること、これが責 任ある態度です。私は正にこの話をしていた訳です(^_^)  権利というのは個人の「責任を取りうる範囲」と私は考えていますので、責 任は当然、その個人の「権利範囲」になる訳です。これを嫌がる人には何の権 利も無いということになりますよね(^O^;)  ところが、巷では「権利欲しいぃ〜。義務も責任もアンタ取ってねぇ〜」と 言う声が盛んに聞こえてきます。…で、厭なことは何でも他人のせい、良い事 は全部自分のもの…という御都合主義が罷り通って、今の世の中になった訳で すよね?…でも、うちのフォーラムはこんなやり方通用しないんだよ、という 風にしたいと私は思いました。  幾ら世の中がそんなでも、一ヶ所だけそうじゃない場所があってもいいじゃ ないかとね。世間と少しでも異なるものがあると風当たりも強くなるけど、で もそれをやってみるのがARIONの居る、うちのフォーラムなんだってね。  えへへ、維/YUIちゃん相手だとつい喋り過ぎる傾向があるな>私(^^;)  ってことで、今年も宜しくお付き合いの程をお願いします(*^^*)                             ☆みれ・:・。,☆ 00073/00095 QVF00676 苗(miao) RE:責任のある発言…か。 ( 4) 97/01/06 16:02 00037へのコメント  維/YUIさん、こんな所で(あ、この書き方は壁に失礼かな)RESしてしまい  ますが、お許し下さいね。  改めて、おめでとうございます。なかなか暇がなくて、思うように返事も出来なく  てごめんなさい。今年も宜しくお願いします。  そうそう、実は私の請け負っていた馬の仕事(白竜ふれあい農園)も別な人が受け  て下さる事が急に決まって、今は少しばかり楽になりました。正月はその手続きの  為に休み返上でがんばりましたからどうにか終えてほっとしている所です。余りに  も仕事が多くて死ぬ寸前でしたもの。これからは自分の身体の事も含めて少しオー  バーワークを減らして行こうと思っています。  えっと、YUIさんの書き込みはとても共感がもてました。ちょっと考えてみて、  良く学生の頃に「職員室まで来なさい」と言われたら「何か悪い事をしたかな」と  考えてついハスに構えてしまう…これと良く似た事が起こってしまうんじゃないか  と思いました。責任と聞いたら即に責任を取らなければならない、と考えてしまう。  これではまず何かの責任行為を取っておかなければ話しも何も出来ないという「結  果先行」になりますね。ちょっとヘンですよね。  YUIさんの言われるように、本来自分で意見を出したら出した事には誠心誠意で  応えて行く気構えは在っても良いし、それはむしろ当然な事だと思います。そうで  なければ会話というものが続けられないです。だって、こうした場所には「会話」  をする為に来ているのであって、勝手に一方的な持論を書き殴る為に来ているのと  は違うですものね。  でも、どうしたって結局は自分に精いっぱいのことしか出来ないし、例え何かが出  来なかったからと言って即に責任をどうこう言われてもどうしようも無い場合もあ  るんです。それを更に無責任と決めつけられても困りますが、ただ、その様な決め  つけをする人はそういう人なんだって、そんな器量の人なんだって思います。言い  訳でも何でも無く、本当に出来ない事まではどうしよもないものね。でも、誰もが  案外「責任」という言葉を聞くと「がある」というのでは無く、「を取る」「取ら  なければならない」という同義と捉えてしまう事も多いですね。良く考えたらちょっ  と違う事ではないかと思うんです。確かに「ある」なら「取らなければならない」  のは当たり前の様に思われるかも知れないですが。会話は「自分の考え」だけでは  無く相手が在って起こる出来事です。どの様に発展するか、というのは解らない未  知の部分です。その未知の全てを自分の責任だとする訳には行かないでしょう?。  だから会話を始めたら出来るだけの限りは自分の誠意で相手をしていく、という事  が大事なんだと思います。そして例え出来なくてもその出来ない状況をきちんと答  えていく事が、同時に責任遂行になるんだと思います。実際、時には返事をしたく  ても出来ない場合も起こるし、解らない事だってある。でも、それに対して自分に  謙虚であるならば、結局素直に解らない事は解らないと言えるし、出来ない事は出  来ないと言えると思うんです、YUIさんの仰る様にね。多分自分に謙虚な人は、  人にも謙虚になれる事が理解出来るし、誠意のある話しの出来る人は人にも誠意で  語れる。そう思われませんか?。  妙な見栄を張ったり、知っているんだぞ、という幻想が一人歩きをしてしまうから  オカシクなるのかも知れないですね。自分で自分に見栄を張って何が面白いのだろ  うと考えられる様になったらみっけもんだと思います。人間一生知り得る事なんて  そんな大層な事も無いと思うんです。でも、それを活かす使い方をする事が出来る  とこれは大層な話しになると思うし、その方法を見つけるのは並大抵ではないけれ  どだからとても大事なんだと思います。あ、最後は支離滅裂だ。すいません。 *~゚ miao qigong * wushu taiji quan jiangshi ゚~* QVF00676@niftyserve.or.jp 00051/00095 SDI00635 みれ 龍さん、会議室移動をお薦めします ( 4) 97/01/05 17:08 コメント数:1 #00049 龍さん&ALL  タイトルの通りです。  ここは、あくまでもお気楽な「壁」ですんで議論なさりたいなら、きちんと ログの残る(つまり責任も取れる(^_^))一般会議室での継続をお薦めします。 会議室移動に了承を頂けたら、運営側で発言をゴッソリ移動しますので、皆さ んは発言場所を変更するだけのことです、大した手間は要らないと思います。  この話題なら7番若しくは12番辺りが適当かなと思います。                             ☆みれ・:・。,☆ 00056/00095 SGQ02661 龍 RE:龍さん、会議室移動をお薦めします ( 4) 97/01/05 19:57 00051へのコメント コメント数:1  こん???、みれさん、龍です(^-^) >会議室移動をお薦めします  壁はログが残らないんですか。はじめてしりました。  ところで会議室移動の件ですが、#4から始まるコメントツリーは  会議室7番に、#8から始まるコメントツリーは会議室12番に移動を  希望します。   ただし条件があります。わたしがここの壁でみれさんに投げかけた  質問についてはすべて答えてからにして下さい。ここのカベの会議室  でです。それから移動しても遅くはないと思いますが。  どうでしょうか>みれさん&ALL   > ここは、あくまでもお気楽な「壁」ですんで議論なさりたいなら、きちんと >ログの残る(つまり責任も取れる(^_^))一般会議室での継続をお薦めします。 >会議室移動に了承を頂けたら、運営側で発言をゴッソリ移動しますので、皆さ >んは発言場所を変更するだけのことです、大した手間は要らないと思います。  この発言はどういう風に解釈すればいいのか。迷ってます。 > それから、無責任者に発言の場を与えるかどうかは、その場の責任者が >決めることでは無いですか? FARIONの場合は、SYSOP である私が >決めることですね? > 私は、無責任者に発言する場を与えるつもりはありません、悪しからず。  上記のようにカベの部屋での発言に対する責任を発言しておきながら   > ここは、あくまでもお気楽な「壁」ですんで議論なさりたいなら、きちんと >ログの残る(つまり責任も取れる(^_^))一般会議室での継続をお薦めします。  とカベの会議室がおき楽という。これは私見ですがカベの部屋では無責任発言を  受け入れたと判断しますが、それでいいのですか?    このあたり心境の変化など詳しく発言してもらいたいのですが。    これも会議室に移動する前にこのカベで発言してくださいね。  では宜しくお願いします。m(__)m 以上                     龍(SGQ02661)でした(^_^)/~  00057/00095 SDI00635 みれ 龍さん&ALL、会議室移動を移動しまし た ( 4) 97/01/05 20:47 コメント数:3  #4から始まるコメントツリーは会議室7番に、  #8から始まるコメントツリーは会議室12番に移動をします。  今後の発言は、会議室を移動して下さい>関係者各位                             ☆みれ・:・。,☆ 00059/00095 SDI00635 みれ RE:龍さん&ALL、会議室移動しました ( 4) 97/01/05 21:48 00057へのコメント  補足です。  先のタイトルが「RE:龍さん&ALL、会議室移動を移動しました」になって いましたが、正しくは「RE:龍さん&ALL、会議室移動をしました」です(^_^;)                             ☆みれ・:・。,☆ 00060/00095 SDI00635 みれ RE:龍さん&ALL、移動ログの照会 ( 4) 97/01/05 21:48 00057へのコメント  壁から移動した発言は以下の通りです。  重複してログを落とす事になった方には申し訳ないと思いますが、 会議室の円滑な運営の為にご理解頂きたいと思います。 【7番会議室に移動したログ】 |【12番会議室に移動したログ】 -----------------------------+------------------------------ MES 4 #00004→MES 7 #09395 | MES 4 #00008→MES 12 #01653 MES 4 #00009→MES 7 #09396 | MES 4 #00011→MES 12 #01654 MES 4 #00010→MES 7 #09397 | MES 4 #00016→MES 12 #01655 MES 4 #00012→MES 7 #09398 | MES 4 #00021→MES 12 #01656 MES 4 #00017→MES 7 #09399 | MES 4 #00027→MES 12 #01657 MES 4 #00013→MES 7 #09400 | MES 4 #00035→MES 12 #01658 MES 4 #00018→MES 7 #09401 | MES 4 #00053→MES 12 #01659 MES 4 #00022→MES 7 #09402 | MES 4 #00054→MES 12 #01660 MES 4 #00028→MES 7 #09403 | MES 4 #00055→MES 12 #01661 MES 4 #00014→MES 7 #09404 | MES 4 #00043→MES 12 #01662 MES 4 #00020→MES 7 #09405 | MES 4 #00041→MES 12 #01663 MES 4 #00023→MES 7 #09406 | MES 4 #00047→MES 12 #01664 MES 4 #00029→MES 7 #09407 | MES 4 #00032→MES 12 #01665 MES 4 #00045→MES 7 #09408 | MES 4 #00034→MES 12 #01666 MES 4 #00046→MES 7 #09409 | MES 4 #00036→MES 12 #01667 MES 4 #00024→MES 7 #09410 | MES 4 #00049→MES 12 #01668 MES 4 #00031→MES 7 #09411 | MES 4 #00044→MES 12 #01669 MES 4 #00030→MES 7 #09412 | MES 4 #00019→MES 12 #01670 MES 4 #00033→MES 7 #09413 | MES 4 #00040→MES 12 #01671 MES 4 #00048→MES 7 #09414 | MES 4 #00052→MES 7 #09415 | -----------------------------+------------------------------                         ☆みれ・:・。,☆ 00058/00095 SGQ02661 龍 みなさんやってみましょう(ゴミ) ( 4) 97/01/05 20:55 こんばんわ、みなさん、龍です(^-^) 実にくだらないことを言いますが、ちょっと面白いこと 見つけました。 それはですね。パソコンでどの会議室の発言でもいいから 表示して下さい(できるだけ長文を薦めます)。その後、 ちょっと画面から顔を離してその発言をスムーズスクロー ルしてみて下さい。 なんか文字か模様かわかりませんが、見えませんか? これが錯覚というものなんですね。 まあ、これだけなんですが。 以上          龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 00065/00095 NBB01420 SUKE RE:勝負 ( 4) 97/01/06 00:50 00038へのコメント コメント数:1 #38 猫の手さん >> この世界には >> 勝負が好きな人沢山居るね。 そうですね。ただの会話なのに勝ち負けだと思ってしまう人が。 端で見ているだけの人の中にもそういう人は沢山いるのでしょう。 そういう好戦的な人間ではこの先の世界を良くして行けはしないでしょうね。                             Suke.(^_-)☆ 00070/00095 QZY01267 猫の手 RE^2:勝負 ( 4) 97/01/06 11:47 00065へのコメント コメント数:2  SUKEさん、今日は、    好戦的な人の多くは、自分が好戦的であることをどうもほとんど意識してな いことが多いみたいですね。ですから相手が、その好戦的な姿勢に応えて、戦 ってくるということを理解できず、益々戦わざるを得なくなるというジレンマ に陥るのではないかなと思えます。  議論にしても、問題を解決して未来につなげていくことが目的ではなくなり、 議論し合うことが目的になってしまったりし勝ちですね。  そういう論争を見ていると、いつもがっくりしてしまいます。  そういうときにはどうするのがよいのでしょうか?  やっぱり見ているしかないのかな?   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/06 11:27> ** 00072/00095 TBE03167 ねずみ RE:RE^2:勝負 ( 4) 97/01/06 12:08 00070へのコメント コメント数:1 猫の手さん 好戦的という言葉が、もし、僕のことを言っておられるのであれば、 僕はその言葉を認めなければならないと思っています。 ただ、僕としては、この場合、そういうこともやむを得ないという判断で 戦争をしております。 龍さんの言ってることを、そのまま、いいよいいよでほっておくのであれば、 彼は、今より深い泥沼に落ち込むの見えてますんで。 優しい言葉は、時には麻薬のようなものではないだろうか。 00079/00095 QZY01267 猫の手 RE^4:勝負 ( 4) 97/01/07 11:43 00072へのコメント  ねずみさん、今日は、    ねずみさんは「好戦的」というのを自分のことと、受け取って下さったわけ ですね。嬉しいな。  私は「気持ちを軽くすればいい」というのと同じで特定の人に対して当てた わけではないですが、ねずみさんがそれを自分のこととして受け取って下さっ たのはとても嬉しく思います。  逆に、それを自分のことではないと思ってしまっている人の方が危ないので すから。  私だって、好戦的なところを沢山持っていますよ。     (結構、チラッチラッと私が小出しているのは感じているでしょ。)  まず第一段階は、自分が「好戦的」な語り、態度をしているということに気 づくことでしょう。そうしたら、第二段階として、自分はそれによりどういう ことを期待しているのか意識することではないかと思います。そこまで行けば 第三段階に入って、実際に「好戦的」口調、態度をとることで、相手が自分に 対してどういう行為をしたくなるか予測する、または観察するということでし ょうか?  そうすれば、それをして行くことが自分にとってメリットになるかデメリッ トになるかは見えてくるのではないかと思います。あとは、自分の期待する結 果を引き出すためのより有効な方法を知っているかどうかという当たりにかか っていくかな?  ねずみさんの、積極的に何とかしようとする態度は素晴らしいと思います。  私ももっと見習いたいと思います。ただそこで少し私の考えを加えさせてい ただくとするならば、もっと他の方法、もっと有効な方法もあるかも知れない ということにも心を開いてもらえたら、更に違った展開が期待できるかも知れ ないということです。  その辺のところ、一緒に私と探して見ませんか?  その辺は、私も研究と練習を重ねているところですから。    「麻薬のような優しい言葉」で相手を相手を自分の意図通りの方向に向かわ せることができたとしたら、私はその方法を採用したいなと思っています。  それは、方法の問題ではなく、欲しい結果に対する方法論ですから。勝負し 続けるというのが欲しい結果ならば言うには及びません。         ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/07 09:08> ** 00076/00095 NBB01420 SUKE RE^3:勝負 ( 4) 97/01/06 22:16 00070へのコメント コメント数:1 #70 猫の手さん、こんばんは。 >>             ですから相手が、その好戦的な姿勢に応えて、戦 >>ってくるということを理解できず、益々戦わざるを得なくなるというジレンマ ここで、本来なら「理解できず」じゃなく、気付かなければならない筈なん ですね。相手の行動が自分の鏡になっていると言うことを肝に銘じていれば。 それが出来ないのは「理解できない」からじゃなくて「理解するのが沽券に 関わる」からであることが多い(全部ではない)と思います。 それを突き詰めて行けば、本来自分が好戦的であるとは認めたくなかったん だと気付くことが出来ると思うんですが、そこまで行ける人は少ないですね。 (逆にFARIONに全然関係ない友人でそういう風に気づけるような人も知って いますが。) そういう人は、そこで気が付けとばかりに仲裁に入られると、もっと怒った りする。やはり沽券に関わるからです。 だから、ジレンマに陥った人はそのまま嫌な思いをしつづけて貰って、気が 付くまで落ちて貰うのが一番だと思います。 やはり人間、失敗しながら覚えて行くもんだと思います。 勿論、これは好戦的な反射を呈した側にも言えることなんですが。                             Suke.(^_-)☆ 00080/00095 QZY01267 猫の手 RE^4:勝負 ( 4) 97/01/07 11:43 00076へのコメント コメント数:1  SUKEさん、今日は  SUKEさんのおっしゃる通りだと私も思っています。    相手が好戦的に来たということに対して、それを鏡として受け取れない人は やはり自動反応として、好戦的なものを相手に返してしまうのではないかとい う気がします。  それが自分の内側の反映であり、その自分自身の中にある攻撃性を癒したい と思う人は、好戦的な態度をただ返すのではなく、冷静になって、自分の新た な対応を考えることができるのだろうと思うのですが、なかなかそこまで自分 を見ていられる人って少ないみたいですね。  「沽券よりは、幸せがいい。」と言うのは、難しいのかな?    私は、短気なものだから、早く、早く、というのがあって、厭な思いをし続 けている人に、早くそのジレンマから抜け出てもらいたいと思ってしまうんで す。  もっと悠長に構えていられれば、まともと言われる社会生活を営み続けてい られるのでしょうにネ。  自分自身をバカな奴と思いつつ、とにかも模索していこうと思っています。  宜しくお願いします。   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/07 09:34> ** 00088/00095 NBB01420 SUKE RE^5:勝負 ( 4) 97/01/08 00:44 00080へのコメント #80 猫の手さん、こんばんは。 >> 私は、短気なものだから、早く、早く、というのがあって、厭な思いをし続 >>けている人に、早くそのジレンマから抜け出てもらいたいと思ってしまうんで >>す。 うーん、読んでいてそうなんだろうなぁと思いました(^_^;) ばかなやつとは思いませんが(^_^;)見ているだけでこちらまではらはらして しまうのではもったいないような気もします(^_^;) >> もっと悠長に構えていられれば、まともと言われる社会生活を営み続けてい >>られるのでしょうにネ。 いや、悠長にと言うのもまた時間が無くなってしまうかも知れないですね。 誰でも基本的には自分で気付くのが一番身に付くんだと言うことは分かるん でしょうが、それを自分だけではなく他人にも応用するとなると、何だか自 分が冷たくなったみたいな気がしてしまうし、見てられないなぁと言うのも ありますね…。 そこで手を出すか、放っておくか、タイミングは難しいものですね。 またよろしく!                     Suke.(^_-)☆ 00067/00095 JAG04260 満天星 MES19/#1208 を巡って(2) ( 4) 97/01/06 01:22 00042へのコメント コメント数:1 #42 猫の手さん こんばんは. >> 自分自身を受け入れると云うことは、自分自身のあるがままの姿を受け入れ >>ると言うことでしょ。私は、善悪という判断の仕方をしない分だけ、自分のあ >>るがままを受け入れて居ると思っていますよ。 そのとおり. あなたはそのようになさっています. それは, 現時点では−−と言っても, かなりまえからですが−−よく解 っています. そして, そのことが解ってより後, 猫の手さんに対して,「あるがまま の自分を是認し, 受容するのがよろしい」といった類のことは, これっ ぽっちも思っておりません. その反対で, 猫の手さんには, 大きく自己 変革をして, 変っていってほしいと, 強く願っているのです. (そのためにどうしたらよいかを考えつつ, こういうお話しをしている のです.) >> 私はね、自分の今の状態、私自身のあるがままを、認めるしかないというと >>ころからsosをしていたんですよ。(他の人からどう見えたかは別の問題です。) >>それに対して、更にそれをしなさいということはどういうことになると思いま >>すか? なるほど. その論理はわかります. しかし,『更にそれをしなさい』と(あの時点で私が)はっきり言った としても, それは,「叱咤激励」とか, 『重い荷物を持って苦しんでいる人に「足をもっと高く歩きなさい。」』 と言うのとは, 全然違うのではないでしょうか? さて, ここで少し時間をください. このあと, 少々まとまったコメントを差し上げる必要があると思います ので.(この発言に対するコメントは不要です.) ではまた.                              満天星 00071/00095 QZY01267 猫の手 RE:私はそのとき ( 4) 97/01/06 11:48 00067へのコメント コメント数:1  満天星さん今日は、  コメントは不要と言われたけれど、#42の直後、浮かんできた文章があるの で#67の後ろにつけさせていただきます。  ようやく、満天星さんの気持ちが見えてきたのと、少しは私に迎合して下さ っていることを嬉しく思っています。  私はそのとき、  何もできない赤ん坊になってしまったの。  私はそのとき、  何もできないけれど、  全世界の不幸を一身に背負ってしまったの。  全世界で起きてることの、  総ての責任を背負ってしまったの。    自分が何もできないことに  おののいた。  自分が何の役にも立てないことに  おののいた。    何にも考えず、  他人の不幸など顧みず、  自分だけの幸福だけ考えて、  人生営んで行けたのだったら、  どんなに楽だったろうかと思うこともある。    たぶんそうしていられたら、  私は正常と言われる社会生活  営み続けられたでしょうね。    たぶんそうしていられたら、  誰かを蹴落とすことなど  平ちゃらだったでしょうね。    でも私は、  求め過ぎてしまってたの。  でも私は、  深く考え過ぎてしまってたの。    幸せになりたい!  幸せになりたい!  幸せになるにはどうしたら良いんだろう?  幸せになるにはどうしたら良いんだろう?    人の不幸を目にすると、  どうしてこんなに苦しくなっちゃうんだろう?    どうしたらこの世界は幸せに成るんだろう?  結局そうならないと  私は幸せになれないのかな?  何故なんだろう?    どんどんどんどん  金を稼ぐための仕事が苦痛になっていく。  どんどんどんどん  自分が無能なことに打ちひしがれていく。    そして私は生まれたばかりの赤子になってしまったの。  何もできないことに打ちひしがれて、  何もできない赤子になってしまったの。    私の放ったSOSは、  自分の気持ちに精一杯正直になったところから  生まれてきていたものだから、  自分の求めるものに  目一杯正直になったものだから  あとはもうその気持ちに正直に  生き続けるしかないの。    これから何が起こるかは分からない。  もしかしたら本当に  喰い倒れちゃうかも知れないし、  その前に、  精神異常を来しちゃうかも知れないし、  そんなの分からない。    でももうその流れには逆らえないの。  でももうその流れに乗るしかないの。    ちゃんとうまい具合になっている。  ちゃんとなるようになっている。    もう落ちる先がないところまで追いつめられて、  それをやらざるを得ないところまで追いつめられて、  他のことができなくなってしまっているところにそれがある。  それだけが残ってる。      御免ね、  こんな私になっちゃって。  御免ね、  こんなことしかできなくて。    でもね、  一番困っているのは私なの。  こんな私を受け入れなくちゃならなくて、  一番困っているのは私なんだから。    でももう諦めちゃった。  だってこんなどうしようもない私でも、  私が受け入れてあげるしかないんだもの。    どこの誰が私を非難しようとも、  どこで何を言われようとも、  私が私を見捨ててしまったら、  私が一番かわいそう。    どうしようもない私だけれど、  私は私をいたわって、  誰もの幸せという祈り、  現実に引き寄せたいの。  それができないと、  やっぱりずうっと私は不幸なままだから。    今、私に残されているのはそれだけだから。           ** QZY01267/『猫の手』<01/06 11:08> ** 00077/00095 HGE02116 MAKOTO RE:私はそのとき ( 4) 97/01/07 00:16 00071へのコメント コメント数:1 #71 >猫の手さん | 人の不幸を目にすると、 | どうしてこんなに苦しくなっちゃうんだろう? 確かに目の前に不幸を見れば、苦しくなるのは人として 当然の事だと思います。 それでも猫の手さんの場合は、人の不幸を目にしたから、 自分も不幸になるのだといったものではないように思います。 貴方のありのままを認める行為の、どこかに無理があるがために、 悲鳴をあげねばならない程に、苦しくなるのではないでしょうか? また、冷たい言い方になるけれど、心から誰もの幸せを祈るのなら、 自らの苦痛を誇示する事で、人を不幸にするものではありません。 貴方が悲鳴上げ続ける事で、心に痛みを宿す人がいる事を忘れてはいけない。 貴方自身の苦しみが、人も苦しめる事を忘れてはいけません。 地蔵菩薩は、世の中の、すべての人が救われぬ限り 仏にはならぬという誓いをたてたといいます。 地蔵でも、人の苦しみを目の当たりにすれば、苦しむでしょうし、 悲しむでしょう。怒りを感じる事もあるでしょう だけど地蔵はその思いを、誰かにぶつけたりはしないと思います。 己の思いを胸に秘めて、ただただ誓いを果たすと思います。 猫の手さん、本当に心から誰もの幸せを祈るのなら、 今、貴方に何が必要なのか、見えてくるものがあると思うのですが。 それを今一度、貴方自身の心に、問いかけてみてはくれませんか? これは私からのお願いです。                          MAKOTO 00081/00095 QZY01267 猫の手 RE^2:私はそのとき ( 4) 97/01/07 11:43 00077へのコメント  たびたび、MAKOTOさんありがとう。  MAKOTOさんが、私のことに沢山興味を持って下さっている様子なので嬉しく 思っています。でも、私の質問にも答えてもらえると嬉しいな。でないとせっ かく一杯書いても肩すかしされている感じでがっかりしちゃうんだ。  それでも、せっせと書きますね。      まず、ご免なさい。と言う言葉から入らなければなりません。  どうも誤解させちゃったみたいですね。  私は「不幸な人を見て私が不幸になる。」と言っているんじゃないんです。  「不幸な人が居る。ということそのものが私の不幸なんです。」あくまでも この世界を鏡の世界として私は考えています。私という存在の本質的が幸せで ないはずはないのですから。  次に、MAKOTOさんは、「私のあるがままを認める行為のどこかに無理がある。」 とお感じになられたようですが、どれはどんなところなのか、教えて頂ければ 嬉しいです。  ところで実際、私は自分が考えていること、思っていることが、常識的な当 たり前のことだとは思っても居ません。本当に、何でこんな思い方、考え方を するようになってしまったんだろうという落胆もあるんです。そのことは#71 からも読みとれたと思うのですが・・・。  そんなバカな私を受け入れるというところから私はスターとしています。      私は、「自らの苦痛を誇示した。」とは思っていないのですが、受け取る側 がそう受け取ってしまったらそれは仕方がないですね。そして、それによって 誰がどのように不幸になったのか具体的に教えて頂ければ、その人にはどのよ うに表現したらよいのか現実的に考えることができます。どうか、その辺宜し くご教授願います。  それと、もう一つ変な疑問を持ってしまったのですが、MAKOTOさんは不幸な 人が居たとして、その人に対して「あなたが不幸なのがいけない。」などと言 って責めたりするタイプの方ですか? 私ならば、不幸な人が目に付いたら、なんとかその人を助けられないものか と考えてしまうのですが・・・。  お地蔵様に限らず、誓いの果たし方は人により色々あると思います。私は今 こういうやり方をしていますが、私はこのやり方に固執しようとは思って居ま せん、より有効な、より早いそして自分の気持ちも納得させることのできるよ り良い方法があれば是非にも教えていただきたいと思います。  こう言ってはMAKOTOさんを憤慨させてしまうかも知れませんが、私は頻繁に 自分の心に問いかけていますよ。「今、何感じてる? 私の欲しいものは何? どうしたらそれが手に入る?」って、それが人から見て違うという場合には、 その人に、どこがどう違うように見えて、その人はどうしてもらいたいと思っ ているのか尋ねるようにしています。その上で、やはり同じように自分に問い かけて、次のものをを出しています。  で、MAKOTOさんは、私に何が必要と考えていらっしゃるのでしょうか?    やはり、私はMAKOTOさんにも幸せになってもらえないと私も幸せになれない と思っていますから、私がどうしたらMAKOTOさんが幸せでいられるのかさんざ ん考えさせてもらっています。そして、分からないことは、当の本人である MAKOTOさん自身に何度も何度も質問していこうと思っています。  宜しくね。           ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/07 10:12> ** 00068/00095 NBB01420 SUKE 失礼しました ( 4) 97/01/06 07:38 #66は自動アップミスをしましたので削除しました。失礼しました。Suke. 00078/00095 QZY01267 猫の手 責任 ( 4) 97/01/07 11:42 コメント数:1  人には何事に於いても責任がある。  何をしていようとも責任がある。  何をしてなくても、  してないという責任がある。  その責任の取り方は自由だよ。  それにより、  したこと、しなかったことに  やはり、責任は付いてくる。  ただそこにあるのはね、  今あるその責任を  いつ果たすかということだけだから。  それは、  すぐ果たすこともできる。  ちょっと先に延ばすこともできる。  でもね、  永遠に果たさずに済まされるようなことはない。  という認識は必要かも知れないね。    死んだら終わりなんてことはないからね。  死んだって、  結局、生前していたことの責任を果たさなければ  ならなくなっちゃうからね。  どこかで、いつか  必ず果たさなければならなくなちゃうの。    それさえ理解していれば、  どうするのが良いか、  冷静になって考えることできるかも知れないね。  それさえ理解していれば、  責任を取らない!と、  人を責める必要もなくなるかも知れないね。  何しろ、  こちらから責めなくたって  いずれその人はそのことの責任を  いつか取らなければならないのだからね。  そしてまた、  自分が責めたことに関する責任を  自分でまた取らなければならなくなるということも  見えてくるだろうから。  黙っていたって責任は付いて廻ってるからね。  黙っているという責任の取り方も  あるかも知れないけれど、  やはり、  黙っていたことによって起こる責任も  いつか、  取らなければならなくなるの。  何かを言うという責任の取り方も  あるかも知れないね。  でも、やはり  言ったことによって起こる責任も  いずれ取らざるを得ないでしょう。  さて、  あなたはどういう責任の取り方  していきますか?  私はね、  私も相手もどうしたら幸せ感じれるようになるか?  そう考えたところで、  責任を果たしていきたいと  考えているよ。    相手も私も幸せになっちゃったなら、  責任なんて重い考え方を  しなくても済むようになる気がして居るんだもの。           ** QZY01267/『猫の手』<01/07 11:39> ** 00091/00095 XLB04022 大愛    RE:責任 ( 4) 97/01/08 11:27 00078へのコメント 猫の手 さん、こんにちは。 ついついご無沙汰しているうちに、19番会議室が無くなってしまい、戸惑って いたところです。 この発言にRESを付けたのは、猫の手さんにご挨拶の意味でして、直接には関係 ないかもしれません。 壁ですから、もういい加減、言いたいことを言います。 今世紀末まで、あと4年しかありません。この間に、少なくとも、全地球人の1% 程度の人々が、高次元意識に目覚めなければ、地球は危ういです。少なくとも、 自分だけでもいいから、意識を高めておくべきです。じゃないと、「人々は、大 洪水がやってきて、すべてを飲み込んでいくまで、気が付かなかった」なんてこ とになりかねませんから。       97/01/08(水) 大愛(XLB04022) 00082/00095 SGQ02661 龍 みなさん、質問です(^-^) ( 4) 97/01/07 18:53 コメント数:2 今日、医者に行きました。そこでどうすごしてたのか、 聞かれました。そこでパソ通、TV、音楽というと 医者はパソ通やってるのかと聞き返しました。 そこで疑問が沸きました。 それはパソ通しててこのフォーラムにアクセスし、ここの 会議室のログを自分の回りの方に見せることができる人は いますかということです。 以前、ここのフォーラムのログを観た姉はこんなのしない 方がいいよといわれました。  また父は私の病気の原因はパソ通で何か宗教じみたこと をやってるのではないかと今も疑っています。  またここのRTではここのフォーラム怪しい発言もでて います。  私はここのフォーラムはいいか悪いか別にしてもう習慣に なってるのでアクセスするわけです。  私に現状をあえて言えば誰にも見せることができません。 どうしてもここのARIONなる存在を説明できないから です。別にARION批判をしてる訳ではないんです。 これは私の場合、ログを見せたら宗教だと言われパソコン さえ取り上げられる状況になることは明らかだからです。  みなさんの場合はどうですか?回りの人に隠してここに アクセスしてますか?私は両親に隠してこそこそとアクセス してる自分が疑問に思えてきました。良心が許さなくなって ます。  もしおおぴっらに見せれないで隠れてアクセスしてる人は その状態で良心が痛みませんか?  これをいったら「それはあんたの問題だよ」と言われるかも しれませんが、良心が痛むので発言してみました。 以上             龍(SGQ02661)(^_^)/~ 00083/00095 TBE03167 ねずみ RE:みなさん、質問です(^-^) ( 4) 97/01/07 20:02 00082へのコメント コメント数:1 龍さん 僕もパソ通というのに、一種の罪悪感みたいなものを感じている一人です。 なんていうのか、本来なら他人に向かって面と言えないことなのに、 パソ通だと平気で言えてしまう、というか、言わざるを得ない、みたいな ところがありますね。 自分では、なんとか常識のレベルを保とうと努力はしているんだけど、 どうも、実生活での話と、パソ通の話ではズレが出てくるんだよね。 たとえば、実生活では、僕なんかは病気のせいで、何もできない無力な人間 だけど、パソ通になると、そこでのフラストレーションで溜まったマイナスの エネルギーが爆発してしまうみたいなね。 これは、ガス抜きと言えば言えなくもないけれど、やはり良いことではないと 感じてます。 それに、僕はここでは実生活で知り得た人の悪口を書いてしまうこともある。 それも、後から考えてみれば、なんだかなぁ、とおもえるし。 確かに、ちょっと後ろめたいよね。 00085/00095 SGQ02661 龍 RE:みなさん、質問です(^-^) ( 4) 97/01/07 21:29 00083へのコメント こんばんわ、ども、龍です(^-^) 私が発言をアップして未読メール落として読んだら、 >たとえば、実生活では、僕なんかは病気のせいで、何もできない無力な人間 >だけど、パソ通になると、そこでのフラストレーションで溜まったマイナスの >エネルギーが爆発してしまうみたいなね。 >これは、ガス抜きと言えば言えなくもないけれど、やはり良いことではないと >感じてます。 >それに、僕はここでは実生活で知り得た人の悪口を書いてしまうこともある。 上記が書かれており苦笑したわけです。なぜなら私がアップした#84がそれに あたるからです。これってシンクロっていうのかなー。 それだけです。同じようなことを考えてる人っているものですね。 以上                    龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 00090/00095 GBG02043 維/YUI RE:みなさん、質問です(^-^) ( 4) 97/01/08 03:11 00082へのコメント >> またここのRTではここのフォーラム怪しい発言もでています。 そうなんですか。最近RTしてないからなぁ…。ん、どう怪しいんだろう?(笑) >> 私はここのフォーラムはいいか悪いか別にしてもう習慣に >>なってるのでアクセスするわけです。 ただの習慣でアクセスしているのなら、課金のムダかもしれないですね。 >> みなさんの場合はどうですか?回りの人に隠してここにアクセスしてますか? えっと。私は隠していません。ここで感じたこととか、得たことで友達に話をすること もあるし。友達にこのフォーラムを紹介したこともあります。その友達は、読んでみて かなり「オタッキー」な会議室が多いと話しておりました。(確かに…) 友達は興味が わかなかったりして、今はアクセスしてないと思います。 ここで話し合っていることの総てが、誰もに受け入れられることではないと、私は 思っています。受け入れられないのに、ムリにここに居続けることは、その人の為にも ならないとも感じています。私もどうしても受け入れられないことがらを強いられるの は、いやですし。 でもさ、ここフォーラムだし、ムリに参加させられることないから そういう意味では大丈夫でしょ? ここにアクセスするのに良心が痛むなら、きちんとここのフォーラムに龍さんは参加 したいのかどうか、求めているものなのか、考えてみたらどうでしょう。 必要ないのなら、やめたほうがいいし、必要だと思うのなら、良心が痛まずに参加する には、どうしたらいいのかを考えればいいでしょう。 ここのフォーラムを宗教だっていう人って、昔からいたんですよ。 私は笑っちゃうな。世の中にある宗教団体いくつか見てきたけど、ここが宗教だって いったら、宗教団体の人から「ふざけるな、どこが宗教なんだ」って言われちゃいそう な気がしますけど。ここを「宗教」だっていう人は、ここが心の問題を扱うところで それもかなりつっこんで話をするからとか、ARIONという一般的に認識できない 存在が関わっているとか、会議室での話の内容に「かみ」だの「なんとか教」だのが でてくるとか、訳の分からない妙な語呂合わせばかりが書かれている部屋があるから (あ、私の常駐先か…)とか、だからかなぁ…と思います。 97/01/08(水) 02:13 維/YUI(GBG02043) P.S. 龍さん仕事の方、今までやれなかったことやったり、仕事探しすることに 決めたそうですね。 こういうときは、言っても良いかな?「がんばってね」 00084/00095 SGQ02661 龍 今日、会社に行ったら ( 4) 97/01/07 20:35 コメント数:2 こんばんわ、ども、龍です(^-^)。 実は今日、会社に病気の報告書と医者の診断書の 提出しに1カ月ぶりに会社に行きました。  なんか不思議でした。ひさしぶりの行ったので なつかしさを感じました。  そこで人事部長と話をしました。今年になって私が やろうとしてること、特にアルバイトの件など正直に 話しまして、人事部長もその話にあいずちをうけて 話も弾みましたが、話が私がソフトの勉強などやって ますといったところ、それはやらなくていいよといわ れました。そこでまた気付きました。顔では笑ってて も心の中は辞めて欲しいということです。復職は認め ないということです。せっかく勉強して見返してやろ かと思いましたがもうやる動機がなくなりました。  またこれは私を切れない理由があったことに気付き ました。いまかかりつけの医者と現社長が友人関係に あるということです。社長は医者から私の状況を直接 聞いて心配しているようですが、人事部長はそのため に私の首を切れないということです。だから私を辞め させるのは私の側から辞めると言わさせない限り辞めさ れる理由にならないからです。ですから復職に通づる ような発言には釘をさしたのです。人事部長の立場は これでわかるようになりましたが、私が辞めることは 決定事項です。それなら会社に迷惑がかかろうが自分 の道を探ろうかと考えてます。あと1年6カ月くらい の猶予期間があるので自分の今までできなかったこと 遊び、仕事探しなどする事に決めました(^-^) (でも今日社内報を渡されてびっくり。仕事が一緒だった  同僚が結婚、私が入社教育でお世話になった方も結婚  と写真入りで掲載されていました。みんなハッピーで  いいわね(^_^;)、ブルーなのはσ(・_・)だけか?  ) 以上  ぼやきモードの龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 00089/00095 SGQ02661 龍 RE:今日、会社に行ったら ( 4) 97/01/08 01:06 00084へのコメント こんばんわ、龍です(^_^;) でもこれっておかしいですよね。 病気だから直れば復職してもいいはずなのに それを認めない。社長は私の病状はわかってる。 そこで疑問だけど社長も復職もダメだと思ってるのかな。 どうもここでもわたしの知らないところで辞めさせる口実が 人事部長によって作りあげられていると思うのはσ(・_・)だけかな?  私が復職したいって言ったらどうなるんだろう?私が現社長に 復職したいといったらどうなるのだろう?  方法として復職と退職があるが、社長には私が退職したいことに して(復職も考えてない)虚偽の報告して、私には復職のことは わからないようにしむけて退職だけを迫ってるのだな。それでこと を穏便にすませようと思ってるんだ。そんな評価しかうけてないん だσ(・_・)って。何事でもそうだけどなんかこの会社で人の表だけ 言う通り従ったらなんかわたしの知らない方向に物事が進められる なー。本当は人事部長は社長がかかりつけの医者と友人関係になかっ たらすぐさま首をきる方針ということになる。私の心配してるって 言ってるけどそれは嘘で腹の中は社長の件さえなけりゃあすぐにでも 首を切りたいってことが本音なんだなー。基本的には退職を決定する のは社長のはずだが、実際は人事部長が私の辞職の決定権を持ってる てことなんだ。やっぱり一回病気した人間は首を切るようになってる んだ。わたしに産業医を薦めてくれた女性も休職1カ月で辞めさせら れたからなー、有能な人だったのに。まあ病気したからもう使い物に ならないからポイって捨てられるわけね。世の中厳しいけどやり方が 陰湿だよね。人事部長だから自分の体裁も繕いたい、少なくとも問題 なく辞めさせたと社長から思われたいが、心の底は早く辞めてくれて 叫んでるんだ、この状況は。また人が信じれなくなったなー。今まで の会社ではことごとく意味のない、理解されない、利益が出ない仕事 ばっかり人にいわれるがままやってきたから、何か人を信じていいこ とはないなー。 私の被害妄想なのかなー 以上               龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 00092/00095 XLB04022 大愛    RE:今日、会社に行ったら ( 4) 97/01/08 13:46 00084へのコメント 龍 さん、こんにちは。はじめまして。 他の会議室の書き込みも含めて、龍さんの状況がおよそ分かりました。 実は、私もかつて、心の病に侵されたことがあり、今では完全に社会復帰してい ますが、薬だけは飲み続けています。私の場合は、もう、どうにもこうにもしよ うがなくて、自分から会社を辞めました。その後、両親や周りの人にとんでもな いほどの迷惑をかけながら、バイトをしたりしながら、1年以上遊んでました。 そして、今現在の会社に勤めたのが5年ほど前。ところが、ここでも病気が復活 し、1ヶ月ほど休みました。その時は、会社の人たちは温かく接してくれまし た。その方たちのおかげで、今、ようやく一人前の人間になれたかなあ、と思っ ています。そういう意味では、私はやや龍さんよりは恵まれているかもしれませ ん。 さて、龍さんの場合ですが、会社の方々の立場は、それはそれでごく普通のこと だと思います。会社員というものは、社内で、奉仕活動をしたり、演説をしたり するのが仕事ではなく、会社の利益のために貢献するのが仕事です。そういう意 味では、時として人を物のように扱うことも多々あります。私の現在の会社で も、リストラと称して、有能な人材も含め、何人もの人が解雇されたのを見てい ます。こういうことは、世間では当たり前のように行われています。 私の想像では、龍さんは人事部長さんなり、社長さんなりが、龍さんを有能な技 術者とみて、それなりの応対をして欲しいと望んでいるのでしょう。でも、はっ きり言って、現状でも十分優遇されていると思いますよ。まあ、既に道をお決め になったようですから、ある程度のふんぎりは付いたのでしょうが、今までに、 龍さんが酷い仕打ちと思っていたことは、それほど酷いものとは私には思えませ んでした。 気持ちは分かりますけどね。       97/01/08(水) 大愛(XLB04022) 00093/00095 SDI00635 みれ 運営注意です、龍さん ( 4) 97/01/08 21:22 コメント数:1 龍さん(このコメントは、運営注意です)  12番に移動して下さいと既にお話しましたが、どうやら聞いて頂けていな い様ですので、このコメントを最後に12番に発言を移動します。移動する予 定のログは、以下の通りです。重複してログ・ダウンになる数を減らす為に、 以下の番号のログへのコメントは避けて下さい>龍さん&ALL +----------------------------------------------------------------------+ |#00061 SGQ02661 龍      RE:龍さん&ALL、会議室移動を移動しま | |#00062 SDI00635 みれ 龍さん、会議室移動はね… | |#00063 SGQ02661 龍 RE:おかしいよ、すいません | |#00064 TBE03167 ねずみ RE:おかしいよ、すいません | |#00069 SDI00635 みれ RE^2:おかしいよ、すいません | |#00074 QFH02012 アラミス RE:おかしいよ、すいません | |#00075 SGQ02661 龍 RE:おかしいよ、すいません | |#00086 SGQ02661 龍 RE:RE^2:おかしいよ、すいませ | |#00087 KFQ02761 しまうま 龍さんへ | +----------------------------------------------------------------------+ ★なお、コメントツリーでの親発言等にあたる以下の文章は、発言移動の報告 ですので、これは移動しません。同一の議論が幾つもの会議室に跨がって展開 するのを防ぐために、以下の番号にもコメントをお控えください。 +----------------------------------------------------------------------+ |#00057 SDI00635 みれ 龍さん&ALL、会議室移動を移動しました | |#00059 SDI00635 みれ RE:龍さん&ALL、会議室移動しました | |#00060 SDI00635 みれ RE:龍さん&ALL、移動ログの照会 | +----------------------------------------------------------------------+ ★-----------------------------★/FARION/SYSOP/みれ(Millenium)SDI00635/★ 00094/00095 KFQ02761 しまうま 発言を12番会議室に移動しました ( 4) 97/01/08 23:16 00093へのコメント 「カベ (Wall) 」をご利用の皆さまへ  以下の発言を、12番会議室に移動しました。  同じログを2度落とすことになった方には申し訳ございませんが、会議室の 円滑な運営の為ですので、どうぞご理解くださいませm(__)m。  移動元と移動先の対応は、以下のようになっております。  4番会議室での|12番会議室での    発言番号  |  発言番号   (移動元) |  (移動先) ----------------+----------------    #00061  →   #01691    #00062  →   #01692    #00063  →   #01693    #00064  →   #01694    #00069  →   #01695    #00074  →   #01698    #00075  →   #01699    #00086  →   #01696    #00087  →   #01697 ----------------+----------------  なお、同一の話題が複数の会議室にまたがって展開するのを防ぐために、当 発言を含むコメントツリーに対するコメントは、どうぞお控えください。  以上、よろしくご周知ください。  FARION SUB-SYSOP しまうま(KFQ02761) 00095/00095 CQK00164 氷室 玲 Unsuccessful comment ( 4) 97/01/09 00:45 RE:86 SUB:龍さん、ちぃたぁ落ちつきんさいやぁ 龍さん、こんにちは。「道を探す者」氷室 玲です。 いきなりタイトルで広島弁モロ出しですが、 苦言を呈させていただきます。m(_ _)m 》 これですがそのことを「今は時間がないから、しばらくお待ち下さい」と発言 》 されればそれですむのではないですか。私は1日中暇(まあ正月休みは普通そう  みれさんはSYSOPなんだから、フォーラムの運営上、そう言う訳には いかなかったのでしょう。そして、それだけ緊急を要したという事を 龍さんはどう受けとめているのでしょうか? 》 私は少なくともわかりませんでした。だから何度も同じようなことを 》 発言してる訳です。私が普通の人がどうか自分ではわかってないので、 》 冷静になっても分からないんです。それをみれさんのいう普通の基準と 》 で話されてもらっても困るんです。  冷たい言い方のようですが、龍さんは冷静になりきっていないと思います。 自分で「何度も同じ様なこと」と言っているから、多少の冷静さがある様には 見えますが…まあ、精神的にドツボにはまっている様子ですから、 冷静になること自体が難しいのかも知れませんが。 (一年前の、会社を辞める直前の自分を見ているようだ(^_^;;) 》 想像か経験かはわかりかねますが、それをσ(・_・)にあてはめて卑怯だといわ  「想像か経験か」と言う問題ではないですよ。龍さんの発言そのものが 卑怯だと捉えられているのですよ。「病気だからダメ」と発言していなくても、 暗にそう言っているものと捉えられてしまっているのです。 》 わたしがこの画策をした大きな理由に、推敲した発言は本当の有りのままの 》 自分を表現しているのかどうか疑問があるからです。自分をありのままに語る 》 には感情的なものの言い方もでてくるのも当たり前と考えているのです。  龍さん、はっきし言って、この件に関しては大きな勘違いをしてますよ。 何故発言を推敲すべきかというと、「自分を過不足なく表現するため」です。 無茶苦茶な発言のままでは、表現したいことが表現しきれなかったり、 誤解されたりすることが往々にしてあります。せめて、書いたあとで一読し、 筋が通っているかどうかを確認してから、必要があれば修正するなりしてから 発言をupすべきでしょう。 》 あるがままを受け入れることと無責任精神世界ビジネスとはどう繋がるんでし  みれさんの語った通りでしょう。当該発言を良く読むべきでは? 》 私はその辺りはよく知らないのですがあえていいますね。(あとわたしの考え 》 方が言われてる無責任ビジネスの騎手達と同じなんでしょうか?そういう人は 》 ここでは受け入れないことですか?)  当フォーラムのSYSOPであるみれさんは、既にこう明言されています。 「無責任な者に発言する場を与えるつもりはない」と。そして、周囲から 無責任だと認識されてきている龍さんに、イエローカードが出されたわけです。 このまま無責任な発言を続けていては、遠からずレッドカードものですよ。  あと、龍さんのやり方はどうも「無責任精神世界ビジネスの旗手達」と 同じに写ったようですね、みれさんには。(他の方もそうかも…) 》もう1回いいますね。忙しいなら時間ができてから作業していいのです。 》そのためこの発言へのコメントも気長に待ってます。移動作業も時間が 》あいたら行って下さい。  SYSOPのみれさんをはじめ、フォーラムスタッフの皆さんにとって、 そのくだりは「たわ言」としか思えないでしょう。「時間が出来てから」では 遅すぎるからこそ、大切な時間を削って下さっていることを理解すべきです。  最後に。「フォーラムは特定人物だけのためのものではない」のです。                     written by Himuro Rei p.s.単なる一般会員のくせしてここまで言ってしまって良かったのかな?         >フォーラムスタッフの皆さん - FARION MES( 5):|ψARION 関連 |日本正史・真実発掘 97/01/09 - 00011/00020 KFQ02761 しまうま RE:アンデス先住民のミイラより遺伝子採取 ( 5) 97/01/06 00:48 00003へのコメント コメント数:1 #00003 TAOさん  こんにちは〜(^^)。  新聞からの抄録、どうもありがとうございましたm(__)m。  以前、預言解読村への書き込みで参照した『海の古代史』(古田武彦編著・ 原書房)という本でも、「縄文時代、日本と南米の間に人の行き来があった」 という論が主張されています。  で、その根拠の一つとして、「現在の南米の住民と縄文人の間に共通する 『HTLV1型』というレトロウイルスへの感染」が挙げられていました。  この本の中で『HTLV1型』について語ってらっしゃるのが、記事の冒頭 に挙げられている「愛知県がんセンター研究所疫学部」の部長である田島和雄 という方ですから、この記事で扱われている件にも、この方が関わっているか もしれませんね。  さて、改めてこの本を読み返してみると、一つ興味深い記述がありました。  チリ北部からコロンビア南のほうにかけて(つまりアンデス山脈に沿って) HTLV1型の感染者が多く見られるそうですが、このアンデスのHTLV1 型ウイルスといちばんよく似ている日本のHTLV1型ウイルスが、「日本の アイヌの人たちのウイルスと、沖縄あたりのずっと南の島のもの」なんだそう です。アイヌの人と琉球の人の類似性についても、以前どこかで論じられてい ましたが、確かその時の話では、いずれも「原日本」「縄文」の血を濃く受け 継いでいる人たち、ということで、おそらく日本の中央から「新しい血」の手 で日本の両端に追いやられたんじゃないか、みたいな話だったと思います。  このへんの関連も、おもしろいですね(^^)。  ちなみに、このHTLV1型ウイルスというのは、「母親から子供への授乳」 がもっとも大きな感染経路で、その次が男女間で精液を介して、というパター ンだそうです。いずれにせよ、そういうファミリアルな接触がなければ、感染 することのないウイルスだそうです。  ですから、日本のアイヌ・琉球の人たちと、アンデスに住む人たちのHTL V1型ウイルスが似ている、ということは、まずあり得ないわけです。  ただし、この本の中では、「20世紀に入ってから、HTLV1型ウイルス がアンデスに広がった」という可能性についても言及されています。例えば、 比較的近代に、九州なり北海道なりから、ある人が南米に行って、その人がア ンデスにもぐり込んだ。しかもその人が“非常に繁殖力がある人”だった(笑)、 という仮定も成り立つわけです。  つまり、わかるのは「縄文人と現在の南米の人がHTLV1型ウイルスを共 通して持っている」ということだけで、それがいつ、どのような経路で共有さ れるようになったか、というのは未知数だったのでした。  ところが、今回の記事を読むと、『南米チリとペルーの1,500〜1,000年前の ミイラ六体から細胞核の遺伝子を採取』できたそうですから、この遺伝子をス キャンして、HTLV1型ウイルスへの感染が確認できれば、「縄文人と同時 代の南米の人がHTLV1型ウイルスを共有していた」という結論が導き出せ ますね。  どんな結論が出るのか、楽しみに待っていたいと思います(^^)。                            しまうま(KFQ02761) 00017/00020 MHD02672 TAO RE:アンデス先住民のミイラより遺伝子採取 ( 5) 97/01/08 01:06 00011へのコメント コメント数:1  #00008 SUKEさん  #00011 しまうまさん   マトコメで失礼致します。m(_ _)m  >SUKEさん  >> 僕は実はミイラと言うものが苦手で、写真に出ているのだけでも見たく  >> ないんですが   ほぉ〜(^^)。実は上野の国立博物館にミイラの現物が展示されているんで  すよ〜。免疫を作る為に、一度見に行かれては如何でしょうか?(^O^;) 冗  談はともかくとして、創元社刊の“知の再発見 双書シリーズ”の『マヤ文  明』も面白いですよ。そうそう、『インカ帝国』『アステカ王国』も入って  います。いずれにしても歴史の謎が明かされるのはぞくぞくするものですね。  >しまうまさん   そうそう、その田島さんです。今度の、ミイラからの遺伝子採取に関わっ  ているのは。   HTLV1型ウイルスというのは、性的交渉も含めた極めて親密な接触が  無いと、感染しないんですね。人種的な混血が進む以前の古代縄文人と、昔  のアンデス先住民が同じHTLV1型ウイルスを共有していたとすれば、当  然ルーツが同じだという可能性が極めて高くなりますよね。そのルーツが何  なのかは、今進められている遺伝子配列の特定が終わってからの課題になり  ますね。   いずれにしても結果が待たれるところですね(^^)。  TAO 00018/00020 HGB02122 あもり RE^2:ソフトな話 ( 5) 97/01/08 15:33 00017へのコメント  「アメリカ」といえば、私の場合は摩天楼でもゴールデンゲートブリッジでも  なく、インディアンと俗称される先住民族に関して多大な関心が先に立ちます。  例えば、北米インディアンやエスキモーと呼ばれる民族も、モンゴルを発祥と  して、流氷を伝い定住したという話もありますね。  私はそういう各国のモンゴロイドをして「なつかしい人々」なんてソフトに呼  んでたりしますが、そういった体系を一度にまとめた本というのはみかけた事  がありません。  ついでに、ソフトな話を披露しますが、私がまだ若い頃、アメリカを旅行した  ことがありまして、レンタカーを借りて、アチコチ回った経験があります。  アリゾナ周辺をうろうろしていた時、美術館+お土産屋の同居したような場所  で、インディアンの民芸品をもの珍しそうに見てたら、その場所を管理してい  る初老の男に呼び止められました。杖をついた、大柄な男でした。その時は、  まあ、お決まりの「奇麗ですね」とか「感動しました」とか言ったと記憶して  いますが、話が色々進むと、その男は、私を物陰に呼んで、「古い部族に興味  があるのか?私は、フフカム族の末裔でジョセフという。おれの仕事はもう終  わりだから、お前を俺達の聖地に案内してやろう」などと言いました。  私は、よくこんな車が動くもんだというような車に乗せられて、そこから一時  間くらい走った何にもない場所に連れていかれました。  車中、車が羽飛ばされるような豪雨で、車の割れたウィンドウからビシャビシャ  雨が入ってくる始末。そうかと思うと雨はぱたりと止んで、目前に巨大な虹が  立ったりしました。「ほら、お前は歓迎されてる」  フフカム(fofocam)族というのは、小数部族の一つで、主に農耕をしながら  生計を立てていた部族で、南から移って来たとの事。日本に帰ってアチコチ調  べ回ったんですが、その部族の伝承は一つもなかったくらいのマイノリティで  す。  くだんの聖地というのは、四方が東西南北を向いた巨大なマンション型の遺跡  と、墓所が組み合わさったものでした。  そこでジョセフは、部族の歌を披露してくれました。それも、部族の言葉で!  どんな内容なんだ?と聞くと、「さあ、日が昇った。働きに出よう。子だも達  は元気に遊び始める。みんなで働こう」と言った内容だそうでした。感動した  のはそのメロディで、現在流行っているようなヒーリングメロディみたいな深  いリズムをもった歌でした。(帰国した後に、MIDIで曲を起こしたんですが、  見つかったらライブラリに上げようかな)  かわりに、私も覚えたての祝詞(!)を地平線に向かって歌いました。  ジョセフは「おれもお前も同じだ」と言った言葉が、非常に脳裏に焼きついて  います。  と、こんな経験をしました。  面白かったですか??              HGB02122 あもり - FARION MES( 6):|ψARION 関連 |メッセージから学ぶ 97/01/09 - 02142/02164 MHD02672 TAO RE:浄化と純化、喧嘩と自己正当化などなど ( 6) 97/01/05 18:34 02137へのコメント コメント数:1  #2137 しまうまさん   どうも〜。「浄化」と「純化」、似ているようで異なるというのは言われ  てみてああ、そうだなと気付きました。(^^;ゞ   で、三省堂の国語辞典CD-ROMで索引してみましたら、  じょうか【浄化】《国》  〈名・他動サ変〉(1)きれいにすること。「汚水(おすい)の―装置(そうち)」          (2)不正をのぞいて、正しい状態(じようたい)にすること。           「政界(せいかい)の―をはかる」  じゅんか【純化】《国》  〈名・他動サ変〉[文章語](1) (〈醇化)まじりけのないものにすること。               (2)人の心を感化して、正しく美しいものにす                 ること。   ふみみ…。確かに「浄化」というのは、特定の価値観というフィルターに  照らし合わせて取捨選択するというか、濾過するという感じですね。例えば  水道の蛇口に濾過装置を付けたりするのも、カルキ等の消毒添加物を消す為  ですよね。これを精神活動に当てはめれば、しまうまさんが仰ったように  >> 「浄化」は、卑俗なものを切り捨て、猥雑なものを滅却することによっ  >> て清められていくこと、のような気がします。   ということになるのでしょうね。KAZEさんも17番#021「聖と俗の架け橋」  でこう仰っていましたね。(勝手に引用してスイマセン(^^;>KAZEさん)  >> で、何がいいたいかというと、宗教の多くというのは  >> 聖と俗というのを切り離してしまう傾向が強いんですよね。   してみると、「聖」を絶対的な至上価値に据えて、その価値体系にそぐわ  ない「俗」を切り捨てるという風に感じられますね。友人は(西洋的な)キリ  スト教的な価値観にかなり染まっている人なので、話がそういう展開に流れ  て行ったのかもしれませんね。  >> 一方「純化」のほうは、清浄なものはとことん清浄に、卑俗なものは徹  >> 底的に卑俗に、猥雑なものは全身全霊で猥雑に、というニュアンスなん  >> じゃないでしょうか(あくまで僕の感じ方ですが)。   「純化」を「まじりけのないものにすること」と捉えるならば、確かに生  命活動に絡む全ての欲望や方向性を、より純粋な形に研ぎ澄まして行くとい  う解釈も出来ますね。それは、まず自分という人格現象を成り立たせている  あらゆる要素や力やその影響を明瞭に観じるという、極めて怜悧な意識を持  てなければ出来ない業かもしれませんね。   言い方がちょっと晦渋になりましたが(^^;、魂を純化するというのは、決  して魂をぶつ切りにして要らない(?)ものを切り捨てるので無く、自分の中  にあるあらゆる要素を、善悪や正邪を超えてそれぞれを魂の中で研ぎ澄ます  ということになるでしょうか。研ぎ澄ますのは誰なのか?ということになる  と、それは(陳腐な表現ですが ^^;)「真我」なのだということかしら。  ***  >> TAO さんの文章を読むと、人と喧嘩になったり、人と自己正当化の応酬  >> をしたりすることが、あらかじめ「よくないこと」に分類されているよ  >> うに見えます。   そうですね。少なくとも自分の美意識に照らし合わせれば、出来るだけ避  けたいことであるのは確かです。「見苦しいから、良くない」「自分の醜い  部分をさらけ出したくない」という判断基準が先立ってしまっています。た  だ、一見どんなに「感情的な」やり取りに見えようとも、双方に「何の為に  やっているのか? 自分は果たしてどんな結果を望んでいるのか?」という  ことが明確に意識されているならば、「馴れ合い」や「依存」を破壊する為  の真剣な「喧嘩」に変じられることだろうと思います。   今気付いたけど、真剣な喧嘩と、感情の垂れ流し的な喧嘩とは全く違いま  すね。そこに愛情表現としての「怒り」があるか否かに、分かれ目があるよ  うに思えます。まあ、どんなに苦言を呈されても開き直るだけの人には、相  手の真意は理解出来ないのでしょうが…(-_-;)。   今まで出されたARION書籍を読み返す度に、色々気付かされたり考え  させられることが多々あるのですが、この会議室をフル活用させて頂きたい  と思います。ではでは(^^)。  TAO 02146/02164 KFQ02761 しまうま RE^2:浄化と純化、喧嘩と自己正当化など ( 6) 97/01/06 11:20 02142へのコメント コメント数:1 #02142 TAOさん  こんにちは(^^)。  TAOさんがおっしゃった浄化のイメージ、「特定の価値観というフィルターに 照らし合わせて取捨選択する」というのには、僕も納得しました。そして、そ の「特定の価値観」というのは、結局「自分の価値観」なんだと思います。  関連するARIONの発言を引用してみますね。 |長所も短所も、TPOで変化してしまうようなものなのだよ。 |その場その場、対する相手次第と言っても過言では無い。 |長所も短所も、結局は自己申告とでも言うべきものに近いのだよ。 | |「自分を観る」ことは、短所や長所という具合に分別してしまうことでは無い。 |厭だな、と思うことも、好きだな、と思うことも全て一括りにして、ああ、これが |私なんだな、と先ずは見つけることだ。 | |勿論、自分でも嫌いな自分の性格の部分に出会うと、人は目を背け見ないように |する傾向があり、これは自然なことなのだよ。 |また、こうした厭な部分を、自分が気に入っている人には見せたくない、と思う。 |そうした心の動きは自然であり、とがめだてする必要も無いし、反対に評価する |必要も無い。 | |良いことも悪いことも、全てを先ず自分の中に見つけて「ここにある」と認識し、 |その次にそれを一つ一つ善悪評価や、上下評価しないで置いておくこと。 |例えば、自らの性格を箇条書きにして、気に入った性格の順番に番号を付けたから |といって、その性格自体に上下関係があるわけでは無いのだからね。   (94/02/08 「RE:SUKEよりARIONへ(目先の苦しさ)」より抜粋) ----------------------------------------------------------------------  この抜粋の元発言は、以下のライブラリに収録されています。 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #27 95/10/20 ARION02G.LZH 世紀末書込み寺02 #1501-2000 ----------------------------------------------------------------------  たぶん、「“聖と俗”という風に分けて考えるのはイケナイことだ」と、頭 から決めてかかるのも、また正確な認識から遠ざかることになるんでしょうね。  「聖と俗、善と悪、是と非を明確に分けたい、そして自分の中に聖・善・是 だけを見出したい」という志向があれば、まずその志向を認識して、なぜ自分 はそういう志向性をもっているのか?と自分に問いかけるところから始めたほ うがいいんだと思います。 | 今まで出されたARION書籍を読み返す度に、色々気付かされたり考え |させられることが多々あるのですが、この会議室をフル活用させて頂きたい |と思います。  大歓迎です。今後ともよろしくお願いします(^^)。 しまうま(KFQ02761) 02160/02164 MHD02672 TAO 内的評価と外的評価、可能性 ( 6) 97/01/08 01:06 02146へのコメント  #2146 しまうまさん   どうも〜(^^)。ARION発言の引用をどうも有り難うございました。成  る程、まず自分の中にあるものを全て、自分の価値観に照らし合わせての「  評価付け」をせずに虚心に見つめることが、「自分を観る」に繋がって来る  という訳でしょうか。   確かに「自分が認めたくない(肯定したくない)」部分を自分の中に見出し  たら、そんな筈は無いと目を背けたり、また、だから自分は駄目なんだと自  虐的な自己批判に陥ることも、どちらにしても、結局は「自分自身を知るこ  と」から逃げているのですよね。   自分が好きな部分も嫌いな部分も引っくるめての「自分」の全体像を認識  出来ない限りは、自分が真に望む(志向する)ものさえも見えて来ないのかも  しれませんね。また自分に対する内的評価とは、実は「外的評価」に対する  怯えに過ぎないという可能性もありますね。こういう自分は認められないだ  ろう、嫌われるに違いないとか、「自分が嫌う自分」と「他人に嫌われるだ  ろう自分」とが、根拠も無く同一化してしまっているということです。   何だか不毛な自縄自縛ですね(^^;。いつまでも“自己否定”“自己批判”  という名前の停滞や怠慢に踏み止まっている限りは、いつまでも「己」を出  発点とした創造に踏み出せないものなのだろうと思います。言い方を変えれ  ば、自分の可能性を自ら否定しているようなものですね。   「可能性」と言えば、次のようなメッセージがありましたね。『光の黙示  録』 124頁よりの引用です。      可能性の源泉は宇宙エネルギー体にある。      個々の可能性の源はひとつなのだ。個人単位の可能性を伸ばせば宇     宙全体の可能性も増す。      源泉の可能性エネルギー蓄積量が増えれば、個人の受ける可能性エ     ネルギーの絶対量も増す。      逆に可能性を潰すようなことをすると、宇宙の源泉の蓄積量も減る。     ひいては個人の受けるべき可能性も減るのである。      このように個人の可能性と宇宙の可能性は相互関係にあるというこ     とを、是非知っておいてもらいたい。      他人の可能性を潰して自分の可能性を図ろうとする人は、結局自分     の可能性の取り分を減らすことになるのである。      逆に他人の可能性を伸ばそうとする人は、結果的に自分の可能性を     も伸ばすことになるのである。   う〜〜〜む。自分の可能性を伸ばすことが、宇宙全体の可能性を伸ばすの  だと考えれば、責任重大ですね…(- -;)。まあ、責務感“だけ”で自分の可  能性を伸ばそうとするのも変でしょうが(やはり自発的なもので無いと…)、  自分の可能性を伸ばすことが即宇宙にとってもプラスになると考えれば、何  か大きな歓びみたいなものも感じられて来ますね。と言っても、ついつい怠  惰に流されがちな自分をまず戒めなくてはならないのですが(^^;。  TAO 02143/02164 GGA02514 KAZE 愛と性 ( 6) 97/01/06 00:12 02138へのコメント コメント数:1 しまうまさん、どうも。 》 「子はかすがい」以外にも、「家はかすがい」「金はかすがい」「性交はか 》すがい」「世間体はかすがい」などなど、いろんな「かすがい」がありそうで 》すが、何らかの「かすがい」に依存した夫婦関係というのは、所詮ハリボテで 》しょうね。 おっしゃるように、いろんな「かすがい」がありますね^^;。 「夢は?」と聞かれて、「家を建てること」と迷わず答え、 そのローンの支払いのために夫婦で四苦八苦するという「かすがい」など、 なんだか、「なんで生きてるのか?」と問いたくなってしまいます。 そんなのがいちばんの夢であるなんて、 やっぱりかなり貧困ではないかと思いますねぇ。 夫婦手を携えてがんばるのはいいのでしょうけど、 それが砂上の楼閣のようなもののために頑張るなんてね・・・。 》 僕の両親やら親族を例にとると、KAZEさんのおっしゃる「ばかばかしい関係」 》で成り立っている夫婦が圧倒的に多いです。 実は、ぼくの両親もそういう「ばかばかしい関係」そのもので、 あげくのはて、離婚してしまうはめになりました。 昔は、両親や親戚のすすめで、「愛情なんてそのうちでてくるものよ」なんて 無理矢理結婚させてしまうことが多かったようですけど、その典型のようでした。 小さい頃からそういう風景を目の当たりに育ったぼくとしては、 そういう在り方だけは不毛だからイヤだという意識を持ち続けてきたものですから そこらへんに意識的にならざるをえなかったというのがあります。 反面教師としては、けっこうよかったといえるかもしれません^^;。 》 そういう不毛な人間関係のほころびが「援助交際」に繋がっている、という 》ご意見、興味深いですね。 早い話、愛と性とを混同してしまっているわけです。 夫婦が向き合えないということは、性的関係はいやおうなくあるとしても、 愛などは必要ないというふうに思ってしまっているのではないでしょうか。 本来、愛というのは、性と接点はあるとしても、同じものではなかったのに、 その二つを同じものであるかのように、マスコミでも垂れ流してますよね。 あまりにも性の部分を隠蔽してしまうような男女の愛もただの能書きですし、 その反対に、本来の愛の部分がなくても発情すればそれを愛だと思いこんで それで表面としていいと思っているのも、幼稚な発想です。 引用してくださったARIONの夫婦に関するコメントは至言です。 》|結婚とは、そういった大変な作業を日々続けてゆくという、男女の共同生活の 》|在り方でこれは困難だが、とても実りの多い人間関係だ。 もう、その通りだと思うのですが、 不毛な関係しか持てない夫婦は愛どころか性さえも不毛になって、 あげくのはてが、その愛と性との幻想の部分を引きずってしまうがゆえに 安易な「援助交際」につながることになるのだと思います。 女子学生にしても、大人のそうした不毛な関係をみて、 「そんなもんだ」と思いこんでしまっているので、 「別にだれにも迷惑かけないじゃん。喜んでくれるんだからさぁ。」とかいう もう、錯誤以外のなにものでもないような意識をもってしまっているわけです。 夫婦関係の不毛を癒してもらいたがっているダンナと 夫婦関係の不毛をわかっちゃっている女子学生との これまた不毛な、ビジネスライクな「愛と性」の関係が そこに生まれているといえるのでしょうね。 では、では。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 02148/02164 KFQ02761 しまうま 結婚について ( 6) 97/01/06 23:40 02143へのコメント コメント数:1 #02143 KAZEさん  こんにちは〜(^^)。  「結婚して生活を共にしていれば、そのうち愛情も湧いてくる」という論理 は、例えば「どんなキーボードでも、頻繁に使っていればそのうち手に馴染ん で使いやすくなる」みたいな感じですね。まあ、相手が道具ならばそれでもい いのでしょうが、人間相手に(しかも人生のパートナーとなる相手に)対して とるスタンスではないように思います。  「生活を共にしていれば」湧いてくるものって、「愛情」というより「愛着」 でしょうね。「愛着」だとまだ聞こえがいいけど、中身は「執着」「固執」と 同じものだと思います。お互いに縛り、縛られることで、関係を永続させてい く、という感じ。  こういう人間関係は、自由からかけ離れていく方向にしか作用しないように 思います。  結婚・離婚というのも、「相手に執着が湧いたから結婚する」「相手に対す る執着がなくなったから離婚する」というのでは、何の学びも生まれ得ないど ころか、逆に自分の“執着心”に人生を牛耳られていくきっかけになってしま いそうな気がします。  ARIONが「結婚」について語っている文章があったので、再録します。 ====================================================================== |結婚とは生まれも育ちも性も異なる者二人が、お互いに出会うまでの間に培った |経験などを持ち寄って、お互いの個性を維持しながら、二人の個性を合わせた |「第3の個性」を築き、二人だけでは得ることの出来なかった世界を共有し、 |二人で多くの経験を積んで生活してゆくもの、という風に私は解釈している。 |勿論、生物学的な見地に立っての見方では無いけれどね。 | |好き嫌いという感情は、それはそれで大事な判断基準であろうが、 |人間二人の長い人生経験を持ち寄り築き上げる結婚生活の中では、もう少しお互いに |お互いの個性を見つめあい、理解し合う努力があっても良いと思うのだが。          (94/04/18 「ARIONよりアマデウスへ」より抜粋) ----------------------------------------------------------------------  この抜粋の元発言は、以下のライブラリに収録されています。 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #29 95/10/20 ARION02H.LZH 世紀末書込み寺 #2001-2300 ======================================================================  この中の『二人の個性を合わせた「第3の個性」を築く』という考え方は、 興味深いです。一人では到達し得ないような高みにのぼる、という感じでしょ うか。実践しないとわからないことなのでしょうけれど……。  でわでわ(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02162/02164 GGA02514 KAZE 円と円 ( 6) 97/01/09 00:19 02148へのコメント しまうまさん、どうも。 》 「生活を共にしていれば」湧いてくるものって、「愛情」というより「愛着」 》でしょうね。「愛着」だとまだ聞こえがいいけど、中身は「執着」「固執」と 》同じものだと思います。お互いに縛り、縛られることで、関係を永続させてい 》く、という感じ。 人それぞれでいろんな関係があると思うのだけれども、 「腐れ縁」という感じなんでしょうね^^;。 一人でいられないから二人でいるということ。 》 この中の『二人の個性を合わせた「第3の個性」を築く』という考え方は、 》興味深いです。一人では到達し得ないような高みにのぼる、という感じでしょ 》うか。 よくいわれるたとえですけど、 一つの円をつくるために半円と半円が補いあうということではなく、 完全な一個の円と円が響きあい影響を与えあって、 さらに大きな円をも創造していくということなのだと思います。 しかし、ARIONのメッセージは、とても的確ですね。 今まであまりまともに読んでなかったりするので^^;、 ご紹介していただくととても勉強になります。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 02144/02164 KFQ02761 しまうま 命をかけてでも守りたい ( 6) 97/01/06 00:48 02140へのコメント コメント数:2 #02140 YUKOさん  どうもはじめまして(^^)。  子育てを実体験してらっしゃる方のご参入、たいへん有り難いです(^o^)。 |子供を慈しむ、愛情を持って育てるというのを気を使って手取り足とり過干 |渉するのと履き違えている人が余りに多いことを子供を持ってから痛感して |います。  ちょっと論点がずれるかもしれませんが、あえて少し(^^;。  「ウチの女房、子供が産まれたらいきなり子供一辺倒になっちゃってさ、俺 なんかほったらかしだよ」みたいな愚痴って、けっこう一般的ですよね。で、 その奥さん自身も「子供は保護し、教育していかないとならないんだから、当 たり前でしょ。少なくとも旦那なんかよりずっと可愛いわよ」とそれを肯定し てたりして。  こういう夫婦関係って、何なんだろう、と思います。たまたま自分の腹から 出てきた小さい生き物を、自分の意志で人生のパートナーとして選んだ夫より も、愛情を注ぐ優先順位の上に置く。そしてそれを自分でも肯定する。もちろ ん、母親が手をかけなければ生きていけない時期は確かにありますから、そう いう時に子供に手をかけるのは当然なんでしょうけど、もういい加減子供が大 きくなってからも、「旦那より子供が大事」という価値観のままで固定してい るのは、夫婦関係の上で大いに問題なんじゃないでしょうか。  で、YUKOさんがご覧になる「子供に気を使って手取り足とり過干渉する」人 とは、もしかして夫婦関係もうまくいってないんじゃなかろうか、などと想像 したのでした。 |子供は母親にとても敏感で、子供の態度で反省することが多い。子供と向合 |うのは自分との戦いだ、と最近は痛感しています。 |私にとって子供が一番身近な分かりやすい写し鏡のようです。  なるほど、相手がもともと無垢であるぶん、自分が与えた影響も如実にわか ってしまう、という感じでしょうか。あるいは「朱に交われば赤くなる」とい う諺のように、生まれたときに真っ白のキャンパスであった子供が何色に染ま るか、というのを見ていくことで、「自分が何色であるか」もよく見える、と いう感じでしょうか(同じことですね(^^;)。  もし差し障りがなければ、YUKOさんが「子供は自分の写し鏡」だと感じられ た出来事を教えてくださいませm(__)m。 |十月十日一心同体でいるうちに子供は特別な存在になったのか、命を掛けて |でも守りたい存在にまでなる。  「命をかけてでも子供を守りたい」という欲求は、無味乾燥な言い方をすれ ば「本能にあらかじめインプットされたもの」なんでしょうね。親がそういう 欲求を抱くことで、種族は無事に存続してきたんだと思います。  それはそれとして、「命をかけてでも守りたい存在」を身近に置いて暮らす 時間、というのは、色んな意味で学びの多い、密度の濃い時間なんでしょうね。 「命をかけてでも守りたい」という欲求に対して意識的であれば、子育てとい うのは、非常に意義のある営みなんだろうなあ、と思いました。  ではでは、今後ともよろしくお願いします(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02153/02164 KFR04742 YUKO RE:命をかけてでも守りたい ( 6) 97/01/07 11:44 02144へのコメント コメント数:1 #2144 しまうまさん、こんにちは。 RES有難うございます。 > こういう夫婦関係って、何なんだろう、と思います。たまたま自分の腹から >出てきた小さい生き物を、自分の意志で人生のパートナーとして選んだ夫より >も、愛情を注ぐ優先順位の上に置く。そしてそれを自分でも肯定する。もちろ >ん、母親が手をかけなければ生きていけない時期は確かにありますから、そう >いう時に子供に手をかけるのは当然なんでしょうけど、もういい加減子供が大 >きくなってからも、「旦那より子供が大事」という価値観のままで固定してい >るのは、夫婦関係の上で大いに問題なんじゃないでしょうか。 夫が愚痴り、妻は「子供の方が大事」という夫婦はきちんとコミュニケーシ ョン出来てないんじゃないかと思います。妻にしてみれば夫と違って子供は 小さいうちはある程度母親の思う通りにしようと思えばなりますから。子供 は自分の所有物扱いして欲の掃き溜めみたいにしてるのを正当化するために 「子供の方が大事」になってることが多いのではないかと思います。 私の場合は主人も子供も大事です。時と場合によって優先順位は変りますけ ど、どっちが大事か、なんて決め付けてしまうことはできません。 子供の教育の事を考えると先に夫婦関係から振り返り考えて行くことになる んですね。納得。 > で、YUKOさんがご覧になる「子供に気を使って手取り足とり過干渉する」人 >とは、もしかして夫婦関係もうまくいってないんじゃなかろうか、などと想像 >したのでした。 私の知る範囲では、表面的にはうまくいっているように見えます。でもすれ 違ってるな、っておもう。全ての人に当てはまるかどうかは分かりませんが。 結婚して「こんなはずじゃなかった!」と私に愚痴る友人が以前いたんです が、その人は自分の事を夫にはきちんと話してない。夫の事を知ろうともし ていないようでした。嫌味な態度は取ってたりするようですが(^^;)「ご主 人と話したら?」と言ってもどうもそのつもりはないようだし、愚痴が趣味 なのか?と思ってしまう。 結婚する時に何を思って結婚したんだろ?と不思議に思います。 あからさまに夫といれば自分は食いっぱぐれない、という友人も居ります。 あと、そういう夫の愚痴を自慢しあうのが当たり前、という人が結構います。 「うちの主人はこ〜んなにも情けないのよ。」「お宅なんてまだいいわよ〜。 うちなんて…」という具合。謙遜しあってるつもりかもしれないけど、それ を子供の目の前でやることもあるんですから、子供が父親を嘗めたり嫌った りするのは当たり前かなと思います。 そういう友人たちが私の反省材料になったりしています。 > もし差し障りがなければ、YUKOさんが「子供は自分の写し鏡」だと感じられ >た出来事を教えてくださいませm(__)m。 分かりました。 まず、容姿が丸写しです…そうじゃないですね(^^;) 毎日の事なので色々あってどれを書けばいいのか迷ってしまいますが、また 改めて旬の出来事でもUP差せて頂きますね。 > 「命をかけてでも子供を守りたい」という欲求は、無味乾燥な言い方をすれ >ば「本能にあらかじめインプットされたもの」なんでしょうね。親がそういう >欲求を抱くことで、種族は無事に存続してきたんだと思います。 「命をかけてでも守りたい存在」と言うのはあらかじめ本能にインプットさ れたものと言うので思い出したんですが、震災の時、揺れた瞬間に私は隣に 寝ている娘の上に覆い被さっていました。別にそうしようと思ったわけでも ないのに、気付いたらそうしてたんです。それまで余り母親の自覚がないま ま子育てに追われていた私はあの時初めて、この子の母親なんだというのを 実感したような気がして妙に感動していました。 > それはそれとして、「命をかけてでも守りたい存在」を身近に置いて暮らす >時間、というのは、色んな意味で学びの多い、密度の濃い時間なんでしょうね。 >「命をかけてでも守りたい」という欲求に対して意識的であれば、子育てとい >うのは、非常に意義のある営みなんだろうなあ、と思いました。 そうですね。 子育ては先の社会にも大きく影響するのを考えると責任を感じずにはいられ ません。とても重要な営みでもあるんだろうなと私は思います。 とはいえ、子育てってやっぱり難しいです(__;) 未熟な母親                              YUKO 02147/02164 NBB01420 SUKE RE^2:終わるかHM? ( 6) 97/01/06 22:15 02145へのコメント コメント数:2 #2145 しまうまさん >> 何かの本で、ARIONは「本当の指導者とは、自分を超えていくように弟 >>子を指導するものだ」というようなことを言っていたと思いますが、 この話は確か、弟子に追いつかれる事を恐れる指導者を戒めるような場面で はなかったかと思いますが、そういう主旨とは離れて、「越えてゆく」と言 うところに注目すれば、「いつか貴方の所に行きます」の後に「そして追い 抜いて行きますよ」と言う言葉が続かないと半端なのかも知れないですね。 ですが天使の所にまで行くのも結構大変だろうと思うので(^^;)まぁ取り敢 えずはそこまで行くぞと言う気概でも良いかなと思いますけどもね(^^;)                             Suke.(^_-)☆ 02155/02164 KFQ02761 しまうま HM第2章へ? ( 6) 97/01/07 22:01 02150へのコメント コメント数:1 #02150 水戸黄門さん  こんにちは〜(^^)。  ふむふむー、HM終わらず第2章へ突入する説、ですね。  社会が、「大変な不景気に突入していて物欲なんかが錯綜したり、逆に反省 している人が多かったりした」というのは、バブル崩壊後のお話でしょうか?  なんとなく牧歌的な雰囲気もあった一連のHMが、いきなり現代社会に関す る話題に転換する、というのは、どうも想像しづらいのですが(^^;。  今日のHMは、 |97/01/07 屋内に入った天使は燭台を置いた机の所に来て燭台に言った…  でしたね。以前、天使は「燭台に燃え続ける様に命じ」て、屋外に出てきま した。そして、再び燭台に何事か語りかけようとしている……。水戸黄門さん の説に従えば、燭台に向けてバブル崩壊後の話をし始める、という感じでしょ うか(違うかな?)。 |えっと、アリオンの波動というものがあるかどうかわかりませんが、道などを |歩いていると、ここはアリオンの波動があるけど、ここからはない。なんてい |う境界線みたいなものを感じることがあります。  もしよかったら、14番の「霊的体験」の部屋に書いてみてくださいね。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02163/02164 KFQ02761 しまうま RE^2:HM第2章へ? ( 6) 97/01/09 05:55 02159へのコメント #02159 水戸黄門さん  こんにちは〜(^^)。  天使の燭台への語りかけ、今のところ以下のような言葉になっていますね。 |97/01/08 「燭台よご苦労だった…太陽が光を放つとき、お前は眠りなさい」  そ、そうか! 以前、天使が燭台に「燃え続ける様に命じ」ていたのは、あ れはその時点が夜だったから、なのかー!と、妙に納得してしまいました。  太陽が光を放つようになったら、燭台は眠りにつくんですね。ということは、 燭台を、太陽の代用品、ミニ太陽、地上の太陽、という風にも見なせそうです。 |97/01/09 「林檎の樹は人の前に茂り、人は林檎の果実を再び手にした」天使  これも燭台への語りかけでしょうか。天使が「再び」という言葉を使ってい るところから推測すると、語りかけの相手(燭台?)は、「以前、人が林檎を 手にしたとき」を知っているのかもしれませんね。  さてさて、 |案外、これはシンクロニシティーかななんて思います。  とのことですが、どのあたりがどこらへんとシンクロしていましたでしょう か? あ、「天使が焚き火民に対する厳しい指摘をし始めたとすれば……」と いうことでしょうか。  なんだかこのところのHMは天使の独壇場という感じですね。今、焚き火民 は、村長さんは、どこで何をしているやら……。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02152/02164 KFQ02761 しまうま 真に優れた指導者 ( 6) 97/01/07 11:37 02147へのコメント #02147 SUKEさん  こんにちは〜(^^)。  天使に「あなたのいるところまで行きます」「あなたを超えてみせます」と 言う気概は、正直言って今のところないです。それを「情けない」「ふがいな い」という風には思っていません。  しかし、「いつかあなたのところまで行きます」と口に出して言い、それに 向けて努力していく人を、「すごい」と思うし、うらやましく感じます。  まずは、「昨日の自分に負けない」というところから始めないと、僕の場合 はそれこそ“砂上の楼閣”になってしまいそうです(__;)。  ARIONの言葉の原文を探してみると、こうなってました。 ====================================================================== |ありとあらゆる宗教は最初に「形」を提示し、次にその「形」を超えてゆくことを |教えるが、昨今の宗教教祖達は、その「形」を超えるところをキチンと教えては |いない。これはどこかに教祖が『自分』を超えて欲しくない、という欲を持って |いるからに外ならない。 |真に優れた指導者は「自分を超えろ」とは言わずに、信者を突き放すだろう。 |冷たく振る舞い、非常な人間と罵られてさえ、自分を超えるように仕向けて |ゆく筈だ。               (91/04/25 「ARIONより全ての人へ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #43 HGC02325 ARION05A.LZH 自己対面鏡    #5001-5250 より ======================================================================  とりあえず「形をわかりやすくうまく教える」のがいい指導者、という風に、 僕なんか思ってしまいがちなのですが、ARIONは「冷たく振る舞い、非常 な人間と罵られてさえ、自分を超えるように仕向けてゆく」のが、「真に優れ た指導者」であると言っていますね。考えさせられます。  この態度、少なくとも「依存を許さない態度」だということは、一つ言えま すね。同じくARIONの言う「血のにじむような思いやり」という言葉を、 思い出しました。  ARIONの発言にも、以下のように表明している箇所がありました。 「(人類に対して)警告ではなく、方便でもいいから『かくあれかし』という ビジョンを示したほうがよかったのでは?」という質問に対して……。 ====================================================================== |私には「かくあれかし」というビジョンの提供などできない、むしろしたくない。 |そういった形での誘導は、人類の進化にはつながらないからだ。 |あなたが、こんな意見を持っていたとは驚きだね。 |あなたがたが到達する場所は、あなたがた一人一人のビジョンの追求の |結果でしかない。 |それらを誘導したり示唆したりすることこそ、恐怖の対象となるべきなのだよ。                (91/04/07 「ARIONよりHALへ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #2 NAA02416 ARIONM1A.LZH 書込み寺1(FMISTY) #001-100 より ======================================================================  提供されたビジョンに従って何かを行う、ということは、ビジョン提供者に 対する明らかな「依存」ですもんね。「ARIONのビジョンに合った行動」 ではなく、「一人一人が自らの意志で定めたビジョンの追及」をこそ、ARI ONは望んでいるようです。  また、僕たちが到達する場所が、僕たち一人一人の「ビジョンの追及の結果」 であるならば、「天使のいるところまで行く」ことに対して明確なビジョンを 持ち、それを追及していけば、不可能ではないのかもしれませんね。  一人一人のビジョンを「誘導したり示唆したりする」ものといえば、真っ先 に思い浮かぶのはやはりマスコミです。マスコミからもたらされる情報を鵜呑 みにせず、注意深く取捨選択して、摂取したいものです。同じ記事でも、新聞 によって論調がぜんぜん違ってたりしますもんね。  ところでSUKEさんは、天使に「あなたのところまで行きます」と告げる気概 をお持ちですか? ぜひとも教えてくださいませm(__)m。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02149/02164 KFQ02761 しまうま ハローメッセージ96年12月分 ( 6) 97/01/06 23:40  1996年12月分  96/12/01 「事実を在るがままに見るには凝視していては駄目だ」と天使  96/12/02 「凝視は集中だ。拡散こそが在るがままを捉える為に必要なのだ」  96/12/03 「拡散は放散では無い。己の意図を無数に散りばめる事だ」  96/12/04 「己の意図を固定しマルチな視点を持とうとすると放散する」  96/12/05 ……………  96/12/06 見あげると夜空にひときわ輝く天狼星…  96/12/07 「あなたがたは、自らの生命を学び舎として磨くこと」と天使  96/12/08 「そしてその為にこそ生命を燃やす事を忘れていないか?」  96/12/09 天使は言い終わると空に掛かるオリオン座を見た…  96/12/10 梟が梢の上で片目を閉じたまま、ホーと鳴いた…朝が近い  96/12/11 「さてあなたがた、この智慧を活かすか殺すか」天使は指差した  96/12/12 天使の指差す所には今までは無かった筈の林檎の樹が茂っていた…  96/12/13 その林檎の樹の枝々には、見事に赤い林檎がなっている。  96/12/14 「昔、あなたがたの祖(オヤ)に林檎の実から成る智慧を与えた」  96/12/15 「そして、今ここに再び林檎の樹がある…」天使は皆を見渡した  96/12/16 「あなたがたがこの林檎の果実を食し智慧を活かすか…」  96/12/17 「或いは、再度智慧を悪利用するに留まるか…」  96/12/18 「あなたがたがどう生きるのか、私達はどちらの幕を引くのか」  96/12/19 「私の燭台は燃え続け私を待っている。さて私は次の事をしよう」  96/12/20 天使の話を聞いていた焚き火民達はそれぞれに何かを言おうとした  96/12/21 「言いたい事は沢山あるだろう、だが今は待て」と天使は言った  96/12/22 「暫しの間、巡りゆく思いを離れて自分を振り返りなさい」  96/12/23 「そして、あなたがたの手の中の智慧を見なさい」と天使は言った  96/12/24 焚き火民達は自分の手を見た、そこには今まで無かった林檎の実が  96/12/25 焚き火民達は驚いて自分の手の中の林檎を手でさすって確かめた  96/12/26 「さて、今再びあなたがたの手の中に智慧がある」と天使は言った  96/12/27 「何度も言うが、それを活かすも殺すもあなたがた次第だ…」  96/12/28 言い終わると天使は剣を左手に持ち、すっくと立ち上がった。  96/12/29 月は地平線に近づき、夜は終わろうとしている…  96/12/30 「もうじき夜が明ける、私は立ち去ろう…話ができて良かった」  96/12/31 焚き火民達は金縛りにあった様に身動き出来ず話も出来なかった - FARION MES( 8):|ψARION 関連 |預言解読村 97/01/09 - 00022/00053 HQK00566 SOUND 「炎で書いた物語」最終章8の5 ( 8) 97/01/06 17:51 コメント数:2 「炎で書いた物語」最終章(その8の5) <戦士(さむらい)達は今>(その5)  まず、新春を言祝(ことほ)いで新春にふさわしい話題から始めよう。 みなさんは今年、どんな初夢をご覧になっただろうか、 ぼくは見たのかどうかもはっきりしない。 初夢は「一富士、二鷹、三ナスビ」といわれている。 なぜこんな夢が良いとされているのだろう、とふと気になった。 富士や鷹はまあ、うなづけるにしてもナスビがチョットおかしい。 ぼくだったら初夢ベスト・スリーに入れたくない。 肩慣らしのつもりでこのことを考察してみよう。  夢は霊的な信号のようなものと考えられる。 富士は霊界のヘソと言われるほどだからかなり霊的だ。 山頂にある富士本宮浅間(せんげん)大社の祭神、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ) は 大山祗(おおやまつみ)神の娘で天孫、瓊瓊杵(ににぎ)尊の妃として、 火闌降(ほのすそり)命、彦火火出見(ひこほほでみ)尊、火明(ほあかり)命を産ん だ。 かの女はシバの女王に比定されたりすることがある。 なにか、母の象徴として一富士と名をあげられているような気がする。  鷹は太陽神ラー(ホルス)の象徴であった。 この鷹(ホルス)は子の象徴として二にあげられているのではないだろうか。 しかし、ナスビはどうも変だ。 ナスビは為すや生すに通じて子沢山でめでたいというが これは夢に見てあまりうれしいと思えない。 ホルスを日本のニギハヤヒに比定すると ナスビは父子鷹、スサノオではないかという想定が成り立つ。 果たしてどうか、調べてみよう。  いつもの方法を使ってスサノオ(SUSANOO)の名を反転するとあちらの世界で その音霊がどのように響くのかがわかる。 音霊的逆転法によればオオナススと鳴る。 なんと「大茄子主」なのである。 この世でわれわれがスサノオと呼びかけるとき、 あの世では大茄子主と響いていたのだ。  初夢の「一富士、二鷹、三ナスビ」を考察して浮かび上がったものは 「一、母、二、子、三、父」というひとつの家族の姿であった。 この姿はぼくのイメージの中でオリオンの三ツ星、 それに重なるエジプトの「クフ王、カフラー王、メンカウラー王」の三大ピラミッド。 さらに「イシス、ホルス、オシリス、」から ギリシアの「ガイア、クロノス、ウラノス」 日本の「クシイナダヒメ、ニギハヤヒ、スサノオ」という 家族の肖像がその星々に当てはまって、 眠ってもいないぼくに幻想のように微笑みかけてくる。   ***********************************************************  昨年、あるニュース番組で、韓国で大ヒットしている漫画を紹介していた。 うろ覚えだがその内容のあらましを記す。 旧日本軍が大戦中に韓国のエネルギーラインを封じるために 各地のエネルギースポットの山々に杭を打ち込んだというのである。 主人公はその杭を探して抜き歩き、見事韓国のエネルギーを復活させるというものだっ た。 これを荒唐無稽なストーリーと捉える方もあるだろうが ぼくにはかなり現実に即した漫画のように思われて印象に残った。 >> 94/04/23 未だ明け染めぬ頃、帝の意志は夜鳴き鳥に無事に運ばれるだろう  前回みたこのハロー・メッセージから、 「帝の意志」を三角の石、饒速日尊の意志(1+4)=5と考えて それを封じた卑弥呼の弟の三四五の直角三角形の秘密を探ってみよう。                        /|              / |             /  |             /   |           五    四           /     |          /      |           /       |          /        |          ―――――三――――┛   この 直角三角形を一瞥しただけではこれがどうして封印になるのかわからない。    前回も少し述べたが聖や呪術の字になぜ口が含まれるのかをもっと掘り下げる必要があ る。 この呪いの「兄」の口はクチではなくセトの呪術が方形、四角(口)を使用したもので あったからなのである。 方形といっても正方形ではなかった。 もし、下図のように日向の数三の正方形の結界を作ればその斜辺は三平方の定理で√ 9=3になる。                  ┏――――三――――┓                 |       / |     |      /  |      三     /   |     |    /    三      |   /     |      |  √9=三    |        | /       |        |/        |         ┗――――三――――┛    これでは自分たち自身の三を封じてしまうことになる。 三を封じるには一辺が三の正方形で良い。                では、一辺が四の正方形の結界ならどうか。  ┏――――四――――┓                 |       / |     |      /  |      四     /   |     |    /    四      |   /     |      |  √32     |        | /       |        |/        |         ┗――――四――――┛  この斜辺は√32で5.656854249・・という中途半端な数である。 これでも五に封印がかからない。抜けられてしまう。                               そこでかれらは各辺が四と三の四角い結界を張ることを思いついた。                ┏――――三――――┓              |        /|     |       / |     |      /  |      四     /   |     |  √25=五    四      |   /     |      |  /      |        | /       |        |/        |         ┗――――三――――┛   こうするとこの結界の中の斜辺は √25=五 となって 見事に四三(黄泉)に饒速日尊の数霊五が封じられた。 こうして饒速日尊の数のエネルギーは閉じこめられて籠の中の鳥にされた。 饒速日尊の本来の数霊五は その死(四)によって九になった。 これがセトの呪術の□の意味であった。 七五三の封印ともいえる四三の結界を張ると別の斜辺の数も五になって 五の文字の象形文字が浮かび上がる。               ┏―――三――――┓                |\      /|     | \    / |      四  \  /  |     |   \/   四      |   /\   |      |  /  \  |        | /    \ |        |/      \|         ┗―――三――――┛ これで五のエネルギーは見事に封じられている。行き場がない。 饒速日尊の五の数霊は出口を求めて回転したことだろう。 これは結χ(カイ)と書いたほうが意味がわかりやすいかもしれない。   以前論じた玉置宮のお札の二本の矢の組み合わせの図を下に掲げよう。          成−−−的−−−矢           |\     /|              | \   / |               |  \ /  |                音   須   弦          |  / \  |               | /   \ |              |/     \|               波−−−−−−−礼  この図がは鉤股弦(こうこげん)、直角三角形を暗示していたことがやっとわかっ た。 鉤(短い辺)股(長い辺)弦(斜辺)ということである。  こうして見ればニギハヤヒだけではなく中心に 須神(スサノオ)まで閉じこめられていることを示していた。          このお札の図は鉤股弦の封印の図案化であった。 出雲の霊統は この図の意味が解けるときを今日まで待ち続けていたのである。 これがセトのほどこした決して解けないはずの結界であった。 しかし、その結界も決壊するときが来た。    かれらは図形的にだけではなく音霊的にも呪いをかけた。 怨みを呑んで死んだ霊に対して素晴らしい諡号(おくりな)を贈ることによって 祟りを避けたりすることがあるが それを利用してかれらは 「天照国照彦天火明奇甕玉 饒速日尊」 という饒速日尊の死後、贈った長大な諡号を贈った。  どうして、「天照国照」というすごい名前をつけたのか。 アマテラスクニテラスの諡号(おくりな)に込められたセトの真意を 隔り世から見よう。 この名前はは一見すばらしいほめことばのようだが これが呪文だった。 かれらは水→火への反転の原理を知っていた。 AMATERASU KUNITERASUを反転すれば ウサレチヌクサレタマとなる。 天空神ウラノスUranos)がウラヌスとなったりするように ヌはノの音便と考えられる。 そうであればこの文章は『失され、地の腐れ霊』 であることがわかる。 これがアマテラスクニテラスと発するときに呪文として効力を発揮した。 かれらは 『失され、地の腐れ霊』と黄泉の饒速日尊を呪い続けたのである。 (つづく) ♪♪音(SOUND) ♪♪ 00027/00053 PAG03134 はな RE:「炎で書いた物語」最終章8の5 ( 8) 97/01/06 21:08 00022へのコメント コメント数:1 SOUND さん >>「帝の意志」を三角の石、饒速日尊の意志(1+4)=5と考えて >>それを封じた卑弥呼の弟の三四五の直角三角形の秘密を探ってみよう。  いやはや、鮮やかですね。直角三角形を二つに重ねて四角をつくる のは思い浮かびませんでした。  ちと、九星に話を移します。九星では、今年は三碧木星が中央に位置します。    ____   |   |    | 3 |   |   |     ̄ ̄ ̄ ̄  中央に3が位置して、動けないようになっている。三碧木星生まれの方 は八方ふさがりの年です。九星ですと中央に位置した星は八方ふさがりと だけ言われがちなのですが、必ずしも悪い意味だけではなく、良い意味も あります。それは、周り8つの星に同時に影響を与えることができるのは、 今年ですと三碧木星になるからです。  三碧木星を取り上げたのは、それが日向をあらわす「3」だからです。 日向が中央で括られ、また周りに向かって影響力を及ぼす年。括りの年は 日向が括られる年となるかもしれません。                       はな 00029/00053 HQK00566 SOUND RE^2:「炎で書いた物語」最終章8の5 ( 8) 97/01/07 12:19 00027へのコメント コメント数:1 #27はなさん、こんにちは(^^)。 >> ちと、九星に話を移します。九星では、今年は三碧木星が中央に位置します。 >> >>   ____ >>   |   | >>   | 3 | >>   |   | >>    ̄ ̄ ̄ ̄  なるほど、そうでしたか、こんな風な星回りになっていましたか。 、日向が三の正方形の結界を作ればその対角線は双方が三になって 中央で身動きとれなくなってしまいますね。                  ┏――――三――――┓                 |\       /|     | \     / |      三  \   /  |     |   \ /   三      |    三    |      |   / \   |        | /    \  |        |/      \ |         ┗――――三――――┛     日向にとってこの正方形の結界ができたのと同じような年になりそうな気がします。 コメントありがとうございましたm(__)m それではまた☆(^.^)ゝ~~~~ SOUNDでした 00047/00053 HQK00566 SOUND RE^3:「炎で書いた物語」最終章8の5 ( 8) 97/01/08 10:41 00029へのコメント コメント数:1 自己レスですが、たぬさんの指摘によって 下の部分の誤りに気づきました。 >>、日向が三の正方形の結界を作ればその対角線は双方が三になって >>中央で身動きとれなくなってしまいますね。 >>                >> ┏――――三――――┓                >> |\       /|    >> | \     / |     >> 三  \   /  |    >> |   \ /   三     >> |    三    |     >> |   / \   |       >> | /    \  |       >> |/      \ |        >> ┗――――三――――┛   正しくは下図のようになります。                  ┏――――三――――┓                 |\       /|     | \     / |      三  \   /  |     |   \ /   三      |    √18   |      |   / \   |        | /    \  |        |/      \ |         ┗――――三――――┛ 三の正方形の結界を作ってもその対角線は双方が√18=4.26264…になってしまって 三が封じられるわけではないのです。錯覚していたようです。 この初歩的ミスに惑わされた方、失礼しました(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。(゚゚)(。。)ペコッ SOUNDでした 00051/00053 PAG03134 はな 三角ふたつで正八面体の投影図 ( 8) 97/01/09 00:15 00047へのコメント コメント数:1 SOUND さん  3で囲まれた四角は正八面体を真横から見た図、あるいは正八面体を 上方から見た図になっていると気づきました。横から見ても、上から見 ても3で囲まれた四角形で表現できています。  黄金太陽であり、プラトン立体である正八面体は、上方の三角形だけ みれば三角が4枚あります。四方向に三角がある‥‥?。  おそらく三角形の意味するところと四方の意味するところが、正八面 体に含まれているのでしょう。  これまで私は正八面体をたんなる「平面の三角形」でしか解釈してい ませんでした。上昇三角と、下降三角だけです。ところが、プラトン立 体である正八面体は、「立体」です。いまでは、平面から立体に敷衍し て話を進めてみると、なにか新しい概念が必要とされるに違いない。上 昇三角と下降三角だけではない新しい解釈に繋がる道がある。そう確信 めいた気持ちがあります。                       はな 00053/00053 HQK00566 SOUND RE:三角ふたつで正八面体の投影図 ( 8) 97/01/09 14:57 00051へのコメント #51はなさん、こんにちは(^^)。 >>これまで私は正八面体をたんなる「平面の三角形」でしか解釈してい >>ませんでした。上昇三角と、下降三角だけです。ところが、プラトン立 >>体である正八面体は、「立体」です。いまでは、平面から立体に敷衍し >>て話を進めてみると、なにか新しい概念が必要とされるに違いない。上 >>昇三角と下降三角だけではない新しい解釈に繋がる道がある。そう確信 >>めいた気持ちがあります。  そうですね、ケプラーの惑星の法則の話が 中途半端なままになっていて惜しい気がしていたのですが こんな形で正八面体として復活してきましたか。 うれしいですね(^-^) 近い内に黄金太陽の本当の意味が解かれそうな気がします。 はなさんの勘は正しいと思います。 健闘を祈ります。 それではまた(@^^)/~~~ SOUNDでした 00043/00053 CXP07016 たぬ RE:「炎で書いた物語」最終章8の5 ( 8) 97/01/08 01:45 00022へのコメント コメント数:1 SOUND さん、はじめまして。 いつも素晴らしい解読を楽しませてもらっています。 で、私は数霊の事に関しては全くの素人なのですが(数学はやってますが)、 一箇所どうしても気になる所があるのでコメントさせて頂きたいと思います。 それは、 |もし、下図のように日向の数三の正方形の結界を作ればその斜辺は三平方の定理で√ |9=3になる。 |                | ┏――――三――――┓                | |       / |    | |      /  |     | 三     /   |    | |    /    三     | |   /     |     | |  √9=三    |       | | /       |       | |/        |        | ┗――――三――――┛   | | これでは自分たち自身の三を封じてしまうことになる。 |三を封じるには一辺が三の正方形で良い。       とありますが、この場合、斜辺は√18=4.26264…なので三を封じる事は出来ない のではないでしょうか? ちなみに、辺が整数の直角三角形の斜辺は 5,10,13,…(4n+1の形の素数の倍数) となるので、そういう意味では五という数はちとツイてなかったですね。(^^; (ちなみに私は五黄土星だったりします。) 00046/00053 HQK00566 SOUND RE^2:「炎で書いた物語」最終章8の5 ( 8) 97/01/08 08:31 00043へのコメント #43たぬさん、こんにちは(^^)。 コメントありがとうございますm(__)m >>斜辺は√18=4.26264…なので三を封じる事は出来ない >>のではないでしょうか?  全くその通りです。 ご指摘ありがとうございます。 完全に勘違いしてますね。 あのあたりは足をとられて思考がすべってこけているようです。 それに気づかずに砂上の楼閣に論を建てているようです。 見直さずに慌ててアップすると必ずどこかで破綻が生じていますね。 いつも、しばらくして読み直して脇の下に汗を感じることになります。 今回は自分で気づく前に教えて貰えてありがとうございました。 いづれにしても、正方形では三でも四でも結界はできないことは正しいようですね。 全体としては一応意味が通っているように思いました。 それでは本年もよろしくお願いします(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。) HAVE A NICE DAY! ** HQK00566/SOUND ** 00028/00053 KFQ02761 しまうま いろいろ ( 8) 97/01/07 08:23 コメント数:7  『イメージ・シンボル辞典』(大修館書店)をひっくり返していて、目につ いた記事を脈絡なく書いていってみます(^^;。 ○七惑星の属性 |  |色   |金属|力   |罪    |美徳  | |−−|−−−−|−−|−−−−−−−−−|−−−−−|−−−−| |太陽|白 or 金|金 |幸運、支配、指導  |高慢   |科学  | |月 |銀   |銀 |想像力、旅行、不注意|怠惰   |知性  | |火星|赤   |鉄 |体力       |平静   |勇気  | |水星|緑 or 青|水銀|商売       |嫉妬   |率直  | |木星|紫 or 橙|真鍮|智慧       |強欲   |完全無欠| |金星|黄 or 青|銅 |美        |贅沢   |愛   | |土星|黒   |鉛 |呪い、悪運、魔術  |大欲、偽善 |慎重  | ○七惑星の名称の対応表 |ローマ名   |バビロニア名 |ギリシア名    |天使       | |−−−−−−−|−−−−−−−|−−−−−−−− |−−−−−−−−−| |ソル Sol   |シェマシュ Shamash |アポロ Apollo  |ラファエル Raphael| |ディアナ Diana|シン Sin   |アルテミス Artemis  |ガブリエル Gabriel| |マルス Mars |ネルガル Nergal |アレス Ares |カマエル Chamael | |メルクリウス Mercury|ネボ Nebo  |ヘルメス Hermes |ミカエル Michael | |ユピテル Jupiter |マルドゥック Marduk|ゼウス Zeus   |ザドキエル Zadkiel| |ビーナス Venus|イシュタル Ishtar |アフロディテ Aphrodite|ハミエル Hamiel  | |サトゥルヌス Saturn |ニニブ Ninib |クロノス Cronus |ザプキエルZapkiel |  おもしろいと思ったのは、「水星」のギリシア名ヘルメスと、天使ミカエル が対応している点でした。  ヘルメスについては、かつてARIONはこう言ってましたね。 |ヘルメス・トリスメギストスは、いつの世にも居る。 |しかし、生まれ変わりという形をとらない。 |ある状況下に於いて、この3方向性の力を6方向性に使用出来る者が、このヘルメス と|会いまみえることとなる。           (91/08/30 「ARIONより松川 貴へ」より抜粋)  意味はぜんぜんわかりませんが(^^;、ARIONとヘルメスって何か関係が あるんでしょうかね。 ○三叉の鉾  ・三叉の鉾は、(ウラヌスを暗示する)「網闘士」retiarius と呼ばれたロ ーマの闘士の武器であった。一方「剣闘士」mirmilloは(太陽を表す)剣をも っていた。  あと、古い話題になりますが、「百合」には「イブの悔恨の涙から生えた」 という言い伝えがあるそうです。  また何か見つけたら書きますね(^^)/。        しまうま(KFQ02761) 00036/00053 PAG03134 はな ヘルメス・トリスメギストスとは ( 8) 97/01/07 20:32 00028へのコメント コメント数:1 しまうま さん  先日書店で『イメージ・シンボル辞典』を見つけました。しかし、えらく 高くて本屋で買わずにびびって帰ってきました。おまけに、錬金術の大全み たいなのがあって、こちらは15000円!くらいしてました。  さて、ヘルメス・トリスメギストスについてのアップ、ありがとうござい ました。すっかり忘却の彼方に飛んでしまっていたメッセージでしたので、 とっても参考になりました。おまけにログをひっくり返していたら、この前 の発言に書いた陰陽道に通じるメッセージも見つけることができました。  「ヘルメス・トリスメギストスは、いつの世にも居る。」(ARION MES)  ヘルメス・トリスメギストスを調べていたら、ヘルメス・トリスメギスト スっちゅうもんを知る前に、ヘルメスについて知っている必要に迫られまし た。ここではしまうまさんのみへのコメントという形ではなく、みなさんに お伝えする意味で、ヘルメス・トリスメギストスについてご説明します。  ヘルメスとはゼウスとマイアの息子で、神々の使いとされています。また、 ギリシャの錬金術の守護とされています。ヘルメスはエジプト人に魔術や錬 金術を教えたとされ、ルネッサンスの神秘家が崇めた存在でした。  ヘルメス・トリスメギストスとは、「ヘルメスより3倍賢い」という意味 をもち、ヘルメスの生まれ変わりとして錬金術の始祖とされています。  また、ヘルメス・トリスメギストスは「偉大な哲学者」「偉大な神官」 「偉大な王」という3側面を併せ持つ存在と信じられたために、3倍もヘル メスより偉大とされています。                       はな 00048/00053 GHH10354 星見 RE:ヘルメス・トリスメギストスとは ( 8) 97/01/08 23:13 00036へのコメント  はなさん、しまうまさん、こんばんはです(^^)  しまうまさんははじめまして....ですね。  新年早々面白そうなお話なので、混ぜてくださいな(^^;) 》 ヘルメスとはゼウスとマイアの息子で、神々の使いとされています。また、 》ギリシャの錬金術の守護とされています。ヘルメスはエジプト人に魔術や錬 》金術を教えたとされ、ルネッサンスの神秘家が崇めた存在でした。あらたな 》 》 ヘルメス・トリスメギストスとは、「ヘルメスより3倍賢い」という意味 》をもち、ヘルメスの生まれ変わりとして錬金術の始祖とされています。  補足の形になりますが、厳密に言うとヘルメスとヘルメス・トリスメギストゥ スとは異なります。  ヘルメスは#36にもありますように、神々の使いであり、錬金術のシンボルとし ては、水星や両性具有者で表わされ、智慧や昇華の象徴となります。  これに対し、三重に(三倍に)偉大なヘルメス・トリスメギストゥスは、錬金 術の祖とされる伝説の神人であり、ピラミッドから発掘されたエメラルド・タブ レットにその秘密を記したと言われています。原文はギリシャ語といわれていま すが、アラビア語 → ラテン語と変遷し、現在に至るという説が有力です。  また、何を置いても創造の過程(三つの過程:純粋な魂/精神/肉体)の裏に は「意思」が存在するということを明らかにした偉大なものであるとされます。  エメラルド・タブレットには錬金術のみならず、世界生成の秘密をも記されて いるといわれ、霊数「3」を完全にそのうちに体現したために偉大であるとされる 説もあります。 (一なるものから全てが生じたということ、それが二つの方向に分かたれて「流 れ」を生じるということ、それを統合させて新たなる世界を生じさせる点につい ては、今までのツリーの話と基本的に合致します。)                             ★ 星見 ★ 00037/00053 PAG03134 はな ヘルメス・トリスメギストスの3方向とは ( 8) 97/01/07 20:32 00028へのコメント しまうま さん  ヘルメス・トリスメギストスの説明に続けて、以下の文章で思うことを 書きます。 「ヘルメス・トリスメギストスは、いつの世にも居る。  しかし、生まれ変わりという形をとらない。  ある状況下に於いて、この3方向性の力を6方向性に使用出来る者が、  このヘルメスと会いまみえることとなる。」  松川 貴さん宛のコメントで書かれた上記のメッセージを読んでも、 アリオンが「この3方向性」という「この」が何を指しているのか見あ たりません。アリオンのコメントの中にも「この」3方向性について書 かれた節はないのです。  この3方向性って、何だろう? ちなみに、トリスメギストスの「ト リ」とは「トリプル triple」「トライアングル triangle」などの頭に ついている(これを接頭語という)"tri-"に同じです。"the Trinity" 「トリニティ」ですと、三位一体という意味になります。  3要素の解釈はいろいろできるとして、また3要素と思われる事象が ありましたらご報告します。                      はな 00038/00053 PAG03134 はな ヘルメス・トリスメギストスの6方向性と は ( 8) 97/01/07 20:32 00028へのコメント コメント数:1  ヘルメス・トリスメギストスの6方向性について考えてみました。  「ヘルメス・トリスメギストスは、いつの世にも居る。   しかし、生まれ変わりという形をとらない。   ある状況下に於いて、この3方向性の力を6方向性に使用出来る者が、   このヘルメスと会いまみえることとなる。」                          (arion mes)  「ある状況下」というのは、あちらの世界とこちらの世界、アリオンが 言う日常と非日常を100%生ききる状況のもとだと私は考えます。 「・日常的な世界と、超越的(非日常と私は定義している)な世界との   往復運動」ほど困難なものはなく、全ての人間が可能な訳でもない。  ・日常と非日常とのバランス(互いに100%生き切ること)が成立   した時に、ようやく所謂、超越世界への橋が見えてくるんだ。  ・この日常と非日常の世界を100%生き切ること、これが現代の人   間には非常に困難なことなのだよ。」                MES#329「ARIONよりエイリヤンへ」                             (91/08/30)  日常で3方向性の力をフルに活かし、非日常でも3方向性の力をフル に生かし切る。そうすると、日常の3方向性と非日常の3方向性の力が 使用できるのですから、双方の力あわせて6方向性の力となります。  「6方向性に力を使用できる者がヘルメスと会いまみえる」とは、日 常と非日常のバランスが成立したときに見えてくる「超越世界の橋」を 通じて会えると思いました。                【ヘルメス】                  と                \ 会 /                 | い |                 | ま |                 | み | ←「超越世界の橋」                 | え |                 | る |                 | 橋 |                /   \                  ↑                  ↑                  ↑       日常 ‥‥‥‥‥ 生ききる者 ‥‥‥‥‥   非日常  (【表】の3方向性の力)           (【裏】の3方向性の力)       :                      :       :                      :       :                      :        ‥‥‥‥ 3方向+3方向=6方向 ‥‥‥‥‥                       はな 00044/00053 GBG02043 維/YUI RE:ヘルメスの6方向性とは ( 8) 97/01/08 03:12 00038へのコメント コメント数:1 割り込み〜っ! はなさんが話しているのって、上方△と下方▽が重なることであり、さらに その中心に・があるというやつのことでしょうか? んでもって、それは四角錐が上下にくっついた形でもあって…。 日常と非日常を100%生ききることのできる者は、上記のマークで表される 真のスメラミコトとしての力を備えているということなのかしら??? …って、なんかよくわかんない話を書いてしまった…。 97/01/08(水) 00:38 維/YUI(GBG02043) 00049/00053 PAG03134 はな 3方向性と△と▼ ( 8) 97/01/09 00:04 00044へのコメント 維/YUI さん >>はなさんが話しているのって、上方△と下方▽が重なることであり、さらに >>その中心に・があるというやつのことでしょうか?  あ、なるほど。上方三角と下降三角の話に結びつけられますね。あのコメン トを書いたときは上昇三角と下降三角については頭に思い浮かんでいませんで した。  でも、あっちの世界とこっちの世界って上昇三角と下降三角なんだし、3方 向性ってのも、星見さんが説明してくださったように三角形と大いに関係ある でしょう。  おーほほ。(^^)                       はな 00035/00053 PAG03134 はな 陰陽道の反転とアリオンメッセージ ( 8) 97/01/07 20:32  以前の会議室で私は「八卦について 〜陰陽道から〜」と題して出雲族と 日向族、もしくはアジアと欧米の勢力図が逆転することを書きました。  「反転」とは、アリオンが預言解読について呈示したヒントの一つです。 陰陽道では万物は流転するとし、陰と陽は固定、絶対的ではなく、相互に 転化するとされます。  「事象は究極に達すれば変化し、変化することによって新しい発展を   遂げる」(易経のひとつ「繋辞下伝」より)  アリオンも、同じ事を言っていました。  1.どんな謎も永遠に解かれないのは無い。  2.全て暗がりに在るものは、いずれ明るみに出るだろう。    これは万象流転の法則なのだよ。           MES#296 ARION「ARIONより#220,#230夜勤へ」                               (91/07/27)  1.は預言解読にもあてはまるでしょう。 でも、いまは謎が謎を呼び、 解かれないメッセージが多々あります。  2.は陰陽道の基本思想ともいえます。「陰陽の転化」は、万物の流転 ですから。                       はな 00039/00053 PAG03134 はな 平成9年、9星8門廻盤について ( 8) 97/01/07 21:12 コメント数:1  一白水星から九紫火星までを3×3の升目にあてこむと、「九星八門 廻盤」ができます。高島暦によく載ってます。私の住んでいる田舎では、 新聞配達のおっちゃんや、契約しているプロパン会社の方が年末にカレ ンダーと一緒に高島暦を届けてくれており、結構これが楽しめます。 (鬼門と裏鬼門)  九星八門廻盤を毎年比較してみると、毎年3×3の升目に当て込まれ る数字の位置は異なっているのが分かります。ちなみに今年の盤は以下 の通りです。          「1997年 九星八門廻盤」          二黒   七赤   九紫(裏鬼門)          一白   三碧   五黄      (鬼門)六白   八白   四緑  この図をみて「ああ、一白とか三碧とか聞いたことある」と思われた 方もおられるでしょう。  九星八門廻盤をごらんいただくと、百鬼夜行の出入り口とされる「鬼 門」には六白(6)が、裏鬼門には九紫(9)が位置しています。鬼門から 鬼がでて裏鬼門に向かって進んでいくとすると、鬼門と裏鬼門の間に三 碧(3)がいます。3は日向族を象徴する数字。鬼門から出てくる鬼を日 向が通してくれればよいのですが。真ん中で「とおせんぼ」ってことに なれば、鬼は進路を阻まれて前に進めません。この「とおせんぼ」って のが、日向族の封印となぞらえると、封印が解けていなければ鬼門から 裏鬼門への道が通じなくなってしまうのです。                  九紫(裏鬼門)                 /                /              三碧(日向の封印が残っていれば、鬼は通れない)             /            /      (鬼門)六白  奇しくも(9しくも(^^;)裏鬼門にはニギハヤヒをあらわす「9」が。 アーリオーン・メッセージによれば、6は祖土(おやつち)を表す数字 でしたから、祖土が鬼門から、ニギハヤヒが裏鬼門から現れ出るのが、 今年の九星八門廻盤から読みとれます。日向の封印が残っていれば、祖 土もよみがえらないし、ニギハヤヒもよみがえれなくなってしまいます。 (北方の八白について)  さらに、カミが鎮座する場所である北方は、スサノオの象徴である八 白(8)が位置しています。スサノオは日本をつくった建国の祖として、 本来あるべきポジションに位置しています。これも括りの年の九星八門 廻盤の特徴です。                       はな 00045/00053 GBG02043 維/YUI 超ゴミ ( 8) 97/01/08 03:12 00039へのコメント コメント数:1 >> 奇しくも(9しくも(^^;) それをいうなら、やっぱり”949”もでしょう。。。(^^;;;;) 97/01/08(水) 00:51 維/YUI(GBG02043) 00050/00053 PAG03134 はな 超ゴミを撒き会う村長と副議長(^^; ( 8) 97/01/09 00:04 00045へのコメント 維/YUI さん >>それをいうなら、やっぱり”949”もでしょう。。。(^^;;;;)  私の趣味の一つにアマチュア無線があります。アマチュア無線でお互いに 交信すると、交信した記念にQSLカードを発行して交換しあいます。  その昔、私がQSLカードを知人から受け取ったときに、末尾の一言コメ ント欄に「154649」って書かれてありました。さっぱり意味が分から なくて、カードを受け取った翌日学校へカードを持ってゆき、本人に確認し たら、「それは、「以後よろしく」と読むのっ」と言われたことがあります。  * *  維/YUIさんが他の会議室で知人にFARIONを紹介したら、オタッキーと 呼ばれたって話をしてたけど、このカードの件にしてもそうだけど、一部の 人にしか分からない事がオタクと呼ばれることにもつながります。  一部の人に広がるというのは、ある意味で文化の発祥でもあるわけですが、 文化とオタクという一見なんも関係がないことに、どこかしら共通項が見出 せると思ったりしてしまう。(^^;                       はな 00040/00053 SGQ02661 龍 歴書にしか日本がなくなる ( 8) 97/01/07 22:15 こんばんわ、龍です(^-^) ここの会議室でタイトルのようなARION預言を見たんですが だれの発言かわからないので発言に来ました。 >歴書にしか日本が見られなくなるとは  天災(地震など)もあるかもしれませんが隣国からの侵略も  考えられます。詳細は12番会議室#1688を見てください。 以上             龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 00041/00053 PAG03134 はな アマ族について知りたい方は ( 8) 97/01/08 00:21  当会議室で預言解読のさなかに頻繁に出てくるAMA族(アマ族)につい ての説明などを、現在18番会議室で扱っています。18番会議室は「アーリオ ーン・メッセージ」輪読会の会議室となっております。  関心がおありの方は、18番会議室をご覧くださいませ。                       はな 00042/00053 PAG03134 はな 丑年の意味 ( 8) 97/01/08 00:21 コメント数:1  今年は括りの年。括るとは物事をまとめる意味があるから、今年で いったん一区切りなのだろう。一区切りとは物事の終わり。アリオン は「始まりは終わりに似ている。終わりは始まりに似ている。」と預 言する。  物事の始めを示す言葉に丑がある。そう、今年は牛年。牛は丑とも 書く。丑という文字は本来は紐(ひも)という意味があり、ここでも 「紐(ひも)で括(くく)る」という関係が見出せる。  「丑」は物事の始まりでもあり、終わりでもある。また、丑は土用 の丑などと呼ばれ親しまれている。この「丑」は、一日、四季、一年 の境を指ししめす意味がある。土用の丑と言われているのも、四季の 区切りの表現のひとつである。       「四季の移ろいと土用」      土用 ‥‥ 夏 ‥‥ 土用      :          :       :          :       春          秋       :          :       :          :      土用 ‥‥ 冬 ‥‥ 土用      春夏秋冬は立春、立夏、立秋、立冬で区切られ、移ろいゆきます。 土用とはこれら立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を言います。 土用は四季に一区切りをつけます。土をもって季節や年は終わり、 同時に始まります。牛年は、これまであったものごとが終わり、 旧制にとって代わって、あらたな芽が地中から生まれ出る年なので す。                       はな 00052/00053 GCG01101 アマデウス たまにはゴミまき(^^; ( 8) 97/01/09 01:49 00042へのコメント #42 はな さん   今年は九星図で三碧木星が中央にあったり、丑年=紐で括る年だったり、  やはりなにかの巡り合わせの年のような気配が濃厚ですね。   ところで、僕は丑年生まれの三碧木星です(爆)。                        そんだけ(^^; アマデウス - FARION MES( 9):|ψARION 関連 |性は聖なり然るに生なり 97/01/09 - 00011/00025 GBG02043 維/YUI RE:最古のポルノ? ( 9) 97/01/06 10:35 00002へのコメント コメント数:1 会議室オープン&議長就任、おめでとうございます。>CHARANさん 私は日本の神話に出てくる、みとのまぐはひやら、アメノウズメさんの舞やらって、 キリスト教での性の扱いにくらべて、素直だなぁ〜と思う程度です。 三流のポルノ小説みたいに、いやらしさがにじみ出てるのとかと、違いますし。 だいたい、やることやらなきゃ子供なんて生まれないんだから、 原点に基づいていて、納得いきますよ、そういうほうが。 国の歴史書に、男と女はこういうことをするもんだと書いてあるなんて、 ユニークでいいなぁって思います。大切なことだしね。それが世界の始まりから 書かれているなんて、「かっこいいじゃん」と思ってしまう。 そういや日本の宴会芸、とくにちょっと昔のなどは、そういうえっちな内容のもの、 結構ありませんでしたっけ?? 今は、なんか芸じゃなくただの欲求不満を酒に酔っ た勢いで、周りにぶつけているだけのオヤジやオバハン(といっても20代からいるの だけれど)が、見受けられますが、みじめったらしくてイヤんなっちまいます。 97/01/04(土) 01:58 維/YUI(GBG02043) 00014/00025 CQK00164 氷室 玲 RE:議長就任挨拶 ( 9) 97/01/07 00:13 00001へのコメント コメント数:1 CHARANさん、こんにちは。「道を探す者」氷室 玲です。 》今回、当会議室の議長をさせて頂く次第となりました。  議長就任おめでとうございます。こないだアクセスしたときは、発言してから ログを落としたので、発言時にはCHARANさんが議長に就任したことに 気付きませんでした。(^_^;; 》かつて日本人の持っていた、性に対する信じがたいほどの肯定的な明るさを思うと、 》現代の「性」というのが、陰湿で不潔な感じさえしてしまう。 》肉体的な快楽はあれど、精神的な「歓び」を失ってしまった・・・・  高校生の頃に読んだ「性信仰」の書籍の内容と、現状を見比べてみた限り、 私もそう思います。  そういえば、男性器は「陽物」とか「陽根」とか、「陽」の付く言葉で 呼ばれていたものが、いつの間にか(学術的?には)「陰茎」という、 「陰」の付く言葉で呼ばれている。これだけでも性を「隠すべきもの」と しているフシがうかがえます。まあ、女性器の場合は、男性が「陽」で あることに対応してか、「女陰」という「陰」の付く言葉で呼ばれるけど… 》「性」は、私達の人生を豊かにするもっと素敵なものではないでしょうか。  人間以外の動物には、「発情期」というものが決まっているのに、 人間だけには特に決まった発情期がなく、「万年発情期」状態。 ひょっとしたら、様々な意味で「人生を豊かにする」ためかもしれませんね。  最後に、当会議室に掲げられている言葉(ARIONの言葉なのですね) 「性は聖なり、然るに生なり」で思い出したことを… 高校生の頃から、「性」というものを真面目に考えていた一面があるので、 いつしか、「性」とは「生」の根源であり、それ故に「聖」なるものなんだ、と 言う考えに至りました…おや、そう考えてしまったら、どちらかというと 「性は生なり、然るに聖なり」の方が納得しやすそうですが…    ^^      ^^  さらに言えば、旧8番会議室での連載のタイトルって、 「性は聖なり、而るに生なり」では?(過去ログを読んでいて気付いた)        ^^  これからも、よろしくお願いします。>ALL                     written by Himuro Rei - FARION MES(12):|∞精神世界裏表|どうする日本/世紀末談 97/01/09 - 01652/01709 SGQ02661 龍 RE:ちょっと面白い錯覚(ゴミ) (12) 97/01/05 20:41 01651へのコメント コメント数:1 こんばんわ、龍です(^-^) ここの話題と全く関係ないのですが面白い錯覚を見つけました。 #1651番の発言を画面からちょっと離れてスムーズスクロール してみて下さい。何か文字か模様かは分かりませんがそのよう なものが見えます。微妙な文字の空白と文字の黒さによって 作られんですね。これって錯覚ていうんですよね。自分で作った ものがこんなになるなんて驚きです。 以上            龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01708/01709 GFB00026 一輝 話題と無関係のゴミ発言は禁止です。 (12) 97/01/09 01:49 01652へのコメント >#1652 龍さん 初めまして。 |こんばんわ、龍です(^-^) | |ここの話題と全く関係ないのですが面白い錯覚を見つけました。 | |#1651番の発言を画面からちょっと離れてスムーズスクロール |してみて下さい。何か文字か模様かは分かりませんがそのよう |なものが見えます。微妙な文字の空白と文字の黒さによって |作られんですね。これって錯覚ていうんですよね。自分で作った |ものがこんなになるなんて驚きです。 ……………龍さんは、お知らせにある当会議室の概要をお読みになりましたか。      あるいは過去のログに目を通されましたか。自分が面白いからと言      って、ここの話題と全く関係の無いゴミ発言は、当会議室では許容      しませんので、今後一切やめて下さい。これは議長からの注意です。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01674/01709 NBB01420 SUKE RE^3:日本再生のザ・ラスト・チャンス(長 (12) 97/01/06 00:50 01651へのコメント #1651 龍さん、こんばんは。 僕は芸能界に疎いのですが、森口博子さんは以前どっきりカメラか何かで引っ かけられた姿を見ていて、率直と言うか正直な人なんだなと思ったものです。 引用文章は僕などはまず読まないであろう書物でしょうから(^_^;)読ませて 頂きましてどうもでした。 さて、 >>  このような方たちは、本当の自分じゃないと分かったけど、自分の模索の >>  途中だということです。 そういう人もいるかも知れませんでした。その意味では僕の意見はちょっと 先入観を作ってしまうものだったかも知れませんね。 龍さんが言われるような模索中の人もいるだろうし、僕が書いたようにおも しろおかしく生きられれば良いだけの人もいるでしょう。 敗戦によって自尊心を叩き潰された日本の社会は、その後屈辱をバネとして 逆に経済成長した。ところが今の社会には敗戦の屈辱を覚えている世代はも う殆どいないのです。 最近の精神世界グッズではありませんが、心さえお金を積めば救われる、と 言う商品が通用してしまう現代において、かつてのバネの原動力を既に見失っ た今の日本の社会に、便利に慣れることは知っていても不便に慣れる事を知っ ている人は少ない。 そのような現代においては、本当の自分とは何かが分からずに模索している 人達もいつしかお手軽な精神世界グッズで自分を見付けようとしてしまうの ではないでしょうか。 そこには心の問題を他の問題と同じく新しい種類の道具で解決しようと言う 発想が根付いています。しかしもとより心の問題を物品で解決しようと言う のは、対症療法みたいなもので、その場限りの楽さでしかないのですね。 こういう世の中にまでなってしまった今の日本において、ではこうした模索 している人々にまず気付いてもらうべき事は、何なのでしょう…?                             Suke.(^_-)☆ 01707/01709 GFB00026 一輝 RE:日本再生のザ・ラスト・チャンス (12) 97/01/09 01:48 01648へのコメント >#1648 TAOさん ごぶさたしております。あけましておめでとうございます。 こちらこそ、本年もよろしくお願い致します。 | さて今日の読売新聞(朝刊)を読んでいますと、読売新聞社を母体とする「 |東京会議」は、今年の年間テーマを『日本再生のザ・ラスト・チャンス』と |決定したそうです。以下は引用です。 | |    今年は日本にとってずばり改革実行年。行政改革、財政再建、規制 |   緩和、教育……あらゆる分野で根本的な改革が進められないと日本は |   二十一世紀に生き残れない、との厳しい認識を土台に、日本の改革と |   いう大問題をテーマとしていきます。 | | 三月十五日(土)の開幕討論会は、『日本を破局から救うには』というテー |マで行われ、この後にもシンポジウムや国際円卓会議…と続きますが、イン |ターネット上でも国際会議のホームページを設けるようです。 | | この「括り」の年に、『日本再生のザ・ラスト・チャンス』と銘された会 |議が催されるのにある種の符号を感じますが、確かに今まで溜まりに溜まっ |たツケを少しずつでも清算して行かない限り、一気に破裂しそうな雰囲気が |ありますね。色々な分野で動きが活発になりそうな気もしますし。 ……………チャンスを作ろうという意図は好感が持てます。しかし改革実行      をしようがしまいが、国民がリスクを背負い込むことには変わり      ありません。行政改革の効果は、来世紀に入ってすぐに現れるわ      けではないからです。      行政改革によって、多くの公務員や官公庁の外郭団体職員が、職      を失います。まず労組の無い警察官や自衛官や消防士が、最初の      ターゲットになるでしょう。それに伴って治安は更に悪化する。      細川政権以降が、まさにそうでしたね。      我々国民が、政治・行政・経済を軽視し、これらへの監視を怠り、      いい気になってバブルの頃に「ポジティブに考えれば、うまくゆ      く」などと調子に乗っていたツケが、産業の空洞化や金融破綻、      赤字財政として回ってきたに過ぎません。      国が無計画に赤字国債の発行をしているのも、国民が先の経済状      況を読めずに安易にローンを組んでしまうのも、同じことなのだ      と思います。享楽を貪ったツケ(生活水準の低下)から、誰も免      れることは出来ないのです。      2007年に日本の総人口はマイナスに転じますが、2020年には国民      の4人に1人が65歳以上になります。、若年(0−19歳)人口と      老年(65歳以上)人口の比率は、1995年と2020年では正反対にな      ります。つまりその頃には、今私たちが「老人を多い」と感じた      としても、この頃から今を回想すれば、「あの頃は老人がとても      少なかった」と感じるはずです。この老人だらけ、借金だらけの      日本を、誰が養うというのでしょうか。      元旦の日本経済新聞一面では、以下の衝撃的な記事が掲載されて      いました。  ”六、七年前まで大手邦銀はロンドンやニューヨークの金融市場で世界最強とも   てはやされた。同じ金融市場で昨年秋から、「一部の大手邦銀」を前提にした   取引が増え始めた。第三者にあらかじめ手数料を払ってその邦銀向けの債権リ   スクを回避し、いざ倒産という場合にはお金が回収できるようにするいわば倒   産保健だ。取引条件は平均一年から五年。その間に倒産すれば手数料の数十倍   が戻ってくる。仕掛け人はJPモルガン、クレディ・スイスなど米欧の優良銀   行。彼らは不良債権処理進まないまま、再び株安の脅威にさらされる邦銀をみ   て、ついに大手邦銀が「消える」時代への備えに入った。”      仕掛け人のJPモルガン、クレディ・スイスと言えば、ロスチャ      イルド傘下の大財閥。ロスチャイルド家は、ヨーロッパ最高王家      グループ、クラブ・オブ・アイルズと、ユダヤ最高権力機関サン      ヘドリンを結びつけている。ユダヤと記したからと言って、ユダ      ヤ人大衆を擁護しているとは限らない。無名のヒットラーを後押      ししてヨーロッパからユダヤ人を追放させ、中東にイスラエル建      国への口実を作らせたのも彼らです。      この「サンヘドリン」、またの名を『ユダヤプロトコール』を作      った「シオンの長老団」は、本来は「70人」という意味。聖書で      は「全議会」とあります。『プロトコール』を作ったほどの人々      ですから、80年代、日本にポジティブ・シンキングを移植するく らい簡単なことだったでしょう。      この70人の長老集団が神殿で貨幣を鋳造し、イエスに糾弾された      のです。もちろんイエスを十字架に送り、処刑したのも彼らです。      エルサレム陥落後、彼らはエジプト(アレキサンドリア)〜バビ      ロン(バクダッド・この時代にタルムード編纂)〜イタリア(ベ      ニス)〜スペイン(都市不明)〜ロシア(都市不明)〜アメリカ      (都市不明)〜ヨーロッパ(都市不明)と、本拠地を移してきま      した。グローバリゼーションの真の仕掛け人です。  ”中国・上海市……。昨年十一月、世界の有力企業トップが上海市長の主催する   年に一回の国際企業家顧問会議に招かれた。配られた名簿を見て、日本企業関   係者はがくぜんとした。上位十社まではAIG、シティバンクなど米欧や韓国   勢が占め、日本企業名はない。序列を重視する中国当局の企業ランキング上位   から日本は消えた。衰えに気付いた日本企業は経営革新に動き、橋本竜太郎首   相も二○○一年を目標にした行政改革など「六大改革」を掲げる。海外はその   看板をも疑う。「日本の行政改革や規制緩和のペースは遅く、世界のスピード   についていけない」”      行政改革、すなわち日本の構造改革は諸刃の剣です。どのように      転ぶのか予測しにくい。不要なものもあれば失ってはならないも      のもある。橋本内閣は、この日本の来世紀を左右する改革の具体      的プランを、今年11月には決定するということです。      私たちは、どのような時代状況を迎えても、「心」だけは売り渡      したり見失わぬよう、生き抜きたいと思います。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01676/01709 QZY01267 猫の手 RE^3:スケープ・ゴード (12) 97/01/06 11:48 01661へのコメント コメント数:1  ある心理学の先生がおっしゃっておりました。  「スケープ・ゴードの居ない組織はない。」と、  正に龍さんの場合は、会社の業績の悪化を伴って、実際の業績の悪化の理由 は別のところにあるのにも関わらず、龍さんがスケープ・ゴードにされたとい う典型という印象を文章から読みとりました。  たぶん、龍さんが抜けたとしても、その組織は赤字を出し続けるでしょう。 そしてやっぱり次も働きの悪く見える誰かがスケープ・ゴードとして祭り上げ られていくのでしょう。そして更に周りは戦々恐々として自分がスケープ・ゴ ードにならないように誰かを犠牲の山羊として祭り上げるのではないかという 気がします。  とまあ、これは龍さんがかつて居た会社で起こることが予測できることです。    これは私見ですが、大切なのは龍さんが、スケープ・ゴードとなる前に何が できたのか、スケープ・ゴードとなってしまってから何ができたのかというこ とにあるような気がします。  それをしっかり龍さんの中で意識できていないと、やはり同じ状況を引き寄 せてしまうだろうと私には思えます。つまり、本質的な問題に気づいてないと、 龍さんを切った会社が次々に別の誰かを足切りして弱体化していうということ と、同じことが龍さんの中でも起きてしまうだろうということです。  さて、もし同じ状況に龍さんが再び放り込まれたら、龍さんは何ができるで しょうか?  私はあまり過去のことを持ち出すのは好きではないですが、過去のある事象 に対して後悔が残っているときは、そのときとは別の対処法ができるように自 分自身がなっていないと、似たような状況を引き寄せて、やはり同じようにし て足を取られてしまうのではないかと思います。  それを人は、「カルマ」とでも呼ぶのでしょうか?      私の体験も書くようにということでしたが、龍さんとの話が弾めば、追々書 いていこうと思います。私自身スケープ・ゴードにされたと感じる体験は腐る ほどありますから。  でも、龍さんがこの時期にそのようにして今ここにいるというのは、それだ けではなく大きな意味があるような気が私はしています。  その意味が解けてきたとき、その状況を造って下さった方々に、涙して感謝 したい気持ちが沸き上がってくると思います。それまでは、その人達をしっか り恨んでいることも必要かも知れません。         ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/06 09:35> ** 01680/01709 SGQ02661 龍 RE:スケープ・ゴード (12) 97/01/06 19:26 01676へのコメント コメント数:1 こんばんわ、でも、龍です(^-^)。 スケープ・ゴートですか。まあ私はそうは思ってないのですが、ただ私を 人でなく物として取り扱ったことに不満があるのです。  ここでいいますが、わたしの発言を読むとなんか会社の上司は悪い人み たいなイメージを持たれていますが、普段はとてもいい人たちです。  でも会社の社員になるととたんに私の言ったように豹変してしまう。 そこに私の疑問の目が行ってるのです。  とくにそう思ったのは人事部長の対応の件です。人事部長は「私にやめろ」 と冷徹にはいいません。なんかすまなさそうにいいます。  私には心の中に葛藤があるのだと思ってます。私の首を切らなければ自分の 部署の成績が落ちる。でもそんなこと自分では行いたくないという。人事部長 ですからその権限を利用すればいつでも首をきれる、しかし会社員としてでは なく一個人として人情が働くのかわかりませんが、やりたくないといったこと です。  それに対して私の課長はそれからは逃げる、全部署の部長は会社員として自 分の部署の成績を保つために冷徹に動きました。わたしはそれでどうこういう ことは無いのですが、私が考えてるのに何のためにみんな仕事をしているかと いうことです。理想かもしれませんが、みんな幸せになるのが目的だというこ とです。少なくと私は会社を存続させるために働くのはいやです。自分の心に 正直でありたい。  非常に大きな問題を相手にしてるかもしれませんが、あえて会社と個人の関 係に何か危険なものを感じとったのです。それは具体的に何かは今はよくわか らないですが一種の勘でしょうか。そういうものを感じとったのです。 ここのフォーラムでは自分を観るなど外部に原因を求めず、内省する姿勢と私は 感じてるのですが、わたしは、こういう姿勢は否定はしません。でもこれも勘で すがこういう大きな問題も個人の問題も共通する問題がある気がしてならないの です。(抽象論であるといわれますが、誰も主張されてないので言いました、 そんなの甘えだ、現実は厳しいんだという声が聞こえてきそうですが、私は そういう社会の常識という事をもう一回本当に正しいのか検証したいのです。) 以上                   龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01686/01709 QZY01267 猫の手 RE^2:スケープ・ゴード (12) 97/01/07 11:44 01680へのコメント  龍さん、今日は、  龍さんの文章を読んで、#1653「時代の流れ」をやはり感じてしまいました。    これは私の解釈の仕方ですが、会社の中で働く個人個人はだいたい「いい人」 なんですよね。ところが、「会社のため」となったら目の前に起こっているこ とに対して感情を閉じて、会社に利益を引き出そうとしてしまうのではないで しょうか? つまり、龍さんにとっては物として扱われたような感覚になるの ではないのかな?  戦争だって同じような気がします。「お国のため」となったら、目の前で殺 戮を繰り返そうと、「お国のため」、「イデオロギーのため」に感情を閉じ、 その国や、イデオロギーに利益を引き寄せようと頑張ってしまっている。それ が、戦争であり、テロなのではないかという気がします。  そこで、その人達が現実に立ち返り「自分の感情が幸せを感じているために。」 という方向で冷静に物事をどうするか判断し始めたら、かなりこの世の中が変 わってくるような気がしています。  で、世の中が現在そういう状況にあるということは受け入れざるを得ないだ ろうと思います。そこで次に大切なのは「じゃあどうするか?」ということで はないかと思います。  この世界の中で生きていく限り、現状に於いては、何度でもそのような状況 に遭遇することになるだろうと思います。そうしたときに龍さんは次にはどの ような対処の仕方をしようと考えているでしょうか?  会社でそれが起こったときと同じようなことをしていたのではなかなか変化 は生まれてこないような気が私はしていますが、どうでしょうか?    ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/07 10:42> ** 01678/01709 QFH02012 アラミス RE:RE^2:私の流れも変わった(超長文) (12) 97/01/06 18:18 01661へのコメント 龍さん>> 読んでいて成るほど分かりましたよ。これはやはり龍さんに問題があり ますね。 はっきり言ってやるべき事やっていないんだもん>>龍さん、こりゃ駄目 です。 資料室に配属されて2年後、人事部長に呼び出されて仕事していないと 言われる・・ >>て聞いたのは、「君は仕事をしないだって」ということでした。その >>時は何も言いませんでした。ここが疑問に思う所で、もしそういう風 何故何も言わないのですか?申し開きも説明もしないのですか? 課長に言って欲しかったじゃない、目の前に人事部長がいるのにそれは 違いますよと言わないでどうするのですか? 「課長は私に仕事を与えずほったらかしにしていました、課長は管理者 としての責務を遂行していません、逆に私の方が困っているのです」 こう言うのが普通なんですよ>>龍さん 自分が不当に評価されるかもしれないのに、何も言わずに黙っている事 はそれ(自分が仕事していない事)を認める事になるんですよ。 スケープゴートの話が上がっていましたがゴート(山羊)にも角や蹄は あります、自らを守るために戦わないでどうすると言うのですか。 自ら進んで生け贄になるなんてどうかしています(山羊じゃない、言い なりになっているだけの羊だ) 自らの体験も、との話がありましたからつけ加えますが、 私は上司に対してははっきりとモノを言ってきましたよ。仕事のグルー プ内のリーダー(先輩)や上司(課長・部長)そして本部長(取締役の 一人)と口論になった事さえあります。仕事上の不備不満については納 得いくまで話しましたよ。逆に言うと、上の者に対してろくに意見もで きない様では一人前と見てくれません。 01683/01709 GBG02043 維/YUI RE^3:私の流れも変わった(超長文) (12) 97/01/07 01:50 01661へのコメント コメント数:1 こんばんわ、龍さん。 龍さんの書き込みを読んで、よくわからなかったので、よかったら教えてください。 >>私はこれで私の不安材料が減って安心しました。しかし、資料室の仕 >>事は暇で自分でパソコン雑誌買って、勉強もしてました。しかし2年 >>も立つと(この時期は病気が悪化し、会社の産業医に行ったころ)に >>人事部長から呼び出されて、どうも私が仕事をしないから課長が迷惑 >>だといってるとの趣旨でした。わたしはすんなり資料室の仕事を任さ 資料室の仕事は暇でと書いていらっしゃいますが、もちろん仕事を片づけて暇に なった時、パソコン雑誌を買って勉強したりする前に、上司等にやるべき仕事は ないかどうか確認しているわけですよね? だとしたら、なぜ呼び出しされたときに、疑問に思ったこと、その他実際にやるべき 仕事がなくて、困っていたのは自分であることを主張しなかったのでしょうか? 私は自分のやるべき仕事がなくなった場合、時間がむやみにあくのはもったいない ですから、何かやる仕事はないか聞いてまわりますし、この勉強をしておいた方が、 会社の仕事として、効率がいいはずだから、暇な時には勉強をしておいてもいいか どうか、上司に予め確認しておきます。そうすれば、勉強しているようなときは、 仕事がないときだから、仕事がある人は私にたのめるしね。 私はもともとひっこみ時案で、人見知りする人間でしたから(いまでも結構そうだけど)、 会社でおかしいな…って思うことがあっても、会社の仕事の流れをきちんと読みとれる ようになるまでは、じっと物事の流れを確認しておくだけで、とりあえずは何も 言わないでいました。自分の仕事に自信がありませんでしたからね。ある程度仕事が できるようになってからは、どう話をつければいいのかもわかりますから、提案なり 質問なり、きちんと話をするように、自分に言いきかせ、できるだけお互いの間に 推測による溝ができないように自分なりに気を付けていました。ほんの少しの先入観 で、相手のとった行動が本当の意味とは違って見えて、そういうのがお互いの間で 繰り返されるうちに、信頼関係がもてなくなってしまうというようなコトが、少なから ず会社の内外で起きているのをじっと観ていた時期に知ったからです。 私は、あまりべたべたした人付き合いは好きではなく、自分は自分の道を行く…タイプ で、誤解もたくさんされます。だからよけいに、他人さまに対するときは、 できるだけ丁寧に、きちんと相手に内容を伝えるように、あれこれやります。 完璧にこなせるって訳ではないですが、こちらに他意がないことがわかれば、いつか 誤解は消えていきます。仕事ならなおさらです。本当に価値のある仕事内容をする 自分であれば、かならずきちんとした評価をもらえるようになります。 実際、派遣社員として働いていたときに、こちらのミスではないことで問題が 発生して、「なんだ、あいつは」的な扱われ方をされたことも何度かあります が、その都度、嫌がられても関係者にきちんと仕事として相談し、問題の解決の 為に数々の余計な書類を作ったりして、誠意を持ってやっていくうちに、「なんだ、 あいつは」的発言をした方々も、評価を変えてくれました。「なんだ、あいつは」 的な扱われ方をしたときは、「ふざけんなよ!」と思う気持ちもありましたが、 相手の感情にこっちまで乗っていたら、仕事になりませんから、まずは問題解決を すみやかに行うことだけを考えました。 龍さんは、会社の体制や態度がおかしいと主張されていますね、 その旨を会社にぶつけてみたことがありますか? 私は正社員の頃、会社の流れがつかめて、仕事がわかるようになってからは、 おかしいと思うことは、上司なり先輩なりに話をしましたし、明らかに不利益を 生むようなことなどは、口論になってでも関係各所や、上司、役員に話しました。 もちろん、すべてが受け入れて貰えるわけではないですけれどね。 ぶつけてみる時の自分の態度、姿勢も、その後の展開に影響をおよぼしますから、 余計な感情はぬきにして話します。 私は龍さんのような病気になったことはないので、(たとえあったとしても、自覚が ない。)龍さんのような状況が正確に把握できません。ですからどうしても、ピント がずれてしまうのかもしれませんが、病気のことはともかく、そんなにうまくいか ない会社で、この先働こうと思えるのかというあたりが不思議です。会社のこういう 点に疑問を感じるので、と紙にまとめて、辞表と共に提出しますけれどね、私は。 97/01/07(火) 00:39 維/YUI(GBG02043) 01685/01709 SGQ02661 龍 RE^4:私の流れも変わった(超長文) (12) 97/01/07 09:20 01683へのコメント コメント数:1 こんばんわ、 維/YUIさん、龍です(^-^)。 発言日時が早いので、驚くかもしれませんが、今日はなぜか 6時に目が覚め、顔を洗い、コメントをつけてます。実は このように朝っぱらから目が覚めるの病気の一種だったり するんですが(^_^;)。 >資料室の仕事は暇でと書いていらっしゃいますが、もちろん仕事を片づけて暇に >なった時、パソコン雑誌を買って勉強したりする前に、上司等にやるべき仕事は >ないかどうか確認しているわけですよね?  この時期もそうですが、前の会社でも私の考え方は他人のために仕事をするとい うことでした。ですから私は自分が何かをするのではなく他人から要請されなけれ ば何もしない人なんです。だから前の仲間からワープロ清書の仕事がきたらそれを した訳なんです。そしてこういう言い方をすると印象は悪くなりますが、もうその 時期から上司は私のことに関わりたくないとうことを他の部署の課長さんから聞い ていましたから。(これが私が自分のことを声を荒げてでも主張しなければいけな いと感じることになる経験になったのですが) >私はもともとひっこみ時案で、人見知りする人間でしたから(いまでも結構そうだけ ど )、 >会社でおかしいな…って思うことがあっても、会社の仕事の流れをきちんと読みとれ る >ようになるまでは、じっと物事の流れを確認しておくだけで、とりあえずは何も >言わないでいました。  σ(・_・)もその時期もそうであったし、前の会社でもそうでした。自分から主張する ことはなかったですね。前の会社で派遣先の先輩に問題があるときは大事件が起こった ように問題を声を荒げて言うべきだと忠告されました。でもその頃はその必要性を感じ ませんでした。それは自分が努力して解決すればいいのじゃないのってね。でもそうい う先輩も自分に降り懸かる問題がでてきたら、臆病になって何もしないでぎりぎりにな ってその仕事を投げ出したりしてるんですが。そのしりぬぐいはしっかりσ(・_・)がや ることになりましたが。 >ある程度仕事が >できるようになってからは、どう話をつければいいのかもわかりますから、提案なり >質問なり、きちんと話をするように、自分に言いきかせ、できるだけお互いの間に >推測による溝ができないように自分なりに気を付けていました。ほんの少しの先入観 >で、相手のとった行動が本当の意味とは違って見えて、そういうのがお互いの間で >繰り返されるうちに、信頼関係がもてなくなってしまうというようなコトが、少なか ら >ず会社の内外で起きているのをじっと観ていた時期に知ったからです。 >私は、あまりべたべたした人付き合いは好きではなく、自分は自分の道を行く…タイ プ >で、誤解もたくさんされます。だからよけいに、他人さまに対するときは、 >できるだけ丁寧に、きちんと相手に内容を伝えるように、あれこれやります。 >完璧にこなせるって訳ではないですが、こちらに他意がないことがわかれば、いつか >誤解は消えていきます。仕事ならなおさらです。本当に価値のある仕事内容をする >自分であれば、かならずきちんとした評価をもらえるようになります。  これを言うと情けないですが、会社の仕事から見ればメインの仕事ではないのです。 あくまでも誰がやってもいい仕事で書類整理をもくもくとやってる訳です。それにつ いては一週間ごとに上司に報告書として提出してましたから、自分がそれ以外で主張 する必要はないと判断してました。その報告書は私の先輩を経由した後、上司報告さ れるので先輩も私が暇であることはわかっているはずです。でも先輩も何もいいませ んでしたね。まるで事務処理のごとくハンコを押して上司に提出してたわけです。私 に仕事をすべて誠実にしたのか聞かれれば、はいとは答えられませんが、資料室の仕 事は、自分でこうやってらこれを利用すると便利じゃないかとか考えて、書類のあり 場所がわかるように資料の索引などを作っていました。 >本当に価値のある仕事内容をする >自分であれば、かならずきちんとした評価をもらえるようになります。  資料室の管理はもうすでにそこに所属することが、会社が辞めてもらい人がやる仕 事なんです。私の前の方もその前の方も首を切られていることで明白です。(これは 仕事を変更されて後になってわかったことですが)そのよう仕事で誠実に仕事をして も評価を貰えないのはご理解頂けるでしょうか? >龍さんは、会社の体制や態度がおかしいと主張されていますね、 >その旨を会社にぶつけてみたことがありますか? >私は正社員の頃、会社の流れがつかめて、仕事がわかるようになってからは、 >おかしいと思うことは、上司なり先輩なりに話をしましたし、明らかに不利益を >生むようなことなどは、口論になってでも関係各所や、上司、役員に話しました。  先に臆病でという発言が出て、会社に主張しろといわれも困るんですが。まあこれ はここでは関係ないので言いませんが、私が先輩にといっても他の部署の課長さんに 相談したことがあります。なんで私に指示をあたえないでほっておくかって、そした ら「ああ、それはあの人らしいなー、やっぱりそうか」って言われました。だから課 長には相談しないことに決めたのです。ですからσ(・_・)は前社長の所に恐れ多くも 会社の組織の伝達経路(どこでもそうですが、情報は下から主任、課長、そしてその 上に伝達される)を無視して、前社長のところに直談判したんです。それが前にも発 言したように「経営は難しいからね」と一言言われたわけです。 >病気のことはともかく、そんなにうまくいか >ない会社で、この先働こうと思えるのかというあたりが不思議です。会社のこういう >点に疑問を感じるので、と紙にまとめて、辞表と共に提出しますけれどね、私は。  こういう社風なんですね、みんなで仲良く、打ちあけ話をしたりすることはありませ ん。あくまでも仕事は一人で自分の責任の元で誰にも助けを求めないで問題を自分で解 決していくということです。ワープロの清書するのだって、私の前では業者に頼めば安 くあがると言いますが実際は仕事の基本設計から仕様書作成、プログラム設計をやって る人でも、この清書も自分でやってるのですから。ここに派遣された方に聞きましたが ワープロ清書までやらされるのは、自分の仕事ではなく、今までは業者が行ってきた と言ってましたから。またその本人が私にワープロ清書を依頼し全部σ(・_・)がやった などとは言わず自分がやったことになったりしてるのですが。これはもう考えかたの違 いにしか思えません。  私はここの会社転職したのは親のコネがあったからできたのです。じゃないとこんな 病気持ちの人間を雇ってくれるところはないですから。これを無碍にすることはできま せんし、一回転職してますから4年も立たないうちに転職するとこんど、転職するとき に不利になります。また資料室の管理は暇だけど、雑誌を読んで勉強もできて最新技術 に触れられることに満足してましたから。でも休職して改めて考えるとそんなことはど うでもいいから転職の機会が来たんだなと思ってます。 (またこういう発言をしてる色々口を出したい人もいるだろうけれど、言うことが他人  のことであれば何とでもいえます。しかし私にはそのように指摘できるのはどういう  体験にもとずいてできるのかわかりません。だから自分の考えを述べるのもいいけ ど、  その元となる経験を詳しく話してもらわなければ理解できません。発言内容が例えば  ある事件に遭遇して生じた感情があったとすれば、それをを取り払ってあったことだ  けを話されてたり、その後冷静に考えたらどう思ったのかを話されたりしても、全然  説得力はありませんよ。これはこの発言を読む方、指摘されようと考えている方にす  べてに言ってます) 以上                      龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01662/01709 QZY01267 猫の手 RE^2:私の流れも変わったということ (12) 97/01/05 20:50 01657へのコメント  龍さん今日は、この件に関してはとても多くの人がRESして下さっています ね。龍さんの影響力ってすごいですね。    私には、話の内容そのものに興味がもてなかったものだから、ついで、とい う形でコメントをさせていただきました。  私は「ポジティブ・シィンキング」というのは浅はかな感じがあってどうも 好きになれないのですが、水瓶座の時代を迎えるに当たってとても重要な要素 だと考えています。  広瀬隆さんという人、反原発関連では著名な方ですね。また、説得力もとて もある。でも、人々の未来に対する不安を駆り立てすぎてしまっている帰来が あるように感じます。それに乗っちゃうと、かなり自分を苦しめなければなら なくなっちゃうような気がしています。ですから私は彼の本を長いこと読んで いません。  ところで、龍さんは、何を求めていらっしゃるのでしょうか?  私は、そっちの方が興味があります。             ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/05 11:51> ** 01705/01709 GFB00026 一輝 RE:日常から斬る試み (12) 97/01/09 01:41 01645へのコメント >#1651 氷室さん |》当会議室で取り上げられるような、バイト先でこんなことがあった、 |》こんな客がいた、というような何かエピソードがあったら、ぜひ聞かせて下さい。 |そうですね…何かネタが出来ましたら、それをupしましょうか。 |なお、「魔除飴」については、8番会議室の方に話をふりました。(^_^) ……………ぜひ、お願いします。この会議室に、ただ「自分を認めてもら      いたいこと」を目的として、自分の日常を羅列するのでは「斬      ること」にはなりませんし、そこから自分を鑑みて学ぶ可能性      も低くなります。その点、今までのやりとりから、氷室さんな      ら安心して頼めるという期待がありますね(^^;)。      「日常から斬る試み」は、他の皆さんも以上の点に注意して、      ぜひチャレンジしてみて下さい。お待ちしております。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 01693/01709 SGQ02661 龍 RE:おかしいよ、すいません (12) 97/01/08 22:40 01692へのコメント コメント数:3  こんばんわ、また仕事を増やしてしまいますが、今が発言  の時だから言いますね。  私は揚げ足取りした覚えはありません。単にそう思ったから言ったわけです。  簡単にいいますね、少なくとあなたは、あなたの質問には答えてるのに、  私の質問には答えてくれてませんよね。今度はみれさんが答える番になると  例えば#28のように質問に答えない(まあ忙しいからしかたないかなとは  思ったりするのですが)、あなたは自分の考え方を代弁されている維/YUI  さんには簡単にRESがついてる、挙げ句の果てに#28は置いといて#51の  会議室移動の発言それもコメント先との関係も理解不能、それに条件および  質問付きで承認のRESをいれたら、こんどは私の質問を無視して強制移動と  もとれる行動、それも私が承認したかのような発言。いつわたしの質問に答え  てくれるのですか?答える必要がないと思うならそれを発言されればいいし、  強制移動を始めからするんだったらそれを発言すればいいじゃないですか。ま  た強制移動先でもわたしが承認したことになってる。それをさっしてほしいな  んて私の頭にはありません。私は感性が鈍ってるからね。それを取り戻すため  にも発言していたりするのです。(これをいったのははじめてですね)。唯一  率直に私の立場を発言しているのはアラミスさんぐらいです。何か大人の発言  しろよといわれるかもしれませんがわたしはその大人の発言(これは責任のあ  る発言らしいけども)ができません。でも話してるうちにわかりましたよ、責  任ということがわからないのはσ(・_・)じゃないかって。そういう人はここでは  受け入れてはもらえませんか?   こんなこというとみれさんの伝家の宝刀が抜かれてしまうかもしれませんが、  それをここで学ばせてもらうことはできませんか?少なくともここで責任がない  のは私であることはわかったのですが。(これはある面からみると人の迷  惑顧みず発言を続けることになるのはわかってますが)  あーここまで書くとわたしも率直に責任を教えて下さいとはじめからいうべき  だったのかもしれませんね。(これはみれさんだけじゃなくてこのフォーラム  の人たちですが)でもそれいうと受け入れてはもらえないし、だから自分は責  任がわかる人を装って、無責任者を受け入れろとか発言してたのですね。愚か  な行為ですね。    発言がメチャクチャですね。でもあえてアップしますね。これが実際のσ(・_・)  ですから。   以上                     龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01694/01709 TBE03167 ねずみ RE:おかしいよ、すいません (12) 97/01/08 22:40 01693へのコメント 龍さん 龍さんが、上記の発言を真面目に考えたうえでやってることは、 僕もなんとなく分かる。 でも、その上で言うけれども、やっぱり、そういう細かいことでこだわってても 仕方ないんじゃないかな? 些事は置いて、一番根本の部分の問題から片づけていくことが、龍さんの病気を 治す最短コースだと思う。 元、同病者としてのアドバイスです^^ 01695/01709 SDI00635 みれ RE^2:おかしいよ、すいません (12) 97/01/08 22:40 01693へのコメント コメント数:1  龍さん、おはよう。 | 私は揚げ足取りした覚えはありません。単にそう思ったから言ったわけです。 | (以下省略)  私は現実には一昨年度に仕上げる筈の原稿を未だ仕上げていないという、非 常にマズイ状況におりまして、会議室での複雑な応答に細かくサンドイッチR ESをしている暇が無いのです。維/YUIさんへのコメントの事を引き合い に出されていましたが、自分の意見と同じ意見に賛同の意を表する場合には、 然程の時間を必要としないのは当たり前でしょう? で、細かなRESの為に 今朝は仕事の時間を繰り下げてRESしています。  あなたの質問に答えていないと言われると私は困ります。あなたの質問は、 あなた自身が少し冷静になって考えたら分かる様なものだからです。これじゃ 一方では考える力を奪うから意見(龍さんの言うアドバイス)するなと言う龍 さんが、ご自分の事では何でも質問したがる様に見えますよ。 |              私は感性が鈍ってるからね。それを取り戻すため | にも発言していたりするのです。(これをいったのははじめてですね)。唯一  申し訳ないけど龍さんの精神状態が普通では無いとは私は思っていません。 精神状態が普通でなく、一般的な責任も取れないのであれば今後はお話も出来 ないということになります。例えどんな病気であれ、対等に話がしたいのであ れば病気の話を持ち出すべきでは無いと思いますが…。私は病気だから明確な 物言いをされると傷つくと言った人が過去にいました。病気だと言っている本 人が言いたい事は言う、だけど他人に自分の厭な事を指摘されると病気を持ち 出す…これは卑怯だとしか言えないです、私には。 | あーここまで書くとわたしも率直に責任を教えて下さいとはじめからいうべき | だったのかもしれませんね。(これはみれさんだけじゃなくてこのフォーラム | の人たちですが)でもそれいうと受け入れてはもらえないし、だから自分は責 | 任がわかる人を装って、無責任者を受け入れろとか発言してたのですね。愚か | な行為ですね。  『でもそれいうと受け入れてはもらえない』というのは、龍さんの想像の部 分ですね。最初からそう言えば、話の展開は異なっていただろうと思いますよ。 | 発言がメチャクチャですね。でもあえてアップしますね。これが実際のσ(・_・) | ですから。  龍さん、いいですか、発言が滅茶苦茶だと理解出来るだけの冷静な頭がある んだったら、滅茶苦茶な発言を推敲すれば良いのじゃないですか? 例えこれ が実際の自分であっても、滅茶苦茶なものをそのまま他人にぶつけるのは、甘 えでしか無いでしょう?  あなたの病気がどんなものであるかは理解出来ませんが、私も過去に軽い鬱 病になったことがあり、その時の経験から言うと「自分の状態を甘んじて受け 入れ、それを他人にも受け入れて貰おうとする=甘え」は、病気克服の為に毒 にこそなれ決して薬にはならないものです。どんな状態であれ、あるがままに 受け入れることが大切、などと無責任精神世界ビジネスの旗手達は言いますが、 私はこれに真っ向から反対します。  でもね、この話は12番でしませんか?                             ☆みれ・:・。,☆ 01696/01709 SGQ02661 龍 RE:RE^2:おかしいよ、すいません (12) 97/01/08 22:40 01695へのコメント コメント数:1 SUBJ:ROMおよびRTされている方々へ(長文) こんにちわ、みれさん、龍ですm(__)m。 私の画策したことはこの会議室ではまだみなさん分かってないようです。 #0069の内容では分からないと思います。文責のもてる責任者を装って 、#0004のみんな発言しようを行ったことことだけです。  これにいち早く疑問を投げかけたのは7番会議室の#9423発言です。 でもこれでさえわたしの告白を理解しただけで、私がなぜこのような 愚弄な行為にかりたてたのかという根本の問題は何か分からないでしょう。 (こういう会議室をまたいだ発言はルール違反なんですが書かざるをえ  ないので書きますm(__)m) >  私は現実には一昨年度に仕上げる筈の原稿を未だ仕上げていないという、非 >常にマズイ状況におりまして、会議室での複雑な応答に細かくサンドイッチR >ESをしている暇が無いのです。  これですがそのことを「今は時間がないから、しばらくお待ち下さい」と発言  されればそれですむのではないですか。私は1日中暇(まあ正月休みは普通そう  なんですが)、みれさんが忙しいのは知ってますがどの程度のものかわかりませ  んし、私がコメントつければ即座にコメントがつくので大丈夫と判断したわけで  す。(これがあなたのいう私に気をつかったことか、SYSOPの義務かはわかりま  せんが)でも今回の発言でわたしの発言にコメントを正確に行えないほど忙しい  のはわかりましたから、この発言のコメントは時間が空いた時に書いてください。  わたしもそれを待ちます。   >維/YUIさんへのコメントの事を引き合い >に出されていましたが、自分の意見と同じ意見に賛同の意を表する場合には、 >然程の時間を必要としないのは当たり前でしょう?  わたしは何でそれを私に直接発言されないのか疑問でした。時間もないのは  わかりますが、そこで「#37の発言が私の意見を代弁してますから参照して  ください」と書けばすむのではないですか?これも忙しい、わたしの発言が  建設的でないという理由でかはあくまでも想像ですがそのために書き込めな  かったわけですか? >あなたの質問は、 >あなた自身が少し冷静になって考えたら分かる様なものだからです。 私は少なくともわかりませんでした。だから何度も同じようなことを 発言してる訳です。私が普通の人がどうか自分ではわかってないので、 冷静になっても分からないんです。それをみれさんのいう普通の基準と で話されてもらっても困るんです。 > 申し訳ないけど龍さんの精神状態が普通では無いとは私は思っていません。 >精神状態が普通でなく、一般的な責任も取れないのであれば今後はお話も出来 >ないということになります。  確かに異常ではありません。ただ不眠症であり朝起きられないということだけ  ですから。性格も社会に順応してないと医者から言われてますし、これも病気  から来るのかは私にはわかりませんし。何ともいえません。客観的にみたら、  異常だと思われているのかわからないですが、少なくとσ(・_・)は異常ではない  と思ってます。 >例えどんな病気であれ、対等に話がしたいのであ >れば病気の話を持ち出すべきでは無いと思いますが…。私は病気だから明確な >物言いをされると傷つくと言った人が過去にいました。 私がそんなに病気だからダメとか発言してますか?何度も言いますが私の質問に 明確に(直接的に)発言されてないのはあなたなのではありませんか?そういう 過去の経験を持ち出してσ(・_・)に当てはめてもらって、あなたもそうでしょう といわれても困るんですが。それはそういう経験からσ(・_・)に配慮してきたと 受けとめていいですか? >だけど他人に自分の厭な事を指摘されると病気を持ち >出す…これは卑怯だとしか言えないです  想像か経験かはわかりかねますが、それをσ(・_・)にあてはめて卑怯だといわ  れても困るんですが。 >  『でもそれいうと受け入れてはもらえない』というのは、龍さんの想像の部 >分ですね。最初からそう言えば、話の展開は異なっていただろうと思いますよ。  それはそうだったかもしれない、しかし私が画策に走らざるを得ない行動をとら  せた根本的な問題は少なくとσ(・_・)の考えがおよぶものではないし、じゃあそ  の問題を取り上げて何が言いたいのかと聞かれると返答ができません。だから議論  を進めるうちにそういう状態になったら責任はとれないのです。だからσ(・_・)は  今回の画策をした訳です(まったく他人にはわかりませんね、この文は)。   でもこの画策は見事に失敗したので、手段が悪かったと反省はしてますm(__)m。 > 龍さん、いいですか、発言が滅茶苦茶だと理解出来るだけの冷静な頭がある >んだったら、滅茶苦茶な発言を推敲すれば良いのじゃないですか? 例えこれ >が実際の自分であっても、滅茶苦茶なものをそのまま他人にぶつけるのは、甘 >えでしか無いでしょう?  わたしがこの画策をした大きな理由に、推敲した発言は本当の有りのままの  自分を表現しているのかどうか疑問があるからです。自分をありのままに語る  には感情的なものの言い方もでてくるのも当たり前と考えているのです。   発言する裏にはなにかしかの感情に基づく自分の主張がでてくるわけです。  でもここのフォーラムではすべてとはいいませんがその感情というは削除さ  れて発言が求められる。だからそれを読んだ側ではその発言するに至った感  情を察するしかないのです。それではあくまでも読み手の察する能力にまか  され、読み手によって感じ方が違ってくる。だからわたしは発言者に感情を  いれた発言を直接をしてもらって、その感情を皆に共有してもらおうと考えた  のです。   >どんな状態であれ、あるがままに >受け入れることが大切、などと無責任精神世界ビジネスの旗手達は言いますが、 >私はこれに真っ向から反対します。  あるがままを受け入れることと無責任精神世界ビジネスとはどう繋がるんでし  ょうか?無責任精神世界ビジネスがやってることはすべてダメなんですか?  私はその辺りはよく知らないのですがあえていいますね。(あとわたしの考え  方が言われてる無責任ビジネスの騎手達と同じなんでしょうか?そういう人は  ここでは受け入れないことですか?)   > でもね、この話は12番でしませんか?   今回は12番にコメントが付けられないのでカベにしました。 あとですね、言いたいことは、あの強制移動はどう考えればいいのですか。あれは どうみてもルール違反ですが。 あともう一つ移動した既成事実は作られたのでどうにもなりませんが、#37,#50,#39 も7番に移動して下さい。少なくと私の発言が引き金になって出た発言だからです。 もう1回いいますね。忙しいなら時間ができてから作業していいのです。 そのためこの発言へのコメントも気長に待ってます。移動作業も時間が あいたら行って下さい。 以上                 龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01697/01709 KFQ02761 しまうま 龍さんへ (12) 97/01/08 22:41 01696へのコメント #00086 龍さん  こんにちは。 |あとですね、言いたいことは、あの強制移動はどう考えればいいのですか。あれは |どうみてもルール違反ですが。  このフォーラムは、龍さんが考えた「ルール」で動いているわけではありま せん。このことを正しく認識してください。  それから、運営上の処断に関する批判を会議室で行うことはおやめください。  ちなみにあの発言移動は、フォーラムの運営上、ごく当然の措置でした。む しろ、会議室に設定されたテーマからあれだけかけ離れた話題を放置しておく ことは、フォーラム運営の義務を怠ることにさえなるでしょう。  以下、個人的なお願いです。  龍さんの文章には、文法上の基本的な誤りが頻繁に見受けられます。もう少 し推敲を重ねてからアップされるよう、お願いします。 しまうま(KFQ02761) 01698/01709 QFH02012 アラミス RE:おかしいよ、すいません (12) 97/01/08 22:41 01693へのコメント コメント数:1 支離滅裂ですね、まぁ案の定そうなったと言うべきか・・ だから止めておけって言ったのに>>龍さん ともかく、そこまで自分が愚かな行為をしている事が分かっているのならば もうどんな理由を付けても言い訳にもなりませんよ。 後は自らの間違い過ちを正すだけの単純な話、それもできなきゃ誰にも相手 にされなくなるでしょう。 01699/01709 SGQ02661 龍 RE:おかしいよ、すいません (12) 97/01/08 22:41 01698へのコメント こんばんわ、アラミスさん、龍です(^-^) > 支離滅裂ですね、まぁ案の定そうなったと言うべきか・・ >だから止めておけって言ったのに>>龍さん まあ、あなたが言うようになったのは認めます。何もわからず暴走 したという経験をさせてもらいました。自分でも考えもしなかった ことを画策し、そして画策して自分を欺くことができなくなって座 礁したわけです。  その結果はどうだったでしょうか。私は皆さんから信頼を失うと いうことを考えていたんですが、どうも私の画策は成果も得たよう です。みなさんと会話していくうちに自分が疑問に思ってたことの まだ輪郭ですが見つけられたことです。やはり無責任でも会話は続 けることですね。確かに当事者には迷惑をかけたかも知れませんが 自分が何をしたいのか見えてきた。 >後は自らの間違い過ちを正すだけの単純な話、それもできなきゃ誰にも相手 >にされなくなるでしょう。 それだけだとあまりにも悲しすぎますね。こんな私でも学んだことがあり ますから。まあ謝罪の発言はしますが、それが皆さんの納得する謝罪にな るか正直いって自信がありません。それにはしばらく時間をおこうかと思 ってます 以上                 龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 01706/01709 GFB00026 一輝 地下軍事基地の手品 (12) 97/01/09 01:44 01647へのコメント >#1647 あへろさん いろいろ情報ありがとうです。 本年も、よろしくお願い致します。 | その意味で、竹熊さんと一輝さんの対談、非常に興味深く読ませていただきま |した。オウム的なものがつきつけているのは、自閉的で独善的で、なまけものの |くせに評論家気取りで、メディアを通してしか社会を見ない自分そのものの存在 |感のような気がしました。それがあまりに薄っぺらなので、手応えがあれば、 |「リアル」だといって何にでもなびいてしまいそうな自分の存在です。でも、そ |うしたムードが世界的にメインストリームになっているような気がして怖いです。 ……………オウム的なるものは、まだまだ分析の余地がたくさん残っています。      「メディアを通してしか社会を見ない」傾向で言えば、エロ業界は      「女性をメディアを通して日常化する」ことに役立った一方で、「      メディアを通してしか女性を知らない、知ろうとしない」という現      象を生んでいます。男性は女性を恐れて近づこうとしない。エロと      なら女性に近づけても、生身の心には触れないんです。エロ業界の      現場には、そういった傾向の者が多く、この私もそのひとりでした。      書名と著者は忘れてしまいましたが、エロ業界時代の私をモデルに      した小説が、ある文芸賞を受賞したことがあります。その作品を読      んだ時、ある種の吐き気を覚えた記憶があります。もちろん私その      ものをズバリ描いたわけではないのに、心理面に於いて当時の私の      本質を描いていたからです。それは、母子癒着による過保護と、そ      れを原因とする母親との近親相姦的な確執です。      あの業界には、そういった傾向を、深層心理に持つ人が多かったよ      うに思います。愛憎を母性に向かって表現しながら、商品を拡大生      産する。そんな人々の作ったメディアが支持されてきた背景には、      やはり似たような母子癒着傾向の過去を持つ、多くの読者の存在が      あったのではないでしょうか。      これらの「メディアを通してしか女性を知らない、知ろうとしない      」という傾向は、90年代に入って「援助交際」で女子中高生を買う      行為とは対照的に、深刻な性の問題としてメディアに浮上する「セ      ックスレス現象」「去勢男性現象」を生んでいるように思います。 | アメリカでいまひとつわからないのがこの州制度ですね。これもインターネッ |トの見かじりなんですが、例えばテキサス州は国家として独立できる権利を連邦 |政府と結んでいる唯一の州だとか。毎年、連邦の州でいることを批准しているそ |うです。つまりその気になれば、テキサス国をつくれるというのです。 ……………その昔、ヒッピーの友人たちは皆、「日本はアメリカの一州になれ      ば良かったのに」と言ってました。理由は簡単です。マリファナが      自由に吸えると思っていたからです。日本でも、地方分権の流れか      ら道州制をやろうという動きがあります。しかし、現在の利権を貪      る自治体首長の醜態を見る限り、道州制導入は、日本という国を崩 壊させる傾向に、拍車をかけるだけだと思いますね。 | 結局、いまの日本のおかれている状況というのは、『幼年期の終わり』という |感じなのですかね。一輝さん、所沢にそんなものがあって、そんな状況になって |いるとは知らなかったです。 ……………というより、『幼年期にいることすら知らない幼児』のようなもの      です。人間キレた時ってのは、キレた自分には気付かない。ですか      ら、幼年期はまだまだ終わりません。まず、自分で自分の幼い部分      を徹底的に洗いなおす必要がある(それがこの会議室で”斬る”と      表現してきたこと)。その積み重ねによって、自分の幼年期を終わ      らせる努力をしてゆかねば、終わるものも終わり始めないような気      がします。日本は”幼児期にあるたくさんの自分”によって、成り      立っていますから。      所沢のOTHレーダーの近くに、昔友人の実家が住んでたマンショ      ンがあって、そこから鉄塔が数本立っているだけのだだっぴろい芝      生が見えるんです。もちろんそこは、立ち入り禁止の札と鉄条網に      取り囲まれてます。でも戦車やジープや武器が置いてあるわけでは      ないし、所沢米軍基地の大半は、日本に返還されてますから、一帯      の環境は、アメリカ西海岸の都市のように平和なもんです。ある日、      その芝生の真ん中にある小さな黒い建物に、黒塗りのクルマが入っ      て行ったそうです。そんなにたくさんクルマが入れるわけはないの      に、次から次へと何台も入ってゆく。これはもう手品ですね。どう      もその黒い建物は、エレベーターの入口になっていて、地下レーダ      ー基地へと通じているのではないか、と友人は言ってました。      この芝生の前の通りの向かいに、成田航空管制センターの建物があ      る。ここで数年前に過激派が地下ケーブルを切るという事件があっ      たそうです。つまり成田空港では、米軍のOTHレーダーから空域      情報を検閲後にもらって、それを向かいの成田空港の建物を経由し      て、受け取っているということでした。だから日本で飛行機事故が      起きても、いつも先に米軍が現地に到着し、成田や自衛隊が後ろ手      にまわるというパターンがあるそうです。先の事件は、成田空港に      反対する過激派が、空港の情報を断とうとしたらしい。地下に極東      全域をカバーするレーダーがあったなんて、私も初耳でした。地図      で見ると、ここを中心に、米軍の横田基地や自衛隊の朝霞基地・入      間基地が、3方を守るように取り囲んでいる。推論でしかありませ      んが、ここを先制撃すれば、日本の制覇が可能になるのかもしれま      せん。      「のどかな街の風景」という手品が行われ、その地下で「軍事」と      いう名の手品師の仕事が行われていたのです。有事の際に、いきな      り地面が割れて、巨大ミサイルがド〜ンと、飛び出てきたりしてね      (^^;)。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):|∞シュタイナーその他|神秘学遊戯団 97/01/09 - 05257/05279 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●18 (13) 97/01/05 22:35 05193へのコメント コメント数:2 ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第18回/「霊界参入の三段階/開悟の段階における思考と感情の制御」                               (P57-77)その6 「開悟の段階における思考と感情の制御」の最後の部分です。 ここでは、「勇気と大胆さ」という非常に重要な観点について説明されています。      このようにして人間は霊界参入への第一歩を踏み出す時点にますます近づく。   しかし霊界へ参入する以前に、なおひとつの必要な事柄が遺されている。それ   は神秘学徒がはじめはおそらくその重要性に気づくことのもっとも少ないよう   な事柄である。その重要性は後になってはじめて明らかになる。   すなわちふさわしい勇気と大胆さが霊界参入には必要なのである。この二つの   徳性を発達させる機会を、神秘学とはいたるところに探し求めねばならない。   行を通しても、まったく組織的にこの二つを育成せねばならないが、人生その   ものが特にこの点では優れた、おそらく最上の道場であるといえる。(P74-75)    霊界参入に限らず、何事も依存心からではなく、 自分の決然とした意志から取り組んでいくということが 極めて重要なことであることはいうまでもありません。 そうした「勇気と大胆さ」こそが、霊界参入においても重要であるということが ここでは述べられています。 そして、その徳性を発達させるためには、 「人生そのもの」が「最上の道場」であるという重要な視点も提示されています。      危険を平静な眼で直視し、進んで困難を克服しようとする態度を神秘学とは身   につけなければならない。たとえば或る危険に直面したとき、すぐ次のように   感じられるように努力しなければならない。--私が今不安を感じたとしても何   の役にも立たない。不安を感じてはいけない。何を為すべきか、だけを考えれ   ばよい。--そのようにして神秘学徒は、これまでなら不安を感じたような場合   にも、少なくとももっとも内なる感情においては「不安や無気力に陥ること」   が不可能になるまでに到らねばならない。(P75) 何かの困難に遭遇すると、不安や判断力のなさから、右往左往するだけで、 結局それに対して何も行動できないということであってはならず、 まさにそうしたとき、「何を為すべきか、だけ」が重要です。 「だって」とか「でも〜」といった言い訳の類は百害あって一利なしです。 そうではなくて、今の自分の状況を鑑みて、とりうる行動として何が可能で、 そのなかで何がもっとも有効な行動であるかということを即座に判断し、 それを行動に移せるような態度を身につける必要があります。 もちろん、それは軽率な行動であってもいいというわけではなく、 あくまでも現状認識と判断という裏付けからの 「勇気と大胆さ」でなければなりません。      この方向に自己を教育することによって、高次の秘密に参入する上で必要とさ   れる特定の力を開発することができる。肉体がその感覚を働かせるためには神   経の働きが必要であるように、魂は勇気と大胆さによってのみ生み出される力   を必要とする。(P75) 「魂は勇気と大胆さによってのみ生み出される力を必要とする」ということは いくら強調してもしすぎることはありません。 そしてそれは放っておいて身につくものではなく、 絶えざる「自己教育」によって身につけていく必要があります。 「魂の力を育てていく」必要性ということこそが、 「いか超」のメインテーマでもあるわけですけど、 そのための原動力が「勇気と大胆さ」なのだというわけです。      宇宙の力は破壊的であり、建設的である。外界のすべての事物は生成し死滅す   る。事物のこの運命、宇宙のこの作用を認識しなければならない。通常の生活   のために視界を遮っていたヴェールは取り払われねばならない。一方人間自身   もまたこのような力や運命の中に織り込まれている。彼自身の本性の中に破壊   と建設の力が共存している。霊視力を得た人間の前に、外なる事物があらわな   本性を開示する一方で、彼自身の魂もその本性を隠さずに露呈する。このよう   な自己認識に際して神秘学とは勇気を失わなわぬためには、予め勇気を、いわ   ば過剰に、貯えておく必要がある。そのためにこそ、困難な生活状況で不動の   内的平静を保持し続ける努力が必要なのである。そして善なる力を信頼するこ   と、それを人生の中で学びとらねばならない。(P76) 人生におけるさまざまな困難こそが、大きな学びになります。 霊的な関心はあるけれど、人生からは逃げているというのは、 破滅を学びとろうとしているということでもあります。 人生から逃避した状況での霊的修行の無意味さ、危険さということに 意識的であるということはとても大切なことなのだと思います。 「困難な生活状況で不動の内的平静を保持し続ける努力」 そして、「善なる力を信頼すること」。 つまり、どんな困難に遭遇しても不動心を持ち、 自分の信じる善なるものに向かって自らを高めていこうとする気概を 日々の生活のなかから培っていくことが必要です。      これまでの彼に指針を与えてきた様々の動機が彼を導いてくれることはもはや   ない、と覚悟を決める必要がある。これまでは無知にとらわれていたがために、   そのように考えたり行ったりしてきたのだ、とあらためて気づかされるであろ   う。様々の根拠が一挙に失われる。彼が行ってきた多くのことは虚栄心から発   していた。しかし虚栄心がどんなに無価値なものか、今彼はあらためて悟らさ   れる。彼は多くのことを貪欲から行ってきた。貪欲がどんなに有害なものか、   今彼は理解する。今後の思考と行為のために彼はまったく新しい動機を自分で   作り出さねばならない。そのためにこそ勇気と大胆さが必要なのである。   (76-77) みずからのとる行動のすべての根拠を自分に求めざるをえない状況に対して、 「〜さんがこう言ったから」とか「そんなことしても評価されない」とかは まったく何の関係もないどころか、それにとらわれていることが 自分の弱さとして露呈してくるということを深く認識する必要があります。 まさに、それは「自由」ということです。 「自らの由」を自らが創造するという「勇気と大胆さ」。 「非難されようが、まったく無視されようが何の関係もない。 自分は自分の決めた道を行く」そういう自由を獲得することがなければ、 自分のなかからあらゆる根拠がなくなってしまう状況では ただただ途方に暮れてしまうだけになってしまいます。 おそらく、通常の生活においても、そうした「自由」によってしか 何事もなしたことにはならないはずなのですが、日常生活では、 外からなにかの理由づけをひっぱってきて、安心しているにすぎません。 実は、それは主体性をみずから破壊している行為なのにもかかわらず。      特に思想生活のもっとも深い部分にこの勇気と大胆さがなければならない。そ   して失敗をおそれてはならない。「また失敗してしまった。しかしそれを忘れ   てしまおう。そして何事もなかったように、新しい試みを始めよう」--神秘学   徒はそう考えることが常にできなければならない。そのようにして、世界の中   から汲み取ることのできる力の源泉が枯渇することは決してない、という確信   に到達するようになる。彼の地上的な部分がどれ程力を失い、弱さを示すよう   なことになっても、彼は何度でも自分を支え、そして高めてくれる霊的な部分   を求めて闘う。彼はどんな状況の中でも未来に向かって生きることができなけ   ればならない。過去のどのような経験も未来への努力を妨げてはいけないのだ。   (P77) 「失敗をおそれてはならない」ということ。 おそれていては、何もできなくなってしまいます。 そうした恐れは、過去を規準にするがゆえに起こってきます。 もちろん、失敗から学ぶという反省的な観点は重要ですが、 それを実践しないための言い訳にしてはいけません。 なにかを常に試み続けていることをみずからの存在理由にする必要があります。 もちろん、それは手持ちぶさたゆえの暇つぶしとは無関係です。 みずからだけを根拠として新しい試みに挑戦していくいことが重要です。      以上述べた特性を或る程度まで身につけたとき、高次の認識の鍵である事物の   真の名前を知る用意ができたことになる。世界の事物の名前をその神的創始者   の精神に従って名づけることを学ぶことに、霊界参入の本質がある。名前の中   に事物の秘密が隠されている。それ故参入者たちは特別の言葉で語る。彼らは   万物創造の由来を表す名称を知っているのである。(P77)    おそらく、ここらへんは「隠された文字の解読」といわれるような インスピレーション認識の獲得に関わってくるものだと思われます。 日本で「言霊」ということがいわれてきたり、 また「数霊」ということが 重要視されたりしているのや、 またカバラなんかの数の視点なども ここらへんのことと関係があるのかもしれませんが、 ここらへんのことは、今後の課題としておくことにします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05260/05279 MHD02672 TAO リアリスト・シュタイナー (13) 97/01/06 01:12 05257へのコメント コメント数:1  #5257 KAZEさん   明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。   さて、このシリーズも既に18回目を迎えた訳ですが、#5257 にはまじで「  戦慄」を覚えました(^^;。引用されたシュタイナーの言葉だけで無く、KAZE  さんの簡潔にして要を得た解説文も含めて、です。   シュタイナーという人は、霊的世界を知悉しつつも現実世界における人間  の生き方を厳しく追及して来た「リアリスト」だったんだな、と改めて認識  させられました。KAZEさんの仰る、  >> 人生から逃避した状況での霊的修行の無意味さ、危険さということに  >> 意識的であるということはとても大切なことなのだと思います。   ということは、既にオウムで証明されたようなものですが、あそこまで極  端に行かなくとも、精神世界への耽溺自体が人格的な成長をスポイルしてし  まっている実例は限りなく転がっていますね。  >> 「人生そのもの」が「最上の道場」であるという重要な視点も提示され  >> ています。   輪廻転生の実在を前提としての話になりますが、一つ一つの人生が、魂の  長い旅において漸次乗り越えなければならないイニシエーションなのだとす  れば、人生そのものから逃避することは、魂を成長させる機会を自ら棄てて  しまうことになりますね。   個人的な話になりますが、30歳を過ぎてARIONに出会い、FARIONにも  かなり深く関わって来た訳ですが、最近になって「いつまでもFARIONに頼っ  ていられる筈は無い。40代、50代になっても頼っているのだとしたら、それ  は気味悪いのでは無いか?」と考えるようになり、むしろFARIONも何も無い  ところで、なおかつ自分の人生を促す原動力が存在するとしたら、それは何  なのかを見極めることが大切なのでは無いかと思えて来ています。   無論、FARIONにしてもARIONのメッセージにしても「学び」を多く得  られるのは間違いないのですが、その「学び」を、自分の内なる創造力や可  能性の肥やしに出来ないのだとしたら、何にもならないばかりか、依存心を  煽り立てるという本末転倒に陥りかねない。  >> まさに、それは「自由」ということです。  >> 「自らの由」を自らが創造するという「勇気と大胆さ」。   自分の中の「無」を恐れずに、囚われずに、むしろ「何も無い」からこそ  創造という行為が可能になるのだ、という発想の逆転が必要なのかもしれま  せんね。  TAO 05261/05279 GGA02514 KAZE 無自覚な霊能力は人格を破壊する (13) 97/01/06 12:14 05260へのコメント コメント数:1 TAOさん、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 》  シュタイナーという人は、霊的世界を知悉しつつも現実世界における人間 》 の生き方を厳しく追及して来た「リアリスト」だったんだな、と改めて認識 》 させられました。 だからこそ、「人・智学」なんですよね。 シュタイナーの神秘学は、まさに科学(学問)・宗教・哲学・芸術などの 総合であるがゆえに、さまざまな分野に展開されていますし、 それが真に理解されたときに、あらゆる分野に展開可能なのだと思います。 ただ、現状ではその本来の力のわずかな部分しか発揮されていないので、 それをなんとかできないか、とか思っているんですけど^^;。 》 >> 人生から逃避した状況での霊的修行の無意味さ、危険さということに 》 >> 意識的であるということはとても大切なことなのだと思います。 》 》  ということは、既にオウムで証明されたようなものですが、あそこまで極 》 端に行かなくとも、精神世界への耽溺自体が人格的な成長をスポイルしてし 》 まっている実例は限りなく転がっていますね。 かつて人間は霊的能力をもっていたのですが、 自我意識を発達させるために一度そうした力は失われる必要があったといいます。 逆にいえば、無自覚な形で霊的能力を未発達な自我意識のもとに 行使するというのは、ものすごく危険なことでもあったわけです。 ですから、現代のように、自我意識をきちんと制御できないままに、 なまじ霊的な能力のかけらのようなものをもってしまうと、 その自我意識はそのなかで翻弄されてしまって、 通常の人間性を失って、まさに人格崩壊の危機にさらされることになります。 その実例は、まさにこのフォーラムではよく見られることだと思います。 精神世界を見た、だとか、チャネリングをしているとかいった方で、 ちゃんと「自分を観る」ことのできない方が掃き散らしているゴミです^^;。 こういう方も、そうした霊的能力の滓のようなものをもたなければ、 なんとか通常の意味での人格のバランスを保ててた可能性はあると思うのですが そうした能力は「種」のようにあるエゴをも肥大化させてしまうわけです。 その「種」は、その性質を問わずいきなり開花させられてしまいますから、 多くの場合、その種はエゴに満ちてますから、もう止めどがなくなってしまう。 ここらへんのことは、ちゃんと霊学を学べば当然のことなのですが、 ほとんどの場合、思考力が弱いムード論者で、まともに学ぶ気がないですから、 いきなり霊的能力を獲得しようとして、 その力に焼かれてしまうことになるわけです。 》  個人的な話になりますが、30歳を過ぎてARIONに出会い、FARIONにも 》 かなり深く関わって来た訳ですが、最近になって「いつまでもFARIONに頼っ 》 ていられる筈は無い。40代、50代になっても頼っているのだとしたら、それ 》 は気味悪いのでは無いか?」と考えるようになり、むしろFARIONも何も無い 》 ところで、なおかつ自分の人生を促す原動力が存在するとしたら、それは何 》 なのかを見極めることが大切なのでは無いかと思えて来ています。 ぼくなどはきわめて臆病なものですから^^;、 FARIONにはけっこう深く関わりながら、FMISTYでの最初を除けば、 ARIONにはほとんど近づこうとはしていません。 ARIONのメッセージを適当に(というのは不遜かもしれませんが^^;) 参考にするくらいなんですよね。 この会議室もずっとこうしてFARIONにあるわけですけど、 この場に依存しているような形はとろうとは思っていません。 実際の所、依存するなんてことはできないんですよね。 もしそうしているとしたら、そのぶんだけ自分をスポイルしているだけです。 それはFARIONにかぎらすなんにだっていえます。 ですから、 》                        むしろFARIONも何も無い 》 ところで、なおかつ自分の人生を促す原動力が存在するとしたら、 というのは、発想としてぼくには???です。 この場を契機とする、とか、この場を研鑽の場にするということであって、 他律的にFARIONをとらえてしまうと不味いというのがぼくの正直な気持ちです。 もちろん、参加している以上、そこには責任や義務は発生してきますし、 その場の一部として寄与するとか、反対にアドバイスをもらうことだって あるでしょうけど、それは依存関係とは違うと思うんです。 》  自分の中の「無」を恐れずに、囚われずに、むしろ「何も無い」からこそ 》 創造という行為が可能になるのだ、という発想の逆転が必要なのかもしれま 》 せんね。 「無」という表現はけっこうムード的に響きますけど^^;、 それはただ、他律的な部分において「無」なのであって、 自律的自立的な部分においては、「無」であるとはいえません。 自律的自立的な部分といっても、「虎」に類する表面的な自我の部分から 自由になるという意味での「無」ではあったとしても、 それは内なる超個の展開ということでもあると思うんですよね。 ま、言うは易しで、実際のところ、そう簡単なことではないんですけど^^;、 とにかく、この場において、自分が評価されたい、つまりは、 ARIONやみれさんに褒められたい(その裏返しとして、難癖をつけたい) といったような不毛さからは何も生まれないということなのだと思います。 今回のシュタイナーのテキストの部分にもありましたが、 失敗をおそれず、とにかく大胆に勇気をふりしぼってがんばるということだけ。 それだけなんだと思います。 今年は、括りの年ということで、ぼくもこの会議室では要らぬ妥協を極力排して やりたいことをぶつけていきたいと考えていますので、 TAOさんもその線で頑張っていかれればと思います。 そうしたなかからのネットワークから生まれるものこそが 本物であると、ぼくは思っているんです。 では、では、そういう感じ^^;で、今年もよろしく(^O^)/。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05276/05279 MHD02672 TAO 可能性と創造 (13) 97/01/08 01:07 05261へのコメント  #5261 KAZEさん   どうも〜(^^)。  >> かつて人間は霊的能力をもっていたのですが、  >> 自我意識を発達させるために一度そうした力は失われる必要があったと  >> いいます。   言い方を変えると、進化するためには一旦、霊的能力を棄てなければなら  なかったということですね。その「進化」という働き自体が不可思議な現象  なのですが、何らかの意志の顕現であるのは間違いないんですよね。   「進化」というのは、ただの無自覚的な推進では無く、何らかの目的を秘  めているからこそ「進化」たり得るのでしょうが、「進化」とは“何か”を  「創造」する為の試行錯誤だとも言えるのかもしれませんね。   無論、力(エネルギー)とは破壊にも創造にも使われるのですから、力をい  かに行使するかによって破滅的な状況にも導かれる可能性はあるのですが、  今の人類のエネルギーは、「進化」が本来目指す方向と外れた方向へ向いて  しまっているように思えます。その逸脱自体も、もしかすると「進化」の為  の試行錯誤かもしれないけど…(^^;。   あれ、話がどんどん逸れているような(^^;。   ともかく人間の進化は、宇宙の進化とも相互関係にあるのだと思うんです  よね。それだけに人間は自らを高めて行くという責務を負っているのかもし  れませんね。無論、そうで無い方向へ向かうという自由も人間には与えられ  ている訳ですが、自分(とその可能性)を滅ぼすようなあり方はやはり選びた  くないなぁと思います。   FARIONにしても、本来はスクールみたいなものであって、そもそも設立目  的自体が「学び」や「切磋琢磨」或いは「本当のことを知る」にあるのは間  違いないでしょう。自分の成長に役立てる為にFARIONに参加している限りは  いいんですが、それが現実での欲求不満を紛らわす為になったり、自分の問  題を解決して貰いたいという依存心を果たす為、或いは評価されたいという  欲を満たす為になれば、それはいずれツケとなって本人に還って来ますね。  まあ、FARIONに限らず、世間自体がそうなんですが(^^;、FARIONという所は  それが一際強く出てしまうようですね。  >> 今年は、括りの年ということで、ぼくもこの会議室では要らぬ妥協を極  >> 力排してやりたいことをぶつけていきたいと考えていますので、   今年になってから、何か皆気合いが入っているな〜と感じています。これ  が途中で腰砕けにならないように、このテンションをいかに持続して行くか  が、括りの年において大切なことであるように思えますね。ではでは。  TAO 05264/05279 GCG01101 アマデウス 勇気と大胆さ・自らの意志 (13) 97/01/06 21:53 05257へのコメント コメント数:1 #5257 KAZE さん   今回取り上げられた部分は、「いか超」の中でも好きな部分です。(^^)  「いか超」では、勇気と大胆さだけでなく、この先謙虚さとか忍耐とか、  階梯の要所要所でこうした自己研鑽の必要性を何度も説いていますね。  わけもわからず意味不明なトレーニングを盲目的にやっているうちに超能力  が身に付く、なんて怪しげなキワモノ(^^;と違って、しっかりした土台の上  に立った階段を着実に一歩一歩昇っていくような確実性を感じます。そして  その印象が、「これは本物だ」という直感を感じさせてくれます。 >>  すなわちふさわしい勇気と大胆さが霊界参入には必要なのである。この二つの >>  徳性を発達させる機会を、神秘学とはいたるところに探し求めねばならない。 >>  行を通しても、まったく組織的にこの二つを育成せねばならないが、人生その >>  ものが特にこの点では優れた、おそらく最上の道場であるといえる。(P74-75)   「人生そのものが特にこの点では優れた、おそらく最上の道場である」と  いうのは、例の「維摩経」を彷彿とさせる部分ですね。 >>   危険を平静な眼で直視し、進んで困難を克服しようとする態度を神秘学とは身 >>   につけなければならない。たとえば或る危険に直面したとき、すぐ次のように >>   感じられるように努力しなければならない。--私が今不安を感じたとしても何 >>   の役にも立たない。不安を感じてはいけない。何を為すべきか、だけを考えれ >>   ばよい。--そのようにして神秘学徒は、これまでなら不安を感じたような場合 >>   にも、少なくとももっとも内なる感情においては「不安や無気力に陥ること」 >>   が不可能になるまでに到らねばならない。(P75)   なにか事があると、自分が受ける影響のことを先回りして考えてしまって、  自分で自分を不安な状態に追い込んでしまう。考えてみると(考えるまでも  なく、と書いた方が適切かも知れませんが)これは本当に日常のあらゆる場面  で試されていることなんですね。「すぐ次のように感じられるように努力しな  ければならない」と書かれている通り、努力が必要ということは、気を付けて  いないと出来ないということでしょう。そうすると、自分の状態に常に意識的  であらねばならないということでもありますね。武道の「居着き」にも通じる  話だと思います。 >>                  そのためにこそ、困難な生活状況で不動の >>  内的平静を保持し続ける努力が必要なのである。そして善なる力を信頼するこ >>  と、それを人生の中で学びとらねばならない。(P76)   ここで言われている「善なる力」というのは、生命を育む方向への作用と  考えて良いのでしょうか。特定の倫理観から見た善というより、普遍的な  意味合いを持っているように思うのですが、よくわかりませんでした。  (今までの経過の中で出ていましたらごめんなさい(^^;) >>  これまでの彼に指針を与えてきた様々の動機が彼を導いてくれることはもはや >>  ない、と覚悟を決める必要がある。(略) >>          今後の思考と行為のために彼はまったく新しい動機を自分で >>  作り出さねばならない。そのためにこそ勇気と大胆さが必要なのである。 >>  (76-77)   「自分で決める」というのは、決めた根拠が全て自分に帰されると言う  ことですね。自らを拠り所として、自らの意志で進んでいく。当たり前の  ことのようでいて、実は意外と出来ていないことです。それは自分の生き方  は言うに及ばず、たとえば年賀状を出したり初詣に言ったりすることのよう  に、ただ慣習に従っているだけだったりすることがあります。つねに自分に  「それをやるのはなぜ?」と問いかけ続ける粘り強さを持とうと思います。                               アマデウス 05271/05279 GGA02514 KAZE 自由という大きな課題 (13) 97/01/07 23:32 05264へのコメント アマデウスさん、どうも。 》「いか超」では、勇気と大胆さだけでなく、この先謙虚さとか忍耐とか、 》階梯の要所要所でこうした自己研鑽の必要性を何度も説いていますね。 》わけもわからず意味不明なトレーニングを盲目的にやっているうちに超能力 》が身に付く、なんて怪しげなキワモノ(^^;と違って、しっかりした土台の上 》に立った階段を着実に一歩一歩昇っていくような確実性を感じます。 「霊的能力」とひとくちに言っても、 「精神世界を見た」とか「お告げが聞こえた」とかいうのは、 「事故に遭った」くらいの意味しかないのに、それを後生大事に抱き抱えて、 自分を特別視する材料にしたりするのってかなり多いと思うんですけど、 決してそういうのは「霊的能力」とは呼べないんです。 そうではなくて、魂の力を総合的に成長させるにともなって、 得られてくる認識力のことを「霊的能力」というんだと思います。 ですから、何かがあるとするに取り乱したり、感情を荒立てたりする状態の人が、 「自分には超能力がある」なんて言ってるとしたら、 それは、自分をバカだと言っているのとなんら変わりがないように思います^^;。 》 「人生そのものが特にこの点では優れた、おそらく最上の道場である」と 》いうのは、例の「維摩経」を彷彿とさせる部分ですね。 そうですね、その道場を自己目的化するのは考えものの場合はありますけど、 その道場で積極的に学ぼうとしないで、隠遁して修行した気になっているのは やはり「中道」からははるかに遠い、逃避的な姿勢でしかないと思います。 もっとも、人生という道場は、けっこうきつくて、 ときにはへたばってしまいそうになることもあるわけですけど^^;、 そこでいかに踏ん張っていけるかこそが、最大の糧になるのではないでしょうか。 》 ここで言われている「善なる力」というのは、生命を育む方向への作用と 》考えて良いのでしょうか。特定の倫理観から見た善というより、普遍的な 》意味合いを持っているように思うのですが、よくわかりませんでした。 そうですね、「生命」に限らず、もっと広い意味でしょうけど、 すべてが善き方向、ポジティブな方向に向かっているんだということ、 環境に対しても、すべてが自分の糧になり自分を高めてくれるんだということ、 たとえあらゆるものが破壊的に作用しようとも、 自分以外のすべての人がそうでなくても、自分は自分の歩みを止めはしない。 そういう自分の創造的な力を決して手放さないということだと思います。 》 「自分で決める」というのは、決めた根拠が全て自分に帰されると言う 》ことですね。自らを拠り所として、自らの意志で進んでいく。当たり前の 》ことのようでいて、実は意外と出来ていないことです。それは自分の生き方 》は言うに及ばず、たとえば年賀状を出したり初詣に言ったりすることのよう 》に、ただ慣習に従っているだけだったりすることがあります。つねに自分に 》「それをやるのはなぜ?」と問いかけ続ける粘り強さを持とうと思います。 今回の「勇気と大胆さ」に関するところは、 ちょうど、がねっしゅさんが書き込んで下さっている「シュタイナー教育論」の 「自由」の部分とまったく同じ観点ですので、できればそれをあわせて読まれれば 今回の部分の理解はより一層深まるのではないかと思います。 しかし、すべてに「なぜ」を問い続けるということは かなりエネルギーの要ることで、 実生活のなかでもそれをしていくというのは、粘り強い忍耐力も必要になります。 実際、ぼくはそのおかげで、まともに受験勉強などをする気も失せてしまったり^^; いわゆる社会に出てからもその慣習に染まらないがために、苦労も絶えません。 けれど、そこで妥協してしまっては自分に負けたことになります。 もちろん、ただ周囲と敵対するのが目的なのではなく、 できるだけ調和をはかりながら、譲らないとことは譲らないということで、 義務や責任を放棄してしまっては何にもなりませんから、よけいに難しいわけです。 「自由」は、それだけに困難な課題だといえます。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05258/05279 GGA02514 KAZE 風のfragments/26■源氏物語/美意識 (13) 97/01/06 00:13 05223へのコメント      ここが近代と前近代の分かれ目ではないかと思うのですが、前近代というのは   人間が心理を自分の外に置いていた時代ではないかと思います。   心理は、人間の胸の中にあるのではなく、たとえば、散る花の中にあります。   夕暮れの風の中に、朝霧に濡れる秋草の上に、夜空を照らし出す月光や篝火の   中にある----そういうものだったと思います。   だからこそ、そういう情景を共有して、多くの登場人物達は和歌を詠むし、琴   を弾くし笛を奏でる。「掛け言葉」という、情景と心理と二重の意味を持った   ことばによって三十一文字の複雑な和歌が詠める。心理というものは、この時   代、一人で持っているものではなくて、他人と共有するものだったのではない   か----少なくとも、そういう前提でこの源氏物語という小説は出来上がってい   ると、私はそんな風に思いました。   愛の喜びというのは、その美しい情景を共有できることだし、愛の錯誤という   のは、その情景の中で違う二つの旋律が縺れ合って離れるようなこと。別に男   と女の愛情だけではなく、人間関係そのものが、こういう前提の上に乗っかっ   ていたのではないかと思うのです。その前提があればこそ、どんな複雑で容赦   ない残酷物語でも美しい絵になる----これが王朝美学に代表される日本の前近   代の美意識の基礎ではないかと思うのです。   人間は、切れば血を流すような生臭い生き物ではあるけれども、しかしそれは   同時に、月の光や花の影と容易に一つになってしまうような、抽象的で美しい   生き物でもある。この両方から成り立っていることを忘れてはならないと思い   ます。   (橋本治「源氏供養(上)」中公文庫/P119-120) 心を自然の情景のなかに置く美意識を持てることは限りない喜びです。 けれどもその喜びから遠ざかろうとしているのが近代で そこには、常に「私」という点があって、面になろうとする美意識を阻害します。 けれど前近代の美意識の中だけに安住することは たとえその美しさを一度は手放すことになったとしても 許されないことなのではないでしょうか。 日本人は、前近代の美意識の美点を捨て去りながら、 その面としての集団的自我の側面だけを残し、 さらにその上に、エゴだけを乗せることのできる自我を乗せてしまいました。 それは点と面が互いに闘っているようなとても醜い景色です。 点のエゴと無自覚な場の影響に依存する面としてのエゴと。 そこには美意識などかけらほども残ってはいません。 情景の中に自らをとけ込ませるような、そんな前近代の美意識を 「個」としての自立した近代の意識のなかで活かすことのできるような そんな新しい美意識の可能性はないものでしょうか。 悟りとは、「超個の個」を有することだという考え方があります。 それは血を流す肉体を持ちながら その内に個を越えた真我を自覚するという在り方ではないかと思います。 個として世界の内に日本の足でしっかりと立ちながら それでいて、自然の情景とともに美しく生きることのできるような そんな美意識を育てたいものだと思う。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05262/05279 BXN01172 がねっしゅ がねっしゅのシュタイナー教育論(続) (13) 97/01/06 12:25 コメント数:2 がねっしゅです。 あけましておめでとうと言うのも気がひける ころになってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。 KAZEさん、年末にはコメントいただいたのにレスしないままで 申し訳ないです。 いろいろ書きたいこともあるのですが、とりあえずこのシリーズを 急ぎ足で続けさせていただきたいて、自分の問題意識とでもいうものを はっきりさせてみたいと思います。 (読み返して見ると、あまり長くない論文なのですが) 今回は、前回のフォローのような内容です。では、続きを。 ======================================= = ・「全人」という立場から見た問題点 「死んだ思考」が引き起こす問題は頭の部分に止まらない。 シュタイナーは「現代の人間はスズメバチのようなものであります」という。 頭(思考)と体(意志)とが分断されたままくっついている、というのである。 それはどういう状態のことか。彼は次のように説明する。   現代文明は、すべての事柄を頭で認識させるようにする傾向があることを   考えて頂きたいと思います。ここでは観念が寝椅子の上で寝るように、活   動せずに、頭の中で休み、眠っているのであります。なぜかと申しますと、   それらの観念はあるものはこれを、別のものは別のことをというようにあ   る事柄を「意味する」だけだからであります。私達はこうした諸観念を頭   の中に分類柵にしまうようにしまっておき、そのうえこの観念と全く関わ   りを持たぬのであります。 GA307-p307  このように現代文明では、学問によって吸収された概念化された知識が、 実際の生活と関わりを持たないことから、二者に斉合性がなくなっている。 するとどうなるか。私達は直接の経験によらない高次の概念−例えば、道徳 的な規則−を知識として持ってはいるが、その概念が「生きて」いない。 そのため、実際の生活を司っている身体は、低次の衝動につき動かされながら 生きる羽目となっている。 別の言い方をすると、私達はアクセサリーのような頭を抱えながら、その 身体は低次の衝動に捕らわれたままで、自由な決断をできずにいるのである。  死んだ学問によって、私達は緻密な知的体系を抱えているが、生きた現実 であるはずの私達の生活を主体的に生きる術を持たずにいるのである。   現代の生活において目立つのは、分裂した心の人間が多いことである。人   生においてなにかをはじめることができず、「わたしは何をなすべきか。   人生にはどんな意味があるのか」と、くりかえし問いつづける人々である。   そのような人々はさまざまなことに手を出しながら、満足できない。この   ような問題のある人々が、ますます増えて行く。                   子ども編シュタイナー教育小事典p.55 こうした、観念世界と実際の生活とが別個の存在となっている状態によって、 私たちは二元論という悪魔の考えに囚われてしまう。 だが、この二つはそれぞれ切り離された現実の二つの側面ではなく、両者は本 来統合されるべきものであるとシュタイナーは主張する。そして「分裂した心」 を作り出さないために、シュタイナー学校では積極的に社会生活との関わりを 持たせるようにしている。 シュタイナーは、   現代の社会状況の主な欠陥は、人々が他の人の為している事柄をほとんど   理解していない所にある                 GA307-p304 としている。彼はこうした状況を良しとしなかった。そのことを、次のように 表現している。   これは馬鹿げたことのように聞こえるかも知れませんが、私は、必要なと   きに、靴下や衣服を繕うことのできぬ人は、真の哲学者たり得ないという   確信を持っているのであります。             GA307-p304  ここで彼が言いたかったのは、彼の教育原理が、一方で最も高次の精神性へ 至る上昇過程と、他方で身体の訓練と啓培に至る下降過程との双方の過程を包 合する事を目的としていることである。それは全人としての教育である。 だが、今日の教育は、こうした全人としての教育から全くかけ離れた場所に位 置しているのである。 05263/05279 BXN01172 がねっしゅ がねっしゅのシュタイナー教育論(続) (13) 97/01/06 13:19 05262へのコメント コメント数:2 ・道徳と自由 シュタイナーのこの指摘は、私たちが道徳と自由の問題に向かい合ったときに 重要となる。 現在の私たちは得てして社会から与えられた戒めを道徳規範として崇めているにも かかわらず、それがなぜ重要であるのかはきちんと説明できない。そのように、 私たちは頭の中に諸々の道徳規範を抱えながら、その身魂は低次の生活動因 (感覚的な要因から来る動物的な衝動)に捕らわれてしまい、結果として自由を 失った行動しか取れない。   自分が欲するのとは別のことを行う者は、自分の中にはない動因によって、   この別のことに駆り立てられるに違いない。このような人はその行動が自由   ではないのである。 GA4-p.209 私たちが自由を獲得するためには、道徳を訓示として、つまり「死んだ概念」 として外部から受け取るのではなく、自分の内部から生み出さなければならない。 かといって、道徳規律を完全に取り払って、自分の思うがままに行動するのは危険 なのである。そこにはまだ、動物的な衝動しか姿を見せていない。 それでは、人間が自由を獲得するにはどうしたらよいか?それは、倫理的目標を 外部に因らず、自ら作り上げることによるのである。この、道徳を内部から 生み出すために必要な力を、彼は倫理的想像力(モラーリッシュ・ファンタジー) と呼ぶ。 倫理的想像力とは、    感覚世界から取り出すことのできるイメージではなく、    内的、創造的な手続きをとおしてのみ創造できるイメージ」                     『シュタイナー教育の基本要素』P.63 である。   この倫理的想像力を持つ者だけが真に自由なのである。なぜなら人間は意   識的動機に即して行動すべきであるから。そしてもしその動機を自分で生   み出せない場合、彼はそれを外部の権威や、彼の内部で良心の声という形   態をとって語りかける因襲から与えてもらう羽目になるのだ。感覚的本能   にのみ身をゆだねる人間は獣のように行動する。自分の感覚的本能を他人   の思考の下に置く人間は自由を持たずに行動する。倫理的目標を自ら創り   出す人間であって初めて自由に行動していると言えるのだ。 GA5-p.86 つまり、シュタイナーの考えている自由は、ただ単なる、行動における 自由ではない。私たちはよく、何の囚われもない「状態」を自由と呼ぶが、 シュタイナーの考える「自由な人間」で重視されるのは、囚われのない心的 態度から生まれて来たものである。それは、欲望や衝動といった低次元の動因に よるのではなく、意図や動機といった高次の生活動因によるのである。 1997年1月6日 がねっしゅ 05269/05279 GGA02514 KAZE RE:がねっしゅのシュタイナー教育論(続) (13) 97/01/07 18:16 05263へのコメント コメント数:1 がねっしゅさん、引き続きどうも。 》現在の私たちは得てして社会から与えられた戒めを道徳規範として崇めているにも 》かかわらず、それがなぜ重要であるのかはきちんと説明できない。そのように、 》私たちは頭の中に諸々の道徳規範を抱えながら、その身魂は低次の生活動因 》(感覚的な要因から来る動物的な衝動)に捕らわれてしまい、結果として自由を 》失った行動しか取れない。 外的な規範・道徳の根拠を「なぜ」と問っても、 「そういうものだ」「そうなっている」としかいえないということですよね。 だから、そういう規範・道徳に沿って行動していれば 自分の責任はないと思っているわけです。 そういうのを、事勿れ主義ともいうのですが、 結局、そういうのはロボット化した状態だともいえます。 そして、規範・道徳によってコントロールされるロボット化した部分以外では その都度の感情や感覚の要請に応じてなんでもしてしまうことになります。 もちろん、そういう場合の感情や感覚というのは推して知るべしです^^;。 》私たちが自由を獲得するためには、道徳を訓示として、つまり「死んだ概念」 》として外部から受け取るのではなく、自分の内部から生み出さなければならない。 》かといって、道徳規律を完全に取り払って、自分の思うがままに行動するのは危険 》なのである。そこにはまだ、動物的な衝動しか姿を見せていない。 外的な規範・道徳を強化するということは、基本的にいえば、 「放っておいたら人間、何をするかわからない」という性悪説からきています。 もちろん、それには確かに一理あって、「動物的な衝動」しかない状態で、 外的な規範・道徳をなくしてしまうわけにはいかないわけで、 そこらへんが難しいんでしょうね。 そういえば、先日、古代中国の思想家の「荀子」を拾い読みしていて、 現実問題としてそうとらえざるをない部分はあるなあ、とか思ってました。 けれど、そういう発想だと、どこにも行けなくなるんですよね。 人間はみんな、そんなに馬鹿げた存在で、調教することでしか、 人間性を保つことはできないというのか・・・という嘆きだけしか残りません。 》それでは、人間が自由を獲得するにはどうしたらよいか?それは、倫理的目標を 》外部に因らず、自ら作り上げることによるのである。この、道徳を内部から 》生み出すために必要な力を、彼は倫理的想像力(モラーリッシュ・ファンタジー) 》と呼ぶ。 でてきましたね、倫理的想像力(^^)。 ちょうど、#0525の「シュタイナー「いか超」から学ぶ●18」で、 「勇気と大胆さ」という観点を紹介したところですけど、 それと非常に近い観点ですよね。 外的な評価や基準、強制ではなく、自らの責任において創造する倫理。 》  この倫理的想像力を持つ者だけが真に自由なのである。なぜなら人間は意 》  識的動機に即して行動すべきであるから。そしてもしその動機を自分で生 》  み出せない場合、彼はそれを外部の権威や、彼の内部で良心の声という形 》  態をとって語りかける因襲から与えてもらう羽目になるのだ。感覚的本能 》  にのみ身をゆだねる人間は獣のように行動する。自分の感覚的本能を他人 》  の思考の下に置く人間は自由を持たずに行動する。倫理的目標を自ら創り 》  出す人間であって初めて自由に行動していると言えるのだ。 GA5-p.86 「倫理的目標を自ら創り出す人間であって初めて自由に行動していると言える」 というこの「自由」、まさに自ら創造する「由」に従って行動することが いかに大切かということが、いかに等閑にされていることでしょうか。 わがままを自由だと勘違いする人がいます。 そのわがままは、「倫理的目標を自ら創り出」したものではなく、 欲望や衝動に引きずられるようなあり方にほかなりませんよね。 また、自分では何事も決められない人がいます。 決められないから、外的な基準に従って行動せざるをえません。 そのどちらも、「自由」とは反対を欲しているのだといっていいでしょう。 自由を欲しないこと、そのことこそ最重要の問題であると いっていいかもしれません。 》シュタイナーの考える「自由な人間」で重視されるのは、囚われのない心的 》態度から生まれて来たものである。それは、欲望や衝動といった低次元の動因に 》よるのではなく、意図や動機といった高次の生活動因によるのである。 仏教風にいえば、「執着」を離れた自在さを獲得しているといっていいでしょうね。 余談ですが、「自由」という日本語は、 たしか明治に入ってから、仏教用語から借用してつくられたらしいですね。 仏教ではどういう意味だったんでしょうか。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05275/05279 BXN01172 がねっしゅ RE^2:がねっしゅのシュタイナー教育論(続 (13) 97/01/08 00:46 05269へのコメント 》現在の私たちは得てして社会から与えられた戒めを道徳規範として崇めているにも》 か かわらず、それがなぜ重要であるのかはきちんと説明できない。そのように、》私たち は 頭の中に諸々の道徳規範を抱えながら、その身魂は低次の生活動因》(感覚的な要因か ら 来る動物的な衝動)に捕らわれてしまい、結果として自由を》失った行動しか取れな い。 >>外的な規範・道徳の根拠を「なぜ」と問っても、「そういうものだ」「そうなってい る」 >>としかいえないということですよね。だから、そういう規範・道徳に沿って行動して いれ >>ば自分の責任はないと思っているわけです。そういうのを、事勿れ主義ともいうので すが 「事勿れ主義」ですか。まさにそのとおりですね。 現在の学校で教わっている道徳、あるいはテレビ番組で流通している道徳というのは、 一つのめやすなんですよね。この社会の中で、自分(の社会的地位とか、そういった 外面的なもの)が迷子にならないように、標識のように書いてあるんですよね。 もっとも、標識には禁止事項しか書いてなくて、それを律義に守る人が 世間一般でいうところの敬謙なクリスチャン、とかになれるわけですね。 都会の所々に神社やお寺が建っていて(もちろん、それらの宗教を信じている 人にとってはこのうえないものですが、一般人についての例えですよ) お正月になったら、そこにお賽銭を投げ込むと御利益があるそうだし、みんなも やっているから初詣に行くか、と考えるような感じですかね。 とかなんとか言いながら、自分も随分悪口ですね(-_-;) こういうのも逆ルサンチマンとでもいうか、あまり気持ちよくないですね。やめます。 >>でてきましたね、倫理的想像力(^^)。 この言葉は難しすぎて、僕は実はぜんぜん理解してないんですよ。 何か大きな方向性を感じるのだけど、それがなんなのか... >>ちょうど、#0525の「シュタイナー「いか超」から学ぶ● >>18」で、「勇気と大胆さ」という観点を紹介したところですけど、それと非常に近い 観点 >>ですよね。外的な評価や基準、強制ではなく、自らの責任において創造する倫理。 うーん、そう言ってしまっていいのかどうかも分からないですね。僕には。 この倫理が、「自らの責任において」せねばならないのか、そもそも 倫理的想像力は倫理なのか。どちらかというと、想像力というものが さきにあって、それが何らかの形であらわれたものを、人が見て「倫理」と 名付けたのか。 なんで僕が、倫理的想像力という言葉をこんなに難しそうにしているかというと、 KAZEさんが「自らの責任において創造する倫理」と書いておられるわけですが、 果たして、創造するものなのか? 僕としてはどちらかというと、「想像」という言葉をあてて考えています。 --何かよくわからないけれど、自分の中にもやっとした感じというのがあって、 それに従って、みんなに向けて発信してみる。すると、みんなはこう評価する、 「そうだ、それこそ俺達が求めていたものだ」--というように。 ちょうどミヒャエル エンデが「モモ」を書き留めて、それを読んだ人間の中に ある共通した感情が生まれるのに似ていると思います。 うまく書けないぞ。(-_-;) 倫理的想像力というのは、僕の人生にとって宿題となるでしょう。 》シュタイナーの考える「自由な人間」で重視されるのは、囚われのない心的》態度か ら 生まれて来たものである。それは、欲望や衝動といった低次元の動因に》よるのではな く 、意図や動機といった高次の生活動因によるのである。 >>仏教風にいえば、「執着」を離れた自在さを獲得しているといっていいでしょうね。 そうですか。僕がシュタイナーで面白いなと思ったのは、この自在さ、自由というもの の 中心に道徳が存在するように予感するからなんですね。 一般に、道徳やお題目といったものが、人間の本能から離れたところにあるように 言われることがありますねシュタイナーを読んでいると、そうではなくって、 道徳と自由というものが同じ方向をむいていなければならない、と言っているように とれるんですよ。 >>余談ですが、「自由」という日本語は、たしか明治に入ってから、仏教用語から借用 して >>つくられたらしいですね。仏教ではどういう意味だったんでしょうか。 そうでしたか。明治まで「自由」というのがなかったというのも、凄いですね。 ただ、それなら、逆に、「自由の反対にあるもの」についても意識してなかったのかも 知れないですね。 すいません、よく分からないレスになってしまいました。 * * * がねっしゅ * * * 05274/05279 BXN01172 がねっしゅ がねっしゅのシュタイナー教育論(3) (13) 97/01/08 00:45 05263へのコメント 3.生活動因の諸段階  今挙げた行動の動因について、シュタイナーの言葉を用いて整理したい。 シュタイナーは、4つの段階に分けて説明している。 人間の人生(Leben. 訳本では「生活」となっている)の第一段階は、 (感覚器官を用いて)知覚することである。   ここでは我々は、感情や概念が間に入りこまずに、知覚が直接に意欲に転   化するような個人的生活の領分にいる。           GA4-p.157 ここで考慮されるような人間の起動力は、端的に衝動と呼ばれるものである。その衝動 の 特徴をなすものは、個々の知覚が意欲を呼び起こす際の直接性である。 人間生活の第二段階は、感情である。   外界の知覚には、特定の感情が結びついている。このような感情が、行動   を引き起こす原動力となることがある。私が飢えている人を見る時、その   人に対する私の同情が私の行動の起動力となることがある。このような感   情としては、例えば羞恥心、自負心、名誉心、謙遜、後悔、同情心、復讐   心、感謝、敬虔さ、誠実さ、愛情、義務感などが挙げられる。 GA4-p.157 生活の第三段階にやっと、思考と表象の働きがくる。ただ熟考するだけで、 表象や概念が、ある行動の動因となることがある。例えば表象が動因となるのは、 我々が人生の遍歴の中で、絶えず一定した意志の目録を、多少形の上で変更があっても 繰り返し生じてくる知覚に結びつけることによるのである。 従って経験が全くない人間でなければ、たえず特定の知覚に伴って、 自分が似たような場合に実行したか、実行するのを見たことがある行動の表象も 意識に現われてくるのである。この場合の意志の起動力を、我々は実際的経験と 呼ぶことができよう。 個人の生活の第四段階、すなわち最高の段階は、いかなる知覚内容をも顧慮しない 概念的な思考である。我々は概念の内容を、「観念的な領域から純粋な直観を通じて」 規定する。その場合、このような概念は差し当たり、いかなる知覚的な体験とも関係が ない。我々が直観の影響を受けて行動する時には、我々の行動の起動力となるのは、 純粋な思考なのである。哲学ではこのような純粋な思考能力を、理性と名付ける 習慣があるので、この段階で示された倫理的な起動力のことを、実践理性と呼んでも 差し支えないであろう。 シュタイナーの人間本性の考え方で重要になるのは、その、行動の動因が、 大きく分けて2つの方向を持つということである。 一方は意思に象徴されるように、実際の世界と直接関わる方向へと向かう力であり、 もう一方は思考のように、観念の世界からその動因を持ち出す方向である。 その基本的な力の四形態−意志・感情・思考・(章を改めて)直観−について これから説明する。 ・意志とは何か 意志は、行動の動因として直接現れてくるものである。それは始め、他の 行動要因とは関りを持たない、衝動という形で現れるが、魂の他の要素が現れるに つれて、その力がこの意志と結合して、高次のものとなり得る。 意志というもののやっかいな所は、それが本来の性質として眠っている点にある。 つまり、無意識の状態にあるのが、意志である。 そのため、この力は現代教育のうえで最も軽視されている。しかし、シュタイナーは この力を人間生活の最初の7年間を支配する力として、幼児期の教育で最も重要視 している。 だが、先にいったように、この力は眠り込んでおり、意識しておけるような性質の ものではない。例えば歩く時に、体内に蓄えられたエネルギーがどのように消耗される か を、自我によって意識化しなければならないとしたら、その体験は恐ろしいものに なったであろう。意志の領域は、自覚されないゆえに健全なのである。 それでは、この意志を教育するには、どうすればいいのであろうか?   意志は眠っていますので、皆さんは子どもに意志を直接働かせる方法を学   ばせることができません。 GA293-p.126 そのため、意思に対する教育では、人間の生活習慣の全体を見わたして教育する必要が ある。   毎日の子どもの習慣に働きかける時にのみ、皆さんは子どもの意志を、そ   れに関連して子どもの記憶力を、好ましい方向に発達させるのです。                               GA293-p.127 つまり、今日も明日も明後日も、子どもに同じことをさせ、なおかつ子どもがその 繰り返しを正しいと思えることで、子どもの意志を正しい方向に向けることができる。 これだけでは分かりにくいので、私が考えていることで補足する。 話は唐突だが、シュタイナーは、人間の心の中に「第二の人間(zweiten Menschen)」 がいると言う。   どんな人間の中にも、いわばその心の地下に、第二の人間が生きています。   この第二の人間の中にはより良い人間もいて、いつも二度目にはもっとう   まくやろう、と意図しているのです。ですから無意識的、潜在意識的に、   意図が常に低く鳴り響いているのです。          GA293-p.67 だとすれば、生活習慣というものは、この第二の人間の、意図する力を強化することに なろう。ここに、意志の原始的な形態である衝動が、より良い形態で働きかけようと 内的に働く力である意図へと昇華される可能性を見いだすことはできないか? 意志の教育は、感覚世界の中で生きる意志の力を、第二の人間の力=精神的な力を 使って働きかけることで、意図にまで昇華することを目標としている。だが、現代人 は、 「理性か欲望か」といった対立的な概念の否定的な方面としてしか、意志の力を認めて おらず、意志の力を高次の力によって鍛えるという発想が全くないため、 いくら知的に鍛えても、その「肉体は動物的」なのである。 ・思考とは何か 次に、思考について考えてみたい。思考というものは言うまでもなく、はっきりと 目覚めている。学問は知覚された現実を、私たちの思考によって把握され形成された 概念によって満たしていく。 このさい注意すべきは、学問において、単なる感覚存在が決して経験しない現実の 一面が、思考によって把握されることである。 私たちが感覚によって現実を知覚するとき、世界はただ「関連のない集合体として 私たちに現われてくる」。思考によって発見される理念は、世界に初めから存在する ものではない。人間の思考によって初めて発見されるのである。 その、知覚を通じて記憶された世界の中を歩いてみると、思考内容に出くわす。 つまり、   私達が本当の法則性、理念的な確実性を知るのは思考の中だけである。そ   れゆえ、その他の世界の法則性(これは世界自体からは得られない)もす   でに思考のうちに存在するに違いない GA2-p.51 従って、思考内容は客観性を持っている。 ここであなたは、「しかし、私達から見た思考は、主観的な特性を持っている ではないか」と問うかもしれない。しかし、それは反論には当たらない。 ここで問うているのは、「AとBとの特定の関係を決定するのは私達の主観的な 有機体組織ではなくて、AとBの内容そのものだけが決定的である」GA2-p.52と いう事である。私達はただその二つを結び付けるための場を提供しさえすれば良い。  だが、思考によって把握されたものは、有機的存在そのものを表しては「いない」。 思考によって知覚されるものは、ただ単なる像に過ぎない。こうした思考のあり方を 理解してもらうために、彼は次のような説明をしている。 −−−私たちが地面の上を歩くと、そこに足跡が残る。その足跡を見て、この地面の 下にある、何か特別の力が地面を動かして、この足跡を作ったと考える人はいないで あろう。私たちの肉体にも同様に、私たちの表象の外にある力が働いて、その表象を 動かすのだ、と。 GA305-p.40 私達の文化を支配している思考が、そうした表面的なものしか理解することが できないゆえに、シュタイナーは次のように言う。 今日の文化によって知ることができるのは、外側ばかりです。人びとは人 間の半分しか理解できないのです。GA293-p.163 この事については、後の章で詳しく述べる。 ・感情とは何か シュタイナーは、人間の魂(Seele)の働きを形象活動と表象活動の二つに分けている。 前者は生きた世界の認識活動であり、後者は死んだ世界の認識活動である。 そして彼は、形象活動の系列に属するものとして意志(Wollen)、共感(Sympathie)、 想像力(Phantasie)、直観(Imagination)を、表象活動の系列として認識(Erkennen)、 反感(Antipathie)、記憶(Gedachtnis)、概念(Begriff)を挙げる。GA293-p.163 そしてシュタイナーは、「感情は完全に成熟していない認識であり、 完全に成熟していない、押さえられた意志なのです。」と述べている。 それは、「感情が魂の働きの中で、認識と意志との中間に位置して、その本性を 両方向に作用させている」という感情の性格ゆえである。GA293-p.85 1997年1月7日 がねっしゅ #補足# 僕がシュタイナーを勉強し始めたとき、感情の働きと魂(Seele)の働きを 混同していた。そのため、シュタイナー教育に関してかなり曖昧な理解を していた。しかし、シュタイナーにとっては、よく「精神的」と 考えられている思考や、その逆にあるように捉えられがちな衝動 (意思や意欲、意図といった意味も含む広い意味でのもの)さえもが 魂の領域に関わるものだとしている点に注意して欲しい。 現代、もっとも高貴で精密なものとされている「思考」でさえも、 それは感情という深い淵の中にある中から取り出してきた上澄みなのである。 05272/05279 GGA02514 KAZE 反省できない人は権利だけを主張する (13) 97/01/08 00:34 05265へのコメント しまうまさん、どうも。 》 正直言って、「自分が本当にどうしたいのか」を知ることが、こんなに大変 》だとは想像してなかったです。 「自由」を獲得するには苦難が大きいわけです^^;。 今回の「いか超から学ぶ18」も、がねっしゅさんの「シュタイナー教育論」も 同じく、外的な規準を排し、自らが「由」を創造するということがテーマですが、 「評価がほしい」「ほめてほしい」「認めてほしい」「安心したい」「居着きたい」 とかいう状態からみずからを引き離すことが大前提になりますし、 従って外にはどこにも頼るものなどないのですから、これは厳しいです。 仏教なんかで、「無我」を説いたり、偽我を去るとかいうのも、本来は、 自分が自分だと思いこんでいる偽我が「執着」に沿って、 あれが欲しい、これが欲しくない、あれがしたい、これはしたくない・・・ とかいっているような状態を脱するためのものなのだと思います。 「虎」というのが、すっかりFARIONではポピュラーな用語になってますけど(^^)、 「虎」は、油断をするとすぐ「自分」になりすまして、 外的ななんらかのものに依存したような状態の自分を肯定しようとします。 その偽装はいわば何重にも巧妙に張り巡らされていますので、注意が必要です。 肝心なのは、「虎」は利用すべき乗り物であって、運転手ではないことを きちんと認識し、その違いに注意深くあることなのだと思います。 》 自分がやろうとしていることが、「自分の本当の本意でやりたいこと」なの 》かどうかはわからないにしても、最低限「自分はこういう理由でこうしようと 》思う」という自己確認は、常にとっておくことって大切ですね。 そうですね、そうすることができてはじめて、 自分のやっていることに対しての「責任」が明確になり、 またそれに対して、正しく「反省」という行為ができるわけです。 その反対に、自分が「なぜ」そういうことをしているのかわからず、 ただその都度の衝動のままに流されてやってしまっているとしたら、 そういう在り方では、「責任」をとれる人格が存在していませんから^^;、 何を「反省」していいかわからないのです。 けれど、そういう方にかぎって、「権利」を「主張」しようとするのだから まったくもって困ったものです^^;。 》 動機が自分でもよくわからないのに、問題行動として顕れる部分だけを修正 》することで、周囲の評価を得ようとするのが、いわゆる「対症療法」と呼ばれ 》るやり方なんでしょうね。動機(原因)となるものがわからない限り、そして 》それを自ら書き換えない限り、問題行動のほうは、一つ抑えても、手を変え品 》を変えして、次々と表面化してしまいますものね(実感)。 そうです、「反省」する主体が存在しないまま、 「虎」が御者に居座っているのですから、 それが気弱な虎ならば、「へい、こんどはこっちに行きましょうか」と言い 気の荒い虎ならば、「やかましい、文句あるんだったら勝負しろ」となります^^;。 》 『神智学』、今日買ってきました。横尾さんの装丁なんですね、この本。ま 》だ序論しか読んでおらず、しかもちゃと頭に入ってないのですが、何か気付い 》たことや、お尋ねしたいことが出てきたら、また書かせていただきますね。 正直いって、横尾さんの装丁はぼくにはどうも気に入らないのですが^^;、 内容は抜群ですので、ぜひじっくりと読んでみてください。 何でもけっこうですから、気軽に聞いてくださればと思います。 「こんなこと聞いてもいいのかなぁ」と思う必要がありませんので。 もちろん、わからないことは、大声で、わかりませ〜ん!と正直にいいます(^^)。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):|∞霊 的 体験|みんなの体験/経験発表 97/01/09 - 00016/00016 BYK00511 導 RE:波動 (14) 97/01/08 22:50 00015へのコメント 水戸黄門さんとお話するのは初めてかな。 私も昨年、初めてARION宛にコメント を書いて見事ふられました。 その後、やっぱり何か偉大なもの、自分を 包み込んでくれる大きなものというものに 憧れ、そういう存在に認めれれたいという 自分の欲望が生み出した妄想に話しかけて いたのだと知りました。 見事なARIONの切り返しでした。 貴方の妄想につきあっているほど暇じゃな いなどと見事です。 しかし、それじゃARION自身が妄想か というと、そうじゃないと今の私は感じて います。 子供の頃から神というものを常に身近に感 じていました。ARION自身は神ではな い宇宙神霊族と言われていますが、私にと ってはどちらでもよく、丁度魂の炎に吹き 込む風の様に、消えかけては蘇らせる風そ のものなのです。 私が常に身近に感じている神は、特別なも のでも、神秘なものでもなく、暖かな春の 日差しに咲くタンポポの香りのようなもの 。その香りの中には土のにおいも、冬の冷 たい氷の感触も、遠く流れる雲のわきいで る音も、ゆっくり満ちては欠ける月の艶や かな色も、すべて一瞬の香りに含まれてい るのです。 その香りを時に妻に感じ、時に仕事場の同 僚に感じ、又は時たま見つけた路傍の石に 感じ、己の魂の炎を逞しくするのです。 私はARIONという名にその響きにその 香りを感じております。 - FARION MES(18):|◆期間限定◆ |「アーリオーン・メッセージ」輪読 97/01/09 - 010/024 CQW02310 優位 表紙裏の写真について (18) 97/01/05 23:45 003へのコメント コメント数:1  SUKE さん、こんにちは。  こちらでも、よろしくお願いします。  ところで、恐らくどなたも指摘されていなかった事だと思うのですが、  表紙の裏の中矢さんのコメントの背後にある写真は一体何でしょう?  僕はもしかして「鷹かいな?」なんて思ったのですが、これにも、  I LOVE YOUの時と同じように、何等かの意味を含ませてあるのかなぁ  と思ってしまいました。ちなみに、裏表紙の裏は「炎」ですね。 97/01/05(日) 23:38 優位(CQW02310) 016/024 GBG02043 維/YUI RE:よろしくお願いします (18) 97/01/06 10:35 003へのコメント コメント数:1 おめでとうございます。 おもしろそうなので、ちょいちょい覗いてみようと思っています。 宇宙神霊が、”うつのかむひ”となっていたところ、私も見ました。 そのほうが、響きとして、とても優雅で日本語(ヤマトコトバ)らしくて、 嬉しくなってしまいました。(*^^*) やっと、ARIONさんが、 日本の神々とも関係あるって、納得いった気分です。 (^^;)アハハ 97/01/06(月) 02:25 維/YUI(GBG02043) 018/024 NBB01420 SUKE 「うつのかむひ」に (18) 97/01/06 22:16 016へのコメント #16 維/YUIさん、よろしくお願いします。 >>そのほうが、響きとして、とても優雅で日本語(ヤマトコトバ)らしくて、 なるほど、やまとことばですか。 言われてみると、確かに優雅ですね。 こういう感覚って、言われてみると分かるのに、一人で読んでいると見過ご してしまう、やっぱり皆で読んでみて感じるものってありますね。                             Suke.(^_-)☆ 012/024 PAG03134 はな 第1章 p.19-27 (18) 97/01/06 00:00 コメント数:1 (※は、私がつけた説明です)  『預言解読の鍵を握るもの−−「数字」』  預言が一見して意味が分かる表現になっておらず、さまざまな技巧により メッセージが隠されて、難解な表現になっているのは、 1)預言を目にするであろう多くの人々の意識が、預言の中に描かれた未来に  固定され、その実現を加速するのを避けるため。 2)複数の読み方が可能になる。  何通りもの読み方ができるのは、人間の自由意思による未来選択の可能性 があるためと、著者は指摘する。(p.20)  ※I LOVE YOUには、アリオンがみえる未来はあまり良くないことが記され   ていました。人類の種としての維持が難しくなっているとアリオンは言   っています。また、みれさんにアリオンがメッセージを伝えているのは、   人間の進化の切り替わりの時期だとも述べておられます。人間が望む方   向に進むために一番良い方法に気づいてもらうためにアリオンはメッセ   ージを送っていると。アリオン預言も、つきつめれば人間が望むべき方   向に進むための文章でもあるでしょう。  預言解釈後の行動は、人間にゆだねられている。預言を当たった、外れた と騒ぐよりも、事が起こった後に自分はどう行動するのか。いま何をするべ きなのかを自らに問い続ける努力が重要である。(p.21)  ※解読の難しさとして、数字が多く含まれた預言が列挙されます。(p.22)  預言解読を試みるものは数字を読まねばならない。それは、著者がアリオ ンから受け取ったメッセージに記されている。  「あなたがたは、数字を読みなさい。   日本の古来の方法で、カバラの知識と占星術の知恵を   明かりに、数字を読みなさい。」  著者は日本古来の方法として、数霊を例示する。(p.25)  カバラとは、ユダヤに伝承される神秘思想の最奥義をなす教えであり、壮 大なる秘義の体系である。(p.25) カバラはそれを受け取るのにふさわしい と長老が判断した弟子にのみ伝えられた。カバラの伝承は、カバラが「秘法」 であるため体伝や口伝により伝承を限定された。(p.26)  本書(アーリオーン・メッセージ)は、ユダヤの知恵であるカバラと中国 古文献の双方を参照して進められているという。(p.26)  冒頭に紹介したアリオン預言は「日本正史の発掘」と「真の日本の蘇生」 を目的としたものであると著者は指摘する。そしてその目的に達するために 「呪縛」を解かねばならないことが示される。(p.26)                       はな 019/024 NBB01420 SUKE RE:第1章 p.19-27 (18) 97/01/06 22:16 012へのコメント さて第1章の最初の2節ですね。 ここで一つ、実際に本を持っていない人にもと思って補足しますと、 ARIONのメッセージが難解である理由については、著者の考えです。 原文には「〜だろう」「〜と思われる」とありますから。 ここで僕が以前から思っていた事なんですが… 預言に限らずARIONの万人向けのメッセージは、時折難解です。その理 由は、読む人がその人の必要に応じて読みとるのではないかと。 例えば絵画などはそこから何を感じとるかが人によって様々ですよね。 科学論文は誰が読んでも同じ意味が伝わるように厳密な言葉で書かれますが、 心の話は誰にとっても同じものではあり得ない。 だから、ARIONが出す万人向けメッセージと言うのは、誰でも分かる訳 ではないところが難しい反面、誰にでもそれぞれも意味で通じる、非常に不 思議な文章なのではないか、と思うんです。 その意味では原文に >>本書における預言の解釈は、絶対的なものではなく、あくまで「現時点 >>で我々はこう読む」というものにすぎない、(P21) とあります。 === ARIONからのメッセージを読み解くには、数字を読み解かなければなら ない、僕は正直言って、最初面倒だなと思いました。それは数字の読み方を 全然知らないからですね。数霊についてもカバラについても、何も知りませ ん。 ですから、こうして知っている人が読み解いてくれるのは有り難いし楽なん ですが、本当は自分で読まないとダメなんですね。 と言うことで、自分で読んだもので無い場合は、僕は「だれそれの解釈だ」 と言う風に他人の意見であることを忘れないように気を付けています。                             Suke.(^_-)☆ 015/024 GBG02043 維/YUI RE:メッセージを解釈するのもいいけど (18) 97/01/06 10:35 002へのコメント 龍さん。こちらでも、どうぞよろしく。 >>そのメッセージを受け、自分はどう行動するのかということです。 >>単に解釈だけでなくそれを受けて自分はどうするかも発言してもら >>わないとあまりにも意味がない そうかもしれませんね。ここの進行役のSUKEさんとはなさんは、そのあたり わかっているんで、この先の流れがどうなっていくか、楽しみです。 私は結構、いままでに聖書やARIONさんの預言メッセージ、他人間の 書いた様々な本からも、生きていくのに有効とか、必要と思った事柄が あれば、少しずつですが実行しています。いくつかの会議室にときどき 書いたりしています。 預言だろうとなんだろうと、外から得た知識を自らの人生を通して活かす ことができて、はじめてそれは自分の智恵となるんでしょうからね。 自分はどうするか…っていうことの一番はじめ…として、預言を読んでいて それが自分の生きている現在において、どういうものとして現れていると 思ったかとか、その思えたことをしかと認識することがありますね。 まずは、そんなところからでも書き始め、ではどうするか…に発展すると 結構いい方向にいけるんではないかと思います。 龍さんは、いままで何年かここのフォーラムに参加してきて、「これだ!」と 思ったことなど、ありますか? 97/01/06(月) 02:08 維/YUI(GBG02043) 021/024 PAG03134 はな 第1章 pp.27-33 (18) 97/01/07 23:37 タイトル:古代日本を訪れた部族−−アマ族の謎  預言解読のストーリーで主役となるのがアマ族(AMA族)である。 アリオンによれば、アマ族とは「人類の進化を促し、真の繁栄に導く ことを目的として、紀元前3〜2世紀にパミール高原を旅だった部族 である。」とされる。もっぱらモンゴル系の人種として知られるアマ 族は、日本にもその末裔が残っている。(p.27)  アマ族のうち2部族はパミール高原を出発して、終着地を日本とし ていた。2部族はユーラシア大陸の海路側と陸路側に別れていた。最 初に日本に到着したのは陸路を進んだアマ族であり、日向地方に国家 を作り上げた。陸を進んで日本に到着したこの部族を「日向族」とす る。(p.31)  海路側を通った部族は出雲に到着した。こちらの部族の族長はスサ ノオの曾祖父と父親であった。出雲族からは、大和を治めたニギハヤ ヒも出生している。こちらを「出雲族」と呼ぶ。(p.31)  出雲族は王位継承権である「十種の神宝(とくさのかんだから)持 っていた。パミール高原を出発するときに、出雲族と日向族は、日本 で落ち合った後、一致協力して日本を治め、人類の進化と文化の隆盛 を促す役割があった。しかし、王位継承権がなかった日向族は、出雲 族との日本を治めることを拒否した。(p.31)  日向の拒絶にあった出雲族は、日向族制覇にのりだす。日向族には 日本書紀でおなじみのイザナギ・イザナミがおり、両者の間には娘の アマテラスがいた。イザナギ・イザナミは出雲族との衝突をおそれ、 娘のアマテラスをスサノオに妻として差し出した。(p.31)  しかし、アマテラスの義弟はスサノオとアマテラスの結婚を反対し、 「もし婚礼を行うなら呪術によって後世までたたるような呪縛をかけ る」と人々を脅す。彼らの脅しにも関わらず、スサノオとアマテラス の婚姻がなされ、アマテラスの義弟らは日本各地を封印してまわった。 封印の影響は日本の歴史にみられる「二分された勢力による対立構造」 にみることができる。(p.32)  日本の力を十分に発揮するには、アマテラスの義弟が施した封印を 解かねばならない。(p.33) (コメント)  ※この節ではアマ族について説明があり、アマ族のうち2部族に焦   点をあてて解説しています。この2部族が日向族と出雲族であり、   歴史上神様とされたアマテラス、スサノオ、イザナギ・イザナミ   も、実在の人物としてアマ族の中におりました。  ※「十種の神宝」とは聞き慣れない言葉だと思います。十種の神宝   は、スサノオが大和を手中に収めたかったときに、スサノオの第   5子であるニギハヤヒを大和に送る際に、スサノオが全権をニギ   ハヤヒに託す意味で送られた。十種の神宝がニギハヤヒに渡され   たのは、スサノオから皇位を継承されたことを意味します。つま   り、日本の初代天皇にふさわしい人物が、出雲族出身のニギハヤ   ヒなのです。残念ながら、ニギハヤヒについては古文書という古   文書から削除されています。                       はな