「時の神はどちらかの舞台に幕を降ろす様に言った」と天使。 - FARION MES( 3):|φメディア情報|本・映画・音楽を語る 97/01/13 - 01515/01515 QZK10256 マQ RE^2:ARIONの新刊書発売! ( 3) 97/01/13 12:50 01490へのコメント SUKEさん、こんにちは。 そしてみなさま、こんにちは。 > FARIONの事も紹介されていましたので、これを読んでFARIONに来てくれる人が > いるかも知れないなぁとも思います。 σ(^^) ここにいました。はじめまして。 きのう、たまたま立ち寄った本屋で、めずらしく立ち読みなどしていましたら、 この本に引かれて読んでしまいました。そこで、世紀末フォーラムの中身を知り、 家に戻るとすぐ、登録した次第です。 このフォーラムの名前は以前から知っていましたが、名前が雑誌「ムー」っぽく、 敬遠していました。(ムーはコドモのころ好きだったけど。)こういうフォーラム だと知っていたら、入会はもっと早かったのに、という気持ちでしょうか。 何事にも偶然というものはない、という立場からみると、この本が引き付ける 磁場をもっていたのでしょうね。 ちなみに、最初に立ち読みしていた本は、あのシュタイナー先生が本物だと お墨付きをつけた、という霊界通信の本「天界からの音楽(メッセージ)」 (イザラ書房刊)です。それで、その本の中の祈りのことばがとても気に入って、 結局そちらを求めて、アーリオーン師のご本は置いてきてしまった(^^;) それでも、あらためて輪読欄を読ませていただいていると、これは買わねば、 という気持ちになって来ました。 一通り会議室を斜め読みして、どこに参加していいのかわからないので、 しばらくはROMになるかもしれません。(と、いいながら自己紹介はしてる じゃないか(^^;))輪読会あたりが参加しやすいかなー、と考えてはいます。 ROMしながら、徐々にこの会議室の雰囲気になじんでいければ、と 思います。どうぞよろしく、お願いいたしますm(_ _)m。 97/01/13(月) 11:53 マQ(QZK10256) - FARION MES( 4):*********** カベ (Wall) *************** 97/01/13 - 00105/00113 QZY01267 猫の手 悪とは何か ( 4) 97/01/10 07:04 コメント数:2  『悪』  それは、  平和を乱す者としてのイメージがある。    しかして、  『平和』とはなんだろう?    『平和』って  平穏無事って言うことを指すんですか?  なんにもないことを言うんですか?  だとしたら『平和』なんて糞喰らえだね。    『悪』の行為もね、  『幸せ』を求めての行為なの。  平穏無事、何もないということを、  幸せだと思わないから、  『悪』が生まれるということを  知っている必要あるね。    この宇宙の創造主はね、  『ルシエル』にその自分と同じだけの力を与えたんだよ。  そのこと忘れちゃいけないよ。  にもかかわらず、  あなたはその『悪』に抵抗しようとしてる。  この宇宙の創造主と同じだけの力を持っている者に  抵抗しようとしてる。  そもそもそれが無駄だということに  いまだ気づかない。    『悪』も幸せを求めてのことだっていうことは  あなたも知っているはずでしょ。    元々『悪』というものは、  抵抗を生み出すということなんだから。  何にもない世界なんてつまらない。  何も起こらない世界なんてつまらない。  そこに抵抗があることで、  この世界に変化が生まれ、  この世界に喜びがある。  あまりに抵抗が大きく成っちゃうと、  それは辛く成っちゃうけどね。  『堕落』っていうのは、  神の力を疑うっていうこと。  『悪魔』はね、  神の力を信じることできず、  堕ちちゃった天使、  神がそれを起こすこと信じることできず、  誰かを裁いてみたり、  何かすることをためらってみたり、  自分の『幸せ』という感覚と、  反対のことをしてしまう力。  自らそれを無理に引き寄せようとする力。  もし、楽になりたいと思ったら、  今ある流れに『サレンダー』  ここにある流れに『サレンダー』  疲れたら、抵抗しないこと。  楽しみたかったなら、  ちょっと味を加えればそれで良い。  そのこと意識してごらん。    『悪』はいつもあなたと共にある。  その『悪』を嫌って抵抗するか、  それを喜びに換えるかは  あなた次第なの。    あなたはいったいどうします?       ** QZY01267/『猫の手』 <01/04 12:39> ** 00110/00113 NBB01420 SUKE RE:悪とは何か ( 4) 97/01/11 17:34 00105へのコメント #105 猫の手さん、こんにちは。 またまた雑談的に言いたいことを書いちゃいます。 >> この宇宙の創造主はね、 >> 『ルシエル』にその自分と同じだけの力を与えたんだよ。 >> そのこと忘れちゃいけないよ。 ルシエルってルシフェルの事でしょうか? ルシフェルとは天使の名前だと思いましたが、宇宙の創造主を所謂「神」と すれば、神と天使の力が同じと言うのは変では? >> にもかかわらず、 >> あなたはその『悪』に抵抗しようとしてる。 >> この宇宙の創造主と同じだけの力を持っている者に >> 抵抗しようとしてる。 >> そもそもそれが無駄だということに >> いまだ気づかない。 猫の手さんはすなわち「悪に抵抗するのは無駄だ」と言いたい訳ですね〜? >> 『悪』も幸せを求めてのことだっていうことは >> あなたも知っているはずでしょ。 うーん、危険な発想ではないかと思います、こういうのは。 悪とは悪をのみ求めるから悪なのですから。 幸せなんて求めるのは悪とは言えない…と思っていました。 こういう風に何でも「あなたをわかってあげます」的な発想は、悪意を持っ た人間の我儘を甘やかす時もあって、そういうのは逆効果じゃないかなぁと 思ったりして…。 >> 『悪魔』はね、 >> 神の力を信じることできず、 >> 堕ちちゃった天使、 そうとも限らないらしいですが(^^;)そのあたりは人が知ったかぶりをする 問題ではないと思うのですが。わからないよ、神界のことなんて(^_^;) 悪が身近にあることは僕も同じ意見ですが、そこに何でもござれ的な発想で 甘やかりを持ち込むのは危険だと思うんですよね〜。                             Suke.(^_-)☆ 00111/00113 CYF03422 ガスキー RE:悪とは何か ( 4) 97/01/12 16:14 00105へのコメント  猫の手さん、初めまして、ガスキーです。 ちょいレスです。 #00105> 今、この詩を読んでいて、ふっと思ったのですが     悪→不満   平和→満足   と言葉を入れ替えてみても意味は 同じようなイメージを持ちますね?  なぜなのか? ちょっと疑問を持ちました。 CYF03422 ガスキーでした。 97/1/12 (日) 00108/00113 JAG04260 満天星 MES19/#1210 を巡って(1) ( 4) 97/01/10 21:35 00067へのコメント (#67 の続きです) 猫の手さん こんばんは. お待たせをしました. 今日はまず, [旧 MES 19] #1208 の書込み時およびその後における私の 判断についてお話しします. #1208 は, その直前の #1205 と #1206 を読んで, それに対する助言と して書いたものです.(#1204 までの数箇月分の発言を, いまも私は読 んでおりません.) 猫の手さんの #1205 と #1206 の「訴え」を読んで, 私は「うつ病」ま たは「うつ病傾向」(私の定義では, うつ病に移行する可能性がある状 態を言います)にある人に対する場合の対応のしかたで #1208 を書き ました. 猫の手さんをうつ病傾向等と判断したのではなくて, その可能 性もあると判断したからです. ご存じの方も少なくはないと思いますが, うつ病(うつ病傾向を含む. 以下同様)の人に対する接し方には決まりがあります. それは,「がん ばれ」とか「しっかり」といった, 叱咤激励はもちろんのこと, ごく軽 い励ましの言葉なども禁句であること(言うと病状が悪化する). そし て, ただひたすら,「大変だねぇ」というような同情的な言葉で, 当人 の言うことをよく聞いて, 受け入れてあげなければならないということ です. 上記は, うつ病の場合だけではなく, その「可能性がある」人に対する 対応のセオリーであり(これは, つまり fail-safe ということ), 私 が「まちがっても“励まし”の類のことを言うわけがない」というのは, この故です. #1208 を書込んだ後のことについてですが, 本当にもう 1 日くらいの うちに, 猫の手さんがうつ病またはうつ病傾向にはほぼ絶対にない旨の 判定ができたので, 私は上記のような対応から, 対応のしかたを大きく 転換しました.(なぜそのように判定し得るのかということについては, 補足として少し説明しようかと当初は思っておりましたが, いまは必要 ないように思われますので, 省略します.) 転換後の私の考えは, 猫の手さんに対しては, 相当に厳しい言い方をし ても問題ない, というものです. 次に, 大問題であると私が言ったところの, 私の [旧 MES 19] #1208 発言をめぐってのお話ですが, 私の #25 (新 MES 5) 発言に対して, 猫 の手さんの #42 のお答えが返ってきたのにつきましては, 正直申しま して, かなり驚きました. #42 の後半(#25 に対する回答)を文面どおりに受取るならば, 猫の手 さんは,(自分の行動や心を見つめることのみならず), ご自身の外部 に存在する文書などについても, 猫の手さん固有の(特殊・個人的な) 状況に 100%引寄せた見方・やり方でしか解釈をすることができない, わずかばかりでも「客観的な」見方でものごとを見たり解釈したりする ことはできないのであると, 考えるしかないと思われます. 私は, #1208 発言に対する猫の手さんの捉え方についての問題をまず片 付けようと考えておりましたが, 最早この問題は片付けられぬままに, この問題についてのお話を終了して, 先へ進みたいと思います. これからは, 猫の手さんからは客観的な考えの類ではなく, まさに猫の 手さんの主観−−主観的な思いや考えを伺っていこうと, 私は考えてい ます. さて, [旧 MES 19] #1205 以下の猫の手さんの書込みには, 所々に猫の 手さんの心のありようについて窺わせる記述が含まれていて, それらは 私の興味を誘うものです. その中でもいちばん特徴的なものは [旧 MES 19] #1210 です. #1210 には, 全体として, 少々不可解な印象を与えるものがありますが, その不可解さは何によるのでしょうか? #1210 発言には, 2 つの文脈が交錯して現れているように思います. 文脈の 1 つは, 直接, 私 (満天星) に対して向けられている言葉です. (あるいは, 旧会議室の読者一般に向けられている言葉といってもよい でしょう.) モノローグ調の部分を含め, 一応大部分はこれに含まれる と思います. では, もう 1 つの文脈とは何でしょうか? >>  小さな赤ん坊が欲しいのは、 >>  あなたの笑顔なの。 >> [ 自分がダメだと思われることで >>  不幸な顔をされるから、 >>  できないことも >>  無理して頑張ってるの。   ] >>   >>  そんな子どもに笑顔を与えず、 >>  おもちゃなんかを与えて、 >>  そちらに目を逸らさせて、 >>  愛を与えた気になって、 >>  とんでもないよ。 私が注目しているのは上記の部分です. []は私が付けた印ですが, この角括弧で括った部分は, 現在の猫の手 さんの状況を説明したものと, 一応思われます.(別のいろいろな解釈 も可能ですが.) []で括った部分を除いた 7 行(空白行を除く)は, では何でしょう か? 猫の手さんの意識では, これは「比喩」として書かれたのだろうと思い ます. しかし, 私は, これは単なる比喩ではなく, ここには猫の手さんの幼児 期(あるいは乳児期までも含む)の記憶が反映されているものと考えて います. それも, 象徴とかではなくて, ほとんどストレートにそれが表 現されているように思われるものです. つまり, #1210 発言の内に認められるもう 1 つの文脈とは, 猫の手さ んの意識の支配を受けない, 心のより深いところから発せられている言 葉が表面に現れているものであるのだと言えるでしょう. 「赤ちゃん」,「赤ん坊」云々という表現は, #1210 のほかに, [旧 MES 19] #1222, それに最近の #71 にもありますね. それらは, まあ比喩に は違いないけれど, 猫の手さんのお好きな表現なのでしょう. そこで, と言いましても, 着目していただきたいのは, 引用したところ の #1210 の言葉なのですが, ご自分ではこの内容について, どのよう に思われますか? (具体性に乏しい質問ではありますが, まずは自由 に語られるところを伺ってみたいと思います.)                              満天星 00109/00113 QZE03111 こむ ガキのプライド ( 4) 97/01/11 08:04 コメント数:1  ああいえばこういい、とにかく相手より優位に立つことしか考えない。  自分の非は棚に上げ、相手の非は、罠にはめてでも作り上げ徹底的に攻撃す る。  形勢が悪くなると、反省する代わりに開き直る。  自分が間違っていることを認めるくらいならいっそ追い出された方がよかろ う。それがガキのプライド。  他人に甘えることでしか他人と関われない、ガキのコミュニケーション。       *****こむ より***** 00112/00113 SGQ02661 龍 RE:ガキのプライド ( 4) 97/01/12 21:30 00109へのコメント  それは誰のことですか?もし私でしたら該当発言にコメントを  付けて発言して下さい。   以上            龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 00113/00113 SGQ02661 龍 おかしなこと ( 4) 97/01/13 11:25 今日、朝起きたら、TV・オーディオ・パソコンの 電源が付いたままだった。  普通は電気がもったいないんでそれらの機器の電源は 消すんだけど、今回は全部付いてた。  さらにパソコンでRTした記憶もないのに、RTを してるログも残ってる。2回だけ発言して落ちてるの だけどその発言すら記憶にない。  RTしててそのまま寝てしまうのならこたつで寝てる はずが、布団にしっかりはいって寝てる?  なんか不思議なことばかりであっけにとられてます (PS:痴呆症の老人が夜中町を徘徊するような感じで    なんか不気味です<σ(・_・))   以上         龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ - FARION MES( 5):|ψARION 関連 |日本正史・真実発掘 97/01/13 - 00021/00023 QVF00676 苗(miao) RE:表演が苦手なんです。 ( 5) 97/01/10 11:44 00020へのコメント  あとみさん、こんにちわ。宜しくお願いします。  こちらにお邪魔してよろしいでしょうか、みなさまの話しの隅にでも置かせて下  さると嬉しいです。今はちょっと緊張しています。  ええと、表演はだいたいに大会に向けて作られたカリキュラムに添ってあるもの  です。だから型の正確さから始まって、時間、動作の流れなど、事細かく微に入  り細に渡ってマニュアル化されていて、それに基づき点数が決められるんです。  だから複数の表演を同時にビデオ等で流して比較検討する事も出来ると思います。  私は別に八極拳の表演を見た訳ではないですが同じように八極拳にも表演用の型  はあると認識しています。そうしなければ多くの人間が同じ基準で点数を競う事  は出来ないですから、表演とはそうした事だと思います。その意味では私が表演  したらまず基準には満たないわ、とう路は違うわ、0点は間違いなし、ですね。  だからと言ってこの型がダメと言うものでは無いです。日本人はこうした基準以  外は無能と決める所に問題があるのですが…。  元々中国武術は本場中国でさえ1人一派と言われる程に多様性を含んでいて、こ  れが原因で武術大会をする基準値が決めにくいという理由がありました。日本に  愛好者が増えるにしたがい、こうした事に決着を付ける意味でもマニュアル化は  急速に進みました。ここほんの10年ばかりの出来事です。ですから、中国から  日本に来る武術家もピンキリで自分の出会う師匠がどれ程の実力なのか、それが  大きな問題になります。ただ、名前が通っているからという理由だけで安易に飛  びつくのも或いは自己の問題を直視できない別な問題点がある事を認識すべきで  もありますが、今の現状では、特に「ステイタスシンボル」好きな気風を抱えた  日本では難しい事です。それに「気」という摩訶不思議なものが先だって流布し  た為に誤解している人がほとんどです。  私の住むすぐ近くには総合の大会連覇を飾るという某渡辺さん(某になってない  ?(^^;)がお住まいで、時々には連絡も頂いて寄せて貰う事もあります。私に表  演型の24式を習いなさいとしきりに誘って下さるのでありがたいのですが、実  際はそこまで時間が無くて、(そりゃ自分の運営する教室で手一杯ですから)今  は断念しています。そのうち時間が出来れば行って習うかも知れません。そもそ  も太極拳は太極拳連盟が直轄していて、そこで習わないのは太極拳ではありませ  ん…等という妙な風潮があるんです。だから各教室では(ここだけの話しとは言  え暗黙のご了解)縄張りもあるんです。わたしそういうのダメです…ドロドロし  ていて。渡辺さんもそうした理由からか余り街には出られず田舎で指導される事  が多いです。それだから私も一緒に練功出来れば…と思うところですけどね。  発勁は勁を流す事が解らないと前には進めない。勁は気と筋肉の五分五分のバラ  ンスで作られます。未だコントロールの難しいものなので、思う通りには出来な  い事が多いですが、それでも功夫を積み次第にうまくなれるのがとても嬉しいん  です。実はわたしもあとみさんと同じように24式でストレスが溜まってしまう  1人だったんです。あの流しても流しても丹田に下ろしてまたグルグル回る感触  に、ええい!面倒だい!ってもんで、思わず吐き出してしまいたかった、という  のが本音なんです。ええい…くそ!じれったい!…という感じです。ははは…、  ちとお恥ずかしい…。でも、今はどちらかと言うと24式で龍と玉を使って遊ぶ  という雰囲気でやっています。  気に関しては気功をする事で克服しました、この辺りは詳しく漢方フォーラムに  も書いてありますが、解る事で在ればここにも書きますので宜しくお願いします。  発勁はやはり八極拳を習ってみて初めて解りました。八極拳で一番解り易いと言  えば震脚ですが、うっかりすると足を痛めるので指導者は必ず必要です。八極拳  も他聞に漏れず流派があって案外それぞれなんです。でも、確かにストレスの解  消にはお薦めですね。近くに教室があれば良いですが、見るだけでも結構勉強に  なりますよ。大会があるなら行って見られると良いのでは?。   文有太極安天下   武有八極定乾坤  この言葉は私の大事な目標であり生涯の命の綱です。老師が別れ際に私に下さっ  た口訣なんです。そういえば他の方に話すのはこれが始めてです。何ていうか、  これが理解出来る方に初めて会った様な気がするので…とても嬉しい。別に八極  拳をしている事が条件なのではありませんで、あとみさんなら理解の範囲と思い  ました。実際太極拳と八極拳の両面話しの出来る人は余りいないですから。  太極拳はこの口訣の通り理論が大事なんです。本当は同列に演武できなければ何  にもなりませんが、ここは一端置いて…。理論は人を向上させる知識の元です。  知識として太極を理解し、更に武術の八極が理解でき実践できた時、初めてこれ  を文武両道と言います。本当に宇宙と自分の生き方を問う有り体そのものなんで  す。  しかし、何か勝手に長々と話してしまった様で失礼しました。これから書籍(中  国の原書)の翻訳をしなければならないので、また、いずれ時間を割いてお話し  しましょう。  では。 *~゚ miao qigong * wushu taiji quan jiangshi ゚~* QVF00676@niftyserve.or.jp 00022/00023 VZP03357 樹 聖徳太子の秘密? ( 5) 97/01/13 00:30 コメント数:1 はじめまして、樹(ミキ)と、いいます。 こんにちは。 ずっとROMばかりしていましたが、面白いことを知ったので、少し書いてみたい と思います。 このあいだ国宝の本を見ていたら聖徳太子の刀というのが、四天王寺に伝わってい るそうです。 以前AMA族談義で、 < さて実は、聖徳太子に関するARION情報は殆ど無く、『AMA族の系 <譜』でも詳しくは触れられていないのであるが、数年前にRTでARION <に聞く機会があり、その時に「聖徳太子は渡来人か?」と質問したところ、 <「そうでは無い」「四天王寺に聖徳太子の秘密の一部が隠されている」とい <う返事があった。今のところそれだけであるが、聖徳太子に関する検証は続 <けて行きたいと思う。 ・・・・・ という話がありましたね。 で、その聖徳太子の刀なのですが、2本あって1本は、丙子椒林剣、もう1本 は、七星剣というものでした。 七星剣という刀には、刀身に七星、三星、竜頭、雲形が、彫られていました。 まだ、それがARIONのいう秘密と関係あるかどうかは、わかりませんが 少し気になるので、RESしてみました。 樹(VZP03357) 00023/00023 CQE07040 ISE RE:聖徳太子の秘密? ( 5) 97/01/13 02:06 00022へのコメント 樹さん はじめまして。 <このあいだ国宝の本を見ていたら聖徳太子の刀というのが、四天王寺に伝わって< いるそうです。 なるほど、ARIONの示唆する四天王寺と聖徳太子の関係とは剣のことかも しれませんね。四天王寺はあまり聖徳太子とは関係は薄いように思われますし。 でも、聖徳太子はには剣というイメージが結び付かないですね。 太子は7世紀始め、氏姓制(カースト)を打開して人間を徳と能力によって 評価するために仏教を日本に取り入れました。 「生き仏」と後世で評される太子には「剣」という戦闘的なイメージが無い様に 思います。 しかし太子には「剣」のイメージがつきまとっているんですね。 教科書などでよく見る、阿佐太子作「聖徳太子および二王子像」では異様に 長大な剣を腰にぶら下げてますし、法隆寺の釈迦仏、阿弥陀仏の指の形が、 他に例のない半刀剣印(小指と薬指を半分曲げ、人差し指と中指を伸ばす形) になっているのも興味深い示唆なんですね。なぜ完全に刀剣印にしなかったのか。 TAOさんはキリストと太子の類似にも注目してましたけど、キリスト同様 太子の謎は凄く深いですね。 ISE - FARION MES( 6):|ψARION 関連 |メッセージから学ぶ 97/01/13 - 02166/02203 NBB01420 SUKE RE:真に優れた指導者 ( 6) 97/01/09 23:30 02152へのコメント コメント数:1 #2152 しまうまさん、こんばんは。 >> ところでSUKEさんは、天使に「あなたのところまで行きます」と告げる気概 >>をお持ちですか? ぜひとも教えてくださいませm(__)m。 実は、そう言ってみたいなぁと思って書き込んだのでした(^_^;) でも、連日のハローメッセージを読み直すと、今は何も言うなみたいな事を 先に言われていたんですね(^_^;) ところで、僕自身は「行きます」と言うより「行きたい」と言うのが正確な ところでした。行けると約束出来る程、うぬぼれたくはないんですね。それ に、行けるとしてもあと何回生きれば行けるか、と言うオーダーでしょうか ら、とても口に出して言える程生やさしいものではないことは想像出来ます。 それからもう一つは、ARIONは以前、ARION自身は目標点ではなく 通過点だと言うような事を言っていたと思います。ですから、到達すること を目的に持ってしまうと言うのも浅はかかなと思いますし。 そういうことを色々と思い浮かべてしまって先に進めなくなるのも何だかなぁ なので(^_^;) 中途半端みたいですが、僕は天使が去って行く時に何か言うとしたら、「い つかまたお会いしましょう」かな。 ところで、ARIONは遍在していると言うのだから、僕らは今でも会ってい る訳ですね(^_^;) ここで言うのはそう言う会い方では無いのでしょうね。                              Suke.(^_-)☆ PS:そういえば僕は中学生くらいのころに、家にあった百科事典の綺麗な星  雲の写真を沢山眺めながら、いつかそこに行ってやるぞぉと心の中で話し  かけていたものです。 02170/02203 KFQ02761 しまうま 今日のHM(97/01/10) ( 6) 97/01/10 00:43 コメント数:2 |97/01/09 「林檎の樹は人の前に茂り、人は林檎の果実を再び手にした」天使 |97/01/10 「私は、暫しの間、どちらの舞台の幕も引かずに置こう」と天使  これを読む限りでは、「舞台の幕」を引くのは天使であるようですね。 |96/12/18 「あなたがたがどう生きるのか、私達はどちらの幕を引くのか」  と言うHMもありましたが、ここでも「幕を引く」のは「私達」すなわち天 使として書かれています。  「どちら」と言うからには、2つの舞台があるのでしょうが、これってどん な舞台なんでしょうね?  1月9日、10日のHMの話の流れで行けば、「人が林檎を活かす舞台」と 「人が林檎を殺す舞台」なのかな?と思いました。  天使は当然「林檎を活かす」ほうを望んでいるのでしょうが、それでも「幕 を引かずに置」く、ということは、最終的な判断を人の手に委ねる、というこ となのかもしれません。  しかし、それも「暫しの間」だけ。天使が焚き火民と語らうことを決めたと きも「暫しの間」でしたから、この「暫し」もまた半日前後の時間経過なのか もしれませんね。  はてさて、実際に幕が引かれるのは、どちらの舞台なのでしょうか?         しまうま(KFQ02761) 02174/02203 NBB01420 SUKE 幕を引くは終わりの意味か? ( 6) 97/01/10 21:27 02170へのコメント コメント数:1 #2170 しまうまさん、こんにちは。 舞台で言えば幕を閉じるとか言いますが、物語でも幕を引くと言うの終わり の意味ではなかったかと思い立ちました。 と言うことは、ふたつの何かがあって、どちらかを終わらせると言う意味な んでしょうか。 ちょっと思いついただけなんですが(^^;)                             Suke.(^_-)☆ 02178/02203 KFQ02761 しまうま RE:幕を引くは終わりの意味か? ( 6) 97/01/11 07:10 02174へのコメント #02174 SUKEさん  こんにちは(^^)。コメントどうもですm(__)m。  確かに「幕を引く」には「事が終わりになる、事を終える」という意味があ りました。天使が言っているのも、きっとそういう意味なんでしょうね。  舞台で閉じられる幕は「引幕(ヒキマク)」と呼ばれるそうで、これもやっぱり 「幕を引く」ですね。  幕をバクと読めば、「幕府」「幕僚本部」のような意味もあるようです。 「幕を引く」には、何かを統治する2つの流れのうちの1つを終わらせる」と いう意味もあるのかな?と思いました。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 02175/02203 PAG03134 はな 幕を引く天使 ( 6) 97/01/10 21:54 02170へのコメント コメント数:1 しまうま さん  こちらの会議室にはご無沙汰しております。 >>|97/01/10 「私は、暫しの間、どちらの舞台の幕も引かずに置こう」と天使 >> >> これを読む限りでは、「舞台の幕」を引くのは天使であるようですね。  8番会議室で、預言解読的にハローを読んで、括りの年と舞台の幕を関連づ けてみました。そこでも少し触れましたように、本番の年は皆が舞台の上に立 っていました。本番の年96年の演台が97年には終わるのが今年だと感じました。  アリオンのメッセージにはアリオンが自ら掟を括るとありましたから、括る =閉じる=幕を引く、のはやっぱり天使だと思います。                       はな 02185/02203 NBB01420 SUKE おお! 初登場! ( 6) 97/01/11 21:47 コメント数:1 別の天使が出てきましたね! 初登場だ! しかし、考えてみれば天使が一人っきりだとは今までどこにも書いていなかっ たし、こういうのを意外に思ってしまうところに、先入観がありましたね(^_^;)       #2183=コメント先まちがいちったぜ…  Suke.m(__;)mゴメンナサイ 02190/02203 KFQ02761 しまうま HMの読み方? ( 6) 97/01/12 04:11  過去のARIONの発言の中に、今続いている一連のHMの“読み方”に、 一脈通じるというか、何か参考になるのではないか、と思われる一文がありま したので、引用・掲載させていただきますm(__)m。 ====================================================================== |そもそも、何故私が「暗喩」などという方法を用いたのか?と |疑問に思われる節もあるだろう。 | |そのことに直接答えるのでは無いが、関連する言葉の連なりを以下に記しておく。 |以下の言葉の連なりから、私の意図を汲んで貰えれば有り難い。 |しかし、これは謎解きでは無いのだから、あれこれ解読を試みる必要は無い。 |解読を試みてはならない、と言っているのでも無い。 |この意味について問われても、私は答えないだろう。 |ただ、私の一連の言葉の連なり、そして文章をよく読んで欲しい。 | |私は、あなたの心の声を聞くだろう。 |そして、私はあなたの良心を信じる。 | |ただ、胸に言葉を観じて心の鏡に映してみれば、それで良いのだよ。                 (94/05/07 「ARIONより英雄へ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #29 HGC02325 ARION02H.LZH 世紀末書込み寺 #2001-2300 より ======================================================================  この文章に続いて、ARIONは3つのエピソードを紹介してくれています。  長くなるのでここでは全文引用は避けますが、いずれも「なんとなくわかる ような気がするけど、意味を説明しろと言われるとよくわからない」という感 じのエピソードです(ちなみに、この会議室の#02033では、ばかままさんが 「エピソード・2」をご紹介してくださっています)。  ARIONは、「これは謎解きでは無いのだから、あれこれ解読を試みる必 要は無い。解読を試みてはならない、と言っているのでも無い」「ただ、胸に 言葉を観じて心の鏡に映してみれば、それで良いのだよ」と言っています。  これって、HMを読むときの心構えとしても、通用しそうな気がするのです が、どんなものでしょう。  また、上記の発言の中の「エピソード・3」には、HMの焚き火の話に関連 がありそうな単語も含まれています。 ====================================================================== |        回り回る回転灯篭。 |        光と影の瞬間絵巻。 | |        巡り巡る時の輪車。 |        映し映され、夢朧(オボロ)。 | |        やがては明けゆく東の空。 |        鳴き交わす鳥の声。 | |        人の心はまことに移ろいやすく、 |        人の思いは留まる所を見出さず。 | |        永き時を経て待ち望んだ邂逅の時。 |        しからば、瞬きの間を慈しもうでは無いか。 |        ひとときの炎を交わそうでは無いか。 ======================================================================  『人の心はまことに移ろいやすく、/人の思いは留まる所を見出さず。』と いうあたりは、96/12/22のHM中にあった『暫しの間、巡りゆく思いを離れて 自分を振り返りなさい』という言葉と対応しそうです。  また、『ひとときの炎を交わそうでは無いか。』という言葉は、95/12/26の HMの『「あなたがたと共に火にあたろう」と天使は剣を置いて言った』とい う言葉に似ています(ちょっとこじつけか?)。  さて、皆さんはどう思われますか? しまうま(KFQ02761) 02200/02203 KFQ02761 しまうま RE:970101-02 の ハローメッセージ ( 6) 97/01/13 00:38 02192へのコメント コメント数:1 #02192 ばかままさん  こんにちは。どうも毎度です(^^)。 |97/01/01 天使は母屋の方へ歩もうとして、焚き火民達を振り返った… |97/01/02 焚き火民達は呆気に取られた様な顔で林檎を見て天使を見た |97/01/03 天使は剣を手に庭を横切り、母屋の扉を開けようとしている。 |97/01/04 母屋の扉を開けながら天使は焚き火民の方を見て、そして空を見た |97/01/05 焚き火民達はつられて空を見上げた…夜明けの空に一筋の光が |97/01/06 焚き火民達が再度母屋の方に目をやった時、天使は既に屋内に。  この1日から6日の展開、何か妙な間を感じます。天使の言動がことごとく 焚き火民の意表を突き、不意を突き、虚を突いている、という感じでしょうか。  天使は、そんなにせかせか動いているわけでもなさそうですが、焚き火民の 目と頭はぜんぜん天使についていけてないように見えますね。まあ、そう見え るのは、僕自身の想像力が天使の動きについていけてないからなのでしょうけ れど(^^ゞ。  天使の「母屋」についてですが、人間が3次元にいるように、ARIONた ちもまた独自の次元空間にいるようです。 ====================================================================== |私は、8次元界ではなく13次元界の者という風に理解して欲しい。 |これも厳密に言えば、13次元であるが、333元界という場所であると |いうことになるが、これらを説明することは不可能だ。 |あなたがたに感知できる限界があり、また知能での理解も限界があるからだね。 |私は私の存在を喜んでくれる人に合わせて、存在することが出来るが物質的な |顕現は不可能なんだよ。                (92/04/13 「ARIONよりさのたへ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #13 MGH00465 ARIONM3C.LZH 書込み寺3(FMISTY) #401-573 より ======================================================================  13次元界と言われても、333元界と言われても、理解できないという意 味では同じことですね(^^;。しかし、人間には到底およびもつかない、想像も できないような世界から僕たちにコンタクトしてきてくれている、ということ はおぼろげながらわかります。  「私は私の存在を喜んでくれる人に合わせて、存在することが出来る」と、 ARIONは言っていますが、凍え人のように天使の存在を鬱陶しがり、天使 の言葉を迷惑だとする人には、存在しないと同然になる(接触がまったくなく なる?)のかもしれないなあ、と思いました。  「凍え人のように」と他人事のように言ってますが、僕自身も、耳が痛いこ とを言われるとムッとする、というあたりは凍え人となんら変わりないです。  自分の感情に逆らうことを言われたからと言って、すぐにムッとする自分を 放置し、是認している、というのは、天使からのアドバイスを自ら拒否してい るようなものかもしれません。 |今年は活動する年にしたいと思っています。96年とは違って。 |どんどん参加して、どんどん活動範囲を広げていきたいです。 |もう、金縛りのように、自分で控えめにするといった事はしません。  うーん、頼もしいお言葉。ますますのご活躍を期待しています(^^)/。   しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 8):|ψARION 関連 |預言解読村 97/01/13 - 00054/00097 KHE02065 メルク 祝!OPEN ( 8) 97/01/09 17:00  ども、メルクです。  未読にざっと目を通したとこで、幾つかの概念を私なりに整理してみたいと 思います。   日向族 − 表 − 西洋 − 不死鳥   出雲族 − 裏 ー 東洋 − 龍  と、こんな感じの対応関係でしょうか。  それから、ニギハヤヒ=ホルスというのがあったのでその辺も少し。   アマテラス − イシス  − 豊饒の女神 − 月 − 3   スサノオ  − オシリス − 死せる神  − 星 − 8   ニギハヤヒ − ホルス  − 蘇る神   − 日 − 9   天照の義弟 ー セト   ー 邪神(?) − ? − 4  こんな感じでしょうか。ところでキリストですが、基本的にはオシリスでし ょう。復活に関してはニギハヤヒとの関連も考えられますが、死せる神と、復 活する人の子とは別物と私は考えます。ホルスはオシリスの子供ですが、オシ リスの再来でもあります。  セトについて。セトはオシリスを殺害した神です。たしか、殺したオシリス の身体をバラバラにし、各地に封印したというような話を何かの本で読んだ記 憶があります。そしてホルスによって倒されるわけですね。  ニギハヤヒの9について。アーリオーン・メッセージに、9は「人間が地上 での魔術において到達できる最高位の数字」とありましたが、これは西洋魔術 の位階にある、メイガス(魔術師)の事でしょうか。クロウリーによれば、過 去この位階に到達したのは、キリストなどの預言者達で、クロウリーは彼らの ことを「トートの呪縛下にあった」と表現をしています。トートとは言語の神 で、つまりその制約のために最高神10に到達できなかったということでしょ う。クロウリーは、新時代に入ってこの呪縛が解かれたとし、自らを最高の位 階イプシシマスに就かせました。  全ての数字が西洋魔術の位階を表しているわけではないでしょうが、8をこ の線で解釈すると、8は神殿の首領と呼ばれる位階で、深淵を越えた最初の位         階です。クロウリーはこの位階をよくNEMO(誰でもない    10    者)と呼びましたが、彼によれは、その神殿とはピラミッド  8   9  であり、すなわち墓であるといいます。神話において、最終    深淵    的にスサノオは根の国の王になりました。ちなみに、「風の  6   7  谷のナウシカ」第7巻に描かれている墓所のヌシとはモロに    5    神殿の首領を描いています。ま、物語上、否定的なイメージ  3   4  で描いていますが。    2     話はそれますが、墓所のヌシと神殿の首領の類似性、ナウ         シカが虚無の深淵を越えていく所など、単なるインスピレー    1    ションであそこまで正確に描いたとは考えにくく、おそらく         その筋の資料を参考にしているのではないか? とおもえて なりません。RPGの影響で、魔術をあつかった漫画やアニメが増え、西洋魔 術やカバラの文献はかなり参考資料として活用されているようです。「エバン ゲリオン」やCLAMPの「X(エックス)」などで生命の木の図柄が使われ ていたりするのは、まあ有名なほうでしょうが、「サイレント・メビウス」に おいて、黄金の夜明け団の五芒星の小儀礼と呼ばれる魔術儀式の呪文が、そっ くりそのまま使われていたり、「バスタード!」にもそれをアレンジしたよう な呪文が使われているし、「魔法陣グルグル」に出てきた「黒のえほん」とい うのは、現代魔女術における魔術日記である「黒の書」(この辺うろ覚え)の 事だし、「ファイブスター物語」の永野護でさえ、その作品に出てくるミラー ジュ騎士団のイメージのルーツが、クロウリーが首領であったあの東方聖堂騎 士団(O∴T∴O)であることをほのめかしています。まあ、こういうことは 勘ぐり出すとキリがないんだけど、パッと思い付いただけでこれだけあるって 事は、探せばもっとあるでしょう。いったいどうなってんでしょうか?  なんか、纏まりが無くなってしまいましたが、長くなってきたので、とりあ えずこの辺で。  では、また。                          メ ル ク 00066/00097 PAG03134 はな 1年2カ月ぶり東証18000円割れ ( 8) 97/01/10 20:47 00064へのコメント コメント数:2 コットンマウス さん  あけましておめでとうございます。こちらこそ今年もよろしくお願いし ます。 >> 言われるとおりだ思います。外国人投資家のリスク管理は、恐ろしく >>シビアですから・・・。  外国人投資家のリスク管理は、恐ろしくシビアで、なおかつ不可解です。 いや、世界の債権、株式市場をコンピューターによりリンクさせ、巨大な 化け物のような市場になっています。  今、株式売買のリスク管理にコンピュータは必須です。むしろ、コンピ ュータが瞬時に「儲かる」株を判断し買いに出る。株式を取り巻くさまざ まなデータが収集され、データはコンピュータで複雑怪奇な数学的処理を され、「儲からない」と判断されれた株は、彼らの非情さと、数式による コンピュータの冷酷な判断によって、無情にも売却されます。  90年1月にバブルがはじけたのも、実はコンピュータ売買が発端でした。 バブル崩壊は、けっして人間が錯乱状態になって売りに出たのではなく、 コンピュータが株式市場を取り巻く情報を判断した結果から得た「集団自 殺」的な売買から起こったのです。(この件については、項を改めます)  今日も株式は下がり続けましたね。株価は1年8カ月ぶりに東証18000 円を割りました。ただし、600円ほど下げた昨日と今日は、同じ下げたで も意味が異なると私は認識しています。それは、昨日の下げは外国人投 資家が主役でしたが、今日の下げは銀行、証券、保険会社の持ち合いを 解消してでも売りに出た邦人企業が保有する株が売られたことによって います。  つまり、昨日外国人投資家が売却し、「おっとっと、これはイカン」 と邦人投資家があわてて売りに出た構図になっています。  私がリスク管理に厳しい投資家であり‥‥‥かつ、日本を食い物にしよ うとする野望をもっていれば、まず邦人株を売らせるように自分の株を売 り、今日のように慌てて邦人が株を手放したところで、一気に買いに出ま す。週明けの株式は、少し反発するのではないでしょうか。そして、少し 稼いで、また落とす。私はこの構図は2月いっぱい続くと予想しています。  外国人投資家と邦人の売買による「ダマされる」構図は、バブル崩壊後 1995年暮れから1996年にかけても繰り返されています。96年6月にバブル 崩壊後の戻り高値をつけ、その後はじり貧。96年前期の株価上昇には、外 国人投資家が関与していました。株価上昇の火付け役は外国人投資家で、 株価上昇の尻馬にのるのが、多くの邦人投資家です。  この件が起こった背景には、マスコミの報道体勢や証券アナリストのイ ンタビューにも問題があります。メディアでは、「バブル崩壊後、株式は 22000円をうろついていながらも、回復している」と安心させ、邦人がお そるおそる買いに参加してきたところで、今回の株価下落。バブル期ほど じゃないにしろ、相変わらず邦人投資家は懲りていないような気がします。                       はな 00082/00097 GBG02043 維/YUI コンピュータより強いのは ( 8) 97/01/11 20:36 00066へのコメント 株式ですかぁ…。 外国人の投資家の買い控え等は、一般のニュースでも問題にするほど影響を持って いるようで…。 1セントも無駄金は、払いたくないってノリがあるみたい。 でもね、コンピュータにも読めないことって、本当はあるんだよね。 そして、日本人はもともと、それをやってのけるのが日常の民族だと思う。 だから特に欧米の人々は、日本人が訳わからなく思えるんだろう。 永い年月をかけて、日本はなぜか欧米にとって読みやすい行動原理で、その 民族としての特質を塗り替えてきている。自分が誰なのか忘れてしまおうと している。もう、外面的にはほとんど塗り替えられてしまっているのかも しれない。 日本人の心が日本のツチに向けられ、外に対してより内からの呼びかけに 応えられる力が残っているのなら、日本は自力で立ち直る糸口を見つけ、 アジアの一員として、その力を発揮できる時がくるとは思う。 どうすれば、応えられるのだろう・・・。 97/01/10(金) 22:15 維/YUI(GBG02043) 00094/00097 QWC01550 コットンマウス リスク管理と株式売買 ( 8) 97/01/13 00:48 00066へのコメント #00066 はな さん こんにちわ(^^) お返事ありがとうございます。 > 今、株式売買のリスク管理にコンピュータは必須です。むしろ、コンピ >ュータが瞬時に「儲かる」株を判断し買いに出る。株式を取り巻くさまざ >まなデータが収集され、データはコンピュータで複雑怪奇な数学的処理を >され、「儲からない」と判断されれた株は、彼らの非情さと、数式による >コンピュータの冷酷な判断によって、無情にも売却されます。  そうですね。売買対象株の発行企業や業界に関することはもとより、各国 のカンリーリスク、取引規制、為替変動、国際政治の動向などに加え、自ら の基礎的条件を勘案して売買について決定するとなると、事象の検討が余り に煩雑になりますから、@重要な売買についてはコンピューターに選択肢を 出させて人間が判断するA軽微な売買はコンピューターに一任するという形 で運用されるでしょうから、冷酷で非情な売買になりますね(特に、デリバ ティブ(余り詳しくないのですが(^^; )が絡んだ取引になったら・・)  もっとも世界的な規模で資金運用するとなると、リスク管理が非常に重要 な要素になりますから、やむを得ないと思います。逆に日本の銀行や機関投 資家はリスク管理が甘過ぎるとも言えます(話しが少し違いますが、1995年 に倒産したベアリングズ証券に、邦銀は無担保で670億円の債券を貸し出し ていました) > 90年1月にバブルがはじけたのも、実はコンピュータ売買が発端でした。 >バブル崩壊は、けっして人間が錯乱状態になって売りに出たのではなく、 >コンピュータが株式市場を取り巻く情報を判断した結果から得た「集団自 >殺」的な売買から起こったのです。(この件については、項を改めます)  このお話は耳にしたことはありますが、理解が十分ではありませんので、 解説して頂ければ幸いですm(_ _)m > 私がリスク管理に厳しい投資家であり‥‥‥かつ、日本を食い物にしよ >うとする野望をもっていれば、まず邦人株を売らせるように自分の株を売 >り、今日のように慌てて邦人が株を手放したところで、一気に買いに出ま >す。週明けの株式は、少し反発するのではないでしょうか。そして、少し >稼いで、また落とす。私はこの構図は2月いっぱい続くと予想しています。 ふむふむ(^^; 月曜日から相場の展開を注視していきたいですね。  株が下がると、金融機関が保有する株式の含み益減少により不良債権処理 がますます遅れますから、超低金利政策を維持し続けなければなりません。 そうなると、さらなる資金の海外への流出を招き、ますます株が下がる・・。 政府は財源不足で、有効な株価維持策や景気刺激策を打てない・・・。  悪循環以外のなにものでもないですね(^^;;;(出来高は膨らみますけどね)  > この件が起こった背景には、マスコミの報道体勢や証券アナリストのイ >ンタビューにも問題があります。  大蔵省や経済企画庁の手先みたいな証券アナリストや学者がたくさんいる ようですし、彼らの発言を安易に取り上げるマスコミには問題がありますが、 適切に情報を判断するとともに、自己責任の原則をもって主体的に株式市場 に参加できてない日本の投資家の問題の方がはるかに大きいですね。  祖父(故人)から「株には絶対手を出すな!」ときつく言われ続けていた  のに、なぜか会社法のゼミにいたコットンマウス(QWC01550)でした(^^;;; 00068/00097 NBB01420 SUKE RE:円安、株安進行中 ( 8) 97/01/10 21:27 00058へのコメント コメント数:1 #58 はなさん、僕もここ数日ニュースを見ていて驚いているんですが、以 前言われていた円の急落の再来ではないかと興味深く思います。 そういえば前回の円の急落はクリントン大統領と橋本首相との連携で強引に 収拾したと言うようなことを立ち読みしましたが、さて今回はと言えば首相 はアジア回りです。 そこで思い出したのは、日本がアジア寄りになると米国が嫌がると言う構図。 外国人投資家が云々と聞くとますますそうかなと思ってしまいますね(^^;) 何だか首相の動き如何で今回の円安株安の結末がどうなるか見えてくるのか もしれないなぁと思いました。                               Suke.(^_-)☆ 00072/00097 PAG03134 はな RE^2:円安、株安進行中 ( 8) 97/01/10 23:34 00068へのコメント SUKE さん  首相のアジア歴訪をさっき知ったばかりで、ニュースをキャッチアップ しているのか分からない はな です。 アカンナァ >> そこで思い出したのは、日本がアジア寄りになると米国が嫌がると言う構図。 日本がアジア寄りになると米国が嫌がる背景には、主に、 1.日本はまだアジアのリーダー足り得る実力と発言力を有している              (日本の実力はアジアに対して風前の灯火だが) 2.米国にとって(債権などを買ってくれる)お人好しな上得意客(=金づる)  を失う。  2.は日米二国間の問題なんですけど、米国が恐れるのが1.の方だと私は思って います。  また、なんらかの形でアメリカは日本をいびってくるんじゃないですか。                       はな 00067/00097 NBB01420 SUKE 締め括り ( 8) 97/01/10 21:27 00042へのコメント コメント数:1 #42 はなさん、こんにちは。 括りと言うと僕はあまりぴんとこなかったんですが、「締め括り」と言うと ぴんときました。 要するに締め括りの年なのかぁ…                    それだけなんですが…Suke.(^^;)☆ 00070/00097 PAG03134 はな RE:締め括り ( 8) 97/01/10 21:54 00067へのコメント コメント数:1 SUKE さん >> 要するに締め括りの年なのかぁ… 「締め」くくりの年、ハローを見るとまだ幕は「閉め」られていませんね。 「私は、暫しの間、どちらの舞台の幕も引かずに置こう」と天使      ~~~~~~~~                (97/01/10 ハロー)  幕が引かれるのは、舞台の終わり。本番の年は、だれもが舞台の上だと アリオンは言っていました。その舞台が幕引きにより終演する。  ‥‥まだほんのすこしだけ、括りまで間があると思っています。                       はな 00092/00097 NBB01420 SUKE RE^2:締め括り ( 8) 97/01/12 23:04 00070へのコメント #70 はなさん、こんばんは。 なるほど、だから「締め括り」の年ではなく「括り」の年なんですね。                              Suke.(^_-)☆ 00061/00097 PAG03134 はな カバラについて (1) ( 8) 97/01/09 23:11 コメント数:1  預言解読のマスターキーのひとつに「カバラ」がある。アリオン預言の解 読にカバラが必要なのは、アリオンのメッセージにも記されている。  『 あなたがたは、数字を読みなさい。    日本古来の方法で、カバラの知識と占星術の知恵を    明かりに、数字を読みなさい。 』  このメッセージで、いまもひっかかっているのが、  1.日本古来の‥‥方法で  2.カバラの知識と占星術の知恵を‥‥明かりに の部分である。日本古来の知恵と、カバラの知識と、占星術の知恵と、3点 を並列していない。数字を読むために、基盤となるのは日本古来の方法で あって、そこから解釈を積み上げてゆくときに、羅針盤としてカバラの知識 と占星術の知恵を用いるように言っていると、わたしは認識している。  (数字を読むためには)        「カバラ」「占星術」   (方向性を示す)           ↑    ↑        「 日本古来の方法 」  (基盤となる考え方)  これら3つの事象について、多くの方にとって一番馴染みの薄い概念はカ バラではなかろうか。  カバラとはいったいなんぞや?について、今回からいくつかの発言を通し てまとめてゆきたい。そのために、一冊のテキストを選定しようとした。カ バラについて説明してある本は何冊もあるが、私はそれほどカバラの本に目 を通した自負はない。また、カバラの本が何冊も出回っていないのが実情で、 カバラを伝授してくれる師がいない人にとっては、カバラの知恵に触れる機 会もまだまだ少ない。  ここで私がカバラについてまとめるのは、私自身がカバラの概要について 知っておきたいからである。テキストの選定には、カバラと言えば避けて通 られないダイアン・フォーチュンの著作があるが、今回はダイアン・フォー チュンの著作はいったん脇に置いて、  「(イメージの博物誌11)『ユダヤの秘義』 カバラの象徴学   (セズ・ベン・シモン・ハレヴィ著/大沼忠弘=訳)」 の巻頭言をテキストにして、カバラとはなんぞや?について学んでみたい。                       はな 00063/00097 PAG03134 はな カバラについて (2) ( 8) 97/01/09 23:48 00061へのコメント コメント数:1 ●カバラ開顕 「真打ちは最後に登場する。長い鎖国を解いて、われわれが西洋文明  に身を開いてから百十数年たつ。その間、ヨーロッパのあらゆる文  物、制度、思想が至るところに浸透し、日本人の生活をすっかり変  えてしまった。ところが一つだけ、頑なに入国を拒み、その影響を  水際で防いできたものがある。ユダヤ教とその「伝統」すなわち  「カバラ」である。今日ようやく「カバラ」が本格的に紹介、研究  され始めたのは、それだけ近代日本の成熟を証しているのかも知れ  ない。」            (ユダヤの秘義 巻頭言p.6)  「ユダヤの秘義 〜カバラの象徴学〜」はゼヴ・ベン・シモン・ハ レヴィとなっているが、先に引用した文章は翻訳者である大沼氏の解 説であることをお断りしておく。  アリオンが日本古来の方法でカバラの知識を用いると言ったのは、 カバラが現在の地理において西洋の国々での知恵だからであろう。 カバラをそっくりそのまま解読に持ち込めば、背後にある西洋の思 想も安易に輸入しかねない。そこに日本古来の方法をベースにする 余地がでてくる。                       はな 00069/00097 PAG03134 はな カバラについて (3) ( 8) 97/01/10 21:40 00063へのコメント コメント数:2  引き続き大沼氏の解説文を読み進めてみよう。  「ユダヤ人とその宗教的「伝統」が、ヨーロッパの精神史に決定的な役   割を演じていることは改めて説くまでもないだろう。西洋文明は確か   にギリシャ・ローマ文明の嫡子(ちゃくし)であるが、同時に、ユダ   ヤ・キリスト教の「伝統」を介して、オリエント・エジプト文明の嗣   子(しし)たりえているのである。   われわれもまたこの「伝統」と無関係ではあり得ない。現在、われわ   れの意識や思考がこれほど西洋化している以上、われわれ自身の「自   己」を知るために、この西洋文明の「根」というべき「伝統」にまで   遡(さかのぼ)って考える必要があろう。時代は今、滔々(とうとう)   と東洋も西洋もない地球文明の建設に向かっており、われわれがその   一翼を担うためには、東洋の精神的伝統を受け継ぐ一方、これまで無   意識に敬遠してきたユダヤの「伝統」にいくつか取り組まなくてはな   らない。その日がすでにやってきているのである。」                  (先述書:ユダヤの秘義 巻頭言p.6)  大沼氏の解説には、なぜ今カバラの知識が必要なのかが明確に説かれて いる。東洋と西洋もない地球文明の建設とは、アジアと欧米が死を賭して 戦った後に訪れるべき世界である。  「日本古来の知恵を元にカバラの知識をもって数字を解く」というアリ オンメッセージから、東洋の知恵を基盤にして西洋の知識も有効に活用し てゆくことではないかと考えた。東洋の知恵と西洋の知識の融合は、数字 を読むために必要な一つの方法だと感じる。しかし、あくまで基盤は日本 古来の知恵なのであり、カバラの根底にある西洋文明の「根」を基盤にし ないようにしたい。  ところで、私はカバラの根は、いわゆる黄色系人種のAMA族orアジア 人orアラブ人の祖先がカミから聞き出した知恵だと思い始めている。カバ ラは西洋の伝統のように言われているが、一度ここで、カバラはもともと AMA族の知恵、もしくはアジア・アラブの知恵であったのではないかと とらえても良いのではないだろうか。  カバラは西洋人だけの伝統ではないとすれば、カバラを探求することに より西洋人の精神の根底をなすものが見えてくるのみならず、アジアとの つながりも発見できるかもしれないのだ。                       はな 00080/00097 PAG03134 はな カバラについて (4) ( 8) 97/01/11 12:30 00069へのコメント コメント数:1  「「和魂洋才」の美名のもとに、われわれは西洋文明の上澄みだけを掬   (すく)って、その下に沈殿しているどろどろしたものを避けてきた。   その結果、西洋文明の枝葉末節をとらえることができても、その「根」   まで理解することは不可能であった。」                  (先述書:ユダヤの秘義 巻頭言p.6)  として、著者は西洋精神史の中で、日本人には不可解な謎とうつるトピッ クを呈示し、それらはユダヤのカバラの光に照らし合わせれば、一つに結び ついているととく。日本人にとって不可解な謎として、著者は以下の項目を 列挙する。  「天地創造、「神」との契約、密儀、魔法、犠牲、贖罪、救世主、復活、   天使、三位一体、否定神学、千年王国、十字軍、聖堂騎士団、   吟遊詩人、聖杯伝説、錬金術、ルネッサンス、薔薇十字団、   フリーメーソン、啓蒙主義、アメリカ建国、革命、唯物論、自然科学、   象徴主義、神智学、オカルティズム」 (同書 p.7)  神との契約は、何も西洋だけの観念ではない。なぜならば、日本を含めア ジアにも神との契約があったからである。「神」との契約として想起される のが、アリオンと北川氏の著作「カミ・コメ・ツチ・ヒト」の一節である。 それによると、ヒトはカミと万物の移り変わりの中で契りを結んでいるとい う。  アリオンはナスカの地上絵も、古墳や大規模な石造建築も契りの表現のひ とつだという。石造建築ではピラミッドやストーンサークルなどが思い浮か べられる。  「神」との契約はなにも西洋精神史の中だけにあるのではない。神との契 約が世界各地にあったのは、私が、カバラの根っこは西洋にも東洋にも通底 するものがあると考える一つの根拠でもある。                       はな 00088/00097 PAG03134 はな カバラについて (5) ( 8) 97/01/12 12:38 00080へのコメント  「西洋の近代文明は人類に未曾有の物質的繁栄をもたらした。それが、   今、自ら解くことのできない桎梏(しっこく)化し、われわれは、   自分たちの作った檻の中に閉じこめられている。   物質の力と、それを統御すべき精神の力は明らかに均衡を失してい   るのである。   このバランスを回復できない限り、人類の将来は暗澹(あんたん)   たるものになるだろう。しかし手をこまねいてはいられない。物質   文明を推進してきた原動力は、この西洋の「伝統」の中にあること   を理解すれば、それを統御する原理もまたこの「伝統」の中に見つ   けることができよう。」(先述書:ユダヤの秘義 巻頭言p.7)   桎梏(しっこく)とは、自由が奪われて身動きできない状態を意味する。 筆者が言うように、私たちはアジアの中にいながら、西洋文明による物質的 な繁栄を進めてきた。私は「これほどの物質的繁栄は、やっぱり息詰まるの ではないか」と知人に疑問を投げかけると、「だってしょうがないじゃない、 世の中がその方向で進んでいるのだから」とか、「じゃあ、今の快適な生活 を捨てて、原始的な生活に戻るというの?」と切り替えされたことがある。  会社がどん欲なまでに利益を追求することは、物質的繁栄をさらに押し進 めるための方便として用いられる。物質文明を支えるためには、さらにお金 が必要だからだ。しかし、過度の利益追求がもたらした、昨今の疲弊(ひへ い)した社会をみるにつけ、やっぱり私は「それでも物質的に豊かになりた いのか。快適な生活を維持してゆきたいのか」と疑問に思う。  著者は「物質の力と、それを統御すべき精神の力は明らかに均衡を失して いるのである。」と現状を分析する。そして、西洋の物質文明を推進してき た力を統御する力もまた、西洋の伝統、すなわち「カバラ」の中に見つけら れるとしている。アジアの精神性を重視した価値観は、物質文明を押し進め た、一部富と権力を手中に納めた西洋人の耳には入らない。彼らが、西洋の 物質文明が「しまった、これではいけない」と思い、方向転換するのは、や はり西洋古来の伝統にしかないのだと、私は思う。  「アーリオーンメッセージ(徳間書店)」には、アリオンの預言として、 日向族がしかけた封印は日向族によってしか解くことができないと書かれて いる。日向の封印は日向でしか解けないのは、そっくりそのまま西洋文明と 西洋の関係に置き換えられるだろう。  西洋文明がかけた物質文明という「封印」は、物質文明に重きを置いた人 自らが解きほぐさなければならないのではないか。                       はな 00062/00097 PAG03134 はな たぬさん、いらっしゃいませ ( 8) 97/01/09 23:48  たぬさん、はじめまして。(^^) ようこそ預言解読村にいらっしゃいま した。新しい方が発言されると、「あ、この方も預言解読村を読んでいた だいているのだ」と思い、うれしくなります。  これからも気づかれたことがありましたら、いろいろと教えてください ませ。                       はな 00071/00097 PAG03134 はな 福井の重油漏れ ( 8) 97/01/10 22:08 コメント数:1  福井県で起こったロシアタンカーによる原油流出事故。原油は福井の原発 地域に向けて進んでいるそうだ。                       はな 00077/00097 QWC01550 コットンマウス 重油漏れと冷却水 ( 8) 97/01/11 04:15 00071へのコメント コメント数:1  #00071 はな さん こんにちわ。 > 福井県で起こったロシアタンカーによる原油流出事故。原油は福井の原発 >地域に向けて進んでいるそうだ。 1月7日に重油の流出が確認されて以来、事態を注視してきましたが、 「もんじゅ」「ふげん」を含む15基の原子力発電所が集中する福井県 若狭湾の方向に向かっているようです。    若狭湾地域で一番多いタイプの原子炉は加圧水型原子炉(原子力潜水 艦の動力炉として開発されたものの改良型)ですので(12基)、これを ベースにお話しします。  加圧水型原子炉は高圧力で加圧された(沸騰防止のため)水が燃料棒に より熱せられ、蒸気発生器を経由して循環する部分の「一次系」と蒸気発生 器から熱受け取り、水蒸気となってタービンを回し、発電する独立した別系 統の「二次系」から成り立っています。  タービンを回した後の蒸気は、「復水器」内で別の冷却水との熱交換で、 水に戻され給水ポンプにより蒸気発生器に戻されるのですが、「復水器」内 で用いられる別の冷却水は、日本では「海水」が用いられています(これは 他のタイプの原子炉でも共通です)。  万一、多量の重油が取水口から進入した場合、濾過装置又はポンプが故障し て、冷却水を復水器に送れなくなる(「別系統はない」と記憶しています) ことが予想され、二次系の温度を下げることが出来なくなり、その結果、 一次系を含めた原子炉内部の温度が上昇し、ECCS(緊急炉心冷却装置)を 使用するなどして、原子炉を緊急停止するという好ましからざる事態を招くこ とが考えられます(美浜原発のような1970年代に運転を開始した「古株」 は不安ですから)。冬場の電力消費量は比較的少ないので、予め危険性の高い 原発を「停止する」という選択も可能ですが・・・。   現在、当該地域を管轄する海上保安部等から巡視艇20隻が出動して、中和 剤の散布などの除去作業を行っているようですが、恐らく、原子力発電所の海 水の取水口周辺にオイルフェンスを張り巡らし、重油の進入を防止しながら、 周辺部の重油の除去を行っていると思われます(「やってない!」なんて、 ニュースは耳にしたくないです)。ただ、冬の日本海の波浪は、普段とても厳 しいので、困難な作業を強いられるでしょう。  最悪の想定を並べましたが、杞憂であれば良いのですが・・・   97/01/11(土) 04:08 コットンマウス(QWC01550) 00089/00097 PAG03134 はな RE:重油漏れと冷却水 ( 8) 97/01/12 13:27 00077へのコメント コットンマウス さん  さっそくのコメントありがとうございます。 >>                            「復水器」内 >>で用いられる別の冷却水は、日本では「海水」が用いられています(これは >>他のタイプの原子炉でも共通です)。  多量の重油が取水口から進入すれば、ポンプが故障し水が採れなくなる。そ んな事態は回避してほしいです。  オイルフェンスなどの防御策にしても、まずやっているでしょうね。オイル フェンスを張り巡らせて重油の流入を防御しなければならないのに、原子力発 電所の安全性を失わせるとして「そんな事はしなくても大丈夫です」と事実と は違う報道がされるとすれば、問題ですね。六ヶ所村の活断層の報道「六ヶ所 村の施設の下は活断層ではありません」という動燃センターのような報道は避 けてほしいと思います。 >>               ただ、冬の日本海の波浪は、普段とても厳 >>しいので、困難な作業を強いられるでしょう。  福井に住んでいた知人が、冬の日本海は「東映の映画のオープニングみたい に、波浪は厳しい」と言ってました。オイルフェンスを張り巡らせても、波浪 により重油はオイルフェンスを簡単に越えるから、ほとんどオイルフェンスの 効果はないんじゃないかとも言っていました。                       はな 00073/00097 PAG03134 はな 正八面体の十字 ( 8) 97/01/10 23:35 00053へのコメント SOUND さん、こんにちわ。 >> そうですね、ケプラーの惑星の法則の話が >>中途半端なままになっていて惜しい気がしていたのですが >>こんな形で正八面体として復活してきましたか。  あ、ぜんぜん意図していませんでした。ケプラーの惑星の法則ですね。 SOUNDさんのご指摘で、さらに深い解読ができそうです。といっても、い まはケプラーの惑星の法則をどう利用して良いやら分かりません。  まず、正八面体の十字から切り込んでみます。  ヒントありがとうございました。(^^)                       はな 00081/00097 GHH10354 星見 直角三角形について ( 8) 97/01/11 19:36 00022へのコメント コメント数:1  #22 SOUNDさん はじめまして。星見と申します。  いつも興味深く拝見させていただいております(^^)  ログを読んでいて思いだしたことがありましたので、ちょいと口をさしはさみ に来ました。(とはいえ、ネタ本ははなさんとおんなじだったりして^^;)  3-4-5の直角三角形は、エジプトを源流とする魔術ではそれぞれの辺がオシリ ス、イシス、ホルスを表わし、自然の象徴とされます。        5:生まれいでたる /| 3:命をはぐくみたる      ホルス    / |  イシス            /  |             ̄ ̄ ̄        4:死より甦りたるオシリス  という図が成り立ちます。ほんとかウソかはわかりませんが、かのピタゴラス はエジプトでこの秘義を授けられ、それが世に出てピタゴラスの定理になったと いう話もあるくらいです。  SOUNDさんのおっしゃる通り、これを二つ組み合わせてふた(二)をしてしまう と、鷹であるホルスは籠の中から飛び立てないことになってしまいますね.... などと考えてしまいました。        「秘密結社の記号学」を読み返しながらの(^^;)                             ★ 星見 ★ 00087/00097 HQK00566 SOUND RE:直角三角形について ( 8) 97/01/12 08:57 00081へのコメント #81星見さん、はじめまして(^^)。 遅くなりましたが明けましておめでとうございます(゚ー゚)(。_。) 今後よろしくおねがいしますm(__)m >> 3-4-5の直角三角形は、エジプトを源流とする魔術ではそれぞれの辺がオシリ >>ス、イシス、ホルスを表わし、自然の象徴とされます。 >>  >>  >>   5:生まれいでたる /| 3:命をはぐくみたる >>     ホルス    / |  イシス >>           /  | >>            ̄ ̄ ̄ >>       4:死より甦りたるオシリス  これには驚きました(@_@) こういう図がエジプトで描かれていたのですか。 エジプトと日本の霊的なつながりの深さを思い知らされますね。 ホルス=(ニギハヤヒ)という仮説がますます信憑性が濃いものに思われます。 オシリスがピタゴラスの定理も日本の鉤股弦の定理も授けたような気がします。 すばらしいコメントありがとうございました。 ぼくの書いていることがあながち、 ただの妄想の寄せ集めではないように感じてうれしくなりました。 それてはまた(@^^)/~~~ HAVE A NICE DAY! ** HQK00566/SOUND ** 00084/00097 PEH01157 水戸黄門 セーラームーン ( 8) 97/01/12 00:33 メルクさん。早く預言とセーラームーンの話をしましょうよ。 セーラームーンがアニメもコミックもまもなく終わろうとしている。セーラーム ーンファンの私は寂しい。最近のコミックでは、カオスの話がでている。セーラ ームーンがいるから戦いがあると敵のギャラクシアンに言われて呆然とするセー ラームーン。その戦いを終わらせるためには、すべてを無に戻す必要があるとカ オスはいう。すべてはカオスから生まれカオスに帰る。ところが、セーラ−ムー ンは、戦いがあったとしてもカオスを拒否する。 どこかで聞いたような話ですね。そう解脱病の話にも似ている。もともとセーラ ームーンは、出雲族と日向族のような話があちこちにちりばめられているけど。 セーラームーン自身はその統合的象徴で、アマテラスではないかと錯覚すること も多いです。アマテラスであるセーラームーンは出雲と戦うけれど、最後は出雲 を平定し、改悛させるか、出雲と日向のどちらの存在も戦いながら、でもカオス にすることなく、統合しようとしている存在にみえます。 ということで、突破口を開いたので、メルクさん。まず、月の印とティアラのへ んから話してくれませんか? (すぐにはコメントが書けないかもしれませんが許して下さい>メルク)。 97/01/11(土) 23:59 水戸黄門(PEH01157) 00090/00097 PAG03134 はな 九重連山、活発化 ( 8) 97/01/12 21:03  九州大分県にある九重山系・硫黄山周辺で、群発地震が続いています。 群発地震には有感地震はなく、火山性微動、表面活動の異常は観測され ていないそうです。  このニュースはニギハヤヒと大きく関係しているでしょう。ニギハヤ ヒの隠された数字は9でした。九州の、しかも九重山系という、9づく しのところでの活発化だけに、ニギハヤヒの活動が活発になっていると とれます。  括りの年とされる括りとは「九九理」とも書きます。九重とは9が重 なっているのですから、「括り(九九理)」とも大いに関係しているで しょう。                       はな 00091/00097 MHD02672 TAO 毛利元就とオリオン ( 8) 97/01/12 22:36 コメント数:1   どこに書くのか迷ったのですが、一応ここで…。   今夜、NHKテレビの「毛利元就」の第二回目のオープニングにはたまげ  ました。毛利家の家紋「一文字三星」についての説明がなされていたのです  が、一文字は「一番乗り」等の人に先んじるという意味でこれは分かるとし  ても、驚いたのはその下の三星が「オリオン星座」の中央の三星を意味する  ということでした。   オリオン星座の三星は「武運を司る神を表す将軍星」とされていたそうで、  ミカエルも「戦いの天使」だということを思い起こしますね。   ナレーションから      冬の夜空に輝くオリオン座の三つの星に守られて、毛利軍は戦いま     す。それはいつも元就の希望の星だったのです…。   うう〜む。この1997年に、オリオン星座と縁があった毛利元就の物語がT  V化されるとは…。  ***   ついでに。日本までキリスト教を広めに来たイエズス会の宣教師、ザビエ  ルは、日本の守護天使を「ミカエル」としていたそうです。ザビエルは知っ  ていたのだろうか?(^^;  TAO 00093/00097 PAG03134 はな オリオンの三ツ星 ( 8) 97/01/13 00:13 00091へのコメント TAO さん  「毛利元就」のオープニングはオリオン座がらみだったのですか。ひょぇ〜。 >>     冬の夜空に輝くオリオン座の三つの星に守られて、毛利軍は戦いま >>    す。それはいつも元就の希望の星だったのです…。  少し前に話題になっていた、三碧木星とかという「九星」に関連して、 古来軍略家が重視していた占法に「二十八宿」があります。二十八宿は 太陽の通り道に近い(これを黄道という)星々を28のグループに分け たものであり、牡羊座や牡牛座で知られる西洋占星術における黄道12 宮の中国・インドバージョンと言ってよいでしょう。  二十八宿はもともとはインドで発祥した「二十七宿」がベースになっ ています。インドで発祥した後、二十七宿は中国に移り、中国では二十 八宿となりました。毛利元就がオリオン座の三ツ星を希望にしていたの は、二十八宿でみたオリオン座の三ツ星に込められた意味に重きをおい ていたからかもしれません。  二十八宿をみると、オリオン座の三ツ星は「参(しん)」という宿に割 り当てられています。  「参(しん)宿」の意味を調べてみました。   参宿‥‥戦時には陣営を●り、平時には行動力で運命を開拓、       あるいは文筆などで世相を批判するなどの強さが多       いと言われる星。               (神令暦 高島易断本部編纂より)     ※注 ●には偏が「石」つくりが「斤」で構成された漢        字が書かれていました。漢和辞典を調べたのです        が載っていないし、コンピュータの漢字変換でも        出てきませんでした。  毛利家は戦いの縁起をかつぎ、運命を開拓してゆく強さを望むゆえに、 オリオン座の三ツ星にあやかった家紋にしたのでしょうか。                       はな - FARION MES(12):|∞精神世界裏表|どうする日本/世紀末談 97/01/13 - 01710/01735 QZY01267 猫の手 RE^2:無責任な発言かな? (12) 97/01/09 20:08 01701へのコメント コメント数:1  MAKOTOさん 今日は、    ようやく一つ返事が返ってきて嬉しくなっています。    MAKOTOさんの基本姿勢は素敵だと思います。とても大切なことだとも思って います。  でも少し、やはりずれがあるかなという気がします。少しずつその辺を溶い ていきたいと思います。   | あともう少し、MAKOTOさんの持っている優しさを素直に表現してくれたら私 |はもっともっと羽が生えたように楽になれるんだけれど・・・。  という表現の仕方について、MAKOTOさんは私が【私は】と言っていること で、「あなたのためになんか!」というのが出て来るみたいですね。  ところでこれは、こういう言い方もできるんです。    「あともう少し、MAKOTOさんの持っている優しさを素直に表現したら、きっ とMAKOTOさんの対人関係は丸くなって行くでしょうね。」     こう言われたら、MAKOTOさんはどう受け取るでしょうか?  こういう言い方を私はアドラー心理学を学んで、使うのを止めてしまったん です。私がどう思いどう感じるかは、総て私の主観ですから、一般論化するこ とはしないことにしています。主観であることを受け入れたら、【私は】とい う表現の仕方しかできません。もし、MAKOTOさんにとっては「MAKOTOさんは」 という表現法を使って欲しいというのであれば、MAKOTOさんに対しては、その ようにさせていただこうと思います。    私は、「相手の感情を察する事」を、「相手の気持ちを汲む事」だと思って いるということとして書いたつもりはありません。「察する」ことと「汲む」 ことは明らかに違います。  私は持論として「察っし」「思いやり」は危険だと考えています。何故かと いうと、それには、思い込みが伴うからです。思い込んだまま相手に何かをし てしまうのが「思いやり」だと思っています。私は人によく「思いやるのでは なく、いたわることと、ねぎらうことが大切だ。」と言います。その辺の違い を理解できますか?  次に、「汲める」というのと、     「汲んだ」というのとも違います。まだ私は龍さんの気持ちを汲んで しまっているわけではありません。今、汲み取ろうとしている最中です。「汲 める」というのは私の仕事として可能だということの表明でしかありません。  私の日本語の使い方はおかしいですか?    そして、「大丈夫だよ、」という言葉は、相手を落ちつかせるのに必要な一 言だと私は思って使いました。人というのは、一時的な感情から思考に走って 戦い始めると、状況判断ができなくなるもののようですから、まずは、落ちつ きを取り戻すことが大切だと私は考えました。      私の想いはいつも相手を「勇気づけたい。」というところにあります。勇気 づけというのは、「その人がその人を生きる勇気を得る。」ということです。 その人がその人でない別の生き方をしなければならなくしたり、別のことをし なければならなくなるようにすることは勇気づけにはならないと考えています。  ですから私は私の感じたこと考えていることは語りますが、相手には判断す る能力があるということを信頼しているというところから語ります。ですから 相手に「どうしなさい。」ということは言いません。それは勇気挫きですよね。    もし私が相手にやってもらいたいことがあったならば、私はそれが私の主観 であるという立場から【私は】という言い方をするように心がけています。             ところで、MAKOTOさんは私が「対立しているという構図を作り上げた。」 と判断されたわけですね。どちらかというと私はそこに「対立の構図を見出した。」 と思っていました。もっともそれも、私の主観ですから、そのことについてど ちらが正しいかと議論するつもりはありません。  自分が戦っていることを意識せず戦っているとしたら、それは結構不幸だと 私は感じています。最近、*カベ*で、ねずみさんにコメントしたことを繰り返 させていただきます。  戦いを止めるための  第一段階は、自分が戦ってしまっているということを知っているということ。  第二段階は、その戦いにより自分が何を望んでいるかということを意識すること。  第三段階は、それがどういう結果を導き出すか予測するということ。  第四段階は、導き出したい結果に対して、もっとうまい方法があるかどうか 情報を集めるということ。    私はこの考え方に沿って、私は自分が戦っているということを意識してもら おうと思ってした発言です。本人が戦いたくて戦っているのであれば、私が「 戦うことはいけないことだ。」などと分かったことを言うのはお門違いになっ てしまうと考えています。  ちなみに、不利とか、有利だとかいうのは私にとってもどうでも良いことで はあります。ではあるけれど、「負けているな。」と思える方の肩を持ちたく なる性質を私は持っています。 私の人生振り返ってみると、幼い頃からずうっとそうしてきて居るんです よね。だからこそ協力隊にまで行って、そのあと市民運動で駆け回ったという のがあるんですから。それを良いとか悪いとか私は判断しないことにしていま す。  以上、MAKOTOさんの質問には総て答えたつもりですが、まだ疑問が残ってい るようでしたらおっしゃっていただくと有り難く思います。  また、MAKOTOさんにはどういう表現の仕方をしたら良いか、語り方をしたら 良いか、考えあぐねているところがあります。できれば、MAKOTOさんにも一般 論化せずに、自分はどうしてもらった方が良いのかおっしゃっていただけると それに合わせることができて、私は話しがしやすくなります。                              宜しくね。                                                                                  ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/09 09:21> ** 01717/01735 HGE02116 MAKOTO RE:RE^2:無責任な発言かな? (12) 97/01/10 02:39 01710へのコメント コメント数:1 #1710 >猫の手さん、RESありがとうございます。 | でも少し、やはりずれがあるかなという気がします。少しずつその辺を溶い |ていきたいと思います。  まず確認させて下さい。猫の手さんは、この「ずれ」をどのような意味で書か れているのですか? 猫の手さんと私とでは、かなり考え方や現し方にずれがあ るという意味で、使われているのでしょうか? | 「あともう少し、MAKOTOさんの持っている優しさを素直に表現したら、きっ |とMAKOTOさんの対人関係は丸くなって行くでしょうね。」   「どう思いどう感じるかは、総て私の主観である」という認識には頷けます。 私もそのように思っています。そしてそれは、前回のRESの中に書かせていた だいています。私は「私」をもとにして判断し、理解しているとね。  ですが、猫の手さんの仰りようには疑問を感じる部分があります。上記の表現 が、なぜ一般論になるのでしょうか? 私は、貴方が捨てたという表現の方が「 貴方の」主観的な意見や感想として、伝わりやすいものだと思うのですが。事に 私の場合、投げかけの中に、貴方の「欲の言葉」が交ざると、内容そのものは二 の次になる傾向が大ですので(^^;) | 私は、「相手の感情を察する事」を、「相手の気持ちを汲む事」だと思って |いるということとして書いたつもりはありません。「察する」ことと「汲む」 |ことは明らかに違います。  これについては了解しました。 |                     思い込んだまま相手に何かをし |てしまうのが「思いやり」だと思っています。  「思いやり」という言葉のもちいように、かなり違いがあるようですね。私の 場合は、いたわることも、ねぎらうことも、「思いやり」の範疇に入っています ので。 | 私の日本語の使い方はおかしいですか?  辻褄あわせをしているような、不自然さを感じています。猫の手さんにとって 「汲める」と「汲んだ」には、どのような違いがあるのか、そのあたりをもう少 し詳しくお聞かせ下さいませんか? | 私は龍さんの気持ちも酌めるから。  以前貴方は、このように書いていらっしゃいます。私はこれは、相手に期待を 抱かせる表現だと思います。つまり「気持ちを、汲んでくれた」と思わせる働き のある言葉だと思うのです。 | そして、「大丈夫だよ、」という言葉は、相手を落ちつかせるのに必要な一  「大丈夫だよ」という言葉を、猫の手さんがどういう意図で使っていたかは分 かりました。ただ、今回の場合は「不用意な一言」であったように思います。 | 私はこの考え方に沿って、私は自分が戦っているということを意識してもら  私は、相手をやり込めたり倒す事だけが、戦いだとは思いません。お互いを理 解する為に、徹底的にやり合うというのも、戦いの一つの形だと思いますし、己 との戦いというもちいかたもします。私は無意味で不毛な争いはしたくありませ んが、必要なら戦う事もじさないという態度で生きたいように思います。 | ちなみに、不利とか、有利だとかいうのは私にとってもどうでも良いことで |はあります。ではあるけれど、「負けているな。」と思える方の肩を持ちたく |なる性質を私は持っています。  猫の手さんは、そのように思っているのですね。ですが私は、弱者=不利とい う構図に、かなりの拘りがあるように感じました。何らかの拘りがなければ「負 けている」方の肩を持ちたくなる事はないと思いますので。 | また、MAKOTOさんにはどういう表現の仕方をしたら良いか、語り方をしたら |良いか、考えあぐねているところがあります。できれば、MAKOTOさんにも一般  私は一般論は書いていないんですけどね。私は私の意見や見解を書いています。 でも、猫の手さんは、一般論として受け取られたのですね。  そうですね、もし表現法を考慮して戴けるのでしたら、「私はこう思う」とい う形で書いて下さるとありがたいです。その方が、それが貴方の意見なのか、貴 方の欲の言葉なのかが、わかりやすいので。                               MAKOTO 01718/01735 QZY01267 猫の手 RE^4:無責任な発言かな? (12) 97/01/10 08:55 01717へのコメント コメント数:1     MAKOTOさん、引き続きRESをありがとう御座います。     まず、お断りしておかなければならないことがあります。  それは、#1655の文章は公開文章ではあるけれど、龍さんに当てたものであ り、MAKOTOさんに当てたものではなかったということです。ですから、私にと ってはその文章を龍さんがどう受け取ったかの方を大切にしたいと思っていま す。  その上で、次にMAKOTOさんと対する時にはどうするのがMAKOTOさんにとって 心地良いかを考えて対応したいと思います。  ということで、#1655の文章に対するMAKOTOさんの指摘している部分に対し て龍さんはどのように感じたのか龍さんの方からもお聞かせ願えれば有り難く 思います。これは、私のコミュニケーションの仕方を改める良い機会になるか も知れません。  せっかくですのでしっかり学ばせて頂こうと思います。      その後で、#1717のMAKOTOさんの疑問にお答えしても遅くはないと思います。  ということで、宜しくお願いします。             ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/10 07:30> ** 01731/01735 HGE02116 MAKOTO RE:RE^4:無責任な発言かな? (12) 97/01/11 00:51 01718へのコメント #1718 >猫の手さん、RESありがとうこざいます。 | それは、#1655の文章は公開文章ではあるけれど、龍さんに当てたものであ |り、MAKOTOさんに当てたものではなかったということです。ですから、私にと |ってはその文章を龍さんがどう受け取ったかの方を大切にしたいと思っていま |す。  半分だけ了解しました。猫の手さんの、龍さんがどう受け取ったかを第一義と したいとの御意向には、なんら異存ありません。  ただ、私としては、こうしておおやけの場所に書込む以上、それが個人宛のメ ッセージであったとしても、それを読んだ誰がどう受け止め、どんなRESを付 けるか分からないという覚悟は、いつでもあってしかるべきだと思います。現実 にこうして猫の手さんと私との話しの流れが生じている以上、猫の手さんが、今 頃こういう話しをなさるのがなぜなのか、その理由をお聞かせいただけるとあり がたいのです。  …が、まず龍さんの話しを聞きたいとの猫の手さんの意向は尊重させていただ きます。私の方は、返事が後回しになる事に異存はありません。  余談ですが、龍さんの私に対するRES( #1668)の中に、猫の手さんへのメ ッセージとおぼしきものが書いてあります。興味がおありでしたら、一度目を通 してみて下さい。                               MAKOTO 01734/01735 NBB01420 SUKE RE^5:時代の流れ (12) 97/01/13 01:39 01677へのコメント #1677 猫の手さん、カメレスで申し訳ないです。 >> ただ言えることは、「ハッピーな思いを広げていけば、必ずハッピーになっ >>ていくという法則があるらしい。」ということぐらいです。 この感覚は僕もある意味では分かるんですが、どうも期待通りに行かない場 合も無い訳ではないんです。それでおかしいなぁと思っていたんですね。 「ハッピー」と言う状態になりたい気持ちがあると言うことは、その逆に今 現在が「アンハッピー」な状態なんだと言う暗黙の想いが隠れているんです。 そしてそういう裏側の想いが影響してしまうとアンハッピーな状態が生じる。 つまり、以前ARIONが言った通り、期待することと恐れる事とは同じ事 なのだと言うことです。 このことを理解した上で、本当にハッピーになるためにはどうしていったら よいかと言う視点を持たないと、いつの間にかハッピーと一緒にアンハッピー も引き連れていて気が付いていない、なんて事になりかねません。 ニューエイジ関係で有名な「バシャール」が問題だと言われる理由は、「わ くわく」することで全てが解決するかのような錯覚を与えてしまうからだと 思いますが、これと同じことが「ハッピー」と言う表現であっても起こる可 能性があるんですね。 精神世界の裏表を語るならばその辺りの危険性を充分承知していながら、 「ハッピー」を上手に活かしたいものです。                             Suke.(^_-)☆ 01735/01735 NBB01420 SUKE そりゃアルバイトじゃ (12) 97/01/13 01:39 01685へのコメント #1685 龍さん、割コメ。 >> この時期もそうですが、前の会社でも私の考え方は他人のために仕事をするとい >>うことでした。ですから私は自分が何かをするのではなく他人から要請されなけれ >>ば何もしない人なんです。 そりゃだめだよ(^_^;) 言われなければ仕事をしない、と言うのは、アルバイトと同じです。 逆に言えば、アルバイトと言うのは言われたことはきちんとやる、と言うの が良いところなんですけれどね。 正社員ならば、言われなくても自分で考えて動くのがアルバイトと違うとこ ろ。仮にも給与を貰いボーナスに甘んじ健康保険に溺れていると言われる正 社員(^_^;)なのに、アルバイトと同じ程度の働きぶりだなんて首切られても 仕方がないじゃないですか。(^_^;) その辺りをもうちょっと考え直さないと、再就職しても困るんじゃないかと 思いますよ。                            Suke.(^_-)☆ 01714/01735 GGD02212 スウ 報道における不確定性 (12) 97/01/09 21:33 コメント数:1  タイトルは、物理学における「不確定性原理」<量子力学が扱うような微視 的次元においては、時間と仕事量、位置と運動量を同時に確定できないという、 ハイゼンベルグが唱えた理論で、観測が観測対象に干渉するため測定に限界が あると解釈されていたが、実際は観察されなくとも本質的に不確定らしい>に 引っ掛けたものである。私は報道が報道対象に干渉することを問題視している。  ペルー人質事件。大使館公邸に外資系企業傘下のTV局の現地取材陣が潜入。 テロリストへのインタヴュー、事件そのものに干渉してまで報道と言えるのか。 報道することが報道される側に影響を及ぼすなら、それはもはや報道ではない。 こんな明解なことに弁解の余地があるか。  今回の事件にかぎらず「TVカメラは真実を映さない」と思ったほうが良い ことが往々にしてある。映っているのは「TVカメラを向けられている対象」 なのだ。事件そのものよりもTVカメラを向けられることの方が大問題になっ てしまうことがいくらでも起こりうることを、撮る側も見る側もよくよく認識 しておくべきであろう。                     (スウ) - FARION MES(13):|∞シュタイナーその他|神秘学遊戯団 97/01/13 - 05292/05308 MHD02672 TAO RE:風の本棚■曾野綾子・悪と不純の楽しみ (13) 97/01/11 00:54 05288へのコメント コメント数:1  #5288 KAZEさん   割り込み失礼致します。   曾野綾子さんの文章は本当に切れ味が抜群という感じで、私も好きな作家  です。クリスチャンの母が著書を揃えていたので、ちらほらとは読んでいた  のですが、ここ近年は週刊誌等のエッセイに冴えを見せていますね。眼病を  患ってからの闘病記にも味わい深いものがありましたし。去年、母は三浦朱  門・曾野綾子夫婦主催のイスラエルツアーに参加したのですが(80歳で!)、  曾野さんと一緒に写っている写真を見せながら「曾野さんは、はっきり物事  を言う方だったね」と言っていました。   また小説を読み直してみようかな。最近は連続殺人犯の人生を描いた「天  上の青」の文庫版も出たし…。  TAO 05295/05308 GGA02514 KAZE 燃える薪を彼の頭に積む (13) 97/01/12 01:05 05292へのコメント TAOさん、どうも。 》  曾野綾子さんの文章は本当に切れ味が抜群という感じで、私も好きな作家 》 です。クリスチャンの母が著書を揃えていたので、ちらほらとは読んでいた 》 のですが、ここ近年は週刊誌等のエッセイに冴えを見せていますね。 ぼくが、曾野綾子さんの本を読むようになったのは、かなり最近で、 きっかけは、キリスト教についてなにか読みやすそうな本を・・・というので パウロに関する本を偶然読み始めて、それで驚いてしまってからです。 ぼくは、かつてキリスト教について恐ろしく無理解でしたから、 その偏見を見事に打ち砕いてもらったのも、曾野綾子さんの功績大です(^^)。 もちろん、現状のキリスト教の在り方について肯定的なわけではないのですけど。 しかし、曾野綾子さんのあの辛口の文章の切れ味は最高です。 繊細なところは少ないのですが^^;、キリスト教に裏づけられたあの行動力が そのままユーモアを混ぜた言葉になってしっかり四股を踏んでいるところなど なかなかマネのできるものではないですよね。 》  また小説を読み直してみようかな。最近は連続殺人犯の人生を描いた「天 》 上の青」の文庫版も出たし…。 ぼくが今度読んでみようと思ったのは、 最新刊の「燃えさかる薪−−ある復讐の物語」です。 これは、悪に善をもって立ち向かうということをテーマに、 憎んだ相手のために尽くすという愛の行為にいたるまでを物語にしたもので、 今回の「悪と不純の楽しさ」のなかにも、そのテーマは「復讐の方法」ということで 書かれているもののようです。   聖書には、敵に対する報復の手段の最高のものを、次のように規定している。   「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、   燃える薪を彼の頭に積むことになる。」(「ローマ信徒への手紙」13・20)   (中略)   いささか結論を急ぐとすれば、日本人の多くは、ほんとうに人を憎んだこと   がない。これほど自分の人間愛を実証することの好きな人は事実そうなのだ   ろう。しかしほんとうに憎んだことのある人でなければ、ほんとうの愛の立   地点もまた見出し得ない、とこの頃思うようになった。憎しみも薄く、愛も   薄いなどという生き方を、私はどう評価していいかわからないのである。   (P197-198)    ぼくは、この会議室で、「嫌いでも理解、好きならもっと理解」ということを ずっと強調してきたりしましたけど、 これを読んで、深く考え込まざるをえませんでした。 「憎んでも愛する」いや、「憎んだから愛せる」ということについです。 うわべの感情のあれこれではなく、その深みまでわかってはじめて、 「愛」ということが理解できるのではないか。 キリスト教に真に影響されたからこそ、曾野綾子は、 その困難な手テーマに取りくむことになったのでしょうけど、 イエス・キリストへのぼくの思いも、また深まるばかりのこの頃です。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05297/05308 GFD00204 松川 貴     RE:反省できない人は権利だけを主張する (13) 97/01/12 15:08 05272へのコメント コメント数:1  KAZEさん、そしてFARIONに集う皆さん、明けましておめでとうございます。  FARIONに復帰以降、ずっとROMはしていたんですが、仕事上の問題が実はまだ 完全に解決しておらず、コメントをしたくても、それをやるためのエネルギーをこ こに注ぎ込むことがずっとできないでおったのです。  96年は私にとって、10年振りのとんでもない年でした。社長の側用人との個人的 な隠れた闘争があったのです(これが私が職場を離れた本当の理由です。)それも 今年に入って──今度は側用人が職場を離れることによって──ほぼ解決いたしま した。その結果、私はまたかつての職場に復帰することができました。  気がずっと別の問題(私の個人生活を立て直すこと)に向けられていたので、復 帰のご挨拶以降、ほとんど簡単な書き込みのみで、何も書けませんでしたが、これ からは少しは書き込めそうです(とはいえ、もう暫くはROMだけになりそうです が。)  さて、97年に入っての最初のコメントです(とはいえ、たった一行ですが……)。 :正直いって、横尾さんの装丁はぼくにはどうも気に入らないのですが^^;、  私もあれがいやで、「この装丁さえなけりゃなあ」と思いましたよ。  97年もよろしく。                                  松川 貴 - FARION MES(14):|∞霊 的 体験|みんなの体験/経験発表 97/01/13 - 00017/00025 SDI00635 みれ RE:波動 (14) 97/01/09 20:17 00015へのコメント コメント数:1  黄門さん、こんばんわ(^_^)  アリオンの波動、ありますね。  アリオン達が以前語ってくれた話に依ると、彼らの波動の帯域は分野毎に色 々とあるそうで、所謂、閃きとか第六感と呼ばれるものが、その帯域に接触す ることに依ってアリオンを感じるということがあるそうです。  ですから自分の感じたものを全て「幻想」と括ってしまわなくても良いと思 います。ただね、アリオンからの波動を感じた…それで?という、この部分が 問題ですね。  以前にも何度か私は見てきていますが、アリオンの波動を感じたことを非常 に特殊な体験という風に思い、更にそれを得た自分は特殊な人間なんだ〜と拡 大解釈してしまう人も居る訳です。  全てを幻想だと括ってしまうのは、取り敢えずヘンテコな下等霊みたいなエ ネルギーに毒されない方法でもあるので、一般的には私は「先ずは幻想だと思 うのがいいよ」と言っています。幻想では無く、本当の接触であるならば、そ の先に用意されている現象があって、幻想だの何だの言って居れない状況にな る訳で(苦笑)…でもね、だからと言って、精神を病んだ人の様になってしま うのであれば、それはアリオン達との接触では無いと言い切れますね(^^;)  アリオン達の波動は、人を「人間として斯くあるべく立たせる」方向のもの ですから、その波動に触れてイキナリ傲慢な態度になったりするというのは、 凄くおかしい訳です。アリオン達の波動に触れた…そこまでは事実だとしても、 そこから先にも接触し続けているならば、決して自分を特殊な人間だと思って 特別扱いを望んだり、アリオン達と接触したからということで傲慢になったり はしない筈、否、出来ないでしょう。  波動を感じた、それで?…と私が言うのはこういうことなんです。波動を感 じた、アリオンを感じた…それで急に態度が変わったりしたら、それはそうし た体験に『欲』が絡むからです。ほんと、この『欲』は色々な事をします(笑)  黄門さんの感じた波動の全てを幻想だと思う必要は無いけれど、幻想だと思 っている方が安全であるとは言えます。このへん、難しいとこだけどね。  霊の話とか、今後、じゃんじゃんしましょうよ(^_-)-☆ ★--------------------------★/FARION/SYSOP/みれ(Millenium)SDI00635/★ 00024/00025 PEH01157 水戸黄門 波動 (14) 97/01/11 23:08 00017へのコメント #00017 みれさん みれさん、コメントありがとうございました。2日ばかりホテル宿泊での突貫仕 事中で、お返事が遅れました。申し訳ありません。2月中旬まで突貫仕事が継続 し、帰宅しないままのホテル生活が続きそうです。コメントが滞りがちになりま すが、お許し下さい。 「アリオンからの波動を感じた…それで?という、この部分が問題ですね。」を 読んだ瞬間、次のアリオンの言葉を思い出しました。(I LOVE YOU 2 P114 & P115)。 ”一番大切なのは「何故、UFOを見たか」であって、「見た事実」では無い。我 々からの信号で飛行機を「UFO」に一瞬見せることもあるからだ。(中略) 何 故、見たと感じたのか? が一番大切なポイントなのだ。我々は見せることによ って、あなた方が次の行動に出るかどうかをチェックすることが多いのだ。次の 行動とは、つまり潜象面への興味や活動のことだ。(中略)。本物だったかどう かを云々している場合ではない。そんな前近代的な問答を繰り返している時代は 過ぎ去った筈だ”。 次の瞬間、次のことを思いました。 波動に限らず不可思議な現象を感じると傲慢な気分とか、高揚した気分を直後に 感じ始めます。次にこの波動とか現象を分析しようとします。これは静電気かも しれない。妄想かもしれない。隕石かもしれない。本当にアリオンが私に感じさ せたものかもしれない。私は、でもアリオンが感じさせたものだと思いたい自分 を知っています。また、見たい。感じたいとも思うのです。でも・・・。 同時に、みれさんの御指摘「SO WHAT?」にある種の反発を感じました。 反発の方は先の事実を否定したいというプライドが引き起こす現象でしょう。 =そこから先にも接触し続けているならば、決して自分を特殊な人間だと思って =特別扱いを望んだり、アリオン達と接触したからということで傲慢になったり =はしない筈、否、出来ないでしょう。 それをやってしまったサンプルは私を含め、多数いるわけです。私は、あるきわ めて特異な現象は、こうした最中に、経験しました。本来であるならば、絶対的 服従(というと誤解されてしまいそうですが)を要求されるできごとがおこるか らなんです。 ところが、 =本当の接触であるならば、その先に用意されている現象があって、幻想だの何 =だの言って居れない状況になる訳で(苦笑)。 残念ながら、私はこの言葉の意味を即座に理解してしまいました(^^;)。みれさ んのこの言葉を読むと、霊的な話は2度とごめんこうむりたいと願うようになり ますし、一次的に遠ざかるように意識したこともあります。 アリオンに関わることは、かなりの覚悟がいるといえそうです。特に、今年はく くりの年ですからね(^^;)。私たちは、いろいろなものを抱えていますが、そう したもの(物質的なものだけではありません)を放してしまうことは、なかなか できない。それを半ば強制的に奪われてしまったとき、それはつらいものになり ます。私は、それに耐えられるかどうか全く自信がありません。私は、一体、ど うなってしまうんだろうと不安になることも多いのです。 だから、私は自分に生ずる諸々の欲の存在を認め、「幻想だと思っている」こ とにしておきたいというところが正直なところです。「その方が安全」ならば、 なおさらのことです。「このへん、難しいとこだけどね。」ということも同時に 認めつつも・・・。 少なくとも、あることを感じたとき、今、おきていることとの共時性があるらし いこと。それが何かということをきちんと洞察すること。そして、その後、何が おきて、自分は何をすべきなのか、あとできずくことが多いのでしょうが、なる べく、その覚悟をもっておく必要がありそうです。もし、私のいくつかの体験が 本当にアリオンと関係しているならば、少ない体験の中で知り得た数少ない教訓 としては、以上のことだけがいえるとしかいわざるをえません。けっして、楽な 道ではないことだけはいえるでしょう。          97/01/11(土) 14:43 水戸黄門(PEH01157) 00018/00025 SDI00635 みれ RE^2:波動 (14) 97/01/09 20:17 00016へのコメント コメント数:1  導さん、こんばんわ。  ちょい割りコメさせてね。 |私も昨年、初めてARION宛にコメント |を書いて見事ふられました。  えーと、そうでしたね、そう言えば(^^;)  でも、この体験は凄く良い体験なんです。  アリオンは、相手の度量に依って対応を変えていますから、導さんにああい う対応をしたんだろうと思います。  私から見ると導さんは思い込みが強い人だな、と思いました。  思い込みが強いこと自体はマズイことでは無いんだけど、その思い込みと自 己正当化やら自画自賛欲なんかが合体するとマズイですね。いえ、これは自戒 の意味も含めて書いてるんで、導さんがそうなんだよ、と言っている訳ではあ りませんので、誤解の無いようにお願いします(^-^;)  アリオンはね、見事に幻想や妄想を打ち砕いてくれます。だから私は好きな んですけどね(^O^;) 冷徹な迄に現実を見ろと言います。私達は現実を見てい る積もりで、実は自分の感情の動きに合わせた「現実の一部」しか見ていない 訳で、そんなこっちゃ現実と櫛の目が合う様に入り組んでいる「その他の現実」 は愚か、現実を超えた現実(あーややこし)、非現実などを見るなどは以ての 外、とアリオンは言います。  でもね、せっかく色々な事が分かる様な身体と頭脳を持ち合わせた「人間」 として生まれて来たんだから、アリオンの話してくれる色々な事を自分の目で 見たい、体験したいと私は思うのです。貪欲なのね、私って(笑)  この部屋では導さんが今まで話されなかった現実や非現実的な体験とかも、 話して下さいね。ああ、そうそう武道稽古中の体験なんかも書いて下さいね。 ★--------------------------★/FARION/SYSOP/みれ(Millenium)SDI00635/★ 00019/00025 BYK00511 導 RE^2:波動 (14) 97/01/09 23:37 00018へのコメント コメント数:1 ありがとうみれさん。 みれさんとお話するのは初めてですね。 7番会議の私のテーマは私自身にとってとても大切なことに思える ので、じっくり心の言葉が熟すまで時を重ね少しづつお話して行こ うと考えています。 又、こちらでも、少しづつお話させて頂きます。 最初にありがとうと書きましたのは、実は私がはたとこれは違うと 昨年気づいたのは、実はみれさんのコメントのなかで、私宛ではあ りませんでしたが、大人の甘えは疲れるね。というコメントがあり 、私はそれを見て、あ、俺にも誰かに甘えたいという気持ちがある のだなあーと感じたのです。 この甘えるということ、これを認め、甘えてはならないという自戒 より、寧ろもっと素直な心として、自分の甘えと共に他人の甘えも 受け止める伸びやかな心、うまく言葉に表せませんが、青空を見た 想いがしたのです。 みれさん、私は生涯をかけて合気道開祖植芝盛平大先生の意志を継 ぎ、武は愛也。を顕して行こうと思いますが、 ARIONの呼吸と合気道の呼吸が合い通じているように感じるて います。 丁度、手のひらの感触で感じています。 00020/00025 SDI00635 みれ 【甘え】の話 (14) 97/01/10 11:07 00019へのコメント コメント数:2 導 さん  おはようございます(^_^)  こちらこそRESをありがとうございます。 |この甘えるということ、これを認め、甘えてはならないという自戒 |より、寧ろもっと素直な心として、自分の甘えと共に他人の甘えも |受け止める伸びやかな心、うまく言葉に表せませんが、青空を見た |想いがしたのです。  ちょっとこの会議室のテーマからは逸れるけど、私の得意分野である【甘え】 の話が出ましたので、少しだけ…(^-^;) もちろん導さんは既に御存知の事か も知れません。その場合は、釈迦に説法になるやも知れませんが辛抱して下さ いませ。  実は、この【甘え】の話ですが「自他ともに【甘え】を許さず」という姿勢 で生き続けなければ、恐らく自分の甘えも他人の甘えも受け止めることが出来 ないという代物なんですよ。これって一見、矛盾しているかに見えますが、本 当にそうなんだな、と私は最近しばしば思うのです。つまり、自分の甘えに対 して毅然と客観視出来るだけの強さが無ければ、自分の甘えを受け止めるどこ ろか甘えに『流されて、溺れて、浸る』ということになるのです。  自分の甘えに『流されて、溺れて、浸る』人は、他人の甘えに対して一緒に 『流されて、溺れて、浸る』だけのことしか出来ません。一緒に流されて溺れ て浸っている積もりが、実際には個々に「自身の甘えに流されて溺れて浸って いる」だけなんですけどね。そしてその先には【甘え】を通じての相互依存と いう、自立したい人間には恐ろしい罠が待っていると、そういうことなんです。  ですから、一見、冷たく見えるかも知れない様な感情(虎)を切り分けるこ とから始めて、自分を観るの実践を積み重ねてゆかねばならないんですよ。特 に自分の甘えも他人の甘えも真に受け止めてゆこうと思えば、です。  世間では【甘え】を受け止めることを単に相手に同調してあげることの様に 錯覚している場合が多いのですが、【甘え】に同調するのであればそれは単な る「甘えあい」でしかなく、同病相憐むとか傷を舐めあうことと大差無い話で すよね。  本来の甘えるという語の意味は、アマ(天)を得るだとアリオンから聞いて います。アマを得た人は、それをエネルギーに活動してゆく訳です。ところが 昨今の甘えるという意味はじゃれあうとか、依存しあうという意味で使われて いることが多い訳で、私はこれが残念ですね。 ★--------------------------★/FARION/SYSOP/みれ(Millenium)SDI00635/★ 00021/00025 QFH02012 アラミス RE:【甘え】の話 (14) 97/01/10 16:04 00020へのコメント ちょいと10番会議室から宣伝RESです。 >>して毅然と客観視出来るだけの強さが無ければ、自分の甘えを受け止めるどこ >>ろか甘えに『流されて、溺れて、浸る』ということになるのです。 この「流されて、溺れて、浸る」についてはカスタネダ著作の中で呪術師ドン・ ファンが「耽溺」なる表現で同じ様な事を語っていますね。 ドン・ファンに対してはARIONも色々と言及しており、私も実に興味深く 受けとめています。もし興味があるならばカスタネダの一連の著作そして10番 会議室を覗いて見る事をお薦めします>>ALL 00025/00025 BYK00511 導 RE:【甘え】の話 (14) 97/01/12 00:05 00020へのコメント 天得る、いい響きの言葉ですね。 天真爛漫という言葉があるけど、天得るの方が響きがいい。 何か銀河の巡る音が聞こえる様です。 甘えについての話、どうも有り難うございます。 7番会議での私のテーマ、情について漠然としていた想い に切り込む方向が見えてきました。 もう少し、この見えてきたものをじっくり観てから、7番 にコメントさせて頂きます。 さて、ここでは霊的体験の話ですが、私の場合、不可思議 な現象を感じたり、観たり、聞いたりすることはありませ ん。というよりも、なにが不可思議でなにが不可思議では ないのか区別がつきません。 というのは、すべてが不可思議である様に感じるからです 。そして、すべてが不可思議であれば、すべては必然だと 思えるのです。 ただ、妙という言葉がありますが、実に精妙にすべてが関 わっているなーと想う事があります。 それは、美しいと感じる事があるときです。 この美しいと感じると同時に、なにかこの宇宙を産み、育 み、動かしている、大きな力、精妙な力、八力という言葉 がありますが、そうゆう力を感じ、その源に対する畏敬の 念が生じます。 和歌山新宮という所、私はそこに神の気というものを正直 感じました。誰かに誇るためではなく、嘘でもなく、正直 に感じました。 丁度、鼻が通る様に空気が美味しいのです。きれいな空気 というのではなくて、なんて表現して良いか分かりません 。そこが、私の原点で、道に迷うとき、道に疲れたとき、 道で転んだとき、遠く彼の地の気を感じ、いつも歩き直す 心の故郷です。 合気道の修行を初めた所でもあります。 天の村雲九鬼さむはら竜王の大神とは合気道の神だそうで すが、私にはどのような神かは分かりませんが、この神名 を心に念じると、那智の滝が心に浮かびます。 南紀、熊野の一帯の地、私が今に至るまで美しく、心惹か れるものは彼の地です。 霊の話になっていないかもしれませんね。 霊という言葉には興味というより、惹き付けられるものを 感じます。丁度、夜空の星を眺めるようにキラキラした響 きを感じます。亡霊とかそういう恐ろしいイメージもある けれど、それはそれで星の霞の様なものかな?よく分かり ません。 少し雑談になりました。では又。 00022/00025 QFH02012 アラミス カナシバリ体験 (14) 97/01/10 16:05 宣伝だけではなんですから私も一つ霊的?な体験談でも・・ 霊的な体験でポピュラーなものと言えばそうですね・・カナシバリなんかは どうでしょうか?一般的に生理現象で片づけられていますが私自身大変な 恐怖感を味わった事があるので書いてみたいと思います。 あれは4、5年ぐらい前になるでしょうか・・ そもそも夢見が悪かった。 血の様な真っ赤な世界で私はチェーンソーを持ったジェイソンもどきに 追いかけれて切り刻まれるというすさまじい夢でした。 あまりの悪夢に夜中に飛び起きたのですが(これ自体めったにある事じ ゃない)目覚めた後もチェーンソーのエンジン音が耳に残る・・ところが それは次第に金属的なベルの様な音に変わり、突然カナシバリが襲って 来たのです。 初めての体験でしたが強烈でしたね。 指一本動かせない状態で見えない巨大な壁に自分が押さえつけられてい る様な感じでした。肉体は変わらないのに精神のみが分離してベッド下 方向にめり込んで行く感覚がありました。 私は最初必死になって抵抗していたのですが、「えぇい!、こうなった らもう好きしやがれ」と力を抜いてみた所見えない壁は図にのった如く もっとぎゅうぎゅうと私を押しつぶして来たのです。 「いかーん、こりゃ駄目だ。ならば・・」と心の中で般若心経(ぎゃてー ぎゃてー・・のアレです)を唱えてみた所ふっとカナシバリが消え去って しまったのです。 「やれやれ、助かった」と安堵したその間際・・ 幼い女の子がキャハハと笑う声が聞こえて来たのです、これにはぞっとしま したね。カナシバリよりもこっちの方が恐ろしかったですよ。 結局その後はずっと眠れなくて、寝不足のまま朝を向かえた訳ですが・・ * それから暫くして就寝中に金属音が聞こえて来てカナシバリがやって来 るタイミングが分かる様になり、同時にそれをかわす事?もできる様に なりました。幸いな事に以後一度もカナシバリに合わずに済んでいます。 なおここ一年以上は金属音が聞こえる事もありません。 さて、私の体験が霊的なものであるかどうかは判断付きませんがこんな 話もありますよと言う事です(恐怖体験談になっちゃったな(^^;) 00023/00025 NBB01420 SUKE RE^3:悪い磁場での仕事対処法など (14) 97/01/11 21:46 00012へのコメント #12 みれさん、こんばんは。 >> ふみふみ、観察すべき対象が沢山ありますね。 そ、そうですかぁ?(^_^;) 何だか駅周辺はやばいかなとか思ってしまいますが(^_^;) >> 磁場が悪いと思っちゃうと、SUKEさんはそれを忌避してしまいますか? 今まで磁場の良し悪しってのはあまり考えなかったです。 (磁場と言うと物理屋の僕は電磁気学の「磁場」を思い出してしまって、土 地の場というような意味では使わなかったです) ただ、幽霊はこわい!って言う感覚が漠然とあって、怖い読み物なんかは読 みません。「私の恐怖体験」なんてのもイヤだし、映画であったような「学 校の幽霊」みたいなのも観る気がしません。 だから、寂しい墓場みたいなとことか、何か不穏な怪しさがある所は心理的 に警戒してしまいますね。 他の会議室でも書きましたが、ミイラというのもダメで、写真に出ていたり するとその紙面を触りたくないとか、なるべく早く次のページに進むとか、 そういう弱さがあります。 そういう弱さで言えば、他人が道ばたにぺっと唾を吐くとか、路傍に積まれ て何日もそのままのゴミとか、そういうのも側を通るだけで触っちゃったみ たいな気持ちになったりすることがあるんですが、そういう時ってのは大抵、 精神的に疲れている時ですね。 自分の身の周辺に自分の感覚の場がだらしなく拡がってしまっているような ものでしょうか。そういうのを少し引き締めて行った方が良いような気はし ています。 差し当たって駅周辺で言えば、ゴミが沢山落ちているあの川なんかを、ちゃ んと観るのかなぁ。明るい昼間で陽気が良い時にでも…(^_^;)                             Suke.(^_-)☆ - FARION MES(17):|∞宗教・哲学 |新時代の思想のために 97/01/13 - 00059/00061 GCG01101 アマデウス 親鸞、その悪の自覚 (17) 97/01/13 01:22 00056へのコメント   前発言では、いささか情緒的な感想を書きました。こちらでは、親鸞の  思想の中でもっとも学ぶべきところの多いと思われる、悪人正機説について  感想を書いてみます。     「善人なほもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」   有名な一節ですね。教科書の歴史しか知らなかった僕でも、これは知って  いました。尤もその意味するところまで考えてみたことはありませんでしたが。  この一節の解釈は、「阿彌陀仏は、煩悩具足の悪人を救って浄土に連れて  行って下さることを本意とされている。その救いの対象となっていない善人  でさえ、阿彌陀仏におすがりすれば救われるのである。ならば、もともと救い  の対象である悪人が救われないわけがない」ということですね。   反語表現を使った見事な修辞法ですが、よく考えてみると、親鸞の視線は  専ら悪人の方に向けられています。善人なんてハナから相手にしていないか  のようです。というよりむしろ、親鸞の深い自省の態度を思い返すと、  「この世に善人なんているのか?」と言っているようにさえ感じられます。  つまり、人間の煩悩というのはそれほど根深いものであって、簡単に解脱  できるものではないのだ、煩悩はあって当たり前なのだ、そこから目を背けて  はいけないのだ、煩悩があってなお往生できることこそが尊いことなのだ…  ということではないでしょうか。   親鸞は、煩悩をまるでないかのように隠してしまう偽善に対して、厳しい  批判の目を向けていたようです。そしてその批判の目は、己にもっとも強く  注がれていたようです。だからこそ、偽善を己に許さない生き方を選んだの  でしょう。     親鸞ほど、偽善という不徳を悩んだ人はいない。曽我量深氏は、     偽善と露悪の二つのどちらかを選ばねばならぬとき、露悪の方を     選ぶのが、浄土真宗の立場であるという。     誰でも外面は偉そうなかっこうをしている。しかし内面はなにか。     キタナイ心、ウソの心、インチキの心がいっぱいあるではないか。     うわべにおいて僧は清浄である。彼は肉食妻帯をしていないような     ふりをしている。しかし、陰で何をしているか。    (P315)   親鸞が日本仏教史上初めて公に肉食妻帯に踏み切った背景には、そんな  己の偽善を許さず煩悩を直視する厳しい信念があったのですね。煩悩はある。  それを公然と認めた上で、その煩悩を越えて救いへの道を命がけで願う。  そこに救われる機会=正機があるというのが、親鸞のいわんとするところ  だと考えます。   これを考えると、現代のポジティブシンキングなどは、煩悩はそのまま  手を付けずに置いといて、都合のいいことだけ相手にしようということだ  とすれば、親鸞の言う悪人ですらなくて、ただの逃避でしかないのではない  でしょうか。   さて、悪人正機説について、一旦定説を離れてもっと穿った見方をして  みると、「いはんや悪人をや」というのは実は反語ではなかったのでは  ないかとも考えられます。つまり、阿彌陀仏の救いの対象がまったく関係  なかったとしても、言葉の意味そのままに、善人よりも悪人の方が救いに  近いのではないか、ということです。   ちょっとひねくれた見方かも知れませんが、汚れを遠ざけてただひたすら  純潔な善人よりも、汚れの自覚を持ってなおかつそれを直視して何とか  しようと努力する悪人の方が、意識のレベルとしては高いのではないか。  あながち外れでもないと思うのですが、いかがでしょう。                               アマデウス 00061/00061 MHD02672 TAO 【イエスの生涯】 (17) 97/01/13 01:57   最近、何故かキリスト教づいています。去年末から教会のミサに一ヶ月に  一回は参加するようになったし、キリスト教信者の方と話し合う機会も増え、  改めて、クリスチャンの親を通じて知り得たキリスト教と自分の関係を考え  るようになりました。   先日も13番で、キリスト教作家の曾野綾子さんについてKAZEさんと少し話  を交わしましたが、日本のキリスト教作家では、去年亡くなられた遠藤周作  氏も忘れてはならない一人だと思われます。最近は新潮文庫から出されてい  る『イエスの生涯』を読む機会に恵まれたのですが、日本人が書いたイエス  評伝としては、恐らく現在読み得る最良の部類に入る作品では無いかと考え  ます。読みながら何度も涙腺がじわっと来たり、鼻を啜ったものですが(^^;、  決して感傷的な内容では無く、最近の聖書学や歴史学の成果を組み入れなが  らもイエスという人間の“謎”に肉迫しています。なお、この作品は数多く  の国語に訳され、昭和53年には国際文学ダグ・ハマーショルド賞を受賞して  います。   遠藤氏がイエスの人生の中で最も謎だと感じるのは、一旦は捕らえられた  師を見捨てて四散した筈の弟子達が、何故殉教を厭わないまでの強い意志と  信仰を持ち得るようになったのか、ということで、下記のように語っていま  す。      ………更に決定的なのは、どの福音書もイエス逮捕に際して、全て     の弟子がこの最愛の師を見棄てたと語っている点である。      要するに彼等は我々と同じ連中だったのだ。彼等は我々と同じよう     に、よき話を聞こうという気持ちは多少あっても、信念弱く、肉体的     恐怖のためには師も犠牲にする卑怯な性格があり、そのくせ自惚れと     世俗的野心のみ強いという平均的人間だったのである。      そのような弱虫−−少なくとも強い信念の持ち主ではなかった−−     彼等がイエスの死後、なぜ目覚め、たち直り、イエスの真価を初めて     知ることができたのか、何故彼等が内部的な変貌をとげて、弟子から     使徒に変わることができたのか。      その理由について聖書は何も語っていない。謎のまま放置している     だけである。あるいは我々に解くべき宿題として与えるだけである。     「復活」というテーマはこの謎から解いていかなければならぬのであ     る。                              (P195〜P196)   神に「救われず」、罪人として惨めに刑死した、無力なイエスの死が何故  残された人々を内部から変貌させ得たのか。ここで遠藤氏は聖書を丹念に読  み込みながら、イエスを裏切ったのはユダだけで無く弟子達全員だったとし、  だからこそ誰への恨み言も言い残すこと無く「人間悪の犠牲としての死」を  受容したイエスの最後に激しい衝撃を受けたのでは無いかと推察しつつも、  なお更なる謎を見出します。      だが、我々は再び謎に捕えられる。私が先に書いたような弟子たち     の後悔、自分たちをゆるしてくれたイエスへの感動と思慕、そういう     心理だけでは、彼等といえどもその後半生の生涯をささげあらゆる苦     難にうちかって布教に務めることはできなかった筈である。弟子たち     のような弱者はこうした心理を持っていても、それをいつまでも持続     できなかったであろう。時間は往々にして我々の感動を色あせさせ、     はじめの決意を忘れさせるものだ。イエスの死から生じた感動、驚愕、     思慕だけでは彼等の生涯はあれほど支配されなかったと考えるほうが     より正確である。      とするなら、彼等には別の次元から何か筆舌では言えぬ衝撃的な出     来事が起こったと考えるより仕方がない。それでなければ、彼等は「     無力なるイエス」をたんに有徳の人、愛の人と思いつづけるだけで「     神の子(キリスト)」という形で神格化しなかった筈だからだ。                                 (P218)   人の心を根こそぎ変えうるような「何か筆舌では言えぬ衝撃的な出来事」  とは何なのか、想像が遠く及ばないところですが、ここでシュタイナーのキ  リスト観が興味深い観点を提出します。シュタイナーに依れば「イエスは、  全人類の神化を、一身に引き受けた」「魂が、己の内部の最高の力と合一す  ることは、同時に、歴史的なキリストと合一することでもある」(『神秘的  事実としてのキリスト教と古代密儀』より)ということですが、歴史的にも  イエスが顕現したことで、人類の霊的可能性に一つの新しい契機が導き出さ  れたのは確かですね。   『イエスの生涯』は、旧約と新約の間にイエスその人を通じて共通したメ  シアのイメージが存在することも指摘していて、旧約がイエスの登場を預言  していたらしい可能性を示唆しています。これは聖書全体を丹念に読み込ま  ない限り気付かれにくいもので、そういう意味でも聖書解釈に新しい視点を  示していると言えましょう。  ***   先日は、ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた伝記映画を、レンタルビデオで  鑑賞しましたが、母国を救った彼女も周囲から見棄てられ、19歳という若さ  で火炙りという無惨な形で死ななければならなかったという点では、イエス  とダブって見えましたね。  TAO - FARION MES(18):|◆期間限定◆ |「アーリオーン・メッセージ」輪読 97/01/13 - 026/040 PAG03134 はな 第1章 pp.34-37 (18) 97/01/09 21:36 コメント数:1 ●日向族は「3」、出雲族は「8」が象徴だった (P.34)  アリオンが呈示する数字による預言解読の手がかりとして、著者は 出雲族と日向族の家系図に手がかりを探し求める。出雲族の家系図に は8が、日向族の家系図には3が多く使われていることなどから、出 雲族を8、日向族を3と仮定した。  出雲族が8であるのは、スサノオを始めとする出雲族の神々を祀っ た神社には、八坂神社、八咫烏神社など、8のつく神社が多い。さら に、スサノオが后(きさき)と結婚した八重垣神社には、8の多く含 まれた歌が残されている。   (コメント)   ※ P.34では原田常治氏の著作「古代日本正史」に掲載された出     雲族と日向族の家系図が紹介されている。自らの足で検証を     積み重ねた原田氏の著作は、非常に説得力がある。私は同書     を読んでいて、ノンフィクションである推理小説のような感     動をうけた。こちらの著作もご一読をおすすめしたい。   ※ 8と3は陰陽道では表と裏の関係になっている。出雲の裏が     日向。日向の裏が出雲。両者は不即不離の関係である。どち     らがなくなっても、相手は力を十分に発揮できない。野球で     いえば、バッテリーを組むピッチャーとキャッチャーになる。     キャッチャーがリード役を務めるならキャッチャーが出雲族     になろう。日向族は、さしずめキャッチャーのリードを無視     して、傍若無人に投球し、自らがスターだと思いこんだピッ     チャーとでもいおうか。おかげで試合は大混乱。内野、外野     はどんな守備をしたらよいか分からない。そんな状態には秩     序もない。力の発揮ができないチーム。それが今の日本にも     あてはまる。                       はな 029/040 NBB01420 SUKE スサノオの出雲族は8 (18) 97/01/10 00:56 026へのコメント コメント数:1 >> 出雲族が8であるのは、スサノオを始めとする出雲族の神々を祀っ >>た神社には、八坂神社、八咫烏神社など、8のつく神社が多い。 この話は覚えておくと面白いと思います。 職場の親睦会の旅行で(何と土曜日の休みに旅行する!)清里から野辺山へ のバス旅行があったとき、僕は昼飯をすぐ終えてしまったので、皆が食べて いる間に少し付近を歩いてみたんです。 「ああ、あれが八ツ岳の山々だなぁ」なんて思って眺めていたら、ふと目の 前の茂みの中に小さな石碑が立っていたんです。確か「牛頭天皇」と書かれ ていたと思います。 牛の頭? ちなみに、後で本を読んだら牛頭天皇と言うのはスサノオの別称でした。そ こで、「あ、そうか」と分かったんですね。「八ツ岳」も「8」だって。 恐らくあの近辺にも出雲族に関わりがあったのでしょう。 さて、身近な場所に8の字の付く地名がありますか? もし何かゆかりの地でもありましたら…5番会議室あたりにでも書いて下さ い(^_^;)                             Suke.(^_-)☆ 031/040 SDI00635 みれ 牛頭天皇のことで私が発見したもの (18) 97/01/10 11:07 029へのコメント コメント数:2 SUKE さん  よく牛頭天皇はスサノオだといわれますね。  私もずうっとそう思っていました。  アリオンからもスサノオの額は頭に近い部分の両端に突起の様なものがあっ たと聞いていましたから、正に牛頭なんだな…と勝手に思ってました。  ところが、ところが…です。実は牛頭天皇はスサノオでは無く当時の新羅だ か高句麗だかの神様だということが最近ですが、分かりました。(この辺りの 経緯や詳細については今年刊行予定のAMA族本に書くつもりですので、詳し い話を此処でしてしまう訳にはゆきません。悪しからず…(^-^;))  で、スサノオは牛頭天皇と同一では無く額の突起などから別の神様と同一し され、現在に至っている…とそれだけ言いに来たんだよな>私(笑) ★------------------97/01/10(金) 10:51 みれ(Millenium)SDI00635------★ 032/040 PAG03134 はな RE:牛頭天皇のことで私が発見したもの (18) 97/01/10 20:47 031へのコメント みれ さん  割りコメです。 >> ところが、ところが…です。実は牛頭天皇はスサノオでは無く当時の新羅だ >>か高句麗だかの神様だということが最近ですが、分かりました。(この辺りの  げっ! そうやったんですか。                       はな 036/040 NBB01420 SUKE RE:牛頭天皇のことで私が発見したもの (18) 97/01/11 17:33 031へのコメント #31 みれさん、こんばんは。 おや、牛頭天皇の話、そうでしたか。 八ツ岳で見た時に、石碑はカメラに収めたのですけど、半年以上も前のフィ ルムをまだ使いきっていないので現像していません(^_^;) フィルムがダメ になっていなければ、確認しておきます。 ところで、そうなると牛頭天皇の石碑があったことと、八ツ岳の「8」が出 雲の数字に関連するかどうかと言う話は、全然別個の話になるんですね〜(^_^;)                              Suke.(^_-)☆ 027/040 NBB01420 SUKE RE^3:表紙裏の写真について (18) 97/01/09 23:31 024へのコメント #24 優位さん、こんばんは。 余談ですが… 僕は色の象徴性などあまり知らないんですが、色が人の心に与える影響と言 うものはあるのだと思います。で、ARIONはアートラインプロジェクト と言うプロジェクト(著者と同名)をやっていたと言うのをどこかで読んだ 覚えがありますし、人の心に訴えかける方法の一つとして美術を選んでいる のでしょう。 だとすれば本に「仕掛け」てあると言うよりも、これらの本は内容だけでは なく、装丁そのものも含めた一つの作品なのかもしれません。 ですから、後に文庫版で復刻しても、あまり意味は無いのかもしれないです ね。 そして、その全体の芸術性から何かを感じ取る人と言うのが、文章以外の何 かを得られるタイプの人なのでしょう。 こういう事になると、僕のような理屈で解析しようとするタイプには分から なくなってしまいます(^^;)                            Suke.(^_-)☆ 028/040 NBB01420 SUKE AMA族の地名って (18) 97/01/10 00:56 021へのコメント コメント数:1 ここで紹介されたAMA族と言うのは、以前データライブラリにも「AMA 族の系譜」として一輝さんの紹介文が登録されていましたので、ご存じの方 もいると思います。 モンゴル系なんですねぇ。日本人の祖先がモンゴル系だと言う話は聞いてい ました。で、騎馬民族なんだと。だから狩猟民族なのかと言うと、何か変だ ぞ?となってくる。 実際にはAMA族の移動経路(陸路と海路)を示した地図が本に乗っていま して、陸路は現在のモンゴルの国よりも全然南の、チベットあたりをずっと 移動しています。チンギスハンを思い浮かべてしまうと、ちょっと違うみた いですね。 ところで、AMA族の通った経路には ama の音が地名として残されている と言うことです。 実際にこの地図を見てみると、  Samastipur Jamalpur Nilphamari Tamanthi Amaraqura など、確かにこうして見るともっとありそうだなとか思ってしまいますが、 他にはこの地図に示されている地名で  Ambela Amlekhganj Amroha など頭に「あま」の発音がつくものなどはまだ分かるのですが、  MongNam SamNeura Bhamo Namsang など、まぁ「あま」と言えば言えるのでしょうけれど、スペリングだけで見 るとちょと苦しいんじゃないの?と思うような地名もあります(^_^;)。 この辺りはどの辺まで厳密に追いかけられるものか、難しいところなんでしょ うか。 日本語では「天」と言う字があたるのでしょうけれど、神話の神々の名前に 前置詞のように「天」とついているのは、飾りじゃなくてAMA族の名残だっ たのかもしれません。 (そういえば、あもりさんって昔、「天祈」と言うハンドル名でしたね(^_^;))                             Suke.(^_-)☆ 030/040 HGB02122 あもり RE:AMA族の地名って (18) 97/01/10 04:42 028へのコメント コメント数:1  呼びました?? (^_^;  なつかしいなあ、そのハンドル。  あの頃はほぼイッちゃってましたからね〜  私がこのハンドルにしたのは、音が先に来てます。あ〜も〜り....をを、  ええじゃないか....漢字を当てたのは後の話です。おかげて「てんもり」  とかよく言われました。  ゴミでしたゴミ。     HGB02122 あもり 033/040 PAG03134 はな あもりさんのハンドル (18) 97/01/10 23:35 030へのコメント コメント数:1 あもり さん >> 私がこのハンドルにしたのは、音が先に来てます。あ〜も〜り....をを、  キリスト教の異端派に「アモリ派」がありましたけど、そっから名付けら れたのですか? アモリ派って、教会が正気か?っていう強姦や姦通など、 肉欲を認めた教義をもっていましたし。(^^;                       はな 035/040 GBA01052 CHARAN RE:あもりさんのハンドル (18) 97/01/11 01:12 033へのコメント コメント数:1 はな さん、こんにちは。 : キリスト教の異端派に「アモリ派」がありましたけど、そっから名付けら :れたのですか? アモリ派って、教会が正気か?っていう強姦や姦通など、 :肉欲を認めた教義をもっていましたし。(^^; 私が本人にかわりご返答しますが、 「アモリ」はインドネシアの皮膚病の薬の名前です。 何でそんなものから名前を取ってきたのかについては不明ですが。 97/01/11(土) 01:02 CHARAN(GBA01052) 038/040 HGB02122 あもり RE^2:あもりさんのハンドル (18) 97/01/12 11:51 035へのコメント  #035 CHARAN さん、はなさん > キリスト教の異端派に「アモリ派」がありましたけど、そっから名付けら >れたのですか? アモリ派って、教会が正気か?っていう強姦や姦通など、 >肉欲を認めた教義をもっていましたし。(^^; >私が本人にかわりご返答しますが、 >「アモリ」はインドネシアの皮膚病の薬の名前です。 >何でそんなものから名前を取ってきたのかについては不明ですが。  違います(^_^;;;;;;;;     HGB02122 あもり 034/040 PAG03134 はな 第1章 pp.38-42 (18) 97/01/10 23:35 コメント数:1 ●地名が示す両部族の勢力分布図  3は日向族8は出雲族と仮説を立てた著者は、日本地図から3と8 のつく地名を探してみる。平野部には3のつく地名が多く、山地、山 岳部には8のつく地名が多いことも分かった。ここから、日向族は平 地を中心に自分たちの勢力を拡大し、日向から逃げるようにして山に 逃げ隠れる出雲族の姿が浮かび上がってくるとする。(p.38)  3と8のつく地名をピックアップすると、アリオンが詳述した出雲 族と日向族の抗争ルート上に8と3のつく地名が重なることを著者は 発見する。(p.40)  出雲族は出雲−能登−新潟−信濃というルートをたどって最終的に 東北地方に逃げたという。このルート上には8のつく地名がおおい。 (p.40) (発言者よりコメント)  ※ 地図を見ているといろいろな発見があっておもしろい。8と    3に限らず1やら2やら5が出てくるのが、一戸、二戸、三    戸がある東北地方だ。こちらも、数字に隠された意味がある    のかもしれない。  ※ 東北地方を中心に地図をざっとみていたら、一戸二戸とみて    いくと1から9までのうち4だけがない。不思議。4が何か    ?については、p.44から。  ※ ロシアタンカーから原油が流出した事故で、重油が漂着した    のは福井県三国町だった。ここにも日向は進んでいたのだろ    う。(時事的な地名だったので取り上げました)                       はな 037/040 GBG02043 維/YUI RE:第1章 pp.38-42 (18) 97/01/11 21:55 034へのコメント ワリコメです。 一戸、二戸、三戸、五戸、六戸、七戸、八戸、九戸、十和田ですね。 四なんですが…十和田湖から真下より少し右より(太平洋寄り)に下がるように直線を 引き、その線と八戸と三戸を結ぶ直線の延長線が交わるところあたりに、「四角岳」 というのがあります。 97/01/11(土) 21:37 維/YUI(GBG02043) 039/040 PAG03134 はな 第1章 pp.42-44 (18) 97/01/12 17:32  日向族の象徴である3は、皇室にも影響を及ぼしている。皇室の皇位継承 とされる「三種の神器」は、日本書紀、古事記に記されているが、三種の神 器には日向を象徴する数字「3」が入っている。最近古代史研究者で研究対 象として注目を集めている「旧事本紀(くじほんぎ)」には、皇位継承の証 には三種の神器ではなく、「十種の神宝(とくさのかんだから)」が記載さ れている。そして、十種の神宝こそ、正式な王位継承権を持つ出雲族が持っ ていた神器であった。(P.42)  原田氏によれば古事記、日本書紀は日向によるねつ造で作られたという。 古事記、日本書紀には出雲族のニギハヤヒはほとんど出てこないのに対し、 旧事本紀にはニギハヤヒと十種の神宝の伝説が詳しく記されていることも、 古代史研究者の注目を集める理由の一つである。(P.43)  ニギハヤヒは預言解読において重要な位置を占める人物である。アリオン はニギハヤヒについて「隠された数字が9と述べている」。(P.44)                       はな 040/040 PAG03134 はな 第1章 pp.44-48 (18) 97/01/12 21:03 ●アマテラスの義弟たちの数字は「4」  原田氏の研究によれば、神武天皇は日向族の血統を継ぎ、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の系統で生ま れた実在の人物である。出雲族に王位継承権があったのであるから、 日向族の神武天皇には王位継承権はない。(p.44)  スサノオとアマテラスは政略結婚となり、この婚姻をきっかけに、 出雲族と日向族の争いは激しくなる。両部族の確執の中心が、アマテ ラスとスサノオの婚姻にまっこうから反対した「アマテラスの義弟」 であった。(p.44)  アリオンによれば、アマテラスの義弟たちの数字は「4」であり、 四国はアマテラスの義弟たちが逃げ隠れた地域とされる。(p.45)  著者はここで日向の3についてカバラの知恵を用いる。三位一体な ど、神聖な数字である3は、天上界の神の力を表している。呪術に 長けていたアマテラスの義弟は、天上界の力を人の世に降ろしたの である。しかし、神の力を人の世に降ろし、有効に利用すればよか ったものを、アマテラスの義弟たちの我欲によって、誤った方法で 力が利用されたとアリオンは説明する。また、3から人間の知恵が 加えられ4となり、4に人間の経験が加えられて5になるとアリオ ンは説明する。(p.48)  (コメント)   ※原田氏の検証で興味深いのは、イザナギとイザナミは神話に    登場する伝説の人ではなく、実在する人物だったと説いてい    ることだ。そして、アマテラスはイザナギとイザナミの間に    生まれた子であった。アマテラスも実在の人物であり、原田    氏はさらに「古代日本正史」で卑弥呼とはアマテラスである    と明言している。   ※要点のまとめにはふれなかったが、カバラの知恵として、ア    ダムカドモンについても触れられている。アダムカドモンと    は「天国の人」とか「原初の人」と訳され、神の力を人間界    に具現化した人間とされる。アリオンはアダムカドモンの数    字を、アマテラスの義弟と同じ「4」としている。   ※アダムカドモンも、アマテラスの義弟も同じ4である。それ    は、神の力を人間界に降ろし、人間界で神の力を具現化した    からである。しかし、おなじ4で表されても、両者の違いは    あまりにも大きい。                       はな