「はい、時の神様が依頼した事を実行するべきかと…」と小天使 - FARION MES( 4):*********** カベ (Wall) *************** 97/01/18 - 00139/00151 JAG04260 満天星 RE:「宇宙は怒っている?」 ( 4) 97/01/17 22:11 00136へのコメント #136 猫の手さん こんばんは. 今回のご返事は, ほとんどまったく回答になってませんよ. どうぞ真剣に考えて, 再度ご返事をください.                              満天星 00145/00151 HGE02116 MAKOTO 「幸せ」とは?(長文注意) ( 4) 97/01/18 00:27 00131へのコメント コメント数:1 #131 >猫の手さん、RESありがとうございます。  猫の手さんが「幸せ」をどのようなものと思っているのかを聞かせていただい たわけですが、まずは、猫の手さんさんからのRESを読んで、私がどう受け取 ったのかを、書かせていただきます。  猫の手さんは、「幸せ」を感情の一種だと思っているんですね。そして、猫の 手さんの場合「幸せ」は、仲間がいなければ長続きしないものなんですね。  また、猫の手さんは「幸せな人」というものを、「幸せを与える事のできる人」 だと思っているんですね。そして、猫の手さんにとっては、「人の気持ちに共感 できる人」が幸せな人だと思っているんですね。  私が猫の手さんの説明の中で、ポイントはここなのかなと思った部分を取り出 してみたんですけど、これで間違いありませんか? そこじゃないよっていう部 分があったら言って下さいね(^^)  RESを読んでいて思ったんですけど、私とはかなり「幸せ」というものの捉 え方が違うみたいです。私の場合は「幸せ」は感じるもので、それ以上の意味づ けはしてないんです。猫の手さんの仰るように、感情に含めていいような気もし ますし、それだけでは収まらないような気もします。  私の場合「幸せ」は、猫の手さんのように、仲間がいる時に感じる事もあるん ですけど、いなくても感じる事ができます。仕事が充実してる時に感じるし、絵 を描いている時にも感じます。奇麗な景色を見てる時にも感じます。私の場合、 「幸せ」って、人との関わりの中でしか感じられないものじゃないんですね。  次に私は「幸せ」は、与えたり貰ったりするものじゃないと思ってるんですよ ね。だから「幸せな人」=「幸せを与える事のできる人」という等式は私の中に はありません。ここも、猫の手さんと私の異なっている部分ですね。  次に、猫の手さんにとっては「人の気持ちに共感できること」が「幸せな人」 である条件のようですね。私も大切な事だとは思うのですが、そのまま頷く事は できません。それは、猫の手さんがどんな事を「共感」と思っていらっしゃるの かがよく分からないからです。  猫の手さんにとっては「共感」って、どんな事を言うんですか? 猫の手さん がどんな時に「共感」を憶えるのか、なるべく具体的な話しを聞かせてくれると 嬉しいです。 | たぶん私がイメージする幸せな人ならば、「私も誰もが幸せであることも願  私も、擦れ違った原因の一つがここにあるように思います。こうして話しをう かがってみて、あらためて思うのですが、私は貴方の「イメージする幸せな人」 像からは程遠いようですね。でもね猫の手さん、貴方のイメージと違うから「こ の人は幸せではない人なのだ」というのは、あまりにも短絡すぎると思います。 私が実際に「幸せ」かどうかは、貴方のイメージ通りかどうかといった基準では 計れないものだと思います。「幸せ」の基準そのものが、猫の手さんと私では、 かなり異なっていますしね。  勝手ながら、話しを混乱させない為に、貴方の世界感については、今回はRE Sは付けない事にしましょう(^。^) | 私はMAKOTOさんと友だちになりたいと思っています。 | 私の友だちになってもらうことはできないですか?  猫の手さんは、どういう人の事を「友達」だと思っているのでしょうか? ち ょっとね、それを聞かせて下さいませんか? わざわざこんな事を聞くのはね、 猫の手さんの思っている「友達」像に興味があるからです。何となく、ここにも 差があるように思いますので(^。^)                               MAKOTO 00151/00151 QZY01267 猫の手 RE:友だち ( 4) 97/01/18 14:34 00145へのコメント  MAKOTOさん、ご丁寧なRESをありがとう御座います。    本人が「幸せだ」と言っているのに、その人を周りから「不幸」呼ばわりす るのはやはりおかしなことですね。  ですから、本人が「幸せだ」と言っている場合には、私は私の考えをその人 に押しつけようとは思っては居ません。ただ、私に関わってきた時に、それに 対して私の考えを述べることはしています。  あとは、一般論としての考え方を、ちらっと目に付くところに措いておくと いうぐらいですね。でないと、必要になったときになかなかそれが手にできな くなってしまうと思うので。  MAKOTOさんの文章を読む限り、MAKOTOさんが抱く「幸せ」感と私の抱く 「幸せ」感に、それほど大きなずれがあるようにも私には感じられませんでし た。私もずうっと、「幸せは感じるものだよ。」ということを語ってきていま す。あとは、私はその「幸せな人」の在り様を語っているだけです。  私の考えは、一輪の花を見て幸せを感じた人は何をするか? という視点に 基づいています。  そして、私に関わってきた人は、私と何らかの関係を持ちたくて現れてきた 人だと判断します。とするならば、私は自分の「幸せ」感に裏打ちされた友だ ち関係を作っていきたいと思うのです。そういう風に考えるのっておかしいの でしょうか?   で、それが違うと言われたら、私としては、「じゃあ、あなたは何を求めて いるの?」と聞かなくてはならなくなります。MAKOTOさんとの間でもそのプ ロセスを踏んできていると思っています。  もしMAKOTOさんが私に無関心だったら私にRESを付けては下さらなかった でしょ。  「友だちの定義」と、いきなり出されてしまうと、けっこう語るのも難しく なりますね。実際いろんな種類の友だちが居ますから。しかし、お互いの間で 共有できる何らかの思いがないと友だちで居続けるというのは難しいでしょう。  私としては、共感し合え、それぞれのビジョンに向かっていくことを支え合 える仲間を一番大切な友だちだと考えるだろうと思います。そこには、ビジョ ンを生み出していくエネルギーがあると思っています。  ちなみに、「共感」という言葉、「支え合う」という言葉を誤解してくれる 人が居て、疲れてしまいます。  「共感」というのは、同情や哀れみとも違うし、相手の正しさを肯定するこ とでもありません。相手の感情、相手の意図に自分の感情を開いているという ことです。もうそれだけで支え合いになっていると考えても良いかも知れませ ん。  ですから私は「私の考えが正しい。」なんて言われてもちっとも嬉しくはな いです。要は、正しいか間違っているかではないのですから。   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/18 13:23> ** 00142/00151 VFE01003 くりす RE^3:ちゃんと伝えるよ ( 4) 97/01/17 23:49 00138へのコメント コメント数:1 #138 猫の手さん こんばんは、RESありがとうございます。 猫の手さんがここに書き込む理由については了解しました。 貴方がそう言う志を持っていること自体は、貴方なりに生きていくことや 社会を憂れいてなんとかしていきたいと言う気持ちの現れなんでしょうけど、 僕以外にも何人かが貴方に問い掛けているように、今の貴方の方法論が ここの人々に対して適していないから矛盾を付かれるようなRESばかりが つくのではないでしょうか。 ここでまた提案なんですけど、貴方が取っている「詩」の形では 心情の吐露と言う自慰行為にしか受け取られないと思うのですよ。 かといって、自説の吹聴を文章にされて延々と書かれるのも困り物です。 このフォーラムで自分の話にきちんと耳を傾けてもらいたいと考えてるなら、 皆さんとのきちんとした「会話」をされることが望ましいと思いますが。 自説を押しつけず、相手の話をよく聞き「会話」と言うやり取りで、 相手をきちんと理解する方向性を示していけば、おのずと貴方の言葉を 聞こうとする姿勢が相手方にもできてくると思うのですが。 それができて皆さんに貴方の方法が認められた上で、「詩」と言う方法を 取られてもいいのでは。で、またこの方法を取られるとき、現在みたいに ぞろぞろと無駄に長くなってしまうような形態では読む側も疲れます。 せめて言いたい事の論旨を簡潔にまとめられ、アップするペースも 毎日ではなく、もっとゆっくりとしたペースでアップされることが 望ましい事と私は思いますが。 良いことをやろうとしても迷惑がかかるやり方では誰も反応は示さないと 思いますし、1年以上この形態をやっても貴方が提案している方法で 「新しい生き方を求める人」がほとんど出てこないのは、貴方の言う 「共感」を感じとれないからではないでしょうか。 その上で、方法論を考え直されてみてはいかかがでしょうか。 それでは。                           くりすでした 00150/00151 QZY01267 猫の手 RE^4:ちゃんと伝えるよ ( 4) 97/01/18 14:34 00142へのコメント  くりすさん、ありがとう御座います。  その方向でも、検討させていただきたいと思います。    ただ、会話をするためには、相手が居なければなりません。  そして、基本的に、批判のし合いや、あらの探し合いをしたいとは思ってい ません。そういう会話がまともにできる相手がいらっしゃればそうしていきた いと、私はずうっと思ってきています。  くりすさんはそういう話し相手になって下さいますか?     ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/18 12:34> ** 00146/00151 QZE03111 こむ 近ごろのわたくしのかけら ( 4) 97/01/18 00:58  なきごとばかり言っててもそのうち飽きるだろう。  同情ばかりしてても退屈だ。  真剣だとか、本気だとか言ってるうちはまだまだだ。  どこかに無理があれば続かない。  偽った分だけ、魂が死んでいく。  だから全力を尽くすとか、いっしょうけんめいとか言わない。  ほんのちょっとだけ力を貸そう。     *****こむ より***** 00148/00151 NBB01420 SUKE RE^3:時が来た。 ( 4) 97/01/18 13:28 00137へのコメント #137 猫の手さん、こんにちは >> そうね、自分の生き方に満足している人に、 >> 「あなたは満足していないでしょ?」 >> と、問い掛けられても、困ってしまうでしょうね。 と言うか… 決して満足しているとは言い切れないけれど、少なくとも今更言われるまで もなく、日々やっているんだ、と言う気合いと言うか覚悟というか、そうい うものはあるんですね。 でもそういうのは、言われてやるものじゃなくて、自分の内側から湧き出る ような想いで為して行くものだと思います。 だから、猫の手さんがわざわざ書いたと言うのは、何だか変だったなとね。                             Suke.(^_-)☆ 00149/00151 QZY01267 猫の手 本来の生き方? ( 4) 97/01/18 14:33  過去の時代とは縁を切って    早く本来の生き方を      始めなさいよ。              過去に縛られている時代は終わるのよ。    原因じゃないの。  目的に向かって生きるのよ。    目的を意識して  生きるのよ。    あなたは   どうなりたいの?               ** QZY01267/『猫の手』 <01/18 12:26> ** - FARION MES( 6):|ψARION 関連 |メッセージから学ぶ 97/01/18 - 02229/02239 GGA02514 KAZE RE:RE^2:円と縁 ( 6) 97/01/17 16:31 02226へのコメント しまうまさん、どうも。 >>真摯な論争、腹を据えた言い合いなどは、むしろ発展性のカタマリでしょうね。 そうですね、非社交的なぼくとしては、 そこらへんはあまり得意でなくて、腰が引けてしまうんですけど^^;、 ほんとうに必要だと思ったときにはがんばらなくちゃいけませんよね。 >> しかし、KAZEさんのいい加減なレスって見たことないような。 いえいえ、ぼくのレスはけっこういい加減です。 その証拠に誤字脱字などの多いこと^^;。 もっと真摯に書かなくちゃあと思いながら、 B型の血がそれを許さない・・・とかいうと、 他のB型の方に怒られそうですね(^。^;)。 けっこう気分屋なもので、だからこそこうした「文章のお稽古」で 練習しているようなところもあったりします。 別アーティクルで「臆病者正機説」を書きましたけど、 「いい加減正機」って感じでしょうか、ははは。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 7):|ψARION 関連 |自分を観る 97/01/18 - 09515/09519 SGQ02661 龍 RE:絶対的ということ ( 7) 97/01/18 01:25 09507へのコメント  こんばんわ、SUKEさん、龍です。 ARIONは自分を「神」とは言わず「天使」と言っている訳ですが、 これは、ARIONは確かに人知を越えた存在であっても、絶対的なもので はない、と言うことでしょう。 それは6番会議室でARION自身を「標識」と位置づけているメッセージ が引用されていたのを思い出しても、納得できます。到達点ではなくそこへ 至る為の標識であるということなのですね。 >超越者を見るとすぐ絶対者と思いたくなってしまう、その心理は、根底に超 > 越者への依存心が隠れていると思います。 >超越者は超越者であって、いわば自分より高次の位置にいる、と言うことを >はっきりと認識して行く…。それは不遜な意味ではなくて、寄り掛からない >と言う意味で、そのように受けとめてゆくべきではないかと思うのです。 >相手が超越しているか、絶対的なのか、そういう相手の属性に拘っている間 >は、依存心と言う軸線情から離れていないのですね。そういう拘りから離れ >て、相手の属性への拘りから自由になる、そこに「自分が在る由」への道が >あるんだと思います。  ではあなたはARIONに影響されてないのですか?わたしは少なくと  ここのフォーラムでの会議室でARION発言を見てますから影響されて  います。あと相手の属性への拘りを自由になると言ってますが、あなたも  私と同様にARIONに影響を受けてますよ。影響の程度はわかりませんが。   以上                   龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ - FARION MES( 8):|ψARION 関連 |預言解読村 97/01/18 - 00139/00143 PAG03134 はな カバラについて (8) ( 8) 97/01/17 23:10 00130へのコメント  「・「カバラ」とは「受け取られたもの」を意味する。   口から耳に直接伝えられる秘伝、「神」から天使に、天使から   人間に、祖先から子孫に、師家から弟子に受け取られ、手渡し   された永遠「伝統」である。   普通この「伝統」は慎重に隠され、然るべき勉学と修練の後に   特に許されたものだけが、その位にふさわしい伝授を受ける。   19世紀末からカバラ文献が急速に公にされ、今ではかなりの   「秘伝」が書物となって流布している。だがこのような知的財   宝としての「秘伝」は、博物館に陳列された「宝剣」のような   ものだ。見ることはできても使えないのである。」             (「ユダヤの秘義」平凡社 巻頭言p.8)  カバラはまず神から天使に伝えられるという。それゆえ、最初の カバリストは神なのである。カバラの秘義は神により創造され、知 恵者に伝えられたという説がある。また、神から天使ラツィエルに 伝えられ、アダムに伝わったともされている。最近、預言解読村で 話題になっているヘルメス文書も、カバラの知恵がふんだんに盛り 込まれていると言えるだろう。  カバラの知恵は伝承を許されたものだけに伝えられる奥義である。 アリオンも「 実践し得ない知識は、毒である。(94/06/15 ハロー)」 といっているし、たとえ話として「子どもに電気ノコギリを渡すと どうなるか」と言っている。本人に使いこなせない知識は、暴走し てしまう。カバラの知恵は大量の宇宙エネルギーを吸収する知恵で もあると思う。もし自分で使いこなせないだけのエネルギーが体内 に流れれば、最悪、身体は「発狂」という形で壊れてしまう。師は カバラの知恵を慎重に隠したのは、もったいぶっていたからではな く、使いこなせなかった知恵を持たされたものの末期の悲惨さを知 っているが故に、カバラを伝承するだけの弟子を真剣に選んだのだ ろう。                       はな - FARION MES(12):|∞精神世界裏表|どうする日本/世紀末談 97/01/18 - 01757/01766 GBA01052 CHARAN RE^4:猫の手さん、MAKOTOさんへ (12) 97/01/17 18:15 01756へのコメント コメント数:1 猫の手 さん、はじめまして。 : 「自分本体の指向する方向」というのは、私にとってはやはり『幸せ感』です。 たかが言葉と言ってしまえばそれだけなんですが、 猫の手さんが指向するものが『幸せ感』というところに 反応してしまいました。 なぜ『幸せ感』であって『幸せ』ではないのか。 とりあえず感じたままですが、覚え書きとして残しておきます。 △CHARAN(GBA01052)▼ 01765/01766 QZY01267 猫の手 RE^5:猫の手さん、MAKOTOさんへ (12) 97/01/18 14:34 01757へのコメント  CHARANさん初めまして、   >>なぜ『幸せ感』であって『幸せ』ではないのか。    とても私にとって大切に考えているところです。  それは、私が「幸せというものを感じるものだ。」と考えているからです。  どんなに豊かさを持っていても、それを感じる力がなくては幸せとは感じる ことができないように人はできているようです。   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/18 13:37> ** 01758/01766 SDI00635 みれ 猫の手さん、雰囲気でRESしてません? (12) 97/01/17 21:14 01756へのコメント コメント数:1 猫の手 さんへ  もうタイトル通りなんですが(^O^;)  私があなたに書いたRESは読みましたか?  差別についても私の意見を書きましたが、あなたからの反論も無いままです。  また、以下の部分には答えて頂けないのでしょうか? 【#01755】 | あなたの頭の中は、人のいい愛情に溢れた存在が宇宙人であることになって |いる様ですが、これは現実認識とは言えません。宇宙人を知ろうにも今の段階 |では無理でしょう? | | そもそもどんな相手でも「猫の手さんの考える、いい関係」を望んでいるか |の様に思い込むこと自体が、この地球上に於いても現実的とは言えません。あ |なたが望む「いい関係」を誰もが望んでいると勘違いしていませんか?これこ |そ、あなたの一方的な価値判断じゃないのですか?  それとも、以下の部分がRESですか? 【#01756】 | 私としては、「言葉のすり替え」も、「本物そっくりの嘘」も並べて居るつ |もりはないのですが、みれさんとしてはそう受け取れる箇所が沢山あったとい |うことをおっしゃりたいわけですね。  会話というのは、相手がきっとこう思っているんだろう、だけど私はこうい う積もりだ、的な展開では出来ないんです。相手の言っていることに対して面 倒でもキチンと対応してゆかないと、雰囲気だけで返答している、つまり思い 込みだけで自分勝手な話をしたいだけなんだ、と思われても仕方が無い訳です。  それから〜、猫の手さん私はアドバイスなんてしている積もりは毛頭ありま せんよ(苦笑)…あなたと会話をする努力と会話が出来た時に何かを学びたい という、まぁ言えば好奇心ですね。アドバイスなんて大それたこと私に出来る 訳が無いですよ。 ★------------------★/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------------★ 01766/01766 QZY01267 猫の手 RE:猫の手さん、雰囲気でRESしてません (12) 97/01/18 14:34 01758へのコメント  みれさん、こんにちは。  私はちゃんと、答えたつもりで居たんだけれど、みれさんには答えとは映ら なかったようですね。ご免なさい。    「あなたが望む「いい関係」を誰もが望んでいると勘違いしていませんか? これこそ、あなたの一方的な価値判断じゃないのですか?」  についての解答は >> いくら私が甘い世界を作りたいと思っても、「そんなのはダメだ。」と言っ >>てRESをつけて下さる方々が居るという現実を私はちゃんと受けとめています。  という言葉の中に、しっかり込めたつもりでいました。    それではそのことについて解説したいと思います。  私はまず、私の思いが大切だと考えています。ですから、「誰もが望んでい る」かどうかというのは、あまり重要性を私にはありません。ただ、どんな相 手にもその気持ちがあるということを信頼することに私は決めただけです。そ こからコミュニケーションを始めることを私が決めたということでしか在りま せん。  他の人がどうであろうと、私はそのことを信頼し続けることで、コミュニケ ーションを計り続けます。それに対して、誰かが「私は違う」ということを「 それは間違っている。」などと言うつもりは毛頭ありません。たとえそう言う 人が居たとしても、私はそういう人にも私と同様に「いい関係」を持ちたいと いう気持ちがどこかにあるはずだということを信頼したところから始めると決 めているだけです。  そしてできれば、同じ様な信頼感を持つ人が私の周りに増えてくれることを 願っています。それにより、私が楽になれると思っています。  これで、答えになっているでしょうか?  ちょっと、まだ受け取りきれないかな?  みれさんの言葉を言い直すとしたら、  「私は、誰もが「いい関係」を望んでいる部分があるということを信頼して います。それは私の一方的な思いですから、ひと、もしくは宇宙の在る存在に 措いてはそうじゃないのも居るかも知れません。たとえそうだとしても、私は まずそこからコミュニケーションを始めることを決めています。そして、そう いう信頼感を持った人が増えてくれることを願っています。」となりそうです。       まだ分からないところがありましたら、教えて下さい。  私は自分ではしっかり伝えたはずだと思っていることを、何度も何度も同じ ことを問い返されて、めんくらってしまうことが多いですね。  コミュニケーションの方法を勉強させていただいています。  思い込みはいけないということで、慎重にさせていただいています。           ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/18 14:25> ** 01759/01766 GFB00026 一輝 自己催眠のための会話の意味 (12) 97/01/18 00:54 01682へのコメント >猫の手さん 初めまして。お待ちしておりました。今までのお話の中で気になることがいくつ かありましたので、主なものを私感として述べさせて頂きます。 #1710 | ちなみに、不利とか、有利だとかいうのは私にとってもどうでも良いことで |はあります。ではあるけれど、「負けているな。」と思える方の肩を持ちたく |なる性質を私は持っています。 | 私の人、生振り返ってみると、幼い頃からずうっとそうしてきて居るんです |よね。だからこそ協力隊にまで行って、そのあと市民運動で駆け回ったという |のがあるんですから。それを良いとか悪いとか私は判断しないことにしていま |す。 ……………”判官贔屓”というヤツですね。昔の知り合いに「巨乳なら何でも      俺は許す」というのが居ましたが。それを思い出しました。何を原      因として戦いが起きているのか理解することよりも、負けている方      の肩を持つというのでは、「女の喧嘩なら、つい巨乳の方の肩を持      ってしまう」という知人と、事態の本質から外れたところで物事を      判断しているという点で、同じ意味であると言えます。      私も市民運動には参加したことがありますが、「面白そうだから」      とか「体制に抑圧されているから」とか「彼氏を見つけるから」と      か、運動の本質から外している参加者が一番シラケました。「良い      悪い」でなく最初から「勝ち負け」で判断するような市民運動では、      運動参加者以外の人々からの支持を受けることはないでしょう。 CHARANさんも#1757 で指摘していましたが、猫の手さんの望んでおられる「幸 せ感」について、次の箇所を思い出しました。 #1682 | 今この時というのは、何かが起こる前触れのようなときだという気が私はし |ています。それが本当なのかどうかは私にもはっきりと言って分かりません。 | ただ言えることは、「ハッピーな思いを広げていけば、必ずハッピーになっ |ていくという法則があるらしい。」ということぐらいです。だからこそ、今こ |のときにこんな状況でここにいて、SUKEさんともこんな会話ができることは、 |とても大きな流れの中の重要な一つイベントなんだと考えたいと思っています。 | 本当に幸せと感じることができるようになるための一つのイベントだと考え |たいと思っています。 ……………ここには、本当に幸せと感じるための出来事として、SUKEさんとの      「ハッピーな思いを広げていけば、必ずハッピーになっていくとい      う法則があるらしい。」という会話がある、、、はずだった。      これは、”SUKEさんとの対話の中で幸せを見いだす”という意味で      はなくて、”SUKEさんと「ハッピーな思いを広げていけば、必ずハ      ッピーになっていくという法則があるらしい。」という会話をする      ことで、幸せと感じることができるようようになる”ということ。      ところがSUKEさんは、「この会話で幸せを感じることができるよう      になった」とは、RESの中で語っていない。     つまり、この会話はSUKEさんとでなくたっていいわけです。誰かと      「ハッピーな思いを広げていけば、必ずハッピーになっていくとい      う法則があるらしい。」という話をすることで、猫の手さんは、幸      せと感じることができるようになるわけです。要約すれば「幸せに      なる法則の会話をすれば幸せになる」というループ状の論理が、そ      こにあります。これで本当に皆が幸せになれば、楽なもんです。      ところが、こういう奇妙な論理を当たり前のように語っていたのが、      何を隠そう80年代後半の私でした。ほとんど猫の手さんと同じ言い      回しでしたし、私が参加したいくつかのワークショップでは、終わ      ってから誰もが金太郎飴のようにポジティブシンキングを話してい      て、その話をすること自体が楽しく、自分がハッピーな気分に浸れ      たのでした。この「自分がハッピーな気分に浸れること」が目的で、      互いに周囲の人々は、その為の演出装置のようでした。      でも実際は幸福とは程遠い生活をしていました。だけどそのことに      気付くのが怖くて、内面の話は誰もせずに、こういった気分に浸る      ことで、ある種のナルシズムに拍車をかけていたわけです。これは      自分のマスターベーションに他人の手を添えて、悦楽に浸ろうとす      る行為でした。目の前で起きていることをハッピーの法則(ポジテ      ィブシンキング)でゴマかして過ごす。ゴマかせないような状態に      なると、怖くて余計に相手を慰めたり優しくしたりして、なだめよ      うとする。      でもね、これって全部優しくしたりすることで、本当は自分自身を      なだめていただけだったんです。相手が感情的になったように見え      て、一番動揺していたのは自分でした。他人を慰めているように見      えて、実は自分に「これでいい、これでいいはずなんだ。あのセミ      ナーやあの本に書いてあった通りのことを、自分はやっているんだ      から、ハッピーなんだ」と、会話とは名ばかりの”ポジティブ独り      言”をやっていた。      「幸せ感」というのは、こういった自己催眠で得るものです。本当      の「幸せ」とは、天と地ほどの開きがあります。昔なら最後に「こ      ういう話ができて君にありがとう。」などと書いてたでしょうね。      相手の都合なんか眼中になくて、「あーそうなんだよなー、今俺は      人に感謝しているんだよなー、うんうん」というイイ気分に自分だ      け浸ってるだけ。勝手なもんでした。いつも片手をイチモツに添え      てシコシコやっているような、どれだけ自分が陶酔できるか、の人      生でしたね。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 - FARION MES(13):|∞シュタイナーその他|神秘学遊戯団 97/01/18 - 05331/05333 GGA02514 KAZE シュタイナー全集●GA51-84:公開講演 (13) 97/01/17 19:40 05329へのコメント コメント数:1 ■GA51−84    I:GA51-84   公開講演                  Oeffentliche Vortraege シュタイナーは、世紀末以降すぐに、 人智学が精神科学の智として含んでいるものを公開で伝え始めました。 「秘教的な認識は、その価値を十分に認めることができる極力狭いサークルの裡に 留め置かれるべきだと考えていた。もし私が霊認識のために公的な活動を展開しよ うとするならば、私はこの伝統を破棄することを決心しなければならなかった。私 は自分が現代の霊的生活の諸条件に直面していると気づいた。これらの諸条件を前 にすると、中世の時代には当然のことであった秘密保持は、もはや不可能であった。 今や私たちは、何らかの知識が得られた暁には、それを公表することが望まれる時 代に生きている。」(シュタイナー自伝II/人智学出版社P176) シュタイナーは、その死に到るまでに、ドイツや他のヨーロッパの国々で 何百回もの公開講演を行いました。 ここに収められているものは、聴講者の記録や速記者の記録から生まれたもので 初期には要約したノートという性格をもっていましたが、 後には、語られたものをそのまま再現したものになりました。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05332/05333 HCB00374 DIRAC 感じたことなど (13) 97/01/18 13:15  DIRACです。 下記の件について、感想など。 >「秘教的な認識は、その価値を十分に認めることができる >極力狭いサークルの裡に留め置かれるべきだと考えていた。もし 私が霊認識のため >に公的な活動を展開しようとするならば、私はこの伝統を >破棄することを決心しなければならなかった。 >私は自分が現代の霊的生活の諸条件に直面していると >気づいた。これらの諸条件を前にすると、中世の時代には >当然のことであった秘密保持は、もはや不可能であった。 >今や私たちは、何らかの知識が得られた暁には、それを >公表することが望まれる時代に生きている。」 >(シュタイナー自伝II/人智学出版社P176)   すごい認識だと思います。  秘密保持ではなくて、教義をきちんと承けられる人に明か  していく....というのが、きっと本来であって、.......公表に  当たっては、あらゆる霊的な責任もおそらくシュタイナー  自身にかかる可能性に対して覚悟をしたという、  すごいものではないかと思いました。 ---------------------------------------------- >一般に理解可能な言葉で暗示することのできる神秘修行に >ついていえば、霊界参入こそその最高の段階である、 >といえる。(中略) >霊界参入に伝授される知識と能力は、この行なしでは、 >遠い未来に−−何度も輪廻転生を重ねた末に−− >まったく異なる方法と形式を通して、はじめて獲得 >されるべき事柄である。今日参入を許された人は、 >したがって、そうでなかったらはるかな未来に、 >まったく異なる状況の下で経験するような事柄を、この >世で経験できたのである。(P78)     霊界参入...という表現は、参入する霊界の精神    レベルの問題があるので...    ...............なんともわかりません。 ---------------------------------------------- >こうした「霊界参入」というのは、輪廻転生を通じて >経験し学んでいくことを先取りするものであるという >ことが述べられていますが、............    この部分を読ませて戴きますと、「霊界参入」は、   「即身成仏」とは違うようですね。    私にとっては、霊的な意味で危険な感じが致します。   霊的な世界でも自分の努力でなんとかなると考える   のは、楽観しすぎな気が致しますが.......?      人間が出来るのは、人間的な努力です。   私の感覚では、なされた霊界参入?によって、   因縁の負担が増すような気がします。    因縁につぶされないでしょうか? ----------------------------------------------  > 第一の「試練」は、無生物、植物、動物、人間の  >体的特質について、通常の人 間の場合よりもはるかに  >真実なる直観を獲得することである。  >(中略)概してこの過程は次のように進行する。  >まず霊界参入の志願者には、自然物や生物が霊眼と  >霊耳にどのように自己を顕すかが認識できるようになる。次い で或る特  > 定の仕方で、これらの事物は何にも覆われぬ裸の姿を  >観察者の前に晒す。その時に見聞きできる事物の特質は  >、身体的な眼や耳には、ヴェールで覆い隠されている。  >このベールが霊界参入者のために脱げ落ちるに  >は「霊的燃焼過程」と  > 呼ばれる手続きが必要である。したがってこの第一の  >試練は「火の試練」と呼ばれる。(P79-80)     ”空”を体解する過程と考えてもよいのでしょうか?    恐らく、この時期は仏教でいうところの、”般若時”    でしょうから、その次に、”法華”、”涅槃”     と段階が進んでいくのでしょうね。    でも、実は、この”空”を知るのが一番大変なんですね。き っと。 ------------------------------------------------   >絶望、弱気、挫けによって努力を放棄し、 >苦悩、幻滅、失敗を通じてみずからをダメなやつだと思いこ >み、.....  これは、”空”を知るのは、難しいという例そのものだと  思います。  苦悩、幻滅、失敗を通じてみずからをダメなやつだと思うこ  とは大変結構なことだと思うのですね。  修行上は、自分がどうしようもないやつだと思えば思うほど  よろしいのではないかと......。  それを受け入れて大きく我執を離れる。(空)  .自分で自分を受け入れられないと、自己嫌悪になって   内的にかき乱され、逃避していく・・・・、頭で思いこもう  として無理すると心身症になっちゃう。  その人の境涯にあった修行が必要です。無理すると、  自己崩壊してしまう。  ..........”空”の悟りの分岐は、宗教的な支えによると思いま す。 ------------------------------------------------- >「この知識は目標ではなく、目標へ到る手段である」という >ことです。 >こうした秘儀参入に関する知識をはじめとしたことは、 >あくまでも手段であって、目標ではないということは常に >自覚が必要です。 >獲得すべきは、「自己信頼」「勇気」「持久力」といった >魂の偉大な力なのですから、そういう魂の力をどれだけ自分 >のものにできるかその課題を決して忘れてはならないという >ことです。    私は、獲得すべきは、   大乗利他の真理とそこへの絶対的信頼感、信念、と日々の   具体的利他の行動だと思います。   自分自身に注目が過ぎると、小乗になり、結果、世の中は   良くなりません。   他人は自分であり、自分は他人である。   平等であるが差別されている。差別されているが、実は   平等である。   小乗の修行では、そういうことは体解できないでありま   しょう。   ありがとうございました。 - FARION MES(17):|∞宗教・哲学 |新時代の思想のために 97/01/18 - 00086/00092 GGA02514 KAZE RE:「小乗」と「大乗」 (17) 97/01/17 16:31 00085へのコメント 山桜桃さん、どうも。 》「浄土」については、これも「方便」なのでしょうが、 》私はマズイ発想だなと思っています。 》「浄土」という概念を出した瞬間に、「浄土」への欲望が発生してしまうと 》私は思っています。 》ここで新たな煩悩をつくり出してしまうのです。 》「仏」についても同様です。 》そういう欲望のシステムが、あらゆる宗教に巧みに織り込まれています。 》それが、私にとっての興味の対象です。 そうですね、馬にニンジンをぶら下げて走らせるようなところがありますね。 宗教における彼岸であり、浄土であり、神の国・・・というのが 衆生にとってはニンジンのような働きをして、 「ニンジンほしい、ニンジンほしい・・・」というのが 新たな煩悩になってしまうということになりますか。 「ニンジンさえ出さなければ、ニンジンをほしいなんて思わないのに」 という発想というのも確かにあります。 そういう発想に最も近いのが、たとえば、クリシュナムルティで、 前提となっているかのように思われる概念などを解体していくのが得意です。 だから、人は自由になれないんだという視点です。 その視点は一面ではすごくうがった視点であり、納得のいくものなのですが それを徹底していくと、人間がそこにいること自体が否定されてしまうような そんな危険性を内包しているのも事実です。 たとえば、「あらゆる権威は自由を奪うものだ」という前提があったとして、 それを子どもの教育にあてはめてみたとしましょう。 もちろん、最終的には、子どもが権威に対する盲従のようなあり方から 自由になることのできることは必要ですし、重要な課題ですけど。 そのとき、子どもはなにを指針に生きていけばいいのかがわからなくなります。 権威に盲従しないメンタリティを育てていくための、 健全で、盲従を強要しないような権威というのは不可欠ではないかと思うのです。 さて、 》「浄土」なんてないし、人は仏にはなれないのが事実なのに、 》なんで人間は、そういう物語を求める傾向にあるのでしょうか。 それを「事実」だというのはどうでしょうか。 そういう視点ではなく、むしろ、「浄土とは何か」「仏とはなにか」 というふうにアプローチして、それを突き抜けていく視点のほうが、 その問いに対する答えの可能性としては大きいのではないかと思います。 法華経に、火宅の教え(だったと思いますけど)というのがあって、 それは火事になった家から、そこで遊び戯れていて危険に気づかない子どもを どうやってそこから家の外に避難させるかという話なのですが、 そのとき、子どもたちには子供たちにとって魅力的に映る宝物をあげるから、 ということがとても有効な手段なわけです。 ですから、問いとしては、その「浄土」とは何を意味してるんだろう、 「仏」とは何を意味しているんだろう、というのが、 その人それぞれにとって、重要になってくるんだと思います。 ということは、「何を意味しているんだろう」という答えも、 その人が今必要としている視点に応じて可能になってくるのではないでしょうか。 》ある意味で、神様はものすごく不公平です。結果的には公平なのですが。 》ですから、修行も、人それぞれやり方が違うのだと思います。 》ですから、出家は否定されるべきものではないと思います。 》出家が必要な人は、した方がいいと思います。 そうですね、「修行も、人それぞれやり方が違う」という視点は重要ですね。 その視点を間違うと、さきの「答え」をひとつだと強要するようなものですから。 ただ、時代的、社会的制約、またはそこでの諸条件という視点からいえば、 「出家」ということが、現代において、または自分のいる社会において、 どういう意味を持ちうるのかという視点は多視点的に検討が必要だと思います。 》そういう意味で、私は、なるべく多くの人にフィットするようにつくられた 》レディーメードの宗教より、 》その人だけにフィットするようにつくることができる 》オーダーメードの宗教というか思想を、と考えています。 その場合に不可欠な条件というのは、 「オーダーメードの宗教」なり「思想」なりを形成するにあたって、 それなりのトータルな視点が持ちえているかどうかだと思います。 そうでなければ、ただのいきあたりばったりか、 エゴイズムの発露になってしまうからです。 もちろん、おっしゃるように、既成の宗教をはじめとして、 権威のための権威としての組織体である宗教などは、 もはや時代のなかで消え去らなければならないというふうに ぼくとしては考えていたりはします。 しかし、そこらへんのことはとても難しいですね。 そういう意味でも、こうした対話が意味をもってくるんだと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00089/00092 GCG01101 アマデウス RE^2:「小乗」と「大乗」 (17) 97/01/18 02:15 00074へのコメント #74 山桜桃 さん、こんにちは(^^)   何か書いて下さるのが嬉しいので、ついつい素早くコメントを書いてしまい  ますが、山桜桃さんのペースでお話しいただいて結構ですよ。僕も書けない  ときは書けませんし(^^;。 >> いわゆる知識人といわれている人々が仏教を語るときに >> 親鸞の名前を出して「大乗」という文脈で語ることが多く、 >> さらにそれが「救済」という観点から語られることが常識として >> 通用していることに疑問を感じていたのですが、 >> やはりそれは、その知識人の無知から来ることなのだということがわかって、 >> 少し安心しました。   僕もまだ親鸞について語った本を一冊読んだだけなので、知った風な口を  きくのははばかられるのですが、親鸞の思想を単なる「救済」としか捉え  られないのだとしたら、それは思想の表面を撫でていることにしかならない  のではないかと思います。もちろん「救済」抜きには語れないのでしょうが、  それだけではないのでは、と思うのです。   確かに親鸞の教えを思いっきり要約すると「念仏を唱えるだけで浄土に  行ける」になってしまうのでしょう。でもそれは難しい教説を理解できない  庶民のための方便だと思います。親鸞自身はすべての経典に知悉したベース  の上で説いているのですし、またただ「念仏しなさい」と言うだけでなく、  庶民のために易しい言葉で経典を解説した本も書いていました。なにより、  悪人正機説など「念仏しなさい」以外の教説のことを考えると、お手軽な  救済のメソッドのように考えるだけでは、800年前の庶民と同レベルだと  自ら言っているようなものだと思います。(^^;カゲキカナ >> それにしても >> 「救済」とは、いったい何なのでしょうか。 >> それほどまでに、「救済」は必要とされているのでしょうか。   仏教は「苦」からの解脱を説いていますが、僕の個人的な印象では、  その本質は認識力を高めて霊性を向上させるためのものではないかという  気がしています。ですから、あまり「救済」というのがかえってピンと  来ないんですよね(^^;。もちろん僕の理解が足りないのは確かですが。   「大乗」と「小乗」についても、認識力のトレーニング方法が閉空間の  人たちに限られていたのと一般人にも対象を広げたのとの違いのような  イメージがあります。KAZEさんが指摘されたように、「大乗」でそれがうまく  機能してきたとは言えないようですけど。   それから、これは僕だけの感じ方かも知れませんが、「小乗」ではとにかく  対象(苦)を徹底的に細分化する方向性だったけれども、「大乗」ではそれを  統合して生きた認識の力にして行こうとするような方向性を感じます。 >> 親鸞や一遍は「浄土」を設定して思考を進めたのでしょうか。 >> また、彼らは「人は仏になれる」と考えていたのでしょうか。   「仏教の思想」を読んだ限りでは、親鸞は「浄土」を前提としていたように  思います。でもそれはどこか遠くにある異世界というよりも、「死の浄土から  生の浄土へ」と言うように、自分のいるこの世界が浄土になるのだという  考え方だったのだと思います。一遍の方は、KAZEさんから紹介があったように、  さらに徹底しているようですね。   直感ですが、人はもともと「仏性」を自らの内に持っていて、それに気が  ついていないだけであって、誰でも適切な認識をすれば、それに気がつくこと  が出来ると、彼らは考えていたのではないでしょうか。   なんだかほとんど印象と直感の羅列になってしまいましたが(^^;、  僕は今のところこのように捉えています。                               アマデウス  こちらはP.S.へのレスです(^^;。   映画「アマデウス」では俗物としてのモーツアルトをよく描いていました  ね。僕はモーツアルトのことをあまり知らない時にあの映画を観て、「まさか  こんなヤツだったとは信じられん。ドラマとしての脚色だろう」と思っていた  のですが、その後伝記を読んで、金にだらしないところとか、自堕落にも  見える生活態度だったのが事実だったと知って、考え込んでしまったことが  あります(^^;。   聖と俗は、バランスを取ることが難しいですね。それを高いレベル(?)で  こなした人だったのかも知れませんね。久しぶりにCDを引っぱり出して  聴きたくなってきました(^^)。 00090/00092 GCG01101 アマデウス RE^2:「尼言葉」始めます (17) 97/01/18 02:15 00078へのコメント #78 KAZE さん、まいどです。   いろいろ遊んで頂けたようで(^^;。   「尼」はやっぱり尼さんのイメージがありますか。前世が尼さんだったか  どうかは分かりませんが(^^;、以前RTで他の人によく「尼で臼」と誤変換  (わざと?(^^;)されたもので、不思議な愛着があったりします。生まれた  のは兵庫県尼崎市ですし、現在住んでいるのも尼崎市です。と言ってもずっと  住んでいるわけではなくて、関東・関西各地を転々と移り住んだ後にたどり  着いたのがここだったんですね。ま、大した因縁じゃないですが(^^;。   KAZEさんの案を見ていて触発されまして、ふと「あまやどり」という名前を  思いつきました。ちょっとコーヒーブレイクみたいな感じが出ていいかな、と。  字を当てるとアマ宿り・AMA宿り・天宿り・尼宿り…といろいろ出来ます  が、ひらがなのままの方が、やまとことばの柔らかさが感じられますね。   というわけで、次回からは「あまやどり」というタイトルに変更すること  にします。(^^)           こんなに早く変えるとは思わなかった(^^; アマデウス 00091/00092 GCG01101 アマデウス RE:六中観 (17) 97/01/18 02:15 00079へのコメント #79 KAZE さん、どうも。 >>死を恐れずに立ち向かうことで道は開ける。 >>苦しみを通じてこそ楽しみの何たるかがわかり、また楽しみを味わえる。 >>忙しさの中でこそ時間の大切さがわかり、その生かし方を体得できる。 >>俗世のなかでこそ天のなんたるかがわかり、それを体現できる。 >>心の中に尊敬すべき人や真の友人をいつも持っていれば、道を失わないで歩める。 >>腹、つまり胆につながる知恵をもつことで、真の現実を歩める。   う〜む、と唸るしかありません。   こういうのを読むと「うんうん、そうだよな」と思うのですが、では自分が  出来ているかというとそうではなくて、出来ていないから感心するんですね(__;)。   安岡正篤さんと言えば、以前著書を読もうと思って書店に行ったら、本人の  著作・知識人による論説含めて実におびただしい数の本があって、どれを読ん  だらいいのか決められず、すごすごと帰ってきた覚えがあります。何かお勧め  の本がありましたら、いくつか挙げてみていただけないでしょうか。  (って、また待ち行列を増やすようなことを自ら言ってしまう性が(^^;) >>さて、「忙中閑」の「中」ですけど、これを「〜の中に」という意味ではなく、 >>まさに「中道」の「中」としてとらえれば、発想はもっとダイナミックになります。 >>つまり、「忙」と「閑」とを統合的・発展的に捉える視点です。   なるほど、これも今まで持っていなかった視点です。「忙」と「閑」の  関係を静止的に捉えるのではなくて、いわゆる融通無碍、自由自在に観るわけ  ですね。頭で理解しようとすると、どうしても「わかってやろう」という意識  が強くなって、そのように動的に捉える視点が不足しがちになってしまいます。  僕のはまりやすいひとつの落とし穴かも知れません。   これを意識すると、今まで硬直した視点で見ていたことからでも、新たな  発見がありそうですね。                               アマデウス