「だが、未だお前には知りようの無い任務もある」と天使は言った - FARION MES( 4):*********** カベ (Wall) *************** 97/01/20 - 00155/00160 HGE02116 MAKOTO 「幸せな人」とは?(長文注意) ( 4) 97/01/19 22:41 00151へのコメント コメント数:1 #151 >猫の手さん、RESありがとうございます。では、順にお返事させ ていただきますね(^^) ☆幸せについて☆  そうですね、私も、当人が「幸せ」だと言っているのに、他人が「不幸」 呼ばわりするのは、おかしな事だと思います。もっとも、私の場合「私は幸 せだ」とは、書いていないんですけどね(^^;)  私の場合は、幸せだと「言 うかどうか」はさほど重要な事ではありません。重要なのは、本人が「どう 意識しているか」だと思います。  ちなみに、私は今「幸せだ」と思っています。現在の私の目的は「自立す ること」と「自分を育てていくこと」なのですが、確かにその目的に向かっ て歩いているのだという感触を持っています。もちろん、迷いもありますし、 悩みもあります。自信の無くなる時もありますし、正直、かなり辛い時もあ ります。でも、私はそれを必要なものだと思っています。私はね、苦しむ事 も悩む事も、貴重な経験の一つだと思っているんですよね。私が試行錯誤を 重ねていく過程が、他人の目にどう写るのかは、私にとってはさして重要な 事ではありません。他人の目にどううつろうと、私は「不幸」ではないんで すよね(^^)  そして、猫の手さん、私の中には「幸せ」にも「不幸」にもとらわれない ようになりたいという願望もあるんですよ。私は「幸」「不幸」は、ものの 捉えかたの裏表だと思っています。ですから、「幸せ」を意識すればするほ どに、同時に「不幸」も意識する事になると思っています。  私はこのような捉え方をしていますので、猫の手さんが「幸せ」を強調す ればするほど、同時に貴方の中の「不幸」を受け取ってしまう。「不幸だか らこそ、【幸せ】に拘るのだ」これが私の捉え方なのです。この為、私の目 には、猫の手さんが、かなり無理をしているように見えるんですよね。  これはあくまでも、私の目にどううつっているかという、きわめて主観的 な見方です。それでも私は、そんな印象をもとにして、「何か出来ないかし ら?」と思ってしまったわけなんですが…(^^;)  …っと、脇道にそれてしまいましたね。本題に戻しましょう。  「幸せは感じるものだ」という認識には、双方にさほど違いは無いように 思います。ただこれが、「幸せな人はどんな人か?」という話しになると、 かなりの違いがあるように思います。前回のRESの中で猫の手さんは「幸 せな人は幸せを与える事ができる人だ」と書かれていますね。でも私は、幸 せは、与えたり貰ったりするようなものでは無いと思っています。  私が幸せな人だと感じるのは、「生き生きしている人」「輝いている人」 「生きる事を楽しんでいる人」になるかしら(^^) 私は「充実した生を生き ている人」を幸せな人だと思っていますね。そして私も、そういった生き方 をしたいと思っています。 ☆友達について☆  友達について聞かせてくれてありがとう。猫の手さんは、共感し、支え会 える仲間としての友達が欲しいんですね。私の場合は、相手の事をもっと知 りたいと思えるかどうかがポイントです。その為の取り掛かりとして、何ら かの接点は必要だと思いますけど、これが猫の手さんのいう所の「共有でき る思い」と同じようなものなのかどうかは分かりません。 ☆共感について☆  いただいたRESを読んでいて、よく分からない部分がありました。「共 感」についても、ご説明いただいたわけなんですけど、「相手の意図に自分 の感情を開いている」という部分が、どういう事なのかがよく分かりません。 もう少し分かりやすく説明していただけると嬉しいんですけど。  まず「相手の意図」をどのようにして把握していらっしゃるのか、次ぎに 「自分の感情を開く」というのはどういう事なのか、順にお聞かせいただけ ると有り難いです。  今回は、私が貴方に関わる理由も説明しておきたいように思います。ただ、 ここまでだけでもかなり長くなりましたので、一端切らせていただきますね。                             MAKOTO 00156/00160 HGE02116 MAKOTO 関わる理由 ( 4) 97/01/19 22:42 00155へのコメント  続きです。 ☆関わる理由☆  私が猫の手さんに関わっている理由は、「何らかの関係を持ちたいから」 といったものではないようです。また、「友達になりたいから」でもないん ですね。私の根っこにあるものは「貴方に対する好奇心」なんですよね。  まず、最初にあったのは「それって、何かおかしくはないか?」という疑 問です。次に「どういう意味なのだろう?」「私とどう違うのだろう?」と いう好奇心が生じました。その好奇心を満たす為に、私は貴方に関わる事を 選びました。このあたりの認識にも、猫の手さんと私では、かなりのずれが あるようですね(^^;)  この「関る理由」という部分に関連して、前回RESをつけなかった部分 も含めて、思うところを書いてみたいように思います。 | 「相手が自分を攻撃してきたら、助けを求めていると思っていいよ。逆に相 |手の攻撃してきたのに乗って戦ってしまったら、お互いに疲れてしまうよ。全 |く無関心な人に戦いを挑んできたりしないから。」 | これは私の日常の上でも基本姿勢です。  猫の手さんは、#131の中で上記のように書かれていますね。もしかして、 猫の手さんは、私のつけたRESも攻撃だと思っていたのではないでしょう か? その上で、上記に書いてあるように「攻撃してくる人は、猫の手さん に助けを求めている人だ」という前提で、私と話していたように思うのです が、いかがでしょうか?  もし実際に、猫の手さんがこういう事をなさっていたのでしたら、私は、 会話が噛み合わない原因は、ここにもあったのてはないかと思います。それ も、かなり大きな原因のように思います。だって、私の方には、はっきりさ せたいという意志はあっても、攻撃という意志はなかったんですから(^^;) ですから、最初の段階ですでに、ずれが生じた事になるんですよね。  そして猫の手さんは現在、他の方達に対しても、上記のような基本姿勢で いらっしゃるのではないでしょうか?  私がこのように思った理由は、猫の手さんが、くりすさんへのRESの中 で「批判のしあい、あら捜しのしあいをしたいとは思っていません」と書い ていらっしゃるからです。私はこれを読んで、猫の手さんが、RESをつけ た方達から【されている】と思っていることを書いているのだと思いました。 つまり猫の手さんの中には「私は、攻撃されている」という意識があるので はないかと思ったんです。そして「私は、攻撃されている」という前提で、 上記の基本姿勢に基づいて対応していらっしゃるように感じたんですよね。 いかがでしょうか? そんな部分はありませんか?  もし、猫の手さんがこういう事をなさっていらっしゃるのでしたら、ちょ っと考えてみていただきたい事があります。私は、「本当に相手には、攻撃 する意図があるのか?」という部分を、ちゃんとはっきりさせる必要がある ように思うんです。そこをきちんと押えておかないと、思い込みで、トンチ ンカンな対応を続ける事になるように思います。そうする事で、ますます誤 解が深まっていくように思います。  猫の手さん、誤解される事に疲れきっていらっしゃるようですけど、私は、 何を言っても無駄だと思って諦めるのはまだ早いと思うんですよ。まず、実 際に「どんな誤解があるのか」を、明らかにする必要があると思います。同 時に、「自分の方にも」誤解があるのではないかという事を、今一度考えて みる必要があるように思います。  まだ「誤解をはらしたい」という気持ちが、猫の手さんに残っていらっし ゃるようでしたら、御一考下さいますように。  諦めればそこで終わりなんですよね。私は、手間がかかっても、辛い思い をしても、誠心誠意、心を尽くして努力するなら、道は開けると思います。 そして私は、こういう努力を積み重ねていくことが、いい人間関係を作り上 げていく、唯一つの方法だと思います。そしてこれが、雰囲気や気分で相手 をわかった気になるのでは無く、本当に相手をわかる為の方法だと思います。 そしてこれこそが、本当の意味での「共鳴」にも繋がる方法だと思います。  そして、猫の手さんが求めているものも、雰囲気だけの共鳴気分といった ものではなく、心からの「共鳴」だと思うのですが、いかがでしょうか?   なんか、力が入っちゃいました(^^;)  内容が、お説教じみたものになっ てしまってごめんなさいね(^^;)  …何か、伝わるものがあればいいのです けど。                             MAKOTO 00157/00160 SGQ02661 龍 今日、法事で見えた、日本文化(^-^) ( 4) 97/01/19 23:28 今日、祖母の法事でお寺さんに行きました。 山の斜面にお寺が建ってまして、斜面に沿ってお墓が並んでました。 そこで今までとは変わった景色、それはお寺の屋根が空に映えて 写る姿でした。 そして今度は家に帰ってふと後ろみたところ、古ぼけた建物でした。 そこにはもとは亡くなった祖母が住んでいましたが、今は弟が住んで います。その古ぼけた家屋の中にも昔、新築されたころの良き日本文化 が見えました。 こんなの写真集にでもして「JAPAN」とでも題して売れば儲かるの ではなんて思いました。 以上               龍(SGQ02661)でした(^_^)/~ 00158/00160 NBB01420 SUKE RE^2:仕事 ( 4) 97/01/20 00:26 00154へのコメント コメント数:1 #154 ねずみさん、こんばんは。 丁度共感できる記事があったので、ねずみさんの発言に乗じて書いてしまお う(^^;) 何の技術者でも技術を習得するまでに数年かかると言いますが、この習得期 間は個人差が何年もつくと言います。 丁度、ぎんろうづけの技術者が、早くて1年、遅くて5年もの開きがあると 言う話がトリガー誌に出ていました。 >>「基本的には仕事を進んでするかしないかの違い。」 >>「いつも一歩先を読んで生活してきた人と、人の指示を受けるだけで自分で >>考えずにきた人との差は、どうしても現れる。入社する前まで約20年間も >>過ごしてきた環境の違いで、技術の習得に数年の差が出るのは当たり前。む >>しろ、短いぐらいだと思う。」   (日刊工業社 TRIGGER 1997 Vol.16 No.2 p18) 言われてやるばかりでは駄目だという事がはっきり分かりますね。 如何にして自分から身につけるか、そこには安楽な道はどうしても無い訳で、 苦労するだけ得るもの大きいと言う訳ですね。 多分、ねずみさんはここらあたりを実戦経験してきたんじゃないかなぁとか 思ったりします。                             Suke.(^_-)☆ 00160/00160 TBE03167 ねずみ RE:RE^2:仕事 ( 4) 97/01/20 12:22 00158へのコメント sukeさん えーーーーー。 まぁ、その。。。 sukeさんの言われている点、99%は同意いたしますが、 ねずみさんが、ここらを実戦経験してきたというくだりについては、 事実と相当食い違っております^^; 僕自身、非常にどんくさい人間ですから、相手が何を欲しているかとか、 自分は何をすべきかということを、さっと理解できないタイプの人です。 だから、前の整備工場では、先輩から毎日叱られていました。 「遅い仕事やったらウシでもできるぞ!」 とか 「頭は生きてるうちに使え!」 とか、 まぁ、そういうフレーズを一日に3回ぐらい言われて仕事やってた人です(笑) 大変ではありましたが、今から思えば、ああやって叱ってくれた先輩というのが、 僕にとって、一番ありがたい人だったんだなぁ、と。 00159/00160 VFE01003 くりす RE^5:ちゃんと伝えるよ ( 4) 97/01/20 00:35 00150へのコメント #150 猫の手さん こんばんは、RESどうも(^^)。 「会話」の相手の件ですが、互いに日常生活に支障をきたさないペースで やりとりする分には異存ないです。 ただ、思ったのですけど「会話」の相手がいないと言う認識は違うと思いますが。 今まで貴方に話しかけた人々は貴方ときちんとした「会話」をする姿勢で 話しかけてきたはずなのですが、貴方自身が「話を聞きます」と提示した割りに 自分のスタンスに当てはまっているRESだけを求め、それ以外の言葉を受け付け ようとしない「我侭」と「自分勝手」と言う甘えの姿勢で対していたから、 そう感じられなかったのではないですか?。 今まで、各会議室での貴方と他の方とのやりとりを拝見していると上記のような 「我侭」なスタンスが随所に見受けられたのですが。 他の人々は貴方に対して、批判やあらさがしばかりをしようとして話しかけて はいなかったと思います。 誰かが話す言葉って、話した本人は自分で考えた内容を充分に理解していて 話しているつもりでも、他人には内容の深い意味が50%も伝わるかどうか が普通じゃないかと思うのです。 それを充分な相互理解に持っていくためには聞いた相手が内容を確認するため 質問をして、聞かれた本人は内容をフォローするためにもっと解りやすい言葉を 選んで説明をすると言うやりとりをするはずです、それが「会話」だと思いますが。 だけど貴方は、最初の言葉だけで理解してもらおうと、上記の手続きを省略して フォローがないから、貴方の話を理解したい人々が解らなくて質問するのに、 貴方は「私の書いた文に全てが込めらている、そこから理解して」一点張りで 相手にとって貴方が人の話をきちんと聞こうとしないように見えてしまって 「貴方が我侭なのは何故なのですか?」と皆が訊ねざる状況になると思うのですよ。 それが結果的に貴方にとって批判やあらさがしに感じてしまう悪循環に陥って いるのではないかと思います。 そう言う意味で、あなたは皆さんを誤解しているし、皆さんも貴方のことを 誤解していて、まともな会話が成立していない状況ができてしまうのです。 だから貴方にとっての話相手がいないのではなく、貴方がそう受け取れない と言うだけなのだと思います。 そこでまた提案なのですが、この会議室はログが残りません。 未来の貴方にとってログが残る会議室で、「会話」をされたほうが 後に読み返せることで、自分自身のスタンスを見つめ直せるので、 有効だと思うのですが、お嫌じゃなければ7番でなにか貴方なりの 「思うこと」を掲げそれを材料にして私を含めた皆さんとの「会話」を 始められることをお勧めします。                           くりすでした - FARION MES( 7):|ψARION 関連 |自分を観る 97/01/20 - 09534/09536 KHE02065 メルク RE:え?っと思ったところ ( 7) 97/01/20 02:14 09477へのコメント  #9477 >Sukeさん >> この某所ってのが何だかよく分かりませんが、えらく気前の良い所なんです >> ね。で、その気前の良さがちょっと理解できないんです。何か裏がありそう >> で怖いとか。 >> まぁ接客費で落ちるのはお菓子か、せいぜい食費くらいで、ジャンパーまで >> くれるとなると、何かあるんじゃないかと思ってしまいました。普通の企業 >> ではあまり無いことだと思います。  説明が足りなかったかな、とは始めから思っていましたが、ARIONの場所 で、ARION以外の系統のモノについて突然解説し始めるのもどうかなと思っ たので、あえてそのままにしました。  まあ、そのことにRESが付いたのでちょっと説明しちゃいますが、某所とい うのは、FUJI日本というところで、「宇宙人がくれた21世紀の聖書」「新 生宇宙人へのパスポート」(徳間書店)の著者である大高良也さんが主催してい る会です。ちなみにそこは企業でも宗教組織でもなく、大高良也さんも一見難し い話をするオジサンのようなイメージのペンネームかもしれませんが、しかして その実体は、主婦業を営む気さくなオバサンであり、ちょっと遊びに行って金を とるようなことはありません。  ちなみに、もらったジャンバーというのは、色褪せた使い古しのモノで、新品 をプレゼントされたわけではありません。 >> これは、まぁやりたい人はやれば良いかなと言うことなんですが、ただ、心 >> 理的にそのハテナちゃんに依存してしまうんじゃないかなと思ったんです。  私は依存しているか? う〜ん、ピンと来ないです。  え〜と、依存を危惧するのは、  もし偽物とかで騙されたりしたらヤバイからですか?  それとも、本物、偽物に関わらず依存という状態がヤバイからですか?  後者だとしたら、その理由はなんですか?  じゃなかったら、自分が興味ないことに他人が夢中になっているのがヘンに見 えるからですか? >> でも、メルクさんがやりたいと思っていたことを実行した、と言うのは羨ま >> しくて、僕は今年こそもう少しちゃんとそう言う風にしようと思っているく >> らいです(^_^;)  どっからともなく行動的なエネルギーが湧いてきたから行動できたわけですが、 それはたぶん誰にでもあるものだろうと思うのですが、たぶん、アタマで不完全 燃焼させるか、カラダで燃焼させるかの違いかな、という気はします。Suke さんが不完全燃焼かどうかは分かりませんけど。  れす、どうもでした。  では、また。                          メ ル ク 09536/09536 GGA02514 KAZE 仮面物語 ( 7) 97/01/20 11:52 09535へのコメント しまうまさん、どうも。 #02242の時点で、このMES7に場所を移すというお話がありましたので、 その#02242についてのレスということで、続けたいと思いますm(__)m。 また、#02248で、ばかままさんから、 「お話に混ぜて下さい」のコメントがありましたので、 そちらの話にも続けていきたいと思います。 よろしくお願いします>ばかままさんm(__)m まず、#02248のばかままさんのコメントについて。 》 「自分は臆病なのだ(臆病ゆえに、これこれこういう行動をとるのだ)」 》 と見ることが出来て、それをごまかさずに受け入れるというところまで 》 はわかるのですが、続く「それではいけないんだとほんとうに思うこと。」 》 という意味がわからないので、説明していただけませんか? 「自分は臆病なのだ、それを自分は認める」ということから、 「自分はどうありたいのか、どうしていきたいのか」というふうに 具体的な自分の行動へとつながる観点とは違うということです。 前者ですと、「私は自分が臆病であると認めたから、それでいいのだ」 というふうにそれだけで自己満足して完結してしまうおそれがあります。 ですから、「それではいけない」「なら、どうする」というところまでいかないと 「臆病者正機」にはならないということが言いたかったわけです。 》 「それではいけない」と思うに至ったのは、どのようなきっかけでしょう。 》 それは「思った」のか、「思うこと(にした。)」のか。 》 といったあたりのお話を聞かせて下さい。 「臆病者」というのは、早い話、「行動しないために言い訳する人」というふうに 言ってもいいんじゃないかと思うんです。 その言い訳は「自分がほんとうにやりたいこと」というのをごまかすものですから 「自分はほんとうはなにがしたいんだろう、どうありたいんだろう」 そういうことをとことん見つめていき、探していくことで、 その、自分が「臆病者」ゆえに、してこなかったこと、ためらっていたこと。 その言い訳の部分を自分でチェックしていくことになります。 そうした作業そのものが「臆病者正機」なんだと思うのです。 さて、続いて、#02242のしまうまさんのコメントへのレスを。 》 仮面(妄想の自分)をまとっているほうが楽だ、という気持ちは確かにある 》と思います。仮面を被っている、という状態は、KAZEさんが時折おっしゃる 》「ロボット化」の状態にも一脈通じると思うのですが、「ロボット」になって 》いれば、「こういう事柄にはこの対応」「ああいう人にはその対応」という具 》合に、反応がある程度パターン化されてしまうんですよね。自分の慣れ親しん 》だ対応パターンだけで現実に対処できる(というか、対処した気になれる)の 》は、「楽」ですが、その対処に真がこもっていないので、どこかでほころびが 》出てしまいます。 その「仮面」というのは、「そういうものだ」の集合で成り立っていて、 「こういえば、こう思われるから、こういうふうにしておこう」という 自分の望んでいる評価を導き出すために有効なツールだといえます。 けれど、その「自分の望んでいる」という「自分」というのが いったいどのような「自分」なのかということが問題なわけです。 その「自分」こそがたちの悪い「仮面」なのだということに気づかなければ 「自覚」ははじまらないのではないでしょうか。 その「仮面」こそが、「自分」なのだと思いこんでしまっているのは まさに「人面願」化していて、それをはがそうとしても、 すでに人肉と一体化して、手術でもしないとはがれなくなっている状態です。 さらにいうと、通常は、「そういうものだ」でつくっている「仮面」と その「仮面」を被ろうと思っている「自分」という「仮面」とが ほとんど区別できなくなっていることも多いのではないかと思います。 日本では、「無礼講」というよくわからないシステムがありますけど、 あれは、許された「仮面」の披露パーティーであって、 決して、仮面を取って見せ合おうという場所ではないのは周知のことです。 とはいってもたまに誤解する方もいて、自分が本音だと思っているような 錯乱した仮面で踊っているような光景も見られますけど^^;。 少し話がややこしくなってきつつありますけど、 要するに、「自分」という仮面は重層化しているにもかかわらず、 それをちゃんと意識化することは困難になってきているということです。 だから、すべてが人面願化して、うめずかずおのマンガになります^^;。 でも、そういう人面願化が進行すると、やはりどこかで鬱屈してくる、 ということから、「けっこう仮面」が現われてきるという話でした^^;。 なつかしいですけど、永井豪です。 つまり、仮面ははがれないからそのままだけど、 あとは、破廉恥化してくるということです。 それは、自分が気づいて破廉恥化してることもあれば、 自分で気づかずに、汚物をまき散らしていることもある。 そういう話でしたね(^^)。 》|さらにいうと、自分が過剰防衛してしまったことに気づいたら、 》|そのときがチャンスだというふうに思うことも大切ですね。 》 》 うーん、僕はなかなか「チャンスだ」とまでは思えないですねー。というか、 》もはや過剰防衛が常態になってしまっているので、まずは過剰防衛でもなく玉 》砕志向でもない、正直な対応の仕方を身につけなくては、と思っています。 どちらにしても、自分が過剰防衛してしまったのだ、と気づくのが前提ですね。 「自分はいったいなにを護ろうとしているのか」を見つめるということです。 仮面の下にはどんな顔があるのかを、 人には見せられないとしても、まずは自分で見る勇気をもつということ。 過剰防衛とその自覚というのは、そういう意味でチャンスなんですよね。 それを、そうですね、「仮面の告白」とでも呼びましょうか。 三島由紀夫ですね^^;。 本来は、仮面の下にあるのが本来の顔なのですけど、 その顔が自分だとは思えなくなっている状態ですから、 まずは「仮面の告白」からはじめなければならない。 「私は臆病者なのだ」と。 しかし、そういう「告白」だけでは、たんなるマゾになりますから、 「では、じぶんはいったいどうしたいのだ」に迫る必要がある。 でないと、人面顔はいつまでもとれない。 強固な人面顔を外すには外科手術が必要になります。 そのためには、痛みを覚悟しなければなりませんし、 仮面の下にある顔がどんな顔なのかという恐れも克服しなければなりません。 》 仮面の下に「何もないかもしれない」という恐怖については、あまりピンと 》きていませんが、僕が時折陥る「自分がどうしたいのかわからない」という感 》覚に近いものがあるかも……と思いました。 そうですね、「では、じぶんはいったいどうしたいのだ」がないかぎり、 仮面の下の顔には、実際、なにもないわけです。 仮面をとったら、王子さま、お姫さまの顔がでてくるわけではない^^;。 「顔」というのは、自分がつくってはじめて存在するものだといえます。 自分がどうしたいのかをベースにして、自分でつくらなければならない。 そういう部分があるのではないかとぼくは思うのですけど・・・。 ということで、あまりうまくまとまりませんけど、 MES7に移動した「仮面物語」でした(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES( 8):|ψARION 関連 |預言解読村 97/01/20 - 00154/00159 MHD02672 TAO RE:アジアの原発 ( 8) 97/01/19 22:06 00141へのコメント  #141 はなさん   今晩は〜。   アジアへの原発輸入の件ですが、朝日新聞社刊の「Ronza」1997年2月号で  「原発との正しい別れ方」という特集を組んでいましたので、その中から抜  粋させて頂きます。   30頁〜 “アジアに拡散する日本原発” 大庭 里見                      (プルトニウム・アクション・ヒロシマ 代表)   この記事によれば、インドネシアの中部ジャワに、インドネシアで初めて  の原発が建設されることになり、日本製の原発が導入される予定だそうです。  この導入が成功すれば、日本にとっての初めての原発輸入になります。   欧米各国が原発から撤廃するようになり、窮地に陥った原子力産業はアジ  アへの原発輸入に活路を見出そうとしているようで、インドネシアでは2020  年までに中部ジャワに20基もの原発を建設しようとしている模様です。アジ  ア諸国では既に81基の原発が稼働していますが、内訳は下記の通りです。    日本    50基    韓国    11基    インド   10基    台湾    6基    中国    3基    パキスタン 1基   インドネシアでは反核と表明して運動すると、政府の弾圧が加わられるの  で、多くは「環境保護団体」を名乗っているそうです。インドネシア政府は  原発推進に於いてこう宣伝しているといいます。      「広島や長崎を体験した日本でさえ、50基もの原発を運転している。     だから大丈夫」      「日本のような地震国でも安全にやっている」   このように、日本原発の「奇跡的」とさえ称してもおかしくないぐらいの  “幸運”に支えられた、危うい「安全性」が引き合いにされているのです。      東北アジアは冷戦が終わっても軍事拡張が続き、世界でもっとも軍     事的緊張の高い地域のひとつに数えられる。その地域で、今後十数年     の間に百トンものプルトニウムを保有しようとしている国が日本であ     る。日本政府は懸命に「平和利用」を主張しているが、原発の使用済     み燃料からプルトニウムを取り出す「再処理」や、「もんじゅ」のよ     うな高速増殖炉が軍事技術であることは核拡散問題において国際的な     常識だ。プルトニウムは長崎型原爆の材料である。そして、高速増殖     炉から取り出されるのは高純度の「スーパー核兵器級」プルトニウム     なのである。                              同誌 34頁より   筆者のペンは平和運動の欺瞞にも及び、反核運動の著名な論客が、広島で  催された国連軍縮会議で「もんじゅ」事故に触れ、あれは大した事故では無  かった、エネルギーとしても原発は必要だと言い切ったことに言及していま  す。また、「もんじゅ」事故以来、全国で「『もんじゅ』の廃炉・凍結・真  相の徹底究明」を求める意見書が百四十通以上も出されたのにかかわらず、  当の広島市議会は含まれていないといいます。「原発の拡張に沈黙するヒロ  シマ」とは、一体何の意味があるのでしょうね。  >>  これで、アリオンが警告する「2006年までに原子力発電所を全廃」  >> できるのだろうか。   唯一の被爆国である日本自身がまず、アジアへの原発誘致を止めることが  何よりも先決なのでしょうけど…。  TAO 00159/00159 KHE02065 メルク RE:セーラームーン ( 8) 97/01/20 02:16 00084へのコメント  #00084 >水戸黄門さん  どうも、遅くなって申し訳ないっす。  個人的にいろいろ忙しくって。  とりあえず、思い付くところというか、ピンと引っかかっていた所などを、 箇条書きでつらつらと列挙してみたいと思います。ちなみに、基本的に原作を ベースに話を進めますが、アニメとの混同や勘違いなどもあるかもしれません ので、何かあったらツッコミよろしく。             *  *  *  *  * ・日向と出雲  まず、水戸黄門さんもあげていた月の印。セーラームーンのシンボルは三日 月である。三日月などありふれているが、ちびちびの変化した姿に、八芒星、 八つの棘のある、スパスシフィカであるニギハヤヒの星(勝手に命名しちゃう けど)があったため、ARION預言と照らし合わせると、「3+月」「8+ 星」というシンボルから、これらが日向と出雲を表していると特定できる。  セーラームーンの世界において、日向はプリンセス・セレニティーの月の王 国、出雲はプリンス・エンディミオンの地球の王国として描かれる。エンディ ミオンの部下達は操られ、月の王国に戦いを挑む。月の王国とは、地球の進化 を見守る立場にあったとあり、すなわち神界、高天原である。 ・銀と金  幻の銀水晶をもつセーラームーンのシンボルカラーは、銀色である。それは 月の色であるが、同時に銀河の銀でもある。また、まもちゃんこと地球の王子 エンディミオンのクリスタルは金色だが、金色とは太陽の色であり、実際、原 作の中にも、太陽を守護に持つという説明もあった。セーラームーンの世界で は、とりあえず、太陽と月というペアではなく、地球と月、太陽系と銀河系、 というペアで語られているようである。地球=太陽、月=銀河であり、したが ってセレニティーとエンディミオンの婚姻は、月と太陽の婚姻であり、神人合 一のシンボルである。 ・太陽の不在  エンディミオン=タキシード仮面については、前述のようにいちおう太陽の 守護を持つ戦士とされているが、地球の王子という要素の方が強く、太陽神的 な要素はほとんどない。セーラー戦士ということでいえば、彼は男であってセ ーラー戦士ではないし、セーラーサンは出て来そうにないし、過去の世界でも 太陽系を管理していたのはクイン・セレニティーだったし、セーラームーンの 世界は太陽神が不在のようである。 ・月の真の輝き  なぜだか一番引っかかっているのがこれ。かつて、シルバーミレニアムがあ った頃の月は、満ち欠けなどせず、太陽や恒星のように自ら眩しく輝いていた というのである。シルバーミレニアムが再建されるとき、その輝きも蘇るのだ ろうか。もしそうなったら・・・・? まぁ、夜の闇が無くなるって事だろうか。  象徴としてみれば、意識や霊性の状態を象徴しているのだろう。未来の地球 では、ネオ・クイン・セレニティーの力によって、人の寿命は千年となり、平 和に暮らしているという。月が欠けることがないというのは、生命、意識が、 失われることがないということである。 ・究極のスターシードを持つ少女達  スターシードというのは霊魂のようなものかな? と思われるが、究極のス ターシードでありセーラー戦士の証でもあるセーラークリスタルを持つものは、 ひとつの星に対して、一人しか居ないらしい。これは単に悟りとか覚醒とかい うことではなく、神であるということである。  星の守護という表現が使われていることから、神そのものというより、神の 地上における代理人、化身、チャネラーのようなものと言った方がいいかもし れない。  ポイントは、それが女性ばっかりであると言うことである。セーラームーン を始めとした太陽系のセーラー戦士達は地球を世紀末の大破壊から守って、新 しい世界を気付くという重大な使命をになっている。その鍵は、どうやらここ から解読する限りでは、女神が持っているらしい。 ・唯一の男性  セーラームーンの幻の銀水晶に匹敵する力を持つという、ゴールデン・クリ スタルを持つタキシード仮面は、クリスタルを持つものの中で唯一の男性であ る。ちなみに、セーラーウラヌスは男性の強さと女性の強さを併せ持つ戦士と あり、タキシード姿での登場シーンもあったが、後半では女性としての姿しか 見せていない。スリーライツも変身前は男だが、変身後は女である。  唯一の男性である彼の存在は、ひとつのキーポイントであるような気がして ならない。しかも彼は、地球=太陽を象徴する存在である。セーラームーンの 物語は、いわゆる立て替え建て直しとか、岩戸開きとか、オオミソギとか言わ れるものを象徴してると言えるが、その中心となって働いても良いはずの象徴 をもっている彼は、はっきり言って役立たずである。セーラームーンたちは天 から来た者たちであり、女性達であり、きわめて対比的である。 ・星は女神  たとえば、仏教では基本的に性別を超えた中性的なもの、つまり霊性は、男 性的なイメージで象徴される。文化が変われば、そういうものを女性的なイメ ージで表す場合もある。セーラームーンの世界では、それは女性的なイメージ で表されるらしい。それはセーラー戦士のことであるが、この点でセーラー戦 士についてはポイントが2つあり、ひとつは星と結びついていること、もう一 つは変身である。変身とは、悟りの状態、変成意識状態、チャネリングの状態 などのようなものを表していると考えられ、より高次の、霊的な自己を表現し ているのである。  星空は、女神達の世界である。主人公である月野うさぎも、その女神の視点 から地上の現実世界を見ている。彼女の夢は、その地上世界=まもちゃんとの 婚姻である。  え〜と、長くなってきたんで、とりあえずこの辺で、  つづく。                           メ ル ク - FARION MES(13):|∞シュタイナーその他|神秘学遊戯団 97/01/20 - 05342/05346 BXN01172 がねっしゅ RE:精神科学的認識としての自己教育 (13) 97/01/19 15:31 05313へのコメント 遅いレスとなってしまいましたが、「シュタイナー教育論」終わりました。 KAZEさんにはコメントを頂き、有り難く思います。謝謝m(_ _)m この短い論文は、自分が大学の卒業論文として発表したものを、ちょっとだけ 手直しして、UPしたものです。 もう僕が大学を卒業してから数年たち、この論文も「固まって」来たかな、と 思ったので、新しいシュタイナー理解のために発表してみました。 KAZEさんのコメントに一つ一つ御返事出来ていないのを申し訳なく思いますが、 ひとつづつ読み直しながら、また新しく発言していこうと思いますので、 今後ともよろしくお願いします。 >>シュタイナーは、「自己教育」ということを言っていますけど、 >>子どもも、また教師も、自らが自らを教育するのが基本で、 >>子どもと教師が関わるということで、それぞれがその契機とするということを >>忘れてはならないのではないでしょうか。 >>片道通行のように、教師が知識を子どもに押しつけるだけというのは、 >>あまりに貧しい構図のように思います。 そうですね、教師が大人で生徒が子どもだという「年功序列」的な 優劣の決め方とでもいうのでしょうか。 困るのは、それが道徳的な意識を問題にするときです。 心理学者ピアジェは、子どもの道徳的判断は大人のそれに劣るとしています。 しかし、ユング派の河合隼雄は、道徳性と道徳的判断は異なる。子どもの道徳性は 教師や大人達の不道徳な態度に対して的確な判断をすることさえある、と 反論しています。 こうしたことは、シュタイナーの言うGeistの領域をどう認識するかに かかってくると思います。 >>ご紹介していただいたように、 >> >>》  教育実践は一連の秘儀として存在しているのです。     GA317-p.39 >> >>というのが基本で、あくまでも幹の部分が神秘学。 >>そしてその枝葉の部分として教育実践があるわけですよね。 >>幹は見ないようにして枝葉だけ見る教育実践というのは推して知るべしです。 そうですね、幹から切り離された枝は死んだ枝ですからね。 理科の授業などで、種子から葉と根が伸びていく様を観察すると 分かりますが、植物というのは今ある幹の先から成長するのではなく、 その植物全体がダイナミックに姿を変えながら枝葉を伸ばしていくわけですよね。 ですから、全体を見ないで、特にこれから生まれてくる部分というものを見ないで、 今ある枝だけ見ても、そこからは何も見えてこないでしょう。 >>また、シュタイナーの教育実践の基本には、キリストがあります。 >>それはもちろん宗教団体としてのキリスト教ではないのはもちろんです。 >>それを「キリスト」と呼ぶかどうかではなく、 >>そういう宗教性の根本を理解することなくして、教育は不可能だということです。 そうですね。キリスト衝動というものを僕達がどう受け止めるかで、 教育というものに対する考え方も変わってくると思います。 >>子どもは、<勤勉さ>と<注意深さ>という >>みずからの翼で飛ばなければなりませんし、 >>教師は、子どもがそいう翼で羽ばたけるようにサポートし、 >>そのサポートするということを通じてみずからを高めねばなりません。 そのとおりだと思います。 でもこの言葉は、面白いですね。<勤勉さ>と<注意深さ>なんて、 ものすごい地道な事を子どもに対して説いているのですから。 ヘッドギアを頭につけたり、テープで「修行するぞ<<<」と延々と 聞いたりする過激な方法とは対局のところにありますね。 子供の中に素質として現われている神的霊的なものを大切に育てていくことは、 神の祭壇の前に額ずくことであるとは言えないでしょうか。そして私たちの宗教 感情に由来する至高の感動はすべてこの神礼拝の中で一つに結ばれることが出来 るのではないでしょうか。   生命化される科学!   生命化される芸術!   生命化される宗教! これこそが教育なのです。これこそが授業なのです。 ―授業と教育をこのよう に受け止めることができれば、教育芸術の原理であり、意図であり、基本命題で あるものを軽々しく批判しようとはしなくなるでしょう。 マリー・シュタイナー * * * がねっしゅ * * * 05346/05346 GFD00204 松川 貴     RE:ジャンヌ・ダルク (13) 97/01/20 01:24 05312へのコメント  TAO さん  レス、遅れて申し訳ないです。  なんとジャンヌ・ダルク……。  私の中ではオードリーとジャンヌはリンクしています。例の本の中に出てくるオー ドリーのコメント──「火あぶりにされた気分よ」というような内容のコメントです が──それを読んだ時、実際私はジャンヌ・ダルクのことをふと思ったのでした。 KAZEさんが紹介されたシュタイナーの本を以前読んでいて、ジャンヌ・ダルクは今ど うしているのだろうと思っていたので、それが連想に筋道を付けたのかもしれません。 オードリーのあの本には、ジャンヌ・ダルクという言葉さえ後で出てきました。 そんな時期にTAO さんの推薦された映画をいきつけのレンタル屋さんで見つけました。 迷った末、前編だけ見ました。後編の「つらい目にあうジャンヌ」にどうしても手が出 なかったのです。 でもこうしてTAO さんが推薦してくださったし、そろそろ後編を見てみようと思うよ うになりました。落ちついたらまず、このビデオを借りて見てみようと思います。 松川 貴 - FARION MES(14):|∞霊 的 体験|みんなの体験/経験発表 97/01/20 - 00055/00057 SDI00635 みれ RE:不思議な訪問者 (14) 97/01/19 18:01 00035へのコメント KOIRA さん  こんばんわ〜はじめまして(^_^)  KOIRAさんの体験、私には何故か「ほのぼの」した感じに受け取れまし た。この体験をなさった頃、ご病気で寝ておられた訳ですよね?  …とすると、若しかしたらKOIRAさんを守りに来ていた霊かも知れませ んね、その訪問者。時々、そういう事があると聞いています。別に何をするで もなくただ、座っているだけ…という辺り、お守りに来ていた近所の霊か親戚 の霊か…という気がしないでもありません。  お経を唱えても消えないという辺り、やっぱりお守りの霊だったんじゃ無い だろうか?と思いますね。それに恐怖感もあまり与えて来なかった様ですし…(^^;)  うちの息子が赤ちゃんだった頃に、午前3時前後になると突然目をぱっちり 開けて、部屋の片隅の天井近くの暗い所を見て喜ぶという出来事がありました。 私は変だなと思ったのですが、恐怖感も無くましてや赤ちゃんが喜んでいる訳 で、放っておいても大丈夫だと思っていたら、2週間ほど続いて終わりました。  で、調べてみると若くして亡くなった私と親しかった従兄弟の命日を挟んだ 2週間だったこと、そして従兄弟が亡くなる前に私が結婚したら赤ちゃんの顔 見に行くからと言っていたのを思い出した訳です。そっかぁ〜従兄弟が来てた んだなぁ〜と、何か嬉しかった。  そういう「ほのぼの」した霊現象もあるんだけど、だいたい生きている人の 習慣とは異なる様な現象を伴うから、恐がられるんだよな〜とか思います。出 てくる時間帯とか、出てくる時に生きている方はカナシバリにあったりすると かね(^^;)  霊には霊の世界の作法があり、これを全て恐がっているのも何だか失礼だな、 と思いつつ、でもやっぱり身体中の血が逆流してる様なザワツキやら、冷水を 浴びるた様に冷たくなる空気みたいなものやらは、勘弁して欲しいですよね。  では(^^)/"マタネェ〜 ★------------------★/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------------★ 00056/00057 MHA01114 シュメ−ル 時間の溝 (14) 97/01/19 20:49 どうも、はじめまして。シュメ−ルです。みれさんもひさしぶりです。 先週は時間の溝とかかがあったらしくて、いろいろありましたが、みれさんは だいじょうぶだったでしょうか。  こっちは、いろいろあった。今日もあった。所沢にある運輸省の東京航空交 通管制部の羽田空港を巻き込んだコンピュータートラブルにはひやりとさせら れた。羽田への離着陸指示がだせなくなって、ダイヤが乱れたとのこと。夕べ からどうも飛行機で移動する友人のことが気になっていた。で、その友人のフ ライト前の連絡がはいったとき、私が移動中で電話連絡が旨く行かず、ますま すいやな予感。午前中仕事してたんですが、どうも東の空に不安が向かう。で、 ニュースがきになってきていた。その友人、いまとりかかっている仕事が悪い 結果をうみそうなときには飛行機でも墜落して死んだほうがましかも、なんて 半分マジで昔いっていたので、ますます不安。とはいえ日本の飛行機は宝くじ 以上に墜落の可能性が低いし、彼も、多くの人をまきぞえにすることは望まな いにちがいない、などとつらつら考えてた。で、昼のニュースを見たら、私が 見た最初のニュースが羽田で空の国内便がトラブルでどうのこうの。いっしゅ ん頭が白くなった。ま、たいしたことはなかったようなんで、ほっとしました が、午後はもう仕事するきもなくなって、さぼってます。運輸省によれば、シ ステムの問題か、回線異常かとの報道ですが、誰か、なんかやったんじゃない かな。  別のサイキック系の友人は先週来肉体ベースではシステムダウンしていて、 なんかアストラルチックな仕事にかかりきりになっている様子。私のほうは、 先週はじめに妙なことがあった。月曜の夜、小学校以来の友人Hに関する夢な んですが、彼と私は昔、なんかかなりの縁があったみたいで、それはお互いに、 共通認識があった。それが、その夜、布団にはいったところ、Hとの関係の情 報を告げるとのヒラメキがやってきて、やっとその時期になったというような ヒラメキ。で、私はへえ、と思った。と、喉に異変がやってきた。喉のチャク ラだと思うんですが、マニュアルどおりじゃん、みたいな気がした。過去の封 印された情報とか下部のチャクラからやってくるものに栓をしている調整バル ブが喉のチャクラという性格があるらしいので、喉をいじるというのは実に納 得できた。で、その夜というか次の朝、しっかりHと私の過去での経緯に関す る夢を見せて貰いました。さっそくその朝にHに電話した。彼も思い当たる節 があるとのことなんで、まんざらガセねたでもないかもしれない。おもしろい のは、今回の情報は2つまえの過去だという印象があったこと。すくなくとも 2回、過去で彼とは縁があったみたい。  で、疑問なのは過去といってもいったい誰の過去なのかということ。集合意 識というか集合霊というか、そのある種の集合的な実体の体験なんじゃないだ ろうか。個人的な記憶や体験ではないような気がする。ここのARION会議 室だと、スウさんと昔縁があったような感じだし、それは多分鎌倉時代のこと のような気がしている。で、実は、スウさんの第一印象は今回の友人のHから うける印象と極めて近いものだった。ついでにこの際だからいっちゃうと、今 回飛行機ではらはらさせてくれた友人も同様の第一印象をもった友人。単純に、 前世的印象が共通というのでなく、体型なんかも私に言わせれば、似ている。 前にも、スウさんの会議室で書いた記憶がありますが、なんか霊統的な縁なん じゃないのかな。ひとつの霊的な実体がさまざまの時空に浸透して様々な体験 を情報として回収している。で、友人のHが属する情報系と私が属する情報系 は元が同じで、どこかで分裂し、役割や立場を入れ替えた転生系列でもって地 球で勉強しているんじゃないかな。だから接近しすぎても意味がないし、没交 渉でいられるほどに無関係ではありえない。どっかでクロスする。  ま、そんなこんなでついでにHALさんに連絡とったら、HALさんは元気 だった。時間の溝との印象はHALさんのもの。HALさんはその溝にちょっ かい出ださなかったんで、大丈夫なんだとか。ここでは誰かちょっかいだして、 システムダウンしている方はないのかな。みれさんあたりは大丈夫なんでしょ うか。  久し振りにVALIS さんの昔の文章を読む機会があったんですが、VALIS さん、 だてにリラから意識体やってないという印象をうけます。的確に分析している と思った。  さて、今日、明日はあまり動かず、おとなしくしていよっと。  ps ここまで書いて気になったので、ついでにもうひとりサイキックな友 人に電話してみた。なんか夕べからきょうのお昼ころまでになんかなかったか と聞いたら、千葉の銚子あたりで、サルタ彦関連の神社を今日の10時過ぎに いじったとのこと。もしかすると成田空港あたりに影響があるかもしれないと 思ったとのこと。で、彼に昼頃の羽田のトラブルの話しをしたら、そのニュー スを彼は知らなかったみたい。……ま、関係あるのかどうか不明。コンピュー ターのシステムトラブルの発生時間は午前8時すぎらしいから、直接彼は関係 していないような様子。ま、ぶっそうな話しにかわりはない。  ついでにもうひとつ、羽田でトラブッタはずの友人、なんにも知らずに、無 事だったとのこと。11時頃羽田に着いて、1時ころ定刻どおり乗り継ぎの飛 行機にのったとのこと。こっちが心配したことを伝えると、「私はどうせ何時 か死ぬんだから、そんなこと心配する余裕があったら、私の仕事を手伝うとか、 もっと日本の将来に役に立つようなことを心配しときなさい。」と逆に、助言 されてしまった。  この手の世界、尋常の神経と常識ではやっていけないので、ご用心。 - FARION MES(17):|∞宗教・哲学 |新時代の思想のために 97/01/20 - 00099/00101 GGA02514 KAZE 遊ばせ (17) 97/01/20 00:20 00097へのコメント アマデウスさん、どうも。 「遊戯三昧」っていいですね。 ぼくもその言葉は大好きです。 だから、「神秘学遊戯団」なわけですけど(^^)。 親鸞は、「心は浄土に遊ぶなり」といっていますし、 「神遊び」という言葉も日本にはありますよね。 「遊ばせ」という言葉さえあったりします(^^)。 しかし、それはレクリエーションとかレジャーとかいうような 現代日本が陥っている貧しい「遊び」のとらえ方とは根本的に違うんですよね。 それは、「小人閑居して・・・」ということと近しいものがあります。 「閑」という言葉ですけど、「絶学無為の閑道人」という言葉があります。 その「閑道人」というのは、行道がそのまま遊ぶことになっている人のことです。 「閑暇」という言葉もありますけど、それは決して空虚を埋めるような そんな貧しいものではないんですよね、本来は。 ホイジンガに「ホモ・ルーデンス」という有名な著作がありますけど、 そこで人間を「遊ぶ人」と名づけています。 「ホモ・ファーベル」(働く人)というのもありますけど、それだけだと寂しい^^;。 あらためて考えてみれば、「遊び人」というのは、すごい意味なんですよね、本来は。 もちろん、実際の「遊び人」は、そうじゃないわけですけど^^;。 それに近い意味の言葉に、「極道」という「道を極める人」というのもありますけど、 それも本来の意味は「遊戯三昧」なんかに近かったんでしょうね。 さて、「遊ばせ」「遊ばす」という敬語表現についてですけど、 これはだれかが何かするのをへりくだって受け取るという意味で、 これは、自分と相手の関係で、自分を無にして相手の行為をそのまま受け取る ということであるともいえます。 車の運転で、ハンドルの「遊び」というのは重要ですけど、 そういう自由さというのは、どれだけ自分を無にできるか というのもあるんでしょうね。 何かを見るときにも、何かを見ることができるというのは、 目そのものがみずからを供犠に捧げているからこそ見えるわけで、 それもある意味では「遊び」だともいえるように思います。 けれども、その「自分を無にする」というのは、 決して自分を放棄するというのではなくて、 限りなく自由で主体的あることの究極の在り方だといえます。 「聖杯の秘儀」っていうのもあるんですけど、 それは自我を矯めて、それを器にして、そのなかに、 宇宙からの力が流れ込んでこられるようにすることです。 つまり、その「器」が大きければ大きいほど、その自由が大きいということです。 真の意味での「遊び人」になりたいものですね(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00100/00101 GGA02514 KAZE 労働知・形成知・解脱知 (17) 97/01/20 00:20 00098へのコメント アマデウスさん、どうも。 》 現代の教育システムは、国家ぐるみで長い時間をかけて同じような事をやって 》 いるとは言えないでしょうか。むしろクイズ番組の方がエンターテイメント 》 と割り切っている分、ましなのかも知れません。大多数の人は洗脳に近い形で 》 この教育システムの洗礼を受けているのですから、引用された二つの条件は、 》 強く意識していた方が良いのだと思いました。 ぼくは、すでに小さい頃から「教育システムの洗礼」から逃げてまして、 その影響はあまり受けずにすんでいるというか・・・その分、無知なのですけど^^; ま、クイズの答えのような受験勉強的な知識の無意味さというのは、 自分で興味のあることを勉強していく方向だと、「何故」としか思えないですけど、 たしかに、クイズ番組のほうがたしかにわりきっていいといえばいえますね。 では、なぜ単なる知識ということしか通常は理解されなくなっているかというと やはり、「知る」という在り方そのものを創造的にしていくということが いかに難しいかということをあらわしているんだといえますし、 一対一対応できるような、自動販売機の様な知識だと、 はやい話、わかりやすいわけです。 だれにとっても一目瞭然のように陳列できる知識だと、 クイズにもしやすいですしテストにも出題しやすい。 それに、権威化するというのもとても簡単なことですから、管理がしやすい。 けれど、そういうのだと、ほとんどコンピュータでいいわけですよね。 そして実際、ほとんどの場合、それしか求めてないともいえます。 さて、その「知識」の在り方についてですけど、 先にご紹介した安岡正篤さんの「知命と立命」では、 「労働知」「形成知」「解脱知」(聖知)の違いについても述べられています。 わかりやすくいえば、知識から知恵へということなんですけど、 学校で学ぶような知識というのは、「労働知」で、 現代の科学もそうですけど、用い方しだいで悪用もできるような知識のこと。 けれど、「形成知」になると、創造的、建設的な側面という在り方ですし、 それが叡智化していくと「解脱知」(聖知)になるのだといいます。 これは、ドイツ語を訳したものなのですけど、洋の東西を問わず、本来は、 知識と知恵の違いというのは、重要視されているんだろうなと思います。 最近では、その境目が理解されにくくなっているわけですけど・・・。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00101/00101 GCG01101 アマデウス RE:「禅とはなにか」続きます。 (17) 97/01/20 02:23 00087へのコメント #87 あとみ さん、いらっしゃいまし(^^)   続きが始まりましたね。よろしくお願いします。  お話の内容については、僕が感じたことは全部KAZEさんが僕が感じた以上の  ことを書かれていて、今更書くのはマヌケみたいになってしまうので(^^;、  次の部分についてだけちょっと書かせていただきます。 >>  で、人って、まぁ中には駄目だと判っている事は絶対にしない、という方も >> 居るやもしれませんが、うそだと思っても信じてみたり、駄目だと思っても >> 挑戦を続けたりって所がありますよね。人間のそんな部分って、 >> わたしには「一即多、多即一」といった逆転の発想に繋がっている >> ように思うんです。うそだとか、駄目だとか思う心の中にたった一つの >> 可能性を見出していこうとする気持ちって、わたしは失いたくないと >> 思うのですが、わたしが最近大乗にとても惹かれるのは、同じように >> 何も良い事なんか無いような世界でも可能性を見つけていこうとしてきた >> そんな過去の方たちの思いを感じるからかもしれません。   「駄目だと判っている事は絶対にしない」というのは、非常に合理的な  ようでいて、自分の殻に閉じこもっているようにも見えますね。裏を返せば、  「絶対にしない」ことによって、駄目な自分を認めたくない、駄目じゃない  自分の自己イメージを守ろうとしているのかも知れません。   こう書きながら自分のことを言っているような気がするんですが(^^;、  実際最近ある方から「最初から負けているように見える」と言われたことが  ありまして、やる前から可能性を放棄してしまうような面が自分にないか  顧みています。   考えてみると、「駄目だとか思う心の中にたった一つの可能性を見出して  いこうとする気持ち」っていうのは、そのまま「信」につながるような感じが  しますね。                               アマデウス - FARION MES(18):|◆期間限定◆ |「アーリオーン・メッセージ」輪読 97/01/20 - 057/060 MHD02672 TAO 聖書の龍 (18) 97/01/19 22:58 コメント数:2   はなさん、SUKEさん、進行係のお務めをどうもご苦労様です(^^)。   さて今は第一章「かっての日本で何があったのか」を進められているとこ  ろですが、私は第三章の中の、ミカエルと龍の対立について「これは聖書が  改竄された結果である」というARIONの指摘に惹かれ、自分なりに調査  してみましたが、確かにARIONの指摘を裏付けるような、龍についての  研究は数多くありました。   今、それを発言すると、話の流れが飛んでしまうので(^^;控えますが、い  ずれUPさせて頂く積もりです。m(_ _)m  TAO