さて表の焚き火民達は明け方の空の下、真剣に話し合っている様子 ID Name (handle) Send NBD02346 ION ON QYZ04021 虹郎 ON VFE12121 凡人 OFF - FARION MES( 4):*********** カベ (Wall) *************** 97/01/26 - 00198/00217 QZY01267 猫の手 RE:勝負 ( 4) 97/01/24 15:21 00180へのコメント コメント数:1  こむさんこんにちは、  きょっと気になったので、RESさせていただきます。      そうですね、こむさんのおっしゃるように、「世の中から勝ち負けがなくな ったら、なんてつまらないことだろう。」という気持ちは分かります。私もゲ ームとしての競争は結構好きです。そしてそういうことがなくなっちゃったら つまらないだろうとも思います。  ところで、競争し合うのと、協力し合うのと、どちらがあるものを生み出そ うと思ったら、楽しくて、早くできて、多くできると思いますか?  また逆に、どちらがストレスが貯まり、疲れやすくなり、お互いの足の引っ 張り合いになりやすいと思いますか?  私はこれからの時代は、競争しようとしているのか、協力し合おうとしてい るのかを自覚して生きる時代ではないかと思っています。  そして、これを赤黒ゲームにたとえるならば、私は最初に黒を出し、ひたす ら黒を出し続けるということを選択したいと思っています。   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/24 14:25> ** 00205/00217 QZE03111 こむ RE^2:勝負 ( 4) 97/01/24 23:34 00198へのコメント  猫の手さん、こんにちは。 》私もゲームとしての競争は結構好きです。そしてそういうことがなくなっちゃ 》ったらつまらないだろうとも思います。  ん〜。ぼくは、最初からゲームとしての競争しか念頭においてないとした ら、それこそつまらないと思います。  たとえばセナとプロストが(あ、モータースポーツに興味がなければごめん なさい)、あれはゲームなんだからとか言ったりしたら、F1なんてものはあ っという間に廃れてしまいます。  また、たとえば小学生が、なんかのスポーツ大会で相手に負けて悔し涙を流 しているときに、ゲームなんだからとか言えますか?  将棋の棋士が、最初からゲームとして勝負しているでしょうか。   》ところで、競争し合うのと、協力し合うのと、どちらがあるものを生み出そう 》と思ったら、楽しくて、早くできて、多くできると思いますか?  もちろん、競争し合うほうでしょうね。競争が苦しくて、協力が楽しいなん てのは、単なる固定観念じゃないですか?  また、苦しいことがだめで、楽しいことがよいというのも短絡的だと思いま す。それ以前に、だれかがある行為をする前に、なぜそれが苦しいか楽しいか わかるのでしょう?  また、競争してたら協力できませんか?競争というのは潰し合いではありま せんよ。本当に競争するためには、まず自分たちが競争している「場」を守 り、価値のあるものにしなくてはなりません。さらにその「場」が存在する 「場」を守らなくてはなりません。   》また逆に、どちらがストレスが貯まり、疲れやすくなり、お互いの足の引っ張 》り合いになりやすいと思いますか?  ですから、 》呪うべきは勝ち負けではなく、勝つための努力を怠る怠慢と、自分が勝って 》るのか負けてるのかもわからず勝負をする愚鈍さである。(#108)  なのですよ。  それから、生きていればストレスはたまるものです。疲れるのはストレスを 解放する術を知らないからです。  ストレスを正当に解放してやる術を知っていれば、ストレスに気を使う必要 はなく、それだけ勝負に集中できるのです。  でわでわ。     *****こむ より***** 00200/00217 QZY01267 猫の手 RE^4:『猫の手』が解釈したアドラー心理学 ( 4) 97/01/24 15:22 00193へのコメント コメント数:1  鷹さん、こんにちは。    私はここを、「なんでもアリの落書きスペースであり、誰に聞かせるともな い独り言、今まで暖めていた心の詩、誰にも言えなかった愚痴など、肩の力を 抜いて自由に書き連ねることの出来る場所。」として、誰に伝えるとはなしに、 受け取れるひとに受け取って貰いたいと思って書いています。  そして更に私は、鷹さんがRESをつけて下さった#173に続けてUPした#174で も、「好きなところを持っていって、いらないものは捨てて行って。」という ことは書いておきました。  にもかかわらず、鷹さんのようなRESを頂くと、鷹さんはどのようなものを お望みなのかと考えてしまいます。  というわけで、「丸抱えの受け入れ」を期待しているなどと書いた記憶はあ りません。どこで、そんな風に思えちゃったんでしょう。私がそういう誤解を 生むような文章を書いたというのでしたら謝りたいと思います。  私が何故、鷹さん風に言うと、「文章をぶつ切りにして、回りくどい表現で 書く」ということしているかと言えば、私が団子になった文章のMESを読む気 になれないということからです。それとともに、これからはもっと感情を開い ている時代だということから、読んだひとの感情を刺激するような工夫を試み てのことです。団子になって何十行と書かれた文章は、感情よりも頭を回すの には良いかも知れないと考えています。  そしてそれにより、鷹さんが「腹がたった。」とおっしゃるとするならば、 鷹さんの感情を刺激したという点ではうまくいっているのかも知れません。  それは、私が期待していた感情の刺激のされ方ではないですけれど。    私は鷹さんが腹を立てたとするならば、何か私に要求したいことがあったか らだと思ったのですが、そのことをお尋ねしたいと思って、RESさせて頂きま した。と言って、必ず鷹さんの希望に総て添えることができるかどうかは分か りません。       これで、鷹さんの疑問に応えたことになったでしょうか?           ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/24 13:45> ** 00203/00217 HGE01437 鷹 RE^5:『猫の手』が解釈したアドラー心理学 ( 4) 97/01/24 23:03 00200へのコメント  猫の手さん、こんにちは。 > 私はここを、「なんでもアリの落書きスペースであり、誰に聞かせるともな >い独り言、今まで暖めていた心の詩、誰にも言えなかった愚痴など、肩の力を >抜いて自由に書き連ねることの出来る場所。」として、誰に伝えるとはなしに、 >受け取れるひとに受け取って貰いたいと思って書いています。  この辺が既に疑問なのですが、そうであるならば手帳にでも書いておけばいい ことで、壁であっても人の目に触れさせることが目的ではないのですか。ご自分 でもアドラー心理学のことについて伝えておいた方が云々・・・・と言っておられた と思います。  「誰に伝えるとはなしに」の「誰」は確かに不確定でしょう。しかし伝える意 志はしっかりお持ちなのですよね。 > というわけで、「丸抱えの受け入れ」を期待しているなどと書いた記憶はあ >りません。どこで、そんな風に思えちゃったんでしょう。私がそういう誤解を >生むような文章を書いたというのでしたら謝りたいと思います。  「丸抱え」というのは、議論や意見の出し合いによって、お互いに理解し合う のではなく、一方的に自分の価値観を押し付けるという意味で、いらない人は 「いらない」と言うでしょうし、欲しい人は持って行くでしょう。しかし、その どちらの場合も猫の手さんは不在であるということです。 > 私が何故、鷹さん風に言うと、「文章をぶつ切りにして、回りくどい表現で >書く」ということしているかと言えば、私が団子になった文章のMESを読む気 >になれないということからです。それとともに、これからはもっと感情を開い >ている時代だということから、読んだひとの感情を刺激するような工夫を試み >てのことです。団子になって何十行と書かれた文章は、感情よりも頭を回すの >には良いかも知れないと考えています。  猫の手さんの文章は感情と言うより雰囲気を重んじてるように思います。 「何となくやさしげな文章」とかね。でも、中身から伝わってくるものはない。  字面だけ追えば、それは文章ですから何かを伝えてくるでしょうが、猫の手 さんの生身を感じない。 > そしてそれにより、鷹さんが「腹がたった。」とおっしゃるとするならば、 >鷹さんの感情を刺激したという点ではうまくいっているのかも知れません。 > それは、私が期待していた感情の刺激のされ方ではないですけれど。  腹が立ったというのは、文章により刺激されての事ではなく、コミュニケー ションしようとしない態度に対してです。  前回「私がなぜ腹が立ったのか疑問に思わないのか」ということを書きまし たが、結局、猫の手さんはそれを私に聞くことなく、分かった気になって話を 進めているようですね。この辺の猫の手さんの身勝手さに腹を立てているわけ です。   > これで、鷹さんの疑問に応えたことになったでしょうか?  私の疑問をもう一度説明しなおします。  「コミュニケーションがしたいのでしょうか、ただ受け入れて欲しいだけな のでしょうか?」 97/01/24(金) 22:13 鷹(HGE01437) 00206/00217 QZE03111 こむ 幸福 ( 4) 97/01/25 01:33  私は幸福か?もちろん幸福である。  多くの人が飢えで苦しんでいても?  多くの人が虐げられていても?  いたるところで争っていても?  それでも幸福なのだ。ただ、私たちには多くの解決すべき問題があるという だけだ。私たちはまだまだ進化するということだ。  それと私が今幸福であることの間には何の矛盾もない。     *****こむ より***** 00207/00217 GGA02514 KAZE ほんとうの感情 ( 4) 97/01/25 10:45   ほんとうの感情は傷つかないんだ   そして共感できる感情はほんとうの感情だけ      苦しみがたくさんあって   傷つくこともたくさんあるけど   それはほんとうの感情ができあがるまでの   大事な道のりなんだということがわかれば   やがて苦しみは苦しみでなく   傷も傷でないことがわかる      ほんとうの感情は硬質の器   ダイヤモンドのようでいて   しかもとてもやさしい器   共感はその器がなくちゃできない      共感を注いだとたんに   壊れてしまうような器や   注がれるのを逃げてしまうような器では   その共感はすぐに反感になってしまう   反感になるような共感は共感なんかじゃない   傷つくことをおそれるような共感は共感なんかじゃない      ほんとうの感情は大きくてやさしくて   とてもつよい器なんだ   その器は苦しみや傷つくことという粘土を   高温で焼きあげてはじめてできるもの      だからこそほんとうの感情は傷つかないんだ   そして共感できる感情はほんとうの感情だけ   ☆☆☆by KAZE☆☆☆ - FARION MES( 5):|ψARION 関連 |日本正史・真実発掘 97/01/26 - 00045/00046 HGE01437 鷹 RE^5:歴史とね ( 5) 97/01/24 23:03 00044へのコメント こんばんわ>維さん >どの時代もあったと思います。けれど、元々が視野の広い、国という場の成長 >を見据えてなのか、ただの一個人一団体の物質や名誉欲なのかで、その行動も >同じ様でいて違ったものなのではないかと思います。  えーと、私が考えている、というか今回発言した視点というのは、国のために とか、将来のためにとかといった「公」の部分の入り込めない感情ということで 例えば「子供を殺された!このやろー」とか「偉そうなことばかり言いやがって」 などといった、えー、どう言ったらいいのか、まあ「生の感情」ってやつですか? それによって国が動いた事実があるのではないか。言い換えれば国が動いたその 影にある「生の感情」を見つけてみたいということです。まあ、個人的な興味で すが。  前回少し触れた「田原坂」も、敵味方入り乱れての白刃乱舞ですから、「軍」 とか「勝利」とかの前に動物的な恐怖が被っていただろうと考えられる訳です。 生身の人間、そうそうカッコ良く映画や小説のようにはいかないでしょうから。  そこで、その恐怖から逃げ出さずに多くの人が戦った訳で、それを支えていた ものは何だったのかを考えてみたいんです。本当に崇高な使命だったのか。  言ってる私自身、何も考えてませんので、今度考えたらUPします。 97/01/24(金) 22:39 鷹(HGE01437) 00046/00046 HGE01437 鷹 白兵戦 ( 5) 97/01/25 22:22  戦場は山間部。林道。視界の利かない暗い狭い空間。銃を使った戦闘に慣れた 政府軍(と言う呼称が正しいのかどうかは知りません)の兵士。隊伍をなして移 動中。突然、薩摩の兵士が白刃を振りかざして襲いかかる。  戦場は混乱を極め、同士討ちの可能性から銃は使えない。一旦兵を退いて部隊 を立て直し、銃を剣に替えて迎え撃つ。が、「薩摩の初太刀は躱せ」と恐れられ た示現流。俄剣士の敵う相手ではない。あっという間に切り伏せられ敗走。 (事実とはあんまり関係有りません。こんな状況があったのかなーと思っただけ です)  時代は明治初期。世は近代化に向け全力を傾けており、「武術、剣術はもう古 い」と言われていた。政府軍は外国から輸入した近代的兵器で武装し、機械化さ れた軍隊。これが、鹿児島のお家流「示現流」に全く歯が立たなかった。  政府軍は、森に隠れ、林に潜み、真近から刀一本に命をかけて切り込んでくる 示現流の剣士達に散々にやられた。  近代兵器が刀に負けるとは誰も思っていなかった。伝統の武術を甘く見ていた。 軍首脳部はこの報告を受け、対策を考えた。そして、当時設立したばかりの「警 視庁」に剣術の達人が多く居ると聞き「警視庁抜刀隊」を編成、現地に派遣した。  この辺から「田原坂の戦い」になるわけだが、こういったことが日本の伝統武 術を後世に残そうといった動きに繋がり、「大日本武徳会」が設立されるきっか けになったのではないかと、私は思っている。そして武術文化が今に残されるこ とになったことは有り難いと思う。  日本人は当時も今も極端だから近代化に走ったらすぐに体制は「古いものダメ、 新しいものいらっしゃい」になったのだろうが、実戦が語ったものは「伝統とは ただあったのではなく、あるべくしてあった」ということではないだろうか。お いそれと捨てるべきではないということでしょうか。 97/01/25(土) 21:24 鷹(HGE01437) - FARION MES( 7):|ψARION 関連 |自分を観る 97/01/26 - 09578/09586 GGA02514 KAZE RE:仮面と虎は使いよう ( 7) 97/01/25 00:30 09570へのコメント しまうまさん、どうも。 》 癒着した仮面を剥がしたからといって、その仮面を投げ捨ててしまう必要は 》ない、ということですね。ストックしておいて、使うべき場面で使えばいい。 》 なぜだか「仮面=悪」であり「仮面を付けた僕=悪いヤツ」であるという構 》図に、頭の中でなっていましたが、問題は「仮面を付けている」ことではなく、 》「仮面が癒着してとれなくなっている」ことでした。 仮面を自在に扱って、どんな役でもできる役者になれれば理想的ですね(^^)。 なかなかできることじゃないけど、自分の殻を破るという類の訓練は、 仮面の自在な着脱のためには、けっこう有効かなとも思います。 自分の殻を破るためには、自分が到底できないようなことを 清水の舞台から飛び降りる気持ちでやることが有効で、 実際に、そういう方法論でブレイクスルーのためのセミナーなんかを 集団でやっているようなのもありますけど、そういうのは危険ですね。 企業戦士を育てると称してそういうセミナーに行かされるビジネスマンなんかも けっこういるんだと思うんですけど、やっぱりそういうのはどうかなあと思います。 そういうのではなくて、あくまでも自分で自分の殻に気づいて、 それを破ることが必要であれば、自分なりにそのために持続的に努力すること。 それ以外では、殻を外から破ってしまうことになりますから、危険なわけです。 ただ、卵の殻をやぶって雛が出てくるときに母鳥が手助けをするように、 あくまでも自分の自覚ということを前提として、 外的なきっかけが有効に作用するときもあるわけですけど。 》 たまたま「仮面を懸命に維持している自分」に気付くと、「何ムダなことや 》ってるんだ」「何も隠すことないのに、こんなことに労力を使ってもったいな 》い」と思います。それでも顔に貼り付いた笑顔がとれなかったりしますが、ま 》ずは言葉だけでも本音(だと自分が思うこと)を言うようにしています。 やはり、「仮面を懸命に維持している自分」に気づいたときには、 その仮面を自分が必要とするようになった根源的な理由を どこまでも掘り下げていくことが必要なんでしょうね。 それと、やはりその仮面を維持することによって、 自分にはどんなメリットとデメリットが生じるのかを分析してみる。 そうした丹念な作業をしていくと、その仮面がいわば客観化できるようになり、 うまくすれば、それはひとつの「使える仮面」のレパートリーにすることも できるのではないでしょうか。 》でも、たまにはぶわーっとぶちまけるのもまた一興では?なんて、誘惑してみ 》たりして(^^;。 うむむ、そんな趣味はないけど、偽装でそうした仮面をかぶってみるのも、 面白いかもしれませんね。 そうそう、長くこうしてパソ通してると、書き込みのスタンスも その都度いろんなモードを使ってみたりもするようになりますね(^^)。 ぼくとしては、最近は、少し「腹」を使ったモードで書いてることが増えました。 今はどんなモードかって? それは秘密ですY(^_^)Y。 では、では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 09584/09586 NBB01420 SUKE RE^2:依存がやばい理由… ( 7) 97/01/25 22:48 09577へのコメント #9577 メルクさん、こんばんは。 FUJI日本という組織については僕はよく知らないので、たまたま12番とい う風に申し上げたのですが、メルクさんなりに選んで頂ければ良いと思いま す。 ところで、道具に依存するかどうかという話、なるほどそうですね。 で、メルクさんの購入されたハテナちゃんは道具だったんですね。僕はどう もそう捉えていなかったので、依存心ではないのかと思っていました。 自分の足で立っているのかどうかは立った後で気になってくるのではないで しょうか。まずは立つということをやってみるかどうか、座ったまま考えて いても仕方がない、ということだと思います。 逆に言えば、立ったと思ってもまだ別の物事については座っている自分がい るかもしれないですね。立ったら次に歩かなければならないかもしれないし。 要するに立ったらおしまいではなくて、その先にも延々とある道のりの最初 の一歩としては、まず立つことからだと思うのです。 ちょっと抽象的な話になってしまいましたが、メルクさんがまた何かやって みたと言うことがあったら、それから続けましょうか。                             Suke.(^_-)☆ - FARION MES( 8):|ψARION 関連 |預言解読村 97/01/26 - 00180/00184 SDI00635 みれ RE^2:なぜ、日本人に伝えたいの? ( 8) 97/01/25 11:31 00179へのコメント  こんにちわ、ばかままさん&ALL  くだんのHOMEPAGE見てきました。そしたら、以下の様な言い訳がUPされて いました。知人が今朝アクセスした時には表紙しか無かったと言ってましたが、 更新日を見たら1月21日となってますね、変だなぁ。 ------------------------------------------------------------------------- |   --- 急告 (97/01/21)---             | |                                    | |米国の大地震に関する日付の件では、一部解釈の違いによってその通りにはな | |らなかった。が、 これまでに預言書から読み取られた一連の事件(オウム、北 | |朝鮮、英国王室ダイアナ妃、etc)の ように遠からず発生するであろう。現在そ| |の内容については更なる解釈を進めているところであり、 近々このページにて| |発表する予定である。                          | |                 (改行位置変更しました/by みれ) | -------------------------------------------------------------------------  大昔、予言者は予言が外れたら死を以って購うべしということになっていま したが、近ごろは「一部解釈の違いによってその通りにはならなかった」と言 えば済む様ですね。しかも、その他の予言については「遠からず発生するだろ う」ということになっていますね。  人騒がせなことを言っておいて、これは無いでしょうとか思いますね。これ で責任を取ったつもりになっているのだったら、お手軽過ぎて開いた口が塞が りません。  ★------------------★/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------------★ 00181/00184 CZT03105 紫音 RE:おさがわせしました、今後ともよろしく ( 8) 97/01/25 22:09 00174へのコメント コメント数:1 思い込みが強くて突然失礼しました。 はなさんの恐れに私も同感です。 そして、私の心の奥を見ぬかれた様で恥ずかしいのですが、それでも、 確証が欲しいと感じていますし、またあらかじめ預言された客観的な事 件を元に、外に対して働きかけて行きたいと思っています。いくら、自 分の確信していることでも他の人に説得することは難しいので。 私の興味は未来です、未来を知る手段としての予言・預言について非常 に興味があります。私には現在、未来予知能力は皆無なので、いろいろ な予言書・預言書に首を突っ込んでいます。 さて、解読した池田邦吉さんを私は100%信頼し、それが間違ってい たわけですが、それでも、地震は今冬中のいつか近々来ると思っていま す。理由は次の通りです。 1.池田さんは技術屋です。2x4の建築技術者で技術書の著書もあり、 建築設計事務所の社長を投げ打って解読にのめり込んだ。また、プレー トテクトニクス理論や天文学に精通している。もっとも、これを”イシ ヤ(フリーメーソン)”と関係付けるとさらに疑わしくなりますが。 2.宇宙人か、宇宙旅行をした人の生まれ変わりらしい、予知能力があ り、大学の入学試験では試験問題をあらかじめ知っていたらしい。 arionは格が高過ぎますが、宇宙から派遣されて地球に肉体を持って生 まれてきた人の一人なのでは?そういう存在がいるのではないかという ことをarionに確認できたらと思います。 3.解読に発生する年月日を入れている、普通はこんなことをしないの に。誠実さの現れか、数学的厳密さを追求しているのか。 4.ノストラダムスの霊と交信できるらしい。 ドロレス・キャノンの退行催眠によるノストラダムスの霊との交流結果 とは矛盾しており、どちらかが間違いのはずですが。 5.1/20とした理由は大統領の就任式と解釈したためだと思うので すが、詩の文からは、それ以外でも、大統領が聖書に基づいて宣誓する 日には当てはまると思われます。例えば裁判の時の宣誓のように。 クリントン大統領については疑惑があり、近々法廷に立つ可能性が非常 に高いのですから、余計そう思えます。 6.サンアンドレアス断層があるかぎり大小は別にして西海岸ではいず れまた地震が来る。 00182/00184 SDI00635 みれ 紫音さん、ARIONの返答です ( 8) 97/01/26 10:07 00181へのコメント コメント数:1 #00181 紫音さん  はじめまして(^_^)  面白い話なので、早速RESします。  ARIONはちょっと忙しいらしいので、私が質問して返答を貰った分をお 報せしますね。ARIONの返答には冒頭に【ARION】を入れ、私の意見 には【みれ】を入れておきますので、混同しないで済むと思います。  なお、紫音さんの質問でない部分にもARIONは返答していますが、これ は勘違いではなく、必要上、そうしたのであるということです。 --------------------------------------------------------------------- |私の興味は未来です、未来を知る手段としての予言・預言について非常 |に興味があります。私には現在、未来予知能力は皆無なので、いろいろ |な予言書・預言書に首を突っ込んでいます。 --------------------------------------------------------------------- 【ARION】  未来を知る為には、昨日の未来である今日を理解しなさい。  一瞬前の未来である「今」を理解しなさい。  理解する為には、生き切りなさい。 --------------------------------------------------------------------- |1.池田さんは技術屋です。2x4の建築技術者で技術書の著書もあり、 |建築設計事務所の社長を投げ打って解読にのめり込んだ。また、プレー |トテクトニクス理論や天文学に精通している。もっとも、これを”イシ |ヤ(フリーメーソン)”と関係付けるとさらに疑わしくなりますが。 --------------------------------------------------------------------- 【ARION】  予言能力に技術者であるかどうかの能力は関係がない。  天文学やプレートテクニクス論も不要だ。  こうした肩書きが科学に関係すればするほど、  あなたがた日本人は信用度が高いと思うのだが、これは間違いだ。  予言能力の高い者がしばしば文盲であったりするのは、  欧米の常識であり、技術や科学に関する知識の有無は、  科学信仰の強い国(後進国に多いのだが)の国民を納得させ得る武器でしかない。 【みれ】  私も年商5000万の翻訳会社の社長の座を捨てて、自分の生き方を通して きましたよ(苦笑) 自分の生き方をする為に仕事を変える人は世の中にゴマ ンといますよ。そうしたからと言って、この人の解読が正しいことの傍証には なり得ません。 --------------------------------------------------------------------- |2.宇宙人か、宇宙旅行をした人の生まれ変わりらしい、予知能力があ |り、大学の入学試験では試験問題をあらかじめ知っていたらしい。 |arionは格が高過ぎますが、宇宙から派遣されて地球に肉体を持って生 |まれてきた人の一人なのでは?そういう存在がいるのではないかという |ことをarionに確認できたらと思います。 --------------------------------------------------------------------- 【ARION】  宇宙人であるかどうかが何故重要なのか?  あなたも宇宙人に変わりはない。  地球上に居るか居ないかで、予知能力がつくものなのか?  宇宙から派遣されて地球に受肉するというのであれば、  殆どの人間がそうであるとしか答えようが無い。  ましてや生まれ変わって地球上に存在するということは、  既に前生の存在とは異なるのだから、  前生に幾ら発達していようが現世は現世なのだと見るべきだね。 【みれ】  自分の前生が地球外の宇宙人であったならば、ほぼ間違いなくその事を口に しないと思いますよ。それが事実であることが確認されたなら、その人間は無 事で生きていることは不可能ですからね。 --------------------------------------------------------------------- |3.解読に発生する年月日を入れている、普通はこんなことをしないの |に。誠実さの現れか、数学的厳密さを追求しているのか。 --------------------------------------------------------------------- 【みれ】  普通はしないのに、では無くて、もし本当に予知能力を使うならば、普通は そこまで厳密に分かるものじゃないからです。計算式で割り出しているのであ れば、そういう形で出てくるだろうと思います。  たまぁに厳密な予知をすることもありますが、その場合には外れることは無 いですよ、ARIONの場合には。時間まで言ってくることもありますが、そ れは、その預言に関連する人に必要不可欠であるとARIONが判断した場合 だけです。                  ~~~~~~~~~~~~~~~~ --------------------------------------------------------------------- |4.ノストラダムスの霊と交信できるらしい。 |ドロレス・キャノンの退行催眠によるノストラダムスの霊との交流結果 |とは矛盾しており、どちらかが間違いのはずですが。 --------------------------------------------------------------------- 【ARION】  交信できるらしい…というのが、あなたの100%の信頼の表れかな?  ノストラダムスの霊と交信出来るのであれば、  失われた予言のページについて聞いている筈だ。  あなたは、そのページは何故失われたのかを聞いてみるべきだね。 --------------------------------------------------------------------- |6.サンアンドレアス断層があるかぎり大小は別にして西海岸ではいず |れまた地震が来る。 --------------------------------------------------------------------- 【みれ】  大小は別にして、いずれまた地震が来る…というのは予知でも予言でもない ですね(苦笑)…それを言うなら、日本は断層だらけですから、こっちの方が 恐いですよ。  また、高度に発達した宇宙人の生まれ変わりであり、試験の内容も事前に分 かるくらいであり、かつ霊とも交信出来るのであれば、この人はノストラダムスの予 言にこだわらずとも幾らでも未来が分かる訳ですよね?  なんかこう、全体を通して感じることは池田さんというかた、「自分の解読 は正しい」と叫んでいる感じです。本当に正しいものは世の中が放っておきま せん。人間はバカになって来てるけど、本当に正しいものは必ず残ります。だ から、声高に叫び続ける必要も無ければ、大仰なプロパガンダも必要ないと思 います。  逆に、そういう大仰なことをしている人を見ると、そうまでして正しさを主 張しないと正しいことが分かって貰えないと思ってるんだな…ということは、 これは何等かの欲だな、と見えてきます。で、そういう何等かの欲に支えられ た予知、予言ほど精度が低くなることを知らないのであれば、うーん、なんか なぁ…という感じです。  断っておきますが、私はこの池田氏も紫音さんも中傷するつもりも無ければ、 非難するつもりもありませんので、その辺のご理解を宜しく〜(^^)/" ★------------------★/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------------★ 00183/00184 CZT03105 紫音 RE: ( 8) 97/01/26 11:08 00182へのコメント ARION、みれさん、早速のRESありがとうございます。 よく考えてみますので時間を下さい。                       紫音 - FARION MES(12):|∞精神世界裏表|どうする日本/世紀末談 97/01/26 - 01808/01821 QZY01267 猫の手 RE^5:他人の不幸を決める根拠は? (12) 97/01/24 15:22 01797へのコメント  こんにちは、アラミスさん。久しぶりですね。    アラミスさんは、人の気持ちを逆なでるのが好きなようですね。      実際に私は、#1790のようなRESを頂くのは初めてだという気がしています。  少なくとも、アラミスさんからは一度も受けなかったものです。    以前にもお伺いしたような気がするのですが、アラミスさんは、『猫の手』 をどうしたいのでしょうか?  それによってどんな感情を得れば、アラミスさんは満足するのでしょうか?  今の状態だと、アラミスさんにその目標がある限り、私が何を言おうとその 目標が達成できるまで、私の気持ちを逆なでることをしたいと思うのではない でしょうか?   ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/24 15:05> ** 01809/01821 QZY01267 猫の手 RE:再び、議長注意です。 (12) 97/01/24 15:22 01799へのコメント  一輝さん初めまして、    始めから喧嘩腰の方とお話しするというのは、さすがの私も滅入ってしまい ます。  いつでも首を洗って待っていますからいつでも、必要な処置をしていただき たいと思っています。 >●「あなたが望む”いい関係”を誰もが望んでいると勘違いしていませんか?    これこそ、あなたの一方的な価値判断じゃないのですか?」  このことについては度々語っていると思うのですが、それでも再びというの でしたら、伝えられなかったのは私の責任として、再度語らせていただきます。  まず、私がいい関係(協力、共感し合えるような関係)を望んでいます。ま ずはそれが一方的な価値判断でも構わないと思っています。ただ、相手が望ん でないのならば、そういう関係を相手の意志を無視して造りたいとは思ってい ません。  ですから、一輝さんが私とそういう関係を持ちたくないというならば、私は 一輝さんと関係を持ちたいとは思いません。  ただ私は、どこのどんな誰であろうと、どんな存在であろうと、表面的にど んなことをやっていても、私といい関係を持ちたいという気持ちがどこかに潜 んでいるということだけは信じていようと思っていることも確かです。  以上が、上記の質問の答えです。      どうも私はこの会議室には合わないようです。この会議室にやってきてしま ったこと事態が不本意だったのですが、可能な限りこの会議室は使わないよう にしたいと思います。    とは言え、RESが付いてしまったら、再び現れることにはなるかも知れません。      それでは失礼しました。         ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/24 15:20> ** 01813/01821 SDI00635 みれ RE^4:猫の手さん、そろそろ次の階段へ (12) 97/01/25 04:01 01794へのコメント 猫の手 さん(一字一句、キチンと読んで下さい)  猫の手さん、あなたはどうも文章ではなく「言葉遣い」から漂う「雰囲気」 だけのやり取りをコミュニケーションだと勘違いしている様ですね。同じ内容 を書いていても、表面的に言葉遣いがきっぱりとしているアラミスさんの言葉 は猫の手さんの目には入らない。反対に言葉遣いが優しそうに見えるわうさん の文章には感動する…あなたは、一体何を読んでいるんですか?  会話相手の文章を多数引用するのはパソ通では薦められたマナーでは無いと 言う人も居ますが、猫の手さんは引用をした方がいいと私は思います。あなた は相手の文章の中に自分の好きそうな言葉があったら止まって読むけれど、好 きそうな言葉が無かったら斜め読みしかしていない…これは私がそう感じると か思うとかではなく、あなたの今までのRESの態度を見て判断したものです。 | もしどなたか、みれさんが私にどんな返答を期待しているのか分かる方がい |らっしゃいましたら教えていただきたいと思います。  私は、私の「質問」に対するあなたの「返答」を期待しているだけです。そ こに「どんな」も「こんな」もありません。見ず知らずの相手と話をするパソ 通上で、質問に対する返答以上の何を期待するというのでしょう?私はそんな 風に知らない人に何かを期待するほど甘くは無いですよ(苦笑) | こういうことを書いても、みれさんは「私がみれさんの期待に応えてない。」 |とおっしゃるだろうと思います。その場合には素直に首を差し出したいと思っ |ています。  首を差し出すという意味がどういう意味か分かって書いていますか?  私がそんなことしなくていいと言うと思いますか?  首を差し出すという相手には、その通りにして頂きますよ、いいですか? | どうも私はみれさんの兵隊にはなれそうもありません。兵隊さんになるには |少し私が疲れすぎているみたいです。  誰が私の兵隊になれと言いましたか(- -;)  人をバカにした様な物言いは止めた方がいいですよ。  あなたの持論である「相手が幸せを感じることで自分が幸せになる」に則っ て考えて、これを言えば「みれさんは幸せに感じる」とでも思いましたか? | そして、私はみれさんに満足して貰いたいため、みれさんは何を求めている |のか見極めようとしていますが、まだ勉強不足で、みれさんに満足して貰うよ |うな解答が書けません。  私は、あなたに満足させて貰おうなどと思ったことはありませんよ。勘違い しないで下さい。あなたと普通の会話をする実験をしているのですよ。 | ただどうも、みれさんは、みれさんが期待している以外の答え方をする事を |望んではいないようだということだけは感じています。それがどういうことな |のか頭の弱い私には分からないのですが、どうもそれではこのフォーラムには |居てはいけないようですね。 | それでしたら仕方がないのでいつでも会員権を剥奪して下さい。 | 私は私からは会話を閉じようとは思いませんが、相手が止めてしまうのを停 |めようとは思いません。  私が期待している以外のものでも「質問」に対する「答」であれば、私はそ れを受け取って話を進めます。ですが、あなたは一度もまともに返答すらした ことがない。相手から投げかけられた質問に返答せずに、自分の会員権を剥奪 してくれと言う…理解不能です。しかも「剥奪してくれ」ですものね(^^;)…自 分から出てゆく訳ではないんですよね、最期まで「人任せ=人のせい」にする んですね。  私の質問とあなたの回答を再掲しておきます。 +-----------------------------------------------------------------------+ |質問:「あなたが望む「いい関係」を誰もが望んでいると勘違いしていません | | か?これこそ、あなたの一方的な価値判断じゃないのですか?」 | | | |回答:いくら私が甘い世界を作りたいと思っても、「そんなのはダメだ。」と | | 言ってRESをつけて下さる方々が居るという現実を私はちゃんと受けとめ| | ています。 | +-----------------------------------------------------------------------+  そして、再度、この質問に返答して頂きたいと思います。  あなたがいつまでも同じ態度を取り続けるなら、あなたは「対話不能」な人 であると判断せざるを得ません。  それから相手が厭になるように仕向けておいて、自分からは対話を止めよう とは言わなかったんだから自分のせいじゃないと言っても駄目ですよ。議長か ら注意されたら喧嘩腰に物を言われたことにして被害者を装っても無駄ですよ。 それが為に「私はここに相応しくありません」などと奇麗事を並べても駄目で す。出て行きたいなら自分から「厭になったから出てゆきます」とお言いなさ い。 ★------------------★/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------------★ 01814/01821 SDI00635 みれ 「差別する心」と「差別だと言う心」 (12) 97/01/25 04:02 コメント数:2  (長文注意:165行)  仕事の追い込みで疲れたので、KOIRAさんや氷室さん、がっちゃん(さ ん)のお話からインスパイアされたことを書いてみました。書きたいことを書 いていたら長文になってしまいました。 |ただ、日本という国は、特定の民族が大多数を占めていたから、異民族は |「珍しい存在」というのが頭にあるのかも。  えーと、異民族を意識するというのは日本以外の国の方が激しい場合もあり ます。実際に外国では日本人であるがために、理不尽な扱いを受けることもあ ります。  これから話すことは、実際に母と妹が旅行で韓国方面に行った時のことです。 韓国のエアポートで母が何かを買おうとして日本語で通じると思って店員さん に話し掛けた。そしたら相手は聞こえないのかちっとも応対してくれない。母 の横に居たアメリカ人が先に物を買っているのに、店員さんは母には応対して くれない。日本人の客が他にも居たけど、結局応対して貰えずに諦めて店を出 た。母も仕方ないので店を出た。  母は、これはオカシイと思って外で待っていた妹に話したところ、妹は一計 を案じた。流暢な英語を話す妹は、香港の人であるような顔をして、その店員 に英語で話し掛けてみたら、すぐに応対してくれた。それで少し世間話をして みた後で、最後に「私は、今日本語を勉強しているけれど、あなたは日本語は 出来ますか?」と問うてみたそうだ。  そうしたらその彼女は意外にも「ええ、私は暫く日本に居ましたから日本語 は得意です」とにっこり微笑んだということでした。日本語は分かるけれど、 日本人には応対したくなかったんでしょうね。私は妹と母から聞いた話を聞い たまま書いています。大袈裟に書いたり、この韓国の店の人を悪く言おうとい う目的はありません、念の為。  普通なら、これを差別と呼ぶのでしょうね。いえ、違うかも知れません。こ れが逆に日本で韓国人観光客相手に起きたことなら、確実に差別だと皆が騒ぐ でしょう。この辺りが私には理解しかねるところです。これを日本人に対する 差別だと言うと、すぐに「日本人がヒドイことを先にしたから当たり前だ」と 言う人も居ます。でも、それはオカシイですよね。  これを認めると、白人が先にヒドイことをしたからと黒人が見ず知らずの白 人観光客に対してヒドイことをしてもいいという論理になります。歴史的に見 て、どの辺りを指して「先にやった」というのか?ということも問題になりま す。  例えば私がスペイン人と結婚していた頃に、向こうの家族とフランスに行っ た時、トイレで元夫の妹と私は入り口のトイレおばさんに別々にされました。 妹はすんなりトイレに入れましたが私からはお金を取ろうとしました。私が何 故お金が要るのか?と問うても知らん顔して通せんぼです。その間、白人は全 てノーパスで入って行きました。  不審がった妹が戻ってきて私は家族の一員だからと説明しても、おばさんは 頑として譲らず、仕方なく小銭を払って入りました。後で妹が説明してくれま したが、あのおばさんは有色人種は汚いから、排便した後掃除に時間が掛かる んだと言ったそうです(- -;)実際に日本人がトイレを汚した経験でもあったの かも知れませんが、私は不愉快でしたね。  スペイン国内では非常に少ないのですが、色々と「あれ?」と思うようなこ とはありました。お互いに知らない同士、ましてや異国民同士なんだから、知 り合う前に相手を意識しない方が異常だと外人の友人は言います。これは当た り前のことなんです、国境を接して成立している国であれば尚のこと区別や差 別は沢山あると思って間違いないですよ。  ただ、これを感情的に「差別だー」と言ってしまうのは私は気が引けます。 実際に理不尽な扱いを受けたことには違いないですが、肌の色も目の色も違う、 言語も違う訳ですから、同胞と同じに扱ってくれというのは無理があります。  また、これは何国人だから差別だの何だのという問題では無いかも知れない ですね。案外、その人の虫の居所が悪くて見たこともない異邦人に当たってみ ただけかも知れない。先の韓国のお店もそうかも知れない。彼女が個人的に日 本人が嫌いなだけかも知れないですね。  でも、そういうことをされた人が韓国人だったら、これは殆ど必ずと言って いいほど差別だ、と周囲に居る「日本人」が言い出すでしょう。変ですよね? 一つ一つの事象を客観的に見つめてゆけば、案外、本当の差別は少ないのかも 知れない…にも関らず、差別が多いと思いたがる人も居る…これは何故でしょ うね。  更に言えば劣等差別と優等差別があることを、皆さんは考えたことがありま すか?私が高校生の頃に韓国の知人が言ってたことですが、「同和、同和って 言って韓国人を優遇する。日本人の何分の一かの値段で土地が買える…これは 差別じゃないか!」と。彼は優遇差別も差別だから止めて欲しいと言っていま した。日本で生まれて日本で育ったんだから、彼は日本の国籍が欲しいと言い ました。でも親や親戚から大反対されました。もし日本の国籍なんか取ったら、 村八分にすると言われたそうです。  韓国の友人が日本人の恋人を親に紹介したら、親が包丁を持って彼を追い返 してしまったと泣いていたという話もあります。その後、彼女は親の決めた相 手と結婚して子供が出来たけれど、いつも自分が家出をする夢を見続けている と言います。これは在日韓国人の人の話ですが。  分かりますか?…差別する心はどの国の人にもある。日本人だけが間違って いるのでも無ければ、在日の人だけが間違っているのでもない。双方が全く容 れあわないのが問題なんですよ。日本側だけが努力しても無駄です。私は、こ の知人の悩みに対して何も言えなかったのですが、彼はその後家出しちゃった のでどうなったか不明です。  差別を是認せよと言っているのではなくて、私は相手の理不尽さを指摘する のと、自分自身が相手と異なるんだという自覚を持つことを同時にしなければ 意味がないと思うのです。例えば差別、差別と言う側、被害者側はいつも韓国 であると思うのも間違いならば、差別、差別と言われ、まるで印籠の様に戦争 の時のことを持ち出されて、加害者であるから謝るべき国は日本だと思い込ん でいるのも間違いだと思います。  区別に感情を乗っけて差別とした上で、相手を糾弾することが目的になって しまっては、本来の意味での差別撤廃は無理だと思います。現状では一般の人 は「それは差別だ」と言われるのが怖くて、それを忌避する方向でいる様に思 います。忌避するのは、やはり差別に他ならないのですから、問題解決になり はしない。マスコミの自主規制も同じです。あれは差別心を助長させるもので あるとしか言えない。  要はお互いに何国人であろうが、相手次第で好きにもなるし嫌いにもなる、 とそういうことなのに、ここに歴史的な観点やら国家的な観点を持ち込むと、 面倒なことになるように思います。相手の国=相手ではないということです。 これを混同して怒りをぶつけるから、おかしなことになるんですよね。  戦争の頃の話にしてもそうです。八紘一宇の思想というものがあったことは 事実だし、実際に私なんかはインドネシアに4度行った時に、何度も「日本の 兵隊さんのお陰で学校が出来た。兵隊さんに、お前達が大きくなってインドネ シアを背負うんだから、頑張れよ」と言われて頑張ったんだよ、という話を現 地の人から聞きました。中には涙ぐみながら日本の唱歌を歌ってくれた老人も 居ました。  でも、日本の最近の教育では日本が一方的にアジアを侵略した話がメインに なっている…それ以前に米国や英国がつるんで国際的に物資の封鎖を意地悪の 様にした話はどうなったんだろう?…私には不思議です。こんなにも自分の国 を悪く言うのが平気な国民の居る国があることが不思議です。  どこの国でも、そう米国でも英国でも愛国心を幼い頃から植え付けます。英 国なんかは、つい十数年前までは(そして田舎ではもっと最近まで)映画の上 映の前に国歌が流れ、全員起立して胸に手を当てていたなんて話、知ってる人 いますか?  ちょっとでも日本の歴史を日本にとって良い評価で判断しようとしたら、す ぐに軍国主義反対!などと言われるのは、もう私は厭です。そう言っている国 の方がよっぽど軍国主義なのに(実際に強大な軍隊を持ってたりしますからね)、 日本だけが愛国精神すら持つことを許されないなんてのは、どっか変ですよね。  去年出来た社会の教科書には、明らかに嘘の歴史観が掲載されているものが 多数ありました。それに反対する書籍も色々と出ましたよね。覚えている方も 多いと思います。私はこの教科書で学ぶ、若い世代の人達が可哀想です。嘘の 歴史観を学校で学ぶんですからね。日本が如何にヒドイ国かと教える意図は何 処にあるのだろうか。自分が生まれて育った国を憎み、汚いものにでも触るか の様に国旗を見つめる子供の居る国は異常です。  自分の居る場を愛せない人が増えたら、その場は廃れるしかない。これはも う自明の理です。日本は、誤った歴史観を持った教科書と教師に滅茶苦茶にさ れると言ったら言い過ぎでしょうか。自分の住む場所を愛するのは当たり前の ことです。その場を支え発展させようとするのも当たり前です。そこから恩恵 を受けなければ人は生きて行けないのですから。  先の戦争にしたって、戦争ですからお互いにひどいことをしあう訳です。そ れを日本だけの暴走であったことにするなんてのは、間違いですよ。戦争って 結局は個人で言えば喧嘩なんです。これを規模を大きくして国家同士が争って しまうと戦争になる訳です。問題を個人間に留めて解決すれば戦争は無かった かも知れないのになぁ…と思うことがあります。そして、喧嘩ですからその裏 には欲が蠢いています。この辺りの考察をしない歴史観なんか、私は御免蒙り たいですね。  最後に、過去20年近く私が居た外国人社会でよく質問されたことを書いて おきます。  「ねぇKEIKO、何故日本人は自分の国を悪く言うのが好きなの?」 ★------------------★/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------------★ 01818/01821 TBE03167 ねずみ RE:「差別する心」と「差別だと言う心」 (12) 97/01/25 18:18 01817へのコメント コメント数:1 みれさん、KOIRAさん なんで、日本のくにのこと、悪く言っちゃうのか。 んー、これはね、一種の謙遜みたいなもんが最初にあったんとちゃうかと 思うんです。 僕なんかが子どものころは、うちの母親が、僕のことを「もう、ぼんやりした 子どもで・・・」と、他人に言ってました。 あ、これは謙遜ではなくて、客観的観測に基づいた事実を述べているだけかも しれないけど(笑) ま、日本には、自分の身内のことをちょっと低い目に言うておくという習慣がある わけです。 わしら、日本人が日本のことを悪く言うというのも、一種のこういう謙遜から出た部分 もあるような気がします。 それはそれで、別に悪くはないんだけど、それが、政治とかイデオロギーの話の 時まで大きな顔でしゃしゃり出てくるというのがいかんかったんとちゃうか。 そんな気がしますね。 謙遜とか謙虚、謙譲というのは、僕は、良い習慣だとおもってます。 ただ、意味をよく考えて使わないと、話がややこしくなっちまうね。 01821/01821 SDI00635 みれ RE^2:「差別する心」と「差別だと言う心」 (12) 97/01/26 10:08 01818へのコメント ねずみ さん、YAHATAさん  RESありがとう。  そうですね、謙譲の美徳とか謙遜することとか日本文化の一つですね。  でも、そうとばかりは言ってられないですよね。  だって自国の歴史を悪意で解釈している様なのは、決して謙遜とか謙譲では 無いですからね。  先の戦争でのアジア侵略問題なんか顕著ですよね、この悪しき謙遜。だって、 日本のマスコミはアジアの人達が日本の兵隊さんのお陰で独立出来たなんて言 ってる場面を、決して報道しないでしょう?  インドネシアやマレーシアなんかで日本軍が来てくれたお陰で、自分達は独 立できたんだと言い切る人が沢山います。これは実際に映像証拠として私は手 元に持ってますから、間違いないですよ。でも、こんなこと報道されずに逆の 報道ばかりが選ばれる。これは謙譲や謙遜ではなく悪意ある偏った解釈としか 思えないんですよ、私。  戦時中の報道が偏っていたと言われるけれど、戦後の今の報道も「日本=悪」 に偏り過ぎていて、これはまともに見ていると嫌国になりますよね。  YAHATAさんの言われるように、学校教育のせいだと言ったら外人の友人なら、 何故学校で祖国を愛することを教えないのか?と疑問を持つでしょうね。日本 以外の国では、愛国教育は当たり前の教育であり、日本がやっている教育は嫌 国教育なんだと日本人本人が知るべきですよね。  欧米人の言い草じゃないけど、日本の歴史を悪意でしか解釈出来ない人は、 それこそ「そんなに厭ならどっかに亡命すればいいのに」ですね(笑) ★------------------★/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------------★ 01816/01821 SGK02506 わう RE:EMと宗教団体の関係 (12) 97/01/25 09:17 01801へのコメント  #01801 一輝 さん こんにちは (^^)/  そもそもEMの誕生には「世界Q世教」がかかわっていた公式に発表されて いたと思いましたが、今度は「T一教会」ですか。  今の時期、お金の持っているのは製薬会社と宗教団体ぐらい。そのあたりと コンタクトしまくっている比嘉さんの動きが気になりますねぇ。  緑十字と言えば、あの非加熱製剤で国民を何人も殺した、殺人企業ですよね。 そんな極悪企業が環境改善に乗り出してくるなんて、なんかキナ臭いですね。                   ◇  北朝鮮の生ゴミリサイクルですか。 国際分業化を叫んできた経済学者も まさか、生ゴミリサイクルまで国際分業するとは考えなかったでしょう(笑)  プライドの高い朝鮮民俗が、アジアのゴミ処理国になることを甘んじて受け 入れるとは思えないけど、はてさてどうなるのか。  事の成行きは見守るにしても、リサイクルするにあたり、燃料を消費して船 で運ぶなんて全くのナンセンス。リサイクルは各地方自制体レベルで運営し、 せいぜいゴミ収集車の燃料消費程度にしていただきたいものです。  各自が生ゴミを各家庭でリサイクルし、ガソリン(軽油 etc)等を消費しな いようにするのがベストです。                  ◇  私の回りには、北朝鮮が深刻な食料難にあることを笑ったり、バカにしたり する人が多いんだけど、日本だって政治的な風向きが変われば、いつ食料難に 陥るか何の保証もないんですよね。現在の自給レベルじゃ食料の輸入量が20% も減ってしまったら、大変な食料パニックが起きるはず。  他国の農地に依存した上での繁栄(でもないか)であることを自覚しなくち ゃね。 ==☆☆☆== SGK02506 わう ==☆☆☆== - FARION MES(13):|∞シュタイナーその他|神秘学遊戯団 97/01/26 - 05366/05370 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●20 (13) 97/01/25 11:43 05236へのコメント ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第20回/「霊界参入の三段階/霊界参入」(P78-92)その2   当初の予定より少し遅れましたが^^;、続けます。      火の試練を通過したあと、神秘修行を更に続けようとするなら、今度は通例、   秘密文字の様々な体系が神秘修行と結びついている。そしてこの文字体系の   秘密文字を解読しなければならない。この文字体系の中で、本来の神秘教義   が開示される。(P81)      本当に「隠れた」(オカルト的な)ものは、直接通常の言語で語ることも、   通常の文字で表記することもできない。(中略)霊的知覚を獲得したとき、   常にオカルト文字は魂に直接語りかける。   (中略)   神秘文字の記号は勝手に作り出されたものではなく、宇宙に作用している諸   力に対応している。この記号によって事物の言語が理解できるようになる。   (中略)これまでに理解できなかったすべての事柄がまるでアルファベット   を一音一音読み上げるようなものでしかなかった、と彼には思われる。今は   じめて、高次の世界の中で読むことを学ぶ。それまでは単なる個々の形、音、   色に過ぎなかったが、それらが、偉大な関連の下に現われてくる。(P82) ぼくは、秘密文字についてはまったくの「文盲」ですから^^;, それについて説明することはいまのところまったくできないのですけど、 「それまでは単なる個々の形、音、色に過ぎなかったが、 それらが、偉大な関連の下に現われてくる」 ということについてはなるほどと思うことがあります。 それはごくごく単純なことでもあるのですけど、 あるときまでまったくそれについて理解できないと思っていたこと、 それまではそこに存在するのはわかっているのだけれど、 それが理解できるものではなかったというものが、 理解されるようになるということがあります。 音楽を聴くということにしても、それまではただの外的な音として聞こえ、 そんなもんかなあ、とか思いながら聞いていたものが、 あるときを境に、それが強烈なものとして響いてくることがあります。 絵画などでもよくあることですよね。 禅で「花は紅、柳は緑」というのがありますけど、 花は最初から紅として、柳は最初から緑なのではありますけど、 以前はそれが「偉大な関連の下に現われてくる」ことのなかったのが、 そうした「偉大な関連の下」にあるということを覚ったということです。 もちろん、そうした「文字を学ぶ」ことに関することはただ漫然としていても 身につくことはなくて、まさにそれを「学ぶ」ことが求められます。 そして、テーマに応じて、その「学び方」があるのだと思います。      神秘学徒はこの記号法を通して生活上の特定の基準をも学ぶ。これまで知ら   なかった或る種の義務に気づくようになる。そしてこの生活上の規準を知っ   たとき、未参入者の行為の中にはまったく含まれていないような意味を持つ   事柄を遂行できるようになる。(P82) この部分はとても重要な部分です。 それまでは、そんな「義務」など意識したことがなかったにも関わらず、 実は「義務」であることがわかることというのは確実にあります。 わかりやすく言えば、権利に対しては義務が必ずセットになっているというか、 権利はそのまま義務ということなのですけど、それが理解できない人がいます。 そういう方は、当然そこにある義務に気づくことができていないわけです。 そのように、自分は今ここに生きているという権利に対しては、 かならずそれなの義務が生じているはずなのに、 それに気づけないでいるということは、まさに「無明」にほかなりません。 おそらく、「悟り」というのは、みずからの義務に気づき、 それを遂行するということを意味するといってもいいのではないかと思います。 そして、「自由」を獲得するということは、その「義務」を使命とする ということを自らが選びとるということでもあるのではないでしょうか。 さて、続いては「水の試練」について。      秘密文字を学んだ神秘学徒のためには、更に新たな「試練」が始まる。今度   は、高次の世界の中で彼が自由に確実な行動をとれるかどうかが証明されね   ばならない。通常、人は外からの刺激に応じた行動をとる。周囲の事情が命   じる義務に応えて、彼は仕事に従事する。(中略)   上述の段階に達した者には或る種の義務が課せられるが、その際にはなにも   外的な誘因が存在しない。彼は外的な状況によってではなく、「隠れた」言   語が教えてくれるあの規準によってのみ、それらの義務を遂行しなければな   らない。(中略)   この試練のために、志願者は修行を通して特定の課題の前に立たされている   と感じる。彼は準備と開悟の段階で得た能力が知覚する事柄に従って、或る   行為を遂行しなけばならない。何を遂行すべきか、それは自分で手に入れた   秘密文字の解読法によって認識されなけれなならない。正しく義務を認識し、   正しく行為を遂行するなら、この試練に合格したことになる。その結果、霊   眼、霊耳が知覚する形、色、音に変化が現われる。(P83-84) みずからのなすべきことは、みずからが学びとらなければなりません。 それは、「教えてくれる」とかいうものではない。 「あなたの義務はこうですよ」などと指示されなくても、 みずからの義務を知り、それを理解し、実践しなければならないということです。 世の中には、「指示待ち族」とかいうのがのさばっていて、 言われなければなにもしなくていいと思いこんでいる人がたくさんいますけど、 そういう方にとっては、この「水の試練」は最初から落第しているといえます。 自分がいまここに存在していることそのものが、 ある種の義務の遂行そのものを課題としているというのに、 それに気づくことさえできないという愚かな生き方というのは、 生きながら負債をしょいこんでいて気づかない生き方と同じです。 サラ金地獄にいながら、自分はそれを地獄だと思っていないような在り方です^^;。 では、なぜこの試練が「水の試練」と呼ばれるのかという理由が 次に説明されています。      この試練は「水の試練」と呼ばれる。なぜなら底に足が届かぬ水中では、ど   こにも足場がないように、この試練の場においても行為する人間を支えてく   れるものがどこにもないからである。−−志願者が完全な確かさを得るまで、   この試練は何度でも繰り返されねばならない。(P84-85) 足の届かないところで泳いでいるというような感じですね。 そういう場所で泳げるまで、この試練は続くということです。      この試練を通して、自制心を育成する無数の機会に出会う。この点が重要な   のである。したがってここでもまた、霊界参入以前の人生体験において、自   制心を身につけることのできた人の方が一層容易にこの試練を通過すること   ができる。気まぐれや恣意にではなく、崇高な理想や根源的な命題に従う能   力を獲得した者、個人的な好みや性向が義務を忘れさせようとする場合にも、   常にその義務を遂行できる人は、意識しなくても、すでに日常生活の中での   霊界参入者である。(中略)この第二の試練を通過するためには、すでに意   識せずに獲得された日常生活における霊界参入がどうしても必要なのだ、と   いわねばならない。(P85) 「気まぐれや恣意にではなく、崇高な理想や根源的な命題に従う」 「個人的な好みや性向が義務を忘れさせようとする場合にも、 常にその義務を遂行できる」 そういう在り方を日々の生活のなかで実践できるということが、 そのままこの「水の試練」から学んでいるのだということがいえます。 ま、実際は、「気まぐれや恣意」で動いていることが多いものですし、 「個人的な好みや性向が義務を忘れさせ」てしまうこともとても多いですけど、 そういう在り方ではいけないんだと思うことだけでも重要なのではないでしょうか。      霊界参入のこの段階において特別重要な人間の特質は、無条件に健全で確実   な判断力である。すでにそれ以前のあらゆる段階において、このような判断   力を育成しておく必要がある。そして、志願者が真の認識の小道を歩むに適   わしい判断力を手に入れているかどうかは、この育成のあり方にかかってい   る。志願者は、実体のない幻影を、迷信を、さらにはあらゆる種類の幻惑物   を、真の現実から区別できるときにのみ、更に進歩を続けることができる。   (中略)空想や迷信に陥りやすい人は神秘修行の小道において進歩すること   ができない。(P86-87) 「気まぐれや恣意」「個人的な好みや性向が義務を忘れさせ」るような在り方は 空想や迷信に陥りやすいということを自ずと証明しているようなものです。 そうした性向の方が、霊的現象を体験することになると、 その体験がいかなる種類のものになるかはあきらかではないでしょうか。 しかし、空想や迷信の好きな方はえてしてそれを真実だと思いこんで、 それをもとに、自分が偉くなったような気になるものですから、始末に負えません。 ですから、なによりも大事なのは、やはり、 自分は今なにをする義務があるのかを、自分の力で発見し、 それを深く理解し、それを実践していこうという気概なのだと思います。 それなくして、真実を理解するということは不可能なのですから。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05368/05370 GGA02514 KAZE 風の本棚■伊藤益・日本人の愛 (13) 97/01/25 22:50 ■伊藤益「日本人の愛/悲憐の思想」(北樹出版/1996.10.1) この本はかなりマイナーな出版社からかなり地味な装丁ででているので、 見つけるのはなかなか難しいかもしれませんが、 かなり興味深い内容なのでご紹介してみようと思います。 本書は、ギリシア的なエロースとキリスト教的なアガペーとの比較検討からはじまり 儒教的な仁愛、仏教的慈悲などの話を経て、 万葉集や古今集などの日本の古文献などを踏まえながら、 「愛とは何か」という問いに対して、 日本人の視点からの解答を導きだそうとしているとても興味深い内容になっています。 結論としては、「愛は『共悲』に基づく『悲憐』の境位において『当為』(Sollen) として確立される」ということですけど、それだとなんだかわからないので、 参考までに本文から関係しそうなところを少し。   西欧的愛は、自己の人格的深化・陶冶を追求する愛、もしくは、自己滅却的な   他者奉仕をめざす愛として、その意志性をきわだたせる。これに対して、日本   的愛は、それが孤り在ることの悲しみを意味する「恋」として精神史的に最初   に顕現したことからも明かなように、個人がそのなかに置かれた状況に応じて   個人の内面におのずからに湧き上がる自然的な情緒であることを、その本来の   在りようとしていた。   西欧的愛は、その意志性のゆえに「当為」(Sollen)としての性格を濃厚に示す。   一方、日本的愛は、その自然性のゆえに「当為」としての性格よりもむしろ   「存在」(Sein)としての性格をより強く示すように見える。それが、他者の悲   しみをわが悲しみとする「共悲」の心位をもたらす点、および、「悲しむ」   (「共悲」の「悲」)という境位が基本的には心情のおのずからなる(在るが   ままの)発露である点に着目するならば、日本的愛は、現況のなかに事実とし   て定位する愛にほかならないように見うけられる。(P226-227)    ちなみに、著者には、「ことばと時間−古代日本人の思想」(大和書房)や、 「日本人の・・・」をテーマとしたシリーズの、 「日本人の知/日本的知の特性」という著書もあり、 また近刊として「日本人の死」というものも、北樹出版から 刊行されるということなので、ぜひ読んでみたいと思っているところです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05369/05370 GGA02514 KAZE 風の本棚■松岡正剛・情報の歴史を読む (13) 97/01/25 22:50 ■松岡正剛「情報の歴史を読む/世界情報文化史講義」(NTT出版/1997.1.22) この本と同じくNTT出版から、松岡正剛監修による「情報の歴史」という 極めて刺激的な本が出版されていて、その増補版も昨年出版されたのですが、 今回の「情報の歴史を読む」は、その「情報の歴史」を講義したものの記録です。 講義は1993年9月27日から3日間、千葉大学でおこなったものだということですが 松岡正剛だからこそできたような画期的な講義ではないかと思います。 まあ、とにかく面白くて、どきどきして、勉強になる(^^)。 松岡正剛は、精神的な側面に関することを除けば (「除く」というのが重大な問題なのですが^^;) これほど総合力とコンセプト化能力のある天才的な方はいないんじゃないかという方で ぼくとしても大学時代以降20年ほどにわたって、 その著書から学ばせてもらっているのですが、 今回の講義も、まあ、ほんとうにため息のでるくらいすごい内容になっています。 この松岡正剛にシュタイナーを加えて、 さらに出口王仁三郎のような腹のある茶目っ気のあるような人間というのが ぼくの理想とするところではあるのですが(^^)、 あらためて言っても、松岡正剛にはある種の霊性が欠如しているのが惜しい^^;。 けれども、松岡正剛の編集工学的な視点で編集された文化や歴史などを シュタイナーの神秘学的な視点で貫いていったらとても刺激的ではないかと思います。 「情報の歴史」を神秘学で読み解いていくということです。 この「神秘学遊戯団」という会議室は、 本来そういう試みをも内包しようという意図で始めたのですけど、 これまでは、松岡正剛的な編集の観点というのは希薄にならざるをえませんでした。 しかし、今回の講義を読んで、あらためてこうした視点をこの会議室の内容に いずれ投入してやろうか、とかいうことをあらためて思いました。 ・・・とまあ、こんなことを言っていれば、本の解説にならなくなりますので、 このくらいにしておいて、本書の「あとがき」あたりから紹介を兼ねて少し。   情報文化的多様性は、民族言語の起源や文法の発達にも起因する。たとえば   「時間」といった普遍的だとみなされている知識についてさえ、地球上の各   所でかなり異なってくる。よく知られている例でいえば、古代インドでは、   時間は古代ギリシアのように動的な言葉としてはつかわれていなかった。ヘ   ラクレイトスは川の流れに時間を見たが、インドではどういう」見方はしな   い。川も山も町も静的な存在なのである。そもそも古代インドには「なる」   という動詞がなく、仮に「なる」を表現する場合でも「ある」の一側面にし   てしまう。したがって、インドの情報文化は「出現」と「持続」と「消滅」   の三つのフェーズを基礎に成り立っていくということになる。たとえば、ブ   ッダはカピラバストゥに生まれ、菩提樹の下で悟りを開き、クシナガラで涅   槃に入ったのでるから、これら一連の出来事は当然ながら別々の年月日の出   来事であるはずなのだが、インドではこれらを5月の同じ記念日で祝ってし   まうのだ。   こういうことはたくさんある。テヘラン大学のダリシュ・シャエガンはペル   シア語・アラビア語・サンスクリット語のいずれにも「主観」にあたる言葉   がなく、そのため、これらの民族言語をつかう思想では、内部と外部を分け   たり、宗教と哲学を分けたり、また科学的分析と主観的思索性を分けるとい   った思考は通用しないのだという。では、これらの民族言語による情報文化   はどのような基礎をもっているかというと、シャエガンによれば、「普遍的   なるもの」と「個別的なるもの」を分けることによって成り立っていく。   このように見ていくと、情報文化を議論するには、私たちが充分に知ってい   るはずの日本について議論していくときでさえ、たとえば、日本の名詞には   性がついていないこと、多くの家庭では靴を脱いだ生活がいとなまれている   こと、朝日・毎日・読売・NHKはナショナル・メディアであること、多く   の企業は株主主権にはなっていないこと、江戸文化はキリスト教の排外の上   に花が咲いたということ、演歌のメロディの多くが韓国からの転移によって   もたらされているということ……等々、こういった情報文化の事情をつねに   考慮に入れていなければならないということになる。(P427-428) ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(17):|∞宗教・哲学 |新時代の思想のために 97/01/26 - 00122/00140 GGA02514 KAZE RE:ノートから (17) 97/01/24 22:52 00108へのコメント コメント数:1 アマデウスさん、どうも。 》 幼いころ、いろんなことに「なぜ?」を連発して、 》 まわりの大人を困らせていた。 ぼくの場合は、あまりまわりの大人に「なぜ」と 聞くような子供じゃなかったです。 「なぜ」と思わなかったというのではなく、 それは人に聞くようなものではなくて、 自分で答えを出す以外に仕方がないと思っていたようです。 相棒なんかもそうだったみたいです。 答えが与えられる、という感覚というのはほんとうになくて、 たとえば、学校などでは、先生が質問して答えさせようとしても、 自分から手をあげて答えることはまずなかったのですけど、 そういう問いと答えの一義的な関係というのがよくわからなかった、 というのが実際のところだったのかもしれません。 「あえていえば、答えはこうなんだろうけど、ほんとうにそうかわからない。」 もちろん、そのころはもっと稚拙な感じで感じてたんでしょうけど、 たまに、ほんとうになんだかわからなくなることがありました。 今でも記憶に鮮明に残っているんですけど、小学校の二年生くらいのとき、 引き算を習っていて、それはだれでもわかるような問題だったんですけど、 「引く」ということがまったくわからなくなってしまったことがありました。 答えはだせるんだけど、それが「なぜ」なのかわからなくなってしまった。 そして、その「なぜ」が自分のなかでぐるぐるまわりはじめて、 めまいのようになってしまったのです。 なんにつけ、自分がとりあえず出す答えと自分の内的な「なぜ」は ぴったりとくることはなかなかなありませんでした。 そうした「ずれ」とでもいえる感覚というのが大きくて、 学校というのが苦痛でしかたありませんでしたけど、 とりあえず出す学校での答えについては、わかっていますから、 それはそれでなんとかなっていました。 そういう傾向性というのは、ずっと続いてきていて、 その「ずれ」を自分なりに埋めることができそうになったときは、 もうすでに30歳を越える頃になっていました。 ずれを埋めるといっても、もちろん「そういうものだ」が 「なぜ」の答えになったというのではなくて、 「そういうものだ」でなくてよかったんだ、と納得したということです。 ぼくにとっていちばんうれしかったのは、 小さい頃から「そうでなくてもいいんだ」と思えるときだったんですけど、 その大きい波が来てうれしかったということです(^^)。 》 「なぜ?」をくりかえす子供の瞳は、キラキラ輝いている。 》 自分のまわりは、知らないものに満ちあふれていた。 ぼくは輝かない子供でした。 世界も決してキラキラ輝いてなんかいませんでした。 むしろ、「苦」に潰されそうになっていた感じでしょうか。 まるで、仏教ですね^^;。 で、最近になってやっと、自分のなかに少しだけではありますけど、 輝きのようなものを見つけることができるようになりました。 世界も少しずつキラキラ輝いて見えるようになりました。 なんだか、いろんなことがとても新鮮に感じられることが多くなって、 やっと、生きてるんだ、という実感のようなものさえでてきたように思います。 ・・・とまあ、まるでアマデウスさんの反対のようですけど^^;、 実際のところ、こういう感じなんですよね。 では(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00137/00140 GCG01101 アマデウス RE^2:ノートから (17) 97/01/26 01:12 00122へのコメント #122 KAZE さん、こんばんは。   あの散文2話は、実は僕の純粋な体験談というわけではなくて(^^;、  話の流れを際だたせるためにフィクションも交えていました。特に子供の  頃の話がそうでした。 >> ぼくの場合は、あまりまわりの大人に「なぜ」と >> 聞くような子供じゃなかったです。 >> 「なぜ」と思わなかったというのではなく、 >> それは人に聞くようなものではなくて、 >> 自分で答えを出す以外に仕方がないと思っていたようです。 >> 相棒なんかもそうだったみたいです。   子供の頃から自分で答えを出そうと言う意志を持っていたというのは、  すでにその頃から自分というものの萌芽が芽生えていたんでしょうね。  僕から見ると凄いことのように感じます。   現実には、僕もあまり「なぜ?」と聞かない子供だったと思います。  瞳も輝いてなんかいませんでした。ただKAZEさんと違うのは、自分で答えを  出さないと仕方ないと思っていたからではなく、単に引っ込み思案であった  り、そもそも「なぜ?」と思うことがあまりなかったからのように思います。   小学生のころはごく普通の子どもでしたが、中学生の頃からは、だんだん  団体行動を好まなくなっていきました。あまりよく覚えていないのですが、  「自分は自分」という感覚を持っていたようです。ただ、ここでも自分で  答えを出す云々は意識していませんでした。 >> で、最近になってやっと、自分のなかに少しだけではありますけど、 >> 輝きのようなものを見つけることができるようになりました。 >> 世界も少しずつキラキラ輝いて見えるようになりました。 >> なんだか、いろんなことがとても新鮮に感じられることが多くなって、 >> やっと、生きてるんだ、という実感のようなものさえでてきたように思います。   「そういうものだ」に疑問を抱かずに生きてきた人は、自分のなかの  輝きなど、あるとすら思っていないでしょう。#108に書きましたように、  「まぁ人生なんてこんなもんだ」と思いながら、日々喜怒哀楽の中で、  外界からの刺激に反応するだけの人生を送って行く人が多いのではないで  しょうか。それがいけないと言うのではなく、それで疑問を抱かずに  この先ずっと行ければ、それも一つの人生でしょう。   僕の場合は、やっと本当の「なぜ?」が表面に表れてきたところですから、  これから「そういうものだ」との格闘が始まることになります(^^;。  いや、もうすでに始まっていますが、それでもその格闘を避けて通ると  いかにも気持ちが悪いというのもわかってきました。なんだか釈然としない、  きちんと認識してスカッとしたいっていうような感じでしょうか。   KAZEさんが子どもの頃から格闘(って、勝手に言ってますが(^^;)してきて  ようやく最近光明を見出されたように、この格闘は簡単にはカタがつかない  でしょうが、一歩一歩自分の足で進んで行く以外に仕方ありませんね。                    ↑       あれ、これは子供時代のKAZEさんと同じことを言ってますね(^^;                               アマデウス 00131/00140 SDI00635 みれ KAZEさんの「天上大風」の再UPです(__;) (17) 97/01/25 12:20 00127へのコメント #00130の KAZEさんの文章を、先程保守中に誤って削除してしまいました。大 変、申し訳ないです(_ _;;;;;)以下の文章を代理UPしておきますので、不 都合がありましたら、申し出て下さいませ。 ------------------------------------------------------------------------------ |00130/00130 GGA02514 KAZE 天上大風 |(17) 97/01/25 12:10 00127へのコメント | |地蔵菩薩さん、どうも。 | |#129でシスオペのみれさんからコメントがありましたように、 |当フォーラムではセミナーの告知などはご遠慮願うことになっていますので、 |ご了承くださいね。 |これに類することでいえば、ここでの販売勧誘行為云々も禁止になっています。 |それは、その内容についての云々ではなく、こうした公共の場での |基本的なルールということですので、ご理解いただければ幸いです。 | |>>こちらの雰囲気がいいもんで、FSHISOから引っ越してこようかなと思っているくら |>>いですだってみなさんのRESの付け方がノーマルでしょう・・・。 | |FSHISOに比べれば、ここは穏便だともいえますからねぇ。 |ま、ぼくとかがけっこうアバウトだということかもしれませんけど^^;。 | |さて、 | |>>その点については、歎異抄を外国語に訳していく過程の中で、どのように訳された |>>のかというプロセスを諸先生方が論じあうことに違った学びがあるといえるのでは |>>ないでしょうか。 |>>たとえば、悪人正機説を中国語で訳したらどうなるか、そのままで意味が通るのか |>>なぜ中国語訳ではそういう意味に訳すのか等々です。 | |たしかに、興味深い視点ではありますね。 |これまでは、日本が中国語のお経を日本バージョンにアレンジしてたのとは |逆のアプローチということにもなるわけですね。 | |親鸞の視点というのは、パウロと比較されることがわりとあって、 |キリスト教との対話ということでは登場することはあったようですけど、 |中国での受容というか、そういう視点はあまり聞いたことがないです。 | |しかし、悪人正機説が中国でどう理解されるのかについては、 |興味がわくところですね。 |もし、そこらへんのことについてなにか理解のたすけとかありましたら、 |ぜひお教えいただければと思いますm(__)m。 | |>>地蔵は、聖徳太子と親鸞聖人、そして故郷松山で誕生された一遍上人を敬愛してい |>>ます。 | |そうなんですかぁ、ぼくは実は松山にいます(^^)。 |そして、一遍上人が大好きなんです。 |奇遇ですね。 | |>>※今年公開される松本幸四郎主演映画「良寛」(原作:瀬戸内寂聴著『手毬』) |>> の広報も担当しています。映画プランナーの卵です。よろしく! | |良寛さんは、ぼくも大好きです。 |良寛さんの書というのも書籍などで見る機会がありましたけど、 |とっても軽妙でいいんですよね。 |「天上大風」というのもありますけど、 |ぼくのハンドルネームのKAZEもそういう「天上大風」でありたいものです。 | |では、では(^^)。 | |☆☆☆KAZE☆☆☆ ---------------------------------------------------------------------------- ★-------------★/FARION/SYSOP/みれ(Millenium)SDI00635/★-------------★ - FARION MES(18):|◆期間限定◆ |「アーリオーン・メッセージ」輪読 97/01/26 - 083/092 NBB01420 SUKE 第1章 p.68-77 (18) 97/01/25 14:20 コメント数:1 輪読会、今回で第1章の概要はおしまいです。 =================================== 「四段落目の解読で全容が明らかに」p.68-71 一連の締めくくりのメッセージ…  「8は全てを統率し、全てを破壊し得る。   3は8に依って護られ、導かれるだろう。   8を封じた渡来系の力を強めているのは、祖土(オヤツチ)をないがしろにする   この国の民人である」 8は出雲族、3は日向族である。 出雲族の強力な力や、日向族も出雲族と協調関係をもって行くことが分かる。 ここで渡来系の力と言うのは1995/03/26のハローメッセージ 「垣武の夢を一度は叶えた国民(クニタミ)よ、此度は思いとどまれよ」 に出てくる「垣武」を「桓武天皇」と読むことによってヒントとなった。 桓武天皇には朝鮮半島から来た渡来民族の血が流れていたと言う。 総じて、桓武天皇が志したような「渡来系民族による日本の支配」と言う夢 をもう叶えてはならないと言う意味であろう。 「日向族の血を引く者の手によって封印を解く」p71-77 我々日本人の心にも封印がかけられている。それは「社会が間違った方向に 進んでいる」と感じつつも、それを心の奥に閉じこめてしまう我々の現状が 示している。 社会現象としても96年初頭に住専処理問題で政界が大きく揺れたのは、そ れまで表に表れてこなかった力が顕在化していると見られる。 多くの地殻変動もまた同様、封印されてきた力の顕在化であろう。 ここでアリオンは「今まで見えなかったのは何故か? こちらの方が重要な ことだとも言える」と言っている。 何故か? 最も根本的には日向族による歴史の改竄であり、アマテラスの義 弟たちによる封印であろう。 しかし345の封印はほころび始めている。真実の歴史が暴かれ始めている。 この有限の封印を解く為には「真ん中で閉じ」られたのだから、345の真 ん中、即ち4を辿ることで手がかりがあるのではないか。アリオンは  「日向の直角三角形の封印において四の辺上に9つのポイントがある。   うち一カ所で日向は封印をしており、残り八カ所は偽物のポイントである」 と言った。この9つのポイントとは神社または祠、あるいは古代遺跡ではないか? 封印解きについてアリオンは  「日向の封印は、それぞれ封印された地域に住む人が、自分で気づき、解   きに行くだろう。三四五の封印は日向の手によってかけられたのだから、   日向の手によってしか解くことができない。日向の血を受け継いだ者が、   この本を読み三四五の封印の智慧を得たら、四の辺上にあるたった一つ   のポイントに直観で気づき、自らそこへ行くだろう」 更に  「人の失敗は人の手によって修復してほしい。私たち神霊族が修復するわ   けには行かない」 そして  「すでにカミの側からの大きな力は顕現しつつある」 と言う。 =================================== さて、数字を辿って解読した結果はいかがでしょうか。 実は封印解きは誰でもできる訳ではないんですね。この本が日向の血を引く 誰かに何かのインパクトを与えることができるでしょうか。                             Suke.(^_-)☆ 091/092 GFH02347 ゾウリムシ そもそも何箇所なのか。 (18) 97/01/26 01:45 アマテラスの義弟たちは、四の辺上の9つのポイントのうち、一箇所で封印を しており、残り八箇所は偽物のポイントであるそうだが、 これからすると、日本全土を一箇所で封印したようにも取れる。 アマテラスの義弟たちが逃げ込んだのが四国だとすると、その当時はまだ、 出雲族の勢力が強く、封印をかけうる地域も、限られてくると思うのだが・・・ すなわち、九州か四国。 封印をかけた後、逃げ込んだとすると、九州。 そして、封印は、霊視のできない者にも解けるのだろうか。 また、解く方法は? ただ、意志表示をするだけでいいのか。 たとえば、「開け門!」とか「封印よ解けよ。」とか言ったらいいのか。 それとも、何かの呪文をとなえるとか。 杭かなにか引っこ抜くとか。 一番いいのは、封印した連中に解かせるのがいいと思うのだが。 肉体を持つ者でないと解けないのだろうか。 ・・・・・ゾウリムシ・・・・・