「そうだ自分で選んで自分でどう動くかだね」と別の焚き火民 - FARION MES( 4):*********** カベ (Wall) *************** 97/01/28 - 00224/00241 QZY01267 猫の手 RE:あれは【意見】です ( 4) 97/01/27 17:49 00204へのコメント MAKOTOさんこんにちは、  「幸せでいたい」と、「幸せになりたい」の違いの話しは、言葉の表面上の 違いの比較でしかなく、本質に迫るものだとは思えないので、その部分へのコ メントは避けるさせていただきます。  強いて言うなら、それはどっちも同じで、下手をすると、元々「幸せなんだ。」 という感覚を逃してしまう恐れがあるということになるのかな?  このことに関しては、MAKOTOさんも同意見だったような気がします。      今回のRESを読んでいて分かりました。  私はMAKOTOさんが幸せであるということを、私が「ひとを幸せにしたい。」 ということで、否定してしまったようにお感じになったのですね。  「助けなんか欲しくない。」といっているひとに手を貸そうとするのはお節 介だと私も考えています。ただ私は私の基本姿勢としてひとの役に立つような ことをしたいといつも思っています。ですが、その手はいらないというひとに まで手を出そうと思っては居ません。その辺を誤解されるような表現があった のかも知れません。  誤解させて申し訳なかったと思います。      私は、MAKOTOさんのおっしゃるように、その内容よりもその現し方を大切 だと考えています。私にとっては内容はあまり意味がないと言っても良いかも 知れません。元々内容はどんなものでも良いのですから。それはどんな仕事を して食っていくのかというのと同じようなものだと考えています。  だからと言って話の内容を無視するというのとは違います。将棋をやってい るときに碁のルールを持ち出すと将棋にはなりませんから。    その上で大切なのは、それを語ろうとしている相互のひとの中にあるものな のではないかと私は思っています。それをお互いが受け取ったときには、ちゃ んと繋がり合っていることを感じ会えるはずだと思っています。そしてそのこ とを語り続けてきたつもりでします。  ところがなかなかそのことを分かって下さるひとがいらっしゃらないようで、 さすがに私もへとへとです。  もしかしたらこの言葉も誤解してくれそうな気がしますが、もうかなり投げ 遣りな気分になってきていますので、誤解を恐れずあえていわせていただきま す。  それでも首が繋がっている内は努力させていただきます。         ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/27 17:01> ** 00225/00241 QZY01267 猫の手 RE^3:勝負 ( 4) 97/01/27 17:50 00205へのコメント コメント数:1  こむさんこんにちは、  どうもこむさんは、ゲームという言葉を狭い範囲で考えているみたいですね。  私が言っているのは、命を賭けていようと、全財産を賭けていようと、自覚 的に遊んでいればそれはゲームと私は考えています。  たとえ、何も賭けたつもりがなく遊んでいたとしても、お互いの間が険悪に なったとしたら、もはやそれはゲームとは呼べないと考えています。  ですから、モータースポーツであろうと、小学生のスポーツ大会であろうと、 将棋であろうとゲームです。  まあ、私は競争するなら、自分と競争するのが自分を成長させるこつだと思 っています。過去の自分と比べてどのくらい成長したか見ていれば、それが喜 びになり、励みになると考えています。  それが対他者の競争になると、元々自分と他人では成長段階が違うのにそれ を比較することになり、優越感か劣等感を引き出すのがせいぜいだろうと考え ています。それが集団の争いとなると、勝者はごく僅かで敗者は多数と言うこ とになります。  それがどういう結果を生むことになるかというと、勝った者は勝った者で下 から上って来ようとする誰かに戦々恐々とし、負けた者は負けた者でそこに向 かっていくか、同じそのことで争うことを諦めた者は別の何かでバランスを取 ろうとするでしょう。  #114「危ないよ。」の中に、人望の高いカウンセラーの言葉として、「私が 子どもの頃は、蛇を振り回したり、蛙を又裂きすることで心の均衡を保てた。」 という言葉を入れましたが、それはこのこととも関係があります。  昔は人間の力よりも自然の復元力の方が強大だったので、ひとが誰かとの関 係で生じたストレスを自然に当てつけても自然はそれを受け入れ流すことはで きていたけれど、今や人々のストレスは、人々が受け流す範囲を超えてしまっ ているのではないかと私は考えています。    少なくとも自分が競争を仕掛けることで、相手がたとえ愚鈍であるのとして も、相手ににストレスを与え、相手がそのストレスの発散の仕方を知らないの がいけないのだ、とは私には言えません。  そして、ストレスを与えたことで、破壊的な行為が波及して行って居ること を考えたら、私はその責任をとるために、競争ではなく、協力し合うような関 係を気づいていく努力をしたいと考えています。  要は、あの世に行くときに、「ああいいゲームをした。」と思えるかどうか がポイントのような気がします。ちなみに私は生きていることそのものが、リ アルゲームだと考えています。    ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/27 16:45> ** 00227/00241 QZE03111 こむ RE^4:勝負 ( 4) 97/01/27 21:21 00225へのコメント  猫の手さん、こんにちは。 》どうもこむさんは、ゲームという言葉を狭い範囲で考えているみたいですね。  そんなこともないでしょう。「自覚的に遊んでいればそれはゲーム」なんで しょう?そういう意味で書いたのですが。 》たとえ、何も賭けたつもりがなく遊んでいたとしても、お互いの間が険悪にな 》ったとしたら、もはやそれはゲームとは呼べないと考えています  ですから、最初から険悪になったらだめだと「自覚的」にする勝負はつまら ないと言っているんですよ。険悪になってもいいじゃないですか。  そのあとどうするかは、そのあとのことです。  最初から純粋な協力関係など、ぼくは信じません。勝負をする価値もない者 と協力などできません。他者とのまっとうな勝負ができないで、自分との勝負 などありえないと思っています。  今一瞬を生きるのに、あの世に行く時のことなど考えたくもありません。あ の世のことはあの世で考えることにしてます。     *****こむ より***** 00226/00241 QZY01267 猫の手 RE^3:いじめられっこ ( 4) 97/01/27 19:38 00215へのコメント コメント数:1  DIYさん、SUKEさん、こんばんは、    なかなか二人でのっていますね。  私は今年になって、SUKEさんは遊び心でRESして下さっているのは感じてい ますよ。  それと、「私はみんなの幸せ願ってます」っていうのは、言い過ぎちゃうと なんかおかしな感じになっちゃうので、まあ少し控えようかとは思っていまし た。  でも、次の「相手を思っての行動もなるべく相手に気づかれないようにやる。」 っていうのはちょっと疲れちゃうような気がするな。要は相手が喜んでくれれ ば良いんじゃないの? そう思ってしまいました。  それと、「幸せ」というのはもっとテーマとして前に出していいものじゃな いかという気がしていました。  私はここが、世紀末フォーラムということで、「幸せ」をテーマにする場所 だと思っていたんだけどこのフォーラムって違ったんですね。これから迎える 時代をどうしたら幸せにできるかっていう話しじゃなくて、この世紀末をただ バカ騒ぎするための場所だったのかー。      そうか、どうも私の思い違いだったみたいだね。  ここはそういう場所じゃなかったのね。         ** QZY01267/『猫の手』 デシタ<01/27 19:38> ** - FARION MES( 6):|ψARION 関連 |メッセージから学ぶ 97/01/28 - 02284/02292 KFQ02761 しまうま 内的助言について(2) ( 6) 97/01/27 22:59 02283へのコメント コメント数:1  前回は、「欲望を内なる助言と間違って受け取って行動してしまったら、必 ず不本意な結果が出る」という話でした。今回はその続きです。 ====================================================================== |あなたがた人間は、太古の昔から自分たちより優れた者に助言を求める気持ちが非常 に|強いという特徴がある。それも「自分が認めた、自分より優れたる者」でなければ |ならないのだ。 |ここの「自分が認めた」という点が曲者で、基準点である自分の価値観が |その優れ加減を決定してしまうからだ。 |だから、自分より優れたる者の助言と言っても、基準点が異なる人々の一致する点は |見つけにくい、と言える。 | |ここで、考えてみて欲しいことが一つある。 |それは『自分』と呼んでいる個体の能力を、自分が果して本当に正当に評価している |のだろうか?という問題だ。 |自分、自分と呼んでいるあなた自体は、本当に『自分』のことを知ってはいないこと が|多いのだ。 |その為にも、『自分』を観る、識る、という行為は非常に大切な問題となってくる。 |「内的な助言」と呼ばれるものは、『自分』を観る、識るという行為で高められ、 |その精度を増すという傾向がある。                (91/09/23 「ARIONよりセオスへ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #5 NAA02416 ARIONM1D.LZH 書込み寺1(FMISTY) #301-400 より ======================================================================  人間が「太古の昔から自分たちより優れたものに助言を求める気持ちが非常 に強い」というのは、個人差こそあれ、その通りだと言えそうです。シャーマ ンとか巫女とかいうのは、「人間より優れたもの」に助言を求める役柄ですし、 長老とかムラオサとか呼ばれる人の主な役割は、困った問題に対する助言や判 断であったと言われます。  ARIONは『自分より優れたる者の助言と言っても、基準点が異なる人々 の一致する点は見つけにくい』と言っていますが、おそらく大昔には、現代ほ どの多様な価値観もなかったでしょうから、「長老の一言」に皆が従う、とい う体制で運営できていたのでしょう。  しかし、今や一人一人が異なる価値基準をもち、肥大した自我を持て余して いるような状況ですから、皆が共通の存在に対して助言を求める、ということ は難しくなってきています。だからこそ、自分自身の内側から湧いてくる「内 的な助言」を吟味して、従うべき助言には従う、ということが必要なのかもし れません。  そこでARIONは、『『自分』と呼んでいる個体の能力を、自分が果して 本当に正当に評価しているのだろうか?』という根本的な命題を掲げています。 「内的な助言」を吟味する判断力、そしてその助言の内容を遂行する実行力、 といった自分自身の能力の範囲を、自分で見誤っていては、どんなに適正な 「内的な助言」を受け取っても、まったく意味をなしません。  そこで勧められているのが、現在7番会議室でも行われている『自分を観る』 ことです。普段から、自分の在り方をキッチリ把握しておくことによって、助 言を受け取る、助言を吟味する、助言を実行する、それぞれの場面での「自分」 の判断力や実行力を、正しく認識し、発揮できるようになる、ということでし ょうか。  さらにARIONは『「内的な助言」と呼ばれるものは、『自分』を観る、 識るという行為で高められ、その精度を増す』とも言っています。精度が増す、 ということは『自分を観る』ことによって何らかのフィルターをはずすことが 出来るから、なのかもしれません。  次回は、「内的な助言」を正しく受け取るための具体的な方法のご紹介です。   しまうま(KFQ02761) 02292/02292 KFQ02761 しまうま 内的助言について(3) ( 6) 97/01/28 16:26 02283へのコメント  ここまでARIONは、「内的助言」に関する問題点や注意点について語っ てきました。今回は、内的助言の記録法、識別法についてのお話です。 ====================================================================== |話が複雑になって申し訳ないが、こういった色々な点を考慮した上で、 |しかも「内的な助言」かどうか?を識る方法はある。 |それは、「内的な助言」だと思ったことをキチンとノートに記すことから始まる。 |日付と天候、自分の健康状態、精神状態、そして「助言」として受け取った言葉や |イメージ、これらを記してごらん。 | |真実に「内的な助言」であれば、幾度も繰り返して関連事項が表れてくる。 |それは、毎日では無いかもしれないが、キチンと記録しておけば、必ず表れてくる。 |そして「内的な助言」と言われるものは、それが実行されるまで繰り返し表れる、と |いった『形』を取ることが殆どだ。 |しかし、数回助言を受け取ったにも関わらず、それを実行しない場合には、その助言 |の |効力は消えてしまい、引いては助言を受ける回数も減ってゆくだろう。 |私の基準では、一応3回表れることが基本になっている。 | |これらの事に照らし合わせても、なお納得の行かない助言は、熟するまで放置すると |いう方法も取ることが出来る。 |2〜3か月の記録があれば、合致する事件や夢や日常生活の中の細々とした気付きに |よって、理解可能になるものも出てくる。                (91/09/23 「ARIONよりセオスへ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #5 NAA02416 ARIONM1D.LZH 書込み寺1(FMISTY) #301-400 より ======================================================================  なんとなく、夢日記と近いような雰囲気ですね。日付と天候、というあたり では、夏休みの絵日記帳を思い出します(^^;。言葉だけでなく「イメージ」も 記録する、ということですから、本当に「絵日記」にしてしまってもいいのか も。  こういった作業によって少し成果が上がったからといって、「自分はチャネ リングが出来るのだ」という安易な勘違いや、「自分は一般人と違ってスゴイ 人間なのだ」という傲慢な自己認識に陥らないよう、自分自身で十分に気をつ ける必要は、最低限あるでしょう。  また、#02283で引用したARIONの言葉のように、単なる欲望の表出を 「内なる助言」と思い込む、というところにも落とし穴があります。  ですから「内なる助言」に耳を傾けるためには、まず「自分を識る・自分を 観る」ことが必要不可欠になのですね。逆に言えば、自分を観ること、自分を 識ることの不十分な人が「内的助言」を受けようとするのは、危険な行為なの でしょう。  また、受けた助言に耳をふさいでいると、だんだん助言もしてもらえなくな る、とのことです。このあたりは、人から助言を受けたときも同じですね。何 度いわれても同じ失敗を繰り返していたら、だんだん助言をしてもらえなくな る。当然です。  ARIONは、「内的助言」について語った文章を、以下のように結んでい ます。 ====================================================================== |サニワとなる人物が殆どいない現代の社会機構では、個人がシッカリと自分を観る、 |と |いう方法を取ってゆかねばならない。 |これは、大変なことだが実行して後悔するようなものではなく、人間の人生の仕事と |して、非常に価値のある行為だと私は感じている。 |健闘を祈る。 ======================================================================  自分を観るをしっかりやっていけば、自分で自分をサニワすることもできる ようになる、ということのようですね。それが目的になってしまっては本末転 倒ですが、自分を観るが進むにつれて、直感力がクリアになっていくのは確か であるようです。 しまうま(KFQ02761) 02290/02292 KFQ02761 しまうま 第三の舞台 ( 6) 97/01/28 16:25 02286へのコメント #02286 ばかままさん  こんにちは(^^)。毎度ですm(__)m。 |ほらほら、私はあまり知らないのですが、表と裏だけじゃなく |もうひとつのものもあるというお話ですよ。 |右か左かという選択はないのではないかなという想像です。  ふむふむ、ばかままさんがおっしゃっているのは、ARIONが「第3の道」 と言っていたようなことでしょうか? ====================================================================== |あなたの今までの人生の中で学んできた「名付けられたもの」と、これから |あなたが学ぶ「名付けることの出来ないもの」とが、あなたの中で等価値に |並んだ時にこそ、あなたの欲している「第3の道」が開けてくるだろう。 |これは、決して論理体系として語れるものではなく、あなたの身体が知っている |危険から身を翻すような方法でしか、学べるものではない。 |私の話は、この点については非常に比喩的・暗喩的になるキライがあるが、 |そこのところは、何とか了解しておいて貰いたい。 |私の指し示す道は、全ての人のものではなく、自分で選ぶ人のものだと言える。              (91/04/12 「ARIONよりシュメールへ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #2 NAA02416 ARIONM1A.LZH 書込み寺1(FMISTY) #001-100 より ======================================================================  最後の1行を読むと、この「第3の道」こそ、ARIONが指し示す道であ るようですね。  もう一つ、こういう言及もありました。 ====================================================================== |この「世界」と呼んでいる世界と、櫛の目が合わさるように存在する、 |もう一つの世界を知り、且つこの双方の世界の価値が均等になった時に、 |第3の世界への道が示される。 |この第3の世界というのが、時間の無い世界なんだよ。 |この世界に触れることが出来れば、過去への影響も不可能では無いよ。              (91/05/14 「ARIONよりシュメールへ」) ---------------------------------------------------------------------- 《DL 1番 【資料室】★宇宙神霊ARION関連》 #3 NAA02416 ARIONM1B.LZH 書込み寺1(FMISTY) #101-200 より ======================================================================  ふーむ、「可能である」のではなく、「不可能ではない」のですから、第3 の道をたどって第3の世界に触れたからといって、必ずしも「過去への影響」 を及ぼせるわけではなさそうですね。しかし、可能性としては、人が「過去に 影響する」こともあり得るようです。  ARIONはどこかで「人は一瞬一瞬死に、また一瞬一瞬生まれているのだ」 というようなことを言っていたと思いますが、この「一瞬一瞬の死」と「一瞬 一瞬の生」は、「この世界」と「櫛の目が合わさるように存在するもう一つの 世界」の狭間で起きているのかもしれないなあ、などと想像しました。櫛の歯 が時間軸に沿って並んでいるようなイメージですね。 |舞台については、雪に閉じこめられた車中で考えていたのですが |もし、二つの舞台というのが、互いに支え合って(良くも悪くも) |いたとしたら、どちらかの舞台が幕引きという事態になった時 |もうひとつの舞台に、何の影響もないとは考えにくいなと。  雪の中での考察、どうもお疲れさまでしたm(__)m。  二つの舞台が支えあっているのかどうか、よくわかりませんが、片方の舞台 の幕が引かれたことで、もう片方の舞台に何らかの影響がある、ということは 大いに考えられますね。  幕を引かれた側の役者たちは、どこへ行くんでしょうか。もう片方の舞台に 「雇ってくれ」というわけにもいかないだろうし。  ARIONの『今までの人生の中で学んできた「名付けられたもの」』と 『これからあなたが学ぶ「名付けることの出来ないもの」』が「肉」と「霊」 だとしたら、片方の舞台が「体主霊従の世界」で、もう片方の舞台が「霊主体 従の世界」だったりして……とも思いました。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES(13):|∞シュタイナーその他|神秘学遊戯団 97/01/28 - 05377/05380 GGA02514 KAZE 風の本棚■出口王仁三郎・大本裏神業の真 相 (13) 97/01/28 00:05 ■中矢伸一「出口王仁三郎・大本裏神業の真相」(ワニの本) お馴染みの中矢伸一の新刊です。 今回は、「出口王仁三郎・大本裏神業の真相」というかなり興味深いもの。 中矢伸一の著作は、場合によればかなりがっかりするところもあるけれど、 今回は、出口王仁三郎に関する、ぼくの知らなかったことが かなりたくさん盛り込まれていたので、 一気に楽しく(というのも変だけど)先ほど読み終えました。 この本のテーマは、“一厘の仕組み”としての「裏神業」について 紹介してあるのですけど、それはともかくとして、 そもそもぼくは出口王仁三郎の大ファンで、 そのエピソードなどを知るにつけ、さらにファンになってしまうのです(^^)。 たとえば、出口王仁三郎は   ミロクの世に宗教があってどないする。宗教というものがないのが、ほんま   素晴らしい世の中になるんや。    というようにも語ったといいます(^^)。 もう、そのとおりなんですよね。 宗教性が世にあまねく顕現したならば、宗教という方便はいらなくなる。 それが方便だとわからないから、宗教が戦いの原因になったりもするわけです。 しかし、これに関して興味深いのは、こういうところです。   わしはなあ、この世でまず仏教を滅ぼす型をやるのや。それがいろいろな宗   教を滅ぼす型になるんや。    とか   そやけど滅ぶ宗教の中で、一番最後まで残るのがキリスト教やろう。まあ、   そのために、型の大本を潰させば、他の宗教も没落するのや。    なかなか含蓄の深いことばですよね。 まず、仏教を滅ぼす。 実は、ぼくもそれが必要だと思っていたりします^^;・・・なんて顰蹙買うかな^^;。 正直言って、宗教としての仏教はもうすでに死んでいるといってもいいでしょうし。 最後まで残るのがキリスト教というのも、たぶんそうだろうなとも思ってますし 今ぼくの興味のあるのもキリスト教なんですよね。 そして、宗教としてのキリスト教が死んでくれるような世の中になればいいなあと そうも思っています。 仏教やキリスト教は死んでも、ブッダの意味やキリストの意味さえ 深くわかたっとしたなら、それでいいと思うんですよね。 こういう過激な話は、誤解のもとになるのでほどほどにしますけど^^;、 ほんとうに出口王仁三郎はすごい人です。 もう、こんな人はまずいないと思うんですよね。 もちろん、シュタイナーもすごい人ですけど、 それと同じくらいすごい人じゃないかと思っているわけです。 なんか、本の紹介にはならなりませんでしたね^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆