「時の神の要望を保留にして私がしようとしている事は」と天使長 - FARION MES( 6):|ψARION 関連 |メッセージから学ぶ 97/02/06 - 02321/02324 KFQ02761 しまうま ハローメッセージ97年1月分 ( 6) 97/02/06 09:33  1997年1月分  97/01/01 天使は母屋の方へ歩もうとして、焚き火民達を振り返った…  97/01/02 焚き火民達は呆気に取られた様な顔で林檎を見て天使を見た  97/01/03 天使は剣を手に庭を横切り、母屋の扉を開けようとしている。  97/01/04 母屋の扉を開けながら天使は焚き火民の方を見て、そして空を見た  97/01/05 焚き火民達はつられて空を見上げた…夜明けの空に一筋の光が  97/01/06 焚き火民達が再度母屋の方に目をやった時、天使は既に屋内に。  97/01/07 屋内に入った天使は燭台を置いた机の所に来て燭台に言った…  97/01/08 「燭台よご苦労だった…太陽が光を放つとき、お前は眠りなさい」  97/01/09 「林檎の樹は人の前に茂り、人は林檎の果実を再び手にした」天使  97/01/10 「私は、暫しの間、どちらの舞台の幕も引かずに置こう」と天使  97/01/11 「でも、時の神はどちらかの幕を降ろす様に言われ…」と別の天使  97/01/12 いつの間にか天使の周りに小天使達が集まって怪訝な顔をしている  97/01/13 「時の神はどちらかの舞台に幕を降ろす様に言った」と天使。  97/01/14 「だが私は今一度、人間達の行いを見ていようと思う」と天使  97/01/15 「天使長、未だ人間に期待を繋ぐという事ですか?」と小天使  97/01/16 「そうだ、未だ期待を繋ぐのだよ」と天使は小天使に言った…  97/01/17 「そうですか…」と小天使「何か不満でも?」と天使は問うた。  97/01/18 「はい、時の神様が依頼した事を実行するべきかと…」と小天使  97/01/19 「言われた事をきちんと遂行するのは正しい事だ」と天使  97/01/20 「だが、未だお前には知りようの無い任務もある」と天使は言った  97/01/21 「私には時の神から依頼された別な任務があるのだよ」と天使  97/01/22 「そしてこれは未だお前達には理解出来ないものなのだよ」と天使  97/01/23 「そうでしたか…分かりました」と小天使は明るく言った。  97/01/24 「さて、皆は集まっているかな?」と天使「はい広間に」と小天使  97/01/25 この家の広間では数十人の大小天使が集まって天使長を待っていた  97/01/26 さて表の焚き火民達は明け方の空の下、真剣に話し合っている様子  97/01/27 「要は、一人一人が話し合った事をどう活かすかだね」と焚き火民  97/01/28 「そうだ自分で選んで自分でどう動くかだね」と別の焚き火民  97/01/29 [私は今後、一瞬一瞬何を選びとるのか自己観察を」奥の焚き火民  97/01/30 「…しようと。そしてその結果起きる事の全てが自分の選択で…」  97/01/31 「あるという事を常に自覚しようと思う」奥の焚き火民は言った - FARION MES( 8):|ψARION 関連 |預言解読村 97/02/06 - 00256/00264 PAG03134 はな RE^2:バブル崩壊の内幕 ( 8) 97/02/05 22:41 00204へのコメント コメント数:1 コットンマウス さん  お返事ありがとうございました。 >>ソロモン・ブラザーズ・アジアだけが対前年比39%増の約50億円 >>あまりの利益を上げていますから、親会社であるソロモン・ブラザーズ >>が巨額の利益を上げていることは想像に難くないと思われます。  ソロモン・ブラザーズ・アジアがそんなに儲けているとは知りません でした。 >> バブル崩壊により、東京株式市場時価総額で約270兆円の資産が >>消滅してしまったのですから、その痛手は余りに大きかったと言わざ >>るを得ないでしょう。  未だに不思議なのは、バブルって言い方をするのは日本特有だという ことです。バブルとは英語なんだけど、欧米人がバブルから思い浮かべ るイメージはビールの泡などで、バブル崩壊には結びつかないと聞いた ことがあります。未だに英字新聞などでは、自国の言葉ではないために、 「バブル・エコノミー」と斜字体で書かれてあります。  うがった見方をすれば、東京株式市場の時価総額で約270兆円の資 産が「消滅」したと思わせているのも、メディアの操作だと思います。 だって資産が消滅するわけないんですから。バブル崩壊を受けて、がっ ぽり儲けた連中がどこかにいる。しかし日本では「富が消失した」かの ように扱われ、「あのバブルでは国民皆が損をした」と嘆く風潮がはび こってしまった。私それは違うと思う。株式市場の原則として、誰かが 損をすれば、誰かが儲けることがあります。誰が儲けたか?は未だにメ ディアから封印されたまま。  バブル崩壊によって日本が失ったものは物質としての金だけではあり ません。確かに投機に浮かれるのは問題でしょうけど、「日本国中が投 機に目がくらんだから損をした。だから日本人は(皆)ダメなんだ」と 自虐的になり、結果として国民の志気が減退したのも、国力からみれば 大きな損失です。                       はな 00262/00264 PAG03134 はな オーストラリアとイギリスの関係 (了) ( 8) 97/02/06 01:02 00224へのコメント  オーストラリア政府の現政権と、前政権でアジアに対する見方がど のように異なるかをまとめますと、  ・ハワード自由党(現政権)‥‥アジアだけでなく欧米との外交                 にも重点を置く  ・キーティング労働党(前政権)‥‥アジア重視  キーティング前首相は「豪州の生き残りをアジア地域諸国との関係強 化にかける」と発言、アジアと積極的に友好関係を深める外交をしてき たのに対して、ハワード首相は欧米との外交関係に重点を置くとしてい たのです。  政権交代に伴って、外務相の意見も変わっています。  ・エバンズ前外相‥‥オーストラリアはアジアの一員であることを強調  ・ダウナー現外相‥‥オーストラリアはアジアでも欧米でもない  ここで、アリオン預言の解釈であった「オーストラリアとイギリスの不 仲」を絡めてみますと、私が思うに、ハワード自由党が欧米との外交関係 にも力を入れだしたのは、イギリスとの不仲を隠す作戦なのではないか? ということです。オーストラリアはイギリスとの不仲を隠さなければなら ない、何らかの事情があると解釈するわけです。  マハティール首相が留学生に身の危険があれば帰国させることも考えて いるという発言を引き起こしたアジア人への反移民感情は、特にオースト ラリアの白人層で高まっていると聞きます。白人層での反アジア感情は、 英国人の一部白人層には好感がもてるニュースでしょう。とすると、現オ ーストラリア政府のとっている態度は、英国との仲を取り持つために、ア ジアとの関係を犠牲にしているように見えます。 『ユーカリの葉そよぐ美しき里 北の女王の国との不仲を隠しきれるか』 というアリオン預言を検証するためには、ハワード自由党政権が、欧米重 視である政策の路線転換を図るかを追跡する方法があります。ハワード自 由党現政権が、前政権と同様にアジア重視路線に変更すれば、オーストラ リアと欧米を含むイギリスとの不仲問題が明るみになってこざるをえない からです。 (この項おわり)                       はな - FARION MES(18):|◆期間限定◆ |「アーリオーン・メッセージ」輪読 97/02/06 - 147/152 PAG03134 はな 第2章 pp.92-94 (18) 97/02/05 22:41 ・「一」=「スメラミコトの数字」  「一」についてアリオンは、『一はカミでありカイである。また、 スメラミコトの数字でもある』とする。森羅万象を指すカミは、ピタ ゴラス学派が定義する「一」の解釈と似ている。ピタゴラス学派では 「一」を全ての者を含む一者や、高貴な数であり、神々と人間の太祖 の数としており、スメラミコトを指しているとも言える。  著者はカイは魁(かい)ではないかと一つの解釈を述べている。魁 には先駆け、先鞭という意味があり、出雲族の先陣を切って登場する スサノオの姿を彷彿させるとする。  カイに関連したアリオンメッセージには『憤怒のχ』がある。χは ギリシャ文字でカイと発音し、憤怒のχは憤怒の魁といえ、スサノオ を表しているのではないか。                       はな 148/152 PAG03134 はな 第2章 pp.94-97 (18) 97/02/05 22:41 ・「その時、祖土もよみがえる」  著者は『さて準備は宜しいかな? 百鬼夜行は表と裏があり双方共 に進む』というハローメッセージを引用し、ここから数字の裏と表に 話を進める。数字の裏と表を探すために中国の陰陽思想図「河図」を 利用している。河図によれば「一」の裏は「六」である。「六」は祖 土を現す数字であり、カイであるスサノオが動くときに祖土も動き始 めると解釈できる。そして、「祖土が動く」とは、地震などの地殻変 動が著しくなるとする。  さらに著者は「六」を部首に分解し、「亠(なべぶた)」と「八」 に分けて解釈を進める。「六」は八がなべぶたによって封じ込められ ているようにみえ、「亠(なべぶた)」さしずめ日向の封印にみえる という。また、「亠(なべぶた)」を横に回転すると「ト」となり、 「戸」に通じる。  「一」と「六」に触れたアリオン預言には、   「一六を八に帰せよ    何も問うな    内なる方が「待て」と仰せある」 がある。「一六を八に帰せよ」からスメラミコト(一)は出雲族(八) に返し、封じ込められた祖土(六)の力を出雲族の統治下に戻すべき だと解釈される。 (参考図:「河図」)        北       1−6  西9−4 5−10 3−8東       2−7        南                       はな 149/152 PAG03134 はな 「戸」は「十」 (18) 97/02/05 22:41        北       1−6  西9−4 5−10 3−8東        (戸)       2−7        南  六のなべぶたが戸とする解釈の他に、河図を見れば戸は「十」とし 中央に扉があります。北の鬼が戸を開けて出てくると、直進すれば南 への動くことになります。鬼が出てくる扉は「と」である中央の「10」 なんでは?と思いました。  では、では、続きの輪読はSUKEさんお願いします。m(_ _)m                       はな 150/152 GFD00204 松川 貴     〈手〉の考察 (18) 97/02/06 06:08 120へのコメント コメント数:1  一輝さん、おひさしぶりです。  私が住んでいる宮崎県地域で、私がすぐに思いつく三角形といえば、西都原から都 農神社へと走る道と西都原から高鍋へと走る道とが、現在の国道10号線と交わって できる三角形です。   私は『アーリオーン・メッセージ』を読んで、「日向が3で、出雲が8か……。 それにしても、なぜ日向の〈手〉なんだろう。なにか〈手〉を用いた所作に関連があ るんだろうか」と思いました。  去年の12月15日、再再就職の話し合いのため、私は宮崎市から延岡市へ戻らなけれ ばなりませんでした。その時、ふと思いついて国道10号線沿いにある都農神社にお 参りのために立ち寄ったのです。私はそこで8回手を打って大国主尊に挨拶してきま した。都農神社は、かの原田常治氏が「大国主一人だけ歴(レッキ) として〔つまり、他 の神々と合祀されずに:松川〕祀られている神社は、日本中探してもここだけしかな い」と『古代日本正史(P281)に書いてある神社です。             │ミ ミ ツ             ●美々津(神武天皇御船出の地)             │ツ ノ △尾鈴山        ●都農神社(大国主尊を祀る) ニギハヤヒノミコト   │ここから尾鈴山のニギハヤヒノミコトを遙拝す が祀られている    /│ることができると何かで読んだことがあります           / │が、神社の敷地内にはそのような案内板はあり      県道→ /  │ませんでした。         /   │        /    │       /     │タカナベ   西都原●──────●高鍋       \     │ 西都─都農、 \    │←国道10号線 西都─宮崎、  \   │ ほぼ同じ距離です。\  │          ↑\ │     国道219 号線 \│             │             │             ●宮崎  『魏志倭人伝』には「大人の敬するところをみると、ただ手を打って跪拝(ひざま づき拝する)のかわりにする」と出てきます。(岩波文庫 P82)  現在大抵神社では拍手は2回になっています。佐治芳彦氏の『日本神道の謎』(日 本文芸社)には拍手について、こう書かれています。   私たちは神社を参拝するとき、ふつう拝殿の前でかしこまり、両手のてのひら  をくり返し打ち鳴らす──つまり「拍手」する。これを「かしわでをうつ」など  ともいうが、これは「拍手」の「拍」を「柏」と誤字したことからきたともいう。   この「拍手」は神道の流派によって若干異なる。明治四十年(1907)に内務省で 決めた作法では「二拝二拍手」であるが、これは白河流で『伯家部類』に載って いる。白河家は、花山天皇の皇孫清仁親王の子、延信(ノブザネ)王が万寿二年(1025) 臣籍に降り、源姓を賜り、神祇伯(神祇官長官)となって以後、代々神祇伯をつ  とめた。それで「伯家」ともいう。   ところが昭和十七年(1942)神祇院規則の改正で「拍手」は除かれた。これは慶 長(1596 〜1614) 以前には「拍手」がなかったという故実(神宮や皇室にはない)  にもとづいたものである。だが、その改正が一般に不評だったため、わずか二カ  月で旧に復した。現在の「二拝二拍手一拝」の形は、昭和二十三年(1946)神社本 庁で定めたものである。(P76)  2年前、私は父と弟と一緒に地元延岡の今山八幡宮という神社に初詣に行ったこと があります。あとから父からこういう話を聞かされました。「あそこは昔手を3回た たいていたのに、今は2回になっている」と。「ははあ、拍手3回って神社もありか ……」とその話を聞いてびっくりしました。  そのかつて手を3回たたいていたといわれる神社については手元の資料にこう書い てあります。   天平勝宝3年(751) 時の領主土持直綱が宇佐八幡宮の分霊を勧請したと伝えら  れる。ホムタワケノミコト、オキナガタラシヒメノミコト、タマヨリヒメノミコ  トほか10柱の神々が祀られており、(『延岡ガいーどマップ』 P13)  「ホムタワケノミコト」は応神天皇、「オキナガタラシヒメノミコト」はその母、 神功皇后のことです。系図から言えば、こちらは日向系ですね。(神功皇后について は、原田氏が『上代日本正史』で興味深いことを──特に武内宿禰との関係において ──書かれています。)  都農神社へ寄ろうと思いついたとき、すぐに「そうだ、あそこへ行ったら8回手を たたいてみよう」と思ったのです。今までの神社における所作とは違うことをしてみ ようと思いました。しかし、実際に都農神社に到着してみると、すでに日も暮れてし まっており、神社はすでに門を閉じてしまっていました。私はそのときまで、都農神 社が門扉のある神社だったことを知らなかったのです。いつでもお参りできる神社だ と思い込んでいました。驚いたことに、門を見上げると、門の上部には白地に菊の紋 章の垂れ幕。ここが天照大御神か、その子孫の神々の祀られている神社なら、菊の紋 章も理解できます。実際以前私が見た天照大御神系の神社はそうしていましたから。 意外な感に打たれ、「日向式で祀られた出雲の神か」と思いました。          ┌─────────┐          │  ┌───┐  │          │  │神 殿│  │          │  └───┘  │          │         │          │         │          │    門    │          └──:───:──┘              \ /               ● 拍手する私 つづく 151/152 GFD00204 松川 貴     RE:〈手〉の考察 (18) 97/02/06 06:14 150へのコメント  今日はもう門の向こう側へは行けないことが分かり、私はがっかりしました。しか し、「とにかくそうしようと思って来たのだから、手を8回たたいて大国主尊に挨拶 しよう」と思い直し、閉じた門の前で手を8回打ち鳴らし、生活立て直しの助力をお 願い申し上げて、延岡への帰途につきました。  さて、こうして、何日かかけてレスを書いてきたものの何かしっくりときません。 思考がもやもやしていたんですが、これを書いているうち、「あれっ出雲系の神社で は拍手は確か4回ではなかったけ?」と思い出しました。気になったので、原田氏の 本に拍手について何か書いていないか調べてみると、やっぱりありました。(実は、 その出雲系4回の知識はかつて原田氏の本から得たものだったのです。)   いま神様に向かって拍手を打つことが行われている。これも日本人特有の風  習のようである。「魏志倭人伝」に、昔は神様ではない生きている偉い人の前  に出ると、手を打ったということが、「大人を敬する所を見れば、但手を搏ち、  以って跪拝(中国の風習)に当つ」と書いてある。   しかし、これはモンゴリアンの風習だったとみえて、南方モンゴリアンの日  向族にも、北方モンゴリアンの出雲族にも同じ習慣があった。   ただ昔は、出雲族は拍手を四つ打った。日向のほうは二つ打った。   いま大体の神社にお参りするときは、二拝二拍手一拝の形式だが、昔はこの  拍手を二つ打つ習慣は日向系で、円形古墳や、ヒサシのほうに玄関をつくるよ  うに、この拍手の習慣も、大半が日向系に変わってきたものであろう。昔は出  雲系は四つ打ったと書いてある。   あるいは、いまでも出雲大社の系統は、四つ打っているのではないかと思う。   (『古代日本正史』P110)  都農神社へ行く前に、原田氏の本を最初から読み直して、出雲系は4回が正式だと いうことを確認していれば、私はその神社で現在行われている2回拍手ではなく、4 回拍手を行ったはずなのですが、どういうわけか、今日までその知識がすっかり記憶 から抜け落ちていて、今になって(つまりレスを書きはじめてから)、思いつきの8 回拍手がはたしてよかったのかどうか分からなくなりました。出雲の神さまに対して は原田氏の本に書いてある通り、拍手4回で挨拶するべきではなかったのかと……。  ともかく、これが「謎の三角形」を知ってから現在までの私の行動報告です。                                   松川 貴