「私は人の心の中にある夢をテーマ研究しています」一人の天使 - FARION MES( 4):*********** カベ (Wall) *************** 97/02/21 - 00298/00312 CZS10746 あーちゃん 泣きたい ( 4) 97/02/17 22:46 コメント数:6 会議室発言初めてのドキドキのあーちゃんでーす(^^)  なんか、ここ1週間ぐらい、ずっと「泣きたい」と感じてて、イライラし てて、レンタルビデオ屋に行って泣けそうなビデオ借りてきたりとかしてー。 でも以外に期待はずれで泣けそうにないビデオだったりして(^^;)  涙は奥で出かかってるんだけど。後はきっかけを待ってるって感じで。な んか辛いんですよねー。泣きたいのに泣けないと。私一体どうしたんでしょ うねぇ(^^;)今のところ、泣く理由も見つからずに、ただ泣きたいだけ なんて変ですよねぇ。皆さん、私と似たような事ってあります? 00301/00312 PFA03563 YAHATA かけがえのない…とは ( 4) 97/02/17 23:52  人はだれ一人として、かけがえのない存在でない者はいないのだろうか。  「かけがえのなさ」に個人差はないのだろうか。どんなに憎まれようとも、 どんなに慕われようとも、誰もが等しくかけがえのない存在なのだと考えてい いのであろうか。  主体を「人は」ではなく「自分は」にしたらどうだろう。「自分はかけがえ のない存在だ」と言い切れる人はいるのだろうか。言い切れる人は誰にとっ て、何にとって、かけがえがないのか。  「かけがえのなさ」は、「存在価値」や「存在意義」という言葉と同義であ るのだろうか。  会社における自分を考えてみる。「私でなければできない仕事」などという ものはない。たまたま私がすることになった仕事を私がこなしたからと言っ て、それが私にしかできないことであったわけではない。他の人ならもっとい い成果を出したかも知れない。  休むときだって、他者に引き継いだり振り分けたりすれば仕事は続く。これ は「最初から私がいなくても業務上問題はない」と同じであると考える。業務 上、私が欠けても替えはあるのだ。つまり私は会社にとってかけがえのない存 在であるとは言い難い。だったら辞めろと言われそうだが、それでは課金や電 話代が払えなくなるのでまだまだ居座るつもりである。 ご意見ご感想をお待ちします YAHATA - FARION MES( 6):|ψARION 関連 |メッセージから学ぶ 97/02/21 - 02347/02347 VFG01465 ばかまま 970210 のハローメッセージ ( 6) 97/02/18 07:39 >>「12人の長と12人の天使長とが12回祈る間…」と天使長    - FARION MES( 8):|ψARION 関連 |預言解読村 97/02/21 - 00342/00353 PAG03134 はな みれさんのビジョンと彗星衝突 ( 8) 97/02/19 03:36 コメント数:1  1992年に発売された「週間プレーボーイ」には、北川さん(ハンドル名 :みれさん)が見られたビジョンがスケッチとして掲載されていました。 みれさんのビジョンのひとつには、燃えるような隕石が落ちてくる様子が 描かれており、私はその燃えるような隕石が、シューメーカー・レビー彗 星ではないかと思っています。  そのスケッチには「燃えている石が落ちてくる」と書かれており、さら に石のおかげで新種のカビが飛来するとコメントされています。 (みれさんがスケッチとして残したビジョン)     __________________    |                  |    |                  |    |         / / /    |    |        / / /     |    |       / / /      |    |      / / /       |    |                  |    |     □□□□         |    |     □□□□          |    |    □□□□          |    |    □□□□           |    |                  |    |  燃えている石が落ちてくる    |    |__________________|    |                  |    | (2)この石のおかげで新しい     |    |  種類のカビがやって来る。    |    |  このカビは呼吸器に       |    |  アレルギーを持つ人には有害   |    |__________________|  燃えている石がシューメーカー・レビー彗星であれば、新しい種類のカ ビは、木星から地球に飛来することになります。呼吸器系のアレルギー患 者が増えたかどうか、私はデータを所有していませんので、なんともコメ ントできません。  シューメーカー・レビー彗星の衝突以降、つまり、1994年の7月以降に 呼吸器系のアレルギー患者が増えたとか、呼吸器系のアレルギー患者が新 しい症状を起こしているといった事実は、すでに観察されているのでしょ うか。                       はな 00353/00353 PAG03134 はな 燃える石とヨハネ黙示録 ( 8) 97/02/21 12:58 00342へのコメント  2年前、私はヨハネの黙示録に出てくる第5の御使いについて発言させ てもらったことがあります。(14番会議室当時の発言、 mes#2287,#2288,#2293 etc.) そこでは、第5の御使いがラッパを吹き鳴 らしたときに起こる様子が、シューメーカー・レビー彗星(以下、SL9 と略記)が木星に衝突した様子と似ていたので、第5の御使いがラッパを 吹いたときの預言とSL9を結びつけました。  みれさんが描かれた隕石が落ちて来るビジョンがSL9だと思ったのは、 コメントにつけられていた「新種のカビが飛来する」様子が、やはり第5 の御使いのところで書かれていたように思ったからです。それは「イナゴ の飛来」の部分です。イナゴの飛来に話を進める前に、第5の御使いがラ ッパを吹き鳴らした直後の様子がどのようであったかをまとめてみます。  『第5の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、ひとつの   星が天から地に落ちてくるのを見た。この星に、底知れぬところの   穴を開くかぎが与えられた。   そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が   大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗   くなった。』 (ヨハネ黙示録第9章 1、2節)  最初私がこの預言を読んだとき、「ひとつの星が天から地に落ちてくる」 とは地球に隕石が落ちてくる様子だと想像しました。ですが、「地に落ち てくる」とはなにも「地球」の上だけとは限りません。木星に落ちるのも 「地」に落ちることですから、第5の御使いにかかる預言は地球上に限定 できないのです。ヨハネの黙示録は編纂されてから約2000年が経っており、 数千年に一度起こる天文ショーであったSL9の衝突は、黙示録に書かれ ても十分すぎるほどのトピックです。のみならず、アリオンの詩的メッセ ージにもシューメーカーレビー彗星について記された預言が数多くあり、 単なる天文ショーとして切り捨てられないほどの意味をもっています。 (つづく)                       はな 00343/00353 KHE02065 メルク RE:セーラームーン ( 8) 97/02/19 12:07 00217へのコメント mes:【セラムン】歴史の流れ  #217 水戸黄門さん、こんばんわ。  私も結構忙しかったりして、また期間があいてしまいましたが、  第2段です。 >> 無印時代 92年 古き良き時代の作品 >> R時代  93年 ちびうさ登場 >> S時代  94年 外惑星ががんばり 再び象徴性が強化 >> SS時代 95年 ペガサス登場 ちびうさ中心 ペガサスは麒麟か? >> セーラースター時代 96年 再び後半で象徴性が強化  確かに象徴性にも波がありますよね。  とりあえず、私も私なりに時期を整理してみます。 ・「ダークキングダム編」  前世、使命、敵、戦士、目覚め、などのキーワードが出てくる。  いわゆるチャネリングブーム以前の時期に対応していて、  ムー大陸とかアトランティス大陸の生まれ変わりなど、  それから戦士症候群という言葉も巷にはあった。  ダークキングダムについて言えば、  四天王はもともとエンディミオン王子の側近であり、  クイン・ベリルでさえ、おそらくカオスに操られていただけなのだろう。  おそらくこれは、古神道系の新興宗教に対応している。  或いは、神話的に言うなら、クイン・ベリルはイザナミである。 ・「ブラックムーン編」  ダークキングダム編が、過去に関わっていたのに対し、  ここでは未来に関わる象徴が扱われている。また、敵による攻撃としての、  チャネリング、超能力、予言ブームが描かれる一方で、  セーラー戦士たちも様々な能力の目覚めを体験し、  未来からの使者である、ちびうさが登場した。  ブラックムーンの敵たちも、未来から来た者たちだった。  また、ダークキングダムがもともと違う立場の存在として描かれていたのに対し、  ブラックムーンは身内であるはずの月に関わる存在である。  敵と見方という単純構造が崩壊し、敵は内にあるという認識が生まれる。  ブラックムーンは、未来の長寿社会に反発し、  太く短く輝いて生きることを望んだ集団である。彼らはカオスに操られていたが、  その主張自体は邪悪でもなんでもない。ここに「反転」がある。 ・「デスバスターズ編」  ここでの敵は、異次元、異世界の敵ということであるが、  ポイントは、「敵はだた操られているだけだ」という事。  真の敵は目に見えないものであることが、さらに強調される。  また精神世界的には、西洋魔術の色が濃く現れ、霊的存在との融合が描かれる。  一方セーラー戦士に関しては、夢がテーマとして描かれ、  各戦士たちが、意識の結晶であり、永遠性の象徴である、  セーラークリスタルの力に目覚め、  セーラームーンは、太陽系戦士の意識の統合である、  スーパーセーラームーンになる。  そして、三種の神器であるタリスマンが集結し、  ククリ媛であるセーラーサターンが目覚める。 ・「デッドムーン編」  月からやってきた彼らは、月の陰として描かれ、  心理学でいうシャドウ、つまりエゴとか虎とかいうものを象徴している。  このパートの特長は、物語の構図がちょうど「ダークキングダム編」と、  鏡写しの関係になっているということである。  「ダークキングダム編」では、地上の勢力が悪玉で、月の勢力が善玉。  そして、幻の銀水晶の力の目覚めが描かれた。  「デッドムーン編」では、地上の勢力が善玉で、月の勢力が悪玉として登場した。  そして、ゴールデンクリスタルの力の目覚めが描かれた。  全太陽系戦士はプリンセスに、すなわち、太陽意識ティファレトに到達し、  「水・タタラ・アタタラ・火」  そしてセーラームーンは深淵を超える。 | この後、わたしは、天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、 |   「ハレルヤ、救いと栄光と力とは、 |   我らの神のものであり、 |   そのさばきは、真実で正しい。 |   神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、 |   神の僕たちの血の報復を |   彼女になさったからである」。 | 再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちの |ぼる」と言った。すると、二十四人の長老と四つの生き物とがひれ伏し、御座に |います神を拝して言った、「アァメン、ハレルヤ」。その時、御座から声が出て |言った、 |   「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。 |   小さき者も大いなる者も、 |   共に、われらの神をさんびせよ」。 | わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞 |いた。それはこう言った、 |   「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、 |   王なる支配者であられる。 |   わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。 |   小羊の婚姻の時がきて、 |   花嫁はその用意をしたからである。 |   彼女は、光り輝く、 |   汚れのない麻布の衣を着ることを許された。 |   この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。 ・「セーラースターズ編」  永遠の意識のシンボルであるクリスタルに目覚めたはずのセーラー戦士たちは、  次々と肉体を消滅させられ、セーラークリスタルを奪われる。  銀河には無数のセーラー戦士がいて、敵も味方もいる。  それは黒船に似ていて、価値観の転換、視野の拡大を否応なしに即す。  遙かなる未来から来たセーラーコスモスは、もはや月の印を持たず、  エゴを超越した、深淵の向こう側の存在である。  全銀河の意識の統合であるためには、地球意識を捨てなければならなかったのか?  しかし、もっとも偉大なのは、深淵を超える瞬間の、  エターナルセーラームーンである。  偉大なのは、エゴが無い状態じゃない。  大切なものを守るために、エゴを手放す勇気である。  深淵に全てを捨てる瞬間、そこに永遠の「今」がある。                               メ ル ク 00351/00353 GHH10354 星見 RE:四大要素と創世記 ( 8) 97/02/20 23:42 00330へのコメント  >#330 はなさん こんばんはです(^^) 》        ベリアーは聖書の中では「創造の7日間」に該当すると 》説明されていました。創造の7日間というと聖書の冒頭部ですから、星見 》さんのご意見を参考にさせていただきますと、創世記は人間に理解できる 》ベリアー以降を中心に書かれているといえますね。  そですね。ブリアーを知覚出来る限界の世界としてとらえると、人間が外を見るた めの神聖数「7」とも合致しますね。  「7」は人間の顔に空いている穴の数であり、中心である「口」を通して言葉より世 界 が形成されたという風に考えるとブリアーを創世記に見立てる考えも納得が いきます(^^)  セフィロトの色についても、アティルトの三角形には、ほとんど色が付いていませ ん。  ケテル:絶対的な白  ビナー:絶対的な光に対するものとしての黒  コクマー:背後に光を持ちたる、空色(灰色) (つまり、人間の理解力を越えたものであるから明るいものとそうじゃないものの 区別ぐらいしかつかないんだよ〜ってことです(ホントはちょっとちがうけど(^^;)  で表わされます。この至高の三角形は別名、生命を生み出した「渦」とも言われ、 諸力が一つの渦巻きから生まれ出たことを示しているとも言われます。 (色については話がずれるので、いずれまた機会があれば、ということで(^^;) 》     ‥‥カバラバカ(笑)の星見さんとは、失礼で言えない(^x^)  言うてはるですぅ(^^;) でもウソじゃないし(笑)                             ★ 星見 ★ - FARION MES(13):|∞シュタイナーその他|神秘学遊戯団 97/02/21 - 05469/05472 GGA02514 KAZE シュタイナー「いか超」から学ぶ●22 (13) 97/02/19 11:25 05427へのコメント コメント数:1 ●R.シュタイナー 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(高橋巌訳/イザラ書房)  読書会・第22回/「実践的観点」(P93-104)その1 前回で、「霊界参入の三段階」としての「準備」「開悟」「霊界参入」の話が終わり、 今回から、「実践的観点」に入ります。   人間は、準備、開悟、参入の各章で述べた仕方で感情と思考と気分とを育成   していくと、自然が肉体に与えたような分節化を、魂と霊とに与えることが   できる。(中略)人間は自然が肉体に与えたような秩序を、したがって、見   たり、聞いたり、消化したり、呼吸したり、話したりするような機能を、自   分の感情と思考と気分の中にもたらすなら、このような規則的な構造と共に、   高次の認識をも獲得することができる。−−魂で呼吸したり、見たりするこ   とや、霊で聞いたり、話したりすることを、神秘学徒は次第に学ぶようにな   る。(P93) 「霊界参入の三段階」というのは、魂と霊を高次の認識にふさわしいものへと 育てていくということにほかなりません。 「魂で呼吸したり、見たりする」「霊で聞いたり、話したりする」というのは わかりにくい部分ではあるのですが、そのわかりにくさというのは、 魂と霊我が、まだ「自然が肉体に与えたような分節化」を 達成していないということなのだと思います。 たとえば、目、耳、鼻、口などの感覚がまだ「分節化」していないとしたら、 視覚や聴覚、嗅覚、味覚などが明確にでてこないというようなものでしょうか。      ここで魂と霊とに対するこのような高次の育成を達成するための若干の実   践的観点について、より一層立ち入った考察を行っておきたい。それは基   本的にはすべての人が何らかの別の規則を顧慮しないでも実践することが   でき、そうすることによって神秘学の道を一層深めることのできる観点で   ある。(P93-94) この章では、そうした「分節化」によって高次認識を得るための 「実践的観点」について述べられていくことになります。 まず最初は、「忍耐すること」。      第一に忍耐することを特別に学ばねばならない。あらゆる種類の焦りは人   間の中に微睡んでいる高次の能力を麻痺させ、時には死滅させる。今日か   明日までに超感覚的能力への無限の展望がひらけるように、と要求するこ   とはできない。なぜならそのような性急さから展望が開けることはまった   く有り得ないからである。どんなわずかなことでも、達成できたことに対   しては感謝をもって応え、満足と平静な心とがますます魂を支配するよう   になるべきである。(P94) 実りを得るためには、種を蒔いて、それが発芽するのを待ち、 水や肥料などを適切に与えながら、育てていき、やがて花が咲き、 受粉し・・・という息の長いプロセスが必要です。 すぐに実りだけを得ようとして、待てずに、土をほじくり返しても、 それはすべてを破壊していくだけなのです。 美味しい料理を食べるためにも、オーダーしてからそれなりの時間はかかるはず。 忍耐というのは、「待つこと」です。 そして、その都度のわずかな成長に対しても感謝を忘れないこと。 待てずに、すぐに結果だけをほしがる焦りから自由でなければなりません。 待てない人、忍耐できない人は、往々にして、みずからの意見を絶対化し自足し それ以外のものを理解できないことが多いように思いますので、 認識を深めるという意味でも、性急さを誡めねばなりません。 もっとも、判断力がないがゆえに、決断できない、行動に移れないというのは、 忍耐することでも、待つことでもないというのはもちろんです。      次のような思考内容に繰り返し心を沈潜させ、これと心をひとつにすると   き、ある程度の成功がはじめて期待できるようになる。−−「魂と霊の育   成のために、私はどんな努力も惜しまない。しかし高次の存在たちが私の   ことを悟りを得るにふさわしいと見なしてくれるまでは、まったく静かに   待ち続けるつもりだ。」この思考内容が自分の性格の一部分になるまでに   深くそれを心に作用させうる人は、正しい道の上に立っている。その時は   すでに外見の上にもこの性格的な特徴が現れてくる。眼差しは落ちつき、   身のこなしには確かさが加わり、決断力が増してくる。神経質な要素も次   第になくなる。(P94-95) いつも焦っているような方がいます。 いつも何かをしていなければ気が済まない方がいます。 そういう在り方は、ここでは厳禁です。 努力を続けながら、その結果に対しては無頓着であること。 また、人が自分に気に入るような結果をすぐにもたらさないからといって、 すぐに批判的になったり、決めつけたりすることも慎まねばなりません。 そういう姿勢であってこそ、真の確かさを身につけたといえますし、 必要なときに必要なだけの「決断力」を持てる土壌をもち得ているといえます。      一見無関係に思われるような小さな規則を守ることがこの場合有効である。   たとえば誰かが、われわれを侮辱したとしよう。神秘修行をする以前には、   侮辱した相手に対して敵意を感じ、怒りがわれわれの内部に燃え上がった。   しかしこのような場合、神秘道の修行者の心中には、直ちに次のような思   考内容が立ち現れる。「このような侮辱によって私の価値が変わるわけで   はない。」そしてこの侮辱に対して、必要と思われる処置を彼はとる。   (中略)静かに確信をもって、自分の人格に対して加えられた侮辱をとが   めればよいのである。神秘道の修行は外からも見えるほど大雑把な事柄の   中にではなく、感情と思考のいとなみの静かで繊細な課程の中で進められ   る、ということを常に顧慮する必要がある。(P95) 馬鹿にされたり、批判されたりしたときに、すぐに憤ったりするのではなく、 そうしたことによって「私の価値が変わるわけではない」ということを思い、 そういうリアクション的な感情論ではなく、今何が必要なのか、ということを きちんと考えていくことが必要です。 「あなたは、こうおっしゃるけれども、その根拠はどこにあるのでしょうか。 私はこういう観点からこう言っているわけだけれど、それはご理解されてますか。」 そういう「理解」のための作業に移るのが適切なのだと思います。 もっとも、場合によれば、相手が聞く耳をもたなかったり、 こちらのことを理解しようとする姿勢がなかったりもしますが、 それはそれとして、その事実を受けとめ、可能なことを模索していくことです。   忍耐は高次の認識の高貴な内容に対して共感的に、苛立ちは逆に反感的に   働きかける。存在の高次の領域においては、性急な態度によっては何事も   達成されえない。したがって何をおいても要求と欲望を沈黙させねばなら   ない。この二つは高次の認識を志すすべての者にとって、魂の恥ずべき特   性であるといえる。(中略)自分自身のためのそれを欲しがるものは、決   してそれを手に入れることができない。−−このことは自分自身に心底か   ら誠実であろうとする態度を求めている。どんな場合にも自分自身に幻想   を抱いてはならない。自分自身の欠点、弱点もしくは無能な点を誠実な眼   で直視しなければならない。(P95-96)    待てないが故に、相手はこうだと最初から決めつけたり、 今自分にはできないからといって、自分の欠点を正当化したりするようなこと。 そして、自分のエゴのための「要求と欲望」を正当化するようなことは、 魂の成長にとっては大きな障害になります。 ともすれば相手の欠点、弱点、そして自分の長所などにばかり目がいくものですが 同時に相手の長所や自分の欠点、弱点にも同じく直視していく必要があります。 その折り、できるだけ感情の波立ちをおさえ、 風のない湖面に月がその姿を映すように、 そうしたことを心の湖面に映すよう努めることです。 相手の批判や侮辱などのなかにも、事実がふくまれていることもあり、 そのことを謙虚に受けとめることも忘れてはなりません。 常に、脚下照顧し、みずからの反省すべき点を可能な限り反省しながら、 その反省にたって、みずからを変革していく勇気が必要なのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 05471/05472 GGA02514 KAZE シュタイナー●精神科学と医学・第1章−4 (13) 97/02/20 15:20 05446へのコメント ■ルドルフ・シュタイナー「精神科学と医学」  第1講・第4回 スタール医学は、宇宙の作用についてまったく理解していないといえます。 パラケルススとファン・ヘルモントにおいては、霊的魂的なものと 物質的な生体組織との間のものについて意識的であったのですが、 スタール医学においては、意識的−魂的なものが姿を変えて 人間の生体組織に働きかけるというような、 一種の仮説的な生気論になってしまっているのです。 そういう方向性の反動としてでてきたのが、19世紀のヨハネス・ミュラーです。      さて、当時もともと意味されていたことが、どんどん理解されなくなってい   ったと言うことができます。とりわけこのことが明白になってくるのは、私た   ちが17、18世紀と進んで、スタール医学に出会う時です。ここにいたって   は、この、宇宙の地球的なのものへの作用についてはもはやまったく理解され   ていません。スタール医学は純粋に空気中に漂っているあらゆる可能な概念、   生命力、生命霊についての概念を利用します。    パラケルススとファン・ヘルモントは、人間の本来霊的ー魂的なものと物質   的な生体組織との間にあるものについて、まだある程度意識的に語っていまし   たが、一方、スタールとその信奉者たちは、あたかも意識的−魂的なものが別   の形をとってのみ人間の身体の構造付与に働きかけるかのように語りました。    このことによって彼らはむろん強い反動を呼び起こしました。なぜならこの   ような方法をとって、一種の仮説的な生気論(Vitalismus)を打ち立てると、結   局は純粋に恣意的な提示になってしまうからです。    このような提示にとりわけ対抗したのは19世紀です。例えば、エルンスト   ・ヘッケルの師で1858年に亡くなったヨハネス・ミュラーのような偉大な   精神のみが、人間の生体組織に関するこういう不明確な言い方に由来するあら   ゆる害悪を克服してそれを越えて行ったのだと言うことができます。    この不明確な言い方というのは、人間の生体組織において作用しているとい   う生命力について、それがどのように作用しているのかはっきりと考えること   なしに、もっぱら魂的な力について語るように語ってしまったことなのです。 それに対して、まったく別の流れ、つまり唯物論的な流れが出てきます。 18世紀のモルガーニの病理学的解剖学です。 モルガーニは、死体解剖によって病気の原因を探ろうとし、 生体組織の病んだ結果だけに目を向けました。    さて、こうしたことすべてが起こっている間に、全く別の流れが現れてきま   した。私たちは今までいわば、流れ去っていくものをその最後の余波まで追求   してきたわけですが、近代とともに、とりわけ19世紀の医学上の概念形成に   とって今度は別の仕方で決定的となったものが到来したのです。    それは結局、18世紀の、法外に強力な決定的影響を与えた唯一の著作、パ   ドゥアの医師モルガーニの「解剖所見による病気の所在とその原因について」   にさかのぼります。モルガーニとともに、根本において医学における唯物主義   的な傾向を導いたものが到来したのです。    こういうことは、共感、反感をまじえずにまったく客観的に特徴づけられね   ばなりません。と申しますのも、この著作とともに到来したものは、人間の生   体組織が病んだ結果に目を向けさせるものだからです。    決定的なものとなったのは、死体鑑定でした。死体鑑定が決定的なものとな   ったと言えるのは、実際この時代からなのです。人々は死体から、病名は何で   あれ、何らかの病気が作用すると、いずれかの器官が何らかの変化をこうむる   にちがいないということを知りました。今や、何らかの変化を他ならぬ死体鑑   定から研究するということが始まったのです。実際ここではじめて病理学的解   剖学が始まります。他方、医学のなかに以前からあったものはすべて、なおも   作用し続けている古代の霊視的な要素に依拠していました。  さて、20世紀において大きな転換が起こります。 古代的な遺産が捨て去られ、医学は原子論的−唯物論的になってゆきます。 古代の体液病理学の最後の遺産は、1842年に出版された ロキタンスキーの「病理学的解剖学」でした。    さて興味深いのは、言うなれば、大きな転換がそれから一挙に最終的に起こ   ったことです。実際直接、20世紀を示すことができるのです。興味深いこと   に、20世紀に大きな転換が成し遂げられ、それによって古くからの遺産とし   てまだ存在していたものがすべて捨て去られ、さらに現代の医学制度における   原子論的−唯物論的な見解が基礎付けられたのです。    ちょっと努力して、1842年に出版されたロキタンスキーの「病理学的解   剖学」を調べてごらんになれば、ロキタンスキーにおいてはまだ、古代の体液   病理学の名残り、つまり病気は体液の正常でない相互作用に基づく、という見   解の名残りが存在していることがおわかりになるでしょう。    このような体液の混合に注目せねばならないとする見解−−これができるの   は、体液の地球外的な特性についての見解の遺産を有している時だけなのです   が−−この見解はロキタンスキーによって非常に機知に富んだやり方で器官の   変化の観察と結びつけて処理されました。    つまり、ロキタンスキーの書物はもともと常に器官の変化の死体鑑定による   観察を根拠としているのですが、これが、このような特殊な器官変化は体液の   異常な混合の影響によって生じてきたのだ、という指摘に結びついているので   す。ですから、古代の体液病理学の遺産から現れた最後のものは1842年に   あったと言いたいのです。    この古代の体液病理学の没落の中に、例えばハーネマンの試みのような、包   括的な病気の表象を考慮に入れるという未来指向的な試みが、いかに投入され   たか、これについては後日お話していこうとおもいます。これは単に前置きで   取りあげるにはあまりに重要なことですから。まずは同様な試みとの関連にお   いて、それから個々の場合において議論されねばなりません。 -------------------------------------------------------------------------- <註釈> *小川鼎三「医学の歴史」を主に参考にしました。 ■スタール Georg Ernst Stahl,1660-1734  ホフマン、ブールハーヴェとともに、医学界の三巨匠とされた。彼らは体系学者  と呼ばれる。物理派と化学派を合わせながらその上に、ライプニッツの唯心論を  のせて、生命や病気の解釈に体系をたてるのが得意。   ■ヨハネス・ミュラー Johanes Mueler,1801-1858  ドイツ医学の哲学的要素を排し、科学的なものとする。  ライン河畔のコブレンツに靴屋の子として生まれた。ボン大学で医学をおさめた  が、そのときの解剖学への深い傾倒が、その後実物に即してのみ考える習慣をも  つのに大いに役立ったという。ついでベルリンで生理学者のルドルフィに学び、  またボンに帰り、1830年正教授になる。3年後にベルリン大学に転じて、解剖学、  生理学、病理学を一人で兼ね教えた。  生理学では神経系と感覚器に関する研究を多く行い、解剖学ではとくに生殖器の  発生などについて業績をあげた。動物学、発生学、比較解剖学、生理学、化学、  心理学、病理学など、あらゆる方面で活躍した。病理解剖学では顕微鏡を用いる  方向に深く進んだ。その著書「人体生理学全書」は、この世紀の金字塔と言われ  る。   ■エルンスト・ヘッケル Ernst Haeckel,1834-1919 ■モルガーニ Giovanni Battista Morgani,1682-1771  フォルリに生まれ、ボローニャで医学をおさめ、19歳のとき、解剖学者ヴァル  サルヴァの助手になった。29歳の時パドアの解剖学教授となり、90歳の高齢  で没するまでその職にあった。地味な学者だったようで、こつこつと多数の人体  解剖を生前の病状と照らし合わせながら行い、それをまとめた大著「解剖所見に  よる病気の所在と原因について」を、やっと1761年80歳のときに出して、一挙  に病理解剖学を打ち立てた。   ■ハーネマン Christian Friedrich Samuel Hahnemann,1755-1843  ホメオパシーの創始者。ドイツ生まれ、ライプチヒ大学で医学をおさめ、エルラ  ンゲンで学位を得た。キニーネの働きを調べて、これがマラリア類似の熱をひき  おこするとなして、そこから考えが飛躍していった。そして、ある病気を治すに  はその症状と似たものを健康な人におこすような薬を用いる必要があるととなえ  た。「似たものが似たものを治す」というのがその主張であった。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(18):|◆期間限定◆ |「アーリオーン・メッセージ」輪読 97/02/21 - 206/209 NBB01420 SUKE 第2章 p.106- (18) 97/02/18 01:38 鬼の本体が位置する「北」。封印を解けば現れるという鬼の力、その具体的 な読み解き方を進めて行きます。ここで、今回は世界が象徴的な4つの獣と して分けて考えられることがわかります。 ================================== ・「四神相応は世界の縮図を表していた!」P106-      セイリュウ、ビャッコ、スザク、 ゲンキ 四神相応:青龍、白虎、朱雀、玄亀(武)の四神に囲まれた      最も貴いとされる地相のこと。各神の意味は…                       青龍=東に流水がある                       白虎=西に大道がある                       朱雀=南に窪地がある                       玄亀=北に丘陵がある …これらの4生物を国になぞらえたらどうなるか? アリオンによれば 「アジアは龍であり、西欧は不死鳥である。  この両名は、死を賭して戦わねばならぬだろう。  死を賭したところで、初めて解かれた封印の力が及ぶのだから。  この力が及んだならば、この両名は初めて合体することになろう」 また方位図一覧を読むと、  白虎は西、十二支では酉、色では白。西には三日月が配置される。 これから連想するに、  青龍=昇竜=アジア  朱雀=不死鳥=フェニックス=西欧  白虎=三日月の国=マレーシア、シンガポール、パキスタン、トルコ、           アルジェリア、モーリタニア…  玄亀=不明 上記調査の後、アリオンより 「白虎は、アジア南部、中東からアフリカ北部にかけての国々だ」 と教えられた。 方位図で「月」以外に「星」があるが、星が国旗にある国々は青龍にあたる アジアの国々に当たる。 これら「月」の旗の国々をアジア南部(海路)とすれば、 「星」の旗の国々はアジア北部(陸路)であり、 AMA族の移動経路を表すことがわかる。 ================================== さて遠い昔に移動したAMA族の痕跡が、現代の国旗に反映されているとい うのは一見偶然のようですが、その辺りが「血」の為せるものなのかも知れ ません。                             Suke.(^_-)☆ 208/209 PAG03134 はな 地名の話「7」と「8」 (18) 97/02/19 01:53  7と8の地名について思ったことを。  「米」は88才を祝う米寿などに用いられるように、8に通じます。そ うすると、米のつく地名は「8」とゆかりがあるのでは?と思いました。 滋賀県の米原、鳥取の米子とか。  喜寿というと77才のお祝い。これは、「喜」の略字が「七十七」に見 えるところから来ています。米と同様に「喜」のつく地名が7を隠すため の文字だとすれば、7にゆかりのある地名として、ラーメンで有名な喜多 方があげられます。                       はな