「霊魂達は、あの渦に呑み込まれた後は?」と小天使達は問うた。 ID Name (handle) Send VFE12121 凡人 OFF - FARION MES( 3):◆音と映像  |アニメ/音楽制作現場より 98/09/09 - 00777/00792 PFA03563 YAHATA 化粧品のCMにあの曲が!? ( 3) 98/08/25 23:32 コメント数:1  ポーラ化粧品の新製品「DAY+DAY VITAX」のCMのBGMをよーく聞いてみま しょう。弦楽器で演奏されてますが、あれはスーパーマリオブラザーズです。 YAHATA 00778/00792 KFQ02761 しまうま RE:化粧品のCMにあの曲が!? ( 3) 98/08/27 22:44 00777へのコメント #00777 YAHATAさん   ~~~\(^o^;) やられたー。次の狙い目は14番会議室だな。   しまうま(KFQ02761) 00782/00792 KGH12757 亜梨子 RE:ARION参加の新番組 ( 3) 98/08/30 23:20 00766へのコメント コメント数:4 そろそろARION参加の秋の新番組の全貌を明らかにしてもいい頃かと 思いまして、情報を出していきたいと思います。 既に能をあしらった新番組とか言ってるので、アニメに詳しい方はもうお察しかと 思いますが、今月のアニメV改めLooker(学研)の表紙を飾っていたり、 今出てるNEWTYPEの秋の新番組の最初に紹介されている作品で、業界では この秋一番の期待作とまで言われています。 タイトルは「ガサラキ」といいます。 (あ、#780のMAKOTOさんの当たりで〜す!ピンポーン\(^o^)/。) 何故そこまで注目されているのかと言いますと、監督が「装甲騎兵ボトムズ」で 有名な高橋良輔さん、キャラクターデザインが「ガンダムW」の美形キャラ人気の 村瀬修功さん、メカ設定が「パトレイバー」などの出淵裕さん、とくれば、 おおおっとなると思いますが、そこに宮崎駿さんの強力なブレーンとなっている 脚本家の野崎透さんが加わり、一層作品に重みが出ています。 さて、ストーリーはちょっと複雑なので説明がむつかしいのですが、 中心となる豪和一族というのがおりまして、その一族はかつて「カイ一族」 (カイという漢字があるのですが、私のワープロでは出ません(^^;。山冠に鬼と 書きます。)と呼ばれており、そのカイの濃い血を受け継いだものだけが 鬼神・ガサラキを呼び出すことができ、代々政治の裏舞台で力を貸してきてたと 言われてます。ところが、政治が安定してくると同時に彼らの力も疎まれ始め、 それ以降彼らは姿を消したと伝えられてました。 そして現代、再びその鬼神の力を蘇らせて世の中を牛耳ろうと、豪和一族は 深い山の中に石舞台を設置し実験を始めます。何故なら、その鬼神を呼び出すのには、 能を舞うことで舞い手のテンションを高め、彼をヨリマシにする必要があったから です。舞い手には主人公のユウシロウという17歳の少年が選ばれています。 第一話では謎の美少女ミハルによってその実験は阻止されてしまうのですが、 彼女のバックには、やはり同じく巨人伝承を再来させようともくろんでいる シンボルという世界的組織が絡んでいるのでした。豪和一族もシンボルもこの鬼神を 応用して、現代のロボットTA(タクティカル・アーマー)を開発しているのですが、 そのあたりがロボットものとしての見ごたえがあるようです。 実はこのアニメ本編の話より何年か前という設定の小説が、今年のNEWTYPE (角川書店)の1月号(だったかな?)から既に連載が始まっておりまして、 既に7ー8回分くらいの話はあるので、バックナンバー(なんてあるのかな?) 入手可能でしたら読んでみると面白いと思います。そのうちにまとまって小説本として 出るそうですけど。 で、ARION達には今回その主題歌のサウンド・コンセプトとして オープニング、エンディング共にかなり深く関わっていただきました。 実際にオープニング、エンディングクレジットにもALP(Art Line Project) として名前がのります。そして、何とオープニングCDのジャケットは・・・・、 今みれさんにCGでデザインをお願いしている所です! ジャケットのコンセプトは「祖土(オヤツチ)よ、甦れ!」だと伺っています。 いろいろと面白いことが始まると思いますので、オンエアを楽しみにしていて 下さい。 テレビ大阪・テレビ東京他メガトンネット(全国6局ですが、詳しくはもう一度 アップします。たまたま手元の資料に詳しいヤツがなかったので(^^; 。) 10月4日 日曜 朝 9時30分〜10時 オンエア です。 ではでは、又。 *。*。*。亜梨子。*。*。* 00788/00792 NBB01420 SUKE RE^2:ARION参加の新番組 ( 3) 98/09/04 01:40 00782へのコメント コメント数:1  #782 亜梨子さん >>何故そこまで注目されているのかと言いますと、監督が「装甲騎兵ボトムズ」で >>有名な高橋良輔さん、 …なに!!!  装甲騎兵ボトムズとは懐かしい響きです。私があの主人公の男に大分感化さ れましたよ。確かこんな台詞が…  「このとき、俺は生まれて初めて思った…もっと生きたいと…」  あの暗さがたまりません(^_^;)  青春の光と陰よ…じゃなくて、戦争の生と死よ…か知らん。  自分のせいじゃないのにどん底に落とし込まれて、それでも黙って戦い続け る孤独な青年戦士に、高校時代の私はすっかり参ってしまいました。  オンエアの日取りを手帳にメモしてしまいました(^_^;)            == 1998/09/03 Suke. NBB01420@nifty.ne.jp == 00792/00792 KGH12757 亜梨子 RE^3:ARION参加の新番組 ( 3) 98/09/06 19:20 00788へのコメント SUKEさん、こんにちは(^^)/ |…なに!!! | 装甲騎兵ボトムズとは懐かしい響きです。私があの主人公の男に大分感化さ |れましたよ。確かこんな台詞が… | | 「このとき、俺は生まれて初めて思った…もっと生きたいと…」 | | あの暗さがたまりません(^_^;) | 青春の光と陰よ…じゃなくて、戦争の生と死よ…か知らん。 | 自分のせいじゃないのにどん底に落とし込まれて、それでも黙って戦い続け |る孤独な青年戦士に、高校時代の私はすっかり参ってしまいました。 あの独特の暗さが未だにファンを引き付け続けているらしいですね。 今回のガサラキも暗さ、地味さ(^^;)では本当にボトムズだ、という声が スタッフからもあがってます・・・(^^;)。特に最初の第1話から第3話までは 戦車は出て来るわ、ドンパチ合戦やら、何やら分からぬ政治的動きやら、 美形キャラは主人公のミハルとユウシロウ、そしてその妹美鈴だけで 他はほとんど渋系キャラだし、特にメインの二人は3話まではほとんど出番も セリフもないし・・・、なんと潔い作品なんでしょう、とあらためて思いました(^_^;)。 今回のユウシロウも、自分で望んだわけではないのに、カイという血を色濃く 持ってしまったがためにガサラキ召喚の実験台となるという、ある意味キリコと 似た境遇なのかもしれませんね(といいながら、私はボトムズはそんなに 知らなかったりする(ーー; )。この作品のキャッチコピーはたしか、 「あの闇に俺の知らない俺が棲む」だったっけかなあ。 多少、今流行りの自分探しを含めたキャッチコピーらしいですが、 監督談では、主人公達は最後には自分の足で立つよう自立していく話 だということです。 | オンエアの日取りを手帳にメモしてしまいました(^_^;) SUKEさんのお住まいではオンエアされるのですか?よかった(^^)。 ではでは、始まったら又感想などお聞かせ下さいね。 ではでは、又(^^)/ *。*。*。亜梨子。*。*。* 00791/00792 QFH02012 アラミス RE:ARION参加の新番組 ( 3) 98/09/06 16:35 00782へのコメント 亜梨子さん、こんにちは。 最近すっかりROM落ちのアラミスです。 >> タイトルは「ガサラキ」といいます。 やっぱり「ガサラキ」でしたか、ARIONが関わっているというUPから 各種アニメ誌やらネットでチェックして多分これだろうとは思って いました。 勿論、ARION云々関係無しに個人的に注目しているのは言うまでも ありません>>私のようなアニメオタクにとっては(笑) なんたって高橋監督が久しぶりにTVシリーズでリアル・ロボット ものを手がけるのですから期待するなと言う方が無理です(^^; #実はガンダムよりボトムズ者ですし>>私 脇を固めるスタッフもベテラン揃いですしクオリティの高いアニメ が見られる事を祈ってます。 ただ、一つ懸念があるんですよ・・ TV東京でおまけに日曜朝(ファンシーララの後番っすね(^^;) 枠の良し悪しは置いといて、ポケモン事件以降アニメの表現に非常に うるさくなったTV東京だけにかなり心配です>>ガサラキ 特に同じサンライズの「カウボーイビバップ」が酷い扱いだっただけに あれの二の舞になるのだけは勘弁して欲しいところ。 #完全に大人向けな作品だっただけに実に不幸な展開でした>>ビバップ #最終回の局批判は作り手の意地が見えましたが、WOWOWでの全話放送に #移行では何の為のTVシリーズだったのやら・・ 表現を不自然に制限されてカットや差し替え等されずに最後まで行ける のか?少し心配ではあります>>ガサラキ - FARION MES( 4):----------------カベ (Wall)------------- 98/09/09 - 00891/00892 HZG00764 いちまつ 何でも来いに・・・ ( 4) 98/09/08 19:37 「何でも来いに名人なし」 という格言だかことわざがある。 なかなかこれが心に突き刺さる言葉で、時々私の心を惑わすんですけど。 で、なんでこんな事を書いているかというと、遡ること8月1日の第一回 ARION勉強会での出来事がきっかけなのです。 「人生に目標をあえて定める必要はない。」 という話になったときに、私は 「やりたいことが一つにまとまらない!これでいいんでしょうか?」 という質問をみれさんにぶつけたのでした。 答えは、 「やってみるしかないんじゃない?」 とのこと。そして、 「出きれば、経過をUPしてね。」 と言われてしまったのだ。 その言葉を真に受けて、今現在の状態をUPしているんです。 私がやりたい等と思っていることは、以下のとおりです。 <私がやりたいこと> ・ジャズダンス・工事(仕事)・飲み会・パソコン通信・友達付き合い ・本読み・ボート・ボーっとする・ペルー旅行・イラスト書き <積極的じゃないんだけど、やらなきゃいけないかなあと思うこと> ・森林インストラクターの仕事等森林ボランティア活動 一見大した量ではないと見えるのですが、実際は結構時間が無かったりする。 「でも、やりたいもんはやりたい。」だから、勉強会で質問したんです。 勉強会から、一ヶ月ほど経った今現在の状況としては次の通りです。 <積極的じゃないんだけど、やらなきゃいけないかなあと思うこと>について は、本格的にやりたいと思わなくなりました。 「森林・林業を守るためにこの仕事についたから!」 という義務感で「やらなければならない」と思っていたボランティア活動だっ たのですが、いまいち乗り気になれない。 理由はいろいろあるのですが、一番先頭にきている気持ちが「気乗りしない」。 それでも、今までは良い子ぶって「出きることがあったらやるよ。」と周囲に は話していたんですが、もうやめた。やめました。 また、やる気になったらやることにします。 <私がやりたいこと>については、うまいことに今のところなんとかやってい ます。 ジャズダンスとボートについては、あやうく「両立できないか!」と思われた のですが、雨でボートの大会が延期になり両方参加できることになりました。 全部100%の力でやるのはさすがに難しく、自然に力配分されるようです。 イラストは、暇な時間に依頼が来るようになったし、その他についてもうまい こと時間を縫うように予定や電話が入るんです。 ま、今のところここまでの欲張りまではなんとか許してもらえるのかもしれな いなあと思っています。 ただ、「何でも来いに名人なし」は本当ですけどね。(^^;) とりあえず、10月18日にダンスの舞台があり、通っている教室のダンサー の一軍の補欠になれるかどうかの瀬戸際なので、頑張って練習しています。 ああ、筋肉痛が痛い・・・。 ******************************** つまんない内容ですんません。 いちまつHZG00764 H10,9,8 19:40 - FARION MES( 6):★メッセージ |ARIONの言葉を巡って 98/09/09 - 04061/04081 KFQ02761 しまうま RE:ちょっと質問させて下さい_(__)_ ( 6) 98/08/30 15:38 コメント数:1 RE:04014 #04014 猫まねきさん  いらっしゃいませ〜(^^)。  せっかくお初の書き込みをしていただいたのに、ご返事が遅くて申し訳ない ですm(__)m。 |この質問をしてみるに当たって、8番会議室に書き込むべきか、それとも |ここの会議室に書き込むべきかどうか悩みましたが、ARIONの言葉を |巡っていろいろ考える会議室(なんだろうなぁ)と解釈した上でこの会議 |室に書き込みます。  はい、そう解釈していただいて結構です(^^)。 |ARIONの預言を正しく解読(もしくは理解)してから、自分の小さな |目標を定め、行動を始めるべきでしょうか? |それとも、ARIONの預言からその人自身が良いと感じた事を手当たり |次第実践していくべきなのでしょうか? | |あるいは、こういった行動もその人の自由に任せているのですか?  僕としては、「ARIONの預言を正しく解読(もしくは理解)してから、 自分の小さな目標を定め、行動を始める」というやり方と、「その人自身が良 いと感じた事を手当たり次第実践していく」というやり方の、中庸をとるのが いいように思います。  ARIONのメッセージを「その人自身が良いと感じる」ということは、そ の人なりにメッセージを解釈(解読、理解)した、ということだと思います。  後は、その解釈に沿って自分の行動を振り返り、改善すべき点を見定めて、 足元を確かめながら行動していけばよいのではないでしょうか。  「手当たり次第に」というと、ちょっと「後先考えずに」というようなニュ アンスが出てくるので、そうなると失敗しやすい(or 失敗に気付きにくい)と 思います。  実行してみて、自分の本意に沿ってない、と感じるようであれば、そこで立 ち止まって考えてみればいいと思います。  とりあえず正しいと思うことをやってみないと、反省のしようもないですし ね(^^;。  というのが、僕の考えです。  もっとも、僕が常日頃からこんな風に意図的に解釈・行動している、という わけではありません。改めて言葉にしてみるとこんな感じかな、というところ です。  以下、僕の好きなメッセージを引用してみます。 ====================================================================== |飛ばない人は、飛ばない自分に色々と理屈をつける癖がある。 |自分を信じて飛び上がるしかない、と知識の上では分かっていても |実行が伴わない人が多い。 |こういった人たちは『飛べない』のではなく、『飛ばない』のだよ。 |こういった人々は、『飛ばない』自分を正当化する為に色々な理由を考える。 | |何故、色々と理由が居るのか? |何故、正当化しなければならないのか? |『飛ばない』自分のことを『飛べない』と称するのは何故か? | |それは『飛べない』と言う方が、自分には止むを得ない状況があって |飛びたくても断念せざるを得ないんだと、自分を納得させることが可能だからだね。 |これは、『自分』を納得させる必要があるほどに |『飛ぶ』ことを自分自身が欲し、また、飛ぶことを望んでいる場合に多いね。 |また、『飛ばない』自分を後ろめたく感じていることも多い。 | |飛ばない理由を自分で認めるのには抵抗がある場合、例えば |飛びたいが勇気が無いとか、飛びたいが失敗はしたくないとかいった理由の場合に、 |人々は『飛べない』と言ってしまうことが多々ある。 | |飛ぶ為に必要なものは、勇気と自分への信頼だね。 |この先に何があろうとも、自分は切り開いてゆくという覚悟だね。 |光のエネルギーとしての私の力は、自分を信頼出来ない人には |届きにくいという傾向がある。 |まず、自分から開いてくれなければ、届かないのだよ。 |その為にも、ここでは『自分を観る』ことを実行しようとしている人が |沢山いるんだよ。 | |NAN、自分を見るという行為は『飛ぶ』行為に似ているよ。                 (92/03/13「ARIONよりNANへ」) ----------------------------------------------------------------------      nifty:FARION/LIB/112 ARIONM3B.LZH 書込み寺3 #201-400 より ======================================================================  ま、僕は差詰め、バタバタと長いこと助走ばかりしてるアホウドリといった ところでしょうか(^^;。  ではでは、今後とも宜しくです(^^)/。 しまうま(KFQ02761) 04064/04081 KFQ02761 しまうま ハローメッセージ98年8月分 ( 6) 98/09/01 04:58 03991へのコメント  1998年8月分  98/08/01 天使長の額から、強い光が霊魂達の頭上に輝きながら降り注いだ  98/08/02 霊魂達は何事か喚きながら、その場にしゃがみ込み嘆き始めた‥  98/08/03 天使長の光を浴びて、霊魂の霊体表面が溶け始めている者も居た  98/08/04 天使長は怒ったような悲しいような顔をして、霊魂達を見ていた  98/08/05 霊魂達は霊体表面が溶けて、個体と個体の境目が明瞭でなくなり‥  98/08/06 霊魂達の発する阿鼻叫喚の声や恐怖などと一体化し始めていた‥  98/08/07 天使長は「邪まなる者、悪念に変化してもその程度か!」と一喝  98/08/08 天使長の一喝の声と共に眩い光が天使長の両目から弾けて散った  98/08/09 弾けた光は小さな星屑のように輝きながら、溶解恐縮した霊魂の‥  98/08/10 原形を留めない塊の上に降った‥霊魂の塊は叫び声をあげながら‥  98/08/11 床を転げまわって悲鳴をあげた‥天使長は悲しげな目で見ていた  98/08/12 溶解して個々の境目が曖昧になった霊魂の塊は益々形が不明瞭に‥  98/08/13 溶解して個々の境目が曖昧になった霊魂の塊は益々形が不明瞭に‥  98/08/14 そして遂に霊魂の塊は悪霊の形を取り始めた‥天使長は見ている  98/08/15 悪霊の形をした霊魂の塊は、恐ろしげな声を立てて天使長を睨んだ  98/08/16 天使長はその姿を見て悲嘆の色を瞳に灯した‥霊魂は膨れ上がった  98/08/17 天使長は悲しい目の色のまま溜め息をつき、右手を高く挙げた‥  98/08/18 「失せよ」と天使長は押し殺した声で言い放ったと同時に手から‥  98/08/19 「失せよ」と天使長は押し殺した声で言い放ったと同時に手から‥  98/08/20 真っ赤な血の様な色をした強い光が飛び出して、悪霊に降り注いだ  98/08/21 悪霊の霊体に降り注いだ赤い光は、朱色の染みを次々と作った  98/08/22 朱色の染みは悪霊の霊体を焦がした。悪霊は叫びながら蹲った  98/08/23 天使長が今度は左手を高く挙げた。すると朱色の染みが輝き始め  98/08/24 その染みの輪郭の辺りから、蒸気の様な白い煙が立ち昇った‥  98/08/25 白い煙の立ち昇る中で、見る見るうちに霊体は縮小していった  98/08/26 天使長は「失せよ」と再び言った‥縮小した悪霊の霊体は‥消えた  98/08/27 小天使達は天使長に「あの霊体はどの部屋に行ったのですか?」と  98/08/28 尋ねた。天使長は「どの部屋にも行かない」と静かに答えた。  98/08/29 天使長は「どの部屋にも行かなかった」と小天使達に言う。  98/08/30 小天使達は「えっ!?」と言い、天使長の次の言葉を待っていた。  98/08/31 天使長は「あの霊達は何処の部屋にも行かず消滅したのだ」と‥ 04076/04081 KFQ02761 しまうま RE^4:フィルター論 ( 6) 98/09/06 16:53 04029へのコメント コメント数:1 #04029 水戸黄門さん  続いてどうもです(^^)。 |ある国では、ヒトを車で轢いたら、戻って「あいてが死ぬまで車で轢き直せ」という |話があります。そうしないと、「加害者」が「被害者」に「半殺し」にされるからで |す。こうした国に、欧米の常識「フィルター」を導入すべきだとは思いません。  えー、これは「郷に入ったら郷に従え」ということでしょうか? |欧米、なかでも米国は、自分の「フィルター」を他国に押し付ける国だと私は思って |います。  日本をはじめアジア各国はどうも、欧米のフィルターを「押しつけられてい る」というより「嬉々として取り入れようとしている」という感じがしますね。  欧米に“対抗する”、少なくとも“いいように仕切られない”為には、欧米 のフィルターを理解し、それがどういう原理で動いているのかを理解する必要 があります。  nifty:FARION/MES/3/766 に、ARIONが絡んだアニメ主題歌のコンセプ トの一つとして、  『日本という国は、本来農耕民族のノンビリとしたリズムだが、今世界中が 日本に入り込んで来ている中、そのノンビリとしたリズムのままでいては日本 はやられてしまう。今は、外国勢が持っている騎馬民族のリズムを取り入れて 戦いに望まなければならない』  という趣旨のことが書かれていました。  僕たちは、欧米のフィルターを「押し付けられる」のでも「嬉々として取り 入れる」のでもなく、「受け止め、理解し、そのフィルターを使いつつ、対抗 手段を考える」べきなんだと思います。  といいつつ、新聞読んでても経済欄がよくわからない口先だけの私なのであ りました(__;)。 しまうま(KFQ02761) 04079/04081 KYW04750 水戸黄門 RE^5:フィルター論 ( 6) 98/09/06 22:54 04076へのコメント #04076 しまうまさん ||ある国では、ヒトを車で轢いたら、戻って「あいてが死ぬまで車で轢き直せ」とい う ||話があります。そうしないと、「加害者」が「被害者」に「半殺し」にされるから で ||す。こうした国に、欧米の常識「フィルター」を導入すべきだとは思いません。 | | えー、これは「郷に入ったら郷に従え」ということでしょうか? いいえ。「郷に入ったら郷に従え」とまでは申し上げておりません。まさか, しまうまさんは,この国にいっても,「ヒトを車で轢いたら、戻ってあいてが 死ぬまで車で轢き直せ」なんてことはしませんよね。 | 日本をはじめアジア各国はどうも、欧米のフィルターを「押しつけられてい |る」というより「嬉々として取り入れようとしている」という感じがしますね。 | 欧米に“対抗する”、少なくとも“いいように仕切られない”為には、欧米 |のフィルターを理解し、それがどういう原理で動いているのかを理解する必要 |があります。 直接,この問題を受け止めたお話しではありませんが,最近,興味深い話を聞 きました。 まず,アジアの国々は,欧米のフィルターを「押しつけられている」というよ り「嬉々として取り入れようとしている」のではない。という爆弾宣言です。 アジアの庶民は,だんだん「覚醒」してきていて,「欧米」のやりかた(表面 的な戦術や技法ではなく,その本音)を理解するようになった。それは,日本 という国を外からみていて,その背中をみていて,他山の石でわかってしまっ たらしいんです。さらに「衛星放送」を通じて,(赤道の真上に静止衛星が並 んでいますからね),世界のニュースを客観的に均等に冷静に見ているらしい んです。そして,日本の報道が均一化されていて,報道を自主規制しているの ではないかというほど「のっぺり」としているように感じているらしいんで す。 そして,アジアは多くの宗教と価値観が混沌とした「チャンプル」な世界であ ることを自覚していて,このことが欧米的な価値観を導入しにくくしている。 表面は欧米式を導入したようでいて,実際には「運用」されていない。「実 現」していない。(英語ではenforce(強制されるという訳語は不適切)して いない)。そういう状態であると看破しています。つまり,アジアはアジアの チャンポンな方法でやっていくと「決めて」しまったようなところがあるんで すね。アメリカの拝金主義はそのまましっかり導入したりする。したたかなん です。 だから,アジアはアジアとして残ります。日本だけが,どうも違うよねと彼ら が思っているらしいんです。 もともと東南アジアの国々は,日本と異なり,「豊か」なんです。食い物があ る。豊かでないようにしたのは,欧米諸国で「コメ」がとれるところや「森 林」を切り開いて,プランテーションを開発してしまった。実は,このプラン テーションを破壊したのが,どうも旧日本軍らしいんですね。数百年かけて欧 米が作ったプランテーションを意識して日本軍は破壊し,自然な状態に戻した ようなんです。これは,新しい視点だと思いますので,もっとちゃんと調査し てみようと思っています。 さらに,アジア人は,どうも「欧米人」はアジア人を恐れている。アジア人が 本当に覚醒してしまうと,大変な脅威になり,「小国」欧米はぶっとんでしま う。食い物はある。地下資源はある。頭もいい。しかし,何を考えているか欧 米人には,まだまだ理解できない部分がある。欧米人はアジア人を恐れるから こそ,「彼らの価値観」や「フィルター」で考えるように強要しようとしてい る。そういうことに気がついたらしいんです。アジア人たちはね。 一方,日本人はどうなんでしょうか? ツモのみでちまちまあがっていて,調 子にのっていたら,新しくできたマージャンのルール(新大三元とでもいうと ころかな)で立て続けにあがられてしまい,自信喪失。そのルールを一生懸命 導入して,自分も新大三元であがろうと必死というところでしょうか。このル ールはいろいろ裏技があるので,苦労しているというところでしょう。 98/09/06(日) 22:10 水戸黄門(KYW04750) 04067/04081 KFQ02761 しまうま 6年間の思い出 ( 6) 98/09/02 14:32 04005へのコメント #04005 NORIさん  いらさいませ(^^)。 | この日本の暦で、今から七十二回の満月の間に、あなたがたの心の中で | 起きることを、シッカリと覚えておきなさい。 | その記憶が、いずれあなたがたを支える記憶となるからだ。  ありましたね、このメッセージ。恥ずかしながら、すっかり忘れていました。  92年7月といえば、僕が大学を卒業できるかどうかの瀬戸際で、ジタバタ しまくっていた頃のことだなあ。結局その年の9月に卒業できたんだけど(そ れは入学から5年半後のことだった(^^;)。  あれから6年というと、ほとんど首都圏での記憶だなあ。  うーむ……考えてみると、このフォーラムの中のことに限っても、ものすご い色んなことがありましたね。  そもそも、6年前にアクティブで、今もアクティブという人ってどのくらい いるんだろう?  シッカリと覚えているとは言い難いけど、社会に出て6年間、いい経験をさ せてもらったのは確かだと思います。  『その記憶が、いずれあなたがたを支える記憶となるからだ。』ってことは、 その記憶に「支え」られないと経っているのが難しいほどの困難にまみえるこ とになるってことかもしれませんね。  確かに、今、その兆候は至る所に見られます。  ちょいと提案でございます>ALL。  「92年7月〜98年8月」の間の6年間の思い出を、一人一人書き出して いってみませんか?  その間のライフストーリーを総ざらえ、となるとちょっとたいへんかもしれ ないので、「6年間のうちでもっとも大きなトピックになる思い出」とかでも 構いません。  気が向いたら書いてみてください(^^)/>ALL。 しまうま(KFQ02761) 04073/04081 SDI00635 みれ NORI君、遅くなったけど(^_^;) ( 6) 98/09/04 11:02 04018へのコメント コメント数:1 RE:#04018 NORIくん ||72回の満月って、ちょうど6年間ですね。 ||92年7月29日は満月だったかどうか分からないけれども、1ヶ月に1回を基準に ||すると98年の7月までで、満月は月によってズレてくるから、98年8月8日の満月 ||までというのは、あたりかも。 | |後日みれさんとRTで一緒になったときにお聞きしたら否定はしなかったけど、 |はっきり肯定もしなかったというような感じでした。うむむ。(^^; |肯定していたんだと思っていたけど、さっきRTのログをよく読んだらはっきり |肯定はしていませんでした。 | |うむむ、でも多分肯定していたんだと思います。ですよね?>みれさん |神経質すぎるかな。  えっとね、RTでは否定も肯定もしなかったことを肯定しますなんてね(苦笑)  実はね、今年の8月15日に黄泉の扉が開いて有象無象の霊が現界に出現して来て いるんですよ。これに関するカミゴトを8月にしていたんだけど、15日が過ぎて時 間が経過しないと話せないという状況でしたので、RTとかでは明言できなかっ たんですよ。  有象無象の霊が現界に出現するということは、善きにつけ悪しきにつけハッキ リしてくるということでもあります。欲に任せて自堕落に生きていて反省の無い 人は益々、そういう生活に溺れて自分を見失うでしょうし、反対に心身ともに自 立を目指し潔く生きている人は益々、そういう傾向になるということです。  んーー、それにしてもNORIくんの質問って結構鋭いところがあって、私は 返答に窮する場合がある(爆)若いせいかな‥若いせいで真っ直ぐなのかどうかは 分からないけど‥真っ直ぐに生きることを忘れないでね、NORIくん。  世の中が騒々しくなっている今こそ「混沌から清水を得る」方法を身に付けな いと振り回されてしまいます。頑張りましょう。                               ☆みれ・:・。,☆ 04074/04081 KYW04750 水戸黄門 RE:NORI君、遅くなったけど(^_^;) ( 6) 98/09/05 20:28 04073へのコメント | 有象無象の霊が現界に出現するということは、善きにつけ悪しきにつけハッキ |リしてくるということでもあります。欲に任せて自堕落に生きていて反省の無い |人は益々、そういう生活に溺れて自分を見失うでしょうし、反対に心身ともに自 |立を目指し潔く生きている人は益々、そういう傾向になるということです。 自堕落に生きていている私はますます自堕落になっちゃうのかあ。 98/09/04(金) 23:57 水戸黄門(KYW04750) 04069/04081 KFQ02761 しまうま RE^2:七十二回の満月の間って最近までじゃ? ( 6) 98/09/02 14:32 04006へのコメント #04006 維/YUIさん  こんにちは(^^)。 |92年7月29日は満月だったかどうか分からないけれども、1ヶ月に1回を基準に |すると98年の7月までで、満月は月によってズレてくるから、98年8月8日の満月 |までというのは、あたりかも。 |888と、8が並ぶと3つの8で、宮だしねぇ…って関係ないか。(^^;) |ちなみに8月8日は立秋で、私の家あたりでは、その日からというもの風に秋の香 |りがまじり、夕暮れになるとめっきり涼しくなっています。  ふむふむ〜。今年の8月8日って、 ・満月 ・888 ・立秋  さらに言えば「仏滅」の「天恩日」だったんですね。  8月8日といえば、ナイロビの爆弾テロのあった頃ですよね。  どうもその前後から、世の中の不穏度が高まりつつあるような気が……。   しまうま(KFQ02761) 04068/04081 KFQ02761 しまうま 夢の中での意識的な行動 ( 6) 98/09/02 14:32 04003へのコメント #04003 ガスキーさん  こんにちは(^^)。 ====================================================================== |結論から言えば、無意識も意識も同時に存在するような場を見つけてゆくことが |あなたの目的となるだろうということだ。 |その実践には、あなたがたが「夢」と呼んでいる世界へ、あなたがたが「意識」と |呼んでいる操作を持ち込むことが必要なのだ。                   (91/04/11「ARIONより夜勤へ」) ----------------------------------------------------------------------      nifty:FARION/LIB/1/2 ARIONM1A.LZH 書込み寺1 #001-100 より ====================================================================== |どこに書いているかは忘れましたが、私は以前SUKEさんとのRES交換の中で |夢で意識的に行う事の出来た事は、現実でも行うことが出来た。 |夢で行う事の出来なかった事は、現実でも出来なかった。 |と云った意味の言葉を喋った記憶があります。  ガスキーさんは、カルロス・カスタネダってご存じですか?  FARION では10番会議室で扱っている人物で、人類学者であり、呪術師の 弟子でもあるという、変わった人物です(先日亡くなったという噂ですね)。  で、ARIONの言っている『あなたがたが「夢」と呼んでいる世界へ、あ なたがたが「意識」と呼んでいる操作を持ち込むこと』を、カルロス・カスタ ネダは師事している呪術師ドン・ファンから教え込まれます。  それは「夢見」と呼ばれる方法でした。 ====================================================================== |あなたは日記を付ける習慣を持っているかな? |毎日書かなくても良いから、夢を見たら忘れない内にノートに記すようにして |ごらん。 |枕元に小さなノートを置いておくと、いいよ。 |眠る前に「今日は夢を見たら、記憶する」と心に決めて眠るといい。 |その夢日記が3ケ月くらい溜まったら、幾つか共通のことが出てくることに気付く |筈だ。私との、この会議室での話の合間に、この夢日記の作業に入ってくれないか?                  (91/04/17「ARIONより秀峰へ」) ----------------------------------------------------------------------      nifty:FARION/LIB/1/2 ARIONM1A.LZH 書込み寺1 #001-100 より ====================================================================== ====================================================================== |>過去の古傷を認める為に,アリオンさんは夢日記を勧められてる,と |>そう解釈してよいでしょうか。 | |過去の古傷を認めるために、ではなく、自分と呼んでいる実体の住む世界と |もう一つの自分の住む世界の価値観の統合と超越の為だ。 |この行為を通して、傷に触れることもあるだろうし、また解決法も見つかることが |多いからだね。              (91/04/25「ARIONよりFact'in Hygiene」) ----------------------------------------------------------------------      nifty:FARION/LIB/1/2 ARIONM1A.LZH 書込み寺1 #001-100 より ======================================================================  上記以外にも、ARIONは「夢」について様々なことを教えてくれていま す。もしガスキーさんにご興味があれば、10番会議室にご案内しますよ。  ではでは〜(^^)/。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 8):■予言・預言 |あなたも解読に参加! 98/09/09 - 02915/03001 GCA01045 Sierra RE:RE2:モーセの十戎石 ( 8) 98/08/25 21:01 02910へのコメント コメント数:1 ルキア さん、こんばんは > 私は机をはさんで男と向かい合った。 > 男は私の手をとって原石を次々と変えて何か反応を見ていた。 > 何するんだろうといぶかっていると、男は言った。 > 「思い出せ。」 ラピスラズリは隠れた才能を表に出すような働きがあるそうです。 また、心眼を開くような働きもあるようです。 生まれてきた時に忘れてしまった記憶を取り戻せってことでしょうね。 その導火線に火をつけるのがその石なのかも。 > 何を思いだせばいいのかさっぱりわからない私は > 手を出したまま、ジッと見ていると、 > ある石を載せられたところでビリッとした静電気のような反応を感じた。 てのひらに載せてピリッとするような石は、その人と相性がいい石 だそうです。その人を待っていた石だったりして。 水晶ならレコードキーパークリスタルといって、アトランチスやレムリア あたりで記憶を閉じ込めたといわれる石があります。 それはきれいな二等辺三角形が浮き出しているのでわかります。 これを扱える資格のある人がこれを持って瞑想をし、同調できれば 閉じ込められた古代文明の叡智を手に入れられるそうです。 邪な想いで同調しようとしても、安全装置みたいなものが働いて だめだそうです。 これなら「思い出せ」というのもわかりますけどね。 98/08/25(火) 20:39 Sierra(GCA01045) 02923/03001 CQW00576 ルキア   RE3:モーセの十戎石 ( 8) 98/08/26 23:31 02915へのコメント Sierraさん、こんばんわ。 |生まれてきた時に忘れてしまった記憶を取り戻せってことでしょうね。 |その導火線に火をつけるのがその石なのかも。  夢で「思い出せ」と言われても  な〜んにも覚えていないからわからない(苦笑)  そんなことを言われても、困るのは私の方です。  5年前の夢ですから、当時の私の心理状態をその石が示していたのかも  知れません。これから出てくるといったところかな。  本では、ラピスは特に日本人に合う宝石で、  明るい波動を放つそうです。  古代エジプトでよく使われていました。  この原石なら、悪い話が続く世の中で明るく輝くと思うんですけど。   |水晶ならレコードキーパークリスタルといって、アトランチスやレムリア |あたりで記憶を閉じ込めたといわれる石があります。  水晶は確かに机の上にありましたけど、  今の私には無理です。  記憶もないのにいきなり思い出したら、頭がついていけないでしょう?           02916/03001 GBG02043 維/YUI RE:RE2:丹後の海人族 ( 8) 98/08/25 23:40 02911へのコメント コメント数:1 ルキアさん、こんにちわ。 ☆|あと、一説によるとニギハヤヒの九州時代(まだスサノオ健在の頃)の奥さんが、 ☆|厳島の三女神のうちの誰かだって話もあったよ。 ☆ ☆ 誰かわかります〜〜?(汗) これなんだけど、 国宝海部氏系図には真井御前の祖神である彦火明命の后神(奥方)と秘伝されてい るのが市杵島姫であるとされている…っていう、元伊勢籠神社刊 『元伊勢籠神 社御由緒略記』からの話が書き込まれていました。 って、#02446で、自分で書いてるんじゃないの!!>私(^^;) ゴメン ☆海部家口伝、熊野・吉野山窩伝承によると ☆天宇受売命は天川弁財天天社が、「天の安川に坐す宗像女神神社」と呼ばれ、 ☆市寸嶋姫を祭る神社として建立された事から天宇受売命=市寸嶋姫伝承が ☆山岳信仰に根付いている。 このルキアさんの書き込みは、上記につながるってことかいな。 ☆★95/08/08 雑多な情報から必要な物を見出す作業は混沌から清水を得る行為だ  ホントだねぇ〜。 98/08/25(火) 19:08 維/YUI(GBG02043) 02922/03001 CQW00576 ルキア   日本列島の龍体地図 ( 8) 98/08/26 23:31 02916へのコメント コメント数:1 維/YUIさん、こんにちわ。 |あと、一説によるとニギハヤヒの九州時代(まだスサノオ健在の頃)の奥さんが、 |厳島の三女神のうちの誰かだって話もあったよ。  歴史の話とは関係無いけど、  8/25(昨日)に夢で二人の少女と私(少女と同じ年)がいて、  私は「置いて行かないで」と泣き叫んでいた;  (^^;)ゞポリポリ  しかもその日に維さんが厳島の三女神を書いていた…  夢でも私を入れてちょうど3人でしたし。  で。  その直後に『目と目を合わせなさい。』と  言われた。   多分原石の夢と関わりがあると思いますけど、  どこかでつながってこないかな〜?  …といいつつ、『龍宮神示』の龍の地図を見たら  げっ、書いてある。  『北海道の摩周湖─アメリカ五大湖』が龍の目に相当する。  そーかあ、龍の体半分が日本以外の外国なんだ。  やっぱりARIONは王仁三郎と関係があるんですよ。    以前ユカタンから傘を作った時にアメリカ五大湖を見つけたでしょう?  だから「目と目を合わせなさい」といわれたんだ。  日本列島は「龍体」で、世界のひな型になっているそうだ。  今まの解読で出てきたものから見ると、  ・右手=房総半島=マレー半島  ・左手=能都半島=スカンジナビア半島   ・龍の珠=珠州(スズ)岬(能登半島)    ・口びる=根室半島=ユカタン半島  ・目=摩周湖=アメリカ五大湖    ・右足=四国=オーストラリア  ・左足=九州=アフリカ    ・左乳=富士山=ヒマラヤ  ・右乳=伊豆半島=インド半島       伊豆がゆれるとインドでなんかあるのでしょう。    確かインドは核実験しました?  ・腸=瀬戸内海=地中海〜大平洋      地中海はカルタゴとエトルリアが出てきた。    腸は日本の命綱みたいなものです。出雲族のルーツでもある。  ・腰=紀伊半島=アラビア半島    =淡路島=ニュージーランド    =隠岐島=イギリス    =島根半島=ノルマンジー半島  ・へそ=伊勢湾=ペルシャ湾  ・しっぽ=沖縄=南極  ・しっぽの先=台湾=南米  ※台湾も沖縄の海底遺跡の本に                 出ていました。   そうか、沖縄と南米、南極が結びつくわけだ。   南米と南極は「ナチスの残党」が出てきたので、   ARIONが沖縄で「お前の待ち望んでいた力は黄泉のかまどにない」と   厳しく書いていたわけ。な〜るほど。(とのんきな事を言っている私)   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    阿鼻の冠を受けた者よ 聞くが良い    お前の待ち望んでいた力は 狭い井戸には無い    黄泉のかまどにも無い    日々 お前の足下に虐げられて 涙を落としている    お前の言う「忌むべき者達」の中にある   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥     ・子宮=琵琶湖=カスピ海  ・肩甲骨=牡鹿半島=朝鮮半島        朝鮮半島が出てきましたね。    牡鹿半島は今の所何もないようですけど。  ・角=サハリン=グリーンランド  ・尻=中国地方=ヨーロッパ    =下関=ジブラルタル海峡  ★日本列島を大きく4つのひな形に分けると、     ・北海道=北アメリカ     ・本州=ユーラシア     ・四国=オーストラリア     ・九州=アフリカ  『大鷲 荒れ狂い その爪に総ての者を懸けようとする   冷静なる者 血を流しても自分の場を守る   その数は四人である   一〇人の残り六人は 表面だけの関わりであり その事は大鷲の   知るところとなり 報復を受ける               』  アメリカが今、報復戦争をしているが、  まるで大鷲(西洋=フェニックス)のようだ。  おそらく4つのひな形大陸が「四人」に当たる。  『ユーカリの葉そよぐ美しき里 北の女王の国との不仲を   隠しきれるか                    』  北の女王の国は北アメリカと読めるわけで、  オーストラリアは今、アメリカに対してどうしているのでしょう?                  02927/03001 CQW00576 ルキア   霊玉 ( 8) 98/08/28 14:14 02922へのコメント 維/YUIさん、こんにちわ。 #2919の書き込みで、ちょっと思い出した…。 |94 → くし → 奇し → 宇宙(カミ)からの恩恵のライン | |49 → よく →  欲  → 命あるものの根元的な力のライン 「天照国照彦火明命奇甕玉饒速日命」の奇甕玉(クシミカダマ)も よく考えたら「94(くし)」が入っている。 >>王仁三郎は「霊界物語」でニギハヤヒの諡を半分書く事で、 >>歴史から抹消された人物の名を伝えている。 半分になっていた名前に、94=宇宙(カミ)からの恩恵が入る事で、          ニギハヤヒの名が完全に統合されると読めるんですね。 ★95/09/28 χ(カイ)なる者はΣ(シグマ)を従え、α(アルファ)とΩ(オメガ)を統合す…  新しい太陽神は宇宙の力の剣(龍=奇甕玉)を携えて                「α(アルファ)=天照国照彦火明命」と「Ω(オメガ)=饒速日命」を統合する。 『さそりの誘惑に乗る者が増え、悲しみの壷には癒しの玉が帰るだろう。』 #2793のローラーさんの書き込みで、 *真珠・・・「魂」。しかも、失われた、取り戻さなければならないもの。 墜ちた神性、それにふりかかった運命のさなかにある神性。 *濁り水・生ける水・・・闇・光。 *壷・・・純粋に神的な霊性的存在。人間の中の神的な霊。 壷の意味を合わせて考えると、 “失われた奇甕玉(真珠)が「癒しの玉=宇宙(カミ)からの恩恵」となって       『魂』となり、人間の中の神的な霊に宿る”と読める。 原石の夢もよく考えたら ★95/03/16 玉石混淆の世の中から玉を取り出す作業は、人知の及ぶ事では無い 混沌から失われた魂(真珠=玉)を取り出す意味だったと思う。 宝石の話が逆に『先入観』を作ってしまったので                   もう一度原点に戻ってみると、 私が反応した石は、魂の石=霊玉だったと読める。 その石の色は細かく覚えていないので不明(一応濃い色)だが、 やや丸い感じだったことは、手の感触で覚えている。 男が言った「思い出せ」の意味は、 魂の帰る所を思い出せ、ということになる。 オリエントの月の女神アシュトラ(=シュメールのイシュタル)は 壷を持っていたそうで、 アシュトラの壷には「永遠の命の力」をたたえた天上の水が入っているとされる。 男が石を水槽に入れたことから、水槽=壷に玉を入れる事と似ている。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ XI 銀盆の反射を受けて輝く石    (月の光を受けて輝く石   それは 泉の奥に眠る清らかな石  それは 命の泉の底に眠る清らかな魂   その泉に手を入れるな       永遠の命の力に手出しするな。)   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ さらに黙示録22章17節にも「命の水」が出ており、 アシュトラの「永遠の命の力」をたたえた天上の水と一致する。  …ということは、あの男が? しかもイエスは「輝く明けの明星=ダビデの星」であり、 「命の水が欲しいものは受けるがよい」としっかり書いてあった…; ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  やがては明けゆく、この空の下  闇から闇へと呼び交わす声が こだまする  我々のコード・ネームは「光」  明けの明星 金星の覇者 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★95/04/21 祖土(オヤツチ)の恵みに感謝し、真心勿て祖土(オヤツチ)に働く者、幸い也 ★95/09/09 祖土(オヤツチ)の蘇りを祝い、夫々のツチに働きなさい…時は来た ★95/11/23 天上人の華やかさを支える天下人の慎ましさ、双方揃って世界だ 02945/03001 KYW04750 水戸黄門 RE^3:米国の好況を支えているのは日本資本 ( 8) 98/08/31 23:49 02940へのコメント |とのことでした。公開されない為替介入もあるんですね。私は介入す |るときは「介入するぞ〜」と公にするとばかり思っていたので、公開 |されない介入があるかもしれないと、はじめて知りました。 一般的に日銀などの介入は秘密裏に行います。 日銀の介入は下手くそなので,日銀がドルを買えば,売る方がいて, ドル高がますます進みます。いったんドル安に触れても,すぐ市場に押されて しまいます。(最近の春の例では1日だけドル高が急速に進み,翌日には ドル安に戻りました)。 なお,プラザ合意のときは,珍しく,日銀が市場介入を宣言し,銀座の三越前 でプラザ合意の内容を市場関係者に配付したそうですよ。 通貨マフィアの市場介入のやりかたは,大きく3つあります。(記憶違いか も) 1 円高を止め,円安に進める。 2 円安を止め,円高に進める。 3 円高または円安をより促進する。 プラザ合意では,3番目の方法がとられました。 今回の介入は,2のパターンですが,大きく市場介入が進み,成功すれば, 円高に向かう方がスピードは速いです。私はディーラーではないので,なんと もいえませんが,貿易を長くやっていたので,為替の動きには敏感です。 我が家は個人輸入をやっていますが,(かなりのヘビー輸入者で,私が着てい るネクタイや家族に衣類はほとんど輸入ものです),円安のため,うまみがな くなったと思うでしょ? なかでもフランと比べると,まだまだ円高でうまみ はあるんですよ。ドルだけに突出して円安だという印象がバイヤーとしてはあ りますねえ。こうしたちょっとしたことでも,家族は世界経済に明るくなりま す。株式をやるといいのは,経済や会計や産業に明るくなることです。だか ら,趣味として100万円前後を動かす分には,いい趣味かもしれませんよ。 今は,端株もできますからね。 皮肉なのは,宮沢さんが大蔵大臣だったときの,為替レートの目標が145 円。(日本政府は「175円で安定させたかった)。株価もその頃の水準に戻 しています。プラザ合意の水準まで,全部戻るんじゃないかなあ。 98/08/31(月) 23:34 水戸黄門(KYW04750) 02921/03001 CQW00576 ルキア   石上神社 ( 8) 98/08/26 23:31 02885へのコメント コメント数:2 いちまつさん、こんばんわ。 #2917で維/YUIさんが言っていた三角形をいちまつさんの説と 合わせてやってみました。         |       3 元、1=スメラミコト=真のアマテラスの位置 |      /|\ |     / | \ |    /  |  \ |   /   |消えた\ |  /    | 半分 \ | 8_____|_____(3)元日向の位置 |追いやられた 4  |出雲     | |       |↓おとされた |       | |       | |       | |       9 (1) おとしめられたスメラミコトの位置  | 三輪山ですが、これを円の中心として考えます。 (今まではガイドの地図で測っていたので、念のため地図で確認しました。) そうすると、いくつかのポイントにつながってくる。 ポイントには龍、竜がつく地名が多い。龍のエネルギーが行き渡るように 遺跡が作られたとしかいいようがない。 #2903で >>海部家の口伝では、神武天皇は応神天皇、祟神天皇と同一人物としている。 たまたま三輪山近くに祟神天皇陵があったから、 この天皇陵を(3)元日向の位置と仮定してみると、意外な答えが出てくる。 追いやられた出雲(8)の位置はなんと龍王山で、「龍王社」がある所。 これがきれいな2等辺三角形になるので、 おとしめられたスメラミコトの位置を見る。 すると、天理市に石上神社があり、 天孫降臨や神武東征の折に威力を見せた「布都御魂剣(神剣)」が祭られている。 神宝を地中深くに治め、周りに瑞垣をめぐらせている所で、 国宝七支刀、重文御楯などがあり、物部氏が祭った神社で知られる。 本来のスメラミコトは石上神社の方角にあり、神宝に神の力が正しく降りるように 作られた所だと読める。  『仮宮にておわす   龍神 待つ 竜子媛   永きを待つ 磐のごと』 磐=いわ=石の事であるから、龍神は仮宮=「石上神社」で待つと読める。  『黄金の壷に 己が剣を浸せよ   剣を抜くときに 中を覗こうとするな   剣に掌を触れるな(剣の刃)   剣に竜の息を吹きかけさせよ     』 黄金の壷は「マナの壷」で、金の壷だったそうだ。 元伊勢の行方不明になった壷に、石上神社の神剣を浸す。 <#2903より> >>海部家の口伝では、神武天皇は応神天皇、祟神天皇と同一人物としている。 ガイドの説明によると 祟神天皇は大和朝廷最初の王と言われ、 「女王卑弥呼を助けて国を治めた男弟」ではないかという説があるそうだ。 海部家の口伝通りに解読すると、 『祟神天皇=神武天皇は、女王卑弥呼を助けて国を治めた男弟』ということになる。 祟神天皇陵=神武天皇が元の日向の位置にあっても不思議ではない。 この一致は疑いようがないだろう。 では、神武天皇陵は一体誰の墓なのだろう?一つの謎が出てきた。 #2549のSOUNDさんの書き込みで、 次ぎに魏志倭人伝の本文を引用してその頃のことを考える。 >>『その国、本また男子を以て王となし、住(トド)まること七、八十年。 >>倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃(スナワ)ち共に一女子を立てて王となす。 >>名づけて卑弥呼(ヒミコ)という。鬼道に事(ツカ)え、能く衆を惑わす。 >>年已に長大なるも、夫婿(フセイ)なく、男弟あり、佐(タス)けて国を治む。 >>王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。 >>ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。 >>宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。』 >>(『三国志・魏志』巻三〇東夷伝・倭人より) >> スサノオは当時五十代で、大乱を治めるために >>卑弥呼と政略結婚したが >>その結婚に反対した弟たちが呪いでスサノオとニギハヤヒを >>閉じこめて卑弥呼を傀儡として権勢を揮ったことの記述が >>『男弟あり、佐(タス)けて国を治む。』という一節である。 なぜ歴史にはこの人物の名前がないのだろう? 神武天皇はヒーロー扱いされているが、実はそうではないということは 誰の目にも明らかである。 アマテラスの義弟たちは神武天皇(祟神天皇)の息のかかった人たちであろう。 #2908の書き込みで見ても、 >>祟神天皇が大和において即位した時、国中に恐ろしい疫病が蔓延した。 >>さすがに天皇もふるえあがり、宮内の神所に拝んで伺いを立てた所、 >>三輪の神が現れて「大田根子という(オオタネヒコ)という海人族に私を祭らせば       >>祟りがなくなる。」と告げた。 >>それを聞いた祟神天皇は、元来、天皇の宮で祭られていた天皇家の神々を三輪山に >>移してしまった。 >>祟りをおそれた祟神天皇は海人の神のシンボルであった3種の神器を奪い、 >>自分の息の懸った大田根子のような海人族に祭らせる事で安心しょうと考えた。 アマテラスの義弟たちの行為は、海部家の口伝と一致する所が多い。 ARIONによると、三輪山にニギハヤヒが葬られたということになっているが、 これも祟りをおそれた神武=祟神天皇が三輪山に天皇家の神々を移した事と一致する。 どうやら神武=祟神天皇の息のかかった出雲族の一部の人が、 国中の封印に加わったらしい…。 その為に国の歴史は歪んでしまい、ニギハヤヒは貶められてしまったと言える。                            02925/03001 GBG02043 維/YUI RE:石上神社 ( 8) 98/08/27 13:34 02921へのコメント コメント数:1 ルキアさん、ワリコメ。 ☆#2908の書き込みで見ても、 #2907だよ〜って。(^^) ☆>>祟神天皇が大和において即位した時、国中に恐ろしい疫病が蔓延した。 ☆>>さすがに天皇もふるえあがり、宮内の神所に拝んで伺いを立てた所、 ☆>>三輪の神が現れて「大田根子という(オオタネヒコ)という海人族に私を祭らせば     ☆>>祟りがなくなる。」と告げた。 ☆>>それを聞いた祟神天皇は、元来、天皇の宮で祭られていた天皇家の神々を三輪山に ☆>>移してしまった。 あれ?大物主ではなくて、「天皇家の神々」複数なの??? それって、どういう神々なんだろう? ☆>>祟りをおそれた祟神天皇は海人の神のシンボルであった3種の神器を奪い、 ☆>>自分の息の懸った大田根子のような海人族に祭らせる事で安心しょうと考えた。 ん? 大田田根子って崇神天皇の息のかかった者なの??? 私が知ってる話では、大物主が「私の子孫である大田田根子をもって、私を祀ら せれば、世は安定する」と語ったので、崇神天皇は大田田根子を探し出し大物主 を三輪山にて祀るようにしたところ、神託の通り世が治まった…っていう話なの だけれど。。。 もともと三輪山は、神の住まう山として神聖視されていたみたい。 天皇の宮でもしも大物主を祀っていたとしても、なんだか胡散臭いし、怨霊静め やさらなる封印なんかやられたらたまらないじゃないの。自分を貶めようと企ん だ一族の宮で祀られるのなんか、大物主も望んじゃいなかっただろうし。 神聖な三輪山に封印をかけたというのは、あり得ると思っていたのだけれど、 今回のルキアさんの書き込みからすると、三輪山は大物主を貶めて閉じこめた 場所っていうことになるよね…。ん?これはどういうことなんだろう。 98/08/27(木) 00:12 維/YUI(GBG02043) 02930/03001 GBG02043 維/YUI ところで ( 8) 98/08/28 20:10 02926へのコメント ルキアさん。 ちょっと思いついたんだけど、 ☆私の言う通りにすれば祟りがなくなるって、よく考えるとおかしいじゃないかしら。 ☆そこら辺の拝み屋に出てくる神と変わらない。 ☆そういうのって、「神託を聞きに来るのが遅い!」というんですよねえ。 日本の神々って感情もあるから、よっぽど理に適わないひどいことされれば、 そりゃ祟りたくなるかもよ。意味のあることなら、黙って耐えることもあるだろ うけど、耐える価値もないことなら耐えたりしないと思うな。 祟り → 出て示す → 理不尽なことがあって、それを正すために出てきて示             すんだから、そんな変な事じゃないでしょ。 崇神天皇も身に覚えがあったんだろうね。 98/08/28(金) 02:56 維/YUI(GBG02043) 02967/03001 GBG02043 維/YUI RE:三輪山と益田の岩船 ( 8) 98/09/02 19:26 02937へのコメント コメント数:1 ☆岩船に天からのエネルギーを受けて、日本中の山を通じて作動するように ☆作られていたと考えると、古代の測量技術のすごさがわかる。 NHKが以前制作した番組のなかで、日本の"太陽の道"というのを想定している ものがあるそうです。北緯34度32分上にある古代遺跡を結ぶ線にまつわる話。 三輪山の麓の箸墓を貫通して東西の直線上に、古代の遺跡が並んでいて、そのい ずれもが、太陽神の祭祀の痕跡をとどめているそうで、三輪山の山頂をはじめ、 東に長谷寺、室生寺、倶留尊山、丹生寺、斎宮跡、西に二上山、河内/日置荘、 大鳥神社、淡路島の舟木と続くとか。 三重県の美杉村漆の地の、御壺山周辺には、日置という氏の家が多く、その家は 古代の測量師ではないかとしています。またその番組を紹介していた本の中では、 日置氏は海人族の一つで、製鉄に従事し、水稲農耕も行っていたとされています。 なんか参考になるかしら。 98/09/02(水) 11:02 維/YUI(GBG02043) 02941/03001 MHD02672 TAO 伊勢山皇大神宮 ( 8) 98/08/31 06:44 コメント数:1  久々の発言です。  タイトルだけで維/YUIさんはピンと来たのでは無いかと思いますが…。  横浜の伊勢山にあり、天照皇大神を祭神とする横浜の総鎮守で、関東のお伊  勢さんと呼ばれているそうですね。  で、調べていて、ん?と思ったのは境内に「大神神社」の分祠があるらしい  ということです。天照大神を祀っていて、伊勢と名が付く神宮の境内に、ニ  ギハヤヒと縁が深い大神神社の分祠がある? しかも写真を見れば、鳥居が  大神神社と全く同じ。つまり二本の柱に注連縄を渡しただけという形式のも  のです。それだけで無く、出雲系の杵築宮も並んでいるらしい。  〜ん。好奇心がうずうず…(^^;。維/YUIさん、何か知っていませんか?  最近は何故か伊勢に縁があって、神奈川県の伊勢原市も、昔、伊勢の国から  多くの人々が移住して住み着いた為に、そういう地名が付いたということも  最近知ったばかりだし、伊勢信仰と沖縄の斎場御獄信仰に共通点があるとい  う説もインターネットで発見したし、伊勢に関する何らかのアーティクルを  近日中にUPしたいと思います。  ***  伊勢原市には大山阿夫利神社があるねぇ…。大山は「雨降山」「阿夫利山」  とも呼ばれ、雨乞いや雨止めの霊験があらたかだそうですが、死者まで出て  しまっている今の豪雨災害を思うと、何とも言えない気分になります。伊勢  原市では、大山阿夫利神社に一生懸命祈っている方々もいらっしゃることで  しょうね。  TAO 02944/03001 GBG02043 維/YUI RE:伊勢山皇大神宮 ( 8) 98/08/31 17:39 02941へのコメント コメント数:1 あら、TAOさん、おめずらしい。 ☆ 〜ん。好奇心がうずうず…(^^;。維/YUIさん、何か知っていませんか? 知っています。 1997年の3月15日にこちらにいらしたんですよ。 関連のログは、#441と、#503にあります。 ここからは、私見です。 大和の三輪の地には、古より三輪の神は、伊勢の神だという内容の能だか舞だか がずっと伝わっていると聞きますが、そのあたりに今回の御分霊祭祀のポイント があるのではないでしょうか。 過去ログに書いたことが、とりあえず神宮で教えてくれる内容なので、奇しき縁 により…っていうのの詳細はいまだ不明です。櫛気縁ってことで、ニギハヤヒの 復活の為の一歩であると、解読できないこともないですが。(^^;) 伊勢山は、もともとは伊勢山ではなく、神宮を建立してから伊勢の名をもらった のだそうです。伊勢の宮は、もともと伊勢町っていうもう少し横浜駅寄りのとこ ろにあった小さなお宮なんだそうで、それを横浜開港の際に西欧の力から国を守 る意味もあって、横浜総鎮守という冠をつけて伊勢山皇大神宮が祀られたとか。 横浜の地に引っ越してから、自分の家のエリアに神社が一件もないことに気づき、 すごく悲しいというか淋しくなったのを思い出しますが、その時に調べたことで は、横浜開港に伴い、それまでは横浜弁天と親しまれていた杉山弁財天という、 伊豆の土肥の杉山神社(現在では来宮神社らしい。伊豆には来宮神社は幾つかあ りますが、そのなかの1つに杉鉾別神社とかいうお社が河津のあたりにあるので すが、そこのことではないかと推測します。)から御分霊した、敷地も広く(一万 二千坪)多くの人々に親しまれ栄えた、横浜港の総鎮守のお社の地を 西欧の客 人に明け渡してしまったいきさつを知りました。過去ログには、そのことでなん だか怒っていた書き込みもあるんですけどね。(^^;) ちなみにその伊豆の杉鉾別神社は、もともと紀州の方の杉山神社をそちらからの 移民の方々が連れていらしたのだそうです。だんだんと大和に近づいてきちゃい ました…。 ☆ 伊勢原市には大山阿夫利神社があるねぇ…。大山は「雨降山」「阿夫利山」 ☆ とも呼ばれ、雨乞いや雨止めの霊験があらたかだそうですが、死者まで出て ☆ しまっている今の豪雨災害を思うと、何とも言えない気分になります。伊勢 ☆ 原市では、大山阿夫利神社に一生懸命祈っている方々もいらっしゃることで ☆ しょうね。 大山阿夫利神社って、お社にたどり着くまでの山道に、龍神様が祀られています。 山の清水に龍神様というのはごく普通なことなんですが、ずいぶん昔に訊ねた時 のことですが、「ここにはいらっしゃるんだな〜」という感じがしました。大山 ってかなり高い山なのに、頂上のお社の裏にお水を汲めるところがあるんですよ。 近くの厚木には七沢というところがあって、そこの山には白山神社があり、やは り頂上なのにわき水があるそうです。以前に行ってみたときは、井戸のようなも のがありました。でも、お水が今も出ているかどうかはわかりません。 伊勢原市っていや〜、比々多神社というのがあるのはご存じでしょうか? あのあたりでは一番に古いお社だそうで、8番会議室では超有名な天櫛明玉命も 祀られています。ちなみに、大酒解神、小酒解神の二柱の神様が相殿に祀られて います。 98/08/31(月) 13:02 維/YUI(GBG02043) 02974/03001 MHD02672 TAO RE:伊勢山皇大神宮 ( 8) 98/09/04 00:37 02944へのコメント コメント数:1  #02944 維/YUIさん  コメントをどうもです。(^^) >>知っています。 >>1997年の3月15日にこちらにいらしたんですよ。 >>関連のログは、#441と、#503にあります。  早速読ませて頂きました。今度横浜に一泊する予定があって、どこか見に行  こうと思ってガイドブックを繙いていたら、「伊勢山皇大神宮」に当たった  のですね。興味深い参拝になりそうです。 >>ここからは、私見です。 >>大和の三輪の地には、古より三輪の神は、伊勢の神だという内容の能だか舞だか >>がずっと伝わっていると聞きますが、そのあたりに今回の御分霊祭祀のポイント >>があるのではないでしょうか。  謡曲に『三輪』という曲があったのでは無いでしょうか。謡曲の内容は知り  ませんが、伊勢と三輪の関係について書かれた本があったと覚えています。  アパートの部屋は本に埋もれていて、どれがどこにあるのか分からない(^^;  状態なので、今すぐ探し出せないのですけど。  伊勢は日向、三輪は出雲ですね。それが何で一緒になったのか…鳥居の形式  も大神神社と同じ形式のようですし、一度お詣りして確かめてみたいもので  す。 >>       伊勢の宮は、もともと伊勢町っていうもう少し横浜駅寄りのとこ >>ろにあった小さなお宮なんだそうで、それを横浜開港の際に西欧の力から国を守 >>る意味もあって、横浜総鎮守という冠をつけて伊勢山皇大神宮が祀られたとか。  国粋主義的な由来があったんですね。西欧の力に対してオヤツチを守るとい  うか。 >>大山阿夫利神社って、お社にたどり着くまでの山道に、龍神様が祀られています。 >>山の清水に龍神様というのはごく普通なことなんですが、ずいぶん昔に訊ねた時 >>のことですが、「ここにはいらっしゃるんだな〜」という感じがしました。大山 >>ってかなり高い山なのに、頂上のお社の裏にお水を汲めるところがあるんですよ。 >>近くの厚木には七沢というところがあって、そこの山には白山神社があり、やは >>り頂上なのにわき水があるそうです。以前に行ってみたときは、井戸のようなも >>のがありました。でも、お水が今も出ているかどうかはわかりません。  ここにも「白山神社」ですか。全国くまなく分布している感じですね。その  中で印象深かったのは加賀の白山比盗_社、玉置山の白山神社でした。そう  そう、白山頂上に登った時の奥宮もです。白山比盗_社の神様も、九龍神で  すね。 >>伊勢原市っていや〜、比々多神社というのがあるのはご存じでしょうか? >>あのあたりでは一番に古いお社だそうで、8番会議室では超有名な天櫛明玉命も >>祀られています。ちなみに、大酒解神、小酒解神の二柱の神様が相殿に祀られて >>います。  知りませんでした。しかしニギハヤヒ(物部)関係の神社は意外に多そうで、  インターネットの「物部氏のホームページ」では全国に分布している物部関  係の神社を網羅しています。特に千葉県でのニギハヤヒを祀っている神社の  多さは驚きです。また、加賀石川の神田神社は「饒速日命」と「菊理姫命」  を同時に祀っていて怪しすぎ。(^_^;)  http://www2a.biglobe.ne.jp/~kamnavi/monoini.htm  結構「濃い」ホームページなので、何らかの参考が沢山転がっていそうです。  それでは。  TAO 02980/03001 GBG02043 維/YUI RE^2:伊勢山皇大神宮 ( 8) 98/09/05 00:52 02974へのコメント TAOさん、 ☆ 早速読ませて頂きました。今度横浜に一泊する予定があって、どこか見に行 ☆ こうと思ってガイドブックを繙いていたら、「伊勢山皇大神宮」に当たった ☆ のですね。興味深い参拝になりそうです。 あらそうなんですか。結構横浜って、神社多いんですけれどね、横浜のいわゆる 駅あたりのところっていうと、かなり限られてきて…。 古いのでいうと、本牧に昔の本牧十二天社、今は本牧神社となっているのが、 桜木町から58番あたりのバスで三の谷というところで降りたあたりにあります が…。 でもまあそこは、今回TAOさんが行くところって感じはあんまりしませんけどね。 三輪と伊勢の関係については、同じ神だとか、三輪の神は女形で描かれるとか、 そういったのが残っているとか、どこかで読んだのを覚えていただけなので、 ちょっと調べたい気もしています。 伊勢山は割とすがすがしいイメージがあります。 が、近く(といっても、少しだけ離れている)に妙な雰囲気のお寺があるので、 お参りするときは、まっすぐに紅葉坂からのルートをお勧めします。 そこからなら、表参道も裏参道も行けるようになっています。 >> http://www2a.biglobe.ne.jp/~kamnavi/ あは。TAOさん、さすがにご存じでしたか。 私は杉山神社→五十猛で、神奈備ホームページに行き着きました。(^^;) 98/09/05(土) 00:37 維/YUI(GBG02043) 02950/03001 PAG03134 はな 三角形とカバラ ( 8) 98/09/01 14:01 コメント数:5  日向族がほどこした345の封印解きについて補足するために、カ バラの観点から「三角形」について、お話しします。  というのも、アリオンが          *  *  *  *  * (ARION)カバラの智慧と日本の太古の智慧が結ばれた時に、        多くの謎が理解できるようになるだろう。          *  *  *  *  *  と言っており、カバラの智慧は345の封印のバックグラウンドと して用いられている可能性をほのめかしているからです。  まず、カバラに登場する最初の数字は「0」です。難しい話はちょ っとおいといて、0の次に何が生まれたでしょうか。私は1かな?と 思ったのですが、そうではありませんでした。0の次は「00」です。  では、00の次は?  「000」です(^^;  じゃ、000の次は?  カバラでは0000とはされていません。 (ひっかかった方、いらっしゃいます?(^^;)  000の次に、はじめて1が出てきます。  ここで、はじめて0ではない数になります。  最初の点、1が誕生します。 (つづく)                       はな 02951/03001 PAG03134 はな 三角形とカバラ 2 ( 8) 98/09/01 14:21 02950へのコメント コメント数:2  カバラでは1を「王冠」とし、別名「ケテル」と言います。  ケテルは、「宇宙のエネルギーが顕現する最初の一点」として良い と思います。0や、00、000が無数、無辺の宇宙エネルギーだと 思ってください。そのエネルギーが1に降りてきます。  この「降りてくる」というニュアンスは、インスピレーションなど にも使われます。「ひらめいたっ!」って言うとき、頑固な芸術家は 自分の力だと驕るそうですが、カバラはそう教えません。あくまで、 作品のエネルギーは天から降りてくると伝えます。謙虚な芸術家は 「この作品は私自身の力だけで完成したのではない。天からの贈り物 だ。」とコメントされているのを耳にします。すごいなーって思うん ですけどね、このコメントは、カバラの伝えるところ、そのものです。  その贈り物のある場所、その大元が0です。究極の神が臨在される 場所とも言えるかもしれません、しかし、人知では推し量れない所で す。カバラでは、0を原型とする1すら、もはや人知では説明がしに くい数とされます。カバラの書籍をみても、1について明確な定義は されていません。冒頭で、私は1を「宇宙のエネルギーが顕現する最 初の一点」としましたが、これとて、1(=ケテル)を説明するには 不十分きわまりないと思っています。ですから、いわんや0をや、で あり、0の説明は、私には無理です。  さて、エネルギーが降りてきて、1に辿り着きました。  このエネルギーは、0→1→2という具合に降りてきます。(00、 000は省略します)1の次は2だからです。ここまでを図で示すと、   「愛、エネルギー、 ☆★☆★☆★ (0の世界)    などの大元    ☆★☆★☆★ (00の世界)    となる場所?」  ☆★☆★☆★ (000の世界)                ‖‖                ‖‖(降りてくるエネルギー)                ‖‖                ○ (1)                 \                  \                   \                    ○ (2) 2の次は3です。3まで話を進めると、1、2、3の3つの数がそろ います。カバラに登場する生命の樹をみると、これら1、2、3の3 つの数は三角形を構成しています。上の図において2が右下に伸びて いるのは、−−話を先に言ってしまうと−− 2の左側に3が位置す るからです。3まで辿り着いたら、次は1、2、3で形作られる三角 形の意味についてお話します。 (つづく)                       はな 02952/03001 GBA01052 CHARAN RE:三角形とカバラ 2 ( 8) 98/09/01 15:20 02951へのコメント コメント数:2 はな さん、こんにちは。 > この「降りてくる」というニュアンスは、インスピレーションなど >にも使われます。「ひらめいたっ!」って言うとき、頑固な芸術家は >自分の力だと驕るそうですが、カバラはそう教えません。あくまで、 >作品のエネルギーは天から降りてくると伝えます。謙虚な芸術家は >「この作品は私自身の力だけで完成したのではない。天からの贈り物 >だ。」とコメントされているのを耳にします。すごいなーって思うん >ですけどね、このコメントは、カバラの伝えるところ、そのものです。 漫画家の永井豪氏のインタビューを最近見たら、アイデアには苦労しないし、キ ャラクターやストーリーが自然に浮かんでくるんだそうですが、この人、インス ピレーションの源泉と直結しちゃってるんだろうななんて思いました。いまはや っている漫画(ロボットに人間が入ってるパターンなど)の原形はこの人が造っ てしまったというのが僕の持論で、間違いなく天才だと思ってます。 手塚治虫氏も映画の打ち合わせをした時の話が残っていて、その場で10本近い 粗筋をいとも簡単にひねり出し、あまつさえ映画はそのどれでもなく別のアイデ アで造ったと言いますから、すげっえ〜なと思います。 天才は質ももちろん、同時に多作である人が多いことからも、天につながる才の ことだとつくづく思いますね。受け入れる器もでかいんでしょうけど。 △CHARAN(GBA01052)▼ 02982/03001 PAG03134 はな RE^2:三角形とカバラ 2 ( 8) 98/09/05 13:40 02952へのコメント CHARAN さん >>天才は質ももちろん、同時に多作である人が多いことからも、天につながる才の >>ことだとつくづく思いますね。受け入れる器もでかいんでしょうけど。  天につながる才ですか。なるほど、そういう意味だったのか。  ここで、器について話させてください。  私も、エネルギーを受ける器って、あると感じます。カバラの話に 戻って恐縮なんですけど、あまねくふりそそぐエネルギーを自らに降 ろしてくるシステムについて、カバラ思想でふれられています。  生命の樹の各セフィロトなんですけど、イラストでは丸印でかかれ ているじゃないですか。あの丸印は、「器」でもあるんですね。エネ ルギーを受け入れる器です。CHARANさんとは、勉強会の時に酒舟石の 話で少し盛り上がりましたけど、あの酒舟石が生命の樹ではないかと おもった理由に、この「器」という概念があります。  酒舟石も、水を溜めることができるように彫りがあり、丸い器の形 をしています。そして、酒舟石の一番東側‥‥つまり、全ての器に直 結している大元の器‥‥に水を入れると分かるのですが、各器はつな がっていて、ひとつの器の水が溢れると、次の器に水が流れ込みます。 (データライブラリに登録された、CHARANさん撮影の酒舟石、ちゃん とコントラストをつけるように水をかけられていましたので、改めて CHARANさんにお伝えすることでもないと思いますが(^^;)  これも、生命の樹で言われる「エネルギーの流れ」そのものです。 各セフィロトが器であり、その器を溢れるほどにエネルギーが流れ込 むと、その下のセフィロトにエネルギーが流れ込むという思想です。  さらに、CHARANさんに言われて気づいたのですが、人間を鍛えると は、この器を大きくすることだとカバラが教えているのも、おもしろ いです。つまり、セフィロトという各器を大きくすることによって、 それだけ多くのエネルギーを受容できるというものです。  天才って、もともと器がでかいんでしょうね。  でも、天才も天性の方もいれば、努力家肌の方もいらっしゃいます し、いずれにせよ地道に器を大きくしていったのかなと思います。私 のような普通人との差はなんなんでしょうか。知りたくなります。                       はな 02983/03001 PAG03134 はな RE^2:三角形とカバラ 2 ( 8) 98/09/05 13:40 02952へのコメント CHARAN さん >>漫画家の永井豪氏のインタビューを最近見たら、アイデアには苦労しないし、キ >>ャラクターやストーリーが自然に浮かんでくるんだそうですが、この人、インス >>ピレーションの源泉と直結しちゃってるんだろうななんて思いました。いまはや >>っている漫画(ロボットに人間が入ってるパターンなど)の原形はこの人が造っ >>てしまったというのが僕の持論で、間違いなく天才だと思ってます。  アイデアに苦労しないってのは、なんともすごいですね。CHARANさ んが触れられていたように、漫画家の手塚さんもアイデアだけはたく さんあるのに、いかんせん描く時間がない。というコメントをされた のを覚えています。  永井さんというと、ちょっとエッチな漫画もあったりして、わたし は「すっけべぇ〜」と、少し引いてみていたんです。このようなこと は恥ずかしくて言いたくないのですが、もともと、私はインテリぶっ ているところがあり、漫画を活字媒体に比べて一段下のメディアと見 ているところがありました。ゴーマニズム宣言で、「漫画を読むなん て家系の恥ですよ」と発言した学者の西部氏をボロクソに言われるシ ーンがあったのですが、私はヒトゴトとは思いませんでした。  今回、CHARANさんから、漫画の原型について持論をお伺いし、「な るほど。そういう見方があるのか」と思いました。永井さんのアニメ については、すっけべぇ(^^;なところしか視点がいってなかったので すね。マジンガーZも同氏の作品でしたっけ? (どうもキューティ ーハニーしか、目がいってないな>私(^^;)  ということは、ガンダムとかのベースにもなっているんですね。                       はな 02961/03001 GBG02043 維/YUI RE:三角形とカバラ 2 ( 8) 98/09/02 00:34 02951へのコメント コメント数:1 #02951 はなさん、#02952 CHARANさん。 ☆ この「降りてくる」というニュアンスは、インスピレーションなど ☆にも使われます。「ひらめいたっ!」って言うとき、頑固な芸術家は ☆自分の力だと驕るそうですが、カバラはそう教えません。あくまで、 ☆作品のエネルギーは天から降りてくると伝えます。謙虚な芸術家は これ、わかるんですよ。…っていっても、CHARANさんが書いていた 永井豪さんや、手塚治虫さんのような天才の方々とは雲泥の差なんで、 「笑ってください」ってなもんですが。 私は劇の衣裳のアイデアを考えて考えて考え抜いて…やっとの思いでまとめて、 作り始めるのですが、この「まとめて、」の後に実は空白があるんですよ。 頭の中というか、自分の中がポッと抜けてる感覚。で、次におもむろに 「これは、こう」「あっちは、これでいい」って決まっていきます。 自分で意識的に悩んでいるときのものは、だいたいダメが出て、自分も気に入ら なくて、途中で変えてしまっています。 あとは、細かいところまで決まり切らなくて、とりあえず作り始めてしまった衣 裳を一心不乱に切ったり縫ったりしていると、やっている間に次にやるべきこと が分かってきて、作り終える時には納得いく出来になっていたりします。 些細なことなんだけど、これのおかげで毎年一回の劇の公演、毎度衣裳はウケが いいんで、ありがたいです。(^^)v 98/09/01(火) 21:26 維/YUI(GBG02043) 02984/03001 PAG03134 はな RE^2:三角形とカバラ 2 ( 8) 98/09/05 13:41 02961へのコメント 維/YUI さん  劇で用いる衣装をどのようなデザインにするかって話、おもしろく 読みました。直観とか、ひらめきってもん、あるんでしょうね。結局、 最初に浮かんだ考えで実行すると、案外結果が良かったりすることが あります。 >>あとは、細かいところまで決まり切らなくて、とりあえず作り始めてしまった衣 >>裳を一心不乱に切ったり縫ったりしていると、やっている間に次にやるべきこと >>が分かってきて、作り終える時には納得いく出来になっていたりします。  この「次にやるべきこと」が途中から見えてくる、という点に興味 をもちました。最初から全ての作業工程が見渡せるわけではなくて、 やるべきことをやっていたら、次が見えてくるというのは、私も仕事 をしているときに往々にして経験します。  デザインとはちと話がちがうけど、折り紙の話を少し。明日、マレ ーシアに向けて旅立ちます。現地ではマレーシア人の友だちの家にお 世話になるので、なにかおみやげを‥‥と物色していました。結局、 おみやげに「折り紙」を持っていくことにしました。それに、となり のトトロの絵本(^^;も加えました。  マレーシア人の友だちとは、留学生として来日しており、学校で知 り合いました。その当時、すでに5人のお子さんがおられ、日本によ んで日本の小学校に通わせていました。  ですので、お子さんたちは、たぶん折り紙を知っていると思います。 立派な日本の文化ですしね。忘れかけていた日本のことを、折り紙で 折る鎧甲や舟などから、手作業の中で日本について思いをはせてもら えたらと、少々老婆心を起こしています。  ところで、友だちは現在6人のお子さんがいます。大所帯です。お 父さんとお母さんが両手に子供を連れても、なお二人余る(^^;。この 6人目のお子さんは日本で恵まれ、立派な女の子が産まれました。日 本に縁があったということで、友だちはその娘さんに「桜(Sakura)」 と名づけたんです。ちゃめっけあるよな〜。  明日は、写真集も持っていきます。そして、桜ちゃんに日本の桜が 写っている写真集を見てもらおうと思っています。                       はな 02959/03001 PAG03134 はな 三角形とカバラ (3) ( 8) 98/09/01 23:03 02950へのコメント  いきなり、先の発言の図に、3を書き加えちゃいましょう。   「愛、エネルギー、 ☆★☆★☆★ (0の世界)    などの大元    ☆★☆★☆★ (00の世界)    となる場所?」  ☆★☆★☆★ (000の世界)                ‖‖                ‖‖(降りてくるエネルギー)                ‖‖                ○ (1)               / \              /   \             /     \         (3)○−−−−−−−○ (2)  この1、2、3が、数字から生まれる最初の三角形です。3点が集 まると、三角形という面になりえます。そしてこの三角形は、カバラ で生じる最初の三角形でもあります。  この三角形が何を意味しているか?  それは、  ・エネルギーが顕現する順路 であり、  ・出現するエネルギーの特性 を示しています。  これだけではよく分からないと思います。私はカバラの書籍を何冊 か読んでいるものの、いまだに「著者は何がいいたいのか?」を知る のに四苦八苦しています。  カバラの書籍を何冊か読んでみて、思ったこと。  ・(‥‥わからん)   うーむ、読んでいる私に理解力がないのね。   (後日おなじ文章に目を通して)   なるほど、そういうことだったのか、読めば読むほど奥深いわ。  ・(‥‥わからん 2)   これ、著者自身がワケワカメなんちゃうか?   (後日おなじ文章に目を通して)   やっぱりわからん。????  つーことで、カバラにも良書と、そうでない書籍があるように思い ます。私が読んだカバラ本のなかで、お勧めは、ダイアン・フォーチ ュン著の「神秘的カバラ(国書刊行会)」です。  同書に私はとりつかれ、原書も購入しました。こちらはさっぱり分 かりません。(そら、てめーの英語力が足りないだけや)  (^^;さて、2と3は、エネルギーとしての特性が与えられています。  カバラについて書かれた本に、共通しているのは、上の2と3は、 それぞれ「2:男性エネルギー」「3:女性エネルギー」を表してい ることです。               (1)                ○                / \              /   \             /     \         (3)○−−−−−−−○ (2)      【女性エネルギー】  【男性エネルギー】  2が男性エネルギーであり、3が女性エネルギーという特性を持つ のです。2と3におけるカバラの説明を、アリオンが男性と女性につ いて語った説明とをあわせて読むと、より一層カバラに面白味がでて きます。両者の説明に、矛盾点が生じないのです。  それどころか、アリオンの言葉とカバラの言葉は、それぞれ相補い ながら、より深い洞察を私たちに与えてくれます。  (つづく)                       はな 02985/03001 PAG03134 はな 三角形とカバラ (4) ( 8) 98/09/05 17:03 02950へのコメント  今回の話は、すでに絶版になったアリオンと北川さんの著作「I Love You 1」から、男性と女性についてのメッセージを引用し、それ とカバラについてお話したいと思います。(ネタとしては、アリオン メッセージということで6番会議室、性エネルギーということで9番 会議室にまたがる話になります。両議長さん、お許しください) まず、 ・男女の持つエネルギーは、性質も動作も電気エネルギーと似ている。 ・破壊エネルギーと創造エネルギーの極性は、破壊がプラスエネルギ  ー、創造がマイナスエネルギーとなる。 ・男女のエネルギーは、電気と似ていて、一極だけでは機能しない。                     (I Love You 1 p.168)  これらと、生命の樹の一番上にあたる三角形をくらべます。               (1)                ○                / \              /   \             /     \         (3)○−−−−−−−○ (2)      【女性エネルギー】  【男性エネルギー】  2と3はお互いに綱引きをしている関係だと思ってください。綱引 きの力がお互いに均等だと、男性エネルギーと女性エネルギーの引き 合う力で、2−3の間のロープはピン!と張ります。しかし、どちら かのエネルギーが強く、偏ってしまうと、ロープは張った状態になら ず、不均衡な状態を招きます。     2(男性エネルギー)−−−3(女性エネルギー) の均衡がとれている状態は、アリオンが言う、 ・良き創造は良き破壊との組み合わせで成立する。                    (I Love You 1 p.168) の破壊と創造の組み合わせに均衡がとれている状態だと、私は考えて います。  また、男性エネルギーと女性エネルギーが強くなればなるほど、よ り強い力がはたらきます。両者の組み合わせに、バランスがとれてい れば、やはりロープはピン!と張ります。ロープはより力強く張り、 ロープにかかるエネルギー量も増えます。  2−3間のロープをピン!と張ることにより、両者にエネルギーが 流れるといえます。それは、2と3の間の線は、カバラでは「小径 (パス)」と呼ばれ、エネルギーが流れる経路を示しているからです。  特に、男性は女性から純粋な破壊のエネルギーをもらうようになっ ているとアリオンは言っており、生命の樹における2−3のパスは、 男性が純粋な破壊エネルギーを受け取る道筋を表しているといえるで しょう。 (つづく)                       はな 02986/03001 PAG03134 はな 三角形とカバラ (5) ( 8) 98/09/05 17:03 02950へのコメント  もうすぐ旅行に出かけるってんで、急いでまとめています。  引き続き、アリオンの話とカバラの話です。 ・男女双方共に原理、つまり両極エネルギーを受け入れる器としての  男性部分と女性部分を併せ持つ。                      (I Love You 1 p.166)  生命の樹は、それ自体がミクロとも、マクロとも言えるものです。 生命の樹それ一本が個人の象徴にもなりますし、複数の人間の統合と も言えると、私は考えています。あるいは、生きている一つ一つの細 胞にすら、生命の樹の智慧は適用できるとすら思えます。  ですから、一人ひとりが生命の樹であるとすれば、それぞれに2で あり3である性質を内包しているわけですから、アリオンが言うとお り、「男女双方共に原理、つまり両極エネルギーを受け入れる器とし ての男性部分と女性部分を併せ持つ。」ことになります。  かつて私は生命の樹に自立する方途が隠されているともうしました。 それは、生命の樹自体が、2−3の均衡からみてもわかるとおり、力 の均衡関係によって左右、あるいは前後、上下のバランスを保ってい るからです。私はどこかのエネルギーバランスが偏ると、一本の木と してまっすぐに成長できなくなると思います。(右か左に力が傾くと、 木も傾くようにみえるところから、この発言を書きました。上記の説 明は、あくまで私のイメージから書いています。)                       はな 02987/03001 PAG03134 はな 三角形とカバラ (6) ( 8) 98/09/05 17:04 02950へのコメント 「I Love You 1」の中で、北川さん(みれさん)が、 ・爆発力とか機動力とか、貫き通す力っていうんは、男性の方が強い。  女性は全面展開はできるけど、一点突破は男性の持ち分です。 とおっしゃっています。  この説明も、生命の樹に照らし合わせると、よりイメージがしやす くなります。(私だけか?)  まず、男性は一点突破にすぐれることについてみてみます。  男性エネルギーは1から生まれた2により発生します。  生命の樹において、1から2に線をひっぱります。今まで見てきた 1−2−3の三角形から、女性エネルギーである3を消します。 「第一段階」‥‥1だけの原初状態               (1)                ○  「第二段階」‥‥1から2が生まれる様子               (1)                ○                  \                  \                   \                    ○ (2)                 【男性エネルギー】  このような図になりました。これが、1から生じた「一点突破」の 様子です。ここではまだエネルギーが2でとまっており、3が生じて いません。1(ケテル)から生ずる2は、上図からみておわかりにな るように、あくまで直線的なエネルギーなのです。1という点を突破 して、2に向かうエネルギー。これこそ、「一点突破」です。(その まんまやんけ>私)   *  *  *  さて、2が生じると、次はエネルギーは3へ流れます。               (1)                ○                / \              /   \             /     \         (3)○−−−−−−−○ (2)      【女性エネルギー】  【男性エネルギー】  これは、おなじみの図です。  またまた、アリオンの男性と女性についてのメッセージを引用しま す。 ・男性は元々、創造力のエネルギーを多く持っている性だ。 ・女性は破壊のエネルギーを多く持つ。 ・男性は生まれ持っているエネルギーは創造のエネルギーだけで、  破壊のエネルギーは女性と接することで取り入れる。 ・女性は破壊のエネルギーを持って生まれてくる。そして生理的に  創造を行う(受胎・出産)という一期完結性の創造エネルギーを  も併せ持つ。                  (I Love YOU 1 p.166)  これを、カバラの観点からみてみます。つまり、 1.男性は生まれ持っているのは、創造エネルギーしかないこと。 2.女性は破壊エネルギーと創造エネルギーを併せ持つこと。 が、カバラからはどう読みとれるかです。  男性は2です。女性は3。  3は2+1であり、3の中に2があります。  3は女性であり破壊エネルギーでした。  3(女性)が2(男性)+1になるとは、男性をも身ごもれる様子 を示していると、私は考えています。  ところが、どーあがこうが、男性は身ごもれない。ましてや、女性 を身ごもることはできません。これは、2(男性エネルギー)の中に、 3(女性エネルギー)がないことから分かります。2はいくら分解し ても、1と1にしかならないのです。                ○                / \              /   \             /     \            ●−−−−−−−○      【女性エネルギー】  【男性エネルギー】        3=2+1     2だけしかない(^^;    3の中に2(男性)がある  また、北川さんは、女性は全面展開の能力に優れると言われていま した。私は全面展開とはうまく言うな〜と思うのです。それは、文字 通り、全面展開の「面」は、女性エネルギーなくしては生まれないか らです。  これが、女性エネルギーが男性エネルギーと組み合わさることによ ってできる「面」の威力です。 (このシリーズ、終わり)                       はな 02976/03001 HQK00566 SOUND RE^2:「炎で書いた物語」最終章8の30 ( 8) 98/09/04 13:08 02902へのコメント コメント数:2 炎で書いた物語」最終章(その8の30) <戦士(さむらい)達は今>(その30)  前々回、最終章8の28でニビル(マルドゥク)の星について採り上げた後、 マルドゥクという聞き慣れない名前の神について考察していると、 マルドゥクはニギハヤヒだという突拍子もない考えが唐突に浮かんできた。 それまではマルドゥクといえばマルデクのことで 崩壊して小惑星帯になった惑星程度の知識しかなかった。 あるいは、そうでないとしても12番惑星から人類をコントロールしている 邪悪な意識そのもののことだと思っていた。 それで、とてもマルドゥク=ニギハヤヒという思いつきには飛びつけなかっ た。 「本当にマルドゥクはニギハヤヒさんなんですか」 ぼくは困ってどこにともなく問いかけたがなんの応えもなかった。 いつもなんらかのヒラメキを得たときそれが正しいかどうかの不安に駆られ る。 ただのデタラメを書くわけにゆかない。 「夏休み、どこに行く」と数日後、妻が尋ねたとき「三輪山」とぼくは答え た。 妻は三輪山のなんたるかを知らなかったが、三輪山は奈良なので 京都のぼくの実家に寄って行こうということになった。 新幹線の切符はすでに満席で売り切れていて買えなかった。 しかたなく車で行くことにした。 8月17日の朝8時過ぎに出発して京都の実家に着いたのが夜の9時前だっ た。 一泊して翌18日、朝8時に奈良に向かった。 国道24号線は奈良に入るとだんだん広くなって高速道路のようだった。 天理市に入ると石上(いそのかみ)神社の道標もあって 思わず寄ろうかと思ったが今回はパスした。 天理市は昔、ヘーシンクが天理大学に柔道の練習に来たときに 見学に行って以来だった。全日本クラスの選手がつぎつぎに苦もなく捻られる ヘーシンクの段違いの強さに驚いたものだ。 稽古場の畳に座って目の前に見る巨人ヘーシンクの足の指は 畳をつかんでいて、ちょっとやそっとで倒れそうになかった。 しぶとい相手は引きずり回して無理矢理倒すと力まかせに押さえ込み、 下になった相手は気絶しかかってしばらく起きあがれなかった。 そんな回想にひたりながらそのまま南下すると大神神社への標識があった。 そこで左折すると正面に写真でよく見た三輪山の美しい姿が目に入った。 その山容の中にビラミッド(ジグラット)を秘めているのが感ぜられた。 大鳥居からは入らず脇から三輪素麺の店が並ぶ狭い道を登って 『三輪乃神』という額束のある鳥居の前の車止に着いた。 妻が参道を登っている間、ぼくは天照国照彦天火明奇甕玉饒速日尊 (アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシミカタマニギハヤヒノミコト) と一行に入らないほど長い名前で呼びかけた。 この名前は夜明けの仕事に携わる神々の集合名詞のようだ。 封印の鳥居からのお出ましを願ってさまざまな自己流の祈りをした。 もちろん、太陽の子、マルドゥクのこともたずねた。 マルデクの名前はアマテルクニテルのアナグラム的発音の中に含まれている。 デの音はテが二回あることで濁りに数えられる。 正午近くなって太陽が中天に登ってきたので両目でしっかり見つめた。 片目なら見やすいが両目で見ると眩しすぎる。 太陽を直視した後では世界は赤紫に着色される。 約一時間ほどしてぼくたちは実家への帰途についた。 翌19日、朝8時に実家を出て川口市のわが家にたどり着いたのは夜8時だっ た。 めぼしい観光地に寄るでもなく、途中おいしいものを食べるでもなく、 たった一時間、三輪山に臨むためだけの三日間であった。 ************************************************* <メソポタミア幻視行2>  メソポタミアの神々の幻影を追う旅に出るとぼくの中で 『彷徨うヴィーナス』のイメージが揺れ動く。 ヴィーナスはローマの名前でギリシャではアフロディーテ、 ヘブライでアシュタルテ、シュメールではイナンナと呼ばれる 美と戦争の女神のことである。 ぼくのホームページの『炎で書いた物語』のタイトル画もそのイメージであ る。 ARIONの預言詩の中にはかの女を主人公にしたと見られる 『*赤い月の形としての物語*』という詩がある。 シュメールでは*はアン、星、天、神の四つの意味であった。 この詩は題名を*で囲むことでシュメールに関する詩であると察せられる。 >>      *赤い月の形としての物語* >> >>       〔プロローグ〕 >>      銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。 >>      ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。 >>      暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。 >>        「見よ」と声がする。 >>      叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。 >>      人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。 >>     その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。  このプロローグで演じられる神々の幻想劇を一行ずつ鑑賞してゆこう。  >>  銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。  ニネペの王立文庫廃虚で見つかった円盤形の粘土板に 「kakkabSIB・ZI・AN・NA…アンナの使節…神イシュタル」 「神ニニ(NI・NI)監督者の降下」などと書かれていた。 ゼカリア・シッチンはこれは第12惑星から地球への宇宙旅行の次第を 記してあるマニュアルのようなものであるという。  『銀色の舟の娘』をこの宇宙旅行者として解釈すると 銀色の宇宙船に乗って天から地球へ飛来したイナンナ(イシュタル) すなわちローマのヴィーナスのことになる。 「神ニニ(NI・NI)監督者の降下」と日本のニニギの降臨の名前とは一致 する。 ニニギの前に降りてきていたニギハヤヒの宇宙船は『天磐船』という。 ニギハヤヒはイギギの長だったような名前に聞こえる。 イナンナの飛行を理解するのに必要なシュメールの概念がある。 >>メの神の世には 光 未だ齢(ヨワイ)を持たず (光の黙示録、詩編より)  シュメール神学に重要な概念、メー(ME)とは エンリルによって天(Ekur)で構成されエンキに与えられた、 芸術、技術、文明などをひろめる力をもつものであった。 エンキはそのメーの守護者と呼ばれる。 それゆえ、『メの神』とはエンキを指すと思われる。 かれの持つメ(ME)の科学知識技術を現代の人類が使用できる世までには しばらく時間が必要なようだ。 原子力を与えても原爆を作ったり、発電に使って 地球と人類の自殺に使うようではメーを与えたくても与えられない。 他の天体にまで迷惑を及ぼすだろう。 新技術を戦争や地球の破滅に使わないという霊的な進化が必要なのではない か。 エンキはかれの礼拝センター、エリドウから始めて ウル(Ur)やメルーハ(Meluhha)やディルムン(Dilmun)にメーをもたらし た。 女神イナンナはわずかしかメーをもらえなかったので エンキを酔っぱらわせて、合わせて94のメーを得る。 この場合のメーは宇宙飛行のための装備や技術的なことであろう。  *赤い月の形としての物語*の2には >>    「私の舟は、何処に着くのでしょう」 >>  そう、娘の舟は月の影を回り、そしてヴィナスの夢を見る。 >>      大いなる「海王」と、大いなる「眠りの王」との、 >>     楕円の舞踏会では、「火の王」と「木の王」とが密談を交わす。 >>     ひとり外れて、「土の王」が嘆く。 >>    「水の王」は娘の為に、舟を出す。  という部分があってイナンナ(ヴィナス)の太陽系旅行の様子が語られる。 大いなる「眠りの王」という表現だけはわかりづらいが 海王星、エアによって眠りを与えられた祖神太陽(アプス)のことであろう。 ニニギあるいはイギギの監督のもとにイナンナは地上に降りた。 地球の着陸地点付近にはアヌンナキたちの河堀仕事によって葦が生えていた。 アヌンナキたちの地上生活の夢の中にイナンナは分け入った。 >>蟹星の夜に降りる星 >>朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星 >>これが、私達の * の星 >>これが 私達の暁の星 (光の黙示録、詩編21より) この詩編21にも暁の星(金星)の女神イナンナが 朱き星(12番惑星)から降りてくる様子が描かれている。 絶大な人気を誇るこの美神の物語は日本では、 かぐや姫としての地上降臨と天界回帰の美しい昔噺へと昇華した。 >>   ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から  この『ゴーマ』という名称の指すものを推し量るにも メソポタミア地域というわずかな手がかりから入ってゆく。  シュメールの地、現在のイラクの国旗を見ると上部が赤で下部が黒で 間の白地に緑の三つの星を散りばめてある。 「星の形を散りばめた布」というのはこの国の国旗を指しているのだろう。 『布』という文字をみると思い出すのは布留というニギハヤヒの名前だが 紀元前十五世紀、カスピ海南の山から降りてきて チグリス河流域の古代国家アッシリアとヒッタイトの間を占拠して ミタンニ(Mitanni)王国を支配したのがフルリ族(Hurrian)であ る。 さらばゴーマは地上に降りたニギハヤヒ(マルドゥク)意識の この一帯での名前と推測される。 ゴーマルドゥクの乗り物は轟魔として空に轟く魔物のような着陸船で 降りてきたのだろう。 ニギハヤヒはこのあたりの国々から地上の統御をスタートしたようだ。 >> 暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。  『黒い羊』とはだれでどこに葬られたのか。  シュメールでは天体をムルと呼びアッカドではカッカブ(kakkab)と呼ん だ。 そして、ムルをムルムルとくり返すことでで太陽系を指した。 惑星(ルパド)をル(飼われるそれら)とパド(高く遠い)の意味から 太陽によって飼われる「さすらう羊」と呼んだ。 かれらは太陽系ムルムルあるいはカッカブカッカブのメンバーは12であると いう。 太陽、月とそれ以外の10個で全体で12ということである。 われわれが学校で与えられてきた現在の知識では、太陽系の惑星は、 水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の九つであ る。 シュメール人はもうひとつの惑星の存在を主張する。 それは惑星としての数では第10番惑星であり、 太陽と月を加えた太陽系全体の天体として数えれば12番ということになる。 それでその惑星Xを第12番惑星と呼ぶ。 その星の印としてかれらは ∋=○=∈あるいは∋=∈のような翼の生えた円や十字で表した。  かれらは「最高の笏のカッカブは、ムルムルの中の羊の一つである」とい う。 先程みた用語の意味から訳せば、最高支配者の天体は太陽系の惑星のひとつ、 ということになる。羊は普通は白いので十二宮の星座のひとつにも 白羊宮という名前が与えられている。 ARIONはなぜ羊を修飾するのに黒いという形容詞を使うのか。 その意図をはかるために英語の辞書を開くとBlack sheepには 一家の持て余し者の意味があることがわかる。 ムルムルの中の羊が太陽系という一団を構成する惑星であるなら 『黒い羊』はその一団の法則に従わない惑星ということになる。 他の惑星(羊)は太陽を中心に左回りに従順に公転をしているのに 右回りに3600年もかけて公転している惑星がある。 それが「最高の笏のカッカブ」、マルドゥクなのである。 第12番惑星は様々な名前で呼ばれる。 3600年という公転周期で呼べば『シャー』であり、 位置で呼べば『ニビル』であり、神名で呼べば『マルドゥク』であった。 かれは原地球、ティアマトを二つにして地球と小惑星帯にしたあと ニビルと呼ばれる3600年の公転軌道の位置にしりぞく。 黒い羊(マルドゥク)が葬られた所という表現はニビルという位置のことであ る。 かれが最高支配者であるにもかかわらず他の存在たちが約三十万年前に 実権を奪ってしまった。 かれらデ・ゼビアス・デニアス・アイは惑星、マルドゥクを 黒い羊にしてニビルという位置に葬った。 『黒』の示す弔いのイメージは かれが父、エアと同じく黄泉の王となったことを示唆している。 それは、日本神話でペルシャの「スサの王」からきたとされる スサノオの子供のオオクニヌシが国譲りのあと黄泉の国に隠退した話と通ず る。 >>「見よ」と声がする。 「見よ」すなわち三四、それは四三(黄泉)の反対。 四三が返ると三四になる。甦る、黄泉帰るという声がする。 葬られた所から甦るというのだ。 >> 叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。 「叫び」とは、酒日で酒の神で日の神である大物主(ニギハヤヒ)で シュメールではマルドゥク。 シュメール人は神の乗り物(宇宙船)を「聖なる黒い風の鳥」と呼んだ。 かれらの飛行船はムー(Mu)あるいはシェムと呼ばれた。 マルドゥクは轟音(鳴き声)をたてる宇宙船とともにやってくる。 >>人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。 人は赤い月(暁)の表面に出てくるメイオウ、すなわち明王、冥王の影を 読みとってそれがだれであるか知ることになるのだろう。 >>その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。  隠されていた嘆き(啼け鬼)とは帝であるべき鬼。 壷は黄泉の壷で前方後円墳などの帝の古墳は 空から見おろすと壷の形になっていることから黄泉の壷と呼ばれる。 隠されて穏(オン)とされていた帝であるべき鬼が黄泉の壷から出てくる。  現在、傀儡支配を続ける存在は本来の帝であるべき存在を 穏(オン)としてしまうために神話の主人公の巧妙なすり替え改竄によって 混乱、混同、誤解に導いて支配を続ける。 その例として前回書いたカナン神話のバールを揚げよう。 カナン神話のバールと戦う敵、ヤム(Yam)は 海や河の支配者でリバイアサン(Leviathan) (巨大な海蛇)とみられて海龍をひきつれている。 いわゆる海龍王、ポセイドンである。 モト(Mot)は不毛と死の地下世界の神である。 われわれはヤムもモトもエアの一面であることを知っている。 ヤムモトで合わせて一本、エア(エンキ)ということになる。 エアと争ったのならこの場合のバールはエンリルである。 エアの子マルドゥク(バアル)ではない。 マルドゥクはエンリルの王位を継承してバアルとなったが 辞書に多神教の偶像崇拝の邪神の象徴として載るほど排斥されている。 現在のイラクはイスラムの唯一神を崇める国家となって 本来の主神であったマルドゥクを忘れてしまった。 かれらデ・ゼビアス・デニアス・アイの導入した一神教の概念は 見事にエンキ、マルドゥク親子を封印した。  われわれがホルスの目(真実を見抜く目)を開き、 われわれ自身の心の封印を解くとき、 太陽の子、マルドゥクの所持する運命の銘刻板、 (Tablet of destiny)が トプシマチ(Tupsimati)の威力を発揮して マルデク(○で九)が一(カイ)を加えて本来の○で十となる。 それが真のアン(アヌ)の星のマークなのだから…。  ほら、あなたの後ろにウラシマという男が立って囁きだした。 『わたしは、故障した地球上陸用舟艇「カメ」号を修理して 救助した乗組員に連れられて海(あま)、すなわち、天(あま)の航海に出 た。 かれらの母星「闇」(アン)には竜宮という城があり その門を入ると乙姫(音秘め)という縦の日を秘めた方が歓待してくれた。 その星の公転周期は一周が地球の三千六百年で 地球の三千六百倍なので「竜宮」での1日が 地球での三千六百日、十年にもなる。 その星に囚われたままで闇の門を出られないと訴える乙姫様に同情して 門から連れ出す約束をしてほんの数日滞在したつもりが 一旦、帰還した地球では何十年にも及んでしまっていて老人になっていた。 それで乙姫様を迎えに行けなくなってしまった』 かれの話はあなたの太古の記憶を呼び覚ますだろうか。 あなたの脳の本能の座、旧い皮質を撃ち、海馬の奥底に染み込んだ この星「地球」に降りる前のあなたの記憶を…。(了) ♪♪音(SOUND)♪♪ 02979/03001 GBG02043 維/YUI RE^3:「炎で書いた物語」最終章8の30 ( 8) 98/09/05 00:52 02976へのコメント コメント数:1 ごみコメで、失礼。(^^;) SOUNDさんの書き込み読んでいて、なんというか「ぐ」っと反応するものが あったんで………。はい…そ、それだけです〜。 98/09/05(土) 00:32 維/YUI(GBG02043) 02995/03001 HQK00566 SOUND RE^4:「炎で書いた物語」最終章8の30 ( 8) 98/09/07 14:18 02979へのコメント 維/YUIさん、こんちにはヽ(^。^)丿 }SOUNDさんの書き込み読んでいて、なんというか「ぐ」っと反応するものが >>あったんで………。はい…そ、それだけです〜。 ぼくには「ぱー」っとひらめくものがありました。  ここでだれかが「ちょき」っと行動すれば岩戸が開くのかも…。 ムスンデ、ヒライテ、ムスンデ、ヒライテ、テヲウッテムスンデ そのあいだにチョキで切るのかも…。 SOUNDでした 02999/03001 QWL11013 金と銀 RE^2:「炎で書いた物語」最終章8の30 ( 8) 98/09/09 01:59 02976へのコメント  金と銀といいます。 あのー皆さん、soundさんの炎に書いた物語の最終章8−30は私としては今まで、 パソ通で最高、ー今までで、これ以上の読解は出ません。感激雨あられ、これからもこ れを越えるものは出ません。これ以上の出来事が地球には存在しないからです。 じつは、soundさんの解読は単なるシッチンの援用ではなく、又は単なる類推では なく、あと4年と半年で実現するからです。ーシッチンは本ではかなり後、うん千年後 に実現すると言っています。そこが違っております。 解読村でNO.2052シリーズで書きましたように、危機は目前です。 何故なら、今、双子座の2人の子供の足で上の子ー北側ーの右足に相当する★の所に今、 見えます。赤い★でボーッぼやけて見えるそうで普通の★のようにピシッと光っていな いそうです。 質量23倍、直径で4倍 海王星より少し大きい。それが太陽と地球の間、地球よりに 1400万マイルの所を通るそうです。ーぶつかりはしません。ニアミスですね。 過去には最近ではモーゼの時です。あのマナが降り、赤いほこり鉄の(粒子)が全土に 落ち、紅海が別れた時です、周期は平均3657年で逆算すれば、2003−3657 =BC1654です。  もうすぐ、観察出来ます、写真でとって日にちを置いて、又、撮り比較すると判りま す。少しですが動いています。しかし、地球に向かって来ているので、動き自体は少し です。これは単なる天文学的事象です。ー神から見ればー地球人にとっては死活問題、 人類絶滅の危機です。しかし1/10位に人口が減るそうです。 もとに帰って、X惑星の件、考えて見られたら判ります、もし、銃弾が自分に向かって きているとしたら、振れは感知しにくいようにです。 2052シリーズを見て下さい。そしてhttp://www.zetatalk.comに飛んで下さい。興 味半分で見てもここのお方には最高とおもいます。 ピラミッドからゼウスーetの解剖の真意までいろいろ盛りだくさんです。膨大な資料 です。 ●それとアリオンはちゃんと我々に知らせて呉れていたのですね。私は何故、そんに重 大な事をふせていたのかと言いました。これは私のはやとちりでした。アリオンゴメン、 すみません。 これを考えるに、やばい情報ですから、米国では天文学者は脅され、JPLメンバー、 UFO研究家など、又、それを発表しようとすれば、事故に見せかけて多数が殺されて いますから。これを心配してくれたのだと思います。ホーグランドはイスタの手先です。 ー新情報。 今の社会の動きは皆、皆無になります。日本の政治の馬鹿さかげん、精神の堕落、温暖 化現象等すべて。ぱあー しかし、サバイバルできます。今から、用意しているとー鉄板付き屋根シェルター密閉 式、酸素ボンベ、食料備蓄、水浄化装置、ガイガーカウンター、換気扇フイルター、衣 服、針、糸、布地、衣服セツト、医療用具、水耕栽培装置、養魚装置、他いろいろ  エルニーニヨー現象は地球のコアの偏りが原因といっています、それに2003年初 夏から逆に3年前から世界的穀物大不作が始まるーどんどんX惑星が近づき、影響を受 け、気候が洪水、干ばつで台風、竜巻などで畑がやられるからだと言います。ー今年の 地球そのものではありませんかーインドネシアの干ばつ、雨期なし、山火事、ペルーの じゃじゃ降り、琵琶湖大の湖の出現、新潟、那須町の洪水、米国の洪水、竜巻地の過激 化、ハリ ケーンの東部直撃、ハリケーンの強大化、南極の氷床のはずれ、深い地震の増加等です ね。年々、激しくなると思います。 そして皆さん、せめてお米、缶詰、乾物、乾麺を買って居て下さい。米袋に酸素を抜い て、二酸化炭素をつめると白米は味が変わらないー古々米も新米にーー小麦もok/ヤ クルト瓶で水浄化ー参考に ps/シスオペ様ーこの発言は5日程で、必ず消して下さい。。●絶対ですよ。!!!          命はまだ、惜しいからね!!! 02997/03001 MHD02672 TAO なんつう奇遇 ( 8) 98/09/07 23:23 02988へのコメント コメント数:1  #02988 さちさん  今晩は+初めまして。(^_^)  スギヤマ  椙山神社って言うと、鶴川にあるあれですか? 私もつい今日、それを知っ  たのですが、ぎょっとしましたよ。だって、学生時代に通っていた某私立大  学に近いのだから…。そうか、言われてみれば、確かにあの付近は(今はど  うか知りませんが)、奈良の三輪に雰囲気が似ています。  奈良の大神神社に初めてお詣りし、三輪山に登拝したのは30代半ばのこと  ですが、学生時代に通っていた場所の付近と、三輪がこんな形で結びつくと  は思いもよらなかったなぁ。椙山神社の御祭神が誰なのか、興味が湧いて来  ますね。椙山神社の近くには「熊野神社」もありますね。  今度行ってみたくなりました。情報をどうもでした。m(_ _)m ペコ  TAO 02998/03001 GBG02043 維/YUI RE:なんつう奇遇 ( 8) 98/09/08 18:59 02997へのコメント TAOさん、まいど。 ☆ は思いもよらなかったなぁ。椙山神社の御祭神が誰なのか、興味が湧いて来 えっと、現在は大物主と、日本武尊になっています。 大物主が先のようです。奈良の大神神社からの勧請だと聞いています。 っといったことで…。 98/09/08(火) 18:55 維/YUI(GBG02043) 02990/03001 PAG03134 はな 不在通知のお知らせ ( 8) 98/09/06 06:56 コメント数:1 当会議室へお越しのみなさまへ この度、私事により会議室を不在にします。 アクセスは今月27日までできません。 会議室をご覧の皆さまには、ご迷惑をおかけします。 留守中は副議長の維/YUIさんが世話役になってくださる予定です。 (座布団干して、お茶は新茶にしといたからね〜>維/YUIさん)      FARION 8番会議室  座布団担当(議長)  はな 02994/03001 HQK00566 SOUND RE:不在通知のお知らせ ( 8) 98/09/06 15:54 02990へのコメント はなさん、いよいよご出発ですか それでは良い旅を! bon voyage! Have a nice trip! sama sama! SOUNDでした - FARION MES(12):■精神世界裏表|どうする日本/世紀末談義 98/09/09 - 03650/03667 MHD02672 TAO 一連の議論について (12) 98/08/30 22:36 03583へのコメント コメント数:1  #03583 BLACK BIRDさん  考えるところがあって(頭を冷やすこともあって)、しばらく発言を控えてい  ましたので、コメントが大変遅くなりましたが、ご容赦下さい。m(_ _)m さて一連の議論についてなのですが、元々は水戸黄門さんと私の議論がいつ  の間にか個人批判という脇道に逸れてしまって、そこから派生したものだと  私は認識しています。その為、水戸黄門さんに対しては非礼を働いてしまっ  たという反省がありますし、BLACK BIRDさんに対しても、私がオーバーヒー  トしている最中のことでしたので、適切とはとても言い難い応答が多々あっ  たと思います。ある種の先入観によって水戸黄門さんやBLACK BIRDさんの発  言を「深読み」して、議論を泥沼に導いてしまった責任は否定出来ませんし、  繰り返してはならないことだと改めて自分を戒めました。  ひいては、大変勝手ではありますが、そもそも私の暴走から始まった一連の  議論については一旦収め、その上で議論を続けたい問題が残されているので  あれば、そこから仕切り直したいと考えています。特にBLACK BIRDさんとの  議論は、お互いに引用部分が多く(長く)なってしまい、却って読む側にとっ  ては読みづらいものになってしまっているように思えましたので、リセット  してなお、議論の対象とされるべき問題が残れば、そこより始める方が良い  かと思いますが、どうでしょうか。  情報提供に伴う自己顕示欲の問題ですが、今は多少考えを改めています。自  己顕示欲自体が悪いと言うより、自己顕示欲の肥大によって、情報提供の在  り方が不適切な形に歪められる方が問題なのだろうと思うようになりました。  情報提供や自己表現に際して、そこに自己顕示という衝動が働くのは自然な  ことでしょう。問題は、情報提供や自己表現(自己顕示)が相手や周囲に及ぼ  す影響、その結果生じたことに対して責任をいかに取るか、ということに考  えを及ばせないことなのだろうと思います。最初は自己顕示欲から始まって  も、それをいかに責任ある言動に変えられるかどうか?ということでは無い  でしょうか。  そういう意味では思い込みによって相手の意図を曲解し、議論を逸脱させて  しまった私の暴走など、悪い好例ということになりますね。そういう意味で  はBLACK BIRDさんとの議論をミスリードしてしまったことを申し訳無く思っ  ています。今後についてはBLACK BIRDさん次第ですが、上述のことをご考慮  頂ければ有り難いです。  12番会議室世話人:TAO 03665/03667 RXB06342 BLACK BIRD RE: 一連の議論について (12) 98/09/07 04:34 03650へのコメント こんにちは>TAOさん > さて一連の議論についてなのですが、元々は水戸黄門さんと私の議論がいつ >  の間にか個人批判という脇道に逸れてしまって、そこから派生したものだと <中略> >  たと思います。ある種の先入観によって水戸黄門さんやBLACK BIRDさんの発 >  言を「深読み」して、議論を泥沼に導いてしまった責任は否定出来ませんし、 >  繰り返してはならないことだと改めて自分を戒めました。 私も適切でない表現をした部分がありその部分に関しては申し訳ないと思っております 後から読むと、私もオーバーヒートしている部分が、よく分かり 恥ずかしい限りですm(__)m >  ひいては、大変勝手ではありますが、そもそも私の暴走から始まった一連の >  議論については一旦収め、その上で議論を続けたい問題が残されているので >  あれば、そこから仕切り直したいと考えています。特にBLACK BIRDさんとの >  議論は、お互いに引用部分が多く(長く)なってしまい、却って読む側にとっ >  ては読みづらいものになってしまっているように思えましたので、リセット >  してなお、議論の対象とされるべき問題が残れば、そこより始める方が良い >  かと思いますが、どうでしょうか。 そういたしましょう 私も引用を短くしたかったのですが、削れる所が少なかったので悪いと思っていても そのままUPてましたから >  情報提供に伴う自己顕示欲の問題ですが、今は多少考えを改めています。自 >  己顕示欲自体が悪いと言うより、自己顕示欲の肥大によって、情報提供の在 <中略> >  えを及ばせないことなのだろうと思います。最初は自己顕示欲から始まって >  も、それをいかに責任ある言動に変えられるかどうか?ということでは無い >  でしょうか。 私もそう思っています、ですから私の方からの疑問点はほとんど無くなったので TAOさんが疑問に思うことがなければ、これで終わりで良いと思います >そういう意味ではBLACK BIRDさんとの議論をミスリードしてしまったことを >申し訳無く思っています。今後についてはBLACK BIRDさん次第ですが、 >上述のことをご考慮頂ければ有り難いです。 たぶん、ついていった人間も同罪ですから、私もお詫びしますm(__)m                BLACK BIRD 03652/03667 GFB00026 一輝 「8・27大雨災害義援金」の受付先 (12) 98/08/31 20:39 ■「8・27大雨災害義援金」の受付先 「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉があります。 8月27日の大雨災害でも、ニュースを見ながら被災者 に対し、何か自分に出来ることはないだろうかと考える ことしばしばです。このたび被災された方々への義援金 の窓口が出来ました。受付は日本赤十字社福島県、栃木 県両支部で開始しています。いずれも郵便振替です。   日本赤十字社福島県支部……郵便振替口座番号02160−5−15001   日本赤十字社栃木県支部……郵便振替口座番号00110−0−2080   通信欄に「8・27大雨災害義援金」と記入すれば振込手数料は無料。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 03653/03667 BYF02610 玉島 見方を変えてみてみると...。 (12) 98/09/02 21:23 コメント数:1 12番会議室のみなさま さん、こんにちは。 世界情勢は、大変なことになってきているようです。 北朝鮮が、日本の領空を越えて(正確には、大気圏外は領空ではないらしいが) これはどのような意図を持って実行に移されたのでしょうか? こんな話があります。ある日本人がフランス(だと思うが)で、ソムリエの世界 一に選ばれ、その後日本では、空前のワインブームが起こり一時品切れの状態が 起こった。 これは実は、ソムリエの大会を開いているワインメーカーが日本にワインを売る ために世界一に選んだのだという説。 また、インドとパキスタンの核開発に対し、国連が問題にしなかったのは、米国 の軍産複合体がこの開発に関与しているためで、イラクに対し厳しかったのは、 ロシアや、フランスが関与していたためではないかという説があります。 今回の北朝鮮の問題も、日本に”TMD”というミサイルの迎撃システムの共同 開発に日本が重い腰を上げなかったため米国が、このような挑発をさせたのでは ないかと勘ぐってしまいます。 日本もそろそろ、米国におんぶにだっこでなく、自国の防衛を自分の手で行うこ とを考えるべきではないかと思います。 この”TMD”というシステムに日本が参加すると日本は損をすると、9/1の ニュースステーションで、超人気の軍事アナリストがいっておりました。 98/09/02(水) 21:04 玉島(BYF02610) 03654/03667 YIW00016 萌木 薫 RE:見方を変えてみてみると...。 (12) 98/09/03 01:20 03653へのコメント コメント数:2 こん**わ、萌木です。 TMD・・・・確か「莫大な費用がかかる」「いつ出来るか判らない」「命中率 が限りなく低い」と言う、どーしよーもない武器でしたっけ? ・・・・開発する意味、無いでしょうが。 弾丸を弾丸で迎え撃つような、こんな防衛方法が、果たして有効なんだろうか? ・・・・とか思うの、私。(武器、兵器にはくわしくないので) また、いつかの戦争みたいにアメリカの挑発にのっちゃうのかしら? 前の戦争について、全て肯定はしないけど(挑発にのっちゃったんだし)前の戦 争とは違う意味で(よーするに、自分に自信を無くして怯えつつ、アメリカの言 うがままになるよーな)軽はずみな事はしないで欲しいなー。 でも、軍備拡張するんなら、アメリカに頼らない方向から模索して欲しいなー。 でも、だんだん「世紀末」らしくなってきて、私はチョットどきどきしている。 ・・・・・・・やな奴だなー。          結構ミギーな萌木 薫 YIW00016 03658/03667 SDI00635 みれ 北朝鮮のミサイルのターゲットは? (12) 98/09/04 11:38 03654へのコメント コメント数:4  こんにちわ、ミサイル・ツリーの皆さま(‥そんなの無い?(^_^;))  ミギーなみれです(^_^)  私は、今回の北朝鮮のテポドン・ミサイルが落ちた場所を見て、恐い連想をし てしまいました。それはあの「六ヶ所村」です。青森県の三沢基地の近くにある 核燃料再処理センターです。あそこが危ないという話は、ARIONからも何度 も聞かされているしテロで狙われて破壊されて核燃料廃棄物(‥って言うんでし たっけ?)が漏れたら、日本全土が汚染されてしまうという風にも聞いた覚えが あります。  北朝鮮は、再度ミサイルを発射するという話をしています‥もし、それが六ヶ 所村に落ちたらと思うと暗澹たる気持ちになります。日本の自衛権は相手国から 国土が被害を受けてからしか発動できないような話をTVで見ました‥でも、そ れじゃ自衛にもならないですよね(・_・、)既に破壊されてからしか自衛権が発動し ないなんて‥。  ついこの間、テロリストを一掃するんだと言ってスーダンやアフガニスタンに トマホーク100発近くを突然打ち込んで予察駆除をしようとしている米国は、 北朝鮮のような国家テロリストをどう扱うのだろうか‥興味があります。  それにしても軍隊を持たない、永久に戦争をしないなんてほざいている国なん て、テロリストにとっちゃ「意のままに操れる馬鹿なやつ」なんでしょうね。そ んな状態の自国の状態を知った上で「テロリストは断じて許すまじ」なんて言っ てる政治家は冗談を言っているに等しいですよ。  力なき理想なんて机上の空論だと高校生でも知ってるのにね。(-_-;)  あーー、情けなくなってきたぞっと。 ★--------------------------★/FARION/SYSOP/みれ(Millenium)SDI00635/★ 03659/03667 GBG02043 維/YUI RE:北朝鮮のミサイルのターゲットは? (12) 98/09/05 01:16 03658へのコメント ☆ 私は、今回の北朝鮮のテポドン・ミサイルが落ちた場所を見て、恐い連想をし ☆てしまいました。それはあの「六ヶ所村」です。青森県の三沢基地の近くにある ☆核燃料再処理センターです。あそこが危ないという話は、ARIONからも何度 あ、あ、あ。私は恐くて言えなかったことを…。 六ヶ所村じゃなくても、日本には原子力発電所が山のようにあって、そのどれか 一つにあてれば、核弾頭いらずなのだという話をどこかの軍事評論家か、自衛隊 関係の人だかがしているのを聞いて、考えれば分かることだけど、なんだか脱力 してしまいました。そういうところに落ちて大惨事になってから、自衛隊出動だ なんて、泣くに泣けないです。 うちの実家の母と電話で話をしていて、地震に洪水に毒物にミサイルって こんなになったら、どこでも一緒だから、せめていつ死んでも悔いの残らない生 き方しないとね…なんて話題になりました。 母は満州から命辛々着の身着のまま無一文で逃げ出したクチですが、 そういう世代は、今回のようなことが起きるであろうことも、頭の隅にはちゃん と入っているのだな…と思いました。 98/09/05(土) 00:55 維/YUI(GBG02043) 03660/03667 MHD02672 TAO RE:北朝鮮のミサイルのターゲットは? (12) 98/09/05 01:16 03658へのコメント コメント数:1  #03658 みれさん+ミサイルツリーの皆様。  日本には50基のも原発がありますが、特に福井県には「原発銀座」と呼ば  れるぐらい集中していますね。ここも標的とされたら…と考えると、自衛の  術を持たない国の悲惨なほどの無防備さが露わに分かってしまいますね。  私個人は、日本は軍隊を持つことに対して主体的な判断と責任を負うべきだ  という意見で、軍隊を持たないことでいかなるリスクを負うのか予想される  あらゆる最悪の状況を想定した上で、敢えて軍備を否定するのもまた、一つ  の道だろうと思います。弄ばれ、滅ぼされるかもしれない運命を覚悟した上  での選択ならば。今の日本は、そういう自覚的な主体性が欠如していること  が最大の問題なのでしょう。  厭戦主義というのは、自分の死を受け入れる覚悟が無ければ本物にならない  でしょう。戦中でもキリスト教系の「エホバの証人」の信者が徴兵を拒否し  て弾圧を受け、殉教者を何人も出していますが、「国のために戦う」ことを  否定することを自分の死を以て貫くのもまた、国のために散って行った英霊  達とは全く対極的なれど、そこに「自分が納得しうる運命」を貫いた魂の剛  毅さを共に見る思いです。ただ、自分の死を受け入れるだけならまだしも、  家族や周囲の人々が殺されて行くのを看過しているだけなのか、という疑問  は残りますが。  日本は自衛隊を曖昧な存在のままにしておかず、きちんと軍隊として格付け  するべきだという意見ですが、だからと言って悪しき前近代性や不合理さを  引きずっていた日本軍をそのまま再現する必要性もさらさら無い。もっと透  徹したビジョンを以て軍隊を構築して行くことが可能な時代なのですから。  人間が人間である限り、軍隊にも「組織としての悪」が生じるのは避け難い  でしょうが、そこに知性の光を当てることは今ではもっと出来る筈です。  −−−  原発や自衛隊、環境問題等あらゆる問題を、為すがままに放置して(やり過  ごして)来たつけがどっと来たような昨今ですが、個人も国も、主体的な運  命の選択を避け続けている限り、奈落を転げ落ちて行くのに任せるしか無い  のは確かです。奈落へ落ちて行くのを分かっていながら何もしようとしない  のもまたその人の自由ですが、転落をくい止めようとする人が少しでも増え  ればと思います。  最近、人生とはいかに納得して最後を迎えられるかどうかなのだ、と思うよ  うになりました。人生の時間が長かろうと短かろうと、また傍目からどのよ  うに見られようとも、本人が納得がいく人生を貫けるか、なのでしょう。  結局奈落に引き込まれようとも、無為に終わろうとも、自分の為し得るとこ  ろまで為そうとする魂には「納得」という不動の拠り所が自ずから生ずるの  では無いでしょうか。  12番会議室世話人:TAO 03661/03667 BYF02610 玉島 RE^2:北朝鮮のミサイルのターゲットは? (12) 98/09/05 17:02 03660へのコメント コメント数:1 TAOさん 初めまして ツリーのみなさまこんにちは > 日本には50基のも原発がありますが、特に福井県には「原発銀座」と呼ば > れるぐらい集中していますね。ここも標的とされたら…と考えると、自衛の > 術を持たない国の悲惨なほどの無防備さが露わに分かってしまいますね。 こわい、こわい、これは本当に怖いことです。 > 私個人は、日本は軍隊を持つことに対して主体的な判断と責任を負うべきだ > という意見で、軍隊を持たないことでいかなるリスクを負うのか予想される > あらゆる最悪の状況を想定した上で、敢えて軍備を否定するのもまた、一つ > の道だろうと思います。 これに関しては、各人の考え方があってしかるべきであると思います。  あくまで持論ですが、例えば私には3人の子供がおり、妻がおります。この家 族を守るためには、いかなる犠牲をも払うつもりがあります。例えば、我が家に 強盗が入れば、我が身を縦に家族を守ろうとするでしょう。もちろん自分より明 らかに強そうな相手でもです。今私は、フィットネスクラブに通い、マウンテン バイクで100キロを超える道を走ったりして、体を鍛えています。防衛のため です。(病気を含めた外敵から)  これはあくまで個人のことであり、もしこれが国家であれば、国民を守るため もっと綿密な計画の元に、防衛に関して策を練るべきであると考えます。 > 厭戦主義というのは、自分の死を受け入れる覚悟が無ければ本物にならない > でしょう。戦中でもキリスト教系の「エホバの証人」の信者が徴兵を拒否し > て弾圧を受け、殉教者を何人も出していますが、「国のために戦う」ことを > 否定することを自分の死を以て貫くのもまた、国のために散って行った英霊 > 達とは全く対極的なれど、そこに「自分が納得しうる運命」を貫いた魂の剛 > 毅さを共に見る思いです。ただ、自分の死を受け入れるだけならまだしも、 > 家族や周囲の人々が殺されて行くのを看過しているだけなのか、という疑問 > は残りますが。  この発言を読んで、今回わたしもRESをせねばと、考えたのですが、宗教と いうものは、本当に素晴らしいもので人間の生きていく上での羅針盤であると思 います。しかし、これによって死人がでたとすれば、それは全く意味のないもの であるどころか、誰かがいった宗教は毒であると言う事になりえます。くそった れです。世界中に様々な宗教がありますが、IRA(キリスト教内の争いであっ たはずですが)しかり、イスラム、オーム、本当の教えの意味を完全に取り違え てしまっている。  今、世界中の人々に必要なことは、自己犠牲の精神です。その心が、小林氏の 戦争論の中には、たくさんかかれていました。昔の日本人には、常識的にあった のではないでしょうか?  自己犠牲と、自分の宗教上の理由でわがままを言うのは違うと思います。どち らが、素晴らしいか言うまでもないことです。 > > 最近、人生とはいかに納得して最後を迎えられるかどうかなのだ、と思うよ > うになりました。人生の時間が長かろうと短かろうと、また傍目からどのよ > うに見られようとも、本人が納得がいく人生を貫けるか、なのでしょう。  この世はあくまで魂の修行の場であり自分の魂のレベルアップのためにがんば らななければならない。この考えでいけば、すべてのものに執着を捨てて、泥棒 が来れば欲しがる物をすべてあげ、右の頬を打たれれば左の頬を出す仙人の暮ら しをせねばならないでしょう。人間の理想はこれです  実際、様々な宗教の開祖は、このような人々であったように思います。もちろ ん現代人である私にできるはずもありませんが。 > 結局奈落に引き込まれようとも、無為に終わろうとも、自分の為し得るとこ > ろまで為そうとする魂には「納得」という不動の拠り所が自ずから生ずるの > では無いでしょうか。 奈落に落ちるのはあくまで個人の自由と考えますが、あくまで人に迷惑をかけな い、欲することをすれどものりを越えない人、北に病気の人あれば、助けにいけ るそんな人にわたしはなりたい。 98/09/05(土) 15:38 玉島(BYF02610) 03664/03667 MHD02672 TAO 透明な眼差しの果てに (12) 98/09/07 00:32 03661へのコメント コメント数:1 #03661 玉島さん  初めまして。(^_^)  自衛の為に備えを予め万全にしておくことは、頭の中では必要不可欠だと分  かっていても、その「いざ」という時までになかなか動かないというのはよ  くあることですが(^_^;)、毒殺愉快犯の跋扈に見るように、今後気を迂闊に  緩められない状況に入って来ていることは確かですね。もう猶予が無いとい  うのが本当なのでしょう。いかなる最悪の状況までも予想しなければならな  くなって来ています。 >> これはあくまで個人のことであり、もしこれが国家であれば、国民を守るため >>もっと綿密な計画の元に、防衛に関して策を練るべきであると考えます。  そういう意味では非現実的な平和主義、軍隊アレルギーに陥っている国民の  意識を何とかしなければならないところですが、『戦争論』が大ヒットして  いるのは、少しでも風穴が開き始めているということかなという感触を受け  ています。小林よしのりの主張に賛否両論姦しいのも、彼の望む通りでしょ  うね(かの朝日新聞も流石に黙殺出来ないのか、社説で言及しましたね)。 >> 今、世界中の人々に必要なことは、自己犠牲の精神です。その心が、小林氏の >>戦争論の中には、たくさんかかれていました。昔の日本人には、常識的にあった >>のではないでしょうか? >> 自己犠牲と、自分の宗教上の理由でわがままを言うのは違うと思います。どち >>らが、素晴らしいか言うまでもないことです。  自己犠牲それ自体は尊いかもしれないのですが、強制することは出来ないと  思います。厭戦主義は、武力によって国を守ろうという立場から見れば卑怯  に見えるかもしれません。しかしだからと言って、立場を違える相手を力に  よって傷付けたり挙げ句に殺したりするのも間違っていますね。宗教上の理  由で戦闘を否定した者をリンチにかけたり、獄死させるのもまた、狂信の範  疇に入ります。自己犠牲とは、狂信の上に為すのでは無く、因果関係と結果  を見定めることが出来る透明な認識があってこそ、人の心に訴えかけるもの  が生ずるのでは無いでしょうか。  徴兵を拒否した者を「非国民」と罵り、或いは身体障害・病身の為に徴兵検  査を通らなかったものを「役立たず」と嘲ったりした当時の風潮は、二度と  繰り返してはならないことです。人が裁かなくとも、最後に天が裁き、そし  て自分自身によって裁かれるものだと思います。  下記の引用は、靖国神社の今月の社頭掲示板に貼られている英霊の遺書から  ですが、何とスケールが大きい遺書かと感服させられました。著作権に引っ  かからないかどうか不安ですが、取りあえず下に挙げます。  ***  真ノ悦ビトハ  陸軍中尉 豊島D郎命  昭和20年9月23日  北海道網走市南一条出身  沖縄本島にて戦死 23歳  真ノ悦ビトハ何ゾ 眼ノ光二アヒテ悦ブガ如キ感情ナリ  淡々トシテ執着ナキ境二真ノ悦ビハ湧ク  余ノ死ハ余ノ最後二非ズ 生命ノ深キ流レハ生死ノ問題ヲ超越ス  国家モ家モ戦争モ文化モソノ基底ヲコノ生命ノ流レ二存ス  コノ生命ノ永遠ナル流レ二直面シテ打タルル生ヘノ畏敬ノ情コソ  余ノ倫理ノ根底ヲ成ス コノ畏敬ノ感情ハ余ヲシテ人生二対スル言ヒ知レヌ  悦ビヲ感ゼシムルモノナリ  海までは海女も身の着る時雨かな  ***  沖縄は、日米両軍が唯一の地上決戦を交わした場所でしたが、死者数の内訳  は下の通りになります(推定数)。  日本兵   九万四千(うち沖縄人出身者 三万)  沖縄民間人 九万四千  米兵    一万三千  #沖縄はこの戦闘で人口の三分の一を失ったとされます。  原爆も無く絨毯爆撃も無かった地上決戦で、戦闘員と非戦闘員の死者数が殆  ど等しいというところに、沖縄戦の悲惨さを思い知らされるのですが、その  最中に、一見悲惨でしか無い戦争さえも「生命ノ深キ流レ」に存すると言い  切る、このような遺書が遺されていたのは驚きです。  自己犠牲には、本人の深い「是」が無ければなりませんが、誰にでも強要出  来るものでは無いこと、それを為さないからと言って安易な非難に走るのも  また潔くないことと弁えてしかるべきでは無いでしょうか。結局は自分自身  が決断するべきことなのですから。  12番会議室世話人:TAO 03667/03667 BYF02610 玉島 RE:透明な眼差しの果てに (12) 98/09/09 14:15 03664へのコメント TAOさん こんにちは > 自己犠牲それ自体は尊いかしれないのですが、強制することは出来ないと > 思います。 確かに!!!  でもここで論点の、私自身の勘違いがありました。 TAOさんは、組織としての悪を、私は個人の理想について同じ土俵で話していた ようでした。  確かに自己犠牲を組織として強制すればそれは良くないでしょう。  日本の「和を持って貴しと為す」という性格上,悪い方にいくととことん言っ てしまう.  だが、ここで考えておきたいのは、例えば戦時中、旧日本軍という組織がやっ たことは、すべて悪いことばかりでなく、良い事もあったということです。 それが戦争なんでしょうから  戦争といえば、こないだ富士の演習場で、陸上自衛隊の公開訓練があって、私 の知り合いが見に行ったそうです。もちろん演習ですから、通常兵器ばかりだっ たそうですが、それはすごい破壊力だったそうです。  もし、北朝鮮が攻めてくれば、それに乗じて他国(中国やロシア)も攻めてく るでしょうから、この日本のふつうの場所が戦場となるのでしょう。家なんか、 中古、新築の区別なくどんどん壊されていくでしょうし、こりゃー住宅ローンな んか払ってる場合じゃないなー。 98/09/08(火) 15:49 玉島(BYF02610) 03662/03667 CQK00164 白石 洋行 力無き… (12) 98/09/05 23:40 03658へのコメント コメント数:1 みれさん、こんにちは。「道を探す者」白石 洋行です。  ふと、「力無き正義は無力なり。正義なき力は暴力なり。」という言葉を 思い出しました。私がこの言葉を知ったのは、小学生の頃(多分)に読んだ、 幼年誌の「コロコロコミック」か「コミックボンボン」に連載されていた、 「少林寺拳法」を題材にした漫画で、です。手持ちの資料によると、 少林寺拳法の開祖の言葉だそうです。 注:「少林寺拳法」の「少林寺」は中国の「嵩山少林寺」ではなく、香川県の   「金剛禅総本山少林寺」です。その源流は「嵩山少林寺」にある様ですが。                     written by Shiraishi Hiroyuki 03666/03667 BYF02610 玉島 RE:力無き… (12) 98/09/09 14:14 03662へのコメント 白石さん こんにちは >「力無き正義は無力なり。正義なき力は暴力なり。」 今の日本と、北朝鮮のような...。 とりあえず日本を正義と仮定して 98/09/08(火) 17:47 玉島(BYF02610) 小天使達は「無ですか‥でもそれって!?」と真顔で天使長に‥ ID Name (handle) Send VFE12121 凡人 OFF - FARION MES( 6):★メッセージ |ARIONの言葉を巡って 98/09/12 - 04082/04084 KFQ02761 しまうま RE^2:メッセージ ( 6) 98/09/11 07:25 03993へのコメント コメント数:1 #03993 水戸黄門さん  どもどもです(^^)。 |天使長は「邪まなる者、悪念に変化してもその程度か!」と一喝 | |そうかあ。悪念も「その程度」というのがあるんだ。 |悪念を持つなら徹底的に悪くならないとね・・・。  うーむ、今更ながら「そうなのかも」と思いました。 |98/09/02 天使長は頭上を指差した‥そこには見事な天井画が描かれていた |98/09/03 天井画には、天国と地獄が描かれていた‥小天使達はじっと眺めた |98/09/04 天使長は「この絵には天国と地獄と呼ばれる図柄がある」と言った |98/09/05 「天国と地獄の絵柄の間に、鼠色に霞んだ箇所があるだろう?」 |98/09/06 と、ぼやーっと鼠色に霞んだ絵の箇所を指差して天使長は言った。 |98/09/07 小天使達は天井絵を見上げて、鼠色に霞んだ箇所に見入った‥。 |98/09/08 鼠色の箇所の一部には、人が大きな渦に呑み込まれる様子が‥ |98/09/10 「霊魂達は、あの渦に呑み込まれた後は?」と小天使達は問うた。 |98/09/11 「渦に呑み込まれた後は【無】に帰す」と天使長は静かに言った  上記は「天国と地獄の間にある“灰色に霞んだ箇所”に呑み込まれた霊魂は 【無】に帰す」っていうメッセージもあったですよね。  要するに「天国の霊魂」も「地獄の霊魂」も、それなりの存在価値があるの でしょう。が、天国とも地獄ともつかないところをウロウロしている魂には存 在価値がない。だから灰色の渦に飲み込まれて【無】に帰す、と。  思うに、「良心の呵責を感じる人」は、素直に天国行きを目指すしかないと、 そういうことかな。中途半端に悪ぶって地獄の方に寄っていくと、灰色の渦に 飲み込まれる。  地獄にいる人たちっつーのは、そもそも「良心の呵責」など無いのかもしれ ない。  偉大な芸術家というのは、得てして周囲の人を平気で踏み台にし、不幸にし て、その犠牲の上に自らは偉大な芸術作品を残す、ということをやっていると 訊きますが、案外そういう人というのは「地獄の人」なのかもしれません。  前に、こんなARIONのメッセージがありました。 ====================================================================== | * 白 | | * 黒 | | * 白であり黒でもある | | * 白であり黒でない | | * 白でなく黒である | | * 白でも黒でもない                 (93/02/18「全てのこと、全ての者…」) ----------------------------------------------------------------------  nifty:FARION/LIB/1/18 ARION01D.LZH 世紀末書込み寺01 #751-999 より ======================================================================  うーむ、「白=天国」「黒=地獄」とすれば、そのどちらにも属し、そのど ちらにも与せず、そのどちらをも知り、そのどちらにも執着せず、そのどちら でもない、かといってその中間にいるわけでもない……という状態を思い浮か べます。  かなりエネルギーの高い状態ですね。というか、エネルギーが高くないと維 持できない運動ですね。  関連のありそうなメッセージを引用してみます。 ====================================================================== |・あなたがたは全てのことに関して「白黒」「善悪」「勝ち負け」という風な | 二元論的なものの見方をする傾向が強くなっているが、 | これからの世の中は、このニ方向性の判断力だけでは量れなくなるだろう。 | | このニ方向性の力だけでないものの見方をするには、双方を認めるではなく | 双方ともに一旦、自分から引き離して置く、ということが大切だ。 | こうすると、あなたがたは「不安定」な気分に陥りやすいが、ここで出来得る限り | 踏み留まって「ジッ」と観続けることが必要だ。 | | どちらも認めるのではなく、どちらも否定するのではないと言うと、 | あなたがたは「中立」という言葉を思い浮かべて、出来る限り「白」にも「黒」に も | 遠い離れた地点に居ることが正しいと思うのが常であるが、 | これは少し違う。 | | 本当は「白」にも「黒」にも至近距離であること、なのだがこれは未だ少し難しい | ことだろうと思う。いずれ詳しく説明しようと思う。 | |・問題点を鋭く観察しつつ、そしてそれに対して瞬間瞬間に自分がどう観じるか?を | 表現しつつ、しかも「白」にも「黒」にも立脚点を置かないこと。 | これは難しいことであるが、やってみるだけの価値はある。 | 先ず最初は「感情的にどちらかに組する」ことを、避ける程度で良いのだが。               (93/01/28「ARIONより心ある者達へ」) ----------------------------------------------------------------------  nifty:FARION/LIB/1/17 ARION01C.LZH 世紀末書込み寺01 #501-750 より ====================================================================== ====================================================================== |>私は自我とは、個人の精神・心・身体を統合する心の核としてとらえていますが、 |>ARIONさんはどのような意味で、自我という言葉を使われたのでしょうか? | |ほぼ、あなたと同義で使っている。 |そしてこの「心」の核は、同時に「魂」とか呼ばれていることもある。 |この「心」の核の部分は、「こちら側」と「あちら側」の両方に跨がり、 |且つ、そのどちら側でも無い。 |この「心」の核に触れる時に、第3の道が見えてくる。 |この第3の道は果てし無く続く、終わりも始まりも無い道なのだ。                (91/08/15「ARIONよりQ・ka・kaへ」) ----------------------------------------------------------------------      nifty:FARION/LIB/1/5 ARIONM1D.LZH 書込み寺1#301-400 より ======================================================================  今日のHMは、こうでした。 |98/09/11 「渦に呑み込まれた後は【無】に帰す」と天使長は静かに言った  【無】といえば、こんなメッセージもありました。 ====================================================================== |私の関知する【無】は、あなたの考えとは異なるかも知れないが、 |そこのところを了承しておいて貰いたい。 | |【無】は、創造や破壊のエネルギーと同じくエネルギーを消費するが、 |そこから何も生まれださず、そこから何の破壊も起こらない。 |【無】は、質量を持たない。 |【無】は、エネルギーを消費するが、いかなるエネルギーでも無い。 |通常エネルギーが消費される時に起きる、いかなる科学変化も無い。 |【無】は空っぽでは無いが、満たされたものでも無い。 | |説明すればするほどに、理解困難になると思う。 |それは【無】というものが、説明できるような性質のものでは無いからだね。                (92/03/13 「ARIONより宇宙猫へ」) ---------------------------------------------------------------------- nifty:FARION/LIB/1/12 MGH00465 ARIONM3B.LZH 書込み寺3 #201-400 より ======================================================================  両端に、創造の極みと破壊の極みがある。  真ん中に、無がある。  +−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  破                          創  |           【無】            |  |                          |  壊                          造  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  |                          |  +−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+  こういう1枚の紙を丸めて、両端がぴったり合うような形で筒状にする。  すると、筒のあるラインは【無】、その正反対側のライン(紙の合わせ目) が「創造と破壊の極み」。  ARIONが『「白」にも「黒」にも至近距離であること』と言っているの は、この「創造と破壊の極み」に居よ、ということなのかもしれません。  どうも、例の「金属バット殺人事件」の父親は、この創造でも破壊でもない 【無】の住人であるように思えます。 しまうま(KFQ02761) 04084/04084 KFQ02761 しまうま RE^3:メッセージ(一部訂正) ( 6) 98/09/11 14:49 04082へのコメント  #04082 に、意味の通らない一文があったので、訂正させてくださいm(__;)m。 [訂正前] | 上記は「天国と地獄の間にある“灰色に霞んだ箇所”に呑み込まれた霊魂は |【無】に帰す」っていうメッセージもあったですよね。 [訂正後] | 上記は「天国と地獄の間にある“灰色に霞んだ箇所”に呑み込まれた霊魂は |【無】に帰す」っていう意味のメッセージですよね。  どうも失礼しました〜。 しまうま(KFQ02761) - FARION MES( 8):■予言・預言 |あなたも解読に参加! 98/09/12 - 03002/03003 CQW00576 ルキア   RE3:自分で消せますよ(^。^) ( 8) 98/09/10 23:30 03001へのコメント コメント数:1 #2999>金と銀さん |実際に#2999の発言をされた金と銀さんに、命を失うような危険が訪れるのかど |うかは私は判断できません。 維/YUIさんのおっしゃる通り、 #2999の発言を載せた為に 金と銀さんが命を失う様な危険が訪れるとは思えません。 危険が訪れるとしたらとっくに私は消されているはずなんだけど、 御覧の通りぴんぴんで書き込みをしています。 この解読作業が敵にとって都合が悪ければ、 FARIONに参加している人々をみんな消さなければいけない。 さらに敵が完璧に消そうと思えば、みれさんをはじめ、他の会議室長の方々も 全員命がなくなるわけですが、皆様は元気でやっているでしょう? ホームページで脅しがある事、消された人がいた事を インターネットで公開しているようですから、   その情報は世界中の人々も読んでいます。 そんな事を知られたくなかったら、敵がホームページを潰せばすむ話です。 そうすれば金と銀さんが情報を知る事は出来なくなります。 命がなくなる事を気にする時間があったら、 有効な情報をFARIONでどんどん流すべきだと私は思いますね。                                ルキア 03003/03003 GBG02043 維/YUI RE:RE3:自分で消せますよ(^。^) ( 8) 98/09/11 23:21 03002へのコメント やっほ〜、ルキアさん。 ☆|実際に#2999の発言をされた金と銀さんに、命を失うような危険が訪れるのかど ☆|うかは私は判断できません。 ☆ ☆維/YUIさんのおっしゃる通り、 私は、「判断できない」って言ったんだよ。 ☆#2999の発言を載せた為に ☆金と銀さんが命を失う様な危険が訪れるとは思えません。 だから、上の件については、「訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない」 っていう意見なのです。 ただ、言えることは、私にはなぜあの書き込みをすると命をねらわれるのかが 文章からは読みとれなかったということ。 どういう書き込みをするかは、それぞれの良心と魂の判断によって 行われるべきだと感じます。それならば、書き込みの責任は自らが負うことので きるものになるはずだと思います。 98/09/11(金) 16:53 維/YUI(GBG02043) - FARION MES(12):■精神世界裏表|どうする日本/世紀末談義 98/09/12 - 03668/03693 GFB00026 一輝 『昭和の戦争責任論』を前に……。 (12) 98/09/11 00:36 コメント数:1 ■『昭和の戦争責任論』を前に……。  我が国の頭上に隣国からのミサイルが飛ぶという、黒船以来の未曾有の軍事的 脅威を前にして、ますます時代は幕末に似た凋落状況を呈しています。あの日の 深夜に於けるTVは特別番組をやるでもなく、相変わらず何事も無かったかのよ うな若者向けの痴呆番組ばかりでした。3年前のオウム事件ほどの差し迫った緊 張感も無く、あたかもあの事件から何ひとつ学ばなかったかのような、危機意識 の麻痺した、そんなどうしようも無さだけが、いずれの番組からも滲み出ていま した。  幕末に発した「尊皇攘夷」という概念は、元々は「尊皇」と「攘夷」と個別に 発生したものでした。この概念の反対に位置する「佐幕」と「開国」も個別に発 生しています。私の個人的な見解では、このやがて入り交じった4つの概念のう ち「尊皇」と「攘夷」とを結び付けた志士(吉田松陰など。ただし彼は加えて「 君」と「僕」という「公」に対比する言葉を最初に使った)が現れてから、歴史 を変える何らかの巨大な磁力が発生したように見受けられます。  北朝鮮からのミサイルや外資の迫る「現代にとっての攘夷」とは、外国船打ち 払いでは時代錯誤というものです。今までの自分さえ良ければいいという思考を 超え公共心を取り戻し、「オレも日本なんだ」という意識を持って考え行動し、 外国から学ぶべきものは学び、問題点は吟味の上に唾棄し、自己と日本(社会) を同時に改善してゆく。その途上で、これまでのように媚びることなく、国とし て毅然とした態度を内外に示すことだと思います。  ところが「現代にとっての尊皇」とは何かと考えてみると、正直に申し上げて 私には未だ解答を見い出せないでいます。では、幕末の人々は「尊皇」について 一体どう思っていたのでしょう。歴史資料を繙いてみると、武士階級でさえも現 代の私たちのように、ピンと来ない状態であったということがわかります。  江戸時代の人々にとっては藩主が戦前の天皇的存在であり、決して「尊皇」が 当たり前の社会ではありませんでした。幕末という時代に於ける志士の登場は、 日本という国の歴史と天皇という存在の再認識を促し、社会観の一大改革をもた らしたのです。  そして今、健全な愛国心を取り戻そうとすればするほどに「天皇に関する問題 」は目の前に立ちはだかり、踏み絵のように避けて通ることが出来ないような印 象が私にはあります。皆さんはいかがでしょうか。  今年の始め、当会議室世話人の TAOさんから、「『何故、日本に天皇が必要な のか?』という設問に、積極的な意義付けを見い出せないままなので、他の方々 の意見や本音も聞いてみたい」という提案がありました。この天皇問題は、新し い歴史教科書を作る会内部でも未だ論じられていないという話を関係者から聞き、 やはり会議室で論じるのは、まだ時期が早いのではと思っていました。  ところが小林よしのり氏の『戦争論』を読んでから、これから皆さんに紹介す る藤井政美氏の『昭和の戦争責任論』を改めて読んでみたところ、天皇賛美を差 し引かずとも頷く部分が多く、言い換えれば『昭和の戦争責任論』から「天皇」 を差し引くと『戦争論』になってしまうことに気付きました。  『昭和の戦争責任論』は、恐らく当会議室で初めて語ることになる「天皇問題 」でしょう。これは「天皇問題」についての何らかの解答というよりも、GHQ 情報統制時代から自主規制してきた、私たち戦後日本人への問題提起として、あ るいは「現代にとっての尊皇」とは何かを、考えるきっかけとなれば幸いです。  なお、この『昭和の戦争責任論』の会議室への転載は、福岡偕行会(偕行会と は陸軍士官学校及び陸軍幼年学校出身者の会)常任理事の菅原道之氏(九州陸士 57期生世話人)の御厚意によるものです。菅原道之氏、並びに約半年がかりの転 載作業に取り込んだ TAOさんに感謝致します。  皆さんからの御意見・御感想をお待ちしております。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 03669/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 序 (12) 98/09/11 00:38 03668へのコメント コメント数:1  贈呈の辞に代えて  戦後の連合国側によるゆがめられた昭和史が、日教組や、左翼の資金と思想 に動かされたマスコミを通し国民に押付けられた結果、戦後四十余年を経た今 も日本人自身の中に、日本が一方的に米国に戦争を仕かけたとか、昭和天皇に 開戦の責仕があるとかいう全く誤った宣伝を今なお事実と信じている日本人が 多いことを私は実に残念に思っていました。  今般、昭和天皇崇敬会を通じ藤井政美先生のご著作を入手熟読し、これこそ 正に私共が希求していた正論であり、最近までに日米の現代史研究者の問に認 知されてさた正しい事実を論拠として日本悪人論の非を明らかにし、正しい昭 和史、特に「日米の何れが開戦を誘発したのか」「昭和天皇が如何に平和主義 者であり戦争防止、終戦に献身的に努められたか」を明らかにした名著である ことを知り、全国民、特に誤った教育を受けてきた青少年に是非読んで正しい 昭和史を知ってもらいたいと思い、著者にお願いして本書を増刷させていただ いた次第であります。  殊に本書は、長大でない論述の中に著者の現代史研究者としての叡知と熱意 が結晶しており、天皇が終戦を命じ得たならば、開戦を止めさせることも出来 た筈ではないか」という大衆の俗耳に入り易い反論がいかに間違っているかを 科学的に論述したものとして、我々昭和史研先者にとっても、実に稀有な迫力 を持っているものであります。  蓋し著者がその歴史上の知識のみならず、お若い頃近衛師団に在って身を以 て得られた戦時中の御経験と確信あってこそ、我々が説くべくして説き得なか った要点を信念を以て説くことが出来たものと推察申し上げる次第です。  欧米の史家も今や認めるに至ったルーズベルトとハルを頂点とする当時の米 国政府の戦争挑発と対日圧迫や、昭和天皇が徹頭徹尾平和主義者であり、御身 を捨てて全責任を負い終戦して国民を救おうとされた事実、更には復興を確信 されて全力を傾けられた極限までのご努力などを、マッカーサーが言った様に 「日本の多くの人々が未だに知らない」ことは実に残念なことです。  例えば、東京裁判で十一人の判事の殆どが欧米人である中で、東洋人のイン ド代表パール判事が死の危険をも顧みず唯一人、「全員無罪」を主張し、「こ の様な苛酷な最後通牒(ハルノート)を突きつけられては、モナコの様な小国 と雖も銃を執って立上らざるを得なかっただろう」と述べた堂々、理路整然と した正義の判決文は、未だに日本の新聞紙上には載らず、戦勝国側が一方的に 下した十人の判事による全く不法な判決文のみが全文報道され、国際共産党の 蔭の資金に魅せられた戦後のマスコミが之に拍車をかけた結果、この誤った報 道が日本人の大衆の頭の中に定着し、日本人の中に、戦後四十余年を経た今で も東条氏以下を本当に犯罪人の如く思っている人が多数ある実状です。  大きな歴史の流れや歴史上の諸事実を知らず、自分の祖国日本が悪い国だと か、嘗て世界史上にも前例のなかったような平和主義者の帝王を開戦責任者だ とか思わせられていたのでは、若い人達に祖国日本に対する真の愛国心が湧き 難いのも当然です。  幸い最近に至り共産主義国家群は遂に自壊し始め、ソ連も自国経済すら保て なくなり、日本の左翼破壊分子やマスコミを煽動するどころではなく、ソ連共 産党の対日思想工作資金も激減してきました。この天与の機会を捉えて、真実 の昭和史を普及して若い国民に正しい歴史観と自信とを取戻してもらいたいと 切望して、本書を贈呈しご協力をお願い申上げる次第でございます。  止むに止まれぬ愛国心より本著を執筆され、私どもに快く無償にてご著書の 複製をお許し下さった著者藤井政美先生に深い感謝の意を捧げます。                          平成三年四月二十九日                           昭和天皇崇敬会理事                             石垣 敬義  改版に当って  昭和天皇崩御の前後、俄に天皇の戦争責任について論じられるようになった 平成元年十一月のある日、某君から、憤慨の言葉とともに、明確な理論の裏付 けを教えてほしいという電話を頂戴しました。  これまでも、皇室に関する小文は書いたことがありますが、「昭和の戦争責 任」となるとたいへん大きな問題で、到底私のような者のよくするところでは ありません。しかし、書けませんと兜を脱ぐのも残念であり、これを機会に頭 の中を整理してみるのも一法かと考えて、約十ヶ月かかって漸く脱稿しました。 正確な事実を集めようと、内外の資料を探究すればする程、先帝陛下の純一無 雑、誠実一途な御人柄と、開闢以来初めて経験する敗戦の際の御苦衷が改めて 痛感され、何度か涙にむせんで筆が滞りがちとなりました。  私は元来歴史学者でも評論家でもなく、市井の平凡な一国民に過ぎません。 従って、自分なりに苦労して書いたこの文章も、前記友人等数名の人に見ても らい、その上で子や孫への遺言として、僅かばかりコピーして終りにするつも りでした。ところが親友から、なんとか自費印刷しないかと勧められ、ついそ れに乗って若干部印刷して身辺の人々に配ったところ、予想もしなかった反響 があって、三部、五部と要望が続き、たちまち手元の冊子がなくなり、更に増 刷する結果となりました。百部、二百部という希望に対しては、著作料などは 全く要らないから所要の部数を印刷して下さいと言って、原版を預けてある印 刷会社を紹介しましたが、それも相当部数に達したと聞さました。  そのようなときに、石垣敬義氏から千部のご要望があり、更に続いて一万部 印刷して各方面に寄贈したいというお申し入れがあって、感激を通り越して、 ぴっくり仰天した次第でした。一人でも多くの人に読んでいただけることは筆 者冥利に尽きることで、これ程嬉しく有難いことはありませんが、果たしてこ の拙文がそれに価するだろうかと忸怩たるものを覚えながら、若干の修正、附 加をして此の機会に改版することに致しました。  もともとこの作文は、若い人々が理解できるようにというつもりで書いたも ので、出来るだけ平易な字句を用い、なるべく難しい理論を避けて事実を伝え ることに主眼をおさました。文中若干の意見も含まれておりますが、これらは あくまで個人の見解に過ぎませんから、当然のことながら異論のある方もある と思います。どうか、このような見方や考え方もあるという、おおらかなお気 持ちでお読みいただければ幸いに存じます。  末筆ながら、私の拙い文章を、私財を投じて増刷普及を図られた方々、とり わけ万を算する部数を印刷配布していただいた石垣氏に対して、深甚なる感謝 の意を表します。   平成三年八月一日                            著者 藤井 政美  再増刷にあたって  本書は冒頭石垣理事の「贈呈の辞にかえて」のご説明のように我々が衷心よ り感銘するものでございまして、更に汎く皆様方にお読みいただきたいと思い 茲に再増刷を考えた次第でございます。  猶著者には、平成4年3月23日直接電話でご承諾を得ており石垣理事には平 成4年3月27日崇敬会事務局を通して増刷についての了解を得ておりますこと を附記致します。                          平成四年四月二十九日                           福岡偕行会常任理事                               菅原 道之 03670/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 一 (12) 98/09/11 00:39 03669へのコメント コメント数:1  第一章 はじめに当って  ・天皇の戦争責任とは何を指すのか  ・歴史とその時代背景  ・天皇と憲法と政治  ・天皇と帝国陸海軍  ・戦争を忌み嫌われた歴代天皇  第二章 大東亜戦争の原因と経過  ・海外発展と白人世界  ・明治維新と富国強兵策  ・貧乏国日本の活きる道  ・建前と本音、歴史は裏面史で作られる  ・泥沼の支那事変とルーズベルトの思惑  ・日米交渉の経過  ・窮地に立つ日本に与えられた選択肢  ・白紙還元の御諚とアメリカの最後通牒ハルノート  ・真珠湾奇襲は騙し討ちだったか  ・帝国陸海軍の体質と戦争指導  第三章 終戦と復興発展  ・終戦前夜  ・マッカーサー元帥との御会見  ・戦勝国アメリカと雖も抹殺できなかった天皇  ・国民救済の為、御物の放出を御決意遊ばさる  ・熱狂的歓迎を受けた全国御巡幸  ・国際親善のため訪欧、訪米の途に上らせ給う  ・日本復興の原動力は 天皇陛下であらせられた  ・大東亜戦争の戦争目的と結果  ・俗にいう『天皇人間宣言の詔書』と『現人神』  第四章 むすびの言葉 第一章 はじめに当って  【天皇の戦争責任とは何を指すのか】  昭和天皇の崩御に前後して、俄に天皇の戦争責任問題が国民の一部(あくま で一部である)に起こり、何事によらず事件に飛付き、針小棒大に報道するマ スコミの好餌食になりました。終戦直後は別として、その後久しく論議されな かったことが、何故今頃になって思い出したように言い出されたのか、理解に 苦しむものがあります。まして、先帝陛下が重態の御病床に坤吟遊ばされてい るとき、恰も重病人に鞭打つが如き某市長の発言は、公的立場にある者として、 その人格と人間性を疑わざるを得ません。  さて、一口に天皇の戦争責任と言っていますが、戦争を始めた責任か、早く 止めなかった責任か、または敗戦の責任なのか、このところが判然としており ません。  戦争を始めた責任ならば、苦から喧嘩両成敗で、相手国大統領ルーズベルト にもその責任があり、日米双方が追求されなければなりません。蛮地の首狩り 族の争いならばいざ知らず、文明の大国が一国の運命を賭けて戦争するからに は、双方にそれなりの理由があり、因って来たる原因がある筈であります。戦 後の歴史では、日本が一方的に仕掛けた侵略戦争となっていますが、それにつ いては後に述べるとして、若し仮にそうであったとしても、何故日本が開戦に 踏み切らなければならない立場に追い込まれたか、誰が追い込んだかを追及し 裁かれてこそ、公平な裁判と言えると思います。  また、早く止めなかった責仕と言っても、これまた相手のあることであって、 敗色濃厚となった場合でも、少しでも有利な条件で終結に持ち込みたいと画策 するのが当然であり、情況に係わりなく「負けました」と白旗を掲げることこ そ無責任ということになります。  敗戦の責任と言うならば、勝っていたら責任の無いことになり、臥薪嘗胆国 力を養って次の戦争に勝てばよいわけで、それでは永遠に復讐ごっこの繰り返 しになります。『勝者が正しい』という理論は、それこそ「勝てば官軍、負け れば賊軍」の思想そのものであって、勝者は常に正しく、敗者は総てが悪いと う、言い換えれば「力は正義」ということになります。  次に、責任追及と言うが、どういう形で責任を取られたいと言うのでしょう か。戦国時代や封建時代じゃあるまいし、まさか切腹まで要求しているわけで はないでしょう。それでは譲位を言っているのか、または、国民の前で頭を掻 きながら「ご免なさい」と言って欲しいのか、ただ漠然と「戦争責任」と言う ばかりで、具体的なことは少しも判りません。  そもそも戦争は裁判によって裁かれるべきものなのでしょうか。俗に正義は 国の数だけあると言われますが、戦争はその国の主義主張(正義)を相手国に 認めさせる最後の手段として、全世界が容認してきたものであり、国家非常の とき一身を顧みず戦場に赴くことは、その国の国民としての義務であり、美談 でさえもありました。『万国陸戦法規』というものの存在が、戦争を美化奨励 しないまでも、已むを得ない場合の最後の手段として認めていたことの裏打ち と言えます。国が異なり人種が違い、それぞれの主張(正義)に違いがある限 り、地球上から戦争がなくなることはないでしょう。それは、あれ程の大きな 惨禍を経験しながらも、第二次大戦後銃声を聞かない日は一日としてない現実 が如実に物語っております。  第二次大戦後世界には、『戦争即罪悪』という思考が生まれました。それは 人類の一つの進歩でもあるでしょう。苛烈な戦争を体験した日本人は、戦争を 罪悪とし、戦争を嫌悪する気持ちが、どこの国民より強いものを持っておりま す。しかし、大東亜戦争については、日本即悪者という観念から脱却しており ません。それは『敗戦国即悪玉、戦勝国即善玉』という極東軍事裁判思考に洗 脳された為であることに気が付いておりません。  戦後連合国の行なった軍事裁判は、裁判という名目に名を借りた報復以外の 何者でもなく、連合国の戦勝気分を満足させる為の茶番劇でしかありませんで した。軍事裁判、殊に極東軍事裁判が誤りであったことは、今では世界の多く の識者の認めているところであります。戦後数多くの戦争が起き、また、現在 も毎日どこかで戦われておりますが、その後軍事裁判が開かれた例がありませ ん。  さて、『昭和天皇と戦争責任』を考えるには、先ず、『天皇と憲法』『天皇 と日本軍隊』との関係を考えなければならず、また、満州事変以来の戦乱が何 故起こったかを知らなければなりません。それを知る為には、明治維新以来の 日本の歩みを抜きにして語ることができません。大変迂遠のようですが、その 概略を述べて本題に移ることにします  【歴史とその時代背景】  前述のように 「勝てば官軍、負ければ賊軍」の極東軍事裁判思考が、戦後 の歴史の主流になって久しく、多くの日本国民はすっかりこれに洗脳されまし た。  古来、敗戦国の国民は戦勝国に対して復讐の念を燃やし、いつの日にかその 恨みを晴らそうとしていたことは、欧州興亡の歴史や、日本の戦国史でも明ら かであります。これを恐れたアメリカは、極東裁判に於いて、戦争を始めたの は日本軍閥であり、連合国も日本国民も、等しくその被害者であるという理論 を宣伝しました。アメリカが進駐してきたら、男子は去勢され女子は犯されて、 日本民族は絶威させられるという流言すら囁かれていたことを覚えておられる でしょう。その時に、国民は悪くない、悪いのは軍閥だという連合国の巧妙な トリック宣伝は、内心恐れ戦いていた国民に安堵感を与え、いとも簡単にその 謀略に引っ掛かってしまったのです。事変や戦争中、米英討つべしと、過激な 論調で国民を鼓舞し、大東亜戦争を支持していた新聞も、一転して軍閥攻撃の 急先鋒となりました。占領下にあっては、これも已むを得ないこととは言いな がら、戦後後四十年を経た今日、尚この論調を変えておりません。  歴史は百年を経なければ正鵠を期し難いと言れておりますが、戦後四十年に して識者の間で漸く真実が語られはじめているのは喜ばしいことと思います。  大東亜戦争は既に歴史の中に入りました。いや、今という瞬間が過ぎれば総 て歴史であり、私達は祖先以来の歴史を土台とし、日々歴史を作り、そしてこ れを次代に伝えているのです。歴史を見る上で大切なことは、それぞれの時代 背景を踏まえて考察することであります。  赤穂浪土の討ち入りは、現代では殺人集団の暴行になりますが、今に至るも 人々の心を打っているのは、主君の仇を討つということが、その時代に於ける 道徳であり、四十七士が身を以てその道徳を実践したからに外なりません。  封建制度がよいと言う人は、現在では一人もおりません。しかし、戦乱に明 け暮れた戦国時代に終止符を打ち、戦争のない平和な世にするには、立憲君主 制や議会政治などを全く知らなかった時代に、家康には封建政治以外に選択の 道はありませんでした。  一旦国を挙げての戦争に突入した以上、それに賛成であると否とにかかわら ず、戦勝に向かって邁進するのは、国民としての当然の務めであり、それが当 時に於ける道徳であります。特別攻撃隊が一身を顧みず敵艦に突入したのは、 当時の日本人の最高道徳であり、末代までも語り伝えなくてはならない日本精 神の精華であります。  戦後、戦争に協力したのが間違いであるとか、あるいは自分が戦争に協力し なかったことを得々として自慢する者がおりますが、それこそ、その時代の国 民道徳を実践しなかったことを自ら白状しているものであり、国民としての義 務と責任を放棄した恥ずべきことであります。その時代の道徳を踏むことがで きなかった者が、どうして今の時代の道徳を守ることができましょうか。  前に述べましたように、私達の祖先や先輩は、その時代々々に於ける情勢、 思想、理念、道徳などの背景に基づき、最善と思われる方法で祖国を守り、育 てて発展させてきたものであります。自由で平和で豊かな日本が、戦後忽然と して生まれたものではなく、先人の築いた基盤の上に立ち、その延長線上に出 来上がったものであります。勿論過去の総てが最善であったとは言えません。 もともと世の中に最善という方策などはある筈がなく、悉くが次善の策であり、 だからこそそれを乗り越えて進歩があるのです。  繰り返し申しますが、過去の歴史に善悪を論ずることはできません。それが 当時の時代背景に基づいた、我々の祖先、先人の精一杯の選択であったのであ り、その結果は将来の教訓にこそなれ、善悪論の対象にしてはなりません。勿 論過去を賛美するものではなく、過去の総てがよかったわけではなく、むしろ 試行錯誤の連続であったかも知れません。そうなれば尚、祖先は身を以て子孫 に教訓を遺してゆかれたと見るべきでしょう。善悪を論ずるのと、教訓にする のとは、似ているようで全く異なるものであることを、よくよく考えてもらい たいものです。若し過去の歴史の総てを現在の思想、感覚で律し、これに合致 しないからといって悪と決めつけるならば、現在も後世には「悪の時代」と断 定されることでしょう。 03671/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 二 (12) 98/09/11 00:40 03670へのコメント コメント数:1  【天皇と憲法と政治】  ここで、天皇と大日本帝国憲法について考えてみたいと思います。大日本帝 国憲法の第一章『天皇』の条項には次のように書かれてあります。原文には濁 点がありませんが、読み易く濁点を付けます。 第一條 大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス 第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ 第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依り之ヲ行フ  また、第四章『国務大臣』の条項には、 第五十五條 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ共ノ責ニ任ズ     凡テ法律勅令其ノ他国務二關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス とあり、更に前文には、  『朕ガ後嗣(次代天皇)及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所  ヲ知ラシム』  『朕及朕ガ子孫(次代天皇)ハ将来此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆  (あやま)ラザルベシ』 とあります。  大日本帝国憲法では、天皇は元首であり、主権者であることを明記してあり ますが、第四條、第五十五條に書かれてあるように、御自分の意志のままに政 治を行う専制君主でも、独裁者でもなく、国民と共に憲法を守り、その定める 条規に則って国事行為を行われるわけであります。言い変えれば、天皇の権限 は無限ではなく、憲法の定める範囲内に於いて制約されるということでありま す。そして、総ての政治責任は国務各大臣、即ち内閣が負うとなっています。 言葉を変えれば、国政については一切を内閣にお任せになるということであり ます。  第三條の『天皇ハ神聖こシテ侵スベカラズ』を、天皇を神格化するものと言 う人がありますが、これは『君主無答責』条項と言って、天皇は政治的責任を 負わないと共に、法律上からも訴追されることがないということを定めたもの であります。この君主無答責条項は、欧州の各王国の憲法にも、字句の違いは あっても、同じ趣旨のことが謳われてあって、日本独特の条項ではありません。 従って、天皇は政治上に於いても、法律的に全く責任がありません。心情的、 道義的責任はその人の考えであって、他からとやかく言うことではありません。  もともとこの大日本帝国憲法は、それまで近代的憲法を持ったことのない日 本が、先進の欧州各国の憲法を参考にし、これに日本の伝統と国情を配慮して 立案されたものです。  欧州の立憲君主国の君主は、法的に政治責任を負わないことが通例となって います。  ここで、政治に関しての日本の皇室の伝統について考えてみたいと思います。 明治維新になって、天皇親政、王政復占と言われましたが、果たして日本の二 千年の歴史の中に於いて天皇親政があったでしょうか。  古事記にあるように、須佐之男命の暴虐によって、天照大御神は天岩戸にお 隠れになり、国内は百鬼夜行の大混乱に陥りました。そこで神々(国民)が会 議を開き、天岩戸を明けて、天照大御神のお出ましを請い、『すめらみこと』 として仰いで漸く国内が安定したとあります。それは、武力による政治には必 ず限界があることと、日本では国民的団結の中心として、『すめらみこと』が おられなくては治まらない国であることを物語っているものです。ここで大切 なことは、『すめらみこと』は、武力によって君臨したものではなく、国民が 仰ぎ戴いたものであることであります。この天岩戸の故事が、我が国の天皇と 国民との間柄の出発点であり、根源となっています。  日本が統一国家の形態を整えてから、藤原一族による一千年の摂関政治、鎌 倉幕府以来七百年続いた武家政治と、政治の実権は臣下(国民)が握っており、 天皇親政の御代は殆どありません。政治には政変が付き物であることは、世界 の歴史を見るまでもなく、日本でも数多くの政権交替があったことは、今更述 べる必要はありません。若し、天皇親政であったならば、政権交替(政変)と いう冷厳な歴史の鉄則から逃げることはできず、皇統連綿として今日まで続い たかは、極めて疑問であります。祖先がこの歴史の鉄則を知っての上と思えま せんが、言わず語らずのうちに、天皇に政治の責任を負わせなかったというこ とは、実に偉大な知恵と言えるのではないでしょうか。第三條の『天皇ハ神聖 ニシテ侵スベカラズ』は、欧州諸国の憲法を参考にしたものですが、日本古来 の伝統をそのまま条文にしたものでもあります。  それでは天皇はロボットか、何故日本に於いて天皇を必要としたのかと言う ことになります。大照大御神の昔以来日本は、『すめらみこと・天皇』を宗本 家とした大家族主義で発展してきた国であり、天皇を団結の中心として、また、 権威の根源として仰いできました。実際の政治には関与されませんでしたが、 関白も征夷大将軍も、天皇の勅許がなかったならば、その座に着くことができ ません。それがたとい形式的であったにせよ、勝手に征夷大将軍を名乗っても、 国民の誰もが認めず、また認められなかったのであります。戦国時代の武将も、 天皇の在します『京』に上ぼり、天下に号令することを目標としておりました。  藤原氏は、娘を入内させて皇子を生み、外祖父となって権力を握ろうとして 兄弟親戚が争い合いましたが、自ら皇位に就こうとはしておりません。徳川氏 は、公家諸法度で朝廷を締めつけましたが、官位は朝廷から貰っており、朝廷 を潰そうとはしておりません。皇位を狙った不忠不敬者として、後世に長く悪 名を遺したのは、弓削道鏡一でありました。武力も持たず、政治の実権もなく、 時の権力者が潰そうと思えば、いつでも潰すことが出来た朝廷を、とうとう誰 も潰すことが出来なかったし、また潰そうとも思いませんでした。  それは、情勢によって変動する(政変)生臭い政治に左右されることのない、 世情に超然とした安定点を置くことが、国を統治する上に於いて最も賢明な方 法であることを悟り、その安定点を神聖で神秘的な『すめらみこと、ミカド』 に求めたのでありました。日本に於いては、ミカドを載くことが正義であり、 錦の御旗が大義名分の旗印であり、それが権威でありました。そして権威の根 源は『かんながらの道』に基づく祭祀であり、天皇は祭祀王なのであります。 朝廷は権威を、為政者(臣下)は権力を持つという二権分立方式は、近代の学 問的理論は知らなかったにせよ、我々の祖先の一大発明であり、これによって 度々の政変を繰返しながらも、独裁者の出現を見ることなく、国の安泰を保ち 続けてこられました。天皇は政治王ではなく祭祀王であり、民族団結の中心に おられたのであります。  大日本帝国憲法は、諸外国の憲法を参考にしたとは言いながら、日本古来の 伝統である政治と権威が巧みに調和されております。  明治天皇が、日清、日露戦争に反対であらせられたことは戦後明らかになり ました。それにも拘らず両戦争とも、政府の決定を御裁可になり、御躬ら広島 に大本営を進められて、大元帥としての責務を果たされました。明治、大正時 代を通じて天皇親政(独裁)はありません。昭和になっても、二・二六事件と 終戦の二度を除いて、天皇親政はありません。二・二六事件の時は、首相以下 主な閣僚が殺害されて(首相の生存は後で判明)、実質的に政府が消滅したと いう異常な状態で、陛下が御決断されざるを得なかったものであり、終戦の場 合は、鈴木首相が決断することが出来ず、御聖慮を仰いだという、共に非常の 時でありましたが、それ以外に親政はありません。なお、ここで、親政という のは、天皇御自身の御判断や、御命令により政策が決定されるという意味に解 釈して下さい。  昭和三年に惹起した、満州に於ける河本大作大佐等による張作霖爆殺事件に 関して、時の円中総理は、責任者を厳重に処分すると奉答しながら、軍部の圧 力に屈しで、軽い行政処分でお茶を濁しました。宝算二十八歳の青年天皇は、 「前に申したことと違うではないか。汝の顔を見たくない」とまで仰せになっ て、たいへんお怒りになり、御信任を失ったと思った田中内閣は総辞職し、田 中総理はその三ヶ月後に病で死去しました。この時元老西園寺公望は陛下に、 立憲君主制の天皇として、決定的な言辞は慎まれるように諌言したことかあり ました。陛下はその諌言と、田中首相の急逝に御心を痛められたようで、以来 憲法に則り決定的な御発言はされなくなったということです。陛下は、「あの 時は私も若かったから」と、御述懐遊ばされております。  以上述べましたように、憲法上から、天皇は政治的責任はもとより、法律上 の如何なることについても責任はありません。内閣が戦争を決意したからには、 陛下はこれに対して拒否することが出来ない仕組みになっており、若しそれを 拒否されたならば、その時点で立憲君主制が崩れて、専制君主となり独裁者と なられるわけで、天皇御躬ら憲法を破られることになるからであります。  それでは陛下は敗戦後、憲法上責任がないからと言って、恬然としておられ たでしょうか。  陛下は、立憲君主制の元首として、極めて不本意ながらも政府の決定を御裁 可になりました。陛下はこの時、憲法上全く責任のない、開戦と戦争収拾の責 任という重大な義務を、法律を超越した崇高な次元に於いて、御躬ら進んで敢 然として担われたのであります。それは、後に述べる終戦時の陛下の御決意と 御行動から推して、容易に窺うことがでさます。このように申しますと、社会 党の連中や某市長などは、「それ見ろ、天皇に戦争責任があるではないか」と、 鬼の首を取ったように嘯くことでしょう。  さて責任とは何でしょうか。辞書によると次の二つの解釈があります。 1.法律上または道徳上しなければならないこと。 2.行為の結果、人の非難や処罰を受けるべきこと。  一例を申しますと、親は子を育てる責任があり、殆どの親は、このような難 しい理屈抜きで、その責任を果たしています。そして、子育ての責任を果たさ なかった者が、世の非難や、法律上の処罰を受けるわけです。従って、単に『 責任がある』だけでは、和歌で言えば上の句だけで歌にならず、これに下の句 がついて和歌の意味が通じるのであります。その下の句は、『その責任を果た したかどうか、若し果たしていなかったならば、どのように対処したか』であ ります。  一般には、失敗や非違で責任を果たせなかった場合は、その職を退く、時に は自決ということによって、責任を取ったということになっています。戦争中 の重臣達は、あるいは自決、処刑により、あるいは辞職によって過去の責任を 取りました。繰返しますが、陛下は憲法上責任がありませんが、元首としての 道義的責任があるとすれば、御譲位によって責任を取るという方法があり、ま た、御退位を叫ぶ進歩的文化人と称する低脳人種もおりました。陛下にとられ て、御退位で総てが解決するものならば、これ程安易な責任の取り方はなかっ たでしょう。しかし本当の責任を果たすということは、最後の結末まで引受け、 そのことを完遂することであって、辞職や自決は一種の責任逃れとも言えるわ けです。しかし、一般には政策などが失敗すれば、その職に止どまることが出 来ませんから、最後の結末まで引受けることは出来ませんので、処罰やその他 のことで責任を取ることになります。しかし、天皇には辞職がありません。ま た、御歳十二歳の幼年皇太子には御位を譲られることは、責任感のお強い陛下 に出来ることではありませんでした。「陛下は、国家と国民の為、俗世の毀誉 褒貶を遥かに超越した次元で、敢えて皇位にお止どまりになり戦争の最後の結 末の責任を果たすという、最も苦難な道を選ばれたのであります。」  戦争を始めた以上は、勝敗に拘らずその収拾まで引受けることが、真に戦争 責任を果たしたと言えるのであります。開戦の責任がある故に、戦争終結につ いても、戦後の復興についても、総ての責任を取られた日本の指導者は、昭和 天皇唯一人でありました。重ねて言いますが、大東亜戦争に於ける総ての責任 を全うされた日本の指導者は、昭和天皇唯御一人あるのみであり、しかも、崩 御の際(きわ)まで、国家元首としての責務を果たされました。その責任とは、 罪や咎に帰すべき類のものではありません。  戦後天皇の戦争責任について、多くの論議が起こりましたが、陛下は一言の 弁明もされておりません。また、弁明しようなどとは、考えてもおられません でした。陛下の大御心は責任の有無などという次元の低い俗人感覚では到底推 し測ることの出来ない、遥かに超越した至上至高の境地であって、無私無欲に して、唯一向に国民の安寧幸福だけを念願遊ばされた陛下にしてはじめて為し 得る崇高な責任完遂であり、現人神(あらひとがみ)の尊い御姿でありました。  これから、その具体的事例に基づいて話を進めたいと思います。  尚、蛇足になりますが、前に『昭和天皇は国家元首としての責務を果たされ ました』と書きましたが、連合軍の押付けた屈辱憲法では、ご承知の通り、天 皇は象徴という極めて曖昧な表現になっていて、元首とは明記してありません。 しかし、外国大使の信任状捧呈は総理ではなく、昔通りに天皇に対して行なわ れております。国賓来日に際しては、必ず皇居で御会見があり、宮中で晩(午) 餐会を催されるのが慣例となっていて、若し、それを行わなければ、国賓を冷 遇侮辱したことになります。韓国のノテウ大統領来日に当たっては、総理大臣 や国会決議で謝罪すると申し入れても承知せず、執拗なまでに、天皇の御言葉 にこだわりました。その真を返せば、天皇を日本国統治者である元首と認めて いるということになります。  韓国の謝罪請求に対しては、別に異議がありますが、本題ではありませんの で省略します。社会党は、天皇の御言葉は昭和天皇のお言葉を越えてはならな いと主張したのは、我々が異論を唱える理由と異なり、陛下が政治的御発言を なされると、暗黙の内に、天皇が元首であることを認めることになるからであ ります。皇室の親善外交は、百人の外交官に勝るということは、反皇室論者も、 厳然たる事実として認めないわけにはゆきません。  世界中で、天皇を元首として認めていないのは、日本国の屈辱憲法と、これ を支持する一部の日本人だけであります。 03672/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 三 (12) 98/09/11 00:41 03671へのコメント コメント数:1  【天皇と帝国陸海軍】  大日本帝国憲法には、陸海軍に関して次の条項があります。 第十一條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 第十二條 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム 第十三條 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス  このように陸海軍に関して、行政とは別項となっていて、天皇直率の軍隊と なっています。  また、明治十五年に『陸海軍人ニ賜ハリタル勅諭』(以下軍人勅諭という) には、 『我国の軍隊は代々天皇の統率し給ふ所にぞある』 と謳われてあります。  しかし、天皇が直接命令を下し指揮されるわけではなく、陸軍は陸軍大臣( 軍政)、参謀総長(作戦)、教育総監(教育)の所謂三長官が責任を持って補 翼しており、海軍も同様であります。  陸海軍の統帥は政治と分離して独立していますが、昭和になって『統帥権の 独立』が極度に叫ばれるようになって、軍部独走の素因ともなりました。もと もと統帥を政治と分離した理由の一つは、伊藤博文が、政府が幕府になること を懼れたからとも言われております。政権と武力を兼ね備えたものが幕府であ って、独裁政治の素因となるからであります。  しかし、戦争が外交の一手段でありますから、本質的に軍は政治に隷属する ものでなくてはなりません。平たく言えば、軍事専門屋として戦争に専念する のが軍であり、戦利開始や終結を決定するのは政府の権限であります。軍事に 素人の政治家が、軍の作戦や戦闘に喙を入れては戦争が出来ません。反対に軍 人が政治を左右すると、ヒットラーやスターリンのような独裁者になってしま います。大日本帝国憲法が発布された頃は、政府と軍部の要人は、明治維新を 成し遂げた武士達で、統帥権の独立は以心伝心でよく機能しておりました。  このことは、後で述べますが、日露戦争のときの大山元帥や児玉総参謀長の 故事によく表われております。軍人勅諭にも『世論に惑わず政治に拘らず』と あって、軍人が政治に関与することを戒めてあり、軍人には選挙の投票権があ りませんでした。  大正の末期から昭和の初めにかけて、政党政治が党利党略に走り、殊に昭和 の大不況期に、大衆の窮乏をよそにして、政治家と財閥が結託して利権を漁る ようになり、政党政治は腐敗を極めるに至りました。  当時流行した歌の一節に次のような句があります。  権門上に驕れども 国を憂うる誠なし  財閥富を誇れども 社稷を思う心なし  (社稷−しゃしょく。国家)  困窮を極めている家々から、現役兵として入隊してくる兵隊を見て、純真な 青年将校が奮起暴走したのが、二・二六事件でしたが、その頃から軍部が政治 に容喙するようになり、やがて軍部独裁政治に発展してゆきました。  明治天皇の『軍人は政治に関与すべからず』というお諭しを忘れた軍人も悪 いが、腐敗し切った政党政治にも、大きな責任があります。  これは決して過去の過ちだけではなく、現在の政治に於ける貴重な教訓であ り、国民生活や国家百年の計を忘れて、目先の党利党略に走っている今の政党 にとって、厳しい戒めとしなければなりません。  しかし、軍部独裁はあっても個人的独裁者は出ませんでした。それは、上に 天皇を戴いていたからであります。  次に軍人勅諭に『我国の軍隊は世々天皇の統率し給う』とあります。また、 『上官の命を承ることは、直に朕が命を承る義と心得よ』ともあります。  さて、我が国の歴史を見ますと、神代のことは別として、統一国家になって から、天皇が直率の軍隊を持たれたことがありません。神武天皇も軍人勅諭に あるように、直率の軍隊ではなく、大伴、物部の軍隊を率いて御東征遊ばされ ています。だから軍人勅諭には、この点に関して嘘を書いてあることになりま す。  何故天皇は軍隊をお持ちにならなかったか。それは、前に日本の成り立ちで 述べましたように、『すめらみこと』は、武力で制覇して君臨された方ではな く、国民が載いた方であって、二千年の間国民がお護りしてきましたから、皇 室は自らを守る武力を必要としなかったのであります。ここが、武力を以て君 臨した諸外国の王室と根本的に異なっているところであり、また、神世の時代 から連綿として続いた理由でもあります。歴史で北面の武士とありますが、こ れは今のガードマンのようなもので、軍隊には程遠いものです。  また、歴代天皇は『赤子を保す』即ち国民の安寧を希求されることを信条と され、国民の血を流す海外派兵は忌み嫌われておりました。渡航技術の発達し なかった時代に、島国という地理的条件の為、外国の侵略をあまり考慮する必 要がなく、攻めるにせよ守るにせよ、外国を対象とした統一国軍を持つ必要が なかったことにもよります。日本が大陸の一部であったならば、軍隊は要らな いなどと、悠長なことを言ってはおられなかったことでしょう。  戦国時代には、家の子郎党は別として、武将達は専ら利害関係で結ばれてお り、足軽や雑兵は恩賞目当てで戦場に出ていましたから、忠義という言葉はあ りませんでした。家康が天下を取ってから、これでは幕府の基盤が危ぶまれる ということで、儒教を取り入れて、武士達に忠義の道を教えたわけです。皮肉 なことには、武士が本来の用に立たなくなってから、忠義という思想が普及し たのです。しかし、武士達の忠義は専ら藩主に対してであって、家康が期待し た将軍に対する忠義にまでは発展しませんでした。勿論、公方様があって天子 様の存在を知らないとまで言われた時代に、天皇に対する忠義などは全くあり ません。  欧米諸国の鋭い矛先と、驚異的文明の進歩に刺激された日本は、富国強兵を 国是として先進諸国に追付くべく、急速に近代国家への脱皮を図り、初めて統 一国有を創設しました。それまで京都御所で『みこし』に乗っておられた『み かど』は、白馬に跨がり陸海軍を統率する大元帥になられなければ、日本の独 立を守る近代国家になれなかったのであります。このようにして天皇は、皇祖 皇宗に対しては天子、国民に対しては、ミカド、陸海軍に対しては大元帥、外 国に対しては皇帝という、四面の性格を持たれるようになりました。  しかし、初めて創設された軍隊は、将校以下、依然として旧藩主に対する忠 義心があっても、天皇に忠節を尽くすことが本分であることが徹底しません。 そこで発布されたのが軍人勅諭であり、帝国陸海軍は天皇の軍隊であり、天皇 に忠節を尽くすのが軍人の本分であることを諭されたわけです。その為にも、 神武の昔から天皇が軍隊を統率されるのが、本来の姿であると言わなければな りませんでした。歴史教育が普及していなかった頃ですから、屁理屈を言う者 もなく、次第に軍人勅諭が軍人の経典となりました。  それでは、軍隊は天皇の私兵ということになりますが、我が国では、君国一 体という思想でしたから、天皇に対する忠義も、国家に対する忠誠も同義語で あって、殊更に問題はありませんでした。  天皇の私兵ではありませんから、御自身のお考えで軍隊を動かすことはでき ません。憲法の定めるところにより、政治は内閣、軍事は陸海長官の責任輔弼 となっていて、たとい陛下が戦争に反対であらせられても、政府が開戦を決意 したならば、これを御裁可されなくてはなりません。また、その反対に、陛下 が戦争を決意されても(そのようなことはありませんでしたが)、政府が反対 すれば出来ない仕組みです。だから、天皇直率の軍隊ということを軍人に強調 したのは、専ら精神的意義のものでした。  陛下の御意志で動かすことが出来る軍隊は一隊もなかったのです。しかし、 陛下の勅許がなくては動かすことの出来ない部隊が、一つだけありました。そ れは近衛師團でした。  このように、帝国陸海軍は皇軍と称していましたが、その本質は国軍であり 政府軍であります。  帝国陸海軍を、天皇直率の皇軍と位置付けしたことは、軍の団結統制を強固 なものにし、軍人の忠誠心を弥が上にも高揚し、日清戦役以後の数次の戦争に、 その精華が遺憾なく発揮され、装備は別として、精神力に於いて万邦無比の精 鋭な軍隊が育成されました。弾もなく食もない、人間生存の限界を遥かに越え た戦場で、猶徹底的な抗戦を続け、皇国の無窮を信じて玉砕していったのも、 天皇の軍隊という信念と誇りがあったからであります。そして、終戦に際して、 広大な地域に展開していた三百四十万の大軍が、大元帥陛下の御命令一下、整 斉と矛を収めるという、世界戦史に例のない奇跡が実現したのも、天皇の軍隊 であったからでした。 03673/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 四 (12) 98/09/11 00:42 03672へのコメント コメント数:1  【戦争を忌み嫌われた歴代天皇】  対外交渉のなかった鎖国時代や、遠い昔の歴史はさておき、明治天皇以後に ついて考えることにします。  明治時代は、日清、日露戦役を経て、日本か近代国家に躍進した時代であり、 明治天皇は、その御容貌からも、好戦的で剛毅果断なお方と思われがちですが、 両戦争ともに反対であらせられたことは、戦後明らかになった宮廷秘史で知り ました。  昭和天皇も、満州事変や支那事変から大東亜戦争に至るまで、終始反対の御 態度を貫かれております。事変の頃には、陛下は軟弱であらせられると言った 重臣もいた程でした。  天皇が平素から最も御心にかけておられたことは、『斯ノ如クムハ朕何ヲ以 テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ』と、終戦の詔書にあります ように、『赤子ヲ保シ』即ち国民の安泰を図り、これを次代に伝えることでし た。だから、国民の血を流すことになる戦争を極度に嫌われたわけです。  しかし前に述べましたように、天皇は政治に関して遠回しに感想を述べられ るまでで、決定事項を仰せになることが出来ません。明治天皇は日清戦争に際 して、近衛師團の動員をお許しにならない事で、戦争反対のお気持ちを表わさ れております。当時六個師團しかなかった陸軍は、兵力不足の為最後に近衛の 動員をお願いしました。前述のように、一般師團は参謀総長の権限で企画し、 御裁可を仰いで動員できましたが、近衛師團だけは、予め陛下の勅許を受けな いで動員を計画することができませんでした。  支那事変のときも、内地の現役師團は悉く出征したにも拘らず、近衛師團だ けは、平時の現役編制のまま残されていました。それは、明治天皇の故事に倣 って、近衛の動員をお許しにならないことで、事変の拡大に反対であらせられ るお気持ちを表明されていたと聞いております。  昭和十四年秋、南支那で新しい作戦を起こす必要に迫られましたが、これに 転用する兵力がなく、已むを得ず近衛師團の動員を奏請しました。陛下は、 「そのような事情ならば致し方ないが、近衛をいつまでも戦場に止どめておく  ことは許さない。必要な作戦が終わったら直ちに帰すように」 と仰せになって、しぶしぶお許しになられたということが、当時の沢田参謀次 長の回顧録に書かれてあります。  遡って、昭和七年の上海事件のとき、出征する軍司令官白川大将に、特に 「上海から支那軍を撃退したら、決して長追いしてはならない。三個師團もの 大軍を動かすのは、戦争の為ではなく、治安維持の為であることを忘れない ように」 と仰せになり、恐懼する大将に重ねて、 「私は今まで何度も裏切られた。お前ならば守ってくれると思っている」 と、念を押されました。  大将は聖旨に副い、陸軍中央からの矢の如き追撃命令を黙殺して、三月三日 軍司令官の権限で停戦を実行しました。  陛下は、「白川よくやった」と、御嘉賞あらせられましたが、陸軍首脳部は、 大将に対して激怒したことは言うまでもありません。  大将は、停戦調印前の四月二十九日、反日朝鮮人の投げた手榴弾により不慮 の死を遂げましたが、翌年大将の功績をお偲びになられて、次の御製を遺族に 御下賜になられました。   をとめらが 雛まつる日に 戦(いくさ)をば          とどめしいさお 思い出でにけり  戦争に勝った功績ではなく、止めた功績を称えられたのです。陸軍では、こ れでは全軍の士気に関わるということで、新聞発表を禁じ、この御製が戦後ま で明るみに出ることがありませんでした。  昭和天皇が、生物学に卸造詣が深くあらせられたことは、よく知れ渡ってい ますが、優れた歌人でもあせられたことを知る人は、意外に少ないようです。 陛下は研多くの御製を詠まれましたが、その悉くが、万邦協和と国民安寧を希 求される大御心で貫かれており、好戦的な御製は一首もありません。その一部 を紹介します。   ふる雪に こころきよめて 安らけき      世をこそ祈れ 神のひろまえ(昭和六年)   ゆめさめて 我世を思ふ あかつきに        長なきどりの 声ぞきこゆる(昭和七年) ☆前年満州事変が勃発し、大御心と反対に拡大の一途を辿っていることに対し  て、直接干渉できない御苛立ち(いらだち)を、長嶋鳥に託して御表明になら  れたものです。   天地の 神にぞいのる 朝なぎの       海のごとくに 波たたぬ世を(昭和八年)   西ひがし むつみかわして 栄ゆかむ       世をこそ祈れ 年のはじめに(昭和十五年)   峯つづさ おほふむら雲 ふく風の       はやくはらへと ただ祈るなり(昭和十七年) ☆一ヶ月前に大東亜戦争が始まっております。   風さむさ しもよの月に 世を祈る       ひろまえ寒く 梅かほるなり(昭和二十年) ☆終戦の年です。悲痛な御胸中が心を打ちます。 03674/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 五 (12) 98/09/11 00:43 03673へのコメント コメント数:1 第二章 大東亜戦争の原因と経過  【海外発展と白人世界】  十八世紀がスペイン、ポルトガルの時代ならば、十九世紀はイギリス、フラ ンス、オランダ、そしてアメリカの世界でした。イギリスに起こった産業革命 で、鉱工業は飛躍的に進歩し、各国はその資源の入手と製品の捌け口を獲得す る為、右手に剣を翳し左手に聖書を掲げて、世界制覇に乗り出しました。即ち 海外発展であります。戦前の世界地図を見れば一目瞭然であり、殊にイギリス は我が領土に太陽の沈む所なしと豪語しており、重要資源の殆どが白人の手に 握られておりました。そして幕末の頃には、アジアで彼等の植民地か支配圏に 入っていない国は日本しか残っていませんでした。  幕末に来航したペリーは、日本と仲よくして貿易しましょうなどと、生易し い目的で来たのではありません。英・仏・露も皆同じく、日本を属国に、あわ よくば植民地にして、自国の勢力圏に収めようという野望を以て、武力を誇示 し威圧し、日本を屈伏させる目的で、遠く海を越えてやって来たのであります。 阿片戦争で屈辱的条約を結ばされた隣の清国の悲劇を目の辺りにした日本の恐 怖は、とても今の感覚では想像できないものがありました。  しかしここで、日本に来航した白人軍団が悪いと言うのではありません。武 力を以て他国を征服し支配圏を拡張することが、自国を発展させる最良の手段 であり、それが世界通念として認められていた時代であって、即ち帝国主義が 全世界を風靡していた時代背景に於いて、彼等は祖国に忠実な愛国者であり、 進取の気性に富んだ勇敢な戦士であったのであります。その昔倭寇の血を引く 江戸時代の祖先も、若し鎖国がなかったならば、同じようにその仲間入りをし て、フィリピン辺りを領土にしていたかも知れません。  現代では、帝国主義による拡張政策は侵略と呼ばれ、国家悪の元凶と考えら れるようになりましたが、それは大東亜戦争という試練を経て会得した人類の 思考の進歩であり、多大の犠牲を払った末に会得し得た理念であります。これ を裏返して見れば、大東亜戦争という一大転機がなかったならば、依然として 帝国主義の世界が続いており、各国は領土拡張に鏑を削っていたであろうと考 えても、決して不自然ではありません。  【明治維新と富国強兵策】  当時の小さな日本は、更に小さい二百六十余藩の小独立国に分かれていて、 武士の忠誠は専らそれぞれの藩主に対してのものであって、幕府は国家的統一 態勢を取る力を失っていました。その小国日本は、欧米列強の脅威を前にして、 急速に統一国家として再編成し、挙国一致の態勢を以て外力から守らなければ ならない必要に直面しました。  全国を統一する為には、団結の中心がなくてはならず、それは、神聖で神秘 的で人々の魂を動かすものが、最も望ましいものであります。そこで登場され たのが、京都に在す『みかど』でありました。幕末の非常時に、皇室が存在し ていたことにより日本は救われたのです。  薩英戦争や馬関戦争で、欧米の強大な軍事力を目のあたりにした日本は、復 讐を採らずに、友誼と学習を選びました。明治維新になって日本が、富国強兵 策を取って先進国に追及する道を選んだのは至極自然の成行きで、その時代に 於いて他に方策のなかったことは前の話からお判りと思います。  このように帝国主義の鋭い矛先を突き付けられながら、懸命の努力で辛うじ て独立を維持し、明治維新を成し遂げた先人達の功績は実に偉大なものがあり、 日本歴史の上で決して等閑(なおぎり)にしてはなりません。そして、この帝 国主義思想が、日本のみならず、世界の先進国の通念として大東亜戦争の終焉 まで続いていたことを、戦争原因解明の基礎として記憶していただきたいと思 います。  朝鮮半島の静謐が日本の安全に直結していることは、昔も今も変わりなく、 日清、日露戦役は、半島を支配せんとする清、露両国の圧力を排除して、国防 の安泰を図る為の自衛戦争であって、若しそのどれに敗れても、今日の日本が なかったことを銘記しなければなりません。両戦役とも祖先が国の総力を挙げ て戦った偉大な遺業であることは、今後時世がどう変わろうとも変わることは なく、十把ひとからげの侵略戦争として片付けられるものではありません。  戦後、富国強兵策が国家悪のように言われていますが、明治維新の時代背景 に於いて、日本が欧米先進国に追い着く為の唯一の方策であり、若しこの時、 欧米屈従の属国方策を取っていたならば、後年の大東亜戦争はなかったでしょ うが、今日の日本の発展もなく、諸民族自決の世界も出現しなかったことでし ょう。また、日本民族は無為無策で屈伏するような無気力な民族ではなかった のです。  【貧乏国日本の活きる道】  躍進を遂げた日本は、自称五大強国の仲間入りをし、国際連盟にも加わった ものの、白人国の有色人種国を視る目は至って冷ややかなものがあり、日本が 国際連盟で提案した人種差別撤廃動議は、賛成一票(日本)という圧倒的大差 で否決されました。そういう世界の中の日本であったことも記憶しておかなく てはなりません。  資源が乏しく目立った産業のない日本は、生糸、絹織物、陶器、漆器などの 家内工業的産品しか輪出するものはなく、しかもそれは最低賃金で牛馬並の酷 使による産物であって、製品の輸出と言うより、労働力の安売りと言った方が よいようなものでした。資源と技術は一体不可分で、資源なくして技術の進歩 はありません。そしてその資源は悉く白人の手に握られていたのです。  昭和初期に起こった世界大恐慌の荒波は、経済基盤の貪弱な日本にも押し寄 せて、財政は益々悪化し、国民生活の窮乏はその局限に達し、国際情勢は日本 にとって不利の度を加えてゆきました。東北地方の農民の娘身売りや、野麦峠 の女工哀史もこの頃のことでした。日本は経済的に完全に死に体になってしま ったわけです。  貧乏人の子沢山で、狭い国土で増えるのは人口ばかり。すぐ隣に横たわる広 い大陸に溢出していったのは、追い詰められた日本の取り得た唯一の国策であ り、帝国主義世界に於ける当然の帰趨であって、この他に選択の余地は全くな かったことを知らなければなりません。今の国民は金を持って世界に進出して おりますが、その頃の貧乏日本は、身体を張って進出する以外に道がなかった のであります。  満州事変はこのような時代背景の中で勃発したものであります。当時の支那 は、日本の戦国時代のように軍閥が跋扈して麻の如く乱れ、殊に満州は匪賊が 横行して治安が極度に悪化していました。もともと満州は清民族の住むところ で、万里の長城以南の漢民族とは異なった民族であって、自らを中華と誇って いた漢民族から見れば、彼等の言うところの「東夷(日本)西戎北狄南蛮」の 「北狄」に当たり、化外の地でありました。  当時の日本人は、満州を単なる外国とは見ず、日清、日露の両戦役で父祖の 血を流した土地であり、海を隔てた庭のように特別の親近感覚を持っておりま した。世界赤化を目指すソ連の脅威に対する防波堤として、また、重要資源の 供給地として、「日本の生命線、満蒙」という言葉は、当時では幼児も知る国 家的スローガンであったのであります。  満州事変の発端となった柳条湖の満鉄線路の爆破は、確かに日本の謀略であ り、今の感覚からみれば許容すべからざる暴挙ではありますが、ここに満漢日 蒙鮮の五族協和の王道楽土を築こうという石原莞爾の計画は、決して場当りの 思い付さや空想ではありませんでした。その後一旗組の心ない日本人の為に、 必ずしも彼の理想通りには運ばなかった点もありますが、以前と打って変わっ た治安のよい満州国が育ち、窒息しそうになっていた国民の前途に、光明の窓 が明けられたのも事実であります。  是非善悪は飯の食える人の言うことであって、白人万能の帝国主義の世界に 於いて、これが経済的に行き詰まった貧乏国日本の唯ひとつの生きる道であり、 国民は進んで新天地満州に進出してゆきました。この時代背景を抜きにして、 現在の豊かな日本の感覚で満州進出を論ずるから、歴史が歪んで見えてくるの です。  今は侵略と言われていることも、当時に於いては海外発展であり、雄飛であ って、青少年の血湧き肉躍る壮挙であり、また、その頃の日本国民は、国の為 に一身を犠牲にすることを厭わぬという気概を持った国民だったのであります。  鎖国――明治維新――富国強兵策――日清日露役――列強国の仲間入り―― 第一次大戦後の世界大不況――国家経済の打き詰まり。支那事変も、大東亜戦 争もこの延長線上に起こったものであります。しかし、遠大な理想と目標を持 って船出したものの、世界情勢の荒波の中、とりわけ白人支配の世界での舵取 りは容易ではなく、恰も大河の流れに翻弄された笹舟のように、行き着く先を 選ぶことは出来ませんでした。 03675/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 六 (12) 98/09/11 00:44 03674へのコメント コメント数:1  【建前と本音、歴史は裏面史で作られる】  蒋介石の抗日救国政策による排日侮日の高まりや、北支に第二の満州を築こ うという日本の策動で、日支両国は何時衝突してもおかしくない素地はありま したが、全面戦争を避けたいという気持ちは、双方とも抱いておりました。そ の発端となった蘆溝橋に於ける小部隊の衝突は、日支(国民政府)共に予期し なかったことで、中国共産党の劉少奇(後の国家主席)が、北京の精華大学生 と青年党員を使い、日支両軍の間に潜入して発砲したことが、戦後明らかにな りました。日本と国民政府を戦わせて共倒れを図ったもので、中共としては巧 みな謀略であり、双方ともまんまとこれに乗せられてしまいました。  その後に惹起した支那保安隊による通州の日本居留民の虐殺は、日を覆うよ うな残虐非道の暴挙でした。これに続いて上海の大山大尉や、日蓮僧侶殺害な ど、日本国民の感情を逆撫でする事件が次々と起こり、その上に、少壮過激な 現地軍参謀達の独走が加わって、御憂慮遊ばされる大御心をよそに、政府の不 拡大方針もこれらに引き摺られて、拡大の一途を辿りました。これらの事件の 中には、日本の支那浪人の引き起こしたものもありますが、その裏側で画策す る、目に見えない黒幕が存在し、日支を戦わせよう戦わせようとする謀略が働 いていたことは疑いありません。  ここで、建前と本音ということについて考えてみたいと思います。今の日本 の政治は建前一本鎗で、本当のことを言うと大臣の首が飛ぶ例は、これまでに 数多くあったことはご承知と思います。それは国民がすっかり平和呆けした証 拠の一つで、反面それだけ平和であるということになりますが、世界の動きは そんな生易しいものではありません。どろどろした権謀術数の渦の中で、世界 の歴史が作られているのです。『誰が得して誰が損するか。それが国益になる か、ならないか』が、国策決定の物差しであり、その国の本音であって、綺麗 事の建前とは反対に、その裏面ではすさまじいまでの謀略工作が活動している のです。  日本も、戦国時代には『調略』などと言って、謀略による懐柔策が盛んに行 なわれ、合戦と並ぶ重要な戦法でありました。この戦法を最も多く使った武将 は信玄と秀吉です。その後徳川三百年の鎖国と平和の時代になって、武士は本 来の使命から遠ざかり、戦闘や調略の方法も忘れてしまい、殊に謀略は卑怯な 策略として軽蔑する風潮すら生まれ、現在もその名残りが続いています。明治 になって諸外国と外交交渉を持つようになり、必要に迫られて諜報機関が設け られましたが、日陰者的存在であまり重要視されず、従ってその方策も極めて 拙劣幼椎の域を脱しないままに推移していました。日本の外交が下手くそで、 外交音痴という定評があるのも、建前外交にのみ捉われているからであります。 盛衰興亡の試練を潜り抜けてきた欧米諸国は、世界情勢は裏面史で動くことを 骨身に組みて体験していて、いずれの国も優れた諜報機関を持っています。そ の代表的なものが、アメリカのCIAやソ連のKGBですが、島国のボンボン 育ちの日本人は、未だに建前ばかりに固執して、本音を言うと寄ってたかって 攻撃する傾向が、外交はもとより、国内政治にも数多く見受けられます。  日本と支那(国民政府)が戦って、人的物的国力を消耗して損するのはこの 両者だけです。とりわけ日本の国力が疲弊することは、大陸に多くの権益を持 ち日本と競合している米英の思う壷であり、世界赤化を目指すソ連、中共にと っても望むところです。  事変の最中にも、トラウトマン工作や宋子文工作などという和平工作があっ て、蒋介石も満州国を認めて妥協することを考えた一時期もありました。とこ ろが前に述べたように、日本はこの手の裏工作が極めて下手で、殊に宋子文工 作に於ける日本の策動は、どちらが戦に勝っている国か判らないような懇願に も似た交渉で、泥沼に嵌り込んだ日本の焦りをはしなくも暴露する結果になっ て、こちらの手の内を見透かした国民政府に舐められてしまいました。  東亜の強国日本の疲弊が、願ってもない利益に通じる米英は、ここぞとばか りに授蒋物資を送り込み、蒋介石を激励援助したのです。そこには、米英の張 り廻らされた情報網によって察知した日本の経済力の限界についての緻密な計 算があったのです。多くの兵士の血を流した日本が、今更何の名目もなく大陸 から撤退することは、当時の国民世論が許しません。若し無名目の撤兵をすれ ば、国民が激昂し内乱になったことでしょう。事変の解決を阻む元凶は米英に あるということで、両国に対する敵愾心が国民の間に芽生えたのも当然の成行 きでした。しかし、それは日本の言い分であって、自国民の血を流さないで敵 を破ることは最も勝れた戦法で、米英から見れば国益に繋がる賢明な作戦であ ったわけで、敵ながら天晴れな戦略ということになります。  平和を希求し愛好する気持はどの国民も同じですが、どこかで戦乱があれば、 世界経済を刺激し、当事国以外の国が潤うことも確かな事実です。近くは、ま だしこりの残っているイイ戦争や、ソ連のアフガン侵攻も、現代版支那事変で あって、国際連合は早期解決の建前論を唱えていたものの、損をするのは当事 国ばかりで、恩恵(?)を受ける周囲の諸国は陰で煽動支援こそすれ、真剣に和 平を取り持つ国はありませんでした。この紛争で誰が得をし誰が損するかを考 えれば、自ずから想像がつくことでしょう。これが冷酷な世界の実相であり、 本音の裏面史なのです。  このようなことを言うと、建前好きな人は、他国の不幸を喜ぶのはけしから んと言うでしょうが、日本も朝鮮戦争とベトナム特需によって息を吹き返し、 今日の経済発展の素地を築くことが出来、自分もその恩恵を受けていることを 忘れているのです。  大東亜戦争の宣戦の御詔勅に「兄弟尚束夕牆(かき)ニ相鬩(せめ)クヲ悛メス」 とあるように、日支戦争は兄弟喧嘩のようなものでしたが、俗に言う子供(経 済小国)の喧嘩に大人(経済大国)が出て来て一方に加勢し、とうとう片方の 子供が大人に噛み付いたのが大東亜戦争と思えばよいでしょう。  支那事変程目的の不鮮明な戦争はなく、その総てを目に見えない謀略のせい にすることは出来ませんが、世界情勢の動きには、このような裏面の歴史もあ ることを知っておいて欲しいものです。もとよりこれによって、当時の為政者 の不明や無能を弁明するものではありません。  支那事変の最も大きな日本の誤りは、近衛内閣の「今後蒋政権を相手にせず」 の声明でした。現に戦っている相手を相手にしないで、誰を相手に戦うのか、 これ程滑稽で現実離れした声明はありません。もともと近衛さんは、確固たる 信念のない見掛け倒しの人でしたが、そのような人を首相にしなければならな い程人材が払底していたことも、日本の悲劇の一つでありました。  【泥沼の支那事変とルーズベルトの思惑】  昭和十六年六月二十二日、フランスを席捲した独軍は、返す刀で、独ソ不可 侵条約を破棄してソ連に雪崩込み、また、独軍の鋭鋒の前にイギリスもまた風 前の灯火となっておりました。一方アメリカは、連合軍に武器援助をしている ものの、国民の殆どが、欧州の戦乱はよその大陸の出来事として傍観している だけで、血を流してまで救援に赴くというような気運はさっぱりありません。 祖先を同じくする英国の浮沈は、そのまま米国の利害に繋がることは今も昔も 変わりなく、ホワイトハウスの危機感は日毎に募るばかりでした。  ドイツのソ連侵攻に衝撃を受けた日本では、平沼内閣が、「欧州の情勢は複 雑怪奇なり」との迷文句を残して退陣し、再び近衛内閣が登場しました。その 頃、米のルーズベルト、英のチャーチル、独のヒットラー、伊のムッソリーニ、 そしてソのスターリンが、世界を動かす五人男と言われておりました。ムッソ リーニの代わりに蒋介右を入れた方が適当かも知れません。残念なことに、日 本ではこれらの怪物に互角で渡り合う大政治家がいなかったことが、その後の 日本を益々悲劇的な方向に押しやったことにもなりました。 ★ルーズベルトの戦略構想 一、危殆に瀕している欧州の連合軍救援の為、米軍の動員は必須になってきた   が、その為には国民の参戦気運を醸成しなければならない。国民の目を戦   争に向けるのに、何かの切っ掛けが欲しい。 二、長期の戦争で疲れている日本を叩く好機である。日本にはアメリカと戦う   力は残っていないだろう。若し戦争になっても、屈伏させるのに大きな犠   牲を必要としない。為し得れば日本に先に手を出させて、これを米軍参戦   の切っ掛けに出来れは望むところである。    日本を屈伏させるのに、あれ程多大の犠牲を払わされたことは、彼の大   きな誤算でありました。 ★スターリンの戦略構想 一、アジア赤化の障害は日本と満州国であり、蒋介石もまた敵の一人である。   蒋介石と日本という敵同士を戦わせて共倒れにすることが、この障害を排   除し、中共を支援する有効な戦略である。                                          二、ドイツの猛攻撃を受けている現在、日本との二正面作戦は避けなければな   らない。この構想が日ソ不可侵条約となりました。この条約はソ連に有効   に作用しましたが、日本は逆用されて手痛い目に遭わされたことはご存知   の通りです。  日本が蒋介石と戦い国力を消耗することは、米ソ共通の利益であり、両国と も表になり裏になって国民政府を支援しました。何も蒋介右が勝たなくてもい い、抗戦さえ続けてくれれば、それだけ日本の国力が減耗する。血を流すのは 有色人種の支那人と日本人ばかりで、米英ソのどの国も痛くも痒くもありませ ん。  支那事変を泥沼に追い込んでいるのは、決して近衛や東条でもなければ蒋介 石でもなく、両者が握手しそうになると、列強の聞から援蒋の手が伸びたり、 原因不明の不思議な事件が突発し、戦線が思わぬ方向に拡大してゆきました。 前者は大陸に多くの権益を持つアメリカとイギリスであり、後者は世界赤化を 目指すソ連であることは判っていましたが、それがそのまま米英ソを相手に戦 わなければ解決の通がないとまで考え詰めたことはありませんでした。  しかし、アメリカの目的は大陸に於ける権益の確保でありソ連は赤化であっ て、その思惑には大きな隔たりがあります。日本と満州国という防波堤が潰れ たら、それこそ赤化の波は怒濤の如く大陸に襲いかかるでしょう。ルーズベル トはそれを考えない程の馬鹿ではありませんでしたが、極東の番犬と思ってい た有色の日本がアメリカに逆らうことは、白色文明支配の世界秩序を乱すもの であって、白人のプライドが許さず、日本憎しの小乗的正義感が先に立ってい ました。また、日本を潰すことがソ連や中共を利する結果になることが判って いても、それを考える余裕のない程欧州の戦局が差し迫っていたのです。結果 的にスターリンの思う通りになったことは、戦後の歴史が物語っており、アメ リカも日本も、そして蒋介石も、多大の犠牲を払ってソ連の赤化政策を支援し、 毛沢東の尻押しをしていたことになりました。  大陸の泥沼に踏み込んだ日本、とりわけ陸軍は、何としても支那事変を解決 して国力の回復を図り、本来の使命であるソ満国境の守りを固め、赤化戦略の 浸透を防がなくてはなりません。戦っている相手ほ蒋介石ですが、もうこの頃 の蒋軍はアメリカの代理軍に過ぎなくなり、実質的には日米戦争となっており ました。しかも皮肉なことに、日本はアメリカからの屑鉄と石油を頼りに戦争 を続けているので、生殺与奪の権はアメリカに握られていたのです。シナリオ を書いて演出しているのはアメリカ、その筋書きによって生命を懸けて舞台で 踊っているのは日本と蒋介石ということです。と、いうことは、この事変の仲 裁をしてくれるのは、アメリカしかないということになります。そこで始まっ たのが日米交渉でした。 03676/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 七 (12) 98/09/11 00:45 03675へのコメント コメント数:1  【日米交渉の経過】  昭和十三年秋、白人支配の鎖を解き放ち、アジア民族のアジアを建設すると いう、日本政府の大東亜新秩序宣言は、米国をはじめ欧州列強を痛く刺激し、 対日警戒と反発を強めました。  明けて十四年夏、アメリカからの日米通商航海条約破棄の通告は、日本に甚 大な衝撃を与え、懸命の交渉にもかかわらず米の態度は強硬で効果なく、翌年 一月の同条約廃棄は確定的になりました。そこで日本は、対米経済依存を脱却 して自存の方策を模索するに至り、南方の重要資源に目を向けるようになリま した。  ホワイトハウスでは、この時対日全面禁輸が検討されましたが、米国の軍備 が整わず、輿論もまだ熟していなかったので、過早に日本を戦争に踏み込ませ るのは得策ではないという判断で見送られたことが、戦後明らかになっていま す。既にこの時アメリカは対日戦争を決意していたことは、日本の誰も窺い知 ることができませんでした。  その頃、米のドラウト神父等によって日米諒解案なるものが、非公式に持ち 込まれました。これを要約すると、満洲国は承認する、日本の必要な物資は平 和手段で入手させる、その代わりに大陸本土から撤兵するというもので、今ま での交渉経過からみてウソのような穏やかなもので、その上、これについてル ーズベルトと近衛首相とのホノルル会談まで打診してきたものでした。日本に とっての問題は、既に多くの英霊を靖國神社に送っており、泥沼とはいいなが らも戦闘では勝っている支那派遣軍に、どのような名目で名誉ある撤退をさせ るかにありました。無名目の撤兵をすれば、国民は激昂し、軍の強硬派は反乱 を起こし、国内は収拾のつかない大混乱になることは火を見るよりも明らかだ ったのです。  実際には、ルーズベルトはホノルル会談など全く考えておらず、この諒解案 も非公式の域を出でず、アメリカの戦備を整える為の時間稼ぎに過ぎなかった ことが、あとで思い知らされることになります。  昭和十五年新春、陛下は情勢を御宸念遊ばされ、   西ひがし むつみかわして 栄ゆかむ        世をこそ祈れ 年のはじめに との御製を詠まれて、日米交渉の成功と事変の解決を祈念しておられます。  ところがここで、欧州の戦況に大きな変化が起さて、日本の国策を迷わせる ことになりました。十四年九月に大戦の火蓋を切ったドイツは、翌十五年春に なって俄然活発な動きを始め、僅か一ヶ月の電撃作戦で英軍をダンケルクから ドーバー海峡に追い落とし、フランスを席捲してパリを占領し、六月十七日に フランスは降伏しました。しかも、その余勢を駆ってイギリス本土に上陸する 気配すら見えました。実際には、独軍には上陸作戦をする船舶の用意もなく、 作戦準備も出来ていなかったのですが、そのような眩惑を起こしても不自然で ない程、電撃作戦は見事なものがあったのです。  日本は朝野を挙げてドイツの戦果に興奮し、新聞も米英何するものぞとの過 激な論調を掲げ、親独派が急速に勢いを増して、「バスに乗り遅れるな」とい うことが、合言葉のように叫ばれるようになりました。勿論欧州の戦況に迷わ される軽率を戒める達見の人々もおりましたが、時の勢いに打ち消されてしま いました。これが大きな誤りであったということは、今ならば誰でも言える結 果論であって、これが時代の大きな流れであり、これがその時代背景なのです。 前に述べたように、これは教訓にこそなれ、是非善悪論を以て非難することは できません。  「衆愚」という言葉があるように、大衆は目先のことしか考えません。まし て、今のように情報が氾濫している時代ではなく、米国の軍備や国力について 何一つ知らなかった時代に、対米強硬路線の世論が国内を風靡したことを譏る 人があれば、この情報化時代に、国家財政の行く末も考えず消費税に反対した り、多様化した外交や国の安全を度外視した政党に票を投ずる選挙民の低劣な 視野に猛省を促すべきであると思います。  時の勢いは、九月の北部仏印進駐に続く、日独伊三国同盟条約締結にまで進 み、更に翌年春、日ソ中立条約が調印されまし汁。松岡外相の腹は、仏印進駐 と三国同明皿で威を張り、対米交渉のカードに利用し、取引の材料にするつも りだったようです。また、日ソ中立条約は、日本が二正面作戦を避ける目的と 共に、連合軍に対して、ドイツに呼応してソ連の尻を突かないという安心感を 与える意図もありました。それは後年のレーガン大統領のソ連に対する力の政 策に類似したものが為ります。強大な経済力と軍事力を背景とするレーガンの 強硬策は見事に成功して、ゴルバチョフはぺレストロイカの道を選ばざるを得 なくなり、ソビエト帝国崩壊の端緒となりましたが、貧乏国日本が空威張りし てみせたところで底は見え透いており、経済大国アメリカに対して何の利目も ないどころか、却ってアメリカの世論を反発硬化させるばかりでした。今から 見れば滑稽とも思えますが、当時はそれ程アメリカの国力に関する情報が不足 していた時代だったのです。しかも、この頃には日本の外交暗号が解読されて いて、こちらの手の内はアメリカに筒抜けになっていました。  対米交渉の前途楽観を許さずと判断した日本は、若しアメリカからの物資が 途絶えても自存できるように、南部仏印に軍を進めて南方資源獲得の基地とし、 和戦両様の構えを取りました。この時を待っていましたとばかりにアメリカは、 直ちに在米日本資産凍結を公布し、九月には航空ガソリン対日全面禁輸に踏み 切り、英、蘭、比もこれに倣って、ABCD包囲網を構成して、日本の息の根 を止める戦略にでました。  【素地に立つ日本に与えられた選択肢】  日本は座してジリ貧に陥るか、死中に活を求めて立ち上がるか、二者択一の 岐路に立たされたわけです。そしてその頃の日本民族は、何も為すことなくア メリカに屈伏する程、気の弱い国民ではありませんでした。  八月二十六日には、近衛首相のルーズベルトに対する洋上会談の提案は拒否 され、九月六日の御前会議に於いて、「帝国は自存自衛を全うする為、対米英 蘭戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途として戦争準備を完整する」 という帝国国策遂行要領が決定されました。  陛下はこの席で、   四方の海 みなはらからと 思ふ世に        など波風の 立ち騒ぐらむ という、明治天皇の御製を朗読され、続いて、 「私は常にこの御製を拝誦して、平和愛好の精神を紹述することに努めている。  戦争は極力避けなければならない。今我が国が戦争か平和かの岐路に立って  いる時、統帥部は責任ある答をしていない」 と叱責遊ばされました。天皇の政治権限については前に述ベましたが、通常の 御前会議では、陛下は御発言遊ばされないことになっており、ここでは異例の ことでした。それも陛下が仰せになられるのは感想を述べられるまでで、「戦 争をしてはならない」というような政治決定は、憲法の建前上出来ません。                                           統帥部をお叱りになられたのは、その前に、杉山参謀総長が内秦の際、 「若し戦争になったら、どれ位の期間で片付くか」 との御下間に対して、 「約三ヶ月くらいで片付けるつもりであります」 と奉答したところ、大きなお声でお叱りがありました。 「お前が陸軍大臣の時、事変は一ヶ月くらいて片付くと申したのに、四年たっ  てもまだ片付かぬではないか」 「はい、なにぶんにも支那の奥地は広いものですから」 「支那が広いと申すなら、太平洋はもっと広い。いかなる根拠があって三ヶ月  と申すか」 杉山総長は答えることがでさず、満面朱をそそいで退出しました。  また、海軍の永野軍令部長に対し、アメリカと戦って勝算があるかとの御下 問があり、「勝てるかどうかも覚束ない次第でありますが、座して屈伏するわ けには参らず、ほかに活きる道はないように思われます」 「それでは、俗に言う捨て鉢の戦ではないか」 と仰せられ、永野部長も返答に詰まって退出したことがありました。  日露開戦のときも、日本には確固たる戦勝の自信がありませんでしたが、英 国は日本と同盟を結んでおり、米のルーズベルト大統領も日本に好意的でした ので、日本政府は開戦と同時に、金子堅太郎をアメリカに派遣して、戦費の調 達と終戦への道を模索しています。しかし大東亜戦争開戦のときは四面楚歌で、 戦勝の自信もなければ、終戦の構図を描く手立てもないままに、戦争に突入さ せられてしまいました。これ程自信がなくて戦争を始めたということは、おそ らく世界の戦史の中でも例がなく、反面から見れば、それ程までに追い詰めら れていたということにもなります。  四方の海の御製は、唯に日本の為政者に仰せられたのみならず、遠く太平洋 の彼方のルーズベルトにも、平和を念願する御自分の心を理解してはしいとい うお気持ちが籠もっていたことも、見落としてはなりません。 03677/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 八 (12) 98/09/11 00:46 03676へのコメント コメント数:1  【真珠湾奇襲は騙し討ちだったか】  聯合艦隊の真珠湾奇襲は日本の騙し討ちとして、全世界に悪名を轟かせてお りますが、真実はどうだったのでしょうか。  その前に知っていて欲しいことは、奇襲は、訓練精到な軍隊と周密な準備と 企図の秘匿があってはじめて成功する、卓越した戦術であるということです。 多くの人は奇襲と騙し討ちとを混同しているように見受けられます。  次に、戦争をするかどうかという切羽詰まった外交交渉に於いて、開戦を決 定するのは政治(政府)ですが、万一決裂して戦争になった場合に備えて、そ の準備を整えておくのは軍部の当然の責任であって、若しその準備を怠るよう なことがあっては、統帥部の資格のないものと言わなくてはなりません。  この二つの事項は至極当り前のことであるにも拘らず、日本の外交交渉は戦 争準備完整の為の時間稼ぎであり、その上真珠湾で卑怯な騙し討ちをしたとい うことが、世界の定説のようになり、そのように思っている日本人も多いが、 歴史の真実は正しく訂正されなくてはなりません  日本が極力対米戦争を避けたかったが、遂に追い詰められて開戦に踏み切ら されたことは前に述べました。山本聯合艦隊司令長官は、真珠湾攻撃命令を下 達するに当たって、若し攻撃前に交渉が妥結したならば、たとい飛行戦隊が真 珠湾の直前に差し掛かっていても直ちに引き返すことを厳命し、その命令に従 えない指揮官は、今すぐ辞表を提出せよと言っております。  次に知っていて欲しいことは、この頃には日本の外交暗号は解読されていた ということです。『マジック情報』と称されて、日本の手の内はアメリカに筒 抜けになっていました。後に海軍暗号も解読されて、山本司令長官は、その為 に待ち伏せ攻撃に遭って戦死するということになります。  日本の最後通牒の内容は、十四部とその手交時刻を知らせる第十五部に分か れていました。手交時刻は、ワシントン時刻七日午後一時となっていましたが、 それは日本時間八日午前三時・ハワイ時刻七日午前七時三十分となります。真 珠湾のアメリカ艦隊に第一弾が投下されたのは、その十五分後になります。  以下、(日)は日本時間、(ワ)はワシントン時間を示します。  はじめの第一部から第十三部までは、(日)七日〇一・五〇、(ワ)六日一一・ 五〇、中央電信局から発信を終わり、ワシントンの日本大使館には、正午過ぎ から届き始めています。それには『何時でも米側に手交できるように万端の手 配をすること』を指示してありましたが、残念なことに当時の大使館員は、こ の大事な指示を重視しませんでした。  大使館では早速翻訳作業に入り、夕刻までに半分程終わったところで、寺崎 一等書記官送別パーティの為、メイフラワーホテルに出掛けました。留守の者 が翻訳を終わったのが午後十一時過ぎ、明日は日曜日で先様もお休みだから、 ゆっくりタイプ浄書作業をして月曜日に届ければよいのだろうと、通常の外交 文書のように呑気に構えて、館員は帰宅してしまいました。和するか戦うか、 日本の運命を決める大切な日米交渉で、東京では休日もなく血眼になっている というのに、大使館では平時と全く同じような感覚でいたわけです。この出先 大使館の怠慢が、後に取り返しのつかない汚点を遺すことになったのでありま す。  一方アメリカでは、傍受した暗号電報を、陸海軍が分担して直ちに翻訳作業 に入り(ワ)七日午前三時に早くもタイプ浄書がハル長官に届けられています。 その頃日本大使館員は、あるいは夜の町に出たり、あるいは自宅で安眠を貪っ ていて、野村、栗栖両大使は大切な電報内容を知りません。これでは一体どこ に届けられた電報か判りません。  続いて、最も重要な第十四部と手交時刻を指示する第十五部は、(日)七日一 七・三〇、(ワ)七日〇三・三〇までに発信を終わりました。それには交渉打切 りの指令はありましたが、作戦に関する真珠湾攻撃まで書いてないことは当然 です。アメリカ側は、手交時刻の午後一時に、日本がどこかに先制攻撃を仕掛 けるであろうことを予期しましたが、それがどこであるかは判りません。  淵田中佐の指揮する第一次攻撃隊が、真珠湾上空に到達したのが、ハワイ時 刻午前七時四十五分、ワシントン時刻午後一時十五分ですから、最後通牒が指 示時刻の午後一時に手交されていたならば、全く問題はありませんでした。ま た、それが可能な時間の余裕を見て発信してありました。  日本大使館では、翻訳文面を見て事の重大さに驚き、あわてふためいて、タ イプ浄書に取り掛かったものの、時既に遅く、野村、栗栖両大使が、国務省に 駆けつけたときは、指示時刻を一時間も過ぎた午後二時でした。とっくに通蝶 の内容を知っているハル長官は、言葉の限りを早くして日本の不意討ちを面罵 しましたが、内心では「してやったり」と、ほくそ笑んだことは言うまでもあ りません。  前に述べたように、日本に対するハルノート(事実上の最後通牒)通告の後、 マーシャル大将は、日本が極めて近い将来太平洋のどこかを攻撃すると判断し、 ハワイ、フィリピン、パナマ、サンフランシスコの部隊に警告を発し、「米国 は、日本が最初の明白な行動に出ることを期待している」と付け加えています が、日本がまさかハワイを襲撃するとまでは考えてもいなかったらしく、真珠 湾爆撃の第一報を受けたノックス海軍長官は仰天して、 「そんな馬鹿なッ。そりゃフィリピンじゃないか」 と叫んでおり、大統領と一緒に報告を受けた顧問ハリー・ホプキンスは、 「これは何かの間違いに違いない。日本はホノルルを攻撃したりしない筈だ」 と言っています。  真珠湾の奇襲は、それ程敵の意表を衝く見事なもので、長く東西の戦史を飾 るに相応しいものであったに拘らず、出先大使館の怠慢により、通告前の騙し 討ちとなり、末代までも歴史に汚点を遺すことになったのは、極めて遺憾なこ とでありました。かくて、日本海軍の血の滲むような猛訓練も、巧みな陽動欺 騙を交えた周到な企図の秘匿も、岩佐中佐以下九軍神の特殊潜水艇による必死 攻撃も、不名誉な騙し討ちという汚名の下に、葬り去られてしまいました。し かもそれが後に、初めから計画的に騙し討ちを企んでいたと伝えられるように なったことは、重ねて残念なことであります。  これは出先外交機関として由々しき失態で、戦争中外交団交換で帰国した際、 責任者を厳重に処罰すべきでありましたが、当初の戦勝気分に浮かれてか、あ るいはそこまで気の付く人がいなかったか、有耶無耶にしてしまいました。そ の時処分して、最後通牒手交時刻遅延の不始末を明瞭にしておけば、騙し討ち の非難に対する弁明の一つの証(あかし)になったものと思います。  十二月八日早朝の大本営発表を聞いたときの国民の感激と興奮を、四十数年 後の今も覚えておられることでしょう。真珠湾奇襲の成功は、日本国民の士気 を鼓舞するのに余りあるものがありました。しかし皮肉なことに、それが『リ メンバー・パールハーバー』という合言葉になって、アメリカ国民の敵愾心を も奮起させる結果になってしまいました。  航空機の発達した今と違って、アメリカ国民の目には、アジアも欧州も遠い 大陸の出来事としか映らず、盟邦イギリスが累卵の危きに曝されているという のに、アメリカの世論は至って呑気で、非常時意識がさっばりありません。ル ーズベルトやハルが躍起になって国民に訴えても、火の粉も振り掛かってこな い対岸の火事を、血を流してまでわざわざ消しに行こうという者はおりません。  そこで計画されたのが、日本に先に手を出させる方策でしたが、その計画は まんまと図に当り、その上騙し討ちという願ってもない付録までついて、アメ リカ国民の愛国心を掻き立て、真珠湾を契機として、アメリカの大軍は陸続と して欧州大陸に、そして太平洋に出動してゆさました。 03678/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 九 (12) 98/09/11 00:47 03677へのコメント コメント数:1  【帝国陸海軍の体質と戦争指導】  支那事変や今次大戦の経過や、戦略統帥についての批判は本題ではないので、 簡単に述べることにします。  今にして思えば、あれ程強靱な精神力を持っていた軍隊はおそらく二度と地 球上に存在することがなく、また、あれ程装備や兵站を軽視していた軍隊も珍 しかったのではないでしょうか。陸海軍ともに、日露戦争以降驕れる軍隊にな っていたと思います。  奉天会戦は、既に国力戦力の限界点に達していた日本軍の際どい勝利であっ て、砲兵はズク弾と呼ばれた鋳物の砲弾さえも射っていた有様でした。若し露 軍が態勢を準えて本格的攻勢に転じてきたならば、あるいは後年のガダルカナ ルや、ダンケルクのように、日本軍は東支那海に叩き落とされていたかも知れ なかった危ないところでした。  海軍の日本海海戦は、世界の海戦史に通る殲滅的大勝利であって、東郷元帥 の偉大な功績は末代までも語り伝えなければなりません。しかしこれも、バル チック海から長途航海してきて疲れ果てた艦隊を、手ぐすね引いて待ち受けて 撃滅したもので、孫子の兵法の逸を以て労を討ったものでした。  後世共に大勝利と喧伝され、私凄もそのように教わり信じてきました。必勝 の信念を植え付ける為には、確かに大きな効果がありましたが、いつの間にか 世界無敵の軍隊という自惚れが根差したことも否定できません。陸軍のガクル カナル、ボートモレスビー、インパール作戦や、海軍のミッドウエー海戦の大 惨敗などほ、統帥の自惚れのよい例です。「驕れる平氏久しからず」は、昔の 武士だけの教訓ではなかったのです。  装備や後方を軽視するようになったことは、それだけの理由ではなく、煎じ 詰めれば貪乏国の悲劇で、装備の劣悪や兵站の不足を補う為には、精神力に頼 らざるを得なかったとも言えます。大正時代のデモクラシーの風潮に続く軍縮 で、軍事予算は削られ、道行く将校が「税金泥棒」と罵られて唾を吐きかけら れるような時代に、装備の改善補強などは到底望むことができませんでした。 「治にいて乱を忘れた」国民が二流装備の軍隊にしてしまい、気が付いた時に は手遅れだったということでした。  必勝の信念や攻撃精神は、第一線の将兵に必要なものですが、大東亜戦争で は統帥までがこれに頼るようになっていました。適確な戦略戦術の下で充分な お膳立てを整え、第一線に「さあ、これで戦え」というのが統帥者の貴任です が、弾も食も与えずに戦えという無茶苦茶な命令を下し、それでも運よく勝て ば参謀の手柄、負ければ第一線部隊の責任というのが日本の統帥でした。まさ しく統帥の堕落です。今の感覚では到底考えられないことですが、その不可能 な命令に対して、第一線部隊は一言半句の不平も言わず、黙って命令に服従し て潔く玉砕してゆきました。それが日本の軍隊だったのです。「第一線将兵は 実に勇敢だが、将軍は凡庸だ」という外国の日本軍評は、的を射たものと言わ ざるを得ません。  これは、大東亜戦争だけではなく、戦闘に勝っていた満洲事変も支那事変も その通りでした。新聞には連戦連勝の大勝利と宣伝されていましたが、その実 体は悪戦苦闘の連続でした。次の歌は、皆さんよくご存じの事変中に歌われた ものの一部です。    「討匪行」の一節   どこまで続く泥濘ぞ 三日二夜を食もなく   雨降りしぶく鉄兜   既に煙草はなくなりぬ 恃むマッチも濡れ果てぬ   飢え迫る夜の寒さかな    「父よ貴方は強かった」の一節   敵の屍とともに寝て 泥水すすり草を噛み   ……   骨まで凍る酷寒を 背も届かぬクリークに   三日も浸っていたとやら 十日も食べずにいたとやら  これらはその一部に過ぎませんが、当時の国民は何の疑問も抱かず、力強く これらの歌を歌っていました。第一線将兵の苦労を伝えたものとは言いながら、 よくよく考えれば、はて、これが勝っている軍隊の歌かと、首をかしげたくな りませんか。  戦争を始めるからには、その収拾の目算を立てるのが為政者の大きな責任で す。これがなくて戦争をはじめるのは、無責任も甚だしいと言わなくてはなり ません。戦争も政治の一部であり、別の形の外交交渉であって、為政者は収拾 の責任を負担し、軍は戦争遂行の責任を果たして、戦争という政治行動が完遂 されます。  日露戦争開戦の時、児玉源太郎総参謀長は、「この戦いの勝敗は五分々々だ が、せめて六分四分に持ってゆきたい」と、正直に打明けており、大山巌軍司 令官も「戦は任してもらうが、旗振りは頼みましたよ」と、伊藤総理に話して 出征して行きました。旗振りとは戦争を止める合図です。そして金子堅太郎は、 開戦するや直ちにアメリカに飛び、戦費の調達と終結工作に乗り出しています。 奉天会戦が終わると、児玉大将は極秘裡に東京に帰り、 「戦争を始めた者は、戦争を止める才覚がなくてはならぬ。この貧乏国が、こ れ以上戦争を続けて何になるか。陸軍はもうこれ以上戦争は出来ない。一日も 早く終戦工作をしてもらいたい」と訴えております。    .  日露戦争当時の政治家も統帥部も、ともに明治維新を成し遂げた武士達で、 底流には共通するものがあって、両者は緊密に連携しておりました。今度の場 合は、政治と統帥が実質的に軍が握っていて、一体になっていたようなもので したが、偉大な政治家も将軍も現れず、確固とした終結の目算もなく、ずるず ると戦争に足を踏み入れたと言えます。前に、これ程自信のない戦争を始めた ことは、世界の戦史にもその例がないと申しましたが、それは、何とかして対 米戦争を避けたいと思いながらも追い詰められて、とうとう矛を取らされる羽 目に陥ったものであり、また、日露戦争の時のように、我が国に好意を寄せる 中立国もなかったのだから、一概に非難することは出来ません。後に、唯一の 中立国であったソ連に調停を頼みに行き、スターリンに熱湯を浴びせ掛けられ たことは、皆さんのよく知っているところです。  その昔、ドイツとオーストリアとの戦争の時、独軍は敵の首都ウィーンを包 囲したが、ビスマルクは入城を許しませんでした。首都を陥落させるというこ とは、敵国人の面子を失わせ、却って敵愾心を奮い立たせることになるからで あります。東洋人、特に支那人は面子を重んずる国民ですから、南京域外で兵 を止どめて和平交渉をしたならば、あるいは蒋介石も応じたかも知れません。 しかし、猪突猛進の現地軍の司令官にそのような智謀もなく、上層部にも敢然 と進撃停止を厳命させ得るビスマルクがいませんでした。その、架空の南京虐 殺事件まででっち上げられてしまったのです。  シンガポール陥落の時も、停戦交渉の一好機であったかも知れません。陛下 は、「人類平和の為、徒らに戦争が長引き、惨害が拡大してゆくのは好ましか らず」と仰せられ、木戸内大臣を通じて、なるべく早く戦争を終結するようご 希望を述べられていました。アメリカが停戦に応じたかどうか、仮定のことに ついて判断は出来かねますが、シンガポール陥落は一つの山場であったことは 間違いありません。しかし、緒戦からの予想以上の大戦果に、朝野を挙げての ぼせ上がり、停戦交渉どころかシンガポールを昭南市と名付けて悦にいってい る始末で、これでは侵略と言われても弁解がでさません。  前項までと逢って、ここでは日本軍をポロクソにこき下ろしましたが、戦争 に至るまでの経過と戦争指導とは別問題であって、日本はアメリカの物量に負 けたことは事実としても、その体質に於いても負けるべくして負けたとも言え ます。それは指導者に確固とした哲学がなかったからだと思います。 03679/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 一〇 (12) 98/09/11 00:48 03678へのコメント コメント数:1 第三章 終戦と復興発展  【終戦前夜】  硫黄島に続く沖縄第三十二軍の玉砕により、戦局は破滅的様相を呈してきま した。『赤子を保す』ということを信条としておられた陛下には、国の内外を 問わず、毎日々々斃れてゆく国民の悲惨な有様に、御胸中が張り裂けるような 思いであらせられたことと拝察されます。  万邦協和と国民安寧を希求される天皇と、陸海軍を統率して戦争に勝たなく てはならない大元帥という、相反した二面性格の狭間で、陛下の御苦悩は日増 しに深まり、何ごとかぶつぶつ呟きながら、お独りお部屋の中を歩き回られる ことが多くなりました。私達には、先輩、友人、同僚などと多くの相談柏手が ありますが、陛下が疑問に思われたことは臣下に対する御下問となり、それが 直立不動の姿勢での御奉答となって返ってくるわけで、我々のように気安く相 談できる相手がおられません。多くの重臣達に囲まれているとはいいながら、 最高地位にある天皇は常に孤独であります。誰を頼り誰に訴えようもない御胸 中の陛下は、只管に皇祖皇宗の御神霊の御加護を祈念されながら、自問自答遊 ばされる外はなかったのであります。  「何とか敵に一撃を与えることが出来ないものだろうか」と仰せになられた のも、戦いに勝つ為ではなく、終戦の切っ掛けを掴もうとの御意図でありまし た。  藁をも掴みたい政府は、終戦の仲立ちをスターリンに頼もうとしました。し かし掴もうとしたのは、藁どころか猛毒を持つ大蛇の尻尾であったことは周知 のことです。そしてそれに追い討ちをかけたのが原爆投下でありました。  ポツダム宣言を受諾するか否かについて、最も焦点となったのは、国体護持 の一点でありました。『日本国政府の確定的形態は、日本国国民の自由に表明 する意志により決定せらるべきものとする』の条項について、これで天皇中心 の国体を維持できるか否かの議論が集中しました。   天皇制という言葉がありますが、もともと日本には、天皇制という制度も   字句もありません。これは戦後作られた言葉で、上に天皇を戴いているこ   とは二千年来の伝統的国柄であって制度ではありません。  陛下は、 「国民の自由意志で決定しても、少しも差支えないと思う。たとい連合国が、 天皇統治を認めても国民が離反したのではしようがないではないか」と仰せに なり、国体の護持については確信を持っているとも仰せになられております。 陛下は、生物学だけではなく、歴史についても深い御知識を持っておられまし た。前に述べましたように、皇室は権力によって君臨しているのではなく、国 民が『すめらみこと』を戴き、国民がお護りしてきた国柄であることを、よく ご承知であらせられたからであります。そして、日本人の中で最も深く日本国 民を信頼されていた御方は、陛下であらせられたということであります。その 御信念が、このような御発言となったものと思います。  八月十四日の最後の御前会議で、ポツダム宣言受諾が決定されました。一般 には『御聖断』といわれておりますが、正しくは『御聖慮』を仰いで政府が決 定したものであります。  この後は当然のことながら、総理大臣以下政府の要人は交することになり、 開戦以来の責任者として残られるのは、陛下御一方になります。陛下はこのと き、先の開戦の御裁可のときの御決意そのままに、戦争終結の大責任を、御身 を以て担う決意を遊ばされたのであります。  終戦の詔書は、陛下の御意図を体して側近が起草したものでありますが、多 くの詔書の中で、これ程天皇の御意志が克明に表現されているものはありませ ん。 『斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆の赤子ヲ保し皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ』 『帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致  セハ五内為ニ裂ク』 『時運ノ赴ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト  欲ス』 『朕ハ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民卜共ニアリ』  陛下は、文字通り堪え難きを堪え忍び難きを忍び、日本再建の為に御躬ら国 民の先頭に立つという、最も苦難の道を選ばれたのでありました。勿論御一身 の安泰などは、露の雫程も御念頭にはなく、唯一向に国民の安泰と日本の再建 のみを御軫念遊ばされたのであります。  しかし、陛下もやはり人であります。しかも誰一人相談相手のない孤独な人 であります。このときの御悩みは、我々国民の到底推し計ることのできないも のがあらせられたでありましょう。連合国の処断のことも、御譲位のことも、 当然御念頭に浮かばれたことと思います。英明の誉れ高い貞明皇后(皇太后)は、 このとき陛下に、 「今は陛下が最もしっかりしなければならないときです。御譲位などは考えて  はなりません」 とお励ましになられたと、洩れ承っております。  外国では、戦争に敗れたとき、王室や大統領などの殆どが国民を置いてけぼ りにして国外に亡命しており、また、その用意の為に、平素から私有財産を安 全な国に分散して、万一の場合に備えておりますことは、一々例を挙げるまで もなくよく知られているところであります。  しかし、日本の皇室では、亡命を考えられたことが一度もなく、また、その 用意をされたこともありません。勝利の公算五分々々と言われた日露戦争に於 いても、万一の亡命を用意した記録は全くありません。今次大戦は、世界中の 殆どが敵国で、亡命する先もなかったとはいいながら、初めからその用意をす るなど、片鱗すら考えておられません。それどころか松代に完成した大地下壕 の大本営への御動座も、頑として御承知になられませんでした。国民と苦楽を 共にし、常に国民と共にあることが、神代からの皇室の伝統であり、この点も 諸外国の王室と大きく異なっているところであります。  戦後、終戦の御聖断を下された陛下には、開戦を拒否することが出来た筈だ と言う人があります。これについては前項で書きましたので再度詳しくは述べ ませんが、日本の歴史と憲法を少し勉強すれば、これが無学文盲者の妄言であ ることが解るでしょう。  天皇は、大日本帝国憲法を遵守される限り、政治、軍事に於いて決定的な御 発言は出来ません。若し、「開戦すべからず」と仰せになれば、それは陛下御 躬ら憲法を破り、専制君主となり、独裁者となるからであります。戦前戦後を 通じて陛下は忠実に憲法を守られ、また陛下ほど、憲法を遵守された日本人は ありませんでした。  開戦前の御前会議に於ける『よもの海 みなはらからと……」の御製を詠ま れたのも、白紙還元の御諚も、御心の内を表明されたものであって、立憲君主 制の天皇の御発言としては、これが限界なのであります。『天皇自身は日米戦 争をお認めになる御意志はなかった。東条首相は、その御決意を拝して、真剣 に戦争回避の方策を講じたが、遂に開戦を決意せざるを得なかった』というの が、その実状であります。  繰り返しますが終戦も、政府首脳の意見が分かれて決めかねたので、『御聖 慮』を伺い、それによって決断したのは政府であり、世に言い慣わされている 『御聖断』は誤りであります。  前にも述べましたが、天皇陛下は独裁者ではありません。また日本には、ヒ ットラー、スターリン、金日成やフセインのような独裁者はおらず、満洲事変 以来の十五年戦争の間、首相や大臣が何人も入れ代わっていて、一貫して日本 の揖取りをした指導者は一人もおりません。張作霖を爆殺した河本大作も、満 鉄線路を爆破した石原莞爾も、その後みな逼塞させられて、政治軍事の表に立 っておりません。東条大将は謹厳実直な典型的軍人で、事変の初めの頃は聯隊 長や旅団長を勤めていて、政治の世界に無縁の人でした。その人が時局の波に 乗せられ、陸軍大臣に任命されて指導者の仲間入りをしたのが昭和十五年です。 このように軍部の中にすら、一貫した指導者を名指しすることができません。  それでは誰が日本を戦乱の渦中に誘導したかと言えば、それは世界情勢と国 内事情、上りわけ経済問題から起こる国民輿論であったという外はありません。 一党独裁の共産圏は別として、輿論は時勢に従って自ずから醸し出されるもの で、一人や二人の力で操作することは出来ません。強いて日本人の中から戦争 を始めた責任者を追及するならば、その責任は輿論を醸成した国民全体という 以外にないのではないでしょうか。 03680/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 一一 (12) 98/09/11 00:48 03679へのコメント コメント数:1  【マッカーサー元帥との御会見   戦争責任を御一身に背負う御覚悟を披瀝遊ばさる】  このお話は、戦後あまりにも有名になり、日本人で知らない者はないと言っ ても過言でありません。しかし天皇責任追及論者は、敢えてこのことに目をつ ぶっているようです。  もともとマ元帥との御会見の内容は、お互いに堅く秘密にしておく約束であ りましたが、昭和三十年訪米した重光外相が、陛下からの御伝言を伝える為、 マッカーサーを訪問した時、マ元帥が初めて語ったことから明らかになりまし た。私達は、マ元帥の違約を責める気持ちは毛頭もなく、むしろ、よくぞ暴露 してくれたと感謝しております。マ元帥はこの外に大切なことを語っています が、それは後に述べます。  戦争末期の昭和二十年六月、米国の世論調査で有名なギャラップ社が、ひそ かに天皇の処遇に関する世論調査をしましたところ、次のような結果がでまし た。  ★殺せ。拷問し餓死させよ      三六%  ★処罰または流刑にせよ       二四%  ★裁判にかけ有罪ならば処罰せよ   一〇%  ★戦争犯罪人として扱え        七%  ★なにもするな            四%  ★傀儡として利用せよ         三%  ★その他               四%  ★分らない             一二% このように、米国民の七七%が天皇の処罰を要求しております。この調査は公 表されませんでしたが、政府に報告されています。  また、戦後連合国の天皇に対する処遇について、殆どの国が厳重に処断すべ きであるとの方針であり、就中最も強硬に主張したのは、ソ連と中国でありま した。ポツダム宣言には天皇訴追の項目はなくても、それは日本軍隊の武装解 除を完了するまでの方便で、抵抗する力を全く失ってしまえば、勝てば官軍、 何をされてもどうすることも出来ません。  このような情勢の中の九月二十七日、陛下はマッカーサー元帥を御訪問遊ば されました。命乞いに来るのであろうと思っていた元帥は、出迎えもせず、開 襟シャツ姿のまま居室で冷然と迎えました。陛下がその時仰せになられた御言 葉が、書物によって字句が違っているのは、重光外相が語ったマッカーサーの 述懐談を基にしている為ですが、その要旨はどれも変わりありません。  「私は、戦争の過程で発生した総ての事態の全責任を負い、日本の全指揮官 と全政治家の行動にも全責任を負うものである。私の処遇に関しては、貴下が 代表する連合国の判断に委ねる」また、飢蛾線上にある国民を、マ元帥の力で 救って貰いたいと懇請されました。  当時天皇に対する連合国の空気は、前に述べたように極めて険悪なものがあ りました。そのような情勢の中での御発言であったことを忘れてはなりません。 最悪の場合、断頭台の上に登られることを御覚悟の上で、文字通り御一身を投 げ出して日本国民を救われようとされたのであります。子供の危急のとき、親 は自分の危険を顧みず、子供の上に覆い被さるようにしてかばいます。このと き陛下の御姿はまさにこの親の姿であり、御身を乗り出して国民をかばわれた と表現したら適切なのではないでしょうか。  結果的には、天皇も皇室も御安泰でありましたが、戦争直後のこの時、それ を確信できたものは一人もおりません。また、東西の歴史に照らしても、敗戦 国の元首が、その地位を全うした例は皆無であります。再度繰り返しますが、 そのような情勢の最中での御発言であったことを、よくよく銘記しなければな りません。  陛下の御言葉を聞いて、マ元帥の心に、すさまじいまでの感動が走りました。 敗戦国の王様が、自分の身を犠牲にしても国民を救おうとすることは、彼の学 んだ古今東西の歴史の中にありませんでした。そして、日本がポツダム宣言受 諾に際して、執拗なまでに天皇の地位について拘泥した所以を、ひしひしと感 得させられました。  その頃、全国津々浦々の名もなき国民からマッカーサーの許に、陛下の御安 泰を懇願する直訴状が一千通余りも届き、その中には血書も少なくなかったこ とが、三十余年後の米側公文書公開によって明らかになりました。  『断頭台に登ることを覚悟の上で、国民を救って欲しい』と仰せになられた 陛下と、『私の一身を差上げるから、天皇陛下をお救いして欲しい』という国 民の願いこそ、二千年の伝統に培われた、皇室と国民との深い紐帯の顕現であ り万邦無比の国体の精華であったのであります。  昭和二十三年十二月二十三日、東条大将はじめ七人が処刑されたことをお聞 きになり、沈痛な御表情で、誰に言われるとなくぽつりと、 「皆 私の代わりに死んでくれた」 と仰せになり、終日慎んでおられたとのことであります。  戦後、陛下に対する中傷誹謗が相継いで、深く私達の心を痛め、これが二千 年の伝統を受け継いだ日本国民かと憤慨しました。陛下はそれをどのように受 け止められていたかは推測の限りではありませんが、さぞかし御悩み遊ばされ たことと思います。我々凡人ならば声を大にして反論弁明せずにはおられませ ん。それには、マ元帥との御会見のときの御発言が、反論弁明の為の好材料と なるのですが、しかし陛下は、そのときの御約束を忠実に守られて、遂に一言 もお洩らしになることなく崩御遊ばされました。  幕末の昔、勤皇佐幕に分かれて相争ったとき、孝明天皇がお悩みになられた ことは、勤皇を唱える者も、佐幕を唱える者も、等しく赤子であるということ であったと、ある書物に書いてありました。徳川慶喜が江戸に引き揚げて、上 野寛永寺に籠もり恭順の意を表わしているのに対して、薩長軍は尚討伐の手を 緩めませんでした。このとき、明治天皇は三条実美に対して、 「慶喜の処断には心せよ。徳川の旧勲を失わしめないようによくよく配慮せよ」 と仰せになられております。西郷隆盛から賊徒の汚名を取り除かれたのも、明 治天皇でありました。二・二六事件の翌年のお盆に、宮中に盆燈籠が飾られま した。その数は、事件の後処刑された将校の数と等しかったということであり ます。  昭和四十七年の連合赤軍による浅間山荘事件当時、陛下は   天をうらみ 人をとがむる こともあらじ      わがあやまちを おもひかへさば との御製を詠んでおられます。  また、明治天皇の御製に次の歌があります。   罪あらば われをとがめよ 天津神      民は我が身の 生みし子なれば  陛下には、天皇制反対を叫ぶ者も、「朕はたら腹食っている。汝臣民飢えて 死ね」というプラカードを掲げて、皇居に押し寄せてきたデモ隊の者も、みな 等しく赤子であり、そのような行動をするようになったのも、朕が至らないか らであると、御躬を厳しくお責めになっておられたのであります。  一部国民の反皇室的言動に対して、終戦の詔書に仰せられたように、堪え難 きを堪え忍び難きを忍ばれたと思うのは凡人の考えで、陛下は毀譽褒貶を遙か に超越した、俗人の到底考え及ばない神の境地に在したのであります。  近世に於いて国民は二度皇室に救われております。その一つは幕末の黒船来 航のときであり、もう一つは申すまでもなく終戦のときでありました。徳川幕 府は長い間朝廷を冷遇し、昭和の政府は大御心に反した戦争をしました。言う なれば、共に不肖の息子であります。その不肖の息子が、二進も三進も行かな くなったとき、親が子をかばう如く、御身を乗り出して国民を救われました。 しかも、その不肖の息子を、かばいこそすれ、些かも責めてはおられません。  日常の生活に於いて、私達は太陽や空気の恩恵を感じることはありません。 しかし、若し太陽や空気がなければ、立ちどころに死滅してしまいます。皇室 の恩恵は太陽や空気と同じく、平素はあまり肌身に直接感ずることがなくても、 国家非常のときに光り輝いて現われるものであって、皇室なくして日本国は安 泰を保ち続けることができないのであります。  開闢以来未曽有の国難に遭遇した非常のときに、昭和天皇という聖天子を仰 いでいたことは、日本国民の幸運これに過ぎるものはなく、私達は、御身を以 て国民を救わた昭和天皇に、いくら感謝しても感謝しきれないものがあります。    終戦時の御製   爆撃に たふれゆく民の 上をおもひ      いくさとめけり 身はいかならむとも   身はいかに なるともいくさ とどめけり      ただたふれゆく 民をおもひて   国がらを ただ守らむと いばら道      すすみゆくとも いくさとめけり  和歌の定型は三十一文字で、一字、二字の字余りは、その箇所の意を強く表 現する意味で認められていますが、初めの御製は四字も字余りです。尊い御身 を投げ出しても、国民を救われようという激しい御心中が、三十一文字の中に 納まりきらない四字となって、切々と胸を打つものがあります。  この御製は、美辞麗句を連ねた言葉の上の遊びではなく、陛下はその通り実 行されたのであります。そのことは、引き続き述べる事例でお解りいただける と思います。 03681/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 一二 (12) 98/09/11 00:50 03680へのコメント コメント数:1  【戦勝国アメリカと雖も抹殺できなかった天皇】  十年の長い間駐日大使を勤め、知日派の筆頭であったグルー国務次官の懸命 の説得工作も、優勢な対日強硬派に押し切られて、天皇の処遇についてのアメ リカ国内の世論や連合国の主張が極めて険悪であり、トルーマン大統領も決断 を下しかねていました。また、マッカーサー元帥の考えも、必ずしもまだ決ま っておりません。その方針を決定的にしたのが、前に述べたマ元帥との初会見 であったのです。そして、この御会見を機にして、今まで日本政府に対して冷 ややかだった司令部の空気が一転したということであります。  マ元帥はこの後本国に対して次のように伝えています。 「自分は四年間日本軍と戦って、その勇敢果敢なことをよく知っている。だか ら、停戦になっても大陸や南方では執拗な抵抗が続くだろうし、日本進駐に際 しても、当然血を流さずにはすむまいと思っていた。それが、全日本陸海軍が 一斉に戦闘を停止し、日本本土に対しても全く無血進駐をすることが出来た。 それは、天皇の威令がよく行き届いていたからに外ならない。私はこのことを よく知っている。  若し、天皇を法廷に喚問したら、先般の会見のときと同様に、天皇が全責任 は自分にあると仰せになることは目に見えている。そうなれば法廷は、天皇を 戦争犯罪人として認定せざるを得なくなるだろう。  天皇を戦犯としたならば、日本人の驚愕と激昂は計り知れないものがあり、 今まで平静を保ってきた日本国内に、一転して大反乱が起こるだろう。自分は 司令官として、これに対して責任は取れない。どうしても天皇を喚問するとい うのであれば、日本鎮圧の為に、更に百万の軍隊を増派してもらいたい」  それまで迷っていたトルーマンは、この一言で決断したということでありま す。  アメリカが、天皇に手を付けなかったのは、決して天皇を中心として栄えて きた日本の国体を護ろうと思ったわけではなく、占領政策遂行の為に、天皇の 威令を利用したに過ぎません。しかし、その理由は何であっても、天皇処刑が 可能な世論とその力を持っていながら、とうとう一指も差すことが出来なかっ たということは、厳然とした事実でであります。  前にも述べましたが、日本が歴史の時代に入ってから、皇室が武力を持たれ たことがありません。ご承知のように、市中にある京都御所は濠一つなく、全 くの無防備でありましたが、天下に覇を唱えた徳川幕府も、無防備の朝廷を抹 殺することが出来ず、また、抹殺しようと思っていませんでした。皮肉にも、 絶対の権力を握っていた将軍は、幾重にも張り廻された濠の中の城に住まわな ければ、安心できませんでした。  アメリカも遂に皇室を抹殺出来なかったのであります。  【国民救済の為、御物の放出を御決意遊ばさる】 昭和二十年も暮れかかって、日本の食糧事情は逼迫の一途を辿りつつあり、こ のままでは相当の餓死者が出るのではないかと予想されるに至りました。先の 御会見の隙、マ元帥は食糧援助を約束したものの、元帥の力だけでは及ばない ものがありました。  陛下はこのことを痛く御軫念遊ばされ、松村農相をお召しになって、次のよ うに仰せになられました。 「戦争で塗炭の苦しみを嘗めた国民に、この上更に多数の餓死者を出すような ことがあっては、自分には耐え難いことである。政府ではアメリカに食糧援助 を要請しているが、アメリカの対応はあまり充分とは言えないそうである。し かし考えてみると、当方から食糧の代価として提供できるものが何もないのだ から致し方ない。  聞けば、皇室の御物の中には、国際的価値のあるものが相当数あるというこ とである。そこで帝国博物館の館長に命じて調査させ、作製させたのがこの目 録である。これを代価としてアメリカに渡し、食糧に代えるようにせよ」  幣原首相は恐懼してこれを拝受し、早速これを持って司令部を訪れました。 御物目録を手にしたマ元帥の目は感激にうるみ、首相に力強く言いました。 「陛下の心はよくわかった。しかし、自分としても、アメリカとしても、食糧 の代償に皇室の御物を取り上げることは面目にかけても出来ない。自分が司令 官でいる限り、日本国民の中から餓死者が出るようなことは絶対しないから、 どうか陛下に御安心遊ばされるよう申し上げてもらいたい」  帰ってきた幣原首相は、松村農相の肩を抱きながら、ともどもに嬉し泣きに 泣いたということであります。マ元帥の本国に対する強力な働きかけで、やが て大量の救援物資が届きました。戦後の食糧事情の逼迫は、私達は未だに忘れ ることができませんが、日本国民から大量の餓死者が出たという話は、遂に聞 かないで終わりました。                                           戦前のことですが、ある地方に大水害が起こり、御手許金のうちから数百万 円を救済の為に御下賜になることになりました。待従がお待ちした手続書類を 御覧になると、即座に御裁可の御璽を捺されました。当時の数百万円は、今の 時価では莫大な金額になりますが、それが国民の為になるものであれば、何の ためらいもなく快く御下賜になりました。  そのとき何か調べ物をしておられたらしく、御机の上に小さな仏和辞典が置 いてありましたが、それがボロボロになって如何にもお引きにくそうだったの で、新調致しましょうかと、お尋ねしたところ、ご心配そうに、 「金はあるだろうか」 とお聞きになり、 「ございます」 とお答えしたところ、如何にも御遠慮がちに購入をご命じなられました。その 代価は僅かに十数円だったということです。  鉛筆は持てなくなるまで、スリッパは踵が禿びるまでお使いになられたと承 っております。御巡幸の際の中折帽も、御手で持たれる箇所が穴が空いたそう であります。  陛下の学習院時代の院長であった乃木大将が、「破れたものを着るのは恥だ が、継ぎの当たったものを着るのは恥ではありません」という教訓を、御生涯 を通じて忠実にお守りになられ、平素の御生活は極めて御質素であらせられた というとであります。国賓を迎えての晩餐会などでは、国の体面もあって豪華 な料理が並びますが、日常の供御(くご・御食事)は御質素で、戦中戦後は代用 食も数多く召し上がっておられます。おそらく陛下以上に贅沢な生活を営んで いる国民は多数いることでしょう。  戦前の皇室は確かに世界有数の財閥でありました。戦後共産党は、これを国 民から搾取したものと悪宣伝を繰り返しましたが、徳川幕府の遺産を引き継い だものであり、国民からの搾取によって築いた財産でないことは、歴史の上で も明らかであります。その後GHQにより総額三十七億四千七百万円と認定さ れ、財産税として三十三億四千万円が国庫に納入されて、世界有数はおろか、 国内でも第○〇位に転落させられました。  もともと陛下は、皇室財産は国家のものであり、皇室の私有財産と微塵も思 っておられませんでしたから、その名義が皇室であろうと、政府であろうと、 一向に頓着しておられません。そして、災害その他国民の為ならば多額の金子 を下賜されますが、躬らの御生活は極めて質素であらせられました。それは一 冊の辞書の購入にも、お気を使われていたことにも窺えます。財力に任せて栄 耀栄華を極めた外国の王朝や独裁者と、同日の論でないことを知らなければな りません。  話は皇室の御物に戻りますが、私達は終戦直後、何か訳の判らないままに多 くの物を焼きました。その頃軍隊だけでなく官庁や村役場に至るまで、書類を 焼く煙が連日絶えなかったことを記憶しておられるでしょう。結果論ですが、 軍旗を奉焼することは已むを得ないとして、その他のものは慌てて焼却する必 要はなかったし、また、焼いてはならない貴重な書類も沢山ありました。なに しろ負け方を知らなかった国民ですから、致し方のない面もありましたが、惜 しいことをしたものです。  その混乱の中で、たった一箇所だけ、一片の紙すら焼かなかった所がありま した。それは宮内省(宮内庁)でした。陛下の戦犯問題が盛んに論議されてい る頃であり、その中には陛下に不利な文書もありましたが、焼却をお許しにな りませんでした。  敗戦の混乱の中で、しかも何時裁判に掛けられるか皆目判らない時に、泰然 として動じられなかったのは、上御一人だけであったということになります。 03682/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 十三 (12) 98/09/11 00:50 03681へのコメント コメント数:1  【熱狂的歓迎を受けた全国初巡幸 敗戦後に蘇った君民一体の絆】  「この戦争によって多くの国民の生命を失い、大きな災厄を受けた。この際 私としては、どうすればよいかを考え、全国隈なく歩いて、国民を励まし、復 興の為に立ち上がらせる勇気を与えることが自分の責任と思う。私としては、 どうしてもなるべく早い時期に行ないたい。宮内官達は、私の健康を心配する と思うが、自分はどのようなことがあっても、必ずやり抜くつもりだから、健 康などは全く考慮しないで計画してもらいたい」  陛下の堅い御決意により、昭和二十二年二月の横浜、川崎を皮切りにして、 足掛け九年間、全行程三万三千キロ、計百五十五日に及ぶ全国御巡幸が始まり ました。  GHQは、国民の天皇に対する気持ちを計るバロメーターとばかりに高見の 見物をしており、共産党ほ、必ず国民の反発を買い大失態を曝すだろうと、心 中にそのことを期待して冷笑しておりました。自殺したヒットラーはさておき、 ムッソリーニは民衆に虐殺され、イタリア国王は国外追放され、敗戦国でない ベルギー国王も、対独協力したということで譲位させられた記憶もまだ生々し い時であります。  既に軍隊は消滅し警察も弱体化され、警備は手薄を通り越して、殆ど無防備 の状態でありました。天皇を恨む者、皇室の存在を否定する者が、敗戦を謳歌 するように大きな顔をしてのさばり歩いていた時代のことで、陛下を暗殺する には、たった一人の暴漢と一挺の拳銃があれば事足りるのです。何時何処で不 測の事態が起こっても、決して不思議ではありませんでした。このような状況 下で、陛下は進んで国民の中に入って行かれたのであります。懼れ多いことな がら、万一のことのあることを御覚悟の上での御巡幸と拝察されます。終戦の 御決断の際、「たとい自分の身はどうなろうとも国民を救いたい」と仰せにな られたことを、御身を以て実行に移さたのであります。  ところが、いざ御巡幸が始まってみますと、不測の事態が唯の一件も起きな かったばかりか、津々浦々で国民の熱狂的奉迎の嵐が巻き起こり、大群衆の波 が崩れ、陛下がその中に巻き込まれて、警備当局がはらはらする場面も一再な らず、土下座し涙を流して拝む人もあり、今まで遥か雲の上の御方と思ってい た陛下を目の辺りにして、皇室と国民の間が一挙に縮まった感がして、国民は 歓喜してお迎えしたのでありました。また、直接奉迎できなかった人達も、陛 下がお励ましに巡幸しておられることに心を奮い立たせ、歯を食い縛って復興 に努力しました。図らずも、二千年来の伝統に培われた君民一如の国体の精華 が、陛下の捨身の御巡幸を横に見事に発揮されたのでありました。  当時は労働争議の激しかったときでしたが、陛下がいらっしゃると不思議に 争議が解決したということです。下関では御巡幸反対を唱えて赤旗を振ってい た労働組合員が、陛下の御姿を見るや、赤旗を捨てて萬歳を叫び出し、水島工 業御視察の時も、反対派の者が、いつの間にか自分が反対派であることを忘れ て、両手を上げて萬歳を唱え出したということであります。  ある夜、御召列車が盛岡駅の手前の陸橋に差し掛かったとき、陛下が突然お 立ちになり、窓外の誰かに御会釈遊ばされました。後に盛岡駅長が語ったとこ ろによりますと、御巡幸反対の組合員が、ガード下に隠れて陛下を一目見よう としていたところ、陛下が自分達を発見されてお立ちになられたので、彼等は 驚き感激して、思わず萬歳を叫んでしまったということでした。その足で駅長 の所に来て、「あんなに御巡幸に反対して申し訳なかった」と言って、頭を下 げたということです。このような事例は他にも数多くありました。  当時の旅館の設備は貧弱で、陛下にお泊まりいただけるようなものではあり ませんでしたが、一言も御不満をお洩らしにならず、時には御召列車を引込み 線に入れ、列車を行在所にされたことも度々あったということです。  驚いたのはアメリカをはじめ諸外国の連中でした。戦いに敗れ、外国軍隊に 占領されている国の君主が、戦前と同じように、否それ以上に国民から超人的 な尊敬を受けていることは、過去の歴史からも、彼等の常識からも、到底考え られないことで、『二十世紀の奇蹟』と言う以外に、これを表現する言葉があ りませんでした。  何もかも破壊し尽くされた日本社会の中で、天皇陛下だけが唯一の安定点で あり、国民の心の拠りどころとなっていたことを如実に物語っていたのであり ます。日本に於いて、天皇の存在が如何に大きなものであるかを目の辺りにし たGHQに、その後の占領政策に大きな影響を与えることになりました。  すっかりあてが外れたのが共産党でした。「天皇が国民の人気取りをしてい る」と、愚にもつかぬことを言って悲鳴を上げました。それまで黙っていたソ 連も、あわてて執拗に御巡幸中止を迫ったということです。若しそれが共産党 の言う人気取りとした場合に、世の中で命がけで人気取りなどする人がいるで しょうか。  結果的には何事も起こりませんでしたが、最初からそれを確信できる者は一 人もありません。まさしく決死の御巡幸であったのであり、唯々一途に国民を 思い給う大御心を拝して国民は感泣奮起したのでありました。  残念なことに、昨今皇室に反対する過激分子の為に、陛下の御意図に反して 警戒を厳重にせざるを得なくなり、群衆の渦に巻き込まれたというような、君 民一如の陛下の御姿を仰ぐことが出来なくなったのは、遺憾の極みと言わざる を得ません。  陛下にとって唯一の御心残りであらせられたことは、沖縄行幸を果たされな かったことと思います。昭和五十年七月、皇太子殿下(今上陛下)、妃殿下が、 沖縄海洋博覧会名誉総裁として行啓されましたが、殿下はそれに先立ち、 「たとい石をぶつけられてもいい、それでも地元の人々の中に入ってゆきたい」 と、御決意の程を披瀝しておられます。昭和天皇も同じお気持ちであらせられ たことでしょう。そして、その御念願が漸く叶って、沖縄に行幸される直前の 昭和六十二年八月御発病になり、初めての手術をお受けになられました。  思わざる 病となりぬ 沖縄を     たづねて果たさむ つとめありしを                                           戦後の総仕上げとして、是非とも行幸を実現されたいというお気持ちが、御 製の中から痛い程伺えますが、遂に実現することなく崩御遊ばされました。 03683/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 一四 (12) 98/09/11 00:51 03682へのコメント コメント数:1  【国際親善のため訪欧、訪米の途に上らせ給う】  昭和四十六年九月、欧州各国御訪問の旅に御出発遊ばされました。陛下は皇 太子時代の御外遊を、後々までも懐かしく思い出され、前年の御製にも次のよ うに詠んでおられます。   ななそぢ(七十)に なりしけふ(今日)なほ               忘れえぬ      いととせ(五十)前の とつ国のたび  しかしこの度の御外遊は先と異なって、殆どが嘗ての敵国であり、遠来の訪 客に対する敵意と怨嗟が、なお根強く渦巻いており、殊にイギリスとオランダ の対日感情が相当に厳しいことが予想されました。その真只中に乗り込まれる のであります。誰が不測の事態の絶無を確信できたでしょうか。一見華やかな 晩餐会の席も陛下にとっては針の莚であり、多くの人々が観迎(歓迎ではない) する沿道も、茨の道なのであります。  陛下は御出発に先立ち側近に、次のようにお洩らしになっておられます。 「いろいろと私を怨んでいる人もあろうから、何が起こるか判らない。しかし、 思う存分やって、それでいくらか気が済んでくれれば、そこで一本線が引ける。 その後本当の親親善が結ばれるだろう。私はその為に行くのだ」  『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び』の詔書や、『身はいかになるとも』と の御言葉は、二十余年後に於いても、陛下の御心の中に生き続けていたのであ ります。  果たしてイギリスでは、女王と同乗したオープンカーにオーバーコートが投 げられたり、記念植樹が一夜にして切り倒されたりしました。オランダでは、 投げられた瓶で車のフロントガラスにひぴが入り、日の丸が焼かれ、大使館の 窓も破られました。『ヒロヒト、ゴーホーム』などと書いた横幕やプラカード が交錯し、口々に叫ぶシュプレヒコールも、沿道に谺(こだま)しました。それ は交戦国でなかったデンマークやベルギーでも例外ではなく、戦争中の盟邦ド イツですらトマトを投げられたり、デモに見舞われたりしたのです。  しかし陛下は、どのような事にも堪え忍ばれ、終始笑顔で対され、御訪問反 対のデモに対してまで御手を振られたということであります。やがて陛下の御 誠実な御人柄は、これらの人々の閉ざした心を開き始め、 「ヒットラーみたいな人かと思っていたが、この方は戦争する人ではない」 という言葉が囁かれるようになり、どの国に於いても、お立ちになる頃には、 対日感情が著しく好転したということであります。  続いて昭和五十年には、アメリカ御訪問の旅に立たせられました。この頃に は、日本とアメリカとの間柄は戦勝国と敗戦国の域を脱し、同盟国としての堅 い絆で結ばれ始めていたこともあり、一部で訪米反対のデモなどがありました が、大統領をはじめ国民の熱烈な歓迎を受けました。殊に陛下の巧まざる御人 柄は、もともと大らかな国民性のアメリカ人を魅了し、両国の親善に常人の為 し得ぬ偉大な貢献を遊ばされ、日米の紐帯を確固たるものにされたのでありま す。  皇室外交は百人の外交官にも勝ると言われておりますが、両度の御外遊は、 全世界に戦後の終わりを告げ、平和を愛好する日本の立場を鮮明にし、国際親 善に計り知れない偉大な成果を挙げられたのであります。  先の欧州御旅行は宝算七十一歳、米国御訪問は実に七十五歳であらせられま した。七十五歳といえば、世間では現役を退き余生を楽しむ歳であります。外 遊と言っても、我々庶民の気楽な物見遊山と違って、分刻みに組まれた公式行 事の連続であり、しかも日本に対してまだ恨みを持っている者の少なくない嘗 ての敵国に乗り込まれるのですから、一挙手一投足がそのまま批判の対象にな ることを思えば、一瞬の気の弛みも許されません。精神的にも肉体的にも、御 歳の限界を越えた重労働なのであります。陛下は、ひたすら日本国と国民の為 に、御誠実一途にこのお勤めを果たされました。  私達の交遊する人の中に、その人に接するだけで、何かほのぼのとしたもの を感じさせる人があります。それは、その人の風格と申しましょうか、内なる 心から巧まずに表われる人柄が、自然と相手に伝わるからだと思います。  無私無欲、純粋無雑、誠実一途な陛下の御人柄は、皇居を訪れる多くの外国 首脳や、大使夫妻等に多大な感銘を与え、離日に際して、泣いて別れを惜しむ 大使夫人もいたということであります。ローマ法王が 「陛下にお目にかかって、日本人の心の美しさが、どこから出てくるかがよく  解った」 と言っており、フォード大統領も、訪日で最も深い印象を受けたのは何ですか という問いに対して、即座に、 「それは、陛下にお目にかかったことと、一連の皇室に於ける行事でした」 と答えています。  昭和天皇の御大喪に際しては、実に百六十四ヶ国からの代表が参集しました。 二月二十四日の御大喪の日は、奇しくも五十六年前の昭和八年、陛下の御憂慮 をよそに、日本が国際連盟を脱退して、世界の孤児となった日でありました。 陛下は実に五十六年がかりで、当時の政府の失策を是正され、万邦協和の御念 願を達成されたのであります。しかもそこでは活発な弔問外交が展開され、外 交関係のない国の間でも話し合いが持たれたということです。陛下は、神上が りましましてから、実に外交官千人分、首相百人分に匹敵する世界的規模の壮 大な平和外交を展開せしめられました。それは恰も神代の昔、天照大御神がお 隠れになられた天の岩戸の前に、八百万(やおよろず)の神々が集まった故事の 現代版とも言えると思います。  皇室外交の俸大な成果は、数字によって表現することが出来ず、平素私達の 生活で直接その恩恵を感ずることもありませんが、目に見えないこの恩恵は、 日本の発展と繁栄に多大な貢献をしていることを忘れてはなりません。このよ うに、皇室から多大の恩恵を受けながら、喪場殿の鳥居を動かしたり、大嘗祭 にとやかく干渉することは、あまりにも国民の身勝手と言うべきではないでし ょうか。  【日本復興の原動力は天皇陛下であらせられた】  昭和三十年、訪米した重光外相がマッカーサー元帥を訪問し、そのとき陛下 との御会見の模様が明らかになったことは前に述べましたが、元帥はその時次 のようなことを述べています。 「重光君、日本はおよそ十年の聞に、灰の中から立ち上がって、今日の状態に  まで復興することが出来た。その最高殊勲者は誰だと思うかね」  心の中で、それはマッカーサー元帥だと言わせたいのだなと思った重光外相 は答えませんでした。黙っている外相に、元帥は言葉鋭く、 「君が返事できないならば私が教えよう。それは、天皇陛下以外の誰でもない。  外国人の私が判っていて、日本人の君が判っていないとは、大きな間違いだ  ぞ」 と言ったあと、言葉を柔らげて続けました。 「私は、戦後の復興に最も貢献したお方は、陛下であると断言して憚らない。  日本人の多くは、まだそのことを知っていないし、また、知らされてもいな  いようだ。いずれその時代の歴史が正当に書かれるときがきたならば、天皇  陛下こそ、新生日本の生みの親であることが明らかになるだろう」  マッカーサーが、陛下との約束を破って御会見の模様を暴露したのは、日本 国民があまりにも陛下の御広恩を知らないことに憤慨し、暴露しないではおら れない気持ちに駆られたからではなかったかと思います。  ローマ法王は、 「日本の原点を一口に言うならば、それは天皇陛下である」 と言っております。  戦争の惨禍で全てが壊滅した日本に於いて、唯一つの安定点が天皇陛下であ り、敗戦に打ちのめされた国民は、『陛下が御安泰である』という一点を心の 拠り所として、復興に邁進しました。  『朕爾臣民と共に在り』と仰せになられた陛下は、精力的な国内御巡幸によ って国民を励まされ、宝算七十余歳の御身を以て、二度に亙る国際親善の御外 遊に旅立たれたことは既に述べました。  今日の日本の繁栄は、もとより勤勉な国民性と必死な努力の成果であること は、疑う余地がありませんが、私達はその奥にある原点を忘れてはなりません。 03684/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 一五 (12) 98/09/11 00:52 03683へのコメント コメント数:1  【大東亜戦争の戦争目的と結果】  大東亜戦争は、日本が一方的に仕掛けた侵略戦争であるということが、勝者 によって作られてから久しくなりました。国民の中に、「日本は無謀で無駄な 戦争をしたものだ」と言う人が少なくありません。その言葉を、戦争を知らな い年代のみならず、従軍したわれわれの戦友の口からも聞くことがあります。 若し、大東亜戦争が無駄な戦争であったならば、靖國の英霊は犬死したことに なり、我々も貴重な青春を無駄に生きたことになります。果たして大東亜戦争 は、馬鹿な戦争だったのでしょうか。歴史は百年を経なければ、正鵠を期し難 いと言われていますが、戦後四十五年、ぼつぼつ歴史は見直されなくてはなり ません。      ┌─内政   政治─┤    ┌─外交      └─外政─┤           └─戦争  右の図式でお判りのように、戦争は政治の一環であり、戦争目的は政治目的 でもあります。対外交渉に於いて、外交手段で政治目的が達成できないときに、 戦争という非常手段に訴えることになります。多くの場合は戦勝によって政治 目的が達成できますが、しかし、戦争は一つの手段に過ぎませんから、必ずし も勝ったからと言って目的が達成できるとは限らず、負けたからと言って目的 が達成出来ないとも決まっておりません。  それでは大東亜戦争の戦争目的(政治目的)は何だったのでしょう。それは次 の三点に絞られると思います。そしてそれらの目的は、戦後四十余年を経た今 日、どのようになっているでしょうか。 一、経済の安定 二、国防の安泰 三、アジア諸民族の解放  第一の経済について申しますと、昭和に入ってからの日本経済は全くの死に 体であり、一部の富裕階層を除く大多数の国民は、貧乏を分かち合うという生 活に甘んぜざるを得ない有様で、現在の豊かな感覚では想像も出来ない貧乏国 でありました。日本が大陸に進出していったのも、前じ詰めれば食わんが為で した。その日本が、今や経済大国と言われるまでに発展し、個人々々について の格差があるにしても、国民は世界で最も平和で豊穣な生活を享受しています。 経済の安定という政治目的は、四十余年がかりで立派に達成されました。  それは、勤勉努力を規範とする国民性と、祖先伝来の叡智によるものですが、 中途半端な敗戦でなく、何もかも徹底的に破壊し尽くされたドン底に落ちたこ とが、却って新しい道を模索し追求する意欲を生んだことも、見逃すことがで きません。それにもまして大きな素因は、戦後直ちに始まった米ソ冷戦であり、 日本経済に起死回生の転機を齎した朝鮮戦争とべトナム特需でした。日本を非 武装にし、永遠の四等国として極東の一角に閉じ込めるというアメリカの方針 も、米ソ冷戦に直面しては、日本を反共の防波墟として重視せざるを得なくな ったのであります。  戦争中待ち望んだ神風は遂に吹くことなく終戦となりましたが、戦後まとめ て一斉に吹き始めました。日本はこの神風に乗って、武力によらずに国家を繁 栄させるという新しい道のあることを発見し、これを会得することが出来たの であります。  一方戦勝国の戦後はどうだったでしょう。台湾に逼塞させられた蒋介石は論 外として、ソ連や中共の国民生活は、今更説明するまでもありません。米国は、 日本に勝ったその日から、ソ連という大敵に対抗して軍備増強に迫られ、敗戦 国から賠償を取るどころか、せっせと食糧を補給し、軍隊を派遣して守ってや らなくてはならなくなったのです。何ということはない、敵が日本とソ連と入 れ替わったに過ぎませんでした。そして、米ソ共に莫大な軍事費の支出に耐え かねて、片や国家経済が破綻して西側陣営に屈服し、片や世界一の債権国から 債務国に転落しました。イギリス、フランスも、海外に保有していた広大な植 民地の総てを失い、二流国に甘んぜざるを得なくなりました。  第二の国防は戦後どのようになったでしょうか。戦前の日本は、北にソ連、 西に支那、東に米国、南に英仏蘭と、四周を敵に囲まれており、とりわけ米ソ は当面する最大の強敵であって、国家予算のかなりの部分を国防費用に回さな くてはなりませんでした。貧乏国日本にとって、膨大な国防費は国家経済の限 界を越えた大きな負担であり、それだけ国民生活が圧迫されていたのです。  戦後の日本は、アメリカの大きな核の傘にすっぽりと覆われ、日米安保条約 によってしっかりと守られております。嘗ての占領軍は、今や日本の番犬とな り、日本はGNP一%程度の予算の二流軍隊でお茶を濁し、せっせと経済発展 (金儲け)に専念しました。四周にいた敵も、ソ連一国となり、それも今や熊か ら牛に変身してしまいました。明治以来、国防がこれ程安泰になったことがあ りません。  余談になりますが、戦後世界各地で起きた地域紛争に対して、日本は金は出 すが、汗も血も流そうとしないという非難が、アメリカその他の西側諸国から 起こっています。日米安保条約只乗り論も、事あるごとに持ち出されていて、 日本叩きの一つにもなっています。アメリカが、日本に金以上の協力を求める ならば、極東軍事裁判は報復の為の裁判であり、誤りであったということと、 現行日本国憲法が、日本を骨抜きにする目的で押し付けたものであるという二 点を、はっきりと白状することが先決と思います。何も韓国が日本に言うよう に、謝罪せよとまでは言いませんが、この二点を曖昧にしたままで、日本人に 汗と血を要求しても、これに応ずる者はいないでしょう。  さて第三のアジア諸民族の解放はどうでしょうか。戦前の世界地図を見れば、 一目瞭然ですが、世界の大部分が白人大国の植民地であり、支配地域でありま した。第一次世界大戦の後設けられた国際連盟は、白色人種だけの繁栄と幸福 を図ることを目的とした機関であり、有色人種は白色人種に奉仕する為の存在 でしかありませんでした。戦後民族自決の気運が急速に高まり、日本が標榜し たアジア諸民族の解放は、アジアのみに止どまらず、全世界から植民地が一掃 されるに至ったのであります。大正時代、国際連盟で人種差別撤廃を提案した 日本が、白人諸国の大反対で否決されたことを思うと、まさに今昔の感があり ます。  敗戦国日独伊はさておいて、戦勝国またはこれに準する国が、戦後失った植 民地、保護領、自治領などの支配地は、主としてアジア、アフリカ、大洋州な どの後進地域に多くあります。それを列記すると次の通りで、如何に白人が世 界を制覇していたかが解ります。 ★イギリス  バーレン、バングラデシュ、ブータン、ブルネイ・ダルサラーム、  ミヤンマー(ビルマ)、キプロス、イエメン、インド、ヨルダン、クウェート、  マレーシア、シンガポール、オーマン、パキスタン、カタール、スリランカ  (セイロン)、アラブ首長国連邦、オーストラリア、フィジー、キリバス、  ニュージーランド、ソロモン、トンガ、ツバル、ボツワナ、カメルーン、  エジプト、ガンビア、ガーナ、ケニア、レソト、マラウイ、モーリシャス、  ナイジェリア、セイシェル、シェラレオネ、ソマリア、南アフリカ、スーダン、  スワジランド、トーゴ、ウガンダ、タンザニア、ザンビア、ジンバブエ、  マルク、バハマ、バルバドス、べリーズ、ドミニカ、グレナダ、ジャマイカ、  セントルシア、ガイアナ。 ★フランス  カンボジア、ラオス、ベトナム、仏領インド、レバノン、シリア、  アルジェリア、ペナン、ブルキナファソ、カメルーン、中央アフリカ、  チャド、コロモ、コンゴ、ダホメ、コートジボアール、ジブチ、ガボン、  ギニア、マダガスカル、マリ、マルガシュ、モーリタニア、モロッコ、  ニジエル、トーゴ、チュニジア、セネガル、ボルタ。 ★オランダ  インドネシア(スマトラ、ジャワ、ボルネオ、西部ニューギニア)、スリナム。 ★アメリカはフィリピン、ベルギーはコンゴ。  右に反して、ソ連と中共は広大な領土を簒奪し、武力で押さえ付けていまし たが、力による征服には必ず末路があり、平成になってソビエト帝国は崩壊し、 中共の崩壊も時間の問題となりつつあります。  戦前には、白色人種の前に卑屈な程卑屈な程脆いていた有色人種が、何故、 急速に自信と自覚を持つようになったのでしょうか。戦後、英国宰相チャーチ ルが述懐してこのように言いました。 「英帝国が終焉した理由は、英軍がアジア人の目の前で日本軍に惨敗したから  である。一度失墜した権威を、もう一度揚げることは出来っこない。英軍は  戦後も依然として強力だが、しかし世界の人々は、英軍がアジア人に負ける  のを見てしまった」  有色の日本が、ホンコン、シンガポールで英軍に大勝し、フィリピンの米軍 を駆逐したのを目のあたりにした世界の有色民族から、長年の間に習性とまで になっていた白人隷属の卑屈な気持ちが、ヴェールを剥がすように一掃され、 『白人優位、白人不敗」の神話は、これを機にして崩壊したのでありました。  白人優位の帝国主義世界が続く限り、日米戦争は昭和十六年に勃発しなくて も、何年後かに起こったであろうところの避けて通ることの出来ない宿命戦で あったと思います。まさに大東亜戦争は、有色人種の白色人種に対する壮絶な 巻き返しであり、そして、その力と気迫を持っていた国は、その当時日本しか なかったのであります。  このように見ますと、日本は戦争に敗れはしたものの、四十余年がかりで、 大東亜戦争の戦争目的(政治目的)を立派に達成しました。永遠に続く戦争はあ りません。しかし、政治は永遠に継続し、しかもそれは過去の足跡の上に積み 重ねられるものです。現代は明治維新の延長であり、大東亜戦争の連続であり ます。日本は戦争に負けたという幸運(?)をを転機として、戦争目的を完遂し たのでありました。  殊に、それまで世界の通念となっていた帝国主義が崩れ、国威宣揚の方策で あり、美談でさえあった戦争が、罪悪という観念に変わり、世界平和と万邦協 和こそ、それぞれの国が繁栄する最良の方法であることを知りました。  大東亜戦争は日本のみならず、全世界の人々の思想と理念を覚醒させ、『万 邦協和』という昭和天皇の御念願を達成させたものであり、決して無駄な戦争 ではありませんでした。  戦後世界各地で、米ソの代理戦争のようなものがありましたが、この二大国 間に銃弾が飛び交うことなく、東側共産圏の敗北という結末で、第三次世界大 戦の幕が降りようとしています。平成は『平和が成る』ということですが、日 本のみならず、世界の平成であることを祈念してやみません。 03685/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 一六 (12) 98/09/11 00:53 03684へのコメント コメント数:1  【俗にいう『天皇人間宣言の詔書』と『現人神』】  八百万の神(やおよろずのかみ)という言葉の如く、日本人は神代の昔から、 森羅万象あらゆるものの中に霊が存在しているとして、その霊気を神として崇 め祀る風習がありました。お祭りの中で最も大切なお祭りは、先祖を祀ること でした。これが『かんながらの道』であり、俗に神道といわれているものであ ります。『かんながらの道』は、古来から伝わる伝統的風習であって、宗教で はありませんから、厳めしい教義もなければ、布教活動もありません。  それぞれの氏(うじ、部族)の祖先を祀ったのが氏神であり、大家族主義で発 展してきた日本民族の宗本家の氏神様が伊勢の皇大神宮であります。人間も死 んだら神になるという思想ですから、日本には祖先の数だけ神々がおられるわ けです。その中で偉大な神は神社に祀られます。乃木神社、東郷神社など、そ の例は数多くあり、今日までお互いに馬鹿を言い合っていた戦友も、戦死すれ ば神として靖國神社に祀られたことはご存じの通りです。氏神様は、長い年月 の間の人々の移動によって、今では氏の祖先というより、その地域の護り神、 即ち鎮守様という観念に変わっていますが、本質的な意義は変わりありません。  人も動物も山も川も、あらゆるものの中の霊が神様ですから、日本の神様は 唯一でもなく、絶対でもなく、また、万能でもありません。風の神の虫の居所 が悪いと台風になり、水の神が昼寝すれば干魃になり、暴れると洪水になりま す。拙宅に長年居座って動かない貧乏神という、人から歓迎されない神様もあ ります。徳望の高い人を生き神様と言ったり、その道の奥儀を極めた人を、〇 〇の神様と言ったり、「お客様は神様です」と言っても、それが言い過ぎだと 言う人もいなければ、「神の名を軽々しく使うのはけしからん」と怒る神様も おられません。『神』は『上』(かみ)でもあります。このように我々日本人に とって、神様は極めて身近の存在であり、言うならば『神人同居、神人一体』 という考え方であります。  これに反して、キリスト教のゴッドやマホメット教のアラーは、全智全能唯 一絶対であって、人はゴッドやアラーの下僕(しもべ)であり、神と人は相対し た関係にあります。「お客様はゴッドです」などと言ったら、大変な騒ぎにな るでしょう。日本にキリスト教が伝来したとき、ゴッドの意義がよく判らず、 最初は天主とか、デウスなどと呼んでいました。この名称をそのまま伝えてい たら問題がなかったのですが、いつの頃か利口ぶった男が、これに『神』とい う字を当て、それが深い考えもなく世間に広まりました。この為、後世に大き な禍痕を残すことになり、今に至っても混乱の元となっています。全く本質の 異なったものに、間違った訳字を当てた為に、日本の神様はたいへんな迷惑を 被ることになり、皇室もその飛ばっちりを受けられました。  昔から天皇を『現人神』(あらひとがみ)と申し上げているのは、今までの説 明でお解りのように、生きながらにして無私無欲純一無雑の崇高な神の如き御 心を持たれた人として国民が敬い崇(あが)めて申し上げているのであって、天 皇が全智全能完全無欠の絶対神であるという意味ではありません。繰り返しま すが『現人神』とは、国民が天皇を敬う尊称であって、天皇御白身は、御自分 が神であるとは言われもせず、思ってもおられません。我々の祖先は、俗人か ら懸け離れた気高い精神を持たれる天皇を、国民団結の中心とし、国民精神の 安定点として仰いできたのでありまして、天皇が人であらせられることは、昔 から少しも変わりがないのです。  戦後連合軍は、日本の再起不能を目的として、教育勅語否定、日本骨抜き憲 法の強要、靖國神社弾圧等、日本精神と二千年の伝統の徹底的破壊を図りまし た。そして、昭和二十一年元旦に、俗に言われる『天皇人間宣言の詔書』の発 布を無理矢理に押し付けてきました。問題の箇所は次のように書かれてありま す。 『朕卜爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼卜敬愛トニ依テ結バレ、単ナ  ル神話ト伝説トニ依テ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現人神トシ、且日本国  民ヲ以テ他ノ民族に優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス  トノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ』  日本人の中で、陛下程日本の歴史を詳しく御存じであり、天皇と国民との間 柄を熟知されている御方はおられません。陛下は、御自身を神と思われたこと も、仰せになられたこともありません。陛下にとられては、初めから思っても いないものを思うな、持ってもいないものを捨てろと言われて、これほど迷惑 なことはなく、馬鹿々々しいことはなかったと思います。  GHQがこのような馬鹿気たことを要求した目的は前に述べましたが、その 素地は、日本の神様と、キリスト教のゴッドとを同一視していたからでありま す。そして、この違いはとても西洋人には理解が困難でしょう。  また、その素因の一端は、日本の指導者にもありました。昭和になって、い わゆる軍国主義が台頭し、国家総動員の為の強固な団結の中心として、天皇を ゴッドのような絶対神に祀り上げたことであります。戦場に出征するのも天皇 陛下の御為、窮乏生活に耐えるのも天皇陛下の御為、国民への要求は総て天皇 陛下の御為であり、一億国民挙って天皇に帰一し奉るという、判ったような判 らない難しい言葉も叫ばれました。天皇の軍隊、天皇の警察、天皇の官吏であ り、無理な命令も天皇の御命令ならば、不当な裁決も天皇の御裁決でありまし た。この頃西園寺公望公が、「これでは陛下御一人が悪者になってしまう」と 慨嘆しておりました。日本の指導者も国民の多くも、本当の日本歴史と伝統を 知っていなかったのでありました。  この詔書を発布される機会に、民主主義は戦後アメリカに押し付けられたも のではなく、明治天皇が明治元年に渙発された『五箇條の御誓文』に、明らか にお示しになっておられることを御論しになり、敗戦によって、ややもすれば 虚脱感に陥ろうとしている国民に、日本人としての自覚を持つように励まされ たのでありました。昭和二十一年の新春に陛下は次の御製を詠んでおられます。   ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ      松ぞををしき 人もかくあれ  敗戦によって、学校の歴史教科書はまっ黒に墨を塗られ、日本の過去の総て が抹殺されるような混乱期に、泰然と冷静に日本の国体の真姿を見失われなか ったのは、昭和天皇御一方であったのです。次に五箇條の御誓文を掲載して、 先帝陛下の大和心を拝し奉りたいと思います。    五箇條ノ御誓文   明治元年三月十四日            (当用漢字と現代仮名速いにします) 一、広ク会議ヲ興シ万機公論二決スベシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ンニ経綸ヲ行ウベシ 一、官武一途庶民二至ル迄各ソノ志ヲ遂ゲ、人心ヲシテ倦マ   ザラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破り天地ノ公道こ基ヅクベシ 一、智識ヲ世界二求メ大イニ皇基ヲ振起スベシ 03686/03693 MHD02672 TAO 【昭和の戦争責任論】 了 (12) 98/09/11 00:54 03685へのコメント 第四章 むすびの言葉  私が本文を執筆した目的の第一は、徹頭徹尾平和を愛好された昭和天皇の御 聖徳を叙述して、軽薄な天皇戦争責任論についての認識を改めてもらいたいと いうことと、併せて、戦後日本歴史の主流になった日本悪玉論を再考し、極東 軍事裁判史観から脱却して、正しい歴史の流れを知って欲しいという念願から に外なりません。  大東亜戦争は決して日本が一方的に仕掛けた侵略戦争でなかったことは、概 ねご理解いただけたと思いますが、だからと言って、日本が善玉でありアメリ カが悪者と言っているわけでもありません。『歴史と時代背景』の項で述べま したように、過去の歴史に善悪を論ずることはできません。いつの時代でも各 国の国益がそれぞれの国の正義であり、相互の妥協によって世界の平和と秩序 が保たれているのであって、妥協が崩れたときに戦争という非常手段に訴える ことになります。当時の世界情勢に於いて、米国がアジアの権益維持に危惧の 念を抱き、今こそ日本を叩く好機と判断して策謀を廻らしたのも、アメリカの 国益に基づく戦略(正義)であって、それに対して妥協することができなかった 日本にもそれだけの理由(正義)がありました。  顧みれば日米双方共に少なからぬ過ちを犯しており、また、あまりにも情報 不足でお互いを知らな過ぎました。しかしこれらは、その時代の国際情勢の流 れの中で、それぞれの指導者が選択し、あるいは選択せざるを得なかった国策 であって、総て将来の教訓でこそあれ、決して善悪論の対象ではありません。 本文は「お前が悪い、お前こそ悪者だ」という低俗な口論や、貴任のなすり合 いをする為に書いたものではないことをご理解いただきたいと思います。  昭和というと即暗黒戦争期と捉える人が、かなりおられるようです。しかし 昭和は六十四年あります。初めの二十年は動乱苦難期、次の二十年は忍耐復興 期、終わりの二十年は豊穣繁栄期であって、全御世を通じて評価されなくては なりません。六十四年の全期間を通じ、一貫して国政に参与された日本人は、 昭和天皇唯御一方あるのみであります。『戦争責任は天皇陛下、復興繁栄は国 民の功績』それはあまりにも虫のよい考えではありませんか。苦難も繁栄も、 陛下は国民とともに遊ばされ、そして私達は昭和天皇の御世に生きたのであり ます。  私は昭和終焉の日、深い悲しみとともに、『終わりよければ、すべてよし』 という言葉が念頭に浮かび、宏大無辺の御聖徳を偲び奉り、稀代の聖天子、昭 和天皇の御世に生きた幸せを、しみじみと噛みしめました。  若し、大東亜戦争がなかったならば、世界は依然として白人優位の神話が罷 り通り、四周敵に囲まれた貧乏国日本は、国家予算の大部分を国防に割き、軍 備増強に狂奔させられていたことでしょう。  その結果、戦後四十余年のソ連の恐怖暗黒政治と全体主義的統制経済により、 塗炭の苦しみを味わされた東欧諸国民の悲劇は、大東亜戦争がなかった場合に、 あるいは日本国民が辿る道であったかも知れないと思われます。このように考 えますと、『大東亜戦争があってよかった。敗けてよかった。敗けた相手がア メリカだったのが天佑だった』という言葉は、必ずしも暴論とも言えないので はないでしょうか。  大東亜戦争は、白色対有色という図式の世界に於て、昭和天皇の御力を以て しても阻止できなかった宿命戦争であり、人類が帝国主義から脱却する為に避 けて通ることの出来なかった関門であったと思います。  靖國の御祭神は、人類覚醒と新生日本の礎石でこそあれ、決して犬死された のではありません。  平成二年八月十五日                      四十五年目の終戦記念日に当り 03687/03693 GFB00026 一輝 ミサイル実験と情報戦 (12) 98/09/11 03:35 03640へのコメント コメント数:2 >#3640 水戸黄門さん ||「窮民革命」とは、いったい一体誰の為のものだったのでしょうか。 | |226事件の首謀者たちは、利用されただけだったんでしょう。 ……………まさにその通りです。226事件は、昭和恐慌後の荒廃した日本の農村      に対して、見て見ぬふりの出来なかった青年将校らが起こしたクーデタ      ー未遂事件でした。あの当時、政治家は財閥と結託して保身に走り、貧      富の差が激しくなりました。      この状況は、現在に似ています。新宿西口中央公園では地下道から移動      した浮浪者に加えて、背広姿の失業者が溢れんばかりになっている。心      ある夫婦のやっている「焚き出し」目当てだというんですが、この光景      は新宿駅を素通りしてしまう人々には目に入りません。そこには何故こ      んなにも失業者が居るのか、と誰しもが思う状況があります。西口中央      公園だけではありません。どこの街だって深夜になれば、結構居るなと      感じるほど、ゴミ捨て場を漁って歩く失業者たちに出会います。      その一方で売上激減のデパートでは、何故か超高額商品が売れ出してい      ます。一体誰が買っているのでしょうか。日本にも金融ビッグバンで、      外資と組んで荒稼ぎする超高額所得者層が極僅かに現れているのです。      彼らは食事に懐石料理やフランス料理を出すような病院にしか、通院し      ません。      失業者の群れも超高額所得者層も、まだ一般には目の届かぬ人々かも知      れません。しかし見える者には見えるのです。226事件の将校も、そ      んな青年たちでした。 |北朝鮮が日本海にミサイルを試射する準備を進めているという情報があります。 |日本もなめられたものです・・・。中国は静観するようすですが、米国側からは |一部に情報がもれています。この情報がもれて、私の耳にまではいっている、し |かも、私だけに限らず、誰かかどこかで書いてしまうだろう、書かないまでも噂 |が広まるだろうことは、米軍の一部も承知しているはずです。この点について、 |何か裏はあるのかかんぐりたくなります。沖縄基地問題も北朝鮮の工作であるこ |とは、一般にも報道されました。 ……………この話を黄門さんがお書きになったのは[98/08/22 17:22]ですが、今振      り返って読むと、実際にミサイルは約一週間後に発射されたわけですか      らリアリティがありますね。      アメリカは事前に自衛隊に警戒態勢に入るよう促していたそうです。な      ぜこんなアメリカ依存型の情報系になってしまったのかというと、大東      亜戦争の真の敗因は情報戦だったという教訓から、戦後なってもアメリ      カは、日本に独自のレーダー通信網を作らせないようにしていた経緯が      ある為です。自己啓発セミナーやワークショップもそうでしたが、「視      野狭窄」は相手を隷従可能な状態に置くことが出来るからです。      所沢には返還されたはずの米軍基地の一角に、極東全部の空域を網羅す      るOTHレーダーという米軍の通信施設があって、常時偵察衛星と連携      しながら、鋭い目を光らせています。この隣に成田空港の通信施設があ      って、日本はアメリカからのおこぼれ空域情報を、地下ケーブルを通じ      て貰っている有り様です。この地下ケーブルを分断しようと極左が動い      た事件も遠い昔の話ですね。      黄門さんのこのアメリカの承知していながら情報を流す話を読んで、私      は実験だなと思いました。謀略にはつきものの戦術ですが、ある一定の      方向性を持った情報を流して、各層の人々がどう反応し行動するのかを      その後チェックするのです。この中にはマスメディアも含まれますし、      インターネットなども含まれているでしょう。      そして実際にミサイルが飛んだ。今度は意識の変化についてチェックを      する。これらのデータは、今後の謀略を行う上で貴重な資料になります。      ミサイルを発射してからの日本人の反応は、アメリカだけでなく北朝鮮      や韓国や中国やロシアにとっても、調査対象になっているはずです。      そして我々にとっても監査の機会になります。例えば野党の反応です。      私の記憶でしかありませんが、ミサイル問題に言及した野党は民主党の      管直人くらいじゃないでしょうか。その内容は、日本独自で情報を得る      ことは出来ないかというもの。しかし社民党も共産党も沈黙したままで      す。      自衛隊は違憲だと阪神大震災でも救済活動にセーブをかけた社民党、そ      の現在の党首である土井の親衛隊である衆議院議員、ピースボートのイ      メルダ夫人とも言われた辻元清美は、代表として何度も北朝鮮にピース      ボートを送り込んできた張本人でした。共産党は街頭宣伝カーで、北朝      鮮からのミサイルのことは一切触れずに、今頃になってアメリカの過去      の核実験を糾弾していました。一体どこの国の政党なんだと思いました      ね。 |日本は、最近、探索人工惑星「のぞみ」を火星にむけて打ち上げました。スイン |グバイという月の重力を利用した複雑な制御を2回行ない今年末には、のぞみは |火星に向かいます。また、「彦星」と「乙姫」の遠隔操作によるドッキングにも |成功しました。これは無人衛星によるドッキングとしては、世界初の快挙です。 |この技術は、そのまま北朝鮮に対する脅威でもあります。というのは、こうした |制御技術は、そのままミサイル技術に日本は利用できるからです。これだけが、 |北朝鮮が日本海にミサイルを試射する理由ではないでしょうが・・・。 ……………これはなかなかクサイ話ですね。ミサイル発射後に北朝鮮が日本の騒ぎ      に対して、日本の関知する問題ではなく、自分らには何をしようが権利      があると言いました。しかしこの時点では人工衛星のことは言わなかっ      た。とすると、後であれは人工衛星(アメリカ海軍筋によれば10センチ      大くらいのお粗末なものだったとか)の打ち上げだったと発表したわけ      ですが、この裏には「日本だって人工衛星とか言って、オレらに脅威を      見せたじゃんか」という恨みがあった可能性はありますね。「北朝鮮が      日本海にミサイルを試射する理由」を発表によって仄めかしたというこ      とも考えられます。      アメリカが、この人工衛星の発射とミサイル発射という二つの目的は、      相反するものではないと述べたことから、黄門さんの話は真実味を帯び      てきていると思います。 |実は、以前からソビエト、北朝鮮と日本の間では、小競り合いがあり、自衛官が |日本海で戦死しているという情報があります。両国の近海での偵察による戦死で |す。北朝鮮軍やソ連軍は、日本の自衛官を断首して、持ち帰る習慣があるようで |す。首なしでしか戦死した自衛官の体は回収できないようです。もはやソビエト |との間には戦闘はないでしょうが・・・。戦死した自衛官は訓練中の死亡という |ことで処理されていますが、彼らは戦死したのです。おそらく自己防衛もしてい |ないでしょう。その栄誉を私たちはいつ弔うことができるのでしょうか。こうし |た情報を検証する証拠もないでしょう。 ……………これもまたとんでもない話ですね。でもよくよく考えれば戦争というの      はドンパチだけでなくて、情報収集の時点から始まっているのですから、      決してあり得ない話ではないです。      それにしても日本はこれまでにも北朝鮮に食料援助をしたり、日本人妻      里帰りの際にも一人当たり幾らと莫大な資金を与えてきました。銀行へ      の巨額な公的資金投入の際にも、朝鮮銀行が含まれていました。しかし      彼らは何の義理を感じる態度も我が国に見せず、まるで国家ぐるみの暴      力団という印象です。      ニューヨークで行われている米朝高官協議の上で北朝鮮は、「我が国に      ミサイル開発を放棄してほしいなら、その代償として10億ドル(約14      00億円)支払え」という意味の要求をしたと言います。こういうやり方      で核査察から軽水炉支援になって、その資金を日本が援助することにな      ったわけですから、日本はアメリカの財布です。援助オヤジのようなも      の。      米朝高官協議の合意が果たせれば、日本は蚊帳の外に置かれてしまいま      す。韓国は韓国で、初の北朝鮮への旅行ツアー事業を控えており、日本      に同調しようという態度が無い。アメリカの国債の半分近くは日本が買      っているし、韓国経済危機に一番援助したのは日本。アメリカにしても      韓国にしても恩義のかけらもない薄情な国々だと思いました。      本当のところは、一番喜んでいるのはアメリカなのかもしれません。今      回の事件を契機に、有事に於ける日米ガイドラインが具体化すれば、使      いこなせぬような兵器をアメリカにたくさん買わされ(既に買わされて      いて、例えば対潜哨戒機ひとつ買うのに、車体が重いので滑走路がもた      ないことが購入後に判明し、日本全国の航空基地の滑走路のアスファル      トを全て剥がし新たに作り直した)、日本は米軍の属兵への道を歩むで      しょう。      日本の食料自給自足率が低いように、防衛でも自給自足率が低いです。      精神的自立の道を見失っているのは個人単位でも同様ですが、自分の国      のことは自分の国で護るのが基本です。防衛庁を早く国防省に昇格し、      背任行為の温床となるような防衛施設庁など、廃すべきだと思います。      嫌なことは忘れるのが一番だと、ミサイル発射実験を無かったことにし      ようとしている大半の日本人。危機意識は「生命にとっての危険信号」      です。無視しようとする動きを抑えねば、結局危険な目に逢うのは我々      一人一人なのです。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 03688/03693 GFB00026 一輝 日本人による竹島上陸計画 (12) 98/09/11 03:54 03687へのコメント ■日本人による竹島上陸計画   韓国が日本の経済制裁の方針に同調しないことに腹を立てたのか、   右翼団体が竹島上陸を近々行うという話を聞いた。心情は分かる   が、微妙な時期なだけに軽率な行動は謹んで貰いたいと思う。竹   島は既に韓国に占領され住民が居る状態であり、尖閣諸島の場合   とは事情が全く違う。   先日の休みの都心で、街頭宣伝カーで右翼団体が「ミサイル反対   」を訴えていたのを見た。その音声は暴力的で自己陶酔を伴って   おり、とても人々が共感するようなものではなかった。ああいっ   たスタイルで、これまでどれだけの効果があっただろうか。人々   が愛国心や天皇や日の丸に対して嫌悪を抱くようになったのは、   あのイメージではなかっただろうか。ぜひここで皆さんの意見を   伺ってみたい。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 03689/03693 KYW04750 水戸黄門 RE:ミサイル実験と情報戦 (12) 98/09/12 02:05 03687へのコメント |>#3640 水戸黄門さん |……………まさにその通りです。226事件は、昭和恐慌後の荒廃した日本の農村 |     に対して、見て見ぬふりの出来なかった青年将校らが起こしたクーデタ |     ー未遂事件でした。あの当時、政治家は財閥と結託して保身に走り、貧 |     富の差が激しくなりました。 このときの閣僚に鈴木氏がいました。天皇の侍従長をやり,奥様は天皇の乳母 だったと思います。この鈴木氏は阿南氏と並び,天皇の信頼も厚く,終戦の天 皇のご聖断をあおいだ方でした。この鈴木氏については伝記がでていますが, ここに書かれた以上の情報を私は持ち合わせておりません。ただ,この方がお 作りになったある財団法人(だったと思います)が,いまでも日本の農業問題 を扱っているそうです。この財団の理事にひょんなことで,お目にかかること ができました。この方の見解は,このフォーラムで議論されている話とも重複 することが多く,また,目から鱗が落ちる話ばかりで,脱帽しました。東南ア ジアや南米の状況にも明るく,中でもインドシアの状況に明るい方です。 |     亜戦争の真の敗因は情報戦だったという教訓から、戦後なってもアメリ |     カは、日本に独自のレーダー通信網を作らせないようにしていた経緯が |     ある為です。自己啓発セミナーやワークショップもそうでしたが、「視 |     野狭窄」は相手を隷従可能な状態に置くことが出来るからです。 情報も知識も武器です。また,私たちが「思考」しているつもりになっている 本当の意味での思考する力も武器です。なにより,私たちが忘れてしまった 「思想」が何よりの武器です。まず,私たちは性格な情報と知識を獲得するこ とです。他国の報道も収集することでしょう。一輝さんは,インドネシアにご 興味があるご様子なので,信頼できるニュースソースをひとつ明かしましょ う。インドネシアウオッチングというニューズレターです。 ASIACONSULT ASSOCIATES NEWS LETTER http://www.jaknet.com/x.asiaconsult e-mail:asiaconsukt@jaknet.com 所在地:Wisma 46 12th Fl.Suite 1205 Ji.Jend. Sudirman Kav. 1 Jakarta 10220 Phone 021-572-2082 日本語が通じます。ジャハリ/サラギさんが窓口です。 次回のニューズレターは「ハビビ政権,その100日」です。 インドネシアでは,農業政策に失敗したそうですが,詳細はわかっていませ ん。 最近のニューズレターは手許にあります。 |     所沢には返還されたはずの米軍基地の一角に、極東全部の空域を網羅す こうした防空体制は,日本電気がバッチシステムとして受注しています。飛行 物体を特定するシステムの一部は,ヒューズエラクラフトとの合弁で,現在は 日本電気100%子会社のアビオニクスが担当しています。防衛庁の不正事件 で検察の手がのびていますが,日本の検察は,その刑事訴訟法の関係で「たれ こみ」がないと動けないそうです。ということは,今回の事件もたれこみがあ ったと推察されます。時期が時期だけに,以前から内偵はあったというもの の,くさいですね。 |     黄門さんのこのアメリカの承知していながら情報を流す話を読んで、私 |     は実験だなと思いました。謀略にはつきものの戦術ですが、ある一定の |     方向性を持った情報を流して、各層の人々がどう反応し行動するのかを |     その後チェックするのです。この中にはマスメディアも含まれますし、 |     インターネットなども含まれているでしょう。 はい。実験だと思いますが,こうした情報は必ず識別信号を埋め込みます。北 朝鮮がミサイルを試射するという情報だけではなく,周辺の情報をあわせて流 します。この周辺情報から,情報がどのように流布されたか特定するのです。 こうした情報ルートの特定も実験の一部だと思います。なぜ,このような想像 をするのかというと,新製品などは企業内ではコードネームをつけます。その コードネームを意識的に部門ごとに変えるのです。すると,そのコードネーム からどこから情報がもれたか特定できるからです。こうした話は,ビジネスマ ンであれば,ほぼ常識になっていますから,情報戦の基礎的な技法は広く知れ 渡っていると思った方が普通です。こうしたことを承知の上で,さらに米軍は 情報をもらしているのです。なぜでしょうね。 |     そして実際にミサイルが飛んだ。今度は意識の変化についてチェックを |     する。これらのデータは、今後の謀略を行う上で貴重な資料になります。 |     ミサイルを発射してからの日本人の反応は、アメリカだけでなく北朝鮮 |     や韓国や中国やロシアにとっても、調査対象になっているはずです。 米軍だけではなく,中国も北朝鮮もロシアもお互いにお互いを調査しているで しょうし,日本軍もやっていることでしょう。 |     そして我々にとっても監査の機会になります。例えば野党の反応です。 |     私の記憶でしかありませんが、ミサイル問題に言及した野党は民主党の |     管直人くらいじゃないでしょうか。その内容は、日本独自で情報を得る |     ことは出来ないかというもの。しかし社民党も共産党も沈黙したままで |     す。 社民党は,批判すると,かなり過激に反応するそうですね。おもしろそうだか ら,時間ができたら,ちょっとつついてみましょう。社民党は,よく知られて いるように北朝鮮べったりですからね。こうした政党がもてはやされた時期も あったわけで,にわかには日本人の心性は理解できないところがあります。 共産党は,代議士ひとりひとりは,けっこう真面目でまともでよく勉強してお り,憂国の氏だったりするそうですが,中央の統制がきつく,自由に動けない ようですよ。こうした情報や個々人の思想は,国家公務員からけっこう収集で きます。 |     アメリカが、この人工衛星の発射とミサイル発射という二つの目的は、 |     相反するものではないと述べたことから、黄門さんの話は真実味を帯び |     てきていると思います。 私は,かって宇宙工学者にもなりたいと思ったことがありまして(苦笑),叔 父に「ロケットをとばしたいなら,ミサイルの研究をしないとね」とアドバイ スされました。そもそも,ナチスのV2号は初期の大陸弾道弾だったわけで, その技術を使って米ソの宇宙開発競争が始まったわけです。その目的は,軍事 目的なわけで,工衛星の発射とミサイル発射という二つの目的は全く矛盾しま せん。 なお,衛星の打ち上げは,弾道ミサイルの打ち上げより容易だそうです。 |……………これもまたとんでもない話ですね。でもよくよく考えれば戦争というの |     はドンパチだけでなくて、情報収集の時点から始まっているのですから、 |     決してあり得ない話ではないです。 この情報は自衛官からのものです。自衛官は企業に天下りして,こうした話を 酔っぱらったりすると,けっこうベラベラ話すのです。だから,私は自衛官の 天下りは反対です(苦笑)。国防もへったくれもあったもんじゃないですね。 |     ニューヨークで行われている米朝高官協議の上で北朝鮮は、「我が国に |     ミサイル開発を放棄してほしいなら、その代償として10億ドル(約14 |     00億円)支払え」という意味の要求をしたと言います。こういうやり方 |     で核査察から軽水炉支援になって、その資金を日本が援助することにな |     ったわけですから、日本はアメリカの財布です。援助オヤジのようなも |     の。 日本は今回のミサイルについて,あまり過剰反応はすべきではないという意見 を私は持っています。その理由がこの北朝鮮のブラウなんです。軽水炉の援助 は打ち切られていますからね。 北朝鮮の首長は,日本食が大好きだそうですよ。 |     米朝高官協議の合意が果たせれば、日本は蚊帳の外に置かれてしまいま |     す。韓国は韓国で、初の北朝鮮への旅行ツアー事業を控えており、日本 |     に同調しようという態度が無い。アメリカの国債の半分近くは日本が買 |     っているし、韓国経済危機に一番援助したのは日本。アメリカにしても |     韓国にしても恩義のかけらもない薄情な国々だと思いました。 この見解について,アジア地域の知識人から日本人にメッセージがでていま す。日本は,資金的援助をして,実際に活動しているのは米国人だと。なぜだ というわけです。NGOの経営は欧米人なかでも米国人がしきっています。こ こに日本人がはいってくると,彼らは日本人が金をだしているのに,大変に怒 るそうです。理由はいろいろあるでしょうが,本音は「自分たちの地位と名誉 と給料」をとられることがいやなののだ。こういうことも日本人はわからない のかというメッセージです。日本人はもっと経営面でも参画して欲しいが,参 画して欲しくないというアジアの声もあり,日本はこちらの声にひっぱられて いるのです。この問題は,ちょっと根が深く,複雑ですね。 日本人がアジア人に信用されない最大の理由は,説明不足だという指摘があり ます。日本は集団的ノウハウを蓄積し,そのノウハウを文書に残さない習慣が あります。あるいは,そのノウハウを体系化して,普遍的な形や伝達しやすい 形または継承しやすい形にしません。言葉にしないノウハウが多いのです。こ の心性は「アメリカ的」教育を受けたアジアのエリートにはうさんくさくみえ るらしいのです。このことについて,アジアのエリートを批判できません。日 本人の努力が足りないと反省し,努力し,日本に彼らが本当に顔をむけるよう になったとき,あらためて,その心性を語るべきだと感じています。 私たちは,「説明する力」や「体系化する力をコストと時間をかけて蓄積する 必要があるでしょう。本来,これは学者の仕事ですが,今後は民間人である私 たちも努力していく必要がありそうです。 たしかに日本人の特性である黙示の集団的ノウハウなるものは,言葉にした瞬 間に,体系化した瞬間に,イノチを失います。「つかえなくなる」のです。そ れは,体系化したり,言葉にすることで,切断されてたり,捨てられてしまう 要素があるからかもしれません。なにより,そのノウハウの魂までは,伝達で きないのです。これは,仕事を通じて切実に常に感じることです。経験や体験 に基づく実感にかなうものはありません。 しかし,継承できるものはできる限り形にしておくことが,私たちの子孫やこ の星のための指命なのかもしれません。それがヒントになって,魂を再現でき る人間は必ず存在すると断言できます。英語では,実現することをエンフォー スといいますが,日本語ではなぜか強制力と訳されています。 歴史は,現代からみた過去です。戦争論も同様です。過去が今を作っているに も関わらず,未来が今を作っているにも関わらず,過去は現代からみた価値観 でしか,人はみることができません。しかし,その歴史をできる限り,そのま まの形でそっくり受け止めてしまうことにより,その魂も,きっとよみがえる でしょう。 98/09/12(土) 00:26 水戸黄門(KYW04750) 03691/03693 GFB00026 一輝 今日のバリと日本を繋いだ一通の遺書 (12) 98/09/12 04:55 03635へのコメント ■今日のバリと日本を繋いだ一通の遺書 >#3635 | 『三年有半の御奉公の最后を全うすべく遂にバリの土になることを決意し、 | 六時間の後、笑って世を去る。 | 自決を決意して数時間の後の世を去る者なるに不拘、何等の不安も動揺もない。 | 之れは今許のではなく、已に半月も前からである。 |               …(中略)… | 私の自決は、原住民の覚醒を促進せしむるに | 大いなる効果あるものにたる事を信じて疑わぬ。』 | |                    ……三浦襄が家族に宛てた遺書より | | |現在へと至る日本とバリ島を繋ぐ見えない赤い糸が、 |たった一人の人間によって作られたという話を皆さんに紹介しよう。 | |三浦襄のことは、戦後53年の歳月の中で、日本に於いてもバリに於いても風化し |てしまい、今では殆ど語られることがなくなった。しかし、戦前戦中を通してバリ |島と深く関わった日本人やバリ島の老人達の心の中に、未だに三浦襄は生き続けて |いる。彼の名を忘れたバリ人の中にも、日本人への友好感情という形で三浦襄は生 |きているのだ。 | |三浦襄は明治21年、牧師の子として東京に生まれ、父の仕事とともに東北地方に |転居するが、明治38年東京へと戻り明治学院普通科に入学、その後南洋商会に加 |入して、明治42年にジャワに渡りスマランで行商を始める。さらにマカッサルで |雑貨商を開業、成功したがトラジャでのコーヒー園経営に手を広げて失敗し、一切 |の家財道具を放棄してバリ島デンパサールに移住したのは昭和2年のことだった。 | |三浦はデンパサールで自転車修理業を始めたが、それまでの経営とは異なり、つつ |ましいものとなった。その後昭和16年までバリ島に滞在し、バリの人々に積極的 |に溶け込むことで信頼関係を築いていった。この間、バリ島を訪れる日本人達の相 |談役もこなした。 | |三浦の子供はバリにたくさん居た。これは妾が居たというわけではない。バリ島の |ベノアは漁業基地で、和歌山県や沖縄県から来た漁夫が、オーストラリアやアラフ |ラ海へ出かけるためにバリへ来て、バリ島の女性との間に生まれた子供たちを、自 |分の子供として引き取り育てていたからである。 | |そんな平和だったバリにも戦争の影が忍び寄り、昭和16年6月、オランダ総督府 |による資産凍結を予期して三浦は日本に帰国している。そして同年12月に太平洋 |戦争が開始された。彼は翌年の1月海軍軍属として招集された。 | |日本軍はサヌール沖から無血上陸に成功するが、三浦がその上陸部隊の先導役を務 |めた為に、住民は安心して日本軍を迎え入れることが出来たからである。その後デ |ンパサールに於いて、通訳としてバリ島代表と日本軍との会談の、仲介役として働 |き、また軍の行き過ぎた行動を戒め、島民の陳情を聞き入れ問題解決にあたった。 |やがてバリ島の人々からも軍部からも「バリ島の父」と呼ばれるようになった。 | |昭和20年8月、日本が敗れると三浦は暫く姿を隠してしまうが、その間バリ全島 |を回って謝罪の演説を行うという行動に出た。その時には既に自分の墓を作らせて |周囲の人々に別れを告げ、9月6日デンパサールの映画館で、「インドネシア独立 |を見守る為に自分の骨をバリに埋める」という有名な大演説を行った。 | |翌日未明、遺書と友人への遺品を机に残し、デンパサール市内の自宅の庭でピスト |ル自殺を図り、56歳の人生をバリ島で終えた。鮮血で住居を汚しては家主に迷惑 |をかけるからと、中庭に小さな囲いを作ってそこを最期の場所として選び、自分の |体格に合わせた木棺まで用意して、最期まで近隣住民への心配りをはかっていた。 | |三浦は太平洋戦争という時代のひとコマの中でバリ人と日本人の狭間を行き交い、 |最後はバリ人として独立を願い、日本人として戦争責任を死をもって全うしたのだ |った。バリは、以後四年間に及ぶオランダとの独立戦争へ突入する。 | |9月7日、盛大な葬儀が執り行われた。記録によればバリ人約一万人が参加し、終 |始ガムランが鳴り響き、その行列は先頭が墓地に着いてもまだ出発地点に多くの人 |々が居たということだ。三浦の遺体は、鎌倉時代の日本刀と共に埋葬された。自決 |前夜、彼は「この刀をもって三千年の間バリ島を守護する」と友人に語ったという。 | |三浦の墓はその後建て直され、現在はデンパサールの墓地の一角にひっそりと建っ |ている。ガジャマダ通りからクタ行きのベモステーションに向かってイマンボンジ |ョル通を歩くと右手に見える墓地が、三浦の眠る場所だ。生前の三浦には戦後45 |年経った現在のバリ人と日本人の親密な関係が、想像出来ただろうか。そして現在 |の若い人々は、今の平和な時代が多くの人々の死によって築かれたことを認識して |いるだろうか。 | |彼の死は無駄ではなかった。 |彼は、日本人とバリ人の信頼関係という無形の遺産を後世に残した。 |たった一人の人間の行動によって、未来は変わる。 |バリ島の老人に会ったら、聞いてみるといいだろう。 | |『戦前、デンパサールに住んでいた、 | トコ・スペダ(自転車屋)のトゥアン・ミウラ(三浦さん)のことを | 覚えていますか?』 ……………映画『プライド』の大ヒットで、次回作の話が進んでいる。公開は      2000年。物語の内容は、インドネシア独立戦争に参じた日本人の話      に決定した。      先月、ある古本屋で探していた本をやっと見つけた。作家戸川幸夫      が海軍報道班員として南方を従軍した時に見聞した、無名の日本人      たちの真摯な生きざまの記録で、十年ほど前に絶版した『戦場の紙      碑』(戸川幸夫著・オール出版)である。      戦時中は、危険を冒して命を投げ打った日本人を讃える碑が現地に      立っていたものだが、今では忘れ去られ、石碑の多くは不明になっ      ている。しかし紙に書くことで、「石碑」は失われても彼らの偉業      は後世に伝えることが出来る。これを戸川は「紙碑」と呼んでいた。      インドネシア独立戦争に参加したのは脱走した兵士だけでなく、軍      属という兵隊教育を受けていない軍関係者や報道班員も多かった。      年齢の中心は20代。当時を知る者や研究する者は、彼らの命知らず      の行動に幕末維新時代の下級武士たちを彷彿とさせることから、彼      らを「志士」と呼ぶことが多い。戸川もその一人である。      『戦場の紙碑』には、戸川幸夫と親しかった三浦襄のことについて      も記されている。戦後、戸川は三浦老人との再会を楽しみにしてい      たのだが、戸川の在籍していた新聞社を訪れたある商社マンによっ      て、三浦の自決を知らされる。三浦は四通の遺書を残していた。      その一通はバリの人々に宛てたもので、これが後のバリと日本の関      係を決定的に結びつけた可能性が高い。私たちは、先人たちの偉業      に恥じぬような日本人でありたいと思う。さっそく以下に抜粋して      皆さんに紹介しよう。        「(バリの皆様へ)         ……………この戦争で、わが祖国日本の勝利を念ずるためにとは         いえ、私は愛するバリ島の皆様に心ならずも真実を歪めて伝え、         日本の国策を押しつけ、無理な協力をさせたことをお詫びします。         私自身ですら、知らなかった事実も多かったのです。だが、知ら         なかったからといって言い逃れするつもりはありません。皆様は、         私を信じて協力して下さったのですから、私が言っていた通りの         結末に終わらなかった以上、私が皆様に嘘をついたということに         変わりありません。当然、責任をとるべきだと思います。また、         知っていて嘘をつかなければならなかったこともあり、私にとっ         てずいぶん辛いこともありましたが、止む得ませんでした。         いまこそ私は、皆様の私に寄せられた信頼に、私の誠意を示すと         きだと思います……………」        「……………いままでは大きな顔をして威張りかえっていた日本人         も、明日から捕虜として皆様の前にみじめな姿を見せることでし         ょう。見苦しいと思われるようなこともするかもしれません。だ         が、これは戦争がもう終わったのだから無用な摩擦を起こすな、         無駄な抵抗はしないように、との日本の天皇のおさとしがあった         から、それに従っているのです。         彼らが死なずに屈従するのは、新しい日本、祖国の再建につくそ         うと思っているからです。死ぬのは一人でよいと思います。この         島にいる日本人を代表して……と言えば、おこがましいのですが、         私が日本人の皆の責任を負って死にます。         皆さんは捕虜になって労役に使われている日本人だけの姿を見て、         日本人全体を卑しんだり、憐れんだりしないで下さい。         同時にバリを愛し、バリの皆様の心からの友人が日本人の中にい         ることを忘れないで下さい。これは私のことだけを申しているの         ではありません。私以外にもバリを愛する日本人はたくさんいる         のです。明日から皆様の前にみじめな姿を晒す者たちの中にも、         また日本の国の中にも大勢いることを信じて下さい。         そしてこんどの戦争のような一時の誤りのために、バリ人と日本         人とが過去の友情を失うことなく、再び手を握り合って、喜びを         共に分かつ日のくることを信じています……………                                   三浦襄」      大東亜戦争後、バリはインドネシア独立戦争の激戦場のひとつとな      る。オランダ植民地時代のバリの藩王がオランダの後押しを受けて、      独立派のインドネシア共和国に対抗し、東インドネシア共和国とい      うインドネシアを二分する傀儡政権を作り、同じ民族間で抗争した      為だ。日本人志士たちは、独立派のバリ民衆の先陣に立ち、約5年      間のゲリラ戦に身を投じた。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 03692/03693 GFB00026 一輝 ミサイルだけじゃなかった日本上空通過 (12) 98/09/12 04:57 03476へのコメント コメント数:1 >#3476 水戸黄門さん |先日。テレビ朝日は田中真紀子にインタビューしていました。そのインタビューで |田中は気になる発言をしています。発言の趣旨はこうでした。ピーンときてはいる |のですが・・・。 | |「今、総裁選びに関係している方々、党幹部はプラザ合意に関わった方々です。こ |ういう方々が、今後の日本の経済の舵取りはまかせれらない」。 | |米国ばかりみていてもしょうがないよ。欧州や中国もみなさいよ。というようなメ |ッセージかもしれませんねえ。米国追従はやめてね。というメッセージではないか |という気がしてなりません。そうしないと危ないよといいたいのかも。そうすると |一騎さんが言った話とも符合します。どう思いますか?>一騎さん ……………なるほど。ところでこの田中真紀子のオヤジだった田中角栄は、首相時代      欧米に事前通告無しに訪中して、欧米の支配層の逆鱗に触れました。その      訪中時に、一緒に連れて行った高島という条約担当の外交官に、こんな田      中外交のエピソードが残っています。      当時の中国の首相は周恩来でした。彼の部下が、高島外交官に戦後補償の      ことを条約にと切り出した時の話です。高島外交官は怒って、以前台湾が      戦後補償を要求しないという文書を取り交わした話をして、もし補償を日      本がしてしまえば、台湾(中華民国)を政府として継承したはずの中国(      中華人民共和国)は、「ふたつの中国」を自ら認めたことになってしまう      が、それでも本当に良いのかと追い詰めて相手を絶句させたそうです。      後日この話を周恩来が部下から聞いて、田中角栄に何と言ったのかという      と、「我が国にも、あのような外交官が欲しい」と称賛したそうです。気      骨のある外交官や政治家に乏しい今、当時の外交官や政治家の志の高さが      「日本の強さ」を物語っているようなエピソードです。      今の政治家は二世議員ばかり。選挙をマラソン大会に例えるならば、新人      がスタート地点からコースを走っているというのに、二世議員は最初から      高級車に乗って新人を追い抜かし、ゴール直前でコースに降りてゴールイ      ンしているようなもの。      この高級車に乗っている依存感覚は、官僚との関係でも外交上でも表れて      いて、それが気骨の無い腰抜け態度として映ってしまう。この依存感覚は      自主自立の誇りを失った日本人そのものの姿ではないでしょうか。その依      存の対象がアメリカ。田中真紀子は二世議員と言っても、型破りのようで      すが…。      ところでクリントン外交の特徴は、中国やアフリカに媚びまくっているこ      とですね。この背景には、アメリカ国内で人口増のアメリカ有色人種の支      持を集めたいという思惑があるように思います。アフリカでのアメリカ大      使館爆破事件も、クリントンの有色人種への融和策に対して、旧来の植民      地政策を続けたいイギリスをスポンサーとしたテロリストが仕掛けたとい      う話があります。イギリス並びに王室は、テロリストとか自然保護団体(      グリーンピースなどが典型)などへ盛んに出資しています。まさかリアル      IRAもそうだったら「驚き桃の木」です。      今夏のクリントン訪中の前、洪沢民主席はアメリカに対して、訪中帰りに      日本へ立ち寄らぬよう頼み込んだそうです。これは来日時(中国の洪水で      中止になりましたが)、戦後問題について日本に何らかの謝罪をさせる為      に、日本の孤立を演出する策だったという話があります。アメリカの指導      層が中国帰りに来日しないというのは、戦後日米外交史上初めてのことだ      そうです。      日本の上空を素通りしていったのは、北朝鮮からのミサイルだけじゃなく      て、その前にアメリカ大統領も素通りしていたというわけです。アメリカ      に追従したくとも、頭上を素通りしてしまっては、それも出来やしない。      日本がこれほど周辺諸国にナメられた時代はないでしょう。                 FARION 12番会議室*精神世界裏表案内人:一輝 03693/03693 GGD02212 スウ ナメられニッポン (12) 98/09/12 12:50 03692へのコメント  以前はジャパン・バッシング<直訳すれば‘日本をバシッ(と叩くこと)’> →最近はジャパン・パッシング<日本をパス(通り過ぎ)してしまうこと>、 あるいはジャパン・ナッシング<日本なんて無視?>…とか言うそうですね。  ホンマにナメられきってますね>最近の日本。「日本経済あきまへんねん… まだまだ銀行潰れまっせ…」とか、「どうぞナメてください」と言っていると 思われても仕方ないような言動を官僚とか閣僚とかが繰り返してたような気が してました。  「アメリカさん、言うこと聞くから捨てないで」みたいな態度ではますます ナメられますね。もう少しホネのあるところを見せないと…いやいや、実は、 ダメだと油断させておいて陰で着々と計画は進んでいる…わけないか;  ミサイルに跨れて「遺憾です」なんて言ってるようじゃイカンですよ(怒)。 慰安婦問題と同じ「遺憾です」じゃ、あやまってるのと誤解されちゃうって。 今回のは謝ってるんじゃないって?じゃ前回のも謝ったんじゃなかったってか …それならまだ良いってか?(汗;)。どっちにしてもナメられるわな。(スウ) >◆次頁はありません◆