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旧約聖書を基にするユダヤ教とキリスト教は、預言の宗教である。その預言は、終末預言の宗教とされるひとつの典型的なパターンを持っている。それはいずれ人類に大破局が訪れ、一人残らず滅亡の危機に立たされた刹那、メシア(救世主)が出現し、悪魔を滅ぼして神の千年王国ほ建て、その後に最後の審判が行われるというものだ。
旧約聖書を信仰の対象とする民の数は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教と及びそれらの傍流も含めると、おそらく世界の人口の四分の三を超えるだろう。

聖書は破滅を免れるための警告と愛の書である

預言者とは、単に一般的な予言を行うのではなく、超越的な神の命令を受けて、神の意志を人々に告げる道具として自己を認識し、人々に神の命令への絶対服従を迫る存在だ。いわば王と国民に対して正しい道を示す水先案内人が預言者である。しかし、彼らは、相手が誰であろうとも、道を外れたり、はずれそうになっている者に対して、容赦なく悔い改めを要求するから、往々に忌避されたり嫌われたり、迫害されたり虐殺されたりするのである。

預言者の語る言葉は、実現することになっているが、実現したとしてもその預言者はそれを誇ったり喜んだりはしない。それどころか実現したことを人一倍嘆き悲しむと同時に、人々に代わって神に懺悔し、神の裁きに神の哀れみをこうことを人々に教え諭していく。

預言とは警告であって予知ではないという事実だ。予知ならば当たらければ意味がないが、警告は危険を回避するのが目的だから、当たっては意味がないのだ。そしてもう一つのポイントは「悔い改め」であ。何故、現実に起きる災害に対して「悔い改め」が有効なのかというと、ここに聖書の秘密が隠されている。それは「心」の力が、やがて現象化し、世界を動かすという秘密である。だからこそ、まだ「心」の問題であるうちに、「悔い改め」れば、災難は回避されるはずである。それがわかっているからこそ、預言者たちの言葉は鋭く、迫害も恐れないのである。

聖書が聖なる書である由縁は、人類に脅しをかける書ではなく、人間の心に進化を促すために書かれた「警告」と「愛」の書である。

ヨハネの黙示録の預言


ユダヤ教以来の黙示文化の伝統を踏まえており、旧約聖書の「ダニエル書」との類似も見られる。ただ、終末へのタイムテーブルをイエスの死の時に定め、終末への準備から救世主としての復活までをイエスが遂行するという構造が、従来のユダヤ黙示録とは異なっている。暗喩や数秘術の知識が随所に散りばめられ、人類の大破局を記した具体的で衝撃的な内容が波紋を呼び、これまでたくさんの予言研究家が解読に取り組んできた。
ハルマゲドン、淫婦バビロンなどの多くの言葉が話題を呼ぶ中、最も有名なのが、反キリストの数666であろう。かつて、ローマ皇帝ネロ、アッティア大王、チンギス汗やヒトラーもそれに擬されたように、それぞれの時代で悪魔的な人物が、反キリストの獣になぞられてきた。その全貌は未だに謎に包まれているものの、描写の細部から、黙示録の時代が、まさに現代であるとする解釈は共通している。

また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた。まるで、イチジクの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、富める者、力のある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆い被さって、王座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。
神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。
(第6章第12〜17節)
この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかりと押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹き付けないようにしていた。わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」わたしは、刻印を押された人々の数を聞いたるそれは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
(第7章第1〜4節)
小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。そして、わたしは七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らは七つのラッパが与えられた。また、別の天使が来て、手に金の香炉を持って祭壇のそばに立つと、この天使に多くの香が渡された。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇に献げるためである。香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上がった。それから、天使が香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こった。
(第8章第1〜5節)
さて、七つのラッパを持っている七人の天使たちが、ラッパを吹く用意をした。第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった。
(第8章第6〜7節)
第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなねのが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船の三分の一が壊された。
(第8章第8〜9節)
第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちてきて、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのため多くの人が死んだ。
(第8章第10〜11節)
第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光りの三分の一を失い、夜も同じようになった。また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのが聞こえた。「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに」
(第8章第12〜13節)
第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上がり、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出てきた。このイナゴには、地に住むサソリが持っているような力が与えられた。いなごは、地や草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。殺してはいけないか゜、五ヶ月間の間、苦しめることは許されたのである。イナゴが与える苦痛は、サソリが人を刺したときの苦痛のようであった。この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。
さて、イナゴの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。また、髪は女のようで、歯は獅子の歯のようであった。また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。更に、サソリのように、尾と針があって、この尾には、五ヶ月の間、人に害を加える力があった。イナゴは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名は、ヘブライ語でアドバンといい、ギリシア語の名はアポリオンという。
第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後、更に二つの災いがやって来る。
(第9章第1〜12節)
第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から一つの声が聞こえた。その声は、ラッパを持っている第六の天使に向かってこう言った。「大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使を放してやれ。」四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放たれた。この天使たちは、その年、その月、その日、その時間のために用意されていたのである。その騎兵の数は二億、わたしはその数を聞いた。わたしの幻の中で馬とそれに乗っている者たちを見たが、その様子はこうであった。彼らは、炎、紫、および硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の三分の一が殺された。馬の力は口と尾にあって、尾は蛇に似て頭があり、この頭で害を加えるのである。
これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれこのような偶像は、見ることも、聞くことも、歩くこともできないものである。また彼らは人を殺すこと、まじない、淫らな行い、盗みを悔い改めなかった。
(第9章第13〜21節)
わたしはまた、もう一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から降ってくるのを見た。頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、手には開いた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、獅子が吼えるような大声で叫んだ。天使が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声で語った。七つの雷が語ったとき、わたしは書き留めようとした。すると、天から声があって「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはいけない」と言うのが聞こえた。すると、海と地の上に立つのをわたしが見たあの天使が、右手を天に上げ、世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。すなわち、天とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方にかけてこう誓った。「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」
(第10章第1〜7節)
すると、天から聞こえたあの声が再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ、行って、海と地に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それはあなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また王たちについて、再び預言しなければならない。」
(第10章8〜11節)
それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ、しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはならない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは、四十二ヶ月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。」
(第11章1〜3節)
この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つの燭台である。この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。彼らには、預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある。また水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、あらゆる災いを地に及ぼすことができる。二人がその証を終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上がって来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。さまざまの民族、種族言葉の違う民、国民に属する人々は、三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。地上の人々は、彼らのことで大いに喜び、贈り物をやり取りするであろう。この二人の預言者は、地上の人々を苦しめたからである。三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが立ち上がると、これを見た人々は大いに恐れた。二人は、天から大きな声があって、「ここに上がって来い」と言うのを聞いた。そして雲に乗って天に上がった。彼らの敵もそれを見た。そのとき、大地震が起こり、都の十分の一が倒れ、この地震のために七千人が死に、残った人々は恐れを抱いて天の神の栄光を称えた。第二の災いが過ぎ去った。見よ、第三の災いが速やかにやってくる。
(第11章第4〜14節)
さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。
「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」
神の御前で、座に着いていた二十四人の長老は、ひれ伏して神を礼拝し、こう言った。
「今おられ、かつておられた方、全能者である神、主よ、感謝いたします。
大いなる力を振るって統治されたからです。
異邦人達は怒り狂い、あなたも怒りを現されました。
死者の裁かれる時が来ました。
あなたの僕、預言者、聖なる者、御名を畏れる者には、
小さな者にも大きな者にも報いをお与えになり、
地を滅ぼす者どもを滅ぼされる時が来ました。」
そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、地震が起こり、大粒の雹が降った。
(第11章第15〜19節)
また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産むと痛みと苦しみのため叫んでいた。
(第12章第1〜2節)
また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。
(第12章第3〜4節)
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その王座へ引き上げられていた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
(第12章第5〜6節)
さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そしてももはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。
「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。
我々の兄弟たちを告発する者、
昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。
兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。
彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。
このゆえに、もろもろの天と、その中に住む者たちよ。喜べ。
地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前達のところへ降りて行った。
残された時が少ないのを知ったからである。」
(第12章第7〜12節)
第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水が枯れて、日の出る方角から来る王たちの道ができた。わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。
(第16章第12〜16節)
わたしはまた、一匹の獣が海の中から上がって来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまな名が記されていた。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。この獣が頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか、だれが、この獣と戦うことができようか。」
この獣には、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二ヶ月の間、活動する権威が与えられた。そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した。獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた、地上に住む者で、天地創造の時から、ほふられた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むのであろう。
耳あるものは、聞け。
捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。
剣で殺されるべき者は、剣で殺される。
ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上がって来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていた全ての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに智恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は六百六十六であ。
(第13章第1〜18節)

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