神 // \\ の本質 無限大 エネルギー{ || }=英知ある力 || || そのもの 無 現在 \\存// 在 ┏┻┓ そ の の=本 も 質 の (順不同)
・宇宙の中にあるもの(物質、法則、etc)は全て関連し合っているから、宇宙は、ただ一つのものから生まれた。 | |
・この共通不変、普遍のものを、我々の一番やりやすい方法つまり、言語中枢を介して論理解釈するため、「神」と名づける。この理解は一時的である 「名称」とは、分割的であるからである。なぜなら、「名称」は「区別」だから。 | |
@ | ・「共通不変、普遍なるもの」とは何か━━━それはエネルギーそのものである。電気や磁気や熱や光etcは、全て、エネルギーの表われ(結果)であり、本質ではない。本質は無である。 |
・エネルギーの本質に大きさはなく、故に動きも何もない。しかし、どこにでも“在る”ものであり、その広さに限界はない。 | |
A | ・又、別のアプローチとして、「共通不変、普遍なるもの」とは、「存在」である。万物は認識的に、別個に「存在して」いる。しかし、万有に共通な「存在そのもの」について、「存在している」or「存在していない」と論ずる事はできない。普遍だからである。 |
B | ・「現在」なしに万有は存在し得ない。 |
・「エネルギー」なしに万有は存在し得ない。 | |
・「存在」なしに万有は存在し得ない。 | |
・神は、他の何物にも基礎を置かず、自分自身に頼っている。 | |
「アルファでありオメガである。」 | ・神は「英知ある力」である。英知は、エントロピー減少性、力はエントロピー増大性であり、「英知」という働きは、パワーなしでは無に等しく、反対に「力」というものは、英知なしでは無限大に等しい。つまり、英知の本質は無であり、力の本質は無限大である。「英知ある力」とは、0と∞の結合したものである。 |
・「英知ある力」の表現は、精巧に創られた自然界に表われている。 | |
以上は、意識的意識を知識的に理解するためのものである。 |
・*は、「現在」と融合することである。これより大切なことはない。 | |
・思考とは「現在」から離れることである。フィーリングは、「現在」だけに生きている。それは「現在」だけを感じて「現在」とともに動く。フィーリングは記憶に基づかない。神(現在)に基づく。 | |
・*とは、現在の実感、存在感を得ることで、このときには、「現在」の実感“だけ”があり、記憶(パターン)に基づくいかなる想念もない。 | |
・認識作用(4官)が、現在のフィーリングの存在感の実感に、注意することで、4官は、フィーリング(触覚)に融合する。 | |
・「現在」は普遍であり、これと結合することは、∞と結合することである。 | |
・我々は日常、習慣想念(脳細胞のパターン)の中に埋もれて生きているのである。つまり、眠っているのである。主観的、個別的世界から目を覚まして、「実在」「現在」に目を覚ますのだ。 | |
・*は、今!自分がここに「居る」という現在を感じること。これから何をするか、かつて何をしたかを思わないことである。安心して実在感に浸るのである。 | |
・「現在」と結合することは、全存在と結合することである。 | |
論理… | ・ダイノ・クラスペドンとコンタクトしたブラザーによると、想念は純粋なエネルギー(エネルギーそのもの)であるという。すると、想念は空間を超越していることになり、想念通信に空間は障壁にならない。すると、英知ある力と考えられ、英知は想念の内容、力は想念のパワーであると考えられる。 |
「無限」について
2004/10/22 18:32
メッセージ: 153 / 153
投稿者: oriharu359 (男性/埼玉県)
私は0〜7次元について次のリンクのように考えております。
http://oriharu.net/jstopwar.htm#one
0〜7次元を「この宇宙」と言いますと、この宇宙のテーマは「存在すること」のようです。「存在する」というテーマで全ての存在は共鳴し合っているとイメージすることが可能です。これが愛だと思います【今後、この種の愛の定義を言う人が増えて来るのかな…】。
絶対なるものを神と定義すれば、神は全てを包含するものとなります。すなわち、0〜∞の全てを包む卍(よろず)であるということで私は神を「0=卍=∞」と表現したりします。
【卍は中心の0ポイントが無限遠へと繋がっている図象であると考えております】
例えば、神の一側面の0は「存在する」のでしょうか「存在しない」のでしょうか。0は存在するとも言えるし、存在しないとも言えます。また、存在するとも言えないし、存在しないとも言えません。
これが意味するのは、「神はこの宇宙に存在性を与えているが、神御自身は存在性を超えている」ということです。「存在性を超えている神は、存在をテーマとするこの宇宙よりも高次の次元(8次元以上)の性質もあり、それが随所ににじみ出ている」と言えると思います。
空間の「大きさ」が無限だというのも、そもそも空間自体が存在物ではなく、「存在している」とも「存在していない」とも言えない(または、言える)ために、存在と非存在を超えている様を表していると思います。つまり、「空間が無限であり得る理由」は、存在性を越えた次元がバックアップしているからこそだと考えられるのです。
これは sleetblue さんの 152 に対する返信です
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