2009.05.10(日)の「報道2001」は農業政策に絞って議論していました。「米を作りすぎると米の価値が暴落する」とのことですが、このような「考え方」は「市場原理主義>米の自給率」という発想だと思う。目的が「自給率を100%にすること」であるならば、おかしな議論だと思う。最早、新自由主義といわれる考え方(市場原理主義)だけではダメなのではなかったのだろうか。

 経済をグローバル化(一体化)したから、サブプライムローンの詐欺による破綻の影響が世界の隅々にまで行き渡ったのでしょ? そういう事を避けるためにはむしろ、日本の各県ごとの通貨で商うようにしたらどうなのだろう。
 農業だってそうですよ。経済原則に乗せたり国の政策に従うとかいうような大きな扱い方をするのではなく、もっと実体経済化=地域(貢献)化し、土地に根付いた動き方をするようにしたら良いと思います。例えば秋田でとれた米は周囲の秋田県民が買い取るようにして、一方、家庭からの生ゴミを微生物処理した豊富な堆肥を安価で農家は買い取れば流通コスト(ガソリン代等)も少ない(グリーン・マイル数が少ない)環境に優しい政策になると思います。また、このようにすれば、生産者(農家)に消費者の生の声が届くフェア・トレードにもなり、農家の人々は消費者と交流している実感が生まれ、ひいては国を支えているという実感・喜びにも繋がる。
 米を経済原理主義に晒さないようにするには、米価を「定額制」にして、地域の人々が農家(または農家近くの直売所)に出かけてゆき、10Kg=\3,500とか決まっている金額で皆が買うようにしたらいいと思います。そうすれば、いくら余っても(農家にとっての切実なお金の)問題にはならない。売れっ子で特別においしいお米でなければ、大抵は余るのだろうと思います。余ったら米粉にして売ったり、飼料にしたり出来るし、余った米粉は田にばら撒いて肥料にできるかもしれないし。常に余るのだろうから、自給率は100%を超えるでしょうね。いくら余っても自然の産物だから自然に帰ります。

 タイなどの近隣諸国もそのようにすれば、日本が他国の米を輸入する義務に取り組まなくてもいいんじゃない?(よく知りませんが)(200905102251)

【→阿修羅発言 ←『巨大ショッピングセンターにて』(200905270928)】
【→阿修羅発言 ←『アメリカにおける個人農家つぶしの手法』(200905281157)】



日刊工業新聞、2005.01.28(金)第01面 コエンザイムQ10をイネで安価に大量生産(200502121620)

 植物活性酵素「万田31号」で、巨大な農作物が収穫できる (200408172330)
日刊工業新聞、2004.08.13(金)第18面

農業関連の動画

 6/12(火)の「スーパーニュース」で報道してましたが、水田にカブトエビを放つと、水田の雑草を駆除してくれるそうです(栃木県益子町の農業・高橋丈夫さんの水田を取材)。雑草を取るための手間がゼロ!になったそうです。また、田の土のとろみが増加するそうです。カブトエビの殻の表面から出るカルシウムがその恵みをもたらすそうです。7月にはカブトエビは死に絶えてしまうが、来年の田植えの時期に再び卵が孵化して役立ってくれるのだそうです。(200106122135)

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