当発言はこちらの発言と同時に行ったものです。

主従判断世界内 容
善悪を超えた世界この世界は、人間の世界ではあり得ませんね。「俺は善悪すら超えている」として独善的判断・振る舞いをしている人は悪ですね。但し、余程の事、例えば核戦争を防ぐ為に時間が残されていない緊急時とか、善悪を超えたりもして俗世を離れなければ追求し難いテーマ(内面小宇宙)に取り組む[まざるを得ない]人[現代では孤立個人の場合が多い]など、例外は勿論、ありますでしょう。
善悪を混ぜぬ世界この世界では、人は、神の御前に等しい立場であり、本来そうすべきであろう判断世界
仲良くする世界権力者が「人間関係2」と言いながら悪を共有できるのはこの世界まで

 時々思うのは、優先順位としては、[人としての善悪(真善美:偽悪醜)の区別]>[仲良くする事]ではないかという点です。よく見かけるのは「内輪で仲良くしてても、外の一般社会に対して悪になってしまう」という傾向のことです。それは、「仲良し至上主義」なために、相手の悪まで許容してしまい、人としての善悪の区別に気をつける事が置き去りにされがちなのだと思います。一番よく見られるかも知れないと思うのは、誰か一人をスケープゴートにして皆でイジメを行ったり、排除したり、つらく当たったり等することでしょうか。それは人として行うべきではないものですが、内輪の仲間内では、その悪を許容→共有してしまっていますね。最も優先されるべき「善悪の区別」は、これだけではなく、日本の社会全体から抜け落ちている感があるのかも知れません。俗な意味での権力者というのは、この「仲良く」の世界までの存在ですね。善と悪が区別される世界では、誰もが神の御前に等しいのですね。この意味から、「倫理庁」というのを作ったらどうかとも思いましたが、組織にするのは精神の自由度がどうしても奪われるという原則があるので、各省庁に国民から選ばれた「人格者・人士」を持ち回り制ででも置くか、絶えず国政の善悪について国民からの電話投票を集計して、政治や行政に反映する体制にするとか「善悪の認識を権力者の上に立たせる」事が必要ではないでしょうか。そうすれば、個人への嫌がらせをする為に公的機関を「使う・命じる」とかいうことが出来なくなると思いますし、彼らの一部高すぎる給料も平準化されるかとも思いますし。(200608252151)


 次のような興味深い発言が★フリーパーソン集会所★にありました。

1555 返信 Re:女系天皇と日ユ同祖論(p ただ今見習中 2006/02/26 01:13

デムパに釣られてやって参りました。

「正当なメシアは『男系男子』から」
まず新約聖書の最初のページを開くと、「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父…。…ダビデはソロモンの父であり…。…ヤコブはマリアの夫ヨセフの父であった。このマリアからキリストと言われるイエスがお生まれになった」とあり、イエスが正当なメシア(旧約聖書の預言の成就)であるためには、アブラハム以来連綿と続く『男系の男子』としての正当性が語らている。

一方、正当なメシヤが生まれるのは、我々旧約の教えを守る祭司「パリサイ派『ユダヤ人』」新約の契約「福音」を携え、奇跡をおこなうイエスをにがにがしく思い、メシヤを磔刑に架け、原始キリスト教徒を迫害した人々。

そのユダヤ人が、アジアの東の果ての小国が、最も古い「男系男子」が連綿と続き。イスラエル、ユダが崩壊し「バビロン捕囚」が始まった紀元前587年が皇紀2600年と近く。神社とイスラエル神殿の構造が似。神道奥義が「三柱一体」と言い。「正当なメシアは『男系男子』から」と言い出せば、原爆の二つや三つは落としたく成るでしょう、、、?

電波ついでに、「信長はイエズス会の意向に逆らって大砲で殺された」って言うのも有りますね、、、 「平成の信長」は大丈夫でしょうか?

(200602262307)

 日本語は世界でも例を見ない「3重表記」(ひらがな、カタカナ、漢字)の言葉で、この特性を発展的に生かし、光文社ペーパーバックスでは、英単語を混ぜた「4重表記」になっており、例えば「日本がなぜ不良債権bad loanの処理disposalができないか」という具合で英単語が並んだ日本語になっているので、私を含めて英単語力不足の人は勉強になりそうです。「日本語で本を読んでいたら英単語の勉強になっていた!」って感じになると予想します。その長所は「いつのまにか覚えていた」という点でしょうね。(200311012116)

 性・SEX・結婚]のほうに社会が進歩するための基礎としての人間についての要素に関して述べましたので、リンクします。(200307050057)

 [人である事>地球人であること>日本人であること]であるべきです。阿修羅発言にありましたが、なぜ日本という国の公務員は、こうもロボット化しているのだろうか? その理由は、「法治国家」を推し進めた結果ですね。

 大本教など、あるいは一二三神示でもそうですが、『○(身体)だけではいかん。丶(魂)を入れよ』と言います。法律家も裁判官も弁護士も、法律だけ見ていると○だけになってしまいますね。そのような○だけの形だけの発想がロボット官僚を作り出す原因思想ですね。守らなきゃならない順位=優先順位は[未完成な法律体系<]ですね。
 シュタイナーも混血は人類を進化させると述べております。難民はむしろどんどん積極的に受け入れてしかるべきです。自分の身内を大切にすることは日本人には当たり前のようですが、自分の身内以外の人(外国人ならなおさら)に、等しい心理的スタンスを持つのは難しい国民性があるのかも。(200306220001)まあ、確かに、日本国内で暴力を振るう蛇頭とかが入らないようにすることも重要なポイントですね。(200306220028)

 ホームページ「株式日記と経済展望」の2003年4月19日の更新で、以下のような文章があります。

 最近になって日本語は世界のブームになりはじめているという。とくに学者、文化人に人気があるという。それは日本語さえ知っていれば、世界の文献を読むことができるからだ。日本は世界最大の翻訳文明の国だからである。日本人は謙虚で、海外のものは何でも積極的に取り入れようとしているからだ。ギリシャ神話も、ハンムラビ法典でも、途上国の史書でも片っぱしから翻訳している。世界の文献は日本に来ればすべて日本語で読めるといわれている。その翻訳量は英語の約一〇〇〇倍とのことだ。

(200304222357)

 ミュージックシーンに絡めて]のほうに、少し関連のタイプしました。(200205152301)

 5/23(水)に国がハンセン病患者に謝罪しました。感覚的にでも、これは何か画期的なものを感じます。今までの「国民は労働しておればいいの」的な切り離したようなスタンスが消え、地に足がつき始めたとでも言う感じ。この種のリアリティーがなるべく続くといいよね。これは市民参加革命に近い要素があるかも。政府が生き返って来た?!いや、国民から搾取する発想の官僚集団が従来の権力(隠蔽工作など)を行使できなくなりつつあるという事なのでしょう。ハンセン病(らい病)は現代では飲み薬で治る病気だそうですね。(200105232349)つまり、社会的にそれほど怖れるべき病気ではなくなっていた、という事を大勢の人が知るべきだそうです。(200105242300)

 こちらから物を申せば、弥勒十字が最終的に示したものは、[気持ち]>[頭脳判断]というものでした。しかし、人間存在はそのまま人間存在なのですから、弥勒十字が示したものは、「今まで虐げられてきた(正当な)感情的側面をもっと尊重しなさい」という意味だと捉えるのが順当だと思います。いついかなる時も「気持ちのほうが大切だ!」とかやるべきではないと思います。というのは、弥勒十字が示す「気持ち」は「間違った気持ち(利己主義等)」ではないと思われるからです。もし、「間違った気持ち」を優先させてしまうと、従来と同じく、一部の人間の利益を求める気持ちの為に人々の共通の利益が損なわれる等の事象が出てくるでしょうからね。では、「正しい気持ち」とは何かというと、「正当な権利と共にある気持ち」もその一つでしょう。例えば、結婚は両性の気持ちが一つになってするものですが、昔は、「家を継ぐ」とかその種の「社会的な側面が、個人の権利を侵食していた」時代が続きました。そういう事は止めにしよう、という事だと思います。最近も、ハンセン病患者側が地裁の判決で国に対して勝訴しましたが、今は最高裁へ国側が控訴するかどうかの待ち状態だそうです。残された寿命の中で戦うハンセン病(らい病)患者側にとっては、これ以上時間を延ばされる事は、国による虐待行為に等しい事を国側は理解すべきである。
 「文化的な国家」とは、「弱者を守る国家」であると思います。人々の心の中心には、弱い存在を守る精神が(の故に)輝かなければならない。所有欲・金銭欲等を超えて、そうでなければならない。だから、「1000万円以上の金銭を持ち合わせてなければ株式会社を作れない(アメリカは0であっても作れるそうです)」という決め事はおかしな話だし、患者の元へとスピードを出して運転していた開業医がスピード違反で「有無を言わさず」に「規則通りに」捕まるというのが、もしあれば、おかしな話である。弱者を守るための法律・決め事が、一部の人々の利益の為に強権的に運用されているという実態は、日本はあまり文化的国家ではない、という事ではないかと思います。「法律は心ある人が運用すべき」との条文をどこかに入れるべきでは?(200105190026)

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