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My Contact with Space Brothers

(これは私がスブドの会誌に載せた記事である) 菅谷織春 私が初めて宇宙の兄弟(スペース・ブラザー)と実際にコンタクトしたのは、1983年1月15日の事であった。私はよく、外出すると、そこにブラザーがいて、私を待っていたということを何十回となく経験している。また、なぜか電車に乗っていると、偶然か意図してか不思議なことに私の乗っている車両に乗り込んで来て、私の隣に立ったりしたものである。このときもそういう場合であった。私は東海大学[Sさんのお兄さんの光久(みつひさ)さんは東海大学学生課の職員です]にいたのだが、よく、小田急線(小田原と新宿を結んでいる)を利用していた。その日は渋谷の、確か「氷川区民会館」とかいうところで(そこは鷺沼支部の坂本伊素麿さんの御自宅のすぐ近くでもある)UFO党の講演会があって、それを聞きに行くために小田急線に乗って新宿へ向かっている途中、ブラザーが確か「成城学園前」[Sさんの家は徒歩ではこの駅から一番近い]あたりでほぼ満員の電車に乗ってきて、乱暴に人混みをかき分けてわざわざ私の隣にきて、ガシッと吊革につかまったのであった。私は何気なしに外を見ていたと思うが、やってきたその人にも注意が向いた。「ブラザーかな?」と思うと、その人は外を見たまま頭を縦に振るのであった。私は心の中で「これからUFO党の講演会を聞きに行くのです」と思ったら、その時もうなづいたと思う。(6年前の事ですので) 私はこのようなコンタクトをその時までに沢山経験してきたが、このときは「私がこれから行くUFO党に関してブラザーがなんらかのメッセージを持って来たのかも知れない。責任重大であり、ぜひとも物理的にコンタクトしなければならない。ブラザーが地球の事に干渉すると言う罪を侵すことが無いように私の方から話しかけなければならない」と判断して、まず彼がブラザーであることを自らに確証させると言うことが必要であったので、(というのは、彼らがブラザーであるということをその霊性の高さを確認することによって自分で確証しない限り彼らも正体を明かさないと言われていたからである)いろいろと彼の反応を観察し、彼を感じとり、真か偽かを判別するという骨の折れる心理的作業を行なった。その結果、得心したので、小田急線新宿駅で降りたとき彼の後ろから近づき、確信をもって彼の肩に手をおいて、「やあ、ブラザー」と声を掛けた。すると彼は「おや!」と振り向きざまに言って、その透明な眼差しを私に向けた。その眼差しは、私がスブドのイギリスの世界大会に行ったときに会ったイブ・ラハユ[スブドの創始者の娘]の眼差しと似ていたと言えるだろう。それから彼と私は並んで歩いて行った。以下は歩きながらのポツポツとした会話である。私は質問した「よく分かりますね」「わかるって?」「僕のいる場所が」「そうですねー」(私はこの「そうですねー」にはびっくりした)・・・私「これからどこへ行くのですか?」「ちょっと捜し物があるので・・・」・・・私「これからUFO党という政党の講演会を聞きに行くのですが、何かそれについてのメッセージとかありますか?」と聞くと、彼は手で額を押さえて、「それに関してなんですが・・・この近くに大きな本屋を知りませんか?」「紀ノ国屋がありますよ。あそこは大きな本屋です」「紀ノ国屋ですか」・・・私「僕は以前、[宇宙人は地球に来ている]というビラを配っていたんです。あなた方が来ていることを知らせようと思って」(彼はそのことには触れたく無いみたいでいやな感じを表現した)「そうですか」・・・ブラザー「じゃここで」と山の手線の階段の下で手を振った。私はいきなりだったのでびっくりしたが、「あ!、そうですか。それじゃ」とでも言ってそこで別れた。私はコンタクトが継続できなかった原因をいろいろと考えた。多分、彼は、私になんらかの情報を直接与えるという任務はなかったので、勝手に行動することを控えていたのだろうと思う。これが正真正銘、私の最初のコンタクトであった。

 今でも覚えていますが、この最初のコンタクトでは、小田急線新宿駅に着いて私が話し掛けてからも、彼はズンズンと歩いて行き、まるで私がいないかのごとくでした(^^;。彼は改札前の階段を下りて行き、歩くのが速いので私は追いつくのが大変でした。充分に話が出来ない。彼は、さっさと切符を買った【と思いました】ら、直ぐに改札へ行きました。置いて行かれてアセッた私は急いで切符を買って、彼を見失わないように走って追いつきました。それは地下道でした。すぐに彼は山手線のホームへ上る階段を「突然」登り始めました。終始無言でした。再び置いて行かれた私は「あ、それじゃぁ」とさよならをしましたら、振り向いてくれて、彼も「それじゃぁ」とか言ってくれたと思いました。私は地下道を通って中央線ホームへ出たと思いました。(200205312321)

 家の中を探したら、3冊目のメモ帳「CONTACT MEMORY」が出てきました。そこに、UFO党の講演会の内容や当日(1983.01.15(土))に実現した第一回目のコンタクトの詳細が書かれてありましたので、記録しておきます。

[メモ帳(CONTACT MEMORY、3冊目/3)より]
 ブラザー!
 おや。
 いやー、やっと話ができた。
 ははは。
 でも、よくわかりますねぇ。
 わかるって?
 いやー僕のいる場所が。
 ほんとですねぇ。
 今までそれらしい人が色々僕の近くに表われたんですよ。
 そうですか。
 【次の4行は「間に入れる」として、最後のほうに付け足されて書かれてある。多分、ここらへんに挿入できると思います】
・僕が配ったビラの影響なんかはあったでしょうかねぇ。
・(ここでBは少し不満の意を表わす)
・僕はビラを配ってるんですよ。来てるってことを知らせようと思って。
・そうですねぇ。
 UFO党の事について何か教えて欲しいんですよ。
 その前に、調べる事があるので、どこか本屋がないかどうか。
 この近くにあったような気もするけど…紀伊国屋に行ったらどうでしょうか。
 紀伊国屋ですか…これからどこへ行くのですか?
 ええ、原宿に行くんですよ。UFO党の講演会を聞きに行くんです。
 どうやって行くんですか?
 ええ、山手線に乗って。
 ああ、山手線。
 会おうとして来られるんですか?
 違うと思いますよ。
 ああ、じゃ偶然ですか。
 偶然でしょうね。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 山手線はここでしょ? じゃあ。
 え? ああ、じゃあ。

 【ページの上の余白には次の3行分が書かれてある】
・吉田さんという人もやっぱりコンタクトしてるんですよ。
・で、何て言われてます?
・出版社を作ってくれと頼まれたそうです。
 [個人的な事なので、中略]彼の目は透明感があり、話し方は、少しボケてるような感じがあり、中立的である。声自体も透明であり、何か非個人的だ。

 上記で、自分が帰るために中央線へ向かったように思ってましたが、よく考えたら、この時は、これから講演会へと向かっていたので、山手線でした。Bは、そのまま地下道を歩いて行ったのかも知れません。(200206090006)


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