金銭=所有権(所有欲)です。しかし、人の権利の中で、所有剣が何よりも優先されるという発想は誰が考えてもおかしい。最も優先されるべき人の権利は「生存権」であることは世界的な常識でしょう。アムネスティ・インターナショナルも同意してくれるよ、きっと。人は神の似姿をだけではなく、本質的に持っており、それを基本に据えて社会構築すれば、人間性に衝突することは無くなるでしょう。つまり、権利の周波数スペクトルによる分類です。分かりやすいように一覧にします。これは勿論、真理がこの世(=権利)に投影された影ではありますが、人間社会にとって必要な序列分類と思います。

次元の範囲スペクトルの性質対応する権利として考えられるもの
全次元エネルギーバンド(スペクトル)毎に分別し、混同しないという基本原則は共通のものである人や生物が物質扱いされない権利、政教分離の原則(芸術と経済分離の原則等々と色々な表現が出来そうです)
第7次元
(存在)
不動の性質を持つ所与の権利生存権
第6次元
(目的意識)
人生の「崇高(=美の積分)」な目的をバックアップする全ての権利(人生の)創造権、(子孫の)繁殖権、(子孫の)被教育権、(人類の)戦争拒否権=平和維持の権利
第5次元
(意図)
人生に永遠=美を導入する権利環境権、真に美しい絵画や音楽が自由に流通する事(行き過ぎた「著作権=所有権=金銭権」の否定)、美しい心や善意が非難されない権利
第4次元
(時間、運動、プロセス)
善意なる)行動・思想・信条が(個人的に/社会的に)プロセスする権利自由権(物や事の(私的・傲慢的)独占権の否定)
第3次元
(空間、場所)
一定の空間・場所・物を占めて使用する権利所有(=金銭)権某神霊の言う「衣食住の夢」(という世界観)のことでは?
第2次元
(計量、計数)
定められた数値所有権などの詳細
第1次元
(存在)
権利権利というものが存在する


 お金=所有権に基づく各種権利は第3次元に属することが分ります。故に、金銭だけで世界を支配できるような世界を作ってきた国際金融資本は間違っていると思う。生存権こそが世界を支配して良いと思います。国際的な紛争地帯の人々の生存権こそが世界の動きを決定付けるべきであって、油田だとか採掘権だとかの金銭=所有権周辺の発想・動きはずっと後回しにすべきです。とは言っても人は「3分類の内の“力”」を求めてしまう。

 類似の考察は[資本主義の限界]にもあります。(200708201856)



 下記の話題の関連なのですが、最近、WTOが少々強引に世界貿易をさせようとしているそうです。自分は決して経済に詳しいとか明るくはないのですが、どうなのでしょう、経済には、「実体経済」と「金融経済」があるそうですが、経済活動を全面的にインターネット化(金融経済的)させようとするのは無理があるのではないでしょうか。やはり、半分以上は地元に適応・密着した実体経済的な活動・利幅であるべきなのではないでしょうか。その実体経済の観点からは、それぞれの国ごとに違うやり方で経済が行われる側面も認める方向のほうがいいのかも知れませんね。(199912030420)

丁度、タイミングよく、次のような記事が新聞に載りました。

日刊工業新聞1997年7月3日(木)第一面より

インターネットを「自由貿易地域」に  米大統領が提唱

【ワシントン1日時事】

クリントン米大統領は一日(現地時間)、インターネット上でビデオ、技術情報などソフトの電子商取引に対し、新たな課税や規制を行うべきでないとの政策指針を盛り込んだ報告書を発表した。また、インターネットを「自由貿易地域」とし、電子商取引を関税免除とするため、バシェフスキー通商代表部(USTR)代表に対し、世界貿易機関(WTO)で他国との協議の上、一年以内に交渉をまとめるよう指示した。

電子商取引で他国間協定を  USTR代表

【ワシントン一日時事】

 バシェフスキーUSTR代表は、一日、インターネットを使った電子商取引のうち、国境を越えた取引に対して、一切の関税を課さないことを取り決めた他国間協定の締結を目指す考えを明らかにした。
 同代表は、この協定を「(情報機器の市場開放を目指した) 情報技術協定(ITA)などに続く新たな目標」と位置付け、当面は先進諸国を中心に協定締結への支持を取り付ける考えを示した。また、国際間の電子商取引に対して過度な検査・審査を行うべきではないと主張。さらに、一部の国でインターネットへのアクセスに制限を加える動きがあると指摘した。

いやー、やってくれますね、よ、大統領! 今、とても嬉しいです。これで地球の流れは、所有よりも流通へ一歩近付いたのですね。ファンキーですね>クリントン大統領。いやー、どこがファンキーかって、そりゃー、あなたの「鶴の一声」で革命は成立したのですから。我々は農具を持って突撃する必要は無くなったのですよ!(^_^;) 大企業を支配するほんの数人の人間の利益・所有を守る為の、諸々の権利などという考えを遥かに越えた判断だと、結果的に思いますね。確かにアメリカは世界の80%だかの莫大な各種ソフトウエアがありますが、それを元にして「後で大きな利益を云々」という発想ではないと思いますね。アメリカだろうとどこだろうと、その資産は「地球の資産」、「人間の共通の資産」という観点だと思いますよ。少なくとも、結果的にそうですよね。まだまだ金銭で動いてるといっても、流通する方向なんですからね。

私は正面から意見を言っています。公開して意見を述べてます。すると、私の知らない所で批判が動きます。でも、それを私がどうやって気付けというのでしょうか。でも一つ気付いた事があります。それは、「所有」という概念についてです。私は「価値(ある情報)は、どんどん流通したほうが良い」という立場です。情報は、なるべく公開したほうが良いと思います。それは、その価値(ある情報)を、多くの人が使えるようになるからです。現に私はあるフォーラムで、何でもかんでも伝えて来たはずです。「与えられるだけじゃ苦しいだけ」と言われるまで、表現が変かも知れませんが、与えて与えて与え続けて来たはずです。

しかし、それらの情報が彼ら各々の自分の所有とされたのは良いのですが、それをどんどん流通させることは、ほとんど見当たらなかった。その大きな理由の一つに、「所有」という概念の強さを感じます。つまり、そのように流通させたら、私個人がそのフォーラムを「所有(=支配)」することになってしまう、という潜在的な判断が常にあったのだろうと思います。何か大きな発見があると、「所有」され、ごく身近な親しい人だけにそれを伝える傾向があると思う。全人類が兄弟姉妹という方向を人が指向し、努力するのは、それほど問題あることではないと私は思う。

ここら辺の態度に見られるものは、多分、各自の金銭の使い方であろうと思う。本当ならば、音楽なども、金銭がらみの「所有指向(得る方向)」の概念を肥大化させると「著作権」などという概念が強化されるのだろう。「流通指向(与える方向)」を自分の中に発掘しようとする方向でいる人ならば、「著作権」ではなく、どこへでも流通させようとしてシステムの改革へ目が向くと思う。その点、坂本龍一さんはインターネットで音楽を自由に流通させようとされているので、「流通指向」の方なのだと思います。まあ、確かに、どちらかに偏りを維持するというのも人間にとって大変なことでもありますが、音楽というのは、本来、情報というものの性質があるので、運搬に労力は要りませんからね。流通すればするほど世界が豊かになると思う。しかし、経済原理がのしかかると逆に流通し過ぎという現象もあります^_^;。でも、チャンネルを変えて別の次元を選択すればいいのですから、流通し過ぎというのは、無いかもね。

で、ここで問題とした事柄の発端は、衣食住の夢、すなわち、所有の夢ですね。所有指向の人は、現在の経済原理の中で生きている為に、所有ばかりを指向することが問題とは感じないのだというのが一般的でしょう。だから、他者が自分の所有を妨げる時には、色々な権利を持ち出すのでしょう。確かに、それらの権利は人類が長い歴史をかけて獲得してきた権利でしょう。【参考:[若い人へ]】

しかし、よく考えてみて下さい。「情報」をどうやって「所有」するのですか? 確かに、グルジェフなども「知識を受け取る事の出来る人数は限られている」という教えを解いていました。しかし、同時に彼は、「『人類の調和的発展協会』の夢がついえた時には、私はこれらを妄想であると嫌でも認めねばなるまい」とも言ってます。でも、ラムサならば、こう言うのでしょう。「そのようにあなたが規定するから現実がそのようになるのだ」と。私が言いたい事は、これです。つまり、「情報」をどうやって「所有」するのですか?ということです。神を甘く見れないと思う。人の学びの邪魔にならなければ、与えられる量は本来、無限なのでしょう。だから、価値ある情報を流通させる事で、全人類のお腹を一杯にすることも出来るでしょう。

「物質」と「情報」は、逆の性質を持っていますよね。物質は使えば使うほど、擦り減って行きますが、「情報」は、使えば使うほど増えて行きます。物質を扱うのは、扱い慣れた人であることが望ましいのですが、「情報」を扱う人は、始めてであるほうが新鮮な発見をすることも出来、好ましいわけです。そのような対応は、至る所にみられるでしょう。

ここで言いたいのは、「所有」という概念が有効で適切なのは、どこまででしょうか、ということです。確かに、現代では情報の世界まで金銭と絡んでおり、そのために、特許権とか著作権とか色々出てくるのでしょう。それらの権利は、具体的な物質と関係している範囲に於いて有効なのだと思います。「所有」概念は、物質、あるいは、「物質と不可分の情報」までが適切じゃないのでしょうか。

「所有」の概念が強いと土地なども所有の対象という見方が発生します。クラリオンから来た女性機長が、「地球では土地まで所有するのですか」と驚いてたコンタクト事件が思い出されます。「それが戦争などを起こすのだ」みたいなことも言ってたんじゃないかと記憶しています。彼らの世界では所有の概念が希薄で、人々は一応、自分の家があり、住んでいるけども、自由に各家庭なり家なりを訪問して(聖書の世界みたいだね)いるそうで、移動なども公共の輸送機関を主に使用しているそうで、自分の乗り物を所有する人のほうが少ないと、アダムスキーも言ってたと記憶しているけど。

人の今の意識は自分の所有物によって自分の立場が規定される厳密な世界、だと思います。「所有物」によって、この世でのその人の能力なり評価なりが与えられる。しかし、「物によって人間が規定される」というのは、まだまだ意識の段階としては低いと思い〜な。これは、喩えれば、「知識の量によって、その人の情緒が判断される」ようなものです。レベルの違う「物」と「人間」が混同されています。人間を評価するのは、人類が向っている価値の世界からの、人間的価値であると思う。人として価値あるもの、すなわち、知恵や光()などをどれだけ体現しているかという、人が向っている方向からの判断なのでしょう。

でも、最近はインターネットというものがあるので、価値(ある情報)は、「所有」よりも「流通」の方向へ動いているんじゃないでしょうか。これはまた、情報の性質そのものが現れている、ということではないでしょうか。生かしてこその情報ですから。

人間が向っているものとは、一言で言おうとするならば「幸せ」でしょう。幸せは「所有」に立脚しているのではない事を深く理解出来た人は幸せでしょう。勿論、人によって目的によって、必要な所有なり何なりの状況というのもあります。その場合は、目的は、「その目的」なのであり、「所有そのもの」ではない筈ですから、それも幸せですね。「所有」に拘ると、「失う」可能性が生じ、苦が生じますから。つまり、幸せは「所有」に立脚しているのではない訳です。人類が向うべきは「光」だと思います。あるいは、「神」「」「未来」等。
































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