「ハトホルの書」に「地球がアセンションしようとしている」とあるそうです。そうか、やはり宇宙からの来訪待望派より、グラウンディング派もいいんじゃない? (200503182330)
 ピオ神父が「私も世紀末に生まれたかった」と仰ったのは地球のアセンションのタイミングに近いからなのかも。このアセンションは個人的な「能力」みたいなアセンションではなくて、「地球がアセンションするので、皆さん、同調を外さないでね」というのがアーキエンジェル・ミカエルなどの主旨だったようですね。(200503190028)

 出口王仁三郎が「本当に天から火が降ってくる」と仰ったのは、このような地球全体がアセンション、次元転換をなさる時の様子なのではないか?(200503201604)

 弥勒十字が「頭脳の父性原理<身体的母性原理」を示していたのも、地球のアセンションという大切な事柄を指し示していたのでしょうね。(200503201729)

 もう少ししたら(具体的には確定できません)この太陽系はフォトン・ベルトに突入するそうです(既に突入し始めているとも言われる)。そうなると、人が心の中に悪意を抱けなくなり、社会的システムも根本的に変わって行くそうです。かなりの近未来に迫っているそうです。それに、私個人としても、テレビを見て、社会問題を追いかけて来ましたが、もっと本やインターネットなどの情報のほうが密度が濃いし、テレビでは語られない問題提起もできるかも知れません。社会の問題などは、その全領域に渡って、フォトン・ベルトの影響が及んで来ると思います。それで、私は「フォトン・ベルトの接近」という状況に基づいて、それらの領域は神に委ねる事にして、テレビは何か感じた時にだけ見るように変更しようと思います。ニュース番組も毎日見ないと思います。(200209120046)
フォトン・ベルト本の著者自身が実在を否定 (200505052049)

 17日(土)には何もありませんでした。(199907180416)

 下記の文章をここに登録して翌日の夢に、加虐的な頑固爺さんが出てきましたが、あれは何だったのだろう? 下記で「生き神様」と書きましたが、これはどこぞの新興宗教の教祖様とかを全く意味しておりません(ということでいいのかな?)。「生き神様」とタイプしたのは、「一つの個性としての“エネルギー体”」という意味合いで言ってました。誰か人間を意味していたのではありません。(199906200424)

 最近の時代の関心として、ノストラダムスの1999年7の月預言があり、自分も関心が向いています。昨日、6/18(金)の朝に妹が私に「赤ちゃんが生まれるのは17日なんだって」と言う夢を見ました。どうやら母が妊娠していたようです(夢で)。これをノストラダムスと関連付けると、来月7月の17日に「恐怖の大王が降って来る」のかな、とか思ったりなんかしちゃいました。そして、「生き神様の正味が激しい体験(下記)」を想起しました。もしかしたら、私が体験したような事を万人が体験させられるようになるのかも、と思いました。ノストラダムスも「恐怖の大王は私にも目には見えないのですよ」と言ってた記録が残ってるそうですから、生き神様が大勢の人間に同時的にかかるようになるのかも、と思いました。それで私はノストラダムス預言をこのように予想・想像してみました。はてさて、何があるのやら、それとも何も無いかも?(199906190446)

 しかし、そのようにして支配されてしまうのは、やはり何か変ですね。というのは、シュメールさんの発言で気付いたのですけど、地球の進路は地球人で決めるべきであり、そのような「特定の心霊なり何なり」の干渉によって方向を決めるべきではないと思いました。その意味でも人類は、やはり、数えることも出来ない唯一全能の神へ心を向けることが(社会現象とは無関係に)大切な事でしょう。それに、そのような存在が地球に干渉する事になると、彼らもまた、地球の進化に対してカルマを背負う事にもなりますし、色々なプレアデス情報でも、「やがてアヌンナキ達が地球に来て、地球の女性たちとヤリまくる」という情報もあります。彼らも最初は純粋だけど、地球人と同じ密度に入って来ると、初期の目的・精神を忘れるそうで、このような(旧約に書かれてあるような)干渉が、再び起こらないように、地球人は強く拒否すべきだとも書いてありますよね。それが彼らのためでもあるそうです。地球人から見れば神的な存在である彼らに対抗し得る、地球の権威が必要でもあるのだそうですね。まあ、「彼ら」とか私は言ってますけど、私自身、「実際」に、コンタクトしたことはあります。正真正銘の真実です。神に誓います。だから、プレアデス情報等は少なくとも、私にとっては使える、ありがたい情報です。(199804030411)

 世を救う仕組とはカルマ清算を押し進めることである。つまり、自らの思いや行ないが「世に波及して行くから気をつけよう」というよりも、「自らのカルマを清算して行くのだから気を付けよう」の方向である。いずれ、「神かかる世」となったら、生き神様の正味が激しいので、人には耐えられないのである。だから、なるべく多くの人が行せなならん(一二三神示より)のです。こばれん人民、沢山出てくる(一二三神示より)ようになる訳です。神(個性としての)が懸かると何が耐えられないのか、と言いますと、私はこれを少しだけ「体験した」のですけども、その時は、本当に「にっちもさっちも行かない」精神状態に入るのです。

・例えばそれはこんな風です。もし、あなたの心の動きを0.01秒単位で活動する意識体の「監視態勢の元に置かれた」ならば、あなたはどう思い、どう感じるでしょうか。例えば、人知れず隠している自分の妄想なども完全に把握されており、一刻一刻、それに対してコメントが入るという感じです。感覚的に言うと、ビシッとした冬空の下、滝に打たれるような、「逃げも隠れもできない」精神状況になるのです。肉体の主体が、「自分という甘ちゃん」から「厳しい存在」に一時的に移されるのです。

・例えば、ニュースキャスターなどは、時々刻々の自らの表情や気持ちなどがテレビで大勢の人に「監視されている」訳ですけど、ちょっと眉が上がっただけでも、それにコメントの念が集まります。とても窮屈です。それを激しくしたものが生き神様の懸かった状態です。とても普通の人間に耐えられるものではないと私は感じました。クロック周波数1MHzの人間にしてみれば、100MHzの生き神様の意識は脅威、脅迫、窮屈、迫真以外の何物でもありませんでした。だから、現代のような心理的緊張のピークの時代は「その種の訓練」(の入口)でもあるんだな、と思っています。

・例えば座禅のようでもあります。ちょっと気が揺らいだだけで「バシッ」とやられます。それが「毎瞬の監視の元で行なわれた」なら、あなたは生きていられるでしょうか?毎瞬の呼吸も許された上でないと呼吸が続かない(神示より:今に大き息も出来んようになるから)と思います。自分が生きるか死ぬかの状況に入りますので、色々な事件など目じゃなくなります(^_^;)。だから、自らのカルマ清算(時を完結する事)が大事です。多分、自分を騙し騙しで来たり、認めるべきを認めない、とかやってる人は、その状況に入って頑張ったりしたら気が狂うのではないかと思います。

 私は今までこの「神一厘の仕組」がどのように「社会に」波及して行くのか分からず、事があってはならないと気を付けて歩いて来たのですけど、そのように社会的な事を考慮する前に、まず自分の浄化なんだと知りました。なぜなら、弥勒十字は、社会的現象を起こした上でなければ解消できない個人の、カルマ清算の仕組だったからです。という側面の重要性を述べることが私が社会に対して出来ることです。神示にあるように「生き神様の正味は激しい」です。まず自分が生きていられなきゃどうしようもないのです。あなた自身の行、精進が「第一」です。「社会」に目を捕われないように気を付けて下さい。「全精力を注いで自分だけの行に集中」しても追い付かないという場合もあると思いますよ。次元の扉が開いてスターダストが降り、神懸かる世となる時が何時なのかを特定するのは、私はまだ情報不足なので何も言えません。やがて情報が溢れ、それと分かる時が来るのでしょう。

 一つの体験から私は、以上の様に考えるようになりました。ただ、そんな状況でどうやって生きて行くのだろう(^_^;)? 果たして私は正しい事を話しているのか? でも、それを経験した事実があります。【これを体験したのは、正月が過ぎた頃でした。故に、1996〜1998の、何れかの年の1月のことでした。(200311220240)】
















































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