惑星には「エーテル」という電気の海、オーラに包まれているそうです。これは惑星によって周波数が違うそうである。ブラジルでダイノ・クラスペドンとコンタクトした機長によれば、地球のエーテルは月の軌道を含んでその外側までの範囲を持っているそうである。物質から、何かの拍子にこのエーテル層(オーラ)が奪われると、その物質は直ちに結晶化してしまうそうである。宇宙空間にはエーテルの潮流があるそうで、惑星と惑星、太陽系と太陽系、銀河系と銀河系を繋げているようです。地球(惑星)から宇宙へ飛び出す時は、地球のエーテルとは逆極性の反物質エーテルで正物質の機体を包めば、惑星のエーテルに反発されて宇宙空間に飛び出すそうです。その後、極性を戻し、目的の惑星のエーテルと同じ周波数のエーテルで機体を包むと、宇宙のエーテル潮流に乗って、目的の惑星まで流されて行くのだそうです。

さて、私たち人間は、各自の個性の違いによって心に抱く毎瞬の想念に、人により違う波動が生まれますが、共通の心(集合意識)というのもあり、そこで人と人の心の繋がり(テレパシー等)が出てきます。ここで気持ちが通じ合います。これが地球のエーテル、地球の心です。「地球の心」は、人のエゴとは違います。「地球の心」をOS、エゴをアプリケーションと考えれば、分かりやすいかと思います。

例えば、あなたは人の「エゴの波動」というものを感じた事はないでしょうか。例えば、人と擦れ違う時、何かあからさまに避ける仕草をして、ストレスを発散したりするような感じの人がいます。例を分りやすくしましたが、これは、その個人の念です。「地球の心」ではありません。また、逆の例としては、「居るだけでうさんくさい」という感じの人間がいます。何かその人のエゴの強さがあり、そのオーラとして感じてしまう時、それを如何にしたら感じないでいられるか、というような場合です。これは、もうその人がいるだけで、相手に注意が向いてしまうので、かなり困難な気がします。というのは、そのような人とも心がどこかで繋がっている為に、どうしてもそれを感じてしまうからです。ですが、そのようなエゴ・癖という心の活動を、心の活動の基礎である「地球の心」と分離する事が出来れば、気にならない可能性が高くなります。また、自分の思っただけのことが相手に伝わってしまうかのような親密過ぎる状況というのもあります。このような状況下では、どうやって相手のエゴ・癖を感じないでいられるか、という課題が生じてきます。逆に、自分のエゴ・癖による念によって相手に迷惑を与えないでいるにはどうしたらよいかという場合もあるでしょう。そのような時は、「地球の心」に戻るのです。ここには人間的なレベルでのエゴはありません。ここでは、心が美しくプロセスしているだけです。それが「地球の心」です。「地球の心」を思い起こすのに最も良い方法は、あなたが最も美しいと感じる歌のフィーリングに戻る事です。そこには、個人のエゴを越えた美があります。それが「地球の心」だと言っていいでしょう。自分の心をエゴで満たすか、地球の心と同調して生きるかは、あなたの決定です。近くにいる人のエゴや、または、自分のエゴに心の主体があったのではなくて、人と人の間に心の主体があったのです。色々と、怨念や怒りで忙しい(^_^;)方もいるでしょうが、その活動も、地球の心という「心の主体」あっての事です。私はそんなふうに考えています。

類似の発言→[忍耐について](200204141523)

目次(生まれる想い)に戻る

free counters