以下は第7通目と一緒にお送りした文章なので、載せときます。オショー(当時のバグワン・シュリ・ラジニーシ)の「存在の詩」という本を読んだ後でインスピレーションが湧いて書いたものです。

以下は、私(菅谷)の高校の時の卒業文集である。一言一句を同じにしました。
[H高等学校 3年8組 昭和54(1979)年(53年度)卒業生]

生命

人間は人間に生まれ変わるのである。あなたが前生を覚えていないのは、寝ている時の自分を思い出せないのと同じで、あなたが前生で十分に意識的でなかったからです。例えば二人の友達が並んで歩いていると、必ずどちらかが話し始める。黙っていると、相手をたいへんに意識してしまうからです。せっかくの意識的になれるチャンスをその人は話すことによってだめにしてしまった。意識的になるのを避けようとするのは心が自分の内側を見られまいとするからである。好きな人を意識するのは相手の意識と一体になろうとするからである。この意識的な状態とくらべると、人と話しているときや、勉強その他をしているときの自分が夢の中にいるように実感がないのが分かるでしょう。この表面的な、沈黙せずに何かを話し始めようとする自分を心と呼ぶことにします。あなたは今まで心だけで生活していたのです。しかし今後は心と意識を一体化させ、つまり意識的になって生活していけばよいのです。
あなたの意識は前生と同じ意識ですが、あなたが心だけで生活していたので前生の記憶を持たないのです。あなたが死んだとき、不要な表面的な心は意識によって脱ぎ捨てられて今でもそこに幽霊として残っています。あなたが自分だと思っていた心が置き去りにされたので記憶を持たないのです。心と意識を一体化させるまでは霊について考えない方がよいでしょう。心がうわついているので霊に影響を受け易いからです。意識(魂)と一体化すれば心は確固な基礎を持つので影響を受けません。心と意識を一体化させ生活していけば今まで見なれたものが新鮮な安らぎとともに目に映るようになり、幼い頃のフィーリングを思い出し、他人の心の中を知ることができ、魂の記憶により前生を思い出し、これから死んで生まれ変わった後も心が意識と一緒に運ばれるので今の自分を忘れることがなくなり、自分の正体を見出し、宇宙に満ちる意識と融合すれば、あなたに不可能はなくなり、空を飛んだり、山を動かしたり何でもできるのである。それを邪魔するのが心です。心は利己的で、執着、欲、結果等に縛られて、自分で限界をつくっている。心が習慣的と言うのは、心が脳細胞の一定のパターンに従っていることで、それよりも意識の力と一体化させ真に自由になるのです。パターンから離れるのです。心が結果に縛られるというのは例えば木を見ると心は目によって木の形しか見ていません。そうではなく、木を意識することによりその木を今の木にまで成長させた創造的英知をも感知するのです。これに限らず全ての事の原因を見るようにするのです。これは結果を生ぜしめた創造主の一部である原因に生きる意識に近づくことです。意識的生活を続けると、エレベーターに乗ったような、宙に浮いたような感覚を体験することがありますが、それは心の指導下にあった利己的な脳細胞が宇宙的になりつつある証拠ですので、恐れることはありません。結局、純真な子供の心になって意識的になるのです。
では、あなたが生命の道を歩むことを祈ります。


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