- FARION  MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/06/12 -
00118/00118 GGD02212  Soo              3Dログで〜す。
( 3)   93/06/11 00:03  00115へのコメント

ミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイ
ヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイム
フミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨ
イムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナ
ミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイム
ヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナ
フミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイ
イムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤ
ミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイ
ヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコト フミヨイムナヤコト フミヨイムナヤコトヒフミヨイム
フミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨ
イムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナ

 遠い目をして眺めれば■が浮かび上がります。
 
 見えた?つまんなくて御免ね。(C)Soo G.Ray
 

00120/00124 GEC03420  MOLYX       最近読んだちょっと良い本
( 3)   93/06/11 15:52


 
石屋関係の本
 
        《ユダヤ世界支配の議定書》
        最後の強敵日本を撃て
                大暴落・円高・政治混乱、これは偶然ではない
                        Jacob Morgan著 忍野昭太郎訳
                        第一企画出版        \1,500
 
        《ユダヤ世界支配の議定書》
        続  最後の強敵日本を撃て
                大蔵省・日銀はすでにユダヤの支配下にある
                        Jacob Morgan著 忍野昭太郎訳
                        第一企画出版        \1,500
 
        ユダヤ人と思しき名前の著者であるが、著者のprofileは一切無い。
        ちょっと怪しい(笑)。内容を読むと...ほんとにユダヤ人かいな?(笑)てな
        部分もある。
        明治維新以来いかにユダヤによって日本が操られて来たかを述べている。
        大前研一がユダヤ=フリーメーソンの手先であると断定しているのも吉(笑)。
        ユダヤ支配層の「イルミナティ」と秘密結社としての「フリーメーソン」と
        の差を明確にし、その支配構造を明らかにしている。
        一読の価値あり◎
 
 
ちと啓発された本
 
        世界最終戦争        「蘇る石原莞爾」
        世界最終戦争2        「勇戦の石原莞爾」
                        佐治芳彦著
                        KKベストセラーズ(ワニの本)        各\800
 
        日本古代史の研究家として知られる著者が挑む「思考実験小説」
        昭和陸軍きっての戦略家「石原莞爾」。彼の持論「世界最終戦論」に基づいた
        「もしも」の太平洋戦史である。
        改造後の近衛内閣の陸軍次官として東条でなく石原が就任したら...という
        内容である。今後の日本の在り方について考えさせられる意欲作。
        エンターテイメントとしても上出来。
 
 
 
                                                        MOLYX

- FARION  MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/06/12 -
01089/01095 TBE03167  ねずみ           はぁ……
( 6)   93/06/11 19:50                     コメント数:2

いつだったか、僕のノイローゼが完治した!!って言ったことあったんだけど、本当
はまだ頭痛が随分残っていて、いつも頭が締め付けられるような感じがしていました。
そのせいでしょうか、僕の文章はまだまだ尖ったいやな印象がありますね。
きょう、6年ぶりに、ほとんど頭痛のない朝を迎えることができました。
健康な気持ちで眺める世界というのは、ノイローゼのときとは全然異なって見えるも
のです。
これまでの6年間ってなんだったんだろう。
恋もなにもなく、人間性がぶっとんだままで生きていた日々。
僕は失われたあの日々を取り戻すことができるだろうか。

- FARION  MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/06/12 -
361/364   QFG02515  めるく            RE:いっきなり、質も〜ん
( 7)   93/06/11 11:17  359へのコメント


 あっぷあっぷさん、こんにちは。
 私めるくは、本当はあまり偉そうなことを言える人ではないのだけど、私の分
かる範囲内で書いてみます。あくまで私の私見です。

1) 長所短所と言う捉えかたは、私は面接試験のときくらいにしかしませんよ。
  それよりも、たとえば好き嫌いとか、出来る出来ないとか、心の流れかたと
  か、反応するしないとか、どういうときに喜怒哀楽があらわれるかとか、閉
  じてるとか開いてるとか、膨らんでるとか萎んでるとか、軽いとか重いとか、
  燃えてるとか血がたりないとか(?)、そういうことを観察したりします。
  精神というのは自分の持ち駒ですから、各部の性能を良く把握しておいた方
  が良いだろう、と考えています。

2) まあ、観察する、ということですかね。私は分析等は苦手な方なので、無
  理してまでは、分析したりはしません。もちろん、分かるに超したことはあ
  りませんけどね。無理に分析しようとすると、こじつけになったりして、か
  えって自分が見えなくなったりすることも、あるだろうと思います。まず観
  察し、そしてまた観察する。より深く、より深く、観察していく。いつでも
  思い出したときに観察する。現在進行形で観察する。その事が起こっている
  まさにその時に、それを観察する。簡単じゃないけどね。

 我流の表現で書いた部分があるので、意味が分からなかったら、聞き直してく
ださい。
 それでは、また。

                         めるく より


362/364   JBH00742  炎                上と下
( 7)   93/06/11 22:18


      * 「……」 *

   例えば上と下と言う事を考えてみる。
   上は下から見れば上かも知れないが
   上の上から見れば下かも知れない。
   あるいは下だ下だと思っていたりしても
   実は上かも知れない。

   ここで他の人の事を「……」と叫んでいる人が居るとする。
   しかしその人を見ている別の人が居り
   その人に向かって「……」と言ったらどうなるのか。

   “光の子”とやらは自らを選民と思っているらしい。

   虐げられし者の在ること許すまじ…。

                         炎


363/364   JBH00742  炎                聞いた話
( 7)   93/06/11 22:40


      * と憎しみ *

   昔ユダヤにナザレのイエスという人あり。
   彼十字架に張り付けられし時、
   集ましり人の中で彼を罵倒する人々が居た。
   ある者は棒の先に葡萄酒を含ませた布を付け
   彼にそれを突き付けてこう言った。
   「この葡萄酒を飲めば酔いが回って痛みが取れるぞ!」
   そこで彼はこう呟いた。
   「お前等にこの苦しみが分かろうか…。」
   やはり彼はの人ではなかった。
   彼は憎しみの人であった。
   あまりにも愚かなり…。

   この話が本当かどうか私は知らない。
   クリスチャンの読む「聖書」に載っていないかも知れない。

   …イエスは神に見放されたのであろうか。
   私には人々に見放されたと思えてしまう…。

                           炎


364/364   JBH00742  炎                師曰く・・・
( 7)   93/06/11 23:48


    * 花を咲かせる *

   花は善悪を知らないという。
   花は白も黒も無いという。
   花は上も下も無いという。

   花、只そこに在るのみ。
   然らば花を“美しく”咲かせたい。

                     炎


- FARION  MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/06/12 -
369/370   NBG00612  岳同              ご結婚の儀
(13)   93/06/11 00:49  358へのコメント


KAZEさん、こんにちは。
昨日の浩宮さまと雅子さまのご結婚の儀、こちらに居ると2週間位も前から
山の手線内交差点至るところに、警官だらけ。前日からはJRのホームにも、
見張りが居たり、駅のごみ箱も使用停止になるなど、厳重な警戒でした。
みんなの願いが届いたのか、パレードは奇跡的に雨があがって良かったです。
何だか、雨で清められたみたいですね。もし、朝から晴れていたら、恐らく
とんでもなく多くの人達がパレードを見に集まっていたでしょう。
確か、天皇陛下と美智子さまの時もやはり雨だったのに、パレードには雨が上がった
とテレビで言っていました。

私は、テレビを見ながら昨今の結婚式と、古式ゆたかな、一面ではきわめてシンプル
なご結婚の儀を比べてみて、凛々しさや崇高さを感じました。恋に対する真面目さ
についても、やはり学ぶべきことがあると思います。

KAZEさんと隆さんで恋談義が続いてましたが、
考えてみると、男は小さいときから肉体的に大きな変化はないように思います。
HEARが生えたり薄くなったりはあっても、あまり肉体を意識したことはないと
思います。
それに比べると、女性は脱皮と言うか、花が咲くというか、肉体が変化し、そのことに
ついて否応無く彼女達自身が意識させられると思います。女性の身体はどこをとっても
神秘的と言えるでしょう。女性心理の解り難さは、この彼女たちの内に向けた神秘的な
憧憬にあるのかもしれません。
男性については、やはり精神の面に於て神秘的というか、夢みる働きを与えられている
のかもしれません。やりたいこと、夢見ることが、生活の板について初めて一人前と
言えるかもしれません。

さて、尾道の話しが出ていましたが、私は大林監督の映画のイメージが焼き付いて
しかも一度も行ったことがないので、勝手に想像していますが、KAZEさんが、尾道に
渡るときはよく映画に出てくるフェリーを使うのでしょうか。一度、夕暮れに乗って
みたいなと思っています。瀬戸の夕暮れは、沖の島々がうすもやに幾重にも重なって
穏やかな気持ちを思い出してしまいます。



370/370   NBG00612  岳同              スカリー
(13)   93/06/11 00:49  355へのコメント


NoBさん、おひさです。ご明答、早川書房「スカリー」原題 "ODYSSEY" です。
この本は、この手の技術系の内輪ものにしては珍しく、ビジネス書として評価の
高い本です。スティーブ・ジョブスやアラン・ケイなどの伝説的人物が、夢を追い
かけて熱く燃え上がって行く、そして現実の中でお互いが少しずつ離れていく...
一気に爽やかに読んだ憶えがあります。


373/374   GGA02514  KAZE              RE:ご結婚の儀
(13)   93/06/11 10:14  369へのコメント

岳同さん、どうも。

皇太子さんの「ご結婚の儀」ですが、
NoBさんは「不快」とのことでしたねえ(^^;)。
僕もずっと以前なら結構マイナスの方が気になっていたのですが、
最近では、マスコミのアホさも含めて、ま、いいんじゃないの、って感じです。
日本人にしても、蟻さんのような集団的なあり方を感じたりはするけど、
ある部分、ほっとする側面もあったりします(両義的なんですよね)。
蟻さん的なあり方というのは、シュタイナーもすごく進化した形態だとかいうことを
どこかで言っていますが、ある部分、そういうところもあるのだと思います。
理想的にいえば、「ご結婚の儀」っていうのを
あんなに持ち上げる必要性については大きな疑問ですけれど、
今の時点では、それはそれなりに意味のあることなのかも、と思います。

男女の性差については、どうなんでしょうか。
女性は肉体が神秘的で、男性は精神が神秘的ということですが、
霊的能力の発現するポジションということでは、
ある部分、そういうこともいえるのかもしれませんが、
ま、個人差って大きいから、ひとそれぞれともいえるのでしょうが・・・。
そういえば、女性が子供を産む能力っていうのは、巫さん的で、
子供を宿しているときには憑依状態に近いということを聞いたことがあります。
つまり、一つの体にふたつの人格が宿っている状態ということです。

>女性心理の解り難さは、この彼女たちの内に向けた神秘的な
>憧憬にあるのかもしれません。

ううん、そこらへんはちょっと投影しすぎだという気もしますね。
「女性心理の解り難さ」の多くの部分は、それを想定するときのあり方が
かなり一面的であることが理由であることが多いように感じます。
女性の方が身体的状態に対して過敏な場合が多い、
ということは傾向としてはありますが・・・。
もちろん、女性にかかわらず、「解りにくい方」っていうのはいるもので、
それを除けば、結構いくつかのファクターを想定すれば、ほんと行動予測も可能です。

>KAZEさんが、尾道に渡るときはよく映画に出てくるフェリーを使うのでしょうか。

尾道に行くのには、直通の水中翼船があります。
車でいくときは、尾道から車で20分くらいの三原までフェリーで渡ります。
どちらもとっても瀬戸内の島々がきれいですよ。
ぜひ、一度こちらへもいらっしゃってくださいね。

では。


374/374   NBG00612  岳同              RE:ちょっとコメント
(13)   93/06/11 13:04  340へのコメント



隆さん、こんにちは。
双方向TVの話をされていましたが、最近読んだ雑誌に特集があったので
ご紹介します。

アメリカでは対話型への進化を目指すCATV業界とコンピュータ通信業界が
インタラクティブ・テレビ(双方向TV)の覇権争いを繰り広げているそうです。

HABITATのような「プロディジー」と呼ばれる映像付きパソコン通信が全米で200万人の
会員を獲得したそうです。

国内に目を転じると、ISDNを用いた画像通信の実験が進められていたり、
CATVがショッピング機能を持つようになったりと徐々に動きがあるようです。

宝くじへのオンライン参加(新しい形の視聴者参加番組)や通信でアクセスする
ビデオライブラリーなどが検討されているみたいですが、インフラの整備投資が困難
やBSのチャンネル獲得が先決などの理由で現在のところ事業化のめどはたっておらず、
WOWOWの不振も伝えられている折り、まだまだ紆余曲折が予想されそうです。

参考:日経コミュニケーション 1993.2.15号

あー、なんかNHKのニュースみたいになってしまいました。
WINDOWですが、私自身は普段必要性をあまり感じないのですが、多分最新のソフトを
入手しようとすると、今後は必須になって来るでしょうね。
GUIは確かに、初めてのソフトを使うときにはナビゲーション効果があっていいのですが
使い慣れて来ると、煩雑に思えてきて、むしろ対話型の操作性よりもいかにコマンド
一発で全自動に動いてくれるかの方が身近に便利だったりします。
今の私にはWINDOWは高級すぎるかも...
でも、メモリーも8M増強したし、そのうち使ってみたら感想をアップしますね。



- FARION  MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/12 -
696/696   HGE02116  MAKOTO            つれづれなるままに… その四
(14)   93/06/11 00:27  678へのコメント



天使 〜対談〜

  対談部分の中で、みれさんがARIONを紹介してるとこは、
  物語でも読んでる気分だった。
 ま、そんなものなのかってね。
  読んでて、心に引っかかったのは、
  遺伝子の書き換えの時期だってところ。

  外からの働きかけがどうであれ、
  人は自ら自分のありかたを選んでいくんだね。
  良いとは思えない選択であったとしても、
  それが種としての総意であるならばどうしようもない。

 なら、結果が出たとき「ひと」はどうなるのだろう?
  それって不幸なのか?
  その頃の「ひと」に取って、変化した形がごく普通の状態となれば、
  不幸にはなり得ないのではないか…

  エイズとアレルギーってのが気になるな。
  これって先駆けか?
  どちらも免疫異常、ものの裏表みたいだ。
  大地に拒絶されるのか、大地を拒絶するのか…
  環境に適応するのではなく、環境を適応させようとする、
  そういう生き方を選んだのはあたしたち。
  今度は、その変化した環境に適応しなければならないのだろうか?
  そして、その先に待っているものはなんなのだろう…?

  変化はもう始まっている。
  結果として、より毒性に強い種が生まれるのか?
  肉体という形を失ってしまうのか?
  SFなんかでは、よく取り上げられる題材だけど、
  どんな形に変化していくんだろうね…?
  そして、どこまでを「ひと」と呼べるのだろう…?

                    MAKOTO でした☆

697/699   QFG02515  めるく            合理的な救世計画
(14)   93/06/11 11:11


 以下に光の子とありますが、他にいい言葉がなくて取り合えずそう呼んだだけで、
アリオン預言とは特に関係ありません。また、この理論は「生まれ変わりはある」
ということを、前提としています。


           〜〜〜 合理的な救世計画 〜〜〜

1) まず、小数精鋭で光の子を育てる。量より質の方が重要である。1億人のカ
  スより、1人の光の子。もちろん、多いに超したことはないが、生きている全
  員を光の子にするのは無理だから、無理なことはしなくて良い。

2) 光の子として大成した者だけを残し、あとの人間はみな滅ぼす。とにかく、
  光の子だけしか地上にいない、という状況を作り出す。光の子を全員残すため
  に、ついでにカスも残ってしまうよりも、光の子もすこしくらい死んでもいい
  から、カスを全滅させる。

3) 生き残った光の子たちが、新しく世の中を再建する。政治も経済も思想も宗
  教も、教育も、すべてを光のシステムとして新しく作る。もはやカスはいない
  ので、光のシステムに障害はない。

4) すばらしいが人口はとても少ない光の時代に、2)で滅ぼされた人たちが、
  次々と生まれ変わる。光のシステムのもとで光の教育を受けて育つので、みな
  光の子となる。

5) めでたし、めでたし。


                       〜  め  る  く 〜


698/699   GCC01413  HVHY          RE:何が起こったのか?
(14)   93/06/11 19:52  679へのコメント


 *[合体策は旨くいったのか?…その8]

                5「考昭帝」
                   |
                   +−−−−−−−−+
                   |        |
                6「考安帝」  「彦天帯国押人尊」
              (日本帯彦国押人尊)
           “ヤマトタラシヒコクニオシヒト”

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

                 「八井耳」
                   ・
                   ・
 (皇后:イカガシコメ)・・・・9「開化帝」
                   |
  (皇后:ミマキヒメ)・・・・10『崇神帝』“ミマキ入彦イニエ”
                   |      ※「イ」=「五十」
         +−−−−−−11「垂仁帝」“イクメ入彦イサチ”
         |         |
      「ホムツワケ」   12「景行帝」・・・・(皇后:八坂入姫)
            “オオタラシヒコオシロワケ”
                   |
         +−−−−−−−−−+−−−−−−−−−+
         |         |         |
      「ホムダワカ」   13「成務帝」    「日本武尊」
               “ワカタラシヒコ”     |
                          14「仲哀帝」
                         “タラシナカツヒコ”

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

      「日葉酢姫」−−+−−「垂仁帝」−−+−−「若狭姫」
              |         |
    +−−−−−−−−−+      「ホムツワケ」
    |
    +−−「イニシキ入彦」(石上神宮斎主)(※「イ」=「五十」)
       「オオタラシヒコオシロワケ」(=「景行帝」)
       「オオナカツヒメ」(※『応神帝』の皇后は「ナカツヒメ」)
       「倭姫(ヤマトヒメ)」(伊勢神宮斎主)
       「両道(フタジ)入姫」(=「仲哀帝」の母)

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、ここで気付くことは、
 第8代「考元帝」に始まり第10代『崇神帝』で頂点を向かえた大王勢力は、
 (※それは「ウマシマヂ」直系とされる「穂積連」との二人三脚であった…)
 第12代「景行帝」とその息子たちの頃には、
 “別の勢力”(タラシ族?・ワケ族?)に取って変わられた様にも見えること。

 そうしてみると、「彦天帯国押人尊」のグループは、
 “『崇神帝』に結実する勢力”に協力したのではなく、
 “「景行帝」に始まって『応神帝』に結実する勢力”に協力した。
 …このように見做すことも出来よう。
 さすれば、「穂積連」たちのグループと「彦天帯国押人尊」のグループは、
 その立場が全く違っていたことになるのだが…。
 確かに、“「穂積連」たちのグループ”は『イ』(五十)を帯びている。
 それは「イザナギ・イザナミ」の系列であることをイメージさせる。
 或いは「五十猛(イタケル)」が思い出されるであろう。

 ところが、「応神帝」に続く「仁徳帝」は“オオサザキノミコト”。
 ここで「オオサザキ」は「大雀」とも書く。
 すると、  “「八井耳」→「雀部臣」→「考元帝」
       →「武内宿禰」→「応神帝」→「大雀」”
 この流れを“「雀部臣」の反乱が「大雀」に結実した”と読むことも出来るのだ。
 (※そう読めるように記号化されていることの意味を考えているのである…)
 しかも、「イハレヒコ」の長男が「八井」。次男が「八井耳」。
 つまり、この『八』たちは“即位しなかった兄”として位置付けられている。
 「仁徳帝」(=「大雀」)も長男なのに即位したのであった。
 (※その即位の事情に関しては神話の中で詳細に語られている…)
 一方、「景行帝」の皇后(元々の皇后ではない)である「八坂入姫」も、
 「アマテラス」の長男である「ニニギ」に結び付けられている。
 これらのことから、『崇神帝』をシンボルとする系列と、
 『応神帝』をシンボルとする系列は、“ある意味合い”においては、
 同一線上に並べて語っても良い側面があるとも言えるのだ。

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、もう少し先まで、系図だけを俯観しておこう。

  [1]  『神武帝』
         |
  [2]  ×・×・×
         |
  [3]  「考昭帝」
         |
  [4]  「考安帝」 「考元帝」
         |     |
  [5]  「考霊帝」 「開化帝」
               |
  [6]        『崇神帝』
               |
  [7]        「垂仁帝」

  [8]              「景行帝」
                     ・
  [9]              「成務帝」
                     ・
  [10]              「仲哀帝」
                     ・
  [11]              『応神帝』
                     |
  [12]              「仁徳帝」 )
                     |   ) いわゆる
  [13]    「履中帝」「反正帝」「允恭帝」 ) “倭の五王”の時代
                     |   )
  [14]         「安康帝」「雄略帝」 )
                     |
  [15]              「清寧帝」

  [16]               「顕宗帝」「仁賢帝」
                           |
  [17]                    「武烈帝」

  [18]                          『継体帝』
                                 |
  [19]                「安閑帝」「宣化帝」「欽明帝」
                                 |
  [20]           「敏達帝」「用明帝」「崇峻帝」「推古帝」

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ここまで来るのに、既に6段階くらいの変化があるだろう。

     *「イワレヒコ」直系の時代   ・・・・ 約4世代
     *「崇神帝」前後の時代     ・・・・ 約3世代
     *「景行帝」を中心とする時代  ・・・・ 約3世代
     *「応神帝」〜「雄略帝」の時代 ・・・・ 約5世代
     *「仁賢帝」「武烈帝」の時代  ・・・・ 約2世代
     *「継体帝」〜「推古帝」の時代 ・・・・ 約3世代

 それぞれの理由はともあれ、
>>>  “一つの潮流は平均して約3世代しか続かなかった”
 と考えても良いのではなかろうか?

 これ以後の時代は教科書に詳しい。(※“偏り”はもちろんあるだろうが…)
 ある意味で、現時点まで続く日本の基礎は、
 「継体帝」から始まる100年程の間(ざっと言えば6世紀)
 に出来上がったとも言える。
 ところが、「イワレヒコ」の時代から見れば、
 ここまで辿り着くまでに既に相当の紆余曲折を重ねており、
 「イハレヒコ」と「イスケヨリヒメ」の合体策が生きているはずもないのである。
 (※何の考察を経なくともそんなことは“当たり前”だけれども…)(^^;) 

 そういった大雑把な話はともかく、
 私たちは話をもう少し進めることによって、
 「イワレヒコ」の時代に既に忍び寄っていた《「タカミムスビ」系のシナリオ》が
 “いつの時代に完成されたのか?”それを見極めなければならない…。


                                 HVHY



699/699   GCC01413  HVHY          「複雑な状況」
(14)   93/06/11 21:08


              〜 ひとつの仮説 〜

 いわゆる「天孫族」というのは「AMA族」とは異なる。

 即ち、南方系弥生人である「日向族」が上陸し、
 北方系弥生人である「出雲族」が上陸して、
 後から来た「出雲族」を中心に西日本は統一されかけた。
 (※この頃おそらく東日本は縄文人が活躍していた…)

 ところが、「天孫族」が渡来して「日向族」を抱き込み、
 「出雲族」を徐々に駆逐してしまった。
 駆逐された「出雲族」の“生き残り”は東日本へ入り、
 縄文人と協力して東日本に弥生文化の種を巻いた。

 一方、西日本でも、「天孫族」に必ずしも帰順しなかった「日向族」は存在した。
 したがって、「天孫族」に対する反乱勢力は、
 東日本では(主として)“縄文人・出雲族の連合”であり、
 西日本では(主として)“純日向族の不満分子”だったのである。

 以上のような理由から、
 例えば「サンカ」のルーツを考える場合も、
 少なくとも「縄文系サンカ」「出雲系サンカ」「日向系サンカ」
 の“3通り”を考察の対象としなければならないだろう。

 このような観点の根拠たるものは、日本神話にも表れていると思う。


                                 HVHY



- FARION  MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/06/12 -
017/018   GBG02043  維/YUI        RE:変わる事はできないのか?
(19)   93/06/11 00:46  014へのコメント  コメント数:1


やっだぁ〜、アラミスさんったら・・・ (^^;)
今まで見て来た人達は、人達。  アラミスさんは、アラミスさんじゃないですか。
本当に変わることが自分の願いなのだとしたら、変われるんじゃない??
少しづつでも。 若いころの方が、適応の早さとかは早いけれどね・・・。
30過ぎには30過ぎなりの、若いときにはもてないゆるぎなさ・・とかね・・・
そういう意味の強さをもった変化があるんではない???
それに・・・いままでで培って来た”基本的な部分”が否定的なものだってわけでも
ないでしょうし・・・、そう思えてもそれは”活かし方”がそういう方向なのかも
しれませんよねっ!!!

                         維/YUI。

PS: アラミスさんって・・・若いんだぁ・・・・ボソッ

018/018   HGC02325  ガッチャ          さすが維/YUIさん
(19)   93/06/11 00:54  017へのコメント

 さすが副議長だけの事はある。
 (ええっと、変な意味じゃないですからね(^_^))
 ううむ、言い得て妙。
 私もそんなふうに感じます。
 過去を全て否定する事ではないんだもんね。

                            ガッチャ

019/022   TCC00116  NoB               いろいろ(長文ですよ)
(19)   93/06/11 01:23                   コメント数:1

■ふーむ、この手の話題に参加するのはひかえていたんだけど、遊びがてらに
ちょいと。ちなみに遊びがてらでない考察については、FMISTY MES(13)をご参
照のこと。

■以下、とういて要領よくまとまっていません。ごめんね。ルール違反かな。

■みれさんの話、ええと、僕にはつまらなかった。面白いと思う人もいるので
しょうからそれはそれでいいと思うのだけど……。ようは、そういうふうに、
つまらない、おもしろいと受け取ったとき、実は、今回のみれさんのような言
説のありかたは、受け側の人を選別することを、先験的にして書かれている。
簡単に言えば、、読む人を限定している。

■それは、はたしてコミニュケーションというものの原型だろうか? と、疑
う。

■人は、チャネリング・メッセージにかぎらず、言葉にならぬ、また伝えるこ
とに絶望とも思える、「思いのようなもの」を抱えて生きている。

■それが、そこまで、隔絶されたかのように思えることのなかに、その思いの
本質がある。どうしても伝えがたいものを伝えたいと思うことのなかに、その
意義性がある。であるなら、あらかじめ、「霊」や「魂」といった、受け取り
ようによってはどうともでもなる言葉を前提に語られた言説は、無意味なので
はないか?

■「霊」と言えて、通じる、ある人には通じる、ある人にだけ通じさせたいと
いうことは、そもそも、「霊」の意味なのだろうか?

■別の言葉で言ってみよう。精神世界と呼ばれる分野の文章の大半が、人を選
別して、否定的に選別された人によって、面白くもないのは、それは、そうし
て用語なりが、自明であるという前提を疑えないというルールの上でのゲーム
に過ぎないからだ。もっと露骨にいえば、アリオン(?、よく知らない、ごめ
んね)として語られるメッセージは、いずれにせよ、「言葉」でしかない。

■では、それはどのような言葉なのだろう?

■言葉が発せられるというのは、どういう機能を持つのだろうか?

■それを理解できると称する一群の人を選別することがその機能なのだろう
か? どうやらそのようだ。

■しかし、言葉とは、自分にとって「異」なるものにむけられたものではない
か。そうでなければ、言葉を発する本質的な意義性なくなる。

■話を、昨今のチャネリングとチャネラーについていえば、バシャールとダリ
ルが同意しあうように、なぜ同意してしているのだろう。なぜ、その「言葉」
はチャネラにとって「異」なるものして現れないのだろう。

■「異」なるものとはなにか? 

■たとえば、旧約聖書の預言者たちにはたびたび神の言葉が及ぶ。それがほん
とうかどうかはわからんが、彼らにはそうだったのだろうか。ま、どうでもよ
いよ。だが、預言者の多くは、その言葉が受け入れられないのだ! 自分が思
いもせず、受け入れることもできない「言葉」が投げられている。旧約聖書が
たまらなく面白いのはここだ。ここに言葉を交わす本質が見える。

■僕にとってチャネリングが本質的につまらんなと思うのは、そこだ。なぜ、
「異」ことばと向き合い、生きようとしないのだろう? なぜ、アリオンよっ
みれさんは、だまされないのか。これは、非難のつもりはない。旧約聖書を読
まれたい。エレミヤは神にうらみつらみを述べている。あなたは私をだました
と、彼は神に語っている。そのような、エレミアと神との関わりから、言葉と
生きることの本質をかいま見ることができるのだ。

■そして、チャネラーの多くが、生きること言葉の関わりのうえで、なぜ、あ
る調和を予定してしまうのだろう。これも疑問だ。これはもっと露骨にいう
と、「異」なる言葉はそれに従ってもなお、どこにも調和にはいたらないかも
しれないからだ。イエスですら、最後の叫びは、神に従ったのに、神に見捨て
られたのだった。では、それは、神ではないのか? 「神」なんて言葉どうで
もいい、イエスの生きた姿とその意味は失われたのか? おそらく失われては
いない。それは、キリスト教という宗教を越えたある普遍性をもっている。

■話変って。いかにして真理であるかを知るか?

■真理とはなにだろう? 真理とは、同意だろうと思う。そのことが同意でき
るなら、その同意者の間でのみ真理だ。

■しかし……と思う、それはどっかおかしい。そのおかしさは、つまり、誰も
が同意できる、ということを「真理」が含み込んでいるからだ。

■ようは、どうしたら、誰も同意できるのだろうか? 

■すくなくとも、先のみれさんによるアリオン見解は、その同意は得られない
だろう。であれば、それは、どうやら真理ではないようだ。

■「同意」とは何を意味するのだろう? 主観だろうか? 自由意志によっ
て、ええい、いいでっせぇと同意すればいいのか?

■そうでは違う。なぜなら、我々は、他者というものを本質的に同意できない
「異」なるものとして認識しているからだ。つまり、同意というのは、本質的
な不可能性を持っている。

■この不可能性とは……、自分の思いが、他者と同値しないことなのだ。それ
は、他者にとってもそうだ。じゅんぐり。

■であれば、我々は、同意のための「手順」を、同意のための第3者として、
そこで根源的に同意する。どうすれば、同意できるかという手順において、そ
れぞれの自己を相対化させる契機を持つのだ。

■すると、真理とは、真理という同意のための、特定の手順を満たすものであ
ると、言える。

■では、その手順はどのようなものか? その手順は、同意に到る両者を相対
化する、未知なる、「異」なるものであるに違いない。

■我々現代人は、その同意を科学に置く。法の体系もこれに依存している。で
は、科学とはどのような手順なのだろうか?

■科学とは、仮説し、実験し、検証することだ。

■すると真理とは、仮説から、実験を経て、検証されるものを言う。

■2者のうち一人は、仮説に不服を言っていた。しかし、仮説は検証された。
ならば、いやいやながらも、それに同意してもよいと、自己を相対化できる。
そして、それが、「真理」になる。

■すると、みれさんの「霊」についての見解は、どのように実験されるのだろ
う? どう検証されるのだろう? 

■より厳密にいれば、仮説=言説は、つねに、反証可能性としてのみ提出され
ていなければならない。

■真理の言説は、だから、それが、否定される条件を明瞭に抱えながら、この
宇宙のなかで実験検証できるものであるといえる。

■「幸福の科学」というのを考えよう。どうやら同じ名前の宗教団体があるら
しいが、それには触れない。もし、「幸福の科学」があれば、それは、仮説を
提出し、実験し、検証する過程をとるはずだ。

■仮説はどのような奇妙キテレツなものでもよい。ジョセフソンは瞑想から超
伝導の仮説をえたが、これは、実験をへて検証された。

■だから、真理に値する言説は、その言説の内部や由来とは、まったく関係な
い。アリオンでもバシャールでもかまわない。問題は、どう実験されただろう
かだ。どう、反証の契機を持つかだ。

■しかし……、そもそも実験できない領域があるのではないか?

■そうだろうか。とすれば、その領域にそもそも、真理を問うべきではないの
ではないか。僕は、カスタードクリームが好きだが、それは真理だろうか? 
それは、真理とは関係のないことだ。

■と以上の、考察には、たったひとつ、大きな間違いがある。それは、実験と
は、反復される時間が必要なのだということ。

■たとえば、シアン化合物は毒薬なのか? という仮説は、動物実験によって
検証できる(かわいそうだけどね)。ところが、それは、実験に使用される特
定の動物の命の時間を反復させているわけではない。(毒薬とは生命体にしか
意味を持っていないのにかかわらずだ)。

■時間は、実は、反復しない。すると、反復するだろうという曖昧な同意の上
でのみしか、実験は成立しない。

■では、真理とは、どうなのだろうか?

■真理は、反復される時間性を先験的に含みこんでいる。だが、我々は、そ
の時間を生きているわけではない。

■我々は未来を知らない。未来を知ることはできない。知られたものは、未来
ではない。サイコロの目は明日からつねに3が出るようになるかもしれない。
確率にはいかなる基盤もない。実験は、生命のような不可逆の時間を扱うこと
はできない。では、どうなるのか。

■真理とは、我々が、今日まで生きてきた、確信の表明に対する同意であり、
希望のことだ。あす、生きよう、そのために、これまで生きてきた表明を信じ
ようと。そいうことだ。それだけのことだ。

■だが、明日のことはやはりわからない。明日生き延びることのできるもの
は、実は、真理に従ったものではないだろう。時間は均質に反復はしないのだ
から。

■明日生きるものは、なんだかわからない非真理に従ったものだろう。そし
て、生き延びたものが、それを真理とするとしてもだ。

■とすると、「私」が生きるために未来の指針とするものは、真理ではありえ
ない。社会の人への同意のありかたにおいて真理を確定するとしても。

■繰り返す。「私」が他者と生きるためには、真理を必要とする。だが、その
真理によって、「私たち」が生き延びているわけはない。

■生きているためには、真理ではない、なにかが必要だ。そして、それは、た
だ、「私」のみ確信されるものであり、その確信において他者との関わりのな
かで、他者とともに生きていく情熱のようなものを形成するなにかだ。

■宗教の言説は、この情熱のようなもののパロディなのかもしれない。なぜな
ら、言説によって我々は、確信を得るのではない。おそらく、他者を「」す
ることで得るのだ。は、非真理を他者とともに生きる、ということが含まれ
ている。

■おそらく、そのような関わりを生み出すものを「」と定義すべきなのだ。
だが、それによって、「」の本質が知られるわけでもなければ、その行為が
生み出されるわけではない。

■だが……、すくなくとも、「せよ」という言説は、「」ではありえな
い。「」が命令可能なら、それは、「命令」なのだ。これが「」と知って
いる人間は「という言説」の命令を遂行しているだけにすぎない。

NoB

022/022   GDB00064  オリハル          RE:いろいろ(長文ですよ)
(19)   93/06/11 02:39  019へのコメント

Nobさんは、「神や、自然性に任せる」という人でなく、
「システム、論理性=自己である」という社会的自覚がベースとなっている人のように
思った。

そして、物事をありのまま受け取ろうとしてないように思った。つまり、特定の結論を
導きたいための論理だと思った。

Nobさんの言葉は体験学ではないと思った。

論理の展開に於て、例えば、言葉の定義に忠実だったりしてますが、結論を導く前に、
「中間領域」についてほとんど考慮せずに「結論」「断定」を下しているように思った。

                                                               オリハル

023/041   GGD02212  Soo               RE:あなたはどうだったのだろうか?
(19)   93/06/11 07:17  012へのコメント  コメント数:1

 宗教は人間が作ったもので、神が作ったものではない(と思う)。イエスも
「キリスト教」なんぞというものを作るために来たのではなかった(はずだ)。
宗教は過渡的措置であって、終極的には、宗教を必要としない世界が望ましい。
 神は人間に盲従を強いることを喜ばない(はずだ)。人間が、自身にとって
最も好ましい道を自ら見出し、自ら歩み、喜ぶのでなければ、神も喜べない、
と思う。親が子供に対してそう願うように。(過保護・過干渉の親を除く(;_;)


024/041   GBA01276  しまうま          RE:いろいろ(長文ですよ)
(19)   93/06/11 07:35  019へのコメント  コメント数:1

 NoB さん、スペシャルお久しぶりです(^_^)。

:■生きているためには、真理ではない、なにかが必要だ。そして、それは、た
:だ、「私」のみ確信されるものであり、その確信において他者との関わりのな
:かで、他者とともに生きていく情熱のようなものを形成するなにかだ。

 そうですよねぇ。僕なんてすぐに「他者と生きていく」ことが億劫になっちゃい
がちです。たぶん基本的に「他者」がキライなんだと思う。なぜなら「ワカッテク
レナイ」すなわち自分の思い通りに動いてくれないから。
 しかし「他者」とわかりあえた、と感じることは、どうしてあんなに素敵な感覚
なんだろう??? わかりあえないと、どうしてあんなに悲しいんだろう??
 よくわからないけど、自分の中にも「他者」はいるなあ、とたまに思う。

:アリオン(?、よく知らない、ごめんね)

で、

:僕にとってチャネリングが本質的につまらんなと思うのは、そこだ。なぜ、「異」
:ことばと向き合い、生きようとしないのだろう? なぜ、アリオンよってみれさ
:んは、だまされないのか。これは、非難のつもりはない。

って・・・こういうことは、たとえ非難のつもりはなくても、よく知ってから(少
なくとも知ろうとしてから)言うことではないでしょうか?

 とゆー、素朴なQでした(^^)。                  しまうま

025/041   TCC00116  NoB               RE:いろいろ(長文ですよ)
(19)   93/06/11 16:13  024へのコメント

オンラインにて。しまうまさん、オリハルさん、コメントどうも。

ま、あんまし議論する気はないんです。たまたまアクセスしたら、ぽっこし
会議室が見えて、おお、つまらない話題だなと思って、ま、これは、主観で
すからね。というわけで、この会議室はひっこんでいますよ。

あと、しまうまさんが、たとえば、チャネリングについて知ってからコメント
したら?みたいな提案がありましたが、これは、原理のテッシー君も言ってま
したが、知ることの探求性というかな、それにある段階性を持ち込むっていう
考え、自体を僕は、否定しちゃうんですよ。なんで、自分の頭で考えないのか
? 

なぜ、人は人に精神的なことですらおそわろうとするのでしょうか? ま、
これは、クリシュナムルティ的な言い方ですが、そんなのは自分を失うだけ
に思います。精神の奴隷になることを欲するような人間にはなりたくな、と。
あ、言葉が過激だ。しまうまさんへのあてつけではないんですよ。ごめんね。

ものごとをありのままに受け取る……受けとっているつもりですよ。霊、あ、
くだらない、魂、あ、そんなの無意味だ、とてもありのまま。というか、冗談
めくわけじゃないけど、自分のありのまま、なんて他者には通じませんよ。

他者とのかかわりのなかでは、どう自分を相対化できるかが、共生のポイント
です。

アリオンさん(?)もそういう自己相対の言葉の立場に立てばいいのにね。

NoB
ps オリハルさんにも言葉きつかったかもしれない。ごめんね。

026/041   QFG02515  めるく            霊についての考察、その1。
(19)   93/06/11 16:50


 というわけで、霊とやらについての、私なりの考えを書いてみたいと思う。
 まえに、霊の存在とか生まれ変わりを信じていると書いたけど、本当はちょっ
とニュアンスが違う。それを信じているというより、それがないということが信
じられない、納得出来ないというだけのこと。


1)人は物質だけか、だけでないか

 もし人が物質だけで、単なる化学変化の集合体でしかない、としたら?

 そしたら、石と人間との間には本質的違いはないことになり、人を殺すことは
石を割るのと同じということになる。人殺しとは、その、人と呼ばれている原子
集合体に変化を与えることであり、それ以上でもそれ以下でもない、ということ
になる。
 すると、すべてが無意味になり、なにをしても、またしなくても良いというこ
とになる。もちろん、良いも悪いもなく、なにかをしようがしまいが、意味など
全くない。エネルギー保存の法則というのがあって、見た目は変化しても全体と
してみればエネルギー量は常に一定なのだ。気にすることはない。

 と、このような価値観は、私は承伏しかねる。冗談じゃない。だから私は、人
には物質以外のなんらかの要素があるという仮説を支持する。もちろんそれは、
人にとって精神的なものである。呼び名がないと話すのに困るから、取り合えず
それを霊と呼ぶことにする。


2)霊は存在し続けるのか

 人に、肉体ではない要素・・・・霊があるとしても、それだけではそれが永遠のも
のであるとは限らない。肉体と共に形成されて、肉体と共に滅びるのか? 肉体
と共に形成されるが、肉体が滅びてもなお滅びないのか? それとも、肉体の形
成されるよりも前から存在していて、肉体が滅びたあとも同じように存在し続け
るのか?

 もし、霊が肉体と共に滅びるものなら、霊と物質との違いはなんだろう? い
や、違いがあろうがなかろうが、それでは1)の唯物的価値観と同じではないか。
 どっちにしろ人は死ぬのだ。滅びるのだ。なにも残らず、なんの悪影響もない。
無に影響など出るはずはない。だったら、いつ死んでもいいじゃないか。どう死
んだっていいじゃないか。なら、いま死ね。死にたくないだの何だのといっても、
それは生きている間だけ。死ねば何もなくなっちゃう。あとくされもなし。
 ってことになるだろう。が、私はそんな価値観は承伏しかねる。

 だから、人は肉体が滅んでも霊は滅びない、という仮説を、私は支持する。
 また、1)2)から分かることは、人にとって霊とは、価値の本質であるとい
うことだ。どういう価値かは知らないが。


3)霊が先か肉体が先か

 死んだあとはいいが、生まれる前はどうなのか。霊とは、肉体の形成にともな
って形成される、非物質的な器官なのか。それとも、霊は肉体が形成されるより
以前から存在していて、あとから肉体に宿るものなのか。

 肉体の形成にともなって形成される、非物質的な器官・・・・というようなものが
ないとは言わない。あるかも知れない。しかし、存在するのはそれだけで、肉体
以前から存在しているものはない、とは私には考えにくい。
 もとが肉体だけ、物質だけだとしてだ。いったいどこから霊がわいて出てくる
の? 神経? 遺伝子? 親? 親ってことはないね。だって親から受け継がれ
たのだったら、物質の方が先ってことにならないもの。
 でも、神経だとか遺伝子だとか、そういうものが霊を作り出すというのはどう
しても考えにくい。物質的な遺伝子が作り出せるものは物質的なものだけだろう。
外部からの情報によって脳内に作り出されるソフトウェア的な部分が霊なのだと
しても、肉体の死後も存続するのだったら、その情報を運ぶ非物質的な何かが存
在していなければなるまい。
 だから私は、肉体から霊が発生するという仮説を支持しない。 

 では、先に出た、親の霊が子の霊を生成するというのは? もしそうだとする
と、知性、精神性、性格、記憶などが、遺伝するということになってしまう(こ
れらの全てではなくても、少なくともどれかは)。しかし、実際のところ、遺伝
しているようには見えない。もし遺伝していたら、人の世はだいぶ違ったものと
なっているだろう。
 いや、親の霊が子の霊を生成するからといって、必ずしも精神的な要素が遺伝
するとは限らないかもしれない。この問題は生まれ変わりの章まで保留にしてお
こう。

 しかし、霊は肉体以前から存在していて、あとから肉体に宿るか、それとも霊
は親の霊から生成されたかの、どちらかだろうとは言えるだろう。肉体が霊を生
成するなど、あってたまるか。リンゴの木からブタが産まれたりはしないのと、
同じことだ。


   つ  づ  く

                           めるく より


027/041   GGA02514  KAZE              RE:いろいろ(長文ですよ)
(19)   93/06/11 18:09  022へのコメント  コメント数:1

オリハルさん、どうも。

NoBさんのスタンスについてのオリハルさんの

>物事をありのまま受け取ろうとしてないように思った。つまり、特定の結論を
>導きたいための論理だと思った。

というのは、僕も感じました。

>論理の展開に於て、例えば、言葉の定義に忠実だったりしてますが、結論を導く前に
>「中間領域」についてほとんど考慮せずに「結論」「断定」を下しているように思っ
>た。 

というのも言えてると思います。

たぶん、NoBさんはなにかを非常に恐れているのではないか、
という気が以前からしています。
いったい、何をそんなに恐れているのでしょうか、やれやれ(^^;)。

ま、そんな感想でした。
こういうコメントは僕の性にあわないので、このくらいで。

では。


028/041   TCC00116  NoB               RE:いろいろ(長文ですよ)
(19)   93/06/11 19:00  027へのコメント

Kazeさんどうも。NoBさんが、恐れているものは、神ですよ。
クリスチャンですからね、聖書にあるのです、主を恐れること
は「知」の初めなり、とね。

ここで、「知」とは、ホクマというので、日本語のそれとは
違います。

あと、率直に言って、あの人は内面に恐怖を持っているに違い
ないなんて、公開の場で発言するのは、エチケットを疑うと
こありますが、ま、僕も、他者の意見をつまらねぇと公言して
いるから同じかな。

でも、違うと思うのですよ。
NoB
ps オンラインにて。

029/041   VFC00244  伊豫〆            RE:あなたはどうだったのだろうか?
(19)   93/06/11 19:10  023へのコメント

でしょう?(^_^)
だから「真理」を強要されてもこまりますよね。

030/041   SDI00635  みれ              RE:変わる事はできないのか?
(19)   93/06/11 21:39  005へのコメント  コメント数:2

 #005 アラミス さん

 私は、33歳が霊的な成人と聞いています。
 人が物質的な世界のみならず、霊的な(或は心的な)世界に目を向け、
知り得た知識を自分の人生に活用してゆくための好時期に、33歳から
差し掛かるという意味合いに捉えられると良いだろう、と思います。
 
 ちなみに「好時期」は人生上で何度も訪れるそうで、個人差があるも
のの大体60歳くらいには、ほぼ誰でも一度は好時期を迎えているそう
です。その知識を自分の人生上で実践してゆく為には、60歳くらいが
概ねラストチャンスに近い、ということだそうです。
 
 特に30歳くらいから33歳くらいには、大きなチャンスがあるそう
ですので、アラミスさんは実に「旬」に差し掛かるところですね(^_^)
 
 
                          ・:*:・みれ・:・。,★

031/041   SDI00635  みれ              RE:あなたはどうだったのだろうか?
(19)   93/06/11 21:39  012へのコメント

 #012 伊豫〆 さん

::突然ですが「真理」とはなんでしょうか?
::誰が、それを「真理」と決めるのでしょうか?
::「神」が真理ならば、「神」によって真理が違うのはなぜなのでしょう?
::私は、本当には「真理」というものがあるのかわかりません。
::それは人それぞれ都合の良いように「真理」をつくることができるからです。
 
 「真理」って、私には分かりませんし、きっと人間には「分かる」こと
の出来るものでは無いのじゃないかな?と感じています。ただ私達には、
「真理」の映し絵である、「事実」は分かると思います(^^;)
 
 「神」によって真理が違うのでは無く、解釈する人間サイドによって変
わってしまうのだと考えられませんか?
 
::もし神が人間を作ったのならば、なぜわざわざ「○○教」などと遠まわし
::なことをするのでしょうか?
::そんなことをせずとも、初めから従うように作れば良いと思います。
::神が、あえて人間に選択の余地を与えているのならば「真理」神に
::あるのではなく、人それぞれ自分の「真理」を持てるはずです。
::・・・と思うのですが、いかがでしょうか?皆様(^_^)
 
 「○○教」という教えの体系というものは神が作ったものではなく、人
がより多くの人達に教えを拡めたいということで、作り上げたものだと私
は考えています。
 
 神が人間を作った…というよりも、人間も地球も含めての森羅万象すべ
てが「神」であると、私は思います。きっと色々な真理があるのではなく、
真理という一つの光源からの反射…つまり「真理の映し絵としての事実」
…それは丁度ミラーボールの一側面に反射した光を見るようなものでは無
いか?と…((^。^;)ウウッ、表現が拙いなぁ、すみません)
 
 あなたがミラーボールのどの側面が見える所にいるか?で、光り方や色
が違って見えるのでは無いのだろうか?と思います。
 
 
            ・:*:・みれ・:・。,☆
 

032/041   JBH00742  炎                RE:変わる事はできないのか?
(19)   93/06/11 21:57  030へのコメント  コメント数:1


    * 割り込みコメント *

 「旬」を活かすにはどうしたらいいのか。
 例えば上から見るに「今後どう在りたいか」という事
 を人間に表現してもらいたいらしい。

 従って必要なのは“3年間のヴィジョン”かも知れない。

                       炎


033/041   GGD02212  Soo               アマリ RE サレタクナイカモシレマセンガ・・・
(19)   93/06/11 23:36  019へのコメント

 うさぎくんは元気ですか?>NoBさん。
エレミヤ書、読んでみます。神に不平ばかり言ってた預言者、ヨナ
(彼には妙な親近感を覚える)なら知ってましたが…

 北川さんも最初はARIONを拒んだのでは?今でも自分なりに
納得してからでないと媒介しないのと違いましたっけ?>みれさん。
 「宇宙神霊」の媒介者だなんて、頭痛はするは、体調は狂うは、
チャネリング屋のように扱われたり、偏見と誤解の中、孤独な立場
に陥ったり、変える事のできない近未来のことを知ってしまったり、
ろくな目にあっていないのに、ここまでやって来れたのは天真爛漫
なキャラクターの賜物でしょうか。(これは殆ど憶測です。m(__)m)
 
 
 ところで、このお部屋の開設は専ら みれ さんの希望によるもの
でしょうか?それともARIONの意向でしょうか?>みれさん。
 お忙しそうですから、回答は急ぎません。お体と御霊お大事に。from Soo.
 

034/041   QFH02012  アラミス          RE:変わる事はできないのか?
(19)   93/06/11 23:44  017へのコメント


  どうも維/YUIさん。
えー、今回のこの話は「私が」どうこうと言うのではなく他の人に対して
向けた一種の想いなんです。(自分の事を棚上してしまうのだが(^^;))

>>PS: アラミスさんって・・・若いんだぁ・・・・ボソッ

アノネー(^^;)・・・、私よか○ヶ月早く生まれただけでそいう事いうのだな(笑)


035/041   QFH02012  アラミス          RE:いろいろ(長文ですよ)
(19)   93/06/11 23:46  019へのコメント


 私はこの会議室にNoBさんが書込むんじゃないのかと、
何となく予感していましたけど・・・(^^;)

それにしてもNoBさんはチャネリングやらARIONとかに色々と思う所が
有る様ですが、随分とこの場(FARION)に引き寄せられているのですね・・・
不思議ですね。
*
さて私の(6)の質問の該当者に実はNoBさんも入っているのですが(失礼、(__))
よろしかったらNoBさんの意見を聞かせて頂けないでしょうか?


036/041   QFH02012  アラミス          RE:変わる事はできないのか?
(19)   93/06/11 23:46  030へのコメント


  みれさん補足有難うございます。(何分記憶がいいかげんのモノで)
なるほど・・・「好時期」がそこから始まり、その後もあるのだからそれで
全てが終ってしまう訳じゃないのですね。・・・ちょっと希望が出て来ました

>>アラミスさんは実に「旬」に差し掛かるところですね(^_^)

旬ですかぁ(^^;)。私はこの話を随分前に聞いていらいどうなるんだろうと
ドキドキしながら待っているんですよ(笑)。


037/041   QFH02012  アラミス          RE:変わる事はできないのか?
(19)   93/06/11 23:47  032へのコメント  コメント数:1


 待っていましたよ、炎さん。

炎さんは他者に何かを投げかける事が多い様に思えるのですが・・・
たまには炎さん自身の話を聞いてみたいです。

と言う訳で、私の(6)の質問についてどう思うか伺たいのですが?


038/041   JBH00742  炎                RE:変わる事はできないのか?
(19)   93/06/12 00:28  037へのコメント


 ・アラミスさんへ

 あなたのご質問の真意が旨く汲み取れないのですが
 「証し」と言う事であれば御霊(みたま)が下さるでしょう。

 それとも私を試していらっしゃるのでしょうか…。
 それならばあまり多くを語りたくはありません。
 おっしゃるように所謂主観に終始する部分があるのかも知れません。
 しかし体験しないと知覚し得ない部分も在るのかも知れません…。

                       炎


039/041   MHD02672  TAO               珍しい…
(19)   93/06/12 00:56  019へのコメント  コメント数:1

 あれ、NoBさんがこんなところに寄っていらっしゃる…。
 ここ(FARION)では、KAZEさんの部屋しか見に来ないと思っていたのですが。
 
 #002のみれさんによるアーティクルに対しては、特に真偽を問う
 つもりはないし、また、みれさん自身も「普遍的な真理」というよりも、
 このフォーラムの性格に沿う「情報」として提出したという感じですから、
 「本当だ、嘘だ」とか「面白い、つまらない」とかで価値判断するのも
 ここ(FARION)ではかえって野暮な感じがします(^_^;)。勿論、これは私の
 主観なので、NoBさんの意見はまた違うかもしれませんが。
 
 読み手を限定するという指摘も、みれさんがT.P.O.をわきまえずに
 場違いなところにあのアーティクルをUPしたというのなら、分かるのだけど、
 ここは白眼視されがちな“怪しい”フォーラムですからね…(^_^;)。
 
  さて、NoBさんの長いアーティクルで興味を引かれたのは、“言葉”という
 現象は、己と異なる存在への“伝え難い思い”を伝えたいがために在る
 だろう、というところでした。かなり以前、似たような趣旨のアーティクルを
 ARIONの部屋にUPした記憶があります。NoBさんのとはかなり趣が違うと
 思うのだけど、一応挙げておきます。この部屋の趣旨とは甚だズレますが…。
 
  −−引用開始
 ============================================================================
 内的衝動を、他者の「心」に伝わる共通要素としての言語に変換せずにいられない、
 その意志自体が、実は人間世界に行き渡る“コミュニケーション”の源流となって
 いるのだと思います。まだ言葉となっていない想いを、他者へ伝えようとする時、
 人間に備わった五官はそのために作動するのではないでしょうか。
 
 つい最近考えついたことなのですが、人間は身体そのものによって個別性を
 与えられていますね。正に精神そのものが、身体の皮膚に閉じ込められているから
 こそ、人間は“個”として存在し、自他を意識せざるを得ないのかもしれません。
 人間は、自分の身体に閉じ込められた精神=魂の姿しか感知することが出来ないし、
 他者のそれは、“言葉”という不完全な経路を通してしか、推考出来ません。
 私自身で言えば、“耳の聞こえる”人の身体の皮膚の中に、己の精神を置くことは
 出来ない。その逆もしかりですね。ここに、“身体”という断絶に遮られた魂の
 孤独がある。だからこそ、人間の孤独も、また他者を求め、理解しようとする衝動も
 生まれてくるのでしょう。
  ============================================================================
 −−引用終了
 
 チャネリングにおけるチャネラーとソースの「同意」のお話ですが…。
 つまり、チャネラーとソースが、それぞれ自立した“異なる”存在だと
 いうのなら、何故、チャネラーはソースの「言葉」に従ってしまうのか?
 チャネラー自身の「個として孤立したアイデンティティー」が、ソースに
 溶かされてしまうのなら、そのチャネラーは“己の意志”で生きていると
 言えるのか?そういう問題をNoBさんは言いたかったのかなあ…。
 
 面白いと思ったのは、ARIONがみれさんを騙しているのではないかと
 読めるような文章でした。何故ならば、「騙す−騙される」という行為が
 成り立つのには、“個”としての人格同士がまず在らねばならないから。
 ということは、ARIONとはみれさんの妄想とか多重人格とかではなく、
 みれさんと対立する「人格」なのだ、と認めていられるのでしょうか。
 
 まあ、後はみれさん自身に、ARIONとネーミングされている存在との、
 “関係”というものをいかに自己認識していられるのか、述べて頂く方が
 いいのかもしれないし、その方がこの部屋の趣旨に近いような…。これは
 “掟破り”でしょうか?(^_^;)
 
 
  真理とは同意であるとの説、まあ、「真理」という概念が人間にとってしか
 意味を持たない以上、そういうものかもしれませんね。人間が存在しなければ
 「真理」もまた存在しないのだから。「真理」とは言語によって仮構された、
 人間が宇宙に生きる意味を模索する為の、人為的な「系統学」の総称なのかも。
 え、訳が分からない話だって? どうもすみません(^_^;)。
 
 
 「」とは、私によれば「飢え」です。他者への止むに止まれない「飢え」。
 もっと厳密に言うならば、「飢え」を契機として「」の顕現の可能性が
 生まれてくる。人間が言語を創り出したのも、他者への渇望から来ている
 ような気がします。その渇望が、の顕現を可能にして行くか否かは、
 人それぞれでしょう。「所有したい」という方向と、「理解したい」という
 方向とに分かれながら。
 
 
 TAO
 


040/041   TCC00116  NoB               ちょい
(19)   93/06/12 00:58

Sooさん、はじめまして、かな。ま、この部屋に長いは無用かな。たはは。

うさぎさん元気ですよ。かーいい。

アリオンについては、NIFに出る前から、北川さんの本は読んではいるんで
す。ま、率直なところ、イカものだなぁというか、肉食の必要を説くあたりは
面白かったけど。そんな感想を持っていました。

みれさんとは対話したことないけど、OLTJでなんか読んだとき、あれ、なんと
なく、自分と背景が似てるかなとは思いました。そのね、僕はICUなんです
が、ああいうノリっていうのかな、アメリカのノリなんですよ。外人なんかと
つきあっていると、よくあるんだね。

アリオンが、バシャールとかライフダイナミックスとかを毛嫌いしているふう
なのも、なんとなく、出処が同じだからかなと思います。これって、今は、人
格改造とか呼ばれているけど、元来は東京の英語ネイティブの遊びだったんで
す。そういえば、僕もこないだそういうノンジャパとバリ行ったけど、ああい
うノリも彼ららしいところですね。ちなみに、バリ観については、アリオンさ
ん? みれさん? どっちかな、わかんないけど、あれま、とか思いました。
実際自分がウブトとかに10日いて現地の人と接触した感じは、ああいうのと
は違うなと。それと、ノンジャパといると、日本回帰的な心情になっちゃうん
ですよ。神道とかね。でも、神道なんて日本の歴史にありゃしないんですよ。
ま、このあたりは、ご関心のあるかたは、歴史フォーラムの宗教史へどうぞ。
こっちでは、史実の探求をしていますんで。古神道なんてありゃしないんで
す。

アラミスさん、こんにちは。僕は、この場に惹かれるっていうことはないです
よ。だいたいが、この手の話ってどっか、まともじゃないよなとか思うし、そ
うなると、あたりまえの対話すらできなくなるし。Kazeさんみたく、僕が話題
になっているのに、直接じゃなく関節的に語られるのも、受け取る側として
は、とほほだよ(その点では、みれさんについては、僕も関節的な言い方に
なってしまったかな。でも、めんとむかうとアリオン批判をするかもしれない
し、そんなのみれさんもうんざりでしょう)。僕が内面に恐怖を抱えているか
らとかも公開でかんぐられるのもやだしね。ろくなことないよ。

アラミスさんへは、実は、お答えしたつもりなんだ。

不思議なできごとが、どうして真理とわかるか? 

こないだのノリでは、僕は自分の体験を真理だと思ったことなんかないよ。自
分の体験をたえず、検証するね。いずれ、ノリノリになったら、僕のチャネリ
ングメッセージでも公開しようか。冗談だぜぜ、の、ご理解がいただけるな
ら、お楽しみでやるのも面白いかな。幽体みたいのが、物体化してくるプロセ
スも目撃したことある。でも、それをすべて真理だとは思わない。そういう経
験をしたとだけ思う。そして経験を検証する。ただ、経験は経験だね。あと、
それをどう人に伝えるか。伝えるべきじゃないかもしれないしね。そういう点
では、アリオンメッセージはちょいしか見てないけど、彼って、象徴言語を
使っているでしょ。ああいうのって、西洋のノリだよね。つまり、解釈を要求
しちゃうわけさね。それって、たんなるひとつの形式にすぎないし、伝承され
たイエスもまあ、似たようなものではあるけれどね。

解釈者いうのは、権力の温床なんだな。ま、いいか。

答えになっているかな? いかが。

あと、こないだは書かなかったけど、人間存在は、その内奥に、その個体にお
ける真理が開示されるなら、それを真理であると知ることができるという超越
的な要件を、非言語的に確信しながら生きているものなんです。このあたり
は、現象学の竹田青嗣さんがわかりやすくくわしく述べているけれど、ま、
我々の生というのは、そういう構造になっている。それと、他者が理解できる
真理といのは、だから、別の問題なんだね。

その意味では、個体の真理とは、本質的に他者への伝達を不可能にしているわ
けだね。

ま、僕について言えば、チャネリングもあるよ、前世記憶もあるな、霊も見た
ことあるよ、いろいろあるよ、いろいろね、そんなこたぁ、どうでもいいじゃ
ないかぁ、って思うな。そういう経験を特権化するのは、そこに自分を持つか
らだ。こんなのは、体質とか才能とかの問題にすぎない。我々の現代文明はそ
ういうものの言語化を抑圧するような時代にあるから、なかなか語るとアホウ
みたいだけど、人類通史をみるなら、ごくふつうのことだ。

だから、そういう現象なりがある、体験する、それと、それを、どう意味つけ
るか。それを他者にどう語るか。その語るということはどういうことなのか?
そこがしっかり考慮されなくてはならないわけさね。その意味では、アリオン
さんもまいどまいどの古い形式のなかに埋没していると思う。となると、そこ
では、メカニカルに、なにが真理かと問わざるをえなくなってしまう。それ
は、必然なんだ。そう問わないなら、それは、類型に堕してしまうからね。

これは、言説構造がもつ権力のようなものなんだ。だから、この構図を脱=構
築することがとっても大切なんだ。簡単にいえば、アリオンだのミズホだのな
んだのっていう類型は、必然的に真理を問うてしまう。この機構を止めるべき
なんだ。それは、あたかも真理を問うているようだけど、類型のなかから言説
を選択し、選択者を拘束するっていう権力のゲームなんだよ。

だから、問題は、そうじゃないんですよ。他者に語ることが、語る人に十分に
確信されるなら、その語る内容に力点が置かれてこなけれなならない。灰頭土
面という美しい言葉が禅にあるけれど、真理を知った人間は、頭を灰につっこ
んで、顔面をどろだけにする。そんなことはどうでもいいからなんです。そん
なことがどうでもよくなりゃ、灰頭土面になるんだ。わかるものよ、知れ、み
たいなことはいいやしない。体験的に知ればぁ、ともいいやしない。

だから、チャネリングがあっても、その形式で語るこたぁないんです。それは
ひとつの形式にしかすぎない。その形式の構図を見れば、そしてその欺瞞が分
かれば、それを捨てることができる。それは、チェネリングなんてない、って
いうことじゃない。そういうふうな形式でいうこっちゃないなということなん
です。

ライアルワトソンもウスペンスキーもうすうす言っているけれど、超常現象が
現れることは、マルファンクション、つまり、失敗なんです。人間の可能な力
は、奇跡をも越えている。奇跡は、むしろ人間の可能な力を駄目にしてしま
う。

我々は、我々の力で、この世界に平和も秩序ももたらすことができる。このと
き我々とは、僕であり、具体的な誰かなんで、そのような、2人の信頼しあえ
るコミュニケーションのみがなしとけることができる。というか、ここに権力
の構図をまきこめば、「信頼=」はなくなってしまう。ま、この部分は、
もっときっちし言わなくてはならないことですが。

とね。

NoB

041/041   TCC00116  NoB               RE:珍しい…
(19)   93/06/12 00:59  039へのコメント

おや、TAOさん、ちゃお〜。またね。NoB

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