by 閲覧者 ...2003/09/25(木)15:52 [1022]
実際に私は書物のコピーと引用でしか知らないので、ご存知の方は教えて下さい。
よく話題に挙げられる「神との会話」の最新の本では「実は私は神じゃなくて○○です」って正体を明かしているというのは本当ですか?
また、バシャールの原書には、邦訳版でカットされたバシャールの姿のイラスト(人間とのハイブリットとしての未来人?で、グレイのようなちょっとグロテスクなETの姿)があるというのは本当ですか?私はページのコピーを見ました。
その正体が神であろうとなかろうと、地球人の感覚で相手が神や高次元存在のように感じられて親しみをもてれば、それでもいいようにも感じます。
最初はアイドルやプロスポーツ選手に憧れた子供が、やがては自分が成長してスターになるように、自分の中の神や高次元存在に気づいていくためのお手本(イメージ)としても役立つのかもしれません。
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by KAGAMI ...2003/09/26(金)11:38 [1023]
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あのう、(^^; 細かいことですが、
>よく話題に挙げられる「神との会話」
は、よく話題に挙げられる「神との対話」 のことですよね。私もこの本が割りと好き なので、興味を持ちました。そうなんですか? 神ってなんなんでしょうかね?神さんにも いろいろあって、根源の神さんでなければ 力がないのでしょうか?「神との対話」では 根源の神と言っていたようですが・・・・。 自分自身が根源と常に繋がっていると思っては いないから、誰かの神さんに縋っていまうのか!
やっぱり、本を読んであ〜でもないこ〜でもない と言っているより、日々の生活の中から自分なり に生きている意味を摑む方が素敵な気がしてきました。
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by A ...2003/09/26(金)13:39 [1024]
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根源の神とか大天使の名前とか有名な神々の名前を語っても、そのメッセージの内容が貧弱で内容のないつまらないもので、それを読んでも全く感動しない内容だったら、誰もそんなメッセージに注目はしないでしょう。
しかし、まったく名もない人間が書いたものでも、その内容が人々の心の琴線を揺らすようなものだったら、一躍世界の注目を浴びることになるでしょう。
今の時代の人々は、地位の高い人とか、有名人という権威とか肩書きには踊らされないようになりつつあるようです。
ということで、メッセージの内容に注目しますと、昨日「ろ」さんが紹介しました『バシャール』、『神との対話シリーズ』、『ラムサ・ホワイトブック』、『ヒマラヤ聖者の生活探求』などに書かれているメッセージは、誰が書いたかには拘わらず人々の心の琴線を揺らすエネルギーに溢れているように思います。
私は、「誰=who」が書いたかに注目するよりは、「何=what」が書かれているかだけに注目するようにしています。
「事大主義者」だけにはなりたくないですね。
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by 閲覧者 ...2003/09/26(金)15:05 [1025]
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前回は長文となるのを避けるために誤解を覚悟で書き込みしてしまいましたが、やはり予想通りのレスを頂いてしまいましたので、お詫びと同時に少し補足させていただきます。
私がいつも手元に置いてある本は作者不詳の書です。私が関心があるのは本の内容だけです。
真実の言葉は、ある時には多くの人々の心に琴線に触れて広まりますが、ある時は口に苦い薬のように疎まれて敬遠されます。
偽りの言葉は、一見甘く心地よく響いて人々の心をとらえますが、 やがては色あせて消え去っていくものです。
やっかいなのは、真実のちりばめられた偽りの書物です。 精神世界、いや地球の人たちの多くは、これらに対して警戒が甘いように私は感じます。「自分は違う」と主張する方も多いでしょうけれど。
私個人の感覚では、具体的な書名は挙げませんが、多くの共感を呼んでいる精神世界の書物の中に、真実の仮面をかぶった偽善を感じるものが少なからずあります。
偽善者の書いた書物であっても、真実が書かれた部分だけを受け止めれば、読者には益はあっても害はないでしょう。私は読者として自分が益を得るか害を受けるかにはあまり関心はありません。ただ、たとえ偽善者がそれを使って大衆を救済したとしても、彼の動機からは目をそらしません。
私の学んだ限りでは、イエスは自分のことを神だとは語りませんでした。否定もしませんでした。だから私は彼の言葉のみに注目します。しかし自分の正体を名乗る人に対しては、私はその正体自体には無関心ですが、正体を明かす動機に注目します。これが真理を語る者と偽善者を見分ける一つのキーとなる場合もあるからです。
真実を語る者には、いかなる矛盾も見られません。それに対して偽善者は、矛盾をつかれると「なぜそれにこだわるのか」と怒りを見せる場合もあります。深い動機を見破られるのを恐れているからです。
以上、理解していただけるか分かりませんが、そうでない場合は無視してください。今回の書き込みは、単純に事実関係の確認を、知っている方にお尋ねしただけのものです。確認をすべきではないというご意見があっても結構ですが。
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by A ...2003/09/26(金)16:03 [1027]
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閲覧者さんは、完璧主義者のようですね。 私も昔はそのようでした。
真実というのはこの世に一つしかないとお考えのようですが、真実は人間60億人いれば60億通りの真実があると思います。
フセインにはフセインの真実が、ブッシュにはブッシュの真実が、偽善者には偽善者の真実が、閲覧者さんには閲覧者さんの真実があります。
「外」ばかりを見ますと、これは真実か偽善かと、いつも裁判官のように識別するのに疲れますが、自分の「内」に入りますと、外のことはあまり気にならず、楽になりますよ。
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by 閲覧者 ...2003/09/26(金)16:36 [1028]
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ありがとうございます。 おっしゃっている「真実」とは「正義(正しい義)」のことでしょうか?そういう意味では真実は人それぞれだと私は思います。
それとも量子論で言うような「りんごはそれがあると認めた人が いて実在となる」という意味の認識のことでしょうか?
私の言う真実はもっと単純な意味で、たとえば「今はまだ昼間ですよ」と事実を言われて、「いいえ、私の時計では夜ですので、もう帰ります」といって会社を早退するのが偽善者です。
自分の体内時計だけで生きれば、気楽に生きられるかもしれませんが、 周囲の自然と調和していなかったり、周囲に乱れた磁場を出す存在があれば、体内時計が狂っても気づかないこともあると思います。
体内時計と自然の時間を一致させるという意味では真実は一つでないと混乱するかとも思います。内と外の区別がなくなるのが自然だと思いますので。
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by A ...2003/09/26(金)18:17 [1029]
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閲覧者さんが使っている真実という言葉は、「事実」という意味ですね。 閲覧者の最大の誤解は、閲覧者が「事実」と思っていることは万人にとっても「事実」であると信じていることなのでしょうか。
例えば、人間は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感によって三次元の世の中を認識していますが、これらの感覚は人によって皆違います。
視覚を例に取りますと、日本人と外人では色の感じ方が違いますので、海外向けの輸出用のテレビは外人の視覚に合った調整にしています。
だから、閲覧者さんがある色を見て、これは絶対的な色だと信じても、外人がその色を見ても閲覧者と同じ色だとは感じられません。 単純な色を例にとっても、見る人によって事実が違って見える訳です。
聴覚でも、年を取るにつれて高音域の感度が低下して行き、同じ音楽を聴いても若者と老人では感じ方が違ってきます。
嗅覚、味覚、触覚も同様で、人によって皆違います。
閲覧者さんが例にとった時間の感覚も人によって違って感じられます。
昼間なのに夜だと感じた人は、その人が本当に夜だと感じたら、その人にとっては今が夜だということが「その人にとっての真実=事実」になっているのでしょうね。
このように、時間、空間の認識は人によって違って感じられるのです。
ということは、我々が真実、事実だと信じている時空間の認識は、本当は幻想、イリュージョンなのでしょうね。
だから、他人がどんな行動をしても、それを自分の価値観、自分の物指しで批判したり非難したりするのは無意味なのだと思います。
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by 閲覧者 ...2003/09/26(金)18:53 [1030]
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感じ方の差に個人差はあることは認めますし、自分の物差しで批判非難した覚えはないのですが、「お昼だよ」と言う場合も「私にとっての事実ですが」と前置きをすれば問題ないようですね。
話題がかなりそれてきてしまいましたので、とりあえず、最初の書き込みの質問について情報をご存知の方は教えていただければ幸いです。 どうしても知りたいというほどのことでもないのですが。 |
by オリハル ...2003/09/28(日)01:07 [1036]
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Aさんが「真実は人によって違う」との主張がありまして、気になりましたのでコメントしました。私は真実は人によって違わないと言うことが妥当だと思っています。
例えば、数学や幾何学は万人に共通です。そのような万人共通性というものは、霊的にもそのようです。例えば、シュタイナーによれば、霊的な視覚が開けた人の場合、全く同じ段階にある二人の霊視者は、それぞれ、全く同じ形象と色彩を見るのであるという事実を報告してくれております。
辿る道・経緯や細かい順序や着目点・注目点や考察対象など、人によって違う側面も沢山あると思います。それは、人によって違うのは、人の範囲内に納まることだからではないでしょうか。
数学とか幾何学とか霊学においても、人を超えた「客観」が真理・真実と呼ばれ得るのだと思います。 |
by A ...2003/09/30(火)18:39 [1049]
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「時間、空間の認識(=真実)は人によって違う」というのは、あくまでも「その人にとっての真実」で、「普遍的な真実」が人によって違うという意味ではありません。
ところで、人間の目に見える三次元世界というのは、スクリーンに映っている映画の映像を見ているようなもので、幻想=イリュージョンなのです。
数学や幾何学というのは、幻想の三次元世界を説明する一つのテクニックですね。そのテクニックがいくら優秀だとしても、幻想を説明するため役に立つだけで、真実、実相の世界を説明するのにはあまり役に立たないですね。
役に立たない、普遍的でないテクニックを「普遍的な真理・真実」と信じるのは、あまりにも視野が狭い考え方かと思います。 ただ、オリハルさんが、それを信じていれば、それは当然オリハルさんにとっては真実なのですが…。
霊学において見える「形象とか色彩」というものも、所詮、幻想を説明するための表現ですね。 「形象とか色彩」というのは、真実・実相の世界を説明するのにはあまり役に立ちそうもない表現かと思います。
まあ、唯物的な考え方しか出来ない人にこのようなことを言っても、理解していただけないかとは思いますが…。
これは、私の独り言だと思って下さいね。
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by のほほん ...2003/10/01(水)21:55 [1058]
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「かもめのジョナサン」を書いたリチャード・バックが「イリュージョン」という小説を書いていて(とてもお気に入りの小説です。この掲示板に来るような人は読んでる人が多そうですが。)、その小説の核心はAさんがおっしゃっている「この世はイリュージョン」というものです。小説の登場人物が土を水のように想像すると土が水のようになり土の中を泳げてしまう、そして土が固くなると想像すると土の中を泳いでいた登場人物が土の中に埋まったような状態になってしまう、なんていう部分が出てきます。 リチャード・バックは次の「ONE」という小説では並行宇宙のことを書いています。
ここで、Aさんに質問なんですが、この三次元世界は幻想なんだということを御自分の超能力的なもので把握されたから、確信を持って幻想なんだということをおっしゃっているのでしょうか? それとも知性でそうであると強く納得したから、確信を持っているということなんでしょうか? |
by A ...2003/10/02(木)14:27 [1065]
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先程の投稿は誤送信でしたので削除願います。スミマセンでした。
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「かもめのジョナサン」ですか、とても懐かしいですね。 「イリュージョン」に書かれている内容は、アストラル界のことを言っているのでしょうね。 アストラル界では、思ったことが即実現する世界で、土の中を泳いだり、空中を飛んだりすることは容易に出来る世界ですね。
この三次元世界は幻想なんだということは、昔から多くの方々が言い続けていますね。 仏教の「色即是空」というのも、「三次元世界は幻想だ」という意味ですね。 源氏物語の「この世は現か幻か」というのも同じですね。
宗教や文学以外にも、最先端科学の現代物理学、「量子力学」を理解すると、「この世は幻想だ」ということを科学的に納得することができます。
ということで、「この世は幻想だ」という「観念の方程式」の方が、唯物的な観念よりもつじつまが合い、説得力があるように感じています。
まあ、宗教とか文学は解釈が多様で理解が難しい場合がありますが、現代人には量子力学からのアプローチが「イリュージョン」を理解し易いように思います。
量子力学を理解すればするほど、この世の不思議さ、この世の幻想が理解できてくるかと思います。
ということで、特別に超能力がなくても誰でも科学的な理解が可能だと思います。
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by オリハル ...2003/10/02(木)20:10 [1067]
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グルジェフが書名【「人生は“私”があって初めて真実である」】にもしましたように、この世=物質世界も、「私」([深い]自覚)がある時には、リアル(真実)ですね。リアルは、(意識が)眠っている人々の「目で見たまま」「耳で聞いたまま」に、そこに「在る」のです。その美しさや真実についてオショーが口を酸っぱくして述べていましたね。これは「内[=実在]」に向かっている意識状態です。
一方、意識が外[執着]に向いている人の意識は例えば、社会的評価や金銭収入「だけ」が唯一の価値となっており、やがて崩れ去る世界を追ってしまっている意識状態になっているのですね。
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by のほほん ...2003/10/02(木)22:52 [1068]
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>オリハルさん なんか話に割り込んでしまったみたいですみませんでした。
>Aさん 非常にわかりやすい説明で読んでてうれしくなってしまいました。どうもありがとうございました。
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by A ...2003/10/06(月)15:13 [1074]
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のほほんさんがお気に入りの『イリュージョン』のP.11に素敵な言葉が書かれていますね。
**************************************************************** 「健康や病気、裕福と貧困、自由と奴隷、これらを受け入れるかどうか、決めるのは私達です。 運命を支配するのは私達自身であって、他の誰でもない」 ****************************************************************
この言葉を、バシャール風にもう少し分かり易く表現すると、
「健康や病気、裕福と貧困、自由と奴隷、これらの「現実」を受け入れるかどうか、決めるのは私達が持っている強い「観念」です。 運命や現実を支配するのは、私達自身が持っている「観念」であって、他のなにものでもない。 よって、私達にとって好ましくない現実が現れているなら、私達の「観念」が否定的だったことを「現実という鏡」に映しているということなので、その元になっていた「観念」を肯定的なものに変えれば良いだけの話だ」 ということになるのでしょうね。納得!
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by のほほん ...2003/10/06(月)22:33 [1076]
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Aさん、こんばんは。 「イリュージョン」はちょっとどこにしまったのかわからなくなってしまって今読めないのですが、最近よく売れていたらしい「マスターの教え」という、初版が70年くらい前のアメリカで出版されたという本にも似たような部分があります。
「意識はどんな形のものであれ、あるイメージと心像とも言うべきものを持っています。意識の中にどんな形であろうと、しっかりと保たれた心像は、必ず実現します。これこそ、偉大でかつ不変な宇宙の法則なのです。」
たしか、マーフィーの法則も似たようなことを言っていたと思います。 以上の2冊は「意識」とか「イメージ」という言葉を使っていますが、バシャールはそれを「観念」という言葉で表現するのが好きなように思えます。(バシャール本はまだ読んだことないのですが) |
by ミルキーウェイ ...2003/10/12(日)19:44 [1087]
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あることを思い出したので参考までに書きますね。
閲覧者さんの言わんとされたかったであろうことが、何となく私にはわかるような気がしています。 「1つのウソを信じ込ませるための9つの真実」という言葉があります。 たった1つのウソを浸透させることが最重要なために、敢えて9つの真実を提供するという手段も存在するようです。 9つの真実はその1つのウソと比較すれば、与えることにそれほど価値がないようです。
過去の書物であればなおのこと、誰が書いたかを真に見極められる人はまずいないと思いますので、内容自体もそれほど重要かなあ?と私などは思います。 お伊達やウソという状況も現実に存在するように、信用させるための美辞麗句なら誰にでも使うことが出来ます。 それに気付きを促すためや進化のため?のウソも、宇宙存在達は使うこともあるようですし。
ちなみに、キリストは何と言ったのか? 改竄されたという説もある聖書ですから、どこまでを信用出来るのかさえ私には疑問です。 ただ、正体不明の天国や永遠の命が、キリストとその神への信仰と引き換えに人類に与えられるということは書かれていますね。 では、天国とは何処でしょう? 永遠の命とは? 私達は創造の分け御魂であり、何者にも束縛されずとも永遠の命を持つというのは、今の多くの精神世界の人達の共通認識と思いますが、キリストは何と言ったと使徒達は伝え残しているのでしょう? 都合のいい部分だけを真実として取り上げて、都合の悪い部分だけは何者かの手による編入だとして取り除くということで、果たして本当のキリストの言葉だと責任を持って断言出来るものなのでしょうか?
少し、疑心暗鬼過ぎますかね? でも、私は単純にそう思ってしまいます。 今、思うことは、「誰が書いた」とか、「何が書いてある」か、ではなくて、「自分は何を信じる」かではないかと思うようになりました。 自分が創造主なら当然のことですよね。
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by ミルキーウェイ ...2003/10/12(日)19:54 [1088]
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私も、本当に机上論ではなくて実践業に移ろうと思いまして、この度ある業を修得することにしました。 まだ、指導は受けることが出来ずにいますが、実践中心の新しい教師の元で新しいスタートを切ります。 教師と言っても、今度は難しい教えや観念論での教師ではなくて(笑)、現実の実践での業を指導していただくに当たっての教師ですが・・。 この成果をとても楽しみにしています。 |
by ミルキーウェイ ...2003/10/12(日)20:05 [1089]
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> 今、思うことは、「誰が書いた」とか、「何が書いてある」か、ではなくて、「自分は何を信じる」かではないかと思うようになりました。
「自分は何を信じるか」もありますが、より「自分はどう行動するか」が重要ですね。 例えば、いくらキリストの無条件の愛を説いても、自分の行いが不実行で不誠実であれば、誰もその金玉の言葉に見向きもしないことでしょう・・。
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by X ...2003/10/14(火)14:19 [1092]
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ミルキーウェイさんは私への疑問を呈しているのかな?と思いました。
>「1つのウソを信じ込ませるための9つの真実」という言葉があります。
事実として、私はそのようなことを意図した事は一度もありません。
コーラン、ヨナの章、第17節 「神について嘘を捏造し、、また神のみしるしを嘘だとする者ほど非道な者はない。罪を犯す者どもが栄えることはない。」
>例えば、いくらキリストの無条件の愛を説いても、自分の行いが不実行で不誠実であれば、誰もその金玉の言葉に見向きもしないことでしょう・・。
コーラン、雌牛の章、第190〜192説 「・神の道のために、おまえたちに敵する者と戦え。しかし、度を越して挑んではならない。神は度を越す者を愛したまわない。 ・おまえたちの出あったところで彼らを殺せ。おまえたちが追放されたところから彼らを追放せよ。迫害は殺害より悪い。しかし、彼らがおまえたちに戦いをしかけないかぎり、聖なる礼拝堂のあたりで戦ってはならない。もし彼らが戦いをしかけるならば、彼らを殺せ。不審者の報いはこうなるのだ。 ・しかし、彼らがやめたならば、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。」
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by オリハル ...2003/10/15(水)20:18 [1096]
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ミルキーウェイさんは私への疑問を呈しているのかな?と思いました。
>「1つのウソを信じ込ませるための9つの真実」という言葉があります。
事実として、私はそのようなことを意図した事は一度もありません。
コーラン、ヨナの章、第17節 「神について嘘を捏造し、、また神のみしるしを嘘だとする者ほど非道な者はない。罪を犯す者どもが栄えることはない。」
>例えば、いくらキリストの無条件の愛を説いても、自分の行いが不実行で不誠実であれば、誰もその金玉の言葉に見向きもしないことでしょう・・。
コーラン、雌牛の章、第190〜192説 「・神の道のために、おまえたちに敵する者と戦え。しかし、度を越して挑んではならない。神は度を越す者を愛したまわない。 ・おまえたちの出あったところで彼らを殺せ。おまえたちが追放されたところから彼らを追放せよ。迫害は殺害より悪い。しかし、彼らがおまえたちに戦いをしかけないかぎり、聖なる礼拝堂のあたりで戦ってはならない。もし彼らが戦いをしかけるならば、彼らを殺せ。不審者の報いはこうなるのだ。 ・しかし、彼らがやめたならば、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。」
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by 通りすがり ...2003/10/16(木)01:49 [1099]
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いろいろな知識や観念が披露されているけど、 それらが愛に基づいたものか、単なる自己顕示か・・・ 愛に基づいたものであれば、その言葉が真実か、理路整然としているかなんてこととは全く関係ないこと 理路整然と自己顕示のために並べられた知識や観念なんて、 心の中で舌を出しながらお説教をしている形式的な聖職者のようなもの |
by オリハル ...2003/10/16(木)18:57 [1100]
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>それらが愛に基づいたものか、単なる自己顕示か・・・
私はそのように区別しません。コーラン抜粋は、 「ミルキーウエイさんの視点≠事実」である事実を示したに過ぎません。正確に言えば、「自己顕示」ではなく「事実は違うよ」です。それは「真実・事実がどこにあるのか」という視点からなされました。このようなテーマに沿った話し合いの中で、私は善意からしか話せません。それを悪意と解釈したがる性向=主観=事実と断定せずに、先ずは相手に確認し、尋ねる事で真実かどうかを確定するような慎重さがほしいところです。>通りすがりさん つまり、断定するに早急だと思う。
>理路整然と自己顕示のために並べられた知識や観念なんて、
勝ち負けでものを考え・捉えるから、「理路整然性」を否定したがるのだと予想しました。
私は基本的に、価値観とか主観を否定せずに、それら諸観念を超えた「事実・リアリティー」を提示する、というスタンスです。
主観=価値観に基づくと: ・愛に基づいたものであれば、その言葉が真実か、理路整然としているかなんてこととは全く関係ないこと ・愛を表現してばかりで、彼は「見せて」ばかりいるな。偽善者ではないか?
というふうに、常に+と-の側面が出てきます。しかし、「事実だけ」で考えると、どの言葉にも、それぞれ、「固有の理由」が存在します。今回の場合は、「ミルキーウエイさんが指摘したがっても、事実は違いますよ」という事です。
以上の言葉を、勝ち負けを超えて読んでもらう事は難しいだろうと予想しています。しかし、私は単に事実だけは確定して置きますので。
私は問われれば答えます。10年程度答えていれば、その内「NO REASON」とか言い始めるかもね。 |
by オリハル ...2003/10/16(木)19:21 [1101]
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「組織化する」とか「人を囲い込む」とかいう性向は弱いのが事実ですから、御安心下さい。 |
by ミルキーウェイ ...2003/10/16(木)20:15 [1102]
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はあ〜?
Xさんもオリハルさんも・・大丈夫ですか?(^^; 考え過ぎというか・・何だか、私に対してある脅迫観念が存在しているのかな?と思いました。
>ミルキーさんも、気をつけましょうね。 他人の評価は気分によってコロコロ変わり、あまり当てにはなりませんよ。 最も大事なのは「自己評価」です。
他人の評価を気にしているのはXさんの方では? 私が何を気をつけないといけないとXさんが判断しているのか知りませんが、他人のことを自己ものさしにて気にし過ぎと思えました。
別に、私なりの意見はあなたを攻撃する意図はありませんよ。 勿論、オリハルさんのことも・・。(全く見当もつかなかった意見が出て来たので心外でした。オリハルさんのことや意見には何も反応しておりませんでした。それはオリハルさんの意見の意味が私には難し過ぎて理解未達だからです。何を言っているのかサッパリわからない・・と言う状態なんです。) オリハルさんが何をどう解釈されているのか・・私にはオリハルさんのいわんとされることが理解不能です。
信念が先とか、行動が先とか・・それはその人その人の感性でいいのではありませんか? 別に他人に強制するものでもないと思いますが・・? 真実はこうだ!と言えるほど私は悟ってもいませんが、皆さんはどうなんでしょうか? 私はあくまでも「自分はこう思う!」ということを伝えているに過ぎません。 それとも、自分の信念と違うことを言う相手は容認出来ませんか? よくご自分の文章を読み返して、矛盾がないか熟考されてみてください。
>ミルキーウェイさんは私への疑問を呈しているのかな?と思いました。
オリハルさん、また病気が出ましたか?(^^; 考え過ぎです。
>事実として、私はそのようなことを意図した事は一度もありません。
はい、私も事実として、そのようにオリハルさんを判断したことは全くありません。(疲れるぅ〜)
>コーラン、雌牛の章、第190〜192説
これこそが編纂の部分と言う意見もあるかもしれませんね。 コーランはマホメットでしたね。 ちなみに、キリストは使徒に「剣を納めよ、剣で争う者は剣で滅ぶ」とか何とか言ったとされています。 この違いは何でしょうね? 私は真実を追及したいだけですよ。
愛に元づくものか自己顕示欲に元づくものかを判断するのは、あなた自身しかおりません。 それはあなたの中でのみ決定される事柄であり、そこに必ずしも真実があるとは限りません。 好きなように思えば良し! 他人と違うことを怖れないことです。(違って当たり前)
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by ミルキーウェイ ...2003/10/16(木)20:30 [1103]
by オリハル ...2003/10/16(木)22:33 [1105]
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>オリハルさん、また病気が出ましたか?(^^; >考え過ぎです。
ええ、病気が出たようです(^^;。その事実を提示していただき、ありがとうございました。また、他の方にも、心安からぬ事がありましたら、何もしませんので(^^;、御安心下さい。神霊によれば、人の最も恐れることは「事実」だそうですし。準備の出来ていない人に事実を見ろとは言いません。先ずは椅子や机の形や色の「事実」に驚いてひっくり返って下さいな。 |
by オリハル ...2003/10/17(金)21:14 [1109]
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