579. メソポタミアからの贈り物part2 まさひろ 2003/03/31 (月) 04:19
厳格な契約を遵守しなければ、昔も今も商取引、国際的な制度も、成り立たない。これはメソポタミアから生まれた教えでもあり、今の多様化した社会に今でも根強く残っています。
厳格な契約を遵守しなければ、昔も今も商取引、国際法も、許さない。これが今の社会です。
キリスト教の聖職者であってもこの事実をしっている方は非常に少ないかもしれないですね。
元からかの場所は分かち合ってきた場所。国という概念が、また範疇が 平和主義に必要でないように、我々、個々に今問われていて、同様に 内在している善悪の範疇への問いかけになっているのは何故でしょうか。
我々は実は全く昔から、手法以外には進歩していない、寧ろ後退しているかもしれないとメソポタミアの民に笑われているようです。
しかし、我々はタルムードに敢えて例えていうのであれば、契約の民として融通のきかない契約を結ばなければならないという事でしょう。
そうしなければ、日本という我々の繁栄も、国益も、シビアながら 無くなってしまうという現実。
キリスト教は愛の宗教と呼ばれ、また契約の民はユダヤ教であり、イスラム教の聖地メッカには、多民族の触れ合いが今でも存在し、アメリカを悪とみなしている原点はかつては皆無であり、純粋なモノでした。
総て良い部分と悪い部分が今、浮き彫りになってきているように私は感じています。
原点は一つであり、それが複数の範疇となる事により多種多様化している。
我々の行動においても平和主義を唱えることは簡単です。皆それは感じられる事です。しかし、残念ながら我々には、金貨が鳴れば、騒ぎがおさまるという(タルムード)内在的な、切り離すことのできない社会の中に居ます。
すなわち、全員、常に望んでいるのは、互いに争い事なく、 利益があり、幸せであればそれでいい...。
しかし、現実や今の国際社会とは、我々日本人が考えるよりも、もっとシビアと見た方が良いようです。
一応、これが現代社会よりはるか昔にかつて多民族で栄えたメソポタミア文明からの英知でもあり、また我々現代社会における日本の判断基準と相変わらない、全くもってしてのcoincidence(同一的な見解)でもある、 もしくは、メソポタミア文明から引用した少し角度を変えてみたこの問題に対する明確な答えとなるのではないでしょうか。
それでは
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